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障害学生支援(障害者と高等教育・大学)

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last update: 20230423


■目次・関連頁

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出版
報告書
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本のための文献表


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■年別

2023(制作:種村 光太郎
2022(制作:種村 光太郎
2021
2020
2019

2011
2010(制作:安田 真之
2009(制作:安田 真之
2008(制作:青木 慎太朗
2007(制作:青木 慎太朗
2006(制作:青木 慎太朗
〜05


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■障害種別

肢体不自由
聴覚障害
視覚障害
精神障害
発達障害
慢性疾患、難病その他機能障害
(※随時更新予定。分類は、日本学生支援機構「合理的配慮ハンドブック」による。)

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■企画

新着

◆2022/9/24 座談会「立命館大学における障害学生支援の変遷」於:Zoom
→延期(時期未定)


「生存学」創成拠点主催共催


◆2021/11/20 シンポジウム「情報保障のいまとこれからーー生存学研究所の取り組み」 於:Zoom
◆2009/09/26 シンポジウム1「障害学生支援を語る」
 障害学会第6回大会 於:立命館大学朱雀キャンパス
◆2008/06/21 座談会「大学における視覚障害者支援の現状と課題 スーダンで今求められていること」 於:立命館大学衣笠キャンパス
◆2007/08/09 座談会「視覚障害者が高等教育機関で学ぶ スーダンと日本の経験を語る」 於:東京大学先端科学技術研究センター


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■人(arsvi.com内にファイルのある人物)

青木 慎太朗
青野 透
植村 要
金澤 貴之
クァク ジョンナン
後藤 吉彦
櫻井 悟史
関根 千佳
種村 光太郎
都築 繁幸
広瀬 洋子
安田 真之
山口 和紀


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■出版

「生存学」創成拠点関連

青木 慎太朗 編 2010/03/25 『視覚障害学生支援技法 増補改訂版』,立命館大学生存学研究センター報告12,208p. ISSN: 1882-6539
青木 慎太朗 編 2009/02/05 『視覚障害学生支援技法』,立命館大学生存学研究センター,生存学研究センター報告6,182p. ISSN 1882-6539

書籍

〇2023
◆高橋 圭三・高橋 伸子 2023/03 『学生支援:近年の多様な学生たち』,  Independently published, 141p.[amazon]

〇2022
◆飯野 由里子・星加 良司・西倉 実李 2022/06 『「社会」を扱う新たなモードー「障害の社会モデル」の使い方』, 生活書院, 264p.[amazon]
◆桑原斉・中津 真美・垣内 千尋・熊谷 晋一郎 2022/05 『障害学生支援入門ー合理的配慮のための理論と実践』, 金子書房, 158p.[amazon]
◆山科 満 2022/03 『キャンパスにおける発達障害学生支援の新たな展開』, 中央大学出版部, 208p.[amazon]

〇2021
◆安田 祐輔 2021/12 『ちょっとしたことでうまくいく発達障害の人が上手に勉強するための本』, 翔泳社, 156p.[amazon]
◆西村 優紀美・日下部 貴史・柴田 礼子 2021/03 『発達障害のある生徒・学生へのコミュニケーション支援の実際ー修学から就職後の支援まで』, 金子書房, 164p.[amazon]
◆都築 繁幸 2021/02/22 『障害者支援制度の経緯および取り組みの実際と合理的配慮:障害学生支援の充実に向けて』, 22世紀アート, 172p.[amazon]
◆窪 貴志・高橋 亜紀子・山本 愛子 2021/01/20 『ちょっとしたことでうまくいく発達障害の人のための就活ハック』, 翔泳社, 168p.[amazon]

◇サイト
筑波技術大学 オンライン授業での情報保障に関するコンテンツ集 サイトへ

〇2020
◆土橋 圭子・渡辺 慶一郎 2020/12/18 『発達障害・知的障害のための合理的配慮ハンドブック』, 有斐社, 249p.[amazon]
◆北川 明 2020/8/3 『発達障害のある看護職・看護学生支援の基本と実践』, メジカルビュー社, 208p.[amazon]
◆鴨下 賢一・池田 千紗・荻野 圭司・小玉 武志・高橋 知義・戸塚 香代子 2020/8/1 『発達が気になる子の学校生活における合理的配慮ー教師が活用できる・親も知っておきたい』, 中央法規出版, 195p.[amazon]
◆吉武 清實・岡田 有司・榊原 佐和子 2020/3/26 『共生社会へー大学における障害学生支援を考える』, 東北大学出版会, 221p.[amazon]

〇2019
◆山田 隆一・今村 明 協力 2019/08/16 『僕は発達凹凸の大学生ー「発達障害」を超えて』, 星和書店, 208p.[amazon]
◆独立行政法人日本学生支援機構 2019/03 『合理的配慮ハンドブックー障害のある学生を支援する教職員のために』, ジーアス教育新社, 252p.[amazon]

〇2018
◆宮尾 益知 2018/11 『この先どうすればいいの?18歳からの発達障害「自閉症スペクトラム症」への正しい理解と接し方(心のお医者さんに聞いてみよう)』, 大和出版, 96p.[amazon]
◆岡野 ゆかり 2018/08 『自閉くんのマニュアルがありません!ー不思議な息子が教えてくれる楽しい暮らし方』, 学研プラス, 144p.[amazon]
◆對馬 陽一郎・安尾 真美・林 寧哲 2018/04/18 『ちょっとしたことでうまくいく発達障害の人が会社の人間関係で困らないための本』, 翔泳社, p196.[amazon]
◆竹田 一則編著 2018/03 『よくわかる!大学における障害学生支援』, ジーアス教育新社, 420p.[amazon]
◆日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク「聴覚障害学生サポートブックー18歳から学ぶ合理的配慮」編著グループ 2018/03 『聴覚障害学生サポートブックー18歳から学ぶ合理的配慮』, 国立大学法人筑波技術大学, 146p.[amazon]
◆村上 由美著  2018/03 『ちょっとしたことでうまくいく発達障害の人が上手に暮らすための本』, 翔泳社, p160.[amazon]

〇2017
◆石井 京子・池嶋 貫二・高橋 知音 2017/06 『発達障害の大学生のためのキャンパスライフQ&A』, 弘文堂, 180p.[amazon]
◆日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク「聴覚障害学生の意思表明のために」編集グループ編 2017/03 『聴覚障害学生のための意思表明支援のためにー合理的配慮につなげる支援の在り方』, 国立大学法人筑波技術大学, 132p.

〇2016
◆高橋 知音 編  2016/11 『発達障害のある大学生の支援(ハンディシリーズ発達障害支援・特別支援教育ナビ)』, 金子書房, 102p.[amazon]
◆鳥山 由子・竹田 一則 2016/9 『障害学生支援入門ー誰もが輝くキャンパスを』, ジーアス教育新社, 170p.[amazon]
◆川島 聡・飯野 由里子・西倉 実李・星加 良司 2016/7 『合理的配慮ー対話を開く・対話が開く』, 有斐閣, 268p.[amazon]
◆對馬 陽一郎・安尾 真美・林 寧哲 2017/05 『ちょっとしたことでうまくいく発達障害の人が上手に働くための本』, 翔泳社, p160.[amazon]
◆安田 道子・鈴木 健一・松本 真理子・永田 雅子・野邑 健司 2016/4 『大学生 大学生活の適応が気になる学生を支える(心の発達支援シリーズ6)』, 明石書店, 192p.[amazon]

〇2015
◆石井 京子・池嶋 貫二・佐藤 智恵 2015/12 『発達障害の人の内定ハンドブックー「発達障害の人の就活ノートU」完全版』, 弘文版, 200p.[amazon]
◆独立行政法人 国立特別支援教育総合研究所 編 2015/5 『発達障害のある学生支援ガイドブック』, ジーアス教育新社, 106p.
◆日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan)平成25・26年度モデル事例構築事業「大学教職員のための地域通訳依頼ハンドブック−よりよい連携を目指して」編集グループ 2015/3 『大学教職員のための地域通訳依頼ハンドブック−よりよい連携を目指して』,国立大学法人筑波技術大学, 47p.サイトへ
◆坂爪 一幸・湯汲 英史 2015/2 『知的障害・発達障害のある人への合理的配慮ー自立のためのコミュニケーション支援』, かもがわ出版, 96p.[amazon]

〇2014
◆石井 京子・池嶋 貫二・林 哲也・村上 由美 2014/10/30 『発達障害の人が活躍するためのヒント』, 弘文版, 196p.[amazon]
◆高橋知音 2014/7/25 『発達障害のある人の大学進学:どう選ぶか どう支えるか』, 金子書房, 202p.[amazon]

〇2013
◆石井 京子・池嶋 貫二 2013/2 『発達障害の人が働くためのQ&A』, 弘文社, 210p [amazon]

〇2012
◆高石 恭子・岩田 淳子 2012/5 『学生相談と発達障害』, 学宛社, 236p [amazon]
◆DPI日本会議 2012/4 『最初の一歩だ!改正障害者基本法ー地域から変えていこう』, 解放出版社, 108p [amazon]
◆日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan)情報保障評価事業(手話通訳)ワーキンググループ  2012/3 『大学での手話通訳ガイドブックー聴覚障害学生のニーズに答えよう』, 国立大学法人筑波技術大学, p リンク

〇2011
◆石井 京子・池嶋 貫二 2011/07/07 『発達障害の人のビジネスモデル講座』, 弘文社, 178p [amazon]
◆障害学研究編集委員会 2011/04/27 『障害学研究7』, 明石書店, 404p [amazon]

〇2010
◆斎藤 清二・西村 優紀美 2010/10/25 『発達障害大学生支援への挑戦――ナラティブ・アプローチとナレッジ・マネジメント』,金剛出版,280p. ISBN-10: 4772411674 ISBN-13: 9784772411677 \3360 [amazon][kinokuniya]
◆石井 京子 2010/07/07 『発達障害の人の就活ノート』,弘文社,181p. [amazon]
◆山崎 晃資 2010/07/05 『キャンパスの中のアスペルガー症候群』,講談社,238p. ISBN-10: 4062597012 ISBN-13: 9784062597012 \1365 [amazon][kinokuniya]
◆日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク聴覚障害学生支援システム構築・運営マニュアル作成事業グループ 2010/06/15 『一歩進んだ聴覚障害学生支援――組織で支える』,生活書院,220p. →サイトへ
◆吉田 仁美 2010/06 『高等教育における聴覚障害者の自立支援――ユニバーサル・インクルーシブデザインの可能性』,ミネルヴァ書房,309p. ISBN-10: 462305750X ISBN-13: 9784623057504 \6825 [amazon][kinokuniya]
篠原 睦治 編 2010/05/15 『関係の原像を描く――「障害」元学生との対話を重ねて』,現代書館,245p. ISBN-10: 4768435041 ISBN-13: 9784768435045 \2100 [amazon][kinokuniya]
青木 慎太朗 編 2010/03/25 『視覚障害学生支援技法 増補改訂版』,立命館大学生存学研究センター報告12,208p. ISSN: 1882-6539
◆佐々木 正美・梅永 雄二 2010/02 『大学生の発達障害』,講談社,102p.[amazon]

〇2009
◆奥田 健次・小林 重雄 2009/05/20 『自閉症児のための明るい療育相談室ー親と教師のための新しいABA講座』,学苑社,214p. [amazon]
◆鶴田 一郎 2009/04/10 『障害者学生支援の日米比較――わが国における今後の方向性を探るために』,ふくろう出版,96p. ISBN-10: 4861863848 ISBN-13: 9784861863844 \2000 [amazon][kinokuniya]
◆日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク PEPNet-Japan,2009,『資料集合冊 聴覚障害学生支援システムができるまで』,日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク PEPNet-Japan. →サイトへ
◆広島大学大学院総合科学研究科 編 2009/02/28 『大学教育とアクセシビリティ――教育環境のユニバーサルデザイン化の取組み』,丸善,147p. ISBN-10: 4621080849 ISBN-13: 9784621080849 \1995 [amazon][kinokuniya]

〇2008
◆障害学研究編集委員会 編 2008/05/30 『障害学研究』3,明石書店,209p. ISBN-10: 4750327980 ISBN-13: 9784750327983 \2310 [amazon][kinokuniya]
◆西村 伸子 2008/03 『障害学生からのメッセージーみんなの思いが明日をひらく』,全国障害学生支援センター,119p. ISBN-10: 4990074769 ISBN-13: 9784990074760 \1050 [kinokuniya]

〇2007
横須賀 俊司・松岡 克尚 編 2007/10/30 『支援の障害学に向けて』,現代書館,176p. ISBN-10: 4768434711 ISBN-13: 9784768434710 \1785 [amazon][kinokuniya]
◆日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク情報保障評価事業グループ 編 2007/10/13 『大学ノートテイク支援ハンドブック――ノートテイカーの養成方法から制度の運営まで』,人間社,183p. ISBN-10: 4931388523 ISBN-13: 9784931388529 \1680 [amazon][kinokuniya]
◆国立特別支援教育総合研究所 編 2007/09/10 『発達障害のある学生支援ケースブック――支援の実際とポイント』,ジアース教育新社,120p. ISBN-10: 4921124760 ISBN-13: 9784921124762 \1575 [amazon][kinokuniya]
◆福田 真也 2007/04/26 『大学教職員のための大学生のこころのケア・ガイドブックー精神科と学生相談からの15章』,金剛出版,198p. ISBN-10: 477240967x ISBN-13: 978-4772409674 [amazon]

〇2006
◆ボニー M ホッジ・ジェニー プレストン サビン編・太田晴康監訳・三澤かがり訳 2006/12/01 『障害のある学生を支えるー教員の体験談を通じて教育機関の役割を探る』,文理閣,228p. [amazon]

〇2005
◆鳥山 由子・青松 利明・青柳 まゆみ・石井 裕志 編 2005/10/05 『視覚障害学生サポートガイドブック――進学・入試から卒業・就職までの実践的支援ノウハウ』,日本医療企画,223p. ISBN-10: 4890416501 ISBN-13: 9784890416509 \1890 [amazon][kinokuniya]
◆ローナ ウィング 監修・吉田 友子 著 2005/06/01 『あなたがあなたであるために 自分らしく生きるためのアスペルガー症候群ガイド』,中央法規出版,102p. [amazon]
◆国立特殊教育総合研究所 編 2005/05/18 『発達障害のある学生支援ガイドブック――確かな学びと充実した生活をめざして』,ジアース教育新社,91p. ISBN-10: 4921124418 ISBN-13: 9784921124410 \1399 [amazon][kinokuniya]

〇2004
◆秋山 なみ・亀井 伸孝 2004/12/30 『手話でいこう――ろう者の言い分聴者のホンネ』,ミネルヴァ書房,232p. ISBN-10: 4623042545 ISBN-13: 9784623042548 \1575 [amazon][kinokuniya]
◆佐野(藤田) 眞理子・吉原 正治 2004/12 『高等教育のユニバーサルデザイン化――障害のある学生の自立と共存を目指して』,大学教育出版,157p. ISBN-10: 4887305982 ISBN-13: 9784887305984 \2310 [amazon][kinokuniya]

〇2002
斎藤 佐和 監 2002/04/22 『聴覚障害学生サポートガイドブック――ともに学ぶための講義保障支援の進め方』,日本医療企画,151p. ISBN-10: 4890414940 ISBN-13: 9784890414949 \1680 [amazon][kinokuniya]

〇2001
◆日本障害者高等教育支援センター問題研究会 編 2001/09/20 『大学における障害学生支援のあり方』,星の環会,852p. ISBN-10: 4892943312 ISBN-13: 9784892943317 \3150 [amazon][kinokuniya]
◆吉川 あゆみ・太田 晴康・広田 典子・白澤 麻弓 2001/03 『大学ノートテイク入門――聴覚障害学生をサポートする』,人間社,180p. ISBN-10: 4931388248 ISBN-13: 9784931388246 \999 [amazon][kinokuniya]
◆太田 晴康 1998/06/19 『パソコン要約筆記入門――「聞こえ」を支えるボランティア』,人間社,124p. ISBN-10: 4931388108 ISBN-13: 9784931388109 \1575 [amazon][kinokuniya]
◆冨安 芳和・小松 隆二・小谷津 孝明 編 1996/04/30 『障害学生の支援――新しい大学の姿〜AHEAD日本会議より』,慶応義塾大学出版会,323p. ISBN-10: 4766406281 ISBN-13: 9784766406283 \2548 [amazon][kinokuniya]

〇1996
小島純郎,1996,『障害学生の贈り物―点字と手話の世界から(寄稿集)』,近代文芸社,223p [amazon]
◆富安 芳和・小谷津 考明・小松 隆二,1996/1,『障害学生の支援ー新しい大学の姿〜AHEADに本会議より』,慶応義塾大学出版会,323p [amazon]

〇1994
小島 純郎,1994,『共に学び、共に生きる―点字・手話を通して開いた世界(講演集),近代文芸社,229p,[amazon]




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■報告書・文献

コロナ禍以降の初の実態調査↓
日本学生支援機構 2020 「令和2年度(2020年度)障害のある学生の修学支援に関する児たち調査結果報告書)」

日本学生支援機構 2016 「大学、短期大学及び高等専門学校における障害のある学生の支援に関する実態調査分析報告(対象年度:平成17年度(2005年度)から平成28年度(2016年度))」

日本学生支援機構 20120214 『「平成23年度(2011年度)大学、短期大学及び高等専門学校における障害のある学生の修学支援に関する実態調査」結果の概要について』


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■GP・研究助成等採択プログラム

○特色GP cf:文部科学省の特色GPページ
◆筑波技術短期大学:聴覚・視覚障害学生に対する教育方法の改善――主として授業における情報保障の視点から(平成15年度採択)
 プログラムの概要及び選定理由(PDF)
◆日本福祉大学:学生とともにすすめる障害学生支援――障害学生とともに全学生が成長しあう教育システム(平成15年度採択)
 プログラムの概要及び選定理由(PDF)
◆広島大学:高等教育のユニバーサルデザイン化――総合大学における障害学生就学支援(平成16年度採択)
 プログラムの概要及び選定理由(PDF)
◆愛媛大学:「お接待」の心に学ぶキャンパス・ボランティア(平成16年度採択)
 プログラムの概要及び選定理由(PDF)
◆同志社大学:大学コミュニティーの創造――コミュニケーション・デバイドの克服(平成16年度採択)
 プログラムの概要及び選定理由(PDF)
◆沖縄大学:ノートテイクから広がる大学づくり――小さな大学での新たなユイマールの創造をめざして(平成19年度採択)
 沖縄大学プログラムページ

○学生支援GP(いずれも平成19年度採択) cf:文部科学省の学生支援GPページ
■宮城教育大学:障害学生も共に学べる総合的学生支援――障害学生との共生により人間性豊かな社会人を育成するための入学から就職までの総合的学生支援システム構築
 プログラムの概要及び選定理由
 宮城教育大学プログラムページ
◆筑波技術大学:視・聴覚障害学生の専門性を高める学習支援――視覚障害学生に対する情報アクセス支援と聴覚障害学生に対するコミュニケーション支援
 プログラムの概要及び選定理由
◆富山大学:「オフ」と「オン」の調和による学生支援――高機能発達障害傾向を持つ学生への支援システムを中核として
 プログラムの概要及び選定理由
 富山大学プログラムページ
◆信州大学:個性の自立を≪補い≫≪高める≫学生支援――発達障害にも対応できる人間力向上支援プログラム
 プログラムの概要及び選定理由
 信州大学プログラムページ
◆東北公益文化大学:インクルージョン社会をめざした大学づくり――特別なニーズをもつ学生への「共育」支援を通して
 プログラムの概要及び選定理由
 東北公益文化大学プログラムページ
◆プール学院大学:発達障害を有する学生に対する支援活動――大学における特別支援教育の取組
 プログラムの概要及び選定理由
 プール学院大学プログラムページ)
◆仙台電波工業高等専門学校:発達障害を持つ学生のための特別支援室
 プログラムの概要及び選定理由
◆佐世保工業高等専門学校/釧路工業高等専門学校:高等専門学校での特別支援教育推進事業――発達障害のある学生に対する支援に関する共同的取り組み
 プログラムの概要及び選定理由
 佐世保工業高等専門学校プログラムページ
 釧路工業高等専門学校プログラムページ

○教育GP cf:文部科学省の教育GPページ
◆広島大学「アクセシビリティリーダー育成プログラム」(平成20年度採択)
 審査結果表
 広島大学プログラムページ

○大学教育・学生支援推進事業【テーマA】大学教育推進プログラム cf:文部科学省のプログラムページ
◆函館大学「ピア・サポートによる学生協同支援」(平成22年度採択)
 審査結果表


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■関連事項

障害者と教育
介助・介護
自立・自立生活(運動)independent living movement
ケア care
障害者自立支援法
障害者と労働
障害者の権利条約
障害者と政策
異なる身体のもとでの交信――情報・コミュニケーションと障害
障害学(Disability Studies)


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■関連リンク

○全国組織

障害学生就学支援情報-JASSO
日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan)
全国障害学生支援センター
アクセシビリティリーダー育成協議会

○地域組織

関西SL
東北ろう学生懇談会
関東聴覚障害学生懇談会
近畿ろう学生懇談会
四国ろう学生懇談会
九州ろう学生懇談会
関東聴覚障害学生サポートセンター
宮城県聴覚障害学生の会
宮城DSC
東海聴覚障害学生高等教育を考える会

○高等教育機関

〇北海道
札幌学院大学 障がい学生支援

〇東北
宮城教育大学 障害学生修学支援業務

〇関東
東京大学 バリアフリー支援室
筑波大学 障害学生支援室
筑波技術大学
筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター
早稲田大学 障がい学生支援室
群馬大学 障害学生支援室

〇中部
富山大学 アクセシビリティ・コミュニケーション支援室
長野大学 障害のある学生への支援の取りくみ
長野大学 障害学生サポート制度
日本福祉大学 障害学生支援センター

〇近畿
京都大学 障害学生支援部門
同志社大学 スチューデントダイバーシティ・アクセシビリティ支援室
大阪大学 障害学生支援室
立命館大学 障害学生支援室
関西学院大学 障がいのある学生への修学支援・就労支援

〇中国
岡山大学 高大接続・学生支援センター 学生支援部門
広島大学 アクセシビリティセンター

〇四国
四国学院大学 障害者支援(ノートテイク・アテンダント等)
愛媛大学 身体に障がいがある学生への支援

〇九州
福岡教育大学 障害学生支援センター
九州大学 インクルージョン支援推進室


○海外

Association on Higher Education And Disability(AHEAD)
障害人学生支援ネットワーク(韓国語)

■各大学の資料

京都大学大学文書館の関係資料

※下記は文書館の収蔵資料検索で「"障害学生"」クエリで検索した結果を出力したものです=2022/06/22時点。
識別番号 名称 作成者 受信者 発行元 作成年月日(自) 作成年月日(至) 内容・形態等 複製物番号 保存場所 受入年月日 媒体 利用制限区分 階層A 階層B 階層C 階層D
01A21944 京都大学身体障害学生相談室関係 1982年 1994年 2-9/31-5-1 要審査 法人文書 事務本部 学務・厚生補導 その他
13A02545 昭和55〜57年度身体障害学生相談室関係 学生部教務課教務掛 1980年4月 1983年3月 2-1/9-4-3 要審査 法人文書 事務本部 学務・厚生補導 その他
17A02470 身体障害学生相談室関係 学生部教務課教務掛 1983年4月 1987年3月 2-2/4-3-6 要審査 法人文書 事務本部 学務・厚生補導 その他
17B08628 身体障害学生関係 元.4〜6.3 文学部第一教務掛 1999年4月 2000年3月 MP00687 【閲覧室4-4-3】B-7/16-2-1 要審査 法人文書 文学研究科・文学部 庶務・総務
18A03205 身体障害学生相談室関係 昭62 学生部教務課教務掛 1987年4月1日 1988年3月1日 2-2/5-7-1 要審査 法人文書 事務本部 学務・厚生補導 その他
18B05136 平成19年度 障害学生関係 理学研究科総務・学務室第二教務掛 2007年4月1日 2008年3月1日 MP00686 【閲覧室4-4-3】B-7/19-1-2 要審査 法人文書 理学研究科・理学部 教務・学務
20A02290 身体障害学生相談室関係 学生部教務課教務掛 1989年4月1日 1990年3月1日 2-2/9-1-6 要審査 法人文書 事務本部 学務・厚生補導 その他
P02956 京都大学 身体障害学生相談室の設置をめぐって −当時の聴覚障害学生の立場から− 松延 秀一 2002年8月 1-1/6-9-6 全部利用 刊行物 学内刊行物 その他
P05613 京都大学 身体障害学生相談室の設置をめぐって −当時の聴覚障害学生の立場から−(再増補版) 松延 秀一 2008年 閲覧室/5-5-5 全部利用 刊行物 学内刊行物 その他
P06715 京都大学 障害学生支援室の「設置」 −「相談」から「支援」へ 松延秀一 2011年 閲覧室/5-5-5 全部利用 刊行物 学内刊行物 その他




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■■■本のための準備

■■おおまかな構成?

○1970年代〜
 楠 岸田[]/龍谷大学 山口[2022]
 石川・ 鼎談記録あり
 福島 都立大学あたりのことインタビュー記録あり
★○立命館における↓
○大学図書館における
○栗川
○中村の提案
○学ぶ・働く・その他をつなげる 天畠対談

■■引用等

■ 山口

楠 敏雄(1944〜2014/02/16),
・楠 敏雄 i2010 インタビュー(その1) 2010/10/03 聞き手:岸田典子野崎泰伸 於:楠さん自宅(大阪府東大阪市)
・楠 敏雄 i2011 インタビュー 2011/10/02 聞き手:中村 雅也 於:楠さん自宅(大阪府東大阪市)
・岸田典子 []
永村 実子 i2020a インタビュー・1 2020/11/27 聞き手:立岩真也尾上浩二岸田典子 於:東大阪・ゆめ・風基金事務所
永村 実子 i2020b インタビュー・2 2020/11/27 聞き手:立岩真也尾上浩二岸田典子 於:東大阪・ゆめ・風基金事務所
・楠 敏雄 20010501 「私の障害者解放運動史」,全国自立生活センター協議会編[2001:313-321]※
※全国自立生活センター協議会 編 20010501 『自立生活運動と障害文化――当事者からの福祉論』全国自立生活センター協議会,発売:現代書館,480p.
・楠 敏雄 i2000 インタビュー 2000/03/15 聞き手:尾上浩二他
中村雅也,2020/07/10 『障害教師論――インクルーシブ教育と教師支援の新たな射程』,学文社.
中村雅也 2018/02/28 「全盲教師のライフストーリー――過去を解釈し、未来を展望する」羽田野真帆・照山絢子・松波めぐみ編『障害のある先生たち――「障害」と「教員」が交錯する場所で』生活書院,197-222.
立岩真也 編 2014/12/31 『身体の現代・記録00――準備:被差別統一戦線〜被差別共闘/楠敏雄』Kyoto Books ※r.
VT ◇龍谷大学での
山口 和紀 2022 「龍谷大学「入学制限反対闘争」の記録――いかにして門戸は開かれたのか」,『遡航』1
 

尾上 浩二
・尾上 浩二 i2020a インタビュー 2020/08/07 聞き手:立岩真也 +伊東香純 於:(NPO)ちゅうぶ

■ 種村?

石川 准(社会学)
・石川 准・河村 宏・立岩 真也 20140322 「視覚障害学生石川准と東大図書館員河村宏――その1970年代から21世紀へ」
(2014/02/21 「視覚障害学生と文字情報――1970年代末から」(石川准・河村宏との鼎談),於:静岡県立大学

福島 智
・福島 智 i2018 インタビュー 2019/01/08 聞き手:立岩 真也 於:立命館大学衣笠キャンパス創思館4階・書庫

「福島 最低限、お話しないといけないのは、九つで目が見えなくなって、最初は、兵庫県立盲学校というところに小学校4年生から転入します、普通の小学校から。神戸市内にあるんですね。で、同じ区内、同じ垂水区内にあったから、あの、通学していました。あの、でも、もし住んでる場所が違ったら、寄宿舎に入っていたと思いますね。兵庫県っていうのは、太平洋側にも日本海側にも両方面している、本州で唯一の県なんですね。まあ青森と山口は別ですが。だから北のほうに家がある子どもたちはみんな寄宿舎だから、何だか子ども心に「可哀想だな」とか思いました。「分離教育がどうこう」という理念の問題じゃなくて、実際問題、小学校1年生ぐらいから家から離れて生活するということの異常な感じが、すごい違和感感じましたね、私、子どもの頃から。たまたま家が近かったから、ドア・トゥ・ドアで電車使って40分ぐらいだったので、私は通いましたけれども。
 そこでは中学3年生まで過ごして、その中学2年生の時にですね、1977年に石川さんが東大に入るんです。で、「石川さんの東大入学」っていうのはすごくインパクトがあって、私が後に、高校から石川さんも行ってらした筑波大学附属盲学校というところに行こうと決心する、重要なきっかけになっています。これはおそらくどこにも書いていないかも。別に隠すようなことではないですが。だから僕は石川さんの、
立岩 福島さん77年って、何年生だ?
福島 中学2年生になった時。
立岩 中学2年か。
福島 彼は77年から東大に入っている、その直前にテレビニュースがありましたよね。で、あの、「目が見えなくても勉強すれば大学に行ける」ということ。「しかも最難関のところにも行く人がいるんだ」ということ。で、あの、一方で地方の盲学校はすごく、のんびりしていてアットホームなんですが、勉強する上では少し刺激が足りないということがあったので。まあ石川さんのことがある前から、高校からは漠然と「東京に行こう」と思っていたんですが、石川さんのことが決定的、という感じでしたね。
立岩 そのテレビのニュースは、「たまたまつけたら出てた」みたいな感じなんですか?
福島 そうですね。何回もやってます、NHKで。それであの、受験の合格を知らせる電話がかかってくる、で、それを彼が取る、で、それに対して応対する、みたいなシチュエーションになっていました。そして、誰か代表した記者がね、「あなたが全盲として初めて東京大学に入って、どんな感じですか?」みたいな質問をして、非常に石川さんはクールに、あのー、淡々と答えておられましたけれども。それはね、とにかくすごく印象に残っています。
立岩 それ以来40年経ちましたけど、彼はあの、もう40年間、「全盲で東大に入った最初の学生」とか「全盲の社会学者」とか言われ続けてもう40年ですけれども。まあ十分に飽きてると思いますけど、きっと死ぬまで同じこと言われるでしょうね。
福島 (笑) そうです。それはもう、どんなことでも初めての人がいるので。
立岩 福島さんもそうだよね。
福島 (笑) まあ、そうですね。
立岩 それで、筑波の附属の盲学校行こうと思った。「
○受験勉強の話
○大学でのこと

青木 学
・青木 学 i2019 インタビュー 2009/11/04 聞き手:立岩真也 於:新潟市総合福祉会館

 ※以下はじつはだいたいいらないかんじ。
「青木:使うようになったのは、盲学校卒業したあと1年間京都の盲学校に専攻科普通科っていうですね、予備校みたいな所があって。
立岩:千本〔通り〕、ですよね。
青木:ええ、そうなんです。
立岩:私の職場の近くなんです。
青木:そうです、千本北大路。そこに行ってからですね、本格的に使い始めたのは。それまでは寄宿舎だったんで、ほとんど学校の敷地内の移動だったんで、そん時は全然白杖は使わなかったですし、時々週末自宅に帰る時に、どうしても杖持たないとあれなんで、バスでこう帰ったりしてましたんで、そん時に持つぐらいでしたけれども。それ以外は、例えば見える弱視の友人と街へ出たりするときも、一切持ちませんでしたし、ほんと持たなかったですね。[00:15:38]
立岩:なんとか、そうか、弱視の同級生と一緒に歩いたりなんかして、なんとかしてたっていうか、そんな感じだった?
青木:そうです、そうです。はい。
立岩:あとそうか、学校は寄宿舎一緒になってるから、慣れた空間だからそんなに要らないと。
青木:使う必要なかったということですね。
立岩:そんな感じか。
青木:もともと行動範囲がそのぐらいでしたからね。
立岩:京都にも行かれたっていうのは、今知りました。ちなみにちょっと脱線しますけど、うちで岸〔典子〕っていう全盲の院生が楠敏雄さんのことで研究するって言って、ゆっくりゆっくりですけどやってる。彼も専攻科のときに、京都盲学校にいたらしいんです。世代がだいぶ上てすけばどね。
青木:それ、岸田さんがですか?
立岩:岸田さんもそこいたんですけど、楠さんがずいぶん前に。彼は龍谷大学で、大学院出て、それで視覚障害の中では最初の高校の教師、専任というわけじゃないけどっていうそういう人なんですけど、それ調べてるんですけど。で、例えばさ、青木さんなんかが、そういう楠さんみたいなその運動の先輩みたいな人たちっていうか、あるいは運動っていうか、日本のね。アメリカに行って、アメリカはこんな感じなんだって思ったっていうのはよくわかるんですけれども。それはいっぺんアメリカ行って日本に帰ってきたからですか?
青木:そうですね。だから日本にいる時は、逆にいうと、視覚障害者以外の障害の人に会ったことっていうのは、記憶がないぐらいなんですね。車いすの人に会ったこともなかったし。で、私がだから接することがあった障害者っていうのは同じ視覚障者ぐらいっていうのと、あといろんな視覚障害者を含めて、障害者の当事者団体がいろんな運動してたってこともまったく知らなかったんですよね。だからほんとに日本の中で、障害者の人たちがどういうふうな運動してたかっていうようなことも全然知らなかったし、そこに当時は関心もあまりなかったとういうかですね、そこに全然アクセスすることもなかったですし。あとはなんていうのかな、当時はまだ自分自身が障害当事者として、なかなかそれを十分受け入れてたかというと、受け入れてなかった時期もあって、あまりこう逆に障害のある人との接することをですね、自分からそんな求めてもいなかったっていうかですね。あまり逆に障害者団体とかそういったとこにも意識もしなかったけども、あまり自分から関わろうというふうな気持ちもなかったというかですね、そういうことであまり情報もなかったような気がしますね。
立岩:たぶん、みんなそうだったと思うんですけどね、中・高はそんな感じ。例えば京都外大に学生として4年間ですか、学生してるわけじゃないですか。その中・高の時はだいたいそんな感じ、中にずっといて、週末実家に帰ったり、弱視の友達と街に出たりっていうような生活だったっていうのはなんとなく、お聞きするとそうだったんだろうなと思うんですけど。京都外大にいた、学生の時の4年間っていうのは、どんな感じでした?
青木:なんで私が一般大学に行くことになったかってこともあるんですけど、それが高校3年の時にですね、担任の先生と将来のことを話をする機会があって。その先生は盲学校の経験が少ない、普通高校から来たばっかりの、来て2年目ぐらいの先生だったかな、だったんですけど。で、だからその先生からすると、ある意味当たり前のような感じだったのかもしれないんですけれど、その将来の話を…進路の話をする時に、外の世界を見とかないかっていうようなことをですね、言われて。どういうことなのかなと思ったら、その例えば一般大学に進んでみるとかっていうふうなことを、その先生が初めて私にそういうことを投げかけたんですね。[00:20:13]
立岩:それは担任の先生みたいな?
青木:担任でした。私からすると、まったくそのなんていうんでしょうかね、思いもよらない言葉っていうか、自分からしてみると、その盲学校の世界と外の世界っていうふうな区別的なかたちで当時思っていて。その盲学校の外の世界っていうのは、私にとってみればほんと別世界のように思っていましたし。しかもその中で、一般大学なんていうのは、もうまたさらに別世界の別世界みたいなですね、いう意識で、考えたこともない世界だったので、ほんと、ちょっとこの先生は何を言いだすんかな、みたいな話で(笑)。
立岩:ちなみにその先生の担当科目は?
青木:数学の先生です。で、ただ私自身もやっぱり盲学校っていうのは非常にこう限られた空間だし、人数も少ないし、高校生ぐらいになった時から、「盲学校の外の世界ってどうなってるのかな」とかですね、「もっと多くの人に会いたいな、会って広い世界を知りたいな」っていう気持ちは芽生えてきてたんですね。ただ、だからと言ってね、何ができるわけでもないしってことで、この環境にいるしかないんだっていうふうに言い聞かせて生活してたなかで、だから先生からそういう話が最初あった時は、とんでもない話だってことで断ったんですけど。でもそのあとも何回かちょっと真剣、まじめに話をするような機会があって、その中でもともと自分はそういう気持ちもあったし、失敗しても命を取られる程のことでもないし、それであればあとであの時やっとけばよかったなと後悔するよりは、失敗したとしてもあの時やりたいことがやれたなと思えたほうがいいかなと思ってですね、それで心を決めたっていうところがあるんですね。
立岩:2つあってね、その受験勉強っていうか、福島智さんって方ご存知ですかね。彼にこないだ論文の審査員やってもらって、そのついでに彼はいかに受験をしたのかっていう話を聞いて、それ面白かったんですけど。京都に、京都の所に1年ですか、京都盲学校、そういうのも含めて自分がどういうことをしたのかっていうのと、あと京都外大がその当時ですよ、どんな感じでその対応というか、そのへんを教えていただけますか?
青木:そうですね。ほんとにあの、盲学校時代は、べつに大学進学なんてことも考えたことないんで、ほんとに受験勉強なんてことやったことがないですし、ほんとに一からのまた勉強のやり直しだったんですけど。で、向こうは大学進学を専門というか、それを意図したコースがあるということで、いろんなそのための対応をしてくれたんですけども。で、私はそん中で、やっぱり勉強ってこんなに大変なものなんだなということがわかったってことが一つ、自分にとっては収穫だったなと思うんですけれど。ですから1年間とにかく初めて受験勉強っていうか勉強らしいことをして、勉強の厳しさをわかったっていうのと、あと、それまで大学に行くことは決めたんですけれど、具体的にこれを勉強したいっていうのが特にあったわけではなくてですね。そんなかで、その京都府盲行った時に、英語の先生がすごく、なんていうかな、魅力的なというか、英語の授業が面白くてですね、それで英語って面白いんだなって初めて思って。
立岩:それは京都に行ってから?
青木:行ってからなんです。はいはい。それで、これであれば自分も英語をもう少し深く勉強してみたいなっていうふうに思うようになって。だから、なんか勉強したいことが実際に見つかって、それも大きかったと思いますよね。
立岩:その京都府盲にそういう1年間の大学進学のためのコース的なものがあるっていうのは、新潟の先生から聞いて?
青木:そうなんです、そうなんです。その担任の先生が調べてくれて、それで行くことになったんですよね。
立岩:ちなみに京都府盲にいた1年っていうのの住処というか、住居というか?
青木:寄宿舎です。
立岩:やっぱり寄宿舎か。その2つあるんですけど、その新潟の時の盲学校のサイズっていうか、同級生何人いたとか、中と高も違うかもしれません、違うでしょうけれど、どんな規模なんですか?
青木:そうですね、当時私がいた頃は全校で百数十人ぐらいいたと思うんですよ。
立岩:全校っていうのは、中・高入れて?
青木:幼稚部からですね、幼稚部、小学部、中、高等部、高等部の上に専攻科理療科っていうのがあるんですけれども。あと、同じ高等部にもいわゆる中学卒業後に、あんまとかを学ぶ、高校過程みたいなのもあったりして、それ全部含めると120人ぐらいいたのかなと思うんですけど。
立岩:全部くるめてそのぐらいってことですね。そうすると1学年ってどのぐらい?
青木:多いところで、私のクラスは6人ぐらいでしたし、多いところでも10人とか、12人いたらすごく多いなっていう感じで。ちなみに今でいうと、新潟盲学校は全校揃っても30数人ぐらいなんですよね。30人、40人いないぐらいなんですよね。少ない(笑)、ええ。だから中学部だけでも3人とかですね、そんな感じとかですね。
立岩:そうなんだ。その京都の京都府盲の1年間の時の大学進学クラスみたいなものですよね、実質的に。それはどのぐらいの人数いたか、記憶にありますか?
青木:それはですね、その年は非常に少なくて、私ともう1人の2人しかいなかったんですよね。はい。
立岩:その寄宿舎ってものは、その2人の同室みたいなんですか? そうでもないんですか?
青木:寄宿舎は他の学年といいますか、他の人とみんな寄宿舎一緒なんで、はい。
立岩:何人部屋?
青木:私ら3人部屋でしたね。
立岩:それは新潟の時も?
青木:新潟の時も高校生の時は2人部屋でしたけれど、中学の時は3人部屋でしたね。
立岩:それで京都に来られて英語面白いと。ちなみに僕の父親っていうのは去年亡くなって、
青木:今回法事だったそうで、ええ。
立岩:そうなんですよ。高校の英語の教師でした。
青木:ああ、そうなんですか、おお。
立岩:僕は英語がまったく読み書きすべてできないんだけれども、父親は、なぜかというか、英語の教師でした。じゃあ、英語を教え…、あ、そうか。で、それで英語面白いなと思ったと。思って、ほんで、でも1年間しか、短いですよね。
青木:短いですね。
立岩:勉強するには。でも実質受験勉強っていうのはその1年間?
青木:そうです。
立岩:高等部の3年が終わり…、3年生の時にその数学の先生に勧められて、じゃあやってみようかっていうんで、京都行った。1年間でその受験勉強っていうものは済んだというか。
青木:私もね、1年目の冬ぐらいでなかなかその思うように力も伸びなかったし、もう1年覚悟しなきゃいけないのかなって思ったんですけど。ただでも、それでもやっぱりまだ時間が残ってるんで、諦めずにとりあえずやれるところまでやろうというようなことでですね、やって、なんとかクリアできたんですけれど、ほんとによかったと思いますけどもね。
立岩:その当時の大学の、大学を出たのが、そうすると、出たというか入ったのが66年生まれ、91年、87年とかそのぐらいですか?
青木:そのぐらいになりますかね。
立岩:87年とか、違うか。91年から大学は4年間で出た?
青木:そうですね。」

奥平 真砂子
・奥平 真砂子 i2018 インタビュー――半生のこと 2018/06/30 聞き手:立岩真也・権藤眞由美 於:東京・戸山サンライズ
・奥平 真砂子 i2018 インタビュー――研修の仕事 2018/06/30 聞き手:立岩真也・権藤眞由美 於:東京・戸山サンライズ
・権藤眞由美「バークレーに行き、アジアから受け入れる――奥平真砂子へのインタビューから」,『遡航』1 http://aru.official.jp/m/SOKOU001.htm

佐藤 聡
・佐藤 聡 i2018 インタビュー 2018/06/30 聞き手:立岩真也・権藤真由美 於:東京・戸山サンライズ

佐藤:僕は六日町、今は南魚沼市ですね。車いすで普通の学校に入れる人はいなかったんですが、たまたま地元の中学の校長がいい先生で、入れてくれたんです。そこから中学高校と地元に行って、1987年に大学に入ったんですけど、その時って、車いすで入れる大学はほとんどなかったんですよ。
 僕が知っていたのは日本福祉大学と、筑波と和光大学、この三つっていうふうに聞いていたんです。それで、筑波はもう頭で無理だから、日本福祉大学は単科大学だったので総合大学にいきたいと思っていたんですよ。和光大学は、学長がテレビで話しているのをみたのですが、うちの大学はわざとエレベーターなどはつけていない。階段で車いすを一般の学生が持ち上げることで、優しい気持ちを育てたり、人間関係をつくることができるという趣旨のことを言っていて、ここだけは絶対にいきたくないなと思いました。
立岩:そういうノリの所だよね。
佐藤:はい。それで行ける大学ないな、ないのかな、と思って、電話かけたんです。一番生徒数が多い大学だったら車いすいるんじゃないかと思って、日大に電話かけたら、「いません。」って言われたんですよ。二番目に学生が多い大学はいるかな、と思って、早稲田に電話したら、「わかりません」って言われて。わからないってことは設備の整備など特にやってないってことですよね。それはちょっとしんどいな、と思って。それで立教に電話したら「今まで一人もいません。」って。「受験をしてもいいかどうか教授会にかけるから待ってくれ。」って言われて。それで、待っていたんですが、そういう時にラグビーの試合を見ていて、当時、同志社に大八木と平尾がいたときで、強かったんですよ。ラグビーを見ていて、「関西の大学どうかな。」と思った。それで同志社に電話したら、「車いすいます。」「設備は十分じゃないけど、トイレ、エレベーターもありますよ」って言われて。でも、「ほんとかな。」と思って、夏休みに同志社と立命と龍谷と3つ見て回ったんですよ。そしたら確かに、「ここに障害者がいるな。」っていう気配がものすごくしたんですよ。で、みんな、「いる。」って言っていました。それで関西の大学に行こうと思って。でも1年目で落ちたんですよ。浪人して2年目に関学に行ったんです。1年目に立命館を受験したは、障害者は別室受験だったんです。
立岩:立命館の受験の時にってこと?
佐藤:はい、86年の現役の時に立命館受けたんですが、別室受験だったんです。それであんまり、別室受験は好きじゃなかったんですけど、CPの男の子が受けていたんですよ。僕二人で、こういう部屋で。その子から昼休みに、「佐藤くん、関学受けた?」って言われて。「いや、受けてないです。」って。「あそこすごい対応良かったよ。」っていうのを言っていたんですよ。「じゃ、浪人したら受けようかな。」と思って。浪人した時に関学も受けて、それで受かったんで、そっちに行ったんです。 [00:10:59]
佐藤:大学に入った時に車いすの学生は僕を入れて6人いたんですよ。その他に全盲が2人いたんです。入学した時に、関西の大学は部落解放研究部とか障害者解放研究部(以下 障解研)とかがあって入学式の後、学部でオリエンテーションをやる時に、アピールに来るんです。人権系のクラブはアピールができて。その時に部落研と障解研が来て、すっごい暗ーそうな頸損がいたんですよ。
立岩:暗い頸損ね。
佐藤:はい。
立岩:わかってきた。
佐藤:わかりますか。
立岩:(笑)
佐藤:もうね、そいつがそこにいるだけで、周りが全部暗くなるようなオーラのある人がいて、ひと目見て頸損だってわかったんですよ。「あ、頸損がいる。」と思って。僕は当時、頸損は大学行けないだろうと思っていたんですよ。それは介助が要るから。ヘルパー制度もないから、親についてきてもらわなあかん。だから頸損が大学にいたのにすごいびっくりしたんです。あの人どうやって大学に来ているのかなって思って見ていたら、別に親が車いす押してるわけじゃなくて、学生が押していたんですよ。すごく気になって。そしたら、大学の中で教科書か何か買っている時に、男の人に声かけられて、その人は健常者だったんですけど、障解研の人で。「あ、君、社会学部に入った佐藤くんか」って、
立岩:社会学部だったんですね。
佐藤:はい。「俺のこと何で知っているんだろう?」って思って。向こうは毎年、新たに障害者が入ってくるかどうか大学に聞いているから、知っていたんですよ。それで「ずっと聞いていたよ。」って。「クラブにちょっと来るか。」って言われて、部室に連れてかれたんです。その部室に一人頸損がいて、もうほんとにその部屋がものすごい暗い雰囲気の部屋になっていたんです。それが横須賀 〔俊司〕っていうんですけど。
立岩:はい。正解でした。当たりました。[00:13:25]」


■■立命館でのこと

 *以下とだいぶ重複しています。これから整理・統合されるでしょう。
 立命館大学における障害学生支援

※立命館でのことについて 忘れていること〜思い出したいこと
 いっとき障害学生支援と喧嘩していたような気がする。
 どういうことだったのか? 一つは、支援(のお金)の上限を言ってきて、それに対してたくさんいる人はいるでしょと言ったのだが、それは公平に反するとか言われて、あのね…、と言い返し、みたいな。だいたいお金いくら来てて、何にいくら使っているんですか、みたいな。
 こちらでお金使うから、(「サービス」でなく)お金をください、みたいな。
 ○以下では、2013年、吉田さんの再入学(の後再退学)のおり、執行部からの説明として「現在の先端総合学術研究科における障害学生支援は原則として障害学生支援室による支援と図書館によるテキストデータの提供の支援の2つによって成り立っています。かつては障害学生支援室からの移管金によって先端研において予算執行していましたが、現在は支援室による支援が中心になっています。この場合には通学した際のアテンドやノートテイクなどの支援は得られますが、あくまでもキャンパス内での支援が中心になります。」とある
 ○私たちがそういうなかで聞いたのは障害学生5人に対して予算がいくらかというのが大学に来て、支援室に来て…、というもの。ほんとうなのか、いつからそうなのか、今はどうなのか、知りたい。

 数を数えてみたら、視覚障害系が8人、(だんだんちそっちにという人も含め)枢椅子系が7人。といったところその他うぞうむぞう数えようと30人ぐらいはすぐに。


[2002年度]

・2002/04 立岩・立命館大学に赴任
◆2002/10/05(土) 「(コメント)」
 障害学生フォーラム 於:立命館大学衣笠キャンパス

[2003年度]

・先端研開設

北村 健太郎入学

大谷 いづみ入学

[2004年度]

吉田 知恵子入学

[2005年度]

青木 慎太朗 2005.4 立命館大学大学院先端総合学術研究科一貫制博士課程 入学
的場 和子入学

◇2006年2〜3月:先端研入学後の植村の学習および研究環境の整備について、先端研教員2名(立岩真也、松原洋子)、事務職員1名(貝發眞爾)、青木慎太朗および植村が会し、話し合いがもたれる。文献講読に際し、パソコン、スキャナー、OCRソフト、および校正作業をする人材と人件費が必要であることが確認される。機器・ソフトは、先端研予算において購入準備にかかる。障害のある学生の入学に際して、私学振興財団からの給付金があり、立命館大学においては、障害のある学生一人当たり年間48万円を上限として、必要な支援に充当すべく制度化されていたため、これを人件費の原資とすることが確認される。
(植村・青木・伊藤・山口[2007])

[2006年度]

植村 要入学(自己推薦)

◇2006年4月
・私立大学等経常費補助金特別補助(2007年度 20,766,000円)をもとに,共通教育課・障害学生支援室で支援が始まる。年度予算は、48万円/人。詳細は植村要・青木慎太朗・伊藤実知子・山口真紀[2007]――S1

◇2006年4〜5月
パソコン、スキャナー、oCRソフトが設置される。この設備を用いての文献のデータ化、特に校正作業の協力者を、先端研の同期入学生を中心に募る(中心メンバーは、本報告の共同報告者である伊藤・山口)。人材不足から作業が滞りがちであったため、知人を通じて学外にも協力者を募る。特に、障害があるというだけのためにアルバイトや就職に困難を強いられている人を、積極的に募る。作業に対しては、それに要した時間数を事後申告することによって、1時間当たり1000円の謝金が支払われることとなる。また、年間48万円の予算では到底不足することが隔日に予測されたため、学外の点訳ボランティア団体にも積極的に協力を依頼する。

◇2006年9月
すでに組織されていた「ボランティアセンター」が、「障害学生支援室」と改組され、立命館大学における障害のある学生に対する支援を一手に担当する部署として位置づけられる。(植村要・青木慎太朗・伊藤実知子・山口真紀[2007])

◇2006年10〜11月
障害学生支援室の主催によって、「テキスト文字校正者養成講座」が開催され、支援スタッフとして障害学生支援室に登録される。これによって校正作業者の供給主体は、それまでに植村が募ったメンバーと、支援室登録スタッフの二つになり、人材が充実し始める。?(植村要・青木慎太朗・伊藤実知子・山口真紀[2007]

◇2007年3月
2006年度分の謝金申請の締め切り直前になって、作業者からの申請が殺到する。2006年度の謝金の合計額が約120万円になることが判明する。協議の結果、超過分を2007年度分の予算で支払い、さらに超過した27万円強を、植村が自費で支払う。(植村要・青木慎太朗・伊藤実知子・山口真紀[2007])

[2007]

韓 星民 入学

◇2007年4月
植村に対する2007年度分の予算の残額がすでに0になっているため、有償で作業を引き受ける障害学生支援室の支援スタッフに作業を依頼できなくなる。作業を依頼できるのは、植村が募ったメンバーのみとなり、人材不足が再燃する。(植村要・青木慎太朗・伊藤実知子・山口真紀[2007]

◇2007年5月
障害学生支援室から、作業に対する謝金算定の基準の変更・決定について、告知される。それに大して、弊害となる規定の改正を求め、改正される。謝金は、ページ数を基準に算定されることになる。(植村要・青木慎太朗・伊藤実知子・山口真紀[2007]

◇2007年6月
作業者に対する謝金を植村が自費で支払うので、障害学生支援室の支援スタッフに作業を依頼したい旨、障害学生支援室に申し込む。これに対して、「障害学生支援室は、人材斡旋業者ではない」として却下される。そこで、無償ボランティアとしての協力を求める。これに対して「○学生を紹介することはできるが、トラブルなどについても、全てを植村が自己責任で行うこと。○一方に植村からの無償での依頼があり、一方に別の学生からの有償での依頼があるとき、無償での依頼を引き受ける学生がいるかはわからない」と返答される。(植村要・青木慎太朗・伊藤実知子・山口真紀[2007]

◇2007年9月
立命館大学=障害学生支援室における支援のうち、植村が利用しているものは、なし。(?植村要・青木慎太朗・伊藤実知子・山口真紀[2007]

◇2008年不詳
先端研院生会による申し入れがある。詳細は植村要・青木慎太朗・韓星民[2008]にある。植村要・青木慎太朗・韓星民[2008]

[2008]

中村 雅也立命館大学大学院先端総合学術研究科入学。

竹林 弥生入学

◇書籍デジタルコンテンツ流通に関する研究会(松原洋子座長)を2008年から2009年にかけて開催

◇2008年4月
年度予算の☆上限引き上げ、100万円/人が最大となる――S1

◇2008年7月
院生会から教授会に要望書を提出する( 青木[2008] )

◇2008年12月14日
スキャンマニュアル作成。作成者は櫻井悟史。このスキャンマニュアルには篠木涼による改定が2009年以降続く。

◇2008年12月16日
立岩、中村雅也、植村要打合せ=詳細は不明――O1

◇2009年不詳
2010年度教育力予算「障害者院生学習支援プログラム(約500万)」を要求――S1

◇2009/02/05 「異なる身体のもとでの交信――COE&新学術領域研究が目指すもの」

◇青木慎太朗編『視覚障害学生支援技法』

[2009年度]

◇2009年4月 安田真之、立命館大学大学院先端総合学術研究科入学。

◇大野 真由子入学

◇岸田 典子入学

白杉 眞3年次入学

◇0421火 1830〜支援室会議
「お世話になります、障害学生支援室 冨田です。
懸案でございました大学院生支援についての意見交換を、
以下の日時で行いたいと考えております。
先生のご都合はいかがでしょうか?
後藤先生にもお声がけをしております。
日時 4月21日(火)18:30〜(教学部会議後)
場所 衣笠 至徳館 402会議室
メンバー 
立岩先生
後藤先生
石井支援室長(教学部長)、
春日井副教学部長(予定確認中)サービスラーニングセンター事務局長
徳永教学部次長、
真田共通教育課長
冨田」

◇2009年春頃
図書館が視覚障害院生へのコピーサービスの停止――S1

◇2009年7月
・先端研教育力予算(たぶん教育力強化予算)を用いて、視覚障害院生に対する支援を行う旨伝達あり――S1

◇2009年9月
障害学会第6回大会にてシンポジウム「障害学生支援を語る」
◇2009/09/26 「シンポジウム「障害学生支援を語る」に寄せて――ここで行なわれていること」
 障害学会第6回大会 [English],

◇2009年10月
先端研直接的財政援助枠(1人48万円*8人)の執行が委託される。6日の教授会において立岩・後藤がとりまとめとして事務長を補佐することが承認される――S1

◇0205金 0900〜
1100〜障害学生支援等会議

◇青木 慎太朗 編 2010/03/25 『視覚障害学生支援技法 増補版』,立命館大学生存学研究センター,生存学研究センター報告
◇立岩 真也 2010/03/25 「異なる身体のもとでの交信――COE&新学術領域研究が目指すもの・2010」,青木編[2010:149-172]

青木 慎太朗 2010.3 立命館大学大学院先端総合学術研究科修了。


[2010年度]

◇201004 有松玲3年次入学

◇201004 天畠 大輔 立命館大学大学院先端総合学術研究科入学

◇日・韓国際研究交流会
日程: 2010年 5月 29日(土曜日)(??: 2010? 5? 29? (???))
場所: 京畿大学 水原キャンパス福祉館(??: ???? ????? ???)
15:30-16:00 第3発表. 安田 真之
高等教育における障害学生支援の実施主体と責任主体のあり方――課題と研究の展望

◇2010/06/17 11:42 立岩[mlst-ars-vive 8750] 7月から図書館でデータ提供開始
「今年いっぱいは障害学生支援室の予算で
来年(1月)からは図書館の予算で
まずは1名を採用(現在希望者面接中とのこと)
業務量が多い場合はさらに臨時に加えるとのこと
作業量等に応じて体制を今後整備
資格は在籍者、つまり休学者は可
退学者は不可。」

◇2010年7月
・著作権法の改正を受け、立命館大学(図書館)が視覚障害者への図書館資料のテキストデータ化を開始する。
・障害学生支援の予算で1名をテキストデータ化のために採用した  [mlst-ars-vive 8750] 7月から図書館でデータ提供開始

◇2011年2月初め頃
立岩、生存学MLに「スキャニング」の件、連続して投稿。mlst-ars-vive 10340

◇2011年2月15日
「誰が誰にテキストデータ化を発注したのか分からない」点について運用見直しが必要となり、各先生・事務局へ同報することとなる。

[2011年度]

◇2011年6月
6月までにCOEから50万円を支出?--[mlst-ars-vive 11744]前便にも関連してテキスト化・校正作業について

2011/08/24 22:43[mlst-ars-vive 11744]前便にも関連してテキスト化・校正作業について
「(事務局からの報告と個別の問い合わせへの回答から得た数字では今年度だいたい6月までに
COEから50万円ほどの支出になっています。)
(そしてこのかん先端研事務局ともやりとりしていますが、
その障害学生支援のお金の一部を(実質)先端研に移管して使ってきた分――このことについての説明は
略――もほぼ底をついたとのことです。)
こちらでは関係当局に図書館がきちんと対応することそれが十分に(まだ)できないなら、移管金を追加することを
言ってきましたし、これからも言っていきます。(今日も言いました。)その方向で言い続けていきますので、」

◇障害学生委員会 
:6月20日(月)16:30〜17:30 奨学金選考
> 2011年度 第1回 障害学生支援委員会
> 日時:2011年6月20日(月)16:30〜17:15
> 場所: (朱 雀) 601東 会議室
>    (衣 笠)至徳館 304東 会議室
>    (BKC)コアステーション 大会議室
> 議 題(予定):
> (審議)
> (1)前回議事録承認の件
> (2)2010年度障害学生支援室活動まとめ(案)
> (3)2011年度障害学生支援室活動計画(案)
> (4)重度障害を持つ院生の学習・研究支援のための障害学生支援予算の
>    別枠化について(案)
> ※ 副学部長、副研究科長の先生方におかれましては、引き続き
>   「特別ニーズ学生支援委員会」(別途ご案内)へのご出席をお願いいたします。

>  2011年度 第1回 特別ニーズ学生支援委員会の開催について
>  標記の件、以下の通り開催いたしますのでご出席をお願いい
> たします。
> 日時:2011年6月20日(月) 17:15 〜 18:15 (予定)
> 場所:朱 雀−中川会館601東会議室
>    衣 笠−至徳館 304東会議室
>    BKC−コアステーション大会議室
> ※2011年度 第1回障害学生支援委員会終了後に開催するため、
>  開始時間ならびに終了時間については前後する場合があり
>  ますことご了承ください。

◇生存の技法/生存学の技法――障害と社会、その彼我の現代史・2
 立岩 真也・天田 城介 2011/05/25 『生存学』4:6-37
 障害学生支援/ディジタル・データ ※↓
 ○成り行きであること
 ○朗読して録音していたこと
 ○OCRで読みとるという術
 ○大学で
 ○書籍データの提供
 ○ウィンドウズ/HP
 ○こちらの状況
 ○全般的状況
 ○外れた企画・当たった企画
 ○こちらの関わり方
 ○さらなる研究・対応
 ○学生だから大学が、ではないこと
 ○海外との/海外での

◇0305月
> 2011年度 第2回 障害学生支援委員会
> 日時: 3月5日(月) 15:30〜16:00
> ※第9回 共通教育推進機構会議に引き続いての開催となります。
> 場所:衣笠 至徳館301会議室
>    BKC コアステーション 大会議室
>    朱雀 B01会議室(地階)
> ※衣笠・朱雀は会場が通常と異なりますのでご注意ください。
> 議 題(予定):
> (審議)
> (1)前回議事録承認の件
> (2)2012年度に向けた大学院生の支援範囲および予算枠の見直し  

◇2012年3月
安田真之、立命館大学大学院先端総合学術研究科卒業=修士卒業。

[2012年度]

[2013年度]

日時:2013年3月6日(水)13:00〜
場所:創思館302
待機室:先端研執行部室 集合12:40
13:00〜13:20 馬場さん 302教室
14:00〜14:20 吉田さん(スカイプ)312教室 (時間は最終調整中/追って連絡します) ※吉田 知恵子
◇吉田さんの面接試験に際しての注意事項
1.先端総合学術研究科は大学院生が通学することを原則として教育研究を行う研究科ですので、どのような学生であっても(社会人院生や障害学生や遠隔地院生であったとしても)通学しながら研究を進めることを条件にしています。その点を十分に理解してもらった上で今回の入試に臨んでもらってください。先端研ではICレコーダーやスカイプを使った講義は行っていますが、あくまでこちらは教学的には「補助ツール」の位置づけです。したがって、今後の研究計画なども「通学」を前提にして回答してもらうようにしてください。
2.現在の先端総合学術研究科における障害学生支援は原則として障害学生支援室による支援と図書館によるテキストデータの提供の支援の2つによって成り立っています。かつては障害学生支援室からの移管金によって先端研において予算執行していましたが、現在は支援室による支援が中心になっています。この場合には通学した際のアテンドやノートテイクなどの支援は得られますが、あくまでもキャンパス内での支援が中心になります。上記の仕組みと範囲内での支援になりますことを理解してもらった上で入試に臨んでもらってください。
3.今回の入試は再入学募集の締切から入試の合否判定までの期間が極めてタイトであるために、特例としてスカイプでの入試面接にしています。したがって、この点も十分に理解して頂いた上で入試に臨んで頂ければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
――――――――――――――――
限られた時間ではありますが、面接試験の際に立岩さん(ほか)から上記の1〜3の注意事項を吉田さんにお伝えください。再入学試験にはこれらの事項をきちんと理解して頂いた上で臨んで頂くことが重要になりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
以上、どうぞよろしくお願いいたします。
取り急ぎ。天田

◇2013年3月
植村要、立命館大学大学院先端総合学術研究科修了。

[2014年度]

◇三輪佳子入学

[2015年度]

◇橋本雄太入学

◇立命館大学生存学研究センター 編 2016/03/31 『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』,生活書院,272p. ISBN-10: 4865000526 ISBN-13: 978-4865000528 2500+税 [amazon][kinokuniya] ※
◇立岩真也 補章
 「まず、普通の技術で、また日々進歩している技術でかなりのことができる場合はある。視覚障害のある大学院生が複数いたこともあって作られ、センター報告として刊行された青木慎太郎編[2009]、作った2000部がなくなって増補して出した[2010]にその方法がまとめられている。また博士論文が本(韓[2012])になった韓星民(ハン・スンミン)の仕事もそんな方向の仕事だ。韓は韓国からやって来てもう日本での生活の方が長い人で、弱視の人だ。視覚障害の人のための機器を開発し販売する会社に勤め、博士論文を書き本を出した後、現在は日本の大学の教員をしている。そして堀田[2012](第4章1)もそうした技術の開発・変遷についての報告である。
 視覚障害などの場合になされてるのは、基本的には逐語的に字を点字にする、音声にするといったことだ。音声が出ない人がPCを使う場合も基本的には変わらない。ただそれだけですまない場合、すくなくともそのように思える場合がある。普通に上手な翻訳者・通訳者がいれば、あるいは機械・ソフトがあればそれでみなうまくゆくとは限らない。
 飯田奈美子は[…]」

[2016年度]

◇小井戸恵子入学

[2018年度]

◇栗川治入学

◇木戸口峻3年次入学

[2020年度]

◇兵頭卓磨3年次入学
[2021年度]

◇202104有松玲再入学
◇勝又 栄政入学

[2023年度]

◇押元 麻美入学

◇篠田 紀一郎入学


■論文・学会発表等
◇青木 慎太朗 2007 障害学生支援の構図―立命館大学における視覚障害学生支援を手がかりとしての考察―, Core Ethics(3).
◇植村要・青木慎太朗・韓星民,2008/10/25-26,「スーダン視覚障害学生支援の現状と課題――立命館大学における支援の現状からスーダンでの支援を考える」障害学会第5回大会 ポスター発表 於熊本学園大学
 要旨:http://www.jsds.org/jsds2008/2008html/p_uemuraaokihan.htm
◇植村要・青木慎太朗・伊藤実知子・山口真紀,2007/09/16-17,「立命館大学における視覚障害のある大学院生への支援についての1事例――視覚障害学生支援の技法・2」障害学会第4回大会(ポスター発表)於立命館大学
../2000/0709uk1.htm

■そのほか:メモ・院生協議会議事録・メール・HP等

資料の類
◇S1
不詳 20091020「先端研 障害のある大学院生支援に関する直接的財政援助枠の執行方法について」
◇S2
立命館大学障害学生支援室「概要」http://www.ritsumei.ac.jp/drc/introduce/target.html/?&version=

その他
◇O1
不詳 不詳「情報保証業務内容メモ」
※おそらく中村?立岩間あるいはMLのコピペ?
※おそらく2008年のメール?



>TOP
■■(本1のための)文献(37→20230326:39)

青木 慎太朗 20070327 「大学における障害学生支援の現在――障害学生支援研究と実践の整理・覚書」,『NIME研究報告』33:13-25 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/2007/0327as.htm
◇――――― 20070327 「視覚障害学生支援と著作権――視覚障害学生への情報保障を手がかりとして」,『NIME研究報告』33:37-51 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/2007/0327as2.htm
◇――――― 20070331 「障害学生支援の構図――立命館大学における視覚障害学生支援を手がかりとしての考察」,『Core Ethics』3:1-12 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/2007/0331as.htm
◇青木 慎太朗 編 2009 『視覚障害学生支援技法』
◇―――― 2010 『視覚障害学生支援技法 増補版』,立命館大学生存学研究センター,生存学研究センター報告
石川 准・河村 宏・立岩 真也 2014/02/21 「視覚障害学生と文字情報――1970年代末から」(石川准・河村宏との鼎談),於:静岡県立大学
石川 准・河村 宏・立岩 真也 20140322 「視覚障害学生石川准と東大図書館員河村宏――その1970年代から21世紀へ」, ◇植村 要・青木 慎太朗・伊藤 実知子・山口 真紀 2007/09/16-17,「立命館大学における視覚障害のある大学院生への支援についての1事例――視覚障害学生支援の技法・2」,障害学会第4回大会(ポスター発表)於立命館大学 報告
◇植村 要・青木 慎太朗・韓 星民 2008/10/25-26 「スーダン視覚障害学生支援の現状と課題――立命館大学における支援の現状からスーダンでの支援を考える」障害学会第5回大会 ポスター発表 於熊本学園大学 要旨
奥平 真砂子 i2018 インタビュー――半生のこと 2018/06/30 聞き手:立岩真也・権藤眞由美 於:東京・戸山サンライズ
◇奥平 真砂子 i2018 インタビュー――研修の仕事 2018/06/30 聞き手:立岩真也・権藤眞由美 於:東京・戸山サンライズ
尾上 浩二 i2020a インタビュー 2020/08/07 聞き手:立岩真也 +伊東香純 於:(NPO)ちゅうぶ
楠 敏雄 i2000 インタビュー 2000/03/15 聞き手:尾上浩二他
◇楠 敏雄 20010501 「私の障害者解放運動史」,全国自立生活センター協議会編[2001:313-321]
◇楠 敏雄 i2010 インタビュー(その1) 2010/10/03 聞き手:岸田典子野崎泰伸 於:楠さん自宅(大阪府東大阪市)
◇楠 敏雄 i2011 インタビュー 2011/10/02 聞き手:中村 雅也 於:楠さん自宅(大阪府東大阪市)
◇岸田典子 []
◇権藤 眞由美「バークレーに行き、アジアから受け入れる――奥平真砂子へのインタビューから」,『遡航』1 http://aru.official.jp/m/SOKOU001.htm
佐藤 聡 i2018 インタビュー 2018/06/30 聞き手:立岩真也・権藤真由美 於:東京・戸山サンライズ
◇全国自立生活センター協議会 編 20010501 『自立生活運動と障害文化――当事者からの福祉論』全国自立生活センター協議会,発売:現代書館,480p.
立岩 真也 2009/02/05 「異なる身体のもとでの交信――COE&新学術領域研究が目指すもの」
◇立岩 真也 2009/09/26 「シンポジウム「障害学生支援を語る」に寄せて――ここで行なわれていること」障害学会第6回大会 ◇立岩 真也 2010/03/25 「異なる身体のもとでの交信――COE&新学術領域研究が目指すもの・2010」,青木編[2010:149-172]
◇立岩 真也 2016/03/31 「補章」立命館大学生存学研究センター編[2016:180-230]
◇立岩 真也・天田 城介 2011/05/25 「生存の技法/生存学の技法――障害と社会、その彼我の現代史・2」,『生存学』4:6-37 ※01
立岩真也 編 2014/12/31 『身体の現代・記録00――準備:被差別統一戦線〜被差別共闘/楠敏雄』Kyoto Books
中村 雅也 2018/02/28 「全盲教師のライフストーリー――過去を解釈し、未来を展望する」,羽田野・照山・松波編[2018:197-222]
中村 雅也,2020/07/10 『障害教師論――インクルーシブ教育と教師支援の新たな射程』,学文社.
永村 実子 i2020a インタビュー・1 2020/11/27 聞き手:立岩真也尾上浩二岸田典子 於:東大阪・ゆめ・風基金事務所
永村 実子 i2020b インタビュー・2 2020/11/27 聞き手:立岩真也尾上浩二岸田典子 於:東大阪・ゆめ・風基金事務所
◇羽田野 真帆・照山 絢子・松波 めぐみ 編『障害のある先生たち――「障害」と「教員」が交錯する場所で』生活書院,197-222.
福島 智 i2018 インタビュー 2019/01/08 聞き手:立岩 真也 於:立命館大学衣笠キャンパス創思館4階・書庫
◇安田 真之 「高等教育における障害学生支援の実施主体と責任主体のあり方――課題と研究の展望」
山口 和紀 2022 「龍谷大学「入学制限反対闘争」の記録――いかにして門戸は開かれたのか」,『遡航』1 
◇立命館大学生存学研究センター 編 2016/03/31 『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』,生活書院,272p. ISBN-10: 4865000526 ISBN-13: 978-4865000528 2500+税 [amazon][kinokuniya] ※02

◇2009年9月 障害学会第6回大会でシンポジウム「障害学生支援を語る」
◇2010年 著作権法の改正
◇日・韓国際研究交流会  2010年 5月 29日 場所: 京畿大学 水原キャンパス福祉館 15:30-16:00 第3発表. 安田 真之「高等教育における障害学生支援の実施主体と責任主体のあり方――課題と研究の展望」
◇7月から図書館でデータ提供開始

※01 生存の技法/生存学の技法――障害と社会、その彼我の現代史・2
 立岩 真也・天田 城介 2011/05/25 『生存学』4:6-37
 ○障害学生支援/ディジタル・データ
 ○成り行きであること
 ○朗読して録音していたこと
 ○OCRで読みとるという術
 ○大学で
 ○書籍データの提供
 ○ウィンドウズ/HP
 ○こちらの状況
 ○全般的状況
 ○外れた企画・当たった企画
 ○こちらの関わり方
 ○さらなる研究・対応
 ○学生だから大学が、ではないこと
 ○海外との/海外での

■生存の技法/生存学の技法――障害と社会、その彼我の現代史・2
 立岩 真也・天田 城介 2011/05/25 『生存学』4:6-37

□ ○○○○
天田:たいぶ時間が過ぎていますので、話題を変えて、「障害学生支援」について聞きたいと思います。先ほど言ったリーズ大あるいは韓国のテグその他の大学等でやっている状況の中で日本における障害学生支援、固有の歴史的文脈と経緯というのもありますし、あるいは現状というのもありますし、韓国イギリスの歴史的経緯や現状というのもあると思うんで、ちょっとその辺を分かっている範囲で教えていただければなと思います。

立岩:はい。基本的にはこれ前向きな話じゃないですか。これからどうしてやっていくのっていう話なんで多分書かれているものもそれからこれから出てくるものも今はどうなんだと。じゃどうしていくんだっていうことが一方に仕組みとしてどうやっていくんだって話が一方にあり、一方ではそういう工学系の人であるとか、そういう人たちがどういう技術を開発し、どういうふうにそれを使っていくかというそういうのが現状出ているものでもそういうもの多いでしょうし、それからこれからもそうだし、そうあるべきだと思っているので、振り返るっていう部分に関してはあまり書かれたものって少ないんじゃないかなという気がします。今回、植村要★さんと櫻井悟史★さんが『Core Ethics』vol.7(立命館大学先端総合学術研究科刊行、2011年3月)に電子書籍の絡みで少し昔のこと調べてくれて結果として僕は最終的にどういう形で論文出るか分かりませんけれども、電子書籍は電子書籍で最近の話で面白いので、その前の話しだけど1個になるよねという話になって、そういう意味で一つが2つになるかもしれません。でもそういう意味でいうとまとまったものというのは多分意外とある意味当然のこととして前向きの出来事であるがゆえにそういえば昔どうだったっけていう話はあまりない。そういう意味でいうと今度の植村さんと櫻井さんの仕事ってかなり初めてっぽいところもある感じですね。だからテクノロジーとかそれようの部分に関して言えばそういうものをこれから見たりしながら調べていくんだろうなとは思いますけどね。今二〇一〇年ですかね、さっき下におりて上がってくる時も話していたんですけど、障害学の会の最初の会長でもある石川准★さんが僕が四つぐらい上だと思うんですよね。彼が東京大学に初めて入った全盲の学生ということなのかな。入った時はかなり話題になったんだそうです。それは僕は知らないんですけど。例えば時期に他の大学でどういうふうにしてたのかとか、そういうこと本当知らないですよね。僕らは本当に石川准★さんがいて、お金の財源もよく分からないんだけど、大学のどっかからどうやって調達してきたか、そういうのとしては存在しなかった時期だと思うんですよね、今みたいに今日本どうなっているかというと大学全体で障害学生が一人から5人の場合はなんぼ、5人増えるとなんぼっていうか、多分なんか5人単位ぐらいで予算が大学におりてそのお金を大学がしかるべき使うっていうしかけになっている。日本だと障害学生支援室におりてくるという話らしい。それもなんだか本当はよく分からないところあるんだけど、そのお金の使い方がよくないんじゃないかとかということを言って、言いにいって嫌われたりとかもいろいろ学生支援室と僕らあんまり関係がよくないのかもしれないんだけど、そんな感じ。そういう意味でその制度っていうのはいつできたのか。あるいはどういう形で展開してきたのかということも知っている人は知っているのかもしれませんが僕は全く知りません。いつのころからかただそういうふうにはなってる。ただ、僕はそういう意味で学部生、大学院生の時は多分国としての施策としてナンボ出すというふうにはなってなくって、ある種の特例あるいは予算が大学内で予算をやりくりしてお金をナンボか出すっていうそういう仕掛けだったと思います。それで一人だったからなんとかなったのかな。なにしたというと完全僕はバイトでバイト感覚というかお金もなかったですから、彼が読みたいという本をカセットテープレコーダーに向かって朗読してそれを納品すると。だいたいそこそこの分量の本だと90分のテープで8本とか10本とかそういうふうになったという記憶があります。多分かなり割のいいバイトでそれも定かではないのですが、90分4,000円ぐらいになったのかな。90分90分のテープがいっぱいになるわけじゃなくて、とめて戻してみたいなこともありますから、それよりは時間かかるんだけど、なれればそんなに間違いもなく読んでいけるので、生計のための手段としてはなかなかよい手段の僕はそれの恩恵を随分被っていました。余計なこと言うと、最初社会学の本とか読んでていちおう勉強にもなったんですけど、次第に彼はこれからお話するそれこそ技術によって物を読むというか、そういった彼はもともとコンピューターおたくみたいなところがあって、コンピューター、だってすげえなんか老人のような話してますけど、コンピューターってそのものがだいたい僕らの年までは修論とかって手書きだったんだよね。次の年からワープロで書いたものを出してもいいみたいになって、というか本当にワープロが普及しだしたのが1980年代の前半ですよ。83年とか。それで最初ワープロ専用機っていうのをみんな使ってた。オアシスとかね、そういうやつを使ってて、親指シフトというのがあってごく少数の人間は今でも呪縛から抜けられないんですけど、変なキーボードの方式を今でも・・・ソフトで使っているんですけど、そういう時期ですからコンピューターそのものがそんなに大衆というか一般的なものじゃなくて、僕も最初にコンピューター買ったの87年とかですよね。そういう時代ですよね。だから彼は非常にそういう意味で最初期にコンピューターに目をつけたというか、でも必要にかられてということもあるし多分好きなんでしょうね。というのもあって今は彼は大学の教員でもあるとともに自分で会社を儲かっているかな、会社立ちあげてそういうソフト作って販売するみたいなことをやっているんですよね。プログラミングができる人でだから後半僕のバイト後半の方はコンピュータープログラムの本を読むっていう話になってきて、だから1冊まるっきりプログラムで僕はプログラムって全く理解できませんから、完全にアルファベットをただ順番に読んでいくみたいな、そういう1冊、まるっきり何の意味だか分からない本を彼のためだけに読むっていうそういうことやっておりました。そんなこんなでその当時はテープに録音してそのテープを聞くっていうやり方でやっていた、もちろん点字も使っていましたけど、ご存じのように点字の本というのはやたらかさばりますから辞書1冊ほんだな一つみたいなことになってしまいます。なんか個人的な話になりますけど僕と彼は一駅ぐらい離れた僕は三鷹というところで、彼は吉祥寺というところに住んでいたので時々彼のところにいったりしたことはあるんですけど、ズラッとそういうのがならんでいたんで、そういうのも使ってたと思うし、そのカセットテープが山のように机の引き出しに入ってたということも記憶してます。それもいつごろからか本人に聞くしかない。本人だって覚えてるかどうか分からないんだけど、やがて紙に印刷されているものをスキャニングしてOCRソフトにかけてテキストデータにして音声化するソフトにかけて聞くということを始めた。それが彼が一番最初だったかどうかはわかりません。ただかなり初期の人だったとは思います。そのためにはスキャニングというのはOCRの光学文字読み取り装置でいいのかな、の制度が一定に上がらないと実用にたえないわけですね。僕の記憶だと最初のころっていうのは日本語というのは文字種がいっぱいありますから非常に変換率というか認識率が悪くて英語の方がアルファベットがずっと楽なんですよね。だからおそらくというか確実にそういう英語圏というかアルファベット文字を使う文化圏というか、そういうところの方がそういうことの導入と実用化というのは早かったと思います。僕が80年代後半とかでもあんまり制度の高いOCRというのは存在してなかった気がしますね。だからそれが実用に耐えるものになるにつれてそういった機器を使用してやるということが一般化していったんだろうなと。本当に個人的な体験というか見聞きしてた範囲のことでしかないんだけれども、私はそんな記憶あります。そこら辺が実際はどうであったのかというあたりのことはこれから調べる人は調べてもらってそんな難しいことじゃないですよね。石川さんに聞きにいけばいいから。聞きに行けば教えてくれるはずなのでそういったあたりから他の人に広げるなり何なりしてどんな感じで進んできたのかということが調べていけるんだろうなというふうには思います。

□○○○○
天田:ノウハウとして例えば実際ある意味では前向きな話で、過去についてはほとんど僕も植村・櫻井論文等で初めて知ったというか、その前後の関係というかだいたい知ったところでありますけれども、先ほど言った録音テープ状況からパソコンが例えば石川さんが30の時に1986年ぐらいですから、そうするとここでさっき言った親指シフト系のソフト、ワープロソフトを使っていくと。そうするとその後ですよね、石川准さんがニューヨーク市立大学に行くのは。

立岩:今度安田君がそのお金で英国に行く。昔からダスキン、ミスタードーナツの留学の制度というか、民間のがあって。

天田:石川さんがニューヨーク市立大に行くのは、ちょうど立岩さんたちが『生の技法』を調査するちょっと前に行ったわけですよね。きちんと調べてないからいい加減なこと言えないんですけど、櫻井さん・植村さんとかから聞く限りはどうやら米国留学中、パソコンの音声リーダーを知って、衝撃を受けたというのは確からしいんですけど、その時にいわゆるスキャニング等OCRまで知ってたかどうかっていうとどうも分からないと。今後調べるしかないというか聞きゃいいだけなので調べていく必要があります。ただ当時の技術がどうだったのかというのと、その後日本に帰ってきてそれこそアルファベットなら精度が高く読めたものを石川さんがOCRを開発することもできないわけですから、ある時代を待ってですよね。そうすると最初はいわゆる制度はあんまり高くないOCRで読み上げつつ実験的にやりつつ流し読み感覚で文字ばけしたり、違った文字にいわば読みこんでもざっと読んでいった感じなのかというのもちょっと分からないですよね。

立岩:彼はもともとわりとそういう意味ではわりきったというか合理的な、合理的というか分からないけどそういうところもあって、ざっとわかればいいと。ざっと分かってどうしてもいるということであれば校正してもらうとかそういう意味でやればいいからとにかくないよりはあった方がましだみたいな感じで、わりとその辺は特に校正に時間をかけたりということはなくやると。それもそのうちもしかすると彼があみだした方向かもしれないけど、本2冊買って1冊は後ろにおいて1冊は裁断機で裁断してオートシートフィーダーにかけて自動的に入れてそれでファイルにしてということをやってやりはじめたんだよね。私のおぼつかない記憶だと音声で聞く装置自体はかなり僕が出入りしてた80年代からもう使ってて、皆さんやすださんのやつとかも聞くとびっくりすると思いますけど、おそるべきスピードで聞いてもどうやらあの人たちはというか聞きとれないなとか非常に素朴にへえって感心したような記憶はありますけど。

□○○○○
天田:例えばスキャニングOCRも当時パソコンがそれほど普及してないですから、やってもらう人も限られると思うんですよ。やりつつ覚えるということもあると思いますけど、石川さんが例えば仮に音声リーダーは留学中に知り、その中でもしかしたらスキャニングOCRの技術もちょっとは知って、日本である程度合理的に間違ってもいいやというか、精度が低くてもいいやといって使い始めて実験的にやっていった。ただそれを誰に依頼してたかとか、どういう大学教員だったら少しは身銭をけずってということもありえますけど、その間ってどうしてたかな。

立岩:多分大学院生の時はあんまり僕の記憶ではない。そうかもしれないんだけど、それを院生がバイトでやったという記憶はないんですよ。彼はその後いつだったか分からないけど、静岡県内に就職してそうやって読みとって聞くというか、それを大々的にというかな、やりだしたのはそっちに就職してからだったかもしれない。それも随分大学といろいろすったもんだあったみたいですけれども、結果的にはというか自分のアシスタントというかな、そういう人を雇ってもらってというかそれでそういう人たちにかなりの部分やってもらってるという、僕は今でもそうしているんじゃないかなと思います。それは学生としてよりは労働者というか教員の一人として労働職権というかそういう感じかなと思います。

天田:なるほど。立岩さんに当時あるいは障害学会の海外の人たちで若くして大学院というか20代ぐらいで大学院に行って今から20年とかそれぐらい前に20年30年前に大学に入った人たちでどういうふうに情報交渉を大学と交渉したり、あるいは自分で作り上げていったのかという事例というかそれはありますかね。

立岩:まず昔も今もそういうところあるけれども、学校に入る時にひと悶着起こる。必ず起こるわけでそれで僕らが80年代後半ぐらいに聞き取りした人なんかは大学に入学求めて門前払いというかなかなか認めてくれなくて、それで苦労したとかっていうケースというのかなそういうのいくつか聞き取りの中で伺ったことはあると。それであとは学生だけどかなりの部分それは大学生だけがというんじゃなくて、ほかの人もそうだったと思うんだけど結局移動の介助にしても何にしても何か別に制度があるわけじゃないので、基本的にはボランティアというかそういう人が押したり、車いす押したりとかそんなことしてたという記憶は断片的にですがあります。僕は80年ぐらいに和光大学出た勝又裕司★さんっていう脳性まひ、重い、そのうちそいつはいわゆる自立というのにして時々介助にいったりということあったんですけど、彼はまだ世田谷の自宅に住んでいた頃ですけど、和光大学の卒業生で和光大学というのはいろんな経緯でわりとそういう学生を受け入れたり、篠原睦治★さんという学会改革とか臨床心理の学会の改革に関係した人なんかもいたりしたということもあって、だからそこに行ったかどうか知りませんけれども、彼が東大の見田宗介★さんのゼミにモグリで勝手に出席していました。ただ、それは完全にモグリですから、学籍も何もないわけで彼の送り迎えなんかを下北沢から乗り換えるんですけど、僕らがゼミに出ている人たちが順番にというか、代わり番こにやってたりとかそんなことあったような気がします。ただ本当に全般的にどうだったのかというのは、あんまり話に出たことがない気がしますね。多分大学の中でそのシステムとして取り組むということになってくのはその後なんだろうと思います。本当に知らないとしか言いようがない部分がたくさんあるので。

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天田:例えば、1990年代とか後半ぐらいになってくるとそれこそ事例としてよく聞くにっぷくだの筑波だのあるいはひろだいだのというのはぽつぽつとこれは青木さんとか安田さんとかそれ以外の人たちの研究がやってきたことなのでそれはそうだろうなという感覚はあるんですね。それの一定度の広まりでボランティアに偏る形でというか出だした。筑波なんかはチューターとしてチューター費として障害学生支援に時給1,000円つけるみたいなことがあったみたいですけども、それは分かっても80年代というかちょっと立岩さん世代が大学時代だった時どうだったのか。先ほどもう分からないということなのでそれ以上はもう本当分からないので、金がどう出てたのかとか、あるいは大学が受け入れる時は和光はとにかく本人たち入りたがっているので入るという形にしてその後個別のゼミ単位とか、そういうことで動いてたのか。やはりここも聞き取りっていうか調べるだけでもうものになるというかという気はするんですよね。あと例えば今だと学生たちが出版社に書籍をテキストデータを送ってくれと。断られるケースもあるけれどもいちおうそういう形がついてたり、あるいは生活書院その他でテキストデータの引換券とかついてますよね。これ一番最初についたのっていうのは、例えば明石書店から出た『生の技法』の初版本の時は立岩さんからの直接送付ですよね。そうするとテキストデータの引換券ってあれは一番最初にどこがつけたんですかね。

立岩:それもよく分からない。どうなってたかな、自分の本だって分からない。

天田:そこに本がありますよ。

立岩:ああこれか、多分、これは初版が1990年で、増補版は1995年刊行なんですけど、90年の時にここに今読んだらその時に作ったデータとかそれから本書自体もフロッピーディスクで送るっていう提供するというふうに書いてありますね。私が書いたはずなんですけど、だからそういう時にそういう必要があると。そういうことすべきであるというふうに思ったことは確かです。だからそうしたわけだから、その模範になるような本というのがその時点で出ていたかどうかもよく覚えてないというか分からない。それは知っている人に聞いたら教えてくれると思いますけど。ぼつぼつ視覚障害の領域でいえば明らかにそういう用途がありますから、そういうふうな提供形態というのはなされていたんだろうと思います。一般的な書物では少なくても極めて少なかったということは言えると思いますけれども、どうだったんだろう。僕の記憶ではこの本がそうなっているからこの本もそうしようと思ったという記憶はないですね。ただそうしなきゃと思ってやった。フロッピーディスクの時代で今もありますけれども、送ってそんなにリクエストはなかったけれどもボツボツ送って今例えば・・・くらもとさんからメールもらって資料一式等含めて送ったりなんかして。

天田:90年というとDOS動かしてましたよね。

立岩:DOSですね。

天田:もうこのころにはいわゆる98シリーズが出て確か90年ぐらいだと僕が大学生のころでもう98を手にできるような状況にあって安いエプソンとかのやつだと20万円ぐらいで変えるみたいなそんな感じですよね。DOSで動かしてという段階でもうワープロに出てベタなワープロソフトを動かせばフロッピーにも保管できると。その手段としてもう一定度ということはあったわけですよね。

立岩:そうだよね、考えてみたらすっげえさっきから爺さんみたいな感じなんだけど、そうだよね。だいたいそういうんでコンピューターというものがそこそこ普及しだすのは80年代の半ば以降だからこの本90年だからその間3、4年とかしかないんだよ。そういう意味でいうと前例というのはあまりありようがないというか、

天田:ありようがないですね。多分立岩さんたちがオアシスを使っていた段階が86年とか後半ですから本当数年の間に88から98に移っていくみたいなそういう時の中で広く普及していって、多分立岩さんたちの税の技法もワープロソフトで編集していくという時代ですからその中でフロッピーディスクを操作するということが一定度前提に多分あったんだろうというふうに思うんですけどね。

立岩:そうですね、だから石川さんなら石川さんがそうやって音で読むとかそういうことしてるっていうのは知ってたから、それだったら本自体をこういうメディアで出せばいいじゃないかというふうに思ったとは思うんですよ。ただ何かの本がそうなっているからと言えば、こういう使い方あるんだなと思ってじゃそれでいこうやと思った。これを作るためのいろんなデータベース、テキストファイルですけど、そういうのも一緒に送ればいいやって研究者にはっていう、ここの本に書かれたこといっぱいあったからね。そういうのもあってそういう意味で言えばできるだけそういう媒体で提供するということをやるといいなというのは思ってて、それででもその当時はウェブサイトってホームページっていうのはなかったので、

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天田:立岩さんの信州大のサーバーでホームページを立ち上げたのは何年でしたっけ。

立岩:1996年。

天田:1996年、では、増補改訂版が出て正誤表といったものもホームページに載ったことありますね。

立岩:そうですね、九六年、多分日本でホームページというのが実用化されて数年後ぐらいかな。僕はだって僕のマシーンでずっとホームページ読めませんでしたもん。遅くてというか。普通の電話回線だから。学校行かないと見られない。自分のホームページ見たことない。そんな感じでしたね。すっげえ昔の話。

天田:いや、だけど、考えてみれば、たかだか15年とかあるいは20年前の話ですよ。

立岩:そうですね、これは使えると。ホームページとかそういうものは使えるメディアだっていう感じは最初から強くありましたね。だからこの・・・が売り物なのでとりあえずサイト自体にはのっけていませんけれども、僕は93年、94年僕は千葉大に勤めていて、それで助手をやっていて93年の時に障害者のことに関係する調査報告書を作ったんですよ。
 自立生活センター三ヶ所回って調べてというやつを作って、それを一生懸命売ったものだから売れちゃってなくなって、データが残ったから別に商売のためにやったものでもないから、まずそれがもったいないなと思って、千葉大の時に作ったページ、みんな学生が書いた文章を載せればいいかなと。そのあたりから始めたんですけど。本当に私的といえばそういうあれですね。

天田:その後、多分それがベースになってどこから引換券が出ていったということですね。

立岩:引換券については生活書院の高橋さんに聞いたら答えてくれるかもしれない。僕の本はどうせそんな売れないだろうというのもあって、出版社にやってもらうのもどうかということがあって、自分で直接送るような形で今までやってきました。そんなにたくさん注文あるわけじゃない。ポツポツはありますけど。

天田:そうすると技術的にもこれは植村・櫻井論文でも書いてあるように電子書籍というやつがDOS的にはそれこそ一定度音声リーダーで読むような当時それこそ石川さんをはじめ何人かいて、その電子書籍って話になってくるけど、今度Windowsが普及してくるようになってくると、アイコンも含め視覚でという話になっていって、だんだんと電子書籍の話が障害者の人たちも広く読めるという話からだんだんと著作権だの視覚的ビジュアルに訴えるみたいな流れができてくるっていう、そのとおりというか。

立岩:だからWindowsが当初は非常に視覚障害の人にとっては評判が悪かった。当たり前の話で見ないと分からないんだからそうだった。だからかなり僕自身はそうでしたけど、かなりDOSをひきずって使ってたということもある。それがスクリーンリーダーがそこそこの水準になってきてまあまあなんとか使えるという話になってそれでじゃだったらいいやというんでWindowsではしるソフトとかそういうものを使うようになったのかなと。その辺は本当に青木しんたろうさんとか聞いたらいろいろ分かると思います。

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天田:そうですね、細かい技術でスクリーンリーダーがどういうふうにバージョンアップされていったのかとか、どう普及したのかとかって実はよく分からないんで僕は初めてスクリーンリーダー存在したのは確か今もそうかもしれないがIBMのスクリーンリーダーというのが出てるの知って、実際とりよせてみてその音声で聞いてというのが今から多分7年とか8年ぐらい前のような気がして、多分その時にはかなり早い速度で読めるみたいな状況になったと思うので。その辺がどう改良改善されていったのかというのも調べないと分からないですね。

立岩:IBMは比較的前からそういう対応に関しては気遣いをするという会社ではあって一定早かったのかなとは思います。日本のIBMに勤めている人で後にそういった関さんでいいんだっけという人がそういう関係の組織というかな、サービスを始めたりということもあったはずですね。それとあとは本当に視覚系の人たちのことについてはその視覚の人たちに聞くしかないんだ。かなり断片的にはいろいろあると思うんですよ。昔話みたいなね。さっき見たようにそういうのは研究になるとあんまり人は思ってない部分もあるんで、やはりそういうものってまとまったものって意外とないんですよね。ただ書籍のたぐいはぼつぼつ障害者とパソコンみたいなだから障害者かみたいなそういうたぐいのものは90年代ぐらいからぼちぼちと、例えば宮城県の県知事やってた浅野さんとかああいう人が編者になった本とかも含めてぼつぼつ出てくるようにはなってきたんだと思いますね。

天田:そういう意味では今日の流れっていうのは誰かが大きく仕事をしてというか、大きな仕事が待ち望まれるという状況だと思うんですね。

立岩:さしあたっていっぺんぐらいやっといてもいいよね。だからどうなのっていうのはよく分からないところあるんだけども、誰かいっぺんはやっといた方がいいとは思います。

天田:多分みんなわざわざ例えば石川さんにしろ関わった人がわざわざ自分が思いだして書こうというたぐいの性質のものではないんで、誰かが聞いとくという必要があるかなと思うんです。

立岩:エピソード的なこと言えば今・・・わりと視覚障害のためにということでありますけど、デイジーというの今一生懸命広めようとしている方は、その当時東大の図書館に勤めておられた方です。石川さんの支援というか職員として関わってこられて、関わるようになって、それがきっかけで学校やめた後もデイジーの普及に今も力をつくされているというそういうエピソードをうかがったこともありますね。あとそういう意味で例えば視覚障害の人にとってはPCというかネットというのは最初からかなり注目されていて、その手で自分で環境整備するみたいなことを含めて、ある種の裏ワザみたいなものを含めて取組んできた。ただ今回植村・櫻井論文でも書かれていますけれども、もっと後になってくると電子媒体でとにかく出版しようという話が出てくるんですけど、そっちサイドの話の中ではあんまりこれって障害者にも使えるという話はあまりされていない。というかほとんどされていないという意味ではずれながらやってきたと。今でもある意味その状況が続いてはいるので、それが日本がこれからどうなるかわかりませんけれども、どうなるかわかりませんと言えば一定の割合で僕は普及すると電子書籍的なものはね、普及した方がいいと思ってますけれども。適切なタイミングで適切に介入していかないと、あんまり使い勝手がよいものにはならない。これはそれもその論文に書いてありますけど、アメリカだったらアメリカの大学とかでそれを採用するといった時にユーザーの側からこれだとインターフェイスというかこれ使い勝手が悪いものがあると。だからといって・・ちょっとよくなったりとかそういうことですね。

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天田:ちょっと今立岩さんのこの間バーンズさんの来たやつのレジュメを読めば分かるんですけど、ちょっと現状の話に話は移って、多分歴史的にはまだまだ調べなきゃいけないことだし、制度的にはそれこそ今考えたところで出る話しじゃないので少し立命館の今先端研の障害学生支援の状況というのを少しお話をしてもらえればなと思いますけど。いちおうここの大学に視覚障害の学生がトータルで在籍しているので今8ですよね、プラスアルファするともう10近くいるんですかね。そういう状況にあって障害学生支援のお金でテキストデータ化を進めていくと。もちろんだんだんと図書館の本にこの間の著作権法改正等を受けていちおうテキストデータを図書館が責任を持って対応すると。テキストデータ化の作業を図書館が責任を持って対応するという流れができてきて。簡単に言うと能率も悪いし、うまい仕組みではないと。そうするとここの障害学生支援室がいちおう割り当てているお金でテキストデータ化を進めていくということになりますけど。イニシャルコストが前立岩さん聞いたように膨大にかかり、そして1冊の本で場合によっては7万、8万かかってしまうことがあるという話だと思うんですよ。そうすると仕組みとしてどういうありようというか、現実的には外部依頼も含めてですけれども、どういう仕組みで今やっていていちおう少なくともましな設計としてはかくかくしかじかのようにあるとうことがあれば教えていただければと思いますけど。

立岩:学生支援というかげがかなり大きな話しでね、そこの中でデジタルデータというかの話しはその中の一つでもあり、別に学生に限らないという部分もあるわけじゃないですか。だからどちらの方に上と下を考えるんだけど、僕はそうやって九五年から二〇〇二年までは信州にいて看護師とかそういう人たちになる人を教えるところで、ああいうところっていうのは障害を持っている人のための仕事をする人たちの学校であってもそういう人たちっていうのはいない、学生としてはという。そういうところでもあるんですよね。だからしばらくそういうところから遠ざかってたというか、というところもありますね。立命館入ってきてそれでなんだか忘れたけど、青木さんがまだ大学院に入ってなかったかもしれない。青木しんたろうが。それで京都市内の大学、精華大とかここの大学生とかそういう聾者もいたと思いますけど、障害学生支援の現状みたいなと課題みたいなので、ちっちゃいシンポジウムみたいなのをやった記憶があるんですよ。
 それは本当に学生たちが自分の問題意識がある人たちがやった。だからその時点ではそこそこ精華にしてもここにしても、そういう障害学生支援室的なものが立ちあがって活動始めたころだけれども、いろいろ問題はあるというそこをなんとかしましょうというそういう流れでずっとその流れは続いているんだろうとは思います。さっきも申しあげたように本当に詳しくまた一人一人ですけれども、要するにそういう形で決まった額が大学におこされると。大学はどう使うかというのは大学に任されると。立命館の場合は基本的に支援室なんだけれども、支援室が基本的には・・に応じてデータを提供するということをやってきたと。それはそれでやってくれればそれでもいいんですけれども、いろんな納期の問題その他いろいろトラブルもありのということがあって、それでそれも今にいたるなんですけれども、一時期だったらそれでこのことは雑誌に載るかどうか分からないけれども、支援室がちゃんとお金を使ってないというのがだから・・・に関わるというふうに伺ってきて、ちゃんと予算を消化しないとそれはひどいだろうということもあって、だったらお金をくれよ、こっちでちゃんと使うからといんで、ここ1、2年は研究会の方でお金をさらに再委託というかな、される形で一定やっていると。ただ別にそれはそれとしてある意味しょうがなくやっているという部分もあるので、そこのところはおっしゃったように著作権法の改正というのも踏まえて、大学の図書館の方で対応できるということになりましたから、今年になってからですけれども、大学が図書館の方で準備を進めますということで進んではいるようです。ただ実際にはまだやはり完全に思想機関に近くててきぱきと仕事ができているという状況では全くないんですね。それをどういうしかけに載せていくか。どういう形のやり方をしていくのかというのは、本当にこれからの伺いで松原さんとかその辺がちょっと研究計画というかプロジェクトとして申請してその手の話をさらに進めようということを今の段階でやっていると。データ自体は1ヶ所に一つあればいいわけなんでそれをうまいぐあいに流通させれば複数の人が同じものを読むっていうことができるようになれば少なくとも1回あたりのコストっていうのは軽減していくわけですから、しかるべきやり方をとればそんなめちゃくちゃ金のかかることでもないし、だろうと。あと一つ付け加えとけば、今までも日本点字図書館はあって点字ないし録音物であったり場合によったらデジタルデータを提供してくれるということをやってきたと。もちろんかなりの点数そういうふうにされているわけですけれども、これは一昨年だったか昨年だったかその関係の方が会いたいということでお会いする機会に今話したことですけども、やはりリクエストのあるものからやっていくのでやはり一般的に売れている本であったり、そういったものがどうしても中心になるということで、学術的な本というのはなかなかそういう点字図書館全国にあるといえどもデータ化されていないと。そこのところで点字図書館は点字図書館で今の事業を発展させつつ、大学は大学である種の高等教育の機関としての使命といったらいいんですかね。ということで分業、うまいぐあいに分業し連携していけば二度手間もある程度防げるだろうし、僕は将来的にはそういうふうになっていくだろうと思いますし、やっていく手はずというか段取りの中に関与。こちらの人が関心のある人が関与していくと。調査方々研究方々やっていけばいいのかなというふうには思ってます。

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天田:そうですね、全体的な大きな仕組みがもちろんできれば一番理想ですけど、小さなところでは立命館大の中で書籍を共有化するだけでもかなり広がり具合というかユーザーははるかに増えるわけで先端研の院生だけではなく、よその研究科等にもありますよね。ただ実質的によそに広げる時に今進めている図書館がやっているテキストデータ化とか障害学生支援室がやっているテキスト化と比べた時院生の論文ってはるかに多いわけで、そうすると現状に今各大研究科にわりあてられている間に合わない納期が間に合わない部分でいちおう作業を進めるというお金が一人48万円、そうするととても院生が一人48万円だと1冊あたりの単価が数万だとすると10冊いかないみたいなそういう状況ですよね。

立岩:だから今の限られた文科省のお金でさえもというか、ちゃんと使えばそれよりは本当はもっと使えるんですよ。だけどなんかそうじゃなくてその辺ずっと押し問答できてて非常に私としては納得が今でもいってませんけれども、その範囲内で去年とかだったら実際にはそこも越えちゃってもうやっちゃったからというんで、追加予算もらってきてもっとかかっているんだということを示しつつ、超過して使ったということはありますし、それはそれでしょうがないというか当然というかそういうふうには思ってます。だからさしあたっては少なくとも図書館のシステムが円滑に動くまではというか、あるいは動かない限りはというか、一定こちら側も今までやってきたことを進めるだろうし、それと逆にというか本当にこの間1,000冊ぐらいいってるかな、いろんな形でためてきたデータをどういう形でさしあたっては立命館の図書館で利用できるものとして提供するのかということについては、話合いが始まってるというか始まりかけているというか、どういう寄贈みたいな形をとるのか。その辺は寄贈といったって、もともともちろん研究科の予算で作ったものもたくさん含まれてますけどそうじゃない・・がいろいろなものがあるので、その辺はどう考えたらいいのかというのはよくどういうのがいいのかというのはちょっと考えどころですけれども、でもあんまり堅苦しく僕的に言えば堅苦しくといってもしょうがないんで、できるだけ早めにそういったものが広い範囲で使えるようになったらいいなとは思ってます。

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天田:細かなことでちょっと申し訳ないですけど、ただテキストデータの時にこれも立岩さんから前聞いたことだけど例えばページを区切ると細かな編集上の作業でやらざるをえないものがあると。そうすると先ほど言った1,000冊データベースにあるものもかなり一定度手を入れていわゆるファイルとしての統一性とか、形式的統一性とかそういうものは手を入れざるをえないわけですよね。

立岩:そうですね、ファイル名の統一とかいうあたりから始まって、そこそこやることはあるんですよ。大変だとも言えるし、なれればなんとかという感じもあると。どっちの側面もあるんですけど。

天田:例えばファイル名みたいにある程度誰でもできるというかよりは、もう少し中身を知っているページの区切りを入れるとか。

立岩:それは一定のスキルというかいりますけど、いろいろ難しいものあるんですよ。画像どうするとか図をどうするみたいな話はちょっと難しい問題ですけど。目次を入れるとかページ数を形式的にページの区切りを入れてここ自体はいっぺん何十分か教えればそのとおりにやっていける。先ほどの話に関係すれば例えばそういう石川・・そういうとりあえずあればいいからというんでスピード第一みたいな感じでいままでやってきた。それ一定の合理性を持っていたわけですよ。ただ今回そういう意味で公共財という言葉の方が不正確な言い方ですけれども、要するに複数の人が使えるデータとして今後は蓄積していくことが合法的になりつつあるわけですから、そういう意味で言えばざっと作ってというよりはどうせいっぺんでいいわけだから、きちんとした間違いのない構成のすんだものを作ってそれをしかるべきところに置いておくと。置いておいて使えるようにするというのがそっちの方向にいくという感じかな。

立岩:これは個人的な見解ですけど、例えば我々の院生のところにはノウハウが分かっていて、ある程度どういうふうに情報を広めたらいいのか。あるいはその情報の価値というかそういうことが分かっている院生がいるというふうに考えれば図書館のシステムとしてそれをどう組み込むかという話もできるし、あるいは外づけ的に先端研がある程度機能を担うという形でやっていくって進め方もあるんですよ。もっと端的にはうちの院生がある種の職員的にあるいは外部のNPOという形にして委託するというやり方も、一つ実践的可能性としては十分ありうるなというふうに思っているんですね。まるまる大学が抱えること自体が機能的というふうにも思えない。大学は今回支援室で一定の経験がある人に教えてもらいつつ、一人を臨時というか派遣というかそういうところで選んで、1から教えてもらうということをやっているみたいです。それなかなか最初から難しいだろうなと思って今ちょっと現状僕把握してないですけれども、そういう実務みたいなの本当は作業というのはせいはんしゃというか見えてということになるんでしょうねある部分は。ただこれから何年かはどういうしかけを全国で作っていくのかということは勝負になると思うんで、例えば出版社とかけあうとかそれから他の大学の図書館等の提携を進めていくとか、そのたぐいのことっていうのはやはりちょっとアルバイトっていう話じゃないと思うんで、やはりここでそういうところに見識を持つというか、そういう人たちが関わる方が僕は合理的だというふうには思います。実はLISTEXだっけ、研究費であたれば500〜600万出るっていうやつに今年応募して、それはそういうのを書いたんですよ。それは研究なんでいちおう研究という、だけど実装なんとかってやつで実際に今までやった研究をいかして何か役に立つことしなさいみたいなそういうやつで、応募したやつは落ちたのでお金がないんですが、あたったらそのお金のかなりの部分使ってもう月給いくらみたいに近い形でここでそういうことやっていいよという人にスタッフというか研究員みたいになってもらって全国の動向を知るとか、出版社にかけあってどうなるっていうことさらに調べるとか、大学間の協力の在り方みたいなものを調べるというか、場合によったら同志社なら同志社に出向いていって一緒にやりませんかとはいじゃどうしましょうかという、ひまは作ればある。ひまさえあればというか、私もおもしろいなと思いますけれども、それはちょっと無理、さすがに無理なのでそういうことは思ってました。それがちょっととん挫したのでお金出なかったわけですから、今やっているのは、今度8日から面接がありますけど、大学のジャイロっていうやつでそれは実質書類書いているのは松村さんだけど、当たれば学内資金でそういうことを進めていくということを今やってます。

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天田:だから全角的に見た時明らかに障害学生支援室の今の人的資源で担えるとも思えないし、図書館からしても軌道に乗るまでは例えばそういう対外的な仕組みを作ったり、思考的に情報を集めたり連携図ったりという部分で、大学の組織としていっきにぱっとやるとなかなか進まない大学としても実績がない。実績がないのは当たり前で前例もないし、そうするとある意味では研究をベースにしつつ例えば実際雇用するお金を払いつつ、思考的に走りはじめる。そういう今回出されたプログラムみたいなものをやっていくということも生存学の試みとして十分、生存学先端研の試みとして十分ありうるだろうなというふうには。

立岩:どこがやるかは分からないというか、ある意味どこがやってもいいとは思うんだけど、そういう意味じゃある種の蓄積はこっちであるというのが言えると思うんです。これは今やめた青木しんたろうとか安田さんもそういうのだけど、お金はちゃんと国から出してもらわないといかんと。だけど仕事はというさっき出た話しですけど、仕事はできる人がやればいいわけで、そういう意味で言えば大学の図書館としてそういうデータを提供するんだけど大学の図書館からしかるべき金をちゃんともらって、そういう事業というかサービスのある部分を民間団体なり何なりが受託というかして、あと各大学に提供するとかね、あるいはそういうことをしてもいい。そういう意味で言えば責任は端的に言えば国会にあると。さしあたってここからさらに考えればね。その次の責任は例えば大学図書館の連合体というかそういうものにあるということは言えたとして、そのお金なりその責任を実際にものの形にする時の助けなり実務なりというものは別のそういう仕事に適した、特に大学間でそういうものが始まるまでどっかの大学がメインということじゃなくなりますから、もしかしたらそれは大学間でなんか大学間の組織として何かができるかもしれませんけれども、それはちょっとどうなるのかわかりませんが、大学図書館そのものとはちょっと違うところが寄与することにはなるだろうし、それに対して場合によってはこちらでそういう手練手管を知っている人たちが関与するというのはありだと思います。

天田:そのとおりですね。その時の例えば大学の図書館の連合みたいな時大概なんかけちの話も出てきそうな、この100冊分、200冊分、あるいは1,000冊分をうちの大学でになったみたいなけちの話が出てきそうな気もしますけど、基本的にそういう話がなければ実は手続き的にはそんなに難しい話はない。

立岩:その辺はね、筑波いぎたんというところがたくさん実はデータを持っているとか、そういう噂話はあります。よくわかりません。

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天田:生存学の中でいちおうかなり100冊ぐらい集めてきて、障害学生支援なんかも整ってきていると。ここの今・・でいろいろ研究進めている・・・なんかも含めて、テキスト、視覚障害あるいは本人たちの支援する仕組みというのは整備されていると思うんですね。そういう意味では視覚系の人たちはある程度あるいはテキストデータ化というところについてはある程度整備されていると思いますけれども、生存学としてなんか今取組むべき課題というか、新しく入ってくる人たちに向けてのどういうありようがあるのかっていうのは立岩さんどう考えてますか。

立岩:一つは、2つあって一つはそれぞれに伝える技術というか適した技術というのが一様ではない。例えばてんばつさんなんかだと体の動きが不正規なので、単純なそういう意味でスイッチとかそういうのを提供すれば彼がコンピューターうてるというふうには必ずしもならなかったりする。それでかなり人的な部分でやらざるをえないというからしい。そういうのなんとかなんないかなという気もしないでもないんだけど今のところはそうだ。きしださんみたいにコンピューター端的になれてなくて少なくとも最初からそういうものでやっていくというのには無理があるという人もいる。そういう意味でいうと大多数の人はこれでいけるけどそうじゃないニーズというかというのもあるんで、それに対する個別的な対応とかあるいはでも覚えるよとこれから、これから覚えるからじゃよろしくというようなところで今まで青木さんとか安田さんがけっこう手弁当的な部分含めて教えてくれてたんだけど、そういうところの対応というの必要だろうと思います。それともう一つは僕は基本的にはこの種のことは例えば身体障害の人の移動の介助であるとか、そういったものは大学の仕事ではないというとネガティブに聞こえますけれども、より普遍的それこそこの時は普遍的といいますが、より普遍的な社会サービスの一部としてなされればそれでよろしいというふうに思っているのです。だからホームヘルパーは在宅とプラス外出だけで大学に入ったらあるいは大学に入ったらそれは別というのはそれは理屈としてはなりたたなくて、同じヘルパーが大学の中でも介助し、病院の中でも必要であれば介助しというしかけで十分というかそうあるべきであると思います。ただそれがない限りにおいては大学は一定の責任を持たざるを得ないので対応するわけだけれども、私は基本的には大学とかその場その場でそれが提供されるという形よりはその人がどこに行こうが必要なものは供給されるというこれはちょっと難しい部分もあるけど職場における介助とかも含めてやればいいと。例えば今は本当にそれはちょっと医療的行為の話しだとまた別の話もからんでくるので、とにかくやれる人をわけるという場所ごとにわけるというしかけでやってきているんだけど、それは基本的には合理的じゃないと思っているんですね。

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天田:そういう意味では俗に言われているサービスを人にサービスをつけるというか、そういうやり方は確かに普遍的なサービスとして望ましいと。その場所ごとでいわばサービスの内容を変えるという話はまったく合理的ではない。これもそのとおりだと思いますよ。ただ少なくともだからといって何もしないというわけにはいかないし、生存学先端研の中では何がしかをやはりやってきたのは事実として蓄積としてあると思うんですね。ただその時に言ってみればある程度場所というかここでつけざるをえない。少なくとも立命館でつけざるをえない時は、研究科単位でつけたほうが一定度合理的である部分は今回一連の図書館が責任を持つという流れを考えてもなかなか遅々として進まないじゃないですか、そうすると一定度研究科で判断をしつつその中で図書館の整備を待つというのが最も合理的というか、手続き的な合理性を考えればそうなのかなと思うんですけど。

立岩:当然のこととしてそうだよということと、それからやはり仕事が得意でしたい人がするというのが一番いいわけで、そういう意味で誰がどういうふうにしてこれから社会で活躍というかな、動いていくのか分からないけど、例えば自分の副職としてでもあるいは本業としてでもなんかそうやって得た知識とか技術とかそういったものをこの場であるかどうかは別としてどっかで発揮する。それに対してお金がつくならお金をつけるようにするというところそういうベーシックな意味でも今そういうある種の資源を常に身につけてしまったというか人たちが活躍できる。それはそれこそ自分がそれをメインの仕事にするのか。本当にサイドワークにするのか。バイトなのかというあたりは各自・・・上でね、というふうには思います。と同時にやはり僕らは研究者としてというか、ある種の発言者として学校と学校の中の外、病院の外と病院の中というふうに分けられているというそういう制度というか、仕組み自体が不合理であるというそういうメッセージも出していかなきゃいけないと思うし、じゃあ違うしかけでやっているところがあるんであれば外国とかそういうところであればそういうのを紹介するっていうのは一定の意味があると思います。

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天田:まったくそう思います。例えばある立命館の取り組みや障害学生支援の日本の現状というのを例えば韓国に今回先端報告の・・・12か13だったかな、になって韓国版が出ている時に技術的なノウハウ自体もすごく重要な意味合いがあると思うけれども、仕組みの作り方当座というところでの仕組みの作り方も知られていい話だと思うんですよ。普遍的な話というか、結局のところどっち向かうのというのはそれはそれで研究者として発信すればある程度合意できない話ではないと思うんですよ。具体的に当座どうするかというのは、一つの実践的にも課題であるし、その国の実情によってある程度判断せざるをえないという意味でもこれ重要な研究の一つの方向性を示すというふうに思いますけどね。

立岩:多分それも最初にどうやって何を発信するかと考えると、多分読み取ってデータ化するという意味ではさっきも言ったけど、英語圏とか絶対そっちの方が楽で簡単で早かったはずだからその人たちにいまさら教える必要はないんですよ。ただハングルは日本語に比べればずっと・・・が少ないかもしれないけど、でもそういってまだいいぐらいだろし、例えば中国語とかそういう意味でいえばそういう適所適所に出していくということですかね。あとはもう多分国によってというよりも地域によってすごい違いがあるかもしれなくて、さっきも言ったけどテグなんて大学は本当にそういう特殊教育の伝統の大きな大学だということもあり、大学が大きくてお金があるということもありますけど。支援室という規模じゃなくてセンターみたいなのが一つ建物持ってオープンしたのがちょっと前だから始まって間もないようです。

天田:スタッフはどれぐらい。

立岩:僕が行った時挨拶したのは5、6人だったですけどね。いくつか部屋がありました。データの提供のしかけは基本的に日本と同じみたいな感じでした。著作権の問題までは解消されてないみたいでみんなCDとかにデータ入っているんだけど、それはいちおうあるようなないようなみたいな。

天田:そういう意味では障害学生支援で実践的にもこの課題はどうメッセージを発信していくかとか、うまい伝え方って考えざるをえないけど、少なくともここの先端研あるいは生存学でいえば障害を持っている人たちがここに入ってきてそこで様々な手立てを自分で作り出しながら、そしてそれも研究しながらやっているという意味ではなかなかめずらしいところなのかなというふうには個人的には思うんです。イギリスなんかで当時者が自分たちで支援の手立てなんかを研究しつつ作り上げていくというのはあるんですかね。

立岩:どうなんでしょうね。直接に聞いたことはないですけどね。今度安田さん行くから。

天田:テグ何かのスタッフは障害持っている人たちですか、それとも健常者ですか。

立岩:障害を持っている人もいました。複雑っていうのでもないんだけど、もともとそういう障害児教育というとこもあって障害者の受け入れに熱心だったんでしょうね。数はすごく多いらしい。他の大学と比べて、障害学生の数はすごく多いという話は聞きました。だから障害学生支援というのもそれなりの規模やっているというか、やらざるをえないということだそうです。そういうところで学びながらでもそういう大学とか教育の在り方にあきたらないという連中もいて、でもテグ大学出ました。卒業生ですみたいな人がテグで自立生活センターの活動しているとかそれをスタッフをやっているとかそんな感じもあります。そういう人もいました。

※「まず、普通の技術で、また日々進歩している技術でかなりのことができる場合はある。視覚障害のある大学院生が複数いたこともあって作られ、センター報告として刊行された青木慎太郎編[2009]、作った2000部がなくなって増補して出した[2010]にその方法がまとめられている。また博士論文が本(韓[2012])になった韓星民(ハン・スンミン)の仕事もそんな方向の仕事だ。韓は韓国からやって来てもう日本での生活の方が長い人で、弱視の人だ。視覚障害の人のための機器を開発し販売する会社に勤め、博士論文を書き本を出した後、現在は日本の大学の教員をしている。そして堀田[2012](第4章1)もそうした技術の開発・変遷についての報告である。
 視覚障害などの場合になされてるのは、基本的には逐語的に字を点字にする、音声にするといったことだ。音声が出ない人がPCを使う場合も基本的には変わらない。ただそれだけですまない場合、すくなくともそのように思える場合がある。普通に上手な翻訳者・通訳者がいれば、あるいは機械・ソフトがあればそれでみなうまくゆくとは限らない。
 飯田奈美子は[…]」(立岩[2016])


・ファイル制作:安田 真之 甲斐 更紗 山口 和紀 種村 光太郎
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