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座談会「大学における視覚障害者支援の現状と課題 スーダンで今求められていること」


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last update: 20160123


■参加者:

ヒシャム エルサー:1976年スーダン生まれ 筑波大学大学院在学 (特活)スーダン障害者教育支援の会 全盲
植村要:1968年岐阜県生まれ 立命館大学大学院先端総合学術研究科・グローバルCOE「生存学創成拠点」在籍 全盲
青木 慎太朗:1980年大阪府生まれ 立命館大学大学院先端総合学術研究科・グローバルCOE「生存学創成拠点」在籍、羽衣国際大学人間生活学部非常勤講師 右目・弱視 左目・視力なし
韓星民(はん すんみん):1971年韓国生まれ KGS株式会社/立命館大学グローバルCOE「生存学創成拠点」在籍、弱視
斉藤 龍一郎(司会):1955年熊本県生まれ (特活)アフリカ日本協議会事務局長

■主催:(特活)アフリカ日本協議会・立命館大学グローバルCOE生存学創成拠点
 会場:立命館大学衣笠キャンパス創思館407号室
 日時:2008年6月21日午後1時〜6時



斉藤: 開始が遅れてしまいましたけれど、これから座談会を始めさせていただきます。今日の進行をやる斉藤と申します。アフリカ日本協議会の事務局長です。
 もう会場を出なければならないそうですので、一番最初に、バシール君に挨拶をお願いします。次いで、僕が趣旨説明、出席者紹介をします。
 青木君には、個々の体験を踏まえた話に入る前に、障害者支援の技術、視覚障害者の支援というときに一般的に使われている技術のことを話してもらいます。
 その後で、4人のスピーカーが、それぞれの体験に基づいた、印象に残っていることを中心に15分くらいずつ話します。
 スピーカーの発言後に休憩を入れます。
 後半で、具体的に何ができるかを一緒に討議しましょう。討議の最初に、スピーカーからそれぞれ「自分としてはこういうことをやって欲しい」ことを発言してもらい、3つぐらいのステージで考えたいと思います。
 バシール君、あいさつをお願いします。

バシール: 私は、モハメド・バシールといいます。9年前に日本に来て、最初、あんまマッサージ、針灸の勉強を4年間勉強しました。その後2年間、マッサージの仕事をやっていましたが、もっと勉強しようと考え、3年目は勉強しながらさらに1年間やっていました。そして、去年4月から立命館大学大学院産業社会学研究科の大学院生です。今2回生で、「障害者雇用に関する割り当て雇用制度」について研究しようと思っていますけれど、あまり進んでいない状態です。
 私は先月、斉藤さんと青木さんから、今日の座談会で発言して欲しいという連絡をいただきました。でも自分の都合でどうしても出られない状態だったから、同じ国から来て、現在は筑波大学の大学院にいるヒシャムさんにお願いして、代わりに出てもらっています。今日はヒシャムさんと一緒に大学に来ましたが、私自身は今から、どうしても帰らなければいけないので、申し訳ないです。挨拶ぐらいで申し訳ないのですが、よろしくお願いします。

斉藤: 今、挨拶してくれたバシール君、今日来ているヒシャム君、東京外国語大学の大学院にいるアブディン君の3人が中心になって、スーダン障害者教育支援の会(CAPEDS)を、去年、立ち上げたんです。この会の事務局長をやっている福地君が、去年7月、アフリカ日本協議会へ相談に来たのが今日の座談会につながる一連の取り組みの発端です。今日、なぜこのような座談会をやるのかを、ごく簡単にお話させていただきます。
 今、アフリカでは、アフリカ連合(AU)が「アフリカ障害者の10年」をやっています。2000年から2009年までの10年です。僕自身は、あんまりみんなに知られていないので、もう一回くらいはAUにやってほしいと思っています。この「アフリカ障害者の10年」をもっと知って欲しい、機運を盛り上げるために何かできないかな、というのが、出発点のひとつです。
 去年7月にしたのは、日本の大学・大学院で学ぶ、スーダンから来てる留学生が中心になって会を立ち上げて、自分たちで、スーダンの大学で学んでいる、特に視覚障害者ですね、仲間の支援をしたい、というふうな相談でした。でも小さな会でできることって、すごく限られているわけですね。お金集めてパソコン何台か送っても、それだけだとできることって、本当に一回頑張ってパソコンや音声読み上げソフトを送ったってそれで終わっちゃいます。  3人も日本に来ていて、今みたいに日本語でちゃんと話ができる人がいるっていうのは、これからのスーダンでの視覚障害者支援を、日本のいろんな立場で、個人としても、あるいは国際協力ってことで活動しているNGOや研究者の立場から、あるいはこういう国の機関の立場から、考えていく上で大きなチャンスだという話をしました。そのためにも、それぞれの体験を検討材料として提供すべきだと提起したのです。
 一般的に自分の持っているものをだして下さいっていっても、なかなかね、どっから話をしたらいいのかなと迷いますよね。じゃあ、同じような経験をした、日本の中で大学に通っている大学院に行っている、世代的にも近い視覚障害者が、どんな風な経験をしているのか、そういう経験と重なるのか、重ならないのか、みたいなことを話してみたらいいんじゃないかと考え、昨年の8月に、東京大学の先端科学技術研究センターの助教をやっている星加良司君、アブディン君、福地君、そして青木君の4人が話をする座談会をしました。 そのときの記録を起こしたものは、生存学ウェブサイトに全部載っています。「アフリカNOW」第78号・アフリカ障害者の10年特集号には、6ページにまとめたものを載せてあります。希望する方には500円で販売します。
 「アフリカの障害者10年」にも関連して、(独法)国際協力機構(JICA)が2002年より「アフリカ障害者の地位向上研修」というのをやっています。アフリカの障害者団体のリーダーに当たるような人たちを日本へ招いて、プレゼンをしたり、今自分の国がどういう状況にあるのかを皆に知ってもらうためのレポートをまとめる、そしてまた他の国の状況を知る、というような研修です。そういうことを通して、課題は何なのか、解決する道筋をどうやって探るのかを見出す力、またそうした課題や道筋について発信する力をつけることを狙ったもののようです。
 アフリカ側では、DPI(Disable People International)所属の、南部アフリカ障害者連合(SAFOD)が窓口になっています。ここの代表は、先日、横浜で開かれたアフリカ開発会議にも来てくれたんですね。で彼が日本に来て、電動車椅子を借りて、TICAD、アフリカ開発会議の会場に入ろうとしたら、警備上の都合でエレベーターが止められて、なかなか入るには入れないといろいろやり取りをした、いうニュースが毎日新聞のユニバーサルサロンというところで紹介されています。立命館の生存学のウェブサイトの中に、アフリカに関わるニュースをまとめたページがあります。このニュースも収録していますので見てください。
 今年のアフリカ障害者の地位向上研修のテーマは、「差別禁止と権利擁護」だそうです。昨年、国連で採択され、日本も署名した「障害者の権利条約」を実効あるものにする狙いがありそうです。聞いたところでは、8月23日にカントリーレポートの発表会、25日に「人間の安全保障」をテーマにしたJICAの障害者支援についてセミナー、そして世界銀行の電話会議システムを使ったネット会議が予定されています。
 こういう会議に、スーダン障害者教育支援の会に集まっているようなメンバーがもっている材料をぶつけていけば、やっぱりJICAの方針とかも、やり方にしても変わる可能性があるわけですね。そういうことが小さい団体として、自分たちだけで物を集めるだけに終わらないで、政策的に変えていくというのかな、そういうことにつながっていくんじゃないかな、という話をしました。
 去年は、生存学の取り組みだからということで青木君が東京まで来てくれました。なので、今年は立命館でやろうということで、今日の集まりになりました。
 アフリカの障害者問題に関係する本も最近ぽつぽつと出始めました。現在、東京外語大アジア・アフリカ言語研究所にいる亀井伸孝さんが書いた「アフリカのろう者と手話の歴史」、龍谷大にいる落合雄彦さんと神戸女学院の金田知子さん共編で「アフリカの医療・障害・ジェンダー」などがあります。
 また、個別には少しずつレポートをまとめている人も出始めていると思います。この座談会に参加している京大東南アジア研究所の西君が中心になっている「リスクと公共性」研究会は障害者の問題とかを念頭に置いた研究会です。明日、京都大学で第7回研究会が開かれます。
バシール君、時間は大丈夫ですか?もう出るんだったら送っていかなきゃ。

バシール: 青木さんの話聞いてから。
  
斉藤: 青木君、視覚障害者支援の技術と技法についてお願いします。
  
青木: 生存学創成拠点の青木と申します。
 入り口に、今日のレジュメが3種類おいてあります。それの横にあるピンク色と緑の冊子は、生存学創成拠点の報告書です。レジュメは1枚ずつ取ってください。報告書の方は、必要な方は持って帰っていただいて結構です。部数が足りなければ、取ってきますので言ってください。
 大学で学ぶ視覚障害者の支援について、概要を話させていただきます。ただ、ここに来られている方の中には、実際に支援を受けて学んでいる方、あるいは支援を受けて、過去に学んでこられた方もいます。その方々にとっては、今から私がする話は、既に知っていることだと思いますので、ごくごく簡単に、話を進めたいと思います。
 視覚障害者は、一般に、移動障害、あるいは情報障害を受ける、移動と情報に障害があるというふうにいわれます。聴覚障害の場合はコミュニケーション障害という風にいわれます。ですから、大学で通う上でも、大学で勉強する上でも、移動の部分と情報の部分に、特にサポートが必要になってくるということになります。
 視覚障害のある学生たちに対するサポートの中でも、特に重要なのは、情報支援の方になってきます。といいますのは、大学の授業、あるいは大学院での研究、特に大学院での研究になってきますと、たくさん印刷されたものを読まなければいけません。晴眼者(目が見えている人)であれば、本を買ってきてすぐ読むことができるわけですけども、視覚障害者の場合、特に全盲、全く見えない方の場合は、旧来であれば、それを全部点字に直さないと読むことができませんでした。あるいは、対面読書、対面朗読とも言いますけども、誰かに読んでもらうか、テープなどに録音してもらって、その内容を聞いていた、という状態でした。
 パソコンが出る前の話ですが。いまでも、もちろんこういう方法を使って勉強されている方もいらっしゃいます。教科書とか、研究に必要な本を点字にして、あるいは、読んでもらって、あるいはテープに録音して、勉強していました。
 最近ではパソコンが発達してきまして、音声で読み上げてくれるパソコンがあります。例えば、今日のこのレジュメは、ワードのファイルで斉藤さんから今頂きましたけれど、そのワードのファイルは、音声読み上げソフトを使うと、パソコンが全部読み上げることができます。ちょっと漢字の読み間違えなどあるんですけど、大体意味がある程度分かるように読んでくれます。固有名詞はむずかしいです。そうすると、教科書でも、参考文献とか研究する上で読む文献、論文でも、テキストデータの形式になっていれば、音声ソフトを使って、読みとることができるようになっています。なので、現在では先ほど言いました旧来の方法、つまり点字とか、音声などの読み上げに加えて、最近ではパソコンを使った支援っていうのが行われています。これらが情報に関する支援になります。  それ以外では、利用されている方は情報の方に比べては少ないですけれど、例えば学内での教室移動の介助とか、それから、掲示板で発信される情報の提供に関して個別に伝える、そういう風なサポートをしているところもあります。
 昔は、といっても10年前、20年前とかそれくらいのレベルですが、学生同士のボランティアやあるいは友達に頼んで全部やってもらうという形式のほうが日本でも多かったんですけども、ここ最近特に2000年以降は、徐々に徐々に、まだ不十分ではありますが、それぞれの大学が、障害者のある学生を支援することに対して責任を持つようになってきました。例えば視覚障害者であるならば、教材を先ほどいった形ですね、点字にするとか、音にするとか、あるいはデータにするとかという形で、提供することにも援助を、大学のほうからしてくれるようになった。
 いままでの学生同士のボランティアも、自分の周りにいる友達にボランティアでお願いしていたのが、最近では、大学の障害学生支援制度というのができまして、それによって大学の方が、支援するスタッフをアルバイトで時給いくらか、時給800円とか1000円とかのアルバイトで雇って、その学生が様々なサポートを実際にしてくれるようになりました。
 とはいえ、全ての大学が実現しているわけではなく、実現されている大学であっても、予算が決まっていて、決められた予算の中でするので、例えば、本をテキストデータにしてください、といっても、年間読みたい本が全部読めるわけではなく、年間数冊に限定されてしまったりして、やっぱりそれでも不十分な部分が現在でも残っています。
 ここまでは、全く見えない学生のことを中心に話をしてきましたけれども、弱視の学生の場合は、例えば、本、あるいは配布物を拡大コピーして配布するという風な形で対応することもありますし、データがあれば弱視の学生も自分でワープロでレイアウト設定して見やすくしてからプリントアウトしたりすることもできます。そういう意味でデータを活用したりして、あるいは本人ができないのであれば、誰かが手伝ったりという介助がされている。
 これらが非常に大雑把ですけれども、現在様々に行われているサポートの概要ということになるだろうと思います。

斉藤: 今のは、大学に入った後の話だけど、通うとか、受験とか、に関してはどうなっていますか?

青木: 大学に入ってからは、まだわりと融通が利く部分もありますが、受験というのはなかなか難しいところがあります。 例えば、点字もできないし、普通の文字も読めないという人ですね。とくに中途失明の人ですが。そういった人は大学入試がなかなか受けられない状況にあります。といいますのは、点字受験も全ての大学でできるわけではないので「受験したいんです」というと「いいですよ」、「すみません、点字がいるんですけど」といったら「点字の受験はないんですけど」ていうふうにいわれたりして。「いや、それでは受けられないんですけど」「受けてくれるのはいいけど、点字の受験はしていない」ということで、結局視覚障害、点字を使用している学生は受けられない、ということも現在起こっています。すなわち、点字ができないし活字もできない人は、そもそも入学試験自体が受けられないという問題が、今でも残っています。
 通学の介助についていうならば、これはちょっとまた別の話になってしまいます。今、障害者自立支援法という法律がありまして、さまざまな移動支援、ガイドヘルプと呼んだり、移動支援といったりいろいろ呼び方はありますけれど、外出をサポートするサービスがあります。家からどこか出かけるのに介助してくれるサービスです。しかし、このサービスを通勤とか通学に使うことができないんですね。学生の場合は、例えば、休みの日に買い物に行ったり、映画を見に行ったりするのにガイドヘルプを使って出かけることができますが、大学に通学する、毎日の大学通学に対して、そのガイドヘルプを使うことはできません。
 じゃあ、大学がやってくれるのかというと、そうはなっていません。大学は、教室の移動の介助はしても、それは学校に来てからの移動であって、学校に来るまでの移動というところまでは、大学の方ではできない状態にあります。じゃあ自宅から大学までの介助を誰がするのか、というところは、現在のところ両側の溝になっているところだろうと思います。これについては、解決はされていません。
 ですので、実際には、ボランティアの方がされたり、あるいはご家族の方が補っておられたりします。一人で大学へ通えない人の場合は、ご家族だとかボランティアの方とかが、実際に協力しなくてはならない状況に現在もなっています。

斉藤:  詳しくは、後の質問等でこれはどうなっている、と聞いていただければと思います。
 今の話に関連して昨年の座談会のとき、星加君がいったことが、印象に残っています。お店、食べ物を食べに行くお店がどうしても決まっちゃう。一回行った所でないとなかなか行きづらいと話してました。そもそもお店の造りもよく見えないわけだし、メニューもわかんないわけだから、なんとなくやっぱり引きこもり気味になるんですよね、という話でした。
 これからは、具体的に大学に学んでいる中で出てくる問題を具体的に話していただきます。ここに並んだ皆さんに、大学で学ぶという中で感じたこと、経験を15分ほどでご紹介をお願いします。

植村: 先端研の3回生に在籍しています、植村といいます。よろしくお願いします。
 今、斉藤さんから、去年の障害学会でのポスター発表の話をするようにということだったので、今日のために用意した配布資料は後においておきまして、そちらの方の話をしたいと思います。去年の障害学会のポスター発表の資料は配布されているか分からないんですが、それに即した話をしていきますので、聞いていていただければと思います。
 僕の現在の視力は明暗がわかる程度です。配布資料ですとか、本とかを紙のままで読むことはできないので、それをテキストデータ化して読んでいくという方法で、授業を受けていきます。その中で大学から、どういった支援をしていただこうか、という相談をまず持ったわけです。
 僕が先端研の入試を受けたのは2005年の秋のことです。10月に先端研の入試に合格して、2006年度から入学するということが分かっていたものですから、2006年2月くらいに先端研の先生ですとか、事務の方との話しあいの時間をもって頂きました。そこで、僕が入学して以降に、どういった支援が必要か話し合いをしたんですね。その時に、今申し上げたように、文献のデータ化が必要であるということを申し上げて、大学の方からも理解していただいて、じゃあ何をしたらいいかということで、まず設備としてパソコンとスキャナとOCRソフトが必要であるということになったんですね。パソコンとスキャナとOCRソフトというのは、設備費ということで、最初に購入するとすむわけですので、まず購入しようという話になりました。どこの予算から買っていただいたのかは、よく分かっていないのですが、購入していただきました。
 買って以降が問題なのです。本をデータ化していくための人手と、その作業していただいた方へ支払う人件費が必要であるということになって、これをどうするかという話になったんですね。人手はまず、同じ先端研に同期に入学した人から、ご協力いただこうということで、授業なんかも一緒に受講するわけですので、そういう中で一人一人声をかけていって順番に人手を、いわばかき集めていったという感じでした。その方々に、人件費としてお支払いするために予算が必要ということで、これは大学でつくっていただきました。というのは私立の大学には、私学振興財団から障害学生の就学支援のための予算が出ているらしいんです(註)。障害のある学生を一人入学させると、大学によっていろいろ違いはあるみたいですが、大雑把に言うと200万円でているらしいですね。で、立命館に障害のある学生って言うのは、今ここには3人、先ほど帰ったバシールさんも含めると4人ですね、学部生も含めるとさらに多くいるわけですので、人数×200万円ですので、相当な額が私学振興財団から立命館大学に来ているものと思われるんですね。その中から、障害のある学生ひとりに対して、年間48万円の枠の中で支援をする、ということに立命館はなっているらしいです。何でそういうことになっているのかわかりませんけど、200万円から48万円ですので、4分の1ですね。とりあえず、48万円の中で人件費に充てようということになりました。僕の予想としては48万円では、到底足りないなと感じたので、当初にもそのことを申し上げたのですが、まずやろうということで、やったわけなんです。2006年の4月から7月にかけてのことです。
 2006年9月に、それまで立命館にあったボランティアセンターから障害学生支援室が独立し、立命館に在籍する障害学生の支援を一手に引き受ける、という形になったんです。その障害学生支援室が企画して、そういった文献のテキスト化の作業をする人を養成する講座が、9月、10月と開催されたんですね。それによって学部生が中心ではあったんですけど、人手が一気に増えたわけです。個人的なつての中で、半年で集めた人手が結構な人数が集まったんですが、その方々と、支援室が10月に養成した学生さんと、二所から人手が集まったので、結構な人数になったんですね。そういうことで、2006年度後期は比較的順調だったんですね。
 人手がたくさん集まって作業が順調に運び始めると、予想通りのことが起きてくるわけです。たくさんの文献がデータ化できていくものですから、それに対して、謝金、バイト代をたくさん支払わなければいけなくなったんです。どこにでもある話だと思うんですが、作業した方々には、どれだけの仕事をしたか、随時申請書を出してくださいとお知らせしてあったんですが、申請書の提出は締め切り直前に集中したわけですよ。年度の途中には、誰に対して、いくら支払いが生じているのか、全然把握できなかったんですね。僕もそうですし、大学の障害学生支援室もどこも把握していなかったんですね。3月が締め切りなので、すぐに申請書を出してください、という連絡を2月後半くらいにしました。そしたら、2007年の3月9日だったかな、大量の申請書が殺到しまして、最終的に合計金額が120数万円になってしまったのです。48万円では到底足りるはずはないというのは、当初から想像していたんですが、ここまで多くなるとは思っていなかったんで、どうしたものかと、いうことになりました。解決策としてまずやったことが2006年度の48万円と、2007年度分の48万円を前倒しして支払うということです。これによって96万円の支払いが完了したわけです。残りの20数万円、30万円弱は、これはどこからも捻出できませんでした。先端研は5年一貫性の過程なので、2008年分も前倒しすればいいのに、と僕は思ったわけですが、それはできないということでして、20数万円の支払いは焦げ付いたわけです。どうしましょう、と言われても、ないものはしょうがないということで、私個人のお金で支払ったというのが、2007年の3月末から4月までに生じたことです。
 当初の予定では大学の予算で支払うことになっており、私自身が負担するということは、想定されていなかったものですから、僕としましては、寝耳に水でした。払わなくて良かったはずだったお金を急に払えという、それも20数万円という結構な額ですね。払えなくはなかったので払いましたが、気分としては詐欺にあったような気分でした。詐欺にあった、といって怒るには怒ったのですが、とりあえず払ってここでは話は終わったんですね。
 問題は2007年度です。2007年度も僕は在学しているわけですので、受講なり、研究を遂行する上で、同じように文献のデータ化は必要となるわけですが、そのための予算がなくなったのです。2007年度分を2006年度に前倒しして全て使いましたので、2007年度は大学から私に割り当てられた予算は0になってしまいました。0じゃ困るからなんとかしてくれ、という申し出はしたんですが、なんとかしてくれといわれてもないんだ、と断られまして、2007年度は、大学からは何の支援も得られないまま1年間を終わりました。予算がなくても、文献のデータ化をしてもらわないと、僕としては授業にも出られないので、2006年度に20数万円支払ったように、私が私費で支払いますので、障害学生支援室に登録されている、養成講座を済ませたデータ化をする技術を持っている人に対して作業を依頼したい、とお願いしたんですね。それに対して、障害学生支援室の返答は「障害支援室は人材斡旋をする機関ではないので、そういうことはできない。」と断られたんです。じゃあというので、もともとボランティアセンターでスタートしたわけですし、現在もボランティアセンターは併設されてるわけですので、無償で協力してくれる人を探して欲しい、といいましたところ、「案内はするけれど、人手が集まるかは分からない」と言われました。障害学生支援室が有償の作業を依頼している一方で、ボランティアセンターが無償の作業を依頼しても、人手が集まるかどうかは約束できない、というふうにいわれたわけですね。ずいぶんな態度をされてきたわけです、2007年度は。
 「人材斡旋のためでないから」と断られたんですけども、障害学生支援室は一方で、文献のテキストデータ化をするために養成講座を行い、そこで養成された人材を障害学生支援室の登録スタッフとして登録させ、その人たちにのみテキストデータ化の作業を依頼するという、閉鎖的な形で作業の受注発注をしているわけなんです。いわば人材養成までして、その人たちに仕事を斡旋するという形をとりながら、片方では「人材斡旋のためでないから」と断ってくるという、一貫性がないというか、ずいぶん話に齟齬のあるという言い草で断ってくるという対応を、1年間され続けました。
 今年度2008年度になって、2008年度分の予算は、前倒しして使わなかったので、とりあえず48万円はあるということで、今現在、いまは順調にデータ化を依頼して協力してくださっているわけですけども、「48万円から増額してほしい」という依頼というか要望はいまだに応えられていないものですから、今年度も恐らくまもなく、上限を突破するわけです。その時点で大学がどういう対応をするかが問題です。恐らくまもなく、またトラブルが発生するというのが現在の状況です。

斉藤:  植村さんは、手元のパソコンにあるメモを音声で聞きながら話をしている、ということですが。方法について紹介してくれませんか。

植村: 今、パソコンと、これと二台機械を並べて話をしています。パソコンは、青木さんが話されたように、画面にでている文字をパソコンが読み上げてくれるソフト、スクリーンリーダーあるいは音声ソフトと呼ばれていますが、それをインストールしたものです。こうやって耳にイヤホンを突っ込んで、パソコンの音を聞きながら、音というのは自分で作ったレジュメなわけですけれども、それを聞きながらお話していたということです。
 こちらにあるのは、ブレイル・メモ、という機械です。

斉藤: ブレイルって点字のことですね。

植村: ブレイルは、点字のことです。メモはメモ帳のメモですね。キーをカタカタッと叩くとここに点字が出てきます。入力されたデータは点字のデータとしてこの機会の中に保存されます。パソコンでデータを入力するのと同じような感じで、点字のデータがこの中のハードディスクに保存されているということです。この機械にはケーブルをさすところがあって、ケーブルでパソコンにつないでデータのやり取りもできます。主にこの2つの機械を使って授業を受けています。

斉藤: 僕が30年前に大学生だった頃は、こんな機械を見たことありませんでした。こういう機会にいろいろ説明を聞きたいと思いました。ブレイル・メモを持ってる盲人を、見かけることが多くなりました。お弁当箱ぐらいの大きさの機械です。ヒシャム君も手元に置いていますね。直接プリント・アウトできる機械もあるんですよね?

植村: この機械をプリンターにつなぐ場合は、これから直接ではなくて、パソコンにつなぐことになります。パソコンを点字プリンタという大きな専用機械につなぐと、ブレイル・メモに打ち込んだ点字データを、点字プリンタで印刷できます。

: 植村さん、ブレイルメモは直接、点字プリンタにつなげて点字を打ち出す事もできますよ。

植村: 直接につながるのもあるんですね。

斉藤: 次は、機械の話を、機械の専門家、本職の方、ご説明お願いします。

:  私は「韓(ハン)」と申します。17年前に韓国から来日しました。立命館大学の近くにある京都府立盲学校で、針灸師の免許を取るために来日しました。免許取得から関西学院大学で、実験心理学を学び、現在はなぜか日本でサラリーマンをしながら、支援工学に関する研究を行っております。
 私自身は弱視者ですが、本日初めて私を見て「あの人目が悪かったのか」と思われた方もいらっしゃると思います。普通に道を歩いていたり、生活をしていると、周りから私が目が見えないという事に気づく人は殆どいないと思います。親もよく私は普通に見えているものと認識している時が多いようです。
 それは、好都合なときと不都合なときがあります。弱視者は、目が不自由である事を言葉でアピールしない限り、全盲のように杖や行動などで認識して頂く事は大変難しいです。
 私がよく遭遇している不都合な一面をご紹介しますと、銀行などで、お金を振り込んだり、口座を開設する際に、目が見えづらいので、代筆をお願いしますというと、普通に歩いて来て何ら目が悪くは見えない外国人がいきなり代筆をお願いしている事にとまどいつつも「よく漢字が書けないんですねー」と自己流の解釈で納得して頂く場合と怪しく思われ強固に断られる場合があります。
 最近はATMから自分のキャッシュカードを使い振り込みをしたいので、ATMの操作を手伝って下さいと頼むようになり大変スムーズに銀行の用事が済まされるようになりましたが。お金が関わる銀行などは、下手すると銀行員がえらいことになる可能性もあり、規定上代筆が出来ないという事も銀行員からよく聞いておりますので、銀行に行くときには、かなり緊張するんです。どないして、私が見えないことを理解してもらい怪しい人間ではない事を理解してもらえるかなーと考えると結構なストレスになったりします。
 飛行機などを乗る場合も同じで、一人で歩けるのですが、飛行機の中の座席番号が見えないので、常に悩みます。手引きを頼むとここまで普通に歩いて来たのは理由があるのだ、あるいは歩けるが少し番号が見えないのだ、などとそれなりの説明が必要です。十数年前に、海外で目が見ない事をお伝えした所、車椅子を準備された事もあり、空港でのちょっとした助けを求めるのがしづらくなりました。いろんな形の人が世の中にはいる事をもっと交通機関や公共機関など知って欲しいものです。
 弱視者は、常に見える人と見えない人との境界線に生きていますので、今日は主に「境界線に生きる障害者」という立場で支援とは何かについて話ができればと考えています。
 特に、自分の経験を交えながら3つの話題について触れます。一つは韓国における視覚障害者の例を取り上げ、障害学生支援のプロセスについて考えます。二つ目は石川准の「配慮の平等」という考え方を立命館大学の障害学生支援のあり方に適用してみます。最後に、「大学の支援」は社会にどう反映され、どうつながるのか、という私の考えを簡単に話しできればと思います。
 韓国の視覚障害者と日本の大学での経験を話す前に、自分の経歴を簡単にいいますと、1992年に来日して、京都府立盲学校で3年間鍼灸課程で鍼灸マッサージの免許を取りました。大学準備のために一年間、京都府立盲学校の浪人課程で勉強しました。正式には専攻科の中にある普通科というところですが、全国でも京都府立盲学校にしかない1年で終了する課程です。因みに京都の盲学校はフランス盲に次いで、世界2番目の歴史を持った盲学校でもあります。
 それから、関西学院大学では6年間学びました。修士課程では実験心理学を専攻し、生理心理学会開設の歴史を持つ大学でもあったので、視覚障害者の言語活動に関する脳波活動を取って研究を行いました。
 修士課程後は、FMわぃわぃ(FMYY)で、運営委員や韓国の情報を伝えるDJなどをしながら、盲学校で音声関連情報機器の研究をしておりました。
 その後、松下電機を早期退職した研究者や技術者が結集し立ちあがったアスク研究所という所で、点字ディスプレイ開発に携わりました。
 本会場で植村さんや、ヒシャムさんがお使いになっているブレイルメモは現在勤めているKGSが開発しているものですが、アスク研究所で開発した「アスクてんてん」という点字電子手帳は事業的にはそう振るわず現在の会社に移る事となりました。
 大学の時から、視覚障害、触覚、支援機器というテーマで研究・開発を続けている事から、現在は視覚障害者に関連した支援工学について研究を進めております。
 今の仕事内容も支援技術の開発や触覚刺激装置(脳研究のための実験装置)の開発を行っている事から、福祉工学の研究やユニバーサルデザイン、支援技術開発者とユーザーのあり方などにも興味を持って研究を進めております。

【韓国における視覚障害学生の現状と課題について】
 それでは韓国の視覚障害者の話を例に大学の支援について考えていきます。私が韓国の盲学校に在籍していた時代は、盲学校の高等部には進学校のような一般課程がありませんでした。
 全国に15程ある盲学校全てで、高等部からは、按摩・マッサージ・指圧・鍼灸課程になります。
 盲学校の高等部を卒業すれば自動的にマッサージの資格が得られるので、憲法の拡大解釈で鍼灸の仕事もできるという形となります。
 私は1992年に来日しましたが、1990年代半ば頃からソウル盲学校をはじめに韓国の盲学校の高等部にも普通課程ができ、鍼灸課程は日本の専攻科のように高校を卒業して入るシステムに変わり始めました。
 1995年に制定された、大学入学選抜試験に大きな変化がありました。それは、アファーマティブアクションとしての障害学生特例入学制度というものでした。
 私がいた盲学校は当時創立45年ほどの歴史を持っておりましたが、45年間で、大学に進学出来たのは合わせて5人もいませんでした。ところが、障害学生特例入学制度が出来てからは、クラスの半分近くの4〜5名が大学に進学するようになりました。
 盲学校のカリキュラムや大学の受け入れ政策が変わることにより、急に多くの盲学生が大学に進学する事になったのです。
 元々韓国の盲学校では英語や数学の授業が殆ど受けられない事や、一部の大学のみが、点字受験を認めていた時代が続いていたのですが、大変急な大学の門戸開放に私自身とまどいました。大変大学に入学したかった事もあり、韓国の大学に再チャレンジしようかと何度も考えたものでした。
 大学について色々調べているうちに、私の場合、留学生は日本語ができれば日本の大学に入りやすいという話を教会に来ている晴眼の留学生から聞きました。日本語なら自信がありましたので、結局日本の大学にチャレンジする事になりました。
 韓国から日本に来ている周りの先輩・後輩の視覚障害者の日本語は大変ハイレベルでしたので、目が悪い分やはり耳が発達するのかなーと考えておりましたが、日本語と韓国語は漢文化圏の言葉として大変似ている事もあり、更に韓国語は使えない盲学校の寄宿舎という環境に数年も住むという事が日本語のうまい秘訣になっているのだと感じました。
 話を戻しますが、韓国の高等教育機関で一定の比率の障害者が定員の枠外で入学できるAffirmative actionとしての特例入学制度は障害学生が増えた最も大きな原因となりました。それは、1980年代の障害者運動や、政策立案者にアメリカ留学帰りが含まれていた事もあり、Affirmative actionは障害者雇用制度にも広がりを見せました。
 障害学生の高等教育の機会を保障するために高等教育機関で一定の比率の障害者を定員外で受け入れる特例入学制度は1995年に始まりました。
 「少数者優遇政策」ともいわれる、Affirmative actionは、障害者雇用促進に重大に影響を及ぼす高等教育の機会を増やし、社会参加を増やすことで差別をなくしていくという考え方から、現在、韓国で年間50人前後の視覚障害学生が一般大学に進学しており、その効果は絶大なものとなっております。
 日本の視覚障害学生の大学進学率と比べても、韓国の方が現在は高い水準となっております。特に筑波技術大学のように障害学生を専門に受け入れる大学が設立されたものの、殆どの学生はそのような特別な学校ではなく普通の学生用に作られた学校に通う事を強く希望している状況です。
 韓国の大学における視覚障害学生の支援について話を移します。特例入学制度で視覚障害学生を受け入れたものの、学校側のサポートは基本的はありませんでした。
 サポートについて3点注目すべき観点があると考えられます。
 1点目は、入学した視覚障害者の学生自身が、大学が何かをやってくれるとか、くれないとかといったことに関して疑問を持たなかった、というのがあるんです。今困っているのは自分の問題であって、学校、社会、あるいは制度の問題であるという認識が確立してなかったわけです。
 2点目は、ボランティアや周りのサポートで学生生活を送っていた学生たちは、「このままでは勉強できないんじゃないか」という疑問をだんだん持つようになりました。そこで、大学によっては学生自身理論武装し、学校側に対して学生支援を求める声を上げ始めます。市民デモや障害者運動など、それなりに強い主張を展開する韓国ということもあり、主張が障害者運動に繋がるなど、学校側からすると受け入れらない高い水準の要求を突き付けられる事になります。
 3点目は、主張が強すぎたために「障害者をとらない」という大学が、実際に出てきました。そのような経緯もあって障害学生側も主張の仕方について慎重に成らざるを得なくなります。現実よりは一方進めるという大学側からすると、ある程度論が通るような主張をしていく必要を感じ始めます。お互いに学習していくんですね。
 現在もボランティアや友人・知人・親族などのサポートで学校生活を送っているケースも多い現状ですが、2000年に入り、テグ大学をはじめ、障害学生サポートのための支援室や制度を整えようとする大学も現れはじめました。
 ただ、大学における支援は日本においても研究テーマとして取り上げられるようになりましたが、韓国においても障害学生が多く在籍している大学を中心に支援の在り方に関する研究会などが行われています。
 立命館大学も支援室があり、専門支援員が常駐していますが、支援を必要とする人に十分支援が届かない問題点を植村さんが指摘したように、韓国の場合一つの大学に数百名の障害学生が在籍している大学などは特に個別支援に関する問題が重要な課題となっております。

【配慮の平等】
 次は、「配慮の平等」というキーワードを用いて現在の立命館大学の障害学生支援の一側面を考察したいと考えます。
 現在、立命館大学で社会人ドクターとして研究を行っているという自分の立場から話を申し上げます。私の場合も、研究のためにはテキストデータが必要になってくるんですね。一応点字も読めますし、音声も使えるんですが、テキストデータの方が何でもできる、点字でも出せるし、音声でも読めるし、拡大して読むこともできるので、非常に有効性が高いんです。
 関西学院大学では点訳や朗読などのボランティア活動は充実しておりましたが、支援室によるテキスト化製作作業はありませんでした。当時、テキスト化や自動点訳化による支援を提案した学生もいましたが、障害学生内の意見が一致せず、テキスト化の提案は却下となっておりました。
 去年、立命館大学に通う視覚障害学生の青木さんから、必要な本を障害学生支援室に持って行けば必要なデータ化の作業をしてくれるという情報を頂く事が出来ました。
 大学もいろいろ制度があって、いろいろ発展しているんだなと感じたものです。私の場合、15年程前は、眼が悪いということで立命館に受験を断られているんです。心理学は眼の悪い者は無理だというので、強硬に断られ、受験すらさせてくれなかった大学だったのですが、社会人として研究の機会を頂いている現在は、立命館の支援制度に大きな関心を持っています。支援室との連携がうまく行けば研究活動に大変大きな影響を及ぼしうる立派な政策だと考えたからです。
 ところが、私の場合、埼玉で平日は仕事をしながら、研究活動を行っているため、本を支援室に持って行くアクセスに問題が生じています。サラリーマンなもんで平日に休む事が出来ず、土日は支援室が開いていない状態なのです。
 その上、支援室がオープンする前は土日も空いている図書館に支援機器が入っておりましたが、支援室が形を整えるようになってからそれらの支援機器も支援室の中に納められるようになり、支援室の業務時間内にしか使えないという矛盾した現象が起きました。
 誰のための・何のための支援室なのかという疑問を持たざるを得ない場面でしたが、青木さんを始め、支援室の都合のみで、現状を考えてない行政だと強固に反論を申し出ましたが、変わる事はありませんでした。
 仕事を持ちながら研究活動を行う事自体そう簡単な話ではないと考えますが、遠隔地で障害というハンディまで持つ私にとっては、支援室へのアクセス問題の解決は当面の解決すべき問題でもあり、支援というものを考える上でも私にとっては大変重要なものでした。
 支援室が現状を理解し、打ち立てられる対策はないのかと昨年は随分電話やメールで協議をしましたが、「仕事を持っているために平日に学校に来れないという事情は、障害からくる問題ではないため支援室が解決できる問題ではない」という立場なのですが、私の主張は少し異なっていて、社会人であっても目に障害がない学生や社会人ドクターは、障害学生支援室を利用しなければ本が読めないという煩雑な変数は入らないこともご理解頂きたいと主張を続けました。
 初代障害学会会長を勤められた全盲の研究者石川先生の「配慮の平等」という考え方を使わせて頂くと、普通の人が印刷物の本を読めて、障害者は読めない。視覚障害者は本を読むために配慮されて、初めて本が読めるようになる、というのが一般的な考え方ですが、この考え方はそもそも「配慮」という言葉の前提が間違っているんだ、という理論なんです。どういうことかというと、目が見える人にはすでに本が読めるような「配慮」がされているがために本が読めているわけで、視覚障害の人はまだ配慮されていないんだという考え方なんですね。
 この考え方を使って説得を試みたり、「合理的な配慮」という言葉を使って説得を試みたりもしましたが、結局、支援室からは仕事範囲外なのであり、支援室が本を借りるという作業は事実上無理との反応を示されたので、私自身も主張を弱めて、作戦変更を余儀なく強いられる事になりました。
 何とか一方でも前進させたかったのです。研究に本がない状況は大変困るからです。図書館との連携で、私が図書館で本を借りるという手続きをとれば、支援室の方から図書館まで本を取りに行く事が可能かどうかから再度打診しました。
 支援室側は、図書館まで本を取りに行く作業は可能であるとの意向を今年始めに示されるようになりました。一歩前進というところでしたが、やはり埼玉から本を借りに京都まで行くのは大変難しい事もあり、学会発表などに使う本は、埼玉から購入した本を郵送で送り読める本に直していただく作業を行っております。
 図書館機能を使う事は事実上難しくなった形ですが、可能な限り、このような状況は学校全体の問題として取り扱う必要があると考えます。生存学というMLにもこのような問題提起を行い、数名の研究員からお手伝いしたいとの意思を表明して頂いているところです。
 社会にはこのような問題は他にもよくあるものです。
 駅などで設置されている触覚地図などは視覚障害者のためのものであっても、視覚障害者のためにはなっていないと言われております。見えない視覚障害者にとって触覚地図が設置されている場所までたどり着けるアクセスが困難だからです。駅によってはここに地図がありますという音声案内が流れる場合もありますが、殆どの場合触覚地図があるかないか確認する手だてがないまま設置されているため、目的としての使い方よりも視覚障害者の存在を社会にアピールする効果のみとならざるを得ない状況であります。
 国の政策も似ているところもありますが、立命においても障害学生支援の有無や支援室の取り組みなど自分が調べない限り情報を頂く事はありません。
 そして、今回のようないくつか複雑に絡み合った問題となると、どちらの責任でもないため、総合的な協力関係なくしては、問題解決に至ることも出来ません。
 今のところ教員や学科事務などからの反応は得られていない状態ですが、しっかりした学校体制としての取り組みを必要とする問題なのかなーと感じております。

【境界線に生きる視覚障害者】
 私は弱視者であるため、先ほども言いましたように自分が困っていることをアピールしない限り振り向かれない立場を説明しましたが、境界線に生きる弱視者の生存の生態学的な話を少しして、最後の話に結び付けられたらと考えます。
 私が弱視であることから起きる問題についてさきほど話しましたが、大学の中での弱視者、社会の中の弱視者、盲学校の中での弱視者、という自分の立場を、説明します。
 中学生2年の時に緑内障という病気で手術した後、黒板が見えなくなっていたので、中3から韓国の盲学校に移りました。盲学校に移る前に、黒板や文字が見えないくらいで、盲学校に入れるかと両親に聞いた事があります。自分でも分からないし、親もよく分からないので悩んだところでした。
 盲学校に入ってみてびっくりですが、自分よりよく見える人間がたくさんいたんです。びっくりされるかもしれませんが、京都府立盲学校(日本)の場合も同じ現実です。
 盲学校には、全盲より弱視者の方が多いんです。弱視者が多目の学年だと約7割が弱視者だったりします。盲学校なのに、その7割の生徒は普通の文字を使って勉強しているのです。拡大のような特別な支援もいらず、紙面に目を近づけば見えるという人も多いのです。
 盲学校の中での弱視者の立場は大変微妙なものですが、移動の際には、弱視者は全盲の同級生の手引きをしたり、ものを落とした際には拾い上げる役割をし、少しリーダー的な立場になろうとする傾向があります。
 ただ、弱視者はやはり中途半端に見えていることから、文字が見えているものの、本を読むためにはかなりのエネルギーを使いますので、全盲者のような点字という負荷(メンタルワークロード)の少ない文字手段を持たないのが問題となっております。
 そのせいなのか、7割の弱視者がいても大学に進学する比率は全盲が多い事がよくあります。
 盲学校とは異なり、弱視者にしんどい経験は、盲学校の外、社会に出た時から始まるといえます。
 自分が見えにくい事を常にいうかいわないか場面場面使い分けが必要だからです。
 自分が見え辛いことをアピールしてたいして利益が得られない場合、マイナスになると考えられたときには、見える人として振る舞いを行います。
 必要に応じては見えないことを告白し(言って)助けを求めたりもします。私の場合は見えないという説明が困難な時は、見えない問題ではなく、ATMの例のように機器の取扱が分からないという能力の問題として相手に伝えた方が簡単でスムーズに問題解決される場合などもあります。
 自分の弱視者としてのアイデンティティ(生きるテリトリー)をどこに置くかその時々使い分ける必要があります。障害者になってみたり、普通の人になてみたりと、常に境界線が変わるわけです。
 これ現実は一生続くわけで、一生自分は何者か、というモラトリアム状態に近い世界で生きている気がします。
 社会の中でも弱視者や目の不自由な軽度障害者は、全盲よりも圧倒的に多いはずなんですが、社会問題として、福祉の対象として、あんまりクローズアップされないのは、いくつか理由があると思われます。
 一つ目は、自分がわざわざ見えない者であるということをアピールする人が少ない。できれば自分は普通の人、普通の一般人として生きていきたい、という考えを持った人が多いように思います。
 二つ目は経度障害者に比べ重度障害者は、支援の対象として見たときの必要度が高いものとなるため、政策は重度障害者優先のものにならざるを得ない現実もあるように思います。
 境界線に生きる視覚障害の一人として、大学における視覚障害研究者への研究支援はどこに結び付くべきかを述べて終りにしたい考えです。
 支援のあり方を考えると大変難しいテーマにならざるを得ないことを述べましたが、支援はどこにどのように結び付くべきかという議論があまりなされない事から一言申し上げられたらと考えます。
 植村さんの方から、立命館大学における支援の現状と課題について話されましたが、私が問題提起として選んだ題材は大変曖昧な問題である事は事実です。
 本当は、本を買って支援室に送ればいいやんという、以外と簡単な解決策があるようにも思えます。
 正直なところ、はたして自分の主張が正しいのかどうか、どのように主張し図書館の本を正当に借りることを可能にし、それらの本を普通の学生や研究者・教員のように読めるようになるのかと考えていくと、大学内の一部の部署と解決策を論じるのではなく、いわゆる境界線に位置しうる問題を流行の学際的に部署を超えた議論あってこそ問題点の認識と解決に向けて前進もありうるのかなーと考えたりします。
 今年に入り、植村さんの助けもあり、私が借りたい本のリストを植村さんに渡し、植村さんの図書館カードで本を借り、支援室に持って行くという、制度の不備を埋めるための間に合わせ連携策を使っておりますが、植村さんが学校にいなかったり、ご都合が悪いときは、本のデータ化は進まなくなる現実を考えると支援の始まりは最も必要性を認識している当事者間により始まることを多くの場面で再認識するこの頃ですが。
 曖昧な問題、曖昧な立場に生きる軽度障害者の一人として、曖昧な問題に疑問を持つことから、曖昧な問題解決の一方になることも今回話を通して自分自身気づく場面となっております。

【大学における支援の幅を増やし、将来につなげよう】
 学習支援と研究支援の方法論が異なるように、大学生活における学生支援の範囲は多岐に渡ると考えられるので、自分が初めて大学生になったときのもっとも不安に感じた諸側面を述べます。
 私は、中学3年生から高校3年までの4年間韓国の盲学校生活をしました。その後、日本に来て4年間京都府立盲学校で在学・在寮しました。その後は、関西学院大学に進み4年が大学寮で生活を送りました。
 韓国から日本、そして、盲社会から、一般社会へと激しい変化に戸惑いつつ、適応するための努力をして参りましたが、大学に入って感じる不安の大きなものに、障害を持った自分を周りが受け入れてくれるのだろうかということでした。わかりやすく言うと、友人と恋愛の問題になると思いますが。ずっと盲学校の中で、黒板のない世界で生きていた自分が、普通の人とちゃんとやっていけるんだろうかと不安になったものです。
 実は大学生活における学習支援問題は二の次でしたが、大学に来てみると、受験の際、特別受験(点字や拡大文字)をしたのにもかかわらず、どこからも声がかからないことに不安を感じました。
 点字など使っているので、大変珍しいものとしてもすぐどこかから呼ばれて何か支援が必要ですか、と一言聞いてくれるもんやと考えておりましたが、その見通しは完全にはずれでした。
 文学部事務所に言って学習支援が必要ですがというと教務課に行けというので、教務課にいって「見えないんですけど」と言ったら、「あ、そうですか」みたいなかんじでした。
 「本当に見えないんですか?」という感じでした。
 しばらく経って今度は杖を持って教務課や文学部に行って見ました。見事な態度の変容にびっくりしつつも笑いそうになりました。杖を持つ効果はあまりにも絶大だったので、しばらく杖をついて歩くことにしました。
 実験の多い学科だったので、学科教員のサポートも絶大なものとなり、「白杖万歳」という感じでした。
 私は学習支援も重要ですが、盲学校から大学に入る学生の不安感に対するケアが必要だと感じました。何かカウンセラーを必要とするものではなく、一言関心を示して欲しかったというのが正確な気持ちですが、プライバシーの問題や、入学してからが本学の学生ですという立場を見直さない限りこのような支援は難しいのかなーと感じました。

【おわりに】
 韓国の特例制度に大学入学者数が増えた効果として、マッサージや針灸の仕事以外の職種に進出する視覚障害者のパーセンテージが増えている事や国会議員が誕生し、当事者問題を積極的に解決しようとする動きなどを考えると、大学における学習支援や研究支援は学校を卒業したその後の社会人としての人生設計に大きな影響を及ぼしうるものと考えられます。
 研究支援がどこに結びつくかというテーマについても今後考えつつ、社会との関係をより深く考える必要があると思っています。大学が支援の申し出にお断りの際、理由らしきものとして、「社会はもっと厳しい。甘やかす訳にはいかないんだ」とよく言いますが、いやもう社会人やっているので、それは心配されなくてもいいんですとお答えしましたが。
 植村さんも長年社会人やっていたし、青木さんは大学教員もやっているので、甘やかす訳にはいかないという理由の断り方はやめて欲しいなーと思ってますが、問題は盲学校などでもよくある現象ですが、責任感が強く、正義感にあふれる新人の先生ほど、パターナリズムも強く、実はそんな子供だったり、自分が守らなければならないという考えは少し違うというのを気づくまで、盲学生はなれるまではしゃーないよと、警戒心を強め、教員がこの世界に早くなれる事を願いつつ待つ様子をよく目にしたものです。
 ユニバーサルデザイン(UD)があちこちではやる昨今なので、UDの考え方を一つ引用すると障害者もそうでない人も同等な立場に立ち問題解決に取り組むべきであって、支援者のパターナリズムにたった姿勢をなくさない限り、甘やかす事への心配は取れないだろうと思います。
 UDでも学際的な考え方でもいいのですが、支援をもっと広い視野を持って、お互い相互行為の中での支援が必要になると考えております。

斉藤: 後半でやるはずの話もずいぶん入っていましたね。
 韓さんの、わざわざ杖ついてみせるっていう話を聞いて思い出したことがあります。僕自身は、実用上の必要があって補聴器を着けています。とある聴覚障害者が「(補聴器を)着けてみせる」と言っていたのです。聴覚障害者もだいたい見ただけじゃ分からないから、「聞こえていないんですよ」てアピールとして「補聴器を着けてんですよ」って言っている人がいました。
 続いて、青木君に話したもらった後、最後にヒシャムくんの話を聞いて休憩します。

青木: 韓さんから杖の話が出ました。僕は割りと意識的に杖を持ってるんですね。今日も持ってきました。
 僕の場合も弱視です。ただ、韓さんより見えていないと思います。点字を使うか使わないかくらいの視力だ、と初めからいわれています。ちなみにこないだ測ったら右が0.04でした。左は全く見えません。以前よりも視力が下がっているんですよ。前は0.05か0.06くらいあったんですけど、下がっていました。でも自分では自覚症状はないし、進行性でもないんで安心しているんですが、専門の人に聞くと、「ああそれは単なる老化です」といわれてしまいました。多分視力検査の誤差だと思います。時間とかその日の体調とか、0.04と0.05の違いなんで、たいしたことはないと思っています。この状態をどうやって人に説明するのか、むずかしいですね。弱視ってわかってもらいにくいてのがあります。「見えにくいんですか、へえ、どうやって見えてるんですか」「どんな感じで見えるんですか」ていわれるんですけど、「普通に見えている状態」というのがわからないので、そうすると「見えにくいんですけどね」としかいえない。「雲がかかっているんですか」ていわれるんですけど、別に雲がかかっているわけではなく、はっきりしているんです。視力を説明すると、「僕がコンタクトはずしたときと一緒ですね」なんてこといわれてしまって、「君もコンタクトレンズ入れるとか、眼鏡かけたらどう?」なんていわれてしまうんですね。それで解決するなら弱視ではないのですが、解決しないということがなかなか分かってもらえないという状況があります。矯正視力は使えないということがわかってもらえなくて、「何でお前眼鏡かけへんのや」といったことをいわれることがあるのです。これは僕だけじゃありません。他の弱視者も経験あると思います。
 私が時計を見たりとか、本を読んだりとか、プリントをみたりとかしている状態を見ると、この人目が悪いな、と分かると思うんですが、実際に普通に歩いている状況だけを見てると、多分目が不自由である、ということに分かってもらえないと思うんですね。そこで、周囲にアピールする意味で白い杖、白杖を持つようにしました。
 杖を持って歩くようになったのは、大学に入ってからです。高校まで盲学校にいましたけれど、その頃は白い杖持っていませんでした。学校では持つように教育というか、持った方がいいよ、とずっと言われていました。盲学校の中にいると、白い杖は全く見えない人が持つものだ、という印象がどうしてもあり、また自分は少しだけど見えているんだ、という意識があって、自分が持つべきではないと思っていたのです。大学の先生に、持つように言われて、杖を持ち歩くようになりました。
 大学に入ったとき、韓さんが「ほったらかしだった」というふうにおっしゃっていましたが、僕もよう似たもんでした。自分の方から申し出て、サポートしていただかなければならなかったという状態でした。最初は、誰に何を言ったらいいか全然わからない状況で「え、なんかよくわからないな」と思っていたんです。教室の一番前の席で、単眼鏡という望遠鏡を使うと、何とか黒板を見ることはできましたので、授業では、一番前のなるべく真ん中に座って聞いていました。もっとも大学の授業って、特に申し出をしなくても、一番前の真ん中はたいていあいてますから全然問題はありませんでした。中には座席を指定される先生もいましたので、その場合は、先生に直接「実は私はこういう事情で、前の真ん中じゃないと見えないんです」てなことを個別に言って、工夫をしてもらうようにしてきました。  ただ、視覚障害がある人たち、あるいは視覚障害があることが当然のような世界で当たり前だったことが、大学というそうでない世界にきたときに当たり前じゃないんだなということを感じました。
 試験のとき、大学の定期試験のときに「これくらいの文字なら読めますよ」という見本を持っていったことがあります。その時、「フォントのサイズはこれくらいで」てなことを言って、「見本のプリント、こんな感じなら読みやすいんです」てなことを言ったら、担当者が、「分かりました。では試験の問題は拡大コピーして配りますね」とおっしゃったので、「じゃあお願いします」って帰ってきたんです。試験会場に行ってみますと、模造紙くらいの大きさの試験用紙がドンと、配られたんです。一番初めの1年生の前期の試験の時です。「なんだこれは」と私が思っただけでなく、先生も「まじかよこれ」と思ったらしく、「ちょっとあんた、ホントにこれ使うの」みたいなこといわれたんです。僕が「何ですかこれ」と聞いたら、先生が「あなたの問題用紙ですけど」と言うので、もう一度「すごく大きいんですけどなんか貼るんですか、これ」と聞いたら、「イヤあなたの問題用紙です、これは」というやりとりがありました。机にのらない位大きかったのです。今から思うと、説明の仕方がまずかったんだろうなと反省しています。
 弱視への対応に慣れている世界にいると、これがおかしいということは当然のようにわかっているし、今日こられている方でも、それはなんとなく分かると思います。そうじゃない人にとっては、この大きさにしろ、どうしよう、じゃあ大きするしかないのか、物理的に紙を大きくするしかないのか、とそういうことになっちゃたのかなと思うのです。それ以降、要望を出すときには、紙の大きさはこれくらいまでにしてくれとか、というようなこともいったりしました。大学に入ってから、自分の視力とか、自分に必要な配慮が何であるのか、というものをどういう風に相手に伝えるのかを、本当にいろいろと、経験をするなかで勉強していったんじゃないかなと思います。
 最近は、視力の説明をするときには、何が見えて何が見えないかっていうふうに具体的に言うようにします。例えば、この部屋でいえば、机がロの字型にあって、人がほぼ隙間なく座っておられるのは分かりますけれども、何人いるか数えろといわれると見えない、という感じです。顔はぜんぜん見えませんし、人がいるっていうのもこういう教室の中だからこそ人だろうなと判断できるんです。例えば、これが服屋さんだった場合は、人がいるのかマネキンがいるのかわかりません。僕、実際にマネキンに声かけてしまったこともあります。ちょっと恥ずかしかったんですけど、杖をもっていると「見えないんだな、わかっていないんだな」ということで、恥ずかしさがちょっとましかな、と思うんです。  大学は基本的に、学内での支援を徐々にやり始めるようになってきました。その背景の一つに、今までは大学が個々に対応していたのが、2005年くらいから、日本学生支援機構という旧育英会の奨学金制度なども監督している文部科学省所管の独立行政法人が、各大学とか高等教育機関に対してさまざまな後方支援を始めて、大学の取り組みを支えるようになったことがあります。
 日本学生支援機構は障害者の学習支援についての部署を設けており、各大学の支援室で働くコーディネーターに対して相談にのったり、あるいはそのコーディネーターの研修会を開いて、大学に障害のある学生が来たときに、どのように支援していったらいいのかっていう問題を集約し、具体的なアドバイスを行っています。実際には、それぞれの大学の支援室スタッフのネットワーク化をして、意見交換の場を作っているという感じです。支援機構が何かしているというよりも、窓口同士をつないで、特に支援が進んでいる大学を拠点大学として、何かあれば相談しあう、大学同士が支えあうように支援するためにいろいろイベントを企画するということをやっています。京都では、同志社大学が拠点大学になっています。また全国の大学にどれくらい障害者が受け入れられているのかという全国調査も、日本学生支援機構がやっています。
 そういった流れの中で、徐々にそれぞれの大学が支援を始めてきているんですが、大きな問題が二つあります。現在支援されている学生たちの多くは、視覚、聴覚、肢体不自由のいわゆる身体障害の学生です。若干発達障害の学生に対する支援も始まっています。しかし、精神障害の人たちや内部障害の人たちに対する支援は、まだまだ不十分な状態です。また、あくまで学内の、しかも授業の支援という部分に限定されてしまっているという問題があります。どういうことかといいますと、通学に対する支援や友人関係などのサポートは行っていないということです。ましてや先ほど韓さんがおっしゃっていたように、恋愛はともかくとしても(笑)人間関係に関わる支援はやっていません。で、今日参加している視覚障害者は、私の知る限り、皆さん一人暮らしです。一人で生活する上でいろいろ大変なこともあるんですけども、生活に対しては、大学の支援ではなく一般の福祉制度、公的なサービスを使うというふうになっていて、双方の支援の連携が今でも不十分です。大学で「こういう生活でこういうこと困っています」と相談した時に、じゃあ、最寄りの福祉事務所に相談して、こういうサービスを使って、あるいは相談してはどうか、というアドバイスくらいしてもいいと思っているのですけども、その辺もまだまだ不十分なところがあります。逆に市役所側、公的サービスを提供している側も、現在のところ大学の中でどんな支援がなされているのかを知らないと思います。大学も市役所も、他方がどういった支援をしているのかお互いに分かっていないし、連携できていない部分だろうと思っています。
 私は、公的サービスのガイドヘルプはほとんど使っていません。時間を合わせて出かけるというのが結構面倒くさいのです。何とか人に道聞きながら出かけます。そんな時には、白い杖を持って歩いていると、「すいません、ちょっと見えないんで見てください」と言えて、聞きやすいんです。白い杖を持って歩いていると、ほとんどガイドヘルプは使いません。今まで一回しか使っていないんです。ホームヘルプの方は、毎週一回は来ていただいています。主に家の掃除を手伝っていただいてます。また、いろいろと細かい生活上のアドバイスをしてもらっています。まあ、家のおかんみたいな方が来てくださっています。こうした公的サービスは、大学とは直接関係のない、大学の授業を受ける上での支援とか研究するための支援ではないんですけども、大学に通うため、一人暮らしをするとなると必要になってきます。

斉藤: 今大学の中で支援センターができているとことか、そういう話が出たんですけど、今日参加されている皆さんの大学にはそういったものはありますか? 

(「意識したことがない」との声がありました。首をひねっている参加者もいました。)

青木: 支援部署自体がまだまだ少ないし、しかも支援のコーディネーターを置いているところなんて、本当に少ないですよ。

: 京大の場合は、支援室があっても入学できる学生がいません。京大に在学した障害者は、今まで視覚障害者一人しかいませんね。

斉藤: 次は、ヒシャム君よろしくお願いします。大学で学ぶ上で受けている支援について話してください。用意してもらったレジュメの話を中心に、他の発言で参考になったところなどに触れながら、お願いします。

ヒシャム: まずスーダンの大学での視覚障害者の支援、発展途上国での視覚障害の原因を大雑把に話して、それからスーダンでの視覚障害の状況と、最後に大学での教育の状況について、僕の体験を含めてお話したいと思います。
 スーダンはアフリカ大陸の北東に位置しています。アフリカの中で一番大きな国で、面積は約日本の7倍くらいです。エジプト、エリトリア、エチオピア、ケニア、ウガンダ、コンゴ民主共和国、中央アフリカ共和国、チャド、リビアといった多くの国に囲まれています。
 スーダンを含めた発展途上国における障害の主要な原因は、貧困の原因にもつながっている紛争、内戦、栄養不良、事故、災害そして医療の不備です。先進国での障害は、先天性障害、老化による障害が中心で、あとは医療ミスくらいなんです。栄養不良や医療の不備といった、発展途上国と同じ原因で障害は起こらないというのは明らかな事実だと思います。  スーダンの障害者の数は、1993年の調査によると推定33万人というデータがあります。また、スーダンに存在する国連機関の国内調査では、障害者は6万人くらいいると報告されています。
 この数のばらつきは、スーダンにおいて、正確な障害者登録がなされていないことから生じています。障害者の人数はスーダンの国民の1.0%という、国勢調査と国連の活動で記録されたデータもあります。最近まで長く続いていた南北内戦とか、この4,5年間、西部で発生している内戦なども考えると、障害者の数はもっと多いと思います。特に、障害を持つ女性たちを隠す人がいます。隠された人たちのことはぜんぜん何も確認できないと思います。そこまで考えると、視覚障害者は現在の推定数の2〜3倍以上いると予想されます。
 障害者の障害の内訳を見ると、四肢障害・足切断38%、視覚障害24%、聴覚障害は10%、重複障害は9%とその他が19%であると、スーダンの国勢調査によって示されています。視覚障害者は82,000人くらいいると言われています。
 視覚障害の主な原因は、内戦に関わる事故、医療事故、栄養失調、先天性などと言われています。交通手段が発達し、車やバイクが増えたことで、交通事故も増加しています。発展途上国においては、障害は、経済社会的、文化的な状態を悪化させることにつながっています。
 次は、視覚障害者の教育についてお話します。以前は、視覚の障害を持った人は、一般的に教育を受けることができなくて、宗教教育だけに限られていました。宗教の学校があって、そこ宗教を学ぶわけです。視覚の障害をもっていると、日本で言うとお坊さんみたいなイメージしかなかったんです。
 1960年くらいに民間組織によって首都のハルツームで盲学校が設立されました。その時から毎年100人前後の生徒たちが在籍してきました。スーダンの26州の中でも遠い州からハルツームまで通うこと困難であるため、盲学校に通えるのは、ハルツームやハルツーム周辺に住んでいる人だけです。特に女性用の宿舎がないということで、女性がなかなか盲学校に入れないでいます。ハルツームに住んでいる女性か、ハルツーム州に親戚がいる女性しか盲学校に入れません。視覚障害のある女性は男性より教育を受ける機会が少なく、識字率も低いです。盲学校では点字が使われていますが、点字の印刷機がないため、点字の教科書がかなり不足しています。こうした状況では、盲学校で勉強できる児童や生徒はほんのわずかです。全国に8万人くらい視覚障害者がいるのに、100人くらいしか盲学校に在籍していませんから、就学率は、かなり低いんですね。
 盲学校には高校がありません。中学までです。卒業した盲人たちは、普通高校で勉強してから大学に進むことになります。ところが普通高校には、点字の教科書が当然ながらありません。ですから、視覚障害者にとって、勉強するには二つの方法しかないんです。同級生や家族の人に本を読んでもらう。あるいは録音されたテープを聴いたりすることだけです。そのために勉強をやめる人も少なくありません。
 また、普通の学校に入学した視覚障害者の生徒は、自分自身がまだ盲学校卒業したばかりだから、どのように普通の学校で勉強するべきなのか全く理解できていないんです。もちろん普通高校だから、視覚障害者が勉強できるような環境や受け入れ体制も、当然ながら整えられていません。学校側も、視覚障害を持つ生徒たちに対して、どのように対応すべきか全く知識がないんです。学校や、先生たちにとって、視覚障害をもった生徒に関わることが初めてですから、指導方法や接し方など、全く経験がないわけです。このような非常に厳しい環境の中では、視覚障害者の生徒らにとって、勉強することは困難です。
 ノーマライゼーションあるいはインクルージョンといった概念と実現のための方法を、最初から先生たちに教えてあるんなら、と思います。韓さんのレジュメを読んで、初めてバリアフリーとユニバーサルデザインの違いが分かりました。誰もが使えるような場所という考え方は重要です。学校でも、視覚障害を持った生徒もつかえるような環境が最初から作ってあればよかったな、と思うんです。 最近、特殊教育や統合教育に新しい理念が生まれていて、障害児に対する教育のあり方も少しずつ変化遂げつつあります。障害のあるものと障害のないものが同じ社会に生きる、人間として、お互いを正しく理解して、共に助け合い、共に支えあって生きていくっていうのは大切なことですね。
 視覚障害者と普通の子たちが、最初から同じ学校で勉強したり、学校には視覚障害者の受け入れ態勢が整っている、ということが大事です。学校だけじゃなくて、地域の人たちも協力して、みんなが使えるような学校を作ってあれば、多分、視覚障害者はこういうふうに苦しまなくてもすむはずなんです。

斉藤:  今のところまでで、質問があります。
 盲学校がスーダン全国で一校しかない中で、ヒシャム君が盲学校に、自分で選んだわけではないけれど、行くようになったっていうのは、なんかこう特別なことがあったんでしょうか。また、今の話だと高校に行くにしても条件が大変だった。そういうことが可能になった、可能というか、やっぱそれもヒシャム君の希望だったのかしら、それとも親御さんの希望だったのかしら、というのを教えて下さい。

ヒシャム:  僕自身は、小さいとき家から離れるのはやっぱり嫌でした、本当に。7歳でわけの分からないところに行かされて、せっかくなじんだ友達や遊び仲間と離れて違うところで勉強するのは、やっぱり嫌でしたね。  小さいころはやっぱり、子どもだから家にいるのは当然というか、当たり前のことなんです。当たり前というより子どもの権利ですね。寮母さんじゃなくて、権利として親に育ててもらうんです。
 無理に盲学校へ連れてかれて慣れたところで、あんた盲学校ここまでだよ、普通の社会に戻りなさいといわれても、厳しすぎるんです。残酷だと思います。普通の学校に戻すのであれば、最初から普通の学校で勉強させてよ、せっかくなじんだ友達もいるし、と思います。

斉藤: 去年、アブディン君は、盲学校があるっていうのも、点字があるっていうのも大学に入るまで知らなかった、話してました。ヒシャム君にとっても、盲学校が近くにあったわけじゃないんですよね?

ヒシャム: 近くにあったわけじゃないんですけど、盲学校のことを親戚が知っていたんです。

斉藤: 高校に行こうというのは、自分の希望でしたか?

ヒシャム: はい。高校行きたければ、普通の学校しかないという状態でした。ここで勉強やめるんだったら、家に戻るしかないかな、と思いました。

斉藤: ということはとにかく勉強したいな、と思ったんだ。

ヒシャム: 勉強するしかないですね。スーダンではその日本みたいな職業学校はないんだから。

斉藤: ここで一度休憩して、15分くらいに再開します。
 今、ヒシャム君が、韓さんの話を読んだらバリアフリーのこと良く分かりました、と話していたのは、韓さんが、長崎の盲学校で教職員向けに行った「視覚障害者とユニバーサルデザイン」という講演記録のことです。希望する方には後でメールで送ります。

(休憩)

斉藤: ヒシャム君に続きをお願いします。
 先ほどの話では、勉強したいから高校に行き、大学に行ったところ、ハルツーム大学には60人の視覚障害者の学生がいた、とのことでした。韓さんが紹介してくれた韓国の状況、あるいは現在の日本の状況と比較すると、障害者学生がたいへん多いと感じます。障害者が大学受験する時に配慮があったかどうか、また入学後の大学の受け入れ態勢について、もう少し紹介して下さい。

ヒシャム: 高校から大学に入るのには、全国で行われているセンター試験のようなものを受けます。しかし、点字用の試験はありません。視覚障害者は付き添いの人を1人つれて、問題を読み上げてもらってそれに答えるというかたちで試験を受けます。時間延長などの配慮は全くなく、皆と同じ時間に終わらなければなりません。厳しいですけど、それに合格したら大学に入れます。
 僕が入ったのはハルツーム大学というところです。ハルツームはスーダンの首都で、日本で言えば東大みたいなものです。ここの法学部に入学しました。僕が入学した時には、視覚障害者の学生が60人くらいいました。
 学部を問わず障害者への特別な配慮は不十分でしたし、先生の理解はまだまだ足りていませんでした。具体的に、例えば、レポートの提出とかテキストデータ化とか、授業の前に事前にレジュメを送ってもらうとか、そういったことは全くありませんでした。
 そんな中で試験などを受ける時など、さまざまな問題がありました。例えば、試験を受ける時に違う学部の学生を探して、問題を読み上げてもらわなければならなかったのです。他学部の学生も自分のテストがあるので、なかなか協力してくれる人が見つからなかったのです。また、他の学部に友達がいない人も多いんです。一人で行くことができないから、なかなか友達も作れないのです。だから、試験の日に、テストが始まっても人が見つからないために受けられなくて泣いていた人もたくさんいたのです。本来、そういう手配も大学側が支援すべきですよね。
 それで、このままではだめだということで、生徒会をつくろうという話が持ち上がりました。何のために開くのかということを話し合ったり、集まって生徒会の重要性を考える勉強会などを開いたりしました。目的は、視覚障害者の存在を知ってもらい理解してもらうこと、視覚障害者が生活しやすいようにしていくこと、としました。
 手続きとか面倒でしたが、結局生徒会を作ることができました。そして、生徒会ができてから2年間で大学での生活がかなり変わってきました。例えば寄宿舎の入居の際も、1階の特別な部屋に優先的に住ませてもらえるようになったとか、試験の際にもサポートしてくれる人を予め探して事前に顔合わせの機会を設けるなど、各学部でも特別な配慮が少しずつですがされるようになってきました。
 最初は、自分たちでボランティアの団体にお願いしてペアをつくっていたのですが、時間が合わなかったり、人数が多かったりするとできない場合もありました。それでやっぱりこれは自分たちの仕事ではなくて、大学側がすべきことであり、大学は視覚障害者に対してきちんと責任をとらなければならないということを事務室に言いに行きました。その結果、視覚障害者もかなり安心して試験を受けられるようになりました。
 現在の大きな課題としては、教材の提供とか、学習環境の保障とかがあります。視覚障害者が使用する教科書とかプリントとかはまだかなり不足しています。会ができて5,6年たちますが、そういった部分はまだできていません。点字図書館もまだないです。学生達がパソコンを使って、自分で好きなときに文献などを検索できるしくみもつくらなければならないと思います。教材が学生のニーズに合うように、学生が使う教材のテキストデータ化、点訳、MP3などの音声データ化も必要で、まずやらなければならないことです。テキストデータ化というのは、視覚障害者の方なら知っていると思うんですけど、視覚障害者は普通のプリントなどはそのまま読めないので、支援室みたいなところで学習補助者がスキャナで取り込んでテキストデータ化するといったことを行っています。そのデータをもらったら、パソコンで読むことができるようになります。このような仕組みを向こうでもつくれたら便利、というか必要ですよね。 次にやっぱり、情報処理教育を目的としたセンターの設立。今はパソコンを扱える人はほとんどいないし、むしろパソコンを触ったことのない人の方がほとんどです。僕も2001年まではその1人でした。パソコンがどういうものなのか、何ができるようになるのか、全然知らなかったです。けれども、パソコンの便利さとか必要性を知った私たちとか、CAPEDSに入っているアブディン君とかバシール君とかが教えていけたらいいなと思います。
 あと、生徒会だけでなく卒業したあとにハルツーム大学卒業生の会も作ったんです。で、その人たちとかがパソコンを使えるようになったんですけど、それを皆に伝えて皆がいろんなことが便利になるようにしていってほしいなと思います。
 やっぱり、ハルツーム大学に情報処理教育を目的としたセンターを作りたいですね。今はそのセンターの設立をCAPEDSの第一プロジェクトとして考えています。とりあえずパソコンを6台ほど大学に確保できたので、今度ソフトを持って行くつもりです。のちには、全国に拡大して、全部の大学にセンターをつくれたらいいなと思っています。

斉藤: ヒシャム君自身の話ももっと聞きたいと思います。ヒシャム君が大学に入ったのは、何年のことですか?

ヒシャム: 1997年です。

斉藤: 今から10年くらい前には、すでに60名の視覚障害者が在籍していたのですね。去年、アブディン君に聞いた話では、アファーマティブ・アクションが行われていた時期があったということだったけど、そういったことと関係はあるのですか?

ヒシャム:それはちょっとわからないです。

斉藤: 去年の座談会では、南北間の争いをおさめるために、アファーマティブ・アクションの考えを導入した時期に、少数弱者に対するアファーマティブ・アクションの動きもあり、それにともなって視覚障害者もたくさん大学に入ったと聞きました。でも、実際どうだったのかは、確認してみないとわからないということですね。

ヒシャム: そうですね。ただ、あまり関係ないと思います。

斉藤: 大学で視覚障害者の学生団体をつくったわけだけど、それは60人いた視覚障害者の学生が皆参加したの?

ヒシャム: そうですね。選挙で選ばれた10人くらいが委員会として中心となって会を動かしていました。僕もその1人で、文化係ということで、レクリェーションをしたり、他の団体とのつながりをつくったり、学校の祭りなどで自分たちの紹介をしたりしていました。

斉藤: 話は戻るけど、大学に入って、他の視覚障害者のことはどうやって知ったの?

ヒシャム: 噂とか。あと盲人センターが、センター試験の合格者を集めてパーテイーを開いてくれて、そういったところで出会いました。大学に入ったら、先輩とかが何年生に誰がいるよってことを教えてくれたりしたのです。ただ生徒会つくるときは、名簿つくってそれぞれに声をかけていきました。皆やりたい意識があったみたいで、たくさんの人が一緒にやろうといってくれました。

斉藤: 人に会う時、今の日本だと携帯電話で連絡を取り合うんだけど、この場合は会いにいったりしたのかな?

ヒシャム: そうですね、かなり大変な作業だったんですけど、各学部に会いに行きました。

斉藤: 最初の支援の話の中に移動のサポートということがあったのですが、そういうときに手伝ってくれる人とかはいたの?

ヒシャム: 僕ともう二人か三人くらい友達が多かったので、たくさんの人がついてきてくれました。

斉藤: もう一つ、ヒシャム君はなんで日本に来たのか、きっかけとか、日本の盲学校での体験とかちょっとお話いただいて一区切りにしましょう。

ヒシャム: 視覚障害者を日本に招いたり、針灸あんま師の勉強をさせてくれたりする国際視覚障害者援護協会(ICB)というのが東京にあるんですけど、スーダンにいたときにそれを知りました。日本という国は行ってみたいと思いますよね。みんな日本の車や電気製品を使ってて知っているし、そんないい製品をつくる国がどんな国なのか興味を持っていました。でも、その話を1,2年生の頃から聞いていたのですが、1年生のときは大学入ったばかりだからまだいいやと思っていて、そしたら同じ年に入ったアブディン君が先に日本に行ったんですよ。それで、アブディン君が帰ってきてその話を聞いてから決めようかなと思って。で、聞いてみたら「いいよ」って。その時僕はちょっと躊躇したんですけど、バシールは絶対行くとか言っていました。

会場から: 皆、知り合いだったんですね。

斉藤:そう、僕も最初は盲学校が共通項だと思っていたら、ハルツーム大学法学部が共通項でさぁ。もうビックリ仰天でした。

: そのICBについて簡単に説明しますと。日本の盲学校に留学した韓国の視覚障害者が、日本の盲学校で、鍼灸やマッサージを学び、国に帰って指導者になるよう支援するために作られた機関です。
 年に4、5人くらいを途上国などから連れてきています。今は韓国からの留学生は少なくて、アフリカや南米の視覚障害者が増えています。国に帰って、視覚障害者の一つの職としてマッサージを広めてもらえないかという考えでつくられたんですね。

斉藤: 日本に来てからの課題についても紹介してください。今は筑波大学に在学しているわけだけど、大学の支援はどうなっているのかを教えて下さい。去年までは岐阜大にいたんですね?

ヒシャム: はい、そうです。

斉藤: 岐阜大はどうだった?

ヒシャム: 岐阜大ではおそらく初めての視覚障害者だったんで、何もなくて自分で頑張るという感じでした。岐阜盲人情報生活センターに協力してもらったり、ボランティアをお願いしたりしていました。僕は研究生だったんで、そんなにプレッシャーはなかったんです。
 筑波大学では、視覚障害者支援センターというちゃんとした施設があり、スキャナや印刷機があるほか、学生のボランティアが15人くらいいます。学習補助という制度があって、大学から補助金が支払われます。固定補助と臨時補助があって、固定補助は学期ごとに決められ、毎週決まった時間数だけペアの人につき、レポートの校正とかテキストの読み上げとか、やってほしいことをお願いします。余った仕事は、メーリングリストで希望の補助内容とその人の名前をまわして、やってくれる人を探します。

斉藤: テキストデータ化するのにアルバイト料というかお金の問題が出ましたが、そういうのはどうなっていますか。

ヒシャム: 学習補助ということで大学側がお金を出します。支援室に用紙があって、それに記入して事務室に持って行きます。

斉藤: じゃあここでヒシャム君の話は一区切りにしてもらって、今後に望むことっていうのを一回り言っていってほしいと思います。 話をしているとわかるように、それぞれに課題があって、それでこうなってほしいというのがあると思うのですが、今日は、スーダンのことをイメージしてもらって、どうしたらいいのかっていうことを思いつきでもいいから話していってほしいなと考えています。
 また、課題にもいくつかステージがあると思います。たとえばヒシャム君は友達がたくさんいて人の輪で動かしてきたところがあると話していました。日本に来るのも、周りから情報をもらえたわけで、周りができることはいろいろありますよね。それをどう見るかというところでいろいろ課題もあるんですけどね。ボランティア活動とするのかアルバイトとしてやってもらうのかとか、学校や制度が何をしなければならないのかとか。そこでハルツーム大学に何を求めるのか、大学がどういう場であるべきなのか、何をしなければならないのか、みたいなことも課題になってくるのかなと思います。
 三つ目に、今日紹介してもらったような便利な機械もいろいろあるわけで、機材があってそれをサポートできる人間がいれば、持ち込める可能性もあって、そういったところで最近話題の企業のCSRじゃないけど何か協力できればとか思ったりします。去年の座談会では、アラビア語の音声読み上げソフトは一社独占で高いということが話題になりました。去年の障害学会でここにいる植村さん、韓さん、青木君の三人プラス他の人がポスター発表をしていて、それは障害学会の発表要旨集の中においてあるのでまた見ておいてもらったらよいのですが、そこで技術的な話で、音声を読み上げる機械にどのようなものがあるのかといった話が出ていたんですね。技術を使える人と言葉を使える人との組合せで、一つの技術的な可能性というものもあると思います。そういった話を誰かがまとめて、今日今すぐにというわけではないけど投げかけ始めなければいけないんだろうなとは思います。
 音声読み上げソフトは、視覚障害者だけでなく高齢者はじめ多くの人にとって有効なものとなると思います。携帯電話はちゃんと読み上げ機能がついているみたいで、そういった技術ができることっていろいろあると思うんですね。アラビア語と技術をつなげられる人が誰かいれば…。こういうのって、技術があって一度使われ始めると、要望も集まり、加速でき、改良できるんですよね。近辺にいる人ができること、制度などがすべきこと、技術的な面でできることなど、並べてみて次につなげていければよいなと思います。  最初に、僕の方から、今日話を聞きながら考えたこと、僕が在学中に東京大学に初めて視覚障害者が入るということでいろいろあったので、そのときの記憶なんかももとに、二つ三つ発題させてもらいます。
 一つは、大学が受け入れを決めると、いろんなことが動くのだという記憶があります。僕が大学の4年目の時に、視覚障害者が入学するということで、文学部に対面朗読室ができました。大学の支援制度ではないんですけど、点字友の会という学外の点字図書館や、視覚障害者のサポートをするボランティアの団体が、視覚障害者の学生を迎えて、「何かしなければいけない」と活動が活発になったそうです。また、テキストの録音テープの作成アルバイトを大学が給与を支払って行っていたそうです。1980年頃に、90分テープ1本録音すると4000円だったと聞きました。本1冊だいたいテープ4〜5本になったので、アルバイトとしては割によかったのではないかと思います。最初に知り合いがいっぱいいる人はいいけど、そうではない障害者は、支援を受けるためにも声かけが必要になってきますよね。制度や、ボランタリーな動きが対応していたということです。
 二つ目は、パソコン通信に関する記憶です。1990年ごろ、パソコン通信を皆でやろうという誘いを受けました。その時に、パソコン通信には、聴覚障害者がたくさん参加していると聞いたのです。文字情報だから、差がないんですよね。「へ〜」と思った記憶があります。
 実際に視覚障害者が音声読み上げソフトを使うようになって、点字を知らなくてもメールを送れるようになったんですね。福島智さんという、見えない・聞こえない人がいます。彼の研究室で、キーボードの下に置いてある点字ディスプレイを見た時のことが印象深く残っています。福島さん自身は、普段は指点字通訳を受け、指で点字を読み取っています。それを見ても、人間の能力にはすごいものがあるなと思います。
 三つ目は、お金のことも含め制度的支援の在り方です。国際協力の場合、その国に十分なお金がなければ国際的な資金を投入することが必要ですし、そこで恩恵に頼ることにはなりません。現在、世界中どこであってもエイズ治療を実施するということが国際協力の前提となっています。このことには、基本的な人間の尊重する、といった側面もあるし、現実的な話で言えば2001年の9・11のようなことが繰り返されてはならないという気持ちが背景にあるのだろうと思います。2002年に創設された世界エイズ・結核・マラリア対策基金というものがあります。先進国の政府のみならず途上国の政府もNGOもお金を出しています。新しい国際的な取り組みといえます。ジェンダー問題解決のための基金構想でも、この世界基金がモデルとして参照されているそうです。大切なのは、こうした機関の登場もあり、NGOの活動なども引き金になって、米国政府や世界銀行なども、途上国でのエイズ治療にお金を出すようになったということです。
最後の話は少し大きくなってしまったけれど、最初の二つでスーダンにおいて近辺の人ができることとか…たとえば対面朗読を広げるとか、点字の会で人材を育てるとか、またそれらが可能なのか、やるならどのようなことが必要なのかなどといったようなことを聞いてみたいなというふうに思います。 4人の話を聞いて、何か質問とかありますか?

西: 京都大学の西と申します。植村さんに質問です。立命館大学の障害学生支援室の意思決定はどういう人が行うのでしょうか?

植村: 必ずしもきちんと把握できているわけではないんですけど、立命館の障害学生支援室の職員は総勢で数名だと思うんですよ。そのうちのたぶん半数くらいが正社員で、あとは契約社員ではないかなと見ています。で、意思決定をしているのはやはり正社員なんですけど、それらの人は他の部署から回ってきていたりして必ずしも障害学生支援について知識があるとは限らないようです。今言っていたアファーマティブ・アクションとかについてもあまりご存じないように見受けられます。

斉藤: 大学の中に委員会みたいなのはないの?たとえば東大であれば、支援室に加えて、障害者雇用促進チームが副学長のもとにつくられている。上が執行部に所属しているから、何らかの結果を出さなければならない。そういうことで、やはり動いていくんですね。立命館大学の場合は、そういった学内組織はどうなっているんですかね?ほら、事務レベルでつくられちゃうと、決められた予算の範囲でしかできなくて、次につながっていかない場合とかもあるし、制度的な保障は必要だといえますが。

植村: そこらへんはちょっとわからないですが…。

青木: 障害学生支援室は教学部の中の教務共通課の下にあります。障害学生支援室は、ボランティアセンターから独立したというものの、実際は同じ事務室で、職員も兼務の方が多いです。大学の専任職員は完全に兼務で事務をやっておられていて、数年したらまた他の部署に異動とかになると思います。それに対して、障害者に直接関わるコーディネーターの方は、異動はないんですけど契約社員なので権限はあまりないんですね。だから、こうしてほしいという交渉を持ちかけても、コーディネーターの人たちはどうにかしたいと思いつつ何もできない、といったことがあったりします。支援室の中でも考え方の違いがある。たとえば、昨年の障害学会では立命館大学の名前を結構出していたんですけど、ネガティブなことを言われるので大学側としてはあまり快く思わない、というような反応もあったようです。一方でそういった直接関わる職員の人なんかは、それは事実であるし別に隠すことでもないとしていました。結局、支援室の報告ではそこらへんを考慮して報告しなければならなかったみたいですけどね。そういった職員の雇用形態による違いという問題もあるようです。このような問題は立命館に限らずどこの大学にもあるみたいですね。必ずしも上の人が支援の現状をきちんと把握しているわけではないという現状もあります。

斉藤: 関連する質問でも違うことでも、何かあれば言っていただければと思いますが。

御村(CAPEDS): 私もボランティアとして関わっている身なので詳しいことはわからないのですが、筑波大学は大学側の支援がわりとしっかりしていいまして、支援室は主に学生が中心になって、かなり活発に運営を行っています。運動障害、視覚障害、聴覚障害と分かれていまして、私は主に聴覚障害に関わっているんですけど、運動障害などは院生の障害をもった方が今、代表でやっておられるといった現状があります。サービス自体もきちんと組織化されていまして、どの支援に入ったらいくら予算が出るといったことなどもきちんと決められています。

青木: 予算の配分なども学生が決めているのですか?

御村: さすがに予算の配分までは関与することはできなくて、私はいくら確保されているかはわからないんですけど、中心となって運営しているメンバーはおそらく把握していると思います。

青木: じゃあ、決められた予算がいくらかあって、その細かい運用については任せられているということですか?

御村: そうなんでしょうかね。ちょっと私もまた戻って調べてみます。ただ、障害の学生自体は増えている状況なので、どんどん対応はしていってるとは思います。ボランティアはやや足りていない状態ですね。

植村: 立命館大学では、学部生のほうではあまり問題は起きていないみたいですね。というのも、院生と学部生とはやはり違う部分があって、まず大学側の支援は、講義やゼミといった授業のみを対象として想定されているんですね。院生はそれだけでは対応しきれないんですよ。必要な文献なども格段に増えるわけですし、レジュメや教科書だけ読んでればいいというものではない。韓さんや青木さんのように拡大コピーだけで済めばまだよいんですけど、私の場合はさらにデータ化もしなければならなくて、必要なものもかなり多くなってくるんですね。それに対して大学側が言うのは、「大学がどこまで補償しなければならないのかの線引きが難しい。具体的には学習支援か研究支援か、それをどこまでやるのかということ。現時点では学習支援は行うが研究支援は行っていない」とのことだったんです。たとえば配布した資料にもあるように、必要な支援はさまざまあるんですけど、視覚障害に関しては特に必要なものとして文献購読に対する支援があるんですね。もう一つ例を挙げますと、先端研には肢体不自由の人もいるんですが、その方に対する支援もうまくいっていないとのことなんです。予算はあるんだけど、ほとんど支援できなかったそうです。事前に「○日の△時に〜のような内容の支援を要する」と申請しておいて支援を受けるというかたちになっているんですけど、そうそう予定通りに進むわけでもなくて、研究会などは夜遅くまで延長する場合もあるでしょうし、研究会や学外での活動、あるいは実験やフィールドワークなども入ってきますので、その際に介助者の旅費などの問題が出てきます。どこまで出すのかといった線引きが判断できないということで、研究支援は一切おこなわないというのが立命館大学の現状のようです。

斉藤: 先日出た『障害学研究』に長野で開かれた障害学会の記録が載っています。この時は、「障害者の大学経験を語る」といった内容のシンポジウムが開かれました。聴覚障害者で今、茨城県のろう者協会の代表やっている人が、「大学で大切なのは授業ではない」と言っていたのが面白かったです。「授業以外の講演会とかを聞きに行きたいときに行けないというのは何なんだよ」と言っていたんです。特に院生では、大学の枠をはみ出た活動が肝であるから、そこにサポートがないと困っちゃうよね。 まあ、このような話は細かく言い始めるとキリがなくなってしまうので…。
 スーダンの大学での支援を考える際に、今出ているような課題はすぐには出てこないと思うんですけど、でもどのような支援室をつくるのかを考える際に参考にはなるよね。また、筑波大のスタイルのように学生が主体となっていろんな意味で活動する場面をつくることも重要です。CAPEDSのホームページに載っている、去年ハルツーム大学の卒業生の会の代表の方に聞いた話では、ボランティアをつくって育てるということはまだできていないみたいですね。一方でブラインドサッカーという活動もあって、これを通して健常者とのつながりをつくっているのかななんて思ったりしたのですが、そういうわけでもないようですね。 制度にしようとすると壁とかもありますよね。制度が先か?実態が先か?といった話にもなるんですけど、例えばさっきの韓国の話とか、スーダンも一時期はアファーマティブ・アクションの動きとかあって、こうしろというだけではなくて、実際にかたちを示すというのは、日本の障害運動の中でも実例があるんですね。今はヘルパーに登録して、介護するとなると資格が必要となってきますが、かつては資格とか関係なしにやっていて、それを認定しろといった取り組みもありました。実体をもとに制度化してお金をつけていく。日本の今までの障害のケースもいろいろ参考にして制度をつくっていけそうな気もするんです。 今日、支援室の話が出てきましたが、皆さんはそういったものが在学している大学にあるかどうか知っていますか?(会場から「わからない」「知らなかった」との声)そうするとやっぱりまず仕組みがあること自体を知ってもらうことも重要ですよね。ハルツーム大学でも、生徒会の存在を他の生徒は知っているものなのでしょうか?ハルツーム大学って学生数はどのくらい?

ヒシャム: ハルツーム大学は全学生で1万5、6000人くらいかな。

斉藤: じゃあ日本の東大なんかと同じくらいの規模だな。そうすると、障害者の学生の存在は知っている人もいれば知らない人もいる。

ヒシャム: そうですね。

斉藤: 生徒会をつくる際の窓口はどういったところ?

ヒシャム: 個人的に先生に相談して、先生が理解してくださったんですよ。で、先生が生徒会の担当してくれて、先生の名前を借りて事務室に行きました。

斉藤: そういう理解のある教員がいるかどうかは重要なことですよね。そういった人がいるのといないのとでは全然違う。まだそういう先生はいらっしゃるの?

ヒシャム:はい、います。

斉藤: そういった先生を通して情報を伝えることが鍵だよね。例えば韓国のように、他にこんないいところがあるからうちもやった方がいいだとか、その先生のもとで案をまとめて執行部まで持って行ければまたちょっと変わってくるよね。それは今ちょっと思いついたことだけど、そういった動きまではまだないのかな?

ヒシャム: そう…ですね。

斉藤: それから、先生が個人的にとのことでしたが、先生たちのグループみたいなのはないのですか?

ヒシャム: プロフェッサークラブみたいな先生たちの集まりはあるけど、そこに連絡はしていないですね。個人的にお願いして先生が理解した上で生徒会つくりに進んだわけですが、ただどこかの会議で先生が話をしてくれたのではないかとは思います。

斉藤: 大学を使うのであれば、障害での共同研究を持ちかけて、どこかでお金も得たりしながらやっていくことも考えられたりしますよね。

ヒシャム: 僕も今の課題としては、ハルツーム大学での成果を他の大学で発表して、他の学校の先生方に知ってもらったり、学生たちに自分たちなりの生徒会を考えてもらったりできればとは考えています。あとは、視覚障害者のニーズを先生方に把握してもらいたいですね。

斉藤: ちょうど今読んでいる本で、ナイジェリアの障害者がアメリカの大学で教えてて、そのアメリカの大学を通してナイジェリアの大学が刺激を受けるというような話が載っています。スーダンの大学はアラビア語圏との大学ともつながりが強いんだったら、そういったところと共同して発表などしても面白いんじゃないかなと思います。

植村: スーダンの話を聞く機会は、あまりないので、伺いたいことがあります。ハルツーム大学には理解のある先生がいて、障害学生支援にも取り組んでくださっているとの話でした。その理解ある先生ですとか、ヒシャムさんですとかバシールさん、そういう方たちががんばって、ハルツーム大学の中でもボランティアセンター、障害学生支援室でもいいですけど、そういう組織ができたとします。何らかの予算はつくでしょうから、人とお金の問題も解決したとします。それでも問題になるのが著作権の問題だと思います。僕が、日本にいて、勉強していく中で壁になるなぁと感じることのひとつです。スーダンでは、著作権はどうなっているのか、ということを聞きたいと思います。本を点字にすることは日本では著作権法でも結構前から認められてきました。音訳することも認められています。今日、話に出たテキストデータ化は、現在のところ著作権法では認められていないんです。日本の現行法の下では、個人利用にとどめるという制限の下でしかテキストデータを作成して読むということはできないんです。著作権の問題というのは日本だけでなく、どこの国でもあるでしょうから、スーダンでもすでに問題となっているのか、いずれ問題となるのか、なにかしら出てくるとは思うんですけど、そういったことで何かご存知のことがあれば、伺いたいと思います。

ヒシャム: 著作権は確かにあちこちで聞こえてくる言葉です。スーダンでも、もちろんテキストデータ化したければ著作権を考えなければいけないと思うんです。大学の支援室であれば、ハルツーム大学の中にあるルールに従ってテキストデータ化をできるんではないかと思うんです。ルールとして、テキストデータ化してもプリントアウトしてはいけない、あるいは無料でテキストデータ化してテキストデータになったものはハルツーム大学の印刷物として取り扱うと決めたら、著作権をうまいことよけるんじゃないかなぁと思うんです(笑)。僕はもともと、法律を学んだんですけど、弁護士は近道というか抜け道を作る…のは、ひとつの仕事なのです(笑)。

植村: 日本がそういうスーダンの事例から学んでいけたらと思います(笑)。

ヒシャム: 今のは僕のオリジナルです。そういう風にやれたらなぁと思うんです。

植村: 今のヒシャムさんの話を聞いて、思ったことがあります。日本でテキストデータの著作権に関して、主に出版社が言う問題点は、テキストデータを出すとそれをインターネットで公開されてしまう、メールとかで他の人たちに流されるということです。そういうことを、データの場合はどうしても防げないわけですよね。DRM(Digital Rights Management)という技術は不可能ではないけれども現状ではなされていない、ということで、出版社はそれをかなり疑うんです。そういう意味で言うと、スーダンではまだ日本のように一人ひとりの家庭にまでパソコンが普及していないようなので、ハルツーム大学内部でしか認めないっていう形にすることによって、大学の中から流出するということはもしかしたら防げるかもしれないです。でも、いずれパソコンは普及していくでしょうから、同じような問題っていうのは生じると思うんですね。そういったことについてはどう思われますか?

ヒシャム: 流出っていうのは、一切そのテキストデータを大学のルールとして、メールで送らないということ。それをルールに書けば、そこまでが大学の責任ということです(笑)。こういうルールを、一応作るというのが、絶対に必要です。

植村: 大学のルールとして作る、ということですけど、スーダンの国の著作権法みたいなのはあると思うんですけど、国に対する位置づけはどうなるんですか?国の著作権法における位置づけ。

ヒシャム: 僕は、国の著作権法は見たことはないんですけど、見たらたぶん、抜け道を作るんじゃないかなぁって思います。その、弱点を見つけて…。うーん。そうするしかないですよ、ほんとに。視覚障害者はどうしても、ある意味で違う場面から見たら、不平等なんですよ。情報にアクセスできないのですから。情報アクセスは、視覚障害者の権利だと思うんです。著作権とぶつかったらまた、法律争いみたいなんなるんですけど。だから、それはやっぱり僕は視覚障害者の弁護士側として、正式に認めてもらえないんであれば、弁護士としてその抜け道を作るしかないですね。

植村: 期待しています。

:  マルチデイジープレーヤーという視覚障害者が使ってる読書のための機械があります。世界デイジー・コンソーシアム会長には日本の河村さんがなりました。
 音声をデジタル化したデータで本を聞く聴くような機械なんですが、私自身仕様作成に関わったこのビーエフボイス(BF-Voice)は韓国製でありますが、日本の仕様で、作られました。
 マルチデイジーには音声だけでなく、テキストデータも入れて多くの読書障害者が使えるようなDFA(DAISY For All)というプロジェクトも始まっております。
視覚障害者は、こうした機械を使って早送りで聴いていることが多いです。またこの機械の良いところは、次の章へ飛んだり、自分が探したい場所へ飛んだりすることができることです。デイジーは、できうる限り、一般の普通の書籍に近い使い方ができる、視覚障害者をはじめ読書障害者のために作られた規格なんです。デイジーのバージョン3では、テキストデータも提供するという規格になっており、ヨーロッパなどではもうすでにテキストデータを入れたデイジーが出ていると聞いております。
 日本よりテキストデータの提供が早くから始まったのは文化の差が考えられますが、
 ヨーロッパでは、本をスキャナで取れば100%近く誤認識なくテキスト化できちゃうんですが、日本では、漢字かな混じり文は、いくら性能のいいスキャナとOCRを使っても、かなり修正しないと、ちゃんとしたテキストデータにならないという違いがあります。
 この作業を、植村さんも私自身も大学側にやってもらってるんですが、この修正作業が一番、労力と金のかかっているところなんです。
 ヨーロッパの場合は、テキストデータ化を制限したところで、あまり制限にならない事もあり、もうすでにテキストデータ利用を認めてるのかなと考えております。
 日本では、今度、デイジー3という規格が出てくるんですが、まだ著作権問題が解決されていません。加えて、漢字かな混じりの複雑さのために、DAISY3の規格にまだ日本の技術が追いついていないという問題もあります。
 最近、電子書籍の出版がいろいろ出ているのですが、日本の場合、漫画やアニメが多いのもあって。電子書籍でテキストデータ提供しろといっても、漫画などなかなか難しいというのが現状です。
 そうした中で、私自身も著作権や電子ブックのアクセシビリティに関するワークグループの一員となり、電子出版協会やメーカー、図書館関係者、ボランティアグループなどが参加した研究会を行っております。
 今回の話題に係る問題としては、デイジーを含めたPDFファイルのテキストデータ化の問題を取り上げて電子出版に使われるビュアー制作の会社の人を読んで話を聞いたりしております。
 私は法律学者ではないですが、法律というのは事例があって初めて、法律という形になるものなので、法律を先に作るというのはなかなか難しいもんなのかなーと考えております。その意味では、テキストデータを流出させようっていう動きもあるんです。
 特に立岩先生が現在運用されておられる、ご自身が書かれた本を中心に視覚障害者へテキストデータを行っているのは良い事例だと考えます。

斉藤: 実力突破ですね(笑)

: はい、そうなんです。

斉藤: 話が技術的なことになっているため、ちょっとピンとこないという方もあるかもしれません。
 今日、言えることは3つぐらいあると思います。一つ目は、違いがあるのは確かだってことです。スーダンと日本との経験で、今の著作権が云々っていうような権利関係のものでは、日本ではパソコンがかなり入ってて、そういうのを利用して大学に行ってる・大学まで来てる視覚障害者は結構います。ただ、大学だけで見たらスーダンの方が多いんですけど、どういう形で大学に行ってるかには大きな違いがあり、日本では、障害をカバーする機材をみんな持ってるということです。
 二つ目は、少なくとも現に障害者の学生がいる大学では制度的な保障みたいなのが進んでることです。たぶんスーダンにとって今後を考えるときに、機材の問題と制度の問題はやっぱり念頭において考えないといけないだろうと思います。CAPEDSが、機材の問題を現時点での最優先プロジェクトとして挙げていることは、そういう流れで見たときに、非常にポイントをついていると言えます。
 三つ目は、日本では、高齢化社会が進む中で、これまでよりもちょっと広い意味合いで視覚障害者をサポートするような社会的な流れが出てきているということです。先ほど紹介したように、携帯電話でもメールの読み上げをする機種があります。また、今後、音声で本を読むっていうのは、かなりの人にとっては、恩恵として広がるんじゃないかなとも思います。アメリカでは、CDブックが結構出てますよね。車の文化となじみやすいというのもあるんですが、もう一方で、読むよりも聴く方がやっぱり楽だっていうのがあると思うんです。
 スーダンの場合、識字率はどうですか?単に視覚障害者の問題として考えないで、国全体の教育状況を考えるときに、聴くっていうことに重点を置いたアプローチを提案していくっていうのは、ひとつの可能性としてもあるんじゃないかなぁ。

ヒシャム: スーダンには、点字の印刷機はほとんどなく、点字の教科書を作るのに非常にお金や時間がかかると思います。だから今、ハルツーム大学障害学生卒業生の会で、録音図書を作るという話を考えているんです。今、MP3は携帯電話でも使えるようになったし、MP3プレーヤーは簡単に手に入るようになったので、現時点での一時的なソリューションとして、MP3の図書をつくる話はかなり出ています。

斉藤: 技術的な取り組みをを考えているときにも、単に視覚障害者のためにって考えるんじゃなくて、他の人にとっても活用のしようがある、便利なものになっていく仕組みを考える、ユニバーサルデザイン、バリアフリー、フリーバリアというようなアプローチが重要だと思います。

: 今、そのMP3のマイナーな話を少ししますとね、相当マイナーな話だからたぶん、他の人、理解できないと思うんですけど(笑)。韓国の事例だと、確かにその通りで、MP3が誰でも買えるっていうことで、韓国の視覚障害者はMP3で図書をかなり聴いてるんです。韓国では、音声ソフトウェアっていうのがかなり発達しています。今の日本で一番いい音声エンジンとされているのは、韓国音声エンジンを使っているんです。今は日本のペンタックスがその会社を買収しているので、日本のメーカーとなりますが。
 音声ソフトウェアを使えばテキストデータなんかも、すぐ音声データ化できるので。それを、音声化したものを、MP3に入れて聞いています。

斉藤: じゃあ、CAPEDSにも韓国へ行ってもらわないといけないな(笑)

: 韓国の視覚障害者に言わせると、何千円かで買えるMP3で十分だといいます。

小寺: ちなみに、デイジーのCDの中に入っているのはMP3です。

: はい、そうです。

小寺: デイジーからもMP3にそのまま入れることができるんです。

:そうですね。今、小寺さんがおっしゃったように、デイジー規格っていうのは、音声のところをMP3で作ってるんです。MP3のマイナーな話で申し訳ないのですが、難しいのは、デイジーの場合、MP3をかなりたくさんレベルという単位で章や節などで分けているため、デイジー用で製作されたMP3は順番がばらばらで聞きづらい面もあります。
 ところで、アラビア語は一つしか、スクリーンリーダーがないと聞いたことがありますが?

ヒシャム: 今は二つあります。

: 二つですか。スクリーンリーダーをうまく利用すれば、MP3と組み合わせれば、実はいい録音図書ができますので、是非、その、応用もしていただければと思います。

斉藤:そこで、応用していただければって言ったんじゃ、ただ言われたよ、で終わりになっちゃうから(笑)

:それは簡単なんです。それは(笑)。

ヒシャム: 参考になりました。是非、このアイデアを盗んで。

斉藤: もう一歩、誰と相談したらいいかとか、どういう風に持ちかけたらいいかとか、後は韓国でアラビア圏に進出を狙っている企業にどうにかしてあげて、やっぱり出先になるからがんばるという風に言うのとか。そういう話にならないと(笑)

: あれは、ピーシートーカーPC-TalkerのVTプラスVT+はアラビア語は対応してないんですか? 御村Misaki(VT+に含まれる女声エンジン)さんはアラビア語は喋れないんですか?

ヒシャム: 喋れない、喋れない。

小寺: バシールさんが、今プログラムとかの勉強をしたはる。

:あぁ、そうですかぁ。

小寺: バシールさんがまたいいの作ってくれるんで。

: あぁ、そうか。いや、小寺さんが是非そこら辺を。あー簡単に小寺さんをご紹介しますと、小寺さんは立命館出身の人で、授業中の事故で目が、悪くなったんですが、プログラマーなんです。

ヒシャム: そうなんですか。これから、よろしく(笑)。 

斉藤: そうそう。ここでこう聞いたから、とか言ったよね、とか縛りをかけておかないとね(笑)。

小寺: マイナーな話続きますけど、さっき韓さんがばらばらになっちゃうから聞けなくなると話してましたよね。そのトラブルに関しては解決策はすぐにあるんです。おそらく20分ぐらいで解決できる問題なんです。

: 確かに技術的には、なんら難しい話ではないので、プログラムの出来る人には20分あれば可能でしょうね。

小寺: そういう、やっぱり、知ってる人とつながっているといいですね。バシールさんは、それをいろいろ勉強したはるんで。がんばってもらいましょう。

: おぉ、すごいですね。

西: その読み上げソフトを全く新しい言語に対応させるための労力ってどのくらいになるんですか?

小寺: アラビア語の音声エンジンがどのくらいのものか分からないんですけど、それがマイクロソフトの規格に沿ってるんやったら、すぐかもしれないです。

斉藤: BBCとかはアラビア語のページ作ってるし、ちゃんと読んでるよね(註:ウェブサイトを確認したところ、録音された音声の状態でウェブサイトに置かれていました)。BBCは確かスワヒリ語のウェブサイトもあります。アラビア語は当然あります。だから、マイクロソフトの規格には沿ってるんじゃないかな。能力的には当然あるわけですよね。そこら辺の技術的な話はなんか、技術的な話をしてくれそうな人と今度ちょっとしなくちゃいけないよなぁ。やっぱ、そういうとこじゃちょっと頼りない(笑)。

伊藤: 今の、流れとはちょっと逸れてしまうんですけど、質問があります。京都大学の伊藤といいます。私、障害者のことあんまり知らなかったので、今日すごい勉強になりました。ハルツーム大学の障害者を支援することに関連して、技術的に解決できることがすごく多いなぁって感じました。その一方で考えなきゃいけないことが、ひとつあると思います。ヒシャムさんも話されていたように、ハルツーム大学に行ける人っていうのはやっぱり限られていますよね。盲学校にいける人っていうのも限られているっていうお話でした。そこに行ける人が限られている中で、行けない人たちに対してはどう考えていらっしゃるのかっていうことを知りたいです。あと、スーダンの場合は内戦の問題とか、貧困のことも関わってくるし、都市と農村の格差とか、そういうのもあると思うので、簡単に支援するかどうかっていうことに結びつくかどうかは分からないんですけど、やっぱり、考えなくてはいけないもっと大きな問題としてあると思うんです。団体の中では、その人たちに対する位置づけってどういうものなのかを、お聞きしたいのです。

ヒシャム: 私は今、筑波大学人間総合学部で視覚障害者の研究をしています。僕はノーマライゼーションに非常に賛成なんです。スーダンは、今、貧困の問題とか、いろいろな問題があって、26州全部に盲学校作るのは、非常に難しいっていうか無理なことなんです。だから、やっぱり、各学校に、視覚障害者の受け入れ体制を作って、統合教育というか、インクルージョン、というか、視覚障害者を普通の学校に入れられるような状況を作りたいと思うんです。日本の学校でいう通級っていうか、子どもたちが朝とか昼とかには普通の学校に行き、その学校に点字で学ぶことのできる教室を作って、そこへ通級するような感じがいいと思います。夜は、視覚障害者の、点字とか教えてもらったり。そのことによってたぶん、多くの子供が、視覚障害者の児童教育を受けられるのではないかと考えています。

斉藤: それについては、経験のある人から、思うところ、とか聞いた方がいいんじゃない?

ヒシャム: そうですね。今、アイデアとしては、やっぱり相手を作らないといけないんです。だめもとみたいなことで。作って、そのアイデアをいろんな人たちと交換して、実現の可能性を評価するんですけど。どのくらい、実用可能なのか。それを研究しないといけません。

: 韓国の場合だと、僕が盲学校初めて行ったときですが、小学1年に15歳とか、小学5年に30歳とか、という人がいたんです。なんでそういう現象があるかというと、韓国の場合、障害の子供が生まれると、親が隠してしまうケースがあるんです。部屋の中に入れられて、子どもが生まれてないことにしちゃったケースがありました。今でも田舎なんかはあるかもしれないですよね。

ヒシャム: スーダンにも同じようなことがあります。

: だから、そういう子どもをどのように発掘して社会に出すのか、という課題があります。これは難しい問題ですが、韓国の場合、盲学校の教員が非常に熱心に田舎など出向いて閉じ込め視覚障害者発掘作業が行われたりしました。
 教員が強い正義感を持っているケースもありますが、盲学校の学生数が減ったもので、これ以上減ると教員のクビが危ないんですよ(笑)。
 視覚障害者がいるという情報を入手すると、うちにぜひ入れてくださいじゃないんですが、営業しに行くケースもあるんです。
 その発掘作業はいい意味取り残される障害者を無くす役割となっておりますが、そこら辺、アフリカはどうですか。

ヒシャム: そうですね。アフリカも同じで。視覚障害者、隠される場合、多いですね。だから僕らも田舎に、田舎というか、メディアを通じて僕らのことをアピールして、やっぱり教育を受けたらこういう風になるんだよっていう風に、両親に納得させようって思うんです。教育を受けた視覚障害者が田舎に出向いて、セミナーとか講演を開いたり、パソコンを使っているところをみんなに見せたり、やっぱり教育を受けたらこういう風になるんだよ見てもらえれば、両親がうらやましがるんじゃないかなーと思っています。私の子どもを出したらこういう風になるんじゃないかなーとか、思わせて、だんだん感化されていったら、子どもたちのフリーダムというか自由を…。

植村: 大きい話になってきたんで、質問があります。視覚障害者が教育を受けたらこういう風になるんだよっていうことをご家族に示していってっていうことなんですけど、そこを伺いたいんです。
まず関連のある違う話を二つします。一つ目が、去年の夏、AJFの稲場雅紀さんと立命館の立岩真也先生が対談をされたんです。そのとき、稲場さんがアフリカの状況だといってお話されたことです。それというのは、一般的に、教育を受けている人と受けていない人で経済とか、いろいろな部分で格差があるのですが、教育を受けることによって、その格差が是正されるといわれているけども、必ずしもアフリカの場合、そうはなっていないという話でした。アフリカは植民地時代が長かったこともあり、英語やフランス語ができる人が多いそうです。ヒシャムさんも弁護士ということだったんですけども、高等教育を受けて、弁護士や医者の資格を取っている、あるいは高い技術を持ち、英語もフランス語も話せるものだから、必ずしもアフリカにいなくても、英語圏やフランス語圏に行って就職したほうが、たくさんの収入が得られるということで、アフリカで高等教育を受けた人たちは、同じ言語が通じる先進国へどんどん流出していってしまって、国の利益、...国の利益という言い方もずいぶんな言い方で申し訳ないんですけども、国の発展のためには、その養成された人材が必ずしも役に立っていない、という現状があるという話をされました。これが一個目の話です。
二つ目の話は日本の話です。僕たちもそうなんですけど、視覚障害のある者が日本の大学で学んで、卒業した後にどうなるかというと、大学で学んだ知識をうまく活用した就職先に就職できるかというと、必ずしもそういう人ばかりではなくて。大学を出た後に、また盲学校に入りなおして、改めてマッサージ・鍼・灸の勉強をして、結局はそっちの方面に就職していく人たちも少なからずいるようなんです。僕は、そっちの方面を研究してるわけではないんで、どのくらいの人数とか割合とか、そういうことは言えないんですが、結構いるみたいです。そういうことで言うと、日本で高等教育といわれるものを受けた視覚障害者が、必ずしもそれに見合った就職・仕事に就けているわけではないということです。
稲場さんから聞いたというアフリカのエリートの人たちの状況と、日本での高等教育を受けた視覚障害者の状況を考えると、スーダンはアラビア語...

ヒシャム: アラビア語ですね。はい。

植村: ヒシャムさんは視覚障害者の教育という面に関してとても熱心に活動しておられるっていうことなので聞きたいのですが、ヒシャムさんも含めてですけど、スーダンの高等教育を受けた方々が、これから教育をすすめる以上その後のビジョンというものの大きい枠について、どういったものを見ておられるのですか? 僕も教育をするということに反対はしないんですが、気になります。

ヒシャム: そうですねぇ。まず、教育を受けないより、受けた方が、それは絶対いいことですね。はい。

植村: 同感です。

ヒシャム: だから、僕たちの時代、時代っていうかジェネレーションっていうかは、教育をまず、後ろの、小さい子達の教育を与えるチャンスを広げて、うーん…。教育を受けたら、どうなるか。それは、次のジェネレーションの課題とは言いたくないんだけど(笑)、何らかの道が開かれるんじゃないかと思うんです。私の国の場合は今、少しずつ視覚障害者の働ける機会が増えてきました。まず、大学の先生はもう何人かなったし、あと、普通の高校の先生たちも、かなり増えてきてるんです。この人たちの成果が評価されたら、もっと広がるんではないかと思います。ちょっと戻るんですけど、田舎の人たちには、外国語喋ったり、外国に行った人はかなり、尊敬されるんです。僕らも、日本でやったこととか、やってることとか、うまくプレゼンテーションというか宣伝できたら、かなり、説得力が高まるのではないかと思います。やっぱり、まず教育を受ける人たちが増えて、そこでいろんな勉強会を開いたりすると、たぶん、僕より、すばらしい人が出てくると思います。その人たちのアイデアとか、もっといいアイデアが出るんじゃないかと思います。極端な話なんだけど。今考えるとしたら、視覚障害者が働ける、あるいはできそうな仕事を考えて、それを、仕事を保障する制度というか、法律上の制度、ポリシーとか。国から、視覚障害者がちゃんと仕事ができるよっていう制度を作らなくちゃいけないんですよ。それは次の課題になると思います。


: そこはねぇ、国は作ってくれないと思います。視覚障害者が就職するのは、どこの国においても、特に全盲の場合、容易なことではなく、日本においても一般就職、だいぶ増えてきているんですけれども、ほとんど、99%が弱視者なんです。日本においても全盲が一般企業で働くケースというのは、本当に少なくて、一部プログラマーとか以外いないのです。だから、私の考えというのはみなさんとちょっと違ってて、レジュメにもちょっと書いたんですけども、仕事を得るために必要なことは、一点目、まず根拠のない、私はできるという自信を持つです。根拠のない自信、ここから始まるんです。これは誰も作ってくれません。二番目、入ってからできる仕事を探す。これが私が考える二番目なんです。この方式でいかないと、今はどの国においても仕事は見つかりません。国が作ってくれるって言ってもね、何百年経っても国はなかなか…。

小寺:国が作ってくれるって意味では、公務員っていうのは、もし、公務員試験がもしいけたらいけるかもしれないです。そして、韓さんも言われたようにね、そう、根拠のない自信で入ってしまうのはすごいいいことです。先ほどおっしゃった教員も免許制です。スペシャルな、専門の仕事です。僕が実際やってるカウンセラーってやつも、専門の仕事です。だから、高等教育プラス専門家になる…、そういうことをしていったら、全盲でも、多少は可能性がありますね。

: あぁ、専門性ね。

安田(日本福祉大): 日本は、あまりにも高等教育が進んでいるために、どんな職業でも専門性を持ったやつがたくさんいるんですね、そういう意味で非常に不幸な国だなぁと思います。たとえば、弁護士であっても人が余って仕方がない。そういう意味では、教育をすればするほど、実は職がなくなっていく、将来のビジョンが示せなくなっていくというのが今の日本の現状であって、そういう意味ではスーダンの方がもっとなれる可能性が…。

小寺: スーダン、行くしかないな、我々(笑)。

斉藤: 今のは豊作貧乏の原則ですね。

植村: 専門の資格を取って、そして結局、流出っていうことになるんじゃないかって思うんですね。それがその専門性のある資格を取って、そういう方面で切り開いていくっていう意味では切り開かなければ何も可能性は出てこないんだから、やるべきことのひとつだとは思うんですけども。それによって解決に結び付けるには、まだ、いくつもアイデアがいるだろうな。

斉藤: その辺は、まず目の前の課題を一山越えて、次見て考えるということになると思います。だから、もしも・たとえばの話は、ひとつくらいに止めとかないと何もできなくなります。

御村: 少し、CAPEDSについて言わせてください。私たちの団体は、勝手に私が解釈してるんですけども、教育の目的として、その知識を身につけるであったりとか、情報を活かしてどうこうする、というところは本人に任せるとして、教育の目的っていうのが、もう、コミュニティにその障害者の人を取り組んでいくことだと思います。ブラインドサッカーの普及でもそうなんですけど、コミュニティの一員と思う、それこそ根拠のない自信にも、つながるかなぁと思うんですね。そういう心理面をもうちょっと養っていきたいっていうことで、教育を受けてそのコミュニティに取り組んでいくっていうこと。そして、社会自体が、この貨幣経済であって、産業構造というのがどんどん浸透している、変化していっている中で、やっぱり、なんらかの文字を読める、であったり、データ化された情報にアクセスできないと生き残っていけないというのがあると思うので、そこら辺に少しでも機会を与えていきたいっていうのがありますね。ブレインドレインであったりとか、先ほどの頭脳流出ですね、専門家の方がどんどん外に出て行くとかであったりとか、障害者のことをどう発掘していくかということは、どこでも問題になっているところで。まだそれに関しては解決法というのは考え出されてないんですね。難しい問題だと思います。

斉藤: 一応、国際移住機関(IOM)は帰還促進プログラムをやってるんですよね。特に知的職業、大学の教員とかをやってる人たちに、今勤めてるヨーロッパやアメリカの大学の休暇期間中に、母国に帰ってみませんか、というのを、もう7年くらいやってるのかな。なかなか、成果というのはアレですけど、これはやっぱり、アフリカが、大きくいえば1980年代後半から1990年代前半の激動の時代の余波に区切りがつけば、ある程度平穏になってくると実を結ぶプログラムではあると思います。
 もうひとつ、お金をどう流し込むかっていう課題もあります。これはお金の問題だけじゃなくて、仕事しようにも仕事のできないような状態だとか、仕事ができるような状態っていうのを定義することが必要です。お医者さんの場合なんかは典型なんですけど、絶対に必要なものを保障するために、大きなお金が動いて、一国内で解決できないことは国際的なやり方で解決する仕組みを考える、作っていくことが追求されています。

戸田: 京都大学の戸田と申します。カメルーンで、一昨年、去年と、カメルーンの農村部と都市で身体障害者の調査をしてきました。スーダンのことを聞きながら、少し感じたことがあります。カメルーンでは、熱帯雨林地帯はひとつの州になっています。社会問題省は、そこで障害者手帳を配布すると言ってたんですけど、人々は、配布されるということを知らないですし、放送されてても持ってない人もいます。カメルーンの状況では、障害者を認定する人がいなく、身体障害者でも、下半身麻痺の人ぐらいしか認定される人もいないので、受け取れないという状況が結構あるんです。
 スーダンでは盲学校が民間だというお話でした。45年前というのは結構古いかなぁと思ったんですけど、この民間っていうのは、国じゃなく、どういう団体から来たのかなぁっていうのを少し…

ヒシャム:えっと、ごめん。最後の質問は?

戸田:まず、首都にある盲学校が45年前に設置されたのは、民間組織によるって書いてあるんですけど、この民間組織っていうのはどういう団体からできたのかっていうのを。

ヒシャム:ライオンズクラブが、スーダンに盲学校を作りました。1960年ぐらいにつくられたんです。有名な眼医者さんがいて。その先生がすごく意識が強かったので、ライオンズクラブを通じてつくったんですよ。

戸田:それとあの、スーダンはアラビア語圏だと思いますけど、カメルーンの場合だと、障害者学校はほとんどキリスト・ミッション系で。カメルーンはイスラム教圏なんですけど、州都にあるのはキリスト教系のミッションでで。イスラム教徒の人はほとんど入っていなくて。そういう宗教的なものとか。女性に開かれていないところをレベル的にどういう風に広げていけば、ちょっと分からないので。模索として、女性とか、宗教的な壁とかを、どう越えていく方法を見出していけばいいのかなぁと。

ヒシャム: 宗教的な話は、昨日、京都大学でしました。その時、いたんですか?

戸田: ちょっと行けなかったんで、すみません。

ヒシャム: かなりお話したんですけど。スーダンでは幸いなことに、宗教的な壁はそんなに大きくはないし、イスラム教に限って差別するとかは、やっぱりなくて。みんなにサービスを提供するのは基本的なことだから。まぁ、そこに関しては、宗教的な壁はないですね。スーダンでは。

斉藤: 学校の話で言うと、盲学校をたくさんつくるというのは現実的ではないから。普通学校に、インクルージョンというか統合教育というか、そういうかたちで視覚障害者も含めた障害児を受け入れていくようなことを提案していきたいっていう話なんですよね。CAPEDSのホームページに去年行った報告書が載ってるんですけど、報告書が三つあるんです。一つは、ハルツーム大学の卒業生の会の方との対話。二つ目は、ハルツーム地区の、まぁ日本で言う特別支援教育の中核校の教師との対話。三つ目はブラインドサッカーのことで、どういう働きをしたのかっていう報告書ができてるんです。二つ目のところが、さっきの盲学校の先生っていうより、その地域の学校の中で、点字教育とかそういうことを任務としている人たちともっと接して、視覚障害者が普通学級にいるのを支援するような流れを作りたい。というのはまぁ、報告書には書かれてます。そういうことでいいのかな。

御村: 団体のプロジェクトとしては、盲学校に点字板を寄付することと、中核支援校というものをもっと養成していきまして、私たちの支援ではなく、現地の内発的な取り組みのなかで、ネットワークを張ってもらいまして、そこからワークショップを開催していくとか、そういう風にして、その障害の子どもの教育の場としていきたい、という風になっています。

ヒシャム:この後、予定が入っています。

斉藤: あぁ、時間が…。

ヒシャム: はい。

斉藤: ということで、最後がちょっと、尻切れトンボのような…。今紹介された報告のこととかも見ていただいて、あと、バシール君もぜひ次の機会もって言ってます。たとえば、研究会で呼んでもらうとか、そういう感じでも、またちょっとこういった場をつくりたいと考えています。ということで、今日は一区切りです。ヒシャム君、今日はお疲れ様でした。

ヒシャム: ありがとうございました。

斉藤: 今日は、どうも長い時間ありがとうございました。最後に、生存学研究代表の立岩さん、一言よろしく。

立岩: みなさん、こんにちは。私はここ、立命館の教員で、立岩と申します。社会学をやっています。今日は別の建物で入学試験の説明会がありまして、それに出なくてはいけなくて、今ここに着いて。今、どういう話がここでなされたのか、分からないんですけど。そのうちテープ起こししたものを拝見させていただきたいと思っています。遅くなってどうもすみませんでした。この企画は、立命館の生存学っていうタイトルの、COEの企画のひとつです。これまでは、斉藤さんがいろいろ力を尽くしてくれて、いくつかこれに関係する企画をやってきたものを、どういう形で、徐々に出していくかはこれから考えどころだなぁと思います。まぁ、そういうこともひとつはやっていきたいなぁと思います。それから、特に視覚障害とか、障害っていう風に限らず、斉藤さん自身がアフリカにおいてね、HIV/エイズのことをやってらっしゃるっていうこともあり、まぁそんなことの関わりでどういう形で国際的な問題に、我々が取り組んでいけるのかっていうこと。いろんな理論的な部分を含めてですね。そんなことを。これは5年間の企画なんですけれども、今、二年目が始まっていて、あと4年弱なんですが。その間にいろんなことをやっていきたいなぁと思います。でもそう人数が…。たくさんいるっちゃたくさんいるんですが、そうそう外に目が向いてるというか、アフリカ行ってこうリサーチしてくるっていうそういう人員が、若干、新しく出てきたんですけれども、でもまだたくさんいるわけではないので。学外のいろんな方のご協力を得ながら、アウトプットというか、面白いものをつくっていきたいという風に思っておりますので、どうぞ、よろしくお願いします。今日はそういうわけでご挨拶に。はじめまして。立岩と申します。じゃあ、今日はありがとうございました。 

(註) 独立行政法人 日本学生支援機構ウェブサイト「障害学生修学支援のためのFAQ(制度と現状)」に以下の記述があります。
Q3 障害学生を受け入れると大学に補助金が出るのでしょうか?
障害学生を受け入れる際、学内の建物・備品の整備を含め様々な経費がかかります。予算を確保する手段として、私立大学の場合、日本私立学校振興・共済事業団が障害学生の受入れに伴う助成を行なっていますので、申請して利用することができます。配分は「私立大学等経常費補助金特別補助配分基準」に定められており、障害学生の受入れに関しては「大学改革推進特別経費」の一つになっています。
詳しくは、日本私立学校振興・共済事業団ホームページを参照ください。
http://www.shigaku.go.jp/
国立大学の場合は、障害学生学習支援等経費として運営費交付金の一部として交付されています。
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座談会「視覚障害者が高等教育機関で学ぶ スーダンと日本の経験を語る」(2007年8月9日 東大先端研にて開催)



UP:200808 REV:20150712 
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