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小泉 義之
こいずみ・よしゆき
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01



・哲学・倫理学
・立命館大学文学部教授
 →立命館大学大学院・先端総合学術研究科(2003年4月〜)

■2008

◆20080601 「魂を探して――バイタル・サインとメカニカル・シグナル」,『現代思想』36-7(2008-6):80-96

■2007年度(彙報より)

◆著書
・共編著『ドゥルーズ/ガタリの現在』(平凡社)

◆論文
・2008/03/01 「病苦のエコノミーへ向けて」
 『現代思想』36-3(2008-3):68-81

◆その他
・「ドゥルーズ/ガタリの過去・現在・未来」(『月刊百科』2008年3月号)
・「Critical Life(期限付き)」(ブログ:2007年9月から)

■2006年度(彙報より)

・業績

・著書
2006/04/10 『病いの哲学』,ちくま新書,236p. ISBN:4480063005 756 [amazon][amazon] ※,
2006/07/10 『「負け組」の哲学』,人文書院、194p. ISBN:4409040790 1680 [amazon][boople]  ※,
・訳書
ジル・ドゥルーズ『意味の論理学』上下(河出文庫)

・論文
「直観空間と脳空間――戸坂潤とジル・ドゥルーズ」『現代思想』7月号
「脳表面の動的発生――ドゥルーズ『意味の論理学』に即して」『現代思想』10月号
「脳の協同――ガブリエル・タルド『経済心理学』を導入する」『未来心理』06 Winter
「反復の絵本、絵本の反復」『KAWADE道の手帖 長新太』

・書評その他
「枯れ木に水を」『京都新聞』夕刊、4月4日
書評:阿部和重『プラスティック・ソウル』『文學界』6月号
書評:浅野俊哉『スピノザ――共同性のポリティクス』『週刊読書人』2638号、5月26日
「ポストとプレ」『京都新聞』夕刊、6月1日
書評:ほしおさなえ『モドキ』『文學界』8月号
06年上半期読書アンケート『図書新聞』2784号、7月29日
「本を語る」『京都新聞』朝刊、8月6日
書評:郡司ペギオ-幸夫『生きていることの科学』『文學界』10月号
書評:江川隆男『死の哲学』『フランス哲学・思想研究』第11号
書評:2006/10/28 「書評:立岩真也『希望について』」,『図書新聞』2795:5
書評:ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』『文學界』12月号
大庭 健・井上 達夫・川本 隆史・加藤 尚武・神崎 繁・塩野谷 祐一・成田 和信 編 20061215 『現代倫理学事典』,弘文堂,1100p. ASIN:4335160402 21000 [amazon][boople] ※ b 執筆項目:「復讐」「弁解」「勤勉と怠惰」「謙虚」「高邁」「暫定道徳」「希望」「絶望」「悲劇」*
06年度下半期読書アンケート『図書新聞』2803号、12月23日
書評:多和田葉子『アメリカ 非道の大陸』『文學界』3月号 *

研究会等
「ドゥルーズ/ガタリ研究会」を京都と東京で定期的に行ない、その成果として論文集の準備に入った。




◆2006/10/28 「書評:立岩真也『希望について』」
 『図書新聞』2795:5
◆2006/07/10 『「負け組」の哲学』 ,人文書院、194p. ISBN: 4409040790 1680 [boople][amazon] ※,
◆2006/04/10 『病いの哲学』,ちくま新書,236p. ISBN:4480063005 756 [boople][amazon]  ※,

◆2005/04/01 「飢える自由? 窒息する自由?』」
 『京都新聞』2005/04/01夕刊
◆2004/08/13 「ゾーエー、ビオス、匿名性」
 『談』71:039-061
◆2004/06/01 「知から信へ」
 Webマガジン『en』2004年6月号 http://web-en.com/
 http://web-en.com/backnumber/0406/main.cfm
◆2003/11/01 「受肉の善用のための知識――生命倫理批判序説」
 『現代思想』31-13(2003-11):076-085
◆2003/10/13 「社会性と生物性」(報告)
 第76回日本社会学会大会・シンボジウム 於:中央大学
 報告要旨 2003/07提出
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/031013s.htm
 報告原稿
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/031013.htm

■研究主題(立命館大学のHPより)

 「<現代的生命論の探求と批判的歴史的研究> 現代生命科学と生命技術の進展に対応する生命論を探求している。同時に、古代ギリシア哲学、中世神学、近世形而上学、二十世紀哲学などを、批判的かつ歴史的に研究している。」

■紹介(立命館大学のHPより)

 「<生命観と自然観の再検討> 哲学と倫理学以外の分野における文献や作品を批判的に検討して、新しい生命観と自然観を探求している。当面、文学関係の分野と宗教関係の分野を探索している。また、進化論に関連する諸分野を批判的に吟味するために、性と生殖というアプローチをとって、人間と動物の関係と人間の内なる動物性について、斬新な問いを構想したいと考えている。」

■関連ホームページ

 http://www.logico-philosophicus.net/profile/KoizumiYoshiyuki.htm

■著書

◆199510 『兵士デカルト――戦いから祈りへ』,勁草書房,268p. ISBN:4-326-15313-X 2625 [amazon][boople][bk1] ※ b
□内容説明[bk1]
デカルトは兵士であった。「方法叙説」は戦いの書であり「省察」は祈りの書であった。ソクラテスに始まりウィトゲンシュタインに終わる、戦争に参加した哲学者の系譜にデカルトを位置づける。
□著者紹介[bk1]
1954年札幌市生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程哲学専攻退学。現在、宇都宮大学教育学部助教授。

◆19961020 『デカルト=哲学のすすめ』,講談社現代新書1325,213p. ISBN:4-06-149325-6 735 [boople][amazon][bk1]  ※ b

◆199708 『弔いの哲学』,河出書房新社,シリーズ・道徳の系譜,137p. ISBN:4-309-24193-X [amazon][boople][bk1] ※ b
□内容説明[bk1]
弔いとは哀悼ではない。誰かの死と私の生の断絶を思い知る事である。あらゆる問題の根本をなす生者と死者の関係を明確にする事から、現在のあらゆる幻想と欺瞞を撃ちくだく、気鋭のデカルト研究者の哲学入門。〈ソフトカバー〉
□著者紹介[bk1]
1954年札幌市生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程哲学専攻退学。現在、宇都宮大学教育学部助教授。著書に「兵士デカルト」「デカルト=哲学のすすめ」がある。

永井 均・小泉義之 199810 『なぜ人を殺してはいけないのか?』,河出書房新社,シリーズ・道徳の系譜,148p. ISBN:4-309-24210-3 1470 [amazon][boople][bk1]  ※ b
□内容説明[bk1]
中学生に「なぜ人を殺してはいけないの?」と聞かれたら、何と答えますか。ニーチェなら何と答えるか、哲学に何ができるかなど、日本を代表する哲学者2人 が、真っ向からぶつかり合うスリリングな哲学入門。
□著者紹介[bk1]
〈永井〉1951年東京都生まれ。現在、千葉大学文学部教授。
□著者紹介[bk1]
〈小泉〉1954年北海道生まれ。現在、宇都宮大学教育学部助教授。

◆200005 『ドゥルーズの哲学――生命・自然・未来のために』,講談社現代新書1504,216p. ISBN:4-06-149504-6 735 [amazon][boople][bk1] ※ b
 cf.Deleuze, Gilles
*書評・言及
・檜垣 立哉 2001/10/  「書評 小泉義之『ドゥルーズ』」,『フランス哲学・思想研究』(日仏哲学会)
 http://ningen.hus.osaka-u.ac.jp/higaki/rev-del.htm
・立岩 真也 2000/12/15 「二〇〇〇年の収穫」,『週刊読書人』2366:2

◆20030325 『レヴィナス――何のために生きるのか』,日本放送出版協会,シリーズ・哲学のエッセンス,109p. ISBN:4-14-009305-6 1050 [amazon][boople][bk1] ※ b
□内容説明[bk1]
生物としての人間の運命とは、いかなるものか。生殖の存在論とは何か。90年代に流行したレヴィナス論から離れ、レヴィナスとともに、人生の意味と人生の目的について根底から考え直す。
 *Levinas, Emmanuel

*書評・言及

川口 有美子 2007/05/23 「書評:小泉義之『レヴィナス―何のために生きるのか』(NHK出版)」
 http://booklog.kinokuniya.co.jp/kawaguchi/archives/2007/05/23/

◆20030530 『生殖の哲学』,河出書房新社,シリーズ・道徳の系譜,126p.ISBN:4-309-24285-5 1575 [amazon][boople][bk1] ※ b


■講演・他

◆2001/11/02 「未来からの視線――生命・自然」
 立命館創始130年 学園創立100周年記念事業/新構想大学院(仮称)設置準備企画 21世紀 知の潮流を創る 連続講演会 21世紀における知の課題 第5回
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/krc/koenrokuf.htm(全文掲載)


■引用

◆199510 『兵士デカルト――戦いから祈りへ』,勁草書房,268p. ISBN:4-326-15313-X 2625 [boople][bk1]

 読者への序言

 「近年、戦争や革命に対する幻滅の後に到来した懐疑論は、不徹底なままに潰えようとしている。すべてを幻想と見切ったはずの思想家たちは、カント的啓蒙をいわば善意の嘘として復権させてようとしている。[…]懐疑論を潜り抜けたはずの思想家たちが、「ナチス」「レジスタンス」という名を疑わないことや、カント的恒久平和論と正義論を復権させることは過ってはないのであろうか。敵/友理論や国家連合構想や正戦論こそが、戦争や革命を悲劇に導いてきたのではないのか。
 デカルトの懐疑が徹底的でありえたのは、私が欺かれても現に生きていること、これだけを真で確(4)実なこととして肯定して、他の一切のことを欺く神に由来する欺瞞として退けたからである。だからデカルトにとっては、生きるか死ぬかという問題以外は、すべて取るに足らない問題である。そしてとくに、病気や死をめぐる言説も価値を失う。例えば、ホッブズの自然状態、ヘーゲルの主人奴隷論、生命倫理、民俗誌的社会史は無意味になる。病気や死について何を語ろうとも、人間はいずれ病んで死ぬからである。誰でも、<一切は幻想であるし、幻想について論ずることも、幻想を利用することも幻想である>と語ることはできるし、実際そう語られてきた。しかし、<真で確実なことは、人間が生きて死ぬことだけである>と本当に知る人、そしてその知に相応しく生きる人は少ない。ここにコギトの核心があり、<老人>の智恵がある。」(pp.4-5)

 「近年、世俗的公共体を言祝ぐことを自己の使命であると考える知識人が増えてきた。そして世俗的公共体の尺度に合わせて、徳論や感情論を考える道学者も増えてきた。戦争や革命の時代は過ぎたの(5)だから、何ごとも穏当に程々にというわけである。市民という名の<大人>たちで世は溢れている。かれらは傍観者であるから、世俗的公共体に背を向ける仕方について全く考えたことはないし、高々それを、戦争や革命という形態か、犯罪や逃避という形態でしか表象しないのである。」(pp.5-6)

 第1章 戦争とデカルト

 「貴族には、革命の友となるか、革命の敵となるか、という選択肢しか開かれてはいない。いずれにぜよ貴族は、演劇の舞台で徳と力を発揮することを自己の名誉とする。これに対して傍観者は、演劇が上演された後でしか自己の存在価値を示すことができない。だから傍観者は、常に密かに演劇の閉幕と役者の死を待ち望んでいる。傍観者は貴族の名誉を知らない。
 カントは最初の傍観者であった。そしてデカルトは最後の貴族であった。」(p.10)
 「フーコーは一面的であったと思う。施設の外にいる者は、少なくとも一度は、少年の安楽を真の快楽と考えるべきではないのか。囲い込まれても快楽を享受できる少年の力を、人間の真の栄光として讃えるべきではないのか。ソクラテス的囚人ではなくストア的囚人を讃える思想こそが、刑罰制度の本質的な部分を骨抜きにして、逆にそのことで牢獄の中の現状と牢獄の外の現実を批判する力を発揮するのではないか。デカルトの道徳はまさにこの水準において理解されなければならない。」(p.38)

 「老人が過去に苦しんだ悪を想起しても満足を感ずるのは、「にもかかわらず生き続けてきた(subsister)」ことが善いと思っているからである(II.95)。」(p.45)

 「異常な事件を読んで眺めても、身近な人間が死んでも、戦争でいくら多くの人間が殺されても、驚くべきことに、私は生き延びて生き残っているのである。むしろ逆に、生きるとは常に必ず生き残ることである。そこから魂の内的情動が生じてくる。これに対して傍観者は、自己を決して悲劇の生き残りとは感じないから、魂の内的情動を感ずることはないのである。傍観者には役者であった経験がないからである。」(p.49)

 「高貴な魂は内面的には悲しまない。外面的に感覚において悲しんで共感することにおいて、内面的には喜ぶのである。それは、善意を持つこと、共感すること、責務を果たすことが、自己の完全性であると考えるからである。」(p.49)

 「苦しむ他人を前にするとき、大事なことは、他人のために嘆き悲しむという疑似完全性を選好することではないし、そのような感情を育むことでもない。他人のために嘆き悲しんでいるのであれば、そのことを言挙げするよりは、他人のために善行を為せばよい。そして他人のために善行を為すことは、他人のための完全性であるよりは、自己の完全性であり自己の徳や力である。それは魂の喜びである。」(p.50)

 「デカルトにおける悲劇の快とは、例えば悲歌を合唱する喜びである。飢えた者や死んだ者のための(51)悲歌を享受することは、外面的に嘆き悲しんで内面的に喜ぶことであり、他人のために徳や力を発揮しながら、自己の徳や力によって生き残っていると感ずることである。そして悲歌は、苦しむ他人さえも魂の喜びを喚起することがある。エリザベトとカントはこの魂の喜びを捉え損なった。あるいはむしろ、それを留保抜きで承認する勇気がなかったのである。エリザベトは共苦に拘泥したからであるし、カントには共演する意図すらなかったからである。」(pp.51-52)

第2章 神と魂の方法的制覇――フラネケルの形而上学

 第3章 魂の修練としての省察
 「ある個体が種の本性に照らして怪物と評価されることがある。しかし神は、種の本性を理念として、個体を存在させるわけではないし、そもそも種の本性なるものは人間によって作為された観念にすぎない。」(p.142)

 第4章 情念による制覇

 第5章 神学のエチカ

◆199610 『デカルト=哲学のすすめ』,講談社現代新書1325,213p. ISBN:4-06-149325-6 735 [boople][bk1]

 「<全員が生き残るか、それとも全員が死ぬ>世界だけが、算術的道徳によって一部の人間だけを優先するような状況を根こそぎにしてくれる。そして、生死に関してさえ、遠くより近くを優先して構わないとする共同体主義者はどこか過っているとしか言いようがない。共同体論者とは、遠くで何人死のうが痛痒を感じずに、先進資本主義国の良い生活を正当化する連中なのである。」(p.25)
 cf.共同体主義

 「今はデカルトとともに、「病気であるときに健康でありたいと欲望することはない」賢者が現存することだけを確認しておこう。私たちは少なくとも、賢者に学んで、病気と健康についての真実の探究を始め直すことではきる。私たちは少なくとも<聴く耳>をもつことはできるのである。」(p.50)
 「実際、私が少なくとも一箇所、体を動かせるのでなければ、私は他人の力を借りてリハビリを遂行することさえできないし、私が本質的に老いるのでなければ、私は生きているとは言えないし、生きているのでなければ、他人との関係を取り結ぶことさえできない。これがデカルトの独我論であり、このことを「コギト・エルゴ・スム」は言い表しているのである。」(p.79)
 「デカルトが<私は存在する>という言明によって言い当てようとした真実とは、死にゆく者が徹底的に独りで生きているということであるし、死にゆく者が共同性や社会性から完全に離脱しているということである。<私は存在する>という言明は、死にゆく者が生きていることを示すために発する最後のサインとして聞き取られなければならないのである。」(p.97)
 「デカルトによれば、身体に損害があっても痛くないときがあるし、痛いときでも苦しくも悲しくもないときがある。さらには「痛みを喜びをもって堪えることがある」。では、なぜこのようになっているのか。なぜこのような賢者が可能になっているのか。
 痛みは、身体の自己保存を阻害するような刺激であるとしよう。その限りでは、痛みは苦しみと悲しみを引き起こす。ところが、そのような刺激に侵されているときにも、人間は生きている。いかに痛くとも、いかに苦しくとも、現に生きているからには、以前として身体は自己を保存する力を失ってはいない。その限りでは、他ならぬこの「身体に合一している限りで、魂に属している善」が示されているはずである。そしてその限りで、魂には喜びが喚起されているはずだし、魂は生きていることを喜んでいるはずである。もちろん、この喜びは、痛みや苦しみによってかき消されがちではあるが、いかに悲惨な生であっても、魂は現に生きていることの喜びを感じることが可能である。そしてそれが本当に可能であることを、賢者が教えてくれているのである。」(p.183)
 「哲学は、忍耐を勧めているのではなく、生きていることの襞を見分けて味わうことを勧めているのである。」(p.185)
 「もちろん哲学とて、死や不死について真実を知っているわけではない。ただ哲学は生きることの善さ、存在することの価値、無ではないことの重みを知っているのである。」(p.206)

 「実際、我々が何らかの行動を選択しようとする場合には、自己選択に先立ってあらかじめ複数の選択肢が用意されていて、それ以外の可能な選択肢を考えつかないことが多いから、どうしても自己選択は既成のレールに奴隷的に服従するという形をとることになる。さらにはチャールズ・テイラーがここぞとばかり指摘するように、それ以外の選択を考えて選択したとしても、誰かからの承認がないと確信がもてないほど我々は奴隷的になっている。かくて、自由裁量の行使は稀であるし困難である。」(p.194)


◆199708 『弔いの哲学』,河出書房新社,シリーズ・道徳の系譜,137p. ISBN:4-309-24193-X [boople][bk1]

 「誰かの死と誰かの生の断絶を思い知ることは、おそらくとても大切なことである。遠くの隣人であれ近くの隣人であれ、誰かが死ぬことは、私の生とはまったく関係がないということを思い知ることが、ほんとうの弔いである。このことを具体的に誰かの死を念頭におきながら述べると、きっと非難や反発を招くだろうし、私自身にも違和感が生ずるだろう。それはどう応ずべきかは、今はわからない。ともかく、誰かの死と誰かの生は断絶しているという真理を、絶対に手放さないで思考をすすめていきたい。」(p.10)

 「ただ生きることを、さまざまな理由をあげて、おとしめる傾向がある。たとえば、延命至上主義に反対して、意識機能をなくした者を延命させる意味はないと主張する語り方である。しかし、救急医療などを除いた現代医療は、決して本来の延命至上主義に立ってはいない。いわゆる高度医療をほどこすことが本当に延命に寄与するかは実に疑わしいし、死ぬまで時をかけて待つというきわめて簡単なことがやら(79)れなくなっている。そして医療関係者は、よくこんなことを言う。他人が意識機能をなくした場合には、その人を死なせてよいかどうかについては迷うけれども、少なくとも自分が意識機能をなくしたら生きるに値しないから死なせてくれてよい、と。一見、謙虚に見えるが、きわめて暴力的だ。なぜなら[…](pp.79-80)


◆200005 『ドゥルーズの哲学――生命・自然・未来のために』,講談社現代新書1504,216p. ISBN:4-06-149504-6 735 [boople][bk1] ※

 「高分子濃度に微小な差異を与えることが、どうして症状の微小な差異として現われるのか。どうして薬物が効能を発揮するように人間はなっているのか。ところが原因療法者自身も、何も認識していないのだ。経験的に、要するに行き当たりばったりに、薬物の摂取量と摂取間隔に差異を与えて、効果の差異を待ち望むだけである。不可思議なのに、何も認識しないまま、差異を生産する力を、すなわち、患者と呼ばれる人間の生きる力を当てにする。当てにしておきながら、その生きる力を肯定しようともしないし認識しようともしない。そして些細な効能を、療法の成果だと誇る。そこをドゥルーズは批判するのだ。
 […]療法が効果を現わす場合があるのは、専門家のおかげでもなく、援助やケアのおかででもなく、何よりも身体の力と精神の力のおかげである。そんな力の認識だけが幸福なのだ。」

■言及

◆立岩 真也 2004/11/25 「死/生の本・2」(医療と社会ブックガイド・43)
 『看護教育』45-10:(医学書院)
◆立岩 真也 2006/06/00 「『病いの哲学』について・1――良い死・11」
 『Webちくま』
◆立岩 真也 2006/07/00 「近況/『病いの哲学』について・2の序――良い死・12」
 『Webちくま』
◆立岩 真也 2006/08/00「『病いの哲学』について・2――良い死・13」
 『Webちくま』



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生存学創成拠点調書 2007.2

(所属部局(専攻等)・職名)先端総合学術研究科先端総合学術専攻・教授
  ふりがな<ローマ字>    こいずみ よしゆき 
( 氏   名 ) 小泉 義之

(学位及び現在の専門)哲学修士  哲学・倫理学

これまでの教育研究の成果、アピールすべき点
本事業推進担当者は、これまでの教育研究の成果や研究活動の実績から、本研究拠点の課題のうち、特に哲学・倫理学に立脚して「生老病死」に関する社会観・生命観を積極的に提示する教育研究活動を中心的に担っていくことが可能であり、世界的な研究拠点形成に寄与し得る。
 担当者のこれまでの研究は、哲学と倫理学において、現代の生命科学・生命技術・先端医療の進展に対応しながら生老病死に関する新たな観点を提出することを行なってきたものである。
 狭義の哲学研究の分野においては、西洋近世哲学を生の観点から再解釈することを試みてきた。すなわち、戦争を生き延びて老人の観点に立った者としてデカルトを捉え直し、そこからデカルト哲学の生命論的含意と倫理的含意を最大限に引き出す研究を進め、単著二冊(『兵士デカルト――戦いから祈りへ』[勁草書房、1995年]、『デカルト=哲学のすすめ』[講談社、1996年])を刊行した。また、不可避的に有限にとどまる個体の生を見据えながらも、伝統的な魂の不死性論を近代化した者としてスピノザを捉え直し、そこからスピノザ倫理学の死生観と政治経済観を引き出す研究を進め、学術論文2本(「自己原因から自己保存へ――スピノザ『エチカ』をめぐって」[宇都宮大学教育学部『紀要』44号、1994年]、「インテリゲンティアの幸福――『エチカ』第四部をめぐって」[『哲学雑誌』109巻781号、1994年])を発表した。さらに同様の観点と問題意識から哲学・倫理学のさまざまな主要文献の研究を進め、現在に到るまで多くの学術論文(デカルト研究10本、アリストテレス研究・アウグスティヌス研究・スアレス研究・ホッブズ研究・ライプニッツ研究・ヘーゲル研究各1本、ドゥルーズ研究6本、デリダ研究2本など)を発表し、多くの試論発表や対談を行なってきた。そしてこの分野での最近の成果として、単著『ドゥルーズの哲学――生命・自然・未来のために』(講談社、2000年)(本書は2003年に韓国語訳された)、単著『レヴィナス――何のために生きるのか』(NHK出版、2003年)、共著『真理の探究――17世紀合理主義の射程』(知泉書館、2004年)、翻訳ドゥルーズ『意味の論理学』上下(河出書房新社、2007年)などがある。
 哲学・倫理学の他分野への応用、及び哲学・倫理学と他学問の境界領域において、生老病死に関連する研究を進めてきた。先ず、生命倫理学や被害者学における死をめぐるさまざまな議論が死の概念をめぐる曖昧さのために混乱していることを批判し、死と死者と死体を明確に区別する観点から西洋思想と日本思想の幾つかの古典を取り上げ、単著『弔いの哲学』(河出書房新社、1997年)、共著『なぜ人を殺してはいけないのか?』(河出書房新社、1998年)を公刊した。次に、生殖技術・再生医学の進展を見据え生殖・性の意味を捉え直し、単著『生殖の哲学』(河出書房新社、2003年)を公刊した。そして死をめぐる想像や幻想と区別して死と生の狭間の病の独特の有り様を浮き彫りにすべく、単著『病いの哲学』(筑摩書房、2006年)を公刊した。加えて、多くの学術論文と雑誌論文の中から、いわゆる社会的弱者や貧困層の立場から政治経済社会を見直して立て直す方向を考察する論稿を集めて、単著『「負け組」の哲学』(人文書院、2006年)を公刊した。
 教育に重点を置いた教育研究においては、宇都宮大学教育学部では「人権教育」を担当した学部スタッフと共著『人権を考える』(随想舎、1997年)を公刊し、また、各種の教育カリキュラム開発の共同研究と実践に参画し文部省開発研究報告書に宗教性の教育について報告した。立命館大学大学院先端総合学術研究科では独立大学院に固有の教育研究を進め、大学院スタッフと大学院生との共編著『生命の臨界――争点としての生命』(人文書院、2005年)を公刊した。


教育・研究歴
【履歴】1988年に東京大学大学院人文科学研究科博士課程哲学専攻退学後、埼玉大学教養部非常勤講師を経て、1990年に宇都宮大学教育学部講師。以 後、宇都宮大学教育学部助教授・同教授を経て、2001年に立命館大学文学部教授、2002年から立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。
【非常勤講師】これまで、栃木県立衛生福祉大学校、済世会宇都宮病院看護専門学校、信州大学人文学部、慶応義塾大学文学部、東京大学文学部・同人文科学研 究科、山口大学人文学部、千葉大学人文学部、九州大学文学部、法政大学文学部、大阪大学人間科学部・同研究科などで非常勤講師を勤めた。
【招待講演】これまで、哲学会、日本倫理学会、日仏哲学会、日本社会学会などで、大会シンポジウムなどの講演者として報告を行なった。また、慶応義塾大学 教養研究センター極東証券寄附講座などにて講演を行ってきた。

研究業績:主な発表論文名・著書名(論文名,著書名,学会誌名,巻,号,最初と最後の頁,発表年(西暦)の各項目を必ず記載すること。本人に下線を引くこ と。)
【著書】
(単著)『病いの哲学』(筑摩書房、2006年)
    『「負け組」の哲学』(人文書院、2006年)
    『レヴィナス――何のために生きるのか』(NHK出版、2003年)
    『生殖の哲学』(河出書房新社、2003年)
    『ドゥルーズの哲学――生命・自然・未来のために』(2003年、韓国語訳)
    『ドゥルーズの哲学――生命・自然・未来のために』(講談社、2000年)
    『弔いの哲学』(河出書房新社、1997年)
    『デカルト=哲学のすすめ』(講談社、1996年)
    『兵士デカルト――戦いから祈りへ』(勁草書房、1995年)
(共著)『真理の探究――17世紀合理主義の射程』(知泉書館、2005年),
    『生命の臨界――争点としての生命』(人文書院、2004年),
『なぜ人を殺してはいけないのか?』(河出書房新社、1998年)
(翻訳)ドゥルーズ『意味の論理学』上下(河出書房新社、2007年),,
    ドゥルーズ『無人島1969-1974』(河出書房新社、2003年),
【論文】(2003年以降の論文のみ掲載)
(単著)「脳の協同――ガブリエル・タルド『経済心理学』を導入する」『未来心理』2006年06号、pp.40-49.
「脳表面の動的発生」『現代思想』2006年10月号、pp.198-209.
「直観空間と脳空間」『現代思想』2006年7月号、pp.158-171.
「脳理論の創始者としてのデカルト」『科学』2006年3月号、pp.264-268.
「人間個体と真理――病気を事例として」『世界思想』2006年春季号、pp.2-10.
「神の存在証明と宇宙の存在証明」『現代思想』2005年10月号、pp.59-65.
「贖罪の時」『現代思想』2005年8月号、pp.157-163.
「生命理論と生命哲学」『フランス哲学・思想研究』2005年第10号、pp.30-40.
「正常と病理――デュルケム『社会学的方法の規準』に即して」2005年度科研費報告書.
「脳のエクリチュール――デリダとコネクショニズム」『現代思想』2005年2月号、pp.204-226.
「二つの生権力――ホモ・サケルと怪物」慶應義塾大学教養研究センター編『生命の教養学へ』(慶應義塾大学出版会、2005年)pp.67-96.
「生殖技術の善用のために」『神奈川大学評論』2004年3月号、pp.73-81.
「社会構築主義における批判と臨床」『社会学評論』55-3 (2004)、pp.209-222.
「医療と機会平等」2004年度度科研費報告書.
「デカルトのマテーシス――精神・機械・生物」『フランス哲学思想研究』2003年第8号、pp.2-13.
「受肉の善用のための知識――生命倫理批判序説」『現代思想』2003年11月号、pp.76-85.
「言霊を吹き込む死と子ども」『文藝別冊 小林秀雄』2003年8月号、pp.95-102.
【学会発表等】(2003年以降の発表のみ掲載)
    「エゴイストとしての病人」日本倫理学会2004年第55回大会共通課題報告.
「生命理論と生命哲学――ドゥルーズ/ガタリを参照して」日仏哲学会2004年春季シンポジウム報告.
「社会性と生物性」日本社会学会2003年第76回大会シンポジウム2報告.
対談「物語をやめよ!=「生きる」ことの哲学を構想する」(郡司ペギオ-幸夫氏と)『RATIO』2005年01号.
対談「西田から「哲学」を再開するために」(檜垣立哉氏と)『西田幾多郎――永遠に読み返される哲学』(河出書房新社、2005年).
対談「「いのち」、ゾーエーとビオスの狭間で」(金森修氏と)『談』2005年74号.
対談「いまこそ「生命の哲学」を!」(檜垣立哉氏と)『本』(講談社, 2003年5月号).
対談「イデアとゲノムの生命論」(中村桂子氏と)『本』(講談社、2001年1月号).
インタヴュー「生殖技術の驚異的進展, 新しい生命観の模索を」『朝日新聞』夕刊(2003.7.17)
参 考(受賞名及び受賞年度、国際会議発表状況(基調講演、招待講演等を特記)等の積極的に提供すべき情報を記載する。)

『現代倫理学事典』(弘文堂、2006年)にて9項目を執筆するなど、これまで事典等の執筆もしてきた。
また、2000年から2007年現在までの7年間にわたり『文學界』『文藝』で文芸時評を担当してきてところである。加えて、1999年には『図書新聞』 で思想時評などを担当してきた。

安楽死・尊厳死法制化反対に賛同(2005)



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◆2007年度研究ノート(7本)

◇HIV/AIDS主流派批判(1)
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/hivaids_01.doc
◇HIV/AIDS主流派批判・批判(1)
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/hivaids_02.doc
◇HIV/AIDS主流派批判(2)
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/hivaids_03.doc
◇HIV/AIDS主流派批判・批判(2)
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/hivaids_04.doc
◇HIV/AIDS主流派批判(3)
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/hivaids_05.doc
◇HIV/AIDS Case(1)
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/hivaids_06.doc
◇HIV/AIDS AZT(1)
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/hivaids_07.doc


◆2007年度学部講義「性」関連資料ノート(4本)

◇lesbian/queer/trans
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/classnote2007_01.doc
◇heterosexuality
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/classnote2007_02.doc
◇sex war
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/classnote2007_03.doc
◇最終回概要
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/classnote2007_04.doc


◆2006年度学部講義「労働論導入」資料(1本)

◇「労働論導入」
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/class2006_01.doc


◆2006年度インタビュー準備資料(6本)

◇ベーシックインカム
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/p_i_01.doc
◇公的扶助・生活保護集団申請
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/p_i_02.doc
◇福祉国家批判・リベラリズム批判
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/p_i_03.doc
◇生存権:福田徳三・左右田喜一郎
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/p_i_04.doc
◇大河内理論
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/p_i_05.doc
◇労働力商品
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/p_i_06.doc


◆2006年度<難病と倫理>研究会 (2本)

◇発表原稿
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/n_e_h.doc
◇資料
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/n_e_s.doc


◆2005年度大学院単発講義資料 (2本)

◇生命の倫理・政治・経済ノート
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/graclass2005_01.doc
◇「医療と機会平等」(2004年度科研費報告書掲載)
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/graclass2005_02.doc


◆2005年度学部講義「生命論の歴史」資料 (8本) 

◇アリストテレス
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/class2005_01.doc
◇イエス・キリスト
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/class2005_02.doc
◇デカルト
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/class2005_03.doc
◇前成・後成・機械・生気
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/class2005_04.doc
◇ラマルク
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/class2005_05.doc
◇フーコー
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/class2005_06.doc
◇Lenny_Moss
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/class2005_07.doc
◇怪物
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/class2005_08.doc


◆2004年度学部講義「生権力・生政治」資料 (5本)

◇ミシェル・フーコー
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/class2004_01.doc
◇ジョルジョ・アガンベン
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/class2004_02.doc
◇ハンナ・アレント
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/class2004_03.doc
◇ドゥルーズ/ガタリ
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/class2004_04.doc
◇総論
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/class2004_05.doc


UP:2002 REV:200303,0514,0704,1016,1107 20040603,0826 0928,29,30 20060413 0818 20070530 0724 0902 20080228 0506 0627
立命館大学大学院・先端総合学術研究科  ◇哲学  ◇WHO 

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