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「われわれは大学が何をなしうるか、ということさえわかっていない」
小泉 義之
20091027
『現代思想』37(14)
,青土社
last update: 20120615
われわれは大学が何をなしうるか、ということさえわかっていない
(1) 小泉義之
オルタナティヴが可能であるはずなのに
可能であるはずのことが、なかなか現働化しない。潜在的なものは潜在したままにとどまるからだろうか。可能とされることにリアリティが乏しいからだろうか。そこはわからないが、理由の一つは、不可能なことに直面していないからだと思う。
何かを願っているだけでは足りない。半歩でも踏み出すと、「それはできません」「できないことになっています」と告げられる。不可能とされていることにぶち当たる。そうして、思考の方向が定まってくる。思考の方向を定めるのは不可能なるものである――これは現代思想の教えの一つであった。
大学改革や教育改革など、ほとんどどうでもよいことである。既成の可能性の範囲を出るものではないからだ。新規の可能性を開くことがあっても、同時に別の不可能性を制度化するからだ。
そこで、先人に学んでみることにする。温故知新である。もちろん現在の経験から出発して過去から先人を引っ張り出すわけだが、そんな遡源の技法こそが温故知新の要諦であろう。
塙保己一と和学講談所
塙保己一(延享三年[一七四六]−文政四年[一八二一])は、『群書類従』を刊行したことでよく知られている。『群書類従』は六六六冊からなり、その刊行には三十数年が費やされた。「刊行の直接経費だけで一万両余、現在の貨幣価値で恐らく十数億円」の事業であった(2)。つまり、一年間に三千数百万円程度の直接経費で、三十年ほど継続するなら達成できる事業であった。
この事業の推進体が和学講談所である。塙保己一は寛政五年(一七九三)二月に寺社奉行に対して和学講談所創立の願書を差し出し、同年四月に開設が許可されている。ほどなく寛政七年(一七九五)に、幕府は、和学講談所を寺社奉行管轄下から、既に官立化していた昌平坂学問所の林大学頭の管轄下へ移し、その後、文化三年(一八〇六)以降は、和学講談所に対して『武家名目抄』『孝義録』などの校正・編纂を命じている。つまり、和学講談所は、官からの助成を受ける私立の機関として出発して、官立高等研究教育機関附置施設でもある半官半民の機関に移行しながら、出版事業を営むと同時に、官版の編纂も行なっていたのである。なお、和学講談所は、塙保己一の死後も、明治維新期に閉鎖されるまで、通して七十数年存続した。長命の研究教育センターであった。
和学講談所の財政事情を一瞥しておくなら、主たる収入は、幕府や水戸藩からの給付金、出版事業からの収入、門人からの授業料と謝金、塙保己一の検校としての収入、そして、幕府からの拝借金、大坂町人からの借金である。主たる支出は、出版事業のための費用、すなわち、史資料の調査・蒐集、文献の校訂・編集、広告・販売のための費用、そして、作業にあたる門人にかかる費用などである。『群書類従』だけをとってみるなら、総収入と総支出はほぼ同額であり、特段の利益も不利益もなかったようである。他の費用については、検校としての収入をもってあてていたと推測されている(3)。要するに、和学講談所とは、門人に和学を講ずる高等教育機関であると同時に、門人を雇用もして研究成果を社会に発信する高等研究機関でもあった。
では、和学講談所の事業において、塙保己一が盲人であったということは、どのように効いていたのであろうか。どのように有利に、あるいは不利に働いていたのであろうか。そこを考え合わせながら、現在について考えてみる。
二つの不可能事
大学での研究教育に関して、不可能とされていることを二つほどあげて、大学に可能なことを考えるための手がかりとしてみる。
@大学図書館は構成員に対して開かれている。構成員が所定の手続きを踏むなら、所蔵図書を閲覧したり借り出したりすることができる。そのようにして、大学は、構成員が所蔵図書を利用することを保証している。あるいは、大学が所蔵図書の利用を保証しているからこそ、一定数の人びとが大学に参集してくる。ところで、大学の構成員には視覚障害者が含まれている。大学は視覚障害者を構成員として受け入れている。そして、構成員たる視覚障害者も所定の手続きを踏むなら、所蔵図書を借り出すことができる。ところが、そのままでは、所蔵図書を利用することはできない。配架場所で所蔵図書を閲覧することもできない。大学は、視覚障害者が所蔵図書を利用することを保証していない。視覚障害者は大学の研究教育条件に惹かれて参集しているにもかかわらず、大学もその志望を認めて受け入れているにもかかわらず、利用を保証していない。
A市場は万人に対して開かれている。誰でも所定の手続きを踏むなら、すなわち、商品の代金を然るべき仕方で支払うなら、商品を購入し所有し使用することができる。そして、出版は事業化され書物も商品化されているので、誰でもその代金を然るべき仕方で支払うなら、書物を購入し所有し使用することができる。ところで、視覚障害者も代金を支払って書物を購入し所有することはできる。ところが、そのままでは、使用することはできない。使用し消費し享受することはできない。市場は万人に対して開かれていると聞かされているが、出版市場は購買者としての視覚障害者には開かれていても、消費者としての視覚障害者には閉ざされている。
こうして、視覚障害者が半歩を踏み出して図書や書物を使用せんとすると、あちこちで「それはできません」「できないことになっています」と告げられる。不可能とされていることにぶち当たる。
五つの可能事
こうした不可能事を突破ないし迂回するための伝統的な方式がある。二つにまとめてみる。
第一に、視覚障害者に対面して誰かが書物を読み上げる方式である。これは、塙保己一も活用した方式である。塙保己一は、朗読者に恵まれていた。家族に加えて、当道座に所属する使用人たちや和学講談所の門人たちがいた。さらに、交友関係にあった文人たち、御小納戸衆の松平乗尹、与力・歌学者の萩原宗固、国学者の賀茂真淵などがいた。この朗読は一方的な贈与として行なわれたのではない。大学の演習にも引き継がれているように、一定数の集団が構成する場において、誰であれ音読することは、ことに訓読や翻訳を要する文献においては、読解や理解のための、また、校合や校訂のための最も有効で効率的なやり方であり、それが知識の相互交換として行なわれていたのである。第二に、視覚障害者が手指で識別できる文字を誰かが作成する方式である。これは、塙保己一も利用していたはずの方式である。具体的には、誰かがその指でもって視覚障害者の掌に文字を書き記すこと、誰かが視覚障害者用に紙を縒って〈こより文字〉や厚紙を切り抜いて〈切り抜き文字〉を作成することである。なお、視覚障害者が物を書くための〈木活字〉も作成されており、〈墨字〉を打ち出すこともできていた。
第一の方式は、眼から口を経て耳へと、視覚情報から聴覚情報へ感覚モダリティを変換する方式である。第二の方式は、眼から指を経て手指へと、視覚情報から触覚情報へ感覚モダリティを変換する方式である。それぞれが、視覚と聴覚をともに活用できる人間や、視覚と触覚をともに活用できる人間の介在を必要とする。塙保己一の場合、そんな人材は、半官半民の資金によって、また、家族内の援助関係と文化的で学問的な相互交流によって確保されていた。
現在は、新たな条件が付け加わっている。感覚モダリティの変換において情報技術を利用することができるようになっている。人間が果たす役割の一部を情報技術でもって代替できるようになっている。書物を作成する過程でその内容が電子データとして作成され伝達されているし、既存の書物の内容を電子データに変換することが行なわれている。そして、電子データを音声へと転換したり点字へと転換したりすることが可能になっている。
ここで問うことにしよう。この状況において、大学は何をなしうるのか、と。われわれは大学がなしうることをわかっているのか、と。
よく口にされることだが、大学の使命は、既存の制度に囚われないで思考することである。既存の制度によって不可能とされることに対して、別の可能性を思考することである。そのときに大切なことは、既存の用語だけでもって物事の可能性や不可能性について思考しないということである。既存の用語は、大概の場合、思考を停止させる機能を有しているからである。例えば、「著作権」という用語がどのように使われているかを考えてみるがよい。著作権制度そのものが学問文化の何ものかを保護しているとは認められるかもしれないが、「著作権」なる単語そのものが、「それは、できません」「できないことになっています」といった類の門前払いや言い訳以外に使われる場面があるだろうか。同じことは、「法人化」や「産学協同」についても指摘できるだろう。それらは、何ほどかの可能性を開きはしても、多くの可能性を不可能事として禁止して排除している。そのことに気付かずして、大学になしうることがわかるはずがない。以下、先の二つの不可能事に絞って、可能であるはずのことを数点だけ指摘する。
@大学は、附属図書館の所蔵図書と新規購入図書のすべてを電子データ化することができるし、するべきである。大学図書館の連合、大学と出版社の産学協同を組織して事業化することが可能である(4)。
A電子データ化に要する費用は、大学予算、各種の外部資金・助成金・補助金を利用することができる。また、産学協同による利益を見込むことができる(5)。
B既存の法権利制度の下での利害衝突・利益相反に関しては、いくらでも調整可能である。あるいはむしろ、新たなビジネス・チャンスを創造することでもって突破することが可能である。
C視覚障害者を〈代表〉する座を組織して、そこに権利・利権を賦与することができる。例えば、電子テキストデータを音声情報や触覚情報に転換する技術の開発・販売・使用に関する権利・利権の一部を賦与するのである。具体的には、各社を〈勧進〉して回ることは非効率的であるので、各種の税収を視覚障害者組織に〈配当〉することになろう。要するに、視覚障害者に対し、この件に関して〈官金〉のダイレクトペイメントを実行することができるし実行するべきである(6)。
D出版社と印刷会社は、電子データを商品化して事業化することができる。当面、視覚障害者が書物代金に概ね相当する額を支払いさえするなら、電子テキストデータを販売することができる。そのことが既存の書物の販売利益を侵害しない仕方で、あるいはむしろそれを促進する仕方で行なうことができる。また、出版社は著作権が切れていようが切れていまいが、視覚障害者団体や大学図書館連合組織と提携して事業を興すことができる(7)。
和学講談所が偉大であったのは、視覚障害者の感覚能力使用法、視覚障害者自身の組織体、視覚障害者に賦与されるべき法権利を活用しながら、視覚障害者を含む万人に開かれたデータベース構築を国家と民間が共同して七十年もの歳月をかけてやり抜いたからである。そして、和学講談所の現代化は必要でもあるし可能でもある。
再び可能性のアートへ
以上は、大学が法人化や産学協同を奇貨としてなしうることの一端に過ぎない。肝心なことは、不可能とされていることを手がかりとして、可能にされるべきことを見抜くというそのことである(8)。「われわれ」は、視覚障害者が否応なしに直面させられている不可能事を介して、視覚障害者を含む万人のために大学がなしうることを思考してみることができる。ドゥルーズ『シネマ』の文章を使って結語とするなら、大学の酩酊・努力・抵抗においてこそ、大学の硬直・麻痺・疲労においてこそ、大学の不可能においてこそ、思考と行動の方向が定められるのである。
註
(1) この表題は、ドゥルーズの一文における「身体」を「大学」に置き換えたものである。ジル・ドゥルーズ『シネマ2*時間イメージ』宇野邦一他訳(法政大学出版局、二〇〇六年)二六三頁参照。
(2) 熊田淳美『三代編纂物/群書類従・古事類苑・国書総目録/の出版文化史』(勉誠出版、二〇〇九年)七頁。
(3) 山下武「和学講談所の実態」温故知新学会編『塙保己一研究』(ぺりかん社、一九八一年)、熊田淳美、前掲書、四七−六八頁参照。ただし、門人の屋代弘賢は幕府右筆役であるなど、人件費は公的に支出されてもいた。なお、重要な論点なので、検校としての収入について簡単に覚えを記しておく。
当道座の理解にかかわるが、検校としての収入を、単なる個人所得と見なすわけにはいかない。『世事見聞録』「盲人の事」などは、当道座の高利貸業に対して罵詈雑言を投げつけながら、当道座の構成員は私利を貪っていると非難しているが、その類の言説は、同時期のヨーロッパに見られるユダヤ人差別言説と同型である(ソシュールの反ユダヤ主義も参照せよ。互盛央『フェルディナン・ド・ソシュール――〈言語学〉の孤独、「一般言語学」の夢』[作品社、二〇〇九年]一一三−一一五頁)。
検討されるべきは、高利貸業、あるいはむしろ金融業の元手となる資産の由来と性格と機能である。加藤康昭は、当道座の資産の起源に関して、一つは芸能・医業の独占権に由来する蓄財、一つは官位を得るための「官金」用の退蔵貨幣であるとしている。そして、金融業に関しては、「官位をあがなう金子を官金といい、転じてそれを元にした貸金、さらには座頭の貸金一般を官金と称した」として、あたかも幕府の資産であるかのごとくに装って貸金の取り立てを行なっていたとする通念に追随している(加藤康昭『日本盲人社会史研究』[未来社、一九七四年]一二八頁)。「配当」の「転成」もここに関連する。同じく加藤康昭は、当道座の構成員が武士・町人・村民から集めるところの品目や金子は「配当」と称されており、これは「配当=施物」の意味であったが、寛永期以降には、当道座内部における金子等の構成員への分配も「配当」と称されるようになり、その意味において当道座は「配当座への転成」を果たしたとしている。つまり、寛永期の各種法令は、「配当=施物」を当道座内部で「配当」することを制度化して保証したものであることを正しく指摘している(加藤康昭、同書、一五八頁、一九五頁)。とするなら、配当についての共時的・システム的な理解を、官金の転義にも押し及ぼすべきであるはずである。寛永期における勧進の制度化は、人々から座への配当として、同時に、座内部での構成員への配当として制度化されたのだとするなら、座の資産は税に相当する資産であると、少なくとも半官半民の資産であると言うべきであろう。勧進の制度化、配当座の転成とは、当道座への徴税権の賦与であると解するべきであろう。とするなら、当道座の金融資産が官金と称されるのも当然であることになる。しかも、言うまでもないが、当道座の金融業に携わっていたのは盲人だけではない。そもそも当道座の構成員は盲人だけではない。また、その金融業で利益を得ていたのは、そこに投資していた武士や僧侶や町人(中山太郎『日本盲人史(正・続)』合本復刊[パルトス社、一九七五年]三五〇頁参照)、資金を事業にあてた広汎な層に及んでいる。とするなら、当道座の金融業は、その資金源と機能からして半官半民の事業と見られるべきであり、本稿の文脈に絞っても、塙保己一の検校としての収入のうち和学講談所に費やされた分については、税収とその運用利益からの助成金や補助金に相当すると言うこともできる。検校としての収入を和学講談所に注ぎ込むことを、単に私的な献身と見るわけにはいかないのである。寛政改革期に塙保己一が当道座取締役という新儀の役職に就いていたことと合わせ、政治経済的に幅広い観点からの検討が必要である。
(4) 電子テキストデータ化は、歴史的に何度か繰り返されてきた編纂事業の現代版として理解しておいた方がよい。『群書類従』以前にも、何度か文献編纂が行なわれている。それら叢書のほとんどは伝わっていないが、よく理解しなければならないのは、ある時期に集中的に編纂事業が取り組まれたからこそ、ある程度の書籍が伝承されてきたということである。各時代の〈百科全書派〉が、とくに新たなメディアが登場した時期に事業を推進してこなかったならば、われわれは孔子もプラトンも手にすることはできなかったはずである。現在は、写本事業に相当するマイクロフィルム化とPDF化の事業に引き続いて、電子テキストデータ化の事業が進められているわけである。そして、昨今の電子データ化やアーカイヴ化はすぐに陳腐化を免れないだろうが、電子テキストデータ化は遠い未来につながる事業である。今後、それこそ七十数年をかけて継続されるべき事業なのである。その間に電子テキスト化されない文献は、紙としての書物や資料はやがて物理的に劣化して崩壊するからには、未来へと伝承される可能性を喪失すると言ってもよいだろう。ところが、電子テキストデータ化は幾つかの機関で進められているものの、広範な協同体制は組まれていない。グーグル社の事業にしても、取りこぼされる文献が多すぎる。欧米の電子ジャーナル事業の難点も周知のことである。産官学協同が組織されなければ重大な欠落が生じてしまうし、この点で大学が果たすべき役割は沢山ある。なお、視覚障害者の場合、点字図書館が設立されてきたことが、現時点での制約とも可能性ともなっている(その歴史的経緯と法権利については、梅田ひろみ「障害者サービスの法的根拠」『情報の科学と技術』五一巻一一号[二〇〇一年]参照)。種々の制約があろうとも、点字図書館や点字サービス部門こそが、和学講談所の現代化の一翼を担うことができるはずである。電子テキストデータ化は、散発的に進められるべきではない。それこそ公(共)的・共(通)的に取り組まれるべき事業である。
(5) 産学協同や知財戦略や民間経営手法導入の典型例として、液晶カラーディスプレイや完全ヒト抗体の事業化があげられることがあるが、それほど明るく喜ばしい話だろうか。見込利益額の桁の大きさによって喚起される以外の喜びがあるのだろうか。もちろん、ある。しかし昨今のマネジメント言説はそこを取り逃がしているし、ひいてはより豊かな利益の可能性を逸している。
(6) 老中の松平定信は、座取締役の任にあった塙保己一らが座未加入の盲人の把捉を要求したのに対して、人別改における盲人調査・把捉の要求は拒否し、武家屋敷住居扶持の鍼治盲人を座の対象外としながらも、その代わりとして晴盲を問わず遊芸者全般を座の支配対象とするという案を持ち出した。座側はこう回答した。「明眼ニ而琴三味線ニ合候遊芸いたし候者は作業ニ付支配仕、盲人ニ而針治導引等を業ニ仕候者は其身分に付支配仕度」とである(加藤康昭『日本盲人社会史研究』[未来社、一九七四年]三三九−三四二頁参照)。「作業」と「身分」を区別しながら、「作業」に対する権益を要求したのである。寛政の改革とは、そんな案も出すことのできるものだったのである。なお、当道座に限らないが、近世の障害者施策を「慈善」の一語で括ってわかった気になる向きが多過ぎる。慈善制度は政治経済的にも重要なものであってその分析はいまだなされてはいないのである。そして、昨今の地域福祉や福祉ネットワークに比して、近世の慈善制度は遙かに透徹したものであった。例えば、慈善の理解においても種々の難点を含む中山太郎の著作に引かれているが、当道座の最後の生き残りであった森田嵩英翁の美しい証言を参照せよ(中山太郎『日本盲人史(正・続)』合本復刊[パルトス社、一九七五年]三九三頁)。大学に限らず、幾つかの分野では、短期間の委託や少額の助成金でもって事業化・ビジネス化を進めると称し、委託助成を受ける組織の側では自律(自立)と依存の関係をめぐって難題が生じているといった類の陰気な現実があり、それについてこれまた陰気な分析が進められている。例えば、演劇界については、佐藤郁哉『現代演劇のフィールドワーク――芸術生産の文化社会学』(東京大学出版会、一九九九年)、福祉業界については、村田文世『福祉多元化における障害当事者組織と「委託関係」』(ミネルヴァ書房、二〇〇九年)。温故知新して陽気に、と言っておきたい。
(7) 本稿では触れなかったが、現在の法権利制度や情報技術水準の下でもなしうることは多い。青木慎太朗編『視覚障害学生支援技法:生存学研究センター報告6』(二〇〇九年)、財団法人マルチメディア振興センター・書籍デジタル流通に関する研究会(座長:松原洋子)『報告書』(二〇〇九年)参照。出版社の状況については、植村要「出版社から読者へ、書籍テキストデータの提供を困難にしている背景について」『Core Ethics』第四号(二〇〇八年)参照。なお、書籍をOCR(Optical Character Reader)にかけて電子テキストデータ化する作業は人件費・校正費等を要するために、相当の費用を必要とする。これに対して、少なくとも近年の出版書籍に関してなら、電子テキストデータを通例の市販価格以上の価格で販売しても十分に売れるし、社会経済的にも効率的である(本来は、文字データだけの抽出で済ますなら、市販価格以下の価格であるべきだが)。ともかく、どの段階の電子テキストデータであれ、その販売は直ちに可能である。必要なら〈官金〉を〈配当〉すべきである。出版社各位と関係機関に対して善処をお願いしておきたい。
(8) 工場労働者の思い出を記しておく。昔の工場労働者は「鉄砲以外なら何でも作れる」と胸を張ったものだ。そして、ニヤッと笑って「鉄砲作るのは簡単だけどな」と付け加えたものだ。それが労働者の誇りというものであった。非合法的不可能事は実は容易に行なえるが、合法的可能事なら何だって行なえるし、後者を何だって行なえるからには前者を行なうのも容易である、というわけである。この労働者倫理は戦中から戦後にかけての生産力主義や戦後の経済成長と共振していたわけではあるが、そこには肯定されて引き継がれるべきものがあるのも確かなことである。
■言及
◇小林 卓・野口 武悟 20120125
『図書館サービスの可能性――利用に障害のある人々へのサービス その動向と分析』
,日外アソシエーツ.
(pp76-77)
本章の最後に,レビュー論文としての範疇を大きく越えるものであるが,哲学者の小泉義之が大学図書館の障害者サービスについて『現代思想』に寄稿した文章41)を手がかりに,「社会を変える力」の一例を示してみたい。小泉の文章は「われわれは大学が何をなしうるか,ということさえわかっていない」というもので,『群書類従』を編纂した江戸時代の視覚障害者であり国学者であった,塙保己一と和学講談所に言及し[77>ながら,視覚障害者と大学図書館(引いては出版全体)についてその可能性を語っている。先日,マイクロソフト社がDAISYに取り組み始めたことと考え合わせると,飛躍するようであるが,歴史的なメディアの一大変換期には視覚障害者をはじめとする障害者が大きな役割を果たしていることが多々あるのではないか,という仮説が提唱される。
昨年2010年はアマゾン社のKindle,アップル社のiPadなどにより,日本における何度目かの「電子書籍元年」になるのではないかといわれていた。その行く末はまだ定かではないが,我々は,こうした新しいデバイスなり文化システムなりが普及するとき,それをテクノロジーの成果としてとらえ,メーカーのいわば「プッシュ」にばかり目が奪われがちである。
しかし,「技術的に可能である」ということと,「それが社会に受容(レセプト)される」ということは,別のものであって,そこにはユーザ側のいわば「プル」の要因がなければならない。よくインターネットの説明などがされる場合,「ARPAnetが前身であり」「TCP/IPのプロトコルを採用したことにより」という語り方がされるが,そうした技術的なことと同等以上に重要なのは,それを受け入れて育んだ1960年代アメリカ学生運動の流れをくむ,アメリカ西海岸の草の根ネットワーク,ミニコミ文化があったということである注4)。
電子書籍が今のように注目をあびる前から,視覚障害者と図書館関係者は,テキスト(および音声)のデジタル化に注目し,そのフォーマットを,試行錯誤しながらつくりあげてきた。今日の電子書籍のユーザビリティについて,視覚障害者コミュニティが,「プル」の文化(下地・準備)をつくり,開発へのフィードバックを行ってきたのである。このことを考えると,塙保己一が,今日までの日本の「文化」のもっとも底のところにある「20字×20行の400字詰め原稿用紙」の基礎をつくりあげたことは象徴的であるといえる。
視覚障害者が「プル」のすべてではないし,もちろん電子書籍の開発にはもっと様々な要因が複雑にからまっている。しかし,「バリアフリー出版」「出版のユニバーサルデザイン」の流れが,これに大きく寄与したことは間違いないだろう。
*作成:
小泉 義之
UP: 20091026 REV: 20120615(
植村 要
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『現代思想』
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異なる身体のもとでの交信――情報・コミュニケーションと障害者
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