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『生命の臨界――争点としての生命』

松原 洋子・小泉 義之 編 20050225 人文書院,306p. ISBN: 4409040723 2730


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■松原 洋子・小泉 義之 編 20050225 『生命の臨界――争点としての生命』,人文書院,306p. ISBN: 4409040723 2730 [amazon] ※

 人文書院HPの紹介:http://www.jimbunshoin.co.jp/mybooks/ISBN4-409-04072-3.htm

 *合せて『現代思想』よろしく。再録感謝→青土社様
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生命をめぐる争点の地勢図
バイオテクノロジーの発達により、根源的再考を迫られる人間概念と生命の倫理。
われわれは未曾有の危機とともに、新たな生命論、身体論、人権概念の誕生前夜
というスリリングな時代に遭遇している。拡大する問いの圏域、加熱するコンフリクト。
科学・哲学・教育・社会・生態から領域横断、融合的にとらえる生命論のハードコア。
(帯より)

まえがき(松原洋子) 全文掲載↓

T 医学と科学
 生物医学と社会……………………松原洋子
 「新遺伝学」と市民………………松原洋子
 病と健康のテクノロジー…………市野川容孝・松原洋子

U 生命と教育
 「いのちの教育」に隠されてしまうこと−「尊厳死」言説をめぐって
            …………大谷いづみ
 「問い」を育む−「生と死」の授業から
            …………大谷いづみ

V 生態
 「生態遷移」というグランド・デザインの発想−20世紀の生態学と遺伝学
            …………遠藤彰
 現代の「環境問題」と生態学
            …………遠藤彰

W 生−政治
 ゾーエー、ビオス、匿名性
            …………小泉義之
 生存の争い…………………………立岩真也・小泉義之

あとがき(小泉義之) 全文掲載↓

 
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■まえがき                                 ……松原洋子

  本書のキーワードは「争点としての生命」である。
  2004年秋の米国大統領選では、まさに「生命」が争点の一つとなった。ES細胞(胚性幹細胞)研究にブレーキをかけてきたブッシュ政権を批判し、民主党のケリー候補がES細胞研究推進を公約の一つに挙げたのである。ヒトES細胞は移植医療に新たな道を開くものとして注目されているが、人の胚を壊して作られるために、中絶反対派のブッシュ政権は「生命尊重」の立場からES細胞研究を厳しく制限してきた。妊娠中絶合法化の是非は、1980年代から常に大統領選の争点となってきたが、今回はその対立構造の上にES細胞研究の是非が上乗せされることになったのである。
  1998年11月にベンチャー企業の資金によって米国ウィスコンシン大学でヒトES細胞の樹立に成功してから、再生医療のホープとしてES細胞が一挙に躍り出た。先進諸国の中でもとりわけ生物医学研究に連邦予算を傾注してきた米国政府としては、当然力を入れるべきところであったが、プロ・ライフ派のブッシュ政権が2000年秋に誕生したために、ES細胞研究に限って異例の縛りがかけられたのである。
  連邦政府のこうした姿勢は、高度な先端医療研究を推進してきた米国のプライドに関わる問題である。プロ・チョイス派の民主党ケリー陣営はこれに注目して、大々的にキャンペーンを行った。大統領選挙をにらんだ2004年7月の民主党大会ではレーガン元大統領の息子に、ES細胞研究を促す演説をさせ、共和党関係者を当惑させたという。ES細胞研究はアルツハイマー病の治療に役立つといわれており、この病気の夫を看取ったナンシー夫人もES細胞研究を支持しているといわれる。
  中絶の是非は「生命」をめぐる古典的な争点といえる。しかし、ヒトES細胞の浮上は、胚に移植用の医療資源という新たな付加価値をもたらした。難病の治療法の開発は、万人が認める善であるはずが、そこにヒト胚が関わったためにねじれが生じたのである。
新たな治療法の開発に伴う倫理的なジレンマとしては、かつては人体実験が代表であり、被験者保護、インフォームド・コンセントといった医者―患者関係を中心とした医療倫理としての生命倫理の枠組みの中にあった。しかし、遺伝子技術、細胞融合技術、生殖技術、移植技術などの急速な発展によって、1970年代以降様相が変化してきた。医療資源として、新たに脳死体、胚、胎児、動物(とくに遺伝子組換え動物)が登場し、さらに遺伝子、体細胞、生殖細胞、組織、器官などの人体部品の医療、研究における重要性がにわかに高まってきたのである。また、動物の権利を重視する立場から医学研究に不可欠とされてきた動物実験を中止する、あるいは厳しく制限する運動も高まってきている。背景には環境倫理を重視する運動の広がりがあり、自然界における人間の地位の見直しという大きな問題が関わっている。しかし同時に、動物実験の制限はこれに代わるヒト組織・細胞での安全性検査の拡大という流れを生み出し、ここでまた人体部品の獲得とドナーの保護という問題を再び浮上させることになる。生命倫理と環境倫理の課題がさらに複雑になっているのである。
  ここで生命倫理と環境倫理について簡単にふれておこう。
  「生命倫理」は英語の「バイオエシックス」(bioethics)の訳である。バイオエシックスは、「生命」を意味するギリシャ語「ビオス」(bios)に由来する「バイオ」(bio)と「倫理(学)」(ethics)を組み合わせた造語である。この言葉が最初に使われたのは、がんの研究者であったファン・レンセラー・ポッターが1970年に書いた論文「バイオエシックス―生存の科学」といわれる。ただしポッターがここで問題にしたのは、環境危機や人口問題のただ中で人類が生き延びるための生態学にもとづく倫理、いわば現在の「環境倫理」にあたるものであった。したがってポッターの「バイオエシックス」の「バイオ」は、生態系を視野に入れた広い意味をもっていた。
  しかし、その後「バイオエシックス」という言葉が有名になったのは、環境ではなく、医学・医療に関わる倫理を示す言葉としてであった。「バイオエシックス」は、1971年に設立されたジョージタウン大学ケネディ研究所に「バイオエシックス・センター」が置かれ、同研究所のプロジェクトとして『バイオエシックス百科事典』(1978年)が出版されたことにより、定着していった。また1969年にはヘイスティングス・センターが設立されており、初期のバイオエシックス研究においてケネディ研究所とともに双璧をなしていった。こうして主流になった「バイオエシックス」の「バイオ」は、医学・医療における「人の生命」を意味し、人体実験、脳死、臓器移植、安楽死・尊厳死、人工妊娠中絶、遺伝子診断・遺伝子治療、生殖医療、医療資源の配分などが議論の焦点となっていった。
  このように生命倫理と環境倫理は、1970年代にアメリカで注目され、その後先進諸国を中心に広がっていった比較的新しい問題領域である。現代の科学技術文明は、人間を含む生物の生存のあり方を大きく変化させ、多くの問題を引き起こしてきた。これらの問題への対応として、主に生命倫理では医学・医療における患者の権利、また環境倫理では自然と人間の関係について、それぞれ検討がなされてきた。
  生命倫理と環境倫理が対象とする領域は異なり、発展の道筋も違っていたが、「生命」の概念的・技術的な取り扱いを問題にしてきた点では共通している。たとえば環境倫理の「動物の権利」という概念は、医学研究で不可欠とされている動物実験のありかたに対する批判、さらには医療において生きるに値する命を選ぶ「生命の質」(QOL: Quality of Life)の議論に通じている。
  さらに、この20年ほどの間に、生命科学とバイオテクノロジーが医療、製薬、畜産、食糧、エネルギー、環境、情報といった領域を横断しつつ、知識と技術のレベルで、多様な生命現象を相互に結びつけるようになった。たとえば、ヒト遺伝子の一部を羊などに組み込みヒト特有のタンパク質を動物体内で作らせて医薬品の原料にするトランスジェニック(遺伝子組換え)家畜。ここではヒトと家畜、畜産と医療・製薬の間にバイオテクノロジーを媒介とした新しい関係が結ばれている。また、ヒトを含む生物の遺伝子は研究開発の重要な資源となり、国際的な特許獲得競争のもとで、バイオテクノロジー産業と生物多様性の保全、土地の伝統的な生物利用の権利との摩擦が強くなっている。バイオテクノロジーは、今後一層、生命倫理と環境倫理の領域の融合と横断を促進していくだろう。このことは、「生命の倫理」あるいは「生命圏の倫理」として問題を包括的にとらえる視点が必要になっていることを示唆している。
  バイオテクノロジーの発達は、環境中の生物という「外なる自然」と人体という「内なる自然」を、同じように生物資源とみなし、研究開発の対象とすることを可能にした。さらに医療資源・研究資源として有用な「人体」は、細胞、胚、胎児、脳死体などさまざまなレベルに分節化されるに至っている。人体の統合性や生物種の境界の存在は、従来の人権概念の前提となってきた。しかし、これらの前提を覆すような生命科学の知識と技術の登場は、自然界における人間の位置や生命に対する人為的介入の方法の見直しと倫理規範の再構築を迫っている。われわれはバイオテクノロジーを手にした分だけ、19世紀後半の西洋人が経験した、生物進化論の受容をめぐる倫理的危機に勝る危機に直面しているのかもしれない。しかし見方を変えれば、新しい生命論や身体論、人権概念の誕生前夜のスリリングな時代に遭遇しているともいえる。
  本書はそうした時代に幸か不幸か出くわした、哲学者、生態学者、教育者、社会学者、科学史家たちによる、「生命」のコンフリクトというアリーナへの参戦宣言である。まだ、リングサイドでウォーミングアップの最中ともいえるが、とにかく参戦したがっている者たちの最初の協働作業であることには間違いない。


 ■あとがき                                 ……小泉義之

  立命館大学大学院先端総合学術研究科(以下、立命館先端研)は、二〇〇三年四月に発足したばかりの大学院である。特定の学部の卒業生の進学先として想定される従来型の研究科ではなく、さまざまな学部の卒業生や社会人に門戸を開いている、いわゆる独立研究科である。
  立命館先端研には、<公共><生命><共生><表象>の四つのテーマ領域が設けられ、研究と教育のスタッフに関しては、学内外の協力も得て、現時点で望みうる最高の環境が実現している。しかも幸いなことに、さまざまな学部、さまざまな職場、さまざまな場所から、志の高い多くの大学院生を迎えることができている。現在、立命館先端研のポテンシャルは極めて高い状態にある。
  本書は、立命館先端研の<生命>領域の専任教員三人(遠藤・松原・小泉)と大学院生一人(大谷)が中心となって、東京大学教員の市野川容孝氏と<公共>領域の専任教員・立岩真也の協力を得て、近年の研究成果の一部を束ねたものである。

  ここでは、ともに語り下ろしの新稿である、大谷いづみの「問いの育み」と遠藤彰の「現代の「環境問題」と生態学」に関連して二点ほど記しておきたい。
  近年、大学院は多くの社会人入学者を受け入れてきた。そのなかで、従来の大学院における研究水準と研究遂行をめぐる暗黙の了解や慣行が、社会人入学者の生活・態度・志向と、必ずしも表立ってはいないものの、内実としては深刻なコンフリクトを起こしている。これは、学位論文や単位履修をめぐる制度的調整だけで片が付けられるべきものではなく、学問内容と社会人なる規定を問い返すことによって社会人入学者とともにその解決が図られるべきものである。この点で、大谷の立ち位置は多くのことを示唆している。大谷は、現場の社会人として、何を元手に、何を背負って、何を求めて、学問研究に切り込むことになるのかを明快に宣言しているからである。
  近年、「環境」「進化」「遺伝子」「生態系」といった用語は、急速に広まり、自然科学の用語が人文学・社会科学の用語に転用されたというにとどまらず、行政・政治・経済においてモノと資金を動かす力を備えた用語として使用されてきた。この状況においては、「環境」「進化」「遺伝子」「生態系」を単一の学問の内部で語るのは不十分・不適切であるし、状況に相応しい研究領域と研究方法を切り開く必要がある。ここまでは、ある程度考えれば気付くことである。しかし、もっと考えてみるなら、この状況の進行そのものが、「環境」「進化」「遺伝子」「生態系」をめぐる学問研究の変化とシンクロしてきたのが見えてくるし、さらには、現実に起こっている摩擦や葛藤が、学問研究の隘路や限界とシンクロしているのが見えてくる。そして、もっともっと考えてみるなら、このシンクロの先端において、学問研究の新展開を目指すことが、現実の状況の新展開に結び付くという展望が垣間見えてくる。そこにこそ大学院の存在意義が賭けられるべきであろう。この点で、遠藤の立ち位置は、多くのことを示唆するはずである。
  以上の点も含め、本書が、生命の領域の見取り図として、また、生命をめぐる争点の地勢図として使用されることを期待している。
  私たちは、本書に引き続き、<生命>領域のスタッフ・大学院生とだけではなく、<公共><共生><表象>領域のスタッフ・大学院生とも協働して、新たな研究成果を継続的に公刊していく予定である。私たちは、それを一つの通路として、立命館先端研のポテンシャルを現実のエネルギーに転化していきたいと考えている。

  なお、本書所収の論文の発表と、本書そのものの刊行に関して、下記に列挙する立命館大学の各種の研究助成を受けることができた。これらの研究助成は、立命館先端研を支援するものであり、とりわけ新たなプロジェクトの開始を必要とした<生命>領域を支援するものである。そのおかげで、私たちは、協働作業を開始することができたし、現在もそれを継続することができている。この点で、立命館先端研の理念に理解を示され、精神的・財政的支援を継続してきた立命館大学の関係機関と関係各位に深い感謝の意を表したい。今後とも、ありうべき継続的支援に応えるべく、私たちも研鑽を積んでいくつもりである。
  衣笠総合研究機構プロジェクト研究「争点としての生命」(2001−2003年度)
  衣笠総合研究機構・先端総合学術研究科連携プロジェクト研究「争点としての生命」(2004年度)
  COE推進機構新領域創造研究センター新拠点開発プログラム「争点としての正義」(2005年度)

 
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◆立岩 真也 2015 『死生の語り・2』(仮)  文献表
◆立岩 真也 2005/04/25 「死/生の本・4」(医療と社会ブックガイド・48),『看護教育』46-04:(医学書院)


UP:20050227 REV:0228, 0302, 20150216
立命館大学大学院先端総合学術研究科  ◇BOOK  ◇生存学創成拠点
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