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日本社会学会

The Japan Sociological Society
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jss/
〒113-0033 東京都文京区本郷7-3-1東京大学文学部社会学研究室内
TEL 03-5841-8933/FAX 03-5841-8932(振替口座 00110-8-9319)

last update: 20131001

◆第79回日本社会学会大会
 20061028土〜1029日 場所:立命館大学


◆第78回日本社会学会大会
 期日: 2005年10月22日(土)、23日(日)  場所: 法政大学
 http://wwwsoc.nii.ac.jp/jss/
 申込み・報告要旨提出締切6月20日(消印有効)

21* 障害・情報・相互行為 司会:立岩真也

10月22日(土)午後
1:後藤 吉彦,神戸大学,「フーコーの「生の技法」と障害者」
2:玉置 佑介,上智大学,「障害児水泳指導員の意味世界の変容──指導日報の内容分析を手掛かりに」
3:青木 慎太朗,立命館大学,「大学における視覚障害者への情報保障の現在」
4:佐々木 洋子,日本学術振興会(大阪市立大学),「AD/HD当事者‐関係者の相互作用分析──AD/HD支援の会会員へのインタビュー調査を事例に」
5:前田 至剛,関西学院大学,「インターネットを介した精神疾患患者の活動──「空間の自由」の追求」
6:貞包 英之,日本学術振興会,「ネット自殺・再考」

 cf.2005/09/22 12:05
 [ml-cefs 1249] 日本社会学会大会(10/22-23)

 
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◆第77回日本社会学会大会
 期日: 2004年11月20日(土)、21日(日)  場所: 熊本大学


 
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◆第76回日本社会学会大会

第76回日本社会学会大会 2003年10月12日・日〜10月13日・祝 中央大学

シンポジウム

差異/差別/起源/装置

2003年10月13日(祝)13:30〜17:00

 大会参加費(要旨集代含)
  一般会員 5000円 大学院生・学生会員 3000円
  一般非会員6000円 大学院生・学生非会員4000円

 *シンポジウムは終わりましたが関連情報の掲載を続けます。よろしく。(10/15)

 ◇2004/01/** 立岩「(社会学会シンポジウム報告)」
  日本社会学会ニューズレター
 ◇2003/09/25 樫村さん発→6人宛
 ◇2003/09/25 永田さん発→6人宛
 ◇2003/10/11 樫村さん発→6人宛
 ◇2003/10/16 小泉さん報告掲載
  http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/031013.htm
 ……
 ◇2003/07/09 立岩発→6人宛
 ◇2003/07/30 立岩発→6人宛

[報告]
竹村 和子(お茶の水女子大学)
 「「構築」と「本質」は対立的なもの?」

加藤 秀一(明治学院大学)
 「生まれないほうがよかった」という思想について:wrongful life 訴訟をめぐる若干の考察」

小泉 義之(立命館大学)
 「社会性と生物性」
 報告要旨:http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/031013s.htm
 報告原稿:http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/031013.htm


[コメント・質問]
樫村 愛子(愛知大学)/立岩 真也(立命館大学)
[司会]
永田 えり子(滋賀大学)/好井 裕明(筑波大学)


御案内(日本社会学会のニューズレターに掲載 文責:立岩 2003/07/30作成)
 とくに社会学をする人は何かが社会的に構築されていることを言う。しかしそれはどんな行いなのか、よくわからないと思えることがある。まずそこには多く、批判の意味が明示的あるいは暗示的に含まれる。しかし社会的であることは、それ自体としてよいことでもわるいことでもないと言うしかないのではないか。とするとそれは何を言っているのか。他でありうる可能性、を示しているのだろうか。しかし、私たちは自然を変更することもできる。また、何かでない私(は不可能、であると言いながら、しかしそれ)を探す、作ろうとするという営みとはいったい何なのだろう。他方で、例えば性や身体に関わり、ただ構築されたものと言われても困ってしまう部分があるようにも思える。本質主義とは構築を言う者たちが与えた蔑称だが、この主義はどのように間違っているか。あるいはそこに居直るとすれば、どんな居直り方ができるのだろうか。さらに、にもかかわらず脱・構築という標語は正しい、と思えるところがあるとしたら、それはなぜだろう。そして脱することは、与えられたものや作っていくこととどのように関わるのだろうか。そして、性にかかわる差別、抑圧は何に由来するのだろうか。何がそれらを駆動しているのだろう。例えばこの社会は異性愛を要求する社会であると言えるのだろうか。どのようなことが言えれば、そう言えるのだろうか。総じて、これらは過度に思弁的な問いだろうか。そうでもないのではないか。いま共同参画の政策や教育の場面で様々な反動が生じているが、それを批判する力は十分に強いだろうか。多くの人がこうした疑問をもちながらいると思い、このシンポジウムを企画した(関連情報をhttp://www.arsvi.comに掲載)。まず何を話していただくかは各々に委ねつつ、報告者の数を少なくし、論が交差しそして進むことを期待する。一人一人紹介するまでもない、最もふさわしい人たちを招くことができた。

 ◇小泉 義之(立命館大学)
  「社会性と生物性」(報告要旨 2003/07提出)
  http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/031013.htm



 
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□一般報告

◇北村健太郎 「「神聖な義務」論争をめぐって」
 第76回日本社会学会大会(於:中央大学)2003/10/13午前 福祉・保健・医療(5)
 報告要旨
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/2003/1013kk.htm
 配付資料/報告原稿
 http://www.ritsumei.ac.jp/kic/~gr018035/jss03.htm

 
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2003/07/09 立岩発→6人宛

加藤秀一様
小泉義之様
竹村和子様
樫村愛子様
永田えり子様
好井裕明様

こんにちは。立岩です。

第76回日本社会学会大会(於:中央大学)
10月13日(祝)午後のシンポジウムよろしくお願いいたします。

★1 7月6日(日)の研究活動委員会
(永田・好井・立岩が今回の企画担当の委員、委員長は江原由美子さん)
で正式に決定・了承を得ました。

加藤秀一/小泉義之/竹村和子(以下50音順、敬称略)
の3方に報告をお願いいたします。

当初、コメント&質問者1人、司会3人というかたちを
考えていたのですが、(司会3人は変、という)意見も出され、

結局、コメント&質問者として
樫村愛子/立岩真也

司会として
永田えり子/好井裕明

となりました。

★2 そこでさっそくでもうしわけないのですが
学界事務局の方から 報告者の3人の方には
報告要旨集に収録する報告要旨の執筆依頼が届くと思います。

当初7月20日締切ということでしたが
(おもには私がぐずくずしていたのがよくないのですが)
7月末ということにしてもらいました。
(いつもは8月なのですが、大会そのものが
例年より1月ほどはやいということもありまして。)

書式などは事務局から届く郵便物に記されています。
2頁分です(びっしり書いて400字詰8枚ほどでしょうか。)

みなさんたいへんお忙しい方ばかりでもあり
原稿料が出るというものでもないので
たいへん心苦しいのではありますが、
よろしくお願いいたします。

いまから当日の報告の詳細が決まっているという
こともないでしょうし(それが望ましいとも思いませんし)
例えば、
数行〜数十行の(例えば箇条書きの)メモに
(例えば)関連する御自身の著作のリストをつける
とか、御自身の著作の一部を引用する
というようなもので、まったく、かまいません。十分です。

(私が数年前に出したものがあり、参考になりませんが
http://www.arsvi.com/0w/ts01/1998r14.htm
に掲載されています。)

★3 事前に報告者… の集まりをもつことができ、
実際に行われることもありますが(今回のもう1つのシンポジウムの
みなさんは1度集まる機会をもったそうです)、今回はみなさん
近くに住んでいるということもなく、
なにより貴重な時間を割いていただくまでもないと考えましたので
そういうものは行いません。当日、お昼の頃に顔合わせして、本番
いうことなります。

★4 その代わりということでもないのですが、私のHPに
関連情報を掲載することにいたします。
http://www.arsvi.com/o/jss.htm
いまのところ私が勝手に作っている(作ってきた)
各人のファイルにリンクされています(されているだけです)。
(業績リストとかいただければ、またそういうもののある
HPへのリンク教えたいただければ追加いたします。)

このファイルは、学会の理事会の承認を得られると
学会の公式HPからもリンクされるそうです。
(しかし実は、学会の公式HPには大会関連情報はないので
今のままではリンクされようがない…?)

「もし」「よろしければ」、みなさまの報告要旨を
掲載いたしますし、+何が気になっているか、何を言おうと思うか
何を聞こうと思うか、等
関連情報、文章を掲載することもいたします。
結果として、人によってHPに載る情報(の量)が異なる
ということにもなるでしょうが、それはそれでかまわないだろう
と私は思います。
それでも、当日、シンポジウムに行こうかどうか考えている人
行くつもりの人には(そして行けない人にも)役に立つと思いますし、
報告者相互にまたコメント・質問の役の人にとっても一定の意義は
あるだろうと思います。

またいったん掲載された情報・文書の訂正、差替え、取り下げ
についても指示通りに対処いたします。

まずこのメイル(の一部を略したもの)を掲載しようかと思います。
もちろん、みなさまからいただいたメイルを勝手に掲載
なんていうことはけっしていたしません。

★5 なお当日は、2つのシンポジウムが並行して行われます。
資本主義と日常生活… といったようなテーマだったか。
(正確にわかったらこちらについてもHPに載せます。)
教室は300人入る教室が複数、500人入る教室が1つあるそうです。
どちらがどの教室を使うかは未確定。
過去のシンポジウムでは参加者が300人を超えたシンポジウム
もあったようですが、今回のがどうなるかは、まるでわかりません。

★6 当日資料を配るかどうかは報告者の判断に委ねられます。
作られる方には、学会より10000円お渡しします。
 そして自ら印刷していただき!(300人分!)当日御持参いただくか、
あるいは(印刷したものを)事前に大会開催校に送っていただくことに
なります。(基本的には会員向けの規定になっていますので、
無理にお願いして引き受けていただく学会会員以外には、とても失礼な
きまりになっているのです。すみません。)

★7 それでテーマですが、どうも落ち着きがよくないのですが

「差異/差別/起源/装置」

と(七転八転、変転したのち)してみました。
当初は「本質主義/構築主義」といった(副)題
も考えておったのですが、やめてみました。
もちろん、この間のフェミニズムにおける議論があってのテーマ設定ですが、
これを題に含めることも(聞く側のみなさんもわかっているだろうし)
やめてみました。

「提案趣旨説明」みたいなものを学会のニューズレターのような
ものに(たぶん私が)書くことになりますので、書きましたら
またお知らせいたします。本日のところはこれだけで
勘弁してください。


★8 報告者3名の方への学会事務局からの郵便物の送り先を勤務先と
しましたが、御自宅の方が都合がよいという方はお知らせください。
そのように事務局に指示いたします。

★9 このメイルは6名の方にbccで、つまりみなさまの
メイルのアドレスが受信者に伝わらないかたちでお送りいたします。
さしつかえがなければ、私を含め7名のメイル・アドレスを7名が
知り、連絡等に利用するということにいたしたく思いますが、
それに賛成でない方はお知らせください。御意見をふまえ再度
検討いたします。

とりあえずこんなところで失礼いたします。


立岩 真也

606-0806 京都市左京区下鴨蓼倉町1-6
phone & fax 075-703-2121
603-8577 京都市北区等持院56-1
立命館大学大学院先端総合学術研究科
http://www.arsvi.com/0u/0.htm
phone 075-466-3298[自室]
TAE01303@nifty.ne.jp
http://www.arsvi.com


 
 
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2003/07/30 立岩発→6人宛

加藤秀一様
小泉義之様
竹村和子様
樫村愛子様
永田えり子様
好井裕明様

立岩です。

いま学会事務局に学会のニューズレター用の原稿(800字)
を送りました。
以下御参考まで。(参考にならない、とも思いますが。)
http://www.arsvi.com/o/jss.htm
にも載せました。
また、トップページ
http://www.arsvi.com
からも簡単に行けるようにしました。

樫村さんメイルありがとうございました。
以下のようなことをいろいろと、漠然と考えているわけでして、
それ以上煮詰まっているというものではないのでして、
どうもすみません。

一応?要旨の締切が明日、になっているかと思います。
お忙しいところもうしわけありませんが、だんだん?
お願いいたします。

では失礼いたします。

……以下→上掲……

 
 
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◆樫村さん発

Date: Thu, 25 Sep 2003 16:28:04 +0900
Subject: Re: 社会学会シンボジウムの件・5

立岩様、皆様

 コメンテーターをさせていただく樫村です。宜しくお願いします。
一昨日フランスより帰国しました。いつもより青空が続くきれいな秋でし
た。
 加藤さんのぺーパー、面白そうだなあと今ダウンロードして思いました。
これからゆっくり読ませて頂きます。これを見て気づいたのですが、特に今
回性の問題に限らないんですね。
 性の問題をやるのかなあと思って、少しフランスでも最近の研究を見てき
ました。 

 私は竹村さんが研究されているバトラーの批判に立つ側のジジェクやコプ
チェクに近いラカン派の立場にありますが、私自身は性差別の問題を起源を
問う形で解けるかどうかわからないと思い、しばらくこの問題から遠ざかっ
ておりました。ラカン派は権力装置を強化すると言っても、批判も同じ機制
にあるだけで、あんまりこの手の論争に意味があると思っていなかったの
で。先日、立岩さんにはお伝えしたのですが、フーコーの言うように性を語
れば語るほどその機制(権力装置)を強化するだけなので、むしろ性の問題を
離れることで、その解放を考えておりました。精神分析的に言うと、性は症
候の場所なので、症候を移動した方がよい、という発想です。
 しかし今回この仕事を与えられて、再度最近の性現象についていろいろ見
てみると、時代は神経症から倒錯の時代に移っており、性という症候は他者
という症候へも移動しながらそれを取り込んで拡大していることに気づきま
した。これまでラカン派では解けなかった境界例を、倒錯という機制で解こ
うとする議論も出てきていることがわかりました。そうすると、むしろ性現
象は社会の中心に広がり拡大している事に気づいたわけです。
 フランスでは、性の差異を世代間差異と関連させて論じる議論が出てきて
います。人類学者のエリテなんかもそうです。立岩さんの「思想」の議論
は、男女間差別の問題を論じていますが、子どもに対する虐待は世代間の問
題で、世代間差異、親子の差異をどう打ち立てるかが問題となっています。
これまで世界の差異の起源を男女差においていたので、これを組み替えると
きに、男の側に担われていた文化を維持し他者に押しつける権力装置、他者
との差異化の装置、主体化の装置をどう組み替えるかが問題となっているの
です。
 この問題が無視できないのは、フェミニズムにとっての現実界(トラウマ)
となっているレズビアンSMを見ればわかります。バトラーを始めフェミニズ
ムの理論家にレズビアンは多いのですが、最近亡くなったやはりレズビアン
だったリンダ・ハートがこの問題を真正面に取り上げていて、フランスでも
いち早く訳されて出版されておりました。イデオロギーとしてのフェミニズ
ム・レズビアンとレズビアンSMの違いは、先に挙げた差異を後者は倒錯の形
で内部化していると言うことです。ではそれはフェミニズム・レズビアンに
とって矯正する対象かと言えば、フェミニズム・レズビアンにおいてその差
異化の問題は処理されているわけではないので、決して和解できないわけで
す。
 日本ではコミックのコーナーに行くとやおい現象がもはやマイナーとは言
えない領域を構成していることがわかります。アンナ・フロイトが自らの仕
事をスタートさせたのが、父フロイトの「子どもがぶたれた」という論文を
巡る、このやおい的な幻想からでした。

 少し性から離れられる方が私にとってはやりやすいというか、より広く議
論できる気もしています。というか、ここで出されたような広いテーマの枠
組みでないと見えてこないものがあると思います。フェミニズム自体が狭す
ぎるのが上の議論でもわかります。

 発表者の方々はみなさん力量のある方で、これを理解するだけでかなり大
変だと思っております。コメンテーターとしては、できるだけ現代の状況と
結びつけながらコメントしていきたいと思っております。

 
 
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◆永田さん発

Date: Thu, 25 Sep 2003 17:49:50 +0900
Subject: RE: 社会学会シンボジウムの件・5

皆様
 日本社会学会シンポで司会を担当予定の永田です。どうぞよろしくお願いしま
す。

・まずは司会として。当日は通常通りで行きたいと思います。つまり報告・コメ
ント・討論・時間があればフロアとの討論という形ですがよろしいでしょうか。

・次にまったく個人的な感想です。先日立岩さんにお送りしたコメントはこうい
うものでした。

私は、現代社会は強制的異性愛よりもむしろ女性性の市場化によって、女性に
とっては強制的同性愛社会になっているとさえ思っています。市場には十二分に
「構築力」があります。女性性を財と認定し、流通させ、その消費の動機付けを
行う。そのことによって女性身体を消費可能な財として、したがって奪うことが
「得」であったり、破壊することにポトラッチ的な意味を見出しうる財として
日々定義しています。この過程によって女性は性的客体として、ついでに性暴力
の対象として、日々構築されているし、性欲イコール女性身体への欲望として
(女性にとっても)構築されているとしか思えないのですが。
 けれど身近な構築主義者の方々は、いわゆる「性の商品化」に肯定的かあるい
は無関心であることが多く、それを常々非常に不思議に思っています。

関連して言うならば、「構築主義」は具体的な運動や処方箋とは独立であると考
えてもよいのでしょうか。たとえば右翼が男女共同参画条例によって男女の関係
が彼らの求めない方向に構築されることを恐れて必死にバックラッシュに走るの
も、彼らなりの構築主義の実践?ということになるのか。そしてそうであるなら
ば、社会はもともと「構築合戦」のなかにあるということになります。そしてた
んに声の大きい人々が勝つと。
 そしてもしそうならば、「構築主義」の認識利得というのは何なのでしょう
か。

 もともとこうした分野については不案内ですので、ピントが外れていたらすみ
ません。また、とくにこの論点をシンポで提出しようということでもありませ
ん。みなさんの気が向かれましたら、シンポ終了時にでもご教授いただけたら幸
いです、という程度のものです。
 では、以上。

 
 
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Date: Sat, 11 Oct 2003 22:23:53 +0900
From: Aiko Kashimura
Subject: Re: 社会学会シンボジウムの件・7

 皆様、お元気ですか。
 どんなコメントをしたらよいか悩みまくっている樫村です。司会者の方もそうでしょう。
 とりわけ竹村さんの議論の中身がまだ提示されていないので、理解も含めて適切なコメントができるのか不安で、もし骨子ができていれば早めにいただければと思う次第です。
 コメントは質問を含むもので、私のコメントは多少議論のずらしも含んでいると思われるので、こんなことを質問したいと思っていますということを、あらかじめ発表者の方々にお伝えしておいた方がよいかと思います。
 以下です(なおホームページにアップしていただいても結構です)。


1.構築主義と本質主義の対立および構築主義の優勢に対するバックラッシュ(再領域化)という現在の社会現象そのものがなぜ現れていると考えるか言及していただけますか。古い言い方で言うと知識社会学的問いということになるでしょうか。構築主義・本質主義の二項対立を脱構築するにはこのことの言及が必要だと思われます。加藤さんは、性差の生物学的基盤という概念自体、ジェンダー概念の誕生と共に成立したとされています。また竹村さんの発表はそのあたりをテーマとされているようにも見受けますが。

2.本質主義のカムバックとして現れているバックラッシュもありますが、すべてを水平・平等化することで必要な差異(とりわけ世代間差異)を見損ね社会を構築できなくなっているとする、構築不能論がむしろ最近のフランスでは中心の議論です。いままで「本質」と見えていたものは社会的に脱構築されてきていますが(例えばギデンズやベックの「社会の再帰化」論、脱自然化・脱伝統化論がこれを記述)、それはオルタナティヴを構成するというよりも、構築そのものの困難を生んでいるとする記述や議論です。これについてどう考えられるでしょうか。
 またはグローバル資本主義の中でこの構築は最も文化的に貧しい状態で構成されているとする議論があります。すなわち、フーコーのいう、主体の内面化を構成することによるこれまでの規律権力に対し、主体の構成など必要としない生権力(監視型権力と呼ぶ論者もいる)が構成されているとするものです(アガンベンの議論参照)。そこでは主体の構成は必要でないため、人間は「動物化」する(東)。プロファイリングや衛星カメラ監視等、統計的処理による管理です。(特に、バトラーのメランコリー論に至るまでの主体批判はこの意味ですでに議論としてピントが外れてしまっているいう批判もあるようです。そして竹村さんは、『ポストフェミニズム』の中で「身体の断片化」についての危惧と複雑な分析をすでにされていたと思います。)そして構築主義が前提としている希望は構築主義のもつ多様性やマイノリティの救済であるのに、現在の資本主義社会においてはむしろ一元化、寛容性や他者への関心の消失といった傾向が見られるとします(精神分析的に言えば、多形倒錯欲動的状態で、可塑性はあるが暴力性も高く他者に対して閉じた状態です)。(構築主義の議論は?)このような情況に対しどのような診断や記述・介入が可能でしょうか。
 これは、立岩さんが出された問題提起、「脱することは与えられたものや作っていくこととどのように関わるのだろうか」とも関わるかと思います。


3.加藤さんの議論でwrongful life訴訟が出てきた時代的背景をどのようにお考えになりますか。例えば一つの説明として、全てを統括する規範が消失したため、他者が見えなくなり、逆に他者が簡単に自己に内化されるようになったといった記述はどうお考えになりますか(これは小泉さんと立岩さんが問題にされていた胎児の障害に対する選択的中絶の問題と呼応するでしょうか。すなわち、母親が胎児が生まれた後の人生の痛みを「勝手に」想像し、母親が胎児が苦痛と共に生きる存在があるという精神的強度をもたないで、自身の苦痛の拒否を他者に押しつけているとされた批判と通じるものでしょうか)。これらの動きは環境倫理論者たちに見られるように他者に対する強い関心と介入というように一見受け取られがちですが、加藤さんはむしろその暴力性を記述されているように思われます。
 すでに存在している者が、未だ存在しない者の立場から語ること、について、最近のアクチュアルな議論としては、加藤さんも指摘されている「生者が死者の名の下に語ること」として加藤典洋らの議論(戦没者に対する敬意から議論を立てること)なども想起できますが、どのようにお考えでしょうか。
 「生まれない方がよかった」という言明が広く存在することについての加藤さんの興味についてもう少し詳しくお聞かせ下さい。

4.小泉さんは「社会的装置の作動と切断された肉体の経験」というときどんなものを想定されているでしょうか。
 なお小泉さんの2番目の議論、「セックスが社会的に構築されるということを生物の自然本性として捉え返すべき」、についてはむしろ竹村さんがどうお考えになるか聞いてみたいと思います。
 今回の議論で小泉さんが生殖をポイントとされているのは、小泉さんが影響を受けたとされるレヴィナスの繁殖論との関係があるのでしょうか。すでに高橋らのレヴィナス繁殖性批判があり、生殖の技術が進化する中でこれをどうお考えでしょうか。それは3番目の議論でいわれる最も強力な生権力とどう関係するでしょうか。またアガンベンの「むき出しの生」の議論はレヴィナスによっているものだと思われますが、先の生権力の問題と今小泉さんが準備途上のレヴィナスの人間家畜論との関係を示唆していただけるとありがたいです。
 性選択理論が何かを知らないのでもう少し説明してほしいのですが、そのことと、ではそれは何を排除したと小泉さんが考えられるのかお聞かせ下さい。
小泉さんはレヴィナスに従って、フロイトの性の論理は快楽の水準にしかないと考えられているでしょうか。むしろフロイトにおいては性欲動と自己保存欲動という二つの欲動は対立して考えられており、性欲動はレヴィナスの繁殖論と呼応するような、個体を越える力として記述されていると思うのですが、いかがでしょうか(この問いは直接は発表と関係ないかもしれないのでしないかもしれません)。

 とりあえずこんなところです。明日ももう一日一所懸命考えてみようと思いますが、質問がわからないとかもっとここを聞いてほしいということがありましたら、お知らせ下さい。とはいえ明日の午後以降はメイルが見られず東京へ発ってしまうので、その場合は打ち合わせのときにお願いします。

■言及

◆立岩 真也 2022/**/** 『人命の特別を言わず言う』,筑摩書房


 
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◆第75回日本社会学会大会

 2002年11月16日・土〜11月17日・日
 於:大阪大学

 http://risya3.hus.osaka-u.ac.jp/jss2002/

◇山根 純佳 2002/11/16 「リベラリズムの臨界──中絶の自己決定権をめぐって」
 第75回日本社会学会大会報告
◇遠山 真世 2002/11/16 「差異と排除の規範理論──障害者雇用の見地から」
 第75回日本社会学会大会報告
◇福島 智子 2002/11/16 「DMの<視覚化>と患者の認識過程の検討──DM教育入院を事例として」
 第75回日本社会学会大会報告
◇星加 良司 2002/11/16 「「障害学」の到達点と展望──「社会モデル」の行方」
 第75回日本社会学会大会報告
◇寺田 貴美代 2002/11/16 「「障害文化」とは何か──文化志向による分析枠組みの構築」
 第75回日本社会学会大会報告

11月16日(土) 一般研究報告(2) (14:30〜17:30)
 福祉・保健・医療2 教室 A302
 http://risya3.hus.osaka-u.ac.jp/jss2002/day1-2.htm#hukushi2
 司会者  石川 准 (静岡県立大学)
1.差異と排除の規範理論−障害者雇用の見地から−
  日本学術振興会 遠山 真世
2.「自己決定」 とコミュニケーション支援
  −知的障害者を中心に−
  広島大学 澤屋 真樹
3.「障害学」 の到達点と展望
  東京大学 星加 良司
4.「障害文化」 とは何か−文化志向による分析枠組の構築−
  清和女子短期大学 寺田 貴美代
5.大正期・感化院における障害認識
  東京都立大学 寺本 晃久
6.ハンセン病療養所における在園者の生活世界
  東京大学 青山 陽子

 
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◆第74回日本社会学会大会

 2001年11月24日・土〜11月25日・日
 於:一橋大学

◇蘭 由起子 20011124 「ハンセン病社会復帰者の「病の経験」」
 第74回日本社会学会大会報告
 cf.ハンセン病
◇麦倉 泰子 20011125 「知的障害者施設のエスノグラフィー──カテゴリー化とスタッフ・コード」
 第74回日本社会学会大会報告

 
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◆第73回

 2000年

 
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◆第72回

 1999年

 
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◆第71回

 1998年・関西学院大学

杉野 昭博 19981122
 「政策モデル分析の陥穽:障害者の権利保障政策を題材として」
 日本社会学会大会・社会政策研究のフロンティア
◇立岩 真也 1998/11/23 「いらないものがあってしまう」
 日本社会学会シンポジウム「医療・福祉のパラダイム転換と社会学」

 
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◆第70回

1997年・千葉大学

◇田中 重人 199711 「職域分離の力学──女性のホワイトカラー化がもたらしたもの」
 日本社会学会第70回大会 (Nov. 1997 千葉大学)  http://www.sal.tohoku.ac.jp/~tsigeto/97x.html
◇鍋山 祥子 1997 「近代的自己批判としての「共依存」」
 日本社会学会第70回大会 (Nov. 1997 千葉大学)
 http://web.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~nabeyama/works/kyouizon.htm
◇森川 美絵 199711 「「参加型」供給システムにおける在宅介護労働の認知形成」
 第70回日本社会学会大会報告
◇立岩 真也 1997/11/08 「彎曲する空間──医療に介入する社会学・序説2」
 日本社会学会第70回大会 於:千葉大学
 「報告要旨」
 当日配付した資料

 
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◆第69回日本社会学会大会

1996年11月23日〜24日・琉球大学

テーマ・セッション
1.沖縄社会の特質と変動
2.オウム真理教事件と科学技術者
3.社会構築主義の新展開を求めて
4.NGO・NPOの社会学

◇田中 重人 199611 「職域分離への数理的接近──性別格差形成過程の計量研究のために」
 日本社会学会第69回大会 (Nov. 1996 琉球大学)
 http://risya3.hus.osaka-u.ac.jp/shigeto/96x.html
◇立岩 真也 1996/11/24「権利を擁護するNPO」
 日本社会学会第69回大会 1996年11月 於:琉球大学
 要旨集原稿当日配付した文章

 
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◆第68回 1995年

 
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◆第67回 1994年

◇立岩 真也 1994/11/05「「自立生活センター」は非営利民間組織(NPO)の一つのあり方を提示する」
 日本社会学会第67回大会 1994年11月 於:同志社大学
 要旨集原稿配布原稿

 
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◆第66回 1993年・東洋大学

◇立岩 真也 1993/10/10「家族そして性別分業という境界──誰が不当な利益を利益を得ているのか」
 日本社会学会第66回大会 於:東洋大学
 要旨集原稿配布原稿

 
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◆第65回 1992年

 
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◆第64回 1991年・筑波大学

◇立岩 真也 1991/11/03 「家族・優生学・生殖技術」
 日本社会学会第64回大会 1991年11月 於:筑波大学
 配付原稿

 
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◆第63回 1990年・京都大学

◇立岩 真也 1990/11/** 「愛について──近代家族論へ」  日本社会学会第63回大会 1990年11月 於:京都大学
 
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◆第62回 
1989年・早稲田大学

◇立岩 真也 1989/10/22 「生命工学への社会学的視座」
 日本社会学会第62回大会 於:早稲田大学
 要旨集原稿配布原稿

 
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◆第61回 1988年

 
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◆第60回 1987年・日本大学

◇立岩 真也 1987/10/** 「身体障害者の自立生活をめぐって──介助の問題を中心に」
 日本社会学会第60回大会 1987年10月 於:日本大学
 要旨集原稿配布原稿

 
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◆第59回 1986年

 

◆第58回 1985年・横浜市立大学

◇立岩 真也 1985/11/** 「個人への「帰属」について」
 日本社会学会第58回大会 1985年11月 於:横浜市立大学

 
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■『社会学評論』

◆立岩 真也 1992/10/** 「近代家族の境界──合意は私達の知っている家族を導かない」
 『社会学評論』42-2,pp.30-44
◆立岩 真也 1998/12/30 「分配する最小国家の可能性について」
 『社会学評論』49-3(195)(特集:福祉国家と福祉社会)
◆立岩 真也 2004/12/31 「社会的──言葉の誤用について」
 『社会学評論』55-3(219):331-347


REV:....20030801,0901,0925,1004,12,15,16 ..20050922, 20130928, 1001
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