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『病いの哲学』
小泉 義之 20060410 ちくま新書,236p. ISBN: 4480063005 756
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小泉 義之
20060410 『病いの哲学』,ちくま新書,236p. ISBN: 4480063005 756
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■内容
◇内容説明(bk1)
死には美醜など、ない。人を死へと追いやる「死の哲学」。これに抗し、不治の病いであったとしても、肉体的な生存の次元を肯定し擁護する哲学の系譜を取り出し、死の哲学から「病いの哲学」への転換を企てる。
■目次
はじめに
一 プラトンと尊厳死――プラトン『パイドン』
二 ハイデッガーと末期状態――ハイデッガー『存在と時間』
三 レヴィナスと臓器移植――レヴィナス『存在の彼方へ』
中間考察――デリダ
四 病人の(ための)祈り――パスカル、マルセル、ジャン=リュック・ナンシー
五 病人の役割――パーソンズ
六 病人の科学――フーコー
◇Levinas, Emmanuel
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/dw/levinas.htm
◇Derrida, Jacques
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/dw/derrida.htm
◇Nancy, Jean-Luc
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/dw/nancy.htm
◇Parsons, Talcott
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/dw/parsons.htm
◇Foucault, Michel
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/dw/foucault.htm
一 プラトンと尊厳死――プラトン『パイドン』
二 ハイデッガーと末期状態――ハイデッガー『存在と時間』
「誰も私の代わりに死ぬことはできない。それはその通りだろう。しかし同時に、誰も私の代わりに飲食したり、排泄したりすることもできない。にもかかわらず、どうして、ことさらに、飲食や排泄ではなく、死だけが、代理不可能性を示すものとして、すなわち、代理不可能な代理不可能性として言挙されなければならないのか。」(p.62)
「<死へ臨む日常的存在>は、頽落的存在として、死からのたえざる逃亡である。」(『存在と時間』第51節)(p.66、もっと長く引用されている)
「では、率直に尋ねておきたいが、どうしてそれでは駄目なのか。[…]「死から逃亡したところで、どうせいつか死んでしまうのだから、死ぬときまで気晴らしと気休めだけで生きて、どこがいけないのか。」(p.67)
三 レヴィナスと臓器移植――レヴィナス『存在の彼方へ』
「私は、潜在的に移植のドナーたる責任を負っていると考えてもいる。だからこそ、その立場から移植医療と制度化の現状を批判できるし批判するべきであると考えている。」(p.117)
『存在の彼方へ』(1974年)
「責任の存在内への参入に関しては、私たちはまったく選択権を有していない。このように選択の余地を与えないこと、それを暴力とみなすことができるのは、不当な、<0127< あるいはまた性急で不躾な反省のみである。なぜなら、ここに言う選択の余地なしは自由、非自由の対連関に先だっているからだ。」(訳書pp.270-271、『病いの哲学』ではpp.127-128)
「私は、人間の肉体を共有財と考え人間の必要性に応じて肉体を再配分するという「一般原則」から、犠牲の構造を引き算するべきだと考えている。」(p.135) 「眼球を失った人間や眼球が機能しない人間に一個の眼球を贈与するために、二個の眼球を持つ人間の中から候補者を籤で選ぶことは、無条件に正しいと私は考える。二個ある臓器、血液、脊髄などに関しても、同様の計画は無条件に正しいと考える。」(p.135)
cf.
籤
「私も、主体の哲学に抗して、主体の哲学は別にして、献身の構造には肯定すべきものがあると考えている。ただし、それが可能であるとして、また、それが可能であるのを願いながら、献身の構造から生命の犠牲を引き算すべきだと考えているのである。」(p.141)
中間考察――デリダ
「加療と死の贈与以外に、善をなす仕方がないと決まったわけではない。脳死状態・植物状態・末期状態が、そのままで意味を持たないと決まったわけでもない。とはいえ、犠牲の構造において死ぬことに意味を見出すことは、死まで及ぶ安心立命の幻想を与えるので、必ずしも悪いことではないと言えるかもしれない。しかし、犠牲の構造は、死へ向かうこと、死なないで生きていることを無意味と決め付け、あっさりと、ある種の人<0152<間を死へと廃棄してしまう。その残酷な過程は、様々な幻想や言動によって駆り立てられている。」(pp.152-153)
cf.
犠牲
「善き死なるものが、所詮は信仰の対象でしかないことは、死に淫する人びとも薄々と感付いていることである。死ぬことに、善いも悪いもなければ、美も醜もないことなど、少し冷静になれば分かることだから、要するに、死に淫することは、死ぬ瞬間だけは真・善・美を手にすることができるという信仰なのである。」(p.156)
四 病人の(ための)祈り――パスカル、マルセル、ジャン=リュック・ナンシー
「病気の人間が乞い求めているのは、この世では決して実現しないような、無念なことに、死後の彼方でしか期待できないような、そのような新しい生き物になること、新しい心臓を持つことである。「全能」の神ならできる<0161<はずだ。病気はこの願いを掻き立てる。死というよりは、病気だけが、生き物としての人間が「みじめ」であることを気付かせて願いを掻き立てるのだ。この意味で、「肉体の病気」は「魂の良薬」である。」(pp.161-162)
「病苦に苦しむパスカルが、病苦に賭けていたものは、病苦を消せたとしても、決して消せないものであるが、それは何であろうか、と。それを積極的な形で言い表すことができるなら、こう言い返すことかできるはずだ。魂と心の病苦を薬物で消去しさえすればすべてが片付くと思い込んでいる人びとは間違えている、と。」(pp.164-165)
「病人の回復を願うことは、たんに明日天気になることを願うことでもなければ、たんに薬を投与しその効果を期待することでもない。何か別のことが含まれている。実際、病人の回復を願うときに、何を願っているのかをよく顧みてほしい。うまく行く場合であっても、元通りにならないことを知りながら、悪くならずに良くなることを願っている。[…]」病人の回復を願うときには、病いで不可逆的に変化してしまったであすうその肉体が、軋轢や攪乱を起こすことなく、それとして完成された状態として落ちつくことを願っている。不可逆的的に死へと傾いていく生の傾斜において、暫定的であってもよいから、あるプラトー(平面)が生ずることを願っている。ここに、現実を信用することが関わっている。」(p.166)
「病気は、生体の状態から死体の状態への移行であると捉えてみることができる」(p.167)
五 病人の役割――パーソンズ
「詰まるところ、病人が患者になることの社会的機能は何なのであろうか。パーソンズは、「社会統制のメカニズムとしての精神療法」との類比で、肉体の病気についても考えてている。要するに、病人が、逸脱した別の社会性を形成することを阻止する機能を果たしているのである。」(p.203)
「社会は、病人を社会の外部に放逐する。しかし、社会は、放逐される病人が、そのままの姿で集団的に立ち現われるのを怖れる。だから、社会は、病人を患者として個別的に専門家と親密圏の支配下に組み込む。決定不可能なゾーンの只中で回復の希望を通して、患者役割を担わせる。」(pp.204-205)
「不治とされて排除されたからには包摂を拒む必要があるだろう。病人たちが、親密圏 から離れ、逸脱した集団を形成し、下位文化を形成して、決して呪術を信仰せず,しかし絶対に回復の希望を捨てずに、行き延びる必要があるだろう。ここでは、生き延びることが闘争である。」(p.206)
六 病人の科学――フーコー
「信仰をもって独断的に断言しておく。死体に聞くことによって病の過程と死への過程を区別できるというのなら、どうして病人が病人のままで生き延びられることを繰り返し希望し信仰しないでいられようか。」(pp.216-217)
「『臨床医学の誕生』は、死に淫する書物であるかのように読まれてきたが、決してそんなことはない。」(p.217)
「死の瞬間はない。死は境界ではない。生の終わりは瞬間でも境界でもない。同様に、生の始まりは、瞬間でも境界でもない。起こっていることは、生と死の浸透、生への死の分散、死への生の分散である。これが末期の生の実情、そして、生そのものの実情である。だから、病人の生を肯定し擁護することは、生そのものの肯定と擁護に繋がるのである。」(p.218)
「引用する有名な一節は、死を生や病いより高きものとするものとして読まれてきた。しかし、そういうことではない。」(p.218)
「ICUの末期状態の病人については、ス<0223<パゲティ症候群などというふざけた呼び名で管の数の多さを嘆くのはまったく間違えている。そうではなくて、複雑な生理的システムを繊細に調整して病人を生き延びさせるためには、管の数が少なすぎると憤るべきなのだ。そして、いつか膨大な数の管が開発され、一つに纏められ、肉体に内蔵される日が来ることを願い信ずるべきなのだ。その日のためにこそ、現在の病人は苦しんでいるのではないか。」(pp.225-226)
「末期の生に独自の法則、末期の生に固有のノルムの探求」(p.220)
「病はもはや一つの出来事ではなく、また外から移入された自然でもない。それは、ある屈折した機能において変化して行く生命なのである。」(フーコー、p.221)
「個体の肉体の「未来の屍体解剖を点線で描き出す」ことから反転して、末期の生に固有の生理的で分子的な「病理的個性」を描き出すことができるかもしれない[…]。だからこそ、病理的個性がそのままで安定性や頑健性を実現する道を希望し信仰することができるのだ。医学モデルや医療化の批判だけで事が済むはずがない。」(p.226)
BR> 「もちろん、死は、普遍的に平等主義的に、すべての人間にやって来る。しかし、その当来の仕方は多様である。重要なのは、そこから末期の生の多様性が死られるということなのだ。むしろ、すべての人間は、死においてではなく、<0226<個体の末期の生において代理不可能なのである。」(pp.226-227)
「今後、病人の肉体という個体についての科学が生まれるだろう。そして、病人の生に相応しい哲学と思想が書かれるだろう。本書が示してきたことは、その日が来るまでの、暫定的な病人の哲学と倫理であった。」(p.227)
「率直に言うが、私は、どうして人間を死なせたがるのか、どうして自ら死にたがるのか、さっぱりわからない。とくに、死へ向かう人間のために、どうして少しばかり待てないのか不思議でならない。提出されてきた理屈は死っているつもりだが、どれもこれも到底納得できるものではない。本書で、私は、そんな理屈の中でも強力なものを哲学史から拾って検討してきたが、それにしても哲学史には不可解な一つの伝統があるものだと思うだけだ。」(p.228)
あとがき
「昔、ある大臣が「老人医療は枯れ木に水をやるようなものだ」と発言して物議を醸したことがある。もちろん、まったく間違えている。老人を枯れ木に喩えるのが品性を欠くからだけではない。花も咲かない枯れ木に水をやって「無駄に」水を流したほうが、政治的・経済的・社会的には「善い」からである。このことを、品位を保ちながら述べるのは難しいが、なんとか試みてみる。
例えば、動けなくなった人間に、無条件に年額で一千万円を渡すのである。」(p.233)
「これは近代社会に限ったことではないが、人間の社会は災いを転じて福となしてきた。品の無い言い方に聞こえるだろうが、他人の不幸を食い物にして多くの人間が飯を食えるようにしてきたのである。社会的連帯とは、経済的にはそのようなことである。そして、これは、悪いことではなく、途轍もなく善いことなのである。だから、シンプルにやるこ<0234<とだ。誰かが無力で無能になったなら、力と能力のある者がそれを飯の種にできるようにするのである。そのたためには前者の人間に「水をやる」のが最善で効率的に決まっている。」(pp.234-235)
■合評会
・2006/05/21 於:立命館大学
■言及
◆立岩 真也 20140825
『自閉症連続体の時代』
,みすず書房,352p. ISBN-10: 4622078457 ISBN-13: 978-4622078456 3700+
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※
……
◆立岩 真也 2006/05/00
「欲望のかたちについて・1――良い死・10」
,『Webちくま』[了:20060506]
◆立岩 真也 2006/06/00
「『病いの哲学』について・1――良い死・11」
,『Webちくま』[了:20060528]
◆立岩 真也 2006/07/00
「近況/『病いの哲学』について・2の序――良い死・12」
,『Webちくま』[了:20060620]
◆立岩 真也 2006/08/00
「『病いの哲学』について・2――良い死・13」
,『Webちくま』[了:20060724]
◆立岩 真也 2006/09/00
「犠牲について・1――良い死・14」
,『Webちくま』[了:20060829]
◆四十物 和雄 2006/09/00
「小泉義之著『病いの哲学』(ちくま新書 2006)を読みながら安楽死=尊厳死問題を考える」
◆立岩 真也 2006/10/00
「犠牲でなく得失について――良い死・15」
,『Webちくま』[了:20060919]
◆立岩 真也 2009/03/25
『唯の生』
,筑摩書房,424p. ISBN-10: 4480867201 ISBN-13: 978-4480867209 3360
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※ et.
第7章『病いの哲学』について
1 何か言われたことがあったか
2 死に淫する哲学
3 病人の肯定という試み
4 病人の連帯
5 身体の力を知ること
[補]死/生の本・2 [2004.11]
UP:20060413 REV:0506,19,28 0618,21 0724 0820,30 0915, 20, 20140824
◇
小泉 義之
◇
安楽死・尊厳死
◇
安楽死・尊厳死 2006
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