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『ドゥルーズ/ガタリの現在』

小泉 義之・鈴木 泉・檜垣 立哉編 20080110 平凡社、722p.
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last update: 20101109

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『ドゥルーズ/ガタリの現在』
小泉 義之・鈴木 泉・檜垣 立哉編 20080110 『ドゥルーズ/ガタリの現在』,平凡社,722p. ISBN-10: 4582702732 ISBN-13: 978-4582702736 6090 [amazon][kinokuniya]

■内容紹介
いつの日か世紀はドゥルーズのものとなるだろう。――ミシェル・フーコー
没後十年余りを経て、古典化の動きが著しいドゥルーズ/ガタリ。空疎な権威化や瑣末な文献学化という負の側面をはらみながらも、彼らの思考の引き延ばし、よりよき汎用化は着実に進行している。その哲学的・思想的到達点を測定すべく三十人超の研究者が協働、これからのドゥルーズ/ガタリ研究の出発点をしるす意欲的な論集。

■目次

前書き 檜垣 立哉
I ドゥルーズ――『意味の論理学』、『差異と反復』
 上野 修 意味と出来事と永遠と――ドゥルーズ『意味の論理学』から
 近藤 智彦 「出来事」の倫理としての「運命愛」――ドゥルーズ『意味の論理学』におけるストア派解釈
 郡司 ペギオ 幸夫・太田 宏之・浦上 大輔 ただ流れる時間へ――いかにして辿りつけるか
 近藤 和敬 『差異と反復』における微分法の位置と役割
 原 一樹 「強度」概念再考――その内在的理解の深化に向けて
II ドゥルーズ+ガタリへ
 美馬 達哉 構造主義の臨界――ドゥルーズ・ラカン・ガタリ
 江川 隆男 器官なき身体とは何か――実在的区別の観点から
 大山 載吉 表層・深層・抽象機械における言語――『意味の論理学』から『千のプラトー』へ
 三脇 康生 いつも「新しい」精神医療のために
III 『アンチ・オイディプス』、『千のプラトー』
 荒谷 大輔 資本主義のリビドー経済――ドゥルーズ=ガタリにおける「経済学批判」の可能性
 佐藤 嘉幸 器官なき身体から抵抗へ――『千のプラトー』における主体化と抵抗
 松本 潤一郎 公理と指令
 崎山 政毅 メキシコの一九六八年、あるいは「マイノリティへの生成変化」が残した問い
 遠藤 彰 ドゥルージアン/ガタリアン・アニマル――「リトルネロ」のプラトー探検
IV ドゥルーズ/ガタリ縦走
 檜垣 立哉 ドゥルーズ哲学における〈転回〉について――個体化論の転変
 小泉 義之 来たるべき民衆――科学と芸術のポテンシャル
V イマージュ/シネマ
 瀧本 雅志 メディア・デザインへ向けての哲学とは何か?――デジタル環境における超越論的イメージの批判=危機
 木村 建哉 ミュージカル映画における「世界の運動」――ドゥルーズ『シネマ』におけるハリウッド・ミュージカルの新たな位置付け
 廣瀬 純 シネキャピタル、シネコミューン――普通のイメージたちによる「労働の拒否」
VI 哲学的系譜・遭遇
 米虫 正巳 ドゥルーズ哲学のもう一つの系譜について
 増田 靖彦 思考と哲学――ドゥルーズとハイデガーにおける
 杉本 隆久 ドゥルーズと現象学 出会いのための序章――「時間の三つの総合」と「差異による時間の総合」の接合部分
 藤本 一勇 ドゥルーズとデリダ――概念をめぐって
VII ドゥルーズ/ガタリ横断
 本間 直樹・森 淳秀 シーニュとインタフェイス
 高桑 和巳 剥き出しの生と欲望する機械――ドゥルーズを通して見るアガンベン
 清水 知子 家族写真、アメリカ、資本主義――ドゥルーズ/ガタリとともにダイアン・アーバスを
 平井 玄 ドゥルーズ/サイード――音楽の飛翔力と重力をめぐって
 サドッホ 言語の流体力学――指令語の射程について
VIII 資料
 鈴木 泉 ドゥルーズ/ガタリ研究・活用の現在
後書きに代えて 鈴木 泉

■引用



■書評・紹介



■言及



UP:20080113 REV:20101109
BOOK
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