HOME > BOOK


病者障害者の戦後

生政治史点描

立岩 真也 2018/12 青土社

Tweet


このHP経由で購入すると寄付されます
■もう一冊 →刊行記念セール

◆立岩真也 2018 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社

 ◇目次 文献表(別頁)
 ◇
 ◇あとがき
 ◇紹介・言及
 ◇[English] (Under Construction)


 
 
>TOP

■目次



  □T

□第1章 生の現代のために
 □1 失せていく、これから
 □2 規範論のためにも
 □3 適度な距離にある無知
 □4 「研究」できてしまう
 □5 難しさ
 □註

□第2章 一つの構図
 □何を述べるか(予告)
 □(1) 自らを護る運動:結核/ハンセン病療養者
 □(2) 親の運動:筋ジストロフィー/重症身心障害児
 □(3) 被害者たちの運動:サリドマイド/スモン
 □医療
 □(4) 別の動き
 □註

  □U

□第3章 国立療養所で
 □1 開始の前に
  □1 反社会的病気/社会病
  □2 『国立療養所史』
  □3 筋ジストロフィーの人たちの書きもの
 □2 誕生とすぐに起こる変化
  □1 概略
  □2 戦争中の日本医療団/戦後の軍事保護院の解体移管(四五年)
  □3 日本医療団の解体・移行(四七年)
  □4 地方移管は当初から計画された(五二年)がほぼ実現しなかった
  □5 結核病床の減少(五三年の後)
  □6 厚生大臣訓示他(六八年)
 □3 変化への抵抗、転換の受容
  □1 経営者にとっての入所者・職員の組合
  □2 統合・廃止
  □3 日患同盟
  □4 入所者の組織の位置・続
 □4 諸力が合わさる
  □1 諸力が合わさっていく
  □2 六〇年・西多賀病院
  □3 重心・筋ジスの親たちの運動
  □4 六三年・水上勉「拝啓池田総理大臣殿」
  □5 政治/議員
  □6 六四年・筋ジストロフィー・「患者収容に関する最初の打合せ会の頃」
  □7 六六年・重心の受け入れ
  □8 慶賀すること
  □9 親(の会)と医師
  □10 鉄筋コンクリート
  □11 研究・1
  □12 研究・治療・2
 □註

□第4章 七〇年体制へ・予描1
 □1 短絡しないために
  □1 短絡しないために
  □2 偉人について、「世の光」について
  □3 民間
  □4 政治
 □2 医(学)者たち
  □1 近藤喜代太郎(一九三三〜二〇〇八):研究における研究前からの施設の肯定
  □2 ついで三人をあげる
  □3 椿忠雄(一九二一〜一九八七)
  □4 井形昭弘(一九二八〜二〇一六)
  □5 白木博次(一九一七〜二〇〇四)
  □6 府中で
 □3 短絡しないために・2
  □1 先駆的なものは変化するし代表的でもない
  □2 医療のもとでの、混在から分離へ
 □註

□第5章 一九八一・八二年・二〇一七年
 □1 高野岳志
  □1 八〇年代を先にすること
  □2 高野岳志
  □3 映画『車椅子の眼』(一九七一)
  □4 写真集『車椅子の眼』/詩集『車椅子の青春』(一九七一)
  □5 一九八一年四月まで
  □6 親は止めようとする
  □7 止められても出られるはず、か
  □8 一九八一年九月
  □9 困難と死
 □2 福嶋あき江
  □1 概要・文献
  □2 入院
  □3 一日
  □4 訓練
  □5 死を知ること
  □6 学校・自治会
  □7 いくらかを可能にしたもの
  □8 米国
  □9 記憶・記録
  □10 共同生活ハウス/虹の会
  □11 ケア付住宅
  □12 『自立生活への道』(一九八四)
 □3 八〇年代
  □1 書いている場所、再々
  □2 石川左門
  □3 有力者になる支援者たち
  □4 山田富也の文章から
  □5 ありのまま舎、各種『車椅子の青春』他
  □6 ケア付住宅に行ったこと
  □7 埼玉で・〜一九八七
  □8 埼玉で・一九八七〜
  □9 止まって過ぎたこと
 □4 三十年後
  □1 金沢で・〜二〇〇三
  □2 金沢で・二〇一五〜
  □3 懸念について
  □4 別の懸念について
 □註

□第6章 その傍にあったこと・予描2
 □1 六三年・花田春兆の不満
 □2 横田弘の批判
 □3 七〇年からの府中・八二年の島田
 □4 復唱+
  □1 現実の形
  □2 元にあるものについて
  □3 変更を進める
 □註

  □V
□ アーカイヴィング
□ 筋ジストロフィー関連/ありのまま舎関連
□ 難病本

あとがき

文献表


 
 
>TOP

■序

 本書で描くのは、日本の戦後、ひとつには国立療養所と呼ばれる場に関わって起こったできごとだ。当初おもには結核の人たちがいたその病院・施設・療養所に、一九六〇年代になると筋ジストロフィーの子どもたち、また重症心身障害児(重心)と呼ばれる子どもたちが入り、暮らしていく。それが始まってもう五〇年を超えた。もう六〇歳を超えてそこに暮らしている人もいる。その経緯を辿り、その傍にあったこと、その後に起こったことを記す。
 これから仕事(研究)がなされることを期待しながら、この時代はこのように推移してきたのではないかという道筋を示してみる。これがわかったと述べるより、私自身は行なうことができていない作業を呼びかける。もとは『現代思想』での連載で(その経過についてはあとがきに記した)、ずいぶん長く書いたのだが、それでも点描というほどのものでしかない。(本書の題として私が考えたのは、なかなか思いつかなかったのだが、『生政治史点描――病者障害者の戦後』というものだった。出版社の助言があって、題と副題とを入れ換えることにした。)
 わかるのは、一つに、言論の反復、と言葉がぐるぐるまわって出ていかない空間の形成、そして閉鎖であり、遮断である。生成され、その言説がほとんどそのまま反復される。それとは異なる種類の言葉△003 は遮断される。別の場所で起こっていたできごとはまったく別のこととされるか、そもそも知られない。そのことと、現実の閉鎖が起こり継続することとはつながっている。そんなことがあること自体はよく
もわるくもない。ただ、本書で描く範囲については、それはよくなかったと思う。そんなこともあって本書を書く。

 T
 第1章では、今のうちに調べておくことがあること、既に手遅れになりつつあるとともに、熱が冷めてしまっているために取り扱いができるということもあることを言う。ことのよしあしであるとか、あるいはこれからどうしていくかを考える時にも、事実を振り返る作業には意味があることを述べる。
 第2章では、見取りの一つを述べる。もっと大きく見ることもできると思う。また別の面をみれば別の描き方があるはずであり、そうしたものもいくつか書いてはいるのだが、本書に即して、長々した話の前に、こんな部分があってもわるくはないと思った。

 U
 第3章では、国立療養所が結核、ハンセン病他の人たちの収容施設として戦後作られ、後者の人たちについては長くそこに残されながら、前者、結核療養者の減少に伴って、代わりに、筋ジストロフィーと重症心身障害(重心)の子どもを収容していった経緯を記した――「重心」という言葉はどうにもすわりがわるいが、仕方なく使う、そのため「 」があったりなかったり、一冊の中でも統一されていない。この部分が本書で最も長い。わりあい細かな話の部分もおもしろく思う人もいるだろうと思ったこともあり、長くなった。例えば、療養者の側の運動があって、それはそれで、これまで――書かれているし、私は調べなかったから、本書にはほとんど出てこないが――その勇敢な闘いが記されることがあった。ただ本書では、例えば、施設の経営者たちがそうした動き(のある部分)を迷惑がっているその様子が記される。ただその職員たちやその組合も、療養所の存続の危機となると、経営者に同調する△004 といったこともあった。主に使うのは『国立療養所史』という四巻本(のほぼ二冊分)で、一九七六年ごろに出たものだ。一般に出回るようなものでない、仲間内の文集のような性格ももったもので、筆者たちは素直に回顧し、苦労話など語っている。「ガバナンス」などが言われる今どきであれば、もっと周囲に配慮するかもしれない――いや、今でもそうでもないと思うこともあり、その一つは『兵庫県立こども病院移転記念誌』というものに載った名誉院長の文章(池田恭一[2016])を読んだ時だった(本書36頁)。ただ、そうして語られる挿話は、本書の粗筋にも関わっている。つまり、誰と誰がどんな時に手を結んだり、また反目したりして、ものごとが変わっていったり、また何も変わらなかったりするか、そんなことがわかる。
 第4章は「七〇年体制へ」。この章と第6章は、とくに中身があるわけでなく、これからものを調べ書く時の注意書きのような章だ。第1節では三つ確認する。一つ、糸賀一雄・小林提樹といった偉人についても検証はなされてよいし、また当たり前のことだが、その偉人と、偉人が作った施設は同じでないし、その施設とそれ以外の施設も同じでない。一つ、施設での自らの生活を維持し向上させようという運動と、子が暮らす場所を求めようとする親たちの運動には共通点とともに差異もある。一つ、政治・政策が引き受けるということは、同時に(例えばスモンについての政治・政府の)責任を曖昧に回収・回避する策であることがあることに留意すべきである。
 第2節では、記憶しているそう多くはない人々の多くにおいては肯定的に回顧される人たち、白木博次(一九一七〜二〇〇四)、椿忠雄(一九二一〜一九八七)、井形昭弘(一九二八〜二〇一六)、近藤喜代太郎(一九三三〜二〇〇八)について。この人たちは、位置取りは各々異なりつつ、相互に関係もある人たちでもあり、一人ずつとりあげる。みな亡くなった方々だ。生きている間に本書を読んでくださったら、はじめは少し喜んでくださるかもしれないが、読み終わったら、あるいは途中で、気をわるくな△005
さったかもしれない(私は以前より年上の人に嫌われているという思いがあって、そのままここまで来たのだが、その年上の方々がいなくなりつつあるというのが、このごろのことだ)。私自身も、そのまま静かに去って行ってくださってかまわないという気持ちがないではない。ただ、やはりよくはないと思い、書いた。どのようによくないのかは、その部分を読んでくださればわかると思う。
 第5章では、一九六〇年代から七〇年代を国立療養所で過ごし、八〇年代に千葉県の国立療養所下志津病院を出て、千葉で暮らした高野岳志(一九五七〜八四)と、埼玉で暮らした福嶋あき江(一九五七〜八七)のことを書く。立派な方々は苦労が少ないのか多く長生きされると、統計的な根拠はなく、私は思っているのだが、その人たちは筋ジストロフィーの人で、立派であっても、早くに亡くなった。私は一九八〇年代の後半に、この二人が亡くなった数年後、福嶋については亡くなったその年かもしれない、その人たちのことを書いたもので知った。お会いしたことはない。そしてそれきりになっていた。このたび新たに読んだものも、多くはないが、ある。高野は一九八一年に、福嶋は八三年に病院を出ている。その前の生活、出る前後のこと、その後のしばらくについて、本人他が書いたものから辿った。この話も、「病院がいやになって病院を出たが、病気のために早くに亡くなった」、と短く縮めれば短くはできる。ただ、やはり第4章までの人々によって讃えられたその体制のもとでの生活が、実際に暮らす人にとってどんなであったか、そして、今でもそう多くはない、一度入院して(「死亡退院」という言葉があるのだが)生きてそこを出ることが、その時そこでどのように可能になったのか、またそうして出ることやその後の生活を何が困難にしたのかを見ようと思う。そして、それからずっと時間を経て、富山県に生まれ石川県の国立療養所で長く暮らして、二〇一七年になってそこを出た一人の人のことを少し紹介する。まずはただそんなことがあったとだけ言いたいのだ。
 あったとして、それはどんないわれで起こったのか。それか、一九七〇年代、そして八〇年代以降の△006 社会をどう見立てるのかにも関わっている。ただそれを考えて書くことは本書ではなされない。第2章で肯定された各々に、その時、またその後、文句を言った人たちがおり、高野や福嶋とはまた別様に施設との間で問題を起こした人たちがいた。まずたんにそれらを列挙する。六三年、水上勉が社会福祉の教科書にも記される「公開書簡」を書いたのと同じ時、障害をもって生まれた子を死なせることを述べた。それに花田春兆が言いがかる。同じその六三年、そして六五年、同じ花田が、水上や、コロニー計画を進めようという政府や民間の有名人に不平を言っている。七〇年、先出の白木博次が所長を務めた府中療育センターで、当初はその処遇に関わって闘争が起こった。それは学生運動他で騒がしかった一時期、比較的大きなメディアにも取り上げられ知られたこともあるが、すぐに消えていった。八二年、重心の施設の草分けである島田療育園で脱走事件が起こった。それも、ごくいっとき知られたかもしれないが、例えばそうした施設の「正史」に現れることはない。
 そうして、作られ維持されている世界において、せっかく苦労して仲良く作り上げてきたものなのに、と迷惑がる気持ちはわからないではない。ただ、それではやはり困る。どう考えればよいか。当たり前のことではあるが、終わらせるにあたって、いくつかを確認する。

 V
 言葉を、例えば本を、字を書かない人で生きているなら声を、集めることをしている。そのこととそれについて何を思っているかを記す。そして本書に関係する本をただ並べる。それだけではたいした意△007 味はない。ただHPからはその一つひとつの本の情報に行ける。こういう話を私は大切だと思っているが、資料やそれを集めることについては別の本に記す。

                    ◇

 長く続いた連載を本にしようと、もとの連載の原稿を整理していたら――結局それは、収拾のつかないおそろしい作業になってしまったのだが――何箇所かで古込和宏が出てくる。連載を単行本にするとき、どこまでもとの、そのときどきの記述を残すか。そんなところでも迷う。結局整理したが、どういう具合に出てくるか。初めに記しておく。
 以下が初出のようだ。「国立療養所――生の現代のために・十一 連載一二二」、『現代思想』二〇一六年四月号に書いたもの。

 ▼存じあげない、たぶん四〇台のデュシェンヌ型の筋ジストロフィーの方からメールで原稿を送っていただき、HPに掲載し連載で紹介した。匿名を希望されているので、(匿名)[2016]と表示する。一般に、(今どき)病院は「地域移行」に反対ではないが――そして経営が絡んで、強く求め、それを受け入れざるをえないことも一方ではあるのだが、筋ジストロフィーに関しては――身体の状態がよくない危険だということ、家族の同意が得られない(だから難しい)といったことが言われることがある。前者について。危機的な状態になることはありうる。(デュシェンヌ型の)筋ジストロフィーについて、自発呼吸の困難への対応はなされているが、心臓の機能については難しい。ただ、救急車と、病室での対応と、どちらがどの程度違うかといったことはわかった上での決断であれば、それを受け入れない理由はない。後者については、むろん「筋」としては不当である。ただ、その不当なこ△008 とが言われることは多いようだ。
 とにかく普通人はわざわざものを書いたりしない。そんな余裕はない。四巻本を出せる人(たち)とそうでない人(たち)と違うのだ。そんななかでは、横田弘はわりあいものを書いた方の人だった。その人との対談(横田・立岩[2002a][2008])を含む本が横田・立岩・臼井[2016]。▲

 そんなふうに書いてあるが、まったく何も知らなかったわけではない。話はいくらか聞いていた。その後、「高野岳志/以前――生の現代のために・二一 連載一三三」(二〇一七年五月号)、本書では第5章282頁に出てくる。なぜ連載(→本書)を書いているかの理由の一つとして古込のことを挙げている。それは誇張ではあって、そんなことがなくても国立療養所を巡って延々と書いていたはずではあるが。そして翌月、「高野岳志――生の現代のために・二二 連載一三四」(同年六月号)、本書では第5章308頁。大人がただそこから退院するというだけのことに病院の許可がいるのは普通にまったくおかしいと思うが、という問いに対する返答を引用している。そして、「埼玉と金沢で――連載一四六」(二〇一八年六月号)でその人に関係することを少しまとめて書いた(第5章4節・382頁)。
 私はその人に直接会ったのは二度きりで、話したのもその時だけだ。その一度めは、多人数がいる会議室に本人を移動させることができない(その手前の、ベッドからの車椅子への移乗の際の看護者の人手が確保できない??)とのことで、短い挨拶の後は、同じ病棟内の会議室にいる私も含め七人ほどだったかと、六人部屋から出られない古込は、スカイプで交信する(させられる)ことになった記憶がある。二度目はその病院を出た後で、インタビューさせてもらった(古込[201801])。それ以外にとくに覚えていることはなく、まるきり貢献もせず、つきあいもなく、格別の思い入れ他はない。ただ、その連載をしている間はすくなくとも生きていてもらわないと格好がつかない、という、まったくもって身勝手△009 なことは思った。病院を出た後、一時体調を崩して入院となったが、今はまたなんとかなっていると聞く。本書では唐突に思えるだろう、第5章4節3・4「懸念については」「別の懸念について」は、何もしていない私と違い彼にまじめに関わった二人にインタビューをして(平井[2018]、田中[2018])、思ったことから書いた。

 では始める。ただ、私としては、一つに読者の便宜のためと思っているのだが(他に、自分の名前が頻繁に出てくると居心地がよくない、ということ等がある)、「ソシオロゴス方式」というあまり標準的でない文献表示法を、右のように、さらに変形して用いる。

 [凡例]

 ※ 本書の著者(立岩真也)の単著については著者名を略し、[201305]というように発行月まで記載する。他にも、読者にとってのわかりやすさ等を考慮し、通常でない文献(名)表記をする場合がある。また発行月までを記す人が他にも数人いる。
 ※ 原文における改段落の代わりに「/」を用いることがある。△010

 
 
>TOP

■あとがき

 「序」で当初考えていた題と副題が入れ代わることになったことを記した。「生政治」は副題の方に使われている。私は、生政治というものは、こういうふうに、つまり本書に記したように、凡庸に作動するものだと考えている。その凡庸な動きをひとつずつ、一度ずつは記述せねばならないと思って、結局ずいぶん長くなった本書を書いた。そのもとになった『現代思想』の連載はたいへん長くなってしまっている。この雑誌にはずっと以前、蓮実重彦の「マキシム・デュカンあるいは凡庸な芸術家の肖像」という連載があって(単行本化されて蓮見[1988→1995→2015])、いったいこの人はいつまでこういう話を延々と続けていくの だろうと思ったことがあるのだが、それよりも長くなってしまっていて、呆れていた自らが呆れられる側になってしまった。

 その二〇〇五年から始まった『現代思想』の連載(?)のうち、「生の現代のために 1〜2」が連載九七〜九八回(二〇一四年三月〜四月号)、「3〜24」が連載一一二〜一三六回(二〇一五年六月〜二〇一七年八月号)まで。その中には本書には使っていない部分がある。そして連載一四五〜一四八回(二〇一八年五月号〜八月号)の四回分が第4章2節、第5章3節になった。
 この間の別の回は、『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』([201511])、『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』(早川・立岩・西沢[2015])、そしてこの十月に出版された『不如意の身体――病乃至障害於社会』([2018])となった。また連載を休んで書いた「七・二六殺傷事件後に」([201609])、「七・二六殺傷事件後に 2」([201610])と連載一二八回「生の現代のために(番外篇)」([201512])は、改稿の上『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』(立岩・杉田[2017])の私の担当分となった。また連載第一二九回「『相模原障害者殺傷事件』補遺」([201701])の一部は第4章第1節に使った。構成・順序はかなり変更し、新たに書き足した部分がある。

 資料を集めているし、寄贈の申し出もあって、集まってきている。人に話をうかがっている。そうして集めることについては、本書では最後に短い文章を再録しただけだ(448頁)。また、本書では第1章に少しだけ書いた「学問上の位置づけ」といった部分、連載には書いた部分も、本書では略している。また本書を読んでいただくうえでは少し役立つかも置いた第2章のような構図は、もう何枚かある。仕事は終わらない。
 本書で、というよりもう一冊の本で幾度か愚痴っぼく書いているのは、二十年前とか、こういう仕事がおもしろいからやりませんかと記した様々が、その時間が経ってまだそのままになっている、それで再度呼びかけますといった話だ([201811:67])。他の人たちと仕事をするのは面倒なことでもあるが、しかし一人では無理なのははっきりしている。本書もまた、なにかをまとめた本というよりは、呼びかける本だ。ほぼ偶々のことだが、いま私(たち)は大学院で働いていて(立命館大学大学院先端総合学術研究科)、そして研究センター(生存学研究センター)もやっている。今はなんとか研究費も得ている(↓)。そこにやってきて、人々がやってきたことを、ときには自分(たち)がやってきたことを調べたりまとめたりすること、文字にすることを歓迎している。さきにいくつか本のリストを置いた。こういう本を私がこれから読むことはまずないだろう。読んでくれる、さらに探してくれる人、論文や本にしてくれる人を探している。

 好事家になることは、人生の時間の使い方としてわるくない。きちんとした蒐集家は、なにか大きなことを言いたがる人物の多くよりよほどよい。ただ、『現代思想』にさせてもらった、そして今も続いている、数年にわたった連載は、生き死にの実際にもすこし関わっている。昨年あたりから、京都・大阪・兵庫で、旧国立療養所から出たいし出られる人が出られるようにしようとする動きがあって、私もその動きに少し関わってもいる。十二月二十四日には日本自立生活センター(JCIL)が主催して、私たちのセンターも関係するシンポジウムが開催される。そうしたことごとに間に合わせようと思ってこの本を作った。連載に書いた文章をただ並べればよいかと最初は思ったのだがそんなことはなかった。苦労した。それでもたいへん不格好なものなってしまったが、あと何年もかけて、何倍の倍の厚さの、誰が買ってくれるかわからない本にするよりよい思って、作業をいったん終わらせた。

 本書は科学研究費研究「病者障害者運動史研究――生の現在までを辿り未来を構想する」(基盤B、二〇一七〜二〇一九年度、本書183・282頁)の成果でもあります。『現代思想』連載の担当・栗原一樹さんと本書の編集を担当してくださった青土社の瑞田卓翔さんに感謝いたします。

                         二〇一八月十一月 立岩真也


 
>TOP



1967年?の筋ジストロフィー少女マンガ and/or 小説?(調査中)

◆2018/01/01 「今年の執筆予定」
 『出版ニュース』2018-1 http://www.snews.net/


病者障害者運動史研究

病者障害者運動史研究
「難病」 ◆「難病」:歴史  ◆「難病」:文献
筋ジストロフィー  ◆筋ジストロフィー・文献
スモン

(匿名)
石川 左門
石川 正一
伊藤 佳世子
鹿野 靖明
北浦 雅子
小林 提樹
福嶋 あき江
山田 富也
山田 秀人
山田 寛之
渡部 沙織(大野 更紗)
渡辺 正直

病者障害者運動史研究 tm">生の現代へ:文献表

◆2018/08/01 「七〇年体制へ・下――連載・148」
 『現代思想』46-(2018-08):-
◆2018/07/01 「七〇年体制へ・上――連載・147」
 『現代思想』46-(2018-07):-
◆2018/06/01 「埼玉と金沢で――連載・146」
 『現代思想』46-(2018-06):-
◆2018/05/01 「石川左門達/ありのまま舎――――連載・145」
 『現代思想』46-(2018-05):-
◆2017/07/01 「福嶋あき江――生の現代のために・23 連載・135」
 『現代思想』45-(2017-7):-
◆2017/06/01 「高野岳志――生の現代のために・22 連載・134」
 『現代思想』45-12(2017-6):16-28
◆2017/05/01 「高野岳志/以前――生の現代のために・21 連載・133」
 『現代思想』45-8(2017-5):8-21
◆2017/04/01 「生の現代のために・20 連載・132」
 『現代思想』45-7(2017-4):16-28
◆2017/03/01 「施設/脱施設/病院/脱病院 生の現代のために・19 連載・131」
 『現代思想』45-6(2017-3):16-27
◆2017/02/01 「「生の現代のために・18:資料について――連載・130」
 『現代思想』45-1(2017-2):
◇2017/01/01 「『相模原障害者殺傷事件』補遺」 連載・129」
 『現代思想』45-1(2017-1):22-33
 ※この回の文献表は別掲
◇2016/12/01 「生の現代のために(番外篇)――連載・127」
 『現代思想』44-(2016-12):-
 ※この回の文献表は別掲
◆2016/11/01 「国立療養所・7――生の現代のために・15 連載・127」
 『現代思想』44-(2016-11):
◆2016/08/01 「国立療養所・5――生の現代のために・15 連載・126」
 『現代思想』44-(2016-8):
◆2016/07/01 「国立療養所・4――生の現代のために・14 連載・125」
 『現代思想』44-(2016-7):
◆2016/06/01 「国立療養所・3――生の現代のために・13 連載・124」
 『現代思想』44-(2016-6):
◆2016/05/01 「国立療養所・2――生の現代のために・12 連載・123」
 『現代思想』44-(2016-5):
◆2016/04/01 「国立療養所――生の現代のために・11 連載 122」
 『現代思想』44-(2016-4):-
◆2016/03/01 「生の現代のために・10(予告) 連載 121」
 『現代思想』44-(2016-3):-
◆2016/02/01 「国立療養所/筋ジストロフィー――生の現代のために・9 連載 120」
 『現代思想』44-3(2016-2):14-25
◇2016/01/01 「加害のこと少し――生の現代のために・8 連載 119」
 『現代思想』44-(2016-1):-
◆2015/12/01 「病者障害者運動研究――生の現代のために・7 連載 118」
 『現代思想』43-18(2015-12):16-29
◇2015/11/01 「今般の認知症業界政治と先日までの社会防衛 生の現代のために・7 連載 117」
 『現代思想』43-(2015-11):-
◇2015/09/01 「生の現代のために・6――連載 115」
 『現代思想』43-(2015-9):-
◇2015/08/01 「生の現代のために・5――連載 114」
 『現代思想』43-(2015-8):-
◇2015/07/01 「生の現代のために・4――連載 113」
 『現代思想』43-11(2015-7):14-24
◇2015/06/01 「生の現代のために・3――連載 112」
 『現代思想』43-10(2015-6):8-19
◇2014/04/01 「生の現代のために・2――連載 98」
 『現代思想』42-6(2014-4):8-19
◇2014/03/01 「生の現代のために・1――連載 97」
 『現代思想』42-4(2014-3):8-21

「難病」 ◆「難病」:歴史  ◆「難病」:文献
筋ジストロフィー  ◆筋ジストロフィー・文献
スモン

(匿名)
石川 左門
石川 正一
伊藤 佳世子
鹿野 靖明
北浦 雅子
小林 提樹
福嶋 あき江
山田 富也
山田 秀人
山田 寛之
渡部 沙織(大野 更紗)
渡辺 正直

生の現代へ:文献表

◆社会開発懇談会 1965/07 「中間報告」


  >TOP

■1967年?の筋ジストロフィー少女マンガ and/or 小説?(調査中)

 ※この作品がなんであるかまだわかっていません。これではという方いらしたらお知らせくださいませ。教えてくださった方には拙著進呈いたします。

山田 富也 19780930 『さよならの日日――友情、恋、そして死…難病と闘った少年の青春』,エール出版社,201p.
 ※これは小説。幸司はその主人公。

 「ふいに、幸司は、まだ小学生のころ読んだ少女マンガの物語をまざまざと思い出した。/(あの話はほんとうだったんだ。栗原は、筋ジスで死んだんだ。そうか。栗原は、数をかぞえることによって、死の恐怖と闘っていたのにちがいない。かわいそうに。あいつは自宅療養なんかじゃないんだ。個室で死んで、退院していったんだ。ボクにも、もうすぐ死がやってくる。)
 進行性筋ジストロフイー症がそんなに恐ろしい病気だなんて、幸司は信じたくなかった。/(筋ジスはなおる病気だと思っていた小学生のころはよかった。療養所にきて、なおらないと聞かされ、こんどは死につながる病気だなんて、どうしよう。どうしたらいいんだろう。死ぬのは苦しいだろうか)」(山田[1978:-140])

高野 岳志 197610 「進行性筋ジストロフイーと私」,『ありのまま』2→19831125 「生と死と人生と」,山田[1983:167-174],2002 「進行性筋ジストロフイーと私」,山田・白江[2002:229-236] [134]
◆―――― 19831125 「生と死と人生と」,山田[1983:167-174]167-174 [133]

 「私が体験の他に、筋ジス≠知るようになったのは、いわゆるマスコミからでした。これは、私の体験を体系づける働きをしたのです。というのは、マスコミから受けた知識が体験により実証されていったわけです。
 私が最初に筋ジス≠フ記述を見たのは、小学四年生のときであったと思います。それは、ある少女雑誌のマンガでした。内容は進行性筋ジストロフィーに冒された少女が、徐々に進行して行く病気との闘いの中で葛藤し、ついには死んでしまう過程を克明に描いたもので、筋ジスに関する小さな解説が付いていました。これを読んだとき私は、全く信じられずに一笑に付してしまいましたが、後になって正しいことがわかっていきました。私の内面では強烈な否認が起こっていたのです。根拠は、死んだものはいない(当時死んだ人を知らなかった)、主人公が女性である、自分は足が不自由なだけで健康であるなどの点でした。」(高野[1976→2002:229-232])

 「私が最初に筋ジス≠フ記述を見たのは、小学四年生のときであったと思います。それは、ある少女雑誌の中でのマンガでした。内容は進行性筋ジストロフィー症に冒された少女が、徐々に進行して行く病気との闘いの中で葛藤し、ついには死んでしまう過程を克明に描いたもので、筋ジスに関する小さな解説が付いていました。これを読んだとき私は、全く信じられずに一笑に付してしまいましたが、後になって正しいことがわかって行きました。私の内面では強烈な否認が起こっていたのです。根拠は、死んたものはいない(当時死んだ人を知らなかった)、主人公が女性である、自分は足が不自由なだけで健康であるなどの点でした。」(高野[1983:170],立岩[20170501]に引用)
 cf.立岩[20170501]「山田の小説にあったのと同じ少女マンガが念頭に置かれているのかもしれない。そのマンガを読んで筋ジストロフィーを知ったが、その時はそのままに信じる気にはならななかった、だが、写真集で確かなことを知ったというのである。二人に一つずつ、同じ経過があったということだろう。」

 ※高野は19570606生。とすると、小学校4年生は1967.4〜1968.3?

福嶋 あき江 19871113 『二十歳もっと生きたい』,草思社

 「私たちが深い衝撃を受けたのは、ある少女雑誌の読みきり小説でした。ストーリーは、まったく普通の学園生活を送っていた少女が、ある日、スポーツをしている最中に突然倒れるところから始まります。少女はあれよあれよという間に歩けなくなってしまうのです。そして、医師から筋ジストロフィーであり、原因も治療法もわからないため、二〇歳前後までしか生きられない、と宣告されてしまいます。物語は、その少女の、愛と友情にささえられて生きる闘病の記録でした。少女の苦しみ、家族の悲しみ、それぞれの苦悩と葛藤が感動的に描かれています。〔子どもたちは、自分に照らして、大げさだとか、美しすぎるとか批評するが、〕その日から、病棟では病気の話はタブーとなりました。一人の姿が消え、また新しい子が入院してきます。誰も死という言葉を口にしません。」(福嶋[1987:53-54])

 ※この「少女雑誌の読み切り小説」と「少女マンガの物語」「ある少女雑誌のマンガ」とは同じでないかもしれない。このことを含め、わかっていない。

 「この時期から七〇年代、連載第一三〇回(二月号)「資料について」で紹介した難病ものが多く現れる。それは多く題に「愛」「青春」「少女」「死」といった言葉が使われ、涙を誘い、人を感動させるものであり、また悲しさとともにけなげで明るい姿を伝えるものであるのだが、本人たちにとってはそうではない。まずそれは自分たちの未来を伝えるものとして受け取られる。」(立岩[2017])


UP:2018 REV:20180719, 1014, 1112
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)