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Spencer, 1820〜1903)らが唱えた社会進化論は、ダーウィンの 説を受け、それを人間の世界に「応用」しようとする、社会ダーウィニズムと呼ば れる主張に連続していく。スペンサーの社会進化論、社会ダーウィニズムは一九世 紀後半以降の米国等で支持を受ける◆20。 また、優生学 eugenics という言葉は、ダーウィンの甥でもある ゴルトン(Francis Galton, 1822〜1911)によって一八八三年に初めて用いられ、 特に二〇世紀初頭以降、各国で影響力をもつ思想的・実践的潮流となる◆21。 また、ドイツでも、一九世紀末以降、民族衛生学と呼ばれる流れが形成される◆22。 これらの各々は同じではないし、また、同じ「学派」の中でも、時代によって論 者によってその主張内容にはかなりの相違がある。またそこにはもちろんダーウィン (Charles Darwin, 1809〜1882)の進化論――一八五九年に『種の起源』初版が発 行される――の影響があるのだが、関係はそう単純ではない。ダーウィン以後の進 化論の進展はその主張を支えるものとして利用されたのだが、他方で、ダーウィン の進化論がなければ始まらなかったものでもなかった◆23。その相互の差異、相互 の関係を詳しく追うことがここでの目的ではない。ここでは、第一に、人間の生物 としての性質、特に遺伝的な性質に着目し、それに関する知見に基づいて、第二に、 人そして/あるいは人の集団をよくしようとする、あるいは悪くすることを防ごう とする営みの中に、これらが含まれることを確認しておく。これらの総体をひとま ず優生(学)◆24と呼ぶ。このように広くとることの意味は後に述べる。 第一点についての認識には様々な対立がある。ラマルクの主張するような獲得形 質の遺伝を認めるか否かが一つの争点になった。社会進化論のある部分は獲得形質 の遺伝を認めた。ラマルキズムは二〇世紀に入っても一定の影響力を維持する。そ して、この説をとらない人達の中でも主張されることは同じではない。能力と性格 等が遺伝によって全面的に決定されていることを主張する人達がいる一方で、社会 進化論者にも人間と他の生物種の進化のあり方を別のものと捉える人達があり、優 生学に関わる遺伝学者の中にも遺伝要因の規定について部分的な妥当性を主張する より穏健な主張がある◆25。 第二点について。歴史的事実としては、よくなるべき単位として集団(人類、人 種、国家…)が指定される――ただ、私的所有の体制と全体の進化との調和的関係 が一般に想定されているから、私的所有を第一義的な権利とし、私的所有を「自由」 と等値するならば、この限りで、集団の利益と個人の権利・自由は矛盾せず、個人 に対して抑圧的に働くものではない。また、例えば自分の子という特定の個別の場 合に優生を志向するのと、集団全体の改善を夢想するのと、予め両者を全く別のも のと考えることができるかも問題である。このことについては第9章4節4で検討 する。そしてこの運動に法制化等の志向が強くあり、また実際にそのいくつかが実 現されたことも事実なのだが、同時に、運動自体の相当部分は自発的な民間の運動 としてあったことも確認しておく必要がある。 何をめざすのか。進化を促し、同時に、退化・退行を抑止することである◆26。 そこにはまず、(西洋世界ではキリスト教に代わる)社会や人間の生のあり方の枠 組み、目標を得ようとする渇望が、そんなものを人が求めてしまう部分があるから には、あった◆27。そしてその中身が進歩というものであったのだから、この観念 を共有する人達の多くが優生学の主張(の少なくともある部分)に同調することに なる。だから、――第7章にも述べるように、もちろん人間の性質の生得性に関わ る部分についての立場によってその対応は大きく変わってくるのではあるが――社 会主義やフェミニズムの決して小さくはない部分は優生学の主張を受け入れること になった◆28。そしてそれは現実に対する危機意識にも促されたものだった。私達 は一九世紀を陽気な進歩主義の時代だと考えがちだが、少なくともある人々におい ては、この時代は濃い危機感に覆われた時代でもあった。このままでは人類は退化 していくと考えられたのである。都市における貧困や犯罪等の諸問題はその現われ と考えられた。 と同時に優生運動は、ある範疇・集団(と自らが見なすもの)による攻撃あるい は防衛の運動でもあった。まず今の基準では大抵の人が人種主義者であった時代に あって、優生学は人種差別を容認し補強するものとして用いられたのだし、また生 産者であり貢献者であると自認するあるいは自認したい人達による、そうでないと みなす人達の排除のために用いられた。これらの各社会でのあり方が、この運動の 流行の度合いとその具体的なあり方を規定した◆29。そしてこれは既得権益を保護 しようとする保守主義と結び合うものであったのだが、同時に、進歩の観念と矛盾 することもない。例えば貧者を助ける政策は、本来なら淘汰されているはずの者を 生き残らせ(逆淘汰)、さらに彼らは生殖率が高いから、他の階層に比べてより多 く増加させ、社会を退歩−退化に導くものと捉えられた。 手段として何を用いるのか。条件として何が想定されるのか。一つには放任であ り、一つには介入である。社会ダーウィニズムが主に前者を、(狭義の)優生学が (前者に加え)後者を主張したと、ひとまず言いうる。まず放任すること、自由競 争に委ねることによって淘汰が生じる。よりよい人間が残り、人間という種が、人 間の社会が進化する。差異を人為的に解消しようとする試みは無益である。なぜな らそれは無駄であるから、というだけでなく、既に決定されてある劣者を保護する ことは、本来なら淘汰されているばずの者を生き残らせ、さらに彼らは生殖率が高 いがゆえに、増加させ、社会を退歩−退化に導くのであるから。社会的扶助が行わ れるなら「逆淘汰」が生じる、また実際に生じていると主張し、行うべきでないこ と、行われているならその廃止を主張する。 さらに優生学は、生殖の奨励により優秀な人間を増やそうとする「積極的(肯定 的)優生学(positive eugenics)」、生殖を抑制することによって不良な人間を 減らす「消極的(否定的)優生学(negative eugenics)」の実現を目指す。実際に は、積極的優生◆30よりむしろ消極的優生が断種法の制定等によって実現すること になる。またあまり指摘されてこなかったが、施設への隔離策もこの中に捉えるこ とができる。◆31 しかし、自由競争・放任と優生学が提唱する介入も両立しないわけではないし、 両者を組合わせることもできる。基本的な財の配分機構としては市場だけを採用し、 自由放任、自然淘汰にまかせ、さらにその上で、積極的・消極的優生学を応用する ことは可能だからである。例えば、有害な性質が遺伝的に規定されたものとみなさ れる場合には、まず放置・自然淘汰を待ち、それだけで足りなければ、優生学的手 段を用いるのでもよい。 優生学は一九世紀末から第二次世界大戦前にかけて、かなりの範囲の影響力をも つことになる。私達――「市民革命」や「産業革命」については相当程度知ってい る、少なくとも学校で習ったらしいことは覚えているのに比較して、ナチスが何か ひどいことをやったらしい、という以外には何も知らない、あるいはそもそも全く 何も知らない私達――が何も知らないよりは大きな影響を与えた。 実際にどの程度のことが行われたのか。以下では影響力の強かった米国とドイツ を取り上げるが、国によっても異なる。研究は進みつつあるが、その全容は明らか になっていない。というより、優生学の定義による。もちろん、歴史的事実として は、人類、人種、社会といった大きな単位が想定され、その改善・進化が目指され たことが優生学の大きな特質ではある。そして、壮大な目標を掲げるがゆえに荒唐 無稽なのであり、また個人も抑圧されるのである。しかし、学派とそれが主張した こと、また国家の政策として実現させたことだけを見るのでは、また全体主義を予 め前提するだけでは、歴史的事実そのものも捉えきることはできないだろう。例え ば、遺伝に関する知識が――例えば優生学者による啓蒙として――与えられ、それ が認識に変容を与えること、そのことによって――優生学者の壮大な理想を理解し、 その理念に同調するかどうかはともかく――行動が変容することがあっただろう。 今なら「迷信」として受け止められる遺伝への恐怖は、迷信としてあったのではな く、啓蒙を介して現われる。例えば日本で法律となったのは「国民優生法」だが、 実際にこの法の下で断種手術を受けた人の数はドイツや米国と比べて格段に少ない。 ただ、以上のように考えるなら決して無視できない規模の影響力をもったものだと 思う。◆32」(立岩『私的所有論』pp.229-233) ■32 アメリカ合衆国とドイツにおける優生学 ◆優生・米国 ◆優生・ナチス ■33 優生学の「消失」 (略) 「◆19 一九世紀には頭蓋測定学が流行する。人種別、性別の頭蓋容量の測定が行われ、 白人の優位や男性の優位が「証明」される。 (Gould[1980=1986:上209-231][1981=1989:27-131])。 これがロンブローゾ(C. Rombroso, 1836〜1909)らによる犯罪人類学の誕生につながる(Gould[1981=1989:132-174]、Darmon[1989=1992])。実証科学としての犯罪学については一般にロンブローゾ、フェリー(E. Ferry, 1856〜1928)らの一九世紀後半の生物学主義的な「イタリア犯罪学派」にその起源が求められるが、藤岡哲也[1984:9-20]は、一九世紀前半に犯罪統計の収集・分析に力を注いだ犯罪学者達の存在意義を強調している。 社会調査の誕生については富永茂樹[1985]。 ◆20 スペンサーの社会進化論の発想が発表されたのは論文「発達仮説」(Spencer[18 52])、この中にevolutionの語が用いられる。 「進歩について」(Spencer[1857=1980])でもいくつかの箇所で使われる。 また著書(Spencer[1854][1862][1864-67])ではよりこの概念は前面に出、 Spencer[1864-67]では「最適者生存」の語が現われる。 いずれも発表は『種の起源』に先行し、進化の語はこの書の最終版(一八七二年) で用いられる(八杉竜一[1984:106ff])。スペンサーは獲得形質の遺伝を主張す るラマルクに傾倒しており(Bowler[1984=1987:171-172])、自然選択は副次的 なものとした。これが進化についての楽天的な発想につながったとする指摘もある (鈴木善次[1991a:112-113])。 一八六〇年代から一九〇三年一二月までに合衆国で販売されたスペンサーの書物 の冊数は一六八七五五冊に達したとされる(榊原胖夫[1969:175])。 米国(等)での社会ダーウィニズムに関する古典的文献としてHofstadter[1944, 1955=1973]、 米国でのIQ論争(第7章注04)からKamin[1974=1977]、 この論争また「社会生物学論争」(第7章注01)を受けてGould[1981=1989]。 他に西川純子[1968]、富山太佳夫[1992]、 スペンサーについて阿閉吉男[1957a]、等。 また、この教説の用いられ方も――教育の場がそうであるのと同様――多様であ り、この点についても検討したものとしてClark[1984]等。 社会ダーウィニズムは、ダーウィン進化論の「生存競争・適者生存」を人間の社 会現象の説明に適用したもの」(鵜浦裕[1991:122])等とされる。社会進化論と の関係について、「じつは歴史資料を呼んでいるかぎり、両者に全く違いはない」 (米本昌平[1981b:260][1989a:48])。この後、米本は、Social Darwinism in American Thoughtの訳書(Hofstadter[1944,1955=1973])の題が『アメリカの 社会進化論』であることにふれ、「ドイツ系の思想を社会ダーウィニズムと呼ぶの に対して、英米系のそれを社会進化論とする言い方は、後者がヒトラーとは直接に 関係なかったということ以外に、この二系統のダーウィニズムの性格をよくあらわ している。社会進化論という表現には、生物が進化するのと同じように人間とその 社会も進化し進歩するという楽観的な見通しが込められており、これは英米系、と くにスペンサーの影響が強いアメリカで顕著であった。これに対して社会ダーウィ ニズムという言葉の周囲には冷酷な雰囲気が漂っている。適者の生存よりは、劣者 の淘汰に目がいき、進歩や発展よりは退化や絶滅の予感のにおいがする。そしてこ のような論調は、確かにドイツで濃厚であった。」 (米本[1989a:50-51]、米本[1981b:260]もほぼ同文) 後述する優生学との関係については「社会ダーウィニズムの代表格とされる優生 学」(米本[1989a:46])という位置づけもなされる。 ◆21 彼は一八六五年に「遺伝的才能と性質」という論文を発表する。この論文では、 精神的特徴が遺伝的であることを述べ、優れた素質の男女間の早期結婚、劣った素 質の男女間の結婚遅延を奨励している。 一八六九年に著作『遺伝的天才』(Galton[1869=1935→1975(抄訳)]、解説 として麻生誠[1975:11-12]等)を発表する。天才の家系調査によって人間に関す る遺伝論が「実証」される。 「優生学」という語が提案されたのは、著書『人間の能力とその発達の研究』 (Galton[1883])においてである(鈴木善次[1991a:98-101]等)。 ゴルトンの生涯とその業績を詳しく追った研究として岡本春一[1987]。 優生学の歴史を概観できる翻訳書としてはKevles[1985=1993]が唯一。 イギリスの優生学史研究を概観したものとして鈴木・松原・坂野[1991] (執筆は松原洋子)。 一九〇四年、ロンドン大学で行われた社会学会(Sociological Society、イギリ スを中心とした国際社会学組織)が開催された。その各報告と各報告に関する討論 及びプレス・コメントがまとめられ、ゴルトンの編集で出版されている(Galton ed. [1904])。 社会学方法論、社会学に関連する実証研究、応用社会学の三つの部門から構成さ れ、全七本の報告がある。方法論の報告にはデュルケームとブランフォード(Victor V. Branford)の共同報告、デュルケームとフォコネ(Fauconnet)の共同報告も含 まれている。 ゴルトンは、応用社会学の部門で「優生学:その定義、展望、目的」(Galton [1904][1909])を報告した。この報告での定義では、 「優生学とは、ある人種(race)の生得的質の改良に影響するすべてのもの、お よびこれによってその質を最高位にまで発展させることを扱う学問である」 (訳は米本[1989a:46])。 賛成論、反対論の両方が寄せられるが、ホブハウス(Hobhouse)は、これまでの 社会福祉行政は社会環境を改善することを主たる目的としてきたが、ゴルトンは国 民の血統(stock)そのものの向上という新しい福祉の課題を提示してくれている という賛成論を述べている。(以上紹介は市野川容孝[1990b]による。) このゴルトンの報告と討論をきっかけとして、一九〇七年にはロンドンに優生学 教育協会 Eugenics Education Society(ESS)が設立され、一九一一年のゴル トン死去までには五二七名の会員を数えるまでになり、一九一三〜一九一四年にか けては千人以上の会員を擁した。一九一一年にはチャールズ・ダーウィンの息子で あるレナード・ダーウィン(Leonard Darwin 1850〜1943、著書にDarwin[1926]) が会長に就任、一九一二年にはロンドンで国際優生学会が開かれている (鈴木[1991a:100-101]等)。 米国、イギリスの社会学会と優生学との関連については富山太佳夫[1993:121-1 22]にも言及がある。イギリス優生学史についてSearle[1976]。 ◆22 一九世紀末、ダーウィン進化論を独特に解釈し、魂と肉体、無機物と有機物、人 間と他の生物といった二元論を廃した一元論を主張し、一九〇六年にドイツ一元同 盟を結成、ドイツの社会ダーウィニズム、民族衛生学に影響を与えた人物に ヘッケル(Ernst Haeckel, 1834〜1921)がいる (八杉竜一[1984:97-114]、Weindling[1989=1993]、米本[1989a:52-54])。 太田竜が 「生態学(エコロジー)という新しい学問の領域を創造した」 「ヘッケルの死の前後からエコロジーは変質し、堕落し始めた」 と肯定的に紹介している(太田[1986:138ー143])。 「ドイツにおける優生学は、民族衛生学と呼ばれ、英米における優生学(eugenics) とは区別されることが多い。この民族衛生学は、一九世紀末アルフレート・プレッツ (Alfred Ploetz)とヴィルヘルム・シャルマイヤー(Wilhelm Schallmayer)とい う二人の無名の医師によって構想され、その後英米のeugenicsと相互に影響を及ぼ しあいながらも比較的独立した学派として、eugenics同様、二〇世紀中葉まで様々 な学問的・社会的威力を持つことになった」 (研究動向を概観する鈴木・松原・坂野[1992:65]、執筆は坂野徹)。 「一般にドイツでは、概して右派はRassenhygieneを、左派はEugenikという言葉の ほうをよく使った。とくに左派のなかにはRassenという言葉を嫌う人間が多く、た とえば、A・グロトヤーンは生殖衛生学Fortpflansungshygieneという言葉を作った し、シャルマイヤーはRasseは複数形でありすでに人種間に大きな遺伝的差異があ ることを前提にしているとして一生Rasse-hygieneという言葉で通した。」 (米本[1989a:113]) ドイツ社会学は民族衛生学に批判的な立場をとったが、同時に、民族衛生学は社 会学のまったく外にあったわけではない(以下、米本[1989a:76-83])。 一九一〇年の第一回ドイツ社会学会でプレッツは「人種概念と社会概念およびこ れに付帯する問題」と題された講演を行う。テニエスがその前日の開会講演、また ウェーバーとテニエスがプレッツの講演後の討論でこれに対する批判を行う。こう した論争はそれ以前に始まっている。テニエスとシャルマイヤーの論争があり、ま たウェーバーのいわゆる「客観性」論文(一九〇四年)は、ロッシャーやクニース よりむしろ社会ダーウィニストを念頭においたものだった。テニエスとウェーバー は「自然科学的、一元論的な社会学説の中には、一見万民が認めざるをえない自然 科学の客観性の名を借りた、強烈な世界観や予断があることを認め、この特定の世 界観で汚れたところの因果論的説明理論から、純粋な因果論のみこしとる可能性を やってみせるべきだと主張したのである。そして、このウェーバー=プレッツ対決 は、ウェーバー学派からの、社会ダーウィニズムの系統的無視を決定的なものにす る象徴的事件となったのだと思われる。」(米本[1989a:81]) ちなみにヒトラーは民族衛生学の運動の中にいたのではないが、その著書『わが 闘争』(Hitler[1940=1973])はその主張を取り込んでいる。ただ、人種につい ての認識などについて両者の差異は小さくない(ドイツの有力な優生学者の多くは ユダヤ人だった)。民族衛生学の側のこの書の受け止め方については米本[1989a: 98-106]。 ◆23 ダーウィン自身は「進化」という語を当初用いず、この語が一般化したのはスペ ンサーによってである(注20、村上陽一郎[1991:6])。またダーウィンは進化論 を人間の世界に当てはめることに慎重だったと言われが、同時に進化論の発想にあ たってはマルサスの『人口論』の影響があったとの指摘もある(Bowler[1984=19 87:168-169]、横山利明[1991:40])。 ゴルトンへの影響についても、従来は『種の起源』(Darwin[1859])の影響を 言う説が有力だったが、この影響は実はそれほど大きくなく、子どもができなかっ た自分の妻の家系についての関心をきっかけとした家系への関心等が遺伝説、優生 学に結びついていったのだとも言われる(鈴木善次[1991a:106-109])。他方、 『人類の起源』にはゴルトンへの言及がかなり見られ、また「逆淘汰」への危惧が 語られる部分(Darwin[1871=1979:195])もある。 ◆24 現実に起こったことは、学、思想だけであったのではなく、運動であり、実践で あり、政策だったから、「優生学」「優生思想」は最適ではない。 藤野豊[1993]は「優生主義」の語を用いている。 ゴルトンの定義(注21)の他、次のような規定がある。 「優生思想は種の利益の思想であり、生命の質は個の利益の思想である。… 種という概念を利益評価の主体として設定しない場合においても、個体の排除を その個体以外の存在者の利益のために正当化する主張を、拡張された優生主義とよ んでも良い。」(加藤尚武[1987b:208-209])。 「最も狭い意味で、優生学を、人間の遺伝子プールにおける病的遺伝子の頻度が 増大することをおさえたり、これを積極的に排除することを指すものとする」 (米本[1987b:38]、注43、第7章注08も参照のこと)。 私自身の見方は本節と第9章(4節4)に記した。 ◆25 自然界と人間界を区別し、自然淘汰を否定し社会改革を主張しつつ、後者を (よ り高度な)人間的進化とする進化論者が存在する(例えばウォード(L.Ward)、 cf.阿閉吉男[1957b:70-79]、榊原胖夫[1969:184-185])。 その後の優生学の歴史の中では、 強制断種や隔離を主張し、人種主義的な傾向が比較的強い 「本流優生学(mainline eugenics)」から 優生学的に重要な表現型に対する環境要因にも考慮し、これを無視する本流優生 学に批判的な 「改良優生学(reform eugenics)」が分れる (Kevles[1985=1993])。注40も参照のこと。 ◆26 一八五〇年代にフランス精神医学に現われる 「変質degeneration」概念(原初の完全な人間類型からの負の方向への逸脱) とその変容について太田省一[1992b:77-79]。 当初はラマルキズムの影響が見られ環境改善の動きと連続するものだったが、遺 伝と環境を明確に区別する優生学のもとで生殖への介入が指示される。フロイトに おける「変質」(Degeneration)概念については市野川容孝[1996a][1996c]。 ◆27 「進化論の出現によって、旧来のキリスト教的倫理や生活規範の基盤がゆらぎだ し、ついには「中世的遺物」のように見えだした。このようななかで先鋭的な知識 人は、たったいま宗教的迷妄を打破してみせた自然科学こそ、合理的で確実な新し い倫理や生活規範の根拠を提示してくれるものと確信した。 かくして進化論的啓蒙運動は、社会科学の分野で、おびただしい数の社会ダーウ ィニズムの範疇にはいる諸学説を産出させ、さらには、自然科学的論拠のみに立脚 した新しい生活改善運動を生み出してゆく。それは、教育改革に始まり、婦人解放 であったり、社会主義的運動であったり、優生学や公衆衛生であったりした。この ように十九世紀後半から今世紀前半にかけて、西欧の価値体系のなかで自然科学が 非常に高い地位にのぼりつめた。これこそ、社会ダーウィニズムが大流行をした、 根本原因だとみなしてよいのである。それは、人間が人間として生きて行くための 意味空間の選択と乗り換えの問題であった。」 (米本[1989a:45]) cf.米本[1980:54]。進化論がキリスト教的世界観に対抗するものとして位置づ くことによる「科学」としての進化論に独特の性格について沼田寛[1985]、また 沼田の文章の紹介から始まる米本[1986a]。進化論を学校で教えることの是非に関 わる「猿の裁判」について下坂英[1984]、鈴木善次[1984]。 ◆28 左翼と優生学との結びつきについてPaul[1984=1993]、 ソ連における優生学について根本亮[1993]。 フェミニズム、バース・コントロール運動と優生思想の関わりについて 荻野美穂[1991b][1994:166-208,257-260]、市野川容孝[1996f]、 優生学とセクシュアリティについて松原洋子[1990]。 ナチス期の女性政策についてFrevert[1986=1990:189-235]、 ナチズム下の「母性」についてStephan[1991]。 ◆29 流行したのは、奴隷制以来の人種差別があり多数の移民を抱える米国、そしてナ チス政権下のドイツ。人種・民族差別の正当化の理由として用いられる。そして、 階級の問題があるところ、特に有閑=特権階級とそれ以外の対立ではなく、(より 多く)生産し、(より多く)所有する市民階級があり、それがそうでない(とみな す)集団(として範疇化したもの)に対して自己防衛的になる、あるいは攻撃的に なる社会、時代において、優生学的な発想は受け入れられやすいとは言えるだろう。 これに関連し、優生学を専門職中流階級のイデオロギーとするマッケンジーの主 張がある(MacKenzie[1981]、この主張及びそれに対する批判の紹介として鈴木・ 松原・坂野[1991:227-230])。このことが米国で社会進化論・社会ダーウィニズ ムが受け入れられたことと無関係ではないはずである。他方例えばフランスではこ れらの国ほどには広がらない。獲得形質の遺伝説がかなり後まで残り、遺伝的要因 によって性質が決定されるという考え方はなかなか社会に定着しなかったといった 説明もあるが、他の要因も考えうる。フランスにおける社会ダーウィニズムについ てClark[1984]、桜井哲夫[1993]。 ◆30 積極的優生を実践しようとして失敗した試みとして オナイダ・コロニー(Oneida Colony) (Howard ; Rifkin[1977=1979]、保木本一郎[1994:66,253]、 cf.吉澤夏子[1997:46-47,130-132])。 シンガポールの積極的優生政策についてChan[1985]。 積極的優生(を含む生殖技術全般)の批判としてRamsey[1970a] (保木[1994:264-267]に紹介)。 私自身の見解は第9章6節に述べた。 ◆31 例えば断種に対して、それが次世代の人口の質を改善するものでしかないこと、 社会問題を引き起こす者達=精神薄弱者――犯罪者、アルコール中毒者、売春婦、 失業者――の性的放縦を許容することになりかねないといった批判がなされる。 「このような批判は、主に精神薄弱者の隔離を主張する側から出された。そこでは、 自らの立場として「生涯にわたる介護 life-long care」が唱えられた(Lapage[19 20:197-199])。その立場によれば、精神薄弱者の施設への隔離は、初等教育の年 齢を過ぎ社会に出た精神薄弱者を監視し続けることの困難やその場合の家族の負担 を軽減するし、また精神薄弱者自身にとっても文明生活がもたらす外界の過剰な刺 激が遮断されることで精神的な安定が得られ、それによって各自の程度に応じた労 働の効率も上がるだろう、また最終的には、変質した人口が新たに増加するのを抑 制することができるだろう、とされた(Douglas[1910:255-256])。」 (太田省一[1992b:82-83]) 「脱施設化」について私達は一定のことを知っているが、施設(化)の歴史のこと はほとんど知らない。検証の作業が必要である。 ◆32 日本における ◆Howard & Rifkin[1977=1979:52-100] REV:....20031203 ◇BOOK |