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優生学について・3

−不妊手術の歴史−
医療と社会ブックガイド・11)

立岩 真也 2002/12/25 『看護教育』42-11(2001-12):
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●表紙写真を載せた2冊

◆Trombley, Stephen The Right to Reproduce,1988, revised edition 2000, A. P. Watt=2000 藤田真利子訳,『優生思想の歴史――生殖への権利』,明石書店,398p.,4600円+税
◆二文字 理明・椎木 章 編 2001 『福祉国家の優生思想――スウェーデン発強制不妊手術報道』明石書店,206+8p.,2500円+税


 前回・前々回と優生学(eugenics)についての本の紹介を始めたのだが、その優生学とは何か。11月刊の社会福祉士養成講座『社会学』(ミネルヴァ書房)で私が担当した「常識と脱・非常識の社会学」の用語解説には次のように書いた。
 「人間の性質を規定するものとして遺伝的要因があることに着目し、その因果関係を利用したりそこに介入することによって、人間の性質・性能の劣化を防ごうとする、あるいは積極的にその質を改良しようとする学問的立場、社会的・政治的実践。eugenicsの語は1883年にイギリスのF・ゴルトン Francis Galton が初めて使った。…19世紀後半から20世紀にかけて、全世界で大きな動きとなり、強制的な不妊手術なども行われた。施設への隔離収容をこの流れの中に捉えることもできる。現在では遺伝子技術の進展との関連でも問題とされる。」
 拙著『私的所有論』(勁草書房)第7章の注(pp.254-267)に当時、日本語で読めた文献のあらかたは挙げたが、その後かなりの点数の書籍が刊行されるようになった。ただ基礎的な1冊は既にその時出ていた。
 1991年ころだっただろうか、BS(Bio-Sociology)研究会というごく小さな研究会を市野川容孝・太田省一・加藤秀一らとやっていた。その時読んだのは、歴史学系の学術誌掲載の英文の論文など。ただ単行書も何冊かあった。それで買った1冊が米国の研究者 Daniel J. Kevles(ケブルズ)のIn the Name of Eugenics: Genetics and the Uses of Human Heredity(Knopf,1985)で、1993年に『優生学の名のもとに――「人類改良」の悪夢の百年』(西俣総兵訳,朝日新聞社,529p.,2800円)という訳書が出た。とくに分析が鋭いというのではないが、優生学の歴史の概要を押えた本として有益な本であり、多くの論文等でも言及される有名な本であり、日本語で読める優生学の歴史についてまとまった記述のある最初の本だった。ところが今回調べてみたら、まったくあろうことか、この本はもう買えないのである。まともな図書館なら入れているから、そこを利用していただくしかない。
 ではその代わりになる本があるだろうか。日本の研究者たちによる本が1冊あるのだが、これについては次回に紹介しよう。今回は「不妊化」に焦点を当てた本を2冊紹介する。

◇◇◇

 実践としての優生学はわるい人間を減らそうとする「消極的優生学」とよい人間を増やそうとする「積極的優生学」に分けられる。前者にもいくつかの方法がある。まず施設への隔離。これから紹介する本の著者も施設収容を消極的優生学の方法の一つだと言う(p.14)。施設(化)の歴史もそんなところから見る必要があるということだ。関係する本もあるから機会があったら紹介しよう。そして、人の受け入れの拒否、制限、追放。米国などでの移民の制限の歴史がある。そして究極的な方法としての殺害。これを前回・前々回見てきたのだった。さらに選択的中絶等の出生前の行ないもここに位置づけうるものと見ることも可能である。そして今回の断種、不妊手術は、以前より採用されてきた最も標準的な?手段と言えるかもしれない。
 断種というと私はなんとなく男性というイメージなのだが、実際にはそうではない。例えばスウェーデンで手術を受けたのは女性の方がずっと多い。ひどく単純な方法としては子宮摘出手術がある。不妊手術はむろん不妊化(Sterilization)のための手術であり、不妊治療ではない。
 私たちは、日本の優生保護法のもとでの強制不妊手術があり、ハンセン病施設での手術があったこと、その実態をようやく少し知るようになっている。福祉施設での子宮摘出が問題になったこともある。のんきに外国のことを紹介している場合ではないのかもしれないのだが、それはとりあえずホームページの「断種」「子宮摘出問題」等をご覧いただくとし、ここではまずトロンブレイの本(日本についての言及もp.235等にある)を紹介する。
 ケブルスの本の3年後に出たこの本の訳書の題「優生思想の歴史」という言葉は原題にはない。だが、看板に偽りがあるということはない。とくに前半は優生学の歴史の概説書として読むことができる。他の本では読んだことのなかったエピソードもいくつか出てきて、歴史学の堅い学術的な文章というより、主要人物の一人一人へのときに皮肉で辛辣な評言もあって楽しく――はないかもしれないが――難しくはなく、一気に読んでいける。イギリスそしてアメリカを中心とする動きを主には追い、ドイツにも言及しながら、主題は断種手術に絞られていく。
 あるところまで書いてもらわないと、どうもその現実性がつかめないということがある。その点、この本は読んでわかった気がする。例えば自発的と強制との境は難しいのだか、そこがどうなっていたのか、いるのか。例えば施設を出られることと引き換えに手術に応ずるという仕掛けの実際が描かれる――これは脱施設化と手術とが伴うことがありうることをも示している。そのような様々の「勧誘」のあり方が紹介される。
 より大切なことは、過去から継続し現代につながっている部分、あらたに行なわれている部分の指摘、記述である――その意味がなんであるのか、そのこと自体は読んでから考えないとならないのだが。
 例えば20世紀の初めに米国で制定された断種法が1980年代にまだ残っているといったことは聞いていたが、戦後、英米で主張され、なされてきたことが具体的にどんなことなのか、私はまったく知らなかった。
 戦後、ドイツでの――前回・前々回に紹介した部分はなかなか表に出なかったのだが――ユダヤ人の虐殺、ホロコーストと優生学が結びつけらる。気にせずこの言葉を肯定的に使い続ける人たちもいるが、露骨な人種主義は批判され、優生学は悪い言葉になる。しかし、批判、否定されながら、残るものは残るし、むしろまた現われるのである。こうした部分が、はっきりと手術に反対の立場をとる筆者の側から、丁寧に描かれている。戦前からの優生学と戦後のインド等での人口政策との関わりについての分析もある。

◆◆◆

 もう1冊、同じ出版社から同じ年に『福祉国家の優生思想』が出た。
 日本のメディアでもしばらくはそれなりに大きく採り上げられたから覚えている人もいるかもしれない。スウェーデンで、長い間、計6万人以上の人に対して、その多くは実質的に強制的と言いうる断種手術が行なわれてきたことが明らかになった。
 こういうことはつねに、知っている人は知っている。仕事として与えられたいるから知っている人もいるし、表沙汰になったらかっこうが悪いから、都合が悪いから言わない人もいる。それでも研究者には調べている人もいて、それなりのことがわかっていたりすることもある(今回の報道も女性研究者の地道な調査がもとにあった)。だが、皆がはっきり知っているわけでない。そのようにしてそれは存続しているのである。そんな状態がどんなきっかけで変わるのか、ドイツについて前回見たのだが、スウェーデンでは、1997年、スウェーデンの日刊紙にマチエイ・サレンバという記者が書いた記事、それを掲載した新聞の一連の報道が引き金となった。
 この本はまずその報道を紹介する。まず驚くのはその記事が長い本格的な文章であることである。日本の新聞でそういう記事を見たことはない。
 この記事とその後の反響、対応に注目した筆者たちが、関連する記事や資料を集める。日本にやってきたそのサレンバさんにインタビューをする。報道をめぐる国内での論争、政府の対応、国外での反響がまとめられる。そうやって本ができた。これも一気に読ませる本である。
 優生学史研究がはっきりさせたことは、優生学は保守主義のもの、右翼のものではなく、改革派、左翼のものでもあったということである。フェミニズムもまた優生学と無縁でなかった。むしろ深い関わりをもっていた。いまマーガレット・サンガーやマリー・ストープスといった人たちは「母性〇〇」といった授業でどう教えられているのだろう。前記したトロンブレイの本は第5章で、彼女らの活動についてゴシップに類するようなことまで含めて描いている。そしてこちらの本ではスウェーデンという「福祉国家」と優生学のつながりが問題にされるのである。
 こうした優生学そのものの広がりはまた、その総体が否定されるべきなのかという問いも生じさせる。不妊手術という主題では、同意のない場合にはつねにすべきでないと言い切れるかという問題がある。人をよくするとか社会をよくするとった大それた目的と別にやむをえないことがあるのではないか。そうかもしれない。しかしそれを考えるためにも実際に何がなされてきたのか、それを知っておく必要があるのだ。


UP:2002 REV:20140615
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