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優生学について――ドイツ・2

医療と社会ブックガイド・10)

立岩 真也 2001/11/25 『看護教育』42-11(2001-11):
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●表紙写真を載せた2冊

◆Pross, Christian & Gotz, Aly (Hrsg.) 1989 Der Wert des Menschen: Medizin in Deutschland 1918-1945 Edition Hentrich Berlin=1993 林功三訳,『人間の価値――1918年から1945年までのドイツ医学』,風行社,144p.,2200円

◆神奈川大学評論編集専門委員会編『医学と戦争』,御茶の水書房,神奈川大学評論叢書5,1994,244p.,2400円

 前回、ナチス政権下、第二次大戦時のドイツでの病者・障害者の殺害についての本を紹介した。今回はまずそこで紹介しきれなかった文献をざっとあげることにする。
 日本の研究者では木畑和子がこの主題で多くの論文を書いており、後で紹介する『医学と戦争』に「ナチズムと医学の犯罪」が収録されている。また精神科医の小俣和一郎のドイツでの調査もふまえた著書『ナチスもう一つの大罪――安楽死とドイツ精神医学』(人文書院,1995,266p. 2400円)がある。これらのいくつかは、もちろん他の資料にも言及しつつ前回紹介したクレーの著書を重要な情報源としており、その翻訳がなかった状態を埋めるという役割をも果たすものだっただろう。
 また翻訳としては、実在した施設の記録をもとにして書かれた小説にF・ルツィス『灰色のバスがやってきた』(山下公子訳,草思社,1991,277p. 原著1987)がある。この本は品切れ・絶版だが、闘病記&一般向医療関連書専門の古本屋「パラメディカ」(http://member.nifty.ne.jp/PARAMEDICA/)には本稿執筆時、在庫があった。
 以上がいわゆる「安楽死計画」に関する書籍だが、他に裁判資料などを用いアウシュヴィッツ収容所の医師たちの行動を明らかにしたF・K・カウル『アウシュヴィッツの医師たち――ナチズムと医学』(日野秀逸訳,三省堂,1993,374p.,4200円,原著1976)。もとは旧東ドイツで出された本で、戦争犯罪に加担した医師達に対する旧西ドイツでの寛大な扱いに対する厳しい記述もある。

◇◇◇


 このように見てきても、日本での出版は1990年代に入ってであり、ドイツでも1970年代以降、この傾向は邦訳のない本についても同様である。日本に比べてドイツは戦争犯罪に対する反省に真面目だと言われることがある。たしかに日本に比べればそう言えるだろう。ただいわゆる「安楽死」等への医学・医療の関与の問題については、ドイツにしても戦争に負けてすぐに事実を解明し対応したのではない。重要なことは、ドイツにおいてもずっと批判と反省を抑圧されてきたこと、だがそれに対して批判がなされ、医療者の組織が動くようになったということであり、その背景・経緯である。
 終戦後、いくつかの人体実験等がニュルンベルク裁判で裁かれはした。ただ、この連載の初回に『医療倫理の夜明け』をとり上げた時にも、この裁判が直接に医療倫理についての反省を促したのではないことを述べたが、ドイツでの状況はむしろさらに厳しかった。この裁判を記録し、医療者の責任を問うたミッチャーリヒとミールケの『人間性なき医学』(1947年,邦訳なし)は医学界による強圧的な非難とそして次に完全な無視をもって迎えられた。
 ドイツに限らず優生学の捉え直しが始まるのは1970年代以降になるのはなぜか、これには深い意味があると私は考えているのだか、そのことについては次回にふれることにしよう。ただドイツ内の事情・背景としては、安楽死計画等に積極的・消極的に加担した人たちが、戦後もドイツの医療・医学界で活動・活躍していたことがあげられる。その人たちが戦後のドイツ医学・医療界にどうやって居座り続けたかについては、ここまでに紹介してきたクレーやカウルの本に詳しく記されている。
 そうした状況が徐々に動き始めるのが1970年前後からである。一つにはそのころになると引退や死亡といったことも含め、戦争を経て戦後を牛耳ってきた人たちの影響力が弱くなってきたことがあるだろう。世代交替の時期になって、文句を言いやすくなったということだ。そしてそれに加えて1960年代末から1970年代にかけての全世界的な社会運動の影響があるだろう。反戦運動や環境問題の浮上にもともない、権威とされてきたものが疑われ、よいに決まっているとされてきたもの、医療や学問や科学が実際に行ってきたことが俎上に乗せられるようになった。ドイツでも、日本であれば全共闘世代と呼ばれる世代の人たちが、医療の改革を目指し、過去に目を向けることを主張し始める。
 そんなことがあって少しずつ動き出す。そうした動きを受けてなされ、同時にその動きを作り出し加速もさせた研究や出版物のいくつかを前回から紹介してきた。そして医学界は、様々に抵抗しながらも、それを結局はそれなりに受け止めた。
 そうした経緯のもとに出されたのが『人間の価値――1918年から1945年までのドイツ医学』である。
 まず1970年代から1980年代にかけて、ベルリンの医師たちがベルリン医師会に働きかけた結果、医師会の声明が出される。本の最初にそれが掲載されている。次のように始まる。
 「ベルリン医師会はいま、ナチズムの中で医師層がはたした役割と、忘れることができない犠牲者の苦しみを思い起こす。医師組織を結成する我々は、我々自身の過去とナチズムに関与した医師の責任を明確にしないわけにはいかない。」
 さらに、ベルリン医師会理事会の研究サークル「ナチズムの中の医学」は、ベルリンで開催された第92回ドイツ全国医師会議で展示会を行うことを提案、了承され、1988年11月に実現した。そのときに作成されたカタログがこの本であり、「人間の価値」はこの展示会の名である。日本で出たのはその抜粋で、もとは400頁もあったものだという。
 編者の2人は医学史の研究家だが、ベルリン医師会著・刊行、ドイツ医師会協力となっている。その本にドイツの医師の45%はナチ党員だったこと、その上25%はSA(突撃隊)の、7.3%はSS(親衛隊)のメンバーだったこと、この割合は他の職業と比べ際立って高いことも記されている(p.45)。殺した側に加担し研究に利用した医学者たち、また政権に抵抗して殺された医学者たちが実名と写真とともに解説されている。また「狂信的な健康への意志」といった項目も立てられ、医療保健の政策・実践と優生学とが地続きであることも指摘されている。
 最後にはミッチャーリヒとミールケが書いたニュルンベルク裁判についての記録で、当時ベルリン大学の教授たちの権限で削除させられた部分が掲載されている。

◇◇◇


 この展示「人間の価値」は日本でも開催された。神奈川大学での開催を機会に行われた1993年3月のシンポジウムの記録を中心に編まれた本が『医学と戦争――日本とドイツ』である。その他、アメリカ、カナダの他、日本では1993年に京都、大阪、広島でも、日本での戦時医学についてのパネルと合わせ展示会が開催された。その経緯はこの本の吉田隆の文章(pp.181-182)と『人間の価値』の訳者あとがきに記されている。大阪で展示は大阪府医師会の後援を受けた。京都では京都大学医学部の協力は得られず、それと731部隊の石井四郎が京都大学出身であったことの関係が示唆されている。
 第一部が731部隊についての著書が何冊ある常石敬一、そして米本昌平、ドイツのF・ハンセン、そして故・中川米造によるシンポジウムでの報告と質疑応答(司会は中山茂)、第二部はシンポジウムに提出された原稿等。じつはこの本にはこの連載の第6回で言及したことがある。第三部に収録されている清水昭美の「「人間の価値」と現代医療」を紹介したからである。他にさきにあげた木畑の文章等がある。
 様々な話題が出て全部がきちんとかみあっているわけではないシンポジウム――シンボジウムはたいていそんなものだ――の記録が主ではある。ただ、731部隊のことを日本の医学界でとりあげることの困難な事情について中川米造が語っているところなどそうなのかと思わされる。
 次回に紹介することになるだろう私の同業者(社会学者)の市野川容孝は、ドイツの同業者団体がまともで社会的に機能していることを知っているから、それに比して、日本の団体が医療倫理にしても何にしても役割を果たしていないことを嘆き、もっと日本の団体も、と言う。
 私は、医師会にせよ何にせよ同業者団体にたいした期待を抱けてはいない。つまりしょせん同業者団体は利益団体だとしか思えない。ただ医学に限らず特殊な知識・技能が関わる場合、外からの制御だけでは届きにくいところはある。とすると、同業者団体をそう冷たく見離しているばかりではいけないのかもしれず、自らが自らを律することを求める必要もあるのかもしれない。また当の組織としても、ただ利益を主張するだけでは社会の信頼は得られないのだから――だから実際に信頼されていないのだが――、信頼されようとすればきちんとしたことはしないとならないのだろう。今回と前回とりあげた本は、どんな歴史があったかを教えるだけでなく、それに誰がどう向かうのかを考えさせる。


●ほかにとりあげた本

◆Daniel J. Kevles(ケブルズ)In the Name of Eugenics: Genetics and the Uses of Human Heredity(Knopf,1985) 1993年に『優生学の名のもとに――「人類改良」の悪夢の百年』(西俣総兵訳,朝日新聞社,529p.,2800円)[200110:品切]

UP:2001
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