HOME > BOOK >

優生学について・4

医療と社会ブックガイド・12)

立岩 真也 2002/01/25 『看護教育』
http://www.igaku-shoin.co.jp
http://www.igaku-shoin.co.jp/mag/kyouiku/

Korean

Tweet




 優生学について4回目になる。第1回は第二次世界大戦時のナチスによる「安楽死」について、第2回はそれがだいぶ後になって詳しく知られ問われ出したことについてだった。第3回は不妊手術について。これらではまず強制が問題にされる。殺人という究極の強制・暴力があり、また事実上強制に近い状況に追い込まれて不妊手術に応じざるをえない。
 もう一つは、「科学」の間違いとしてこれを問題にするものである。そんな本の1冊に『人間の測りまちがい』がある。著者のグールドは進化論で独自の説を打ち出してきた著名な生物学者だが、おもしろい文章を書ける人でもあり、多くの著書があり、その翻訳がある。『パンダの親指』とか『ニワトリの歯』等、変わった題の本(いずれも早川書房)を見かけたことのある人、読んだことのある人もいるだろう。
 この本は1981年に米国で発行され、1989年には日本語訳が出た。その後米国ではペーパーバックになったが、日本では品切れ絶版になった。1996年に改訂版が出て、その訳が1998年により厚く値段も高くなって再度出版された。頭蓋測定そしてIQテストに即して生物学的決定論の歴史が辿られ、それに対する批判がなされる。おもしろがってばかりもいられないのだが、とてもおもしろい。科学と称されるもの、統計学的事実とされるものが、いかに間違え、人種主義等々に利用されたか、あるいは利用されるために主張されたかを明らかにする。改訂版は、初版が出た後にまた現われた集団間に遺伝的な知能の差があるとする説を、もう一度批判する部分が加わっている。統計学の概念の解釈については、私にはよくわからないところもある。ただ、翻訳がよくないことを多くの人が指摘しているから、そのせいでわからない部分もあるようだ。
◇◇◇
 ところで問題は、間違いをただし、そして強制と暴力を排すれば、優生学の問題は終わるのかである。その歴史を知ろうとするとき必須の本であると同時に、このことを考えさせるのが『優生学と人間社会』である。
 まず1冊、ならこの本だ。新書だから分量も適度でなにより安くてよい。歴史的事実は、分量の制約がありながらもよく書き込まれている。知らない人たちの名前が続々登場するから、その部分がとっつきにくいかもしれないが、暗記しなくてはならないわけではないのだから、そう気にすることはない。
 わりあい近年まで、日本で優生学の歴史の研究者で主だった人と言えば、『日本の優生学』(1983年、三共出版、2000円)を書いた、そして先にあげた本の訳者の一人でもある鈴木善次と、そして米本昌平ぐらいだった。米本には生命倫理や環境問題について何冊かの著作があり、新聞・雑誌に掲載された文章等でご存知の方も多いだろう。優生学に直接関わる本では『遺伝管理社会――ナチスと近未来』(1989年、弘文堂)があるが、絶版になっている。
 『優生学と人間社会』は、その米本と、私と同じ世代、1960年前後生まれの研究者3人の共著の本である。米本がイギリスと米国、市野川容孝がドイツと北欧、ぬで島次郎がフランス、そして松原洋子が日本について書き、終章を米本が担当している。
 この3人も他の人たちも、1980年代から90年代にかけて優生学の歴史に関心をもって研究を始めた人たちは、米本に直接間接の学恩を受けている。今も研究者がたくさんいるわけではないのだが、それでも徐々に関心が向けられ、研究が盛んになってきた。彼はその先駆者である。
 優生学はナチスの戦争の時のものだったと思っている人がいるとして、米本は優生学とはそういうものではないのだということを言い続けてきた。ここ数十年世界的に盛んになった歴史研究もまたそのことを明かにしてきている。今回の本は、そうした研究成果を用いつつ、一つに、このことを明確に述べている。
 例えば市野川は、ドイツにおける優生学をもっと長い時間の幅のもとにとらえ、それが、戦時の、右翼の、人種主義の独占物でないことを歴史的に検証している。ナチスの所業にはつながらない、またそれに具体的に反する要素のある優生学の存在を記している。また「福祉国家」における優生政策を跡付ける。前回取り上げたスウェーデンでの不妊化政策についての本といっしょに読んでもらったらよい。このように、たしかに優生学は、一国の、一時期の、野蛮な、間違いに基づく、行ないではない(拙著『弱くある自由へ』に収録した市野川との対談も参照されたい)。このことを知った上で、どのように考えていくか。
◇◇◇
 この本はなにか難解な論理が駆使されていのではないが、意外に難しい本でもある。というのは、今述べた、どのように考えていくかということに関わり、各章の捉え方の間に、無視できないずれがあって、そこがすっと整理できないからだ。かなり立ち入った話になってしまうから、ここで書くのはどうかとも思う。しかし、決定的に大切なことだと考えるから書くことにしよう。
 かつて米本は、「戦後精神」という言葉を用い(今回の本ではこの語は使われていない)、戦後は、優生学をナチズムのものとし、ゆえに全否定の対象とし、冷静に語ることを封印してきたのだが、それは間違いでもっと広いところで見なくてはならない、冷静に捉えるべきだとした。
 私はこれがよくわからなかったのだが(拙著『私的所有論』264頁等)この本では、米本は上記のような優生学批判がなされた時期を1970年代としている。そして冷静な歴史記述が行われるのを1980年代以降とし、自らの仕事もそうした流れの中に位置づける。それでわからないところがよりはっきりしてきたと思う。
 まず、前々回にとりあげたドイツにおける「安楽死」も含め、私たちがようやく知ることになったその歴史に知られていなかった部分があったことは、大筋で――というのは歴史がどの時点でどの程度知られていたか、その歴史もまだ私たちは十分に把握できていないからだが――認めよう。そして、社会運動の常として、最も危険なもの悲惨なものをもってきて危機を言うということはたしかにあり、優生学の危険性を言う主張も、実際そのような言い方をしばしばしてきたことも認めよう。そして、なんでもナチズムと結びつけて危機を言うのは、狼が来るぞとふれてまわった少年のように、かえって効果を減ずることもある。このことも認めよう。しかし問題は、1970年代になされた批判が、それに尽きるのかである。そのためにはまず、例えば日本で、戦後、優生学がどのように継承され、そして批判されたのかを見る必要がある。
 松原洋子が日本について書いている。日本の優生学については長いこと前記した鈴木の著書しかなかったのだが、その本では戦後には主題的にふれていない。松原は、戦中から戦後を対象とする。戦争中の国民優生法の制定から、戦後の優生保護法制定と運用の歴史、そして1970年代、1980年代のこの法律の改変に対する反対運動、さらに1996年の母体保護法成立への動きを追う。それとともに、戦後ずっと、国家運営、経済政策とも関わり、優生学的発想が無邪気と言えば無邪気に肯定され続けたことを記述する。そして優生保護法に即しても、この法律そのものが優生学的な規定の強化としてあったこと、優生手術の件数もまた戦後に増加していること等を指摘する。
 まず大切なのはこのことをどう考えるかなのだが、もう一つ米本の把握との関連で重要なのは、批判の歴史とその内実である。松原は、1970年代以降の障害者運動、そしてフェミニズムの運動が初めて戦後続いてきた流れに疑問を投げかけたとする。それを読むと、この優生学批判が、たしかにまず国家を対象とし、またナチスを引き合いに出したことは事実だが、他方で、同時に、それにとどまらない部分があったことがわかる。具体的には出生前診断に基づく選択的中絶、法律的には胎児条項の新設が問題にされた。これは、科学的知識の間違いという批判や、強制という文脈ではとらえきれない部分である。それをなぜ私たちが行うかを考えたとき、国家を持ち出すだけでは足りない。そのことが、例えば「内なる優生思想」という言い方で問題にされた。だから言えるのは、歴史の発掘が促す議論の広がりと深まりが、すでにこの時期の批判に存在していたということである。
 ならば、その時期の言説を「かつての単純に過ぎる理解」と把握するとするなら、それは違うのではないか。そしてその批判が「戦後的なもの」(さらに「近代的なもの」)に対する懐疑でもあったなら、それを「戦後精神」という言い方で括るのも違うのではないか。米本の論に対する疑問はこの辺りに根がある。そして森岡正博の近著『生命学に何ができるか』が考えているのもこの部分である。(この稿続く)

●表紙写真を載せた2冊

◆Gould, Stephen Jay 1996 The Mismeasure of Man, revised edition, W. W. Norton=1998 鈴木善次・森脇靖子訳,『人間の測りまちがい――差別の科学史 増補改訂版』,河出書房新社,567p.,4900円
◆米本昌平・松原洋子・ぬで島次郎・市野川容孝 2000 『優生学と人間社会』,講談社現代新書,286p.,720円
 *ぬで(2箇所あります)は木へん+勝です。


●他に言及した本

◆鈴木 善次 19831130 『日本の優生学――その思想と運動の軌跡』,三共出版,三共科学選書14,210p. 2000 ※
米本 昌平 19890330 『遺伝管理社会――ナチスと近未来』,弘文堂 叢書・死の文化 第1期4,212p. 1500 ※[品切・絶版]


REV:20140615
優生(学) (eugenics)  ◇医療と社会ブックガイド  ◇医学書院の本より  ◇身体×世界:関連書籍  ◇書評・本の紹介 by 立岩  ◇立岩 真也
TOP HOME (http://www.arsvi.com)