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> HOME 作成:19970614 更新:19971115 19971202 20010404 cf. ◆優生(学・思想) ◆障害者と性 ※北欧諸国(〜福祉国家・…)と優生学,優生政策との関係に関心がありますが ほとんど何もしらない状態です。何かご存じのことがありましたら,教えてい ただけると,感謝(立岩) ■二文字 理明・椎木 章 編 20001225 『福祉国家の優生思想――スウェーデン発強制不妊手術報道』 明石書店,206+8p. 2500円+税 ISBN:4-7503-1361-0 * http://www.akashi.co.jp 第1章 サレンバの衝撃/第2章 サレンバの背景/第3章 サレンバの波紋 第4章 スウェーデン政府の対応/第5章 世界の対応 「1997年8月20日、スウェーデンの日刊紙「ダーゲンス・ニーヘーテル」がつい最近まであった事実として強制不妊手術の実態を報道した。本書では、発端となった「サレンバの記事」を発火点に、スウェーデンでの各界のおおまかな動向、わけても、スウェーデン政府の取った行動を明らかにした。」 ■北欧「断種・不妊」関係年表(長瀬修作成) 1859年 ダーウィン「種の起源」出版 1883年 ゴールトン「優生学」eugenics 命名 1894年 米国カンサス州立精神遅滞者施設で去勢、不妊手術 1896年 米国コネティカット州 優生学的結婚規制 1906年 スウェーデンで優生を理由とする不妊手術を初めて実施 1907年 米国のインディアナ州の断種法 1908年 スウェーデン議会で結婚により遺伝病を移すことを禁じる法案不成立 1909年 スウェーデン人種衛生学会の設立。 1915年 スウェーデンで優生学的理由で「精神遅滞、精神病、てんかん」者の結 婚の規制 1922年 スウェーデンのウプサラ国立人種衛生学研究所設立、世界初 1922年、スウェーデン議会で初の不妊法の議論 1927年 スウェーデン不妊手術委員会設置 1929年 デンマーク不妊・去勢法(去勢法は性的犯罪者対象) 1933年 ノルウェー不妊法 ドイツ断種法 1935年 スウェーデン不妊法 フィンランド不妊法 1940年 日本国民優生法 1941年 スウェーデン不妊法改正 1944年 スウェーデン去勢法(性的犯罪者) 1948年 日本優生保護法 1950年 フィンランド不妊、去勢、中絶法改正 1956年 ウプサラ人種衛生学研究所が medical genetics 部と改名 1967年 デンマーク不妊・去勢法改正 (強制不妊手術、強制去勢の終了/精神遅滞者、精神病者の保護者の同意による 不妊手術は残る) 1970年 フィンランド不妊、去勢、中絶法改正 (強制不妊手術、強制去勢の終了/後見人の同意による精神遅滞者、精神病者の 不妊手術は残る) デンマーク羊水検査開始 1975年 スウェーデン不妊法改正(本人の同意がない不妊手術は全て禁止) 1977年 ノルウェー不妊法改正(遺伝的、社会的理由による本人同意のない不妊 手術は残る) 1996年 日本優生保護法改正、母体保護法 ■1997/11/13 緊急集会用資料 長瀬修 [スウェーデンのルンド大学歴史・思想学部のグンナル・ブローベリ教授とノル ウェーの高等教育研究所のニルス・ロール=ハンセン教授が編者の『優生学と福祉国 家』 Gunnar Broberg and Nils Roll-Hansen (ed), 1996, "Eugenics and the Welfare State" University of Michigan State University Pressの記述からの紹介 である] 北欧諸国の中でスウェーデンにおいて優生学は最も成功を収めた。それは制度面で も不妊政策の実施面においてもである。スウェーデンの優生学は「スウェーデンモデ ル」と密接に関係がある。 「背景」 1870年から1914年まで人口の6分の1の移民流出などによる「変質」の危 惧。 「変質」に対抗する優生学は社会衛生運動の一部。優秀な北欧人種の伝説。 「福祉国家の優生学」 基本的に人種主義ではない。福祉国家を形成していく社会操 作の一環としての優生学。 1922年、スウェーデン議会で初の不妊法の議論。経済=精神遅滞者、精神病者の 施設収容は社会に負担。精神遅滞者は、その優生上の危険を抜きにして、「子育てに は向かない」 1929年 不妊手術委員会は優生上の自発的不妊手術を勧告。批判=遺伝病のみ、 自発的手術だけ。 1934年不妊法(35年1月1日施行) 「精神病、精神遅滞、他の精神的欠陥」の場合に、患者本人が手術に同意する能力 に欠ける(法的無能力)ならば、本人の同意なしで不妊手術が許可された。前提条件 として、不妊手術を受ける人は 「子供が育てられない」(社会的条件)、もしくは 遺伝的欠陥で「精神病か精神遅滞を移す」(優生学条件)。 不妊手術への申請は国家保健会議に提出。精神遅滞者の場合は医者二人が国家保健 会議にはからずに決定。 初提案から13年もの時間がかかった理由=優生学不妊手術の科学性への疑問。不 妊手術は非合法に20年代にも実施。医師会からは法への疑問。医者の権利を制限す る。背景にはいわゆる「人口危機」=34年に世界最低の出生率。優生学は社民党の 社会政策の一部。 ノーベル賞受賞者のミュルダール夫妻=政策面で影響力。人種主義者ではない。人 口を社会経済的文脈。近代化による人口の質の問題。福祉国家の発展につれて望まし くない子供の問題が深刻化する。社会改革は望ましくない集団での子供づくりの増 加。反人種衛生、反人種主義で近代社会への適応としての不妊手術。 34年不妊法への批判ー永続的に法的に無能力と見なされた者だけが対象であり、 「わずかに劣る」者を大規模に不妊手術できないのが問題点。(表1) 41年不妊法の内容 「優生学的条件」を拡大し、精神遅滞、精神病に加えて遺伝 性の重度の身体的病気、身体的欠陥にも適用。「社会的条件」には精神遅滞と精神病 に加えて、「反社会的生き方」にも適用された。女性の不妊手術を医学的理由による として追加。もし優生学的、社会的条件が満たされた場合には、知的・精神的問題に よって法的に有効な承諾をすることができない場合には患者の同意抜きで手術が行わ れることが可能となった。精神遅滞者の場合に、国家保健会議に図ることなく、医者 2名が決定することができたが、これ は廃止された。 この改正を受けて、40年代には実施数が上がる。49年がピーク。精神遅滞者に 関しては、優生学、社会的理由両方が用いられていた。優生学的理由は50年代に激 減する。優生学を理由とする不妊手術は、病気を遺伝させる確率が10パーセント以 上の場合に行われた。 てんかん者は結婚が禁止されていて、子供を生めないてんかん者だけが結婚を許さ れていた。したがって、てんかん者からの不妊手術の申請は認められていた。 41年法の成立後、精神遅滞者の不妊手術が激増する、42年の総数の70%。5 0年代に入り、精神遅滞者の不妊手術は減少を続ける。40年代半ば以降毎年300 人代の精神病者の不妊手術。精神病者の理由は優生学から医学への転換。 41年不妊法の戦後の特徴は、医学的理由という名目の避妊手段としての女性の不 妊に移行。継続性。 42年から45年2795の女性が不妊手術。精神遅滞、精神病が理由。 2733が優生学的理由。62例(2パーセントだけが医学的理由) 55年ー58年 1672人(精神遅滞、精神病)の女性が不妊手術 1276人(76%)が医学的理由で手術 理由が優生学、社会的から医学的理由に名目上の変更 49年以降の減少の理由は医師、福祉委員会、救貧法委員会の目から見て急を要する 精神遅滞者の不妊手術は既に終わったことも一因。「滞貨」の解消。より重要なのは 抑制的になった保健当局の態度。 *「強制性」 力による強制の不在=ドイツとの違い ドイツとの共通点=精神遅滞者の不妊手術、国家の視点から社会の利益に望ましい場 合に行われた。 スウェーデン当局は力ではなく「説得」を重んじた。 34年不妊法 1338人の不妊手術(34年から41年)約20パーセントは自ら 署名して不妊手術を受けた。(表3) 本人からの申し出が増加する傾向。50年の場合、2176の申請のうち、本人以 外は143に過ぎない。半分は学校長や施設長から。本人からの申請が増えた理由の 一つは、避妊目的の医学的理由とする女性の申請が増えたこと。もう一つは署名して いる場合でも、特殊学校生徒、施設入所者の場合に「自発性」がどれだけあるか。保 健局はできるだけ本人申請を求めていた。 62年の調査 37年から56年にスウェーデンの特殊学校を卒業した女生徒の3 6パーセントは不妊手術を受けていた。不妊手術は病院や施設を出る「条件」だっ た。 結婚禁止が解消されたのはてんかん者が68年、精神遅滞、精神病が73年。 不妊手術に対する態度が変化し始めるのは50年代半ば以降。 *階級の要素 下層階級への偏見 *ジェンダー(性別)の要素 40年代の精神遅滞者の不妊手術の65パーセントが女性。50年代にはさらに高 率。男性の基準による「良い社会」。不妊手術は女性のセクシャリティの抑圧。 *中絶と不妊手術。40年代後半と50年代。51年から55年にかけて中絶した女 性の4人に一人は不妊手術受けた。51年から55年、不妊手術を受けた女性の6割 から7割は中絶と共に。 38年の不妊法は、女性の遺伝を理由とする中絶は、不妊手術を伴わなければ認め られないと規定した。「産むか、中絶プラス不妊手術」かの選択。 42年に約180、49年に約500件で多くは精神遅滞の女性だった。50年代 は年に50件程度。最後の実施は64年。法律上は74年の中絶新法まで残ってい た。 *人種 「放浪者」と呼ばれ、犯罪的、暴力的を持つと見なされた集団(いわゆる「ジプ シー」的な移動生活を送る)は民族と見なされ、福祉国家にとって重大な社会問題 だった。非人種的な「福祉国家の優生学」が主流となった20年代以降も、この集団 の問題となると人種的優生学が顔を出した。41年法の社会的理由は「放浪者」に適 用された。この集団に属していることがただちに不妊手術には結び付かなかったが、 不妊手術の対象として「プラス」の材料とされた。 *犯罪学 不妊手術が議論された際に当初から性的犯罪者も対象として考慮。44年の性的犯 罪者を対象に去勢法。44年に43件、45年に36件、46年に11件。 @優生学的不妊手術の終わり 変化は緩漫だった。社会的議論の欠如の理由は(1)専門家の領域という意識 (2)法律が存在し、施行されている(3)「そういうことを口にするものじゃな い」という意識。(4)第2次世界大戦の残虐行為にスウェーデンが関与しなかった という「良心に恥じるところがない」という意識。 50年代、60年代の政治レベルでの不妊手術への変化、個人と社会の関係の変化 に伴って。 不妊手術は人工政策の道具ではなく、個人の権利と見なされるようになった。個人 中心的な社会が形成される。理由は(1)高度経済成長、(2)スウェーデン福祉が 個人に価値を重視したこと、(3)教育の向上、個人の政治参加、(4)伝統的社会 的規制の弱体化。強制的な大規模な不妊手術の基盤を揺るがした。IUDやピルなど の新しい技術も不妊手術を時代遅れにした。また64年の著名な遺伝学の教科書は 「不妊手術人工集団の遺伝的構成を改善するのにはわずかの効果しかない。不妊手術 は人間の苦しみを軽減するのが目的である」。 75年に41年不妊法は改正され、全ての同意を得ない不妊手術は終わりを告げ、 避妊の手段としての自発的な不妊手術が行われている。 スウェーデンは優生学的不妊手術においてドイツについで指導的位置にいた。人種 衛生はドイツ、スウェーデンの専売特許ではなかった。米国、英国、ソ連邦で確立さ れていた。北欧ではデンマークが29年に先行していた。 「福祉国家の優生学」は進歩主義的な特色を持ち、人種主義からは脱却していた。 30年代には優生学、大規模な不妊手術が国家に経済的プラスをもたらすと信じられ ていた。精神遅滞者の組織的不妊手術は施設、特殊学校、貧困施策のコストを減らす と信じられていた。社民党は議会で最も熱心な不妊手術の提唱者だった。 不妊手術は人口に関するスウェーデンの施策の一部だった。 医学界が示した強い関心。30年代は精神病の電気ショックとインシュリン・ ショックという身体的処置の時代だった。精神的障害が身体的欠陥と結び付いている という想定から、不妊手術という身体的解決策は魅力的だった。 ■引用 「スウェーデンでは,1940年代から 13000人ぐらいの男や女の人たちが,不妊手 術をうけてきました。 その人たちは,親になるのにむいていないと考えられていたのです。 みな,作業施設や養護学校,精神病院にいた人でした。 不妊手術というのは,女の人にも男の人にも,子どもを作ることができないよう にする手術です。 1940年代に,スウェーデンには,たくさんのナチストがいました。 ナチストは,健康でまじりけのない人種を作りたいと思っていました。 そして,「精神薄弱者や低知能者,そのほかの欠陥者」を,スウェーデンからな くそうとしました。 このような考え方をする医者もたくさんいました。 それは,ドイツのヒットラーという人と同じでした。 ドイツでは,低知能者やジプシー,同性愛者,共産主義者……といった人は,み なガスでころされました。 スウェーデンでは,ころされるかわりに,たくさんの人が,いやでも不妊手術を うけさせられたのでした。 子どもは両親の能力をうけつぐものだから,精神薄弱者から生まれた子どもも, またそうなると考えられていたのでした。 1941年にひとつの法律ができました。この法律には,本人がいやでも,医者は不 妊手術をする権利があると決めてありました。 1947年と1948年には,1年の間に1000人の女の人が,不妊手術をうけさせられま した。 まだ20才にならない人がたくさんいました。 ルンドの養護学校では,16年の若者が,不妊手術をうけさせられました。 みなまだ20才になっていませんでした。…… 「不妊手術をうけさせられた人は,みんな,損害賠償をうけられるようになると いいと思います」とグルネヴァルド(社会庁前部長,知的障害児・者担当)は,言 っています。 彼は,不妊手術のことをみんなにはっきりと知らせるために,とてもよくはたら いてくれました。「政府は,まちがったことをしたとみとめるべきです。」多くの 人が,まったくしなくてもいいのに,不妊手術をさせられたのですから」と,グル ネヴァルドは言っています。 そして,その人たちがうけた苦しみにたいして,賠償をしはらうべきだと,彼は 考えています。」 (「若い人たちは,いやでも不妊手術をうけさせられました」,『8シードル』 1986年38号,LL研究所発行) ※柴田 洋弥・尾添 和子 19920720 『知的障害をもつ人の自己決定を支える ――スウェーデン・ノーマリゼーションのあゆみ』大揚社,184p. 2000 pp.154-155に翻訳 ■市野川容孝氏の報告(19971117) 市野川です。 先週の土曜日(15日)「清水フェローシップ・ソサイエティ」というところで話をしました。クローズドのものだったので、皆さんにはご案内しませんでしたが、そこで、私の前にオーケ・ヨハンソンというスウェーデンの方(ご存じの方もいるかもしれない)が講演されました。私は初めてお目にかかりましたが、ヨハンソンさんは、32年間、知的障害者の施設で生活した後、1975年に施設を出てアパート生活を始めました。現在、66歳で、スウェーデンの「全国知的障害者協会」(FUB)の理事、FUBの本人部会の初代会長として活動中とのこと。 彼の本の日本語訳『さようなら施設――知的障害者の僕が自由をつかむまで』(オーケ・ヨハンソン+クリスティーナ・ルンドグレン著、大滝昌之訳、ぶどう社、1400円)が、このほど出版されたことを記念した来日だそうです。当日のオーケさんの講演でも強制不妊手術のことが触れられましたが、この本の一節には次のように書かれています。 「知的障害者に、性的な感情や欲望がないというのは、施設の中でしつけられたことであって、これまで多くの人たちが苦い味を味あわされてきた。特に、強制的な去勢は、知的障害者が被った数多くの暴力の中で耐えがたいものの一つだ。ハラゴーデン[=オーケさんのいた施設]においても、多くの男の子たちが施設を卒業する直前に、説明も何もないまま病棟に連れて行かれた。「お医者さんの所にちょっと検査に行きましょう」とでも言われて。運悪く、盲腸の手術で入院したりすると、目が覚めた時はすでに去勢されたあとだった。でも本人はそんなことは知りもしないし、また知らされる必要もなかった。彼は、ただの知的障害者にすぎないのだから。私は、去勢されることを免れた。おそらく私の将来は所長がすでに決めていたのだろう。私はその後、男だけの入所施設に入ることになっていたので、その必要がないと判断された。男だけの施設に、一生そこにいれられて閉ざされるとなれば、当然の話だ。しかし、念のため結婚不適当の証明書は用意されていたらしい。その存在を知ったのは、外の社会に戻ってからずっと後のことだったが」(52-3頁)。 講演の後で、オーケさんと通訳の大滝さんに、「スウェーデンでは、例えばFUBが強制的不妊手術の被害者の方々のネットワークを作ったり、この問題について組織的に取り組んでいるんですか」と尋ねたところ、「いやFUBでは今のところそういうことはやっていない。FUBの本人部会が、例えば出生前診断に反対の表明を出していたりするが、不妊手術については組織として対応していない。あくまで個人的な問題となっている」とのこと。FUBってのはそもそも親の会だったんで、やっぱりそういうことには手を付けられないのかなと思いました。しかし、私の感じでは、この夏の報道をきっかけに政府の調査委員会も立ちあげれたりしているので、FUBの本人部会その他が中心となって今後、何か新しい動きも出てくるのでは、と思っています。 *このファイルは文部省科学研究費補助金を受けてなされている研究(基盤(C)・課題番号12610172)の一環として作成されています(〜2004.03)。 ◇優生(学・思想) ◇障害者と性 ◇スウェーデン Sweden TOP(http://www.arsvi.com/0p/eg-swe.htm) 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