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優生・ナチス・ドイツ


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優生学優生思想  ◆障害者殺し  ◆安楽死尊厳死

■新着

市野川 容孝 2015/11/10 「NHK・ETV特集『それはホロコーストのリハーサルだった』(初回放送・2015年11月7日、再放送・2015年11月14日)に関連して」
 http://d.hatena.ne.jp/Ichinokawa/20151110
【1】 映画『私は訴える』(1941年)について
ナチの安楽死計画は1941年8月末に「中止」されますが、この映画は、それと入れ代わりに、ナチ政府が一般のドイツ国民にこの計画の必要性を理解させるために製作・公開したものです。ナチのプロパガンダ映画ということもあって、ドイツ国内では視聴が難しかったと記憶していますが、今では「YouTube」で全編見られます。[…]
【2】 第一次大戦中の大量餓死
ナチの安楽死計画は、その約20年前の第一次大戦中のドイツ国内の精神病患者等の大量餓死とつなげて考えなければ、正確には理解できません。以下、拙稿から引用します。[…]

◆2015年11月7日(土)23時〜24時(59分間)
タイトル:ETV特集「それはホロコーストのリハーサルだった」
語り:大竹しのぶ

ETV特集のページ
http://www.nhk.or.jp/etv21c/
ハートネットTVのブログ
http://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/3500/230061.html

▼以下ETV特集WEBページより
 「600万人以上のユダヤ人犠牲者を出し、「人類史上、最大の悲劇」として語り継がれてきたナチス・ドイツによるホロコースト。しかし、 ユダヤ人大虐殺の前段に、いわば“リハーサル”として、およそ20万人ものドイツ人の精神障害者や知的障害者、回復の見込みがないとされ た病人たちがガス室などで殺害されたことについては、表だって語られてこなかった。
 終戦から70年もの年月がたった今、ようやく事実に向き合う動きが始まっている。きっかけの一つは5年前、ドイツ精神医学精神療法神経学 会が長年の沈黙を破り、過去に患者の殺害に大きく関わったとして謝罪したこと。学会は事実究明のために専門家を入れた国際委員会を設置、 いかにして医師たちが“自発的に”殺人に関わるようになったのかなどを報告書にまとめ、この秋発表する。
 番組では、こうした暗い歴史を背負う現場を、日本の障害者運動をリードしてきた藤井克徳さん(自身は視覚障害)が訪ねる。ホロコーストの “リハーサル”はどうして起きたのか、そして止めようとする人たちはいなかったのか・・・。 資料や遺族の証言などから、時空を超えていま、問いかけられていることを考える。」

【ナチスから迫害された障害者たち】
シリーズ第1回から第3回まで。
(1)20万人の大虐殺はなせ?起きたのか
 http://dai.ly/x336fe9

(2)ある視覚障害者の抵抗
 http://dai.ly/x33j3tu

(3)命の選別を繰り返さないために
 http://dai.ly/x37uto1

長瀬 修 2015/06/25 「障害者「安楽死」計画と記憶――新たな記念碑」,『福祉労働』147
 http://www.fujisan.co.jp/product/1281683483/b/1247887/

◆米沢 薫 2014/09/12 「ナチスによる精神障害者や知的障害者などの虐殺(「安楽死」)犠牲者の「記念と情報の場所」除幕」
 http://tu-ta.at.webry.info/201409/article_2.html

長瀬 修 2009/06/10 「命拾い」,READエッセイ
 http://www.rease.e.u-tokyo.ac.jp/read/jp/archive/essay/ss03.html


■「安楽死」

◆北 杜夫 1960 『夜と霧の隅で』,新潮社,266p. ASIN: B000JAPAXI [amazon] ※→19630731 新潮文庫,257p. ASIN: B000JAIK6W [amazon] ※ et-ger.
 *「夜と霧の隅で」の初出は『新潮』1960-5 芥川賞受賞作

◆Bernadac, Christian 1967 Les Medicins: Les experiences medaicals humaines dans les camps de concentrations, Editions France-Empire=1968 野口 雄司 訳,『呪われた医師たち――ナチ強制収容所における生体実験』,早川書房,262p.,ASIN: B000JA5B96 [amazon] ※→19790815 ハヤカワ文庫,265p. ASIN: B000J8F8NW [amazon] ※ e04 eg eg-ger

◆Gallagher, Hugh G.(ヒュー・ギャラファー) 1995 By Trust Betrayed: Patients, Physicians, and the License to Kill in the Third Reich, Vandamere Press=199608 長瀬修訳,『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』,現代書館,422p. ISBN:4-7684-6687-7 3675 [amazon][kinokuniya] ※
 cf.立岩 真也 1997/04/30 「書評:ヒュー・G・ギャラファー『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』,『日本生命倫理学会ニューズレター』12:5-6 2枚

◆Klee, Ernst 1993 >>Euthanasie<< im NS-Staat, Fisher, Frankfurt am Main=1999 松下正明訳,『第三帝国と安楽死――生きるに値しない生命の抹殺』,批評社,702p. ISBN:4-8265-0259-1 8925 [amazon][kinokuniya] ※
 cf.立岩 真也 1999/12/17 「一九九九年の収穫」,『週刊読書人』2315:3
□内容説明[bk1]
病人の治療を使命としなければならない医者が、自らの職務として患者を殺害、それも治療の場としての精神病院でそれらが行われたという悲劇を論じる、ナチスによる安楽死問題の原典。

◆中西 喜久司 200210 『ナチス・ドイツと聴覚障害者――断種と「安楽死」政策を検証する』,文理閣,254p. ISBN:4-89259-408-3 2310 [amazon] ※
□内容説明[bk1]
ユダヤ人の抹殺と同時に、35万人を超える心身障害者に断種手術や「安楽死」を施しているナチスドイツの蛮行を資料とともに検証、反戦・平和・人権と障害者問題について訴え、ネオ・ナチズムの台頭に警鐘を鳴らす。

『私的所有論  第2版』表紙
◆立岩真也『私的所有論』(1997)→『私的所有論 第2版』(2013) 第6章「個体への政治――複綜する諸戦略」第3節「性能への介入」第2項「アメリカ合衆国とドイツにおける優生学」

 「次にドイツについて。「民族衛生学」の誕生と展開、ヒトラーの主張との関係、ナチズム下での医療、公衆衛生、健康推進策の進展(米本昌平[1986b][1989a])、等々、優生学すなわちナチズムという短絡を避けるために重要な事々の一切の紹介はここでは省略する。ナチス政権は、一九三三年に優生断種法(「遺伝疾患をもつ子孫を避けるための法」)を制定した。この法律は「施設に収容されているかどうかにかかわりなく、遺伝的障害をもつすべての国民を対象としていた。その中には精神薄弱者のみならず、精神分裂病患者、てんかん患者、盲人、薬物やアルコールの強度依存者、体の動きがひどく阻害される身体障害者、あるいは他人に対して極度に目ざわりな身体障害者も含まれる」。この法律が施行されて三年間で当局は約二二万五千人を断種し、その半分は「精神薄弱者」だった。一九四〇年までには約四〇万人の国民が不妊手術を受けた◆37。積極的優生策も実施される。生物学的に健全な夫婦には多くの子供を産むことを期待して政府から貸与金が与えられ、一人産むたびに返済額を二五%減額する制度が作られた。また一九三六年にヒムラーは「生命の泉」(Lebensborn)と名づけた組織を作る。これは母子に十分な福祉・医療環境を提供するという側面ももつと同時に、選ばれた女性に親衛隊員の子供を生ませ、また基準に合う子どもを各地で誘拐し、国家の手で育てるという秘密の施設・組織でもあった◆38。
 そして、障害者の安楽死作戦(T4作戦 T4-Aktion)が秘密裡に計画され、実行される。一九四〇年一月に始まったドイツ国内のT4作戦によって、ガス室で抹殺された障害者の数は、作戦の中止命令が出た一九四一年八月末までに七〇二四三名に達した。殺害は、中止命令の後も行われた。いくつかの作戦が新たに行われた他、既存の施設で医師や看護人、看護婦により、個々に自主的に、注射による殺害や、飢餓状態から死亡に至らしめることが行われた。犠牲者の総数は約二五万人と言われる◆39。」(立岩『私的所有論』pp.236-237)

◆37 Kevles[1985=1993:203-204]。不妊手術を受けた人の数は山下公子[1991:266]。以下、ナチスの所業、ナチズム下の医療について、翻訳書ではTwardecki[1969=1991](注38)、Lutzius[1987=1991](注39)、Kaul[1976=1993](注42)、Pross ; Aly eds.[1989=1993]、Gallagher[1995=1996]。Ambroselli[19??=1993:70-89]でも取り上げられている。論文として精神病院での患者の殺害についてDorner[1988=1996]。いずれも一九九〇年代に入っての出版である。それ以前に言及が見られるのは、大熊一夫[1973→1981:231ー234]、Langone[1978=1979:30-31]、等(ナチスの行いについて何が語られてきたかを調べるのは今後の課題とする)。英語の著作ではProctor[1988]等。日本での研究では、ドイツ優生学史研究として米本昌平[1981a][1981b][1984][1985b][1986a][1986b]等が先駆的であり、米本[1989a]にまとめられる。ナチズム下の医学、医療政策、T4作戦等について木畑和子[1987][1989][1992]。日本とドイツにおける第二次大戦と医学の関わりについて神奈川大学評論編集専門委員会編[1994](シンポジウムの記録と、右記の論文をまとめた木畑[1994]等を掲載、なお七三一部隊(石井部隊)に関する書籍についてはhp)。T4作戦とその前後について小俣和一郎[1995]。

◆38 ポーランドでナチスにさらわれ施設で育った子の手記としてTwardecki[1969=1991]。その訳者解説(足達和子[1991])にかなり詳しい解説がある。Kevles[1985=1993:204]、米本昌平[1989a:160-161]、Frevert[1986=1990:220]でも言及されている。

◆39 Klee[1983][1985][1986]等が基本的な文献とされる。また実在する施設の記録をもとにして書かれた小説の翻訳としてLutzius[1987=1991:265-277]。Kleeの著書などを用い、この作戦とそれに関与した医師達について小俣和一郎[1995]。また木畑和子[1987]が「中止」までの経過を辿っている。
 本文にあげた数字は、人口千人につき十人の精神病患者がおり、そのうち五人は入院が必要であり、そのうちの一人は処理の対象になるという計算から算出された計画数七万人を七二三人超えた数だった(木畑[1987:28])。この総数は殺人施設の一つに残された小冊子によるものであり、その小冊子にはそれによって節約された額が計算され記されているという(木畑[1989:250-252])。
 例えば、一九三九年の内務省の極秘の回状によって「安楽死」の対象となる乳幼児(白痴、ダウン症、水頭症だったり、四肢の欠損をもつ新生児から三歳までの乳幼児)の届出が義務化された。「帝国委員会」から「最良の看護」と「最新の治療」を受けさせるために小児医療施設に入院させるようにという通知を受けて子供を引き渡した親のもとに子が戻ってくることはなかった。約五千人の子供が殺されたという(木畑[1987:26])。突然施設から家族が連れ出され、偽りの死因が書かれた死亡通知書と遺灰が送られた。人々は「安楽死」の事実を感づくようになり、家族等による訴えが続いた。
 また、開始二年目(一九四一年八月)にようやく司教ガーレン伯の「安楽死」非難の説教がなされ(Gallagher[1995=1996:374-379]に全文訳出)、これは連合国側の宣伝にも使われた(「抵抗」の実態を含め、木畑[1987:28-29])。
 当初の目的も一応達成され、ナチスは様々な摩擦をひきおこすこの計画を中止した(木畑[1987:32])。中止命令とその後の殺害の実態については木畑[1989]。
 なお、この安楽死計画については、刑法学者ビンディングと精神病理学者ホッヘの『生存無価値生命の抹殺の解除について』(Binding ; Hoche[1920])の主張内容との類似が指摘されるが、米本は、これを、第一次大戦末期の海上封鎖により食糧が配給制になり、ドイツの精神病院の入院患者のおよそ半分が飢餓に陥り病気になったといった状況を背景とした「いわゆる優生学の歴史とは、別の文脈から生まれてきた」(米本[1989a:164])ものであるとし、この著書をかなり長く訳出した後、ナチスの計画でこの著作が意識されていたかどうかは定かではなく、ニュルンベルク裁判で弁護側がこのような思想がナチスの独創ではないとして証拠として持ち出し、両者の主張内容の酷似から後に両者の継承関係が言われるようになったのだと言う(米本[1989a:164-172])。

■文献(著者名アルファベット順・47)

◆Adams, Mark B. ed. 1990 The Wellborn Science : Eugenics in Germany, France, Brazil, and Russia,Oxford University Press=1998 佐藤雅彦訳,『比較「優生学」史――独・仏・伯・露における「良き血筋を作る術」の展開』,現代書館
◆四十物 千鶴子(河上) 1995 「ドイツ視察・交流旅行を終えて」
◆Beyerchen, Alan D. 1977 Scientists under Hitler――Politics and the Physics Community in the Third Reich =19800123 常石 敬一訳,『ヒトラー政権と科学者たち』,岩波書店,287 p. ASIN:B000J8APW6 【品切れ】 [amazon] ※ eg-naz.mw.
◆Binding, Karl.;Hoche, Alfred 1920 Die Freigabe der Vernichtung lebensunwerten Lebens: Ihr maB und ihre form, Felix Meiner, Leipzig=20011126 森下 直貴・佐野 誠 訳,『「生きるに値しない命」とは誰のことか――ナチス安楽死思想の原典を読む』,窓社, 183p.ISBN:4-89625-036-2 1890 [amazon][kinokuniya] ※ <263> d
□内容説明[bk1]
封印されてきた禁断の書、「生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁」の完訳。それを巡るナチス安楽死政策との結びつきを立証した論究と、ナチズムだけでなく安楽死一般の価値観に対峙する視点を探った考察を収録。
□著者紹介[bk1]
〈ビンディング〉1841〜1920年。哲学・法学博士。著書に「ドイツ刑法手引書」他。
□著者紹介[bk1]
〈ホッヘ〉1865〜1943年。医学博士。
◆Clay,Catrine・Leapman,Michael 1995 Master Race:The Lebensborn Experiment in Nazi Germany,Hodder & Stoughton =19970625 柴崎 昭則 訳,『ナチスドイツ支配民族創出計画』,現代書館,342p. ISBN-10:4768467156 ISBN-13:978-4768467152  \3150 [amazon][kinokuniya] ※ eg-naz.
◆Dorner, Klaus 1988 =1996 市野川容孝訳,「精神病院の日常とナチズム期の安楽死」,『imago』7-10:216-232 <262>
◆Gallagher, Hugh Gregory 1995 By Trust Betrayed : Patients, Physicians, and the License to Kill in the Third Reich, Vandamere Press=1996 長瀬修訳『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』,現代書館,422p. <206,207-208,262,265,432,434>
◆Gioseffi,Daniela eds. 1993 On Prejudice:A Global Perspective
=19960315 大西 照夫 監訳 『世界の偏見と差別 152のアンソロジー』,明石書店,890p. ISBN-10:4750307823 ISBN-13:978-4750307824  \9135 [amazon][kinokuniya] ※ er eg-naz f03 ds/ds
市野川 容孝 1992a 「訳者解説・ドイツがシンガーを沈黙させたことについて」,『みすず』375:49-58 <209>
◆―――――  1993a 「ニュールンベルク・コード再考――その今日的意義」,加藤・飯田編[1993:308-323] <263>
◆―――――  1993b 「生−権力論批判――ドイツ医療政策史から」,『現代思想』21-12:163-179 <168,255,318-319>
◆―――――  1996e 「ナチズムの安楽死をどう<理解>すべきか――小俣和一郎氏への批判的コメント」, 『imago』7-10:145-159 <168>
◆―――――  1996f 「性と生殖をめぐる政治――あるドイツ現代史」,江原編[1996:163-217] <255,258>
◆―――――  2000 「ドイツ――優生学はナチズムか?」,米本・松原・ぬで島・市野川[2000:051-106]
◆井上 茂子・木畑 和子・芝 健介・永岑 三千輝・矢野 久 1989 『1939――ドイツ第三帝国と第二次世界大戦』,同文館出版 3200 ※
◆神奈川大学評論編集専門委員会 編 1994 『医学と戦争』,御茶の水書房,神奈川大学評論叢書5,244p. <262>
◆Kaul, Friedrich Karl 1976 Arzte in Auschwitz, Verlag Volg und Gesundheit, Berlin=1993 日野秀逸訳,『アウシュヴィッツの医師たち――ナチズムと医学』,三省堂,374p. ASIN: 4385355061 [品切] [amazon] <1997:265> ※
◆河村 克俊  1996 「生命倫理をめぐるドイツの現状――シンガー事件とドイツの哲学界」,土山他編[1996:197-228] <209>
◆木畑 和子  1987 「第三帝国と〈安楽死〉問題――〈安楽死〉のいわゆる〈中止〉まで」,『東洋英和女学院短期大学研究紀要』26:21-37 <262,264,319>
◆―――――  1989 「第二次世界大戦下のドイツにおける「安楽死」問題」,井上他[1989:243-283] <262-263,319>
◆―――――  1992 「第三帝国の「健康」政策」,『歴史学研究』640:1-9,58 <262,319>
◆―――――  1994 「ナチズムと医学の犯罪」,神奈川大学評論編集専門委員会編[1994:122-136] <262>
◆Klee, Ernst  1985 Dokumente zur >>Euthanasie<<, Fisher, Frankfurt am Main
◆Klee, Ernst  1986 Was sie taten, was sie wurden, Fischer, Frankfurt am Main
◆Klee, Ernst  1993 >>Euthanasie<< im NS-Staat, Fisher, Frankfurt am Main=1999 松下正明訳,『第三帝国と安楽死』,批評社
◆Kuhl, Stefan 1994 The Nazi Connection: Eugenics, American Racism, and German National Socialism , Oxford University Press=19990831 麻生 九美 訳,『ナチ・コネクション――アメリカの優生学とナチ優生思想』,明石書店,289p.ISBN:4-7503-1191-X 3150 [boople][BK1] ※
□内容説明
アメリカの科学者達はナチの人種改良を支持していた…。立入禁止のままであった、アメリカ優生学とドイツの人種衛生学の相互関係についての研究。ドイツ人種衛生運動と独裁的なナチ組織との関係を探る一助となる。
□著者紹介
〈キュール〉ドイツ・ビーレフェルト大学の社会学・歴史学者。
◆Lutzius, Franz 1987 Der Euthanasie-Mord an behinderten Kinderen in Nazi-Deutschland Popular Verlag, Essen=19911205 山下公子訳,『灰色のバスがやってきた』,草思社,277p.,2200円 <262> ※
小俣 和一郎 1995 『ナチスもう一つの大罪――安楽死とドイツ精神医学』,人文書院,266p. 2472円 ※ <262,265>
小俣 和一郎 20020410 『ドイツ精神病理学の戦後史――強制収容所体験と戦後補償』,現代書館,230p. ISBN-10: 4768468195 ISBN-13: 978-4768468197 \2415 [amazon][kinokuniya] ※ m eg-naz
小俣 和一郎 20020530 『近代精神医学の成立――「鎖解放」からナチズムへ』,人文書院,216p. ISBN-10: 4409340271 ISBN-13: 978-4409340271 \2415 [amazon][kinokuniya] ※ m eg-naz
小俣 和一郎市野川 容孝 1996 「現代医療とナチズム――イデオロギー・自己決定・精神病理学」(対談),『imago』7-10:145-159 <169>
大熊 一夫 1973 『ルポ・精神病棟』→1981 朝日文庫,241p. <262>
◆Proctor, Robert N. 1988 Racial Hygiene : Medicine under Nazis, Harvard Univ. Press, 422p. 3610 ※
◆Pross, Christian & Gotz, Aly (Hrsg.) 1989 Der Wert des Menschen: Medizin in Deutschland 1918-1945 Edition Hentrich Berlin=1993 林功三訳,『人間の価値――1918年から1945までのドイツ医学』,風行社,144p.,ASIN: 4938662124 2200 [boople][amazon] ※
◆佐藤 健生  1993 「過去の克服――ナチス医学の犠牲者への補償」(ドイツの戦後補償に学ぶ6・7),『法学セミナー』461(1993-5):18-22, 462(1993-6):44-49 <264>
◆Stephan, Cora 19910930 「ナチズム下の「母性」」,原ひろ子・館かおる編[1991:073-088] ※
◆鈴木 善次・松原 洋子・坂野 徹 1992 「優生学史研究の動向II――ドイツ民族衛生学史研究」(執筆は坂野徹),『科学史研究』第II期31(191):65-70 <257,264-265>
◆土屋 貴志  1992 「種差別か,しからずんば能力差別か?――ピーター・シンガーはいかにして障害新生児の安楽死を擁護するか」,『哲学の探求』20:35-50(第20回全国若手哲学研究者ゼミナール報告論文集) <209>
◆―――――  1993 「「シンガー事件」の問いかけるもの」,加藤・飯田編[1993:324-348] <209>
◆―――――  1994a 「”シンガー事件”後のシンガー――『実践的倫理学』第2版における障害者問題の扱い」,飯田編[1994:135-146] <209>
◆―――――  1994b 「障害が個性であるような社会」,森岡編[1994:244-261] <438>
◆―――――  1994c 「シンガー事件」と反生命倫理学運動」,『生命倫理』4-2(5):45-49(125-129) <209>
◆Twardecki, Alojzy 1969 Szkola Janczarow=19910815 足達和子訳,『ぼくはナチにさらわれた』共同通信社,278p. 2200 ※
◆Weindling, Paul 1989 Ernst Haeckel, Darwinismus and the Secularization of Nature in History, Humanity and Evolution, Cambridge Univ. Press=1993 坂野徹訳,「ヘッケルとダーウィニスムス」(抄訳),『現代思想』21-2:155-167 <257>
◆山下 公子 1991 「訳者あとがき」,Lutzius[1987=1991:265-277]
米本 昌平 1980 「現代史のなかの優生学」(インタヴュー),『技術と人間』9-3:50-63 <258,313>
米本 昌平 1981a 「優生思想から人種政策へ――ドイツ社会ダーウィニズムの変質」,『思想』688:65-74 <262>
◆―――――  1981b 「社会ダーウィニズムの実像――欠落した思想史」,村上編[1981:259-282] <255,256,262>
◆―――――  1984a 「優生学史研究の現代的視点」,『歴史と社会』4:133-155
◆―――――  1984b 「社会ダーウィニズム」,渡辺編[1984:111-129] <262>
◆―――――  1985a 『バイオエシックス』,講談社,講談社現代新書,226p. <21,91,432>
◆―――――  1985b 「社会ダーウィニズムの系譜」,『別冊宝島』45:192-200 <262>
◆―――――  19890330 『遺伝管理社会――ナチスと近未来』,弘文堂 叢書・死の文化 第1期4,212p. 1500円※

◆Hitler, Adolf 1940 Mein Kampf, Zwei Bunde in einem Band, Ungek rzte Ausgabe, Zentral-verlag der NSDAP=1973 平野一郎・将積茂訳,『わが闘争』,全2巻 角川文庫

※は生存学資料室にあり


 
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■記述

◆Frercks, Rudolf 1934 Erbnot und Volksaufartung Bild und Gegenbild aus dem Leben zur praktischen rassenhygienischen Schulung=1942 橋本文夫訳,『ナチスの優生政策』,理想社,レクラム文庫

◆平野 龍一 1966

 「……第五のカテゴリーとして、いわゆる「不任意の安楽死」がある。これまで述べた安楽死の場合には、患者の方も死にたいと希望する場合があるけれども、そうでなく、希望しないものを殺してしまうという行為が、場合によっては不当にも安楽死という名前で呼ばれることがある。ナチスの時代に行なわれた「安楽死」がそれである。北杜夫氏の「夜と霧の隅で」などにも描かれているが、戦時中ドイツでだんだん食糧も少なくなるし、国民はすべて戦争に動員しなければならないというので、一九四一年にヒットラーが命令を出して、ブラントという医者に対して、その指定した医者はかなりひろい範囲で、もはや生きる価値がないと思われる精神病者などに対して、「情けの死」を与えることを許したのである。その結果、精神病者や不具者など約二七万五〇〇〇人が殺されたといわれている。これはさすがにその当時ドイツでも反対が強かったので、まもなくヒットラー自身が、この命令を撤回したのであるが、戦後、人道に対する罪として処罰され、あるいは殺人罪として処罰された。
 しかしこの不任意の安楽死という考え方はナチス以前から、すなわち一九二〇年ごろ、すでにドイツで主張されていたことに注意しなければならない。一九二〇年というと、第一次世界大戦の社会的な困窮の時代であったわけであるが、この時代にもまったく生きる価値のない生命まで、貴重な物資をつかって養う必要があるかという疑問があったのであろう。有名の刑法学者のビンディングと精神医学者のホッヘなどによって、生きる価値のない人に対して「情けの死」を与えてもいいという意見が述べられたのである。この考え方がナチスの時代に政府によってとり上げられ、政府によってとり上げられ、大規模に行なわれたということになるであろう。そしてそれがさらに拡がって、精神異常者や不具者のような者だけではなく、ドイツ民族以外の者とくにユダヤ人は生きる価値がないとされてしまったのではないかと思われる。」(平野[1966→1997:50])
 平野 龍一 1966 「生命と刑法――とくに安楽死について」,『刑法の基礎』,東京大学出版会:155-182→町野朔他編[1997:046-051](抄)*
*町野 朔・西村 秀二・山本 輝之・秋葉 悦子・丸山 雅夫・安村 勉・清水 一成・臼木 豊 編 19970420 『安楽死・尊厳死・末期医療――資料・生命倫理と法II』,信山社,333p. ISBN:4-7972-5506-4 3150 [amazon][kinokuniya] ※ et.

◆Bernadac, Christian 1967 Les Medicins: Les experiences medaicals humaines dans les camps de concentrations, Editions France-Empire=1968 野口 雄司 訳,『呪われた医師たち――ナチ強制収容所における生体実験』,早川書房,262p.,ASIN: B000JA5B96 [amazon] ※→19790815 ハヤカワ文庫,265p. ASIN: B000J8F8NW [amazon] ※ e04 eg eg-ger eg-naz

 「ヒトラーは、ドイツ全土にわたって安楽死を中止するように命じた。二七万五〇〇〇人がすでに《謀殺されて》いた*。[…]
 *国際軍事裁判の判決。子供の安楽死事件が起訴された(一六九一六ページ)。」([243])
 「このテーマに関する三冊の基本的図書――フランソワ・ベイル博士『アスクレピオスの杖に反逆するカギ十字』、ミッチャーリッヒ『汚辱の医師たち』、オイゲン・コーゴン『創られた地獄』(これらの本はすべて、解放直後に出版された)――以外に、問題全体を最近の裁判や生存者のインタヴューに基づいて扱った書物はない。私は、フランソワ・ベイル博士の著書に負うところ大きい。ニュルンベルクにおける医師裁判についての彼の労作に匹敵するようなものは、永遠に出ないだろう」([259])

高杉 晋吾 19710205 「安楽死と強制収容所」
 『朝日ジャーナル』1972-2-5→高杉[19720229:112-125]*
高杉 晋吾 19720229 『差別構造の解体へ――保安処分とファシズム「医」思想』,三一書房,284p. ASIN: B000J9OVWA [amazon] ※

 「第二次大戦中の松沢病院で、入院患者の五〇%は餓死させられた。そして何よりも、一九三三年、第三帝国を築き上げたヒトラーの思想、ナチズムそのものが、国家にとっての利用度から人間を差別する思想体系の全面的完成の上にたてられたものであった。
 医療費、社会保険に対する全面的批判とその赤字対策を野蛮に実行しつつあるヒトラーが、一九三九年、ポーランド侵攻を計画し実施する直前、奇形で盲目、白痴、片腕と片足の一部のない自分の子の安楽死をヒトラーに請願してきた父親がいた。ヒトラーはカール・ブラント博士に命じて、安楽死の許可を与えさせた。「拝啓」の先輩がここにいたのである。<0123<
 この事件が世論にいかなる刺激を与えたかは想像することができる。そしてすでに、不治の遺伝病に苦しむ人々に対して負担せねばならぬ巨大な出費数百億マルクの出費をなんとしても切ろうと考えていたヒトラーは、このうってつけの事件をフルに利用し、計画的な大量「安楽死」計画を実施した。
 カール・ブラントと、フィリップ・ブーラーを頂点とする鑑定医群は、各精神病院に送られた質問書(とくに患者の労働能力、労働価値)に対する回答をもとに、書類で患者の生死を決定し、家族には偽の死亡通知書を送って、二七万五千人の精神病者、心身障害者をガス室に送り込んだ。
 この経験が、大量隔離への誘導技術、大量収容と支配・管理、大量殺戮の技術として完成し、ナチス国家の支配体制を支える基本的暴力装置として完成し、ドイツ国民や他の被征服民族への恐怖支配の根源となったことは、人も知るところだ。この安楽死計画に敢然と反対して立上がったミュンスター教会の司教フォン・ガレンは、ヒトラーが安楽死を強行した理由をつぎのように指摘している。
 「彼らが殺されるのは、彼らが《非生産的》と評定されたからだ」と。」(高杉[1971→19720229:112-125]

高杉 晋吾 19720229 『差別構造の解体へ――保安処分とファシズム「医」思想』,三一書房,284p. ASIN: B000J9OVWA [amazon] ※ b
  コーエン『強制収容所における人間行動』※ 81

 「第二次大戦中の松沢病院で、入院患者の五〇%は餓死させられた。そして何よりも、一九三三年、第三帝国を築き上げたヒトラーの思想、ナチズムそのものが、国家にとっての利用度から人間を差別する思想体系の全面的完成の上にたてられたものであった。
 医療費、社会保険に対する全面的批判とその赤字対策を野蛮に実行しつつあるヒトラーが、一九三九年、ポーランド侵攻を計画し実施する直前、奇形で盲目、白痴、片腕と片足の一部のない自分の子の安楽死をヒトラーに請願してきた父親がいた。ヒトラーはカール・ブラント博士に命じて、安楽死の許可を与えさせた。「拝啓」の先輩がここにいたのである。<0123<
 この事件が世論にいかなる刺激を与えたかは想像することができる。そしてすでに、不治の遺伝病に苦しむ人々に対して負担せねばならぬ巨大な出費数百億マルクの出費をなんとしても切ろうと考えていたヒトラーは、このうってつけの事件をフルに利用し、計画的な大量「安楽死」計画を実施した。
 カール・ブラントと、フィリップ・ブーラーを頂点とする鑑定医群は、各精神病院に送られた質問書(とくに患者の労働能力、労働価値)に対する回答をもとに、書類で患者の生死を決定し、家族には偽の死亡通知書を送って、二七万五千人の精神病者、心身障害者をガス室に送り込んだ。
 この経験が、大量隔離への誘導技術、大量収容と支配・管理、大量殺戮の技術として完成し、ナチス国家の支配体制を支える基本的暴力装置として完成し、ドイツ国民や他の被征服民族への恐怖支配の根源となったことは、人も知るところだ。この安楽死計画に敢然と反対して立上がったミュンスター教会の司教フォン・ガレンは、ヒトラーが安楽死を強行した理由をつぎのように指摘している。
 「彼らが殺されるのは、彼らが《非生産的》と評定されたからだ」と。」(高杉[1971→19720229:112-125]

◆朝日新聞社 編 19721130 『高齢社会がやってくる』,朝日新聞社,307p. 540 [amazon] ※ a06.

 「社会保障の貧しさが「死にたい病」を
 「私は、ある病院の一室で患者として治療をうけています。毎日の検査検査で次第に体力が衰え、現在では自分で何もできず、寝たきりの病人になりました。毎日、何人かの人の世話になり、そして私は苦しみ続けております。なぜ、安楽死が許されないのでしょうか。若い人なら、いかなる病気でも治療する必要がありましょうが、八十歳をこえた私にはこの苦しみに耐えられません。どうか法律で安楽死を認めて下さい」
 四十七年五月末、こんな投書が名古屋の朝日新聞『声』欄に載り、大きな反響を呼んだ。書いたのは豊田市の松平すゞさん。投書が新聞に載った約半月後にガンで死んだ。
 すゞさんが「時々、息が苦しくなる」といいだしたのは四十七年四月末ごろ。<104<
 病院で診察したら、ろく膜付近に多量の液がたまっていることがわかり、その場ですぐ入院。五月十一日のことである。その日と翌日の二回に分けて、トマトジュースのような真赤な液を千八百cc抜いた。その後で胸と胃のレントゲン検査がたて続けに行われた。液のなかからガン細胞が見つかったからである。すゞさんが投稿したのはこのころだ。
 「八十歳を越えたら、いつ死んでもよい。健康保険が赤字だというのに、私のように治る見込みがない老人が治療を受ける必要はない」
 すゞさんはベッドで息子の浣二さんにそういった。旧士族の次女に生れ、尋常小学校を出たあと独力で教員免許をとったすゞさんは気丈な明治気質の女性であった。
 「社会的に用がなくなった人間には安楽死が許されるべきだ」
 といい、すゞさんは人間の社会的有用性の基準を八十歳に置いていた。
 み仏の 光りあまねく身に受けて 今しいかなん 西方浄土に
 死期を察したすゞさんだが、こんな辞世の句をつくるほど冷静だった。
 有吉佐和子の小説『恍惚の人』の読後に「年とってボケてしまい、しもの世話が自分でできなくなったら安楽死したい」と考える人も多い。
 が、安楽死は刑法で同意殺人とみなされ、安楽死をさせた者は六月以上七年以下の懲役か禁固<105<に罰せられる。欧米でも禁じられ、このためアメリカでは三千人、イギリスでは六百人の会員を持つ安楽死協会が「安楽死を法で認めよ」と立法化を働きかけている。
 平均寿命がのびるにつれ、老人と安楽死の問題は将来、深刻になるだろう。
 だが――
 「病気や、ボケてしまった老人に安楽死を認めよ、という考え方には危険な落し穴がある」
 と福岡の特別養護老人ホームの田中多聞園長はいう。それによると、老人の“不安愁訴”のひとつに「死にたい病」がある。
 年を取ると、こんなつらくて、いやな思いをするなら死んだほうがましだ、と「死にたい、ポックリと楽に死にたい、と口走る。しかし「死にたい」ともらす心の奥には「生きたい」という願望があって、寝たきり老人へのホームヘルパーの充実など老人への社会保障が理想的に整えば「死にたい病」しは解消する、というのだ。
 「老人の五〜一〇パーセントは何らかの精神障害を特っている。そうした老人のことばを額面通りに受取って、老人に安楽死させろ、という主張は、老人の心理や生理についてくわしい専門家が少ない日本では危険な考え方だ」
 と田中園長は指摘する。<106<
 また宮野彬・鹿児島大助教授も、
 「ドイツでは第一次世界大戦のインフレ時に刑法学者のK・ビンディングと精神病医のA・ホッヘが『生きる価値のない生命を絶つことの許容性』という論文を発表。これがナチの安楽死思想につながり、第二次世界大戦中に老人や精神障害者が二十万人もガス室で殺された。老人の安楽死を容易に認めると、そんな事態も起り得る」
 と警戒している。
 安楽自殺は認めるが、安楽他殺は許されない、という立場から評論家の松田道雄さん。
 「寿命がのびるにつれ楽に死にたい、と願う人はふえるだろうが、あくまで本人が選択することであって、医者やまわりの親族が口出しすべきでないし、立法化の必要もない。何となく生きていて何となく死ぬ。日常生活の延長線上でそっと死を選ぶ。そういう安楽死なら理想なんだが……」
 「おふくろが病気の老人に安楽死を認めて、といったのには反対でした。でも、死顔は眠るように静かでした。最後まで最善の治療を受けたのだから、これが本当の安楽死だと思っとります」
 息子の松平浣二さんは、すゞさんの遺影に手を合わせた。」(朝日新聞社編[1972:104-107])

◆大熊 一夫 19730220 『ルポ・精神病棟』,朝日新聞社,292p. ASIN: B000J9NFOU [amazon] ※ m→198108 朝日文庫,241p. ISBN-10: 4022602449 ISBN-13: 978-4022602442 [amazon][kinokuniya] ※ m.  ※

◇立岩真也・市野川容孝 2000 「障害者運動に賭けられたもの」(『弱くある自由へ』所収)

 「それでね、市野川さんはドイツのことと、日本の優生保護法下の強制断種のこと、両方ご存知なんだけども、七〇年ころ、そう詳しくではないんだけれども、ナチはどうも障害者を殺した、たくさん、何万人も殺したっていう話が、あることはあった。大熊一夫が「ルポ・精神病棟」っていう連載を『朝日新聞』で一九七〇年からやってるんですね。これは七三年に単行本で出ていま文庫版になってますけど(大熊[1973→1981])、その終りのところでナチが精神障害者を抹殺したっていう話が出てくる。僕は見たことがないんだけど、クリスチャン・ベルナダクっていう人の『呪われた医師たち』って本が早川書房から出てたらしくて、大熊さんはそれを引いています。だから問題になったとすれば、まずはその頃なのかなと。それで今またというか九〇年代になって、やっぱりナチは障害者を安楽死ということで抹殺したんだという本が――米本昌平さんがずっとやってきたことがあった上だけど――何冊か出てきた。まずひとつはナチだったらナチが何をやったかっていうことの捉え直しみたいなものが、どういうことでいつごろ出てきたのかっていうのを教えてもらいたいのですが。
 市野川 まずドイツの方から話しますと、…」

◆1973 しののめ会※

 しののめ編集部 編 19730315 『強いられる安楽死』
 しののめ発行所,53p. 200円 (東京都身体障害者福祉会館404→COPY)
  一,安楽死の行なわれている事実        3 山北厚
  二,歴史の流れの中で            13 花田春兆
  三,“安楽死”をさせられる立場から     27 山北厚
  四,福祉・社会・人間            39 花田春兆
 「一九三九年の夏、第二次世界大戦のヨーロッパでの口火となった、ポーランド進攻のはじまる直前、ある父親が、重複重症のある息子に対して、安楽死を与えることを許可するように、との手紙をヒトラーに直<0021<接親呈しているのです。
 ヒトラーは、カールブラント博士に命じて、許可の指示を与えたのです。このことは、世論を沸かせました。しかし、戦争を目前にした殺気だった事態の下では、平常の判断などかき消されてしまうものです。ヒトラーは、この父親の手紙をフルに活用して、安楽死させることの正当性を国民に向って宣伝するのでした。(この歴史は決して死んではいない、という気がしてならないのです。昨秋、いわゆる“安楽死”事件が二つ続いたとき、安楽死を法的に認めさせようとし、日本安楽死協会の設立を目指した動きが、クローズアップされたことがありました。ことさらに法的に認めさせようとする動きの底に、権力と結びついて、生産力となり得ないものを抹殺しようとする暗い圧力、となりかねない力を感じないわけにはいかないのです。たしかに、それは杞憂と呼べるものかもしれません。しかし、それが杞憂に終るのだ、という保証はどこにもな<0022<いのです)」(花田[1973:21-23])

中川 米造 19730715 「医学とは」,朝日新聞社編[19731015:187-251]*
*朝日新聞社 編 19731015 『医学は人を救っているか』,朝日新聞社,朝日市民教室・日本の医療2,251p. ASIN: B000J9NO0A 500 [amazon] ※

 「4医学の限界  〈科学〉の実験精神――「呪われた医師たち」
 ナチス強制収容所における生体実験については、浩瀚なニュルンベルク裁判の記録はじめ、いくつかあるが、邦訳になったのはフランスのジャーナリスト、クリスチャン・ベルナダクの『呪われた医師』だけのようである。凍死、発疹チフス、ワクチン、毒ガスなどの研究に多数の収容者たち<0223<がモルモットがわりに実験に供せられたことが、証言をもとにしてつづられている。このような記録について、ここでは詳細に述べる必要はないと思われる。ナチスという残虐な集団によっておこなわれたということで、あっさり片づけられるおそれがあるからである。
 問題は、ベルナダクが、この本に書かれている事実を、一九六七年のはじめ、五〇人以上のパリ大学医学部の学生にぶつけて反応をみたくだりである。」(中川[19731015:223-224])

◆小澤 勲 19740501 『反精神医学への道標』,めるくまーる社,312p. ASIN: B000J9VTS4 1300 ※ [amazon] ※ m, 反精神医学

 「優生保護法改正問題をめぐって
 ……
 五 ナチスの優生政策
 ここまで資料を整理してきて、何気なく私のいる病院の図書室で本をながめまわしていたところ、隅っこのほうにホコリをかぶってR・フレルクス著、橋本文夫訳「ナチスの優生政策」(理想社、昭和一七)という本があるのに気づいた。フレルクスという人がどんな人なのか私は寡聞にして知らないが、要するにナチスのおかかえ科学者らしい。これを読んで、優生保護法改正が、あるいは優生保護法自体がいかにナチスのイデオロギーをそのまま受けついだものであるかがわかって愕然とした。」(p.295)
 復刊ドットコム:http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=35117

◆山名 正太郎 19740920 『世界自殺考』,雪華社,274p. 980 ASIN: B000J9O5VW [amazon] ※ s01.et.

「刑法からみた安楽死
 安楽死の問題は古いが、刑法学者がとりあげたのはまだ新しい。先年亡くなった京都大学総長滝川幸辰氏は、安楽死の肯定派といわれたが、その「刑法各論」(一九五一)によると、一般論として最初のものは一九一五年ドイツのマイヤーの「刑法論」で、それには文化の進展は安楽死を許すものとしている。法秩序がこれを認めないと解する規定はなく、医師の行為は正当な利益を保護するものとして、非難を免れるだろうとしている。マイヤーの法律哲学は文化概念をつよく主張しているので、この論旨はうなずけるものがある。
 理論刑法の第一人者とせられるドイツの法学者ビンディングは、一九二〇年に五九歳で亡くなったが、死を前に「生存の価値なき生命を絶つことの許容」という論文をかいた。しかし発表は死後ということになったが、それによると「自分の生命のおわりにのぞみ、思いきった意見を公開する」と<121<あり、そして「この問題は、われわれの道徳観と社会観における死点の一致である」と述べた。その翌年にはザバーが「刑法原理」で、安楽死は害よりも多くの益があるという原則から賛成しており、さらに一九二七年にはシュミットの「刑法論」が、狭い範囲では適法であるといい、また一九三〇年ヒッペルの「刑法論」では、死の闘争を節約する上に事務管理として適法であると、新しい表現を用いている。もっとも1931年のメッカーの「刑法論」では、殺人の違法性を除くわけにはいかないと論じている。
 滝川氏の意見によると、患者当人に死が確実であり、しかも重病のための苦しみの死であることを条件として、安楽死は純然とした治療行為としている。たとえば死床にある病人に、この上の注射をして苦しませるのを見かねて、家族が注射をやめてくれと医師にたのむばあいが多いが、生命を引延ばすために行う苦痛を除くことも治療であり、法律上の価値は同じだというのである」(pp.121-122)

島 成郎 198011 「「保安処分」に思う」,『精神医療』臨時増刊号・特集:保安処分新設阻止のために
 →島[1997:289-304]*
島 成郎 19970925 『精神医療のひとつの試み 増補新装版』,批評社,405p. ISBN:4-8265-0236-2 2625 [bk1] ※

 「近代的処遇の一方の極に、まだ生々しく記憶にのこされているナチス・ドイツの悲劇があります。
 数百万に及ぶユダヤ人大虐殺の暴挙はひろく世に知られていますが、ここに至る過程でまず最初の血祭りにあげられたのが七〇〇〇余名の幼い重度心身障害児と十数万もの精神病者であったことは意外と余り追求(ママ)されていません。そしてこの人類史上類をみない現代の残虐性が、ナチズムの狂気の沙汰としてのみ葬り去られていることに私は恐ろしさと不可思議さを覚えざるをえません。
 人類近代文化の数々を生んだドイツ、優れた技術のもと世界有数の高度近代社会を築いたドイツが、ただ一人の政治指導者の恣意によってこのような「野蛮な奇蹟」をなしえるでしょうか。
 むしろ私は、精神障害者は民族−社会にとって役立たずをもらたすものであって、その管理と保護に労力と金をかける価値はないと判断する近代国家の論理が極致にまで進んで、その最も合理的解決としての大量抹殺がはかられた、すなわちこの悲劇は決して一煽動家の狂気の沙(294)汰によってでなく、近代国家の理性的判断によったのだと考えるのです。そしてこの恐怖の「安楽死」計画立案に世界的に著名な精神科医が多く参画していたことを知るとき、決して遠い他国の過ぎ去った事件として看過すわけにはいかないのです。
 私は今保安処分新設を目論む刑法改訂の作業と議論のなかに、天皇制日本とナチス・ドイツで極端な形で示された精神障害者の処遇のなかに「民主主義」諸国家にも共通する近代国家理念をみないではいられません。」(pp.294-295)

◆Rothman, David J. 1991 Strangers at the Bedside: A History of How Law and Bioehtics Transformed, Basic Books=20000310 酒井忠昭監訳,『医療倫理の夜明け――臓器移植・延命治療・死ぬ権利をめぐって』,晶文社,371+46p. 3600円
 http://www.shobunsha.co.jp/

 「ニュルンベルク裁判で明らかにされた恐怖の数々も、その経験から導きだされた倫理上の原則も、米国における研究体制にほとんど影響を与えなかった。裁判自体があまり大きくは報道されなかった。1945年から1946年にかけてニューヨーク・タイムズで、ナチスの研究にかんする記事が報道されたのは、わずかな回数だった。1946年の秋に42人の医師が起訴されたという記事は5面で扱われ、裁判の開始については9面で扱われた(1947年の有罪判決については1面記事になったが、その1年後7人に死(p.90)刑が執行されたという記事はまた、後ろのページに下げられてしまった)。それから15年間にわたって、医学雑誌でも一般の記事でもニュルンベルク裁判を扱った記事はほんのわずかにすぎなかった。
 残虐行為の記憶を拭い去りたいとうい戦後の強い思いが、こういった沈黙につながったといえなくもない。しかし、もっとも重要な点は、米国の研究者や批評家たちが、ニュルンベルクで明らかになった出来事を自分の国の状況と直接関係があると認識しなかったことだ。あのとんでもないことをしたのはナチスであって、医師たちではない、罪に問われるべきはヒトラーの取り巻きたちであって、科学者ではない、そんなふうに認識されてしまったのだ。」(pp.90-91)

◆Pross, Christian & Gotz, Aly (Hrsg.) 1989 Der Wert des Menschen: Medizin in Deutschland 1918-1945 Edition Hentrich Berlin=1993 林功三訳,『人間の価値――1918年から1945までのドイツ医学』,風行社,144p.,2200 ※

 「ベルリン医師会はいま、ナチズムの中で医師層がはたした役割と、忘れることができない犠牲者の苦しみを思い起こす。医師組織を結成する我々は、我々自身の過去とナチズムに関与した医師の責任を明確にしないわけにはいかない。」

 「わたしたちは、いま率直に歴史を振り返ってみると、医師の倫理が内部から破壊されていたことを認めざるをえない。わたしたちに今日残されるているのは、不気味な平常性、日常性の中で行われたものを痛みをもっていま思い起こすことであり、悲惨がまた新たに生じるかもしれないことを示唆している、この多くの歴史的事実を絶えず現在化することであろう」(編者,p.7)


◆立岩 真也 1997/04/30 「書評:ヒュー・G・ギャラファー『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』(現代書館,1996年)
 『日本生命倫理学会ニューズレター』12:5-6 2枚
◆立岩 真也 2001/10/25 「優生学について――ドイツ・1」(医療と社会ブックガイド・9)
 『看護教育』2001-10(医学書院)
◆立岩 真也 2001/11/25 「優生学について――ドイツ・2」(医療と社会ブックガイド・10)
 『看護教育』2001-11(医学書院)


REV:....20040821,1118 ..20070401 20080116,0408,20100102, 20110511, 20120721, 20151105, 20160727
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