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『高齢社会がやってくる』

朝日新聞社 編 19721130 朝日新聞社,307p.

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last update: 20180225

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■朝日新聞社 編 19721130 『高齢社会がやってくる』,朝日新聞社,307p. 540 [amazon] ※ a06

■目次

プロローグ――ある末路
第一章 いま老人たちは
1 成立たない老後設計
  インフレが老人を攻撃
2 戦争の傷跡
  原爆孤老のつらい日々
  四十代の独身女性五十万人
  悲しい兵隊
  靖国の妻
3 孤独
  自殺率世界一の老女
  届かない保護の目
  病人をきらう施設
4 繁栄下の犠牲者たち
  生活保護に頼る過疎地の老人
  過密
  寿命を縮める公害
  むずかしい“再々就職”
5 発言
  大きな市民運動に発展する可能性
◇座談会 高齢社会への対応 (地主重美、縫田曄子、村上清、森幹郎、塩口喜乙)
  福祉哲学の相違
  インフレに弱い年金制
  働きたい人には仕事を
  ものいう老人に

第二章 その現状と問題点
1 低福祉
2 家族制度
3 住宅
4 征爾の見落し
5 医療
6 定年・再就職
◇対談 深刻化する再就職難 (早川勝、立花銀三、辻謙)
  老人に合う生産工程を
  定年延長への道程
  年金額は二段階に

第三章 老人の「心」と付き合おう
1 相手の立場になること
  脳卒中で倒れた働き者の夫
  夫の生きがいを奪っていた妻
  要求される「愛情+技術」
  かんじんな「人格」の程度
2 老人の特質
  ブレーキがかからない
  失われる能力、残る能力
3 接しかたの技術
  まずここから(聞き上手、理解したという表現、非は率直にわびる、手をにぎる、もちあげる、ボケたとはいわない、話の反論はのちほど、真の原因をさぐる)
  努力は大変でない

第四章 明るく豊かに
  自分自身で「人間回復」を
  保健婦さん
  地域の善意を結集
  リハビリでめざましい成果
  目的めざし意欲燃やす
◇対談 しあわせな老後の生き方 (永六輔、桐島洋子)
  波長が合わない
  子育てを奉仕作業と割り切る米国
  新しい発見をつづける
  すばらしい人
  かっこよい老人がふえてきた
あとがき

■引用

 「四十七年七月、田中新内閣発足の翌日、ささやかだがちょっと目をひく四十人あまりのデモが東京の都心をねり歩いた。(中略)<60<このデモを組織したのは東京都老後保障推進協議会。日雇労務者の団体や老人クラブなどでつくっている老後対策要求の組織だ。デモの先頭にはスローガンを書きなぐったポンコツ寸前の愛用車にマイクをにぎった町田市老後連盟の古宮杜司男委員長がいる」(朝日新聞社編[1972:60-61])

 「社会保障の貧しさが「死にたい病」を
 「私は、ある病院の一室で患者として治療をうけています。毎日の検査検査で次第に体力が衰え、現在では自分で何もできず、寝たきりの病人になりました。毎日、何人かの人の世話になり、そして私は苦しみ続けております。なぜ、安楽死が許されないのでしょうか。若い人なら、いかなる病気でも治療する必要がありましょうが、八十歳をこえた私にはこの苦しみに耐えられません。どうか法律で安楽死を認めて下さい」
 四十七年五月末、こんな投書が名古屋の朝日新聞『声』欄に載り、大きな反響を呼んだ。書いたのは豊田市の松平すゞさん。投書が新聞に載った約半月後にガンで死んだ。
 すゞさんが「時々、息が苦しくなる」といいだしたのは四十七年四月末ごろ。<104<
 病院で診察したら、ろく膜付近に多量の液がたまっていることがわかり、その場ですぐ入院。五月十一日のことである。その日と翌日の二回に分けて、トマトジュースのような真赤な液を千八百cc抜いた。その後で胸と胃のレントゲン検査がたて続けに行われた。液のなかからガン細胞が見つかったからである。すゞさんが投稿したのはこのころだ。
 「八十歳を越えたら、いつ死んでもよい。健康保険が赤字だというのに、私のように治る見込みがない老人が治療を受ける必要はない」
 すゞさんはベッドで息子の浣二さんにそういった。旧士族の次女に生れ、尋常小学校を出たあと独力で教員免許をとったすゞさんは気丈な明治気質の女性であった。
 「社会的に用がなくなった人間には安楽死が許されるべきだ」
 といい、すゞさんは人間の社会的有用性の基準を八十歳に置いていた。
 み仏の 光りあまねく身に受けて 今しいかなん 西方浄土に
 死期を察したすゞさんだが、こんな辞世の句をつくるほど冷静だった。
 有吉佐和子の小説『恍惚の人』の読後に「年とってボケてしまい、しもの世話が自分でできなくなったら安楽死したい」と考える人も多い。
 が、安楽死は刑法で同意殺人とみなされ、安楽死をさせた者は六月以上七年以下の懲役か禁固<105<に罰せられる。欧米でも禁じられ、このためアメリカでは三千人、イギリスでは六百人の会員を持つ安楽死協会が「安楽死を法で認めよ」と立法化を働きかけている。
 平均寿命がのびるにつれ、老人と安楽死の問題は将来、深刻になるだろう。
 だが――
 「病気や、ボケてしまった老人に安楽死を認めよ、という考え方には危険な落し穴がある」
 と福岡の特別養護老人ホームの田中多聞園長はいう。それによると、老人の“不安愁訴”のひとつに「死にたい病」がある。
 年を取ると、こんなつらくて、いやな思いをするなら死んだほうがましだ、と「死にたい、ポックリと楽に死にたい、と口走る。しかし「死にたい」ともらす心の奥には「生きたい」という願望があって、寝たきり老人へのホームヘルパーの充実など老人への社会保障が理想的に整えば「死にたい病」しは解消する、というのだ。
 「老人の五〜一〇パーセントは何らかの精神障害を特っている。そうした老人のことばを額面通りに受取って、老人に安楽死させろ、という主張は、老人の心理や生理についてくわしい専門家が少ない日本では危険な考え方だ」
 と田中園長は指摘する。<106<
 また宮野彬・鹿児島大助教授も、
 「ドイツでは第一次世界大戦のインフレ時に刑法学者のK・ビンディングと精神病医のA・ホッヘが『生きる価値のない生命を絶つことの許容性』という論文を発表。これがナチの安楽死思想につながり、第二次世界大戦中に老人や精神障害者が二十万人もガス室で殺された。老人の安楽死を容易に認めると、そんな事態も起り得る」
 と警戒している。
 安楽自殺は認めるが、安楽他殺は許されない、という立場から評論家の松田道雄さん。
 「寿命がのびるにつれ楽に死にたい、と願う人はふえるだろうが、あくまで本人が選択することであって、医者やまわりの親族が口出しすべきでないし、立法化の必要もない。何となく生きていて何となく死ぬ。日常生活の延長線上でそっと死を選ぶ。そういう安楽死なら理想なんだが……」
 「おふくろが病気の老人に安楽死を認めて、といったのには反対でした。でも、死顔は眠るように静かでした。最後まで最善の治療を受けたのだから、これが本当の安楽死だと思っとります」
 息子の松平浣二さんは、すゞさんの遺影に手を合わせた。」(朝日新聞社編[1972:104-107])
 →安楽死・尊厳死優生・ナチス・ドイツ

「「名医ほど、老人の生活を拘束したがらない」といわれる。この「総合力」をやしなう修行は、現在の意志に非常に不足している――浴風会の関増爾、杉並組合病院の川上武・各博士なども、深刻に憂いている」(朝日新聞社編[1972:158])

「「寝たままは、はっきり“悪”と知るべきです」<162<
 と東大病院リハビリテーション部の上田敏講師も断言する。(中略)
 (リハビリは赤字になる/引用者補足)と、東京都養育院病院荻島秀男リハビリ部長はなげく。」(朝日新聞社 1972:162-163)

「熊本県で、長く老人をとりまく調査を続けてきた杉村春三パウラスホーム・慈愛園園長らによると、老人が寝たきりになると、平均四万七千円も医療費がかかり、その費用は大抵は家計簿につけないという。……」(朝日新聞社 1972:169)


UP:20080116
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