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『恍惚の人』

有吉 佐和子 19720610 新潮社,312p.

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last update:20150801

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■有吉 佐和子 19720610 『恍惚の人』,新潮社,312p. ASIN: B000J95OE4 欠品 [amazon] ※ →197708(新潮社,有吉佐和子選集 第2期 第8巻)→19820525(文庫版)→20030225 『恍惚の人』,新潮社,新潮文庫,52刷改版,437p. ISBN-10:4101132186 ISBN-13:9784101132181 670+ [amazon][kinokuniya] ※ a06, b01, n01

■内容

・「BOOK」データベースより)
 文明の発達と医学の進歩がもたらした人口の高齢化は、やがて恐るべき老人国が出現することを予告している。老いて永生きすることは果して幸福か? 日本の老人福祉政策はこれでよいのか? ―老齢化するにつれて幼児退行現象をおこす人間の生命の不可思議を凝視し、誰もがいずれは直面しなければならない“老い”の問題に光を投げかける。空前の大ベストセラーとなった書下ろし長編。

■著者略歴

・「BOOK著者紹介情報」より
 有吉 佐和子
1931‐1984。和歌山生れ。東京女子大短大卒。’56(昭和31)年「地唄」が芥川賞候補となり文壇に登場。代表作に、紀州を舞台にした年代記「紀ノ川」「有田川」「日高川」の三部作、一外科医のために献身する嫁姑の葛藤を描く「華岡青洲の妻」(女流文学賞)、老年問題の先鞭をつけた「恍惚の人」、公害問題を取り上げて世評を博した「複合汚染」など。理知的な視点と旺盛な好奇心で多彩な小説世界を開花させた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■引用

 「私こそ気の毒なのだと言いたいのを昭子は喉許(ルビ:のどもと)で抑えて、黄色いパンフレットを指さして訊いた。
 『この特別養護老人ホームというのは、なんでしょうか』
 『ネタキリ老人とか、人格欠損のある方を収容する施設です』
 寝たきり老人というのは一つの熟語として専門用語になっているらしいと分かったが、人格欠損は分からない。質問してみると、相手はちょっと昭子の顔を見て口籠もりながら、『失禁するとかですね……排泄物を食べたり……躰になすりつけたりするような老人の場合ですね』
 と言ったから、昭子も驚いた。」(有吉 1972→2003:308)

 「はっきり分かったのは、今の日本が老人福祉では非常に遅れていて、人口の老齢化に見合う対策は、まだ何もとられていないということだけだった。もともと老人は希望とも建設とも無縁な存在なのかもしれない。が、しかし、長い人生を営々と歩んで来て、その果たてに老耄が待ち受けているとしたら、では人間はまったく何のために生きたことになるのだろう。あるいは、彼は、もう終った人間なのかもしれない。働き、子孫を作り、そして総ての器官が疲れ果てて破損したとき、そこに老人病が待っている。癌も神経痛も痛風も高血圧も運よくくぐりぬけて長生きした茂造のような老人には、精神病が待ちかまえていたのか。」(有吉 1972→2003:314)

 「信利も箸を置いて、黙っていた。彼はこの日、目も見えず、耳も聞こえず、食物を <0326< 咀嚼することもできなくなった寝たきり老人の話を聞いたばかりだった。鼻孔からプラスティック製のチューブを挿入して液状化した食物をポンプで送りこむ。しかも、そうした状態で、人間はポンプの故障でもない限り、二十年から生きられるのだという。おそらく茂造以上に老耄した頭の中で、その老人は何事を考えて日を送っているのだろうか。躰の寒くなるような話だった。それを聞かしてくれた男は、信利の表情を読んで、もうそれ以上は言えないと言った。信利も訊けなかった。医学の進歩も残酷なものですよ、生かさず殺さずということですからな、と言ってから、相手は更に驚くべきことを、一度は口籠った話を続けた。プラスティックのチューブは差しこみっぱなしにしてあるので、鼻孔の入口を摩擦して皮膚が次第に腐り始める。うっかりすると蠅がそこにたかって卵を産みつけ、蛆がわき出すというのだった。いつ思い出しても信利の全身が寒くなってくる。
 さらに信利は別の知人から聞いた話も思い出していた。戦後の日本では急速に人口の老齢化が起っていることを、その男はいらいらするほど正確な数字や百分比をあげて説明したのだ。本当か嘘か知らないが、今から何十年後の日本では六十歳以上の老人が全人口の八十パーセントを占めるという。つまり一人の若者のまわりに四人の老人が取り囲んでしまう社会が現出する。生活力を持たない四人の老人を、一人の若者 <0326< が養わなければならない大変な時代がくる。なぜそんなことになるかといえば、フランスのように日本の人口も、ある時期から出生率が急激に減退し始め、しかも医学の進歩によって老人の死亡率は低くなっているからだ。それを要するに老齢人口の急増という。
 これを現実に考えれば、何十年後には信利も昭子も完全に老人と呼ばれるべき年齢になっていて、敏は一個の社会人として老化した両親の他に赤の他人の古ぼけたのを二人抱えて生きなければならないということになる。また別の男の口からは、違う数字が聞かされた。昭和八十年には六十歳以上の人口が三千万人を超え、日本は超老人国になる運命をもっているという。そうなるまでには、なんとか死んでいたいと思うが、その話を妻にする元気は信利にはなかった。それでなくても彼の耳の奥には、ずっと前に敏が言い捨てた言葉がこびりついている。パパも、ママも、こんなになるまでに長生きしないでね。」(有吉 1972→2003:325-327)

■書評・紹介

天田 城介 20080201 「ケア・3」(世界の感受の只中で・10),『看護学雑誌』72-2:**-**
 http://www.josukeamada.com:80/bk/bs07-10.htm

◆森 幹郎 19820528 「解説」.有吉佐和子『恍惚の人』新潮社(新潮文庫).430-437

 「本書の爆発的な売れ行きの中で、老人福祉の<435<推進に対する世論は高まり、関係者の合意はとにもかくにも得られたと言ってよい。思わぬ援軍があったわけである。
 しかし、本書がテーマとした痴呆の老人の問題については、今日にいたるもなお、有効な社会システムが成立しているとはいえない。もちろん、当局にもそれだけの理由がなかったわけではない。というのは、限られた財源の中で、「ねたきり老人対策」に優先順位がおかれたからである。
 当局のねたきり老人対策に対する関心はつとに早く、精粗の差こそあるが、昭和三十五年以来ほとんど毎年その全国調査が行なわれている。そして、昭和五十七年現在、その数は三十万人を越えているという。
 しかし、痴呆や精神薄弱など、精神障害の老人については、いまだに一回も全国調査が行なわれていない。問題はプライバシーに深くかかわることであり、調査をするといっても容易ではないことはよく分かる。けれども、調査をしなければ実態は分からない。実際が分からなければ社会システムのプログラムは立てられるはずもないのである。
 現在のところ、全国における痴呆老人の数は、東京都における出現率を借りて、約五十万人ということのようであるが、いやしくも一国の政策立案のためのデータとしては、少しくお粗末ではないだろうか。<436<
 最近も、厚生省の所管課長は、「老人ホームの入所者がぼけていく場合はお世話していますが、本来(痴呆の老人対策)は精神衛生対策の分野。狭い意味での老人福祉では何の対策もありません」と言っている(昭和五十六年一月十三日付毎日新聞「記者の目」)。
 これでは、京子が「徘徊(ルビ:はいかい)老人? 厚生省も見放しているんだわね、つまり」と言い、老人福祉指導主事が「どうしても隔離なさりたいなら、今のところ一般の精神病院しか収容する施設はないんです」と言っている十年前と同じではないか。
 しかし、現に、痴呆の老人を対象とする特別養護老人ホームが民間レベルでぼちぼち設置運営されている(東京都、三重県等)。さらに東京都でもこの春から都立で同様のものを設置するという。責任当局者の発言と考え合わせて、政策不在の感を禁じ得ない。今後、痴呆の老人は、精神病院に入院させず、特別養護老人ホームでお世話していくのが望ましい方向と言えよう。
 現在、政策はまだ本書の問題提起に答えていない。その意味で、この小説はますます今日性を増していると言えよう。しかし、本書が一日も早く歴史上の本になることを願っているものである。
(昭和五十七年五月、社会福祉学者)」(森 1982:435-437)

■言及

上野 千鶴子 2005 「生き延びるための思想」,『quarterly at』0→上野[2006:236]*
 *上野 千鶴子 20060207 『生き延びるための思想――ジェンダー平等の罠』,岩波書店,277p. ISBN-10: 4000221515 ISBN-13: 978-4000221511 2520 [amazon] ※ b a06 d01 t02
 「今から思えば、わたしは有吉佐和子って偉かったって思います。あの方が『恍惚の人』(有吉[1972])を書いた時に、文芸評論家の平野謙と対談しています(2)。[…]平野謙さんが、オレは嫌だ、こんな状態になるくらいなら死にたいと、とっても「男らしい」ことをおっしゃた。それに対して、有<0236<吉さんは当時三〇代の終わりかなあ、きっぱり彼に言ったんですよね。
 「耄碌して、はたに迷惑かけても、私は生きてやろうと思います」と。おお、立派な人じゃ(笑)、って思っちゃいました。ですから、惚けて垂れ流しになってるわたしやあなたに、そのまんま生きていていいんだよって言ってあげるのが、思想の役目でなくして何なんだ、ということですよ。」(上野[2005→20060207:236])
 (2)有吉佐和子・平野謙「”老い”について考える」『恍惚の人』付録、『波』一九七二年六月号にも掲載。

 **上掲文献への言及
 立岩 真也 2005-2006 「他者を思う自然で私の一存の死」,『思想』976(2005-08):023-044,982(2006-01):80-100,982(2006-02):96-122 目次・文献表 
 「註18 「知識人」が早目に死んでしまうのは容易に理解できることではある。その人たちは頭を動かして働いているのだが、どうも動かなくなってきたと思って、暗くなって、それで死ぬのだ。そしてこのことは、その人たちが慈悲の心をもっていて、他の人たちは別であると述べることと矛盾するものではない。松田道雄は立派な人であり尊敬に値する人だったと思うが、しかしそういう人でもあったと思う。松田の安楽死・尊厳死についての態度、態度の変遷については大谷[2006]。私も[2001-(6)]で関連の著作を紹介したことがある。上野千鶴子は愚かな男たちが安楽死だの尊厳死だのといったものを選ぶのだと言う(上野[2005]――[2006]に収録)。なお、このことと矛盾するのではないのだが、日本尊厳死協会の会員数では女性の方が多い(石川[2005])。自らの介護の経験と、そして自分がどうかなった時に配偶者をあてにできないという事情その他が関わっているのだろう。」
◆立岩 真也 2008 『…』,筑摩書房 文献表


*作成:
UP:20071220 REV:20080107, 0331, 0627, 1209, 20100504, 20150203, 0330, 0801
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