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松田 道雄

まつだ・みちお
1908/10/26〜1998/06/01

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last update: 20151008


・1908〜1998
・医師
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E9%81%93%E9%9B%84

山本 崇記 2004 「松田道雄小論――戦後革新政治におけるその位置」『戦後社会運動史のために・1』、科学研究費助成研究、基盤B・16330111、2004年度報告書3、pp.35-61
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/2004/1027yt.htm
◆―――― 2005- 「松田道雄関連著作リスト」
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/2005/0530yt.htm

◆1908年生まれ。京都大学医学部卒業。
 戦後から1967年まで京都で小児科医を開業。在野の医学者として、患者の立場に立った医療と育児を考え続ける。主な著書に『育児の百科』『松田道雄の本(16巻)』『町医者の戦後』『私は赤ちゃん』『私は二歳』『私は女性にしか期待しない』『明治大正 京都追憶』『京の町かどから』『ロシアの革命』『日本知識人の思想』などがある。
 (『安楽に死にたい』より)

 *『京都新聞』1998-06-03(↓)より
 「一九〇八(明治四十一)年、茨城県水海道町生まれ。父親の京都大医学部勤務にともなって、生後半年で京都に移住した。京都一中、三高から三一(昭和七)年京都大医学部卒。京都府衛生課に勤務し、結核予防事業に従事。戦後から六七年まで京都市内で小児科医院を開業。その後は文筆に専念し、自由人として暮らしの回りを見つめるなかで医療・育児から社会問題や思想に及ぶ膨大な著作を残した。戦前の「結核」(四二年刊)に始まる著作活動は九七年、満八十八歳のとき出した「安楽に死にたい」が最後になった。また、京都の町への愛着をつづった随筆も多く、七五年には自伝的回想「花洛」を本紙に連載している。
 この間、六〇年代初めにベストセラーとなった「私は赤ちゃん」「私は二歳」はじめ「私の幼児教育論」「育児の百科」など一連の育児書は、急激な都市化と核家族化に直面した新世代の親たちにとって“懇切な相談相手”になった。中でも「育児の百科」は六七年発刊いらい毎年改訂を続けており、そのために最近まで外国の週刊誌を含め毎月三十冊の医学雑誌に目を通していた。
 一方、評論面では、あくまで町中に住む実学者の立場から、「日本知識人の思想」「革命と市民的自由」「ロシアの革命」などを書いた。その根幹は市民の基本的人権を尊重する立場を明らかにする表明で、その後の市民運動に一つの拠りどころを与えた。
 四九年「赤ん坊の科学」で毎日出版文化賞、六三年「君たちの天分をいかそう」で児童福祉文化賞。医学博士。 」

■新着?

◆早川 一光・立岩 真也・西沢 いづみ 2015/09/10 『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』,青土社,  ISBN-10: 4791768795 ISBN-13: 978-4791768790 [amazon][kinokuniya] ※ 1850+

◆立岩 真也・有馬 斉 2012/10/31 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院,241p. ISBN-10: 4865000003 ISBN-13: 978-4865000009 [amazon][kinokuniya] ※ et. et-2012.



◆19980601 死去(89歳)
 「在野の医学者「育児の百科」松田道雄氏 死去」
 『京都新聞』1998-06-03
 http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/98jun/80603.html

◆19981016 『幸運な医者』,岩波書店,146+5p. ISBN:4-00-002917-7 1260 [kinokuniya][bk1] ※ b

□内容説明[bk1]
結核、そして小児科の医療にたずさわりながら市井人の視点を貫いた著者が、みずからの老いを意識しながら綴った晩年の随筆集。大好きな映画の話や交友録などに、89年の人生と思想のエッセンスが詰まっている。
□著者紹介[bk1]
1908年茨城県生まれ。京都帝国大学医学部卒業。戦後、京都で小児科医を開業するかたわら評論家をかねて活動。医師、育児評論家。著書に「私は赤ちゃん」「育児の百科」ほか。98年没。


◆1953   「安楽死と医学」
 『芝蘭』1953-4
 →松田[19800520:26-35](『生きること・死ぬこと』,松田道雄の本7)
◆196108  「チェーホフと森■外」
 『図書』1961-8
 →松田[19800520:36-39](『生きること・死ぬこと』,松田道雄の本7)
◆19600317 『私は赤ちゃん』
 岩波書店,岩波新書,189p. 100 ※
◆19640321 『母親のための人生論』
 岩波新書青517,275p. 550 ※
◆196907  「基本的人権と医学」
 『世界』284号
◆196912  「いかに死ぬべきか」
 『週刊アンポ』1969.12
 →『生きること・死ぬこと』(松田道雄の本7)p.45-67
◆197005  「「人工死」とのたたかい――どこでどうして死ねるやら」
 『科学朝日』1970-5
 →『生きること・死ぬこと』(松田道雄の本7)p.68-79
◆1970   『革命と市民的自由』
 筑摩書房  千葉教養E583
◆19710520 『私の読んだ本』
 岩波新書青786,223p. 280 ※
◆1971831  「」
◆編 1972 『ロシア革命』
 平凡社,ドキュメント現代史1  千葉社0926共通
◆197204  「安楽死について」
 『暮らしの手帖』1972-04→『松田道雄の本』7
 →野間宏編[199110:182-192](日本の名随筆100『死』)
◆19730615 「何が告発をまねいたか」,朝日新聞社編[19730615:9-35]*
*朝日新聞社 編 19730615 『病人は告発している』,朝日新聞社,朝日市民教室・日本の医療1,253p. ASIN: ASIN: B000J9NOOQ 500 [amazon] ※ b
◆1974   『あそび』
 筑摩書房,私のアンソロジー6  千葉社1125共通
◆1975   『人間の威厳について』
 筑摩書房,166p. 850 
◆19770112 「老いること死ぬこと」
 『京都新聞』19770112
 →松田[19800520:106-109](『生きること・死ぬこと』,松田道雄の本7)
◆19770425 『私の教育論』
 筑摩書房,243p. 1200
◆19771018 「死と人間の尊厳」
 『読売新聞』19771018 
 →松田[19800520:109-112](『生きること・死ぬこと』,松田道雄の本7)
◆19790225 『女と自由と愛』
 岩波新書黄074,215p. 430 ※
◆19791220 『新しい家族像を求めて』
 筑摩書房,松田道雄の本3,219p. 900 ※
◆19800220 『私の幼児教育論』
 筑摩書房,松田道雄の本1,285p. 980 ※
◆19800720 『私の市民感覚』
 筑摩書房,松田道雄の本4,283p. 1100 ※
◆19800520 『生きること・死ぬこと』
 筑摩書房,松田道雄の本7,261p. 980 ※
◆198005  「老人と自殺」
 『松田道雄の本 第7巻 生きること・死ぬこと』,筑摩書房
 →野坂昭如編[198303:059-063](日本の名随筆08『死』)
◆19831020 『安楽死』
 岩波ブックレット24,55p. 200 ※COPY/杉並490
 (一部「安楽死について」として松田道雄[19881122:035-062])
◆198311  『君たちの天分を生かそう』
 筑摩書房,ISBN: 4-480-88000-3 224P 20cm 1,194円 ×
◆松田 道雄・唄 孝一[対談] 19840905 「日本の医療を問う」
 加藤・森島編[1984:176-208]*
 *加藤 一郎・森島 昭夫 編 19840905
 『医療と人権――医者と患者のよりよい関係を求めて』
 有斐閣, xii+458p. 3900
◆198603  『松田道雄の安心育児』
 小学館,ISBN: 4-09-387018-7,275,3P 20c 1,340円 ×
◆198608  「患者の自己決定権はなぜ必要か」
 『世界』1986-08→松田道雄[19881122:063-086]
◆198612  「市民的自由としての生死の選択――老人問題のコペルニクス的展開」
 シリーズ『老いの発見』3,岩波書店→松田道雄[19881122:087-107]
 →松田[1997:99-132]
◆19880120 『町医者の戦後』
 岩波書店,岩波ブックレット106,62p. 250 ※
◆19881122 『わが生活 わが思想』
 岩波書店,288p. 2000 ※
◆19900220 『私は女性にしか期待しない』
 岩波新書新赤109,202+5p. 550 ※
◆19940826 『母と子への手紙――乳幼児から思春期までの健康相談』
 岩波書店,212p. 1500
◆199605  「お医者はわかってくれない」,
 『図書』1996-5→松田[1997:41-61]
◆199701・02「高齢者介護の問題点」(インタヴュー,聞き手:岩波書店・犬塚信一)
 『図書』1997-1・1997-2→松田[1997:63-97]
◆19970424 『安楽に死にたい』
 岩波書店,133p. 1200
◆199711 「故・松田道雄先生「ゑい夫人、お別れ式のお言葉」」
◆     『人間』 岩波書店  

■著書

*◆19600317 『私は赤ちゃん』
 岩波書店,岩波新書,189p. 100 ※
◆19640321 『母親のための人生論』
 岩波新書青517,275p. 550 ※
◆1967   『育児の百科』,岩波書店,770p. ASIN: B000JA707M [amazon]
◆1970   『革命と市民的自由』
 筑摩書房  千葉教養E583
◆19710520 『私の読んだ本』
 岩波新書青786,223p. 280 ※
◆編 1972 『ロシア革命』
 平凡社,ドキュメント現代史1  千葉社0926共通
◆1974   『あそび』
 筑摩書房,私のアンソロジー6  千葉社1125共通
◆1975   『人間の威厳について』
 筑摩書房,166p. 850 
◆19790225 『女と自由と愛』
 岩波新書黄074,215p. 430 ※
◆198009  『若き人々へ』
 筑摩書房,ISBN: 4-480-74116-X,285P 19cm 1,100円 ×
◆198010  『私の手帖から』
 筑摩書房,ISBN: 4-480-74112-7,245P 19cm 1,100円 ×
◆198011  『革命のなかの人間』
 筑摩書房,ISBN: 4-480-74108-9,218P 19cm 1,100円 ×
◆198012  『革命家の肖像』
 筑摩書房,ISBN: 4-480-74109-7,218P 19cm 1,100円 ×
◆198101  『人間と医学』
 筑摩書房,ISBN: 4-480-74106-2,214P 19cm,1,100円 ×
◆198102  『花洛小景』
 筑摩書房,ISBN: 4-480-74114-3,237P 19cm,1,100円 ×
◆19831020 『安楽死』
 岩波ブックレット24,55p. 200 杉並490
◆19880120 『町医者の戦後』
 岩波書店,岩波ブックレット106,62p. 250 ※
◆19881122 『わが生活 わが思想』
 岩波書店,288p. 2000 ※
◆19900220 『私は女性にしか期待しない』
 岩波新書新赤109,202+5p. 550 ※
◆19940826 『母と子への手紙――乳幼児から思春期までの健康相談』
 岩波書店,212p. 1500
 『人間』 岩波書店  
 『君たちの天分を生かそう』,筑摩書房
 『人生ってなんだろ(正・続)』,筑摩書房
 『恋愛なんかやめておけ』,筑摩書房,ちくま少年図書館1
 『一年生の人生相談』,筑摩書房
 『私の教育論』,筑摩書房
 『革命と市民的自由』,筑摩書房,評論シリーズ
 『日本知識人の思想』,筑摩書房,筑摩叢書44
 『京の町かどから』,筑摩書房
 『しごとと人生I・II』,筑摩書房,ちくま少年図書館35・36
 『共同討議 性』,松田編,筑摩書房
 『医学のすすめ』,川上武・松田編,筑摩書房
 『アナーキズム』,松田編,筑摩書房,現代日本思想大系16
 『昭和思想集I』,松田編,筑摩書房,現代日本思想大系35

※19800220 『私の幼児教育論』,筑摩書房,松田道雄の本1,285p. 980
 『教師の天分・子どもの天分』,筑摩書房,松田道雄の本2
※19791220 『新しい家族像を求めて』,筑摩書房,松田道雄の本3,219p. 900 
※19800720 『私の市民感覚』,筑摩書房,松田道雄の本4,283p. 1100 
 『私の戦後史』,筑摩書房,松田道雄の本5
 『人間と医学』,筑摩書房,松田道雄の本6
※19800520 『生きること・死ぬこと』,筑摩書房,松田道雄の本7,261p. 980 
 『生きること・死ぬこと』,筑摩書房,松田道雄の本7
 『革命のなかの人間』,筑摩書房,松田道雄の本8
 『革命家の肖像』,筑摩書房,松田道雄の本9
 『ハーフ・タイム 上』,筑摩書房,松田道雄の本10
 『ハーフ・タイム 下』,筑摩書房,松田道雄の本11
 『私の手帖から』,筑摩書房,松田道雄の本12
 『いいたいこと・いいたかったこと』,筑摩書房,松田道雄の本13
 『花洛小景』,筑摩書房,松田道雄の本14
 1980 『私の読書法』,筑摩書房,松田道雄の本15
 『若き人々へ』,筑摩書房,松田道雄の本16
松田 道雄 20020410 『日常を愛する』,平凡社,329p,ISBN-10: 4582764282ISBN-13: 978-4582764284 , 1365 [amazon]

 
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■cf.

八木晃介 1997/08/31 「松田道雄さんへの疑問」
 『社会臨床雑誌』5-2※:106-111(日本社会臨床学会
 ※:http://yamasr50.edu.ibaraki.ac.jp/novo/syarin/pub/zassi/5-2.html
川本 隆史 1997 「老いと死の倫理――ある小児科医の思索を手がかりに」
 『現代日本文化論9・倫理と道徳』,岩波書店
◆川本 隆史 19980721 「講義の七日間――共生ということ』
 『共に生きる』(岩波新・哲学講義6):001-066
 *以下に言及
  198608  「患者の自己決定権はなぜ必要か」
  『世界』1986-08→松田道雄[19881122:063-086]
  1997   『安楽に死にたい』
  岩波書店

 

■引用(作業途中)

◆1951 「太田典礼さんとはながいつきあいである。太田さんを私にむすびつけたのは、昭和のはじめの無産者医療運動であった。学生だった私は小遣いの一部をカンパする程度のことしかできなかったが、産婦人科の太田さんはその全存在を運動にかけられた。太田さんのりっぱだったのは、運動と医学研究とを結びつけられた点にあった。」(推薦文,1951年1月→1980 『私の読書法』,筑摩書房,松田道雄の本15 p.222)

◆1953 「安楽死と医学」
 『芝蘭』1953-4
 →松田[19800520:26-35](『生きること・死ぬこと』,松田道雄の本7)

 「人間の労働が単なる商品でしかない社会に住みなれた頭脳には考えにくいことかも知れませんが、人間の協同を原理とした社会では、その一生を社会のために働いた人間の晩年の保障は、社会にとってたのしい義務となるでしょう。今の社会で文化勲章をもらった父を養っている裕福な商人が、感じる気持ちを、そういう社会では、すべての若い人間が、整備された老人の家に住む老人たちにたいしてもつでしょう。
 安楽死の対象としてよく引き合いに出される、障害者、精神薄弱者、精神病者たちにも、それぞれに適したサナトリュウムがあるべきです。彼らにも生をたのしませることができるほど、健康な人間の人生は栄光と歓喜とに満ちていなければなりません。
 こういう社会保障の完成を夢ものがたりであるとし、それに何ら努力しようとしない人たちが、社会保障で解決されるべきものを、殺人によって代えようとし、その下手人に医者を呼ぶのです。それは人間の労働の生産性への盲目であり、歴史への不感症であり、人間の社会的連帯への不信であります。安楽死を法制化しようとしたものがナチ政権であったことは、このことを証明しています。(p.34)
 病むことの苦痛を否定するのではありません。しかし、どんな病苦も生きることを断念させるほど大きなものではありません。少なくとも人生は、肉体の苦痛をこえるほど偉大でたのしくあるべきです。」
(松田道雄「安楽死と医学」『芝蘭』1953-4→『生きること・死ぬこと』(松田道雄の本7)p.34-35)

◆196108  「チェーホフと森鴎外」
 『図書』1961-8
 →松田[19800520:36-39](『生きること・死ぬこと』、松田道雄の本7)

 「残された仕事と治療とのどちらを選ぶかという問題である。チェーホフも鴎外も残された仕事をえらんだのである。(p.37)
 ……けれども仕事を選ぶか治療をえらぶかという選択の自由は、医者にしかないのである。
 医学を知らぬ人にたいしては、けっして仕事か治療かという形では問題は出されない。つねに生をえらぶか死をえらぶかという形で選択をせまられる。その場合治療とは生のことであり、死とは仕事のことである。
 ……生物的生命至上主義にたつのは、必ずしも医者の人間的眼力不足ばかりではない。病人の仕事のバランス・シートを病人に正確に示そうとするならば、病人に予想される死期を告げ(p.38)なければならない。これを知らされるのがいやで、鴎外ほどの人間でも医者にかかりたがらないのだから、これを告げることはできない。そのために多くの医者は生物的生命至上主義をかかげて、生か死かという二者択一をつきつけ、自らを生の代理人の如くみせるのである。
 事情がこのようであることを理解したら賢明な病人は、もし残した仕事があるならば、医者のペースにまきこまれることなしに、自らの見識で仕事か治療かをえらぶべきであろう。」(→松田[19800520:37-39])

◆196907

 「生き方について、とやかく人から指図してもらいたくない、自分のことは自分できめるというのを、法律のことばで自己決定権というのだそうです」(「基本的人権と医学」『世界』1969年7月号)

◆196912 「いかに死ぬべきか」
 『週刊アンポ』1969.12→『生きること・死ぬこと』(松田道雄の本7)p.45-67

 「死は個人にとって生きる自由の一部としてどこまでも私事でなければならない。(p.53)」
 「安楽死にしても、心臓移植にしても、それが、死んでいく本人、心臓をやろうという本人の自由意志でなければならぬ。
 自分には不用になった臓器を他人の用に供することに反対するつもりはない。そうしたかったらするがいい。逆に五体そろって焼かれたいという美学に固執したければ固執していい。
 だが、しかめつらしい顔をした先生たちが委員会をつくって、臓器移植法などという法律ができてしまうと、青年が急死したら心臓を提供するのは、当然だという空気がおこりそうだ。
 いまの段階では、心臓の移植はどこまでも実験だ。冒険のすきな人間が、自分のからだを材料にして冒険をしたいというのはいい。だが、それは本人の自由意志であるかぎりにおいてである。」(p.55)
「……人間は、自分の自由意志にもとづいて苦しまずに死ぬ権利をもっていないか。もちろん、もっている。自分の生き方は自分でえらぶべきものだというところから出発したのだから、自分で生命に終止符をうつ権利は誰にだってある。だが問題は、自分の自由意志で死をえらんでいるかどうかだ。…(p.62)…
 非常にひろい意味では、意志の自由というものは存在しないだろう。Aという人間派、Aという人間にあたえられている脳の構造の規則を脱して意志することはできぬ。……
 しかしここでいいたいのは死への衝動についてだけだ。…(p.63)…
 人間は死ぬ自由をもっている。しかし青年が自由意志で死のうと思ったら、その意図の自由さでなく、その背後に死への衝動があるかないかをさぐってみねばならぬ。……
 人生をはじめたばかりの青年の自殺と七十年を生きた人の自殺とは質的にちがう。青年の場合は、(p.64)死の衝動が比較的簡単に治療できる病気の結果であるのにたいして、老人の自殺は生の延長のうえにある。老人の自殺はよりよく生きるためにえらばれる。生きるために死をえらぶというのは逆説的だが、それは人間的生命と生物的生命とが一致しないところからくる。青年の時代には、この二つの生命の解離を感じることはない。そこでは生物的に生きることが、人間的に生きることでもある。
 しかし、ある年齢に達するとこの二つが解離してくる。人間的生命を充実させるためには、生物的生命を犠牲にしなければならない。このときほど自由意志が大事な時はない。自分の生き方は自分できめるのだという原則的なものをもっていないと、他人のペースで生きねばならなくなる。
 他人というのは多くの場合、医者である。……(p.65)」

◆197005  「「人工死」とのたたかい――どこでどうして死ねるやら」
 『科学朝日』1970-5
 →松田[19800520:68-79](『生きること・死ぬこと』、松田道雄の本7)

 「……死は昔の人間にとって生の最後の仕上げのときだ。人生でもっとも荘厳な瞬間だ。この時を昔の人は、自分らしく計画し、自分らしく演出した。
 死が近づくと身辺に肉親をならばせて、ひとりひとりに別れを告げ、後事を託した。死ぬときに子や孫たちを身辺にはべらせるのは、それによって死の虚無の入口から目をそらせうるからだ。自分は死ぬ。しかし、自分の分身であるものは、明日もまた今日のように生きつづけるだろう。自分のからだの一部は、この世にのこって、太陽の光をあびるのだ。その連続の幻想で、断絶の事実をおおうのだ。
 ……
 私はできたら自分の家で死にたい。食欲がのこっていたら、家内は私が何が好きか、こういう場合(p.78)はどれが口にあうとを知っていて、彼女のベストをつくして食事をつくってくれるだろう。
 私はステレオに私の好きなレコードをかけさせる。つかれたとき元気をふるいおたすのにいつもかけたジョン・コルトレーンの「至上の愛」にするか。いやもっとリラックスしたほうがいいからシャンソンにするか。ミレイユ・マチューか、バルバーラがいいかもしれぬ。」

◆1972 「安楽死について」
 『暮しの手帖』1972-4
 →松田[19800520:](『生きること・死ぬこと』、松田道雄の本7)

 「以前に「暮しの手帖」に「晩年について」という文章をのせたことがあります。そのなかで、死ぬときは苦しまずに死にたい、医者も楽に死ねる法を開発してもらいたい、ということをかきました。
 ……
 ところがその後になって気がついてみますと、私は日本における安楽死肯定論者の代表者みたいに思われているのです。
 調節リングの発明者である太田典礼さんが肝煎りになって、安楽死についての参考文献集が出版されましたが、私は肯定論者として登場し、そこに「晩年について」が引用されています。
 それも仕方がないと思っていたのですが、先日京都で日本医事法学会という学会があり、そこに傍聴にいって、安楽死肯定論という立場は容易ならざるものであることを知りました。うっかりすると殺人奨励論者にされる危険もあるということがわかったのです。」
(松田道雄「安楽死について」、『暮しの手帖』1972-4→『生きること・死ぬこと』(松田道雄の本7)p.84)

◆19760403 「死の権利――カレン事件の判決をめぐって」
 『東京新聞』1976-4-3

「もし、こんどの判決があったからといって、人の生命を救うことにだけ努力するという医師の使命を簡単に放棄する医師があらわれたら、世界の医学は恐ろしい堕落の道をすすみはじめるだろう。
 もともと「植物人間」になった患者をどうするかというのは、まだ医学上すべて解決した問題でない。そういう医学上未解決の問題を裁判所にきめてもらうというのは、医師として不思議である。
 問題のニュージャージー州の「植物人間」になっている娘の場合にしても、両親が毎日十四、五万円の治療費を払わないですんでいるのだったら、その両親は病院に早く殺してほしいとたのんだかどうか疑問だ。
 病院の側にしても、さいわいセントクラレス病院は娘を生かしつづけてくれているが、もし、そういうケースは殺していいということになったら、営利だけでうごいている病院なら人工呼吸器をもっともうかる患者につかうために「植物人間」からはずすかもしれない。
 問題は死の権利などよりもっと低次元のところに山積している。」

◆19770112 「老いること死ぬこと」
 『京都新聞』19770112
 →松田[19800520:106-109](『生きること・死ぬこと』、松田道雄の本7)

 「医者の手によって不自然に生きつづけさせられる人間への美的な嫌悪から、人間の尊厳をまもるということではじめられた運動ではあるが、安楽死の法制化は性急な説である。人間の自己決定権に基づいて、医療の拒否からさらに殺人までも要求できるかということであるが、すこし無理のようだ。
 自己決定権というのは、決定しうる能力がある場合に、それを行使してかまわないということだが、医者が患者を死なせまいとするのは、患者の基本的人権を守ることである。基本的人権は人間が人間として存在するかぎり、本人の能力と無関係に本人に帰属する。したがって自己決定権はそれが権利であるとしても、基本的人権よりおよぶ範囲が小さいものと思わねばならない。権利を主張する能力の存在に依存するからである。
 自己決定権を貫こうとすれば、ぶざまでない死を自分に能力の残っている間にもらた法を考え出さねばならぬ。そうなると死を全然考えないでいて、他方で突然に死なせてもらうということではな(p.108)いはずである。
 安楽死法をつくって医者に自殺を手伝わせるというのは、基本的人権の尊重の立場から、生きている人間は生きる権利があるとして患者を死なせまいとする医者の職業的使命の放棄を迫ることである。ぶざまでなく死のうと思えば安楽に自殺するしかない。人の迷惑にならぬ自殺の研究がもっと広まって、医者や心理学者も加わって、どうすれば「安楽」であるかをあきらかにすることが必要だろう。安楽死論者は自己決定権によって論をすすめるならば、自殺クラブの設立に向かうべきだろう。
 いつ自殺するかという時期の選定が論議の的になると思うが、それは生きるということの意義を次第に相対化し、減価していくことが必要だろう。信仰に生きている人が、死を恐れないのは、神の力によって生を相対化し、減価しているからである。
 他力によらないで、だんだんと生の価値を減らしていくことは一種の悟りといえようが、けっして容易なことではなかろう。それは自己を自己によって決定することが容易でないということである。安楽死論者がこの困難の解決を法制化にまかせているのは安易である。」

◆19771018 「死と人間の尊厳」
 『読売新聞』19771018 
 →松田[19800520:109-112](『生きること・死ぬこと』、松田道雄の本7)

 「「植物人間」をかかえた病人にとってこまるのは、「植物人間」の医療によって資材と人材とをとられてしまって、それらの資材と人材があれば救える患者を救えなくすることである。
 生産力の無限の発展を信仰しないかぎり、地球経済の観点が早晩おもにでてくるにちがいない。有効な資源を有効につかわねばならないという思想である。この思想は、どの人間を生かしておくのが、地球にとって有効かというところまですすみ、人間に順位をつけて差別にいたる傾向をはらんでいる。
 また現在の社会が生産技術の高度化から管理体制の強化にむかってすすんでいることもみとめねばならない。管理と人間差別は全体主義にむかう。
 こういう状況のなかで、医者が「植物人間」を合法的に殺すということをやれば、医者の社会的地位が一定の高みにある現在、「無用なものは殺せ」という風潮をよびおこすだろう。いったん、そういう風潮がおこったならば、いまおこなわれている障害者の福祉はその精神的支柱を失うだろう。人間は人間であるかぎり尊重されなければならないということで、身を粉にして障害者の福祉施設に何万という人がはたらいている。また、その人権尊重によって何百万という障害者は胸をはって今日生きている。
 医者は医者であるかぎり人の生命を保存するということを職業的義務にしておくことが、たとえ地球の資源消滅をはやめても今日の人間の生き方を人間らしくするものである。(p.112)」

◆197906  「自己決定権」

 「いまの医者のなかには、患者の自己決定権を全然みとめない人がいる。いくつかある治療のなかで、患者にとってどれがいいかを患者の身になって考える医者が少ない。
 保険点数をあげるために不必要な「治療」をし、研究のために治療と無関係な「検査」をする医者が絶えない。
 こういう医者に、重症の患者の死期を決めさせ、医者の欲するときに生命を絶たせることに、私は危惧を感じる。
 それは患者の自己決定権という名で、医者が臓器移植に都合のいい時期に重症者をころす決定権を行使させることになる。」
(「安楽死法制化を阻止する会」1997906→『生きること・死ぬこと』(松田道雄の本7)p.125)

◆197909 「」

◆197912 「自己決定権について――われわれの相違」
 『世界』1979-12
 →松田[19800520:141-144](『生きること・死ぬこと』、松田道雄の本7)

◆198608  「患者の自己決定権はなぜ必要か」
 『世界』1986-08→松田道雄[19881122:063-086]

 「プライバシーのために選択する権利を自己決定権、あるいはオートノミーというようですが、では、自己決定権の基礎は何か、何によって自己決定権は基礎づけられているかという問題が生じてきます。法的にいえばそれは憲法とかコモンローとかによって基礎づけられているでしょう。
 倫理学的には自己決定権はカントのいう実践理性のオートノミー、カテゴリカル・インペラティブ(定言的命令)によって基礎づけられていると考えたほうがいいと私は思うのです。」(松田道雄[19881122:074])
 「米国や英国には議会制があって人民の代表がベスト・インタレストを選ぶとされている。しかし、二〇世紀後半になってこの考えがやはり変わってきた。変わってきた理由は、ベトナム戦争が米国に与えたショックだろうと思うのです。米国がベトナムのベスト・インタレストだと思って力で押しつけようとしたことが、ベトナム人のインタレストと衝突して、結局ベトナムに席を譲らなければならなかった。そのことが米国の知的世界を反省させた。議会制によってつくられた一般意志も人民の一人びとりに自由、平等、幸福を与えるものではない。だから強者が弱者にインタレストを配給するのでなくて、弱者が個人としての自分のベスト・インタレストを選ぶべきだ。その選択は誤るかもしれないが、たとえ誤っても強者のパターナリズムが押しつけてくるものは拒否するという思想が起こってきたと思うのです。
 ベトナム戦争の終わりごろから、米国のなかでは強者に対する弱者の反抗、弱者の権利を守るという運動が広く起こってきた。黒人の運動、ウーマンリブ、障害者の権利運動、アメリカインデ(p.76)ィアンの復権があった。消費者運動、それから精神病院の患者の権利の復活要求、そういうものの一環として患者の自己決定権を尊重するインフォームド・コンセント(医者が患者の治療の内容を説明し、納得させたうえで承諾をえること)の主張が起こり、医者を強者とし、患者を弱者とする考えが起こってきたのだと私は思います。その運動は、従来の反抗運動のように街頭デモでなくて法廷が行なわれたということが一つの特徴ではないかと考えます。
 こうした歴史的現実から、カントの言ったカテゴリカル・インペラティブに、経験的内容をいまはじめて与えることができるようになったと解したらどうか。カント自身も『人倫の形而上学への基礎づけ』のなかで、通俗概念への下降は純粋理性の原理への上昇が達成されたあとであればきわめてほめるべきことだと言っていますが、そういう時代がきたと思うのです。」(松田道雄[19881122:076-077])

◆198612  「市民的自由としての生死の選択――老人問題のコペルニクス的展開」
 シリーズ『老いの発見』3、岩波書店→松田道雄[19881122:087-107]
 →松田[19970424:99-132]

 「老人問題は、人はいかに生きるべきかを自分だけの責任とした時におこる。だが日本に生きた人間の不幸は、自分の生き方を自分できめることが、ながくできなかったことだ。日本人には人間は個人であるより先に臣民であった。」(松田[198612→19970424:104])

 「…「老人医療」や「社会福祉」の客体でしかなかった老人が社会にかわったとき、あらゆる市民的権利がそうあるように、あたらしい責任が老人にかかってくることを忘れてはならない。
 自己決定権を主張して老人の今を生きていっても、「老人性疾患」は早晩、自己決定そのものをあやうくする。
 ……(p.128)
 自己決定権の主体である自己そのものの変質をみせられて、ある人たちは、回復の見込みのない病気で、死がさけられない状態になったら、医師に延命だけの措置をやめさせようとした。自己決定が十分にできる段階で「生者の意志」(Living Will)をかいて、医師に延命措置を中断してもらうようにし、それをやった医師を違法としないため特別な法律(「安楽死法」または「自然死法」または「尊厳死法」)をつくる運動をはじめた。米国のいくつかの州では実際に数年前特別な法をつくった。」(松田[198612→19970424:128-129])

 「生がそうあるように、死も主体的にしかきめられないものなのだ。人間として生きることも死ぬこともひとしく自己決定権にぞくする。その質を問わずに尊重されるものが人権であるかぎり、社会には個人の生命の質をきめる資格はない。ただ個人だけが自分の生命の歴史をふまえて将来の生命の質を評価しうる。」(松田[198612→19970424:131])

 「患者の自己決定権が日常の医療でみとめられ、他人が死をえらぶことに寛容であるように法の改正がされ、夜に床に入るように気楽に苦しまずに(できれば楽しい夢をみて)生を終る薬が開発されたとしても、実際にはすべての市民が自分にとって自然な、尊厳をたもった、安楽な死をえらぶとは思えない。
 自ら生を断つことを敗北として恥じることも、最後の瞬間まで生ののぞみをすてないことも、自己決定権にぞくし、そのどれをえらぶかも市民の自由であるからだ。
 「近代的自我」は文学だけの問題でない。ある時点で死をえらぶ決断をせまられることのあ市民の厳粛な選択をふくむものである。」(松田[198612→19970424:132])

◆19900220 『私は女性にしか期待しない』
 岩波新書新赤109、202+5p. 550 ※

 「日本に住む私たちは、おくればせながら、敗戦のおかげで自我が確立されて、自分の生き方を自分で選んでいいことになりました。
 けれども、デモクラシーの根本の、人間平等が行きわたっていないので、人生の最後ページを、自分の思うように閉じられないでいます。
 ……(p.48)……
 オランダの医者がトップを切って、もう治療をやめて楽に死なせてほしいという患者の意志を尊重することにしました。オランダの医者のきめた指針は次の通り。
 ……
 患者に意志決定の能力があるかないか、それを誰がきめるかが問題だと、カナダの医者は批判しています。
 日本では安楽死は、医者と患者との問題としては、まだ未熟です。医者は患者を平等の人間とみなさないで、治療について詳しい説明をしません。患者のほうで、治療をつづけるか、拒否するかを、きめようがありません。安楽死を法をできめるより、患者の人間復権が先です。」(松田[19900220:48-49])

◆199701・02「高齢者介護の問題点」(インタヴュー、聞き手:岩波書店・犬塚信一)
 『図書』1997-1・1997-2→松田[1997:63-97]

 「高齢障害の人間の終末観(終末感)は多種多様です。人間であるがゆえにそうなのです。これを単なる生物として脳幹の死まで一律に終末期治療をおこなうのは、人間の尊厳を傷つけるものです。余命が苦痛(心のいたみを含めて)ばかりとなったら、形骸と化した生命を、(p.82)自分の意思で消去することも自由な個人の幸福の追求です。形骸の始末を自分でやる力も手段もないときは、麻薬をもっている医者にたのむのも、やむをえないことです。」(pp.82-83)
  川本[1998:43]に引用

◆19970424 『安楽に死にたい』
 岩波書店

◇はじめに

 「この本でいう安楽死は重い障害のある方の生死とは関係ありません」(松田[19970424:2])

・「安楽に死にたい」は万人の願い

・日本人の祖先は安楽に死んだ

・安楽死ということば

・安楽「死」の二つの道

 「…老衰が進んでくると、生命が惜しくなくなるのです。苦しみ通すよりも、おだやかな方法なら、死んでもいいという風にかわってくるのです。これは若い人にはわからないでしょう。
 医者は自殺を鬱病の症状と決めていますから、「安楽死」に患者の道があるということに思い至りません。」(松田[19970424:15])

・なぜいま「安楽死」か

 「日本の一般の人が、死にぎわのすさまじい情景をみて、もっと静かに私事として(病院の行事としてでなく)死にたいと思うことが多くなると、それを一部の新聞がとりあげて「安楽死」や終末の医療について、かきたてるようになりました。一般の人が「安楽死」を考えるのも、そういう記事をもとにしてです。
 だが私は、そういう記事が不正確なのに腹をたてています。私たちが問題にしているのは年をとって、絶望的な状態になった時の延命です。その時の気持は年をとって弱ってきた人間でないとわかりません。ところが新聞に記事を書いている人は、大抵三十歳代の健康な人で、年をとった親の死病を介抱したことのない人です。
 医者に同調して延命至上主義の立場に立ちます。」(松田[19970424:17])

・「安楽死」の合法化

 「日本で安楽死を法律で許すときは、世界に先がけて患者主導の幇助自殺をみとめたいです。西洋とちがって、日本では自殺は悪でないという伝統があるからです。」(松田[19970424:21])

・絶食による「干死(ひじに)」

・老人による老人のための圧力団体を

・植物状態

 「…本人がまだはっきりしている時に、植物状態になったらむりに命をのばさないでほしいとか、ひどくボケたら死なせてほしいとかいう意志をはっきり証文にかかせておこうという動きがアメリカにおこりました。そういう証文が有効だということにしようと、いくつかの州で自然死法とか尊厳死法とかいう法律をつくりました(一九七七年)。
 日本でもそれに賛成の人が、安楽死協会という会をつくりました。私はその会が法律学者や医者が主になっていて、一般市民の立場にたっていないと思って、急に法律をつくることに反対しました。また安楽死法という名は、いかにも法律ができたら誰でも楽に死ねると思う老人がでてくるのを恐れま(p.29)した。」(松田[19970424:29-30])

・介護と医療はちがう

・ケアつきマンション、ケアぬきマンション

・有料老人ホームのいろいろ

・老衰人間の言い分

 

◆199711 「故・松田道雄先生「ゑい夫人、お別れ式のお言葉」」
・花の家のHPより
http://www.inochinohana.net/

http://www.inochinohana.net/g_home3.htm

……以下……

故・松田道雄先生「ゑい夫人、お別れ式のお言葉」

  まず、こういう形でおゑいさんを送る機会をつくってくださった宮田さんに感謝します。私が「最高齢になったら、もう医者にかかるよりは、心のこもった介護を受ける方がいいんだ、もう医者はごめんだ」ということを本に書いて出しました。
  そしたら、それと同じ、治療よりもケアのほうを主にしてお年寄りを送ろうというお考えの宮田さんに出会った。口では治療から介護へと簡単に言いますが、なかなか介護をやっていくことは難しいことです。そこを、よくやってらっしゃることを、ここへ来て分かりました。介護する人と介護される人とが、人間的に結びつき、お互いに、この人は信用できる、という感情を両方が持ってないといけない。ご飯を食べさせている時に、まず「ご飯をあがりますか?」と聞いて、本人が「食べる」と言ったら食べさせる。だんだんそれが欲しくなくなるのですよね。それから「食べましょうか?」「食べましょうね」「さあ、食べましょう」と幾つもの段階を経て、本人の意思を聞いて、本人の意思を尊重するということ。
  難しく言うと自己決定権ですけれども、それを守ると言うことが、やっぱり本人と結び付いていないとできない。だから、介護で、一番大切なことは、やはりお互いに信じ合っていることだと思うんです。
  妻がだんだん食欲がなくなって来て「アイスクリームが食べたい」と言えば、わざわざ買いに行ってくださって、ご飯が食べられないとゼリー状にしたものを作ってくださった。
  そういうことは、医者では出来ない。病院の看護婦も出来ない。介護するプロでないと、そういう心のつながりと介護というものは出来ないということを私はわかりました。
(中略)
  皆さん、ありがとう。そして、おゑいさん、さようなら。

@ 1998年10月16日発行 「幸運な医者」(岩波書店)
A 1999年3月18日発行 「私は高齢介護請け負い人」(岩波書店)

  1997年11月5日に、ターミナル(終末期)のケアを続けさせていただいておりました松田ゑい様がご永眠されました。ご家族の身内だけで宗教色のない葬儀を、というご希望を受けて、当協会のコーディネイトでしめやかにお別れの式を執り行いました。
ここに掲載のお言葉は、お別れの式で御夫君の松田道雄先生より頂きましたお言葉を抜粋したものです。松田道雄先生も1998年6月1日にご永眠されました。ここに改めて、松田ゑい様(享年93歳)と松田道雄先生(享年89歳)のご冥福をお祈りいたします。

故・松田道雄(小児科医)
著書:「育児の百科」「結核」「日本知識人の思想」「わたしは赤ちゃん」「わたしは2歳」「母親のための人生論」「安楽に死にたい」他 多数。

……以上……

 
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■言及・追悼

◆『京都新聞』1998-06-03より

故松田道雄氏
 在野の医学者「育児の百科」
 松田道雄氏 死去
 在野の医学者で、評論家の松田道雄(まつだ・みちお)氏が一日午前一時五十分、急性心筋梗塞のため京都市中京区夷川通小川東入ルの自宅で死去した。八十九歳。茨城県出身。二日に家族や近所の人たちだけで密葬したという。喪主は長男の道弘(みちひろ)氏。

 一九〇八(明治四十一)年、茨城県水海道町生まれ。父親の京都大医学部勤務にともなって、生後半年で京都に移住した。京都一中、三高から三一(昭和七)年京都大医学部卒。京都府衛生課に勤務し、結核予防事業に従事。戦後から六七年まで京都市内で小児科医院を開業。その後は文筆に専念し、自由人として暮らしの回りを見つめるなかで医療・育児から社会問題や思想に及ぶ膨大な著作を残した。戦前の「結核」(四二年刊)に始まる著作活動は九七年、満八十八歳のとき出した「安楽に死にたい」が最後になった。また、京都の町への愛着をつづった随筆も多く、七五年には自伝的回想「花洛」を本紙に連載している。
 この間、六〇年代初めにベストセラーとなった「私は赤ちゃん」「私は二歳」はじめ「私の幼児教育論」「育児の百科」など一連の育児書は、急激な都市化と核家族化に直面した新世代の親たちにとって“懇切な相談相手”になった。中でも「育児の百科」は六七年発刊いらい毎年改訂を続けており、そのために最近まで外国の週刊誌を含め毎月三十冊の医学雑誌に目を通していた。
 一方、評論面では、あくまで町中に住む実学者の立場から、「日本知識人の思想」「革命と市民的自由」「ロシアの革命」などを書いた。その根幹は市民の基本的人権を尊重する立場を明らかにする表明で、その後の市民運動に一つの拠りどころを与えた。
 四九年「赤ん坊の科学」で毎日出版文化賞、六三年「君たちの天分をいかそう」で児童福祉文化賞。医学博士。

「市民派学者を貫く」
 「私は赤ちゃん」などベストセラーの育児書から思想、社会問題に及ぶ幅広い著作で知られる小児科医で評論家の松田道雄さんが亡くなった。晩年には、高齢者医療や介護の現状にも警鐘を鳴らし続けた松田さんは、「安楽に死にたい」との著作を一年ほど前に発表し、自説通りの最期だったという。「権力や権威を嫌う市民派の学者だった」―京都などに住む友人たちの間に、ありし日の誠実で気さくな人柄をしのんで、深い悲しみが広がった。
 遺族の話によると、最近は足腰が弱っていて、五月初めに自宅で転倒したあとは床についていた。しかし、意識は確かで、亡くなる前日の朝もライフワークにしている「育児の百科」の改訂資料にする欧米の医学雑誌に目を通していた。
 日頃から儀式ばったことを嫌う人柄だったため、通夜はせず、祭壇も設けなかった。友人や出版関係者にも知らせず、二日午後の密葬には、近親者約二十人と近所の人だけが参加、小雨の中、故人を見送ったという。
 松田さんと深い親交のあった哲学者の鶴見俊輔さんは、報道関係者からその死を電話で知らされ、瞬間、「えっ」と大きな声をあげたまま、しばらく言葉を失った。その後、「最近、岩波の『図書』に書かれた現代詩を拝読し、強い感銘を受けた。現代詩という形態ながら、二千年前に書かれた漢詩のような素晴らしさで、思いをはがきにしたため、けさ(二日)投函したばかりだったのに…」と、突然の死に強い衝撃を受けた様子。「松田さんは、市民的学者としてまず最初に思い浮かぶ方。個人的なつきあいは三十年ほどだが、松田さんの読者としては五十年にはなる。戦中戦後、一貫して市井の立場を貫いた、偉大な、最も尊敬する方だった」と語り、「もう、これ以上は話せない」と電話を切った。
 京都大人文科学研究所時代に一緒に研究に取り組んだ杉本秀太郎国際日本文化研究センター名誉教授は「松田さんの京都に関するエッセーには教わるところが多かった。事の理非曲直をよくわきまえ、医者として誠実で守るべきことを生涯守り通された人だった」と、その死去を惜しんだ。
 ベ平連時代などに交友のあった小田実氏は「社会主義思想、左翼運動全盛の時代に、情況に流されることなく自由な発想を貫いた人物。ベ平連の時代は、すでに高齢だったこともあり、街頭に出るよりも思想家としての活躍が大きかった。反権力意識が強く、当時その存在は非常に重かった。氏の自宅をうかがったこと、医師として診察してもらったこともあるが、個人としてというよりも、時代を共有し公につきあった『同志』という思いの方が、より強い」と、その死去を悼んでいた。
 医師として五十年来交際し、主治医だった早川一光さん(74)は「亡くなる寸前まで頭脳明せきで、医療の近代化などについて思いを語っておられた。患者の立場に立った医の心、医の道を説かれた医師として尊敬すべき先輩だった。患者との心のふれあいを大切にし、『患者には生きる権利があるとともに死ぬ権利もある。患者が延命治療を拒めば医師は延命治療をすべきでない』と常々言っておられた。」と話していた。」

山田 真 1998/06/14 「楽しくなる子育ての話」(講演),主催:山田真さんを囲む会実行委員会 共催:京都ダウン症児を育てる親の会・誕生日ありがとう運動京都友の会・岩倉やさいの会おもちゃライブラリー・山科たんたんおもちゃライブラリー・ぽろろん,於:京都 →『京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報』1998年8月号,10月号 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/angle-3/Aug98-13.htmlhttp://web.kyoto-inet.or.jp/people/angle-3/Oct98-10.html

 「先々週の水曜日でしたか、松田道雄さんが亡くなられまして、新聞社からいっせいにコメントや原稿の依頼がその日のうちに来ました。こういう時には新聞社がコメントを依頼するのに順番がありまして、一番が毛利さんで、次が私で、その時に毛利さんは海外旅行中だったので私の所へ集中して電話があったようです。京都新聞からも原稿の依頼が来まして、京都新聞から話があるのはめったにないことです。あらためて思ったのは、松田さんがお書きになった「育児の百科」というのは多くの読者に読まれたと思うのですが、それぞれのお母さん達の中には膨大な数の松田さんがいるだろうし、松田さんのようにたくさんのお母さん達と対話をなさった小児科医はないだろうということです。つい2〜3年前に大阪のお母さんから私の所に電話がありまして、「私は子どもの時にずっと松田さんに診てもらっていて、大人になって母親になっても何かあると松田さんの所に電話をして教えてもらっていたのだけれど、今回電話をしたら、自分も医者をやめて長いし、新しい事もわからなくなったので、山田さんにでも聞いてみたら…」と言われたのでこちらへ電話をしたという話でした。本当に亡くなられるまで、ずっとお父さん達やお母さん達に電話や手紙で相談をしてらしたと思います。
 そういう人なのですが、小児科医の中では評判が悪いのです。毛利さんも評判が悪いし、私も評判が悪いと思います。東京であるお母さんが子どものかかりつけのお医者さんの所へ行って、その医師の言う事が納得いかなかったので「毛利さんの本にこんな事が書いてあります」と言ったら、「あんな頭のおかしいやつの意見を信じるような親はもう診ない」と怒られたという話です。頭のおかしい医者ということになっているようです。だから小児科医などは松田さんの本を読んでいないと思いますし、松田さんの言った事は小児科医の中には広がっていないというのは非常に残念なことだと思います。
 松田さんのされた仕事を毛利さんが継いで、私なんかがバトンタッチして、みなさんにお伝えしていこうと思っているのですが、松田さんはいつもお母さんの味方でした。日本では多くの小児科医はお母さんやお父さんの味方ではなく子どもの味方だというのです。小児科なのだから子どもの味方でいいのでしょうが、実際は子どもが育っていく上で、幼児期は子ども自身はそんなに悩んだりしていませから、もっぱらお母さんやお父さんが悩んでいるのですから、お母さんやお父さんを励ましてあげた方がいいのですよ。ところが小児科医は子どもの味方だって言います。実際は子どもの味方にもなっていないのですけれど。本当に子どもの味方だったら、水イボのようなくだらないものをむしり取るようなおそろしい事をするはずがないです。」(山田[1998])

◆立岩 真也 2001/07/25 「死の決定について・4――松田道雄のこと」(医療と社会ブックガイド・7)  『看護教育』42-7(2001-7):548-549(医学書院)

大谷 いづみ 2006/01/05 「「市民的自由」としての死の選択――松田道雄の「死の自己決定」論」,『思想』981(2006-1):101-

◆稲場 雅紀・山田 真・立岩 真也 2008/11/** 『流儀』,生活書院

◆立岩 真也・有馬 斉 2012/10/31 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院,241p. ISBN-10: 4865000003 ISBN-13: 978-4865000009 [amazon][kinokuniya] ※ et. et-2012.


REV:20030219,20041020 20050331 20080119 0902 20090818, 20120921, 1223, 20151008
安楽死  ◇自己決定  ◇病者障害者運動史研究  ◇WHO 
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