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「反精神医学」

精神障害・精神医療精神医学医療批判・改革


■■

◆立岩 真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.
『造反有理――精神医療現代史へ』表紙
◆立岩 真也/天田 城介(聞き手) 2011/03/** 「……」(インタビュー),『生存学』3 文献表

◆立岩 真也 2009/10/30 「「反」はどこに行ったのか」『環』39(Autumm 2009):(特集・「医」とは何か)

阿部 あかね 2009/09/26-27 「1970年代日本の精神医療改革運動に与えた「反精神医学」の影響」障害学会第6回大会・報告要旨 於:立命館大学

■■人(これから掲載・リンク)

Cooper, David
Laing, Ronald David

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◆Laing, Ronald David 1960,1969 The Divided Self : An Existential Study in Sanity and Madness Tavistock=19710930 阪本健二・志貴春彦・笠原嘉訳,『ひき裂かれた自己』,みすず書房,304p. ASIN: B000JA223Y 1500 [amazon]→ISBN-10:4622023423 ISBN-13: 978-4622023425  2940 [amazon] m.

 「分裂病という状態など存在しはしないのです。分裂病というレッテルを貼られることは一つの社会的事実であり、この社会的事実とは一つの政治的出来事です。社会における市民的秩序の中でおこっているこの出来事は、レッテルを貼られた人間の上に一定の定義と結論を押しつけます。分裂病というレッテルを貼られた人間は、他者の監督下に、それも法律的に是認され、医学的に権能を与えられ、道義的に義務付けられた他者の監督下におかれます。こうした一連の社会的行為を正当化しているのは社会の指令なのです。レッテルを貼られた人間は家族、家庭医、ソーシャルワーカー、そうしてしばしば仲間の患者たちも加わっての一致した連携的共謀行為によって、患者として人生の道程を歩みはじめさせられるのです。」(Laing([1960,1969=1971:★])


■[1972]

◆台 弘(臺 弘) 19720415  『精神医学の思想――医療の方法を求めて』 ,筑摩書房,筑摩総合大学,274p. ASIN: B000JA0T3E 900 [amazon] ※ m.

 あとがき
 「この本は東大紛争の経過を通じて、特にまた長期間にわたって続けられている精神科医内部の意見の対立の背景のもとに書かれた。精神医療における個人と社会、精神の健康と病気、治療や研究における精神主義と生物主義などの諸問題が、どれも造反は結びついて激しく揺れ動いた。私はこの本を読者のために書きながら、同時にたえず自分自身のために書いている思いがした。
 本書の内容からおわかりのように、私は揺れ動く対立的意見の中ではっきりと折衷主義的な立場をとる。私のいう折衷とは、どちらも結構ですというようなあいまいな態度ではない。対立的意見を越えて、精神医学はまず科学でなければならないことを主張しながら、れが患者のために生かされることを求めるのである。精神医学と医療は一筋縄では取り組めぬ相手である。いや、一筋縄であってはならないのだ。私は、精神主義をふりかざす相手には生物主義を、個人至上主義を主張する相手には社会を説き、生物主義をふりかざす相手には精神主義を、社会優先を説く相手には個人の尊重を主張せずにいられない。また、精神医学と精神医療のかかえている問題は、精神科医がひとりで引受けることなど出来るものではない。医療・保健・福祉の当事者はもちろん、社会全体で取組まなければ到底解決出来ないことである。」(臺[1972:263])

◇立岩 真也 20080701- 「身体の現代」,『みすず』50-7(2008-7 no.562):32-41から連載 資料

 「☆01 以下は『精神医学の思想――医療の方法を求めて』(臺[1972])のあとがきの冒頭。
 「この本は東大紛争の経過を通じて、特にまた長期間にわたって続けられている精神科医内部の意見の対立の背景のもとに書かれた。精神医療における個人と社会、精神の健康と病気、治療や研究における精神主義と生物主義などの諸問題が、どれも造反は結びついて激しく揺れ動いた。私はこの本を読者のために書きながら、同時にたえず自分自身のために書いている思いがした。
 本書の内容からおわかりのように、私は揺れ動く対立的意見の中ではっきりと折衷主義的な立場をとる。私のいう折衷とは、どちらも結構ですというようなあいまいな態度ではない。対立的意見を越えて、精神医学はまず科学でなければならないことを主張しながら、れが患者のために生かされることを求めるのである。精神医学と医療は一筋縄では取り組めぬ相手である。いや、一筋縄であってはならないのだ。私は、精神主義をふりかざす相手には生物主義を、個人至上主義を主張する相手には社会を説き、生物主義をふりかざす相手には精神主義を、社会優先を説く相手には個人の尊重を主張せずにいられない。また、精神医学と精神医療のかかえている問題は、精神科医がひとりで引受けることなど出来るものではない。医療・保健・福祉の当事者はもちろん、社会全体で取組まなければ到底解決出来ないことである。」(臺[1972:263])
 そのとおりであると、まったく他意なく、その言葉――次の注の引用で、小澤勲も同様のことを言う――を受け入れながら、なお、どんなことが考えられるか、言えるかである。
 臺弘は東京大学医学部での闘争(紛争)のすこし前からそれ以降、そこに教授として勤めていた人で、前回すこし取り上げもした青年医師連合(青医連)等から「人体実験」の告発を受けた人でもある。その告発に対する全面的な反論は、自伝である臺[1993]にある。
 東大青医連と括られる人たちが大学闘争(紛争)後も「占拠」を続けたいわゆる「赤レンガ病棟」を巡る争いの大部分がたいへんに消耗なものであったことをそのとおりに認めてなお、どんなことが言えるのか。占拠した側の人の書き物として富田[2000]がある。また、この占拠を告発する書籍としてサンケイ新聞社会部東大取材班[1978]。また、数々の「封印作品」をとりあげる安藤[2004]で、手塚治虫の連載『ブラックジャック』中で「ロボトミー」の語が現われる回を批判した動きが取材され記録されている。その中に、石川清、富田三樹生も登場する。「東京大学精神医学教室一二〇年」編集委員会編[2007]には、そこに関係した様々の人の文章が寄せられているが、その中には臺の文章もあり、富田の文章もある。」

■[1974]

◆「トロツキストの『反精神医学』と妄動」,『前衛』

◆小澤 勲 19740501 『反精神医学への道標』
,めるくまーる社,312p. ASIN: B000J9VTS4 1300 ※ [amazon] ※ m.

◆鈴木純一,1974,「反精神医学運動――英国で私が経験したこと」『病院』33(10):88-91

 反精神医学発祥の地ともいえるイギリスの状況を体験してきた鈴木は、日本とイギリスの差に違和感を覚えたことを述べている。日本の状況は「反体制運動の一部としての反精神医学の場」(鈴木 1974)と、社会運動と精神医療改革が連動していることのみならず、その精神医療改革運動がすなわち「反精神医学運動」ととらえられていることを指摘する。ついで「むしろ反精神医学運動のメッカはイギリスではなく、アメリカやドイツでもなく、日本である」(鈴木 1974)

 「入口付近のロビーでは"告発"文書、ビラなどが売られ、または無料で配布され、久し振りの学会参加であった私にとっては、一種異様な雰囲気でした。また地下の書籍展示場には、Cooperの『反精神医学』の翻訳書が山のように積まれ、私の見ている前で数冊が売れてゆきました。」(鈴木[1974:88])
 鈴木は反精神医学の本場ともいえるイギリスの状況を体験し、反精神医学運動の日本とイギリスとの違い様に驚くのだが、そのことについては後述する。しかし、鈴木はこの学会において、 「精神科医であることに罪悪感を抱えているような演者の告白」や、「文献の紹介展望以外にはまったく主観的・感情的な精神外科の否定に終止している」発表… 「何かの力動的な理由でうつ的な状態に陥っている」(鈴木[1974:88])

◆Cooper, David 1967 Psychiatry and Anti- Psychiatry=1974 岩崎学術出版社→19810820 野口 昌也・橋本 雅雄 訳,『反精神医学』,岩崎学術出版社,208p. ASIN:B000JA19X8 [amazon] m.

◆Mannoni, Maud 1970 Le psychiatre, son « fou » et la psychanalyse,Editions du Seuil=19741210 松本 雅彦 訳,『反−精神医学と精神分析』,人文書院,309p. ASIN: B000JA19ZG \2900 [amazon][kinokuniya] ※ m01a

■[1975]

◆小澤 勲 19750325 『呪縛と陥穽――精神科医の現認報告』,田畑書店,201p. 1100 ASIN: B000J9VTT8 [amazon] ※ m.

 「精神病質概念が、その本質において価値的、階級的、政治的概念である(このことは疑いもなく真実である!)が故に医学的概念ではないという論法をもってすれば、たとえば精神分裂病概念もまた医学的概念ではないのである。問題は医学的概念であるか、ないかではなく、事実、医学的概念として用いられている諸概念が医学の名のもとにいかに機能しているかということなのである。」(小澤[1975:134])

 「昭和五〇年の精神神経学会総会は「戦後日本の精神医学・医療の再検討」と題しながら、「精神分裂病とは何か」というテーマにほぼ半日分の日程をさくことになっている。だが、「精神分裂病とは何か」という問いは、過去の代表的な問い方である。そして、このような問い方こそ、解答のすべてを誤らせたものであったと、今、われわれははっきりと宣言しよう。われわれの問はこうでなければならない。「誰がいかなる都合で精神分裂病というレッテルを必要としたのか。[…]
 なぜにかかる非論理が論理としてコンセンサスを得るにいたるのであろうか。それは、上の文脈を逆にたどればよいのだろう。つまり、まず「ある一群の人間を人間以下の生物に転落させる必要性」が「社会的要請」として存在し、「必要性」を「必然性」にすりかえるために「生物学的過程」が要請され、かかる要請を基盤にその要請を証明するべく、ある一群の人間にスティグマが「発見」されるという手順である。[…]
 それゆえに、われわれが報告で明らかにしたかったのは精神障害者の心的力動などではなく、四人の精神障害者の生き様を書くことによって、われわれも含めて彼らを精神障害者をみ、病院にとじこめていくものの眼であり、都合である。」(小澤[1975:163])

 (クーパーの家族病理説に対して)「今の社会のなかで、ありもしない「正常家族」を基準として、「分裂病者」の家族を病理集団として裁断してみせたところで致し方ないではないか。生物学主義者にとって「遺伝」の占めていた位置に「家族」を置いてみたところで、われわれの問いは決して前進しないのだ。」(小澤[1975:166])

 「さて、伝統的「治療」理念に対してわれわれが示すテーゼはこうだ。精神医学によって「病」「症状」と名づけられる まさにその瞬間に噴出する自己表現を圧殺し、押え込むことなく、あくまで、かけがえのない自らのホンネを抱え込みつつ、なおかつ現実と切り結ぶ地点において、常に弁証法的に展開していく、情念と行動の方法論を獲得していくこと、これ以外に適応論の系譜と、狂気の物神化論とをともにこえる道は決して見出し得ないのである。」(小澤[1975:186])

 「私は精神病者が病を「内」にもつものとして、いっさいの歴史的、社会的状況を抜きに、いっさいの関係性から離れて存在する生物学的異人種として規定されていることに異議申し立てをしているのである。」(小澤[1975:199])

◆1975/05/12・13・14 東京で第72回日本精神神経学会総会
 シンポジウム「『精神分裂病』とは何か」 クーパーとサズの来日講演

 まず、東京医科歯科大の島薗安雄が精神分裂病の生物学的研究の歴史経過を、東京精神医学総合研究所の荻野恒一が病理学・精神分析学的立場からの現状を述べた後、サズが「Schizophrenia:The Sacred Symbol of Psychiatry(精神分裂病:精神医学の神聖なる象徴」、クーパーが「What is Schizophrenia?(精神分裂病とは何か?)」と題してそれぞれ講演している。
 サズは、ここでも従来からの主張を繰り返す。要約すると1点目は、精神分裂病の症状といわれている現象があることは認めるが、精神分裂病なるものは存在しない。なぜなら、精神分裂病の診断は「行動上の諸症状」を基礎に行っているものであり、はっきりした細胞上の病理などを示されていないからである。精神分裂病とは絶対的・科学的な研究の結果ではなく倫理的・政治的な判断によって生じたものである。すなわち発見されたものではなく、社会的に構成され考えだされたものであるとする。症状はあるが病因は不明のまま作為的な病名だけが与えられているとする従来の反精神医学の主張である。2点目に、サズはこのような精神分裂病が社会的なものであるという前提にたち、患者の市民権や法的権利において人権侵害がなされていることにふれる。3点目としては、医学一般と精神医学を対比し、医師と患者関係について述べている。自由な資本主義社会において、精神医学の需要と供給、すなわち検査や診断、治療といったものは当事者である医師か患者のどちらかが拒否すれば成立しないはずである。しかし、「伝統的な医学においては、医師は患者の代理行為者であるが、伝統的な精神医学においては医師は社会の代理行為者」であるという現実上、医師によって患者が精神分裂病の診断名を冠されてしまうことにより、患者はどのように危険なのかも明確でないまま危険視され、患者の意思に反しても施設に監禁することが精神医学にも必要で法的にも正当化されていること、また患者はその診断や診断過程、診断によって正当化された治療を拒否することができず、そのような同意を得ないままの診断や治療が行われていることは暴行に等しいという(精神神経学会 1976:308 )。そうしたうえで、分裂病の問題を解決するのは「医学的な研究であるよりも、むしろ分裂病患者の行動を哲学的・道徳的・法律的な観点から再検討するということである。」と展望する。つまり、「悩むことと病気の相違、個人的な(誤った)行動と病態生理学的な機能障害との相違、治療と規制を加えることの相違を明らかにしたうえで、精神科医は患者に対して何を行うのか」という問題の方向性を指し示したといえる。
 次にクーパーであるが、クーパーもサズと同様「精神分裂病など存在しない」と前置きしたうえで講演を始めている。クーパーは自身の理論の出発点である"家族"研究についてふれている。要約すると「精神分裂病は一人個人の内部で生起するものではなく、複数の人間の間で生起する」ものであり、その「複数の人間の間」に値するのが家族である。レインやエスターソンの家族研究も引き合いに出しつつ、精神分裂病を多くは家族内部において「他者によって無価値化され、彼は選りぬかれ、一定のやり方で『精神的に病的』と決められるに至る」というのだが、クーパーにとっての家族はマクロな社会につながるミクロ社会ととらえている。ゆえに、クーパーは"家族"とは「ブルジョア社会の疎外的な服従・順応主義体制を、単に媒介するもの」とし、そのミクロ社会として家族を名指している。

 その後、新海安彦(信州大)、小田晋(独協医大)、千谷七郎(東京女子医大)、木村敏(名古屋市大)、土井健郎(東大)、小川信男(相模原友愛病院)、融道男(東京医科歯科大)の基調発言に続いて討論が行われた。議論自体は確固たる問題提起がされたり、サズやくーパーらと込み合った議論がなされたわけでもなくまとまりに欠けた感がある。しかし、そこに集った医師たち共通の問題意識は、特に患者の拘禁状態――27万人精神病院への収容、社会からの排除――にあったといえる。「明らかに現実の医療、象徴的に27万人の入院患者、そしてそこへ27万人の入院患者を必要とする社会の中で、私ども精神科医が分裂病という名を使って、何を行っているのかということを問うこと(中山)」、「27万人の入院患者がなぜ、いま拘禁されるような状態になっているのかということから、基本的に考えます(小澤)」「現在、精神医療全体の状況が拘禁と一言で言われるような、きわめて深刻な状況の中にある。しかも、その深刻な拘禁という状況を医学的に、あるいは精神医学的に合理化しているのが[…]精神分裂病概念が果たしている(森山)」など患者の拘禁をいかにすれば開放に向かえるのか、社会が排除した精神病者27万人を抱えたこの社会とはいかなる社会なのか、分裂病概念なるものを欲している社会の仕組みに対して精神医療が何をできるのかという、問いが発せられた。臨床医たちにとっての日々相手である精神病院に入院している患者。その日常の問題への具体的な回答となるもの、方法や方向性が指し示されたわけではなかった。

◆富田 三樹生 19920630 『精神病院の底流』,青弓社,307p. ISBN-10: 4787230549 ISBN-13: 978-4787230546 [amazon][kinokuniya] ※

 「一九七五年、クーパーがサズとともに精神神経学会のシンポジウムに招かれて来日したことがある。その時、クーパーが赤レンガ(東大精神科病棟)を訪れた。談話室で入院患者と話をしている時、ここではクロールプロマジンやハロペリドールを使っているのか、と質問した。使っている、と私たちが答えた時、彼はいかにも不満そうな表情と身振りをしてみせたことがある。クーパーのような反精神医学の実践者にとって向精神薬が人間の内的自由の化学的抑圧物として忌避されたとしても不思議はない。クーパーにとって、くすりの全面否認は医師として患者との関係を結ぶこと、従って医師の専門性によって収入を得るのを拒否することと結びついている。さらに私的所有と不可分な家族を形成することとも矛盾することになる。なぜなら、病者は彼の友人であるがゆえに、その友人が異性であるならば(同性でもかまないわけだが)自由に性的に交わり、また自由になれることもできなければならない。理の必然として、医師として社会的に要請される患者の「医療」や「保護」の義務も彼のうちには存在しないはずである。従って、彼はそのような関係を共同で志向するコミュニティを形成しようとするであろう。いうならば、彼は精神医学から「非宗教的」に出家したのである。もちろん精神医学はくすりの他に強制収容やその他の身体治療という武器をもっている。しかし、現在薬物の全面否認はこのように精神医学的諸関係のみならず、それを要請する社会的諸関係の全面的転換を前提としないでは考えることはできない。それは精神医学の問題をはるかに超えている。六〇年代から七〇年代の反精神医学的潮流は精神医学が世界的に広く深く、社会的な抑圧の制度としての矛盾をあらわにしていたことのとらえかえしであった。そのような問題提起は依然として有効性をもっている。
 しかし、精神医学は社会的な中間戦略であるにすぎない。精神医学が独自に社会をかえることができるわけではない。具体的な精神医療の現場では個人の自由と社会的要請が単に相反するのではない。両義的二律背反によってせめぎ合っている。」(冨田[1992:305])

◇富田 三樹生 20070331 「自主管理闘争の私的回顧」,「東京大学精神医学教室120年」編集委員会編[2007:]*
*「東京大学精神医学教室120年」編集委員会 編 20070331 『東京大学精神医学教室120年』,新興医学出版社,286p. ISBN-10: 4880026611 ISBN-13: 978-4880026619 6825 [amazon][kinokuniya] ※ m.
 「当時、反精神医学という潮流が伝統的な精神医学に対するアンチテーゼとして世界で注目を集めており、その旗手の一人と目されるクーパーが75年の精神神経学会のシンポジウムに呼ばれ、赤レンガにも立ち寄りました。このエピソードは別(「反精神医学とくすり」『精神病院の底流』に記しました。」(富田[2007:★])

◇星和書店『こころのマガジン』vol40 2006 http://www.seiwa-pb.co.jp/htmlmail/40.html
 「この領域で中心となるのは日本精神神経学会という学術団体ですが、そのころは、この学会があると、患者さんの団体が押し寄せてきて、先生方を詰問したり、全共闘といわれていたグループの間での派閥争いがあったりで、とても学問を話し合うというような状況ではありませんでした。今ではあまり聞きなれない言葉である反精神医学という言葉が流行語ともなりました。レインとかサスとかクーパーなど、外国の精神科医が、精神病は社会が作った病気だ、という内容の本を書き、それが訳されて、よく売れていました。Anti―Psychiatryの著者のクーパー先生が、来日して、学会で講演をするというので、私も聴講にいきました。ところが、登場したクーパー先生は、すっかり酔っ払っていて、ごろごろ横になってしまって、とても講演をするという状態ではありませんでした。
 このような状況でしたので、いくつかの小規模な研究会が新たに作られてきました。 精神療法や精神病理に関心のある先生方が集まって、研究会を作ったり、という感じで、沢山の集まりができ、どれもがとても熱気に満ち、活況を呈していました。」

 クーパーはその後都立松沢病院、東大赤レンガ病棟を訪問している。赤レンガ病棟を案内した富田は「談話室で入院患者と話をしている時、ここではクロールプロマジンやハロペリドールを使っているのか、と質問した。使っている、と私達が答えた時、彼はいかにも不満そうな表情を身振りをしてみせたことがある」(富田 1992)とのエピソードをのせている。クーパーがかつて実践したVILLA21 も東大赤レンガ病棟もともに従来の精神病院や医療の在り方を否定したうえで新しい方法を模索する集団であった。富田は「クーパーのような反精神医学の実践者にとって、くすりの全面否認は医師として患者との関係を結ぶこと、従って医師の専門性によって収入を得るのを拒否することと結びついている」(富田 1992)と説明する。
 また、東京からの帰りに関西にも立ち寄り、京都岩倉病院でも講演を行なっている。20〜30程度の聴衆が集まったという。この講演を聞いた崔医師の印象は
 「ここで、講義したりとか、精神医学会の講演とか聞いたりしたけど、そんな感銘は受けてないね。…そこまでいうたらそうかもしれんなというくらいで。それよりロボトミーされた人本人が告発に精神神経医学会に来て、ロボトミー受けたご本人がきて・・・「許せない」と言ってるほうが僕らにはよっぽど迫力があって…。クーパーさんの(理論)は面白いなと思ったけど・・・。自分にはこう、すぐにつながらなくて・・・。」

 ちなみに、クーパー氏が東京の学会シンポジウムでも酩酊状態であったとされているが(http://www.seiwa-pb.co.jp/htmlmail/40.html#top)京都の岩倉病院講演でも同様であったという。

◆Szasz, Thomas S. 1970 Ideology and Insanity=19750816 石井毅・広田伊蘇夫訳,『狂気の思想――人間性を剥奪する精神医学』,新泉社,300p. ASIN: B000JA1LPO  [amazon] m.

◇広田 伊蘇夫 197606 「トーマス・S・サズの反精神医学――その反科学思想」,『臨床精神医学』5-6

◆Laing, Ronald David 1961,1969 Self and Others, Tavistock=19750925 志賀春彦・笠原嘉訳,『自己と他者』,みすず書房,236p. 2266 m

Foucault, Michel 1961 Histoire de la folie a l'age classique Plon →1972 (増補版)=1975 田村俶訳,『狂気の歴史――古典主義時代における』,新潮社 ※ m

Foucault, Michel 1973 Moi,Pierre Riviere ayant egorge ma mere,ma souer et mon frere... Un Cas de Parricid3e au XIX siecle, Editions Gallimard/Julliard,Paris=19750926 岸田 秀・久米 博 訳,『ピエール・リヴィエールの犯罪――狂気と理性』,河出書房新社,291p. 2000

◆新井 清 1975 「H.Eyの精神医学的立場――H.Eyとの対話を通して感じたこと」,『精神医学』17-2

1952、Daumezonらによって「院内精神療法」が提唱される。
このころよりSivadon,Diatikine,Lebovici,Racamierらによって病院精神医療の現実に精神分析的知見を応用してみる企てがおこる。→パリ13区の地域精神医学的実験が始まった。
このような動きの中で「精神医学の危機」が問題化。→「フランスの構造論的立場とイギリスの実存主義的立場の対決」(by Mannoni)の場となり、Laing,Cooperらの反精神医学導入のきっかけをつくった。

「精神医学の危機」は@古典的疾病分類、A旧来の精神病院制度という2点に焦点があわされる。
(1)13区のような地域精神医学的方向の開拓
(2)Mannoniを先頭とした精神分析的方向づけ
(3)Laing,Cooperらの家族研究・実存主義的反省という学説面
(4)Gentisらの精神医療体系の告発、過激な政治イデオロギー運動
の順序で論議が巻き起こった。
立場(つまり器質論を指す)は精神疾患に心的という質的規定を拒否し、他方、心理・社会学的立場(つまり心因論)は病気をいう規定を斥け、いづれも精神医学にとって受け入れがたいものなのです(by Ey)

◆笠原 嘉 1975 「書評:『反精神医学』D.クーパー著」,『精神医学』17-6
 →Cooper, David 1967 Psychiatry and Anti- Psychiatry=1974 岩崎学術出版社→19810820 野口 昌也・橋本 雅雄 訳,『反精神医学』,岩崎学術出版社,208p. ASIN:B000JA19X8 [amazon] m.

◆片岡 啓治 1975 「書評 『制度としての医療の変革をめざす』」,『朝日ジャーナル』17-44

 「いわゆる五月闘争の衝撃をうけとめ、レイン、クーパーらの活動をふまえて、幾つものすぐれた理論的仕事が生まれた。
すでにフランスでは、伝統の自己革新ということを体現するかのようにして、自らの文明の形成した隔離医療制度をその文明の<理性>そのものの名において否定するM・フーコーの、根源的という意味でラジカルな仕事がすすめられていた。
 そして、政治的激動の一つの波がひとまず過ぎたところで、問いは多岐に分かれ、あるいはより鋭く政治化される一方で、またひとまずの内省へとむかった。M・マノーニの『反ー精神医学と精神分析』はそうした内省の現状をしめしている。」

■[1976]

◆笠原 嘉,1976,「レインの反精神医学について」『臨床精神医学』5(5), 675-682.

 「反精神医学とは、一言でいえば、伝統的正統的主流的精神医学の狂気観に対する根本的な異議申し立てである。つまり伝統的精神医学が19世紀以来身体医学の枠組みや概念をそのまま踏襲し、『狂気と正気』の問題を純医学的立場から考察し、狂気イコール疾患とみなしつづけてきたとしての異議申し立てである」(笠原[1976:★])

 「条件さえととのえば、狂気(分裂病)とは、よりのぞましい仕方で正気へと帰還してくる「はずの一つの内面的「旅路」である、との考え方。キングスレィホールでのメアリーバーンズの症例が有名。メアリーは混迷状態にあり、栄養状態が懸念された。周囲の人々は、これ以上の彼女の衰弱を防ぐために輸液を開始するか、それとも彼女に胎児的退行からの再生という旅路を自力で完遂させるべくひたすら見守るか、を話し合い結局後者を選ぶ。回復したメアリーは彼女の内面を理解し、かつ時熟を待ってくれた適切な処置に感謝した。」(笠原[1976:67])

 「反精神医学登場の背景について笠原(1976)は、レインら精神分析の領域が「早くから分析的理性の限界に直面し、直観的な全体認識のための方法論について真剣に模索しなければならなった」ことと、「純精神医学内部の問題で、向精神薬の出現による治療上の進歩が一段落し、向精神薬の出現によって一時生じた幻想に対し反動的に失望の生じだした時期にこれがあたる」(笠原[1976:★])ことをあげている。」

◆松本 雅彦 197606 「マノーニの反精神医学」,『臨床精神医学』5-6

 セイロン生まれ。幼児期以後はベルギーにうつり、ブリュッセルで犯罪学を学ぶ。ニッセン(ブリュッセル)およびドラール(アンヴェール)の指導下で精神医学を学ぶ。フランソワーズ・ドルトのもとで自動分析家になるための研修をおこなう。ドルトの外来治療につき、自動精神分析に関する特異な教育の恩恵に浴す。ラカンの教育を通して、自分の体験を理論化する方向に進む。

 「我々は、マノーニの軌跡をたどりながら、精神分析家が施設=制度にぶちあたり、さかのぼってその施設=制度を支えてきた精神医学知識、そしてそれらを必要とする集合的言語表現(集団心性)にぶちあたるのをみてきた。それはすべて、病者の病状の陰にひそむ隠された真実の露呈を阻むものであった。精神分析がそれら妨害物をあばきだす。その意味でマノーニの主張は、反精神医学的であるといっていいだろう。」(松本[1976:689])

◆野口 昌也 197606 「クーパーの反精神医学――"The Grammer of Living"(1974)より"」,『臨床精神医学』5-6:691-697
 →Cooper, David 1967 Psychiatry and Anti- Psychiatry=1974 岩崎学術出版社→19810820 野口 昌也・橋本 雅雄 訳,『反精神医学』,岩崎学術出版社,208p. ASIN:B000JA19X8 [amazon] m.

◆秋元 波留夫 19760531 『精神医学と反精神医学』,金剛出版,371p. ASIN: B000J9WA3M 13567〜 [amazon] ※

2 反精神医学の系譜
 第1章 反精神医学の系譜
 第2章 反精神医学批判
 第3章 良心の囚人とソ連の“反精神医学”
3 精神科医療への提言
 第1章 “学会決議”への疑義
 第2章 東大精神科の“病棟自主管理”とは何か 
 補遺 再び“病棟自主管理”について

 「★引用」

◆広田 伊蘇夫 197606 「トーマス・S・サズの反精神医学――その反科学思想」,『臨床精神医学』5-6
→Szasz, Thomas S. 1970 Ideology and Insanity=19750816 石井毅・広田伊蘇夫訳,『狂気の思想――人間性を剥奪する精神医学』,新泉社,300p. ASIN: B000JA1LPO  [amazon] m.

■[1979]

◆Scheff, Thomas J. 1966 Being Mentally Ill: Sociological Theory Aldine=19790320 市川 孝一・真田 孝昭 訳,『狂気の烙印――精神病の社会学』,誠信書房,228p. ASIN: B000J8I85M 2000 [amazon] ※ m.

Illich, Ivan 1975 Medical Nemesis:The Expropriation of Health,Marion Boyars→1976 Limits to Medicine:Medical Nemesis:The Expropriation Of Health,with Calder & Boyars Ltd. London
=19790130 金子 嗣郎 訳 『脱病院化社会――医療の限界』,晶文社,325p. ASIN: B000J8JFJU [amazon] ※

 「医学的認識論は、この危機的な健康の解決にとって、医学的生物学とか医学工学よりもはるかに重要である。このような認識論は診断と治療の論理的位置と社会的本性を明らかにしなければならないだろう。とくにまず第一に、精神の病気に対立するものとしての身体の病気についてである。すべての病気は社会的に創造された現実である。それが意味するものと、それがひきおこす反応は一つの歴史をもっている。この歴史を研究するならば、われわれの生育環境を支配していた医学的イデオロギーに、どれほどわれわれが囚われているかが理解できるようになるだろう。
 多くの著者は、精神的異常を「病気」として位置させることを非難しようと試みてきた。[p131>逆説的であるが、彼らは病気一般に関する同様の質問をすることをより困難にしてしまってきた。(略)彼らはみな論点を明らかにするために、「非現実」の精神病を「現実」の身体病と対比させるのである。彼らの意見によれば、現在医師によって研究されているすべての状態に適用されている自然科学の言語は、実際のところ身体病にのみ適している。(略)こうしたことは精神病には適用されないのであって、精神病の「病気」としての地位はまったく精神医学的判断にかかっている。(略)
 この反精神医学の姿勢は、精神的異常の病気としての性格を否定することで身体病の非政治的地位を合法化しているのであるが、西欧においては少数者である。(略)[p132>」

◆1979/09 『全国「精神病」者集団ニュース(連絡会議報告)』1979年9月

 「大地の会
 六月から三回にわたって「精神医療」(患者にとって精神医療とは何か)をもとに小冊子を作り、討論をもちました。しかし、たたき台の中心になったのが、モード・マノーニ著「反・精神医学と精神分析」であったので、難解すぎた為、三回の議論で終わってしまいました。九月の定例会(第一日曜日)に三人が集まり、患者会に集まる人をもっと増やす為に、相互の患者同士の意思疎通を充分にやっていきたいと話し合いました。また、年二回の機関誌「大地の声」(仮案)を発行することを決めました。なんとか、分散している関東の患者が集まり話し合えるように大地の会も頑張っていきたい。」

■[1983]

◆吉田 おさみ 19831201 『「精神障害者」の解放と連帯』,新泉社,246p. 1500 ISBN-10: 4787783157 ISBN-13: 978-4787783158 href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4787783157/ryospage03-22">[amazon]/[kinokuniya][boople] ※ m.
cf.立岩 2002/12/25 「サバイバーの本の続き・2」(医療と社会ブックガイド・22),『看護教育』43-12(2002-12):1076-1077(医学書院)

 「いささか図式的ですが、従来の正統精神医学の構成的要素として次の三つが考えられます。
 1)狂気の患者帰属。
 2)ネガティブな狂気観。
 3)狂気の原因論としての身体因説(あるいは性格因説)。
 これに対するものとしていわゆる反精神医学の構成的要素としては次の三つがあげられます。
 1)狂気の成立機制としてのラベリング論。
 2)狂気のポジティブな評価。
 3)原因論としての社会要因説(あるいは環境要因説)。(p.104)
 [略]
 以上のように正統精神医学の構成的要素のうち、まず3)に、その後に1)2)に異義申し立てがなされたのですが、注意しなければならないのは、先に述べた通り、原因論の前提には(身体因説、社会因説を問わず)「精神病」を患者に帰属する「病」と捉えるネガティブな狂気観があることです。したがって、いわゆる反精神医学は正統精神医学の反措定として成立したが故に、そこにはさまざまな契機がごちゃまぜに混入されていますが、そもそもラベリング論・狂気の肯定と社会因説は論理的に両立し得ないのです。何故なら、原因論それ自体が、いかにして「精神病」をなくするかという目的的実践的要請から出発しているのであり、社会因説を含めた原因論は正統精神医学の1)2)の構成的契機(狂気の患者帰属と狂気の否定)を前提しているのであって、反精神医学の1)2)の構成的契機を是認すれば、原因論を論じることじたいがおかしいことになるからです。(p.106)」

◇立岩 真也 2003/01/01 「生存の争い――医療の現代史のために・9」,『現代思想』31-01(2003-01):

 「適度な距離にある無知と歪曲
 だから大切なことは争われていることの中にある。しかしそれを知らない。紆余曲折や内部での争いや矛盾を知ること。かろうじてフェミニズムが、その自らの中での争いの跡を残し留め、その上で議論を続けていると言えるかもしれない。それは例えば、公害反対、環境保護、地球環境問題と言葉を変えもしてきたきた運動においてはどうだろうか。すくなくともここで述べている領野については、なにもないわけではなくにしても、まだどうしようもなく少ない。[…]
 例えば「反精神医学」というものがあって、それは精神病は社会が貼った単なるラベルであるとして病の存在自体を認めなかった立場である、あるいはその病の原因として生理的な水準を否定しその原因として社会だけを名指した立場である、そして医療をすべて拒否した立場である、ということになっている。だがそんなことはない。例えば先にもその文章を引用した吉田おさみが、彼は論理明晰な精神障害者だったのだが、「従来の正統精神医学の構成的要素」として、1)狂気の患者帰属、2)ネガティブな狂気観、3)狂気の原因論としての身体因説(あるいは性格因説)、「いわゆる反精神医学の構成的要素」として、1)狂気の成立機制としてのラベリング論、2)狂気のポジティブな評価、3)原因論としての社会要因説(あるいは環境要因説)をあげて(吉田[1983:104])次のように言う。
 「正統精神医学の構成的要素のうち、まず3)に、その後に1)2)に異義申し立てがなされたのですが、注意しなければならないのは[…]原因論の前提には(身体因説、社会因説を問わず)「精神病」を患者に帰属する「病」と捉えるネガティブな狂気観があることです。したがって、いわゆる反精神医学は正統精神医学の反措定として成立したが故に、そこにはさまざまな契機がごちゃまぜに混入されていますが、そもそもラベリング論・狂気の肯定と社会因説は論理的に両立し得ないのです。何故なら、原因論それ自体が、いかにして「精神病」をなくするかという目的的実践的要請から出発しているのであり、社会因説を含めた原因論は正統精神医学の1)2)の構成的契機(狂気の患者帰属と狂気の否定)を前提しているのであって、反精神医学の1)2)の構成的契機を是認すれば、原因論を論じることじたいがおかしいことになるからです。」(吉田[1983:106])
 私なら少し違うように言いたいところはある。例えば狂気を肯定しなくてはならないわけではないだろう、病気は病気だと言えばよいのかもしれないと思う。この時期にこのように言われたことと、このごろのもう少し力の抜けた構えと違うところはあるように、しかし同時に、そう大きく違うことだろうかと、違うと言ってしまうのも乱暴だろうか、そんなことを考える☆06。だがともかくはっきりしていることは、吉田が「原因」が一番の問題ではないのだと明言していることだ。だから、反精神医学が、というより当時の精神医療に対する批判が、社会因説をとり、それはその後の「医学の進歩」によって間違っていたことがわかったから命脈を断たれたのだという話は間違っている。この文章の第二回・第三回で原因、原因の帰属先について検討した☆07。個人にもっぱら注目することを批判し社会の側を問題にする医療者の側からの動きがあったことを述べた。それは良心的な行ないなのではあるが、その意味、妥当性はよく検討されるべきであること、その理由を述べた。次に、家族、当人の側から、いやそれはただの病気なのだと言われたことについて、その意味について考えた。それを考えるときにも、批判が実際にどのようなものであったのかを知っておく必要はある。忘却されている、あるいは忘却したことになっているのだが、知ろうとすれば、そう大昔のことではないのだから、知ることはできる。」

◇立岩 真也 2002/12/25「サバイバーの本の続き・2」(医療と社会ブックガイド・22),『看護教育』43-12(2002-12):1076-1077(医学書院)

 「まずこれを買ってくださいとはなかなか言いづらい本ではあるが、言ってしまってもよいかなとも思う。
 一つには資料的な意味があって、70年代から80年代初めの(ごく一部の)精神障害の人たちの動きについて書かれている。もっと詳しい方がありがたいが、他により詳しく書いた本がそうあるわけでもなく、貴重な資料の一つではある。
 文章そのものも時代がかっている。「患者大衆の運動への結集」などと書かれると、そういえば昔こういうのってあったと思う人と、ただ漢字が多く使い方が妙だなと思う人と両方いるのかもしれない。たしかに時代の本ではある。それにも、今はこんな言い方はしないというのと、今ではこの主張はそれなりに一般的なものになってしまったというのと2つある。非常に稀な人だと思うが吉田の本を読んでいる精神科医(のすくなくとも資格はもっている人)がいて、その人が吉田おさみってすごい過激な奴だと思っていたけど、読み直したらすごい普通なことを書いていると思ったと、こないだ言っていた。それもそうだなと思う。
 同時に、私はひさしぶりに読んで、この人はきちんと考えているではないかと、あらためて思った。これは一人のまっとうな思想家・思想者の本でもある。
 精神病であることについて。「むしろ人間は単に能動的・主体的な存在でなく受動的・受苦的存在であり、ティピカルな「精神病」者は受動的・受苦的存在としての人間なのです」といった箇所は拙著『弱くある自由へ』(青土社)の「1970年」という章でも引いたことがある。これは、障害者も健常者と同じなんだ(同じになるんだ)という捉え方と異なる捉え方であり、できる/できないでいえば、「できない(と思われていた)人もできる(ようになる)」と言うのでなく「できないものはできない」と言う。この構えはとても重要だと思う。「障害学」について紹介するときにまた触れようと思う。
 さらに『臨床心理学研究』に掲載された文章には、「問題は誰がなおしたいかということです。身体病の場合は主として本人がなおしたいのであり、精神病の場合は主として社会がなおしたいのです」という文がある(小沢の本のp.89に引用)。極端と思われるかもしれず、たしかに極端だが、しかしことの本質を捉えていると言わざるをえない。
 ただそれでも本人が苦しいこともある。では治療をどう考えるのか、薬はどうか。医療も、薬も、カウンセラーもいらない、という一本気な主張にもなるし、苦しければ使えばいいさという話にもなる。また本人にはいらないかもしれない医療がなぜあるのか、という問いも続く。
 さらに鋭いのは例えば病因論についての言及。「反精神医学」として括られる批判は、身体生理的な要因論の否定、社会要因論の主張と捉えられた上で、それは科学的に否定されているからもはや命脈が尽きたとされるのが今は一般的だ。しかし吉田は、近代精神医学・医療/その批判という対立の中には、たしかに原因をどこに求めるかという対立が含まれており、生理/社会という対があるのだが、この原因論における対立は、またその対の一方の社会要因論をとることは、批判の核心でありえないこと、むしろそれは問題を逸らせてしまうことを『解放と連帯』の中ではっきりと述べている。
 こうして吉田はとても基本的なところから厳しく考えていく。ただそれは、その本人に即せば、そのまま下がっていけばよいのだと、「降りる生き方」を認めようという呼びかけでもある。楽であろうとするために、どうして楽できないのかを問うのだ。吉田が生きていたら、これはどういうことかと反問したいところもある。読めば考えてしまう。いつも過去を振り返らなければならないのではない。しかし知らないともったいないこともある。」

■[1985]

◆秋元 波留夫 19850523 『迷彩の道標――評伝/日本の精神医療』,NOVA出版,290p. ISBN-10: 4930914191 ISBN-13: 978-4930914194 \2940 [amazon][kinokuniya] ※ m. ut1968.(増補)

 「昭和四十四年は東大安田講堂占拠事件が発火点となって大学紛争の火の手が全国に広がった年である。東大精神科ではこの年九月、精神科医師連合のなかの一部の者によって病棟及び研究室が占拠され、教授が教授室から追いだされてにげだすという醜態が演ぜられる始末であった。分裂病は神話である、などという馬鹿馬鹿しい幻想にとり憑かれた連中は精神疾患の生物学的研究を敵視して、攻撃を加えた。」(秋元[1985])

■[1990]

◆秋元 波留夫・上田 敏 19900815 『精神を病むということ』,医学書院,326p. ISBN-10: 4260117505 ISBN-13: 978-4260117500 \4725 [amazon][kinokuniya] ※

第6章 精神疾患の治療
向精神薬の登場/戦後の分裂病治療/抗うつ薬の開発/抗うつ薬の開発/抗躁薬の開発/抗不安薬の開発/精神分析の位置づけ/反精神医学の系譜/家族と精神医学/

 「★」(引用)

■[1993]

◆台 弘(臺 弘) 19931127 『誰が風を見たか――ある精神科医の生涯』,星和書店,335p. ISBN-10: 4791102622 ISBN-13: 978-4791102624 [amazon][kinokuniya] ※ m.

第1部 誰が風を見たか
  11.東京大学と学園紛争
     (1)東大への転任
     (2)教授と研修医の専門医
     (3)大学紛争と学会の混乱
     (4)精神化紛争の反精神医学
第2部 激動の社会の中で分裂病にまなぶ
  VII.「人体実験」問題

 「イギリスでは、福祉国家の理念が早くから行き渡っていたので、国民保険サービス(NHS)の傘の下に精神病者の脱施設化と地域医療が進んでおり、治療共同体の試みもなされていた。そこで、反精神医学の主張も現実的な提案になるなら、それを受け止めるだけのゆとりがあった。
 イタリアでは、バザーリアの急進的な提案は政治を巻き込んで、精神病院廃止を立法させるに至ったが、地域医療の背景の整わない多くの地域では混乱が生じたという。他方、トリエステのように立派な範例も作られている。
 ドイツ・フランス・スカンジナヴィアなどの国々では、精神科医療の社会化が一段と進んだ形で、衝撃を吸収したようである。
 アメリカの広い国柄ではいろいろの反応があったようだが、元々精神分析の影響が強かった土地柄だけに、反精神医学には揺るがされず、逆に全体として生物学的精神医学に大きく傾くという反作用の方が強く現れた。
 日本では、時代遅れの精神衛生体制の下に、私立精神病院中心で経営上に患者を商品化することを免れなかったから、精神病院スキャンダルが頻発し、反精神医学は精神科医療の脆弱性、反医療性を直撃することができた。」(台[1993:212])

 「学生の授業再開に伴う病棟実習を二学期から始めることになって準備を始めたところ、ストの続行を唱えている精医連は、自派から離脱した教室員を診療中にも拘らず暴力的に病室から排除して「自主管理」なるものを始めた。[…]  「自主管理」された病棟には患者が入院していることは、それまでの占拠、封鎖とは全く違った条件である。「精医連」は医師たちは自分たちだけが正しい治療を行うことのできる者であると僭称して、反対派とみなす者が病棟と研究室、検査室に入ることを暴力的に拒否した。さらに許しがたいのは、攻撃に対して患者を盾に使うことができたことである。しかもそれらの施設は大学の公的な建物であって、私物化するのは犯罪的な行為である。しかしそこにはストレスに対して過敏さをもつ傷つきやすい患者たちがいる以上、外から圧力をかけたり、警察力を呼び込んで開放するわけにはいかない。私はゆっくり構えて自主管理派が自滅するのを待つしかないと考えた。[…]  私が「自主管理」は自滅するはずだと考えたのは、封鎖と管理の精神はもともと精神障害者の治療と両立しないからである。」(台[1993:216])  →東大病院精神神経科病棟(通称赤レンガ)占拠・自主管理

■[1999]

◆塚本 千秋 19991220 『明るい反精神医学』,日本評論社,215p. 1785 [amazon][kinokuniya] ※ m.
cf.立岩 真也 2004/03/25 「『精神疾患はつくられる――DSM診断の罠』」(医療と社会ブックガイド・36),『看護教育』45-03:228-229

■[2000]

◆富田 三樹生 20000130 『東大病院精神科病棟の30年――宇都宮病院事件・精神衛生法改正・処遇困難者専門病棟問題』,青弓社,295p. ISBN-10: 4787231685 ISBN-13: 978-4787231680 3000 [amazon][kinokuniya] ※ m.

■[2001]

◆淵 文明 20010420 『反精神医学の狂風の中で――岐阜大医学部“人体実験”告発の真相を抉る』,帰徳書房,154p. ISBN-10:4434008110 ISBN-13:978-4434008115 \1260 [amazon][kinokuniya] ※ m m01a

■[2002]

◆秋元 波留夫 20020228 『実践 精神医学講義』,日本文化科学社,1044p. ISBN-10: 4821073153 ISBN-13: 978-4821073153 14700 [amazon][kinokuniya] ※

 「歴史はくりかえすという言葉があるが、19世紀初頭ドイツ語圏精神医学で吹き荒れた精神論と身体静の激しい抗争・とくに精神論者の身体論者に対する攻撃の再現が1960年代の、精神障害は社会的抑圧の産物であると主張する「反精神医学 antipsychiatry」の生物精神医学に対する攻撃であった。イギリス、アメリカなど欧米の反精神医学が言論上の攻撃であったのに対して、わが国の大学紛争に触発された反精神医学は問答無用の暴力的攻撃であった。この暴力に屈して、わが国の大学の精神医学教室のなかに精神障害の治療や成因に関する神経科学的研究を一切放棄するところもあらわれるという始末であった。
 わが国の精神医学が反精神医学の暴力に操帝(×)されて、研究能力を喪失した1970年代から1980年代にかけて、いち早く反精神医学を克服した欧米の精神医学は、分子生物学、形態的・機能的脳画像法、神経心理学などの脳研究の画期的な進歩をとりいれ、精神障害、とくに分裂病を脳の障害として見る根拠を提供する実証的研究にとりくむようになり、多くの成果が挙げられている。アメリカの女性精神科医ナンシイC.アンドレアセンNancy C.Andreasen(1984)の次の言葉はこのような状況を端的に物語っている。」p.179

◆立岩 真也 2002/04/01 「生存の争い――医療の現代史のために・2」,『現代思想』30-05(2002-04):41-56 ※ 資料

「☆08 例えば、様々のことがそれなりの分量をもって書かれており、先にふれたロボトミーや電気ショックの歴史も扱われていてそれなりに勉強になる精神医学の歴史の本でショーターが反精神医学に割いているのは約5頁なのだが(Shorter[1997=2000:325-330])、そこではフーコー、サス、ゴフマン、シェフ、レインと、ベン・キージーの『カッコーの巣の上で』がまとめていっしょにされ、過去のものとされる。必ずしも病因論として括っているわけではないのだが、それにしてもずいぶんな情報の圧縮である。では日本ではどうだったか。私はこの時期以降の精神医療の言説の歴史についてほとんど何も知らず、またそれを追った研究があるかないかも知らないのだが、例えば「反精神医学」の語が表題に使われる小澤[1974]を読んでみても、そこにほとんど病因論は出てこない。別のことが書かれている。」(立岩[2002])
 →原因/帰属

◆立岩 真也 2002/10/25「『べてるの家の「非」援助論』・2」(医療と社会ブックガイド・20),『看護教育』43-09(2002-10):782-783(医学書院)

 「かつて「反精神医学」と呼ばれるものがあり(乱暴にもゴッフマンがその中に入れられることもある)、「主流」に批判され尽くされ消えたとされる。それは社会に病の原因を見出し、普通の意味での医療を否定し、社会の変革を主張したとされる。やり玉にあがる人たちの書いたものにそう読める部分もあり、狭い意味での「原因」についてなら脳の中に病気を見る主流派の方が当たっているのかもしれない。しかし、病の人の暮らしは症状を抱えて困ったりすることの全体であり、それを病気と呼ぶかどうかはともかく、その全部を人は生きる。その困難に社会が関わっているのはたしかなことであり、関わり方が変わるときに、現われる症状が変わり、あるいは変わらなくとも楽になることはある。その応じ方を治療と言うかどうか。そこに関わるのは医療者だけではありえないのだし、言えないし、言わない方がよいだろう。ただこのような広い意味では、やはり社会は原因でもあり、対処のあり方も社会にある。だから、この意味では、あるいはこの意味に解すれば、批判派は正しいのかもしれない。とすると今までの批判で何が言われたのか、もう一度振り返ってみたい。そんなことも思ってしまう。(「原因論」については青土社『現代思想』4&6月号「生存の争い――医療の現代史のために」2&3で少し書いたのでよろしかったらどうぞ。)とはいえべてるの当人たちはなにか勉強したわけではない。薬も医者も使うものは適当に使いながら、そんなものでは到底どうにもならないところで生きているのだ。」

■[2003]

◆木村 敏 2003 「京大精神科百周年を迎えて」,京都大学精神医学教室編[2003:1] *京都大学精神医学教室 編 20031225 『精神医学京都学派の100年』,ナカニシヤ出版,121p. 3150 ISBN-10: 4888488347 ISBN-13: 978-4888488341 [amazon][kinokuniya] ※ m.

 「そのひとつは、初代の今村新吉教授がはっきりと示された哲学的精神病理学の方向である。ベルグソンとジャネを高く評価された今村先生の精神病理学は、その後3代目の村上仁教授によって継承され、私たちに伝えられることになった。それとともに今村先生の遺産として特筆しておかねばならないのは、「精神分離症」(現在の統合失調症)を人間の社会的本能の障害として捉えるという考え方である。これは、同じこの疾患をもっぱら脳の器質的病変に還元しようとしてきた古典的体制的な精神医学に対抗して、これを社会的存在である人間の本質に深く根ざした病態として理解し、その後の人間学的・現象学的な精神病理学を明確に先取りした卓見である。この方向をも継承された村上先生は、ミンコフスキー、ビンスヴァンガ−、ボスなどの現象学的あるいは現存在分析的な方向にいち早く注目され、京大精神科を日本における人間学派の中心として形成されることになった。一九六九以降、京大精神科が「反精神医学」的な異議申し立ての中心的存在となったことも、これと無関係ではないはずである。」(木村[2003:1])

天田城介, 20030228, 『〈老い衰えゆくこと〉の社会学』多賀出版.

 第3章1節1項「「脱施設化」再考――ホスピタリズムからの脱却」
 「こうした「脱施設化」をより一層推進する上で一つの役割を担った社会(科)学的な主題として、1950年代末以降に展開された反施設的イデオロギーを指摘しないわけにはいかない。
 1959年、R.バートンは『病院神経症(Institutional Neurosis)』にて、隔離・収容された精神病院に長期入院している患者は、社会性の喪失や職員からのからかい・脅迫・暴力によって、あるいは自分の身体や持ち物を管理されることを通して、一層の孤立感を強め、次第に無感動になってゆく様を描写し、こうした施設入所によってもたらされる事態を「施設神経症(Institutional Neurosis)」?後に「施設病(hospitalism)」と称されることになる?と呼んだ(Burton 1959)。この書はいわゆる「施設の逆機能」が言説化される契機となった著作である。
 そして、1961年には、ラベリング理論から一定の影響を受けながらゴフマンが『アサイラム(Asylums)』を発表し、1966年にはゴフマンよりも一層積極的にラベリング理論を前面に打ち出したT.J.シェフが『狂気の烙印(Being Mentally Ill)』を提示することとなった。周知の通り、こうしたラベリング理論の登場はそれまでの前提を根本から覆すことになった。
 すなわち、「精神病」とは患者個人の行動や性質を意味するものではなく、ある特定の個人が「精神病者」として名付けられ(ラベリングされ)、カテゴリー化されることによって構築されたものである、と。
 そして、同時期の1960年代にはR.D.レインが、続く1970年代にはT.サズが登場し、「反精神医学」を形成することとなり、より一層議論が活発化していったのである(*6)。
 こうした精神病院に対する反施設論的イデオロギーの言説化に踵を接するようにして、モリス(1969)は知的障害者の福祉施設を徹底的に記述し、ミラーとグウィン(1972)は肢体不自由者の施設「ル・コート」における「障害構築のエスノグラフィー」を完成させた。
 こうした時代的潮流にシンクロしながら、高齢者施設に対しても同様な批判がなされるに至ったのである。」
 「(*6)この後にI.イリイチの『脱病院化社会』『脱学校社会』などの施設批判の議論がある。彼は、こうした議論を通じて「施設」は主体を抑圧する、それ自体が「統制」の機制を内在していることを社会学的に明らかにしたのである(Illich 1975)。」

■[2006]

◆滝川 一廣・小澤 勲 20060501 「情動・ことば・関係性」,小澤編[2006]*
*小澤 勲 編 20060501 『ケアってなんだろう』,医学書院,300p ISBN: 4-260-00266-X 2000 [amazon][kinokuniya][boople]※ c04 a06,

 「小澤――個体のほうへ求めすぎるのでなく」ということですね。それまで本人のさまざまな問題だけを追究してきたけれども、その人がどういう暮らしをしているかによって、不自由のあらわれ方が全然違うんじゃないかと。
 滝川――反精神医学の場合、本人の外にある環境の捉え方が少し狭いという感じがします。政治的環境、あるいは経済的環境といったものに限定しすぎているので、それを推し進めていくと窮屈な一種の倫理主義になってしまったり、政治主義になってしまって、身動きがとれなくなってしまう。
 小澤――そのとおりです。
 滝川――私たちのこころの働き自体が、社会的・共同的なもので、その社会的・共同的な模気をヒトという個体が脳の中で一生懸命やっているわけだから、そこにはやっぱり無理もある。その無理の結<0078<果として精神障害という、ある”在り方”が生じてくる。そういうふうに広げて考えたほうが、いいんじゃないでしょうか。」(滝川・小澤[2006:78-79])

 「小澤――それまでは精神医学に対して「こんなことを考えていたら、患者さんのこころからどんどん離れていくじゃないか」と思っていたんですが、中井先生の本を読んで「こういうふうにていねいに見て、それを言葉にすることが本人へのやさしさに結びつくんやなあ」と思ったんです。
 ぼくが洛南病院にいたときに、週一回、みんなで集まって読書会をしていたんですよ。最初は『反精神医学』だとかクーパーだとかを読んでいたんですが、あるとき中井先生の本を読んで、そのあたりからだいぶ気持ちが楽になりましたね。」(滝川・小澤[2006:93])

■[2007]

◆八木 剛平 20070125 「統合失調症をめぐる最近の「精神医学理論」」,『精神医療』第4次45:66-76

 「「コトバを通じて病める心のありようを〈わかろうとする〉学問」(松本)13)としての精神病理学は、これまで精神医学の実地活動を主導してきたし、今後もこれが変わるはずはない。この学問の内部で思弁的傾向に実際的傾向が拮抗して緊張を保っているなら、臨床医には危機というよりもむしろ健全な状態にみえる。  もう昔話になるが、1960−70年代の日本では学問と精神医療の現場との乖離は極限に達していた。松本13)によれば、精神病理学の興隆によって精神病者の人間的差別が深まるまさに同じ時代に、医療現場では精神病棟が激増し不祥事件が頻発しており、これを座視するのみでどはうすることもできないという苛立ちが反精神医学に結びついて、この二極「分裂」が遂に精神病理・精神療法学会の解体にまで進んだ。しかしドイツで「精神病理学の危機」が叫ばれた1970年代だが、日本では「格段に実り豊かな時代」(長井)となり、「世界でも類をみない高みを迎えた」(黒木)12)のは、学会の破局が学問の再興につながったことになる。[…]  たしかに編集企画のいう「生物学的医学の知見の集積、薬物療法の発達、EBMの隆盛」を見れば、精神病理学者が抱く危機感は分からないでもない。無論それはこの学問(そして学者)が時代の流れから取り残されてしまう、というような卑俗な問題ではあるまい。それは、初期の精神病理学が定着させた「全体像の優先、内面の重視」という視点(浜田)4)が揺さぶられ、あるいは軽視されることによって、「精神医学の実地で行われることは、いつも一人一人の人間全体を問題にすることである」8)という事実が忘れられようとしていることであろう。  しかし全体像と内面性の復活こそ、臨床精神医学が精神病理学に期待する最大の課題である。ピンチ(危機)はチャンス(好機)という言葉もある。」(八木[2007:67])
4) 浜田秀伯 1994 『精神症候学』,弘文堂
8) Jaspers, K 1913=1971 西丸四方訳,『精神病理学原論』,みすず書房
12) 黒木俊秀「個人精神療法と薬物療法」,『Schizopr Front』5:260-264
13) 松本雅彦 1996 『精神病理学とは何だろうか』,星和書店

◆長谷川 憲一(群馬県立精神医療センター) 200705 「家族と当事者の関係――生活臨床を学ぶ」,新宿区精神障害者家族会「新宿フレンズ」2007年5月勉強会→『新宿フレンズ会報』2007-6 cf.生活臨床
 http://www15.big.or.jp/~frenz/hasegawa.html

 「生活臨床は、1958年に臺(うてな)弘先生が群馬大学精神科教授として赴任され、江熊要一助教授らとともに始めた統合失調症患者さんに対する治療実践です。生活臨床は、「生活をみなければ病気は治せない」と主張しました。しかし当時、「権力の手先になって患者さんの生活を管理するものだ」と激しく非難する人たちがいました。反精神医学を信奉する人たちでしたが、彼らは「精神病はそもそも社会のせいで起きたのだから、社会復帰は却って病気を悪化させる」と考えていました。反精神医学の嵐に見舞われた1970〜1990年は、精神医学・医療にとっては大きな停滞の時期になってしまいました。」

◆2007/12/23 「山田真に聞く」,於:立命館大学衣笠キャンパス・創思館403.404 15:30〜

○立岩:個体差、個人個人の差みたいなの、結局説明しようたってできないようなもんが常にあって、それをどうこうしたってわかんないところはあるし、っていうことは押さえておこうという。それはそれでひとつわかる。それをでは実際にどうすんだって話は難しいにしてもね。
  とくに精神っていうのが一つそうだったのかもしれないけれども、だんだん医療をはみ出てしまうような主張がなされてしまう、内部改革みたいな感じで、より良い精神医療をみたいな感じで、話してくんだけど、ある時点でそこからこぼれてしまうような動きになってしまったりするってようなことがあったような気がするんですよね。それって何ですかと言われても答えようがないのかもしれないけれども、たとえば、精神の領域にはそういうことがあったと思うんです。患者のサイドと、いわゆる青医連の人たちとか、改革的な精神医療者って言われてたし、実際いろんなことやってた連中の間の微妙な関係って、やっぱり10年、20年続いたと思うんですよ。
  たとえば、全国「精神病」者集団の山本さん★なんか、東大の赤レンガの連中についてそんないいことは言わない。結局やつらは医者でみたいな。聞くとなるほどって思うとこはあったりします。そういう、医療の中で、かなり基本的なとこから問題化するっていう流れであってもどうなのっていう。医療改革派っていうか批判派の射程っていうか、できたことできなかったことについて、思うことありますか?
○山田:精神科のごちゃごちゃした部分が変にすっきりしちゃったっていうか。反精神医学みたいなかたちですっきりさせてしまったのがね。実際、障害なんかもそうなんだけれども、やっぱり障害なんてものはないんだっていう、こんなものは社会的に作られた概念であって障害なんてみたいなものはないんでみんな同じなんだよ、っていうところにいってしまうと、だいたいそこで終わりになっちゃうっていうか、確かにそうかもしれないっていうね。だけど、だけどやっぱりそのことで不利をこうむったり、苦しんだりしてる人がいるわけだから。だから、やっぱり精神科の患者さんて、ものすごくやっぱり苦しい、つらいところにいるんだけど、その苦しいつらい部分に、ちゃんと寄り添わなかったんじゃないかっていう気がするのね。
  最近私も精神科の本を読まなきゃならないシチュエーションもあってていうこともあるんだけど、一生懸命読んでるところがあって、それから昔から中井久夫★と神田橋條治★のファンだから。やっぱりあの二人から得られるものっていうのはすごく大きい。ほとんどどの科の医者が読んでも、自分の診療に役に立つようなことを彼らは言ってくれていて、それはどこかって言えば、彼が患者さんをみてるからだっていう。ものすごくよくみてる。やっぱり運動してるときにね、運動してるお医者さんたちみてなかったんだと思うんだよ。患者さんたちが発言したり運動できたりするときっていうのは、あんまり苦しくないときだから、だから、そういうところにだけ付き合って、すごいつらい思いや苦しい思いをしてるところで付き合いきれてなかったんじゃないか。
○立岩:たしかにね。僕ちょっと別の用事で、中井久夫のものをほとんど初めてに近く読んで、よい書き手でありよい本だと思いました。それからさっき名前を出した山本さんなんかも神田橋の本はいいって言うんですよ。わりといろんなことに対して否定的、批判的な人だけどもね。そのリアリティはわかるんです。
  ただ、バイオエシックスならバイオエシックスっていうのは、医療の論理とはまた違うレベルだけれども、プリンシプルをたてて、それによって物事を整理し、その事態をなにがしか前進させようっていうふうに、まぁ何が前進かわかりませんけれども、動かそうっていう、そういう、医療、医学の内部にあるプリンシプルではないけれども、倫理のプリンシプルみたいなものを三本か四本立てて★ それでいこうぜっていうものなんですよね。そうすると、そのプリンシプルは字で書いてあるから、それを発展させたり、その命題に批判的になんか別のものを対峙するとか、そういう、学問的にノーマルなっていうか、ありがちな話ってのはタンタンタンといく。簡単なわけですよ。ところが、そういうふうにしていくと、いろんなことが実際には起こる。その通りだと思うんです。医療の中でね。そうすると、結局はその個別の個別性みたいなものにどこまで付き合えるんだっていうのは大切だよねって。
  それは全く僕はその通りだと思うんですよ。その通りだと思うんだけど、そうなるともう、なんていったらいいんだろうな、それでもう割り切るっていうか押し通すっていう手もありかなと思いつつ、でもそれはなんていうんだろう、時々山田さんみたいなね、名医かなんかわかんないですけど、いて、それから、精神だったら中井さんみたいな人がいて、認知症で京都だったら小澤さん★みたいな人がいて、そういうふうに話が流れていきもするわけで。抽象的な原理立てて、それで話がすむもんじゃないっていうのはわかりつつ、でもそれに対してある種のその経験値っていうか、だけ言っててもちょっと厳しいなっていうか。
  じゃあその代わりはっていっても、プリンシプルをたてるってのは、なんかね、そこのへんのものの言い方の難しさっていうんですかね。だから、これからどう物事をいってくのかとか、やってくのかって、そういうやっかいさがあるような気がするんですよね。でも科学主義に対して現場主義を対峙すると。現場大切なことはもっともなんだけれども、現場主義ってのは、結局、いろんな現場があって、ほんとに個人技もあり、その他もろもろもありっていう中で、ある種こうずるずるっといってしまうみたいなことあると思うんですけど。それってどう考えたらいいんでしょう? 困るかもしれないですけど・・・
○山田:だからね、中井さんだとか神田橋さんに、社会的な運動をやってほしいって要求してもちょっとそれは・・・
○立岩:それはそれでいいと思うんですよ。それはそれでいいと思うんです。
○山田:むしろだから、やっぱり社会運動をやってた部分が、社会運動やりながらっていうか、世の中変えるっていうことをやりながら、患者さんに寄り添うことってできたはずなんだ、それは。だからそこがね。私もよくわかんないんだけれども、イギリスへ留学した私の1年下の精神科医の話を聞くと、やっぱりイギリスで反精神医学をやった連中ってのは、その後ものすごくいろいろ苦労して、いろんな試行錯誤で、いろんなことをやったっていうふうに言われてて、本当はそこんとこ知りたいところがあるんだけど・・・そこだよね。やっぱりそういうふうに割り切ったけれども、そうことではやっぱりすまないというところへもう一回戻って、そこで苦悩して新しいところを切り開こうとするかみたいな努力や、なんか日本では欠けてると思う。そこをやってほしかったっていううふうに思うし。やろうとしたけど、もうなんか、そこには運動がなくなっててできなくなっちゃったっていう。だから石川憲彦★なんかは運動やる方の人じゃないけど、やっぱり何かやらなければいけないとは思い続けてはいると思うけど。
○立岩:石川憲彦さんの著作が与えたものは大きかったです。[『治療という幻想――障害の治療からみえること』が重かったです。1988年の刊行ですね。雑誌『季刊福祉労働』の連載がもとになってますから、まず連載の方を読んだのかもしれませけど。もっと以前に出た本のような気がしていました。ずっと東大病院で小児科医してらして。「医療と教育を考える会」というのをやられいてた。いっしょに『生の技法』(安積他[1990])を書いた仲間の岡原正幸がそこに出入りしていたと思います。
 石川さんは1946年生まれだから、山田さんより若いんですね。このごろもいろいろと書物を出しておられる。岐阜大学の高岡健さんと対談した『心の病いはこうしてつくられる――児童青年精神医学の深渕から』(石川・高岡[2006])はとてもよい本だと思いました★。そしてこの本で、石川さんもまた障害者の運動から受け取ったものが大きかったことを語っています★。『ちいさい・おおきい…』の連載集めた『   』もじつは硬派な本ですよね。
 で、僕なんか、そこに書かれていることって、この世のことはなんでもいちがいには言えないよねってというだけじゃないと思うんですよ。医療者のパターナリズムってものがあって、それがいけないということにいつのまにやらなって、でもそこにあるのはそう違うものなのか、と。
 山田さんってこの間、この間っていうかもう何十年は経って、なんていうかな、全然その専門家むけじゃない本をいっぱい書いてきたわけですよね。これはそうなっちゃったからなっちゃったんだっていう答えで終わっちゃうのかもしれないんだけれども、いうなんたいったらいいんでしょうね、文体や装丁も含めて、毛利さんであるとか、山田さんであるとか、っていうのは、こういうものの言い方とか伝え方とかしていかなきゃいけないとか、してったほうがいいんだなっていう、そういう思いみたいなものはやっぱりあるんですよね。」

■[2009]

阿部 あかね 2009 「精神障害者<反社会復帰><働かない権利>思想の形成過程――1960年〜1980年代の病者運動から」立命館大学大学院先端総合学術研究科2008年度博士予備論文

◆浮ケ谷 幸代 20090520 『ケアと共同性の人類学――北海道浦河赤十字病院精神科から地域へ』,生活書院,379p. ISBN-10: 4903690377 ISBN-13: 978-4903690377 3570 [amazon][kinokuniya] ※

 「欧米では第二次大戦以降、精神病者の脱施設化とともに病院病床数の削減の動向が徐々に始まっていた。なかでも、一九六〇年代から一九七〇年代にかけて興隆した反精神医学の運動にその特徴をみることができる。イギリスを始めとしてイタリア(1)、カナダ、アメリカ、フランスなど、理念や政策に違いがあるものの、ほとんどの欧米諸国が精神病院の縮減化と解体に向かっていった。[…]<0057<
 反精神医学の運動では、精神病という病いは資本主義社会が求める効率性や合理性、そめして結果的にもたらされる人間疎外といった社会的価値観によって生み出されたものと位置づけられていた。こうした反疾病論では、精神病は社会的に構築されたものであることを強調し、既存の社会からの逸脱を精神病理化することを批判するイデオロギーを内在していた(2)。
 ところが、欧米諸国が脱施設化を目指し、精神保健の地域移行う進めているほぼ同時期に、先に述べたように、日本では民間精神病院の急増に伴って増床が進んでいった。」(浮ケ谷[2009:57-58])

◆2009 東京と京都でサズやクーパーの講演を聞いた臨床医

「僕らは20歳くらいから精神病理学とか、精神療法について本とか読んだりして、ヤスパースがどうだとか、臨床面接の記録とかメダルト・ボスとか、そういうふうなの読んで僕らなりには精神病理学を学んできて精神療法っていうのは、対面的に会って、っていうのをやってたけど、結局そういうのと、精神病院に閉じ込められてきた人の人権っていうのが全然相応しなかったってことでね。学問は学問としてすごくいいんだけれど、それとなぜこんな悲惨な目に精神病患者があわされてるかっていうことで・・・。今の精神障害者を隔離拘束する論理に精神病理学とかそういう診断学みたいなのは、あだ花のように咲いてたんじゃないかっていう・・・。病理学とか精神療法とかっていうのは、その上部構造で下部構造は、精神障害者は搾取されて弾圧されて拘禁されてるっていうのがあって、根っこは、学問じゃなくてその拘禁問題におかなきゃならないってなると思った。今までの精神病理学、精神療法っていうのがみんな何の足しにもなってなかったと思った。
――それで反精神医学がひとつのブームになったと。
ブームに乗ったっていう理由は、やっぱり拘禁された患者をどうするかっていうところの論理がどこにもなかったっていう、精神病理学にも、精神療法にも。でも、反精神医学は反旗翻したけれども学問的な根拠はなかったわけ、依拠するものがなかった。それを掘り返したところでべつになにもないっていう世界やった。
――だから反精神医学はすたれた?
時代から、かえりみられなくなってるんやろうね。一時、盛りさかったけど、別にそれ以上の展望がなかったから。
精神病理とか、脳の病気とかいうのももちろんあるけど。根源っていうのは、障害持っている人の尊厳が損なわれているっていうことが問題と。それは反精神医学とかと乖離しないと思っています。薬物療法ができたからとか、生物学的に言って、頭が病気だっていわれたからなくなったんやなくて、反精神医学それ自体が、発展性を持ってなかったからすたれていっただけのこと。
――なるほど、現場ではやはり使えない実践という・・・
使えないですよ。病院の中では使えないでしょ。反精神医学だって"病院は存在しえない"という主張なわけだから。"精神医学がない"ということになれば。
――病院というかたちでは…
なくなる。なくなってしまうからね。ぼくらはイタリアのトリエステとかの病院解消に対してどうだったかって、いうと僕らは非難されないといかん。やれないから・・・。残念ながらそういう仕組みまで日本はいたってないから。今現在でも。」

阿部 あかね 2009/09/26-27 「1970年代日本の精神医療改革運動に与えた「反精神医学」の影響」障害学会第6回大会・報告要旨 於:立命館大学

◆立岩 真也 2009/10/30 「「反」はどこに行ったのか」『環』39(Autumm 2009):(特集・「医」とは何か)

  「もう一つあったのは、問題を「社会」の中に捉えるという構えだった。それも間違っていないと私は思う。ただ、かつて自閉症について家族関係がその原因とされたことがあったが、それが否定され、脳の機能障害であるとされる。それが家族と本人たちから歓迎されるという現実がある。また、そのことを理解しつつも、それでよいのだろうかと思う人もいる。このことをどのように解すればよいのか。
  「身体の現代」という連載をみすず書房の月刊誌『みすず』でさせてもらっている。この十一月号でもう十五回になる。また長い話になってしまっているが、仕方がない。まず二〇一〇年には一つの本にしてもらう。そこでこのことについて書いている。
  関連して、「反精神医学」といったものがほんの一時期あって、そして後で否定されたことになっている。そしてこれは日本では大学や学会での紛争・闘争と組になっていたところがあった。たしかに「造反組」が、一九七五年にその頭目とされていたデビッド・クーパーとトーマス・サズを呼んで講演させるといったことがあった。それに対して当時糾弾の対象になっていた、しかし当時も元気で、すぐに主流に復帰する、しかも保守派というわけではなく改革を主張する人たちが、精神病はれっきとした病気だと、それを実在しないなどと言っている馬鹿どもがいて、とんでもないと批判する。例えば秋元波留夫(二〇〇七年没)がそう言う。やがて当時の運動は退潮に向かう。そして、薬の効果も以前より高いとされるものが出てくる。やはり脳の病気だということになる。
  また「反」を主張するとして、では代わりに実際に何をするのかとなれば、そう変わったことも思いつかないし、できない。そんなこともあり、造反に関わった人自身が、過去を否定するようなことも言う。例えば小澤勲(二〇〇八年没)がそんなことを語る(小澤編『ケアってなんだろう』、医学書院、二〇〇六年)。ではそれは終わった話なのか。これも違うと私は考える。まず造反派は、少なくとも小澤は、当時も、精神病が幻であるとも、「社会」が直接の病因だとも言っていない(小澤『反精神医学への道標』、めるくまーる社、一九七四年)。そしてその上で、社会を問題にし「体制」を問題にした。それは基本的に正しいと私は考える。そしてその姿勢は、のちの小澤の認知症の人たちに関わる臨床や著作にも引き継がれていると思う。こうしたこともまた調べられ、書かれていない。」

◆立岩 真也 2011/06/01 「社会派の行き先・8――連載 67」,『現代思想』39-8(2011-6):- 資料

■文献表(作成途上)

阿部 あかね 2009/09/26-27 「1970年代日本の精神医療改革運動に与えた「反精神医学」の影響」障害学会第6回大会・報告要旨 於:立命館大学
◆青木薫久,1974,「人体実験の原則について」『精神医療』3(4) 52-60.
◆朝日ジャーナル編集部 1973 「打ち棄てられたものの生存権――前頭葉手術めぐる論争」,『朝日ジャーナル』15-21:87-92.
◆朝日新聞,1970,「ルポ・精神病棟」(3月5日より12日まで7回連載→大熊一夫,1973,朝日新聞社より刊行)
◆青木薫久,1974,「人体実験の原則について」『精神医療』3(4) 52-60.
◆Cooper,David 1967,Psychiatry and Anti-Psychiatry,Tavistock Publications London.(=1974,『反精神医学』岩崎学術出版.)
◆法令用語研究改編,2006,『有斐閣 法律用語辞典』有斐閣,1250-1251.
◆広田伊蘇夫,1976,「トーマス・S・サズの反精神医学――その反科学思想」,『臨床精神医学』5(6):699-706.
◆京都大学精神医学教室 編 20031225 『精神医学京都学派の100年』,ナカニシヤ出版,121p. 3150 ISBN-10: 4888488347 ISBN-13: 978-4888488341 [amazon][kinokuniya] ※ m.
◆Laing.R.D,1960a,The Divided Self. An Existential Study in Sanity and Madness Tavistock Publications Ltd London.(=1971,阪本健二・志貴春彦・笠原嘉訳『ひき裂かれた自己』みすず書房.→参照は1974年版)
◆――――,1960b,Self and Others, Tavistock Publications London.(=1975,志貴春・笠原嘉訳『自己と他者』みすず書房.→参照は1998年版)
◆――――,1967,The Politics of Experience and the Bird of Paradise,Tavistock Publications London.(=1973,笠原嘉・塚本嘉壽訳『経験の政治学』みすず書房.)
◆――――,1969,The Politics of the Family,Tavistock Publications London.(=1979,阪本良男・笠原嘉訳『家族の政治学』みすず書房.)
◆Laing.R.D and Esterson.A,1964,Sanity, madness and the family,Tavistock Publications London.(=1972,笠原嘉・辻和子訳『狂気と家族』みすず書房.)
◆Mannoni, Maud 1970 Le psychiatre, son « fou » et la psychanalyse,Editions du Seuil=19741210 松本 雅彦 訳,『反−精神医学と精神分析』,人文書院,309p. ASIN: B000JA19ZG \2900 [amazon][kinokuniya] ※ m01a
◆松枝亜希子,2008,「向精神薬への評価――1960年代から80年代における肯定的評価と批判」『Core Ethics』Vol.4:465-473.
◆松本雅彦,1975,「精神医学的診断と反精神医学」,『臨床精神医学』4(5):479-486.
◆仙波恒雄/矢野徹,1977,『精神病院 その医療の現状と限界』星和書店.
◆Shorter, Edward 1997 A History of Psychiatry:From the Era of the Asylum to the Age of Prozac, John Wiley & Sons,Inc.
=19991110 木村定訳,『精神医学の歴史――隔離の時代から薬物治療の時代まで』,青土社,391 p. ISBN-10: 4791757645 ISBN-13: 978-4791757640 [amazon][kinokuniya] ※
◆立岩 真也 2002/04/01 「生存の争い――医療の現代史のために・2」,『現代思想』30-05(2002-04):41-56 ※ 資料
◆立岩 真也 2011/06/01 「社会派の行き先・8――連載 67」,『現代思想』39-8(2011-6):- 資料
◆立岩 真也 2013 『造反有理――身体の現代・1:精神医療改革/批判』(仮),青土社 ※
◆「東京大学精神医学教室120年」編集委員会 編 20070331 『東京大学精神医学教室120年』,新興医学出版社,286p. ISBN-10: 4880026611 ISBN-13: 978-4880026619 6825 [amazon][kinokuniya] ※ m.
◆富田三樹生,1992,『精神病院の底流』青弓社.
◆臺弘,1993,『誰が風を見たか』星和書店.
◆吉田おさみ,1983,『「精神障害者」の解放と連帯』新泉社.


作成:阿部 あかね
UP:20090818 REV:20090819, 0923, 1009, 20101230, 31, 20110113, 29, 0513, 16, 0801, 1023, 20120222, 20130103
東大病院精神神経科病棟(通称赤レンガ)占拠・自主管理  ◇精神障害/精神医療
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