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市野川 容孝

いちのかわ・やすたか
Ichinokawa, Yasutaka : English Page


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・専攻:社会学
・1964年生
・東京大学大学院社会学研究科→明治学院大学教員(〜199803)
・東京大学大学院総合文化研究科教員(199804〜)
日本社会学会障害学会

2009/06/21 研究会 主催:立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点
 日時:2009年06月20日(土)16:00〜18:30
 会場:立命館大学衣笠キャンパス創思館403・404教室

■著書・編書

◆市野川 容孝 20120607 『社会学』,岩波書店,144p. ISBN-10: 4000283308 ISBN-13: 978-4000283304 1300+ [amazon][kinokuniya] ※ s.
小松 美彦・市野川 容孝・田中 智彦 20100508 『いのちの選択――今、考えたい脳死・臓器移植』(岩波ブックレット 782),岩波書店. ISBN-10: 4002707822 ISBN-13: 978-4002707822 \630
◆市野川 容孝 20061026 『社会』,岩波書店,237p. ISBN-10:4000270060 ISBN-13: 978-4000270069 \1680 [amazon][kinokuniya] ※ d
◆市野川 容孝・小森 陽一・守中 高明  20050825 『変成する思考 グローバル・ファシズムに抗して』,岩波書店,思考のフロンティア,131p. ISBN-10: 4000270141 ISBN-13: 978-4000270144 \1365 〔amazon〕[kinokuniya]
見田 宗介内田 隆三・市野川 容孝 20030310 『ライブラリ相関社会科学8 <身体>は何を語るのか20世紀を考える(II)』, 新世社,297p. ISBN-10: 4883840514  ISBN-13:978-4326652549 2940 [amazon][kinokuniya]
◆広野 喜幸・市野川 容孝・林 真理 編 20021020 『生命科学の近現代史』,勁草書房, 375+18p.ISBN: 4-326-15366-0 3570 [amazon][kinokuniya][bk1] ※
◆市野川 容孝 編 20020822 『生命倫理とは何か』[amazon][kinokuniya] ※ be.
◆米本 昌平・松原 洋子・ぬで島 次郎・市野川 容孝 20000720 『優生学と人間社会――生命科学の世紀はどこへ向かうのか』,講談社現代新書1511,286p. ISBN:4-06-149511-9 777 [amazon][kinokuniya] ※ eg.
◆市野川 容孝 20000121 『身体/生命』,岩波書店,思考のフロンティア,129p. 1200 ISBN:4000264265 [amazon][kinokuniya] ※

■翻訳

◆ヴィルヘルム・グリージンガー 著 小俣和一郎・市野川容孝 訳20080926 『精神病の病理と治療』,東京大学出版会,602p. 12600 ISBN-13: 9784130604086 ISBN-10: 4130604082 [amazon][kinokuniya][kinokuniya]
◆Dorner, Klaus 1988=19960901 市野川容孝訳,「精神病院の日常とナチズム期の安楽死」,『imago』7-10:216-232 ※

■論文等

◆20080201 「ヒポクラテスと現代医療」,『現代思想』36-2(2008-2):204-218(特集:医療崩壊――生命をめぐるエコノミー)
 ……
◆20041101 「社会的なものと医療」,『現代思想』32-14(2004-11):098-125
◆20030203 「レネー・C・フォックスと医療社会学の系譜」,Fox[2003:175-214]*
*Fox, Renee C. 20030203 『生命倫理を見つめて――医療社会学者の半世紀』,中野真紀子訳,みすず書房,220p. 2400 ※
◆20020910 「強制不妊手術の過去と現在――ドイツ・スウェーデン・日本」,齋藤有紀子編[2002:061-075]*
*齋藤 有紀子 編 20020910 『母体保護法とわたしたち――中絶・多胎減数・不妊手術をめぐる制度と社会』,明石書店,271p. 2000円+税
◆20020822 「<生命倫理>の軌跡と課題」,市野川編[2002:008-020]*
◆20020822 「医療プロフェッション」,市野川編[2002:022-029]*
◆20020822 「QOL」,市野川編[2002:044-049]*
*市野川 容孝 編 20020822 『生命倫理とは何か』,平凡社,202p. 2400 ※
◆20010425 「「障害者」差別に関する断想――一介助者としての経験から」,坪井秀人編[2001:229-242]*
*坪井 秀人 編 20010425 『偏見というまなざし――近代日本の感性』,青弓社,242p. 1600 *
◆20001130 「医療という装置――W・グリージンガーの精神医学」,栗原・小森・佐藤・吉見編[20001130:129-163]*
*栗原 彬・小森 陽一・佐藤 学・吉見 俊哉 編 20001130 『装置:壊し築く』(越境する知・4)  東京大学出版会,317p. 2600 ※
◆20001115 講演公開講演会「優生社会の世紀を超えて〜ハンセン病 人権侵害・失われた90年〜」
◆20000720 「ドイツ――優生学はナチズムか?」,米本・松原・ぬで島・市野川[2000:051-106]*
◆20000720 「北欧――福祉国家と優生学」,米本・松原・ぬで島・市野川[2000:107-140]*
*米本 昌平・松原 洋子・ぬで島 次郎・市野川 容孝 20000720 『優生学と人間社会――生命科学の世紀はどこへ向かうのか』,講談社現代新書1511,286p. ISBN:4-06-149511-9 777 [amazon][kinokuniya] ※ eg.
◆20000405 「福祉社会はよい社会か?」,大澤真幸編[2000:112-117]
◆20000405 「人はなぜ他人に従うのか?」,大澤真幸編[2000:118-123]
◆20000405 「社会にとって生命とは何か?」,大澤真幸編[2000:124-129]*
*大澤 真幸 編 20000405 『社会学の知33』,新書館,246p. 2000
◆20000325 「ブックガイド『第三帝国と安楽死』」,『季刊福祉労働』86
◆20000301 「ケアの社会化をめぐって」(インタヴュー),『現代思想』28-04(2000-03):114-125(特集:介護――福祉国家のゆくえ)
◆19991030 「医療倫理」,進藤雄三・黒田浩一郎編『医療社会学を学ぶ人のために』,世界思想社,2200円+税 第9章
◆19990905 「近代医学と死の医療化(完)」,『思想』903(1999-09):088-117
◆20000205 「社会的なものの概念と生命――福祉国家と優生学」,『思想』908(2000-02):034-064
◆19990805 「近代医学と死の医療化(下の一)」,『思想』902(1999-08):042-060
◆19990625 「優生学の時代としての二十世紀――ドイツ、北欧、日本」(特別レポート・スウェーデン断種法と優生政策5),『季刊福祉労働』83
 http://www.asahi-net.or.jp/~ls9r-situ/ichinokawa/yuseigaku.html
◆19990501 「福祉国家の優生学――スウェーデンの強制不妊手術と日本」,『世界』1999年5月号(167頁‐176頁)
 http://www.asahi-net.or.jp/~ls9r-situ/ichinokawa/fukushi.html
◆19990331 「優生思想の系譜」,石川 准・長瀬 修 編 『障害学への招待―― 社会、文化、ディスアビリティ』,明石書店,第2章
◆19980815 「汚名に塗れた人びと」,『みすず』40-8(449):014-022,033 ※
 http://www.asahi-net.or.jp/~ls9r-situ/ichinokawa/omei.html

……

19880520 「1848年ドイツ『医学改革』運動」,言語研究会,16p.(B4×7枚) ※
19880715 「<政治>としての医療――ドイツ医療の系譜」,修論研=言語研究会,14p.(B4×7枚) ※
19890216 「太田省一氏「『健康』の近代的位相:衛生・家族・臨床」へのコ メント」,3p.(B4×2枚) ※
19890706 「近代社会における死の位相[TAKE2]」,吉田ゼミ,21p. ※
1990   「近代社会における死の位相――死の社会学的考察にむけて」,東京大学大学院社会学研究科修士論文,162p. ※
1990   「近代社会における死の位相――死の社会学的考察にむけて」(修士論文・要約) 14p. ※
19900606 「優生学研究#1」,BS研,8p.(B4×4枚)(文献紹介,未発表) ※
19910130 「文献紹介」,BS研,6p.(B4×3枚) ※
19910214 「死の社会学・序説――「他界」についての試論」(第二稿),16p.  ※
19910510 「死の位相――信仰は医療に優越するか」,吉田民人編[1991:114-132]*※
*『社会学の理論でとく現代のしくみ』,新曜社,325p. ISBN:4788503921 2884 ※
19911103 「優生学の過去と現在――ドイツを中心として」,第64回日本社会学会大会 B4×4枚 ※
19910605 「今日における死の問題」,『年報社会学論集』4:81-92 ※
19910720 「死の社会学・序説――「他界」に関する試論」,『ソシオロゴス』15:152-168 ※
199206  「訳者解説・ドイツがシンガーを沈黙させたことについて」,『みすず』375:49-58 ※
19920701 「生−権力の系譜」,『ソシオロゴス』16:120-134 ※
1993   「ニュールンベルク・コード再考――その今日的意義」,加藤・飯田編[1993:308-323] ※
1993   「生−権力論批判――ドイツ医療政策史から」,『現代思想』21-12:163-179 ※
19940401 「死への自由?――メディカル・リベラリズム批判」,『現代思想』22-4:308-329 ※
19941015 「生殖技術に関するオーストリア,スイスの対応――政策過程の比較社会学」,『Studies 生命・人間・社会』2:55-115 ※
19960215 「「種」から剥がれおちる性――フロイトと優生学」,『imago』7-3:216-232 ※
19960308 「医療倫理の歴史社会学的考察」,井上他編[1996:1-26]* ※
*井上 俊・上野 千鶴子・大澤 真幸・見田 宗介・吉見 俊哉 編集委員 19960308 『病と医療の社会学』(岩波講座現代社会学14),岩波書店,238p. 2100(本体2039)
19960300 「人間科学におけるフロイトの意義――「変質」概念との関係を中心に」,『明治学院論叢』575(社会学・社会福祉学研究99):217-242 ※
19960525 「安全性の政治――近代社会における権力と自由」,大澤編[1996:89-119] ※
19960901 「ナチズムの安楽死をどう<理解>すべきか――小俣和一郎氏への批判的コメント」,『imago』7-10:145-159 ※
19960920 「性と生殖をめぐる政治――あるドイツ現代史」,江原編[1996:163-217]* ※
江原 由美子 編 19960920 『生殖技術とジェンダー――フェミニズムの主張3』,勁草書房,409+20p. 3708 ※
19960920 柘植 あづみ・市野川 容孝・加藤 秀一「付録 「優生保護法」をめぐる最近の動向」,江原編[1996:375-409] *<266>
19961115 小松美彦・市野川容孝「「死の自己決定権」をめぐって」(対談),『週刊読書人』2160(1996-11-15):1-3 ※
19961201 小俣和一郎・市野川容孝,現代医療とナチズム――イデオロギー・自己決定・精神病理学」 (対談),『imago』7-10:145-159 ※
199712  「書評:立岩真也『私的所有論』」,『週刊読書人』  英訳版
19980201 市野川容孝・立岩真也 「障害者運動から見えてくるもの」(対談),『現代思想』26-2(1998-2):258-285→立岩[2000]に収録
 1 平時の思想としての優生学/2 一九七〇年/3 日本の障害者運動は特殊なのか/4 問題提起しかしないこと・を受け止めること/5 障害者運動の国家論/6 不妊手術の闇
19980815 「汚名に塗れた人びと」,『みすず』40-8(449):014-022,033 ※

  ※は生存学資料室にあり

■言及

◆立岩 真也 2007/09/01 「人々の意識の位置――家族・性・市場 24」,『現代思想』35-(2007-9): 資料

 「□「分業の廃絶」について・予告
 「前回、労働と社会についてかつて語られたことのあった夢想についてすこし述べた。生産力の向上によって、人がたいして働かなくてもよい社会がやってきて、固定化された分業が廃絶され、働くことが楽しいことになり、労働が自分のためだけの労働でなくなくるような社会になることが夢見られた。
 もちろん、そんな悠長な話をしてどうするのだと思われるのではある。しかしそれでも考えてみた方がよいのではないかと述べた。そしてこのところこの連載で考えてきた(働き手である、また働き手でない)人の数のことなども、一つめの夢に関わることではあったのだった。それは終わっていないのだが、今回からすこし分業のことについて考えてみようと思う。
 働きたい人が働き暮らしたい人が暮らせていけるのがよいとして、しかしそのためには人々の欲望の形状が変化しなければならないのではないか。そんなことを考える人がいる。そして分業の廃絶は、それ自体がよいことであるとされるとともに、そのための条件であるともされる。つまり、分業が固定化されず、その作業が分かち難い人々の共同性によって支えられているのなら、その労働を自らのことだけのことと考えず、その成果を自らのものせず、うまい具合にことは運ぶのではないか。しかし現在の体制が現在の意識を支え、現在の意識が現在の体制を支えるなら、そうして想定されるうるわしい労働・生産の体制といったものが実現されるとは考えにくい。とするとこの話に続きはあるのか、それともそれで終わりなのか。
 こうして想定される因果自体に疑問な部分がありはする。それほど分業のあり方が効いているのかである。ただ、今また、おそらくは過去の議論との連続性を意識することなく、関係の透明性や近さに立脚しようとする議論がある。というかそんな論はずっとあってきた。それをどう考えるのか。ここでは、分業そのものについてではなく、社会、社会関係と意識を巡る堂々巡りについて、関係や人々の選好や合意の位置について、少し考えてみる☆01。
 ただそれとは別に、考えるだけ無駄なようなこの分業(の廃絶)という主題について、荒唐無稽であるためにある人々はわくわくするかもしれない水準の議論としてではなく、より凡庸に考えてみてもよいとは思っている。このことについては別途考察ということになるのだが、そのときのために、まず、なぜ分業に文句を言おうとするのか、並べてみておくとしよう。」

 「☆01 なぜこの連載にこのような回が置かれているのか。もちろん労働について考えることにおおいに関係があるからではあるが、それだけでもない。
 一つ、本誌の今月号の特集の関係で市野川[2006]を読んだことがあった。力のこもった本だったが、いくつかわからないところは残った。そのなかに議会の話がある(かつて本誌に掲載された文章がもとになっているのだと思う)。ローザ・ルクセンブルグについての解釈は受け入れるとして、そもそも議会のどこがどのようによいのかはよくわからなかった。一つ、(ノディングス等の)ケア倫理について議論されていることについての大学院生の報告を聞く機会があり、こうした論が位置するその「文脈」について、昔の話も含め、伝えておくべきことがあると思った。
 もう一つ、横塚晃一の名著『母よ!殺すな』(初版一九七五年、増補版一九八一年)が再刊されることになり(横塚[2007])、その解説を書くことになって、ずいぶんと難儀した。それを書いている中で、今回記すようなことを、改めて繰り返してでも、言った方がよいと思った。
 そして、いつものことではあるが、今回記すことの中に幾つか過去に書いたものを反復しているところはある。分業・関係の編成の変転についての真木悠介の論(真木[1977])や革命の先行についての論(たくさんあるが、前回もあげた文献では廣松[1972][1981])についての言及は立岩[1997][2004a]にもある。「距離」(と普遍性)ついての検討は立岩[2004a:136-145]ですこし行なっている。「思いを超えてあるとよいという思いの実在」については立岩[2005-(8)]で述べ(この連載他を年内に本にまとめる予定)、そこからの引用と関連する文献を立岩[2006]に収録した文章に付した中にすこし記した(立岩[2004b→2006:254-255])。」

市野川 容孝 2006 『社会』、岩波書店

◆立岩 真也 2008/09/05 『良い死』,筑摩書房,374p. ISBN-10: 4480867198 ISBN-13: 978-4480867193 2940 [amazon][kinokuniya] ※ d01. et.,

 序章・註12
 「(12)このことは「死の決定について」([2000g]、『唯の生』に収録)でも述べた。その後も、過去の言説についての反省のようなことはなされてはいない。ただ、同時に、自らはしごく穏当な主張をしているだけであることは頻繁に言われる。過去についての反省的・批判的な態度に欠けているという指摘は市野川[1996]にもある。また小松美彦と日本尊厳死協会理事の荒川迪生との対談(小松・荒川[2008])でも小松がこの点を質しているが直接の答はなされていない(杉田[2008a]にこの対談への言及がある)。」(立岩[2008:78])

 序章・註17
 「(17)生−政治(に関わる誤解)については[1997](第六章)等に記した。市野川の論文から引用した。さらに短く、再度引用する。
  「一つだけ言わなければならないことがあるとすれば、それは、生―権力という道具箱から、尊厳死や安楽死を実践として擁護してはならないということである。尊厳死や安楽死を正当化する根拠が、どこかにあるのかもしれない。しかし、それは決して生―権力論ではない。この点でフーコーは間違っている。少なくとも軽率である。」(市野川[1993 : 175])
  フーコーの著作を『生死本』で紹介する。」(立岩[2008:79])

 第3章・註01
 (1)[…]「「再分配」という言葉が一般には使われる。それでもかまわない。市場を根絶することはしないという前提から、たしかに時間的には市場における財の分配が先立ち、その後になされることが主となる。その意味で分配されたものを分配するのだから、「再」分配でもよい。しかしこの分配は補足的になされるものではない。このことははっきりさせておくべきだと考える。次に、「社会的」という語を、社会福祉という語の「社会 social」と同じ意味に解する。「福祉 welfare」という語は「よいこと」「よい状態」という漠然とした言葉である。その漠然としていることは大切だと私は考えている。ただ、そのよい状態は様々に達成されることがある。その様々ありうるなかで「社会」という語が冠されるのは、社会、具体的には負担可能な全成員がその福祉について義務を負う、責任を持つことを指すと理解する。この意味での「社会(的)」を擁護しようとする著作として『社会』(市野川[2006])。」(立岩[2008:311])

 第3章・註05
 「(5)優生学のことが少しは知られるようになった。一九九九年にE・クレー『第三帝国と安楽死』の翻訳も刊行された(Klee[1993=1999]、『生死本』で紹介)。今はそんなに野蛮ではないと思うかもしれない。ある程度はそうである。しかし例えば「生活の質」(QOL)は「生命の質」でもあり、それはしばしば出現の防止、生存の終了につなげられもする。そして、前者は今、一人ひとりの決定としてなされるのだし、また後者、死の選択も、自らの決意、自己決定として存在する。弱者が死ぬのではなく、強者であることによる死がある。弱い人であることができない人が死ぬのである。優生学(に関する文献と筆者の視点)について『私的所有論』([1997])第6章3節、「出生前診断」について第9章。市野川容孝との対談(市野川・立岩[1998])にも(福祉)国家と優生学について言及がある。」(立岩[2008:312])

 第3章・註34
 (34)「[…]ミュルダールの著書で本稿で述べることが主題的に扱われているのではない。国家間の貧富の格差の存在と拡大が問題とされ、それが脅威として作用するから解決がはかられなければならないという論調である。市野川容孝は、ミュルダール夫妻が、一九三四年には『人口問題の危機』を出版し、出生率を上昇させるために育児の社会化を主張するととともに、「変質(退化)が高度に進んだ人間たちを淘汰する」ためには、必要ならば強制手段に訴えてでも、不妊手術を実施すべきだと説いていること――それは戦後のスウェーデンで実施された――を指摘している(市野川[1999]、他に[2000][2002])。社会的分配に対する基本的な態度を洗い流してしまうことなく、なお福祉国家による、あるいは福祉国家であろうとすることによる、成長と生産への強迫について十分に注意深くなければならないということである。北欧諸国の把握・評価――すぐれた福祉制度をもつことが賞賛されるとともに、「終末期」における不開始また停止が、関連づけられて、あるいは別個に指摘された――について、『唯の生』で紹介する。」(立岩[2008:326])

 第3章・註45
 「(45)優生学が戦時のもの、ナチスのもの(だけ)であるという偏見の除去については、国内の研究者では米本昌平や市野川容孝、そして松原洋子らの貢献が大きい。米本昌平はすでに一九八六年、「優生学的強迫から老トピアへ」という主張をしている(米本[1986])。」(立岩[2008:336])

◆立岩 真也 2009/03/25 『唯の生』,筑摩書房,424p. ISBN-10: 4480867201 ISBN-13: 978-4480867209 [amazon][kinokuniya] ※ et.

 第2章・註06
 (6)[…]「第1章でとりあげたピーター・シンガーも抗議を受けたことがある。ドイツにおける「シンガー事件」について拙著『私的所有論』の第5章註8([1997 : 209])で一〇の文献を紹介した。ここではSinger[1991=1992]、市野川[1992]、土屋[1994]だけをあげておく。」(立岩[2008:96])

 第5章・註06
 「(6)「ありうる」と言うのは、私にはその悦びはわからない、あるいは少しわかるような気がするにしても、それで死のうとは思わないからである。フーコーの論については市野川容孝による検討がある([1997 : 318]に文献とともに紹介)。市野川の議論については別に検討したい。〔まずは市野川[1993][1994]をあげておく〕」(立岩[2008:306])

 第5章[補]
 「最初の単著は『死は共鳴する――脳死・臓器移植の深みへ』([1996])。その後、二冊の本が出ている。一冊は『黄昏の哲学――脳死臓器移植・原発・ダイオキシン』([2000b])。『週刊読書人』に連載された時評と対談からなっている。もう一冊は『対論 人は死んではならない』([2002])。対談の相手は永井明、小俣和一郎、宮崎哲弥、市野川容孝、笠井潔、福島泰樹、最首悟、土井健司。他に雑誌に発表された論稿やインタビューに答えたものも収められている。」(立岩[2008:307])

市野川 容孝 1992 「訳者解説・ドイツがシンガーを沈黙させたことについて」,『みすず』375:49-58〈U:96〉
――――― 1993 「生−権力論批判――ドイツ医療政策史から」,『現代思想』21-12:163-179〈T:79,U:306〉
――――― 1994 「死への自由?――メディカル・リベラリズム批判」,『現代思想』22-4:308-329〈U:306〉
――――― 1996 「ナチズムの安楽死をどう〈理解〉すべきか――小俣和一郎氏への批判的コメント」,『imago』7-10:145-159〈T:78〉
――――― 1999 「福祉国家の優生学――スウェーデンの強制不妊手術と日本」,『世界』1999-5:167-176 http://www.asahi-net.or.jp/~ls9r-situ/ichinokawa/fukushi.html〈T:326〉
――――― 2000 「北欧――福祉国家と優生学」,米本・松原・島・市野川[2000:107-140]〈T:326〉
――――― 2002 「強制不妊手術の過去と現在――ドイツ・スウェーデン・日本」,齋藤有紀子編[2002:61-75]〈T:326〉
――――― 2006 『社会』,岩波書店,思考のフロンティア〈T:311〉
――――― 市野川 容孝 編 2002 『生命倫理とは何か』,平凡社
――――― 市野川 容孝・立岩 真也 1998 「障害者運動から見えてくるもの」(対談),『現代思想』26-2(1998-2):258-285→立岩[2000h:119-174]〈T:78,312〉


安楽死・尊厳死法制化反対に賛同(2005)

REV:....20041028 20050616...20061103 20070908 20081028, 20090617,0804,20100714
Yasutaka Ichinokawa (English)  ◇WHO  ◇優生(学)  ◇社会学(者)  ◇医療社会学  ◇身体×世界:関連書籍

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