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花田 春兆

はなだ・しゅんちょう
1925〜2017/05/13
[Korean Page]



◆2017/05/13 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/863350222872649730
 「本日(2017/05/13)花田春兆氏逝去。19日通夜、20日葬儀、詳細は未定とのこと。1962〜1965年に『しののめ』に掲載された文章全文を『与えられる生死:1960年代』に収録→http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm 花田春兆:http://www.arsvi.com/w/hs04.htm

◆2017/05/13 「花田春兆氏逝去」→良い死 ! 研究会ML

 荒井裕樹さんより
「訃報です。
本日、日本障害者協議会顧問の花田春兆氏が世田谷記念病院で息を引き取られました。
昨夏以降、体調を崩されて、ずっと入院されていました。
19日通夜、20日葬儀とのことですが、詳細は未定とのこと。[…]」
転送許可をいただきましたので。
https:/twitter.com/ShinyaTateiwa
でも知らせました。
http://www.arsvi.com/w/hs04.htm

1963〜1965年の『しののめ』誌に載った花田氏の安楽死尊厳死に言及している文章を
http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm
に収録しています。

立岩
http://www.arsvi.com/ts/0.htm
https:/twitter.com/ShinyaTateiwa

◆「BOOK著者紹介情報」より
 俳人、著述業。障害者文化の研究と実践活動。1925年生まれ。本名・政国。出生時よりの脳性マヒにより、歩行・起立不能。言語障害あり。東京市立光明学校(現・都立光明養護学校)研究科終了。47年、研究科時代の友人数人を軸に身障同人誌『しののめ』創刊。57年、俳誌『万緑』に参加。中村草田男先生に師事。以後、角川俳句賞推薦、俳人協会全国大会賞受賞、万緑賞受賞。80年、国際障害者年推進日本協議会(現・日本障害者協議会)副代表。82年、総理府障害者対策推進本部(現・内閣府障害者施策推進本部)参与など、国・地域・文化の各種障害者運動に参画。総理大臣・都知事表彰、朝日新聞社社会福祉賞受賞

 東京都港区元麻布1-5-16 大正14生 脳性まひの障害 本名:花田政国 1934光明学校入学, 小学校課程を了えて補習科に学ぶ 1947『しののめ』創刊, 編集にあたる 青い芝の会・『青い芝2周年記念号』『3』『4』 国際障害者年日本推進協議会・副代表 著書多数

立岩真也 編 2015/05/31 『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』Kyoto Books 1000

■言及

◆天畠 大輔・立岩 真也・荒井 裕樹 20200520 「なぜ〈弱さ〉は〈強み〉になるのか――しゃべれない人が語りつくします」,『しゃべれない生き方とは何か』(生活書院)『〈弱さ〉を〈強み〉に』 (岩波書店)W刊行記念,於:本屋B&B(東京・下北沢) https://bookandbeer.com/



◆花田 春兆 1962/06 「現代のヒルコ達――小林提樹先生へ」,『しののめ』47→19681020 『身障問題の出発』,pp.1-13

◆花田 春兆 1962/09 「ケンカする気じゃあないけれど」、『しののめ』48→立岩編[2015] [127]

◆花田 春兆 1963/06 「切捨御免のヒューマニズム」,『しののめ』50→19681020 『身障問題の出発』,pp.14-23

◆花田 春兆 1963/10 「お任せしましょう水上さん」,『しののめ』51→19681020 『身障問題の出発』,pp.78-85

◆花田 春兆 1965/10 「うきしま」,『しののめ』57→19681020 『身障問題の出発』,pp.33-44
 ※以上の文章を以下に収録
立岩真也 編 2015/05/31 『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』Kyoto Books 1000



◆花田 春兆 19681020 『身障問題の出発』,しののめ発行所,しののめ叢書7,163p. 350 ※r copy:A4/東京都障害者福祉会館403

◆花田 春兆 19740805 『いくつになったら歩けるの』,ミネルヴァ書房,268p. ASIN: B000J9FPYI 800 [amazon] ※/東社369.49HS

 ※この本の文章の一部を以下に収録
立岩真也 編 2015/05/31 『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』Kyoto Books 1000

◆花田 春兆 19790301 『折れたクレヨン』,ぶどう社,185(+5)p. 1200 東社369.27HS WP 

◆花田 春兆 19811101 『参加と平等への参加』,株式会社こずえ,111p. 600 横浜A27-218

◆花田 春兆 19820600 『ときには逆考してみても』,株式会社こずえ,242p. 1500 横浜A272-141 

◆花田 春兆 19830515 『脳性マヒの本』,柏樹社,224p. 1200 杉並378

◆花田 春兆 199010 『日本の障害者・今は昔』,こずえ,185p. 2100
> ◆花田 春兆 20000615 『雲へのぼる坂道――車イスからみた昭和史』,中央法規出版,276p. ISBN-10:4805819367 [amazon][kinokuniya] ※ cp

◆花田 春兆 他 200411 『支援費風雲録――ストップ・ザ・介護保険統合』,現代書館,238p. ISBN: 4768434460 2100 [kinokuniya]

◆花田 春兆 20080331 『1981年の黒船――JDと障害者運動の四半世紀』,現代書館,182p. ISBN-10:4768434673 ISBN-13:978-4768434673  \1785 [amazon][kinokuniya] ※ d/d00p.htm



◆花田 春兆 19911215 「ADA法やぶにらみ」,八代・冨安編[1991:122-130](『リハビリテーション』331より転載) ※

> ◆花田 春兆 19990331 「歴史は創られる」,石川准・長瀬修編『障害学への招待――社会、文化、ディスアビリティ』,明石書店,第9章

 
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◆20020826〜0901
 喜寿記念俳画展 赤坂「いちょう画廊」
 8月26日(月)〜9月1日(日)11時〜19時(最終日は17時)
 http://www.jdnet.gr.jp/info/2002/0731(SP).htm

◆200103 長瀬

花田春兆さんが特別養護老人ホームで
PHSを使ってインターネットに接続している
という記事がASAHIパソコンに出ています。

http://opendoors.asahi-np.co.jp/span/pkon/handicap/

◆20010306 長瀬

『リハビリテーション』誌2/3月号、花田春兆さんの連載 蟹の足音で、花田さん自身の『日本の障害者――その文化史的側面』(中央法規)の英訳が決まったとあります。楽しみですね。

 
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◆200010

都障害者福祉会館についての緊急要望書
                            花田春兆

 国際障害者年を前に建設された都立障害者福祉会館は、爾来今日にいたるまで、各
種障害者運動を活性化するための拠点として、大きな功績をあげて来ていることは疑
えない事実です。
 その会館が都財政の緊迫による経費節減のために、都直営方式から民間委託への移
管方針が打ち出され、明年4月の実施が約束されています。
 にも関わらず実施時期を目前にした現在なお、なんら具体策も示されず、このまま
では会館の存続さえ危ぶまれるのではないかと、会館を愛する多くの利用者を憂慮さ
せています。
 私たちはそうした憂慮を強く抱く者ですが、率直に言って、会館本来の主業務と思
われ、運営懇談会などでもそこだけに注意が集中してしまう集会室の貸し出し事業よ
りも、さらに強く存続への憂慮を深めているものがあります。図書・資料室関連の事
業です。
 開館以来絶えざる収集と保管の蓄積によって、おおよそ障害者関係の図書資料に関
する限り、他に類を見ない充実ぶりを示していることは、ひとり直接関係者のみなら
ず、たまたま訪れる研究者や福祉系の大学・専門学校の学生たちのほとんど全てが、
一様に賞賛をもって認める事業です。
 一般書店の店頭には出なかったり、絶版になっている図書はもちろんですが、それ
ら纏まった図書に勝るとも劣らない貴重な価値を持つと思われるものに、各種の障害
者団体の発行する機関誌・紙や会報の類が有ります。
 障害者自身の生活や心の動きを最も端的に伝える第1次資料に違いないのですが、
誌紙の外形的な体裁としては整わないものも多く、発行部数が僅少なこともあって、
一般図書館にも納められておらず、発行所である会の事務所(個人宅も多い)にさえ
バックナンバーが揃っていないケースもあるのです。
 それらの貴重で希少な資料である機関誌・紙類を、広範囲に収集・保管して閲覧に
耐えるように整備されているのは、会館の図書・資料室を除けば、絶対に他には求め
られないと断言しても過言ではないでしょう。
 もしも、この会館の図書・資料室に置いて散失・破棄などが行われれば、地球上か
ら完全に姿を消してしまう、少なくとも確実に閲覧できる場所が失われてしまうので
す。
 障害者の生きた歴史的証言が、それを求めている研究者・福祉関係者・学生たち、
そして現在を生きている多くの障害者の前から消されてしまうのです。
 現在の移管問題で揺れている会館では、集会室事業にかまけて図書・資料室関連事
業は、なおざりにされる可能性は大なのです。
 将来的には集会室事業とは切り離して、データベース化して直接会館利用者以外の
外部からの検索に応じるなど、福祉図書館的なものとして分離独立を計るべきだとは
信じていますが、取敢えず当面のこととして、集会室事業に偏った移管問題に紛れ
て、図書・資料室の貴重な存在が軽んじられて機関誌・紙類を含む図書資料の散失・
破棄がなされないように、緊急に適切な措置がなされるよう、切に要望するものであ
ります。よろしくご配慮下さい。

 

 ※は生存学書庫にあり。

■雑誌掲載

◆19820325 「IYDP私録」
 『福祉労働』14:055-062 ※
◆19870801 「”光明”の流れから」
 『障害者の福祉』07-08(073):11-13 ※COPY
◆19910201 「ADA やぶにらみ」
 『リハビリテーション』331(1991-02):22-26 ※COPY→八代・冨安編[1991:122-130] *八代英太・冨安芳和 編 1991 『ADAの衝撃――障害をもつアメリカ人法』,学苑社

◆19930201 「特集:国連・障害者の十年――評価と残された課題/お祭りさわぎ
 ?で何が変ったか」
 『障害者の福祉』13-02(139):03-05 ※
◆19940401 「「これで帰ります。後を頼みますよ。」
 『障害者の福祉』14-04(153):33-33 ※
 (追悼特集 太宰先生を偲んで)」

■その他

http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-385.htm

 
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◆しののめ編集部 編 1971『脳性マヒの本』
 しののめ増刊, しののめ発行所, 77p., 執筆:花田春兆, 宮尾修

                         東京都障害者福祉会館 402
第一章 脳性マヒとは
第二章 療育
第三章 教育
第四章 くらし
 介護 親
 ホームヘルパー
第五章 職業
 二日市氏 39-40
第六章 施設とコロニー
第七章 脳性マヒと社会
第八章 将来への展望

 →花田春兆 『脳性マヒの本』1983
  大幅に加筆・されている。

■1973 しののめ会※

◆しののめ編集部 編 19730315 『強いられる安楽死』,しののめ発行所,53p. 200円 東京都身体障害者福祉会館404→※COPY

 ※「しののめ会は,自主的な身体障害者のグループです。季刊の雑誌『しののめ』
   と,単行本による『しののめ叢書』の発行を主な活動にしています。」
  (「あとがき」より)

  一,安楽死の行なわれている事実        3 山北厚
  二,歴史の流れの中で            13 花田春兆
  三,“安楽死”をさせられる立場から     27 山北厚
  四,福祉・社会・人間            39 花田春兆

「一九三九年の夏、第二次世界大戦のヨーロッパでの口火となった、ポーランド進攻のはじまる直前、ある父親が、重複重症のある息子に対して、安楽死を与えることを許可するように、との手紙をヒトラーに直接親呈しているのです。
ヒトラーは、カールブラント博士に命じて、許可の指示を与えたのです。このことは、世論を沸かせました。しかし、戦争を目前にした殺気だった事態の下では、平常の判断などかき消されてしまうものです。ヒトラーは、この父親の手紙をフルに活用して、安楽死させることの正当性を国民に向って宣伝するのでした。(この歴史は決して死んではいない、という気がしてならないのです。昨秋、いわゆる“安楽死”事件が二つ続いたとき、安楽死を法的に認めさせようとし、日本安楽死協会の設立を目指した動きが、クローズアップされたことがありました。ことさらに法的に認めさせようとする動きの底に、権力と結びついて、生産力となり得ないものを抹殺しようとする暗い圧力、となりかねない力を感じないわけにはいかないのです。たしかに、それは杞憂と呼べるものかもしれません。しかし、それが杞憂に終るのだ、という保証はどこにもないのです)」(花田[1973:21-23])

◆19910201 「ADA やぶにらみ」,『リハビリテーション』331(1991-02):22-26 ※COPY→八代・冨安編[1991:122-130]
*八代英太・冨安芳和 編 1991 『ADAの衝撃――障害をもつアメリカ人法』,学苑社

◇立岩真也 1994/06/00「能力主義とどうつきあうか」,『解放社会学研究』8:77-108 90枚

 「A:「障害を持つアメリカ人法(ADA)」は「資格のあるqualified 障害者を障害ゆえに差別してはならない」とする。「資格のある障害者」とは「職務に伴う本質的な機能を遂行できる障害者を意味する」(第1章・第101項・8)。例えば頭を働かせることがその仕事の「本質的な機能」なら,頭を働かせることのできる者は,目や手やその他必要なものを機器を利用し,また他人の手を借りて補い仕事をする。その事業所内での援助費用は一定の条件のもとでは事業者の負担になる。だが頭もうまく動かない者はどうなるのか。その者は雇用されない。だが,それならいっそのこと頭も借りてしまえばよいのではないか。なんで頭を借りてはいけないのか。ともかくこの法律ではその者は雇用されない。この法律は,ある意味で徹底的な能力主義に貫かれている。@の問題は残っている。だからそれを指摘し,批判する者がいることは当然のことである。
 にもかかわらず,@の指摘を無視できないと思うにもかかわらず,私は,こうした法律が,必ずしも否定されるべきものではなく,むしろ積極的な意味を持つものだと思う。また例えば,大学という組織で適正な人材の配置が行われていないという指摘はよくなされる。この時に「能力主義」「業績主義」は肯定的に用いられる。私も,まずは私に固有の利害から,しかしそれだけでもないと思う何かによって,「能力主義」「業績主義」が肯定されてよいと感じる。これは一体どういうことになっているのか。」
 5) 花田[1991→1991]等。

◆立岩 真也 2018 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社

「□第6章 その傍にあったこと・予描2

□1 六三年・花田春兆の不満

 前章では、第3章・第4章で記述してきた空間のなかで、そしてそこを出て苦労して、八〇年代の初めに亡くなった人のことを書いた。そしてそれからさらにずっと、三十年以上の時間を経て、偶々知った一人の人について述べた。別の流れがそれを可能にしたし、六〇年代からできていった体制はそれを困難にしている。そのようにもまとめられるし、まずはただこんなことがあったとだけ言いたいのでもある。
 本章では、別の流れから来る仕組みとして今あるものに繋がるような動きがその時々にあったことを示す。ただ、その中身を示すのではない。その仕事は誰かがするだろう。ここではいくつかの事項、いくつかの事件を列挙だけする。
 まず、多くの人たちが称賛するなかで、一九六三年当時、水上勉の「拝啓」(129頁)他に数少なく批判的なのが脳性まひ者で同人誌『しののめ』を主催していた花田春兆(一九二五〜二〇一七)だった☆01。△415

 「切捨て卸免のヒューマニズム」では、『婦人公論』の座談会での水上勉氏の発言に触れましたが、その原稿が印刷所でもたもたしている間に、当の水上氏は、条件によっては重度障害の新生児に安楽死を与える生命審議会の設置に救いを求めようという座談会の発言から、鮮かに転進(?)して、重症児をなんとしても生かしていこうとする親の立場からの発言を、「拝啓・池田総理大臣殿」として『中央公論』に公開し、翌月の同誌に総理の代理の黒金官房長官の「拝復・水上勉殿」を書かせ、間髪を入れず、その「拝啓」を巻頭に載せた評論集『日本の壁』を出版して了ったのです。(花田[1963c])

 座談会(石川他[1963])と、それを批判する「切捨て卸免のヒューマニズム」(花田[1963a])は『相模原障害者殺傷事件』第2章「障害者殺しと抵抗の系譜」で紹介している([201610→201701b:55-62])。花田は、同人誌『しののめ』に比して大手の出版業界の動きが早いことを嘆いた後、座談会での発言からの転身(転進)にあきれ、有名人ゆえにその発言が注目されることを嘆く。そしてその書簡の文章が、『日本の壁』(水上[1963b])所収の他の文章に比しても、水上にしてはできのよい文章でないことを言い(私もそう思い、そのことを「系譜」にも記した)、水上が死んでも相続税を払わねばならないから金が(二分脊椎の)娘には残らないことを言う。「拝啓」についてはそれで終わり、島田療育園――水上の訪問記が水上[1963c]――になかなか職員が集まらないことを日本人の宗教心が少ないことに求めている大臣に対し、人を集めるのが大臣の務めだろうと言い、女性週刊誌『J』掲載の女性脳性まひ者の手記(『週刊女性』に載ったその文章が実は花田が書いた文章であることもやはり述べた☆02)に対する批判に反論する。批判といってもそんなところなのではある。
 そしてこの時期、「重心」の施設への支出が始まり、また国立療養所が受け入れるようになる。ただ、△416 施設の使いまわしだけが目指されたのではない。新しい施設が構想された。
 […]
 そしてこのコロニー構想についても花田は批判している。ただその批判は施設全般に対するものではない。

 作らないよりはいい。この事実と現段階での必要性の強いのは認めるね。だがどうせ作るのなら、キチンとしたスケールとビジョンを持ったものでなくてはならない筈だ。だから文句をつけておくんだがね。第一、作る動機だよ。また有名人のチカラ一つで左右されている事実。どうも後味が悪い[…]
 水上〔勉〕・秋山〔ちえ子〕・伴〔淳三郎〕の三氏らに突上げられた橋本〔登美三郎〕官房長官の鶴の一声で具体化への運びになったらしいが、本当に必要性があるものなら無名人の陳情によってだって作らなければならない筈だし、予算がないものなら誰が言おうが出来ない筈だよ」/「それがすぐ出て来るから不思議さ。それにあの三氏は熱心かもしれないが、身障者自身でもなければ、この問題のエキスパートでもない。まして橋本長官においておやだ。(花田[1965:34-35→2015])

 ここは始まりの部分。全文は立岩編[2015]に収録した。花田は施設を作ることには賛成する。親の会他の建設要求に対してそれは国家の義務だと言えないと厚生省が応じたことを捉え、当時構想された専門の部署まで設置された「国民休暇村」といったものを作るのはむしろ義務でないが、こちらは責務のはずだとする。そして近くに小さいものをたくさん作った方がよいこと、医療設備・機器に金をかけることはないこと、北浦がありがたいこととしてあげていた森繁久彌、伴淳三郎、秋山ちえ子らの「あ△418 ゆみの箱」の運動、有名ではあるが見識があるわけでない人たちの発言が大きく取り上げられることに不満を述べる。国立への移管によって二重に退職金が発生することへの疑問、等を言う。これらが架空対談のなかで語られる(花田[1965])。
 またこの懇談会と別に、「社会開発懇談会」の六五年の「中間報告」(社会開発懇談会[1965])でもコロニー建設が言われる。ただ、この報告で言われる「社会開発」は単純に経済成長を志向するといったものではないこと、そしてこのことと社会の中での施設の意味といった議論も必要であることを言うだけにしておく☆05。
 俳人・文人である花田はおおねねそんな韜晦の立場をとり続け、誰からもそう嫌われることなく、一九八〇年には国際障害者年推進日本協議会(現・日本障害者協議会)副代表を務めるなど、業界内的には知られる人にもなり、長生きして、二〇一七年に亡くなった。ただ、まずこの時期、彼は不快であり、その不快が聞かれないことが不快なのだ。いろいろな不満が語られるが、善意の大きな声があがると、ことが自分たちの前を通過して、するすると決まっていくこと、その周りに起こっている暗いこと厄介なことは無視されること、これらのみなが気にいらないようだ。そしてその不快はほぼ知られず、ことは進んだ。

☆01 花田と花田が主宰した同人誌『しののめ』について荒井裕樹[2011]。花田[2000]にでは日本で最初の養護学校だった光明養護学校はだいぶよい学校であったというその記憶が記される。その学校は、花田がことわっているように金持ちの子どもの学校ということではなったのだろう。ただ、その学校・施設に通わせようというする親の力・余裕・意志が、ある人がまずその学校や施設に入ったことを説明しているように思われる(263頁)。
☆02 荒井・立岩・臼井[2016]でも荒井がそのことを話している。
[…]△436
☆05 中間報告にもふれ日本での「社会開発」概念の出現について杉田菜穂[2015]。建設が決定され、できたのが「国立のぞみの園」だった。その歴史について遠藤浩[2014]、NHKのインタビューに応えたものに遠藤[2015]。他に船本淑恵[2017][2018]、また相澤譲治[2015]。」


REV:20050227, 0630, 20150218, 21, 20170513, 31(岩ア 弘泰), 20180105,1105
病者障害者運動史研究  ◇障害者(の運動)史のための資料・人  ◇脳性麻痺 (Cerebral Palsy)  ◇WHO  ◇生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築 
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