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書評:ヒュー・G・ギャラファー『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』
(
長瀬修
訳,現代書館,1996年,422p.,3605円)
立岩 真也
(信州大学医療技術短期大学部) 1997/04/30
『日本生命倫理学会ニューズレター』12:5-6
ナチス政権下での組織的な障害者の殺害(T4作戦)について、自身ポリオの障害をもつ米国人の著作家によって書かれた本。ここ数年日本でも関連書籍が出版された。米本昌平『遺伝管理社会――ナチスと近未来』(1989年、弘文堂)、トヴァルデッキ『ぼくはナチにさらわれた』(1991年、共同通信社)、ルツィス『灰色のバスがやってきた』(1991年、草思社)、カウル『アウシュヴィッツの医師たち――ナチズムと医学』(1993年、三省堂)、プロス他編『人間の価値――1918年から1945年までのドイツ医学』(1993年、風行社)、神奈川大学評論編集専門委員会編『医学と戦争』(1994年、御茶の水書房)、小俣和一郎『ナチスもう一つの大罪――安楽死とドイツ精神医学』(1995年、人文書院)。本書は、多くの部分についてこれらより詳細で具体的な記述がなされており、また重要な資料も付録として収めていて、必読である。訳文は読みやすい。歴史的背景、前史から計画の実行、それに医者、法律家、教会がどう関わったのか、その後この所業がどのように黙殺され、また問題にされるようになったのか、英語・独語の研究成果を用い、殺害の行なわれた施設を訪ねた印象や筆者自身の見解も随所に挟みながら、記述が進められる。
ナチズムが優生学を(過激に)実践したことは知られている、ことになっている。その「反省」が戦後なされたと言われる。ニュルンベルク裁判でナチスの所業が裁かれ、その判決文の一部が所謂ニュルンベルク綱領となり、インフォームド・コンセントが主張され、バイオエシックスもまたそうした流れを継承するものだと多くの概説書に書かれている。そして、新しい技術が、これはナチズムでなく優生学でないという言い方で正当化されようとする。たしかにユダヤ人差別、人種主義は反省され、人体実験等における被検者の同意の必要性は言われた。だが、行なわれたことの「本体」はそこに(だけ)あるのか。障害者の「安楽死」計画は1980年代に改めて見出された。それが長い間正面から取り上げられなかったことの意味も含めて、考え直す必要がある。たとえば筆者は、医療の枠組の中で、障害者が「治癒不能」であることにより医療者にフラストレーションを与える病人とされ、そこにこの途方もない計画が許容されてしまった事情、の少なくとも一部をみる。これは「国家の介入」や「自己決定」という問題設定には吸収し尽くされない。たとえば「治癒不能」に絶望し「自己決定」の上で死を選ぶことがあるだろうし、国家による強制ではなく身近な人達によって決断がなされることもあるだろう。こうした事態をどう考えるか。本書は、これらの問いについて私達に考えさせるものでもある。
40字×28行 37字×30行=1110字
REV: 20161031
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優生・ナチス
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安楽死
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