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不妊手術/断種|sterilization

(1-1・1-2)


優生:2018(日本)
優生:2017(日本)
強制不妊手術で人権救済申し立て(2015)

 


◆立岩 真也 2001/12/25 「優生学について・3――不妊手術の歴史」(医療と社会ブックガイド・11),『看護教育』2000-12(医学書院)

◆1989 「一八九八年にアメリカン・ジャーナル・オブ・サイコロジーに載った論文に、「精神薄弱者とてんかんの施設ミシガン・ホームの収容者全員を…また重罪を三度犯した者全員を、去勢させる」法案がミシガン州議会に提案され成立しなかったことが、マサチューセッツでは二六人の男児が「二四名はてんかんと自慰がたえないため、一名は痴愚でてんかんのため、残りの一名は精神薄弱で自慰をするために」治療の名のもとに去勢されたことが報告されている(Kamin[1974=1977])。法制定以前に断種手術が行われたことは吉田忠[1985:43-44]にも記されている。断種法についてはKamin[1974=1977]、吉田[1985:43-45]。米国からドイツへの影響については吉田[1985:42]。「アメリカでは戦前の断種法がそのまま機能している。ただし手術件数は減少傾向にある。」(米本[1989a:190]、実施件数も掲載)」(立岩『私的所有論』p.261・注31)
◆1905
◆1907
 「一九〇五年、ペンシルヴァニアで法案が成立するが、これは州知事に拒否された。一九〇七年、インディアナで最初に完全実施された法案が成立し、その後多くの州が続いた(カリフォルニア、ニュージャージー、ワシントン、アイオワ…) 。例えば一九一三年のアイオワの法は「犯罪者、強姦者、白痴、精神薄弱者、痴愚、精神異常者、大酒呑み、麻薬常用者、てんかん、梅毒患者、道徳的性的倒錯者そして変質者の生殖を防止」するために制定されている◆35。」(立岩『私的所有論』
◆1933 ドイツ断種法制定
◆1934 スウェーデン断種法(正式名「特定の精神病患者、精神薄弱者、その他の精神的無能力者の不妊化に関する法律」)制定
 cf.市野川 容孝 19990501 「福祉国家の優生学――スウェーデンの強制不妊手術と日本」
 『世界』1999年5月号(167頁‐176頁)
◆1940 日本 国民優生法
◆1941 スウェーデン断種法改訂
 cf.上掲市野川論文
◆1946 アルヴァ・ミュルダール「手当の支給は断種法の強化を求めるか?」
 cf.上掲市野川論文
◆1948 日本優生保護法
 「…本人の要請にもとづかない不妊手術は、次のようにして実施された。優生保護法の定める諸疾患――「遺伝性精神病」、「遺伝性精神薄弱」などがあげられていた――にかかっている者に対して「その疾患の遺伝を防止するため優生手術を行うことが公益上必要である」と認めた場合、医師はまず、行政関係者、医師、民生委員などからなる都道府県の「優生保護審査会」にその旨を申請し、この審査会が手術の可否を決定した(優生保護法、第四条)。また、遺伝性ではなくとも「精神病」、「精神薄弱」にかかっている者に対して、不妊手術が必要と判断した場合、医師は保護義務者の同意をえて、やはり優生保護審査会にその旨を申請でき、この場合も審査会がその適否を決定した(同、第十二条)。」(上掲市野川論文)
 *優生保護法下での不妊手術の件数等については、柘植あづみ・市野川容孝・加藤秀一) 19960920 「付録 「優生保護法」をめぐる最近の動向」,江原編[1996:375-409]
◆1975 スウェーデン 本人の明確な同意なしには不妊手術を認めないという法改訂
 cf.上掲市野川論文
◆19930613 「子宮摘出女性の両親 「夫婦で相談した」」
 『毎日新聞』1993-6-13
◆19930912 「子宮摘出が「こうぜん」と――変化に乏しい施設の状況」
 『奈良新聞』1993-9-12
◆19961110 優生思想を問うネットワーク
 連続講座第1回「知らずに受けた優生手術」
 佐々木千津子(全国青い芝の会・広島) 於:大阪府同和地区総合福祉センター
◆1997 スウェーデンでの強制不妊手術についての報道
 cf.上掲市野川論文
◆19970916 「強制不妊手術に対する謝罪を求める会」が厚生大臣に対し要望書「旧優生保護法による強制不妊手術の被害者に対する謝罪と補償について」
 cf.強制不妊手術に関する参考資料  厚生省の回答「優生手術は、たとえ本人の意思に反するものであっても、当時としては合法におこなわれたものであるから、謝罪も実態解明もするつもりはない」
◆19971124〜26 強制不妊手術被害者ホットライン 午後2時〜7時 03-3235-0593
◆199806 「強制不妊手術に対する謝罪を求める会」が厚生省に要望
 厚生省の回答「優生手術は、たとえ本人の意思に反するものであっても、当時としては合法におこなわれたものであるから、謝罪も実態解明もするつもりはない」
◆199811 国連人権規約委員会の日本政府報告書に対する最終見解「委員会は、ハンディキャップのある女性に対する強制的な不妊手術が廃止されたとを評価するが、過去にそのような対象となった人びとが新法においては補償の対象となっていないことを憂慮し、そのような法的措置が講ぜられることを勧告する」。
◆20000310 TIMES(イギリス)報道:アメリカの強制断種被害者が告訴(↓)


 「断種(Sterilization)は,去勢(Castration)とは異なる。去勢は,生殖腺そのものを除去してしまうのであるが,断種は,輸精管,輪卵管を結さくして,生殖能力を失 わせるものである。以前は,断種手術がなされると,生殖能力を復元することは不可能 であったが,最近では,復元可能な(一時的)断種法があり,避妊の手段として利用さ れている。」(山田卓生[1987:239])

 子供の質というよりは,親に関わって
 精神薄弱者/精神障害者/常習犯罪者に対して 主に合衆国での事例について
 山田卓生[1987:223-228]
 日本の障害者施設での事例…

◆立岩『私的所有論』第6章・注31

 「例えば断種に対して、それが次世代の人口の質を改善するものでしかないこと、社会問題を引き起こす者達=精神薄弱者――犯罪者、アルコール中毒者、売春婦、失業者――の性的放縦を許容することになりかねないといった批判がなされる。
 「このような批判は、主に精神薄弱者の隔離を主張する側から出された。そこでは、自らの立場として「生涯にわたる介護 life-long care」が唱えられた(Lapage[1920:197-199])。その立場によれば、精神薄弱者の施設への隔離は、初等教育の年齢を過ぎ社会に出た精神薄弱者を監視し続けることの困難やその場合の家族の負担を軽減するし、また精神薄弱者自身にとっても文明生活がもたらす外界の過剰な刺激が遮断されることで精神的な安定が得られ、それによって各自の程度に応じた労働の効率も上がるだろう、また最終的には、変質した人口が新たに増加するのを抑制することができるだろう、とされた(Douglas[1910:255-256])。」(太田省一[1992b:82-83])

◆強制不妊手術に対する謝罪を求める会
 〒110-0013 台東区入谷二‐二五‐八 池田ビル101「こらーる・たいとう」気付

 ◆優生学
 ◆女性障害者の子宮摘出問題・関連文献

◆19970916
 要望書「旧優生保護法による強制不妊手術の被害者に対する謝罪と補償について」
◆19970916
 強制不妊手術に関する参考資料

□文献(日本での発行順)

◆山田 卓生 19870910 『私事と自己決定』 日本評論会,263p. 2000
◆伊藤 弘人・丸井 英二 1994 「不妊手術の優生学的適用の推移と問題点――精神障害者への適用を中心として」 『民族衛生』59-1:37-44
◆三木 妙子 199502 「イギリス判例法における精神障害者の不妊手術」 唄・石川編[1995]
松原 洋子 199710 「優生問題を考える・3――障害者と優生保護法」 『婦人通信』465:42-43
◆松原 洋子 1998 「戦時期日本の断種政策」 『年報科学・技術・社会』7:087-109
◆市野川 容孝 19990501 「福祉国家の優生学――スウェーデンの強制不妊手術と日本」
 『世界』1999年5月号(167頁‐176頁)*
◆松原 洋子 20000720 「日本――戦後の優生保護法という名の断種法」 米本・松原・ぬで島・市野川[2000:169-236]
◆米本 昌平・松原 洋子・ぬで島 次郎・市野川 容孝 20000720 『優生学と人間社会』 講談社現代新書,286p. 720 *
◆Trombley, Stephen 1988 The Right to Reproduce,revised edition 2000=20001130 藤田真利子訳,『優生思想の歴史』 明石書店,明石ライブラリー26,398p. 4600 *
◆二文字 理明・椎木 章 編 2001 『福祉国家の優生思想――スウェーデン発強制不妊手術報道』明石書店,206+8p.,2500円+税
 
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◆記事:強制断種被害者が告訴(米)

TIMES(イギリス)2000/3/10にのった記事です。
アメリカの強制断種被害者が告訴

"Eugenics victim sues over ordeal of 60 years ago"

http://www.the-times.co.uk/news/pages/tim/2000/03/10/timfgnusa01003.html


以下、記事の本文。

The Times  March 10 2000 UNITED STATES
Eugenics victim sues over ordeal of 60 years ago
FROM DAMIAN WHITWORTH IN WASHINGTON

A VICTIM of the notorious eugenics programmes that once flourished in
America is suing the local authority that forcibly sterilised him in a
landmark case that could precipitate thousands of similar lawsuits.
Fred Aslin, 73, has brought an action against the state of Michigan more
than half a century after he was rendered unable to have children by a
policy seeking to achieve "race betterment".

Mr Aslin was one of a family of nine Indian children who were taken from a
mother struggling to care for them and placed in a mental institution.
There, when they reached the age of 18, each was sterilised.

"They said it was because we were feeble-minded morons and that any children
we might have would be just like us, or worse," Mr Aslin said. In fact,
records show that there is no evidence that the Aslins were backward in any
way.

The issue of racism hangs heavy over the case because of the children's
Ottawa and Chippewa heritage. "My brother John always thought it was just
because we were poor Indians," Mr Aspin told The Washington Post yesterday.

The eugenics movement started in the early decades of the last century, and
although Hitler's sterilisation of as much as 1 per cent of the German
population forced many to reconsider, it remained popular in many states in
America.

More than half the states introduced legislation permitting the forced
sterilisation of "mental defectives" after such prominent figures as J. H.
Kellogg, the cereal tycoon, championed the cause. Kellogg, who held a
conference on the subject, once declared: "We are supporting an idle
population of defectives. And we permit these defectives to breed more and
worse lunatics, idiots, criminals and paupers."

It is believed that 60,000 or more Americans were sterilised in the 1930s,
1940s and 1950s. Mr Aslin and his siblings were regarded as just another
batch who should not be allowed to procreate.

After his 1944 operation, Mr Aslin spent four more years in the Lapeer State
School before he was released and got on with his life. He fought in the
Korean War, where he was wounded, and then became a successful farmer,
married and brought up two stepchildren.

He tried not to think about the years of his incarceration. But a couple of
years ago he used the Freedom of Information Act to obtain records from that
time in which he was both labelled a moron and praised for his academic
abilities. He decided to sue.


Michigan has a three-year statute of limitations and his case was initially
rejected on that ground. But his lawyer will argue that there is a precedent
for older cases to be heard when the victim was unaware of what exactly was
done to him and where his rights were violated.

Mr Aslin says that he was never told exactly what had occurred and that he
was not allowed to attend hearings on his case back in 1944 or even meet his
so-called guardian.

If he wins, the floodgates could open. Already he has been sent "personal
apologies" from Michigan's director of community health, James Haveman.
"Looking back on it now, it is clear that the treatment you and others
received was offensive, inappropriate and wrong," said Mr Haveman in a
letter shown to The Washington Post. "I am saddened that it took so long and
so many had to suffer before the medical profession and judicial system
realised how offensive the practice of sterilisation was."


Eugenics sprang from the philosophy of social Darwinism, which envisioned
society in terms of natural selection and suggested that science could
engineer progress. US advocates of sterilisation worried that the survival
of old-stock America was being threatened by the influx of "lower races"
from southern and eastern Europe. (Reuters)

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■■女性障害者の子宮摘出問題
                                 1995.8.17
                              更新:1997.2.13
                                 1997.9.17
                                 2001.4.26

●新着

瀬山 紀子 20010320 「日本に於ける女性障害者運動の展開(1)――70年代から80年代後半まで」
 『女性学』8:30-47
◆19970916
 要望書「旧優生保護法による強制不妊手術の被害者に対する謝罪と補償について」
◆19970916
 強制不妊手術に関する参考資料
◆199710 松原 洋子 199710 「優生問題を考える・3――障害者と優生保護法」,『婦人通信』465:42-43

 

■引用

「やっぱり私は、このままずーっと、ここで(障害者生活施設)生きていかなきゃならないんだろうな。ほれたはれたなんて別世界のことだと。ここ以外、行き場がないと思ったら、こんなしんどい生理なんか、あっても仕方ないと思った。関係ないと思った。ここから出られないんなら、今までの健全者の女の子の持つような、夢とかあこがれとか、結婚とかウエディングドレスとかを、子宮摘出することで断ち切ろうと思った。」(鈴木[1984→1995:32]()内引用者)

「摘出手術をした後で、何が悲しかったって、手術したこと自体悲しかったけど、手術の後、寮長や職員に「えらいわねえ」っていわれたの。寮長も職員も、おんなじ女なのに、私の気持ちなんか、なーんにもわかんないくせに、私がどんな思いで手術したのかもわかんないくせに「えらいわねえ」っていわれたのがすごくくやしくて、悲しかった。」(鈴木[1984→1995:37])

「「障害者であって何が悪い」という開き直りはできるよね。それから「子宮をとってなぜ悪い」というのも、とっちゃったんだからできる。でも、子宮をとってしまったものが「とるべきではなかった」っていうことを、いじいじしないで、やってかなきゃいけないわね。」(鈴木[1984→1995:45])

鈴木利子 「Are You Ready?」 岸田・金編 『新版 私は女』、長征社、一九九五年。

■経緯(瀬山[2001]より)

 「1970年代後半に、優生保護法「改正」と並んで障害者運動のなかで大きな課題となったのが「子宮摘出手術」の問題である。子宮摘出手術とは、障害を持つ女性の子宮もしくは卵巣を、月経をなくすことを目的として(主には介助する側の月経介助軽減を目的として)摘出した手術を指している。優生保護法第4条及び第12条で規定された本人の同意を必要としない不妊及び断種手術実施数は1949ー1994年までに統計で明らかになるものだけを見ても16520人(内男性が5164人)にのぼる(3)。しかし、「子宮摘出」は、法律とは直接関係のない施設内での「生理時の介助軽減」などを目的としてなされてきたため、統計には上がっていないと考えられる。
 以下では、障害を持つ女性たちが、どのような過程を経<36<て「子宮摘出手術」を問題にしてきたのかを70年代後半の障害者運動の記録などを元に明らかにしていく。同時に、「子宮摘出」の問題化を困難にしてきた背景を女性たちのセクシュアリティの問題と関連して探ることで、女性障害者のおかれている状況を明らかにしてみたい。

  (1) 子宮摘出の合法化要求をめぐって
 「子宮摘出」の問題化は、障害を持つ女性自身による「子宮摘出」合法化要求から始まった。
 1979年の車いす市民全国集会、女性障害者問題分科会(4)で、大阪から参加したCPの女性が「自分は子宮をとって生理介護を受けなくなってすごく自分の人生が広がった」、しかし「子宮摘出は安全な形ではできないから法的に保障して欲しい」という内容の発言をした(堤[1989:62])。それに対して、分科会に参加していた障害を持つ女性たちから、「生理介護を受けることで迷惑をかけるから子宮を摘出する」ということは、介助を受けて生活する障害を持つ我々の生活自体を否定することにつながるという反論が起きた(堤[1989:62])。また障害を持つ女性たちの多くが、施設か家族の元での生活をしている現状での子宮摘出の「合法化」は、事実上「子宮摘出の強制」を招くとの批判も行われた。これらの批判は、彼/女らが自立生活運動をする中で「自立」の意味を「介助者と共に、他者と助け合いながら、自分の生活を作っていく」ことへと転換させてきたことを背景に成立したといえるだろう。また、障害者であるがゆえに子どもを産み育てることができないとされてきたなかで、実際に、先に見たCP女の会の女性たちのように地域で自立生活をしながら子どもを産み育てている女性障害者たちが存在し始めていたことも「子宮摘出」問題化の背景にあるといえる。
 79年の女性障害者分科会は、その後大きな波紋を呼び、特に施設内で子宮摘出を「勧められ」、摘出をした(せざるを得なかった)という女性たちから、「合法化」要求の問題性や、施設内での女性差別の問題が指摘された(「障害者」が地域で生きる会[1981])。
 1981年の車いす市民全国集会では、79年に子宮摘出合法化に関する発言をした女性をパネラーにした分科会が開かれている。ここでは、施設などに暮らす人々にとって半ば「公然の秘密」となっているにもかかわらず、そのことを公に話したり相談したりする場がないことの問題性<37<が話されている。また、事実上行われてきた手術のあり様や危険性、身体への影響などを問題化する必要性が提起されている。
 集会では、その他「子宮摘出」は、「親」や「施設職員」の介助軽減を第一の目的としたものであり、介助者の都合にそって障害を持つ女性の身体が変えられていくことが果たして許されるのかという主旨の発言や、障害を持つ女性は「結婚」することや「子どもを持つこと」ができない存在(そうしてはならない存在)とされてきたのであり、その意味で、「女性としての性」を奪われてきたとする発言も見られる。しかし、これに対して、「女性であれば子どもを持つべきである」という社会的な規範自体が障害者女性を抑圧しているのではないかという主張も行われている。また、実際に子宮を摘出をした女性からは、子宮摘出をしたことによって、「女性ではなくなる」「結婚できなくなる」といわれることへの違和感が提出されている(車いす市民全国集会[1981])。
 以上、列記したように「子宮摘出」の問題は、79年の車椅子市民集会での発言に端を発し、以後様々な場で議論を呼ぶことになった。「子宮摘出」の合法化要求という形での発言は、それまで表だって語られてこなかった女性障害者の「子宮摘出」を議論の対象にしたという意味では、画期的なことだったと考えることができるだろう。「子宮摘出」は、手術を受けた女性たちの身体への過度な負担によってようやく公の場での問題とされてきたのである。

   (2) 「自己決定」・「セクシュアリティ」

 しかし、先の発言にもあったように、施設内での子宮摘出は、多くの障害者、特に女性障害者たちにとっては「公然の秘密」とさえ言われた話題であった。それが、なぜ79年の合法化要求を待つまで、公には語ることのできないこととされてきたのだろうか。この問題を、「自己決定」と「セクシュアリティ」という二つの観点から探ってみたい。  次の言葉は、「子宮摘出手術」を「決定」するに至った一人の障害を持つ女性の言葉である。

「やっぱり私は、このままずーっと、ここで(障害者生活施設)生きていかなきゃならないんだろうな。ほれたはれたなんて別世界のことだと。ここ以外、行き場がないと思ったら、こんなしんどい生理なんか、あっても仕<38<方ないと思った。関係ないと思った。ここから出られないんなら、今までの健全者の女の子の持つような、夢とかあこがれとか、結婚とかウエディングドレスとかを、子宮摘出することで断ち切ろうと思った。(鈴木[1984=1995:32]()内引用者)」
「摘出手術をした後で、何が悲しかったって、手術したこと自体悲しかったけど、手術の後、寮長や職員に「えらいわねえ」っていわれたの。寮長も職員も、おんなじ女なのに、私の気持ちなんか、なーんにもわかんないくせに、私がどんな思いで手術したのかもわかんないくせに「えらいわねえ」っていわれたのがすごくくやしくて、悲しかった。(鈴木[1984=1995:37])」
「「障害者であって何が悪い」という開き直りはできるよね。それから「子宮をとってなぜ悪い」というのも、とっちゃったんだからできる。でも、子宮をとってしまったものが「とるべきではなかった」っていうことを、いじいじしないで、やってかなきゃいけないわね。(鈴木[1984=1995:45])」

 以上の語りから「子宮摘出」の問題化を困難にした要因の第一点目、つまり「自己決定」の問題を明らかにしてみたい。以上の語りが示すように、生活施設以外での子宮摘出は、受けた当人の「自己決定」という形を取って行われてきた。そのため子宮摘出を受けた当人は、「まわりを考えて摘出手術を受けたえらい人」とされ、問題が摘出を受けた個人の意識の問題へすり替えられている。それによって、本人が置かれている施設という限定された生活環境が摘出せざるを得ない状況を作り出しているという問題や摘出手術自体の危険性などは不問とされている。また、自己決定をした本人は、摘出にまつわる身体の変調なども含めた問題や事後責任を自ら負うことを要請され、問題があるということ、また「とるべきではなかった」という思いさえ言い出しにくい状況が作られていると考えられる。
 このように子宮摘出を「自己決定」した(せざるをえなかった)女性たちの問題から、「自己決定」という制度のあり方のもつ問題性が浮かび上がる。第一に、「自己決定」は、本人の意識の問題に還元され、決定を取り巻く社会的な状況が切り離されてしまうという問題がある。また、第二に「自己決定」は、それが権力を持つ側の意図に添う決定として行わ<39<れるとき、権力の側をより強固にするためのものとして機能する。つまり、本人の同意という形を取ることによって「支配的な現実」は補強され、不問とされ支配的な力となってしまう。これらのことから、障害を持つ女性の「子宮摘出手術」が、施設への収容を前提とした福祉施策や障害者への差別などを背景とする事実上の強制を伴ったものであったことが明らかになる。
 次に、女性障害者とセクシュアリティをめぐる問題に焦点を当ててみたい。「障害者」の性はそれ自体、不可視化されてきた。その要因には「障害者は子供を持つべきではない」という差別的規範があると考えられる。セクシュアリティという言葉そのものが、優生思想を一つの柱にマジョリティの再生産を目的とした制度を指しているため、障害者は、そのような制度から排除されてきたと考えることもできる(竹村[1997])。また、具体的には成人してからも施設や家族の元で暮らさざるを得ない状況が、障害者の性の隠蔽につながってきたということもできる。
 障害を持つ女性にたいする性暴力は、それを性暴力であると認識させない役割を果たす「障害者=無性」という規範によって、隠蔽され続けてきた。また、摘出したものが「子宮」という「性」と直接的に関連する身体の一部であったため、語ることができない、語ること自体「恥ずかしい」とされてきたといえる。そのような状況下で「子宮摘出」を受けざるを得なかった女性たちは、「子宮」に象徴される母としての女性役割、「女としての性」を担えない存在として自己否定観を持たされるという構造の下に置かれてきた。そのため、実際に危険な手術などを問題化することはもちろん、摘出という事実が、摘出した本人にとって恥ずべきものとされ、それによって「無性」であることを認めざるを得ないかのようにされてきたのである。
 以上述べてきたように、女性障害者は、一方で性暴力の被害にさらされ、一方で性的存在ではない「無性の存在」と位置づけられてきた。子宮摘出は、障害者に「女性としての性」を担えない存在であることを認めさせるための役割を果たし、そのなかで摘出を決断せざるを得なかった女性たちに「恥」と沈黙をしいてきた。<40<
 このように女性障害者と子宮摘出をめぐる問題は、いくつもの重要な問題を投げかけている。次に見る「むかい風」は、そのようななかで結成された障害者女性たちによる性に関する語りの場、セルフヘルプグループ活動である。」(瀬山[2001])

■文献

◆「障害者」が地域で生きる会 編 1981
『女性「障害者」の差別への怒り――子宮摘出手術』 12p.

◆『生きる会ニュース』030 19811125 特集:子宮摘出手術/生い立ち(鈴木利子)・6/… 
『生きる会ニュース』031 19811225 生活保護・生活保障/子宮摘出 
『生きる会ニュース』033 19820225 生い立ち(鈴木利子)・8/子宮摘出/… 
『生きる会ニュース』034 19820325 生い立ち(鈴木利子)・最終回/子宮摘出/… 
『生きる会ニュース』035 19820425 子宮摘出/… 
『生きる会ニュース』036 19820525 子宮摘出/… 
『生きる会ニュース』037 19820625 子宮摘出/… 
『生きる会ニュース』038 19820725 子宮摘出/… 
『生きる会ニュース』039 19820825 子宮摘出/… 
『生きる会ニュース』040 19820925 子宮摘出/全障連大会/… 
『生きる会ニュース』076 19851025 子宮摘出/… 

◆岸田美智子・金満里 編 1984 『私は女』,長征社
 岸田美智子・金満里 編 1995 『新版 私は女』,長征社
◆鈴木利子 1984→1995 「Are You Ready?」 岸田・金編 『新版 私は女』,長征社
◆『全障連』091 19891215 特集:障害者女性への子宮摘出問題/赤堀
『全障連』092 19900129 特集:子宮摘出・優生手術糾弾/野田事件/富山市
『全障連』093 19900220 特集:子宮摘出・優生手術糾弾/国際識字年
『全障連』097 19900628 子宮摘出問題/雇用/池田円/宇都宮病院/脳死・臓器移植
『全障連』099 19900901 野田事件/宇都宮病院/子宮摘出/国際識字年/第15回大会分科会報告/…
『全障連』104 19910220 湾岸戦争/子宮摘出/児童扶養手当/公的介護保障・長野県と話し合い
『全障連』108 19910710 脳死・臓器移植/普通学校:鹿児島/高校:尼崎/障害年金の国籍条項/子宮摘出/宇都宮病院/反差別国際運動/大会
『全障連』120 19930805 障害者総合情報ネットワーク/生活保護・差別川柳/雇用:労働省交渉/女性障害者の子宮摘出/宮城:公的介助保障/徳島:脳死・臓器移植反対/…
『全障連全国事務局ニュース』005 19891208 子宮摘出・声明

◆全国障害者解放運動連絡会議 19900325 「障害者への性の管理・差別を許すな!――障害女性への子宮摘出問題に対する闘い」,『福祉労働』46:109-110

河東田 博・河野 和代 1994 「知的障害とセクシュアリティ――子宮摘出問題と結婚生活援助のあり方を中心に」
厚生省心身障害研究[1994:145-152]*
* 厚生省心身障害研究,主任研究者:高松鶴吉
  『心身障害児(者)の地域福祉に関する総合的研究 平成5年度研究報告書』

※以上のCOPY等を立岩が所蔵しています。
 
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■■ペルーの強制断種手術

ペルー先住民が強制された不妊手術の実態
 フランソワーズ・バルテルミー特派員(Francoise Barthelemy)訳・森亮子、斎藤かぐみ
 Le Monde diplomatique 2004年5月号

Peru: UNFPA Supported Fujimori's Forced Sterilization Campaigns
 Sunday, 21 July 2002

Peru: Fujimori's Forced Sterilization Campaign.
 Reporter: Juliana Ruhfus

Peru's Apology for Forced Sterilization Feared Part of a Strategy to Limit Family Planning Options
 July 26, 2002

フジモリ政権下の不妊手術キャンペーン
 古屋哲(アムネスティ・ニュースレター 2001年7月号掲載)

フジモリ政権下、不妊手術を強制されたペルー先住民
 山本勝美(2004/07/05)

※ 言及・コメント Ashley事件から生命倫理を考える

*このファイルは文部省科学研究費補助金を受けてなされている研究(基盤(C)・課題番号12610172)の一環として作成されています。

  ◆優生(学) (eugenics)
  ◆優生保護法 (Eugenics Protction Law, Japan 1948)
  ◆障害者と性・関連文献
  ◆ハンセン病


REV:... 20100326, 20131114, 20171117
出産・出生とその前後
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