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山本 勝美

やまもと・かつみ
http://www03.u-page.so-net.ne.jp/xa2/h-kani/



 *以下,立岩の,更新を怠っているデータベースにあったものだけ
 &山本さんのホームページから「著書」の欄を利用させていただきました。
 http://www03.u-page.so-net.ne.jp/xa2/h-kani/chosyo.htm

◆2005/06/25 「共生へ――障害をもつ仲間との30年」
 障害学研究会関東部会 第46回研究会

●1995〜

◆20001225 「幼児虐待はなぜ増える?――臨床現場からの報告」
 『季刊福祉労働』89
◆20000325 「あれから三年--『優生保護法』は変わったけれど」集会報告――クリスティーヌ・テラーさん(ドイツの精神科医)講演」
 『季刊福祉労働』86
◆19990625 「共生へ――障害をもつ仲間との30年」
 岩波書店,248p. 1800 ※
◆19990325「強制不妊手術に対する事実の解明と謝罪を」
 『季刊福祉労働』82
◆19980808〜0809「マルタと沖縄」
 『沖縄タイムズ』(1998年8月8日・9日,2回連載)
◆19980415〜0424「沖縄とマルター戦略要地から平和拠点へ」
 『琉球新報』(1998年4月15日〜4月24日まで7回連載)
丸本 百合子・山本 勝美 19970421
 『産む/産まないを悩むとき――母体保護法時代のいのち・からだ』
 岩波書店,岩波ブックレット426,63p. 400 ※
 http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/9/0225040.html
◆1995 「国勢調査を調査する」,岩波ブックレット
 http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/4/0033200.html
◆1995 『障害をもつ子のいるくらし』
 共著・筑摩書房

●〜1994

◆19801225 「振い分けに抗する中での業務実践――
 保健所乳幼児心理判定員の立場から」
 『季刊福祉労働』09:082-091 ※
◆19810625 「振り分けに抗する中での健康診断業務・その後――
 心理判定員の立場からの展開の方向と全障研式発達診断法導入をめぐる保健所の動向」
 『季刊福祉労働』11:134-140 ※
◆19820925 「幼な子たちは風雨にさらされている――乳幼児健診の差別構造とその背景」
 『季刊福祉労働』16:032-041 ※
◆19821225 「「精神障害者」実態調査「実施宣言」の意味するもの
 ――保安処分新設への補強策」
 『季刊福祉労働』17:088-094 ※
◆198311 「精神衛生調査すぐ中止を」
 『朝日新聞』「論壇」
◆19831225 「世紀的転換期にさしかかった母子保健再編
 ――優生保護法改悪との運動の中で」
 『季刊福祉労働』21:075-082 ※
◆19840606「国の精神衛生調査に疑問」
 『読売新聞』「論点」
◆19840625 「いよいよ登場した母子保健改悪策動」
 『季刊福祉労働』23:114 ※
◆(文責) 19840925 「母子保健法改悪を阻止しよう」
 『季刊福祉労働』24:118 ※
◆(文責) 19841215 「母子保健法改悪阻止の集会開く」
 『季刊福祉労働』25:076-077 ※
◆19850325 「”阻止”十年が生み出したもの――障害者実態調査阻止運動をめぐって」
 『季刊福祉労働』26:141-149 ※
◆19870520 「される側にとって調査とは何か」
 広田・暉峻編[1987:23-85](『調査と人権』1部1章)
◆19870520 「心身障害者調査の歴史と反対運動」
 広田・暉峻編[1987:124-147](『調査と人権』*1部4章)
 *現代書館
◆19871015 「母子保健とはなにか――保健所の歴史をふまえて」
 日本臨床心理学会編[1987:61-118]
 『早期発見・治療はなぜ問題か』,現代書館
◆19871225 「期待に”優生思想”で応えた国障年」
 『季刊福祉労働』37:023-033 ※
◆19880325 「「アイヌ調査」問題からの教訓」
 『季刊福祉労働』38:090-091 ※
◆19880625 「子どもとともに自立していった女性」
 (保健所の相談窓口から 第1回)
 『季刊福祉労働』39:099-102 ※
◆19880925 「「受け入れ」から「追い出し」への変身」
 (保健所の相談窓口から 第2回)
 『季刊福祉労働』40:127-130 ※
◆19881225 「迷い続けて,そして一歩前進」
 (保健所の相談窓口から 第3回)
 『季刊福祉労働』41:094-097 ※
◆19890401 「はなやかな海外勤務の陰で――向い風の中の子ども,おんな,おとこたち」
 (保健所の相談窓口から 第4回)
 『季刊福祉労働』42:122-125 ※
◆19890625 「子猫への愛情によって成長した少年」
 (保健所の相談窓口から 第5回)
 『季刊福祉労働』43:112-115 ※
◆19890925 「””子殺し事件””に追い込んだものは」
 (保健所の相談窓口から 第6回)
 『季刊福祉労働』44:106-109 ※
◆19891205 「マルタの平和外交学び、友好深めよう」
 『読売新聞』「論点」
◆19891225 「子どもにとって「乳幼児検診」とは」
 『季刊福祉労働』45:056-068 ※
◆19891225 「立派な親なんていらない?」
 (保健所の窓口から 第7回)
 『季刊福祉労働』45:118-121 ※
◆19900309〜0319 「沖縄とマルタ――その驚くべき相似性」
 『琉球新報』・1990年3月9日〜3月19日まで6回連載)
◆19900325 「「こんな子,どうやって預かれっていうんです!?」
 (保健所の窓口から 最終回)
 『季刊福祉労働』46:116-119 ※
◆19900925 「まやかしの”祭典”・「身障者スポーツ大会」
 ――身障者スポーツの歴史と国家政策」
 『季刊福祉労働』48:049-067 ※
◆1991 『医療心理臨床――心理臨床プラクティス第3巻』
 共著・星和書店
◆19910925 「シンポジウム「ノーマライゼーションの存在
 ――世界の到達点は」よもやま話」
 『季刊福祉労働』52:106-107 ※
◆19911225 「スポーツは政策になり得るか
 ――ライフ・スタイルとしてのスポーツの創造へ」
 『季刊福祉労働』53:094-096 1236 ※
◆19911225 「人生丸ごとの反天皇思想 北村 小夜著『慈愛による差別』」
 『季刊福祉労働』53:123-123 1236 ※
◆19930625 「ティーチ・イン「いま、どうする?優生保護法」は力の入った集会でした」
 『季刊福祉労働』59:140-147 1236 ※
◆19940625 「今日,全人類が新たな優性主義の挑戦を受けている
 ダニエル・J・ケヴルズ著 西俣総平訳 『優性学の名のもとに
 ――「人類改良」の悪夢の百年』」
 『季刊福祉労働』63:117-117 ※

 

障害学研究会のためのレジュメ
05.6.25 山本勝美

○この本は非障害者の立場から、障害をもつ子・人との関わりの体験史を綴った
ものです。
1)この作品にたどり着くには、ぼくなりの長い道のりがありました。 
2)またこの作品を書き上げることでこれまでにない視野が生まれました。

これらのことに触れることは、ぼく自身の障害者問題・運動への関わり全体に触
れる事になります。

< 経  過 >

第1段階ーーー大学闘争及び学会運動の中で自分の仕事と自分自身のありようを
問い直し、社会意識に目覚める

67年より今日まで保健所の乳幼児健診で心理相談員(非常勤)をしてきた。そこ
で障害児と出会ったが、初めはカウンセリング等に興味があり、障害児には関心
がなかった。
69年春、ぼくはある大学に常勤で勤めていたが、大学闘争が始まり、自分と社会
を見つめ直す意識が大きく育っていった。その中で心理学を問い始めた。
また69年秋からは臨床心理学会での”造反運動”が始まり、”する側”としての
自分の日常業務について”される側”の視点に立って問い直すようになった。

このような経過から、障害児に対する関わり方は、心理判定から「地域で共に育
つ」という方向性へと基本的に転換した。

70年代になって、地域の会で障害児の親子とつき合い始めた。この活動の中で
障害者運動との接点ができた。「障害児・者」実態調査阻止闘争がそのきっかけ
となった。
この闘いは5回行われ、毎回のように、そのあとに運動の大きなうねりを創出し
ていった。

・73年精神衛生実態調査阻止闘争・・・保安処分新設阻止闘争へ
・75年精神薄弱児・者/身体障害児・者実態調査阻止闘争・・・全障連結成、養
護学校義務阻止闘争へ
・83年精神衛生実態調査阻止闘争・・・宇都宮病院内部告発、精神衛生法改正ーー
>精神保健福祉法へ
(「調査と人権」現代書館。1996。参照)

○第2段階ーーー「健常者ペース」という批判の中で非障害者としての立場性を
強く自覚し始める

 75年の闘いの過程で「健常者ペース」「障害者の介護をしていない」という批
判を繰り返し受けた。
そのことから、非障害者としての自分の立場性に対する捉え返しにこだわり始めた。
と同時に、中心的に動いていた仲間、村田実君、荒木義昭君ほかの介護に入った。
以後、障害者に関係する運動において、ぼく自身は障害当事者の主体性を先ず尊
重する、当事者の声に聞く事に努めた。また障害者運動自体がその原則を強く打
ち出していった。


○第3段階ーーー本著作を進める中で非障害者の立場としての自分について、改
めて直視してみた

 編集者から「障害者に関わってきたあなた自身の経過」についてなら出版でき
る、と言われて、やってみようと決意しました。でも、書き続ける中で編集者か
ら繰り返し「その時山本さんはどう感じ、考えたのか」と問われ続けました。そ
れ程に障害者のことばかりが出てきて、自分の主体面、思い、考えなどを対象化
することが困難になっていたようです(「あとがき」参照)。

<明らかになったこと>・・・各場面での自分の思い、考えを正直にみつめ、表
現できた。
また障害者仲間の思い、意図もありのままに記述できた。

○ 障害者と非障害者の関係は、社会状況の中では「差別するvsされる」という”
たての関係”に置かれている。非障害者には、そうした基本的構造があるという
ことを絶えず捉え返しながら関わることが求められている。

○ と同時に、もう一方では、
「非障害者は”障害者の手足”といった介護の手段、また運動においては没主体
的なサポーターではない。」
 介護、運動におけるそうした役割は引き受けつつも、障害をもたない者として
の主体性もまた追求してゆく必要があると思うのです。

○そこで本書では4人の仲間との関係について点検してみました。とくに、果た
して自分はどこまで本当に4人と信頼し合えていたのか?単なる介助者、支援者
という役割関係以上に一人の人間として友だちと呼べるほどに深く親しい関係に
達していたのか?
 これがこの本のもう一つのテーマです。
 そして、ぼくが最も長く深く(17年間)接した村田君が亡くなったとき、彼を
心から”友だち”と呼べない自分を感じました。それはなぜ?
 もう一人の障害者、猪野千代子さんとは、彼女が自分の性被害の体験を打ち明
けてくれた程に信頼されたと言うことが言えます。異性という限界とまた、かえっ
て親近感もあったのではないかと今は思います。
 そして、4人目の和夫君に至って素直に”友だち”と呼べたのです。

○なお、いま振り返ってみるときに、生活保障の課題については障害者の主体性
をベースにするという原則はその通りでしたが、教育・保育・母子保健など子ど
もに関する運動、また実調闘争においては、やはり非障害者・”専門職”者によ
る役割を抜きにしての運動は見えてきません。

 そこで、専門職者としての役割については、障害者の側に立ったADVOCATEとし
ての在り方が求められると思っています。

<「介護する」ー「介護される」の関係をめぐって>

この関係性(ここでは”介護関係”と呼ぶ)についても上記の関係性に関して触
れた点が重なるように思います。

つまり、介助者は自分のするケアについては基本的には障害当事者の意向に従っ
てするのが原則です。しかしまた、介助者は決して介助をするロボットではあり
ません。一人の援助者としての思い、考え、等主体性を持っています。
のみならず、実際には、良好な関係、しっくりしない関係などさまざまな介護関
係ができてきます。

あるCILでは、関係における個人的なトラブルを避けるために、定期的に担当者
を変更したり、また一切の個人的な関係には踏み込まないと言う規則を定めています。
でもこうした規則によって問題は解決するのかは疑問です。
 では反対に、介護関係は深まってゆくときには「友だち」関係にまで深まりう
るのでしょうか?

 ここまで来ると、本書で追求した障害をもつ仲間との関係性の点検というテー
マと重なります。


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REV:..200050807
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