「20世紀の初めに知能テストが登場し,それはすぐさま,優生学に埋め込まれ,またそれを補強する「事実」を提供することになる。
その場もやはり合衆国である。そしてまた先にみてきた教育の場は,知能テストの誕生の場であるとともに,とりわけ第二次大戦後,やはりとりわけ合衆国において,「実質的」な機会の平等を与えるべきであるという立場――それは相対的に環境説を論拠とすることになる――と,生得説――生得説ももはやここでは相対的な生得説である――に基づくその政策の無効,あるいは限界を主張する立場の間の戦場になるだろう。次にそれを概観することにしよう。
知能測定の創始者はフランスのA. Binet (18??-1911)であるとされる★27。彼はパリの小学校において,知恵遅れの子供を見つけ出し,特別のクラスに移すための手段として,1905年テストを開発し,以後その改良を重ねた★28。 (ただし精神年齢(M.A.) ,知能指数(I.Q.)の概念を提出したのはBinet自身ではなく,ドイツの心理学者W. Sternであり(1912年) ,Binet自身は彼の尺度に対してより慎重だったと言われる。)
彼の開発した尺度は,ベルギー,イギリス,合衆国,イタリアといった国々に広がっていったが,中でもテストの採用,改良に熱心だったのは,合衆国のL. M. Terman, H. H.Goddard,R. M. Yerkes といった学者たちだった。Binet の考えたのと異なり,彼らは知能を遺伝的に規定されたものとみなした。知能テストは知能の遺伝性を実証する手段であり,またその遺伝的な知能の差異を測る手段であった。このような観念のもとで知能テストは様々な (放任を含めた) 政策,政策の意図に結びつくことになる。何より上にあげた合衆国における知能テストの創始者自身,積極的に「政治」に関わる発言をしている。
「……近い将来,知能テストは数万におよぶ軽度の欠陥者たちを社会の監督と保護のもとに置くようにするだろう。そして究極的には精神障害者を増えないようにし。犯罪,貧困,非能率な労働を減らすことができよう。現在見過ごされている軽度の欠陥者は,まさに国が重点的に保護すべきなのである。」(Terman,The Measurement of intelligence,(Binet のテストを翻案した「スタンフォード・ビネー・テスト」の序章),引用はKamin[1974=1977:153])
「精神薄弱がわが国の社会的,経済的,道徳的繁栄に重大な脅威となることに気づき始めたのはごく最近のことである。……慢性的あるいは準慢性的貧困の大部分は……それが原因である。
……精神薄弱は増え続けている……救済事業がなされ……おそらく生きて子どもを産むことなど不可能だった者が生存できるようになった。
もしこのような人たちでも生存に値するという現状を維持しようとするならば,できるかぎり,知的衰退者がこれ以上増えないようにしなければならない……拡大していく衰退の幅を縮めなくてはならない。」(Terman,"feeble-minded Children in the Public School of Calfornia",1917,Kamin[同:17]より引用)
IQ70−80の水準の知能(テストはこの「軽度」の精神薄弱の診断に有効とされる)は「南西部のスペイン系インデオやメキシコ人および黒人ではごく普通の水準である。彼らが鈍いのは人種的なものであり,すくなくとも先祖から受け継いできたものである。……知的特性の人種差全体について新たに実験的方法で取り上げてみよう。おそらく一般知能にはかなりの有意差が見出されるだろう。しかもこの差は知的環境を変えても拭い得ないものなのだ。
こうした人種の子どもたちは特別な階層として分けられるべきだ。……彼らは抽象的事柄を習得することはできないが有能な労働者にはなれるのだ。……いまのところ,彼らに出産を許すべきではないことを納得させることは不可能だが,しかし彼らは異常に多産であるから優生学上は大きな問題となるのだ。」(Terman ,The Measurement of intelligence,1916,pp91-92,Kamin[同:16]より引用)
「極端に愛他的で人道的な態度で,労働者に公平でありたいと願う人たちは,社会生活に大きな不平等があることは悪であり不当であると考えています。……この主張は誤りです。これは労働者とそれを保護する立場の者と同じ知的水準である,という仮定に立つ議論なのです。
事実は,あなた方が二○歳の知能を持つのに,そのような労働者は一○歳の知能しかないのです。あなた方が住んでいるような家を彼らにも与えるのは馬鹿げています。それは,すべての労働者に大学教育を受けさせよう,というのに似ています。これだけ知的能力の差が広がっているのに,そんなことで社会的に平等になるのでしょうか。知的水準が異なれば興味も違ってきて幸福感を与えるものも異なる必要があるのです。
世界中の富が平等に分配されれば平等になる,というのも馬鹿げています。知的な人はお金を上手に使い,病気に備えて貯蓄もします。ところが知能の低い人はいくら収入があっても,その多くをでたらめに使い生活の向上のために何もしません。数年前,ある地方で炭鉱夫のほうが技師よりも収入が多かったことがありましたが,炭鉱が一時閉鎖になった今日最初に困ったのは彼らでした。炭鉱生活は不規則で,仕事の多い時期に仕事のない時のために貯えておく必要があることくらい,その生活からわかっているはずですが,貯えようとしなかったのです……。
こうした事実はわかっています。でも,それは知的水準を変えようがないから生じるのだ,と気づくほどにはわかっていないのです。われわれの無知から,こうした人たちにもう一度機会を与えよ,と言うのです――いつまでたっても,もう一度機会を,と。」 (Goddard,Human Efficency and Levels of Intelligence,1920,pp99-103,(1919年,プリンストン大学での招待講義で),引用はKamin[同:18-19])
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