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ヘルパーをしてみる・2

新書のための連載・3

立岩 真也 20200525 『eS』11
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介助・介護 > ◆重度訪問介護派遣(重訪)

※以下の草稿に大幅な加筆・変更を加え、ちくま新書の一冊として刊行されます。
◆立岩 真也 2020 『介助為す介助得る』,ちくま新書,筑摩書房
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調整する仕事
 と、介助者たちなんだか変わり者たち、みたいなことを言いましたけど、もちろん、大多数は普通に「普通の」人たちですよ。むしろ、普通の典型的な「社会人」たちの仕事の方が、意外と仕事ができるって思われたり許容されたりする幅が狭いって思うところがあります。機械でできることは機械にさせるようになったためもあって、人間関係の仕事みたいものの占める割合が高くなって、かえって、「無駄な」とあえて言いますが、無駄な気づかいが必要なところがあります★10。それに比べると、この介助という仕事のほうが幅があると言えるようにも思えます。「普通」から若干外れてるって、自分のことを思ったり人から思われている人もやっています。自分は発達障害だって自認してる人がいたりします。診断ついてるって言ってました。精神障害であったり発達障害であったりって人が、知的障害の人のガイドヘルプ、外出時の動向とかそういうのですね、をやったり、そんなこともあったりします。組み合わせ、とり合わせはいろいろです。
 自分はこの事業所というより、気持ち的にはこの介助しているその人に雇われている、直接に自分がやっている仕事以外のことはまかせている、という感じなんですが、まかせているということは、まかせられるという仕事もあるということです。今言ったような人たちとまったく別のグループというわけじゃないんですが、もうちょっと社交的で、人のもめごとの間に入って、ああだこうだつって調整して、もっと円滑にいくようにするっていう仕事ができる人、そういうのに向いてる人、好きな人もいますよね。そういう人たちが、調整する、仕切るという仕事もあります。
 最初はケアワーカー、介助者の仕事で入ってきたんだけれども、組織の中のスタッフというか、コーディネイトとかそういう仕事をするようになっていく。この仕事は自分に適していると思って、そして/あるいは、ほかにいないんで仕方なく、そういう部分を担っていく。介助の仕事をする人にも月給取りになっていく人たちがいますが、割合としては、こういう仕事の方が、時間いくらじゃなくて、月給いくらの専従的な感じで仕事する人が多いでしょう。あるいは、のれん分けっていうのでもないけれども、自分でそういう事業所を経営したり、運営したりっていう、そういうふうな道を辿る人もいます。
 それはさっき話した厄介ごとに巻き込まれる、あるいはそれが仕事だということでもあります。人と人が関係するからにはそんなことが起こること、起こるから対処することはある程度は仕方がないことです。そしてそういう仕事をすることに甲斐を感じる人もいます。しかし、そんな人であっても、あまり負荷がかかりすぎるのはよくない。なくなることはないにしても、きちきちの人の態勢で対応せざるをえない状態を減らすこと、他の人や他の組織でも対応できるようになるのが、負荷を減らすことにつながります。もちろんたらい回しにされるのでは問題は解決しませんが、一ところに溜まってしまってどん詰まりというのも辛い。人と組織に余裕があれば、この人(だけ)に続けてもらわざるをえないことから来る辛さを減らすことはできます。

使う人の仕事にもなる
 そして、その仕事は、ここが大切なところで後でお話ししますが(第◇章)、介助を使う人自身でできる仕事でもあります。自分のことを自分が介助する、とは言いません。それは自分のことを自分でするというにすぎません。それができないから介助が必要です。しかし、人が介助するその仕事を調整したり差配したりすることは、利用者である自分ができる場合があります。自分の分だけという人もいますし、多くの人に関わる人もいます。
 あとで、私が勤めている大学院にも副業としてあるいは本業として介助の仕事をしている人たちがいることを紹介しますけれど(◇)、在学中あるいは在学の前から、あるいは後から、その経営者というか自分で事業所を作って、それを回してる人がいます。利用者から始まってという人、あるいは自分の家族の介助のことから始まって組織に関わり事業を始めたという人、病院・国立療養所で働いていたが、これではいけないと思い、勉強を始め、事業を始め、後者が忙しくなって退学ということになった人、いろいろいます。
 東京2人★11、千葉★12、それから滋賀★13、京都★14、それから神戸、といます。神戸の人はうまくいかなくなって、結局事業所をたたんでしまいました。だから、そんなにいつもみんなうまくいくわけじゃないんです。なかには赤字になって、赤字が膨らんでいって、にっちもさっちもいかなくなることもあるんです。が、うまくいけばうまくいく。

年とっても/とってからやる
 この仕事には、普通の会社員・公務員のように定年がないところがあります。70代後半の人、さらに80過ぎた人で、現役でヘルパーやってる人がじつはかなりの数います。私は、けっして、そんなにいつまでもがんばれって言いたいわけではなくて、でも、仕事できるししたいという人はしたらよいと思うんです。
 昔って55歳定年だったんだよね。信じらんないっていうか。私は、2020年に60なんですけど、まだ駆け出し、修行中、みたいな感じだよ。65になった時にこの今の駆け出し感っていうのがなくなるかっていうと、それもよくわかりません。
 少子高齢化で大変そうってよく言われますけど、っていう話はさきに少ししました(◇頁)。少し続けると、高齢化は、平均すると、一生のうち元気で働けてしまうな時間が長くなり、一生のうちの働ける時間の割合も高まるっていうことでもあるんです。もちろん人は、だんだんあるいは突然、元気じゃなくなる。これはしょうがない。そういうふうに人間はできている、生物はできている。それ以上でも以下でもない。でもたいがいの人たちは、かなり長く、なぜか元気なんです。その期間は長くなり、一生のうちの割合も増えている。これは、まあよいことでしょうね。
 そうしたときに、だけど、会社はまだ元気なうちに仕事を辞めろと言う。定年って不思議っていえば不思議な制度ですが、人が世の中に、会社の中に余っているので、より使い勝手のよい人を採ったり残したりするため、人減らしのための仕組みだって考えた方が、この仕組みを説明できる、と私は思っています。
 そうしたなかで、退職金もあんまりはないとかね。年金は65からもらえるけど70からでもいいとか、この国の制度はそういう仕掛けになってる。そしたら70からもらうことにして、65から70の間何しようかなみたいなことになる。多くの人は自分がいた会社の嘱託の社員みたいなのになって、仕事は減るし管理職をしなくてもいいともいえるし、しちゃいけないともいえる、そういう仕事に就く。例えば僕らの大学だったら、65から70っていうのは特任教授ってなんか偉そうですけど、給料は半分ぐらいになり、教授会に出なくてよくなり、みたいな仕事に就く。民間の企業でもけっこうそういう人がいます。
 ただ、一方にうまいことやって役員になっていい給料とっているわずかな数の同輩や先輩がおり、他方に若い連中の方が偉そうにしてるみたいなところで、給料減らされて働き続けるという手もあるが、そんなところは辞めちまうという手もあります。まるっきり金がないわけでもないが、元気も余ってるし時間もあるし、いくらか金も稼げりゃもっといいってことであれば、60や65からの仕事の一部として、こういう仕事やってみるっていうのも、僕はけっこういいんじゃないかなと思うんです。
 ただ、今までばりばりやってきた人たちがみな、この基本的には地味な仕事ができるかなという心配がなくはありません。前に出すぎるかもしれません。なので、事務系の仕事とか、経営的な方面の方が適しているかもしれません。しかしこれも、ときどきやり手すぎて、よろしくないということもある。私が知っている人でそういう人いますが、家族に介助が要る人がいるというので立派な会社を辞め「福祉の仕事」の資格をとって仕事を始め、そしてやがて事業主的になり、やり方によっては儲かるというので、その道をがんばりすぎてしまう、といったことがあります。きちんとした勤め人だった人というのはけっこう扱いにくいこともあるんですよ。儲け(志向)を適切なところにとどめるというのは実はかなり大切なことなんですが、本書ではあまりふれられません。しかし大切だということだけは言っておきます。
 こうして、きちんとした勤め人だった人というのはけっこう扱いにくいこともあるんですよ。とはいえ、やはり、いわゆる仕事ができる人たちではある。使いようというところもあります。そしてなにより、障害のある本人たちの中で身体は動かせないが頭はくるくる動いてしまうという人は、社長・経営者には最適、ということがあります★15。だからそういう人については、社長業は、あまり儲けに走ってほしくはないという希望を言ったうえでですが、お勧めです。

再起の始まりにする
 NHKオンデマンドていう過去の番組を見れるのあるじゃないですか。あれ見てたら、「ミッシングワーカー」っていう番組がありました(NHKスペシャル、2018)。40代ぐらいの男性、男性に限らないのか、シングルの人が、親の介護で仕事を辞めざるをえないくなり、辞めちゃったと。親のたくわえであるとか、また年金であるとかで食べていく。そうやって10年、20年、親の介護をする。その親はそのうち死ぬじゃないですか。それで50になりました、55になりましたと。そうすると親の年金もなくなり、収入がなくなる。だけどその時点で、もうかつてしていた仕事との縁は切れてるし、その間ずっと家に親とこもっていてっていうか、そんなんで再就職ができない。そしてその人たちの多くは、実は失業者にはカウントされないんです。というか、政府的には失業者じゃないけれども仕事はない、そういう状態の人のことをミッシングワーカーって言うんだってことです。
 日本の失業者ってどういう人を失業者っていうかっていうと、仕事がなくて、仕事を得ようとして、仕事が得られなかった人、条件が3つ重ならないと失業者って認定されないんです。つまりハローワークに行って、行ったけどそこに仕事がなかったっていう人じゃないと失業者になんないですよ。だけどもう疲れちゃって、行く気もないっていうか、行ってもどうせ仕事ないだろうなって、実際なかったりするんですけれども。そういう最初からそれを見越してっていうか、悲観的になってっていうか、そういうんでハローワークに行かない人は、そもそも失業者としてカウントされてない。そういう人が100万人ぐらいいるんだそうです。
 今まで介助の仕事してたから、次も介助の仕事しなきゃいけない、そんな決まりはもちろんありません。さんざんやって飽きた疲れたということであれば、別の仕事のほうがよいと思います。ただ、親の介護20年もやってるんだからやれてきたわけですよ、その仕事は。20年やって疲れちゃった人、次の機会が得られないって人、今日この研修の場にいるといいと思いました、その番組見てて。今までいわばただ働きだったのを、他人の介護して、1時間1000円ぐらいにはまずなる、もっとましな政府にすれば1500円ぐらいすぐなるよと。昨日までやってきたことを、今度はお金もらってやってみる、しばらくそういうのをやってみて、だんだん体をほぐしていって慣らしていって、別の仕事してみるとかね、そういう人もいてもいいだろうって思うんです。


★10 このような社会において自閉症スペクトラムといった「発達障害」が目立ち名づけられるものとなり、いくらかの配慮は得られつつも困難を抱えることになることを『自閉症連続体の時代』(立岩[20140826])で述べた。そこに述べたことを短くしたがが立岩[20161210]で、『不如意の身体』(立岩[2018])に再録されている。 ★11 2013年に「ALSの人工呼吸療法を巡る葛藤――ALS/MND国際同盟・日本ALS協会の動向を中心に」で博士号を取得した川口有美子は東京都中野区で「ケアサポートもも」(有限会社)を運営している。著書に川口[2008]、対談集に川口[2014]がある。
 天畠大輔の博士論文は天畠[2019]、著書に天畠[2012]。天畠は東京都武蔵野市で「Dai-job high」(株式会社、2019〜)を運営している。
★12 伊藤佳世子は現在千葉県で「りべるたす」(社会福祉法人)を運営している。『病者障害者の戦後』での記述は以下。
 「そうした施設〔旧国立療養所〕で非正規職員として働いたことのある人の論文に伊藤佳世子[2008][2010]がある☆07。また、実際に病院から出て暮らすことになった大山良子との共著連載(伊藤・大山[2013])がある。それにはこれから紹介していく単行本等ではわからないことも様々書かれている。勤め先の大学院生でもある伊藤がまとまったものを書いてくれると思ってこれまで五年ほどは待ったのだが、その人は仕事が忙しく、まだ期待はしているのだが、当面長いものを書くのは無理そうだ。
 そこで伊藤たちに現場に近いところは書いてもらいつつ、私の方でもいくらかのことはしようと思った。医学研究の類でない研究、歴史を扱った研究[…]がわずかにあるにはあるが、もっとずっと密度の高いものがたくさん書かれる必要がある。なぜかくも書かれていない部分が大きいかと思う。私としてひとまず簡単にできることをしておく。書かれ売られたものだけを使って書いて、両方を並べてみようと思う。」(立岩[2018:66])

 そこに付した註。
 「☆07 その内容がHP上に残っている学会報告として、伊藤・田中[2007]、伊藤[2008b]、大山・伊藤他[2009]。」(立岩[2018:179])
 もう一か所。本人が施設から出ることに家族が反対し、支援者の「そそのかし」が言われることを記しているところ。
 「例えば二八年後の千葉で。伊藤佳世子(66頁)は千葉の旧国立療養所の筋ジス病棟でアルバイトで働いて憤ったのがきっかけで大学院での研究と事業所他の活動を始めることになり、後者が忙しくなり前者をやめざるをえなかった――ので私が仕方なくこんなものを書いているところのある――人だが、実際に病棟から出るのを支援しつつ記述・分析する「アクションリサーチ」をしたことがあった。△303
 ▽R氏は長く療養生活を営んできていたために医療職、施設職員、家族以外との接点がない。病院以外の社会経験もない。[…]「医療者側には筋ジス患者は年齢相応の社会経験がないために、生活の諸問題への判断能力がないといわれていた。そのためか、彼女が病院を出ることを決めたときから、「あなたは騙されている」と病院のスタッフに毎日のように言われてきたという。
 かれこれ二〇数年前は同じ病院を出た人たちが何人かいた。兄もその一人であったし、[…]先駆者である高野岳志氏[…]は病院や両親と戦っての退院だった。その彼も同じように父親に判断能力がないといわれていた。/私たちがアクションリサーチを行ったときも、本人の思いの側に立っての支援であるにも関わらず、ご家族や医療側からこの点が非常に問題視されてきていた。病院から出ることは支援者の「そそのかし」であり、さらにその責任は当事者ではなく、支援者たちにあるという重たい空気の中、アクションリサーチが始まる。(伊藤[2009])」(立岩[2018:303-304])△
★13 葛城貞三は「滋賀県難病連絡協議会」の事務局長を長く務め、その組織の歴史について博士論文を書いて、それをもとにした著書(葛城[2019])を刊行した――そこに私はその本を私がどう読むかについて書いた(立岩[2019])。その組織は直接に介助を提供するといった性格の組織ではない。むろんその組織には独自の意義があり、だから葛城も関わり論文・本を書いたのだが、その過程で介助を提供する組織の必要性を感じ、事業所「もも」を始めることになった。
白杉眞は、脳性まひの人で、大学院に入って京都に越してきて、自立生活センター(CIL)「スリーピース」(NPO法人)を始めた。スリーピースは私が講師を務めてきた研修の主催団体の一つでもある。白杉の論文として白杉[2012][2013][2018]。「相談支援」に予算がつかないために介助派遣の「あがり」でその活動を行わざるをえない実態(→◇頁)が示されている。
 なお、『生存学の企て』(立命館大学生存学研究センター編[2016])
「補章」第3節「穴があいているので埋める・塊を作る」に「ケア場」という項があり、そこに私の勤め先の研究科でケア・介助に関わる研究(や仕事)をしてきた人たちとその仕事を列挙している。人名だけを、そこであげた順にあげておく。なお同じ章・節には「福祉労働」という項もある。別途紹介する。
 長谷川唯山本晋輔西田美紀酒井美和安孝淑川口有美子白杉眞辻義宏伊藤佳世子、中西京子、小谷千明金野大仲口路子、杉島優子。
★15 横田弘と3度対談をして、その記録が本に収録されている。その3度目の対談は、2007年12月のNHK教育テレビ「TVワイド ともに生きる」での私の発言もきっかけなったようで、その話題が出た。スタジオにたくさんの人がいて話すその生番組で、私はいらいらしていた。
 「いまどきテクノロジーとか進歩してるから、極端なことを言うとね、頭と口がちゃんと動けば、この世の中でだいたいやっていけるわけです。わりとね。いろいろありますけども。だけどそうじゃない障害者、頭と口、まあ口に代わるもんでいいんだけど、そういう人ってねやはり就職しようってなったときに雇ってくれるかっていったらやっぱり雇ってもらえませんよ、端的にね。
 それは、当然のあたりまえのあるいは仕方のないことなのかって考えた時に、怒っちゃいけないのかって考えた時に、僕は怒っていいことだと思う。」(横田・立岩[2008→2015]に引用)
 「頭と口がちゃんと動けば」のところに入部香代子(〜2013)入部香代子(2014)が怒ったといったこともあったのが、それは誤解によるということで略。この私の発言は横に春山満
(1956〜2014)という人がいたことにもよる。
 「その番組で、僕の隣に頭のよさそうな人がいて、たくさんしゃべってましたけど、そういう人なら、現代社会には、それこそいろいろな仕事があるから、頭が動いて口が達者だったら、自分の身体を使わなくてもいいようなポスト、たとえば、会社の社長とかなら、頭と口だけ動けば、あとは、部下にいろいろさせて、それはそれで、うまく行くわけです。  […]そういう人もいますし、それは別にいいですよ、それはそれでけっこうだと思います。でも、やはり頭が動かなくて、口が達者でないという障害者も、沢山いるわけでしょう。ではそういう人が、現代社会において、差別されていないかということになったら、そんなことは全然ない。」(横田・立岩[2008→2015])
 この人は筋ジストロフィーの人で会社経営者。『いいわけするな!』(春山[1998]といった著書がある。著書一覧は立岩[2018:文献表7]。この人のとうとうとした話に誰もつっこまなかったことにもいらいらしていたのだが、その人に通用することが誰にでも通用するわけではないことさえわかっていれば、いていけないわけではない。さきに紹介した天畠(→◇頁)もそうした経営者の一人だ。近年もこうした成功談、それを本にしたものはたくさんある。すこしも不思議なことではない。

文献表(連載02・03・04共通 52 転記済)
◇天田 城介・渡辺 克典 編 2015 『大震災の生存学』,青弓社,224p.
伊藤 佳世子 2008a 「筋ジストロフィー患者の医療的世界」,『現代思想』36-3:156-170(特集:患者学――生存の技法)
◇―――― 2008b(2008/10/25-26 「障害者の地域生活移行を考える――居住支援の視点からのアプローチ」障害学会第5回大会,於:熊本学園大学 
◇―――― 2010 「長期療養病棟の課題――筋ジストロフィー病棟について」,『Core Ethics』6:25-36 
◇伊藤 佳世子・大山 良子 2013 「おうちにかえろう――30年暮らした病院から地域に帰ったふたりの歩き方 1〜13」,『かんかん!――看護師のためのwebマガシン』 
◇伊藤 佳世子・田中 正洋 2007 「筋ジストロフィーの「脱ターミナル化」に向けて――筋ジストロフィー患者の国立病院機構筋ジス病棟の生活と自立生活の比較から」,障害学会第4回大会報告 於:立命館大学 
◇上野 千鶴子 20150515 『セクシュアリティをことばにする 上野千鶴子対談集』,青土社
◇上野 千鶴子・立岩 真也 20090201 「労働としてのケア――介護保険の未来」(対談),『現代思想』37-2(2009-2):38-77→2015 「ケアの値段はなぜ安いか」(対談),上野[2015]
◇長見 有人 i2019 インタビュー 2019/10/09 聞き手:立岩 真也 於:コモンズ紫野(旧杉江邸)
◇葛城 貞三 2019 『難病患者運動――「ひとりぼっちの難病者をつくらない」滋賀難病連の歴史』,生活書院,312p.
◇金生 由紀子・渡辺 慶一郎・土橋 圭子 編 2016 『新版 自閉スペクトラム症の医療・療育・教育』,金芳堂,320p.
◇川口 有美子 2009 『逝かない身体――ALS的日常を生きる』,医学書院,270p.
◇―――― 2013 「ALSの人工呼吸療法を巡る葛藤――ALS/MND国際同盟・日本ALS協会の動向を中心に」,立命館大学大学院先端総合学術研究科2013年度博士論文
◇―――― 2014 『末期を超えて――ALSとすべての難病にかかわる人たちへ』,青土社,249p.
◇小林 敏昭 i2018 インタビュー 2018/02/27 聞き手:立岩真也・北村健太郎 於:東大阪、りぼん社
◇倉本 智明・長瀬 修 編 20001127 『障害学を語る』,発行:エンパワメント研究所,発売:筒井書房 189p.
斉藤 龍一郎 i2017 インタビュー 2017/10/13 聞き手:末岡尚文他 於:東京
◇―――― i2019 インタビュー 2019/11/02 聞き手:立岩真也 於:御徒町・焼肉明月苑/アフリカ日本協議会事務所
◇宍戸 大裕・立岩 真也 2019/12/21 「宍戸監督に聞く」(対談),於:立命館大学朱雀キャンパス
白崎 朝子 20090331 『介護労働を生きる』,現代書館,206p.
◇―――― 202004 『Passion ケアという「しごと」』,現代書館,190p.
◇―――― 20200513 「新型コロナウィルスと介護現場」
◇―――― 20200521 「東京都江東区の高齢者施設・北砂ホームのクラスター発生とユニオンの江東区交渉の報告」
白杉 眞 2012 「訪問介護事業所の運営の実情と課題」,『Core Ethics』8:233-244 
◇―――― 2013 「自立生活センターの自立支援と相談支援事業」,『Core Ethics』9:93-103
◇―――― 2018 「自立生活運動が相談支援に及ぼした影響――ピアカウンセリングをめぐる動きに注目する」,『Core Ethics』14
◇瀬野 喜代 i2019 インタビュー 2019/12/19 聞き手:立岩真也 於:於:京都市北山・ブリアン
◇立岩 真也 19980530 「手助けを得て、決めたり、決めずに、生きる――第3回日本ALS協会山梨県支部総会での講演」→倉本・長瀬編[2000]→立岩[200809:20-032]
20060710 『希望について』,青土社,320p.
◇―――― 20080905 『良い死』,筑摩書房,374p.
◇―――― 20140826 『自閉症連続体の時代』,みすず書房,352p.
◇―――― 20151101 「田舎はなくなるまで田舎は生き延びる」,天田・渡辺編[2015:188-211]
◇―――― 20160331 「補章」立命館大学生存学研究センター編[2016]
◇―――― 20161210 「障害者支援・指導・教育の倫理」金生他編[2016]立岩[20181130:385-403]
◇―――― 20181130 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社,481p.
◇―――― 20190125 「ここから始めることができる」葛城[2019]
◇―――― 20200323 「「内なる優生」で済ますな――相模原殺傷事件判決を機に」(取材:宮城 良平),共同通信配信,『秋田さきがけ』2020-03-23,他
◇立岩 真也・村上 慎司・橋口 昌治 2009/09/10 『税を直す』,青土社,350p.
◇立岩 真也・杉田 俊介 20170105 『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』,青土社,260p.
◇田中 啓一 i2018 インタビュー 2018/01/31 聞き手:立岩真也 於:金沢市・田中さん自宅
◇天畠 大輔 2012 『声に出せない あ・か・さ・た・な――世界にたった一つのコミュニケーション』,生活書院
◇―――― 2019 「発話困難な重度身体障がい者」が「生産する主体」になるためには――天畠大輔のコミュニケーションの拡張とジレンマを通して」,
◇西田 美紀 2009 「臨界からの生存――独居ALS患者の在宅移行支援(一)」,『生存学』1:165-183
◇―――― 2010 「重度進行疾患の独居者が直面するケアの行き違い/食い違いの考察――ALS療養者の一事例を通して」,『Core Ethics』6:311-321
◇―――― 2011 「医療的ケアが必要な難病単身者の在宅生活構築−介護職への医療的ケア容認施策に向けた視点−」,『Core Ethics』7:223-234
◇―――― 2012 ,「医療機器を必要とする重度障害者の実態調査――地域のローカルなつながりに向けて−」, 『立命館大学生存学研究』, 生活書院, p113-139
◇―――― 2013 「在宅ALS患者の身体介護の困難性――ホームヘルパーの介護経験から」,『Core Ethics』9:199-210 [PDF]
◇春山 満 1998 『いいわけするな!』,講談社,221p.
◇由良部 正美 i2019 インタビュー 2019/10/25 聞き手:桐原 尚之西田 美紀長谷川 唯ユ ジンギョン 於:京都
◇横田 弘・立岩 真也 2008 「対談3」→横田・立岩・臼井[2016:176-211]
◇横田 弘・立岩 真也・臼井 正樹 201603 『われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』,生活書院,250p.
◇立命館大学生存学研究センター 編 2016 『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』,生活書院,272p.


UP:20200522 REV:20200528, 0816
介助・介護  ◇介助・介護:2020  ◇重度訪問介護派遣(重訪)  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築 
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