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ヘルパーをしてみる・1

新書のための連載・2

立岩 真也 20200521 『eS』10
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介助・介護 > ◆重度訪問介護派遣(重訪)

※以下の草稿に大幅な加筆・変更を加え、ちくま新書の一冊として刊行されます。
◆立岩 真也 2020 『介助の仕事――街で暮らす/を支える』,ちくま新書,筑摩書房

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 また、新書の分量の3倍ほどの量(文字→HTMLファイルのバイト数換算)のある電子書籍版を、紙本(新書)を購入された方に対して、他の種々の資料集等同様、Gumroad経由で提供いたします。(+その増補版について、購入していただいた方で希望される方に提供いたします。)9月刊行の予定です。本文は同じですが、文中の事項・人物等にリンクをはります。そこからそれに対応する情報にアクセスすることができます。また新書には註も文献表もありませんが、連載時の作成した註を整理・拡充して、電子書籍に収録します。そこにも多くのリンクがあり、さらに多くの情報にアクセスすることができます。


■■ヘルパーしてみる

 ヘルパーしてみるとといいんじゃないかって話をします。後で(第◇章)お話ししますけど、この国にある大きな制度としては公的介護保険がありますが、今日と明日の2日間の講習でできるようになるのは「重度訪問」という制度によるものです★01。典型的には、本人=利用者のいるところに出向いて比較的長い時間つきそって、その人の指示があれば、それに従って動くというものです。
 今ほんと人手が足りないんです。街で自宅で暮らすその暮らしを続けたいんだけど、介助者がいない、事業所・団体に聞いたけど派遣できる人いないって言われたってっていう人、つい数日前も、そういうメールが来ました。
 実際にはなんとでもなるとすぐ後で説明しますが(◇頁)、今はそうなっていないのも事実です。なので人手が足りない。それはよくないことですが、しかし、足りない、募集中ってことは、すぐにその仕事ができるってことでもあります。ので、ちょっとやってみたら?って、僕が何でこの研修の場にいるかっていうのは、そういうことを言うために来てるわけです。
 そしてその仕事を、自分の生涯の仕事にする人もいれば、自分の人生の半分ぐらいの人もいれば、10分の1ぐらいの人もいるし、いろいろありだけども、そのいろいろありのなかっていう形で位置付けるっていうのがいいんじゃない、いっぺんやってみよう。そういうことを言います。
 今ここに大学生やってるって人何人ぐらい? 半分ぐらいですね。学生もいるだろうし、他にお勤めがある方もいるだろうし、家庭の仕事がある人もいるだろうし。それから今までやってきた勤め仕事がそろそろ終わる、あるいは終わった人もいるかもしれないし。いろんな人がいて、これを本業にしようって人もいるかもしれないし、アルバイトでちょっとやってみようかなって人もいるかもしれない。それはどっちでもいい、これはそういう仕事でもあります。
 相手とうまくいくいかないという、当たり外れはあります。利用者にとっても、「こういう人はちょっと付き合えない」って人もいるんですが、それは働き手にとっても同じことで、だめ、って人はいる。やってみないとわかんないっていうのも正直あります。ただ組織に登録するというかたちをとれば、代えてもらうことはできます。3人までやってみて、みんなだめだったら、自分は適してないかも、そんな感じでよいと思います。

お金のこと
 介助っていうものはこんなに大切なものとか、いいことだっていう話は、私はあんまり不得意なのでしません。不得意っていうか、いるものはいる、それだけだと思うんで。むしろ、いるものはいるって以上に「ケア」が大切だと語る話には、かえってすこし身体と人生によくないところがあるとも思っています。その話は第◇章でします。
 そして、これから介助に関するテクニカルな技術的なことは、いろいろ教わって面白い、そしてもちろん大切です。けど、それを社会のどういう仕組みのなかに位置付けるかっていうことも大切でね。といっても難しい話じゃない。これは基本お金は払われるシステムです。いったいどういうぐらいのお金になるんでしょう。
 これについては決まりはないんです。今はほとんど民間の事業所がこういう仕事をしていて、そちらに政府がお金を渡すっていう仕組みになってます。それで、事業所に渡るお金は決まっています。1時間につき何点と決まっていて、1点は、地域によって少し違うけれどもだいたい10円とか。すると1時間200点ぐらい出てれば、2000円ぐらいになる。その中から、1人1人の働き手にどれだけ出すかは、事業所が決めるわけです、あるいは労使交渉で決まっていくわけです。やはり後で説明しますけど、介護保険の方がずっと点数は高いんですが、介護保険と重度訪問の2つの制度、僕が知ってる範囲では、ヘルパー、つまり皆さんが働くようになって得る時給はそんなに変わんないんじゃないかと思います。
 で、その介助の仕事で今どれだけ稼げるかっていうとざっと、時給で1000円、それをすこし上回るか、とくに仕事始めてはしばらくはちょっと下回るかっていう感じだと思います。で、これは景気がいい・悪いとか、それから地域がどこなのかによっても違います。スタートとしては、他のスーパーマーケットであるとかコンビニであるとか、その他諸々のアルバイトとほぼ横並びぐらいぐらいかと思います。
 そしてそのヘルパーは不足してるんです。ヘルパー業界、介助・介護の世界は、人手不足が続いてる、むしろ深刻になってるんだってみんな言います。私は京都市内の事業所、団体といくつか付き合いがあったりしますけど、誰に聞いてもそういう話になります。
 それはまずはそのとおりなんです。そして「人が足りない」とか言うと、すぐ「少子高齢化」とか何かそういうんで人間が足りなくなってるからだっていう話にすぐ乗っちゃう人がいるんですけれども、私はそれは嘘だと前から言っていて。これもいっぱいの本の中で書いています。だけど僕の本はだいたい厚いんですよ、400ページぐらいある★02。そういうこともあって売れない。読んでもらえない。悔しいので、これから新書を書こうと思って、その楽勝という話は別の新書で今年中に出してもらおうと思ってるんです★03
 人が足りないからヘルパーが足りないんじゃないんですよ。他の仕事に行っちゃうからなんですよ、簡単に言えばね。前から比べると、景気が超悪かった時に比べれば、少しましになってるっていうのがあって、他の仕事に行ってしまう。この仕事は、他のバイト仕事と比べた場合にはとくに安いというほどでもないんだけど、同じなんだよね。
 そうすると、どうするかって言うとですね、一つは単純にもっと労働条件をよくする、給料上げればいいんです。僕が言ってるのは、「とりあえず1500円にしよう」って。まずは1500円目標、さらに2000円ぐらいにと思って、言っています★04。やってやれないことはないんです。そして時給・給料は事業所が決めるって言ったって、多くはそう儲かっているわけじゃないから、その裁量で高くするのには限界がある。とすると、点数そのものをあげるしかないということになります。そのお金も、政府はないって言ってますけれどもあります。それはできなくない。そうなれは、まあまあいけるんじゃないかなと。
 今、日本のフルタイムのワーカー、労働者、勤労大衆っていう人々がどのぐらい働いてるかご存知ですか? だいたい2000時間って言われてます。これは国際的にはちょっと多いです。フランスだのドイツだのっていう、あまり働かない、いや働いてんだけど労働時間は少ない国だと1700、1800とか。いいねっていう感じです。日本は他のいわゆる先進国に比べると長い。2000は統計的な数字なんで、もっとこき使われてるっていうか、働いてる人もいると思うんですけど、まあ2000時間です。
 1500円で2000時間働いたら、年300万。月25万です。少なくとも一人だったら暮らせるじゃないですか。実際にヘルパーの仕事で2000時間働けている人どれだけいるかっていうの、大切ですが、今は置きます。だけれども、仮に平均的な時間で2000時間働くと1500かける2000で300万。一人だったらまあ暮らせる。結婚なりして、連れ合いがいて、二人いし、もう一人も同じだけ働いたら、二人で600万。2000円で2000時間なら400万、二人なら800万です。
 それに例えば子どもが育つためにかかるお金、それから病気になっちゃった時にかかるお金、等々を、自分のこの収入から払わなくていいっていう社会になれば、このぐらいでもね★05。それもまた別の税金使ってやる。そんな税金ばっかり取って、世の中やっていけるのかなって皆さん一瞬思ったかもしれませんけど、全然そんなの簡単で楽勝です。例えば教育のお金も税金使ってて、介護も税金使って、そしたら日本の財政やっていけないでしょう、みたいなことすぐ心配する人いるわけですよ。その心配性の人の方が世の中多いぐらいになってるね。日本人って限らないのかな、いや、日本人に限るかもしれない。なんか無理って思うことにしちゃってんのね。世の中大変だというのが挨拶代わりになっているわけです。なら気にしなくてもいいという気もしますが、毎日そういう挨拶しているとほんとだと思ってしまうこともありますからね。だから、そうでもないよっていうことを書こうと思っています。
 そしてこの額は1500円と1000円の間をとって1250円とかいうのではなくて、譲れない額です。だから、いくらか値切られるのを見越すのであれば、最初っから2000円を通すと言うのもわかります。
 これはいわゆるマーケットメカニズムで決まるお金、価格じゃないんです。選挙民っていうか、政治的な決定に関われる人たちがそれでいい、そういうことにしようっていえば、明日からでもできます。この仕事だけでなく、政府が関わってお金を払う仕事に関しては、1500円とか、政府の責任でこのぐらいまで出すようにしようっていうこと言ってる政治家もいます。本気かよ、って思うかもしんないけど、たぶん本気だと思います。やろうと思えばわりと簡単にできるんですよ。
 いま現在のことで言っても、重度訪問ていう、その重度のそのまた重度の人の場合は、加算がついたりする場合もあるんです。痰の吸引だとか、仕事が深夜に及ぶとか、重度の人に対するちょっとした技がないと上手にはできないっていうようなことが上手にできるっていうような場合、行政のほうも、厚労省のほうも加算を付けています。加算っていうのはちょっと怪しいとこがあって、いいものかって言ったら、常にそうとは限らないんですけど。その加算があったりし、そういうけっこう重度の人を専門にやってる事業所なんかだと、そしてちゃんとお金を労働者に還元するというか、分配するという事業所だと、時給で働いている人でも、1500円超えて、1800円とか、そのぐらいで働いてる人がいます。ですから実際にも、場合によっては1500円超えるっていうのはありです。
 そうなってくるといちおう職業として成立するかなっていう感じです。ついこないだも、知り合いと話していたら、知っている事業所のヘルパーで家借りようっていう人がいたんですが、貸主さんが、ホームヘルパーが家借りられるはずないって、最初取り合わなかったと。いや、そんなことはなくて、年収はこれこれだ、って言ったら、ヘルパーってそんなに稼げるの、って言ったっていう話を聞いたんですけれども。一方でそういうリアルもあります。私のまわりに博士号をとったオーバードクター、たくさんいますが、もちろんその人たちはそれだけでは収入ないんだから比べても仕方ないのも当たり前だけども、同世代で、介助本業にしていて家買ったって人たちはいます。

どんな仕事?
 給料は高くはない、それは事実ですが、ときには実際よりさらに低いと思われている。そして他の仕事って、まあみんな知ってるじゃないですか。つまり、給料っていう面と、それから「この仕事一体何だ?」、「すごい大変なんじゃないか?」ってですね。そういう思いが両方あって、同じ給料だったら、イメージがしやすい、「たぶんそんなにきつくないだろうな」っていう仕事に流れちゃってる。そういうことだと思うんですよ。コンビニとかスーパーとかだったらみんな毎日行ってるわけだから、そこの店員さんがどういう仕事をしているかっていうのは、何となく…、実際は裏方とか大変だったりするんだけど、だいたいは分かると。それで、それだったらまあ分かるし、そんなに危なくもないだろうし、明るい感じだしね、照明がね。そんな感じでおんなじ給料だったらそっち行っちゃうっていう、一つはそういう話だと思うんですよ。そんなに深い話じゃなくて。
 ではどんな仕事か。ちょっといろいろありすぎて、一言じゃ言えないんで。きついかきつくないかっていうのは、ほんとに一概に言えません。
 ただ、ここで思い浮かべている一対一という仕事の仕方については、まず身体的にって言えば、そうしんどくはないことが多いと思います、僕はね。とくにこの重度訪問の場合は、介護保険のヘルパーのように、ばたばたとあわただしく身のまわりのことをやって、そして終えたことにして、移動して、次の訪問先に行くというのはでなくて、大多数は平々凡々と、というか、その場にただずんでいて、すこし退屈なぐらいに、時々言われたら言われたことやって、終わったらまた戻るっていう仕事です。建物のなかで、多くの人を一度に相手にし、次から次へと、職場の定めや上司の指示にしたがって、分刻みで仕事をこなすというのとはすこし違う。
 夜間っても、夜間の介護も、その大変さって違う。例えばALSっていう障害があって、私はずいぶん前ですが『ALS』(立岩[2004])って本を書きました★★06。筋肉を動かせなくなっていって、自発呼吸ができなくなったりする。それは人工呼吸器で、となるんですが、嚥下っていって、ものを飲み込むっていうことができなくなると痰も飲み込めなくなります。それで痰詰まっちゃうと呼吸できなくなって死んじゃうから、痰を取る、吸引っていう仕事をする。それを何十分かに1回やんないといけないっていうようなことがあったりすると、それはなかなか大変っちゃ大変です。だけれども、同じ夜間でもそういう仕事はなくて、例えば体位の交換してって言われたらするという仕事のこともあります。同じ姿勢でずっと寝てると痛んですね。それが甚だしくなると褥瘡ができるんです。それが悪化すると手術したりしなきゃいけなかったり、えらいことになるんですよね。そういう体位の交換っていうのをやったりとか。それだけだったらそれほどきついわけじゃなかったりする。
 人間が関係する仕事にはつきものですが、双方による暴力、ハラスメントはありえます。ありうるというだけでなく、実際、そう多いとは思いませんが、あります。明らかに相手が悪いという場合は、するしかないことははっきりしています。止めろと言っても止めないなら、訴える、辞める、別の人に代えてもらう。ただ、ときに、なにが悪いのか誰が悪いのか、何が起こっているのか、わからないことがある。とくにそういう時には、心理的にきつくなることがあります。円形脱毛症になった人もいるし、うつになった人も知っています。
 このきつさは、私の勤め先の大学院生もいろいろと体験し、書いているのですが、いまだに謎な部分があります。身体が動かなくなって、コミュニケーションが困難になっていって、指示が伝わりにくくなっていって、そうした中で不快・苦痛と苛立ちが高まっていくという部分が大きいのでしょうけれども、それだけでは説明できないように思われることが起こることがあります。きついことを言われ続ける、何をどうしたらよいかわからない、ということがあります★07
 こういう時には、間にはいる人がいるとよいです。それでもうまくいかなかったら、やはり、別の人に代えてもらうとか、その職場を辞めるというのが一つです。面倒な相手そのものがいなくなるわけですから、もちろんこれは有効な手立てです。別によい人や、よい同業の職場があれば、仕事は続けられます。
 ただ、今度は、両者の間に入るという仕事が、その仕事をする人にとってきついということにもなりえます。とくにきつい思いをする人は、事実上、介助する人を確保する役割も果たさざるをえない人だったりする。全般に人手不足のときには、ヘルパーに辞められたら介助を提供し続けることができなくなります。そうするとやめればいいよ、とも簡単に言えない。両方の間にはさまれて、両方をなだめたりしようとするのだけれど、なかなかうまくいかない。ほんとに消耗してしまう。そんなことがあります。こういう苦労・消耗は、いつまでも、なくなりつくすことはありません。ただ一つ、人がたくさんいて人を引き留める苦労が少なくなるとすこし楽になります。
 それにしても、いつものほほんとやっていけるわけではありません。ただ、それは例外的とまでは言わないけれども、そうしょっちゅうあることでもない。起こってしまうやっかいごととその場での消耗がなくなることはないと思うし、そこをどうにかしようとする厄介な仕事を誰かはやり続けることになるのでしょうけど、まずは、比較的に楽な仕事の方をまわしてもらうといったこともできます。人によって、その人の調子や気持ちによって、現場の仕事と、現場を調整したり組織を経営したりする仕事とを行き来できるとよいだろうと思います。その実例をすこし示しながら、話していきます。

一生一つではない、としたうえで格差を縮める
 みなが一生同じ仕事をするということではないだろうと思います。もちろん、そういう一途な人もおおいにいたらよいです。しかし、働く人がみなそんな人ばかりである必要はなにもない。また実際、多くの人たちはいろんな仕事を渡り歩いてきました。一生一社でという人が一番多かった、新卒一括採用、終身雇用という日本型経営の時代と呼ばれる戦後の一時期でも、そんな人ばかりだと思われていたのかもしれませんが、そうでない人たちはたくさんいました。そしてさらに、仕事を変える、変わる、その方向に進んできました。
 しかし、そのな変化してきたそのありようはよくありません。格差が開いたということです。一生一社でなくてよいということを受け入れたうえで、差を少なくすることが課題になっています。ずっといることになっている正規の社員にも、かなりの部分は気苦労なんだと思いますがそれなりの苦労はあるだろうから、その分の上乗せはあってよいと思います。しかし差が大きすぎる。差は市場が決めるんだ、だから適正なんだといったことを言う人がいますが、資本家ではないとしても、より強い権限、発言力をもっている人たちが決められるわけで、どこからどの部分かは佐方でないとしてそうやって格差はついてきたのです。ヘルパーの賃金を上げようというのは、ささやかではあるけども、その差を少なくしようというその一部でもあります。
 この仕事を学生の時期の1〜2年という人もいる。その後別の仕事に就いてるっていう人もいるし、それから社会人になっても、週一ぐらいでこういう仕事に関わり続けるって人もいます。会社勤めとかいろんな仕事が自分に合わなくて、あるいは合わないってことがいったん就職したんだけどわかって、こういう世界に戻ってきたりって人もいれば、主婦やりながら、他の勤めをやりながら、時々夜あるいは週末入る人もいれば、それからいったん会社仕事なりなんなりが終わって、でも体力も余ってるし時間も余ってるし、お金もないよりあった方がいいしっていう人の仕事としてもある。そういう意味で非常にな、形の定まらない、何時から何時までって決まってない仕事なんだけれども、だからいいっていうか、自分の都合っていうか、都合だけじゃいきませんけれども。でもこの空いた時間にうまいこと調整してもらえればね、それが成功すればの話ですけれども、そういうことができる仕事なのかなって思います。
 この仕事のいいところは、ちゃんとした事業所とうまい関係が作れるのであれば、いろいろ事情を話して、仕事としては夜間の仕事なんかもあるんですよね。夜入って朝まで、そうすると10時間とか、例えば。そうすると、時給的には高くはないけれども10時間入れば、かける10にはなるんですよ。そういう仕事の仕方っていうのも、あるはある。10時間、働き詰めでってことであれば、これなかなかきつい肉体労働になりますけども、それはたぶんみんな
「おんなじ給料だったら他の仕事するよね」っていうののもとになってると思うんだけど。 けっこういろんな人がいろんな事情で働いています。

主体性の少ない仕事
 次に、もっと積極的にこの仕事のよさを言ってよいのかなと思います。何がいいかっていうと、とくに仕事の相手がきちんときちんと指示してくれるような人の場合は、介助っていうのは主体性がいらない仕事なんですよ。というか主体性がないほうがいいみたいな仕事なんです。基本はやれっていったことをやる、言われた通りにやる。
 だからこの仕事は、「私が私が」って、「俺が俺が」って、そういう人にはあまり向かないかもしれません。前向きの、前のめりの人間よりも、すこし後ろの方に引いてる人の方が向いてるっていうところもあるように思います。そんな人たちや、そしてその人たちの仕事がなにか低くされるべきいわれはなにもないことは後でまた言います(第◇章)。
 そしてこの仕事って人間関係の仕事の極地みたいに思われているかもなんですが、意外とそうでもないところがあると思います。仕事の場での人間関係って、お客との間の関係ということももちろんあるけれども、実は、同僚であったり上司であったりという人との関係が大きいんだと思います。そして、それですっかり消耗してしまうということがたくさんあります。ただ、この仕事の場合は、たくさん人に囲まれて、上役の言うことを聞きながら、同僚と仲良く仕事をするというのとは違う。基本は一人に一人という仕事です。そういう仕事の方がよいという人には合っていると思います。
 1970年代半ばぐらいまでに大学に入ったみたいな人だと、「学生運動」に関わって、そして挫折した人ってたちがいます。そういう、学生くずれっていうか運動くずれとかいう人たちもかつてはいました。革命するってぐらいですから、まずその人はたちは反社会的であったはずです。さらに、それが挫折すると、ますますやれやれです。実際には、運動やっていた人たちの中には官僚・社員として優秀な人たちもたくさんいて、その人たちはつつがなく社会を泳ぎ、渡っていったわけですが、そうでない人たちもいました。仕方ない、会社員に公務員に、とはならなかった人たち、なれなかった人たちがます★08。介助・支援の世界に入いらなければ、引きこもりなりそれに近い感じで来てたかな、みたいな人もいますね。20代とかで、学生やってたんだけど、途中で学校やめたりして、こそういう世界に入って、でもそれがなんかわりと水にあって、それから40年とかやってるって人がいます。
 今はそういう経歴の人はまずいないわけですが、でも、介助・支援の世界に入いらなければ、引きこもりなりそれに近い感じで来てたかな、みたいな、人もいますね。ということは、かつての運動の、中心というよりは脇の方にいて、そのまま社会人になりきれず、支援者になったという人のある部分は、今の世だと、引きこもりという名前がつくようなところにいたかも、ということかもしれません。
 『道草』という映画(2019、宍戸大裕監督)があります★09。知的障害、発達障害の人たちとその人たちを介助する人たちを撮った映画です。 所謂強度行動障害がけっこうきつくて、なかなかに大変でありながら、その大変さもこみで、そこに出てくる介助者見てて、楽しい、ていうかうれしかったです。あの映画に出てくる人たちには、30年ぐらい前から名前は聞いたことある人もいて、この30年っていうものを思った時に「ああ、あの人たちずっとこういうことやってきて、それが今こういう生活っていうか、こういう絵を作ってんだな」って。
 だいたい40すぎのおじさんたちが知的障害の本人の後ろを付いてって、だまって、あるいは時にああでもないこうでもないってやりとりしながら1日を過ごす。それを仕事とし、その仕事で飯食えてる。頑張るともなく頑張ってて、ちゃんと飯食ってるぞっていうね、その飯が食える仕掛けっていうのを日本の運動が30年、40年かけて作ってきて、作っているっていうのが、「いいぞ、おじさんいいぞ」って。そういう姿って、なんか、僕はこういう調べたり書いたりする仕事してるから少しは知ってるっちゃ知ってますけど、そんなに世の中、世界中にあんまりないんじゃないかっていう気がしてね、それは誇らしい。そういう世界観っていうか世界みたいなのを作ってきたっていうこと、それはやっぱみんな単純に褒めようよって僕は思います。

調整する仕事
 と、なんだか変わり者たち、みたいなことを言いましたけど、もちろん、大多数はまったく「普通の」人たちですよ。むしろ[…](続く)


★01 「介助・介護」→http://www.arsvi.com/d/a02j.htm。「重度訪問介護(重訪)」→http://www.arsvi.com/d/a02j.htm。「新型コロナ特別対応で、無資格ヘルパーも従事可能に」といった情報も掲載している。
 前回、今般の状況のもとで介助(介護)現場で働く人のことについて少し述べた。『介護労働を生きる』(白崎[2009])、『Passion ケアという「しごと」』(白崎[2020])の著者でもある白崎朝子さんから現在の、すべきでできるのに、すべきでできることがなされていない現場についての報告が届いている(白崎[20200513][20200521])。
★02 本の一覧は「立岩真也・著書/共著書/編書」→http://www.arsvi.com/ts/b.htm。足りなくはないことについては『希望について』のW「不足について」(立岩[2006:127-150])、『良い死』の第3章「犠牲と不足について」立岩[2008:235-337])、等
★03 そのために講談社のサイト『現代ビジネス』で連載「だいじょうぶ・あまっている」(立岩[20200414-])を始めた。
★04 2009年の上野千鶴子との対談より。
「上野 […]サービスの値段から入った方がいいと思います。私の福祉系のコスト試算によると、営利を目指さない事業であれば、二〇〇パーセントの経営コストで一時間あたりのサービスが提供できる。公定価格で身体介護が四〇二〇円、生活援助が二〇八〇円です。労働分配率はその半分ですから、二〇八〇円の半額だと約一〇〇〇円で、これではやっていけない。しかし四〇二〇円の半分の二〇〇〇円で、これはだいだい二五〇〇〜二〇〇〇円の専門職パートに近い。だからケアワークの時間単価が専門職パート並になれば、たぶん人は来ると思うのです。
立岩 今おっしゃった二〇〇〇円という値段ですが、それならいけそうな感じがします。パート、バイトの賃金は多く一〇〇〇円を切ってます。その間でとりあえず一五〇〇円とか。介護に限らず他の仕事も、このぐらいの水準になれば、そしてこれは大切なことですけれど労働時間が確保できればですが、ほぼ行けるだろうと。
上野 私も一五〇〇円は悪くないと思う。介護保険ができてから一貫して現場の人たちが要求していることと、特にそれに一番耳を傾けてきた「高齢社会をよくする女性の会」の厚労省に対する提言のなかには、生活援助・当初の家事援助・家事援助と身体介護を一本化して統一価格にせよということが入っています。中間的な統一価格にすると、大体三〇〇〇円台になります。三〇〇〇円台で労働分配率が二分の一ならば、一五〇〇円です。それなら人は集まります。それが出せないのはなぜなのかということです。
立岩 そうですね。付け加えるならば、現実には直接の働き手に半分まで渡っていないにしても、介護保険はまだ単価が四〇〇〇円になっています。しかし障害者自立支援法の方はもっと単価が安くて、とくに事業所の方は大変みたいです。
上野 大体でよいので具体的数字を教えて下さい。
立岩 現実に人にわたっている値段は一〇〇〇円ぐらい、それを切るところもそれよりすこし多いところもあるようです。事業所に入ってくる額からすれば、わりあい多くが現場の働き手に支払われているとも言えます。ただその分、自立支援法からの予算だけでやっている事業所というのはきつくて大変で、かろうじて経営的にやれているところは介護保険のサービスと自立支援法のサービスを両方請け負ってやっている。そうすると介護保険の方がまだお金が入ってくるので、そちらのお金でなんとか回しているというのが今の状況のようです。
上野 そうですね。事業者さんの話を聞くと、「年寄りで儲けて、障害者につぎ込む」と言うところもあります。しかも儲からないから営利企業では断るでしょうね。ケアワークの値段をずっと見てきて分かるのは、地域最低賃金に毛が生えたというのがスタンダードであることです。いわゆる非熟練パート労働のミニマム賃金水準、地域におけるボトムラインに近いのです。」(上野・立岩[2009]→上野[2015])
★05 税の集め方がどのようにいつのまにか変わってきたのかについては、『税を直す』(立岩・村上・橋口[2009])に述べた。
★06 この本を書く前、私は甲府で講演――その時の講演で話したことの半分もこの介助の制度の話で、そのことはその頃から変わっていない――をしたことがあるぐらいで(立岩[1998])、その本人たちとのつきあいはなかった。そして2002年に京都に来てから数年経ってから、すこしずつ甲谷(◇頁)、杉江(◇頁)、増田(◇頁)といった人たちを知ったりすこし関わったりすることになった。それから15年ほどが経った。私の本の第2版をとも考えたが、きちんと書いたらとても長くなってしまうし、ただ傍らにいただけの私は知らないことも多く、適してもいない。その動きに長く関わってきた人たち、そして新しくかかわるようになった人たちにその記録をまとめてほしいと思っている。ユ(→◇)たちがその仕事をしてくれるだろう。
★07 西田美紀は看護師で勤め先の大学院の院生でもあり、杉江眞人(〜2013)に関わった。その論文に西田[2009]][2010][2010][2010][2010][2010]。かつて杉江が住んだ借家は、杉江に関わった大阪の事業所「ココペリ121」がその活動のために借り続けている。その借家での、ココペリ121の代表である長見へのインタビュー長見[i2019]の中で、私が同席者に説明している箇所。
 「立岩:〔杉江さんは〕指示が多くて、そこの中には介助してる側にとってみれば理不尽というか、としか思われないというか、そういうようなこともあって。僕の大学院生であったり、関係者であったりしたのが何人もここに来てましたけれども、そのうちの何人かは、まあ、喧嘩して別れるというか、離れるというか。そういうようなことも立て続けてあって、じゃみんなでどうするみたいな、くらーい中会議とか、飲み屋とかでやったり。西田さんは今でもまだ治ってないんだけど円形脱毛症ができちゃって、この辺に2つ。けっこう大きいのができたりして、今でもあるんだよ、この前も見せてもらいましたけど(笑)。ほんと、西田さんすっごい暗くって、いや、ほんとに、普通に大変でした。普通にっていうか、大変に大変でしたね。」
★08 前回紹介した大賀重太郎(1951〜2012)と話したことはあるが、インタビューし記録をとったりすることはなかった。ここ数年、いくつかのインタビューを行なった。また行なわれたインタビュー記録を掲載させてもらった。小林敏昭(1951〜)に小林[i2018]、田中啓一(1954〜)に田中[i2018]斉藤 龍一郎(1955〜)に 斉藤[i2017]斉藤[i2019]。瀬野喜代(1956〜)に[i2019])。
★09 2019年12月に『道草』の上映会+αという催が勤め先を会場としてあって、私は宍戸監督に話を聞いたり話をしたりした(宍戸・立岩[2019])。

文献表(連載02・03共通 38 転記済)
◇天田 城介・渡辺 克典 編 2015 『大震災の生存学』,青弓社,224p.
伊藤 佳世子 2008 「筋ジストロフィー患者の医療的世界」,『現代思想』36-3:156-170(特集:患者学――生存の技法)
◇―――― 2010 「長期療養病棟の課題――筋ジストロフィー病棟について」,『Core Ethics』6:25-36 
◇伊藤 佳世子・大山 良子 2013 「おうちにかえろう――30年暮らした病院から地域に帰ったふたりの歩き方 1〜13」,『かんかん!――看護師のためのwebマガシン』 
◇伊藤 佳世子・田中 正洋 2007 「筋ジストロフィーの「脱ターミナル化」に向けて――筋ジストロフィー患者の国立病院機構筋ジス病棟の生活と自立生活の比較から」,障害学会第4回大会報告 於:立命館大学 
◇上野 千鶴子 20150515 『セクシュアリティをことばにする 上野千鶴子対談集』,青土社
◇上野 千鶴子・立岩 真也 20090201 「労働としてのケア――介護保険の未来」(対談),『現代思想』37-2(2009-2):38-77→2015 「ケアの値段はなぜ安いか」(対談),上野[2015]
◇長見 有人 i2019 インタビュー 2019/10/09 聞き手:立岩 真也 於:コモンズ紫野(旧杉江邸)
◇葛城 貞三 2019 『難病患者運動――「ひとりぼっちの難病者をつくらない」滋賀難病連の歴史』,生活書院,312p.
◇川口 有美子 2009 『逝かない身体――ALS的日常を生きる』,医学書院,270p.
◇―――― 2013 「ALSの人工呼吸療法を巡る葛藤――ALS/MND国際同盟・日本ALS協会の動向を中心に」,立命館大学大学院先端総合学術研究科2013年度博士論文
◇―――― 2014 『末期を超えて――ALSとすべての難病にかかわる人たちへ』,青土社,249p.
◇倉本 智明・長瀬 修 編 20001127 『障害学を語る』,発行:エンパワメント研究所,発売:筒井書房 189p.
◇小林 敏昭 i2018 インタビュー 2018/02/27 聞き手:立岩真也・北村健太郎 於:東大阪、りぼん社
斉藤 龍一郎 i2017 インタビュー 2017/10/13 聞き手:末岡尚文他 於:東京
◇―――― i2019 インタビュー 2019/11/02 聞き手:立岩真也 於:御徒町・焼肉明月苑/アフリカ日本協議会事務所
◇宍戸 大裕・立岩 真也 2019/12/21 「宍戸監督に聞く」(対談),於:立命館大学朱雀キャンパス
「東京都江東区の高齢者施設・北砂ホームのクラスター発生とユニオンの江東区交渉の報告」
白崎 朝子 20090331 『介護労働を生きる』,現代書館,206p.
◇―――― 202004 『Passion ケアという「しごと」』,現代書館,190p.
◇―――― 20200513 「新型コロナウィルスと介護現場」
◇―――― 20200521 「東京都江東区の高齢者施設・北砂ホームのクラスター発生とユニオンの江東区交渉の報告」
◇瀬野 喜代 i2019 インタビュー 2019/12/19 聞き手:立岩真也 於:於:京都市北山・ブリアン
◇立岩 真也 19980530 「手助けを得て、決めたり、決めずに、生きる――第3回日本ALS協会山梨県支部総会での講演」→倉本・長瀬編[2000]→立岩[200809:20-032]
◇―――― 20060710 『希望について』,青土社,320p.
◇―――― 20080905 『良い死』,筑摩書房,374p.
◇―――― 20151101 「田舎はなくなるまで田舎は生き延びる」,天田・渡辺編[2015:188-211]
◇―――― 20190125 「ここから始めることができる」葛城[2019]
◇立岩 真也・村上 慎司・橋口 昌治 2009/09/10 『税を直す』,青土社,350p.
◇立岩 真也・杉田 俊介 20170105 『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』,青土社,260p.
◇田中 啓一 i2018 インタビュー 2018/01/31 聞き手:立岩真也 於:金沢市・田中さん自宅
◇天畠 大輔 2012 『声に出せない あ・か・さ・た・な――世界にたった一つのコミュニケーション』,生活書院
◇―――― 2019 「発話困難な重度身体障がい者」が「生産する主体」になるためには――天畠大輔のコミュニケーションの拡張とジレンマを通して」,立命館大学大学院先端総合学術研究科博士論文
◇西田 美紀 2009 「臨界からの生存――独居ALS患者の在宅移行支援(一)」,『生存学』1:165-183
◇―――― 2010 「重度進行疾患の独居者が直面するケアの行き違い/食い違いの考察――ALS療養者の一事例を通して」,『Core Ethics』6:311-321
◇―――― 2011 「医療的ケアが必要な難病単身者の在宅生活構築−介護職への医療的ケア容認施策に向けた視点−」,『Core Ethics』7:223-234
◇―――― 2012 ,「医療機器を必要とする重度障害者の実態調査――地域のローカルなつながりに向けて−」, 『立命館大学生存学研究』, 生活書院, p113-139
◇―――― 2013 「在宅ALS患者の身体介護の困難性――ホームヘルパーの介護経験から」,『Core Ethics』9:199-210 [PDF]
◇由良部 正美 i2019 インタビュー 2019/10/25 聞き手:桐原 尚之西田 美紀長谷川 唯ユ ジンギョン 於:京都


UP:20200521 REV:20200522,23,0623
介助・介護  ◇介助・介護:2020  ◇重度訪問介護派遣事業(重訪)  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築 
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