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筋ジストロフィーの「脱ターミナル化」に向けて

筋ジストロフィー患者の国立病院機構筋ジス病棟の生活と自立生活の比較から

伊藤 佳世子・田中 正洋 20070916-17
障害学会第4回大会 於:立命館大学

last update: 20151224

◆要旨
◆報告原稿

■要旨

<研究報告趣旨>
 筋ジストロフィーという病気は「筋細胞の変遷を主な病変とし、進行性の筋力低下をみる遺伝子の病気である」と定義されている。子供の頃に発症し、進行性の筋萎縮症候群で筋力低下の後に、死亡するという病である。遺伝子の病気といっても遺伝でおこっているのは約三分の一と言われている。筋ジストロフィーは今のところ治療方法が見つかっていない。筋ジストロフィーをもつ方は全国に2万人程度いると言われている。そのうち2100人弱の方が全国27施設ある国立病院機構の筋ジストロフィー専門病棟にて療養生活をしている。ある病院の筋ジストロフィー病棟は看護師から「ターミナル病棟」と呼ばれている。そこでの療養生活は、明日をも知れぬ命だからということで、長期にわたり医療的な管理をされた生活を強いられ、ほとんどが死亡退院をする。治療方法が開発されるその日まで延命をして、最後まで医療側にとっての最善の医療を受ける。そうして、一生を患者役割としておくっていく。
 発表者の田中は国立病院機構の筋ジストロフィー専門病棟に16年入院していた経験があり、伊藤は田中とは違う国立病院機構の筋ジストロフィー専門病棟の療養介助員として9ヶ月勤務していた。双方の病院はいずれも生活の質や自由や尊厳よりも、延命のための絶対安静を重視している医療的な管理をされた世界であった。一般の社会を生きる人との生活とは違い、医師の言葉が絶対的な権力をもつ世界であった。その中で彼らは医療モデルで語られている。私たちはこの研究から筋ジストロフィーを持つ人を、生活モデル的な視点から生活を見つめなおし、彼らが不必要な医療管理から抜け出すことができるような道を模索したいと思う。
 筋ジストロフィーをもつ方の中には田中のように自立生活を営んでいる方もいる。自分の身体をきちんと自己管理し、最低限の医療と関係を持ちながら、自分らしい人生を送っている。彼らが軽度かと言うとそうではなく、全ての行為に介助が必要で、その上人工呼吸器を装着している。
 人工呼吸器の管理は、当事者がその必要性を充分理解し、操作方法や緊急時の対応を介助者に伝えることで可能である。介助者をセルフコーディネートし、リスクマネジメントも自身が行っている。
 彼らを見ると、病院のいう医療的管理が根拠あるものには思えなくなる。人工呼吸器の管理は医療に任せておくべきものなのか?医療機関でも人工呼吸器が外れた事故が起きていることからも、医療機関に管理を任せれば絶対安心という事はない。
 筋ジストロフィーをもつ方々がこの様な生活を余儀なくされることには三つの理由が挙げられる。一つ目は福祉制度的な不備によって、外出が困難であること、住みたいところに住むと言う発想を持ちにくいこと。二つ目は重度な障害で多くの介助が必要なために、介助者との関係において、行動範囲が狭められている点があると思われること。三つ目は幼い頃から管理された生活に慣れてしまっていて、あきらめや依存傾向をもちやすいことがあると思われる。
 そこで、本報告では彼らの住んでいる世界を理解するために、福祉制度から受けられる支援の調査と病院の人員配置基準などから浮かび上がる生活の質についての考察、かれらが対人関係をどのような人たちと持っているかの調査、どの程度日常に自由な生活を行なえる余地があるのかと言う調査から、筋ジストロフィーであるということがどういう生活なのかを模索した報告をおこなうことにする。制度面における根拠となる法令には障害者自立支援法(平成18年10月までは医療法)、進行性筋萎縮症者療養等給付事業があり、公的支援が現場ではどのように使われているか、又、制度の不備により強いられる生活制限がどのようなものかを報告する。対人関係については、病院にいる人と自立生活者に対するライフヒストリーの聞き取りやクラスター調査などから浮かび上がる対人関係の報告をする。病院にいる人と自立生活者では会っている人の数や外出の数がまったく違うと言う結果になっている。また、日常生活の流れを書いていき、自分のやりたいと思うことをどの程度叶えられるか、自己決定できる部分がどのくらいあったかなどを報告する。
 国立病院機構の生活と自立生活者の比較から病院の生活制限の是非と問い、筋ジストロフィーをもつ方が住みたいところに住めるようにするために必要なことを考えたいと思う。


 
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■報告原稿

筋ジストロフィーの「脱ターミナル化」に向けて
――筋ジストロフィーをもつ方の国立病院機構筋ジストロフィー病棟の生活と自立生活の比較から

 田中 正洋 メインストリーム協会
◎伊藤佳世子 千葉大学大学院人文社会科学研究科公共専攻公共基盤研究修士前期課程1年

  1 はじめに 本報告の目的と方法
  
  筋ジストロフィーという病気は「筋細胞の変遷を主な病変とし、進行性の筋力低下をみる遺伝子の病気である」と定義されている。子供の頃に発症し、進行性の筋萎縮症候群で筋力低下の後に死亡するという病である。遺伝子の病気といっても遺伝で発病しているのは約三分の一と言われている。筋ジストロフィーは今のところ治療方法が見つかっていない。筋ジストロフィーをもつ方は全国に2万人程度いると言われている。そのうち2,100人弱の方が全国27施設ある国立病院機構の筋ジストロフィー専門病棟にて療養生活をしている。(※1)ある病院の筋ジストロフィー病棟は、病院の看護師から俗称で「ターミナル病棟」と呼ばれている。そこでの療養生活は、明日をも知れぬ命だからということで、長期にわたり医療的な管理をされた生活を強いられ、ほとんどが死亡退院をする。治療方法が開発されるその日まで延命をして、最後まで「医療側にとっての最善」の医療を受ける。そうして、一生をターミナルな人たちとして、「患者役割」で過ごすことを余儀なくされるのである。
  ここで報告者がつかう「ターミナル」という言葉は"治ることのない、明日をも知れぬ命を医療的生活管理のもと絶対安静にして、最善の医療体制のもと延命を行う状況"ということで使いたいと思う。一昔前までは筋ジストロフィーは15歳前後で亡くなるという病であった。医療や福祉機器の進歩、福祉制度やバリアフリー化で平均余命も10年以上延びて、少しずつ状況が変わってきた。
  筋ジストロフィーをもつ方でも、医療的な生活管理をしない生活を自らつくりあげて、生活をしている方々も出てきている。それは重度かどうかということだけでその生活を選択しているわけではないようである。
  そこで、本報告では、医療的な生活管理を受けながら国立病院機構の筋ジストロフィー病棟で生活をする方と、医療的な生活管理のない自立生活者の比較から、脱ターミナル化するために必要なものは何か、何が障壁になるのかを考えていく。その方法として、病棟生活と自立生活をしている方にインタビューをして、そのインタビューデータの比較をする。報告者の田中は16年間の病棟生活がある。そこからまとめたデータにも触れたいと思う。
  
  2 制度や歴史の概観
  
  筋ジストロフィーをもつ方の環境の変化を見るために、筋ジストロフィーの方に関係のあるとおもわれる制度や歴史などの経過を大まかに見る。筋ジストロフィーの歴史には治療、研究の歴史もあるが、それには今回は触れないでおく。
  
  昭和35年 国立西多賀療養所において全国で初めて筋ジストロフィー症児の長期入院を認める。
  
  昭和39年 全国進行性筋萎縮症児親の会結成(東京 日本都市センター)
        全国重症心身障害児を守る会 スタート
   厚生省は「進行性筋萎縮症児対策要綱」を発表し、発病原因及び治療法研究に着手するため、第一次筋ジス医療機関を指定し、国立西多賀療養所と国立療養所下志津病院に各20ベッドの専門病床を設けるとした。
  (当時、厚生省では筋ジス児が14,5歳で亡くなっていたことから実数の把握が出来ずにいた。筋ジス児の親は入所希望を出し、殺到、厚生省は9施設9道府県に設置)
  
  昭和40年 第二回全国大会。「全国進行性筋萎縮症児親の会」を改め「日本筋ジストロフィー協会」と改称。
   ・ 厚生事務次官通知 「進行性筋萎縮症にかかっている児童に対する療育について」
  
  昭和40〜41年 院内教育普及
  
  昭和39年 国立療養所にて筋ジストロフィー児の受け入れを始める。100床
   ・ 厚生省「進行性筋萎縮症対策要綱」発表
   @収容患者の選定、治療方針の確立、教育の機会の確保
    A積極的リハビリテーションサービスの推進
    B研究の推進・大学との協力
    C医療費は保険診療の80%とし、療育医療については検討
  
  昭和40年 国立療養所に限り、児童福祉法の育成医療制度が適用される。
  
  昭和41年 就学調査を行なう(67.1%が就学猶予、養護学校が15.1%)(※2)
   ・ 中央児童福祉審議会、意見具申
  @進行性筋萎縮症の児童福祉法上の取り扱いを明確にすること
  A進行性筋萎縮症児の病床を増設すること
  B進行性筋萎縮症の発生予防及び治療方法を究明すること
  
  昭和42年 国立療養所のベッド580床になる。
  ・厚生事務次官通知「児童福祉法の一部を改正する法律の施行について」
  @国立療養所への治療等の委託について
  A進行性筋萎縮症児について障害の態様から見て肢体不自由として処遇
  B国立療養所へ委託できる肢体不自由は、進行性筋萎縮症に限る
  C在所期間の延長等について
  
   昭和43年 初めての筋ジストロフィー専門病棟ができる(国立西多賀療養所)。
  
  昭和44年 進行性筋萎縮症による肢体不自由者の国立療養所への入所措置の実施。
  
  昭和46年 進行性筋萎縮症による肢体不自由者の社会福祉法人等医療機関への入所措置の実施。
      ・ 「進行性筋萎縮症患者を救う会」発足。筋ジス国立研究所設立署名運動行う。 
  
  昭和40年代後半 電動車椅子が導入され始める。しばらくは自己負担額が高かった。
  
  昭和50年 作業療法棟が整備開始。
  
  昭和51年 デイケア棟の整備開始 。(在宅患者支援)
  
  昭和53年 国立神経センター完成 武蔵国立療養所に。
  
  昭和55年 高齢化対策として「成人化対策病棟」整備が開始。
  
  昭和57年 秋田国立道川療養所に筋ジス成人病棟開設。
  
  昭和61年 国立病院、療養所の再編発表。
  
  平成2年 在宅人工呼吸療法に社会保険適用、在宅人工呼吸器貸し出し事業が始まる。
  
  平成3年 (尼崎)筋ジストロフィーをもつ玉置真人くんの公立高校の不合格決定取り消しを求め訴訟(92.3.13)神戸地裁「不合格処分は違法」の判決。
  (裁判の中で、学校側は不合格にした理由を「学力だけでなく総合的能力」から判断したとのことであり、玉置君側は学力を基準にすべきだと訴えた。試験結果は、「受験者上位10%以内」でありながら不合格になったことから訴訟になる。この裁判の判決が出る平成4年までは普通学校に行くには親がずっとついていなくてはならないなどの条件がつけられているところが多く、それにより養護学校に行かざるを得ない方も多かった。)
  
  平成3〜4年 筋ジスベッド2,500床の予算計上をされる。
  
  平成3年 パソコン通信事業に取り組む。
  
  平成4年 筋ジストロフィー協会で全国福祉ネット「夢の扉」を始める。
  
  平成5年 『福祉用具の研究開発及び普及の促進に関する法律』施行。
  
  平成6年 『高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律(ハートビル法)』施行。
  
  平成12年 『高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律(交通バリアフリー)』施行。
        
  平成15年 『支援費制度法』施行。
  ・『身体障害者福祉法に基づく指定居宅支援事業者等の人員、設備及び運営に関する基準』施行。
  ・『指定身体障害者更正施設等の設備及び運営に関する基準』施行。
   
  平成16年 全国の国立病院・療養所が独立行政法人国立病院機構へ移行。
  
  平成17年 在宅におけるALS以外の療養患者・障害者に対するたんの吸引の取り扱い認められる。(医政発第0324006号)
   
  平成18年 障害者自立支援法 筋ジス病棟は医療法上の施設から、障害者自立支援法の療養介護指定を受ける施設へと転換。「措置」から「契約」へ
  
  山田富也は筋ジスの歴史をこう語る。「当初、筋ジストロフィー対策として、明確な方針がなく「収容」がすべてであった。病院には専門家もおらず、それぞれの地域に点在する専門医に協力をお願いしながら、入院生活が始まった。」[山田1999;165]「筋ジスは国立療養所に受け入れ、児童福祉の体系の中に位置付けられることになったわけだが、国立療養所対策もまた、大きな波の中で揺れ動いた。とにかくそこに入ればいいんだといったところで進んでいたが、なぜ国立療養所なのかといった問いには今も答えてはいない。」[山田1999;165]
  
   現在の国の筋ジストロフィー政策
  @ 国立病院機構筋ジストロフィー専門病棟への入院
  A 障害児者としての対応
  B 国立精神・神経センターを中心とした研究
  C 新薬開発
   当初は国立病院の療養所に入らないと医療や福祉制度を受けることができなかったり、学校に行くことが出来なかった方が多かったが、現在は在宅や自立生活でも支援が受けられるようになり、普通学校に通えるようになってきた。公共機関のバリアフリー化、電動車椅子と人工呼吸器の発達により、行動制限が減ってきた。
  
  3 筋ジストロフィーを病棟生活と自立生活との比較
  
  筋ジストロフィーをもつ人が、脱ターミナル化できないことには何が壁になっているのか。患者でない生き方をすることができにくい理由はどこにあるか。二つの生活の比較からそれを考えたいと思う。事例1は報告者の田中の事例であり、事例2はある国立病院機構の筋ジストロフィー病棟に入院しているRさんの事例である。Rさんはまだ入院中であり、お名前は伏せさせていただく。
  
  <事例1 32歳、デュシェンヌ型筋ジストロフィー 男性 24時間人工呼吸器装着者>
  田中は国立病院機構の筋ジストロフィー病棟に16年間入院していた病院を出て、自立生活を始めて約1年になる。田中はデュシェンヌ型筋ジストロフィーを持つ。病院では人工呼吸器をつけて重度であるという認識からほとんど車椅子にも乗らず、入浴もしておらず、ペースト食を食べて、暮らしていた。
  田中は、人工呼吸器が外れる事故があることから、常に誰かが側にいるわけではない病院においては、人工呼吸器の管が外れたらもう自分の命は終わりかもしれないという危機感に苛まれ、週末に両親が見舞いに来る度に呼吸器の接続をすべてチェックしてもらっていた。
  在宅への移行も考えたが、高齢の両親への負担を考えると困難であった。しかしながら、たった一度の人生、「自分らしい生き方」をしたいと強く思うようになり、自立生活を始めた。
  
  @ 病院での生活と自立生活をしての生活の違い
    ◎ 健康になったと思われる点
     ○ 皮膚の状態がよい
      ・ 着替えや洗髪の回数が増えた。
      ・ ストレスがない。常に誰かがいるので不安がない、待ち時間がほとんどない。
      ・ 今まで清拭だけだったのが入浴ができるようになった。
     ○ 顔色がよい
      ・ 外気浴ができるようになった。週のうち2、3回くらいはどこかに外出している。
     ○ 風邪を引かなくなった
      ・ 病院では集団生活なのでMRSAに感染したり、風邪を引きやすかった。
    ◎ ADLが上ったと思われる点
     ・ 食事の形態がペースト食から普通食に近いものになる。
  ・ 車椅子に長時間乗れるようになった。ベッドに寝たきりの時間が減る。
  ・ 入浴を週に2回できるようになった。病院では医療的に危険とみなされ清拭だけであった。
    ◎ スペースの違い
  ・ 病院では6人部屋であり、プライバシーの確保は困難。唯一ベッドサイドカーテンのみが個人空間の仕切りである。
  ・ 今は2DKのアパートに住んでおり、自室とヘルパーさんの待機の部屋と分けて使っている。24時間介助者がいるので、お互いのプライバシーが守るようにしている。
  ◎ 医療について
  ・ 人工呼吸器の管理は自身で行っている。
  ・ 週一回の訪問診察、週三回の訪問看護、週二回の訪問リハビリを受けている。
  ・ 最低限の医療を受けている。
  
  A コミュニケーションの違い
  ・ 病院では養護学校からずっと同じ病棟で同じ仲間と過ごしてきた。寝たきりになると、同室の人以外はほとんど会えず、病院関係者、両親や親戚以外とは話をする機会はほとんどなかった。
  ・ 今は一日に会う人の数が増えたし、特に医療関係者以外の人と会う機会が増えた。例えば他の障害のある方や趣味の仲間、友人に自由に会うことができる。
  ・ いわゆる病院の面会という形ではない、食事会や旅行のような幅の広い付き合い方ができるようになった。
  ・ 新しい友人ができた。
  
  B 依存心の克服と自己責任
  重い障害、重い病気という自己管理にすべて責任をもつこと。それは実に大変なことである。病院にいる間は、医療的知識のあるスタッフからの管理の下、医療ケアを受けられる。自立生活では最低限の医療ケアを受けるが、自分の医療ケアの必要度も自身で決めなくてはならないし、生活の中身を自己決定できる分、自分の身体にも自己責任が常につきまとう。
  報告者の田中は、重たい障害や病気をもつ自立生活当事者は病気や人工呼吸器管理についてきちんと理解しておく必要があることや、介助者を雇っているので雇用主としての意識を持つことも必要と考えている。例えば、人工呼吸器の管理は、自身がその必要性を充分理解した上で、操作方法や緊急時の対応を介助者に伝えて行っている。介助者のシフト等をセルフコーディネートし、リスクマネジメントも自身が行っている。すべてが自分の責任であるという、社会の一員としての当たり前の意識を持つようになったという。当事者の考え方次第で介助技術を向上させることや問題点を話し合って事故を未然に防ぐことも可能となる。日頃から話し合って、お互いの役割を明確にしてそれぞれの役割をきちんと果たしていれば、その上での事故は不可抗力と断言している。
  
  C 田中さんをとりまく福祉制度
  ・ 障害者自立支援法の重度訪問介護において、月に580時間の支給量を得ている。一月を24H×30日=720Hとして計算し、残りの140時間は、訪問看護(週三回、各一時間半程度)のときに介助者なしにするなどして減らしている。(自己負担が今後増えたら、生活保護の他人介護量の申請する予定)
  ・ 使っている医療機器 人工呼吸器、在宅酸素、パルスオキシメーター
  ・ 使っている介護機器 電動ベッド、差し込み便器
  ・ 人工呼吸器の外部バッテリー、アンビューバックなどは自費購入
    ○ 福祉サービスにかかる費用と収入
  ・ 介護給付費総額(療養介護) 1,091,217円(2007年7月分)
  ・ 訪問看護、診療費は生活保護なので不明
  ・ 障害基礎年金、特別障害者手当、生活保護費
  ・ 家賃、光熱費、食費、介護費の自己負担分でほとんど使い切ってしまう。
  特に医療機器や介護機器はずっと使っているので電気代がかかる。 
  
  <事例2 36歳 クーベルグベルグウェランダー 女性>
  女性の協力者のRさんは某国立病院機構の筋ジストロフィー病棟にて29年療養生活を行っている。彼女はクーベルグベルグウェランダーという病で筋ジストロフィーによく似ている病気である。すべての行動に介助が必要な全身性の障害である。その彼女の病院での暮らしや人間関係についてのデータである。
  
  @ 生活について
  ・ 24時間介護が受けられ、三食が出るが、一日の待ち時間が5時間近くある。
  ・ 一日の日課が決まっているので、とても楽である。
  ・ 着替えが週に2回しかないために一日中パジャマで過ごしていて、ずっと患者のようであるが、元気であり、治療は特に受けていない。
  ・ 外出、外気浴がほとんど出来ない。外出は許可制になっていて、外部の人との接点がほとんどない。日光に当たらないので、ビタミンD不足といわれた。
  ・ 何かがあっても誰かが何とかしてくれるという安心感がある。そのため、問題を起こしたことがないので、何かに困ったことはない。
  ◎ 医療について
  ・ 医師と面談して、医療について話すのは年に数回程度しかなく、医療の下にあるという感覚は感じない。風邪を引いた時くらいしか医療の話はない。治療は受けていない。
  ・ 貧血の薬以外は飲んでいない。
   
  A コミュニケーション
  人間関係について、クラスター調査にして書いてみた。
   彼女の周りには親族、病棟の友人、それから以前養護学校で一緒だった友人が一人いるのみである。毎日、医療スタッフから介護を受けており、病棟仲間と医療スタッフの中で過ごしている。それ以外の親族や友人には月に一度会うかどうかである。
  B 依存的にならざるを得ない部分について
  ・ 生活全般にわたってほとんど自己決定する部分がなく、いつも自分のことを周りの人が決めている。
  ・ 病院の職員の勤務時間を中心にした一日のタイムスケジュールの中で、流れ作業の介護により、自由意思による時間の流れはない。
  ・ 大学進学や自立支援についての情報提供はされず、家にも帰れず、ほかに行くところがなかった。人生の選択肢がなかった。
  
  C Rさんをとりまく福祉制度
  ・ 平成18年10月から障害者自立支援法による指定療養介護施設に入所という形になる。(そのことで特に生活における変化はない)
  障害者自立支援法の療養介護指定の人員配置数は平成18年9月29日付厚生労働大臣が定める施設基準の告示551号において、看護師は1.5人換算というものがある。それによってか、夜勤の看護師が2人〜4人体制で30人から40人の患者をみている実態がある。労働集約型の介護現場にある。   
  ・ 外出は自費負担
  Rさんの病院ではその性質上、外出への支援は行われることがない。
  数日外泊をして何日か病院を空けても、入院中は常に医療報酬が15%請求されているという理由から、自宅に帰っても居宅介護支援を使うことができない。
  ○ 障害福祉サービスに係る費用と収入(Rさん2007年7月分)
  病院に払う費用は 54,110円
  (7月分 内訳:介護給付費24,600円 療養介護費15,110円 食事療養費14,400円)
    ・ 介護給付費総額(療養介護) 265,670円
  自治体等請求額 241,070円
  利用者負担額計 24,600円
    ・ 療養介護医療に係る費用
  療養介護医療費総額 609,150円
  保険者等請求額 594,040円
  利用者負担額計 15,110円
    ・ 食事療養費総額 59,150円
  保険者等請求額 44,750円
  利用者負担額計 14,400円
  ・ 障害基礎年金を受け、市役所から日用品費月1万円が病院に支払われている。
  
  二つの事例の比較から言える、脱ターミナルに壁となること。 
  
  @心筋、呼吸筋の低下から、心不全や呼吸困難に注意をしなくてはならないことがあり、医療的な安心感を求める。
  山田富也は医療と切れない自分の関係を語っている。「結局、私たちはやはり病院でしか生きられないのか、そんな諦めが頭を支配し始めた。病院を出るために、病院を出て自分の人生を全うするために、私たちはまず行動を始めたけれど,結局医療からは逃れられなかった。医療から逃れられないことは分かっていたが、現実の前に無力な自分たちを恨めしく思った。」[山田1999;198]「みんな医療の中で生きてきて、ますます重度化・重症化が進んできて、これからさらに医療的ケアが必要になろうとしているときに、それに対応できる体制が整っていないところに出て行くだけの決断がつくはずない。」[山田1999;198] この思いの後、彼は難病ホスピスを建てる。今は、当時と違い病院以外で医療が受けられるように変わってきた。
  Rさんは病棟生活についてこう語る。「誰かに守られているから安心です、24時間の介護があって、お金の心配もない。困ったこともない。でも、普通に地域に住んで働いてみたい。」
  病院で過ごすと、社会的なストレスはない。病人役割の特権である。しかしながら、それに満足しているわけではない。社会参加を望んでいる人ばかりなのだ。ただ、医療的ケアが社会で受けられるような環境が整っていないから、決断がつかない。
  人工呼吸器などの医療の発達は、寿命を長くしたが、重度化、重症化がすすんでいるという現実がある。病院の外で24時間かけつけてくれる医療を確保することはなかなか難しい。
  ここで考えたいのは、病院の医療的な生活管理は本当に必要で健康につながっているのか、という点である。私たち一般の人よりも医師は医学に関する知識を持っている。筋ジストロフィー専門医ならきっとよく筋ジストロフィーのことは知っているであろう。だから、医師の指示に従っていればよいのか。必ずそれが延命で、生きることにすべてつながるのか。田中は少なくとも病院を出て健康になっている。ADLも上っている。一部の医療的な生活管理が不必要であってことを実証した。病院にずっといるRさんはビタミンD不足である。そして、貧血の薬しか飲まないRさんの医療費の値段には実に驚く。
  病院にいたら医師の言説は絶対であるという。医師が風呂に入るなといえば、入れなくなる。外出を許可しなければ、外出はできない。その管理は正しかったのだろうか。少なくとも田中は医師の言説を信じなかった。そうして、地域に飛び出た。筋ジストロフィーをもつ方は医療とは完全に切ることはできないかもしれない。医療を絶対視するか、医療的な知識を知った上で、自分で自分の身体のことを決めるのか。そこがその人生や行動を決めるのに重要になってくると思われる。
  自分の身体の責任を医療側や介助側に、どの程度任せて過ごすか。それは、それぞれの病態や育ってきた医療環境などで個人差があると思われる。相当に具合が悪いときは、医療にすべてをお願いするしかない。しかし、病状が安定していても幼いころから病院にいる場合、自分は病院を出られない人間であると、思い込んでしまうこともあるかもしれない。現に筋ジストロフィー病棟には薬を飲んでいない方が何人かいる。そうであっても、幼いころからの病院生活による医療的な部分の支えてきたものは大きく、病院を出ることは相当の覚悟であろうと思う。
  
  A重度な障害から多くの介助が必要であること。
  金満里の介護論「介護とは−私は私の身体が自分の意志で動かすことは出来な いので、他人の身体を使って、自分の体を管理しているということ」[金 2000;26]「重度障害者にとっての介護とは、自分の命に関わる、介護する相手の身体じたいである」[金 2004 ;71]これを上野千鶴子(2006)は「ここでは介護とは、身体と身体との相互行為の水準でとらえられている」という。(※2)
  重度な障害者は他人との相互行為により介護が行なわれる。介護側の主観、介護側との関係が自分の身体の動かし方を決めるところが大いにある。介護者が親である場合、介護者が医療職である場合、介護者が福祉職である場合で変わってくると思われる。その介護者が被介護者の自宅に来ている場合、病院や福祉施設で介護を受ける場合、その状況で変わってくるだろう。介護者に医療などの専門知識がある場合は自分の意志より、専門知識のある介護者の言葉を尊重しがちになるように思われる。Rさんの周りは医療関係者が多い、彼女の周囲の意見はきっと彼女の身体のためにはものすごく考えられたものであろう。そのような医療的モデルで彼女はいつも考えられている。それは、病院固有の視点である。それが、すべての行動を決めているとしたら、筋ジストロフィーは病気で絶対安静な人、ただそれだけになる。
  自立生活の場合、田中は「当事者の生活場所はイコール職場」という。介助者を雇っているという雇用主の意識をもつことが必要。それが責任であると考えている。介助者との関係を雇用関係に捉えている。
  病院では常に介助側のパワーバランスが強い。時に1人の介助者が10人以上の患者を見ている訳で、介護を受ける側は人員不足の中やってもらっている感はどうしてもある。
  
  B幼い頃から自身の身体の責任を誰かと分割してきたこと。
  「アサイラム」(Goffman 1961)で「全制的施設」のプロセスを「無力化」と呼び、施設の入所者たちが培ってきたアイデンティティや自尊心を剥奪される過程が書かれている。人にはそれぞれの衣食住のライフスタイルがあるが、そういう固有の文化を奪われていくのだ。
  身体が自由に動かない筋ジストロフィーをもつひとたちが、介助を受けながら「全制的施設」にいるということは、自分の指先の細かな位置もすべてを介護者によってとり行われるために、極めて効果的にアイデンティティが剥奪されるように感じる。子供の頃から病棟で暮らす人たちは、そもそも独自の固有の文化を持つことが出来ないであろう。体を預けて治療をしている状況なのであるから,自分の身体の一つ一つを管理されているわけで、自分の身体の責任は介護側がもつ。
  ある病棟歴の長い筋ジストロフィーを持つ方々の言説でこんなものがある。「例え転んでも、擦り傷でも看護師に伝える。」「病院で嫌な患者がいるときは、指導室に相談して言ってもらいます。」たまに病院にいるのではない。毎日何年間も暮らしている病院でこの言説が出るのだ。それはどこか自主性のない、アイデンティティの欠けた空虚なものを感じる言葉だ。
  熱が出ても、その責任と対処はすべて介護側に治療として行なわれる。自身が熱が出たことを気付く前に、すべて対処されてしまうこともあるのだ。
  報告者田中は精神的に自立するためには、ピアカウンセリングや自立生活プログラム等でソーシャルスキルやエンパワメントを得ることが重要になってくると考える。病院にいるかどうかではなく、精神的な自立は受身的に自己決定のない生活では奪われていく。それだけでない、必ずしも全員がそうなるわけではないが、アイデンティティをもつことができなくなってしまうこともあり得る。
  自分の身体の責任を誰かと分割すること、自分の身体の一部が、自分の責任で動けなくなることは、自分のエリアが狭くなることであろう。爪の先も髪の毛も私のものであることと、心臓の管理と呼吸の管理は私とは別の人がすること、身体の管理を私でない誰かがする時にそれは自分が自分でいられるのだろうか。
  筋ジストロフィーを持つ人はその発症年齢が幼いことから、自分で自分の体の管理は出来ない。その延長で年をとっているところから、いつまでたっても自分の身体の責任や管理を親や病院と分割しがちになる。
  
  4 病院を出た人たちの言葉と病院にいる人たちの言葉との比較
  
  <病院を出た人>
  山田富也「最近の筋ジス病棟を見ると、ほとんどが人工呼吸器をつけている。相変わらず治療らしい治療もなく、看護師さんらの仕事も主に治療看護というより、介護に近いものである。設立当初よりいわれていたように、生活施設の色彩は強かったが、その傾向は更に進んでいるといえる。そう思うと、病院にいる意味は何か、と改めて考えさせられる。」[山田2005;102]
  
  富田直史(2007)はDPI日本会議集会で「自分は進行性の筋ジスであり、夜間呼吸器をつけなければならない状況」であることを述べた上で、明確に「殺されたくない」と断言した。国立療養所の中で、「何人もの仲間が呼吸器をつけると一日中ベッドに寝かされた生活を強いられ、ナースからも暴言を受けるなかで"殺してくれ"と叫び、死んでいく人を見てきた。自己決定といってもそういうなかで、"そうした方が良いのかもしれない"と思わされてなされてしまうのではないか」と発言している。
  
  花田貴博(2005)はDPI北海道会議で「今の日本の現状では、重度障害をもちながら多くの人が施設や病院で生活しています。私も国立病院にいましたが、自由がなくトイレに入る時間が決められてしまうなど、人権侵害もあり、8年前に自立しました。障害を持った人が施設でどれだけ大変な目にあっているかを多くの市民の人に知って欲しいとおもいます。私たちも地域で生きたいと思っています。これは行政できちんとしてもらわないといけないと思っています。」
  
  「鹿野靖明は一九五九年生まれの筋ジストロフィーの人で、七二年から一五歳までを国立療養所八雲病院で過ごす。それは筋ジストロフィーの子どもたちが集められた病院だった。彼はそこで多くの口に出されることのない死を感じて過ごす。その後様々あったの後、一九九五年に筋医協札幌西区病院で呼吸器をつける。「「このまま天井の穴の数をかぞえながら、ぼくは死んでいくんだろうか」病室の天井は、小さな穴がたくさん開いたよくある白いボード板の天井だった。それは少年時代を過ごした国立療養所八雲病院とまったく同じだともいった。/「ここにいると、ぼくは死んでしまう」(※3)
  
  今井隆裕は(2002 ホームページから)「私の考える「自立生活」というのは、一言で言うと『普通の生活』ということです。病院生活は『普通の生活』ではありません。常に『患者』として管理され、自分の意志とは関係なく病院の「規則」と「日課」に縛られて暮らす生活です。そうした中では、自分の『自己決定』や『自己選択』という人間としてごく当たり前のことがごく限られた範囲でしか尊重されません。
  私は、そうした『与えられた生活』ではなく、自分の意志ですべて自己判断と決定に基づいて生きられる場で、自分らしく、ごく普通に生活したいだけなのです。『自立生活』という言葉で言うような、特別なものではありません。もちろん、24時間呼吸器を使用して常に介助を必要とする私が、今の不十分な福祉制度のもとで普通に暮らすのは、とても難しいことですが、私はもう病院には戻りたくありません。
  たとえ、24時間呼吸器を使用して、医療的なケアが必要な状態であっても、環境がある程度整うならば、地域で普通に暮らしたいと思うのが、ごく自然な気持ちなのです。
  私は、そうしたごく自然な気持ちのままに、今の生活を選びました。
  自立生活を開始した当初は、10歳の時に入院して以来、全く実生活の経験がなかっただけに、生活するというのがどういうものなのかよく分からず、毎日手探りの状態でした。食料の買出しについても『何日間で何をどれだけ買っていいのか』見当もつかないし、病院では、『電気・ガス・水道・電話などの光熱費』のことなど、考えたこともなかったので、自分で家計をやりくりすることが、とても難しく感じました。また、自分の家という感覚が当初は実感できず、『掃除・洗濯・調理・洗い物・ゴミだし・・・』といった、生活するうえで、ごく基本的なことでさえ、何をどうすればいいのか分からないわけです。自分の家のことなのだから、当然自分がすべてを把握して介助者に的確な指示を出さなければならないのに、それができないという自立生活以前の課題もありました。
  こうした経験を通じて、入院当時の自分はいかにも何もかも人任せにして、暮らしていたかということに気づき、『生活の場所はどこであっても自分の生活スタイルは自分できめる。誰かに与えられた生活でなく、自分の意志で自分の望む生き方を求める。』といった、ごく当たり前のことですが、そういう意識を常にもち続けることの大切さを強く感じています。24時間介助が必要であっても、生活の主体は自分にあり、介助者は私の手足となって私のできない部分を補ってくれるだけです。主体者である『私』がどうしたいのか、どう生きたいのかという意志をはっきり伝えないと、この生活は成立しなくなってしまいます。」
  
  <病院にいる人たちの言説>
  Rさん「ここに居る以外に他に行く所がなかった。学業のために入院して養護学校(現在は特別支援学校)に通いましたが、高校卒業後は、選択するような進路は何もなかった。自宅に帰っても家族は面倒を看る事は出来ないし、自立するなんて事は思い浮かばなかった。周りの人も高校卒業後は療養を続けるのが当たり前だったから自分も当たり前としか思わなかった。中には療養しながら通信教育を受けている人がいたけど、それは特別な事で、特別な人しか出来ないと思っていました。今考えると…もう少し将来の事を真剣に考えておけば良かったなって思います。最近になり自立を始める仲間がいましたが、自分がしようとは思いませんでした。私みたいな世間知らずが行政と交渉をしたり、住む所や介護者の手配をこなせるわけがないと考えました。お金もなかったですし…なによりも福祉の支援がわからないですから。病院にいるしかないって感じです。」
  
  Fさん「決して満足をしているわけではないけど、いつも看護師さんがいることは安心。この生活を捨てるのは怖い。なにがあっても大丈夫というところが病院にはある。」
  
  Wさん「病状は、日々、進んでいく。好むと好まざるとも、この病院に生かされている。」
  
  二つの事例を見ると、病院に入っているのは筋ジストロフィーの病のためであり、そのことで人生の選択肢を感じていないように感じる。制度交渉など、行政とのコンフリクトなしに地域での生活が出来ないことも問題に思われる。それは行政だけでなく社会の理解が、筋ジストロフィーなど重大な病気を抱える人たちに対して足りないというところにある。彼らの住むところは病院がいいのだという社会の理解、それが今の行政にそのまま出ているのであると思う。
  医療モデルで病院側が考えて支援し続けていくことは、時に人間の尊厳を奪う。それは、当事者が必ずしも医療側に期待していない部分でもある。重度な病があるから、医療は受けたい。けれども、生活制限を受けることには否定的なように見受けられる。筋ジストロフィー病棟がしている医療的な生活制限は、患者側には不必要に感じられている部分がある。不必要を通り越して患者側に人権侵害と思われているケースもあるのだ。
  「『生活の場』としての筋ジス病棟は、治療法も原因も分からない病気の患者の治療を行うという建て前と、さらに『入所』施設としての機能のない病院の現実と、生活空間を求める患者との間に、大きな矛盾を抱え、設立以来30年目の夏がやってきた。なぜ、筋ジス病棟はその本質を維持したまま今日まで存在し、なおその存在に意義が認められ、矛盾を凌ぐ必要性があるのだろう。わたしはそこにこそ筋ジス問題、難病問題の本質的な弱さ、悲しさがあると思う。」[山田1999;44-45]
  
  5 まとめ
  
  歴史を概観すると、筋ジストロフィーを取り巻く環境は変わってきている。以前は病院でしか受けられなかった福祉や医療が、自宅で受けられるように変わって来た。電動車椅子、人工呼吸器の発達によって、自由に動ける範囲が増えた。また、今回の報告では言及していないが、筋ジストロフィーの治療開発は進み、遺伝子治療が見えてきた。
  筋ジストロフィーをもつ方はもはや病院に収容されるだけの人生でなくて良くなった。国も豊かになり、福祉政策により、少しずつではあるが多くの障害を持つ人の生活が変わってきている。福祉制度や医療、介護機器の発達、バリアフリー化が進んだことから、色々な生き方が模索できるようになった。
  「表現が適切ではないかも知れないが、多くの患者が亡くなって退院していくことを思うと、全員が死刑執行を待っているようなものだ。選択肢のない人生は、辛さより、悲しさに満ちていた。」[山田2005;129]
  病棟生活、在宅生活、自立生活と選択肢をもてるようになってきた。それでもまだ、選択肢は本人たちにほとんどあたえられていない。田中は当事者のニーズに合った選択肢を社会的制度で保障することが必要であるという。生活場所が入院しかないと思って入院しているのと、他の選択肢を知っていて入院しているのとでは全く意味合いが変わるからである。
  重度の障害があることは、好むと好まざるに関わらず、援助者と被援助者の関係をずっと持ち続けなくてはならない。被援助者は、援助者より年が下であったり、援助者に専門知識があったりと、色々なことで影響は受けざるを得ない。援助者と関わることでも、本人の思うとおりに生きることの難しさは、重度な障害があればあるほどおこり易い。本人の身体を気遣う援助者が、本人以上に本人の体をもしかして冷静に判断をしているかもしれない。本人の体のことを専門知識からよく知っているかもしれない。その制限の是非にかかわらず、それは本人の行動を制限するものになってしまうだろう。山田富也は自分の役割があることが自分の生につながっているという。「安静が一番なのは、誰もが言えることだし自分自身もその大切さは分かる。しかし、ただ寝たきりでいるということは、生きるという生きがいを剥ぎ取ってしまうことになる。」[山田2005:218]
  筋ジストロフィーは重度な障害を持つ病気である。それは間違いない。しかし、車いすに呼吸器をつんで、町を歩けるようになった。体は動かなくても、インターネットで立派に社会参加できるようになった。もうただの寝たきりではない。もうターミナルなかわいそうな人たちではない。筋ジストロフィーを持っても、夢をたくさん持って、いろんな可能性に挑戦できる、普通の人たちなのだ。脱ターミナルして病院の外に、どうか飛び出してきてほしい。筋ジストロフィーをもつ方が、医療に支配されないで、最低限の医療にかかわりながら、普通の生活ができるように、外にいる私たちは急いで彼らの受け皿をつくる努力をしなくてはならないと思う。
  
  (※1) 社団法人日本筋ジストロフィー協会 2003「筋ジストロフィー患者の現状と課題2003概要」より抜粋
  (※2) 上野千鶴子 ケアの社会学「at」2006年6号12月 124ページ 太田出版 より抜粋
  (※3) 渡辺一史 2003 「こんな夜更けにバナナかよ」 北海道新聞社 より抜粋
  (※4) 山田富也 1999 「全身うごかず」 中央法規出版 より参考
  
  文献
  1 社会福祉法人全国心身障害時福祉財団 2000「筋ジストロフィー教育のあゆみ」社団法人日本筋ジストロフィー協会
  2 山田富也 2005 「筋ジス患者の証言「生きるたたかいを放棄しなかった人びと」」明石出版
  3 E.ゴッフマン 1984 「アサイラム」 誠信書房


UP:20070808 REV:20070905
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