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『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』

立岩 真也杉田 俊介 2017/01/05 青土社  文献表

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立岩 真也杉田 俊介 2017/01/05 『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』,青土社,260p. ISBN-10: 4791769651 ISBN-13: 978-4791769650 1944 [amazon][kinokuniya] ※
 ※青土社HP経由で購入→http:◆/www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3001
立岩真也・杉田俊介『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』カバー
装丁:竹中尚史(洛北出版)http://rakuhoku-kyoto.tumblr.com/post/154927872037

書評・紹介等 ◆目次 ◆はじめに(全文) ◆文献表(別頁)
 
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■書評・紹介

◆若林良 2017/03/07 「相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム[著]立岩真也・杉田俊介」
 『週刊朝日』
 https://dot.asahi.com/ent/publication/reviews/2017031000065.html

 「「昨年7月に神奈川県相模原市の障害者施設で発生した殺傷事件を、社会学者の立岩真也と障害者ヘルパーの経験がある批評家の杉田俊介が読み解いた。
 二人のアプローチは対照的だ。立岩が障害者をめぐる言説や、歴史的な観点から事件を検証するのに対し、杉田は事件の受容のされ方や、容疑者の思想が一定の支持を得た背景に何があったかなど、「私たち」にとっての事件の意味を問いかける。
 本書は事件を総括するというより、「自分はいかに言葉を紡ぐか」という、著者らの個人的な模索が出発点となっている。しかし、そうした個人の倫理こそが根源的な「悪」に対峙できる唯一の手段だと、読み進めるうちに気づかされる。著者それぞれの論考と討議が収められ、読後感は重いが、目を背けてはならない一冊だ。」

◆つるたまさひで 2017/03/05 「「相模原障害者殺傷事件(優生思想とヘイトクライム)」メモ」
 http://tu-ta.at.webry.info/201703/article_2.html

◆2017/02/05 「『相模原障害者殺傷事件 優生思想とヘイトクライム』=立岩真也、杉田俊介・著」
 『毎日新聞』2017年2月5日 東京朝刊,今週の本棚・新刊
http://mainichi.jp/articles/20170205/ddm/015/070/049000c

 「相模原市の障害者施設での殺傷事件に関連して、障害者運動史などに詳しい社会学者の立岩と、障害者福祉に関わってきた文芸批評家の杉田による論考と対談を収めた。立岩は、障害者の殺害を正当化する理屈とその理屈への抵抗の歴史などを描く。「社会にプラス」ではないから、あるいは「本人のためを思って」、障害者殺しを当事者の周辺にいる人たちが肯定してきた例をいくつもあげる。杉田は、優生思想や排外主義の背景に、マジョリティーであるはずの男性たちの社会・経済の変化に伴う不安や被害者意識を指摘して、違う道を模索しようとする。
 立岩の文体は、指示代名詞を多用しつつ、繰り返し、問題の中心へとにじり寄るような独特のものだ。対する杉田も、自らの感情の揺れや疑問、悲しみを前面に出して語る。二人とも、優生思想と一体の能力主義的な思考などを批判する。立岩は、そもそも社会科学的に必要ないと立論し、杉田は、そもそも人間の生は平等に無価値で無意味だと認めることから、人は十全に自由に生きられると説く。現場をよく知り、根源的に思考してきた二人だからこその言葉が、重く響く。(生)」

◆渡邊十絲子(詩人) 2017/02/02 「書評:立岩真也・杉田俊介『相模原障害者殺傷事件 優生思想とヘイトクライム』――あの事件のもどかしさととことんつきあう」
 『週刊新潮』2017年2月2日号
 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170202-00525497-bookbang-soci

 「昨年夏、神奈川県の障害者施設で起きた殺傷事件。死者の多さや、凶器が刃物であり殺意が直接的・肉体的にぶつけられている点も衝撃的だったが、容疑者の「思想」が不気味だった。
 この事件は、人を黙らせてしまう。うまく語れないし、むりに語ると言葉が空転する。人間存在の根本にかかわる重大事は、直接にすっきり言い当てる言葉がないのだ。周辺をぐるぐる回りながら中心に接近するしかないので、もどかしい。しかしこのもどかしさととことんつきあいながら、問題のありかを解きほぐそうとしてくれる本が出版された。
 著者のひとり立岩真也は、事件そのものや容疑者については論評せず、「障害者殺し」や「優生思想」の系譜をたどりなおす。今回の容疑者の「思想」(社会の役に立たない人間は殺してよい)が報道されると、それに共鳴したり支持する発言もあちこちで見られたのだが、それはなにもこの事件に特異的な現象ではなく、昔からあった考え方だ。入手可能なあらゆる文献から「障害者殺し」と「それへの抵抗」の系譜をたどりなおす力技に、ひとまず身をゆだねてついていく。立岩はこうした難問を考えるときのすぐれたメディア(媒体)であると思う。
 いっぽうの杉田はこの事件を、近年勢力を増してきたヘイト的な空気(たとえば在日コリアンに対する)が、ついに障害者に対する優生的な暴力と合流してしまったととらえ、容疑者もまたこの時代を生きる者のひとりとして呼吸していた「ジェノサイドを醸成しつつある空気」の正体にせまろうとする。安易に結論に飛びつかず、高みからものを言わず、ひたすらがまんの構えだが、この問題がいかに難しくても「わがこと」として考えつづける意志を強く静かに表明している。
 読みにくいと思ったかたはふたりの対話の章を最初に読めば、少しは楽に入っていけると思う。苦労しても、読む価値のある本です。」

児玉 真美 2017/01/06 「立岩真也・杉田俊介『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』」
 http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara2/65476129.html

■お知らせ・フェイスブック(立岩発)
 *とりあえず立岩発のものだけ。

◆2017/01/22 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/823067287867359232
 「『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』(立岩真也・杉田俊介、青土社)についてのフェイスブックでのお知らせ、2017年分とりあえず掲載→http://www.arsvi.com/ts/2017b1.htm#a 他の人たちが書いたもの呟いたものも、余力あれば。」

◆2017/01/17 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/821339728993628162
 「前便は↓見かけて。障大連・大阪障害者自立セミナー2016「相模原事件を考える」での話→http://www.arsvi.com/ts/20161211.htm はチラシ&参考まで。話の中身を『まねき猫通信』さんが長い記事にしてくれました。事前に原稿貰いましたが手は入れずそのまま。そのうちHP掲載できればと」

◆2017/01/11 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/819151923995516928
「「広い意味での「防衛」のやむをえぬ必要が言われる。多くの人たちが不安と諦めとを感じている。かつて優生思想といった言葉によって指弾された力がこれから最も強く作動する時期に入っていく。それに運動はどう対しているか」科研費書類→『相模原』→http://www.arsvi.com/ts/2016a06.htm

◆2017/01/06 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/817263862630129664
 「「即効の答が…ないということになるとあきらめて…思考を停止する…。それは最悪につまらない…。面倒な話をすると言われる私は、いつも謝ってまわっているのだが、このたびはすこし居直ろうと思った」『相模原障害者殺傷事件』「はじめに」全文掲載→http://www.arsvi.com/ts/2017b1.htm

◆2017/01/05 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/816975812855414784
 「『相模原障害者殺傷事件』(立岩真也・杉田俊介、青土社)紹介頁から、『現代思想』今月号に掲載されている「補遺」(をHP&FBに分載してきたもの)を読めるようにしてあります。ご参考まで→http://www.arsvi.com/ts/2017b1.htm

◆2017/01/02 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/815840372366544896
 「「「能力主義」が批判されたんですから…その主張・運動は、そもそも狭義の障害者専用ではないわけで、その道を行けばよい…(…『私的所有論』英語版序文…)。…所得保障…にしても、社会サービス…にしても…」『相模原障害者殺傷事件』補遺終→http://www.arsvi.com/ts/20162289.htm

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 相模原障害者殺傷事件。
 障害者殺しとそれへの抵抗の歴史を召喚し、
 いちはやく事件のフレームをみせた社会学の第一人者と、
 若者たちの鬱屈の深層を見つめながら、
 等身大の言葉で語りかける在野の批評家による緊急提言。

■お知らせ(立岩発)

◆2016/12/31 「『相模原障害者殺傷事件』補遺・終―「身体の現代」計画補足・289」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1826680704265575
◆2016/12/30 「杉田俊介「誰とも争わない」続(補遺・13)――「身体の現代」計画補足・288」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1826310114302634
◆2016/12/29 「杉田俊介「誰とも争わない」(補遺・12)――「身体の現代」計画補足・287」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1825858961014416
◆2016/12/28 「杉田俊介「この子らを世の光に」続(補遺・11)――「身体の現代」計画補足・286」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1824817667785212
◆2016/12/27 「杉田俊介「この子らを世の光に」(補遺・10)――「身体の現代」計画補足・285」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1824588981141414
◆2016/12/26 「松山善三の一九六一年と八一年(補遺・9)――「身体の現代」計画補足・284」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1824407344492911
◆2016/12/25 「亡くなった井形昭弘、のような人(補遺・8)」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1823719967894982
◆2016/12/24 「殺されなかった人も亡くなっていく(『相模原障害者殺傷事件』補遺・7)――「身体の現代」計画補足・282」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1823382194595426
◆2016/12/23 科学研究費・優生思想(『相模原障害者殺傷事件』補遺・6)――「身体の現代」計画補足・281」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1821908544742791
◆2016/12/22 「「再発防止策」関係『京都新聞』(『相模原障害者殺傷事件』補遺・5)――「身体の現代」計画補足・280」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1821443071456005
◆2016/12/21 「『ハフィントン・ポスト』(『相模原障害者殺傷事件』補遺・4)――「身体の現代」計画補足・279」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1821179021482410
◆2016/12/20 「『聖教新聞』(『相模原障害者殺傷事件』補遺・3)――「身体の現代」計画補足・278」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1821147238152255
◆2016/12/19 「本に引いた二つの短文(『相模原障害者殺傷事件』補遺・2)――「身体の現代」計画補足・277v」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1820236834909962
◆2016/12/17 「『相模原障害者殺傷事件』補遺・1――「身体の現代」計画補足・276」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1819768518290127

■関連する頁・文章・催

7.26障害者殺傷事件/◆7.26障害者殺傷事件:報道等

◆立岩 真也 2017/04/22 「道筋を何度も作ること――7.26殺傷事件後」
 日本社会福祉学中部地域ブロック部会主催2017年度春季研究例会研究例会 、「相模原障害者 殺傷事件から問い直す『社会』と福祉」,於:名古屋
◆立岩 真也 2017/03/12(日) 「……」
 豊中
◆立岩 真也 2017/02/26() 「……」
 於:いばらきキャンパス
◆立岩 真也 2017/02/18 「ともに地域で生きること、学校で学ぶこと――相模原事件と命の重み」
 第15回インクルーシブ教育を考えるシンポジウム,於:豊中市立大池小学校
 於:豊中市
立岩 真也 2017/01/01 「『相模原障害者殺傷事件』補遺」 連載・129」
 『現代思想』45-(2017-1):-
◆立岩 真也 2016/12/21 「道筋を何度も作ること」
 JIL全国セミナー,アクロス福岡
◆立岩 真也 2016/12/11 「生の線引きを拒絶し、暴力に線を引く」
 障大連・大阪障害者自立セミナー2016「相模原事件を考える−地域での共生を目指して」
◆立岩 真也 2016/12/03 「一つのための幾つか」
 第36回びわこ学園実践研究発表会全体講演 於:立命館大学草津キャンパス
◆立岩 真也 2016/12/01 「生の現代のために(番外篇) 連載・128」
 『現代思想』44-(2016-12):-
◆立岩 真也 2016/11/25 「長谷川豊アナ「殺せ」ブログと相模原事件、社会は暴論にどう対処すべきか?」(インタビュー:泉谷由梨子)
 『The Huffington Post』2016-11-25
◆立岩 真也 2016/09/29 「自らを否定するものには怒りを――横田弘らが訴えたこと」
 『聖教新聞』2016-9-29

■著者

立岩真也(たていわ・しんや)
1960年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。現在、立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。社会学専攻。著書に『私的所有論』(勁草書房、1997/第2版、生活書院、2013)、『弱くある自由へ』(青土社、2000)、『自由の平等』(岩波書店、2004)、『ALS』(医学書院、2004)、『希望について』(青土社、2006)、『良い死』(筑摩書房、2008)、『唯の生』(筑摩書房、2009)、『人間の条件』(Kyoto Books、 2010)、『造反有理』(青土社、2013)、『自閉症連続体の時代』(みすず書房、2014)、『精神病院体制の終わり』(青土社、2015)ほか多数。

杉田俊介(すぎた・しゅんすけ)
1975年生まれ。法政大学大学院人文科学研究科日本文学専攻修士課程修了。川崎市のNPO法人で障害者ヘルパーに従事しつつ、執筆活動を行ってきた。著書に『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院、2005)、『無能力批評』(大月書店、2008)、『宮崎駿論』(NHK出版、2014)、『長渕剛論』(毎日新聞出版、2016)、『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』(集英社新書、2016)等。

 
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●目次(仮)

■■はじめに 立岩真也

 ■■T 一つのための幾つか 立岩真也

■■第1章 精神医療の方に行かない

■1 本章に書くこと
■2 事件後述べたこと
■3 脅威に対してまず言われたこと
■4 加えて言わねばならないこと
■5 確率
■6 自傷には関わる余地があること
■7 他害に関わらなくてよいこと
■8 現行犯として刑事司法が対応すべきこと
■9 しなくてよいと言ってもすると言う人たちはいるのだが
■ 註

■■第2章 障害者殺しと抵抗の系譜

■1 二〇一六年九月・本章に書くこと
■2 一九六二年・『しののめ』安楽死特集
■3 一九六三年・『婦人公論』誌上裁判
■4 一九七〇年・横浜での事件
■5 一九八一年・『典子は、今』他
■6 一九八二年・島田療育園からの脱走事件他
■7 ナチによる「安楽死」
■8 二〇〇四年・もう一つの相模原事件
■9 これから
■ 註

■■第3章 道筋を何度も作ること

■1 応え方について
 ■1 問われて言うことについて
 ■2 受けなくても、よいことを言わないこと
 ■3 では何を言うか
■2 この社会Tとそれへの対し方
 ■1 この社会T
 ■2 「自己責任」
 ■3 優生思想・安楽死
 ■4 実際には余っておりその処理に苦労している
■3 野蛮な対処法と別の方法
 ■1 野蛮な対処法
 ■2 別の方法
■ 註

■■U 優生は誰を殺すのか 杉田俊介

■■討議:生の線引きを拒絶し、暴力に線を引く 立岩真也+杉田俊介

■■おわりに 杉田俊介

■■文献表


 
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■はじめに *リンクはこれから

 二〇一六年七月二六日に相模原市の障害者施設で入所者一九人が刺殺され二六人が負傷する事件があった。本書はそのことがあって作られた。書かれていることはずいぶんの遠回りのことであるように思えるだろう。しかしいろいろと考えてはみたのだが、結局、こんな具合にしか言えない書けないと思った。本文にも同じようなことを書いているが、即効の答がある(とよい)ことにして、それを求め、ないということになるとあきらめて(むしろ安心して?)、思考を停止するといったことがあるように思える。それは最悪につまらないことだと思う。面倒な話をすると言われる私は、いつも謝ってまわっているのだが、このたびはすこし居直ろうと思った。
 ただ私(筆者の一人である立岩)には、私ができることしか、私ができるようにしかできない。その私はまず一つ、事件そのものというより、事件の前、その容疑者という人によって語られた紋切型が、それが犯罪の「原因」であったかどうかはともかく、ただの紋切り型だったとは思えなかった。けっこう皆が思っていること言っていることがそこには含まれている。
 そして一つ、出来事は凄惨で特異なものだったのだが、その度合いをいくらか――それにしても、その度合いはどうやって測られるのだろう?――減らせば、かつても今もなかったことではないし、しかもそれは単純に糾弾されたのでないこと、消極的ときに積極的に肯定されたことがあったし今もあることを少し知っていた。そこから考えることもあると思った。
 そして一つ、こんなことがあると、語ってしまう、語られてしまう、さらになされてしまうことがあるのだが、かえってそれはよくないと思えることがあった。そんな具合にものを言わない方がよい、しない方がよいことがあり、しかも私たちはそんなことを過去いくらも繰り返したきたのだと思った。こんな時だからこそ、しない方がよいことを言った方がよいと思った。
 そんなことを思って第1部になった文章を書いた。ただ、ただ私はその人のことを知らない。ものを書こうというのによいことだと思わないが、臆病だから、知りたくない読みたくないというところもある。しかし、なにかがその人に吹き溜まっていったのであれば、その人の書いたものを読むことに意味があるだろう。そしてその滞留や増殖がその人だけに起こっていることでないとすれば、そこに向けて直接に語ってみることがあってよいのだろう。杉田俊介さんがこの事件を特集した『現代思想』の二〇一六年一〇月号に寄稿していて(杉田[2016a])、その文章は私が書けないものだ。杉田さんは依頼を引き受けてくれ、その原稿に手を加えた。それが第2部になっている。そして、こんなできごとに関わっていったいどんなことが言いうるのか、私としてはこんな具合に書くしかないと思いながら、その人と話してみるのがよいと思った。二〇一六年十一月八日に青土社の会議室?で行われた杉田さんとの対談が第3部になった。

◆経緯
 『現代思想』に長く、それを連載と言うのが適切かわからない連載をしてきた。事件が起こって二週間ほど次の回を書く時間があった。用意してきた原稿はあったが、予定を変えて、その事件に関わることについて書こうと思った。草稿は大きく、精神障害・精神医療に関わる(というより関わらせられてしまっている)部分と、障害者殺しの歴史に関わる部分とになっていって、合わせるとずいぶんと長くなっていった。そして偶然といえば偶然、九月号の特集が「精神医療の新時代――オープンダイアローグ・ACT・当事者研究…」だった。この事件が精神医療の不備だとか充実だとかといった話にもっていかれそうなことがその日から危惧されていたから、その部分をまず載せてもらおうと思った。私自身も考えておく必要があると思っていたところもあった。連載でなく、特集の一つの文章にできればと相談し、了承してもらった。時間はなく、詰めききれないところは残ったが、書いて送って、それ([2016/09/01]――――以下立岩の書いたものについては名前を記さない、また月日があった方がよいものもあるので八桁で表記することがある――)が八月末発売の九月号に掲載された。それが第1章になっている。
 それを書いている過程で、短いコメントをいくつか求められた。そのあるものをそのまま、あるものは掲載に至った過程も含めて、記している。そのことに意味があると思った。その意味がうまく伝わるとよいと思う。同時にそれは、切り詰めれば私はこう言う、というものでもある。とにかく長いのは辛い人は、○−○頁に再録した共同通信配信の記事([2016/08/02])を読んでください。加えて、直接にこの事件についてではないが「自らを否定するものには怒りを――横田弘らが訴えたこと」([2016/09/29])「長谷川豊アナ「殺せ」ブログと相模原事件、社会は暴論にどう対処すべきか?」([2016/11/25]、この種の文章は出版側が題をつける)をウェブでどうぞ。
 その原稿を書き終わる前に、十月号がこの事件を特集するものになることを知らされた。誰か書くのかはわからなかったが、書くべきことはきっとその書き手たちが書くと思った。またその時すでに、すぐに言われるべきことは言われていたし、それを集めてHPから読めるようにもしていた。私は、迂遠であるとしても、知ってほしい、知っておいてほしいと思うことを書くことにした。じつはそれがどのように迂遠でないのか、これもまた読んで、わかってもらえたらと願っている。だいぶ切り詰めたのだが、その原稿([2016/10/01])は四〇〇字詰(という計算方法がある)八〇枚という分量になった。ちなみに第1章になった原稿は六〇枚、いつも書いている連載の原稿は四〇枚。本にするにあたっていくらか註など増やしたが、まったくきりのない仕事になり分量が増えていくので最低限にとどめた。
 そして、その『現代思想』での連載が長く第2章に書いたことに関わる部分を巡っていたのでもあった。その連載は二〇〇五年に始まって、そこから五冊の本ができた。四冊目の『造反有理――精神医療現へ』([2013/12/10])、五冊目の『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』([2015/11/13])と、そもそものいきさつは省くが、病や障害に関わる現代史についての続きものになり、その五冊目になった部分を間にはさんで「生の現代のために」というシリーズ?([2014/03/01-])が二〇一四年から十六回続いている(まだひとまとまりしていない、ので本になっていない)。今回もその参照を何箇所かで求めている。例えば「生の現代のために・7」([2014-(7),2015-11,117]というように記す(二〇一四年からの連載の第七回、『現代思想』二〇一五年十一月号、二〇〇五年からの連載の第一一七回を示す)。ここしばらくは一九六〇年代の国立療養所のこと等を書いてきた。第2章に記したことも、ちょうどその時書いていた部分、準備していた部分とずいぶんと重なる。
 二つの文章は本にすることを想定して書かれたものではなかったが、本にするという提案をいただいた。メールの受信箱を見てみると、『現代思想』編集長の栗原一樹さんから打診を受けたのは一〇月四日だった。それで本書の第T部第3章になった文章を加えた。ただそれは、第3部になった杉田さんとの対談が行われた後に書かれ出したものだ。ずいぶんと短い時間の間に本にしてくださった栗原さんに感謝する。
 人が死んでものを書いて、少なくともそれは、その人たちのためには全然ならない。なにかを書いたり言ったりして故人を悼んだりするという感性が私には欠けている。ただ、これまで書いてきたことやさらに加えて書かねばと思っていることは、関係はしていると思えた。むなしくなったりしないことにして、書いてきたことを繰り返し、少し足して第3章にした。第2部・第3部のことはさきに簡単にその事情を説明した。

 学者は後衛であり、学者の仕事は落ち穂拾いであると思っているところがある([2008/01/31])。二〇一五年の秋に出した科学研究費の申請書を、この(二〇一六年)秋また書類を――つまり二〇一六年度のものは当たらなかったのでまた出さねばならず――出す際に読み返すことがあったのだが、次のように書いてあった。
 「なにより、高齢化、認知症者の増加が言われ、悪意と偏見によってではなく、資源の有限性をもって、社会が護られるべきこと、広い意味での「防衛」のやむをえぬ必要が言われる。多くの人たちがそのように思っている。かつて優生思想といった言葉によって指弾された力がこれから最も強く作動する時期に入っていく。それに運動はどう対しているか、またどう対するべきか。分析と考察の精度を上げる必要がある。流動的な現在を把握し、将来を展望するためにも、これまでの経緯をまとめる」(「生の現代のために・8」、[2014-(8),2015-12,118]に再掲)。
 今年提出した書類「病者障害者運動史研究――生の現在までを辿り未来を構想する」([2016/11/07]、全文をHPでご覧になれる)でも、この箇所は「多くの人たちがそのように思っている」を「多くの人たちが不安と諦めとを感じている」とした他はそのまま。そのように思っている。幸い殺されなかった人も徐々に亡くなっていくからいくらか焦っているのだが、そうした仕事をしていこうと思って仕事をしている。

                     二〇一六年十一月十七日 立岩真也


 
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UP:20161125 REV:..20161210,20,25,28, 20170105, 06, 22, 0205, 07, 0307, 10, 13
7.26障害者殺傷事件  ◇病者障害者運動史研究  ◇杉田 俊介  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇精神障害/精神医療  ◇『現代思想』連載(2005〜)  ◇『現代思想』2016  ◇『現代思想』 
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