◇由良部正美 i2019 インタビュー 2019/10/25 聞き手:桐原 尚之・西田 美紀・長谷川 唯・◇ユ・ジンギョン 於:京都
◇【10下02】191025由良部氏_151分
※聞き取れなかったところは、***(hh:mm:ss)、聞き取りが怪しいところは、【 】(hh:mm:ss) としています。
◇文字起こし:ココペリ121
◇甲谷 匡賛 ◇ALS京都
◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築→◇インタビュー等の記録
◇病者障害者運動史研究
桐原:この10年でALSの人が曲がりなりにも地域に出ることができるぐらいの雰囲気はできたような気がするんですよ。それは何だろ、みんなですごい小さいながら努力してきた結果が、世の中少しでも変化されただろうということ、そこらへんをちゃんと記述して残したいっていうことを、立岩さんが言ってるっぽい。
由良部:うんうん。
長谷川:うん。そう聞いたね。そうやって言ってたね。
桐原:あのね、一応設計はちゃんと伝えないとおかしいことになるんで。「さあ、やるぞ、よし録音」みたいなのは、あんまり…何つうの、あんまり、
由良部:(笑)
長谷川:そうなんだよね。由良部さんにどこまで、どこを聞く…、ALS−Dのね、記録ってけっこうあるんですよね。
由良部:あるある。あの、岡本〔晃明〕さん書いたやつとか。
長谷川:…も書いてるし。あるんだけど…、
由良部:まあ、【これ】(00:00:58)もあるし。テレビにもけっこうね。
桐原:そうなんだよね。で、なんだろ、いっそ遡ろうっていう企みも、ちょっとここで話を、
由良部:遡るって? いつぐらいまで?
桐原:だいぶ、さかのぼる…、
(店員との会話)
桐原:何だろう、僕ら運動やってきてるから、何となくこう、そういう運動の流れみたいなのは何となくわかるけど、わかんない人はわかんないと、いうことやら。あと、そういう、甲谷〔匡賛〕さんと由良部さんがどういう出会い方をしてとか。そこらへんを含めて、なんか。まあ書いてるものはあるけども、やっぱり【ユ】(00:01:45)さんとか、聞きながら少し、いろいろ考えて、そういう機会にもなればいいなみたいな、そんなことを話(はなし)してたんですけど。
由良部:うん。僕もたぶん甲谷さんも、いわゆる運動系とまったく無縁で。たとえば甲谷さんときもあったとき、まあいろいろ人に呼びかけた時も、なんかある…、ある踊りやってる人から、なんか「いつもは全然そんなこと、そんな社会のことなんて全然関心もないのに、こんな時だけ言うのか」みたいなこと言われてさ(笑)。「そんなこと言われてもなあ」と思って。だから、けっこうそういうタイプだったんだけどね。うん。だから、まあ踊りの…、踊りとかでも、踊りとか芝居、舞台芸術でも、けっこうそういう発言する人って多い。で、僕が駆り出されたりするんだけど。いつもこう、なんかアウトサイダー的(笑)、こういう感じだから、みたいに思われてたみたいで。なんかそんなことを言われたことがあるって思い出した。「運動系」で。
長谷川:でも、京都は特殊かもしれないです。なんか、由良部さんの立ち位置が、さっきも話してたんだけど、介助者っていう立ち位置でもなく始まったじゃないですか。運動でもなくね。それから始まったっていうのは、ある意味そうだからできたっていうのもたぶんあるだろうし。そこらへんはちゃんとね、書いたほうがいいっていうか、聞いといたほうがいいんだろうなって思うよね。そうするとさ、由良部さん自身に興味が湧いちゃうから、だめだね。
桐原:あんまり、そう、由良部さんのおもしろい話になると、主旨が、
由良部:舞踏論(笑)。
長谷川:それはだから、第2回にしようと思ってる。
桐原:主旨がだいぶ変わるから。
西田:そうだね、1回じゃちょっと、難しいかもしれへんね。で、一応ね、こないだ生存学でアクションリサーチをしたやつを、ちょっとだけまとめてきたんですよ。で、これを、1回ちょっと確認をね、在宅移行までの確認をちょっと由良部さんに。これ、こんな感じだった、ここらへんから話してもらったらいいのかな、と思って。こんな感じで。
由良部:うーん。
西田:どうですか? どんな話具合、話は何を聞くかっていうのが、
由良部:ごめんなさい、「えきひろう」って何だっけ?
桐原:易疲労(いひろう)ですね。
西田:易疲労、易疲労。だるさ。
由良部:あ、だるくなってきた。ああ。
西田:だるくなってきて…、
由良部:ああ。これ11月頃だっけ。うーん、そっか。ちょっとここらへんが、あれが、覚えてない…。まあ、うーん、誰から聞き取ったかわかんないど。まあそうだ、確かにここらへんでちょっとこう「なんか疲れるんだよな」とか、誰かに…、その頃治療してたけど、「なんか俺が治療してほしいんだけどなあ」みたいなことを言ってて。僕はたいしたことは、この頃はたぶん何も感じてなくて、「ああ、そうなん?」みたいなぐらいでしか。確かに、2004年ぐらいからかなあ。「ちょっとおかしいね」って、なんかこう、「話し方がおかしいからおかしいね」っていうか。[00:05:18]
長谷川:その頃、まだ治療をしてたんですか? 甲谷さん。
由良部:えーとね、この、おかしくなってからも、してたよね、しばらくはね。うん。ていうか、なんかね、最初ほんと、あの、言葉がもうおかしくなって、ほとんどしゃべれなくて。でも筆談でこう、してて。で、その頃、窓拭きのアルバイト、アルバイトじゃないけど、窓拭きも時々やって、一緒に僕も呼んだりとかしてて。で梯子にもパッパッパッパッて昇って。だから全然、体は元気やったんです。でもしゃべれない。しゃべれなくて、その現場で行った人がなんかその、言う、「こうしてください」とか言うじゃない? そしたら僕を呼んで、みたいな。でも体はだから…、は全然です。かなり元気だった頃が、けっこう1年間ぐらいはね、1年近くかな。しゃべれないけど、体はけっこうピンピンしてたのが、1年ぐらいあったかなあ。
長谷川:じゃあこれ、2002年から2004年の間の話? それ、今。ですよね。
由良部:そうだね、2002年から、そうだね。これが、そっか、閉業したんだね。
長谷川:ですもんね。2004年に閉業してるから。
由良部:閉業して…、うーん、確かに、そっか。ここらへんはでもまあ、ここで閉業っていう…、ま、来る人は来てたんじゃないかな。うん。どうだったかな? うん。
西田:ALSと診断されるちょっと前ぐらいまでは、働いてはったんですね?
由良部:そうですね。だからけっこうね、すぐに出ないじゃないですか、検査が。けっこう1年ぐらいはかかったんじゃないかな、その確定診断が出るまで。「なんかおかしいなあ」って、でいろいろして。ま、「ああでもない、こうでもない」で1年近く続いてたような気が。僕がだからそれを聞いたのが、ALSっていう言葉を聞いたのが、まあそこらへんやね。診断されて、メールかなんかで「実はALSっていう病気だった」って。その頃は僕も知らなかったから、ALSって。で調べて、「えーっ、これけっこうすごい病気。これ大変な病気じゃない?」みたいな感じになったのは覚えてる。
西田:けっこう検査入院を繰り返すって、なかなか確定診断がつかなかったんですね。
由良部:なんかね、つかなかったね。今でもけっこうそういうの、どうなんだろね。なんかよくわかんないけど、ALSって、
西田:わりと整形のほうにいきますよね。手足が動かなく、痺れたりとかするから。
由良部:だからなんか、聞いた話だと、こう、「この病気でもない。これも違う。これも…」、なんかこう振り落としていって、最後「じゃあALS」。ALSってべつに、何て言うか、「これがALS」ってうまく言えないようなとこがなんかあるみたいなとこで。
西田:そう。そうなの、そう。「ほかの診断名が削除されて、残ったのがALS」っていうことで診断される場合が、わりとあったりするので。そういう感じなんでしょうね。
長谷川:由良部さんと甲谷さんの出会いってすごい前ですよね、もう。もうずっと前ですね。
由良部:いやほんとね、だから、30歳ぐらいの時かな、お互い。30…、31歳ぐらいですね。
西田:それは治療者と…、
由良部:違う違う。その時、だからね、窓拭きのアルバイトやってたから。
長谷川:そうそう、そうなんです。すごいおもしろい出会い方されて。
由良部:そうそう、窓拭きのアルバイトして。で、なんかまあ、見るからになんかちょっと他の奴と違うから、すぐいろいろ話して。お互い窓拭きやってるけど踊りやってるし、向こうは窓拭きやってるけど治療、みたいな。その頃はまだ開業はしてないけど、いろんなそういうことをやってたし。ヨガとか武道とか、体についてすごく興味がね、幅広くて。僕もそういう意味では、【踊りの中で体】***(00:09:37)話しだして。で、まあまあ、それでいろいろ。一緒に旅も、家族で旅も行ったし。
西田:ああ、そうなんですか。じゃあ、すごい長いんだ。
長谷川:そう。すごい、だから体についても論争してるんですよ、けっこう。由良部さんと甲谷さんは。
由良部:いろいろ、まあ(笑)。ばかな話を…。
西田:えー、甲谷さんって、昔どんな方やったんですか?[00:10:00]
由良部:甲谷くんはね、はっきり言ってね、僕よりも全然ちょっと、1枚も2枚もこう、体の意味でもストイック。ストイックでこう、深めてた。たとえば、窓拭きの現場でさ、壁と壁があるじゃない。なんかこう、まあちゃんとやって。上のほうがなんかちょっと後でクレーム、なんか業者の人が「あそこ残ってる」とか言って。で、またいちいち、梯子をしまっちゃったから、また出すの大変だからって、「えー、あんなとこやんの? もういいじゃん」みたいに思ってたら、甲谷さん頭に来たのか、ばーっと取ってさ。足をばーっと、とって、ぱっぱっぱっ、足で、足…、よく香港映画であるじゃん、壁をこうつたわって、ばーってやって。僕ら呆然と(笑)、呆然としてた。そのぐらい体が、すっごいこう、きくような。
西田:ふーん、すごいな。そういう人やったんや。
由良部:開脚も180…、190度ぐらいベターッとして。ジャンプしたらビョーン。
長谷川:やっぱりそうなんだ。甲谷さん、浮くってね、体。浮くって聞いたことがあるから。
西田:へえー。悔しいなあ。
由良部:(笑) あのほら、誰だっけ。ちょっといかがわしいか…いかがわしくはないけど、成瀬さんって知ってる?
長谷川:うん。
由良部:成瀬ヨガって。成瀬雅春。
西田:あ、何か聞いたことある。
由良部:うんうん。あの人空中浮遊するっていうの、麻原彰晃じゃないけどさ。そういう写真がいっぱいあるんだけどさ。その人のとこにも行ってて。けっこう、後でその人けっこう、本も出してるんだけど、本の最後にあとがきかなんかで甲谷さんのことちょっと書いてて。そういうこう病気になった人がいるんだけど、もしなってなかったら僕の跡継ぎになったんだ、みたいな。
西田:そうなんだ。
桐原:どうやったら空中浮遊するんですか?
由良部:知らない、知らない(笑)。僕けっこうそういうの、わりと僕、すごい懐疑派でさ。けっこうそこらへんもさ、論争して。「ちゃんと、やるんやったら、そんなべつに、みんなでやれるところで証明したらいいじゃん」みたいな。でも、「そういうもんでもない」みたいな感じで言うからさ。「べつにやったらいいじゃないの。昔はできたけど今はできないっていうのおかしいじゃん。できなかったらそんなこと言わないほうがいいんじゃないの?」とかさ。そう(笑)。
桐原:ああ、そっか。浮いたのを見たことあるってわけではない?
由良部:僕はないし、甲谷さんもないと思うよ。
桐原:見たことあるったら楽しいんだけど。
由良部:誰の前でも【はーい、浮きますよ】(00:12:58)っつったらね、ちゃんと、できるんやったらできるで、それが…、うーん。「そんなことはなんかさ、今さら」、なんかさ、「そういうことはレベルが低い」みたいな言い方されてもみたいな感じがあるんじゃない(笑)。なんかさ。ちょっとそれを、
桐原:そっか、レベル低いんだ、浮くのは。
由良部:ていうか、まあまあ「そんなことは僕は卒業した」みたいな、なんか感じで。「もう今はやってません」みたいなこと言うから。「そんなん、でも、そんなんやったら言わんほうがいい。どうでもいいことやったら言わなくても。それ看板にしなくていいじゃん」ってね、なっちゃうじゃない、どうしても。まあ、そういうくだらない論争とかさ。「蓮の花が開く時、ポンという」とかさ。「言うわけないでしょ」みたいな(笑)。けっこう僕は、わりとそういうことで、くだらないことでケンカしてたりして(笑)。
長谷川:けっこうたぶん、甲谷さんも体のことについてはすごい自信があったんですもんね。あったから、
由良部:ん。あるし、ただ、けっこう宗教性もすごく、いろんな宗教とか対してまあ、あの、修行もしてたし。なんか、もう17歳で家出たから。その話がおもしろくてさ。ある時に親父とお袋がテレビ見てゲラゲラ笑ってて、「こんなばかな所に一緒にいられるか」と思って出たって(笑)。
長谷川:へえ。けっこうファンキーだね。
西田:そうだよね。17歳で家を出て。へえ。
長谷川:おもしろい。その、窓拭きで出会って。由良部さん踊るじゃないですか。体の治療もそっからしてもらうようになったってことですか?[00:14:54]
由良部:体の治療はね、うーん、僕はっきり言ってお金なかったし。まあ、友だちだからといって、なんかこう、ただで診てもらうっていうのも嫌だったから。どっちかっていうと今でもそうだけど、あんまり人で治してもらうっていうよりも、わりと自分で、ちょっとおかしかったら、わりと自分で動かしながら調整するような感じで。何回…、2回ぐらいはやってもらったけど。まあ、「自分で治したほうがいいなあ」っていうか、「金かかるしなあ」みたいな(笑)。
長谷川:他の一緒に立ち上げたメンバーいたじゃないですか。…は、治療してもらってたんですか? 甲谷さんには。
由良部:志賀さんは、うん、治療受けてたね。
西田:治療受けてて、そこからの出会いやったん?
由良部:そうそうそう。それとかあと、新体道って武道があるんだけど、それをちょっと教えてもらってたりとかした人は、何人か。僕もちょっと、新体道って、武道なんだけど、それは僕も何回か教えてもらったことがある。
西田:へえー。不思議な整体師さんだね、甲谷さん(笑)。普通の整体師さんとはちょっと違う。
由良部:うん。わりとだから、ピシッとして、なんかこうちょっと、すごいこうきれいにして。なんか雰囲気…、病院っていう雰囲気じゃないけど、瞑想道場的な、【花瓶を一輪ふっと】***(00:16:22)、なんかこう端座して座っていて、「どうぞ」みたいな。なんか、そんな雰囲気。
西田:そうなんだ。30歳から。甲谷さんALSって診断されたのって何歳ですか?
長谷川:40…、
由良部:えーと、診断されたのが2000…、これだと何年だっけ?
西田:2004年?
由良部:今61歳やから、何年になるんだっけ。14年前? 15年前か、15年前やね。
西田:今69歳?
由良部:61歳です。
西田:61歳、お若いですね。
由良部:うん。同い年。
西田:へえー、そうなんだ。2019年に61歳になった。
由良部:そうそうそう。だから、40ちょっと前?
西田:15年前。
由良部:うん、15年か、45ぐらいか。だから子どもさんがね、まだ、二人とも小学生やったかな。うん。だから、ちょっと金銭的にもね、一番要るとこで。今、けっこうその頃一番なんかこう繁盛してて。もうなんか東京からもお客さん来るようになって、「これからはもう窓拭きなんかしないよ」みたいな雰囲気やったから。
西田:そうなんですか。へえー。この「入院生活開始」っていうのは、これは、この「A」っていうのは京大ですよね?
由良部:そうです、そうです。
西田:ね。診断されて、ずっとここに、この、10年から3ヶ月?
由良部:京大病院で、1月…、これが、だからあの、えーと、
西田:民医連?
由良部:民医連、うんうん。
西田:ね、民医連。…のそこの、あっちの民医連。
由良部:そうそうそう。あの、円町近くのね。うん。2005年、
西田:2ヶ月ちょっと居てて、そこから民医連に転院されたんですね。
由良部:そうそう、もうすぐ。大学病院はたぶん短かったと思う。それからすぐ民医連に行って。まあ、結局でも、ね、治療って言っても、べつにないからね。
西田:うんうんうん。でも、もうこの時はあれですか? ほんとに首と左手ぐらいしか動かすことができなくなるぐらいに機能が落ちてた?
由良部:そうだね、なんかね、入院で診断が下りて、この頃、うん、けっこうね、ダダッときた時があったね。だから今まで足が…、たぶん僕がこの時、見舞いに行った時、京大病院に行った時に、どのぐらいぶりかな、ちょっと覚えてないんだけど、半年ぶりぐらいだったくらいだったかもしんない。もうちょっと短かったかな、…に会って。それまではわりと体が、まあ、まだ動いてたんだけど、この時はもう、ほんともう、足ふらふらで、ちょっと支えないとっていう感じだったから、ちょっとびっくりして、「ああ、こんな悪くなってるんだ」みたいな感じだった。
長谷川:この、まだ診断下るまでの間で、しゃべれなくなったけど体が動いてる時っていうのは、由良部さんとか甲谷さんとかそういう話(はなし)したんですか? 「ALSかもしれない」とか。[00:19:50]
由良部:いや、その時は何もそういう話はしなかった。うん。ALSって言ってるの聞いてから、確定診断おきてから、でメール来て初めてALSっていう言葉を、僕初めて知ったから。「なんでかなあ。けど、あんまりでも、立ち入ったこと聞けへんよなあ」みたいな。「でもなんか、なんか病気なんだろうなあ」ぐらいの感じやったかな、最初の頃は。うん。ちゃんと聞いたらよかったかなあと思うけど。なんか、うん、あんまりちゃんと聞けなかったね。
西田:で、この「C病院」って何ですか? 胃ろう造設後は国立…、これ、宇多野病院か。
由良部:宇多野ですね、うん、うん。
西田:これ宇多野病院か。で転院した。で、また、これまた
由良部:で、また今度、こっちのあの、民医連に行って。
西田:民医連に転院。これ、なんで、こんなにいろいろ転…、
由良部:だからその、え、今でも…、今どうなのかな? 昔はそういう感じなんですよ。
長谷川:3ヶ月ルールみたいなのがあって。
由良部:3ヶ月ルールっていうのがあって。まあまあ、どういうあれなのか、もうひとつよくわかんないんだけど、お金の問題だとは思うんだけど、「3ヶ月以上居るとそれ以上は下りないから、違う病院に転院してください、転院してください」みたいに。
西田:これはもう、「家に」っていうのは、奥さんとは暮らしてらっしゃったんですよね? この、ALSって診断された時っていうのは。
由良部:もちろん、もちろん。
西田:ですよね。家っていう選択肢はなかったんですか?
由良部:なかった…、えーと、たぶんまあ、もしかしたら話し合ったかもしんないけど、うーん、ちょっと難しいっていうか、かなりもう体が動かなくなってて。まあちょっと失禁とかもちょっとあったりとかして。あの、たぶん話し合ったと思うけど、とにかく子どもがまだちっちゃいから、奥さんとしてもちょっと、無理と思ったし、甲谷さんもまあ「迷惑かけたくない」っていうっていうような気持ちがね、たぶんあったと思いますよ。
長谷川:由良部さんたちはどんな感じで、甲谷さんとかを見てたんですか? 退院ていう話もなく、家に帰るっていう話もなく。
由良部:うん、で、まあその頃に…、これには書いてないか、えーと、これを聞いて、あ、ALSと診断されたのを聞いて、しばらくちょっと悩んだ、ちょっと考えたんですよね。まあ普通…、まあ、調べれば調べるほど、「ちょっとこれ大変な病気だなあ」っていうのがわかってきて。「うーん、でもなあ、どうしようもないあれやしなあ、やれること限られてるよなあ。」 と、「下手にこう、家族の問題みたいなのを、こう、なんかするのもなあ」みたいな。「どうしようかなあ。」 それで、下手に、その、声か…、なんか「やります」って言っても、何て言うんだろ、逆にそれがまあ周りに、その人自身に、甲谷さん自身になんか影響与えたりとか、いうこともあるだろうし。なんか僭越なことはできる…、していいのかなあ、みたいな。どこまで、あるいはこう、「力になります」と言っても、たぶんこれ長引く、すごい長いだろうなあと思って、「そんな簡単に言えないよな」っていうのがあって。うん、5年、10年、ずっとなんかかかるようなことだろうし。
で、僕がその、まあ友だちに声かけたんですよ。「『甲谷さん支援と学びの会』っていうのを立ち上げませんか」と。まあとにかく、まあ思ったのは、まあどうしても難病とかかかると、最初はお見舞いに1回か2回は来るけど、だんだんだんだん来なくなって、まあ、というのがだいたいのパターンだと思うんだけど、そうじゃなくて、とにかく「輪がありますよ」みたいな、「なんかあったら言ってくださいね」みたいな、「見守ってますよ」みたいな、ぐらいの支援と学びの会みたいなのを立ち上げの、最初僕が発案して、いろんな人に「そういうの、しませんか」みたいな。で、あるお寺で、集まった時に。で、3、40人集まったんですよ。
西田:え、すごいですね。
長谷川:そこには志賀さんが…?
由良部:その時に志賀さんが来て。で、そん中で、世話役か、世話役みたいなの決めたほうがいい、ってことになって。5人…、僕、志賀さん、えーと、5人ぐらいいたのかな。5人ぐらいいて。
長谷川:帰山さんたちも?[00:25:08]
由良部:帰山さんはね、世話役にはなってなくて。そん時は帰山さんいなかった。で、5人、世話役でやって。まあボランティア、できる限りのことしようって立ち上げた。それがね、いつやったかな…、
西田:支援の会?
由良部:「支援と学びの会」という。
長谷川:うん。どっかに書いてたと思う。
由良部:これがまあ、まだ、文章ね。日にちが書いてないんだよね(笑)。「昨年の6月に…」、あ、そうか、これが「会について」か。だから…、これまた新たに、その支援と学びの会から新たに、一報をいろんな人にやったから。これができたのが、たぶん2月の確定診断の、次の6月、この年の6月だね。
西田:確定診断した前?
由良部:いや。のあとですね。あ、これか。10月やから…、2005年の6月ぐらいか。そうだね、もう、そうだ。この病院、うんうん。
西田:2005年6月っていったら、ちょうど宇多野病院に入院してる時ぐらいですね。
由良部:そうです、宇多野…、えっとね、違う、違う、あー…、
長谷川:B病院へ転院してる、あとじゃないですか?
由良部:えーとね、最初はあれだったんですよ。えーと、宇多野じゃなくて、あの、民医連。
西田:あ、そっか。これ民医連か、民医連に入院中か。
由良部:うんうん。民医連に入院中に、そういう、支援と学びの会を立ち上げて。でまあ、洗濯したり、洗濯物したりとか、あとまあちょっと車いすでちょっとこう、あの、【背中】(00:27:11)をやったりとか、まあできることを。その頃は奥さんけっこうよく来てたから。まあそれを補佐する。あるいはそれをこう…、ま、言われたことをやったりとかぐらいで、まあ入れ替わり立ち替わり、やってましたね。この時からやってました。
長谷川:この学びの会を声かける時ってどういうふうに声かけたんですか? みんなに。志賀さんとかも含めて。
由良部:いや、僕と甲谷さんを共通に知ってる人に。まあまあ友人どうしやから、友人どうしでもまあ知ってる人は知ってるし、こういう病気になったって。でもどうしても、まあさっき言ったように、どうしても遠巻きになってしまうじゃない? そういう状況が何となく見えたから。あ、それで、まあこれ言っていいのかなあ。ま、一応、一応、これ表出すかどうか別として。甲谷さんは、支援と学びの会を立ち上げる前に、長野県かなんかの、まあ言うなれば療養施設に、もう行くことを半分決めてたんですよ。そうすると、まあ家族も1ヶ月に1回ぐらいしか、まあそんなに来れないじゃないですか、遠いから。まあそういう、「家族と別れて、もう俺はそういうふうな感じで。」 まあまあ、死に場所じゃないけどさ、みたいな感じで思ってたのね。なんだけど、支援と学びの会が立ち上がったと知らされて。たら、「やっぱり行きたくない」って言って、「京都に居る」って言った(笑)。わりとそこがけっこう、もう1ヶ月ぐらい遅かったら、たぶん行ってたと思う。うん。それ、あとで聞いたんやけどね。「あ、そうだったんだ」とか思って。
長谷川:じゃあまったく、支援と学びの会を立ち上げようと思った時は、甲谷さんにはそういうこと言わずに、っていうことですか?
由良部:まあ、立ち上げる前は言いましたよ。だって、勝手に声かけたらいけないから。「こういうことを考えてる」と言って、「僕がその、責任持ってみんなに声かけるから、どうかそれを許してね」みたいな感じで言ったら、「ありがとう」みたいな感じで言ってて、というような感じ。だから、それこそ6月、たぶん7月か8月ぐらいにはたぶん、長野のその療養病院で、行ってというふうな。だからそこらへんは家族でいっぱい話し合ったんだと思うんだけど。子どももちっちゃいし、ここで面倒見れるわけじゃないし、病院っていっても転院させられるし。それやったらまあ、そういう、ずっと受け入れられて…、受け入れられると言いながら、たぶんほったらかしなんだろうけど、半分は。わかんないけどね。まあ、そういうふうなことを選択をしてたんですよ。でも、うん、それは、「やっぱり京都に居る」って言って。まあ、そういう、やっぱり知ってる人たちがね、居るとこがやっぱりいいって。[00:30:48]
長谷川:すっごいバイタリティーですね。その、支援と学びの会を立ち上げようっていう動きをすること自体が。
由良部:そうやね。やること自体はあれじゃないけど、いろいろ考えましたよね。「どこまでできるのかなあ」っていうのもあるし。うん。ただ、そういうふうな、人…、まあさっき言ったようなとこを、「見守っている人たちがいるよ」というような感じで、なんかそれだけでもちょっと、「そのぐらいやったらできるかな」あみたいな。できることからやって【いこうかな】(00:31:24)みたいな。
長谷川:まだその時点では、具体的にたとえば「地域移行するんだ」とそういうんでなく、とにかく甲谷さんを、「そばに誰かいるんだよ」っていうことを、甲谷さん自身にわかってもらうとか伝えられたらいいな、っていうかたちで始まったっていうことですね。
由良部:そうそうそう。だから全然そういう、ね、医療的なことも何も知らんし。そういう難病とかそういうのもようわからんし。そういう、運動系じゃまったくないから(笑)。まあまあそんな感じで。
西田:えー、すごいですよね。私これ、意味がわかんなかったんですけど、「発話が難しくなった時に、」2005年の「市の情報バリアフリー支援事業により、意思伝達を容易にする、障害者向けの支援ソフト導入」っていうの、これは、これはバリアフリー支援事業なんかなあ。何だろう?
長谷川:障害者の、たぶん支援事業の、
由良部:2005年6月。うーん、
西田:これは意思伝達装置ですか?
由良部:そうだろうね。うん。そうそうそう。うんうんうん。コンピューターになんか、最初の頃はなんか、とにかくこういうスイッチでしたね。なんかこう、オーバーテーブルに貼り付けて、手をこう…。それを、何だったっけ、ソフトあるじゃないですか、
長谷川:オペナビでしたっけ?
由良部:オペナビやったかな。最初、
西田:伝の心(でんのしん)?
由良部:伝の心じゃなくて、たぶんオペナビやったかな?
長谷川:オペナビですよね、たぶん、甲谷さん。
由良部:うん、オペナビ、オペナビ。よく覚えてるな(笑)。
長谷川:たぶん自分でパソコンの操作をしたいと思ったら。伝の心じゃなかったですね、パソコンのソフトに入れてたから。
桐原:この時代は、障害者自立支援法の施行前?
長谷川:前です、うんうん。
西田:じゃあ、障害福祉課から意思伝達装置の支給を受けたんですね。もらったんですね。
由良部:たぶんね。たぶんその頃は奥さん、あの、あれ、何だっけ、
長谷川:社会福祉士みたいな、
由良部:そうそう、えーと、
長谷川:そうですよね、ソーシャルワーカーでしたよね。
由良部:ソーシャルワーカーじゃなくて、何だっけ。えー、
長谷川:ケアマネジャー。
由良部:ケアマネジャー。ケアマネジャーやってたから、まあわりと知ってたんだよね、そういう。だから奥さんがそういうのを、できることはやってたんじゃないかな。
ユ:仕事がケアマネジャー?
長谷川:奥さんのね。
由良部:奥さんね、うん、ケアマネジャーしてた。だからけっこう、
ユ:甲谷さんも、ケアマネジャーを?
由良部:じゃなくて、
長谷川:普通の仕事でケアマネージャーだったの。
由良部:家族にはかかれないもんね、直接はね。だからまあそこらへんを、奥さんはある意味でよく知ってる。そういう行政的なものも知ってるし、まあそれなりにやっぱりいろいろね、当事者やからいろいろ勉強したとかも思うし。
長谷川:この頃のこの支援の会と奥さんっていうのは、やっぱり支援の会のほうが奥さんをサポートするようなかたちでもあった?
由良部:そうそうそう。とにかくまあ奥さん…、甲谷さん本人と奥さんがちょっと嫌がること、嫌って思うことはやらない。
長谷川:だいたい毎日行ってたんですか?
由良部:うーん、誰かが行ってたんじゃないかな。誰かが、うん、行ってた。[00:35:12]
長谷川:ゆるやかに決め…、なんかこう、好きな時に、みんなが行ける時に行ける、みたいな感じで?
由良部:そうそう。最初はね、ある程度ローテーションを組んだんじゃないかな。それはけっこう志賀さんがやってた、ローテーション。「この日行けますか?」みたいな。でもだんだんだんだん、来る人が限られてきて、やっぱり(笑)。だいたいもう、僕の家族と志賀さんと、あと、岩下さんっていう***(00:35:45)の家族と、あと…、がほとんどで。なんか「これ、家族介護じゃん」って感じにだんだんなってきた(笑)。まあそれは何年も、それは1年、2年経ってくとね、どうしても。ずーっとって、やっぱりなんとなく離れていくんですよ。
西田:そうですね。1年ぐらい、支援の会ができてから、ここらへんぐらいまで経ってますもんね。
由良部:そうなんですよ。ここらへんまでね。
西田:ここはどこですか?
由良部:これが、西京都病院か。そこは、だから療養病棟。だからずーっと居ていいっていう。その代わり何もしませんよ、みたいな感じ。ほとんど、1ヶ月に1度ぐらいしか先生往診に来ないし、往診じゃないな、診に来ないし。なんか言っても、「いや、この人、いやもうべつに、なんも治療しないんでしょう?」みたいな。「ちょっと苦しがってますよ」みたいなこと言っても、「いや、なんか、そういう選択したんじゃないの?」みたいな感じだった(笑)。
西田:ふーん。そうなんだ。この頃から、硬直とか発作とか、吸引が必要になってきたんですか? この病院に転院したぐらいから。
由良部:いや、硬直はもっとずっと、あ、最初からありましたよ。
西田:あ、そうなんですか。
由良部:うん。【他の病院でも】(00:37:25)、けっこうありましたよ。宇多野じゃないや、宇多野の前からだから、民医連から。うん。でもだんだんそれが激しくなってきたという感じかなあ。で、まあその、特にむせがひどくなってきて。つまり、これを…気管が、あれ、手術もしてないから。なんか食べても、けっこう食事介助はしてたんだけど、食べてもこう、どんどんどんどん落ちて、落ちて。半分落ちるんですよね。だから1回の食事でもティッシュが1箱か2箱ぐらいなくなるぐらいで、こう、してるような感じで。でも吐いて吐いて、ゴホゴホッてすごいむせるから。でもすごい食べたがったんだよね。うん。食べたがってるかぎり、食べさしてたけど。でもあとから考えたらけっこうこれ、かなり危険な行為だったかもしれない。喉詰まったりとかしてた可能性はあると思いますね。
西田:これ、でも支援の人がいないと、病院で誰が、看護師さんが食事介助をしてくれ…、
由良部:できない、できない。
西田:誰がしてたんですか? その食事介助。
由良部:誰かが。僕ら、僕らの誰かが、
長谷川:そう、由良部さんたちがしてた。私たち、西田さんとか私が杉江さん時入った時、すっごい病院から言われたんですよ。「そういうことするな」とか、立場問われたんですよ。由良部さんとかって、そういうことなかったですか? 民医連でも、こっち西京都病院でも。
由良部:たぶん家族の許可があったからっていうことが大きいんじゃないかな。うん。まったく他人、友だちとかやったら難しかっただろうし。本人、まあ本人もまだ意思疎通できたし。本人と家族って言ってやったらまあ、って言ったんじゃ…。だって言われたことないから、「食事介助はだめ。やめてください」って。だって実際できへんもん。だから食べたいって言っても食べれなくなっちゃうじゃん。胃ろうもしてないし。うん、まだ。
西田:でもそれやったら、けっこう頻回に、
由良部:あ、胃ろうしてたんだっけ? 胃ろうはいつしたんだっけ。まだやね。
西田:いや、胃ろうはその前、ですね。
由良部:してるか。してるけど、
長谷川:でも口から食べてはって。ねえ。ずっと、ですよね。
由良部:胃ろうはしてたけど、胃ろう…、手術はしたけど、そっからはしてなかった。胃ろうの***(00:39:48)。
長谷川:在宅移ってからも、よく食べてましたもんね。
西田:ほんならけっこう、もうローテーションっていうか、支援の方の、毎回毎食事とか奥さんと一緒にやってたんですか?
由良部:えーとね、時期的に言うとね、だからこの西京都病院になってからは、ほとんど奥さんは来なかったので、僕らと。志賀さんが一番よく来てた。この頃志賀さんがすごく、なんか一番やってた。もう、週4、5日行ってた。[00:40:26]
西田:ええー、そうなんですか。
長谷川:うん。家族とのやりとりも志賀さんが中心になって、やってたんですか?
由良部:家族はね、うーん、何と言うかな、ちょっとなんか奥さんとは溝が少し出てきたような感じかな、この療養病院***(00:40:46)。まあ何となく、たぶん、いや、気持ちはわかったんだけど、まあ、ありがたい…、ありがたいっていう気持ちはあると思うんだけど、逆に「鬱陶しいなあ」という気持ちも出てきてたんじゃないかな。なんかこう、世話になるけど、自分が***(00:41:11)でやれないって、まあ負い目があるかどうかわかんないけど、そういうのもあったかもしんないし。何となくちょっと、あんまり。うーん。もしかしたら、長野のほうへ行くって言ってたのに、言うなれば、それに影響を与えちゃったわけじゃない? もう、その時点で。何となくそういうなんか、プライベートな部分に手を突っ込まれてる、みたいな感じがたぶんあったんだとは思う。だから、ほとんど、だから西京都病院行ったあたりからは、ほとんど。たぶんね、年に、数えるほどしか来てなかった。うん。
長谷川:由良部さんとか、けっこう長いあいだ行ってますけど、その間「もうちょっと今日はしんどいな」とか「やめようかな」とかいう話はなかったんですか?
由良部:僕が?
長谷川:うん、支援の会のみんなが。
由良部:支援の会は…、ああ、だから、最後の頃は、やっぱり先が見えないという、先が見えないっていう…、うーん、そうやね、支援の会を立ち上げたはいいけど、だんだんだんだん家族介護みたいになっていって(笑)。うーん。何となくちょっと、モチベーションというか…、が下がりかけてた時はあったけど。まあ放り出すわけにもいかないから。まあ一応呼びかけ人やからね。特にそこらへんから志賀さんがすごく頑張りだして、週4、5日行くようになってたから。「でも、どうなっていくかなあ。」 でも、でも療養病棟でね、まあ言うなれば、うん。まあとにかくむせがひどくて、「もういつ死んでもおかしくないんじゃないかな。ほんと詰まって、なんかなるんじゃないかな」ぐらいの。うーん。だからほんとその頃は、桜を見に行ったら、「これはもう最後だろうなあ」とか思いながら、「今年最後の桜だろうなあ」みたいな感じの介助、介護だった。だから、もう1年、2年。ま、イメージはね、イメージ的にはそんな雰囲気やった。「まあそこまでは」って、「何とかやれることはしようかなあ」みたいな。
長谷川:由良部さんと甲谷さんの関係って、変わらなかったんですか? 友人…、まあ単純な友人関係から、そういう日常の、ちょっと支えるみたいな部分が出てきて。
由良部:うーん。どうやったろうね。だんだんだんだん、ちょっとね、普通にしゃべれなくなってるから、文字盤でまあ、だんだんたどたどしく。余計なことしゃべんないようになってきてるし。あんまり、うん、そう突っ込んだ会話、そんなにはできなかった、どう思ってるか。でもまあ「生きたい」っていう気持ちがすごくあるし。「生きたい」っていうか、まあ1日1日とにかく大変なわけよ、甲谷さんは、1日1日が。だから、まあまあ支援…、やっぱり頼ってくれて、やって、やれることはやって、ってなってくるじゃない。それはなんかどっかこう…、そうすると、まあ志賀さんとか僕とかよく行く人、たとえば、奥さんはほとんど来ないってなってくると、何でかこう家族的になってくる。まあ甘えてもくるし、みたいなね。[00:45:18]
まあそんな感じで、だんだんだんだん、なんかちょっと…、うん、そんな感じ。だから奥さんは、やっぱりどっかでちょっと、ある意味切ったというか。うーん。奥さんは、たとえばお子さんがちっちゃい。だからよく言ってたのは「私が倒れたらどうすんのよ。どうしようもない」みたいなことがもう頭の中に。「私は倒れられない」みたいな。だからもう、「そっちは任せて…、やりたいようにやって」みたいな、まあまあ雰囲気にだんだんなってったんだよね。
長谷川:文字盤とかって、どういうふうに入ってたんですか? 誰かから情報もらって文字盤になったんですか? 病院が、
由良部:文字盤、最初はどこやったかなあ。たぶん、最初はやっぱ奥さんが【出合って購入】(00:46:07)してたんちゃうかなあ。それを見よう見まねでっていうか。まあでもすぐ慣れたけどね、文字盤はね。そんな難しくなかった。
西田:これ、1月にね、在宅移行、2007年の1月に在宅移行***(00:46:28)やけど、「1月の支援状況」って、「主な支援者は40代の男女1名と30代男性1名」これ由良部さんと志賀さんですよね、きっとね。
由良部:はい。
西田:で、30代の男性1名で、3名だったんですか。
由良部:たぶんこれ、岡本さんのこと言ってるんじゃないかな。うん。
長谷川:岡本さんが川口さんを紹介したんですよね?
由良部:そうそう。だから岡本さんも、もちろんけっこうすごい出入りして、この頃から。在宅移行する時は、なんかとにかく週2、3回は会ってたね。深夜のファミレスで作戦会議をしてた覚えがあります。
長谷川:岡本さんとは、どんなかたちで会うんですか?
由良部:岡本さんは、最初、まあ取材申し込みですよ。取材申し込みが来て、
長谷川:ALSっていうことで?
由良部:甲谷さんの。その前にけっこう新聞とかも出たりとか、あの、個展とかもやってたから。けっこうテレビにも出たし。けっこう有名。有名っていうか、そこそこ知られてた、
長谷川:ALSになってから?
由良部:ALSになってから。個展やったりとか。
西田:ふーん。それは誰がサポートしたんですか?
由良部:最初ね、個展はね、3回やって、一番初め、僕がまあその…、あ、あるかな、この『一畳百色』という、この、ALSの。これをね、やったのが、この時はね、えーとたぶん宇多野の時かなあ。たぶん宇多野の時だったんじゃないかな。2000…、
西田:2006年1月16。
長谷川:あ、「甲谷匡賛作品実行委員会」。
由良部:だからたぶん宇多野の時ですね。宇多野の時に、それしたんですよ。それの個展があって、その時に、けっこう、まあ一応告知して、新聞社とか。NHKも取材に来て、けっこういろんなとこで全国的に流してくれたりとかして。で、だからこの個展会場、満…、1週間ぐらいやったんだけど、常にこう、人が「ショップ状態」。普通ギャラリーって閑散としてるじゃん。ショップのような、いつも人がぶわーってあふれ返ってるような状態だった。
長谷川:こういう個展は、甲谷さんがやりたいって言ったんですか?
由良部:最初どっち…、うーん、なんとなくかな。とにかくその、いっぱいこう、パソコンにそれまでは絵を描いてたんですよ。その頃はどっちかっていうと曼荼羅絵。曼荼羅っていって、要するに自分との対話とか癒し、ある種の癒し。べつにこう、それを発表するとかいうことは、たぶん最初はなかったんだけど、どんどんどんどん描いていって、何十枚もたまってきて、
西田:動きにくい手で?
由良部:うん。だって1日、やれる時はずーっとやって。1日10時間ぐらい、ずーっとこう、画面に向かってやってたから。だって、ねえ、線を一つ描くのだって、太さや色や方向や決めんの無茶苦茶かかるんですよ。だってスイッチだけだから。それでも1日中やって。ものすごい集中力で。で、知らない間に20枚も30枚も作っちゃって。[00:50:22]
で、たぶん、僕が言い出したのかもしれない。「個展しない?」っていうか、「これだけあるみたいだから」っていう感じで。で、知り合いに頼んで、会場を紹介してもらったりして、やったんですよね。うん。で、まあとにかく、これだけのもん描いたんだから、人にね、何て言うか、まあ開いてっていうような感じで。で、それでいろんな方に知ってもらって。だから支援と学びの会も、ある種こう開いたことでもあるけど、よりもっと開いてってなると、たぶん、その、やり始める…、やっぱり個展やるとなったらすごく嬉しそうっていうか、「やるぞ」みたいな感じで、余計励んで描いてたし。それまではどっちかっていうとその、何て言うのかな、まあ自分の癒し、曼荼羅ばっかり描いてたのが、なんかちょっとこう作品っぽい、ちょっとユーモアがあったりとか、「ALS病院」じゃない、なんかちょっと変な名前。けっこうなんかちょっとユーモアがある感じのとか、ちょっと作家ぽくなってきた(笑)。作家もみたいな作品を作るようになって。で、それでまあ、うん、30点ぐらい展示して。
西田:それが、2006年1月が1回目で。
由良部:1回目やね。そうやね。
西田:3回された?
由良部:2回目は、えーとね、この年のたぶん秋ぐらいだと思うんだけど。で、これが、この写真を、僕の知り合いが、【茨城(茨木?)】(00:52:21)か、【茨城】の、うーん、何だったかな、【茨城】の、たぶんなんか、ちょっと忘れちゃったんだけど、会館みたいなとこのロビーみたいなとこで、ちょっと何日間かやったのがあって。でそれから…、書いてあるかな。それから今度は、でその次の年だったかな。志賀さんが今度は、えーとね、横浜でね、横浜の、
西田:横浜の、覚えてる。ねえ。
由良部:横浜美術館のアートギャラリー。
西田:2007年でしたっけ?
由良部:2006年最後の、最後の、2006年ですね。11月23日か。だからけっこう立て続けにやったんやね。
西田:2006年1月。ほんで次が秋。で、
由良部:11月。
西田:11月に3回。
由良部:秋やったか、ちょっと夏やったか、ちょっとその間のやつは忘れたんですけど。11月23日から12月の30。12月の30日か。これは、うん、これ期間がたぶん長いやつやね。鷲田さんとかの講演があったりとか。けっこう大きな。この時、ALSのシンポジウムの時だ。『ALS/MND国際シンポジウム』っていうのが、この1ヶ月、じゃないや、3日間あって、4日間か。で、そこで甲谷さんの作品、と同時に甲谷さんもそこで、初めて横浜まで行ったわけ。この時は僕は行ってないんだよね。志賀さんと…。僕はたぶん行けなかった。志賀さんに任せて。えーと。なんか甲谷さん自身も一つの作品みたいに美術館で寝泊まりしたみたいな感じだったかな。寝泊まりはしてなかったかな? その時1泊旅行したよね。だからそういう感じでちょっとこう、個展でいろんなとこでやって、けっこう開かれるようになって。[00:55:01]
西田:それを見てて、岡本さんが取材を申し込みに来て、
由良部:そうそうそう。たぶん、どこの…、2006年のいつぐらいやったかな? たぶん、いつぐらいかちょっと忘れたんですけど、たぶん2006年のどっかですね。とにかくね。うん。で、来て、そっからいろいろ、ほとんど内部の人間みたいに、普通の取材というよりも。なんかいろいろ知らないことを教えてくれたり。
西田:岡本さんが川口さんを連れてきてくれて、
由良部:そうそうそう。だからこの個展が終わって、辺りで、岡本さんが連れて来てくれて。
長谷川:病院に連れて来て、「地域で生きられるんだよ」っていう。
由良部:でもう、即、確か、ほとんど年末だったかなあ、2006年の年末に、なんか来て、話が来て。最初なんかこう、「在宅独居の」みたいな、志賀さんからやったかな、メールがあって、そういう話があるようだと。「えっ? 在宅? 独居?」みたいな。「何言ってるんだろう?」みたいな感じで。まあでも「そういう話があるから、東京からわざわざ来てるから、聞きに来ない?」みたいな感じで行って、川口さんにも会って。まあ岡本さんもいて、
西田:それはまだ2006年の年末ぐらい?
由良部:年末ぐらい。うん、うん。
長谷川:川口さんが甲谷さんに会う前に、由良部さんとか志賀さんとかが川口さんに会ったってことですか?
由良部:いやいや。岡本さんの紹介で、あいだに入って、そこで病院に連れて来て。
長谷川:病院で初めてみんな会ったと。
由良部:そうそうそう。
西田:で、病院で、いろいろ川口さんが、いろいろ教えてくださった?
由良部:そうそうそう。うん。ていうか、まあ、「そういうふうにやってる人がいるから、東京でも、橋本さんとかが」。名前、何だっけ、さくら会、さくら方式か、みたいなので、まあ言うなれば当事者が社長になって、ヘルパーを集めてやってるみたいな。
長谷川:さくらモデル。
由良部:だから僕はまあ、そういう知識はまったくなかったし。とにかくなんかこう、在宅っていうと、まあその、介護保険のイメージしかないわけですよ。介護保険って、めちゃ知れてるじゃないですか(笑)。 「こんなんで絶対できるわけない」っていう頭しかないから。で、「そんなことがやれるんだ」みたいな感じで。うん。でまあ、「やってる人がいるんやったら」っていうふうに思ったのと、まあ、「在宅するんやったら、なんか」、そんなところ、まあ夢のような話かなと思って、その頃僕、ちょうど踊りの稽古場みたいなの作ろうと思ってて場所探してたのもあって。「それやったらなんか、一緒にやったらおもしろいなあ」と。なんか冗談ぽく言ったりとか。「でも、よく考えたらそれいいかもしれないな」とか思いながら(笑)、どんどんどんどん。で、もう、そう話しているうちに、本人すごい乗り気になってるし。今まではとにかくこう、死ぬ気やったわけ。どう死ぬかが問題だったわけです。だからそういう、「在宅ができる、出れる、病院から出れる」と思った瞬間、「あ、生きよう」という、まあガラッと変わっちゃったわけ。ほんまにガラッと変わっちゃった。
西田:「病院から出れる」っていう可能性を聞いて、生きようと思った。
由良部:そうそう。それも独居ができる。でなんか、「そんな稽古場と隣合わせで、おもしろそうじゃん」みたいに。で、「町家がいいね」とかさ、言い出してさ(笑)。
西田:すごい、すごい。その頃言ってたのが、でも現実になったんだ。
由良部:うん、うん。
長谷川:由良部さんもやっぱり、ワクワクしましたか? 聞いて。
由良部:えー、いや、怖さ半分あって、「乗りかかっちゃったな」みたいな。ワクワクじゃないね。
西田:「これ、ほんま大丈夫か?」みたいな(笑)。
由良部:だってだって、いろんな問題があるじゃない。家族の問題もあるし。それこそ実際やっている人がいるという話しか知らないし。実際どうやるかわかんないし。周りが…、こっちではやった人いないわけだし。知ってる人に聞いたら、「そんな、無理だ」みたいな感じだし。やっぱ奥さんなんか、かなり否定的やったし。
長谷川:他のメンバーは? [01:00:09]
由良部:他のメンバーはね、はっきり言ってね、その頃からはもうほとんど来てなかったから、支援と学びの会は。これはもう完全に切り離して、新しい、それを立ち上げるメンバー…、支援と学びの会はまあ、そういうぼやっとしたあれやけど。これに携わる人は本気の人しかできないから。まあたぶんその、はっきり言って本気の人って、僕と志賀さんしかいないわけよ。で、サポートに岡本さんがついてるっていうか、「その3人で何とかするしかないかな」っていうような感じで。でもまあ、「できるかな、できちゃうの?」みたいな(笑)。何とかなる…、うーん、まあなるかな、みたいな。で、そっからもう、そっからほんと早かったですね。そっからもう、その、療養病院やから、ずーっと、一応居れるわけですよね。でも1回出ちゃうと、もう二度と戻って来れないから、また転々とするか、それこそ絶対にそれは実現させる必要があるわけよ。また転々としだしたら、「何のために、こんなやったんだ」って絶対なっちゃうじゃないですか。だから、何とか出て、気管摘出…、じゃない、喉頭摘出手術をして。だからもう何とかするしかなくて。あとはまあ民医連にもう1回頼み込んで、で、何とか3ヶ月か4ヶ月居れるようにして、そのあいだに在宅の準備を整えるっていう感じですね。
長谷川:それは誰が、その、そういう手配をしたんですか? 民医連…、
由良部:だから、基本的には僕と志賀さんと。まあ岡本さんは、まあ知恵袋みたいな。実際やるのは二人しかいない。だから、その頃から少し役割分担をしようってことになって、志賀さんはどっちかというと、行政とかの折衝とか、病院との折衝とかをやっていく。僕は家づくり、家を確保するのと、ヘルパー集め。じゃあそれを一応分担して、というふうにしながら、まあ。で、週2、3回、深夜のミーティングをファミレスで繰り返しながら(笑)、ずーっと繰り返してたという。
長谷川:ここまでの活動っていうのは、全部、手弁当ですか?
由良部:手弁当、手弁当。全然、どこからも出ないもん。手弁当。
西田:仕事をしながら、終わったらファミレス集まって、みたいな感じで?
由良部:そうそうそう。
長谷川:ずっとこの、甲谷さんの支援の会の活動もずーっと手弁当で?
由良部:そうだね。でも支援の会自体はそんなに負担じゃなくて。うん。まあちょこちょこ行くぐらいだから。うん。とにかくでも、これをやり始める頃は、かなりいろんなことを、たとえば、舞台をちょっと、予定あった舞台をキャンセルしたりとかしたし。ちょっと仕事を少しまあ減らしたりとかしながらも。まあそれは1年ぐらいね。そんな感じで。1年も経ってないわ。でもまあ1年ぐらいか。そんな感じで。
西田:ここらへんでなんか、中島先生とも会ったんですよね。
由良部:そうそうそうそう。
西田:気管喉頭…、喉頭分離全摘術は、たぶん中島先生…、でしたっけ、誰かアドバイスもらったんですよね? 急にここの、
由良部:あの、手術に対してのアドバイスだったか、ちょっと覚えてないんですけど。つまり、甲谷さんが、今までやっぱりALSっていうイメージを、医師によって、まあ言うなれば、「死んでいく病」みたいな、「死ぬしかない」みたいな病が、すごく前向きに捉えられるようになって。だから「医師によってこれだけ違うんだ」っていうの、ちょっとびっくりして。うん。それは、話し方なんですよね。うん。具体的なアドバイスっていうよりも、中島先生はそんなにこう…、たぶん1回か2回しか会ってないわけです、甲谷さんと。だからそれはまあ、話をしてくれて。「実はこう、たぶんALSと言いながらもいろんな道があるし」みたいな。「ポジティブ【…に】(01:05:05)」みたいなことを、たぶん話したんだと思う。僕その時は、その面談の時にいなかったので、わかんないんだけど。[01:05:13]
西田:それはどれぐらいの時、お会いしたんですか? 中島先生とはいつぐらいに、
由良部:たぶんね、その1月ぐらいだと思いますよ、***(01:05:22)。
西田:川口さんと出会った、
由良部:そうそう出会った、もう、すぐぐらいだと思います。うん。数日後ぐらいだったかもしれない。
長谷川:じゃあもう、すぐ決まったんですね。川口さんが来て、在宅移行に、
由良部:もうすぐ決まった。もう2、3日ぐらいで。最初は僕、ずっと無言だったんですよ。「うーん、まあいいけど。」 でも、まあよーくよく考えてみて、「ああ、でもだってこれはさ、死ぬしかないでしょ、このままやったら。でも【よもや】(01:05:59)本人が生きたいって思いだしてるでしょ。で、まあ不可能じゃないってことがわかってきたでしょ。やるしかないじゃん」みたいな(笑)、なってきて。「もうそれしかないなあ」みたいな。だからそれはもう、2日後ぐらいに志賀さんにもメールして、「やりましょう」って。そっからはもうバーッと。「やるしかない。」 それからもう、すぐ、「もう、じゃあ」となって、第二日赤で手術することになった。手術の日程がバッと決まって。そしたらもう転院***(01:06:40)して。で、1ヶ月ぐらいは第二日赤に居たんかな、手術後。
西田:これは、進行によってこういう手術が必要になった、っていうんじゃなくて、在宅移行するにあたって手術したって感じですか?
由良部:そうですね。だから、両方ですね。だから、それこそ誤嚥しそうなまま、ずっと、ゴホゴホッてずっと言ってるような状態を何とかしないといけない、みたいに。それまではだから、「呼吸器着けない」って言ってたから。このまま死ぬつもりで、まあ、いたわけやから。で、でもまあ在宅医療となったら、呼吸器を着けれる状態にしないといけない。呼吸器を着けなくてもね。今でも呼吸できるぐらい、すごいその、呼吸自体はできるのね。だけどその、誤嚥がすごいから。うん。そういう手術をしないと。いつでもその、いざとなったら着けられるような状態にする、そういって「手術をします」という、「しよう」ってことになって。
長谷川:甲谷さんも、自分でやっぱり「やりたい」って言ったんですか? その、在宅移行とかそういう雰囲気、
由良部:在宅移行はやりたいって。だけどちょっとね、呼吸器に対してはちょっと抵抗あった。まだ少し抵抗あった。でも、でも、うん。まあ「そうじゃないと、在宅医療なんかできない」って言ったら、ヘルパーはそんな、このままの状態で、***(01:08:13)できないから、とにかくそういう手術をして、いざとなったらもう、ああ、確かもう、承諾した…。「呼吸器着ける、しゃあないなあ」みたいな、「いざとなったら、こう、着けることもいいよ」みたいな。で、渋々みたいな感じやったけど。すぐは決断はつかなかったけど。【とにかく】(01:08:43)、外に出るってことはもう決定した。「出たい」ってことで。
西田:由良部さんが、そこからヘルパーさんを集めていかれたのは、どういうふうに集めて、声かけとかしていったんですか?
由良部:最初はね、いろいろ、たとえば個展に来た人って、お客さんの名簿あったんですよ。それにこう一斉に配布して、「何かしませんか?」みたいな。あるいは「資金援助したい人は」みたいな(笑)、いろんな方面で言ってたよね。「支援をお願いします」みたいなのをやったのと。それこそ、それで来た人はほとんどいなかったね。それとか、あと、「家を探してます。だから、提供できる家があったら」みたいな、そういうのも出したんです。それぐらいではあんまり効果なくて、結局ヘルパーも知り合いの中から探していった。帰山さんは、支援の会からけっこうすごく助けてくれてたから、
長谷川:新体道とかで関わりあったんですよね。
由良部:そうそうそう、新体道で関わって。帰山さんは関わって、それで助けて。帰山さんは、まあ、じゃあ在宅で、そしたらヘルパーやるって言ってて。あと伊藤さん知ってたっけ?[01:10:10]
長谷川:伊藤さん、敦子さん。
由良部:伊藤さんはその時に、伊藤さんは僕の合宿かなんか来てた、踊りの(01:10:18)。
長谷川:え! そうだったんですか。
由良部:そうなの。それで、「確か医療関係やってたなあ」とか、医療関係だったかな、なんかそういうヘルパーもやってたかな、なんかそんなんあって声かけたんじゃなかったかな? なんか向こうから来たんだ。そういうなんか一斉メールかなんかしたら。で、それとかあと、大藤さん、
長谷川:大藤さん、はい。
由良部:大藤さんも僕のワークショップかなんか来てて、だから稽古にも何回か、半年ぐらい来てたんだ。で、ヘルパーの免許持ってるって聞いてたから、声かけて、したのね。最初はだから、僕、志賀さん、5人しか集まらなかった。
長谷川:高木さんとかはまだなんですか?
由良部:そのあと。うん。だから在宅移行した時は、移った時は5人しかいなくて。でも、「これちょっときついなあ」とは思ったけど、「まあまあ5人いれば何とか、何とかはなるか」って。
長谷川:でもこの時のヘルパー確保って、一応夜間もっていうことでしょう?
由良部:そうそう、24時間。
長谷川:給料の面とかも言って出したんですか? 「ヘルパーになってください」みたいな。
由良部:給料? 「いくら【です」とか?】(01:11:33)。「よくわかんないけど」みたいな(笑)。「ま、1,200円ぐらいはいけるかなあ」みたいな。
長谷川:ああ、見込みで?
由良部:見込みで(笑)。だって、最終的な日数がわかんなかったじゃない? で、なんとなくその前の情報、いろんなその、情報を聞くと、「まあ、500時間か600時間はいけるでしょう」って。そうすると、740何時間やとしたら、1ヶ月ね、200何十時間は空白になったら、それ薄めちゃうか、あるいはそれをボランティアで埋めるかしかないから。うん。「まあたぶん、薄めたとしても1,200円は何とか確保できるかな」みたいな。あるいは、ある程度僕や志賀さんがちょっとボランティアでして。うん。まあ不可能じゃないし、まあ500か600ぐらい出たら。これがたとえば400とか300とかになると、ちょっとやばいなと思ったけど、5、600、まあ600、500、「最低550ぐらいいけば何とかなるやろ」とは思ってた。
長谷川:ヘルパー5人ていう数は?
由良部:それしか集まんなかった。
長谷川:「もうこれで、在宅移行やっちゃえ」って感じだったんですか?
由良部:だって、お尻決まってるわけよ。だって民医連そこまでになってるし。「退院してもらわないといけない」みたいになってたから。だからそれまでにはもう移行、そういう計画やったから、お尻が決まってたからね。それまでに集めて、まあ最初は、杉江さんの住んでるとこの近くの家を探して。それでけっこう、岡本さんと、あの、何だっけ、
長谷川:工繊大。
由良部:工繊大の人たちが、
長谷川:工繊大はいつからですか? これ関わったの。
由良部:工繊大はだから、1月のその、やろうってしてから、すぐだね。
長谷川:これも岡本さんの紹介ですね。
由良部:岡本さんの紹介で、阪田先生? 阪田先生を紹介されて。で、うん、そういう、「学生が家を建てるっていうのあるから、だったらお金も安く済むし」みたいな。けっこう大変やったけどね(笑)。
長谷川:この間にたぶん堀田さんとか、立岩先生とか関わってるんですよね?
由良部:そうそうそうそう。うんうんうん。
西田:あの杉江さんとこの家の裏は、あれは、やっとあそこが見つかったって感じなんですか? あそこ…、
由良部:えーとね、わりとね、いろいろね、行ったんですよ。いろいろ行って。けど、狭かったりとか。でもまあ、あそこは、まあまあ、誰か学生さんが見つけてくれたんだよな、確か。
長谷川:これはもう、そこはもう絶対仮住まいっていうのは、始めから決めてたんですか? もう入院中に、
由良部:最初は、だから家を造ることは決まってるのね。で同時並行的に、でもすぐはできないから、「まず仮住まい、1年間ぐらいは必要だろう」ということで、その家をまず探して。それと同時並行的に今の、スペースを、
長谷川:稽古場付きのところを。[01:15:15]
由良部:あそこほんと廃墟だったの。もう、なんかこう鉄柱みたいなのいっぱい立ってて。それをガガガガッて。だからなんかね、最初の3ヶ月ぐらいはひたすら穴掘りをして、土を運んでた(笑)。
長谷川:織機があったんですよね。まだ、あの家は。
由良部:ひたすらそれをやってた。
西田:ほんなら、杉江さんの裏に住んでたのはけっこう住んでた?
由良部:1年、ちょうど1年。
西田:1年ちょっとも住んでたんや。
長谷川:仮住まいで、そう。あっちの家を建てなきゃいけなかったから。建てるの、すぐ建てられるわけやなくて。あれもけっこう工事というよりかは、学生と阪田先生と由良部さんで。由良部さんするする登って、やってたから。
西田:へえー。1年ちょっと、あそこに住んではったんですね。でもなんか、あの裏も、けっこう不便そうな部屋じゃなかったですか?
長谷川:斜めだったですね、床が。
由良部:そう、斜めだったんだよね。まあ広さがそこそこ、まあ普通の値段やったら、まあまああったから。まあヘルパーの仮眠はできるような感じで。
長谷川:一応二部屋でしたもんね。前が甲谷さんで、奥がヘルパーの部屋みたいな。
由良部:まあ仮住まいやからっていうのもあるけど。それと大家さんがね、すごく協力的でいい人やったっていうのがあるけどね。
西田:学生さんが部屋探ししてくれた時って、工繊大の学生さんですよね。
由良部:うんうん、山本晋輔くんとか。
西田:あ、あ。けっこう断られたんじゃないですか?
由良部:えーとね、そうでもなかったですね。断られた所、もちろんありますけど、そういう話聞いて。
西田:条件がもう一つだったんですか? 介助に当たっての。
由良部:そうですね。うんうん。入り口の【具合】(01:17:08)とかね、車いすの、あの、バリアフリーみたいなのとか。で、あんまりこう、きれいなとこだと、逆に使いづらいんだよね。手あまりかけられないから。ああいうこう、古いとこやったら、「まあ、やりたいようにしたらいいですよ」みたいな感じやから、ちょっとこっちで作って、みたいな感じができたから。それが大きかったんじゃないかね。こちらも、いじれるっていう。うん。
西田:今さっき、志賀さんが制度とか行政の交渉で、って。その、交渉の時もたぶん立岩先生と関わった…、誰かが、長見さん、ココペリさんって、
長谷川:長見さんはまだだと思う。交渉の時は、
由良部:交渉の時は、長見さんどうだったかな? ていうか最初はね、どこで、どこ…。だから一番最初は「じゃあ俺らが事務局するの?」みたいな。ちょっと、うん、「なんかよくわかんないし」みたいなことで。最初ね、東京のほうのね、なんかね、何だったっけ、なんかあるんですよ。東京のほうの…、名前忘れちゃったな。そういう難病の人たちの在宅支援をする、なんかそういう組織みたいなのがあって。「そこに頼もうか」とか言ってたんだけど。なんかでも、話した時にちょっと話通じなくて。何て言うのかな。その人たち、あまりALSがもう一つわかってなくて。「とにかく本人を出してくれ」って向こうは言うわけ。でも、「いやちょっと、文字盤だししゃべれないし。」「それでもいいから、その場に本人を出してくれ」とか。つまり本人の自立、本人が自立するような方向の会だったんですよ。で、でもALSの場合は、どんどんどんどん進行していくから。それで向こうは「とにかく本人が東京に来なさい」みたいなことを。「東京に行けるような状態じゃない」って言っても、「いや、まず来ないと話にならない」みたいなこと言うから、「これ、けっこうややこしいなあ」と思って。で、それはやめたんです。で、長見さんがそういうことをやってる、って、
西田:それは誰から教えてもらった?
由良部:それは、志賀さんが長見さんと知り合ったから。
西田:いえ、長見さんはたぶん、あれなんよね、えーと、やな、やな…、なんか、阪大、阪大のあそこで?がったって言ってはりましたね、志賀さんとね。
長谷川:ああ、コミュニケーションの、人間なんたらかんたら。
西田:それで志賀さんと長見さんが?がってた…、繋がって。[01:20:08]
由良部:うんうん、「前、1回会ったことがあって」みたいな。「なんか、アングラ劇団みたいなとこだから、けっこううちに合ってるかなあ」みたいなこと言ってた(笑)。
長谷川:長見さん、好きだから。活動家だし。さっき言った5人のヘルパー、その時のね、ていうのは、在宅移行してから入ってないですよね。たぶん入院中にちょっとずつ入ってったっていう感じですか?
由良部:入院中に、えっと、ま、帰山さんはずっと前からやってたけど、あと大藤さんと伊藤さんは、【入院、病院に行きながら】(01:20:41)ちょっとずつ慣れていかないといけないじゃないですか。ボランティア的に少し来ながら、仕事に備えて、みたいな。その時は申し訳ないけど、ちょっとお金出ないけど、みたいな。
長谷川:みんなヘルパーの資格を持ってたんですよね?
由良部:二人とも、うん、持ってた、持ってた。うん。
長谷川:由良部さん…、由良部さん、東京まで取りに、[01:21:02]
由良部:僕だけ、僕だけが持ってなかった。志賀さんも一応持ってた、確か。
長谷川:由良部さんは、東京に受けに来たんですか?
由良部:そうそう、さくら会。
長谷川:さくら会のやつに。堀田さんもたぶんその時、一緒に行ってるんちゃうかな。
西田:この「2007年の6月から7月のあいだにヘルパーさんが重度訪問介護の資格を得た」っていうのは、これは由良部さんのことですか? 他の人はもうこの重訪資格持ってたって。
由良部:そうだね。2級のヘルパーの。
西田:ヘルパー、介護保険?
由良部:いや、2級のヘルパーの免許。一番簡単なやつ。それは持ってた。
西田:それあったらできるん、
由良部:できるんです。
西田:じゃ、これは由良部さんだけ?
由良部:最初はそうだね。
西田:在宅移行する時って、どれぐらい時間数出てた…。
由良部:ちょっと待って。もしかしたら、伊藤さん持ってなかったかなあ。もしかしたら伊藤さんも行ったかもしんない。ちょっと違う時期だったかもしれない。確かそうだと思う。うん。ちょっとそこらへん、うろ覚え。僕だけじゃなかったかもしれない。
西田:それも由良部さん自腹で行ったんですか? 東京まで。
由良部:それ、どうやったかなあ? 自腹だったでしょうね、だってないので。どっかから出るわけでもなかったから。その頃。
長谷川:めっちゃ忙しいですね、この間(かん)ね。
由良部:そうそう、だからここらへんはなんか嵐、嵐のような、
長谷川:嵐ですよね、物件も探しつつ。
由良部:そうそうそう。誰も、学生来ないし、だから自分でやるしかない。「学生、全然来(け)えへんなあ」みたいな。「全然頼りにならへんやん」みたいな。
長谷川:あの家を見つけてきたのは、町家倶楽部ですよね?
由良部:そうそう、町家倶楽部の小針さんは、昔から知り合いやったの。
長谷川:あ、由良部さんの? ああ、そうなんだ。
由良部:うん、自分…、だから、「ある人に会わせる」とか言って、「町家のことよく知ってる人」とか言って、行ったら、「あれ、小針さんや」みたいな(笑)。「もうツーカーやん」みたいな。
長谷川:それで、あそこ紹介してもらった、今のとこ。
由良部:そうそうそう。
長谷川:その間(かん)たぶん、工繊大は、ALSの人がどういう住まいで暮らせるのか、っていうのを調査してる。橋本操さんのとこに行ったり、なんたりしたりって、ALSの実際の人の家を見て、調査して、
由良部:そうそう。だからいろいろな設計、「これ、A案、B案、C案」みたいな設計を作ってくれて。自分らで。
西田:じゃあ、今住んでいる所と?がったのは、学生さんが町家倶楽部、
長谷川:ううん、由良部さんは、
由良部:うん、それは僕の知り合い。ある人がその…、「町家がいい」って言ってたから、甲谷さんね。「西陣でそういういろいろ情報持ってる町家倶楽部の、ある人に紹介する」って。だけど喫茶店に行ったらよく知ってる人だった。そっからは話が早い、ばーって。「じゃあ見に行こうか」みたいな。最初見に行った物件がすごかった(笑)。最初は「ちょっと狭いよな、ちょっとなあ。稽古場と…。」 もうちょっと広いほうをイメージしてたんだけど。でもよくよく考えてみたら「コンパクトなほうがいいよな」って。「稽古場っつったらそんなコンパクトな感じのほうが、なんか引き締まっていいかなあ」とか思って。で、あそこに、「あ、もう、あそこにします」みたいな。
西田:でもあれ、家を崩してさ、新たに建てようと思ったらすごいお金がかかるんじゃないですか?
由良部:崩すって言っても、屋根と柱と梁、大きな梁、は残して。それ以外は全部、だけど。
長谷川:形自体は残してて。中に、その、要は織機が入ってたから、それを取ったりとかなんたりして、床とかを整備したりして。それを由良部さんと工繊大の人がやったんです。[01:25:09]
西田:へえー。建てたのも、
長谷川:建てたっていうか、ハコはそのまんまで、中のところを改装したっていう感じ。
西田:改装は誰がしたの?
長谷川:工繊大と由良部さん。
由良部:工繊大と僕と、
西田:それ、費用は誰が持ったんですか?
由良部:僕と、
長谷川:工繊大?
由良部:ちゃうちゃうちゃう(笑)。僕と志賀さんと、あと助成金が70万円ぐらい出たのと。全部で、えーと700万弱かかってる。
長谷川:700万。由良部さんどのくらい、そんな…、助成、
由良部:僕が300ぐらいだった。
長谷川:出したんですか? 志賀さんも?
由良部:志賀さんが250出した。で助成金がちょっとあって。あと甲谷さんの、まだ最後残ってた金が100万弱あったから。それで。
長谷川:えー。すごー。
西田:期間はどれぐらい?
由良部:えーとね、作り始めて8ヶ月。まあ構想、確か8ヶ月…、10ヶ月か。設計とか全部入れると1年ぐらいだったかな。
長谷川:助成金って、工繊大の研究費ですよね。でも、町家の景観のあれですか?
由良部:町家、景観のあれあれ。それは教えてくれて。「こんなんがあるよ。出したら絶対通るし」って。
西田:でもこれ、普通の建築で頼んだら、もっと高いやろね。
長谷川:高いと思いますよ。
由良部:高いと思う。うん。
西田:ね。大学が絡んだから、安く、
由良部:ていうか、要は材料費。材料費と、どうしても水道、電気とかも要るもんはある。あと、堀川くんっていう、ね。まあその頃、大学を卒業して、見習い大工みたいな。彼が棟梁なの(笑)。で、彼には最低限の、それでも5,000円やけど、1日5,000円の日当は確保しようと。だから、彼がずーっ…、彼はほぼずーっとやってくれたよね。他の学生はもうほんま、来たり来なかったりで、まあ半分…、うん、なんか遊びに来て、みたいな雰囲気やったけど。まあ、そんな***(01:27:37)言って、けっこう頑張ってくれましたけどね(笑)。けっこう頑張ってくれた。まあでも、「そんなもんだなあ」と思って。そりゃしょうがないよね、学生やからね。
西田:学生さんやもんねえ。在宅移行した時は、重訪はどれぐらい出たんですか? 600時間ぐらい出たんですか?
由良部:えーとね、けっこう出たんですねよ、それが。えーと、だから700ぐらいやったかな。うん。ほぼ、1日出たんですよ。あ、ほぼ24時間出たんですよ。
西田:そうなんですか。で、そこから何回か交渉して、900いくらぐらい、
由良部:900までいった。
長谷川:二人介護、やっぱり、移乗とか、
西田:でもけっこう早くなかった? 700***(01:28:20)、
由良部:すぐ出ましたね、なんかね。
長谷川:あれはタイムスタディとかして、舟木先生が頑張ってくれて。
由良部:そうそうそう。
長谷川:生活保護とかね、移行する時、すごい大変だったんですよね。生活保護とその、制度の関係が大変で。はじめお金が出なかったんですよ。
由良部:そうそうそう。
長谷川:そこはたぶん志賀さんが、行政の担当だったとしたら、志賀さんがやってて、そういう交渉を立岩先生とか志賀さんとか、甲谷さん連れて、府とか市とかに行って交渉してて。他人介護加算があるんだとか、そういう細かい話をね。その頃まだ自立支援法の枠だからさ。それでして、何とか交渉した末、勝ち取り、
由良部:勝ち取って。
長谷川:でも二人介護の時間、それでも満たされなくって。だから始めのほうはけっこう手弁当だったんですよ。
西田:この700時間っていうのは、交渉して700時間ってこと?
由良部:ちゃうちゃうちゃう、最初。一番最初出る時。
西田:そこから交渉が始まった。ああ。
由良部:でもここが出るまでに、交渉っていうか審査みたいなのあるから、そこでいろいろまあ、向こうの人が見に来て、病院まで見に来てとか。そこらへんでいろいろ。まあいろいろ交渉もあったんじゃないかな。700ぐらい***(01:29:46)獲得できるように。
長谷川:これ出たの、けっこう大きいですよ。
ユ:これが最初にもらった時間ってことですか?
由良部:あ、そっか。最初、そっか、740出てたかな? 2007年8月…、
長谷川:これたぶん、入院中にすごい交渉してるはずで。はじめから、これを取るのに交渉はしてて、入院中に。
由良部:だからまあ、出た時は一人は絶対確保できたんだわ。だから最初のほうはとにかく、何だったっけ、たとえば看護師さんが来てる時間とか、なんかそれは「要らないでしょ」みたいな感じやったのね。そしたら削られていく。でも看護師さん居たって、コミュニケーションする人が要るじゃんって。だって、一人で、ねえ。だからそういうことを言ったりとか。「それは絶対必要。とにかく24時間必要」って言ったりとか。だから最初は削られてたんです。完全な24時間じゃなかった。
西田:じゃあ、入院中からそういう交渉をしながら、ポンと出たのが、月744時間。
長谷川:今、これを甲谷さんが勝ち取ってくれたから、初めに。京都はだいたい初め700何時間出るようになったのは、これの、たぶんおかげ。甲谷さんのおかげ。
西田:でもそれもポンと出たわけじゃない、やっぱり入院中に交渉っていうか、そのやりとりがあったっていうことなんですね。
由良部:うん、うん。
長谷川:入院中に交渉して。でね、たぶん制度の問題がすごいあって。生活保護と介護保険と重訪と…、重度訪問介護の関係がめんどくさいんですよ、生活保護が絡むと。そういうことがこう入院中にいろいろ起こって、だから生活保護だけ支給決定が遅いですよ。在宅移行してからなんですよね。それ、もめてるんですよ。
由良部:うんうん。そうそう、なんかだから、生活保護と介護保険と、し…
西田:障害のほうと。
由良部:障害が絡んでるから、全部わかってる人って、ほとんど誰もいなかったんですよ。
長谷川:ケアマネさんもわかってないから。
由良部:わかってないし。だから知ってる人…、うん、でもまあ、それで何となくいろんな人に聞くと、「まあ、5、600は出ますよ」みたいな話だから。まあ、それでもきついんだけど。まあだから、僕はどっちかっていうと、「え、740時間出たんだ」みたいな。「ボランティアしなくていいんだね」みたいな感じやった(笑)。
長谷川:こっから、だから二人介護が今度、散歩に行くとかそういうのになって、必要になって。そこをどう出すかで、堀田さんとか、また絡むようになって。
西田:舟木先生とか、
長谷川:舟木先生はね、たぶん移動してから。
由良部:舟木先生?
長谷川:舟木先生は、あっちの新しい家に行った時に、訪問看護との関係とか。そういうもっと…、やっぱり、二人介護がなかなか認められなかったんですよね、甲谷さんとこって。ずっとその案件で来てて。けっこうこう、十分な…、ヘルパーが入ってるのに、十分なそれに見合った給料みたいなかたちでの公的なものっていうのは、なかなか出てなくて。一人はたぶんボランティアみたいな。さっき由良部さん言ってたけど「薄めて」みたいなそんなかたちでやっていて。それはずっと続いてて。向こうの家に新しく…、1年ぐらい、続いてたんじゃないですか? その、仮住まいから移行したあとに、それを具体的にやろうってなって、舟木さんが入って…、ま、頼んでね。で、その舟木さんの資料を作るのにタイムスタディをして。「何をヘルパーやってるのか」のを私たちがやって、それを出してくれたっていう。
由良部:ああ、そうだったね。それもあったよね。
西田:二人介護の申請にあたって、舟木先生が入っていったっていうこと?
長谷川:そうそう、二人介護と生活保護と。
西田:甲谷さんを連れて行政に行ったのは、あれは何の交渉?
長谷川:立岩先生が、他人介護加算の、生活保護の他人介護加算の交渉に行ってるんですよ。この2007年8月の在宅移行の時に、ちょうどその制度の絡みが絡まってて。生活保護だから、たとえば「介護保険が優先されるから、介護保険使わなきゃなんないから、重訪は出ないよ」みたいな、こういうやりとりがあって。「いや、それは違うんだ」みたいなのを川口さんとか立岩先生が言いに行って、「甲谷さんを見てみろよ。こんな人を放っておけるかい」みたいな感じで。
西田:でもあれ、国に確認ていうか、なんかしたら、ここに載ってたね。そうじゃなかったって、行政の言ってることがちょっと間違って…、
長谷川:そうそう、間違って…あの、「その限りじゃない」っていうのがあって、「介護保険優先じゃない」っていうの、あるんですよ。それこっちの障害者運動が勝ち取ったところのやつがあって。それをまあ確認して、ようやく740時間。だからみんなで獲得して、在宅移行したけど、実際にしてみると、甲谷さんの生活は、甲谷さんが【やるんちゃうん?」みたいなんで】(01:34:54)、散歩が日課だから、「散歩には二人介護必要だし、移乗するのも二人介護必要でしょ」っていう。「そうすると全然時間足りないよ」みたいな、なって。そこらへんを、
西田:ふーん。そっか。じゃあ、入院中に甲谷さん連れて行ったってこと? 行政に。あ、退院してから?[01:35:12]
長谷川:入院中に行ってると思う。
由良部:入院中に行ってると思うよ。うん。あ、どうかなあ? ***(01:35:20)、わかんない。
西田:そのへんの行政のあれが、すごいややこしかったやんね。
長谷川:ややこしかったです。退院してからも、もちろん行ってると思います。「二人介護出してくれ」っていう話も含めて。
西田:けっこう長かったよね。
長谷川:長かったですね。行政はね、出してくれない。なんか、744時間が行政としては精いっぱいの数だったんです、この時。だから900時間とか出るって、すごいびっくり。だから、甲谷さんが今出してくれてるから、増田さんが出る。逆に言えば。
西田:900…、だってあの頃、なんか棒グラフみたいなのが出たじゃん、なんか。なんかALS協会の、何やったかなあ、出たよね。一番トップじゃなかった? 甲谷さんが全国的にもね。900何時間やったかな、なんか書いてたね。
長谷川:あれがあるから、京都は。だからほんとにこの由良部さんとか甲谷さんの運動っていうか活動があり、あとに続く杉江さんもそうだし、増田さんもそうだし。みんなポンポン出るのはそういうこと。ポンポンじゃないですけど。
由良部:杉江さんって何時間だった?
西田:杉江さん、最初何時間やったっけ。最初ものすごい少なかったよね。
長谷川:少なかったですね。
西田:400か500ぐらいしか。
由良部:え、400?
長谷川:杉江さんの場合は、なんか、もともとたぶん京都府ですよね。杉江さん、右京区で。
西田:まだなんとか歩けてたんですよ。独居、移行する時は。まあ支えがないと歩けなかったけど。
長谷川:そう。で、ケアマネの人が、それこそ中心になってる人が、由良部さんみたいな人がいなかったんですよ。とにかくケアマネが中心になってて。その人が理解してないっていうのもあったけど、「介助者が集まらなかったら重訪出さない」っていうふうに言われたから。
由良部:ああ、介護者がいなかったら。
長谷川:そうそう。介助者を集めないと、「出しても使えないんだったら意味ないでしょ」っていう行政の説明。で、なかなかそれがうまいこといかなくて。だから北区ってけっこう、だから特殊だったんですよ、あの時ね。
西田:すごい少なかった。段階がそのあと500時間、4、5、6みたいな、ちょっとずつしか増えなかったね。
長谷川:甲谷さん、もうこの時には、ね、なんていうか、ここも分離してたし、「コミュニケーションが難しかったから」って。
西田:まだ杉江さん、口…、切開もしてなくて、ご飯食べてたりとかしてたから。お話もできてたし。そこらへんあったのかもしれないけど。
由良部:今、京都で、ALSでやってる人って、増田さんとか、甲谷さん以外に何人ぐらいいるのかな? ALSで在宅してる人って。けっこう増えた?
長谷川:けっこう増えてて。しかも独居での在宅ってけっこう増えてて。で、ポーンと、やっぱり700時間とか出るんだよね。
桐原:基本、700何時間が出ますね。絶対甲谷さんのしわざ。普通は出ないんですよ。
由良部:しわざ(笑)。他の自治体とか?
長谷川:そうそうそうそう。
由良部:その自治体格差も【おかしいよね】(01:38:29)。それでじゃあ、みんな京都に集まって来ちゃって、もう、京都市としては(笑)。
長谷川:そうそうそうそう。そうなんですよ。
桐原:京大もあるし、ちょうどいいね。
西田:なんかすごいバタバタだったね。でもこれから在宅移行してからのほうが、まあ制度的なややこしさは少し解消されたけど、今度在宅移行した時にはヘルパー問題が、介護問題が前面に出てきたんですよね。
由良部:そうだね。1年…、まだあっちのほうはまだマシだったんかなあ、旧杉江さんのあっちの仮住まいの時は。でもまあ、だんだんだんだんですけどね。とにかく、すごく激しくなったんですよ、症状が。うん。それはまあ、やっぱりコミュニケーションがどんどんどんどん取れてこれなくなった時期と重なってる。だって、ねえ、まあ言うなれば、ある種恐怖と不安が強いし、言葉がちゃんと伝わんないから、だんだん目もなんか、言ってもこっちも取れなくなってくるじゃない。そうするとイライラしてくるっていうのがあるし。そういう心理的なものも強くあっただろうし。だからそういう中で、とにかくずーっと硬直して、ガタガタガタガタ、こう、こんなんなってるし。で、いっぱいこう、ナースコールとかセンサーとかしてると、もう1日中、「ブー」「ビー」「ブー」(笑)。だから、音がなるじゃん。[01:40:16]
でまあ、それで介護するんだけど、で介護して、その頃は「あれしてほしい、これして」、とにかく体位変換するでしょ、体交して。体交がまあ30分に1回ぐらいしたりとかすると、なかなか体が硬いから、こう。で、硬直しだすと、またそれがこう…、せっかく。でも30行程か40行程ぐらいあるわけよ。こっちを曲げて、この手を、こうして、でやっと。そしたらまたこう、グオーッと。それをまたもう1回やって。なんかまるでシジフォスの神話じゃないけど、やっては崩れ、やっては崩れ、みたいな。で、年がら年中、それで「ブー」「ブー」って鳴るし、ていうのとかね。まあ、散歩へ行けば、すごいなんか、ものすごいとこに連れて行かれて。もう、あそこ***(01:41:18)。もうすごい坂道とか、
西田:山とか、ハードなところに行きたい、行きたいって言われて。
長谷川:階段。うん、うん。
由良部:そうそうそう。
西田:ヘルパーさんがもう疲れて、みたいな。
由良部:僕らなんか行かないからね。「行かない。もうそんな、いやいやいやいや、行かへん。」って言うたら、違うとこ行くんだけど。知らない…、やっぱりね、そういう関係性じゃない人は、ちょっとでも関係性よくしたいと思うから、なるべく聞こうとするじゃないですか。それできつくなってくるし。でまあ、甲谷さんもそれがどんどんどんどんコミュニケーション難しくなってくると、もう言う言葉もきつくなるじゃないですか。そんなきつい言葉を文字盤で、こう自分で拾わないといけない。「あ・な・た・が・き・ら・い・で・す」みたいな(笑)。
西田:でも、「です」は言うんやね(笑)。
由良部:「です」だったか、「きらい」だったかは。最後のほうはまあ、「きらい」まで言ったら、まあまあ、わかるか、みたいな。まあそういう感じなんだけど。とかまあ、そんなふうに、
西田:なんか、パソコンがどんどん使えなくなったんですよね、きっと。そんでコミュニケーションが伝えられなくって、文字盤を使おうとするけど、文字盤の読み取りもやっぱり難しくなってくるから、よけいに伝えたいけど伝わらないし。進行するから不安もあって、
由良部:誤解もされるし。
西田:うん、誤解もされて、「違うやろ、それ」みたいな感じになって。で、ずっとナースコールを押したりとか。1回痙攣が起きたら、なかなか体が、あれやからっていうので。大変だったんですよね。
退院…、在宅移行後って5人やったけども、高木さんたちが入ってきて、5人から増えたのっていつぐらいですか?
由良部:5人からね、わりと早くて、それから最初は仁井さん…、仁井ちゃんっていって、今、隣に住んでるね。
長谷川:仁井さんは、どういうふうに入ってくるんですか?
由良部:仁井ちゃんは、僕の昔踊りやってた***(01:43:23)。それで少し、時々ボランティアも来てくれたり、というのもあって、まあそれで誘ったのかな。で、それから、高木さんか。高木さんが来て。それから、まあ今はいないけど坂田可織さん。
長谷川:ああ、坂田さん。でも坂田さん、だいぶあとですよね。
由良部:うん、だいぶあと。あ、そっか。先に白石さん、白石さんのほうが早かったっけ?
長谷川:白石さんのほうが早いですよね。
由良部:そうやね、白石さんが来て、それから坂田さんが来て、それから池田さんか。うん。そういう感じかな。
長谷川:うんうん。
西田:仁井さん、高木さんと、帰山さんたちがされてた時が、けっこう大変じゃなかったですか?
由良部:そうそうそう、帰山さん大変やった。帰山さんも伊藤さんも仁井さんも…。まあ、仁井さんもそうよね、みんな大変やったね。大藤さんも大変。
西田:みんな腱鞘炎みたいな、文字盤腱鞘炎を起こして、クリニックに来てはった。
由良部:それと、精神的にみんな来ちゃったからね。
長谷川:会議やってましたもんね、ずっとヘルパーの会議やってた。
西田:じゃあ、5人から7人になって、だいたい、
由良部:7人…、7、8人まで。で、けっこういっぱい、いっぱいその、来たんですよ、研修は。それで確かね、一番ひどい時に、とにかく5人連続、もうつぶれちゃって、もう。たとえば3ヶ月何とか研修したけど、「次の日じゃあ一人ね」って言ったら、「もう、とてもだめです」みたいな、ずっと続いたの(笑)。「全然増えないやん、これじゃあ」みたいな。で、そんで、増えないし、みんなもう大変で、「もう、ちょっと1ヶ月、2ヶ月、半年休ませてくださいみたい」になってくる。結局僕と志賀さん、あと帰山さんも辞め…、一番頑張った帰山さんも「もう無理」みたいな。大藤さんもちょっと。伊藤さんもちょっとやばくって。5人のうちほとんど2人、「最終的には2人しか、なあ」みたいになっちゃって。[01:45:38]
西田:志賀さんと由良部さん?
由良部:「になっちゃうかなあ」みたいな。「なっちゃいかねないなあ」みたいな感じになった時もあったんだけど。うーん。そこはもうでも、覚悟…、その頃一番ちょっときつかったかなあ、確かに。
西田:それって何年ぐらいですか? 一番きつかった時の介護は。
由良部:移ってからしばらくしてから。スペースALS-Dに移ってからしばらくして、半年ぐらいだったかな。半年か1年後ぐらいから、だいぶきつくなってきた。うん。コミュニケーションが取れなくなってきて、すごい硬直がきつくなってきて。
だからまあその頃は、志賀さんなんかも、きつかった。まあ、ものすごい、言い合いになっちゃうのね。「こんなことやってたらもう、ヘルパーいなくなっちゃうじゃない。そんなことばっかり言ってたら」みたいな感じに、言い合いになるじゃん。したらまた、ガーッて硬直になるじゃん。もういくら言っても埒があかないから、「もう私、もう帰る!」とか言って、車に乗ってブーっとかいって帰って。でもこのまま行くわけにはいかないから、しょうがないからそのまま1周回ってぐるっと帰って(笑)、だけで、無理やりな感じやった。僕もまあ、三度そんな雰囲気にちょっと、言い合いというか。「まあなんでこうなっちゃうのか。なんで人を嫌いやとか、ヘルパーを辞めさすような方向に行くんやろ」って感じで、ねえ。だから、でもその頃…、やっぱり、もう一つ僕もわかってなかったんだと思うんだけど、やっぱりそれは症状だったんだってことを、もう一つわかってなかったっていうかな。苦しいだけではなく、ある種、症状的にこうなっているっていうの、わかってなかったのもあって。
西田:症状っていうのは?
由良部:ある種ちょっと、うーん、何て言うんだろう、ある種、、もう、こう頭が整理つかないというか、
西田:混乱するような、
由良部:うん、パニックになってる、っていうか。たぶんちょっとね、認知的なものも、甲谷さんの場合、少しずつ進行していったんですよ、…てると思う。ちょっと、なんか言うことがね、ちょっとよくわかんないの。「何言ってるのかなあ」っていう、
西田:前、インタビュー、由良部さんに聞いた時に、インタビュー、これ、インタビュー記録なんですけど。その、介助のこと、けっこう言ってはりましたよね。
由良部:ああ、そうやった…。
西田:文字盤の文字がくずれて、なんか、読み取ってたら、文章が難しくなって、ちょっと「ん?」ていうような。
由良部:ああ、そうだね。だから、何を言ってるのか、だんだん取れなくなってきて、
長谷川:甲谷さんの在宅移行、したじゃないですか。甲谷さんが、そうやって介助者がいろいろと、まあ選ばれたりとか、辞めていくなかで、「あ、これちょっと無理だな。在宅継続」っていうこと、あったんですか?
由良部:うん、だから、
長谷川:「もう、ちょっと、甲谷さんに入院してもらわないといけないな」とか思うこととか、あったんですか。
由良部:入院までは思わないでも、
長谷川:志賀さんは、前は、「絶対入院させたくない」っていう。
由良部:まあまあ、それはあるよね。だって、せっかく、ねえ、それやってきたわけで。で、そうやって、家までね、作って、やってきて。でも、だからその時、まあきつかったのは、一つにはまだ僕も志賀さんも仕事してたってことがあるんだよね。仕事しながらやってたから。ほとんどだから、たとえば、仕事して、まだ窓拭き、【街の(もちろん?)】(01:49:33)ね。朝、窓拭き済んでから、そのままこう、こうやって、夕方介護へ行ってから、特に、まあ朝方まで居て。そのあとまた朝、もうほとんど寝ずにまた窓拭きして。それをなんか、ほとんど何(笑)、
西田:危ない(笑)。
由良部:ような感じの時があってさ。「これ、ちょっと続かないかもしれないなあ」とか思って。で、それで、ヘルパーも、そんなに交代、どんどんどんどんやばくなってきて。うーん。だから、でもある時に、覚悟決めて、「あ、もう全部辞めてもいいから、ヘルパーが…。まあ極端に言ったら24時間、住んでやるわ」みたいに【思って】(01:50:22)。それまでは、ちょっとずつ、「もうちょっと減らしてくれないかなあ」みたいな、まあ志賀さんがけっこうこう、スケジュールをやってて、「ちょっとこれ、しんどい。これ」みたいなことを言ってたんだけど。で、そうすると志賀さんも、こう、「どうしよう」みたいになってくるじゃない。ある時、「いや。もう、足りないと思ったら、全部僕に入れて」みたいな。「もう、全部やる」とか言って。だから、もうそういう覚悟決めたんですよ。そしたら逆に、なんか楽になって(笑)。
長谷川:えー。え、その覚悟を決めたきっかけって、どんなものなの?[01:50:54]
由良部:いや、「もう、仕事辞めるしかない」と思って。うん。辞めるしかないと。だから、だから「両方やりながらって、これ無理だ」と思って。うん。もうそれだったらまあ、まあ、べつに、ねえ、2階に住みながら。お金、出るわけやから。ちゃんと出てるわけやから、食えないわけじゃないと。で、家族のほうがもっと大変じゃないですか。ねえ。お金出ないで、介護しないといけないわけで。それに比べたら、うん。「全然、なんとかなるじゃん」みたいな感じに(笑)。うん。だから、あきらめることもできないし、で、こうやってなんか、緊張してたら、【ちょっとでも】(01:51:41)、なんか、お互いなるじゃない、ヘルパーも。「えー。また言ってくんのー?」みたいな、なってくるでしょ(笑)。だからそういうの、そういうふうに逆にこう、こうなって、押し付け合いみたいになってくると、よけい全体もギスギスするし。「あ、じゃあもう全部、足りないところ、もう全部やる」っていうんだったら、逆に楽になるし。気持ち的にも。で、向こうも…、まあみんなの気持ちも楽に、「まあ、なんとかなるんだ」みたいになるじゃん。
長谷川:甲谷さんの、変わりましたか。
由良部:それで変わったかどうかはわかんないけど。うん、それで変わったわけではないと思うけど。うん、そっから…、うん、結局、何で変わったかっていうと、うん、行き着くところへ行ったんだね。つまり、言葉が閉じ込められていくでしょ。こう、ワーッとこう、言いたいけど言えないし。こう、なってきて。で、それがやっぱ、体に現れる【かもしれない】(01:52:39)。言うなれば、「これもして、あれもして。これして、あれして、これして。今これして、今これして」みたいなのが、いっぱい出てくるじゃないですか。でも、だんだんできなくなってくる。だって、何言ってんだかわかんないから。だから、やればやるほど混乱してくるじゃないですか。でも、どっかでこう、そういう言葉が、フーっとなくなっていったっていうか。うん。もうだから、まあまあ、ゆだ…、本…、ゆだねるしかなくなってきて。だから、それまではまあ、僕は、「もっとさ、ちゃんとさ、人にもう、もうちょっとゆだねたらいいじゃん」みたいな言い方してたのね。でも、言ってもできないわけですよね。言うなれば、「ゆだねるしかないとこへ向かうしかない人」に、「ゆだねろ、ゆだねろ」と言っても、ゆだねられない(笑)。
西田:うーん。
由良部:だから、でも、最終的にそこに向かうしかなくて。最終的にまあ、ゆだねていくしかなくなって。もう、ある種のそういう言葉っていうのが、なんていうのかな、まあ僕の感じで言うと、なんかスーッと、言葉がフーッと、体の中に溶けてった。溶けてったというか、降り積も…、なんか中側(なかがわ)に、こう、出していくような、こう、降り積もっていったというか。ま、そっから、なんか落ち着いていったような気がする。
西田:ふーん。なんか、興奮ていうか、グワーッていうのが、もうなくなってきたんですか?
由良部:だんだんですけどね。うん。だんだんだんだん、なくなってきて。
西田:今も、あの、あのワーッていうのは、ありますよね。
由良部:今はね、あの、それはね、昔はあきらかにこう、気持ちがグーッってなってんのが見えるんですよ。今はなっても、それ、体がなってるっていう感じ。うん。
西田:ああー。
由良部:うん。体が、もう、ちょっと、それの。気持ちって…、だから、気持ちが、こう、なってるっていうよりも、だんだんだんだん体がグーッと、ちょっと…。たとえば、ちょっと不快だとするじゃないですか。不快だと、それがどうしても、こう出てくるけど。なんか、必要以上にそれに心が乗っかっていくことがないから、
西田:ふーん。
由良部:それはそれなりに、おさまる時は、おさまる。
西田:やっぱ、全然違うんですね。その、心っていうか、何か、その、感情が入ってるっていう、
由良部:そうそうそう。不安とかね。うん。[01:55:03]
西田:その、痙攣ていうか、引きつりみたいなのと、そうじゃない時っていうのは。
由良部:はい。そうです。うん。だから、たとえば時間帯によって、「この時間はちょっと硬めになる」とかね。今でもあるんだけど。うん。まあ、もう今はもうかなりゆるんでるから。ちょっとゆるみすぎかなと、ちょっと思ってるんだけど。うん。でもまあ、うん、一時期の、本当に、もうそれこそ、ベッドがガタガタガタガタ。
長谷川:うん。エクソシスト的な、
由良部:エクソシストみたいな(笑)。まあ、ウワーッとかいうようなのが、まあまあ、それがなくなって。
西田:ふーん。痙攣が、すごかったんですね。
由良部:痙攣がすごかったですね。硬直、痙攣。
西田:硬直、痙攣。グーッてなって、ガーッてなるんですか。
長谷川:もうエクソシストですよ、その時は。
由良部:そうそう。だから、こう、手を伸ばそう…、て、まあ、こうなるからやっぱり、こう、すんごい硬くなるんですよね。必ず、ここに気切があるじゃないですか。気切のほうに、こーう行くから、それがまた危ない(笑)。
西田:中心に、グーッとなるんやね。
由良部:高、ここに来るの、いつも。
西田:伸びるんですか? 中心に行くんですか?
長谷川:硬くなるんですよ、なんか。
由良部:こーう、行く。こーう。
西田:足は?
由良部:足は、伸びる。足は伸びてて、腕はこう。
西田:腕がグーッと、胸のほうにグーッと。背中は?
由良部:背中は、そる。
西田:あ、こうか。こうか。ふーん。
由良部:うん。それがもう半端じゃない力やから、もう伸ばしても、もう、なかなか伸びない。あとはね、気切のほうへ行くから、なんか痰を取ろう…、ちょっとした作業をする時にいつも、「この手、邪魔、邪魔」になる(笑)。邪魔なんですよ、これがまた。
西田:文字盤が取れてたのは、いつぐらいまでの時期なんですか?
由良部:まあ、だんだんですけど、完全に取れなくなったのが、たぶん、在宅移行して、もう3年目か4年目ぐらいからは完全に。だからいろんな時期あって、まあ「あいうえお」でやってた時から、やれる、こう、項目みたいな、これがこう、たとえばあの、「吸引」とか、まあ「顔拭いて」とか、まあいろいろ、項目別になってるのもあったり。で、それが、だんだんこう、項目が減りながら、文字がでかくなってきて(笑)。で、それが、それもわかんなくなってきたから、今度はこう、
西田:マル・バツとかよね。
由良部:マル・バツだけになって。で、もう、このマル・バツも、これ、全然わかんない。いくら言っても、ある時はずーっとマルしか見ないし、うーん。マルバツも、全然それも取れなくなったから。それまでがなくなったのが、たぶん4年目ぐらいだったかな。うん。
長谷川:うーん、そっからはどうやって、じゃあ。
由良部:だから、それは、できないね。だから、声掛けはするよ。
長谷川:うん。
由良部:でも、向こうの意思を確認することはできないよね。
長谷川:今までの、積み重ねで。
由良部:そうそう。あ、そうか、それとさ、それができなくても、まだあの、硬直…、硬直ナビの時代があったわけ(笑)。知ってる?
長谷川:うんうん。
西田:硬直ナビ。
由良部:硬直ナビっていうので、車いすで行くじゃないですか。で、曲がるとこがあるんですよ。曲がるとこでね、こうやって、グーッと硬直すると。「あ、ここ曲がるんや」(笑)。だから「硬直ナビ」って言ってたの。
西田:あ、それ、もう文字盤が難しかっても、硬直で教えてくれてた、みたいな。あー。
由良部:そうそうそう。硬直でわかる。ゴ、ゴ、ゴ…、「通り過ぎてるやんかー!」みたいな(笑)。
長谷川:由良部さんが一番初めに甲谷さんに関わって、甲谷さんが、呼吸器着けないし、まあ、「自分は、あんまり」、まあ、死に向かうような感じの時って、由良部さんはどうやって受けとめてたんですか、その状況。
由良部:うーん。どうやって受けとめて、って。うーん。受けとめるというよりも、うーん。まあ受けとめるというよりも、見守ってたというぐらいしか…。何だろうね、これって、何だろうね。うーん。まあ、あー。そうやね、一つひとつ、まあ、なんか甲谷さんとはいろいろ体のことも話してたし、ある種、死とかについてもいっぱい話してるから、うん、そういうこと、まあ死のうが、死ぬっていうこと、まあ、うーん、どっちかっていうと最初のうちは、死、「死に向かっていくことの中に、共にいようかなあ」みたいな感じだね。[02:00:08]
うん。でも、まあ、ね。在宅してから、えーと、まあ、生きるっていうことだから。だから、ていうか、うーん、そうやね。とにかく少しずつ変わってきてる。まったく今、コミュニケーション取れないでしょ、でも…、言語的なね。でもまあ表情とか、ちょっとした、目が合ったりとか、なんかいろんなその、意識の変化がある。たぶん、すごい全然なんかこう、どっか違うとこ行ってるような感じもあれば、スーッと眼差しが、フーッと、「あ、見てるなあ」という時もあるし。いろんな、こう波のなかにいて。うーん。何でしょうね。まあ、何だろうなあ。なんかね、うーん。まあ、ある種のこう、体…、体をずーっと、お互い探求してきた者としては、すごく無垢になってる気もするし、甲谷さんが。この、まあ、何だろうなあ。うまく言えないですけど。そういうことも全体も含めて、一緒にいるっていうのが、けっこう、自分にとっても意義深いかなあ、みたいな。
西田:うーん。
由良部:半分、仏さん(笑)、仏さんの世話してるじゃないけど、近くなってるかもしれない。
西田:甲谷さん、出家されたんですよね。
由良部:そうそうそう。
西田:あれは、いつ、在宅移行してからですよね?
由良部:そうですね。うん、うん。
西田:あの時は、コミュニケーションは取れてましたですよね。
由良部:最初はね。うん。
西田:ねえ。そのコミュニケーション取れてた時に出家したんでしたっけね。
由良部:そうなんですよ。
西田:ね、そうですよね。
由良部:でもね、あれでも、変なことで。あれ、甲谷さん、高野山へ行って、1回出家してんですよ。
長谷川:ああ。
西田:んー!
由良部:だから、たぶん二重にしてんのちゃうか(笑)。ようわかんないですけど。「まあまあ、いいや」とか思ったりして(笑)。だからその頃、かなりちょっと混乱してた時期やから、甲谷さんも。硬直がひどくて。でもまあ、「あ、ここですんのか、出家すんのかあ」みたいな。うん。まあまあ、よくわかんなかったけど、まあまあ。
西田:ふーん。ねえ、それで在宅移行する、どれぐらいですか? 出家したの。2009年ぐらいじゃなかったですか?
由良部:そうやったかな。わりと早かったよね。
長谷川:わりと早いと思います。だってもう、あの、袈裟をつけて、散歩してたから。
由良部:そうそうそう。うん。
西田:杉江さんと出会ったのが、2008年やから。
長谷川:その前には、してるんじゃないですかね。
西田:え、その前? そのあとにしてたような。
長谷川:だって、こんな袈裟つけて、ずっと、やってるの。「あの袈裟は出家したからもらったんだ」って。もらったっていうか、まあ【あげられたんだ】(02:03:13)って。
西田:あ、ほんま?
由良部:うん、うん。わりと、だから、閻魔堂へ、たぶん最初の頃から、まあいろいろ散歩するじゃないですか。で、いろいろ行って、いつの間にか閻魔堂が日課みたいになって。で、そこでもう、すぐ「出家する」って決めたんじゃないかな。「なんで閻魔堂なんかなあ」みたいに思ったけど。まあよくわかんない(笑)。あそこらへんは、ちょっとね、はっきり言って、甲谷さんのその思考の、何したいのかってよくわかんない時期があって。1回けんかしたのは、あの、護摩を焚いて。
長谷川:あ。私、行きました。護摩、焚いた時。
由良部:いたよね。スペースALS-Dで、なんかそのさ、
西田:ああ、あれ? 私も行った…、あれ、あ、行ってないか。聞いただけか。
由良部:そうそう、その、高野山のなんかお坊さんかなんかを呼んで、
長谷川:うん。そう。めっちゃ。
西田:ああ、聞きました、聞きました、その話。
由良部:護摩、焚くんです。もう、煙ぼうぼうで。もう、窓からももうもうで。これ、どう見ても火事と思われるような感じで。
長谷川:そう。だって木造だし。
由良部:ねえ(笑)。木造だし。それでも構わず、そのお坊さんはやってるからさ。「もう、いい加減にこれ、してよ」みたいな感じでさ。甲谷さんと相当けんかしたんだよな、確か。
長谷川:その、読み取りが難しくなってからもそうですけど、一応甲谷さんが、何かしら、何かの折りには、甲谷さんが決めるっていうルールはあったわけじゃないですか。
由良部:うんうん。そうそうそう。だから甲谷さんは、言うなれば、社長モデルじゃないけどさ、甲谷さんが決めて僕らは従うという、まあ基本的なスタンスじゃない? なんだけど、だんだんこう、やることがめちゃくちゃになってくるから。うん。いつの間にかもう、「あ、これは、社長モデルは橋本さんみたいにしっかりした(笑)」、こう、ちゃんと…いうような感じは無理っていうか、になって、まあある種、出家モデルみたいな、ね、[02:05:10]
西田:(笑)
由良部:感じで、この人は、出家者(笑)。
西田:出家者(笑)。
由良部:出家モデルになったんですよ。「社長じゃない。あなたは出家者だ(笑)。もう、仏壇でいて」みたいな(笑)。
長谷川:今は、どんなかたちで、甲谷さんのことは決めるんですか? これからとかも。
由良部:だからね、そこらへん難しくて、あの、うん。ある程度ヘルパー…。うん、まあ一応、僕もう、志賀さんに1回預けちゃったからね。その、まあ僕は、ある意味でもう友だちに戻るっていうか。あの、一人のことを二人で「ああやこうや」って、絶対こう、相違ってあるから、思いの相違って。それをこう、二人いるのがまずいし。そこらへんもう、任せる…。まあもちろん、ヘルパーとして居るけど。まあ居るけど、そういう、基本的にもう任せるという、やってて。あ、何だっけ? 質問。
長谷川:これから誰が、誰がというか、甲谷さんのこと決めていくのか。
由良部:ああ、そうかそうか。で、だから志賀さんが決めてる部分はあるんだけど。けっ…、あるけど、でも、そう、もうある意味で、もう、ほとんどもう、個々のヘルパーがやりたいことをしてるっていう。だから僕…、志賀さんなんかはさ、わりと外出好きなわけ。あちこち連れていくのね。で、まあ僕はあんまりそういうのを…、まあ、風あたったり、そういうのはいいけど、「べつにどこ連れて行かんでも…」というような思いがあるから(笑)。もうほとんど何も行かないんですよ。どっちかというとこう、マッサージして、体でさわってあげたりとか、そっちのほうが大事かなあ、みたいな。だからそれは、けっこうヘルパーが個々に「これやってあげたい」と思うことを、危険のない範囲であれば、今はやってて。だから、何かじゃあ、決めて、ということは、そんなに今は…。昔けっこうね、1ヶ月に1回は必ずミーティングしてたんだけど。もう、ほぼしてないですね、そういうこともね。
西田:今、ヘルパーさんて何人ですか?
由良部:今、9人。9人いるから、うん、まあ僕、だからもう週に4、5日ぐらいしか入ってないな、僕自身、ヘルパーとしては。
西田:4、5日って、多いね(笑)。
由良部:え? あ、ちゃう、月だよ。ごめんごめん、週じゃない。ごめんごめん。
長谷川:火曜日、週1ぐらいで入ってるの。
西田:あー、そうなんですか。
由良部:うん。
西田:9名の中には、ココペリさんのヘルパーさんもいる…、
由良部:いない。あ、まあまあ全員ココペリに所属だけど、全部こっちで集めて。
西田:あ、そうなんだ。でも途中はココペリさん入ってましたよね。
由良部:それは…、
長谷川:あ、江本さんとか。
西田:江本さんとか。
由良部:あ、そうだね、そうそう。
西田:山城さんもちょこっと、いっとき、なんか、一部の人は行ってたけど。でも、もう、
由良部:そうですね。5人の時ね。
西田:あ、5人の時か。
由良部:5人の時に、その、助っ人みたいな感じで、二人目として来てくれた。
長谷川:引越しとかもあったし。
由良部:江本さんとか、山城さんにも、けっこうきつかったからね、甲谷さん。
西田:うーん、みたいですね。ちょうど、だからしんどかった時期ですよね、たぶん、ココペリさんがちょこちょこ行ってたのは、ね。人がいないっていうのでね。でもあれ、シフト自体は、あれですよね、志賀さんが決めてはったんですよね、ヘルパーさんのね。
由良部:そうそうそう。だからまあ、そういう金銭面のあれかな。事務所としてそこ通して、みたいな。たぶんちょっと、金銭体系もちょっと、わかんないけど、ちょっと違うと思う。まあ基本的にはうちのヘルパーはうちのだけやから。まあ、半分独立してるような感じですね。
長谷川:おもしろい。
西田:なんか、在宅移行するまで、ずっと入院期間長かったじゃないですか。
由良部:はい、はい。
西田:入院生活っていうのはやっぱり不自由だったと思うんですけど、そこらへんでは、なんか、甲谷さん、けっこうわりと辛抱強かったんですか?
由良部:そう…でしょうけど、まあでも、言うなれば、うん、周りの患者さん? にしてみたら、ほとんど誰もいない人がほとんどじゃないですか。だから周りの人にはけっこう、なんか、いいなあと思われてたとか。[02:10:09]
西田:ああ。
由良部:うん。なんか、そんなんはあったみたい。もっと大変な人も、大変そうというか、とにかく「放ったらかされてるなあ」っていう人がいたから、
長谷川:杉江さん時も、ありましたもんね。
西田:うんうん、ね。ふーん。でも、食事を食介してた時期、え、時間以外でも、やっぱり行ってはったんですよね、入院中はね。
由良部:そうですね。まあでも、ずーっとじゃないんですよ。だから1日…、うん、まあ交代で。僕なんか、平均したら1週間に1回ぐらいしか行けなかったから。うん。だからそんな感じで、うん、そんなに…。とにかく支援と学びの会のあたりは、まあ、ゆるやかな感じで考えてたんで。ただどうしてもいつの間にか、家族がだんだん来なくなっちゃったから、「しょうがないなあ」みたいに少しなってきて。うん。
まあでも、まあ、「よくできたなあ」ってあとから思うと、思うけど。まあ、うん。必然というか、やらざるを得なかった、みたいな感じがする。
西田:うん、早いね、でも、ほんまに短期間で。よくでき…、
長谷川:勢いがね。制度も、あんまりなか…、なかったっていうわけじゃないですけど。
由良部:そうだね。だから本当、知らない者の強みじゃないけど、知ってたら、「いやー、怖くて」って思ったかもしんない。
(店員との会話)
ユ:9時で。
由良部:けっこう、時間が経ちましたね。
長谷川:けっこう、話してもらいました。
(略) [02:12:23]-[02:12:41]
ユ:私、甲谷さんのこと、よくわからなくて、
由良部:うん。
ユ:今、家族とかは、連絡しない…、
由良部:あの、甲谷さんの家族…、まあ、奥さんと別れたんです。うん。で、在宅を始める時にあたって、離婚されたんですよ。ていうのは、一つにはまあ、そういうのに関わりたくない、というかな。うん。どっかで心を決めちゃったん…。うん。まあそれはそれで賢明な判断で。うん。だから、別れたからこそ、900時間出たわけで。家族いたら出ないからね。
長谷川:息子さんとは、いい関係ですよね。なんか、パーティとかで。
由良部:いい関係なんだけど、
長谷川:たまに来る感じ。
由良部:いやー、最近来ないんだよね。
長谷川:反抗期ですか(笑)。
由良部:いや。たぶん、思うんだけど、これちょっとよくわかんないから推測ですよ。もう就職してるんですよ、二人とも。そうすると、よくわかんない、扶養義務的なものを気にしてるかもしんない。
長谷川:そっかそっか。生活保護ですよね。
由良部:今までは子どもやったから。もう大人として、逆に言うと、制度的な、あの、法律的な面だけじゃなくて気持ちとしても、他人に預けてる…。「俺の親父なんだけど…。」 昔はまだ、子どもの時は、まだそんなこと考えなくて、会いに来ることもできたけど、大人となってどうとらえていいのか、っていうのがあるんじゃないかな、とは。だから来なく…、たぶんもう5年ぐらい来てない。でも前、月に…、1年に1回ぐらいは、なんか来てたんだけど。うん。難しいとこでねー、やっぱねー。
西田:なるほどねえ。ふーん。
由良部:そういう…、家族というのはね、一番、厄介と言えば厄介、かも(笑)。[02:15:06]
西田:そうですね。
長谷川:うーん、確かに。他人が入るっていうことが、なかなか難しいですね。その、何がいいとか悪いとかではなくて、やっぱり気負ってしまうところ、もちろんあるだろうし。でも家族がいるからうまく回るところも、ある種出せるじゃないですか、介護とかで。なかなか、だからそこらへんの、あれは、難しいですね。
由良部:うーん、ね、家族構成にもよるしね。あと、一番しんどかったのって何かな、って言うの、「子どもがまだまだ」っていう、手がかかるっていう時期だったからね。まあ、さっきも言ったけど、ね、「私が倒れたら」っていうような思いのほうが強かった。それからやっぱり、子どもが第一だったりして。だから、逆に言うと、それがあったからやりやすかった部分も逆にあるからね。いや、別れて…、別れたから。まあ、僕が言ったんだけどね。「そういう手もありますよ」と。「いや、別れるっていう…」
長谷川:奥さんにですか。
由良部:うん。あとですごい怒られたけどね(笑)。怒られたっていうか、気分をすっごく悪くした、みたいな。「よくそんな、できる…。由良部さんは本当にデリカシーのない人だね」みたいな。
西田:奥さんがですか。
由良部:うん(笑)。
長谷川:でも、一緒に家族旅行、行ったりとかしてたんですよね、由良部さんね。
由良部:まあまあ、そういうことはしてたけど。まあまあ、はっきり言ってデリカシーのない人間やから(笑)。まあまあ。
長谷川:(笑) そっかあ。でもそういうことできるのも、でも、普通のヘルパーではできないですからね。
西田:いや、できないと思う。でもやっぱり30歳代からの、なんか、甲谷さんとのもうお付き合いがあって。その後、甲谷さん、結婚されたんですかね。もう結婚されてたんですか?
由良部:あ、会った時はもう、結婚してた。うん、うん。
西田:でももう、長年のね、付き合いがあるから、言えたりとかもできるし。たぶんそこまで、ずっと居つづけられることもできるのかな。どうなんだろう。それはまた別…、
由良部:ああ。
長谷川:けっこう、由良部さんからの、甲谷さんを見た眼差しとかを聞くと、やっぱ普通の…、普通のというか一般の、たとえばJCILの介助者とか、それから介護保険の介助者とは、ちょっとやっぱ違いますよね。見る眼差しが、全然。なんか、そこはそこでおもしろいから、また別の機会で。あの、「由良部さん祭り」で。
一同:(笑)
長谷川:由良部さんのね、この、前史があるんですよ。そこにいくまでのいろんな、こう、なんていう、
由良部:前史?
長谷川:なんかこう、踊る、ダンスとの出会いとか、
由良部:ああ。
長谷川:ああいうところを聞いて。まあ社会活動も含めてから聞くと、すごくわかってくるところがあると思います。それはまた、それでおもしろいです。
由良部:(笑) まあまあ。まあ、今度、見に来るからね。
長谷川:うん。そうです。
西田:うん。そうなんですよ。そうそうそう。
由良部:「何じゃこりゃー!」って思われるかもしれないけど(笑)。「何じゃこりゃー!」
西田:ありがとうございました。他、何か。大丈夫ですか?
長谷川:うーん…。
由良部:まあ時系列的なことは、もし何かわかんない…、また確かめたいことあったら、また言ってもらってもいいし。まあけっこういろんな資料はあるから。必要であれば、渡せる、かな。うん。
長谷川:うんうん。ユさん、何かありますか?
ユ:今日初めて聞いたので、とりあえず今のとこをちょっと整理して。その中で、ちょっと細かいようなことを聞きたいなと思って。今、聞いたところでは、さっきちょっと気になったのが、家族の関係とかが全然わからなかったから。
由良部:うん。そうだね。だから、ここらへんは、たとえば、けっこうテレビとか新聞とか、やっぱりみんな聞きたくなるとこだけど、公にちょっと言いづらいんですよね。
長谷川:そう、複雑ですよね。
由良部:うん。だから、まあでもねえ、必ず、テレビとか見てると、「え、じゃあ、家族、この人、いないんかなあ」とかになっちゃうわけですけど。うーん。まあでも、そこらへんは、ちょっと語りだすと、ちょっとプライバシーの問題があったりも、
長谷川:介助体制のこととか、もっと、もしかしたら、話したら、「ここが聞いてみたい」とかって出てくると思います。まあ、どう維持してきたのかも含めて。たぶん、その中で、由良部さんの役割もあっただろうし、志賀さんの役割も。さっき「二人でやるっていうのが難しい」っていうの、もちろんそうだろうし。そういうとこは、もっとね、深く聞いていいのかもしれないですね。[02:20:09]
由良部:今はでも、はっきり言って、他の人の介護での話なんか聞くと、たぶん一番楽ですよ、甲谷さんのとこ。
長谷川:楽?
由良部:うん。だって、だってほとんどコミュニケーションしないから。昔やったらこう、「これして」「あれして」みたいなのないから。半分、だってたぶん(笑)、うんまあ、みんな半分、だってパソコンやったり自分の好きな仕事しながら、こう、こういう感じやもん(笑)。だから、家族いないから(笑)。家族、誰からも言われへんし。うん、まあ、散歩するぐらいで。あとは見守って、まあまあずーっとやってるから。まあ、やり方も知ってるし。うん、まあべつに、で、それでなんかすっごい昔…、硬直もないし、すごく落ち着いてるから、やることやったら。うん。たぶん、かなり楽ですよ。今。うん。
長谷川:え、でも、今入ってる人って、その、しんどい時を知ってる人ですか?
由良部:今やってる、介護して、しんどいってことを知ってるのは、まあ、高木さん、仁井さん、大藤さん。白石さんも、ちょっと知ってるのかな。僕と志賀さん、ぐらい。まあ、ほとんど…。あと、今、最近入った、あ、うちで踊りやってる稲垣さんていう、
西田:ああ、稲垣さん。はい。
由良部:えーと、あと、えー、池田さんか。まあ池田さん、ちょっと知ってるかな? うん。
長谷川:ほとんど知ってる、
由良部:ほとんど知ってるかな。
長谷川:知らない人が入るとね、それはそれでまた違うかも。「何をしていいかわかんない」とかね。
由良部:けっこう、だから、みんな長いね。よく続いてるね。
西田:ねえ、すごいですね。長いですね。
由良部:だから逆に言うと、最初の頃は「みんないなくなるかなあ」と思ったけど、「あれ、みんな続いてるなあ」と(笑)。だからまあ、ほんま、ほんま楽になってます。うん、めちゃ楽だと思いますよ。ほかの人って、ほかのとこの家行ったりとか、ねえ。大変じゃないですか。うん。とか、家事とかねえ、せなあかんし。だって、呼吸器してないし。だから今、本当にさっぱりしてますよ。あの、昔は、いっぱいこう、センサーがあり、ナースコールあり、パソコンがあり、吸引があり。もう、吸引ももう、ほとんどないんです。吸引も、もうたまーに、たまーに、自分で全部やるから。
西田:えー、すごいですね。呼吸器も着けてないでしょ。何なんだろう、みたいな(笑)。
由良部:そうそう(笑)。だから、さっぱりして、なんもないんです。だから、あの…。で、呼吸は落ち着いてるし。硬直もほとんどなくなったし。体、けっこうゆるんでるし、ぼーって感じやし。
長谷川:みんな、メイン、違うの持ってるんですか? 介助者でメインとして入ってる人って、いますか?
由良部:メインっていうよりも、
長谷川:あの、何か仕事を持ちつつ、みんな入っていますよね? 自分の、
由良部:いや、仕事を持ちつつやってんのは、
長谷川:ダンサーが第一で。副業じゃないですけど、そんな感じで。
由良部:ああ。副業でやってんのは、副業っていうかまあ、僕の場合は、副業でもないけど、うん、一部って感じやけど。志賀さんも今はほとんど。あ、でも志賀さんはもう、何だろうな、けっこう自由にやってる。そんなに志賀さんも入ってない。たぶん、5、6時間、月に。あ、もうちょっと入ってるか。7、8日ぐらいかなあ。で、白石さんが20日ぐらい入ってて。で、うん。あとはみんな、それをなりわい、基本的にはなりわいにしてるんじゃないかな。うん。まあそれでもけっこう食える。まあ、高木さんも子ども産んで、でもずーっとそれで育休取ってたから。でも復帰して、でもマイペースでやってるし。たぶんめちゃ楽だと思いますよ。他の仕事に比べて、今。「辞めたくない」って、うわさだもん(笑)。
一同:(笑)
長谷川:そうなんだ。雰囲気、全然違いますよね、他の所と。あの、甲谷さんの所って。前の所、時もそうだったけど。やっぱなんか、介助者介助者してないところがあるでしょ。体制っていうか。それは、なんか、他を知ってるとそう思いますよね。
西田:うん。うん。やっぱアーティストが多いから、
由良部:うーん、それもあるっていうかもしれないけど。やっぱり、うーん、そこで独立しちゃてるからね。誰に言われるわけでもないからね。あとは、甲谷さんとその人の関係で。で、まあ、うん。[02:25:10]
西田:すごい、パーソナル…。「ザ・パーソナル・アシスタント」みたいな(笑)。
由良部:そうそうそう。
長谷川:うーん。なんか、おもしろいですよね。なんか、本当に、ちょっとした家族に近い感じ、しますね。おもしろい。
由良部:だから最初の、そうね、2、3年はかなり大変だった時期あったけど。どんどんどんどん、「こんな楽でいいのかなあ」みたいになってきてるわ、最近。うん。楽というか、うん、そうだね。うんうん。ちょっと、仕事という感じじゃなくなってきてるかもしんない(笑)。うん。
西田:その、大変やった時っていうのは、コールを押すんですか? ブザーを、
由良部:とにかくすべてが大変…、つまり、ずーっと、何かをずーっとやってないと、
西田:それは、どう、伝えていくんですか? そういう「やってくれ」っていうのは。難しかったでしょう、もう。
由良部:ああ、だから、コミュニケーション難しかったんだけど、たとえば、
西田:目とか。
由良部:まず、体交は、まあ、要るんですよ、体交、
西田:サインがあるんですか。
由良部:なんかこう、ビーンとやって、「ブー」ってやって。こういう、体交なら体交【というように出てて】(02:26:27)。ビーンと。で、
西田:タッチセンサーを。
由良部:そうそう。ナースコールも鳴るし。で、こう、介護する。で、「もうちょっと上」「もうちょっと下」。それ延々とやるの。
西田:「上」「下」っていうのは、文字盤で? その時は。
由良部:うーんと、まあその時に言う時もあったし、もう、何か表情で、こう、やる時もあるし。
西田:表情で。「あ、上ですか?」みたいな。
由良部:うん、あったし。で、絶えず何かをしてないと。ずーっと見守ってないと。夜中もなんか、ずっとブーブーブーブー鳴ってるみたいな感じで(笑)。まあそれは大変やったと思いますよ。うん。だから、うん。そういうね、こう、1回本当に、逆に、自分の体の中にスーッと降りてしまって。うん。
西田:また何か、途中で、わからないこととかあったら、
由良部:うんうん。いつでも、来てください。
西田:ありがとうございました。
由良部:お役に立てたでしょうか。
西田:いやー、もう、
長谷川:めっちゃ。うん。
西田:助かりました、と思いますです(笑)。
由良部:(笑) 確かにね、
ユ:資料、写真に撮ってもいいですか?
由良部:あ、これね。
長谷川:一応これ、由良部さん、テープ起こしして、由良部さんにテープ起こししたのフィードバックして、「ここ消して」とか、そういうのあったりとか、
由良部:ああ。これでも、何にするの? 何か、
長谷川:まだ使い道としては、具体的には、どうこれを使うかってのは決まってなないんですけど、とにかく10年をまとめるっていうことで。まあユさんの研究に使ったり。そん時はまた何かに使うってことで、ちゃんと言いますけど。でもとにかくこのインタビュー自体は、公開はしたいなっていう話はしていて。もしかしたら来年、研究費で、1冊の本にするようなかたちで公開するとか、ウェブで公開するとかっていうのは、なんかしたいなと思っていて。なので、もし由良部さんがよかったら、ですけども、もちろん了承を得たうえで公開をしようかな、と思っていて。
とりあえずはテープ起こしをして、なんかあまりよくないところはちゃんと消して、出す、かたちかな。
由良部:はい、はい。
桐原:あれだよな。ALS-Dが学生がちゃんと手伝わなかった、ってこととか、
一同:(笑)
桐原:あと、あれやんな。ココペリから独立してる***(02:29:19)とか。
長谷川:あ、それはいいって。それはみんな言ってるよ。独立っていうの、ここはもう、そういうかたちで始まってるから。
桐原:それはいいの?
由良部:あとはまあ、家族のことやね。
長谷川:家族のこととかは、ちょっと。あまり出してないですもんね。詳しいこと、出してないので。そういうとこは削って。でも何が起こってたのかはわかるかたちで。
由良部:まあある程度は…、そうだね。まったく出さないのも不自然だな、とは思うんですよ。語り方かな。
長谷川:そうですね。でもまあ、由良部さんに確認してもらって。
西田:もし修正とか必要やったら、家族の方のところとか、ちょっと、
長谷川:まあただ、公開できるかたちにはしときたいなというかたちで。
テープ起こししてもらって。で読んで、由良部さんに読んでもらって、こう、やり取りして、みたいなかたちで、進めようかな。うん。そうしましょう。
[音声終了]