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相模原殺傷事件判決を機に・3

立岩 真也 取材:宮城 良平 2020/03/23- 共同通信配信,『秋田さきがけ』2020-03-23,他
立岩 真也7.26障害者殺傷事件


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 ※『秋田さきがけ』の見出し:「存在に理由はいらない」
 ※『産経新聞』の見出し:「「内なる優生」で済ますな」

 ※この時の取材の録音記録を当方で文字化してもらいました。それを以下の本に使おうと思っています。
◇立岩 真也 2020 『(本・2)』,岩波新書

 ※必要性はあるだろうと考え、手をいれさせていただいたもの等掲載することにしました。
 ※救命ボート問題→感染症→新型コロナウイルス〜トリアージ
 ※無駄な危機感について→別に文章を用意します。とりあえず一つ:生活保護を普通に(今よりずっと容易に、すぐに)とれるようにすること。
 ※別の文章の一つ:↓
◆立岩 真也 2020/04/08- 「だいじょうぶ、あまっている・1」


■手をいれたもの(2020.3.17)
 相模原の障害者施設殺傷事件で、植松聖被告(30)は犯行動機を「意思疎通のできない人の安楽死」と言う。だが本人の意思に関係なく死なせるのは、安楽死ではなく殺人です。当たり前のことであり、被告の言動には興味がありません。
 ただ被告が語る「このままでは社会が持たない」という危機感については、我々の社会に色濃く広まっている。私は無駄な危機感だと考えます。
 例えば心配されている一つは、人手不足。確かに労働力が減れば、人類に必要な消費物が生産できなくなる可能性はある。一方、高齢でも働ける人が増えている。定年後も働きたい人、さらに働きたい女性が十分に働けるようにしたら良い。一つ一つ事実を積み上げて考えるべきです。
 極限状況で、船から誰かを降ろさないと全員が沈む場合、誰から降ろすべきかという生命倫理学の救命ボート問題の問いがある。論理的に局所的にそういうケースは生じ得ます。だが、この社会は本当にそんな状況なのか。事実をみていけば、そうでないと分かる。稀に起こる危機も減らせるし、乗り越えられる。不要な危機感を抱く必要はまったくないのです。
 事件では、優生思想が話題になりました。誰にでもある、逃れがたい「内なる優生思想」とも。その通りですが、気持ちの問題で話が終わりがちです。私は、施設にいる障害者が地域で暮らすための支援に関わっていますが、現実にできることはたくさんあります。
 また被告への反論として「障害者は明るく元気に生きている」といったことが言われます。多くは事実だし意味もありますが、被告は「違う人もいる」というだけでしょう。それに、明るくも元気でもない障害者は、かえってしんどくもなる。
 命の価値を線引きし、否定された時、何か別の良いものを持っていないとだめなのか。障害者運動の一部の人たちは「とにかく殺すな」「自分たちのことを勝手に決めるな」と言いました。存在することに理由などいらない、と。この原理主義は、正しいと思う。
 障害者運動には、原理原則を大切にしながら、現実にお金や制度を獲得してきた歴史がある。二つの間で悩みながら進んだ彼らの歩みを精錬すれば、道筋は見えると信じています。
   ×   ×
 たていわ・しんや 1960年、新潟県生まれ。立命館大教授・同大学生存学研究所長。
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■送っていただいたもの(2020.3.16)
 相模原の障害者施設殺傷事件で、植松聖被告(30)は犯行動機を「意思疎通のできない人の安楽死」と言う。だが本人の意思に関係なく死なせるのは、安楽死ではなく殺人です。当たり前のことであり、被告の言動には興味がありません。
 ただ被告が語る「このままでは社会が持たない」という危機感については、我々の社会に色濃く広まっている。私は無駄な危機感だと考えます。
 例えば心配されている一つは、人手不足。確かに労働力が減れば、人類に必要な消費物が生産できなくなる可能性はある。一方、高齢でも働ける人が増えている。定年後も働きたい人、さらに働きたい女性が十分に働けるようにしたら良い。一つ一つ事実を積み上げて考えるべきです。
 極限状況で、船から誰かを降ろさないと全員が沈む場合、誰から降ろすべきかという生命倫理学の救命ボート問題の問いがある。論理的に局所的にそういうケースは生じ得ます。だが、この社会は本当にそんな状況なのか。人手不足のように事実を積み上げれば、そうでないと分かる。殺す理由はありません。
 事件では、優生思想が話題になりました。誰にでもある、逃れがたい「内なる優生思想」とも。その通りですが、気持ちの問題で話が終わりがちです。私は、施設にいる障害者が地域で暮らすための支援をしていますが、現実にできることはたくさんあります。
 また被告への反論として「障害者は明るく元気に生きている」といった報道などがあります。事実だし意味もありますが、被告は「違う人もいる」というだけでしょう。それに、明るくも元気でもない障害者は、かえってしんどくもなる。
 命の価値を線引きし、否定された時、何か別の良いものを持っていないとだめなのか。障害者運動の一部の人たちは「とにかく殺すな」「自分たちのことを勝手に決めるな」と言いました。存在することに理由などいらない、と。ある種の原理主義で、正しいと思う。
 障害者運動には、原理原則を大切にする一方、現実にお金や制度を獲得してきた歴史がある。二つの間で悩みながら進んだ彼らの歩みを精錬すれば、道筋は見えると信じています。
   ×   ×
 たていわ・しんや 1960年、新潟県生まれ。立命館大教授・生存学研究所長。
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■紹介

◆2020/04/11 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1248786880864215043
 「共同通信が配信した宮城良平さんの記事です→http://www.arsvi.com/ts/20200004.htm ※無駄な危機感について→別に文章を用意します。その一つ→立岩真也「だいじょうぶ、あまっている・1」→http://www.arsvi.com/ts/20200021.htm
 ▽立命館大学生存学研究所@ritsumei_arsvi
 「当研究所所長の立岩真也・先端総合学術研究科教授 http://www.arsvi.com/ts/0.htm のインタビューが「産経新聞」に掲載されました。 「「このままでは社会が持たない」という危機感は、われわれの社会に色濃く広まっている。私は無駄な危機感だと考えます。」 https://sankei.com/region/news/2004… @ShinyaTateiwa」


UP:2020 REV:20200622
7.26障害者殺傷事件  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築 
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