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へんな穴に落ちない

新書のための連載・13

立岩 真也 202007 『eS』21
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 この文章は今年夏には**新書の一冊として出したいと思っているの一部の部分として準備中のものです。
 ここにおいた註と文献表は、新書では大幅に減らされます。紙の新書をご購入いただいた方に有料で提供する電子書籍版には収録しようと思います。

◆立岩 真也 2020 『介助為す介助得る』,岩波新書

◆立岩 真也 2020/05/11 「新型コロナウィルスの時に『介助する仕事』(仮題)を出す――新書のための連載・1」,『eS』009
◆立岩 真也 2020/05/18 「新書のための連載・2」,『eS』010
◆立岩 真也 2020/05/25 「新書のための連載・3」,『eS』011
◆立岩 真也 2020/06/01 「新書のための連載・4」,『eS』012
◆立岩 真也 2020/06/08 「新書のための連載・5」,『eS』013
◆立岩 真也 2020/06/15 「新書のための連載・6」,『eS』014
◆立岩 真也 2020/06/21 「新書のための連載・7」,『eS』015
◆立岩 真也 2020/06/28 「新書のための連載・8」,『eS』016
◆立岩 真也 2020/07/06 「新書のための連載・9」,『eS』017
◆立岩 真也 2020/07/13 「新書のための連載・10」,『eS』018
◆立岩 真也 2020/07/20 「新書のための連載・11」,『eS』019
◆立岩 真也 2020/07/24 「新書のための連載・12」,『eS』020
◇立岩 真也 2020/07/27 「新書のための連載・13」,『eS』021
◆立岩 真也 2020/08/03 「新書のための連載・14」,『eS』022


■■以下草稿

 介助のこと、に限らないのですが、大きく二つの方向があります。「自己決定主義」の方向と「関係大切主義」の方向です。私自身は、この二つ、二つの間の対立がそんなに深刻な、そして本質的な対立であるとは思っていません。そして議論は終わっていると思っています。それでもまだ、言っているのはしょうしょう不思議です。ですが、いちおう確認しておきます。
 まず、自分が自分のことを決めるのは基本的にはまちがっていない、しかし、それをまじめに、というか間違って信じすぎるとよくない。そのことを言います。
 自己決定主義が最もはっきり書かれているのは、中西正二と上野千鶴子の岩波新書『当事者主権』(中西・上野[2003])かもしれません。中西は、第◇章で紹介したJIL(全国自立生活センター協議会)などで活動してきた人です。私は、その本のための著者たちと編集者との最初の打ち合わせに立ち会ったことがあります★01。そして本の紹介を頼まれて、著者の一人である中西について「強烈に肯定的なトーンにくらくらする人がいるかもしれない」が、しかしそれだけのことをやってきたと私は思う」と書いたりしました((立岩[20040201]))★02。ただそのすっきりはっきりした本は、なんでも自分で決めるのが(他人に指図するのが)よい、それが自立だ、的に読まれうるのかもしれません。そこで、実際にはそのようにはやっていけない、とか、それがよいと言い切れるか、的な話が延々と続いてきました。だいぶその本に書いてあることとは話の文脈の異なる「介護者手足論」といった言葉もそこに混ぜられました。私はこの種の議論については言うべきことははっきりしていると考えてきたし、そんなことより別のことを調べたり考えたりしたらよいのにと思ってきました。それでも、整理はしておく必要はあろうと思うから、少し言います。
 まず、「自己決定主義」には十分ないわく因縁があります。その人自身が自分に関わることを決めた方がよい理由は簡単です。一つ、多くの場合、自分にとってよいことは自分が知っているからであり、一つ、他人に委ねると他人が勝手なことをするからです。自分の生活が他人の心情やら都合やらに左右されてしまって困ってきた。それでは困るから、自分で決めるから言われたとおりにしてくれ、ということです。それで、あくまでも主体は自分であると主張し、介助というのは言われたとおりにさせることであり、介助者は言われたとおりにすることだということになります。
 だからちゃんと理由はあるのですが、しかしこのことは、いつも一つ一つを指図するのがよいことだということにはなりません。あらゆることを本人が決めねばいけないかというと、そんなことはないに決まっています。一つ、決めて指図するのは面倒です。まず、いちいち決めるのは面倒です。私たちは、多くの場合に意識することなくいろいろな動作をしています。これから行なうこと、今行なっていることをいちいち意識しなけれはならなかったら、かえってうまくいかないということもあります。次に、それを他人に伝えるのにかかるコストがあります。つまり、いちいち意識の回路に乗せて、言語化して、他人に指示するのは、本人にとっては負担で、そしてそのコストが他の人よりも余計にかかる人もいます。なのにいちいち考えて指図せねばならないとしたら、それは面倒だという場合はあります。すると、自分でいちいち指示しなくとも、自分のよいようにことが運べば問題はないということになります。
 そしてもう一つ、自分が自分のことをいつも決めねばならない、自らを自らが統御せねばならないと思う必要もありません。それがよいというきまりはありません。「よきにはからえ」ということがあってわるいわけではありません。自分のことを自分でしなくてすむというのが最高に贅沢ということもあります。だから、ぜんぜんよいことではないのです。なのに、なんでも自分が決めるのがよい、決めるべきだと、ま正直に受け取ってしまう人がいます。それはかえってよくないということです。手を抜くことができ、それが問題が生じないのであれば、問題はない、さらにその方がよいこともあるということです。
 ただ、そうして面倒だからとほっておくと、だんだんと委ねていくと、いつのまにかいいようにされていること、他人に都合のよいようにされてしまうことがあります。そういう歴史があります。歴史というだけでなく、今でもいくらでも起こっているし、これからも起こるでしょう。だからそのことには気をつける必要はあります。わざわざ「自立生活プログラム」といったものを行ない、自分で決めて指図することを叩き込むことの意義はやはりあるわけです。人にまかせてしまうと勝手なことをさせる。そして何が自分によってよいかは自分がわかる。だから決める。
 ただ、いちいち指図するのは面倒だ。だからうまくいっているならさぼるのもよい。しかしそうして油断していると好きなようにされることがある。気をつけよう。それだけのことです。この構図をわかっておくことです。難しいことではありません。


 もう一つ、その人によってのよしあしとは別に、その人が決めること自体によってそのことが大切にされねばならないという捉え方もあります。その人の意志、決定、その実行は、その人における大きな部分ではあるでしょう。とすると、その人を尊重するなら、その人の決定を尊重しようということになります。はたから見ると、そのようにその人で決めて行動したらかえってその人は損するんではないかと思うところはあるけれども、それでもその人がそうするというのであれば認めようということがあります。
 しかし、その人の決定は、当たり前のことですが、その人が生まれ暮らしてきた社会にある価値観やら、お金があるとかないとか様々の事情によって左右されます。こういう場合にはこういうふうに決めるのが当然だとか、かっこいいとされているということがその人の決めることに関わっています。
 だからといって、その人の決定は「その人の本当の自己決定」ではないから無視していいといったことにはなりません。というのも、ほとんどの決定はそんな性格のものですから、全部無視・否定してしまえということになってしまうからです。
 ただ、そのうえで言えることが二つはあるでしょう。一つは、その人の決定をその人に固有のものとして至上のものであり不可侵のものであるとまで持ち上げることはないということです。一つは、その人が決めたというその中身が、その人を大切にするというその価値に反するときには、それはそのまま受け入れる必要はないということです。
 そうすると、その人の決定がその人を傷つけ破壊するような場合には、その人がこう決めたということを押しとどめることも認められてよいということになります。さきに紹介した、とてもはっきりすっきりした自己決定主義者である中西であっても、安楽死・尊厳死を社会的に認めることにははっきりと反対しています。ものを単純に考えすぎる人はそこに矛盾があると思うかもしれません。しかし、じつはそこに矛盾はないということです。そのことをこれまで幾度も述べてきました★03

言われた通りに
 こんどは介助する側です。その仕事は、たいへん気を使ったり工夫を要する仕事であることもあります。しかしときにはそれを必要としない、あるいはそれを意識的に抑えるべきこともあります。この仕事には二つの性格がある、両極の間にいろいな度合いのものがある。もともとそういう仕事です。
 ただその仕事をする人たち、というか、そういう人たちの関係の学会とかで学界・業界を代表していると思っている人たちは、自分たちの価値が低くされ待遇がよくなく、それを向上させたいと考えていて、たいへんな高度な仕事てあり、専門性を有する仕事だと言います。専門性にはいろいろな定義がありますが、「自律性」、つまり仕事の中身を(相手=利用者ではなく)自分たちが決められるいうのもその一つの要素ではあります。それはわからないではありません。そんな部分もあることはあります。しかし、それはときに、一番大切にしていること、そして毎日実際にやっていることを低めてしまうことになるとさえ思います★04
 それは看護職の人たちが「看護の専門性」を言う時に、すこし力が入りすぎることがあるのと同じです。その業界の先祖としてはナイチンゲールという人がいて、私は、あの人はよいことを言っていると思います。「療養上の世話」が仕事だというのは法律でもそうなっています。もう一つ、「診療の補助」の部分について、「補助」でなく自分たちでやれることを増やすことで専門性を高めようとします。実際、医師に指図されずできるようになる仕事ってたくさんあると思いますから、その主張はもっともな主張ではあります。ただ、そういう力点の置き方をすると、明らかに大切である「療養上の世話」のほうはどうなんだということになります。
 同様のことが介助についても言えます。人に言われた通りにする仕事が、だめな仕事だとはすこしもなりません。必要なものは必要なのであり、その必要な仕事をするのはよいことであるにきまっています。なにか「創造する」仕事を本来の労働であるとして、そういう労働をまつりあげるという習慣がたしかにある時代から一部の地域にあって、それが世界に広まっている感じはします。しかしそのまねをする必要はありません。世の中に「クリエイティブ」な人ばかりいたらうるさくて仕方がないのです。「私が私が」と強調することが、すくなくとも表向きには恥ずかしいことになっていることは、そんなに介助の仕事を低くはみないことに関係しているかもしれず、それはよい習慣だと思います。
 私は、頭にせよ身体にせよ、より疲れる仕事には加算があってよいという立場です。リスクがあり、責任が重い、気が重いといった場合、また難しくてできるようになるまでに手間がかかる仕事の場合には加算があってよいと思います。そういう意味では、この仕事の「ある部分」については、加算はないことはあるでしょう。ただその「基本給」をきちんとした水準にもっていく。

しかし身体が接するので
 基本、介助がいる人が介助する人に指示する、介助する人は基本指示されたことをする。たんたんと機械のように、でよいとして、しかしここでは実際に行なうのは人間です。しかしそれに徹することはできない、すべきでないという場合もあります。
 それは体に触れる行ないです。誰でも知っていることです。そこには羞恥があることもあります。私の知人で、第□章で紹介した安積遊歩(□頁)は、トイレのドアをあけてままだって私は気にしない、気にしていらなれないと言いますが、第□章で紹介した三井絹子(□頁)は、府中療育センターで婦長さんに気にしなければいいと看護婦長に言われて、と言いました★05。私はどちらももっともだと思います。では、どちらももっとだとした場合に、どうするか。基本的には人には羞恥心がある、あることを前提にして対応するのがよいだろうということです。そのうえで、なかには気にならないということであれば、それを認めるということでよいと思います。人と人の関係である限り、間の距離をとるとか、無理な要求を聞く必要はないということです。
 もちろん、それがそうそう簡単にはいかないというのがこの世界で起こることですよ。身体に関するできごとを書いた本もあります★06。それを読んでも、意外になんとかはなるものだということと、だからといって気にするなというのは乱暴だということ、やはりそういうふうに言うしかない、その間でやっていくしかないということです。
 ですからやっかいごとはいつまでもなくなりませんが、どうにもならないわけではない。そして人と人が関わるということは、もちろん、やっかいなことだけを生じさせるわけではありません。もう一つ、当たり前のことですが、もちろん、介助者はその相手と、既に友人であってもよいし、その仕事をきっかけに友人になってもよいにきまっています。どちらかがそういう関心がない場合、きちんと仕事をしてももらうことを優先するというのであれば、それはそうした方がよいでしょう。しかし、両立はするならそれでよいわけです。友人なりなんなりは別の場で得ればよいというのが中西の主張で、もちろんそれももっともですが★07、いっしょだってかまわない。だから、まずはどちらでもかまわないということになります。それだけのことです★08
 だから、問題はこのことではありません。仲のよい人間関係があることには全然問題ではなく、そのような「人間関係を築けなければ介助者を得られないというのはおかしい」ということです。魅力を要するということで、そんな人間に自分がならなければならない。そういう人間になることはよいことでしょうけれど、介助が必要だからといって余計にそうならねばならないというのはおかしい。なろうとしなければならないし、なれないこともあるだろうし、なれないならそういう人間であるふりをしなければならないということになってしまいます。それはよくない。平凡な人間であっても、さらに、いやな人間であっても、介助は得られるべきであって、それが得るときの必要条件になるというのはよくないということです。

手足論
 ごく一部で知られているだけの話ではありますが、「介助者手足論」というのがあり、わりあいわかりやすく論じられやすいからでしょうか、そしてまた介助したり、使ったりという生活のなかではいくらかリアルな部分があるということもあるでしょう。そんなわけで、いくらかの人がこのことについて書いていたりします。健常者は障害者の「手足」であるべきだと主張されたことがあるという話から始まって、さきほど書いた、そうもいかないよねという話が入ってくるという仕掛けの論が多いです。
 しかし、一つ、それはしばらく考えればわかることです。決めて、それを実現するための手段として、他人の身体を使う。働く者はそれを受けて、そのように働く。基本はそれでよいとしました。そのうえで、危害を加えないとか、双方の羞恥心に気を遣うことです。手足になるきることはできないし、少なくともそれに徹しなければならないとは限らない。本人のことを斟酌したり先回りしたりするほうがよいこともある。そして、手段として動きかながら、仲良くなってもよい。ただ、仲良くならないと仕事をしてもらえないというのはよくない。そういうことです。今まで書いたことです。他に調査したり考えられたりするべきことが山ほどあるのに、それは放っといて、このことばかり取沙汰されるのはいかがなものかと思います★09
 そしてこの主張は、誤解されているところがあります。それは、日常の生活の行動についての主義主張というより、社会運動を誰が主導するかに関わるものでした。この件でなかなかかいへんなことになったのは関西なんですが、そこの介助の現場では、その実際の関係は濃すぎるぐらいに濃いものであったり、指図はごくごくおおざっぱなものであったりしました。そんなことを気にしてどうこうということではなかったのです。ただ自分たちの主張が、支援する人たちによって左右されたりしたくないということでした。多くの障害者が学校にも行けず行かずという時期でもあり、弁が立つという人はあまりない。そして、運動の進んでいくと、特段の努力をせず知識なくなんとなく自立する人たちが出てくる。他方、学生運動あがり、学生運動くずれの健常者が介助者であるとともに運動の支援者であるということがありました。またその運動の一環として関わる人たちがいました。おもに脳性まひの本人たちがあまりのんびりなのに苛立ち、いくらか先走ったりさらに仕切ってしまったりすることがあったのです。それを止めようとしたのが「手足論」ということになります。そして、運動はあくまで本人が中心にやっていくのだということになります。
 それは絶対の原則かと問われれば、私にはためらうところがあります。批判することの方が簡単かもしれません。障害者同士とか言っても、障害の種別によってだいぶ違うではないか、身体障害の人が知的障害の人に関わるほうが、健常者が知的障害者に関わるのよりいつもよいと言えるか、とかです。「いつもか?」と問われればいつもではないでしょう。ですが、やはり、基本的には、本人たちの主張そして本人たちの運動が尊重されるべきものだとは思います。そして、その運動でも実際には本人でない人にも意見を求めてはきました。そして、ちゃんと考えていけば、やはり基本的には、ですが、見いだされる方向や戦術が異なることにはならないはずです。そのことは前に紹介した福島での障害者運動の歴史についての本『往き還り繋ぐ』(青木他[2019])でも書きました。そしてやはり、また別の新書に書こうと思います★10

「関係大事主義」
 「ケア」を言いたい人は、関係を大事にして、だから、制度だとか、お金だとか、事業所だとかいうものを好まないということがあるようです。私は、そちら側の人間ではあまりないのですが、そう言いたい気分はわからないではありません。詳しくは次の本で書きますが簡単に言っておきます。
 「ケア倫理学」といったものがあり、そこで言われることは、まあまあもっともです。それは、これまでの倫理学が「独立」した人間を前提しているのに対して、むしろ人間は「独立」した存在ではなくて、「依存」する存在なのだといったことを言います。また道徳といったものは、天から降ってくるようなものではなく、人と人の具体的な関係において育まれていくものなのだといったことを言います。それはそうなんでしょう。そして私たちのいくらかはこういう話が好きです。ほろりとしたりするのです。そんなこともあって、すこし流行りました。
 まったくわからないということでもありません。そのうえで言っておくことは一つです。個別の具体的な関係というものを、あまり重く大きくみることはないだろうということです。
 誰かのことが好きになって、それでがんばろうということはあるし、あってもよいのでしょう。さらにそんなに幸福なことばかりが起こるとも限りません。ケア倫理系の人たちは幸福な人たちが多いので、そうでもないでしょうが、「ぬきさしならない」ところになにか輝きのようなものを見出す人もいます。こういう「ずぶずぶ」の話も、私たちはじつはかなりすきです。出会い、逃れられない関係になって、そこで初めて何かが見いだされるといった話です。
 ただ、まず一つ、濃いところ、近いところから、具体的な人間に出会ってそこから、という契機をあまり大きく見る必要はないのだろうと思います。どういうことか。
 例えば、2016年に相模原市の施設での大量殺傷事件がありました。そんな行ないはよくないことを言うために、この人は、つまりこの障害者はこんなにちゃんと生きている、ということを例えば親が語る。新聞が記事にし、テレビが画像に映すといったことがありました。立派に美しく生きている人たちがたくさんいることは事実ですから、もちろん、それを示してはならないということはないです。しかし、人の生命の尊厳を訴えるときに、そういうものをもってくること、それをわりとするっと受け入れてしまうことに、いらっとすることがあります★11。テレビは画像を出さねばならない。だから、人を出し顔を出しというのは仕方がなくはあるのでしょう。近いところから、だんだんと知るということも大切であるかもしれません。けれども、そんなことがあってもなくても、だめなのものはだめだ、大切なものは大切だとした方がよいということがあると思います。
 これはさっき述べた、うまく関係を作れることが介助者を得られる条件になるのはおかしいと述べたことと関係しています。こってりあった方が説得力があるということはたしかにあるでしょうが、「盛ってるな」と思われて、かえって引かれてしまうこともあります。人間や人間関係の具体的なところとは別に、天から降ってきたものであるかのように道徳や倫理を語ることにも道理があるということです。
 そしてもう一つ、現実を平凡で退屈な方向にもっていこうとしても、結局のところ、私たちはままならない身体をもって、思い通りにならない生を生きるのですから、摩擦は生じる、減らしていったって十分に残っている、波乱万丈は起こってしまうと思うのです。
 どうもこのごろ普通の事業所になってしまって、という嘆きはわからないではないですが、しかしそこには実は、毎日、様々の事件が起こっています。そのことは、そこで働いたり、働いてもらっている人たちが本当は一番よくわかっていることのはずだ。とくにつらくこともなく、たんたんとことが運ぶ場合もありますが、実際、なんでこんなにこじれるのかわからないほど面倒なことが起こることもあります。あまりそんなことが起こらないようにした方がよい、と私は思います。どのようにしてもやっかいごとからは抜けられないのたから、問題のないように基本的にはしておけばよい、それでも必ず現れてくる不如意な部分で、そういうことを楽しみたい人は楽しめばよいと思います。
 だから、まずはおおむね波瀾が起こりにくいものとして仕組みが確保されることはよいことだと、そのうえでも、いくらでも波風は立ち、その中には私たちが楽しめるものもある。だから、その方向で問題はないというのが答になります★12


 関係して、「近頃の人たち」は制度の上に安住しておってけしからん、といったことを言う人たちがいます。自分たちはこんなに苦労してきたのに、と言うのです。言いたい気持ちはわかりますが、基本的には間違っている、と敬老の精神に欠けた言葉を返すことになります。理由は簡単で、苦労したりせずに得られるべきものが得られるということはよいことだからです。ですから、その不平不満は年寄りの小言にすぎないといったんは冷たく言い放ってもよいのです。ただそれだけでもないです。
 一つ、残念ながら、安住できるような状態ではないということです。暮らせるようになってしまうと、満足してしまうということはあるでしょう。そしてそれ自体はなにも悪くないと言いました。しかし、足りない。具体的には介助者がいないので、いるはずなのに、そこに金をきちんと使わないためには、暮らせないということが起こっている。それをどうにかすることは、残念ながらなかなかたいへんなことであって、現状にあぐらをかいているどころの話ではないのです。
 とすると、その状態を動かすための行動・活動に加わってもらう必要があるということです。私は残念なことだと思いますが、行動するべきことはずっとあるし、これからも続きます。それでも、どうしても気がすすまないという人に無理やり参加してもらったらかえって盛り上がらないということにもなりますから、その人には抜けてもらってよい。全員である必要はないでしょう。しかしたくさんの人にわかってもらいたいし、そのためにこの本も書いているし、さらに、行動を、ということです。
 そして、一つ、それは苦労ばかりのいやなこととも限らないということです。このSNS社会だから、人々はひそひそと暴言を吐くことには慣れていたりしますが、それよりも、正面からものを言っていくほうが気持ちがよいということがあります。まっとうなことを言うのは、またまっとうなことを通すためにいろいろと考えたり、工夫したりすることは、一方では、面倒なことで、よけいな負担・仕事でもありますが、他方では楽しいことでもあります。
 だから、「ものとり」と批判されることがあるけれども、ものをとることが大切で大変なことであって、仕方なくともそれを追求していくないだろう、となります。けれども、批判になにかもっともに思えるところがあるとしたらそれはなぜでしょう。
 もっと大切なことがあるという感覚があります。それはまったくもっともです。たかが介助です。もっと大切なものための条件を求めているだけのことであって、ここには何の対立もありません。なにか問題が起こるとすれば、「ものを得て、魂を売った」的なことが起こる場合です。
 では魂の部分とは何か。大雑把に言うとそれは「優生思想反対」といったものでした。では優生思想に反対することと「ものをとる」ことは別のことなのか。そんなことはありません。必要なものがないと、人を殺したくなったり自分が死にたくなったりします。そのようにして優生思想は実現します。だから両方を求めることは一つのことです。たしかに、人手が足りないというのは社会運動の常なので、なかなか二つともはたいへんです。ただ私が脇にいてみてきたところでは、もう長く、二つは一緒に求められてきました。
 さらに、「交渉の材料にされる」「とりこまれる」という話があります。その可能性はなくはない。そしてたしかにこれはときには難しい。しかし、だからといって、あきらめるということにはなりません。とすると、仕方がない、利口になるしかないし、両方を求めて、片方を交渉材料にされないような体制・社会を求めようと言うしかありません。それは不可能ではないと私は思っています。例えば、「世話=介助が必要な人の数を減らそうと、それと引き換えに、生きている人については生活をよくします」といったことを政治が言う、というのはありえなくはないです。しかし、その話のもとは、つまりは介助がいる人間を少なくしていこうとということなわけでから、そういう話には乗らないことにするということになります。

 「どんじりを抹殺したところで次から次へとどんじりは出来て来て、それはこの世に人間がたった一人になるまで続くでしょう。私は、私自身を「不良な者」として抹殺したあとに、たとえどんなに「すばらしい社会」ができたとしても、それは消された私にとって知ったことではありません。」(横塚[1975:108→1984110→2007])★13

 ひさしぶりに読んだこの文章、辻褄があってるような、ないような、けれどもあってますよね。一番困った人たちだけを除外しようとして、除外する。そうすると次の一番困った人たちが出てきて、止まらず、それも除外する。そうして…、という話ですよね。だから、そういう話には乗らない。その方がよいということです。そのことは少し考えればわかります。
 だから、基本的に迷うことはない、そういうふうに自分たちの位置を定めればだいじょうだということです。

■註
※この註はさらに整理・拡張されて以下の本の「電子書籍版」に収録されます。オンラインの状態では、HPの数多くの頁にリンクされます。予約歓迎します。
◇立岩 真也 2020 『(本・1)』,岩波新書

★01 周辺的なことを一つ記しておく。「当事者」という言葉について。すっかり業界ではこの言葉が定着した。「障害者」と言わず、「障害当事者」などと言う。
 私自身は当事者という言葉をほとんど使わない。理由は単純で、この言葉には幅があって、「こと(事)にあ(当)たる人」ということであれば、例えば家族も含まれることになる。実際にそのように使われることも多くある。本人だけと家族を含む場合と、ときに違いは大きい。それが混同されないように、私は「本人」でよいと思うので、そのように記してきた。
 しかしそれは、誤解・混同がないのであれば当事者という言葉を使うのはかまわないということでもある。「障害当事者」という言葉を使う人たちはけっして「関係者」を含めてはいない。このことをわかってさえいれば、使うおに反対しない。そしてなんとはなしにネガティブな感じがする「障害者」という言葉よりも(よりは)よい――「障害に面している人」という感じもでる――という受け止め方があるのだろうと思う。
 ただ私自身は長く使ってこなかった。しかし上野千鶴子によると「当事者主権」という言葉を(社会学者が?)使ったのは私が最初だという。まちがいだろうと思って調べてみたら見つかった。
 『生の技法』は1990年に初版が、第2版(増補改訂版)が1995年、そして第3版が2012年に出ている(安積他[1990]◇[1995]◇[2012]◇)。私の書きもので「当事者」という言葉がかなりたくさん出てくるのは、初版の第8章「接続の技法――介助する人をどこに置くか」(立岩[19901025]◇)。この章は1995年の第2版(増補改訂版)では「私が決め、社会が支える、のを当事者が支える――介助システム論」という章(立岩[19950515]◇)に置き換えられており――そこで1990年の章の方は全文をHPに掲載した――、そこには以下のようなくだりがある。
 「介助者の選定や介助内容に関わる決定を誰が行うか[…]。その者が誰であるべきかは明らかだ。介助を受ける当人である。これまで、特に医療、福祉の領域では、行政の担当者、施設の職員、専門家達が主導権を握ってきた。だが、自らの暮らし方は自分で決めてよいはずだ。彼らは生活の自律性を獲得しようとする。自らのこと、自らの生活のことは自らが一番よく知っている。こうして、提供(資源供給)側の支配に抗し、当事者主権を主張する。」(立岩[19950515:229→2012:356])
 また第2版で新たに加えられた第9章「自立生活センターの挑戦」には次のようにある。
 「むろんこれまで見たように、地域での生活と当事者主権という理念は既に獲得されていた。それはCILだけの特徴ではない。そして過去・現在のあらゆる当事者組織が当事者の必要に応えようと活動している。だがこれまで、介助等のいわゆる福祉サービスについては、与える側の組織があって、受け手はそこから切り離されてきた。これは行政だけでなく、ボランティア団体にしても同じである。この当事者の側に渡されず受け手としてしか現れてこなかった部分に当事者が入りこみ、その活動を担おうとする。このことをはっきりと打ち出したのはCILである。」(立岩[19950515:270→2012:417]◇)
 そして、この時期=おおむね1990年代の書きものをながめなおすと「当事者」という言葉がずいぶん出てくる。当時すでに私が知っていたかなり限られた業界ではこの言葉は一般的な語となっており、私もそれを一時期使っていたということのようだ。
 その上野と中西正二が書いて岩波新書として出た『当事者主権』という本(中西・上野[2003]◇)があって、それはだいぶ売れたはずだ。その本の企画の最初に少し関わったこともある私は、本の紹介で著者の一人である中西について「強烈に肯定的なトーンにくらくらする人がいるかもしれない」が、しかしそれだけのことをやってきたと私は思う」と書いたりした。ただそのすっきりはっきりした本は、なんでも自分で決めるのが(他人に指図するのが)よい、それが自立だ、的に読まれうる。そこで、実際にはそのようにはやっていけない、とか、それがよいと言い切れるか、的な話が延々と続いてきた。だいぶこの本に書いてあることと文脈の異なる「介護者手足論」といった言葉もそこに混ぜられた。私はこの種の議論については言うべきことははっきりしていると考えてきたし、そんなことより別のことを調べたり考えたりしたらよいのに思ってきた。それでも、整理はしておく必要はあろうと思い、『不如意の身体』の一部(立岩[2018a:88-91,96]◇)、そして福島の障害者運動についての本(青木他[2019]◇)に収録された章の一部(立岩[2019a:284-302]◇)に記した。ただ、それをさらに整理して示す必要もあろう。岩波新書の方に書こうと思う。そこでは、その自己決定主義者中西であっても安楽死尊厳死に反対していて、そこに矛盾はないという、これまで幾度も述べてきたことも再唱する。」
★02 全文は以下。
 「まず二つこの本の意義がある。一つに知らせること。障害者の運動、その中の自立生活センターを作り活動してきた活動は、その主張と実績を見たとき、知られてよいより、ずっと知られてこなかった。もっと知られるべきだ。そのためには、私たちの『生の技法』(藤原書店)のような読みづらい本ではなく、明解で手頃な長さの読みやすく人目を引く本が必要だ。この本が新書で出たことや、筆者の一人が上野千鶴子であることはそのためにもよかった。もう一人の著者の中西はヒューマンケア協会の設立・運営に関わり、またDPI日本会議全国自立生活センター協議会(JIL)等々で中心的な役割を果たしてきた。彼には政策を評価し運動の方向を示す多くの書き物がある。またほとんど寸分違わぬ内容の講演等を全国各地で繰り返してきた(運動とはそういうものだ)。ただその多くはその時々に主張すべきことの骨子、緊急提言の類で、分量も限られていた。今回、新書という制約はあるが、その主張の全容が示された。強烈に肯定的なトーンにくらくらする人がいるかもしれないが、しかしそれだけのことをやってきたと私は思う。長い付き合いで彼の代わりに同じことをしゃべれる人以外は得るものがある。いや、耳にタコという人も、新しい情報があったりするから読む価値はある。二人の著者の間の微妙な(とときに言い切れない)差異や、全体的にうまく運んでいる議論のあらを探したい人は御自由にどうぞ。
 一つにこれからのこと。知らない人はまったく知らないと述べたが、この運動には知られないようにやってきた部分がある。例えば介助制度なら、大きな制度を作るのでなく――作りたくても作れなかった――行政に直接に働きかけできるところから実現してきた。また議論の場としても専門的な委員会等で発言力を強めてきた。しかし、そうして獲得したものが一定の大きさになった時、とくに財政側から問題にされる。より「普通」の制度、例えば介護保険制度との差異が問題にされ、そちらの側に吸収しようという動きが現れる。この時点で議論は表立ったものにならざるをえない。運動側も主張を組み立て、その正当性を広く社会に訴えて支持を得る必要が出てくる。この本では介護保険のことがかなり大きく扱われている。基本的な論点を知るためにも読んでもらいたい。(こうして肝心の「当事者主権」について等、何も書けない。この分量では無理です。乞御容赦。)」(立岩[20040201]
★03 安楽死尊厳死について述べてきたのはこのことだった。本だけで4冊もある。『良い死』(立岩[20080905]◇)、『唯の生』(立岩[20090325]◇)、『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』(立岩・有馬[2012]◇)、電子書籍?で『生死の語り行い・2――私の良い死を見つめる本 etc.』(立岩編[20170800]◇)。
★04 一つには高度な技能によって、一つには(その人=本人のあり方に対する、他人である自分たちの)「自律性」によって、「専門性」を主張し、そのことによって、自らの地位を高めようとする。看護職の人たちは両方を主張した。福祉職の人たちも両方を、とくに後者を言うことになった。そのことについて、『弱くある自由へ』に収録した「遠離・遭遇――介助について」より。
 「その人の行ないを手伝うというだけでなく、何を行なうかの決定を手伝う、あるいは本人に代わって采配△302 するといった場合には、仕事は次第にその人に近付いていく。暮らしていくその内実に関わってくる。とくに単に自分で決め管理するのが面倒で手間を省くために仕事の一部を委譲するというのでなく、本人ができない時、あるいはできないとされる時に本人に代わってなされる場合には、本人の抵抗、抗弁の余地が少ないだけに、その人のあり方が決められ左右される可能性が大きい。
 そしてこの部分は、「専門職」の人たちがその「本領」を発揮しようとする部分でもある。言われたことを言われた通りにやるというだけでない仕事がここにあり、そこにその仕事の「専門性」「創造性」を発揮する余地がある。これはたしかに困難な仕事でもあろうけれども自らの存在意義を感じられるおもしろい仕事でもあって、自然なこととして、そうした仕事を手放そうとしない、拡大しようとする傾向もまた生ずる。さらに、こうした援助については、一人一人の必要度はまったく多様であって、その費用を社会的に支払うとすると、それを個別の利用者について算定するのでなく、この仕事の提供者、提供組織に予算を配分することになるだろう。とすると、そのあり方によっては、その活動はそれらの人、組織の力学に委ねられ、その力によってこの部分が膨張していく可能性がある。」(立岩[2000→2000→2012:302-303])
★05 『不如意の身体』第2章「社会モデル」の註13。
 「☆13 身体に触れられること、見られることがある。排泄のことがある。介助の場面における性的な契機、また性的な行為の介助のことがある。[※]
 『人間の条件』([201008→201805:51-58]、T「できなくてなんだ」の6「他人がいてしまうこと」)では、自分が暮らしていた施設の看護婦長(今なら看護師長と言うのだろう)に男性によるトイレ介助について「男女の区別を乗り越えるのが本当だ」と言われ、「だったらなぜ、現在男のトイレと女のトイレを別にしてあるんですか」と抗議した三井絹子の手紙のこと(三井[2006]に収録)、「動かない手足が現実なのだから、自分のお尻を堂々と他人に預けるというのが、私たちの自立となるのだ。[…]プライベートとか個人のテリトリーとかいう考え方は、障害をもった人の現実にはまるで役に立たない考え方であり、ときには害をもたらしさえする」(安積[2010])という安積遊歩の文章を引いた。二人が言ういずれもがもっともなことであるはずだ。そのことをどう言うかということになる。いくらかのことはその本のその箇所で述べている。さらに本書381頁でもう一度引いている。△061」(立岩[20181130:61])
 この註は次の本文に付されている。
 「ただ、機能の中にも、他によって代替できない機能はある。またここには他人が身体に近づく、接触するという契機が存在することがあり、そこには例えば羞恥といった感情が生起することがある。それ △048 には慣れていって気にならない部分もあるが、慣れればすべてなくなるといったものでもない☆13。」立岩[48-49]
 「本書381頁でもう一度引いている」と記した三井の府中療育センターの「婦長への抗議」より。(三井[2006]◇)に収録されている。「Nさんは「親しくしている人なら、男の人でもトイレをやってもらっても、いいじゃないか。」と言いましたね。[…]Nさんは男女の区別を乗り越えるのが本当だと言いましたね。だったらなぜ、現在男のトイレと女のトイレを別々にしてあるんですか。」(三井[2006:101]◇
★06 註05の[※]は「『セクシュアリティの障害学』(倉本編[2005]◇)に収録されている、草山[2005]◇、前田[2005]◇。また前田[2009]◇に関連する記述・分析がある。」となっている。
 『セクシュアリティの障害学』の紹介として「紹介:倉本智明編『セクシュアリティの障害学』」(立岩[20050700]◇)。その全文が以下。
 「全部で八章からなる。おもしろそうな題を拾っていくと「性的弱者論」「戦略、あるいは呪縛としてのロマンチックラブ・イデオロギー」「自分のセクシュアリティについて語ってみる」「パンツ一枚の攻防――介助現場における身体距離とセクシュアリティー」「介助と秘めごと――マスターベーション介助をめぐる介助者の語り」、等。
 「障害者と性」というのはじつは近頃少しはやりのテーマで、きっとそれはよいことなのだろうと思いつつ、すこしうんざりな感じはないではなかった。まず「タブー」ではもはやないと言われて、それはけっこうと思いながらも、かまわないでほっといてくれ、勝手にさせてくれと思うところがある。また「啓蒙」も必要なことだろうとは思いながら、なんだか悲しく、ようやくそのような段階に至ったと人々に思われるのも、なんだかいやな感じがする。そして「弱者」に対する(無償の)サービスとしての性というものも、そんなことがあってよいのではあろうが、人々の少しきわどく怪しい興味とある種の哀れみの感じが喚起され、そのために、けっしてそんなつもりで書かれたのではないだろう本が売れるというのはいやだ、と思う。
 比べてこの本はよい。書き手は「障害学」というものをやっている人たちなのだが、それ以前に障害のある御当人だったり、その人たちを介護してきた人たちであったりする。実際自分の人生をやっていく上で、あるいはその脇にいて暮らしを手伝ったりする上で、様々に起こること、起こってしまうこと、また起こらないでしまうことがどんな具合になっているのか。それをどう料理したら論文や本になるのか、どう書いたらよいものかと思いながらも、書いてみた。そんな本だ。
 また、黙っていたら現状維持、けれどただ「暴露」しても得なことはなく、おもしろくない。そのことをもう知っているから、どうにかしてその先へ行ってみたいという思いがここにはある。
 うまく先に行けたか。読んでみてください。」(立岩[20050700]
 前田[2009]は兵庫で「メインストリーム境界」(□頁)の介助者として働いて、その場を研究してきた前田拓也の『介助現場の社会学――身体障害者の自立生活と介助者のリアリティ』(前田[2009]◇)。
★07 『弱くある自由へ』に収録された「遠離・遭遇――介助について」(立岩[20000301])より。
 「介助において、愛情とか、コミュニケーションとか、ふれあいとか、そういうものばかりが求められているのではないと述べた。介助と友達つきあいは別々のことだから、少なくとも別々にあってよいことだから、別々に探せばよい。むしろ、介助という場にとくに結びつけられるのはおかしなことである。関わるのが具体的な人であることによってかえって困難な問題が現われてしまうこともある☆68。もちろんその人は無礼であってならないにしても、それ以上のことがその仕事のために近いところにいる人にだけ求められ、その重さがその人にだけ蓄積し疲労させ、摩耗や忘却を招くこともある。まずはそのように言うことはできる。しかしそれでも、介助にそうした関係が伴っていてもよい、その方がよい時があり、そのような援助としての介助が求められることがある☆69。」立岩[20000301→2020:319])
★08 『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』(青木他[2019]◇)で私が担当した2つの章のうちの1つ「分かれた道を引き返し進む」(立岩[20190910]◇)のとくに後半では、かなり大きな全般的なことを書いている。本書・本章に記すこと、そして次の新書に書くことを書いている。
 「介助者との関係のことは、他のことがあまり考えられたり書かれたりしてこなかったのに比べると、かなりの数書かれてきた。たしかに、介助の仕事など自分でやってみればいろいろと感じたり考えたりすることはあり、介助を要する側も毎日気になることではある。しかし、介助者は手足だとか手足でないとか、いろいろと言ってみたりすることはあってもよいのだろうが、もっと他のことを調べたり書いたすればよいのにと思うところが私にはある。
 まず一つ、介助は自分が生きていくに際しての手段である。手段として必要であることは、よいもわるいもない、事実である。次に一つ、介助をする/得る人たちの間に、それだけ以上の関係があることは、仕事と利用に支障がでない限りは、よい。介助者との間だけにそうした友人的な関係があるのは悲しく寂しいから、それは別に求めるべきだという主張がある。限られたところにしか関係がないより別のところにもあった方がよいだろうとはたしかに言えようが、しかし、友人でもあってよいとは依然として言える。人に人として気をつかうのが面倒だという人もいるが、そのことは気にならないという人もいる。むしろ気をつかいたいという人もいる。これもどちらの方がよいということにもならない。気にしたい人を止めはしない。それはわるいことではない。
 ただ一つ大切なことは、その生活のための手段を得たいというときに、そのことが妨げられないことであ△285 る。
 自分の側に人間関係に関わる資源、人を引きつける魅力等ががなければ必要なものを得られないというのではよくないということである。だからとくに介助者と仲良くなりたいわけではなく、感情や魅力を提供できないあるいは提供するつもりのない人でも、必要なものは得られるのがよい。気にしないことが可能であるような仕組みになっていればよいということになる。
 それは有償ということをそのままには帰結しない。介助を得る側が気を遣ったりしなくてすむように、また、行なう側が自発的に行なうことができるなら、そしてそれで質・量ともに十分に得られ、そしてその行ないの人々の間での分布が、ある人たちは行なうが、ある人はそのおかげですっかりさぼってしまえるというような不正な状態でないのであれば、よいとは言える。」(立岩[20190910:285-286])
★09 『不如意の身体』第3章「なおすこと/できないこと」に付した註15
 「「(介助者)手足論」がしばしば取り上げられてきた。まず、この言葉がどんな文脈にあったかについて小林敏昭[2011]◇。そして、後藤吉彦[2009]、熊谷晋一郎[2014]◇、石島健太郎[2018]◇、等。日常の生活において自律をどれほど求めるかと、社会運動において誰が主体となるべきかはまずは分けられる。後者について、あくまで本人たちが主体であるべきだという主張と行動がなされる由縁は理解できるしあってよいだろうし、同時に、それと異なる方針の組織・運動もあってよいとまず言えるだろう。前者については、専ら手段として位置づける場合とそうでない場合と、これも両方があってよいとまずは言える。そして一つ、いちいち細かに指図すること自体がとりわけ大切だというわけではない。また天畠のように、そんなことをしていたら手間がかかってよくないという場合もある。その上で、一つ、介助者自身が人であり、手段に徹することが困難であること、またそのように振る舞うことを求めてはならないこともある。」(立岩[20181130:96]◇)
 小林は当時その修羅場にいて、(いっとき)この言葉があった文脈を体感的に知っている。多くの障害者が学校にも行けず行かず、「社会性」に欠け、そして運動の進展によって特段の努力をせず知識なく自立する人たちが出てくる。他方、学生運動あがり/くずれの健常者が介助者であるとともに運動の支援者であるといった「学のある」人たちがいて、それに苛立ち、いくらか先走ったりさらに仕切ったりすることもある。それを止めようとしたのが「手足論」であって、それはその「緊急事態」への対応であって、基本は「共闘」「共生」だったというのが小林の論だ。それはその通りだったと思う。
★10 「分かれた道を引き返し進む」より。
 「「非本人」はどう関わるか。私は書いたように(二九三頁)、大切なことは、つまりところは、誰がではなく、何をよしとするか何を実現するかということだと思っている。だから、誰が担うかは絶対的なことではないと思っている。ただ、そのように思った上で、目的がよいのであれば形はなんでもよいのだとなるとずぶずぶになる、ということはこれまでもいくらも起こってきたから――とりあえず分けられる日常生活における主導権のこととは別に、運動・運営において――誰が「あたま」になるか等、どういう組織形態にするかについて「当事者主権」はありだと述べたのだ(二九一頁)。
 私はそのほうが楽でもあるから、外野、というか観客席にいてきた。それでよいと思っている。ただ、何を大切したらよいか、私はどうみるか、どうしたよいと私は思うか。これは真剣に考えるし、言う。「本人」だからその人の言うことが正しい、なんていうことはまったく思わない。第一、本人たちの間でも、たいてい話なんかすこしもまとまっていないのだから、言われたとおりにするなんていうこと自体ができない。本△301 人(たち)Aと本人たち(B)の言うことのどちちらがもっともか。これは聞いて、考えて、言う。じっさいにはさらにごちゃごちゃになっていて、きれいに二手に分かれるということにもならず、なんだかわからないから、いくらか整理してみたりする。それが、私たちの場合には仕事でもあると思っている。ならよい仕事をしようと思う。」(立岩[20190910:301-302]◇)
★11 『Journalism』に依頼されて書いた「煽情主義も使う」より。
 「個別→一般→個別、という筋の話はつまらない
 一つ。あらゆる取材が具体的な例や絵を求めながら、その中の多くに話を「差別意識」といったもので落とそうする傾向があるように思う。「識者」に求められているのは、「実名を出すのをためらうのも、根強い差別意識のせいなんでしょうか?」といった(記者からの、そんな記事を書いて終わらせようという気持ちのもとでの)問いに「まあそうですね(それはあるでしょうけどね)」と答えることであったりする。
 たしかに「差別意識」はあるだろう。しかしそれがあると言って、いったいなにになるのか? 「優生思想」についても同じだ。そういう漠然とした話にもっていって、そこで終わらせる。差別意識や優生思想は私にとっても無縁なものではないな、というように思ってしまう真面目な人(だけ)が、すこし反省モードになるだけのことではないか。そんなことを言ったってなんにもなりはしない、もうすこし違う流れの話をしようよ。と、私は何人か取材に来た人に幾度か話したと思う。
 そして、そういう漠然とした意識の話にもっていったそのうえで、次にはその「意識」に訴える、なにか「具体的なよいもの」をもってこようということになる。そのために顔を出してくれる人が探し出され、実名・写真・動画がもってこられる。明るく暮らしている障害者がここにいる、といった類いのものだ。実名――ここでは悪人でない人の実名――が示される。それが「具体的に」意識を変えることになるというストーリーである。
 これも否定しない。まず一つ、実際私たちは具体的なものから入る、そこに反応することはある。写真を見て、記事を読み始めることもある。そういうことがきっかけになって、認識を変えたりすることもある。一つ、実際、幸福に、すくなくともつつがなく暮らしている人たちはたくさんいる。人の幸福な姿を見たり知ったりするのは、他人の不幸を知って喜ぶのと同様、読者の健康にもよい。
 しかし一つ、例えば、大量に殺傷したあの人物には効かないだろう。その人は、別の、不幸な具体像を出すことができる。少数の、すくなくとも一部の幸福な人たちをもってきたとしても、それは自分が言っている不幸を反証することはない、と、そんな具合に反駁すること、揚げ足をとることができる。そしてその揚げ足取りは全面的に間違っているわけではない。
 もう一つ、これは長年、本人たちが、文句を言ってきたことだが、そういうなにやら幸福げな部分だけが、あるいは苦労話だけが報じられてしまう。せっかく実名を出すことを許可して、取材に応じて長々と話したのに、結局載ったのは、「いろいろ大変でしたが、いろいろとがんばって、皆さんから力をもらって、今私は幸福です」、みたいな間抜けな話だった、恥ずかしいったらありゃしない、と言うのだ。今どき、そんな話だけをまにうける人も少ないから、実害はそうはないとしても、まにうけてしまうと、みなそんな人である(べきだ)ということになったり、そうでないとがっかりされるといったことになってしまう。
 ではこの恥ずかしい話をまったくやめることができるのか。今どきあまりに露骨に恥ずかしいものだと読者に引かれてしまうというぐらいの了解は、まあまあ行き渡っているので、減らすことはできる。しかし、結局、しんみりしたり怒ったりしたい、という欲望には応えざるをえない。実際、そうした感情が力を与えることはある。わかりながら、ある程度押さえながら、しかし、仕方なく、また必要であるとも思って、煽情的になる。かえってたちが悪い、とも言える。
 さてどうしたものか。どうつながるのかと思うだろうが、まったく別のところに書いた文章の一部を、あえて長く、引くことにする。福島の障害者運動の歴史についての共著本『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』(青木千帆子他、2020、生活書院)の私が担当した章「分かれた道を引き返し進む」の終わりの方。


 「「怒る」という手もあるし、「泣き落とし」という手もある。このごろ私は、たいがい話をしに行くと、ほぼ必ず、「ではどうしたらよいでしょう?」と問われる。それで、歌える人は歌う、踊れる人は踊る、泣ける人は泣く、書くことしか能のない私のような人は書く、各自の芸を出しましょう、それらを足して合せて、それでようやく勝てるか、負けない、というところだと思うので…、といったことを言う。実際そのように思っている。
 ただ、どういう手段をとるかが、どれだけを得られるのか、何を払わねばならないかに響く場合がある。憐れみを乞うという手はときにはかなり有効だが、それで発揮される人々の慈善心というものは、たくさん得ようとすると、それは贅沢だとしてしまうような心性であったりもする。すると得られるものの上限が低いところに押さえられることにもなる。そして、乞う方は下手(したて)に出ねばならないことにもなる。だから、なんでもよいのだとは言うものの、できれば(あまり)使いたくない手もある。とすると、基本的には使いたくないが、受けるので使う、ばれないのであれば「うそ泣き」でよいのではないか。となる。」(pp.294-295)
 「さきに述べたのは、いろいろなやり方があってもよいこと、あった方がよいこと、そのぐらいいろいろとやって、ようやく取るべきものがいくらか取れるということもあるということだった。つまり、複数の声があったほうがよいということだ。声色を変えて、いろいろやってみるのがよい。ただ、ときにはやり方・言い方を間違えると損することもあるから、そのことはわかっておいた方がよい、注意した方がよいことを加えた。間違えると自分を安くしてしまい、結果、かえって損することもある。そのことがわかったうえでなら、二枚舌がうまく使えることはよいことだ。
 しかしそれを、どんなふうに、どんな人が言うかというはある。それをすべて一人でまかなおうとすると、不自然な、嘘っぽい感じになりそうだ。時と場合によって言い方を変える人、何を考えているのか本当のところがわからない怪しい人、ずるい人ということにされてしまうことがある。だから、一人でなく、複数の人がいた方が、最少なら二人いた方がよいということは言える。」(p.308)


 報道についての文章に、社会運動についての話をもってきたのだが、間違ってはいないと私は思う。嘘をつかない、ことは前提にはなるが、報道も、何かを伝えたいから、何かをどうにかしたいからなされる。短い、視覚的な、煽情的なものは(ものも)有効で、必要だ。そのうえで、それとともに私がここで言っているのは、複数あってよいこと、各々がもたらす不都合は計算しておくこと、そして、手分けしてやったってよい、その方がよいかもしれないということだ。
 それを報道に置き換えるとどうなるか。自分たち自らが複数性を有する、そのための手だてを考えるというのが一つ、もう一つ、別のところといっしょに仕事をする。すくなくとも別の仕事を妨げないこと、となる。」
 これは「ケア倫理」といったものをどう考えるかという理論的な主題にも関わる。
★12 「そして、そのように現実を平凡で退屈な方向にもっていくとしても、もっていこうとしても、結局のところ私たちは不如意の生を生きるのだから、波瀾は起こってしまう。「どうもこのごろ普通の事業所になってしまって……、という嘆きはわからないではないが、しかしそこには実は、毎日、様々が起こってしまう。そのことはそこで働いたり、働いてもらっている人たちが一番よくわかっていることのはずだ。だから、まずはおおむね波瀾が起こりにくいものとして仕組みが確保されることはよいことだと、そのうえでも、いくらでも波風は立ち、その中には私たちが楽しめるものもある。こういうことになる。」(立岩[2019]◇)
★13 横塚晃一「優生保護法と私」。1972年9月、『青い芝』16に掲載されたものが後に『母よ!殺すな』に収録された。

文献(37)
◆青木 千帆子・瀬山 紀子・立岩 真也・田中 恵美子・土屋 葉 2019 『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』,生活書院,424p.
◆安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 19901025 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』,藤原書店,320p.
◆―――― 19950515 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 増補・改訂版』,藤原書店,366p.
◆―――― 20121225 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』,生活書院・文庫版,666p.
◆石島 健太郎 2018 「介助者を手足とみなすとはいかなることか――70年代青い芝の会における「手足」の意味の変転」,
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◆大野 道邦・小川 信彦 編 2009 『文化の社会学――記憶・メディア・身体』,文理閣
草山 太郎 2005 「介助と秘めごと――マスターベーション介助をめぐる介助者の語り」、倉本編[2005]
熊谷 晋一郎 2014 「自己決定論、手足論、自立概念の行為論的検討」,田島編[2014:15-35]
倉本 智明 編 2005 『セクシュアリティの障害学』,明石書店,301p.
後藤 吉彦 2009 「『介助者は、障害者の手足』という思想――身体の社会学からの一試論」,大野・小川編[2009:221-238]
◆小林 敏昭 2011 「可能性としての青い芝運動――「青い芝=健全者手足論」批判をてがかりに」,『人権教育研究』19:21-33(花園大学人権教育研究センター)
◆田島 明子 編 2014 『「存在を肯定する」作業療法へのまなざし――なぜ「作業は人を元気にする!」のか』,三輪書店
◆立岩 真也 19901025 「接続の技法――介助する人をどこに置くか」,安積他[1990:227-284]
◆―――― 19950515 「私が決め、社会が支える、のを当事者が支える――介助システム論」,安積他[1995:227-265→2012:354-413]
◆―――― 19950515b 「自立生活センターの挑戦」,安積他[1995:267-321→→2012:-]
◆―――― 20000301 「遠離・遭遇――介助について」,『現代思想』28-4(2000-3):155-179,28-5(2000-4):28-38,28-6(2000-5):231-243,28-7(2000-6):252-277→立岩[20001023:221-354→20200110:225-380]
◆―――― 20001023 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』,青土社,357+25p.
◆―――― 20040201 「紹介:中西正司・上野千鶴子『当事者主権』」『ノーマライゼーション 障害者の福祉』24-2(2004-2):64
◆―――― 20050700 「紹介:倉本智明編『セクシュアリティの障害学』」,共同通信配信記事
◆―――― 20080905 『良い死』,筑摩書房,374p.
◆―――― 20090325 『唯の生』,筑摩書房,424p.
◆―――― 20100816 『人間の条件――そんなものない』,理論社,よりみちパン!セ,392p.
◆―――― 20170800 『生死の語り行い・2――私の良い死を見つめる本 etc.』Kyoto Books
◆―――― 20181130 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社,481p.
◆―――― 20190910 「分かれた道を引き返し進む」青木他編[2019:255-322]
◆―――― 20200110 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術 第2版』,青土社,536p.
◆―――― 20200710 「煽情主義も使う」,『Journalism』2020-7 no.362
◆立岩 真也・有馬 斉 20121031 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院,241p.
◆中西 正司・上野 千鶴子 2003 『当事者主権』,岩波新書
◆前田 拓也 2005 「パンツ一枚の攻防――介助現場における身体距離とセクシュアリティ」、倉本編[2005]
◆―――― 2009 『介助現場の社会学――身体障害者の自立生活と介助者のリアリティ』,生活書院,369p.
◆三井 絹子 2006 『抵抗の証 私は人形じゃない』,「三井絹子60年のあゆみ」編集委員会ライフステーションワンステップかたつむり,発売:千書房,299p.
横塚 晃一 1972 「優生保護法と私」,『青い芝』16
◆―――― 1975 『母よ!殺すな』,すずさわ書店
◆―――― 1981 『母よ!殺すな 増補版』,すずさわ書店
◆―――― 2007 『母よ!殺すな 新版』,生活書院
◆―――― 2010 『母よ!殺すな 新版第2版』,生活書院


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介助・介護  ◇重度訪問介護派遣事業(重訪)  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇『介助為す介助得る』  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築 
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