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やれやれ

新書のための連載・12

立岩 真也 20200724 『eS』20
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京都府におけるALS女性嘱託殺人事件 安楽死尊厳死

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 この文章は今年夏にはちくま新書の一冊として出したいと思っているの一部の部分として準備中のものです。
 ここにおいた註と文献表は、新書では大幅に減らされます。紙の新書をご購入いただいた方に有料で提供する電子書籍版には収録しようと思います。

◆立岩 真也 2020 『介助為す介助得る』,ちくま新書,筑摩書房

◆立岩 真也 2020/05/11 「新型コロナウィルスの時に『介助する仕事』(仮題)を出す――新書のための連載・1」,『eS』009
◆立岩 真也 2020/05/18 「新書のための連載・2」,『eS』010
◆立岩 真也 2020/05/25 「新書のための連載・3」,『eS』011
◆立岩 真也 2020/06/01 「新書のための連載・4」,『eS』012
◆立岩 真也 2020/06/08 「新書のための連載・5」,『eS』013
◆立岩 真也 2020/06/15 「新書のための連載・6」,『eS』014
◆立岩 真也 2020/06/21 「新書のための連載・7」,『eS』015
◆立岩 真也 2020/06/28 「新書のための連載・8」,『eS』016
◆立岩 真也 2020/07/06 「新書のための連載・9」,『eS』017
◆立岩 真也 2020/07/13 「新書のための連載・10」,『eS』018
◆立岩 真也 2020/07/20 「新書のための連載・11」,『eS』019
◇立岩 真也 2020/07/24 「新書のための連載・12」,『eS』020
◆立岩 真也 2020/07/27 「新書のための連載・13」,『eS』020


 ※以下書きかけ
 ※この項目に関係→◇安楽死尊厳死/ ◇安楽死尊厳死 2020


■■以下草稿

 本書のための原稿を終えようとして、値段を800円+税以上にはしないという前提のもとで、あと何頁足せるでしょうかというお伺いのメールを編集者に送って、返答をいただいた。さてでは最終調整をと思った、その翌日(7月23日)、京都在住のALSの人が2人の医師による自殺幇助――言葉はいろいろあるが、それはそう重要ではない――で昨年死んでいたことが明らかになったという知らせが入ってきました。具体的なところ、詳細についてはまったく知りません。テレビをつければやっているのでしょうが、しょうじき知りたくないと思います。どうせ、いやでも、そのうち知らされるのだろうということもあります。以下、せねばならないことをいったん休止し、いったい、今さら、さらに、何か言うことがあるだろうとかと考えながら作ったその事件に関連するメモです。この部分は新書で使うことはないでしょう。
 なお生存学研究所のツイッターから事件関連の情報が発信されています。ご覧ください。
https://twitter.com/ritsumei_arsvi
 ちょうど4連休の初日ということでよかったと思いましたが、この事件について学校経由での問い合わせはなく、それでもメール(アドレスはHPで公開しています)で、新聞社の人3人から、知っている人も知らない人もいましたが、3件の取材依頼がありました。同じ文面の返信をしました。

 「電話はできない環境におります。コメントは以下。
 「事件のことは聞いたばかりで、具体的なところにはコメントできない。現時点で一番懸念しているのは、一つ、SNSで支持をさっそく表明してしまう無思慮無責任な人々が現れているらしいこと、一つ、なにか倫理的に深い問題がここで示されているかのように報道してしまう報道機関が現れてしまうことだ。」
 字数調整などには応じます。」

 結局、このコメントはどこでも採用はされなかったようです。返信は以下。新聞社名、記者名は略します。

 「ありがとうございます。/確かにまだ何もわからないですね。/少し落ち着いてこの問題に取り組みます。/まずはありがとうございました。」(15:44)
 「ご返信、ありがとうございました。個人的には最後の一文は、その通りだと感じています。/少し長めにお話を伺いたいと思っていましたが、電話ができない環境にいらっしゃるということで、今回の取材については機会を改めてお願いできればと考えました。こちらから申し出ておきながら、申し訳ありません。」(18:18)
 「お世話になっております。/ご連絡ありがとうございます。参考にさせて頂きます。/今後ともよろしくお願いいたします。」(19:58)

毎年のように起こる
 それにしても、毎年なにかが起こってしまいます。ちょっと整理してみることにしました。
 2016年には相模原での事件がありました。このときにも取材に応じ、短文を書きました。
◆2016/07/29 0726殺傷事件後に
 ホウドウキョク http://www.houdoukyoku.jp/pc/
◆2016/08/07 「七・二六殺傷事件後に」
 NHK・Eテレ『バリバラ』緊急企画「障害者殺傷事件を考える」19:00〜19:30
◆2016/09/17 「七・二六殺傷事件後に」(コメント)
 『東京新聞』2016-9-17:29
◆2016/09/29 「自らを否定するものには怒りを――横田弘らが訴えたこと」
 『聖教新聞』2016-9-29
 そして、『現代思想』に何回も書いて、それをもとに本を出してもらいました。
◆立岩 真也・杉田 俊介 20170105 『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』,青土社,260p.
 判決のあった今年にもやはり取材がありました。
◆2020/03/23 「「内なる優生」で済ますな――相模原殺傷事件判決を機に」(取材:宮城 良平),共同通信配信,『秋田さきがけ』2020-03-23,他
 など。
 そしてその事件が起こったのと同じ2016年秋。長谷川豊という人が、金のかかる人工透析の費用は自分で払えといったことを言いました。それに対して
◆2016/11/25 「長谷川豊アナ「殺せ」ブログと相模原事件、社会は暴論にどう対処すべきか?」(インタビュー,聞き手:泉谷由梨子)
 『The Huffington Post』2016-11-25
 関係して
◇2018/01/30 「長谷川豊の一件:「事実への信仰」より・02――「身体の現代」計画補足・464」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/2005266839740293
 そして2019年には、公立福生病院で、人工透析の中止によって亡くなった人が出ました。そのことについて、
◆2019/03/25 「人工透析を中止し患者が死亡 提案する医師とその選択を支持する声に反論する」
 https://www.buzzfeed.com/jp/shinyatateiwa/
 そしてこの2019年、オランダに行って死んだ人のことがNHKの番組で放映されました。その番組に対して疑問が示され、回答が求められたにもかかわらず、なんの反応もなかったということもあり、私も関係している障害学会理事会が以下を、NHKに対して、そして放送倫理・番組向上機構に対して送付しました。しかし回答はありません。
◆2019/12/15 障害学会理事会「NHK「彼女は安楽死を選んだ」に対する指摘への応答を求める」
 そういう状態のままNHKは今回の事件を報道してよいのだろうかと思う人もいて当然だと思います。
 そして、この年公立福生病院のことについて書いたのは『Buzzfeed』というオンラインの新聞でしようとしていた連載の第3回で、でした。もともとは、足りないから、とくに少子高齢化で人が足りないから大変だから、云々、という話、大変だから早めに死んでもらえる人には死んでもらって、みたいな話にどう対するかという連載をして本にしたいと思っていたんですが、この福生病院のことについて書くのに疲れてしまって、それでこの連載そのものを中断してしまったということもありました。
 で、今年、2020年、コロナの年ですが、また同じようなことがありました。書いたのは、『Buzzfeed』に書きかけて止まってしまったテーマをこちらで、と思って始めた講談社のサイトにある『現代ビジネス』というところでの連載で、その第2回が
◆2020/04/21 「「自己犠牲」や「指針」で、命をめぐる医療現場の困難は減らない――だいじょうぶ、あまっている・2」
 『現代ビジネス』 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71974
これは、コロナのもとで、「生命・医療倫理研究会」というような名称のところが「COVID-19の感染爆発時における人工呼吸器の配分を判断するプロセスについての提言」
http://square.umin.ac.jp/biomedicalethics/activities/ventilator_allocation.html
なるものを出したのに対して、またしても、なにか書かねばということで書きました。そして、なんとか、3回目までは書きましたが、そこで止まってしまっています。そして今回です。まったくやれやれです。

 その前、1978年から2012年までの賛成側・反対側の声明など、そして私の2009年から2012年にかけての短文を以下に収録。これはその年、日本生命倫理学会の大会があって、その大会長が私であったということで企画しました。「生命倫理」を語ると言っている人たちがあまりにものを知らないのはよくないという思いがありました。そして2012年に出されるということであった尊厳死法案に対して何か言わなきゃということがありました。
◆立岩 真也・有馬 斉 20121031 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院,241p.
 さらに2005年から2008年頃のことについては、
◆20090325 『唯の生』,筑摩書房,424p.
に書いてあります。あと2冊というのは
◆20080905 『良い死』,筑摩書房,374p.
◆立岩 真也 編 20170800 『生死の語り行い・2――私の良い死を見つめる本 etc.』Kyoto Books

 そんなことが毎年あって、そのたびに、なにかを言ったり書いたりすることを求められています。書いてきましたし、とにかく短くまとめたものを、思っているので、これもまた、新書といった媒体で書かねばならないのだろうなと思っています。

立岩真也『良い死』表紙  立岩真也『唯の生』表紙  立岩真也『生死の語り行い・2――私の良い死を見つめる本 etc.』表紙  立岩真也・有馬斉『生死の語り行い・1』表紙

表紙クリックで紹介頁&HP経由で購入すると寄付されます


 さて、安楽死尊厳死について、こんなにたくさん書いてきたわけですが、さて、いままた、あるいはいまさらどうしよう、なにか言うことがあるか、です。
 なにもありません。ただとくに安楽死ということでなく、ツイッター等々で語られていることで、本書にかかわる部分について少しお話しします。私の心は強くないので、健康によくないものはほぼ見ないことにしているのですが、それでも見かけてしまうことがあります。
 そうすると、なんだか自分は障害者でなくて、普通で、まともだと思っている人たちがいるようです。心底そう思っているようでもあり、思っていることに気付かいないようでもあります。ようまあそういうことを思うものだと、そしてわざわざ、誰にでも聞こえる場で、ようまあ「つぶやく」なんということができるものだと、しょうじきあきれてしまいます。
 思うことにしている、そのことで自分がなにか「上」にいるように思うことにしようとしているという感じがすることもあり、そうなるとちょっと憐れな感じもします。だからといって、そういう人に同情しようとは思いませんけどもね。そういうちょっとかわいそうな人も、もっと素朴に信じている人も、まとめて何を言ったらよいのだろうと。
 何を言えばいいんでしょう。「明日事故にあって障害者になるかもしれないじゃないか」とか「年をとったら介助がいるようになるよ」といったことでしょうか。それはそれで間違いではないから、言ってもよいとは思います。政治哲学だとか難しそうなことを言っている学問にしても、簡単にまとめてしまえば、そういう筋立てになっているものがかなりの部分を占めます。人間思いつくことはそうたくさんはないということです★。
 ただ、「その時は考え変えるかもしれないけど」的なことをことを言うかもしれない。たぶん、実際「その時」は変えるはずですよ、そういう人に限ってね。しかし、とりあえず水かけ論みたいになります。
 いつなんどきなるかもしれないという連続性ではなく、それぞれできないことが様々な度合いであります。そういう連続性があります。たしかにもっとできない人、とてもたくさんについて、もっとできない人はいる。ただ、どんなにあなたが元気にできる人であっても、あなた一人ができることなんて、たいしたことはない。そしてそういう様々を足し合わせ、全体として、だいたい生きていくのにまにあうなら、一人ひとりの度合いの異なりなど、「本来は」、どうでもよいことです。技術があり、機械があり、様々があって生産は成り立っています。そのなかであなた一人分の生産なんてたいしたことはない。なにをいばっているのか、そんなに偉いかよ、ということが一つ。
 なんだかこちらのほうがさらに泥試合的ですが、しかしこちらの方が本筋だろうと私は思います。そしてこれは、なにか人を馬鹿にしているようで、そんなことはなく、まったくよいことであり、明るいことです。できなくたってそうは困らないし、できると自分では思っているが(思いたがっている)がじつはそうでもない人も困らない。他方、できてしまうことは、それはそれとしてよいことだ、どうぞできてください、よろしく、ということになります。

特別扱い?
 もう一つ言われることは、「障害者を特別扱いはできない」というものです。やれやれ、こういうことについてもまた、まだ言わねばならないのかと思ってしまいますが、言います。これは「過度な待遇をすべきでない」ということですから、「適度な待遇」があるということが前提になっています。つまり、その人たちは正義を語ります。まだ悪いことをしようと言ってもらった方がよいと思うぐらいですが、そうではありません。正しいと思って言っているようなのです。
 その人たちは、「平等」という、大切だとされているものを大切にしていることであるかもしれません。では何の平等かということになります。
 では、ここで文句を言われている側は何を求めているのでしょう。せいぜい「人並み」といったところです。大雑把には「平等」と言ってよいかもしれません。そして、求めても得ようのないものが求められているわけでもありません。旅行に行くとか、そんなことです。
 ただ平等と言っても、こまごまとしたことのすべてについて同じということは難しいでしょうし、よいやり方でもないでしょう。『差異と平等』(青土社)に書いたので、ややこしいことは省きますが、ここでお金というのはなかなか便利なものです。一定の所得を皆が得られるようにします。その所得のもとで、旅行が好きな人は他を節約して旅行に行く、そんなことに興味のない人は別のところに使う。それでよかろうということになります。
 さて、この社会にあっては、つまり多数派用に作られてきた社会にあって、同じ旅行をしたり、パチンコ屋に言ったりするのにかかる手間が違います。その手間の違いの分の費用を、社会が別途出そうということです。すこしも不当な特別扱いということにはなりません。もうわかっていると思いますが、その一部が介助です。それだけのことです。これでなんか文句があるのか、です。まあ、ありません。まっとうな文句があるというなら、受け付けますが、そのうえでも、以上に間違いはありません。



文献
◆立岩 真也 20040114 『自由の平等――簡単で別な姿の世界』,岩波書店,390p.
◆―――― 20120610 「差異とのつきあい方」,立岩・堀田[2012:95-173]
◆立岩 真也・堀田 義太郎 2012 『差異と平等――障害とケア/有償と無償』,青土社


UP:2020 REV:
安楽死尊厳死  ◇安楽死尊厳死 2020  ◇介助・介護  ◇重度訪問介護派遣事業(重訪)  ◇『介助為す介助得る』  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築 
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