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往き還り繋ぐ


障害者運動於&発福島の50年

青木 千帆子・瀬山 紀子・立岩 真也・田中 恵美子・土屋 葉 20190910 生活書院

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last update: 2019
青木千帆子・瀬山紀子・立岩真也・田中恵美子・土屋葉『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』表紙  
 ◇目次
 ◇新着情報
 ◇著者紹介
 ◇文献表(別頁)
 ◇人名索引
 ◇紹介・言及
 ◇はじめに・いきさつ(別頁)
 ◇もう一度、記すことについて(別頁)
 ◇第6章
 ◇誤植
 ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築(別頁)

◆青木千帆子・瀬山紀子・立岩真也・田中恵美子・土屋葉 2019/09/10 『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』,生活書院,424p. ISBN-10: 4865001042 ISBN-13: 978-4865001044 [amazon][kinokuniya] ※

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■■関連企画・紹介

◆2019/09/06 往き還り繋ぐ――福島障害者運動史本刊行も機してアーカイヴィング公開シンポジウム第2回,立命館大学朱雀キャンパス・ホール

◆廣野 俊輔・青木 千帆子・瀬山 紀子・立岩 真也・田中 恵美子 2019/09/06 「往き還り繋ぐ――福島障害者運動史本刊行も機してアーカイヴィング公開シンポジウム第2回」,於:立命館大学朱雀キャンパス



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■■■目次

はじめに・いきさつ 立岩真也

第1章 「福島県青い芝の会」の生成と展開――それは『さようならCP』からはじまった 土屋 葉
 1 はじめに
 2 「青い芝の会」の運動展開
 3 「福島県青い芝の会」の運動展開
 4 停滞期(1977?)
 5 「発展的解消」(1981)
 6 まとめ

第2章 福島コミュニティの形成――コミュニティ・キャピタル論から福島の障害者運動形成期を読み解く 田中恵美子
 1 はじめに
 2 コミュニティ・キャピタル論とは
 3 福島コミュニティの生成
 4 福島コミュニティの発展
 5 福島コミュニティの確立
 6 福島コミュニティはどのように形成されたのか

第3章 運動が繋いだ生――『かがやく女たち』に登場した女性たちの語りから 瀬山紀子
 ドキュメンタリー『かがやく女たち』
 障害女性が経験する複合差別
 遠藤(阿部)美貴子さん
 高橋玉江さん
 渡部貞美さん

第4章 支援/介助はどのように問題化されてきたか――福島県青い芝の会の呼びかけから 土屋 葉
 1 障害者自立生活運動における介助の位置づけ
 2 福島県青い芝の会の運動と「健全者」との関係
 3 支援/介助の「定義化」
 4 「息の長い闘い」のなかで

あいえるの会における介助関係の模索 白石清春

第5章 獲るために動き、対話する――白石清春の戦略 土屋 葉
 1 秋田での日々、そして相模原へ
 2 Uターン後――再び運動を
 3 CIL設立とその後の展開
 4 福島県の運動はなぜ発展を遂げたのか

第6章 分かれた道を引き返し進む 立岩真也
 1 そして引き返した
 2 つきあい方について
 補

第7章 東日本大震災以後の福島の障害者運動――JDF被災地障がい者支援センターふくしまの活動を中心に 青木千帆子 災害と障害者・病者:東日本大震災
 1 はじめに
 2 2011年3月11日東日本大震災
 3 施設単位の避難――福島県福祉事業協会の事例
 4 障害者の避難をめぐる議論の動向
 5 白石が切り開いてきた「地域」
 6 おわりに

原発事故と優生思想 白石清春

第8章 遠くから 立岩真也
 再録にあたり
 2012/05/30→再掲 後ろに付いて拾っていくこと+すこし――震災と障害者病者関連・中間報告

もう一度、記すことについて 立岩真也

人物索引
文献表

立岩 真也 20190910 「分かれた道を引き返し進む」青木他編[2019:255-322]
青木 千帆子 「東日本大震災以後の福島の障害者運動――JDF被災地障がい者支援センターふくしまの活動を中心に」,青木他[2019:323-358]
立岩 真也 20190910 「遠くから」,青木他[2019:363-390]


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■新着情報

□20190129掲載
◆桑名 敦子 i2019 インタビュー 2019/11/12 聞き手:立岩真也 於:立命館大学衣笠キャンパス創思館4階・書庫
……



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■人索引

 ※◇→◆◇
 ※◆:178

◆青木 久 235
◆赤塚 光子 314
◆秋元 典夫 235
◆秋山 和明 262・263
安積 遊歩(純子)(19560216〜) 003-006・008※・043・050-051・053・055-056・066-067・069-071・080・087・103-107・114-115・119・128-130・132-134・156・186・188・225・242・265・376-378
◆◇安積 宇宙 070
◆阿部 敏治 263
◆荒木 義昭 261・312・320
◆安斉 晃 039
◆安藤 時子 208
◆安楽 光生(1954〜2018) 226・235
井形 昭弘(1928/09/16〜2016/08/12) 321
磯部 真教★★ 059※・220・224・227・258・263-264・268-269・277・279・316
◆板山 賢治★ 263-265・314-315
伊藤 佳世子 374・383
猪野 千代子(1936〜1999) 261・312
◆今岡 秀蔵 262-264・277・313
◆今村 登 380
岩楯 恵美子(1951〜) 261・312
上田 敏(1932〜) 320-321
◆宇田 春美 8・58・353
◆内海 崇裕 355
◆内海 光雄 226
宇都宮 辰範(1953〜1984) 291
◆江戸 徹 380
◆遠藤(阿部)貴美子(1961〜) 009・140・144-153・220・245
遠藤 滋(1947〜) 262
◆大越 哲哉 033・035
◆大蔵 勲 261
◆大澤 隆 263
大須賀 郁夫(〜2008) 262
◆太田 修平 262
◆大森 幸守(1957〜1992) 090・227・311・314
◆◇大山 博 149
◆岡部 和之 230-231・234-235
◆岡部 聡 008・058※・238
◆奥平 淳一 212-214
◆奥村 裕二 214
◆奥山 幸博 380
◆小沢 良子 208
◆小沼 正 263
◆小野 和佳 353
◆◇小野 敏明 249
尾上 浩二(1960〜) 311・380
◆片岡 博 310
◆廉田 俊二 380・390※
◆角田 ミキ子 236-239※
◆角野 正人 040-041・054※・063-64※・098・136・158-160・236・241・245・248※・253※・263-264・
◆金沢 英児 025
◆金子 和弘 052・310
鎌谷正代=古井正代 031・064※・221・245※・248※・311・324・329・348・350-351・356・360・377-380
川口 有美子 372
◆川島 美行 226
河野 秀忠 059・380
◆◇河野 康徳 277
◆菊池 義昭 029-030・053
北村 小夜 380
金 満里(1953〜) 044・213
楠 敏雄(1944〜2014) 312・320・380・390
熊谷 晋一郎(1977〜) 321-322
◆栗城 シゲ子 003-004・012・110-111・132・136・222・245
桑名 敦子(1959〜) 008-009・067・071・115-120・122-133・138-139・240※・245
◆小磯 京子 208
◆古賀 稔章(1956〜) 217・262
◆後藤 弘樹 353
◆小坂 和夫 232-233・250
◆小松 忠夫 249※ 
◆五味 重春 263
◆小室 英彦 242
小山 正義(19390815〜) 094・310
◆近藤 秀夫 238
◆斎藤 明子 234-236
◆佐川 優子 374
◆佐久間 桃子 353
◆佐々木 千鶴子 246
◆佐藤 篤史 250
◆佐藤 栄佐久 129・139・240・252
◆佐藤 謙 374
◆佐藤 聡 380・390
◆佐藤 清一 039・047
◆佐藤 孝男 008・047-048・212・230・350
◆佐藤 平 059・250
◆佐藤 春夫 253
佐藤 浩子 383
◆佐藤 泰樹 039
◆設楽 俊司 326・338・355
◆島崎 由美子 041
◆◇白石 栄子 009・057-058※・147・215・218-220・228-230・249-250・356
白石 清春(19500424〜) 003-005・007-009・023-024・028-047・051-056・066-069・071・076・078・084-086・089-090・093-095・098-102・110-114・121-122・131-132・134-138・147・149・166-167・184-187・190・201・204-206・208・215-254・257-261・265・267・269・273・276-279・281・304-305・308・310-311・314・316・320・323-324・326・329・335・337-339・348-356・365-366・367-380・387・395
白木 博次(1917/10/22〜2004/02/19) 321
◆神野 行夫 208
◆杉山 裕信 220
◆杉原 素子 314
鈴木 絹江(19510226〜) 006・008-009・032・042-043・049-050※・056・067・069・071・076・078-086・091-092・096-106・114-115・120-124・129-130・132・134・136-138・140-141・149-150・152・156・172・233・241・245※・254・356-357・376・389-390
◆鈴木 治郎 226
◆鈴木 匡 006・008・050※・115・122・149・152・172・357※
◆青海 恵子 380
◆添田 祐司 233
高橋 修(19480725〜19990227) 004・283・289・309・320
高杉 晋吾(1933〜) 044
◆高橋 玉江(1961〜) 141・150・153-164
◆高山 久子 025
◆◇武居 光 249
多田 富雄(1934〜2010) 320
田部 正行(19281125〜) 207
◆玉井 明 226
◆◇茅野 信路 060・250
堤 愛子(1954〜) 141
椿 忠雄(1921/03/16〜1987/10/20) 321
◆寺田 純一 220・227・257・262・277
◆◇寺田 嘉子 227
◆徳田 茂 380
◆徳竹 健太郎 355
殿村★(菊池) 久子(1956〜) 009・066-067・070-071・076・106-115・131-132・134・136・138・222・245
◆永井 康博 220
◆永井 昌夫 263
◆長位 鈴子 380
◆中島 浩一郎 241
◆永田 壮三 244
◆中手 聖一 253・355
中西 正司 207・238・263・282・380
◆長橋 榮一(★〜★) 234・250
◆仲村 優一(1921〜2015) 263-264
中山 善人(1953〜) 310
◆七海 稔 252
◆名古屋 足躬 261
新田 勲(1940〜2013) 261・271・312・320
◆野口 俊彦 309・322・380
◆野口 雅世子 240・252
◆野村 歓 264
◆橋本 紘二 353・355
橋本 広芳(19500715〜) 005・007-009・024・030-033・043-058・061-063・065-066・068-069・071・076-078・084-086・089-093・095・098-099・119・129-130・132・134-136・138・167・191・201・208-210・228・230-231・234-236・240-243・245-256・248-254・258・265・303-304・308・312・314・326・328・338・376-377・395
◆原 鉄哉 233
◆長谷川 秀雄 208・241
原 一男(★〜) 027
樋口 恵子(1951〜) 207
◆平井 美代子 208
◆平下 耕三 380
◆福田 文恵 310
◆福田 稔 061-062※・147・217・220
◆福永 年久(★〜) 061・207・245※・264・310・366・373・378・380
古込 和宏(19720426〜20190424) 287
牧口 一二(★〜) 380
◆増山 潤 262・314
増田 英明(★〜) 374
◆松井 壽則 250
◆松場 作治(★〜) 380
◆松本 孝信(★〜) 031・044・060-061
三澤 了(1942〜2013) 313・380・390
三井 絹子(1945〜) 261・312
三ツ木 任一(★〜) 264・314
宮尾 修 261-262・264・312
◆三宅 光男(〜2016) 031・044・027・060・064・221・248
◆宮下 三起子 242・244
◆三和 治 264
村田 実(1939〜1992) 261・312
◆森野 亮一 264
八木下 浩一(★〜) 062
◆矢田 龍司 094・221・223・247・251
◆八柳 卓史 380
◆八幡 隆司 328・346・355
◆矢吹 文敏(1944〜) 234・250
◆山北 厚 025・310
◆山口 新一郎 266・315・317
山田 昭義(★〜) 380
山本 勝美(1938〜) 312
横田 弘(1933/05/15〜2013/06/03) 027-028・029・059・094・214・226・247・258・310・313・
横塚 晃一(1935/12/07〜1978/07/20) 027-028・030・033・044・051・055・059・063・094・218-221・247-248・258・260・310-313・377-378・392
横山 晃久(1954/08/01〜) 311・380・390
◆吉田 強 008・039・061・099・217・230・247
◆吉本 哲夫 264
◆若林 克彦(★〜) 027-028・030-031・033・058・060
◆和田 庄司 328-329
◆渡辺 啓二 262-263
◆渡部 貞美 050・164-178

◆マイケル・ウィンター(Michael Winter)(★〜) 067・071・122・124-125・131・240・250
◆ジュディ・ヒューマン (Judy Human)](1947〜) 060・124-125
◆エド・ロパーツ(Ed Roberts)(1939〜1995) 124・183・250


☆02 Michael Winter。
https://www.washingtonpost.com/local/obituaries/michael-a-winter-advocate-and-activist-for-disability-rights-dies-at-61/2013/08/14/6fd5a432-0397-11e3-9259-e2aafe5a5f84_story.html?noredirect=on&utm_term=.962c1f5e8ba3 (20190707)田中
☆17 Judy Human(1947-)国際的に認められた障害者コミュニティにおけるリーダーであり、不利な立場にある人々の権利擁護活動家である。世界銀行で障害担当官を務めた経験もある。
https://2009-2017.state.gov/r/pa/ei/biog/144458.htm (20190707)
☆18 Ed Roberts。一九三九〜一九九五。自立生活運動の父と呼ばれる。14歳でポリオ発症後学業を続け、カリフォルニア大学バークレー校に入学し、自立生活運動を展開した。その後、カリフォルニア州リハビリテーション局長になり、国際障害者年を契機として自立生活運動の世界的普及活動を行う。

◇栗原 千恵子(194806〜1981026 32歳)
 会津若松市やかんの会代表 先天性エーラスダンスロ症候群 『毎夕新聞』1981-3-28→『福島県青い芝ニュース』3:6 『福島県青い芝ニュース』3:5-6
◇山岸英子(19530129〜19810114)
 CP 就学免除 1977青い芝の会の在宅訪問を受ける 1978花見大会に参加、以後毎年…→『悠情――山岸英子さん追悼文集』(19810528、福島県青い芝の会) →「福島県青い芝ニュース』3:5



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■■著者紹介

青木 千帆子(あおき・ちほこ)
 1976年生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了、博士(人間科学)。現在、東京大学先端科学技術研究センター人間支援工学分野 特任研究員。
 論文に、「電子書籍ビューアーのアクセシビリティ機能」(『情報管理』59(5):315-321、2016年)、「「学校でウンコをしたくなるたびに考えること」――合理的配慮を求める争いとつまずき」(『解放社会学研究』28:9-26、2015年)、「視覚障害者向け音声読み上げ機能の評価――電子書籍の普及を見据えて」(『情報通信学会誌』30(2):85-98、2012年)、「障害者の就労場面から見える労働観」(『解放社会学研究』25:9-25、2011年)など。

瀬山 紀子(せやま・のりこ)
 1974年生まれ。お茶の水女子大学人間文化研究科比較社会文化学専攻博士後期課程単位取得退学。東京大学大学院経済学研究科特任研究員を経て、2013年より淑徳大学非常勤講師(ジェンダー福祉論)、2009年より埼玉県男女共同参画推進センター事業コーディネータ。2014年、障害のある女性に対する複合差別をテーマにする論文で、国際女性の地位協会・赤松良子ユース賞を受賞。
 共編著に、『障害者介助の現場から考える生活と労働――ささやかな「介助者学」のこころみ』(杉田俊介、渡邉琢、瀬山紀子編著、明石書店、2013年)、共著に、『障害者権利条約の実施――批准後の日本の課題』(長瀬修、川島聡編、信山社、2018年)、論文に、「障害のある女性たちとの関わりから」現代思想 45(8):166-170など。

立岩 真也(たていわ・しんや)
 1960年、佐渡島生まれ。専攻は社会学。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。千葉大学、信州大学医療技術短期大学部を経て現在立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。
 著書に、『私的所有論』(勁草書房、1997年、第2版生活書院、2013年)、『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』(青土社、2000年)、『自由の平等――簡単で別な姿の世界』(岩波書店、2004年)、『ALS――不動の身体と息する機械』(医学書院、2004年)、『希望について』(青土社、2006年)『良い死』(筑摩書房、2008年)、『唯の生』(筑摩書房、2009年)、『人間の条件――そんなものない』(イースト・プレス、2010年、第2版新曜社、2018年)、『造反有理――精神医療現代史へ』(青土社、2013年)、『自閉症連続体の時代』(みすず書房、2014年)、『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』(青土社、2015年)、『生死の語り行い・2』(Kyoto Books、2017年)、『不如意の身体――病障害とある社会』(青土社、2018年)、『病者障害者の戦後――生政治史点描』(青土社、2018年)など。

田中 恵美子(たなか・えみこ)
 1968年、東京都生まれ。専攻は障害学・社会福祉学。日本女子大学大学院人間社会研究科博士課程後期満期退学。博士(社会福祉学)。東京医科歯科大学歯学部口腔保健学科を経て現在東京家政大学人文学部教育福祉学科准教授。
 著書に、『障害者の「自立生活」と生活の資源――多様で個別なその世界』(生活書院、2009年)、共著に、『人工呼吸器をつけますか?――ALS・告知・選択』(メディカ出版、2004年)、『社会福祉への招待』(放送大学教育振興会、2016年)、『障害者権利条約の実施――批准後の日本の課題』(信山社、2018年)など。

土屋 葉(つちや・よう)
 1973年生まれ。お茶の水女子大学大学院人間文化研究科修了。博士(社会科学)。現在、愛知大学文学部教授。
 著書に、『障害者家族を生きる』(勁草書房、2002年)、共著に、『被災経験の聴きとりから考える――東日本大震災後の日常生活と公的支援』(生活書院、2018年)、論文に、「家族と親密な関係――「フツーの家族は普通なのか」」(奥村隆編『はじまりの社会学――問いつづけるためのレッスン』(ミネルヴァ書房:37-55、2018年)など。障害学研究会中部部会の一員として編んだものに、『愛知の障害者運動――実践者たちが語る』(現代書館、2015年)がある。



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■■第6章 分かれた道を引き返し進む

□□□第6章 分かれた道を引き返し進む 立岩真也 255-322
□□1 そして引き返した 255
□1 要約 255
□2 ここでも青い芝 257
□3 青い芝における騒動/その周辺 258
□4 脳性マヒ者等全身性障害者問題研究会・『自立生活への道』 263
□5 年金改革側の事情、障害者側の要望 265
□6 異論・懸念はあったこと 268
□7 それはつまり何だったのか 270
□8 費用負担の主張に付いて行けず引き返す 273
□9 もっと大規模なケア付き住宅をの主張に付いて行けず引き返す 277
□10 その時期に起こったこと 280
□□2 つきあい方について 284
□1 つきあう場面をいったん分けること 284
□2 介助者(をはみ出す介助者)のこと 285
□3 ドラマチック/でないこと 289
□4 運動と経営において 291
□5 理解を得ること/我を張ること 293
□6 付記:理念と働き手のこと 296
□7 付記:運営・運動・非本人 300
□□補 302
□1 人 302
□2 集まり/の間 305
□3 二人について複数について 308
□□注 309

◇2019/09/** 「分かれた道を引き返し進む・1――「身体の現代」計画補足・638」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2416701668596806
◇2019/10/12 「分かれた道を引き返し進む・2――「身体の現代」計画補足・640」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2428309544102685
◇2019/11/11 「分かれた道を引き返し進む・3――「身体の現代」計画補足・642」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2461918707408435

◇「当事者」について

 「ついでに「当事者」という言葉について。当事者とは「事に当たる者」だから、辞書的にはまたこの言葉の普通の運用においては、本人を指すとは限らない。そこで私は、「当事者主権」という言葉を最初に本に使ったのはあなただと上野千鶴子に言われたことはある★38が、「本人」という言葉を使い続けてきた。ただ、「当事者」を「本人」の意味でしか用いないことが、すくなくともこの世界では定着してきたから、そしてわざわざ「障害当事者」と呼ぶことでそのことを言おうとしているようだから、「当事者」でもよいのかなと思う。ただここではまだ「本人」と記すことにする。」

 「★38 テキストファイルを検索して見つけた。「自らの暮らし方は自分で決めてよいはずだ。彼らは生活の自律性を獲得しようとする。自らのこと、自らの生活のことは自らが一番よく知っている。こうして、提供(資源供給)側の支配に抗し、当事者主権を主張する。」(立岩[1995a:229→2012:417])」

■■注

★01 第3版に新たに加えた「多様で複雑でもあるが基本は単純であること」「共助・対・障害者――前世紀末からの約十五年」(立岩[2012c][2012d])でもそのことを書いている。七〇年(代)については立岩[1998]等。
★02 負けられない。とるものをとらねばならないということであればあらゆる社会運動にこのような側面はある。しかし障害者運動において甚だしく現われるとは言える。だから辛いが、おもしろいといったことを幾度か書いてきた。『人間の条件』では以下。
 「そしてその人たちはともかく、もし生きたければ、実際生きたいのだが、生きていかなけばならないのだった。それは、「革命」とか思って言って、どうもだめみたい、とか思ったら、普通に就職すればよいというのとは違うのだ。世の中の全体をざっくり捉えて、捉えた気になって、そしてだめみたい、とかおおざっぱにのんきに言ってたら死んでしまうのだ。社会のどの部分をどのように動かせるのか、そうしたらどうなるのか、そんな△309 ことを考える、考えるというか実際にやってみることになるのだ。これは、とても「社会]科学的」にもおもしろい。」(立岩[2010:126-127→2018:126-127])
★03 『全障連結成大会報告集』に横塚晃一が書いた文章より。
 「六八〜六九年ごろ、東大闘争を頂点として全国的に高揚した学生運動が権力の手によって抑え込まれるなどして沈滞していくと同時に基盤を失った学生運動の流れが障害者運動にどっと流れ込んできた。」(横塚[1977;323-324])
★04 他に、三四号までの合本・復刻版(東京青い芝の会[1978])があり、会で作られた年表に東京青い芝の会[2000]がある。
★05 青い芝の会の歴代の会長は、ウィキペディアによると(誰が書いているかわからないのだが)、全国化以前は山北厚一九五七〜一九七三、全国化の後横塚晃一九七三〜一九七八、横田弘一九八一〜一九八三、中山善人一九八三〜一九九八、小山正義一九九八〜二〇〇〇、福田文恵二〇〇〇〜二〇〇三、片岡博二〇〇三〜二〇〇六、金子和弘(◆頁)二〇〇六〜二〇一一、 福永年久?〜。私が作っている資料に『青い芝・横塚晃一・横田弘』(立岩編[2016])。
 神奈川県連合会の人が横田・横塚・小山。白石が息子の名にその名の一字をもらったという(◆頁)横塚(一九三五〜一九七八)の『母よ!殺すな』は横塚[1975]、増補版[1981]新版[2007]新版第二版[2009]。私が横塚について書いたものに立岩[2007][2015d]。横田弘(一九三三〜二〇一三)には『障害者殺しの思想』(横田[1979])、その増補新装版が[2015](そこに付した解説に立岩[2015a])。対談集に横田[2004]、亡くなった後、長く横田とつきあいがあった臼井正樹の書いた文章や私との対談を収録した本に横田・立岩・臼井[2016]。私の三度の対談(インタビュー)は横田・立岩[2002a][2002b][2008]。中山善人(一九五三〜)には『自立生活と障害文化』所収の文章に中山[2001]。私は二〇一八年にインタビューをしている(中山[i2018])。公開予定。
★06 横塚への追悼文に磯部[1978]。「その〔七四国民春闘の〕後、彼は「意識変革を通じて制度はうまれる」という意見に傾き、「制度要求を通じて意識改革も可能だ」と主張する私との間に対立を表面的に起した。また全国組織内でも幾つかの要因がからみ合って、混乱と矛盾を今日生み出している。/とはいえ、横塚晃一は[…]」(磯部[1978]、→横塚[2007:353])
★07 一九七七年の全国青い芝の大会で選出された会長は横塚晃一、副会長が白石、事務局長が鎌谷正代(◆頁)。会議はかなり頻繁にあったらしい。その三五年後、鎌谷(古谷)は福島に駆けつけるのでもある(◆頁)。
★08 。反対運動に関わり、『調査と人権』(広田・暉峻編[1987])にも山本[1987a][1987b]を執筆している山本勝美(一九三八生)に堀智久と私が二〇一八年にインタビューした(山本[i2018a][i2018b])。HPに公開している。
★09 『造反有理』(立岩[2013c])には精神医療をめぐる共産党系とそうでない人たちの対立が書かれている。『病者障害者の戦後』(立岩[2018d])では共産系の流れとしてあった患者運動や医療者の活動・言論について検討した。「もらったものについて」(立岩[2007-2017])で私がいくらを知る対立について書いた。
★10 『ふたつの地平線』(一九七七、りぼん社)はこの事件と養護学校義務化反対闘争を映している。以下は郡山での打ち上げの宴会で尾上浩二(一九六〇〜)と横山(一九五四〜)。

 「尾上 『ふたつの地平線』っていう映画。[…]ぜひ一回見てください。まだ長髪のふさふさな白石さんが、バスん中でね、叫んでるんだよ。
 横山 かっこよかったよ。ほんと。
 尾上 マイクで、「われわれ、全国青い芝の会…、日本脳性マヒ者協会、全国青い芝の会です」。〔バスの〕中で、アジってんねん。
 横山 かっこよかったよ。ほんと。俺、それ、憧れたもん(笑)。」(横山・尾上[i2018])
★11 福島県出身で東京青い芝の活動に関わっていた大森幸守がいたことが大きいという(◆頁、白石・橋本[i2018])。大森は一九五七年、福島県白河生。『東京青い芝』に「俺の家族達」(大森[1981])、「「完全参加と平等」の第一歩――青年の船に乗って」(大森[1982-1983])。一九九二年逝去。
★12 宮尾修は千葉県の人。「障害者の生活保障を要求する連絡会議(障害連)」等に関わる。『道』では「市民活動への参加――ある障害者の奇妙なレポート」(宮尾[1984])を書いている。私は千葉大学に勤めていた一九九四年に宮尾他「船橋障害者自立生活センター」の人たちに来ていただき話をしてもらったことがある。記録はある。公開できればと思う。そこから出ている本に宮尾他[1995]、そのセンターの機関誌での連載に宮尾[2012-]。
 横田・立岩・臼井[2016](→注05)刊行に際しての臼井正樹・荒井裕樹との鼎談(荒井・立岩・臼井[2015])の時に荒井が用意した資料に宮尾修の詩集『あしあと』(宮尾[1966]、しののめ叢書6)に収められた「にんげんになってから」からの引用がある。「ぼくはいつも/じぶんの部屋でじっと坐っている/床の間の人形のように/まるでにんげんではないかのように/じっと坐ったきりで/動いたことがない//だが ぼくはにんげんだ/ぼくはにんげんの母から生まれた/だからぼくは/にんげんのかたちをしている/にんげんの食べるものを食べ/眠りを眠り/にんげんの言葉を使って/にんげんの考えることを考えている」(宮尾[1966])
★13 そのうちの一つの中でも、全国青い芝が全国障害者解放運動連絡会議(全障連)から分かれる。それはむしろ全障連の方が現実的であり(現実的であろうとし)、「問題解決の道」を行こうとしたからだとも言える(立岩[1990b:186-189→2012:283-285]。全障連結成時の代表幹事は横塚晃一、副代表幹事は荒木義昭と橋本(事務局長が楠敏雄)。福島県青い芝の会からは一七名の参加があったという。これはずいぶん多い数だと思う。
★14 荒木義昭(一九四二〜二〇一六)は自らの無免許運転を審理する裁判で闘った。その「荒木裁判闘争」他について聞いたものに深田[2018]。猪野千代子(一九三六〜一九九九)。猪野が中心的に関わった会の冊子に障害者の足を奪い返す会[1982]。かつて介助者をした方から、この七月に資料をいただいた。岩楯恵美子(一九五一〜)は府中療育センターでセンター闘争に関わった。自らの就学を求める運動をした(岩楯[1978])。藤原良太が二〇一九年にインタビューをした(岩楯[i2019])。新田勲については注◆。三井絹子(一九四五〜)は新田の妹でもある。府中療育センター闘争以来のことについて三井[2006]。村田実(一九三八〜一九九二)は久留米園に二〇年、そこで自らの就学運動。八一年に自立。山本勝美(◆頁)の著書『共生へ』(山本[1999])に村田が描かれている。JIL編には、荒木[2001]、新田[2001]。
★15 遠藤滋(一九四七〜)。著書編書に、遠藤・茂本[1982]、遠藤・白砂編[1985]、JIL編[2001]に遠藤[2001]。遠藤と彼を囲む人たちを撮った映画に『えんとこ』(一九九九、監督:伊勢真一)がある。その二〇年後に『えんとこの歌 寝たきり歌人・遠藤滋』(二〇一九、監督:伊勢真一)。なお、小規模な、そして自分たちが運営できる施設をという思いは、例えば一九七一年の横塚にもある(横塚[1971])。
★16 三沢了(三澤了、一九四二〜二〇一三)について、私の三〇年前のノート(→HPの頁)には、「一九七六〜ケア付住宅検討会委員 (頚損連絡会から)、八王子自立ホーム→戸山ハイツ (都営住宅)」とある。電動車イス使用者連盟、新宿ライフ・ケア・センター、DPI日本会議等々で活動した。JIL編[2001]には三澤[2001]。横田弘との対談に横田・三澤[2006]。
 今岡秀蔵は『自立生活への道』(◆頁)に「介助・援助――介護からの解放」(今岡[1984])。所属は東京都八王子自立ホームとなっている。また石川准と岡原正幸による一九八五年の、たぶん八王子自立ホームでの、今岡秀蔵へのインタビューがある(今岡[i1985])。ただ、本書ではこうした八〇年代のインタビュー記録などをほとんど生かすことができていない。
 またJIL編[2001]に、古賀[2001]、寺田[2001]。
★17 ヒューマンケア協会の一〇周年の時に作られた冊子があり、その第二部「八王子の当事者運動」に文章を寄せている(大須賀[1996]、渡辺[1996])。このたび検索してその情報のあるHPの頁(私がかつて作ったものではあるが)が出てきた。この辺についてもいろいろと調べることがある。
★18 自伝として板山[1997]。論文に「ある行政官僚の当事者運動への向き合い方――障害基礎年金の成立に板山賢治が果たした役割」(阪悌雄[2015])。この論文は阪の博士論文(阪[2018])の一部になった。板山は白石・高橋の還暦祝い(二〇〇〇年)の折にスピーチもしている。
★19 福永(一九五二〜)については第4章注07(◆頁)。JIL編[2001]には澤田・福永[2001]。
★20 一九二一〜二〇一五。ウィキペディアには「日本の社会福祉学者、日本社会事業大学名誉教授。東京出身。東京帝国大学卒。日本社会事業短期大学助教授、一九六一年日本社会事業大教授、七二年同大学長。八七年定年退任。」などとある。著作集(仲村[2002-2003])がある。
★21 一九三七〜。東京都心身障害者福祉センター勤務の後放送大学教員。『生の技法』を紹介してくれた(三ツ木[1991])。放送大学の『障害者福祉論』(三ツ木編[1997])といった教材を作っている。私は三ツ木から呼びかけられ、調査に関わったことがある。厚生省心身障害研究(主任研究者:高松鶴吉)「心身障害児(者)の地域福祉に関する総合的研究」というものだった。三年ものの二年めから加わったはずだ。療護施設一〇人、ケア付住宅一〇人、一人暮らし一〇人を対象に暮らしについて様々を聞いて比較するというものだった。集まりは三ツ木たちが勤めた東京都心身障害者福祉センターで行なわれた。そこに勤めていたベテランとして杉原素子(後に国際医療福祉大学)、赤塚光子(後に立教大学)がいた。当時の若手として佐々木葉子・田中晃・名川勝・林裕信がいた。聞き取り自体は終わっていたかもしれない。私はその結果をまとめ、報告書作成に関わった(立岩他[1998])。執筆のかなりの部分ととりまとめを担当した。いちじ報告のために会員だった社会福祉学会の大会でも報告した(林他[1995]、赤塚他[1996])。一九八九年から開催されるようになった「自立生活問題研究全国集会」(◆頁)に関わった。JILも関わっていたが、やがてJILはそこから抜けて、この集会はなくなる。その際、(リハビリテーション)専門家(である三ツ木)の介在のあり方が問題にされたようなことを聞いた覚えがある。自立生活は「問題」ではないといった――まあわかるが、言いがかりのようにも思える――ことが言われたという。
★22 一九八四年二月六日、東京青い芝の会(会長増山潤)、脳性マヒ者が地域で生きる会(会長白石清春)、うつみねの会(代表橋本広芳)、東京八王子自立ホーム入居者会議(代表大信正良)が渡部恒三厚生大臣に「身体障害者福祉法改正等に関する要望書」を出す(『とうきょう青い芝』91、1984/2/1)。この四団体が全国障害者自立生活確立連絡会(自立連)を組織する。機関誌『碍−GUY』が八四年一二月と八六年一月に出ている。相模原にうかがったときにいただいたように思う。また田中・土屋が橋本からもらった。事務局長が大森幸守(注11・◆頁)。第一回の総会での記念講演(板山[1984a])をしているのは板山(この時の肩書は日本社会事業大学専務理事)。しかし後で大森・白石はここから抜ける(◆頁)。この組織はそう長くは続かなかったのだろうと思う。
★23 はじめての本格的な研究として阪[2018]。博士論文だが書籍化されると思う。本章で記すことはそこに書かれたことをどのように私は解するかということでもある。
★24 一九二七〜八四。享年五六歳。簡潔な紹介として百瀬[2018]。追悼集として山口新一郎追悼集刊行会編[1986]。七九年にステージWの癌が見つかり、年金改革が実現する前に亡くなった。生きている間によいことをしようと思った、というのはありうることだと私は思う。山口と板山について次のような回顧がある。
 「(昭和)五八年の終わり頃は、局長はかなりもう体調が悪かったから、本当に局長と話をする機会は少ないんですね。あるときに、「おい、辻君、呼ばれてるぞ」と言われてタコ部屋から局長室に行ったら、板山(賢治)さんという人がいて、この人は障害者製作の歴史に残った有名な社会局の人ですけれども、板山さんが局長の前に立っているんですね。[…]ベッドに横たわって板山さんと話していたときに僕が呼び込まれて、「辻君、福祉というのは人の話を聞くこと鱈」と。福祉の心というのはこういうことだと教えられました。板山さんと連絡を取り合っていたんですね。というので、ものすごい障害者に対する深い思いが山口さんにあって、断行された。」(辻[2018:249])
★25 「年金課の我々制度技術者としては、福祉年金に拠出制年金のお金を入れて水準をあげなんて考えられないことです。私たちは「局長、それは難しいですよ」と言い続けたのを覚えていますよ。だけど、「やれ」の一言ですね。[…]/そんな逆選択を認めたら、後で老齢年金にも波及するのではないかというのを散々私は言った記憶があるのですが、でも、局長は「大丈夫だ、やれ」と言うんですね。もう、これは経験のある人しかできないことですね。/百瀬 保険料を払う機会がなかったからという論理ですよね。/辻 障害のある人への深い思いの下で、まず障害基礎年金の水準に上げるという、先に強い決意があったと思います。そういう意味では、歴史を熟知した上で、年金制度はすべて自分が責任を持つという経験者でなければできない改革をやったのが、山口さんなんですね。」(辻[2018:248-249])辻哲夫は一九四七生。八三年厚生省年金局老人福祉課長、八八厚生省社会局老人福祉課長。
 「青柳 それから 二〇歳前障害は、これは山新さんが非常にこだわってやったということはさっき申し上げた通りです。結局、なんで保険料を払わないのに年金が出るのかという論理をつくるのにすごく苦労して、これは滞納なしという論理でいくしかないと。だから、サラリーマンでも、加入して納付期限が来る前に障害になった人については出すというふうにせざるを得なくなっているので、そこはそれで割り切ったんですね。滞納なしということで。」(青柳[2018:265])青柳親房は一九五三生。八三厚生省年金局年金課課長補佐、九二厚生省大臣官房政策課企画官(年金局併任)。
★26 「基本的には年金の水準を下げるようなことが中心だったけれども、ひとつぐらいはいいやつもないといけないというのもあっただろうと思います。障害基礎年金の創設ということで。」(田中[2018:297])田中敏雄は四三生。八三厚生省更生身体障害者専門家。
★27 1で言っているのは、家族が負担せずにすんで、その分家族がより労働・生産に励めるだろうということだ。3で言っているのは、家族が既に本人の分も負担しているようなものであるというのである。家族の扶養を外した方がよいという場合に言われうることである。けれどもなぜ家族が単位とさせられるのかについては『家族性分業論前哨』(立岩・村上[2011])。
★28 新田勲(一九四〇〜二〇一三)については深田耕一郎の『福祉と贈与――全身性障害者・新田勲と介護者たち』(深田[2013])。新田自身にも書いたものがいくつかある。『足文字は叫ぶ!――全身性障害のいのちの保障を』(新田編[2009])に私との対談(新田・立岩[2009])も収録されている。自伝に『愛雪――ある全身性重度障害者のいのちの物語』(新田[2012])。「晩年」に刊行されたということになる。それでも新田は、肝癌を患って何年かはもったから、書けた。
★29 今回私は『とうきょう青い芝』全体に目を通す時間がまったくとれなかった。三〇年前目を通したときに磯部と白石の発言が気になったらしく、ごく短いメモが残り、それがワープロのファイル→HPの頁に残っていた。ちなみにこの箇所の直後では、磯部が国連の言う発生予防は優生思想とは関係のないものだとも述べている。ここもメモしてあった。
★30 「四〇年加入五万円という基礎年金の水準の根拠は、資料を集めたら、家計調査などで説明ついたんですよ。私は「皆既日食だ」と言ったぐらい、当時、制度技術としては感動ものでした。山口新一郎さんが命をかけた改革のときに二五年加入の年金額が、五万円が目の前の額だった。これが大幅な改善だったらできなかったもしれない。それが説明額できる額でセットできたというので、夢のようですね。後から見れば必然の改革のチャンスだったと思います。あのチャンスをものにしなければ、後世に申し訳ないと。それで国民年金制度も安定するわけです。」(辻[2018:251-252])
 「青柳 その次は、月額五万円。これは、要するにキリのいい数字にしただけだったですよ。一九八四年価格で五万円と。/百瀬 たとえば、国会し意義の時には、老後生活の基礎的な部分を保障するといったような説明もありましたが。/青柳 それは後付けで説明した記憶がありますね。/百瀬 その他に、生活扶助の基準と対比させた説明もありましたが。
 青柳 生活扶助についてはもともと、昭和二九年以降、生活扶助の二級地の水準にずっと合せてきたんですよ。だから、だいたい合っていたはずなんです。でも、途中で生活保護のほうが高くなったかもしれませんけどね。/市田 そうですね。高くなってますね。」(青柳[2018:262-263])。
★31 厚生省の元官僚はそのことを素直に喜んでいる。「後日、この〔障害基礎年金〕の生活保護の適用が大幅に減ったと聞いたときはうれしかったですね」(辻[2018:249])。このことがどのように喜ばしいことであるのかという論点の存在にもしかしたら気づいていないのかもしれない。なお、この発言の後に山口局長に呼ばれた話が出てくる(→注24)。
★32 最初の本から検討し批判している。『私的所有論』第7章「代わりの道と行き止まり」の2「不可知による連帯」(立岩[1997→2013:473-480])。『税を直す』第T部第2章「何が起こってしまったのか」(立岩[2009:67ff.])。『ベーシックインカム』第T部第4章2「選別主義・普遍主義」(立岩[2010a:96-99])。
★33 「田中(聡) 理念が中心で、費用徴収のほうは、割にあっさりまとまったのでしょうか?
 田中(敏) 費用徴収をやることは、「当然だ」と言っていました。もっとも、自分たちがどれぐらい取られるか、そんなに取られやしないと思っているわけですけどね。所得保障が確立されれば、一般の人は費用を払っているんだから、障害者も払うのは当然だと。それは大いにいいんじゃないのということでね。法律改正の時は、具体的な中味は議論していませんからね。費用徴収の規定を入れるというだけで。後で、具体化するときにはだいぶ揉めたんですけれども、法律改正の時は「当然だ」ということでしたね。
 田中(聡) 「当然だ」というのは、障害者団体のほうですか?
 田中(敏) そうです。だから所得保障のほうをちゃんとやってねという、そっち側が付いて回っているわけですよ。それが前提だからね。普通の人だったみんな払うものは払うじゃないかと。お金のある人は払うので。もちろん、お金のない人に「払え」なんていう制度じゃないことは知っているからね。」(田中[2018:301])
★34 ケア付住宅については『生の技法』の初版にあった「接続の技法――介助する人をどこに置くか」(立岩[1990b])にかなりの記述があって、しかしそのことにあまり気がつかず、その章を別の文章(立岩[1995a])と差し替えたために、その部分が第二版・第三版からは消えた――新たに加えたのは「自立生活センターの挑戦」(立岩[1995b])。それはよいことではないと考え、現在はHPに以前の章の全体を再掲している。
★35 その後、昭和女子大学人間社会学部福祉環境学科特任教授。同愛会東京協力会会長も務めたようだ(http://hyuman.com/kykdayori.pdf)。
★36 土肥隆一(一九三九〜二〇一六)。日本基督教団所属の牧師。社会党・民主党の国会議員も務めた。阿部・河・土肥[2001]。『生の技法』の文献表には『神戸ライフ・ケアー協会のあゆみ』(神戸ライフ・ケアー協会[1987])があがっている。
★37 「手足論」について、「この言葉がどんな文脈にあったかについて小林敏昭[2011]」と記した後、いくつか文献をあげ、以下のように続けた。「日常の生活において自律をどれほど求めるかと、社会運動において誰が主体となるべきかはまずは分けられる。後者について、あくまで本人たちが主体であるべきだという主張と行動がなされる由縁は理解できるしあってよいだろうし、同時に、それと異なる方針の組織・運動もあってよいとまず言えるだろう。前者については、専ら手段として位置づける場合とそうでない場合と、これも両方があってよいとまずは言える。そして一つ、いちいち細かに指図すること自体がとりわけ大切だというわけではない。また天畠のように、そんなことをしていたら手間がかかってよくないという場合もある。その上で、一つ、介助者自身が人であり、手段に徹することが困難であること、またそのように振る舞うことを求めてはならないこともある。」(立岩[2018c:96])
 そして、自分で決める・作る、のでなくみんな決める・作る、ということがある。それが実際のところどうなのか、それをどう考えるべきかという主題もある。天畠[2019]がそのことに関わってはおり、その論文についてやはり『不如意の身体――病障害とある社会』に述べた(立岩[2018c:88-91])。
★38 テキストファイルを検索して見つけた。「自らの暮らし方は自分で決めてよいはずだ。彼らは生活の自律性を獲得しようとする。自らのこと、自らの生活のことは自らが一番よく知っている。こうして、提供(資源供給)側の支配に抗し、当事者主権を主張する。」(立岩[1995a:229→2012:417])
★39 一九七二年、石川県輪島の生まれ。二〇一九年四月二四日に亡くなった。享年四七歳。五歳の時にデュシェンヌ型の筋ジストロフィーと診断、一九八〇年国立療養所(現在は国立病院機構)医王病院に入院。三七年を経て、二〇一七年十月、退院。その退院に様々な人が関わった。富山では平井誠一(全障連副代表幹事等も務めた、平井[2001]、インタビューに平井[i2018])、金沢では田中啓一(◆頁、田中[i2018]),等。その古込が書いた文章の幾つかが『季刊福祉労働』に掲載され、その「まえがき」のようなごく短い文章を書いた(立岩[2019c])。彼の文章、彼の古込へのインタビュー(古込[i1998])をHPに掲載している。彼の企ては現在始まっている旧国立療養所・筋ジストロフィー者に関わる動き(◆頁)のきっかけともなった。
★40 もう一つは、一方が他方を、あるいは互いを気にしないでおこうと思ってもそうもいかないといった場合、身体の接近・接触、羞恥が関わるような場面である。『介助現場の社会学――身体障害者の自立生活と介助者のリアリティ』(前田[2009])等がある。
★41 『人間の条件』に「[補]民主主義」という部分がある(立岩[2010c:64-68→2010:64-68])。
★42 例えば大賀重太郎(一九五一〜二〇一二、大賀重太郎追悼記念誌編集委員会[2014]他)。ただ彼にしても、言いたいことははっきりあったし、それを言ったし、私は聞いた。言うこと、行動することと、裏方であることは両立しないわけではない。八〇年代に何人かのそういう人たちに話を聞いた、と話をしたが録音などはしなかった。昨年、石川・富山の運動を助力してきた、近くは古込(◆頁)に関わった田中啓一に話を聞いた(田中[i2018])。
★43 働く自分と、その仕事をくれる人たちでもある人たちと、その間に起こることとを考えて書く人もいる。その仕事の条件はよくないからそのことも書くことになる。私がじかに見知っている人に限ると、『生きている!殺すな』(◆頁)に高橋慎一[2017]、渡邉琢[2017]。その渡邉の著書に渡邉[2011][2018]。
★44 例えば白石が一九七〇年代にうまく闘うことができなかった、悔しいと記す「全障研」(◆◆)と、白石たちがもう長くうまくいっしょにやってきている、そして震災の時にもいっしょに活動してした「きょうされん」は、もとは同じ系列の組織だ。なかよくやれているのはまったくよいことであると思う。ただまず「研究」の水準では、これがどんなことであるかを考えて言う必要はある。
★45 新田勲・荒木義昭についての深田の書籍・論文(◆頁)、楠敏雄について岸田[3017](◆頁)などいくつかをあげた。私は高橋修について書くことも記した(◆頁)。誰をどう書くかは自由ではある。ただ、このような人を書くと、例えば論文としておもしろい、こんな人は苦労するといったことはある。そのことを本文に記した。
★46 だから専門家・供給者・労働者たちの動き、考えの遷移あるいは停滞、離合集散等々を調べる意義もあり、そして今度は別の人たちの動き、それらの間の接触や隔絶を調べる仕事もある。堀智久『障害学のアイデンティテ』(堀[2014])の一部、三島亜紀子の『社会福祉学の「科学」性――ソーシャルワーカーは専門職か?』(三島[2007])等はあるがやはり少ない。私は私で、『造反有理』(立岩[2013])や『精神病院体制の終わり』(立岩[2015])、そして『病者障害者の戦後』で医療者たちについていくらかを書いてきた。また、立岩[2017]の多田富雄のこと、というよりは上田敏(一九三二〜)についての記述ご覧いただきたい。
★47 山下[2008]、角岡[2010]、定藤[2011]、二見[2017]、等。関西の運動についての文献を土屋もあげている(◆頁)。『身体の現代・記録(準)――試作版:被差別統一戦線〜被差別共闘/楠敏雄』(立岩編[2014])は、統一戦線」を作ろうとしてそううまくはいかなかった経緯の途中までを収録している。『障害者運動のバトンをつなぐ』(尾上他[2016])は京都の日本自立生活センターの人たちが関わって作られた。
 互いに仲がよくないことが少なくとも一時期はあった組織の両方について書かれている本としては『愛知の障害者運動』(障害学研究会中部部会編[2015])があるが、違いや摩擦があったことがよく押さえられているとはいえない。またこうしたことについて書くためには、それがいかに消耗なものであったとしても、様々あった対立・衝突の背景などをつまったく知らないというわけにはいかない。それで私もときどき書いているところがある。
★48 『病者障害者の戦後』では、白木博次(一九一七〜二〇〇四)、椿忠雄(一九二一〜一九八七)、井形昭弘(一九二八〜二〇一六)、他、ある人たちには崇められているような人について書いた。その人たちはそのまま長寿を全うしたりするのだが、ときに別の場では非難されたりする人でもある。それがどういうことかを調べて考えて書いた。注42にあげた上田敏もその一人だ。そのぐらいのことはしないと(調べて、考えて、書かないと)つまらないと思う。熊谷晋一郎との対談より。
 「熊谷 これは変な質問になるのですが、どこからそのようなシラフの執念が湧いてくるのですか。
 すべてがグレーというか、良い人もいなければ悪い人もいない。原因と結果についてはめまいがするほど複雑で、いろいろなものが組み合わさって現実がつくられています。それを淡々と書いていく仕事がどれだけ大事かと思いますが、なかなかできるものではないと思います。
 立岩 自分自身でもどこから来るのかわからないのですが、「良し悪しはいろいろあるけれど、人間は多面的だ」だとか、そういうふうな語りが一番嫌いですね(笑)。それは自明に正しいのですが、そんな阿呆なことを言って何になるのか。複雑であったり、グラデーションがあったりするのは当たり前です。そのうえで、どこにどのような線があるのかを見ていく、また線を引いていく必要があると思います。先程の五つの契機も、それくらいは言っておこうよということです。つまり、白黒いろいろあるとわかったうえで、はっきり言おうよ、と。それは先ほども言ったように曖昧な、場合によっては美しく見えることのなかに、明らかに人が困ることがあるから、人が無駄に不幸になることがあるからです。そして他方に、そうした場面をさておいて、能天気なことを言って、のうのうと偉そうに生きている輩、長生きする輩がいるからです。
 熊谷 すごくわかりやすいですね(笑)。「困っている人」がいる傍らに、「調子に乗っている人」がいるということですね(笑)。そして困っている人の場所から、調子に乗っている人を淡々と記述していく。」(立岩・熊谷[2019])
★49 例えば、葛城貞三の『難病患者運動――「ひとりぼっちの難病者をつくらない」滋賀難病連の歴史』(葛城[2019])から、複数の疾患別(障害別)の団体がどういう条件があった時に一緒にやって行き辛くなるのかといったことを読みとることができる。また西沢いづみの『住民とともに歩んだ医療――京都・堀川病院の実践から』(西沢[2019])で描かれるその立派な病院・医療者の実践を『精神病院体制の終わり』に書いた悪辣な(時期の)十全会病院が補完するような具合になっていないかと考えることができる。これらはいずれも私の勤め先に提出された博士論文がもとになっている。私たちはそれを手伝い評価する過程で、読みようを考える。そしてそれを書き手に返していくのだが、ときにまにあわないこともあるし、伝わらないこともある。そして最終的には書き方まとめ方は自由なのだ。となると、書かれた後に考えてみて、ときには自分のものも含め他のものとつき合せてみて、私にはこう読めるということを提示するということもある。葛城の本に「ここから始めることができる」(立岩[2019a])、西沢の本に「ここから、ときに別のものを、受けとる」(立岩[2019b])を書いた。
★50 高橋について、高橋と野口の立川でのことについて書くことは述べた(立岩[2019g]に収録)。永山と山之内には二〇一八年にインタビューしている(永山[i2018]、山之内[i2018])。



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■■紹介・言及

◆2019/11/11 「分かれた道を引き返し進む・3――「身体の現代」計画補足・642」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2461918707408435
◆2019/10/14 「あいえるの会のHPに紹介――「身体の現代」計画補足・641」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2429304297336543
◆2019/10/** 「分かれた道を引き返し進む・2――「身体の現代」計画補足・640」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2428309544102685
◆2019/09/** 「分かれた道を引き返し進む・1――「身体の現代」計画補足・638」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2416701668596806
◆2019/09/10 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1171195623015473152
 「「『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』の「もう一度、記すことについて」に書いたことにも関係して、つまり、インタビュー記録をその話し手の著作物として、一つのやり方としてウェブ公開することに関係して、…」「佐藤祐さん菅野亜紀子さん岡本直樹さん」→arsvi.com/ts/20192629.htm
◆2019/09/06 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1169753757388697602
 「本日→arsvi.com/2010/20190906.htm 翌日の障害学会大会会場と同じ巨大ホールで、そこにぽつぽつ人がいるかいないかという感じになりそうですが、まあ気楽にやりましょうと。初売り→arsvi.com/b2010/1909ac.htm 終わった後、京都タワー地下→hitosara.com/areaguide/kyot…
◆2019/09/05 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1169507843961016320
 「青木千帆子・瀬山紀子・立岩真也・田中恵美子・土屋葉『往き還り繋ぐ ――障害者運動於&発福島の50年 』,生活書院 関連情報→arsvi.com/b2010/1909ac.htm 明日初売り→arsvi.com/2010/20190906.htm
 ▽河村書店@consaba
 「【9/14発売予定】『往き還り繋ぐ』青木千帆子、瀬山紀子、立岩真也、田中恵美子、土屋葉(生活書院)運動を担ったひと、繋がるひとへのインタビューをもとに草創期から停滞期、発展期、2011年3月11日を経て現在まで、東北・福島の障害者運動50年に迫る。amzn.to/2NNnFnZ
◆2019/09/02 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1168482554107744256
 「0906往き還り繋ぐ――福島障害者運動史本刊行も機してアーカイヴィング公開シンポジウム第2回 「以下、МL: [mlst-ars-vive: 19831] →[Jsds:1752] に配信したものです。…第3報です。以下こちらの研究所のМLに配信したものです。どうぞたくさんおいでください。」→arsvi.com/ts/20192630.htm
◆2019/09/02 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1168481845823995904
 「「佐藤祐さん菅野亜紀子さん岡本直樹さん」:「『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』の「もう一度、記すことについて」に書いたことにも関係して、つまり、インタビュー記録をその話し手の著作物として、一つのやり方としてウェブ公開することに関係して、以下。」→arsvi.com/ts/20192629.htm
◆2019/09/01 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1168050830303318016
 「「「〔聞き取り・インタビューの記録を〕公開してならない理由はない。次に…その論文よりも「もと」の方がおもしろい、価値がある…ことがしばしばある。比べてどちらがよいということでないとしても、各々に別の価値があるのだから両方があってよいということになる」arsvi.com/ts/20192628.htm(再)」
◆2019/09/01 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1168050010526638080
 「「社会学(者)は、個人を持ち出してなにかを説明することを避けてきたところがある。ただ、よく言うのだが、まず、それはやってわるいことはない。文学であるとか美術史であるとかは年中そいうことをやっている。夏目漱石がどこでなにをしたとかなにを食べたとか」arsvi.com/ts/20192627.htm それ=△」
◆2019/08/31 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1167740846726246400
 「「今日…は参議院議員の選挙の日で、れいわ新選組から木村英子が立候補しているのだが、私と石川准はその人に、一九八六年三月、東京都国立市の喫茶店スワンでインタビューしているのだ…」→arsvi.com/ts/20192626.htm 『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』の「はじめに・いきさつ」」
◆2019/08/30 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1167395490301767682
 「「木村英子・続/舩後靖彦/『生きている!殺すな』」→arsvi.com/ts/20192625.htm 「文字になっていないものもたくさんある。…紙は捨てられ焼かればなければ残る。しかし人の記憶の中にしかないものは、その人が生きている間に聞くしかない。」(「アーカイヴィング」『生存学の企て』)」
◆2019/08/30 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1167232748471214080
 「昨日は1000〜2130連続11.5時間授業。主に院生論文原稿検討。長いことあるが昨日は一番。空芯菜+モロヘイヤ=40リットルもらってもらえてよかった。/好評予約受付中福島本『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』目次まちがっていたところなおしました。→arsvi.com/b2010/1909ac.htm
◆2019/08/28 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1166676212128763904
 「関連情報→arsvi.com/b2010/1909ac.… アマゾンでも予約始まりました。関連企画でも販売します。皆さんどうぞおいでください。→arsvi.com/2010/20190906.…
 ▽悪漢と密偵@BaddieBeagle
 「"「しどろもどろ」な歴史をつむぐ! 白石清春、橋本広芳、鈴木絹江、安積遊歩、桑名敦子、殿村久子、遠藤美貴子、高橋玉江、渡部貞美…": 青木千帆子, 瀬山紀子, 立岩真也, 田中恵美子, 土屋葉 『往き還り繋ぐ 障害者運動 於&発 福島の50年』http://comingbook.honzuki.jp/?detail=9784865001044
◆2019/08/27 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1166253564823404544
 「09/06「往き還り繋ぐ――福島障害者運動史本刊行も機してアーカイヴィング公開シンポジウム第2回」→arsvi.com/2010/20190906.… 会場:立命館大学朱雀キャンパス・ホール 事前申し込み不要ですが、支度の都合ありますので、参加しようというかた、立岩まで→tae01303@nifty.ne.jp」
◆2019/08/23 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1164713473823035392
 「昨日08/22は『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』(生活書院)の仕上げの作業。本日1000再校戻して終了。恐ろしい日程で作業してくれた生活書院高橋淳さんに感謝。09/06の企画で初売りです。よろしくです。→arsvi.com/2010/20190906.…
◆2019/08/22 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1164428145388208129
 「アーカイブ&運動史についてのシンポジウム,9月6日,立命館大学朱雀キャンパス。翌日障害学会第16回大会。両日どうぞ。情報保障希望される方は連絡ください→tae01303@nifty.ne.jp(立岩)T「福島での50年をめぐって」U「こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす」V「そろそろと始めていること」」
◆2019/08/21 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1164077150917447680
 「『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』(生活書院)に出てくる178人!一覧作りました。一部についてはそれぞれの人の頁にリンクさせました→arsvi.com/b2010/1909acb.… 9月6日の企画でこの本について筆者たち他話します→arsvi.com/2010/20190906.…
◆2019/08/21 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1163971428019892224
 「『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』(9月初め刊,生活書院)の文献表掲載→arsvi.com/b2010/1909acb… インタビュー記録の一つひとつを文献として扱うことにしています。「i2018」というふうに記載しています。リンク→全文を読めるものがあります。よろしく。」

◆2019/08/31 「木村英子・続2/『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』――「身体の現代」計画補足・626」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2390845737849066
◆2019/09/01 「人について書くこと――「身体の現代」計画補足・627」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2390937677839872
◆2019/09/01 「小林勝さん金城太亮さん――「身体の現代」計画補足・628」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2390942794506027

◆自立生活センター・アークスペクトラム主催シンポジウム「自立活センターの歩み――これまでの記録と記憶。これからの希望。」
 於:ハートピア京都 鼎談:安積遊歩・岡田健司・立岩真也 2009/10/24
◆2018/03/17 「青い芝の会の思想と出会って」(いただいた題),平成29年度自立生活支援セミナー,主催:特定非営利活動法人あいえるの会,於:郡山市労働福祉会館
◆1999/07/31 「障がいを持つ人の介助保障と介護保険」(講演),'99福祉セミナー「障がいを持つ人の介助保障と介護保険」 主催:障がい者自立生活支援センター<福祉のまちづくりの会>,於:福島県船引町


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■■誤植




◆第6章

○321-12 42(太字) → 42

◆文献表

○xiii ―(殿村)――― i2019 インタビュー 2019/01/14 聞き手:瀬山紀子・田中恵美子  於:郡山→於:町田



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■■校正(再校)

 *土屋による校正については22日22:25のメールを、土屋による人名索引の校正については23日01:01のメールを
 *私としては本書内の頁についてはアラビア数字1字分でお願いのつもりだったが、漢数字になっているので、それをまたなおすのも面倒で、頁が動く可能性があるので、まあそれで合わせるかと
 *例えば352頁・注03(あるいは三五二頁・注03)となっているものは、より探しやすいようにということでそうしている。
 *●のあるものは08/23に追加。

■はじめに・いきさつ

003-02  → 土屋(23頁)と田中が(65頁) 〜 土屋(二三頁)と田中が(六五頁)
 *私としては本書内の頁についてはアラビア数字1字分でお願いのつもりだったが、漢数字になっているのでまあそれで合わせるかと
 *65と指示したものが二八五(285)となっていたので再度
003-05 二九・二八八 → 二九・六八
 *68と指示したものが二八八)となっていたので再度
003-09 ケア付き住宅―― → ケア付き住宅のこと―― 
003-09 )を → )――を
 *必要なら「だが、それは」を「だがそれは」にするなどして行動かさない
005-08 出していた書店 → 出してくれていた藤原書店
005-左07 ほとんと→ほとんど
006-05 二八九 → 六九
 *69と指示したものが289となっていたので再度
006-05 二八九 → 六九
006-10 (五〇頁) → (四九頁)
006-左04 三年目→三年め
006-左03 いただいのだが → いただいたのだが
010-02 二九〇 → 二九四

■第1章

032-01 福島県 → 福島
033-左03 『福島県青い芝の会事務局通信』3 1974/02 → 『福島県青い芝の会事務局通信』3、1974/02
 *261〜264、314の雑誌の巻号を表す二桁の数字は、90℃回転していただいてはどうでしょうか(青木)★★
034-左04 『事務局通信』5 1974/06 → 『事務局通信』5、1974/06
058-10 被災地障がい者センター福島 → 被災地障がい者センターふくしま

■第2章

068-03 みていきたい → みていきたい。(句読点抜け)
085 ▽ トル
086-左03 差別は日常的にあった。 の前は1行空け
092-左07 つっついたり   してさ → 空白つめ
104-左07 カナリア だらけ → 空白つめ
132-01 気づく → 築く
132-07 2017:102 → [2017:102]
134-07 2017:314 → [2017:314]
134-10 2017:183 → [2017:183]
137★08 福島県統合療育センター → 福島県総合療育センター
138 Judy Human(1947-) → Judy Human(一九四七〜)
138 Ed Roberts。一九三九〜一九九五 → Ed Roberts(一九三九〜一九九五)

■第3章

■第4章

192写真 白石提供 → 橋本提供
211 白石 → 私
211 白石 → 私
212 白石 → 私
212 白石 → 私
212 白石 → 私
214-03 書類政策 → 書類製作
214-08 会議禄 → 会議録

■第5章

■第6章

262-10 で代表は宮尾修でそこに → に
262-10 三沢了(頸損連絡会) → 三沢了(三澤了、頸損連絡会) ●
263-09 板山が登場するのは → 板山が東京青い芝の機関誌に登場するのは
263-11 板山[1984] → 板山[1984b] ●
264-左-03 続編 → 続篇
265-04 板山[1984] → 板山[1984b] ●
284-08 思ったのもある。→ 思ったのでもある。
286-左06 人々には → すると人々には
286-左05 義務がある → 「義務」がある
291-左06 いくらでも波瀾万丈→ いくらでも波風は立ち
293-06 きまりにする→ 本人が主導することをきまりにする
293-06 だからということで → 使いにくいということで
293-07 いっったら → いったら
293-08 雇う使う → 雇い使う
296-左04 ものとして→ ものであるのがよい
296-左01 それは、 → それは、感情が関わらないのがよいことを意味しない。
297-03 ないにかと → ないとかと
300-01 螺旋のとこだ → 螺旋のことだ
302-左07 (その一覧が◆頁) → (→巻末の文献索引)
302-左07 ごくごく簡単にわかっていることを記した → その人についてわかっていることをごくごく簡単に記した
303-06 少ない人たち→ 少なくない人たち
310-02 2018 → 2018b
310-左09 注03・三五二頁 → 352頁・注03(あるいは三五二頁・注03)
310-左08 [2009] → [2010]
310-左01 横塚の → 横塚への
311-03 [1978→2007 → [1978]、→横塚[2007
311-05 注18・二四九頁 → 第7章・379頁(あるいは第7章・三七九頁)
311-左09 横山 → 横山晃久
311-左02 ◆頁 → 249頁・注18(あるいは二四九頁・注18)
312-06 宮尾[1966] トル
312-左05 この七月に資料をいただいた → この九月に資料をいただくことになっている
313-06 (→HPの人頁に転記)
313-08 三沢[2001] → 三澤[2001] ●
315-10 製作 → 政策
315-12 鱈 → だよ
317-09 し意義→審議
319-08 (注42・三二〇頁、田中[i2018]), → (注42・三二〇頁、田中[i2018])、
319-06 彼の古込への → 彼への
319-05 ◆ → 三六八
321-12 注42 90℃回転

■第7章

323 第7章 二〇一一年東日本大震災以後の福島の障害者運動 → 第7章 東日本大震災以後の福島の障害者運動
329 表7- 1 → 表7―1
335-左08 支援センターが実施した南相馬市における調査 → 支援センターが実施した、南相馬市における調査
342 表7- 2 → 表7―2
348-06 慣習 → 習慣

■第8章

364-左04 生き延びたか――福島の → 生き延びたか 福島の (1字空け)
365-08 [2013] → [2013a]
366-10 → (二五二頁・注03)
366-10 → (二〇七頁・注07)
367-08 すきま → 隙間
367-10 すきま → 隙間
367-左02 すきま → 隙間
368-08 それはゆっくり → 衰退はゆっくり
368-11 筋ジストロフィート → 筋ジストロフィー
369-01 そこそこできて → そこそこ箱が
376-左06 」(日身連) → (日身連)」
384-09 組織の方 は敬遠 → 空白つめ
389-08 研究センター報告18 90℃回転
389-09 生き延びたか――福島の → 生き延びたか 福島の (1字空け)
389-12 後悔 → 公開
389-左05 許せない! !を縦に
389-左04 正しい! !を縦に
389-左03 <0094< とる

■もう一度

391-05 亡き・妻清美さん――二〇一七年に → 亡き妻・清美さん――二〇一八年に
391-03 ならないのだ → なくならないのだ

■文献表

v-下01 1987『防災 → 1987 『防災 (あける)
vi-10 生き延びたか――福島の → 生き延びたか 福島の (1字空け)
vii追加:―― 2013の下
―――― 2014 『3・11 あの時の決断は…――証言集DVD』
―――― 2016 『避難生活を続ける障がい者の実態調査とそれを支える日中系事業所の課題とこれから』
 集中豪雨…の下
酒造 唯 2013 「原発事故と知的障害者 終わりなき流転の物語」,『DIAMOND Online』2013-06-10 ※
 名前読み; viii i2018a に ※
iv 全国自立生活…:480p. トル ●
x-03 2019f] → 2019g]
x-07 391-428] → 391-428→2009:427-461]
x 2012b 立岩・堀田[2012] → 立岩・堀田[2012:95-173]
xi 2018a → 2018b (『人間の
xi 2018b → 2018c
xi 2018c → 2018d
xi 2019f:2019f] → 2019g]
xiii 中山 i2018 に ※ ●
xiii 永山 i2018 に ※ ●
xiv−01 新田 1980 に ※ ●
xiv ◆ トル
xv 福永の上に追加
福島県福祉事業協会 2019 「沿革」,福島県福祉事業協会HP ※
xv 前田 拓→前田 拓也
xvi 宮尾 修 他 19950624 → 宮尾 修 他 1995
xvii ―――― 山本 勝美 1887b → ―――― 1887b
xix 映画・映像作品 ●
『さようならCP』(1972) 監督・撮影:原一男,制作:疾走プロダクション,82分,16ミリ
『カニは横に歩く』(1972) 制作:「カニは横に歩く」制作実行委員会,1時間10分
『何色の世界』(1975) 監督:河野秀忠,制作:障害者問題資料センターりぼん社,1時間12分
『ふたつの地平線』(1977) 制作:障害者問題資料センターりぼん社,1時間22分
『しどろもどろ――反世界からのこだま』(1981) 制作:福島県青い芝の会
『えんとこ』(1999) 監督:伊勢真一,制作:映画「えんとこ」上映委員会,100分
『かがやく女たち』(2000) 制作:障がい者自立生活支援センター福祉のまちづくりの会,28分,VHS
『こんちくしょう』(2007) 製作総指揮:福永年久,監督・撮影:村上桂太郎,企画・制作:特定非営利活動法人障害者生活支援センター遊び雲『こんちくしょう』制作委員会
『福島からのメッセージ』(2011) 撮影・編集:うららさとこ・瀬山紀子,製作:連連影展FAV,22分
『逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者』(2012) 監督:飯田基晴,製作:東北関東大震災障害者救援本部,74分
『えんとこの歌 寝たきり歌人・遠藤滋』(2019) 監督:伊勢真一,96分

 *制作と製作:https://99bako.com/329.html

■■校正(初校)

◎=まだ:93→23→22(20190817)

■はじめに・いきさつ

003 田中と(◆頁)土屋が(◆頁) → 土屋(37頁)と田中が(65頁)
003 ◆ → 29・68 ※白石
003 ◆ → 69 ※安積
003 ◆ → 110・222 ※栗城
003 ◆ → 222 ※くえびこ
003 ◆ → ものである――こと(◆頁) → ものであること(225・277頁)――
004 ◆ → 221・260 ※白石〜全国青い芝◎
004 ◆ → 283 ※高橋修
004 (◆頁) → (安積[1990:30→2012:47]、377頁に引用)
005 ◆ → 30・68 ※橋本
005-09 しかし……掲載した トル
006 ◆ → 69 ※鈴木
006 ◆ → 50 ※鈴木
006 ◆ → 27 ※『さようなら!CP』
007 ◆ → 23
007 ◆ → 364
007 (◆頁) → (258頁)
008-09 +:角野正人・介助者 トル
008 桑名敦子 2019/10/09のあとに
◇安積 遊歩 2018/10/23 聞き手:田中
009-左02 一覧の下二つの◇ → 右の二つの◇ ★★右の二つの → 左の二つの
010 ◆ → 290
011-左05 載て → 載せて

■目次

019 6 付記:理念と働き手のこと
019 7 付記:運営・運動・非本人

 ※ここまでテキストファイルに反映(20190820)

■第1章

025-左04 単に → たんに(△)
057-左03 1字下げ
058-左03 磯部眞教 → 磯部真教

■第2章

102 ● → ◎ ※全健集会
129 見出しの矢印の縦横

 注あと11行可能

■第3章

167-左02 割と → わりと(△)
169-08 1 → 一
172-13 一応 → いちおう(△)
174-11 △ トル
175-02 2字下げ → 1字下げ

■第4章

181-左02 単なる → たんなる(△)
187 上の写真 下のビラの幅に合わせてもよいのでは?
209 ◆ → ◎ ※在宅訪問

213-07 奥平に「物置 → 奥平に「物置
214-08 横田氏や横田氏 → 横田氏や横塚氏

■第5章

219 △◆ トル
220-10 磯部眞教 → 磯部真教
222 作業所の結成 → ◎(結成でよいか?)
246 ◆ → ◎
247 ◆ → ◎
247 ◆ → ◎
247 ◆ → ◎
248 ◆ → ◎
248 ◆ → ◎
249 ● → ◎
249 ● → ◎
250 ●〜● → 一八三〇〜二〇一二
250 ● → ◎ ※斎藤さんは事務局の仕事していました。役職名?は不明(立岩)
252-2 「はなまるニュース」 → 『はなまるニュース』
254 ● → ◎
254 ● → ◎

■第6章

257-04 言った → 行った
258 ◆ → 243
258 ◆ → 215
258 ◆ → 30
258 ◆ → 31
260 ◆ → 221
261 ◆ → 222
266-04 進めた → その方向に進めた
266-10 熱心に支持し → 熱心に年金による所得保障を支持し
267-6 いったことがある → いったものがある
268-10 だった思う → だったと思う
270-10 資産調査がなされ → 所得制限があり資力調査がなされ
271-08 それは新田が → それば――七七年に東京青い芝の会に要求書を出し受け入れられなかった人でもある――新田勲が
275-01 なかでという → なかで払うという
276-01 記述があまい → 私の記述があまい
276-左03 中核? 部分 → 中核?部分 (1字分あきをトル)
278 ◆ → 3
281 ◆ → ◎
281 福永か → 福永が
281 ◆ → 264
281 ◆ → 285
283 ◆頁 → 311頁・注10
287 ◆ → 367
288 バスジャック(◆ → バスジャック闘争(259
288-08 いくかは → いくらかは
288-12 できごど → できごと
289 ◆ → 283
290 古込がインタビューで → 古込(287頁)が
296 ◆ → 288
296 ◆ → 286
296-左02 耐えない → 絶えない
297-01 あった → 現れた
298-10 社会的運動 → 社会運動
298-左03 回ってない → まわっている
299-07 運動体が作る → 運動体が出す
301 私は書いたように(◆頁)、 → 書いたように(293頁)、私は、 301 ◆ → 291
302 ◆ → 393
302 ◆ → ◎
303-左08 いった → 行った
304-06 ことがある → ことがあるのだ
305-08 たたする → たりする
307-左05 私は、 トル
308-03 事 → こと
308-左05 というは → ということ
310 ◆頁 → 247頁・注04
310 ◆頁 → 352頁・注03
311 ◆ → 378
311 ◆頁 → 249頁・注18
311-05 鎌谷(古谷) → 鎌谷(古井) 312-05 05 → 横並びに
312 注◆ → 注28・316頁
312 ◆頁 → 注08・310頁
313 ◆ → 264
313 注07(◆ → 注07(207 07は横並びに
314 ◆ → 184
314 ◆ → 311
314 ◆ → 279
315-左10 あげなんて → あげるなんて
317-左07 24 横並びに
319 ◆頁 → 注42・320頁
320 ◆頁 → 注39・319頁
320 ◆ → 12
320 ◆◆ → 37頁
320-08 ちがちだもう → ちがもう
320-08 してした → してきた
320 ◆頁 → 312頁・注14、316頁・注28
320 ◆ → 390頁・注10
320 ◆ → 4
320-13 を書くと、例えば → について書くと例えば
320-13 こんな人は → こんな人の場合は
320 ◆ → 4
320 ◆ → 24
321-02 字下げ
321-05 などをつ → などを
322 ◆頁 → 立岩[2019g]に収録

■第7章

328 ◆ → ◎
328 一九八〇 → 一九八一

■第8章

363 ◆頁 → 7頁、388頁・注03
364 ◆ → 389
365 ◆頁 → 白石[2012]他
365-03 忙しくかったのに → 忙しかったのに
366-09 近かった。人たち → 近かった人たち
366-09 私は、 トル
366-10 古井雅代 → 古井正代
366 ◆ → 352頁・注03
366 ◆ → 207頁・注07◎
366-10 私は トル
366-左04 やるほう得意 → やるほうが得意
367 ◆ → 387
367 ◆ → 287
368 ◆ → 387
368 ● → 祐美
371 ◆ → 363
373 〔◆頁〕 トル
387 ◆ → 364

■もう一度

391 記〔しる〕す → 「しる」ルビ(なくてもいいかも)
392 ◆ → 382
393-04 なりなりきったり → なくなりきったり
393-左01 まず、それは → まず、個人を書くこと自体は、
394 (◆頁) トル
395 もってた → もってきた
395-06 やっぱりと思うことがお願いして、やっぱり、→ そちらの方を読んでみると、やっぱり
395-09 のは、加筆・削除 → のは、話してもらいそれを文字にしたものに加筆や削除
395-09 それを トル
395-12 続けてよう → 続けよう◎
396 ◆ → 10
396-08 くだされている → くださっている

■文献表

002 ―――― i2018 インタビュー 2018/10/23 聞き手:田中恵美子 ↓
―――― i2018 インタビュー 2018/10/23 聞き手:田中恵美子 於:東京
004 廉田の上
角岡 伸彦 2010 『カニは横に歩く――自立障害者たちの半世紀』,講談社
005 桑名 i2018a:◆ → 東京
005 桑名 i2018b:◆ → 東京
008 白石・橋本 i2000: +角野正人・介助者 トル
008 白石・橋本 i2001: 他に、 → +:
008 白石・橋本の上
―――― 2019 本書の草稿へのコメント
008 鈴木 i2000:2000/ → 2000/06/14
008 ◆ → ◎ ※鈴木絹江へのインタビュー場所
011 ◆ → 手許になく、生活書院の本なのでお願い
011 ◆ → 手許になく、生活書院の本なのでお願い


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■本に使用する画像・図版

○『自主制作映画しどろもどろ――反世界からのこだま』(1981、福島県青い芝の会主催映画パンフレット)表紙
○ビラ×2〜 画像ファイルをトリミングして使用
○『生の技法』初版・増補改訂版の橋本氏がトラメガでアジっている写真が使用されている第7章扉を切り取ってそのまま使う。
★震災関連写真
★白石・橋本他人物写真

■現物資料メモ(土屋が作成したものを、立岩が現物を点検しながら一部情報増補)
・橋本広芳氏が複数所有していたため、2001年8月に譲渡されたもの。
・電子データ化はしていない。

○現物資料
1.『青い芝ニュース』2(19800220、福島県青い芝の会)
 連絡先:いわき・郡山・会津・福島 編集責任:橋本広芳
2.「福島県青い芝ニュース』3(198105、福島県青い芝の会)
 福島・郡山・いわき・会津  3.『悠情――山岸英子さん追悼文集』(1981、福島県青い芝の会)
4.『自主制作映画しどろもどろ――反世界からのこだま』(1981、福島県青い芝の会主催映画パンフレット)
5.『歩廻夢』創刊号(19880130、発行人:白石清春、発行所:くえびこ企画)
6.『コミュニティ誌・スパイラル』創刊準備号1,19900420,発行者:G・ラセン準備会,発行責任者::橋本広芳
7.『コミュニティ誌・スパイラル』創刊準備号2,19900801,発行者:G・ラセン準備会,発行責任者::橋本広芳
8.『コミュニティ誌・スパイラル』創刊準備号3,19901220,発行者:G・ラセン準備会,発行責任者::橋本広芳
9.『碍−GUY』(全国障碍者自立生活確立連絡会)1:19841201
10.『碍−GUY』(全国障碍者自立生活確立連絡会)2:19860115
 ※https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000043625-00によれば1988年の第4号をもって終刊(1900?、1987、1988があることになっている)
11.脳性マヒ児・者健康問題研究会 19881115 『脳性マヒ児・者健康問題研究会報告書』
 発行:脳性マヒ児・者健康問題研究会 編集人:白石清春 60p.

○CD資料 →収蔵(立岩)
1.ビラ 1977〜
2.ビラ(カンパ、呼びかけ等 1980〜)
3.ビラ(カンパ呼びかけ等 1976〜1979)
4.障害者問題関係
5.新聞スクラップ 1975 No.1
6.新聞スクラップ No.2
7.全国優生攻撃
8.地下歩道闘争
9.福島駅関係
10.福島県青い芝の会 No.1
11.福島県青い芝の会 No.2
12.福島県青い芝の会 No.3
13.福島県青い芝の会 No.4

○テキストファイル →収蔵(立岩)
 上記フォルダより、項目にわけてテキスト化。
・「ビラ 1977-」(1.ビラ 1977〜より)
  「東京方面の運動に関するビラ」「東北地区での運動に関するビラ」「福島での運動に関するビラ」
・「ビラ(カンパ、呼びかけ等 1980〜)」(2.ビラ(カンパ、呼びかけ等 1980〜)より)
  「行事参加への呼びかけ」「国際障害者年1981関連」ほか
・「ビラ(カンパ呼びかけ等 1976〜1979)(3.ビラ(カンパ呼びかけ等 1976〜1979)より)
  「54養護学校義務化阻止」「行事参加への呼びかけ」ほか
・「青い芝の会事務局通信」
  「合宿議事録 19740428-29」、「福島県青い芝事務局テキスト(1973〜)」ほか
・「友人組織通信」


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◇白石 清春・橋本 広芳 i2000 インタビュー 2000/06/13 他に参席:角野◆・介助者 聞き手:瀬山紀子・土屋葉 [T1]
◇鈴木 絹江・鈴木 匡 i2000 2000/06/14 聞き手:聞き手:瀬山紀子・土屋葉 於:郡山
◇白石 清春 i2001 インタビュー 2001/08/07 他に参席:吉田強・佐藤孝男 聞き手:瀬山紀子・土屋葉 於:郡山
◇岡部 聡  i2011 インタビュー 2001/08/08 聞き手:瀬山紀子・田中恵美子・土屋葉 於:郡山・オフィスIL事務所
◇白石 清春・橋本 広芳 i2000 インタビュー 2000/06/13 他に参席:角野◆・介助者 聞き手:瀬山紀子・土屋葉 [T1]
◇宇田 春美 i2012 インタビュー 2012/08/29 聞き手:土屋葉 於:郡山・交流サロンしんせい
◇岡部 聡 i2012 インタビュー 2012/08/29 聞き手:井口◆ 於:郡山・交流サロンしんせい
◇白石 清春・橋本 広芳 i2015 インタビュー 2015/11/21 聞き手:NHK
◇橋本 広芳 2016-2017 『広芳の小部屋』 20160630-20171105 文字化した頁:http://www.arsvi.com/2010/20160630hh.htm
◇白石 清春・橋本 広芳 i2018a インタビュー 2018/03/16 聞き手:立岩真也 於:郡山
桑名 敦子 i2018a インタビュー 2018/10/09 聞き手:田中恵美子 於:◆
◇白石 清春・橋本 広芳 i2018b インタビュー 2018/11/29 他に参席:岡部聡 聞き手:青木千帆子・田中恵美子・土屋葉 [TE]★
◇白石 栄子 i2018 インタビュー 2018/11/29 聞き手:土屋葉・青木千帆子 於:郡山[T3]
◇冨永 美保 i2018 インタビュー 2018/11/29 聞き手:田中恵美子 於:郡山
桑名 敦子 i2018b インタビュー 2018/12/02 聞き手:田中恵美子 於:◆
◇殿村 久子 i2019 インタビュー 2019/01/14 聞き手:瀬山紀子・田中恵美子 於:郡山 [TE]
◇渡部 貞美・遠藤 美貴子・高橋 玉枝 i2018 インタビュー 2018/12/15 聞き手:瀬山 紀子 於:船曳
◇鈴木 絹江 i2019 インタビュー 2019/02/22 聞き手:田中恵美子・土屋葉 於:京都 [TE]




◇2018/11/29 白石清春さん・橋本広芳さんインタビュー記録収蔵(未公開) 田中(恵)・土屋・青木 於:郡山
◇2018/11/29 白石清春さん・橋本広芳さん・岡部聡さんインタビュー記録収蔵(未公開) 土屋・田中(恵)・青木 於:郡山
済2018/11/29 白石栄子さんインタビュー記録収蔵(未公開) 土屋・青木 於:郡山
◇2018/11/29 冨永美保さん(NPO しんせい)インタビュー記録収蔵(未公開) 田中 於:郡山
◇2019/01/14 殿村久子 聞き手:田中恵美子・瀬山紀子 非公開
◇2019/02/22 鈴木絹江 聞き手:田中恵美子・土屋葉 非公開

○2000/06/13 20000613sk.htm[全]
 対象者:白石清春、橋本、介助者、角野?/聞き手:土屋・瀬山
 頂いた資料
 障碍者が地域で生きる会2000『軌――自立障碍者四半世紀の歩み』
 鈴木貞夫さんによる、新聞記事切り抜き(福島青い芝結成から解散まで)。
◆2000/06/14 鈴木絹江+鈴木匡 聞き手:聞き手:土屋葉・瀬山紀子 20000614sk.htm[全]

○2001/08/07 20010807sk.htm[全]
 12:00から白石清春さん、吉田強さん、佐藤孝男さん聞きとり
 聞き手:瀬山、土屋
◆2001/08/08 20010808os.htm[全]
 2001年8月8日 オフィスIL事務所にて オフィスIL 岡部聡さん(CIL職員)

◆2012/08/29 被災地障がい者支援センターふくしま 宇田春美さん(相談支援員)
 (ヒアリングは交流サロンしんせい http://saronsinsei.jimdo.com/)〒963-8022 福島県郡山市西ノ内1-25-2? 電話:024-983-8138
 インタビュアー:土屋 記録:井口 ※音声記録有 ※収蔵:音声+メモ(MS Word)
◆2012/08/29 岡部聡さん(あいえるの会) 20120829 16:50〜18:30
JDF被災地障害者支援センターふくしま ヒアリング場所 交流サロンしんせい
聞き取り 主 井口 記録 PC 土屋、録音 土屋・井口ICレコーダー ※音声記録有 ※収蔵:音声+メモ(MS Word)
◆2015/11/21 白石清春+橋本広芳 聞き手:NHK 20000614sk.htm[全]
橋本 広芳 2016/06/30-2017/11/05 『広芳の小部屋』
○2018/03/16 白石・橋本 聞き手:立岩 於:郡山 20180316sh[全]
◆2018/03/17 立岩 20180317ts[全] 於:郡山
◆2018/03/17 雪下法子 20180317yn[全] 於:郡山
◇2018/03/17 シンポジウム 於:郡山
◆2018/03/17 横山 晃久尾上 浩二
 20180317yt[全]
◆2018/11/29日 午前 白石清春さん・橋本広芳さん 田中(恵)・土屋・青木 於:郡山 20181129sk.htm[全]
◆2018/11/29日 午後 白石清春さん・橋本広芳さん・岡部聡さん 土屋・田中(恵)・青木 於:郡山 ↑
◆2018/11/29日 夕方 白石栄子さん 土屋・青木 於:郡山 20181129se.htm[全]
◆2018/11/29日 夕方 冨永美保さん(NPO しんせい) 田中 於:郡山 20181129tm.htm[全]
◆2018/12/02 桑名敦子氏インタビュー 聞き手:田中恵美子 於:東京 20181202ka.htm[全]
○2018/12/15 渡部貞美さん・遠藤美貴子さん・高橋玉枝さん 於:船曳 20181215ws.htm[全]


■補記すべき田中作成のメモ

 本章で主として取り上げる人物について、簡単に紹介しておく。
@ 白石清春
 一九五〇年生まれ。★★。★★。一九七〇年代から脳性まひ者の当事者団体である「青い芝の会」の福島県支部の設立に関わり、その後全国組織(再建委員会)の代表となる。秋田、相模原などで障害者運動を展開したのち、★★年に故郷の郡山に帰り、福島県の自立生活運動の中心人物として活動する。二〇一一年東日本大震災の際には被災地障害者ネットワーク(JDF被災地障がい者支援センターふくしま)の代表として福島県の被災者支援の中心を担う。
A 橋本広芳
 一九五〇年生まれ。★★。★★。千葉、福島での施設生活ののち、白石と共に福島の障害者運動に携わる。白石が全国組織に関わる間も福島を拠点に運動を続け、白石帰郷後、ともに福島の自立生活運動を担う。
B 鈴木絹代
 一九五一年生まれ。早生まれのため、白石、橋本と同級である。★★。小学校六年二学期まで自宅近隣の普通学校で学び、★★年、三学期から新設の郡山養護学校に第一期生として就学した。高等部まで過ごし、卒業後千葉で就職したが過労で帰郷し、実家で編物などをしながら母子で暮らす。その後障害者運動と出会い、傾倒する。結婚と同時に運動から離れ、農業に従事。やがて障害者自立生活運動に関わり、事業所を立ち上げ、理事長となる。現在は福島原発事故の影響で京都に移住。事業所運営を続けている。
C 安積遊歩
 一九五六年生まれ。★★小学校を普通学校で五年まで過ごし、★★年に医師の勧めと自らの意思で郡山養護学校に編入。中学一年二学期の終わりまで過ごし、院長に直談判の末退所。再度普通学校を希望したが校長の反対にあって編入できず、しばらく家で過ごす。★★年、中学二年から普通学校に戻った。中学卒業後自宅に籠って数年過ごしたのち、障害者運動と出会い、自宅を出て一人暮らしを始める。障害者運動を進める中で橋本と同棲し、★★年に、後奨学金(★★)を得てアメリカに留学する。帰国後は東京で日本で初めての本格的な自立生活センター「ヒューマンケア協会」の設立(八六年)に関わり、障害者自立生活運動の普及、特にピア・カウンセリングの普及に携わる。旧優生保護法の撤廃についても国際会議(★★)に参加して訴えるなど、女性障害者リーダーとして尽力を果たす。東京では長く国立市に居住していたが、原発事故の影響を避けるためニュージーランドに移住し、現在は北海道に拠点を移している。
▼著書に[1993][1999][2010][2019]、娘である安積宇宙との共著に安積・安積[2019]。▲
D 殿村久子
 一九五六年生まれ。小学校一年生(★★)から施設で生活し、養護学校卒業(★★)後は大人の入所施設で生活した。その後二五歳で施設、実家も出て自立生活を相模原で開始した(★★)。以後結婚、出産を経て自立生活運動、ピアカウンセリングの活動に尽力する。離婚とともに町田で生活をはじめ、新しいセンターの設立や運営に携わる。現在は自立生活センター★★の代表を務める。
E 桑名敦子
 一九五九年生まれ。四歳から肢体不自由児施設に入所し(★★)、就学年齢からは隣接の養護学校に施設から通った(★★)。一〇歳になると近隣に居を構えた自宅から養護学校に通った(★★)。高等部卒業(★★)後、短期大学に入学し、本格的に英語を勉強。その後奨学金を得てアメリカに留学し(★★)、その地で出会ったアメリカの自立生活運動のリーダー、マイケル・ウィンターと▼八三年に▲と結婚。以後アメリカで生活している。




19500424 白石清春生まれる
19500715 橋本広芳福島市に生まれる
19510226 鈴木絹江福島県いわき市小名浜下町で生まれる
19560216 安積遊歩(純子)福島市に生まれる
1956 殿村久子生まれる
195704? 橋本、★学校に入学
195804? 白石、鈴木、栗城茂子、★学校に入学
1959 桑名敦子
196204 福島県で初めての肢体不自由児を対象とした郡山養護学校が開設される
 小、中、高、全部合わせて100人くらい
 寄宿舎の人が大部分。白石が高等部のときにスクールバス始まり、白石は自宅からも通う(寄宿舎にいたことも)
196204 安積遊歩(純子)殿村久子1年生として入学
196304? 白石郡山養護学校中等部入学
196604? 白石郡山養護学校中等部卒業
196903 白石清春郡山養護学校高等部卒業
福島市:ひまわりの会
★★ 橋本、千葉県の「ベデスタホーム」に入所
★★ 橋本、千葉県の「ベデスタホーム」を退所、福島県の「けやきの村」に入所
1971 白石、郡山市の「サークル・なかま」に参加する〔20010807〕
1972 橋本:郡山市の福祉サークルに入り活動
1972 『さようならCP』上映会:「地域福祉研究会(地福研)」郡山と福島の合同主催で、郡山と福島で2回ずつ
19730826 福島県青い芝の会の最初の設立懇談会が開催された。その後も2回ほどの懇談会
19731013-14 福島県青い芝の会準備会として、会のメンバーが4名、青い芝全国代表者会議に出席
19740117 白石が東京青い芝の都庁座り込みに参加
19740120 結成準備会
19740217 「福島県青い芝の会」結成総会。会長に大越哲哉(のちに辞職)、副会長に橋本、事務局長に白石
1974 白石清春橋本広芳、福島市で共同生活を始める
197504 福島県青い芝の会の事務所開設
197603 福島市で地下歩道建設阻止闘争
197603 白石清春、秋田市に転居、活動の中心を秋田市に移す
1976 「桑名敦子を福島大学に入れる会」結成
197704 白石、川崎駅前でのバスジャック闘争に中心的立場で参加
19** 橋本:福島青い芝の会会長、自立連代表

197807 横塚死去
197903 横浜では、神奈川青い芝の矢田らが中心となって、「ふれあいの会」を結成
197905 青い芝の会第4回全国大会 磯部による横田批判 大会は成立せず、常任委員会に代わって再建委員会が設置され、委員長として白石清春が選出される
197907 「ふれあいの会」作業所の運営を始める
198001 全国所得保障確立連絡会 (所保連) 結成
198003〜「脳性マヒ者等全身性障害者問題研究会」(〜198204)
198006 「ふれあいの会」障害者地域活動ホーム・ふれあいの家を設立、作業所をここに移すとともに、そこを地域との交流の場所にしょうと試みる。そして、当初から必要性が認められ、また家庭に問題が生じ生活する場がなくなっても作業所はそれに対応しきれないという問題の発生に促され、生活の場所としての「ふれあい生活の家」建設の運動を行う(83)。
198006 相模原市で、白石ら、「脳性マヒ者が地域で生きる会」を結成
19810131〜0201 全国委員会(全国青い芝再建委員会 代表:白石) 所得保障・白石:生保をとっていく闘いも 磯部:生保ではだめ 優生思想・磯部:国連の発生予防は遺伝相談のようなものではない(『とうきょう』59:6 )
19811204〜06 第5回全国大会(兵庫県明石市) 広島青い芝の会員の電動車椅子による事故をきっかけに、電動車椅子を肯定する派と否定する派に 広島青い芝他が反対 白石は肯定派 白石が辞職
198204 「脳性マヒ者が地域で生きる会」、地域作業所「くえびこ」を開所(還暦祝い記念誌では1981)
198204 「脳性マヒ者等全身性障害者問題研究会」終わる
198204 「脳性マヒ者等全身性障害者問題研究会」報告書:長期的に改善すべき方向として、障害者年金を拠出制年金の額まで引き上げ、同時に福祉手当を増額して、合計を生活保護の一類・二類に障害者加算を加えた額と同水準にすること、または、障害福祉年金・福祉年金・福祉手当の代りに新たな障害者手当を制定し、その水準を第一の案と同額とすること、を提言
1982〜 「脳性マヒ者が地域で生きる会」、ケア付住宅の建設に取り組む
19840200 全国障碍者自立生活確立連絡会(自立連)結成
1984 桑名敦子、マイケル・ウィンター(Michael Winter)と結婚
1986  「脳性マヒ者が地域で生きる会」、ケア付住宅開所
1986年度〜 障害基礎年金制度実施
198907 白石、福島に戻る
1990  「グループらせん」設立
1993 福島県知事佐藤栄佐久が福島県人会を通じて桑名を訪ねる。夫のマイケルが障害者の自立生活センターの視察と自立生活を送る障害者の訪問をコーディネート。
1994  「ワークIL」・「オフィスIL」開所。白石、オフィスILの所長に
199410 「福祉のまちづくりの会」がマイケル・ウィンターを招聘。桑名敦子は通訳として同行。
1995  阪神淡路大震災
1995 福島県(知事佐藤栄佐久)自治体で初めて障害者自立生活センターに300万円の助成金を支給する制度を作る
1996  安積宇宙(うみ)誕生

199707 全国障害者市民フォーラム、郡山で開催
1997〜1999 桑名敦子、福島県庁で臨時職員として働く
2000 土屋らインタビュー
2001 (NPO)あいえるの会設立。郡山市身体障がい者ガイドヘルプ事業の委託を受ける
2001 土屋らインタビュー
2006 白石、(NPO)あいえるの会理事長に就任
20100811 橋本:還暦祝い
 http://kaneko-emi.com/report/diary.cgi?no=132

2011 東日本大震災

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 ■■※土屋作成の年表(をテキストファイルにしたもの)

年月日 地域 出来事(街頭署名、カンパ活動、学校訪問、役員会等は除く) 場所 備考(参加者など)

■1972 12  「さようならCP」上映会 福島、郡山で2回ずつ 主催:「サークル・なかま」(郡山)、「ひまわりの会」(福島)。東京から若林克彦が参加。上映会後、大阪から古井(旧姓鎌谷)正代、松本孝信らが来て、「若い人たちで「青い芝」をやろう」と言われる(白石2001:161)。
     
■1973
0826  第1回福島県青い芝の会設立懇談会 福島市? 
 0902  第2回福島県青い芝の会設立懇談会  
 0915  第3回福島県青い芝の会設立懇談会  
 1013-14 全国 福島県青い芝の会準備会として、全国青い芝の会第1回全国代表者大会に4名参加  
 1111  福島県青い芝の会結成準備委員会  機関紙準備号出版(→現物なし)

■1974
01?  福島県青い芝事務局通信1発行(文責・白石清春)  
 0112  福島県青い芝結成準備役員会 郡山市身障者福祉会館 
 0117 東京 都庁での座り込み  「東京青い芝で都庁に対し、断行、すわり込みがあった。障害者の機能改善のための医療センター設置の要求から。(全国青い芝の会)本部から動員の呼びかけがあったので、本会から白石(付き添者 安藤)が参加」(事務局通信No.2)
 0120  福島県青い芝の会結成準備役員会  
 02?  福島県青い芝事務局通信2発行  
 0217  "福島県青い芝の会結成総会 
会長 大越哲哉
副会長 橋本広芳
会計 今野利彦
書記 高野知次
事務局長 白石清春" 福島市市民福祉会館 "設立総会への招待状、あり。
「2月17日 結成総会開催される 参加者、大越、橋本、今野、白石、菅原、岡部、吉田、横塚(本部会長)、若林(東京支部)鎌谷(大阪支部)、地福研・郡山4名、ひまわりの会6名、その他3名 「結成総会というのに会員の出席が7名とさびしかった。しかし、東京・神奈川・大阪から若林氏、横塚氏、鎌谷氏らが来てくれ、とても心強かった。3氏が話すことばは一つ一つが迫力があり、会員一人一人の刺激になった?。決議後の討論会でも3氏からなるものが多かった。でも福島県青い芝の性格と方向性が明らかにされなかった。それが残念であった。」(事務局通信No.3)"
 03?  福島県青い芝事務局通信3発行  
 0310  役員会 郡山市身障者福祉会館 身体的活動の計画・開始(タクシー無料乗車回数券の配布を要求。車いすもわたれる歩道橋建設の要求、等々)
 0322-24 全国 厚生省交渉(優生保護法/全国からの要請書あり)  
 0324 労働団体 若手団結集会  (労働組合系?)参加しようとするも、拒否にあう→強行署名・カンパ
 0406  一番ヶ瀬康子の講演会→カンパ活動、署名  
 0427-28  地域福祉研究会と合同合宿 磐梯熱海温泉 参加者 白石、作間、遠藤、篠原、佐藤、佐藤(斉)、安藤、橋本、今野、佐藤(孝)、大越、中路、南、菊池
 0512  カナン村・けやきの村交流会  会員も参加。
 06?  福島県青い芝事務局通信4発行  
 0623  "臨時総会
(前会長の退任申し出による新体制)
 会長 今野利彦
 副会長 大越哲哉
 会計 橋本広芳
 書記 高野知次
    阿部美恵子
 事務局長 白石清春" 郡山市身障者福祉会館 
   結成報告集の発行  
   機関誌『声』発行  
 07?  福島県青い芝事務局通信5発行  
 08?  福島県青い芝事務局通信6発行  
 0803-04 全国 全国障害者問題研究会大会 岡山 「会として4名(今野、橋本、白石、高野)が参加、「大阪のなかまから「首くくる気でやれ」とハッパかけられたこと。東京で堂々と生活している寺田夫婦のことなどが印象に残った」(事務局通信No.6)
 0809-10  キャンプ 猪苗代湖志田浜 
 0827-29 全国 青い芝全国拡大常任委員  
 0922-23 茨城 茨城県青い芝の会との交流会  
 10?  福島県青い芝事務局通信7発行  
 1007-08 東京 東京青い芝日光旅行  
 1208  「カニは横に歩く」映画上映会 郡山身障者会館 2回上映、上映会後ディスカッション
 1215-22  歳末8日間連続カンパ運動 前半4日郡山、後半4日福島 
 1229  忘年会 郡山 

■1975
02  福島市内で白石と施設(けやきの村)から出た橋本が福島市宮下町にアパートを借り、共同生活を始める  
 03  県に要請書を提出(県労協を通じて)  
 0302 労働団体 青年団結集会において会場から排除される(→抗議声明分あり)  
 0321 労働団体 "障害者の解放をめざす障害者と労働者のとうろん集会
「障害者と労働者の連帯を強めよう」" 郡山障害者会館 主催:福島県青い芝の会
 0327 労働団体 全国統一スト(中止)  
 04  福島市に事務所を開設  "「 (開設)当時、事ム所に生活する会員は2名だったが、今では事ム所を中心として7名の会員が集まって来て生活しています。また、脳性マヒ者以外の障害者も多数集まって来ています。」(『福島県青い芝の会ニュース』No.1)
「角野正人がアパートに転がり込んできたことを機に、介助者を集めるために、精力的に街頭カンパを含めて散らしを配布する。当時の介助者には、福島大学の学生が主に関わった。」(「福祉のまちづくりの会」1998:6)"
 0413   お花見 信夫山公園(福島) 
 0420   お花見 開成山公園(郡山) 
 05  「自立障害者連合」発起団体となる  
 0501 労働団体 メーデーに参加  
 06   郡山障害者友人グループ通信2発行  "当時は、「青い芝の会」を支援する健常者グループを「友人グループ」と呼び、ボランティアとは一線を引いた。重度の障害者が「青い芝の会」に参画していたため、ボランティアの都合次第の介助態勢では支えきれず、また、障害者に対する同情ではなく、同居を求めた友人関係を互いに意識した。
 福島、郡山、いわきにはそれぞれ専従の介助者がいた。
・カンパ活動を中心に障害者、支援者が集まった晩には、決まって大宴会になだれこんだ。盲目のシンガーソングライター長谷川きよしの「黒い舟歌」の歌詞を替え「♪健常者と障害者の間には、暗くて深い川がある、、、」などと調子良く大合唱した。」障がい者自立生活支援センター「福祉のまちづくりの会」1998『東北地方におけるILセンターの設立と発展についての考察・報告書』(:9)"
 06  地下歩道阻止実行委員会結成  
 0608  映画「カニは横に歩く」上映  
 0608  福島医大新歓  
 0609  いわき市に健全者グループ準備会が結成 いわき市 "福島、郡山につぐ3つめの健全者グループの誕生,「かいな」は1975年に初め誕生、か?"
 0615  自立障害者連合をつくるための準備会(出席者は少ない)  
 0621  地下歩道阻止準備会  
 0624  福島県青い芝の会ニュース1発行  
 07 山形 山形青い芝の会結成(福島県青い芝の会ニュース1より)  
 08 東北 秋田青い芝の会結成?(荒川・鈴木1997:26)  08「山形県天童市郊外でキャンプ大会」
 0809-10  「市民と障害者のキャンプ大会」 猪苗代湖 キャンプ実行委員会(大関アパート内橋本方)福島駅前12:30集合会費2000円
 1006-15  県営住宅を要求して、県庁座り込み10日間  
 1018 東北連合 東北青い芝の会連合会結成準備会  秋田 
 1025-26 東北連合 "東北青い芝の会連合会結成大会
代表:金子和弘
事ム局・会計:橋本広芳"  
 11  自立生活者5名に  「女性脳性マヒ者Sさん、Kさんが福島で自立生活を始める。同じ頃、男性Aさんも。自立生活者5名になる」
 11 全国 青い芝の会第2回全国大会(総会→代表者会議?)  "第二回全国代表者大会:青い芝の主導の下に健常者の全国組織を作ることが提起される(立岩1995:184)
神奈川県青い芝の会から「われらは愛と正義を否定する」などの文言を含めたものを全国青い芝の会の行動綱領にするという案が出されたが、東京青い芝はこれに反対。しかし議決で敗れて、以来東京青い芝の会は独自路線をとりはじめる(寺田2001:201)"
 1125  「1万人集会に向けて」(労働者との共闘を訴える?)

■1976
1976 「桑名敦子を福島大学に入れる会」設立


0109  青い芝ささやかな新年会  
 0110  県庁交渉 介護手当の件  
 0121 東北 東北連合会役員会 福島 
 0126-27 全国 全国常任委員会 埼玉 
 0126-27 全国 和歌山県センター闘争  橋本、白石が和歌山へ。埼玉の八木下浩一、金満里との接触あり(白石2001:163)
 0211  「何色の世界」上映会 福島市民福祉会館 金満里の参加
 0214  「何色の世界」上映会 いわき尾名浜勤労者センター 
 0215  「何色の世界」上映会 郡山身障者会館 
 0216  地下歩道工事(突然に)始まる→青い芝の会単独座り込み  「健全者はバックで支援」
 0217  地下歩道工事座り込み  
 0228  福島県青い芝の会事務局通信9発行  
 03  角野正人、アパートを借り自立生活を始める  「橋本が在所していた療護施設から、角野正人がそのアパートに転がり込んで来たことを機に、介助者を集めるために精力的に街頭カンパを含めてチラシを配布する。当時の介助者には、福島大学の学生が主に関わった。」
 0307 全国 全障連東北ブロック交流会 山形(天童) 青い芝からは木田純子が参加
 0321  地下歩道阻止市民集会(朝ビラまき、市内デモ)  「最終的には車道にグリーンベルト2本をつけさせた。」
 0323 全国 全国常任委員会、全障連第2回全国幹事会?  白石・橋本が参加?
 0328  教育を考える集会  
 0329  太陽の国訪問  
 04 全国 自立障害者集団友人組織全健協(全国健全者連絡協議会)結成  1975年、第二回全国代表者大会:青い芝の主導の下に健常者の全国組織を作ることが提起されたことを受けた結成。この方向が全国青い芝に指示された。個々の障害者に支援者がつくのでは主導性が曖昧になるため、障害者が独自の集団を作るとともに、健常者も集団、運動集団として位置づけ、それを障害者の主導の下におこうとする意図によっている(立岩1995:184)。関西連合会とグループ・ゴリラとの間に生じた確執がもととなり、1878年5月、全国常任委員会で解散が決定される。
 0404  全障連(山形)会議?  木田純子が参加
 0407  県交渉 介護手当ての件  
 0414  市交渉 地下歩道の件  
 0417  交流花見会 福島信夫山公園 "主催:福島県青い芝の会 安積純子20才、鈴木絹江に誘われて花見に参加。はじめて青い芝に出会う(安積1990:28)
 0418  交流花見会 郡山開成山 
 0421  県交渉(要請書の件)  
 0423 全国 全国常任委員会  
 0429  "青い芝の会総会
全障連(関東)"  
 05  白石が秋田市へ、橋本は郡山市へ移り住む  197602の役員会で決定「全国青い芝の会」から「秋田青い芝の会」の建て直しの要請を受け、白石が出向く(障がい者自立生活支援センター「福祉のまちづくりの会」1998『東北地方におけるILセンターの設立と発展についての考察・報告書』:7)
 0519  県交渉 要望書の件  
 0523  障害者が障害者問題を考える集会 郡山 
 0526  市交渉 地下歩道の件  
 0528 全国 全国常任委員会  
 06  いわき市にいわき事務所開く  
 0619-20  全県集会(女性解放、障害者解放問題などを話し合う)  
 0619-20  茨城 茨城県南キャンプ 茨城県 
 0627 全国 全障連全国代表会議  木田純子が参加
 0714   『福島県青い芝の会ニュース』3発行  
 0715  青い芝、郡山地区第一回親ぼく会 青い芝郡山事務所 主催:青い芝の会、後援:郡山障害者友人グループ
 0730  キャンプ大会 猪苗代湖天神浜 
 0808-10 全国 "全障連結成大会
結成大会(立岩HPより)
  於・大阪市立大学
  全国代表幹事:横塚晃一,全国代表副幹事:荒木義昭・橋本広芳
  全国事務局長:楠敏夫 (以下略記) " 大阪市立大学 福島県青い芝の会からは17名の参加
 0819  太陽の国訪問  
 0821-22 関東+東北 大交流キャンプ(茨城、栃木、福島、山形、秋田) 猪苗代(天神浜) 会費1000円
 0825  障害者および障害者問題を考える会  
 0915  『福島県青い芝の会ニュース』4発行  
 0915 東北 東北連合役員会  
 0918  カナン村訪問  
 0920  福島地区討論会  
 1003  いも煮会 福島市庭坂長老橋 主催:福島県青い芝の会、グループ「かいな」(参加費500円、交通費100円)
 1015  『福島県青い芝の会ニュース』5発行  
 1018  太陽の国訪問  
 1025  ケヤキの村訪問  角野
 1026 全国 全国常任委員会  
 1028  東北連合集会 福島? 
 1106  福島大学障害者問題講演会 福島大学  主催:障害者解放を目指すグループ「かいな」チケット100円
 1107 東北 全障連東北ブロック代表者会議 14:00〜 仙台荒崎宅 
 1127  映画会「カニは横に歩く」 須賀川中央公民館 主催:福島県青い芝の会、後援:郡山障害者友人グループゴキブリ
 1128  映画会「カニは横に歩く」 郡山身障者会館 
 1207  要田中 市川義一君自殺 事件にいろいろと発言する  
 1228  もちつき大会  

■1977
?  4才の障害児の両親が自殺→「障害者解放運動」の呼びかけ  
 0117  福島大学教育学部養護課程生が障害者の受験拒否に対する公開質問状を教授会に提出  公開質問状あり
 0411 全国 青い芝の会全国大会? 神奈川大学 120名ほどが集まる。寮に宿泊した。関西からは観光バス2台で来ていた(白石2001年聞きとりより)
 0412-13 全国 川崎バスジャック事件 川崎駅 4才の障害児の両親が自殺→「障害者解放運動」の呼びかけ
 0417  お花見 開成山公園(郡山) 主催:福島県郡山地区青い芝の会、支援;自立障害者集団友人組織 郡山地区、会費300円
 0423   『さようならCP』上映会 福島大学教育学部31番教室 主催:自立障害者集団友人組織
 0425  平駅にて障害者が列車のドアに挟まれるという事故  
 0613  平駅闘争夜通し座り込み→警察による排除  
 0625  第4回養護学校義務化学習会  障害者教育研究会
 0710  第3回学習会 郡山身障者会館2階和室 主催:自立障害者集団友人組織=郡山地区=
 0801  福島県との交渉→ビラまき  
 0806  第*回養護学校義務化学習会  障害者教育研究会
 0812-13 全国 "全障連第2回大会(立岩HPより)
代表幹事:横塚晃一 (病気入院中) 副幹事:白石清春・荒木義昭
    事務局長 楠敏夫
    東北ブロック :白石,富山,橋本
    関東ブロック :横塚,荒木,猪野" 明治大学和泉校舎 参加費1500円
 0827-28  障害者と健全者の大交流キャンプ大会 秋田市仁別国民の森 障害者教育研究会、参加費1000円
 1027  第2回障害者解放講座  障害者教育研究会(準)
 11  全国青い芝全国大会に参加 大阪 
 1104  映画上映会『ふたつの地平線』(養護学校はもういやだ ? 
 1105  映画上映会『ふたつの地平線』(養護学校はもういやだ いわき市平社会福祉センター 
 1106  映画上映会『ふたつの地平線』(養護学校はもういやだ 福島市民福祉会館 講演:関西青い芝の会 高杉晋吾氏(ルポライター)「教育差別を撃つ!」
 1218  54義務化阻止福島集会 郡山身障者会館 
     
1978 ?  「自立と共生をめざすうつみねの会準備会」発足  
 0205  「逢魔が時代」製作中 小名浜にて  
 0409  定期大会 郡山 
 0423  お花見 信夫山/開成山? 
 05 全国 青い芝の会全国常任委員会  関西連合会がグループ・ゴリラの集団を指示したことを承認し、全国組織である全健協を解散させる(立岩1990:185)。
 0710  安積純子、家を出て福島市内でアパート暮らしをはじめる  「生活保護は家を出たその日に申請して、一か月くらいでとれた。(……)これは権利の一つだって思えるようになっていたから。市役所の労働組合にも私達を応援してくれる人がいて協力してくれた。介助に来る人は近くの大学の学生の人が多かったね。青い芝の会の活動で知り合った人とか、毎日来てた。掃除、買物、お風呂に入る時とか、疲れて帰ってきた時は夕食の支度とか。」(安積1990:33−34)
 0720 全国 横塚晃一氏死去  
 08  キャンプ大会  
 0812-13 全国 全障連全国大会 京都大学 全国青い芝の会の行動綱領を全障連でもとりいれるべきかどうかで、行動綱領を作成しようとしており、徹夜で話し合ったが結局、承認されなかった。これが原因で全国青い芝の会は全障連から脱退した(自立生活センター協議会2001:351)。このとき、荒木義昭さんが権利宣言を読み上げるときに健全者に通訳を頼んだことから、大会は紛糾した。このときの進行役は全国幹事だった福永年久(兵庫青い芝の会)。
 1015  青い芝恒例秋のいも煮会 国道四号線松川橋下 
   78〜79にかけて、養護学校義務制化反対の県教委交渉を数度行った。  

■1979
0122  安積純子、 福島から郡山へ、橋本と生活をはじめる  「郡山でも生保は電話だけですんだけど。何が大変だったかっていうと、他の人達のことに関わっていたから。生活保護課とか障害福祉課の人達が脳性マヒの人達をいじめるんだ。生活保護とっている人にはホームヘルパー出さないとか言うわけ。そう言われるとそんなものかなってあきらめてしまうでしょ。でも私はあきらめたらまた介助者を探してやんなきゃなんないと思ったからあせりまくって、そんな話は聞いたことがない、私も厚生省に問い合わせるからあんたも問い合わせなさいって言ってうんと怒ったの。(……)そしたら15分後に電話がかかってきて、すいませんでした、生活保護手帳に載ってませんでしたらから派遣しますって。」(安積1990:34)
 0330-31 全国 79養護学校義務制化阻総決起文部省闘争に参加  『しどろもどろ』上映会パンフレット「福島県青い芝の会略年表」より
 04  白石、郡山で結婚式を挙げる  
 05 全国 第4回全国大会   磯部による横田批判 常任委員会にかわり再建委員会 白石、再建委員会委員長に就任(立岩HPより)
 0511-13 全国 全国青い芝の会連合会第4回大会 飯坂温泉、婦人会館 紛糾→常任委員解任
 0728-29  障害者と健全者のキャンプ 猪苗代湖天神浜 
 0814  女性CP者福島で自立を始める  

■1980
?  白石、妻と子どもと共に相模原に移り住む  
 01  全県学習会+新年会 いわき市湯本温泉 
 0220  『青い芝ニュース』第2号発行
会長 角野正人
発行・へん集責任 橋本広芳"  
 03  会津で障害者(栗原)自立 会津事務所設立  
 0331  脳性マヒ者等全身性障害者問題研究会  角野正人会長、厚生省の脳性マヒ者等全身性障害者問題研究員に選ばれる
 05  県内CP者2人自立  
 05  「うつみねの会」発足(青い芝の会(郡山)合流) 郡山 "青い芝の会が「うつみねの会」と合流しました。当時、青い芝の会は「それぞれの地域性をもった運動を行うこと」「自立生活者が10名を数えるにいたったこと」などから発展的に解消し、郡山では「うつみねの会」と合流することに決めたのです。
 昭和五十五年六月に正式にスタートした「うつみねの会」は、青い芝の会のメンバーが合流することにより組織強化がはかられていきました。その後は、廃品回収に加え、市民集会やバザーなどを催しながら、共同作業所開所の準備をすすめてきました。」
(橋本1984:281)"
 06  福島県青い芝の会、「発展的解消」  安積1990:36
 08  交流キャンプ大会 秋田市大倉山 
 10 全国 所得保障を中心とした厚生省交渉に参加  
 11  県内の会員に電動車イス支給、あいつぐ。  
 11  映画編集本格的にのりだす  

■1981
01  県内の施設の障害者との交流深まる。福島の山岸栄子さん逝去す  
 03?  やかんの会発足 会津若松 「青い芝の会」に影響を受けた
 03  栗原千恵子さん、五十嵐学君逝去す。  
 03  福島県国際障害者年推進本部、協議会に要望書を提出  要望書の写しは『青い芝ニュース』第3号に収録
 04  郡山に福祉電話設置  
 0413/20  お花見 信夫山公園と郡山の開成山公園 
 0502  映画「しどろもどろ:半世界からのこだま」完成試写会 福島市市民会館6F(無料) "福島県青い芝の会五年間の軌跡)完成(60分カラードキュメンタリー8o)
ちらしより抜粋「生とは何か!自立とは何か!地域社会の中で差別と偏見の眼がCP者達を射る!あるいは在宅の薄暗い部屋の中で朝が来て夜が来て朝が来て夜が・・・・・繰り返しの毎日、疎外された世界・・・・延々と続く反世界・・・・醜くひきつった手が足が動く。ゆがんだ声がきこえる そしてこだまする!!
5年間の悲喜こもごものドキュメント映画です。あえて脳性マヒ者にこだわり続ける私達の現実が少しは見えるでしょうか。是非ごらん下さい。」
1981年4月30日福島民報、4月28日毎日新聞、5月8日毎日新聞、5月8日福島民友新聞が記事としてとりあげている(『福島県青い芝ニュース』198105第3号より)"
 0530  映画「しどろもどろ」上映会 郡山身障者会館 
 0531  映画「しどろもどろ」上映会 福島県文化センター(視) 前売り400円、当日500円
 05  "青い芝ニュース第3号発行
会長 角野正人"  
 0803  ほんごうせといち  やかんの会が参加
 0808-09  第8回 障害者と健全者のふれあい交流キャンプ大会 相馬 新地海岸 参加費3000円(含交通費)
 1204-05 全国 "第5回全国大会(立岩HPより)
    常任委員 会長:横田(神奈川)、副会長:長谷川良夫(兵庫)、中山善人(福岡)、事務局長:松本孝信(広島)、会計:関根功(栃木)(『とうきょう』70:8)
    " 兵庫県明石市 白石辞職。広島青い芝の会員の電動車椅子による事故をきっかけに、電動車椅子を肯定する派と否定する派に。広島青い芝他が反対、白石は肯定派。この対立も白石が青い芝の会を離れるきっかけとなった(白石2001:165)

■1982
白石、神奈川県相模原市に小規模作業所「くえびこ」を開所  
 01  角野正人、佐藤春夫ら、「障害者が地域で生きる会」結成  
 04  橋本、安積ら、福島県郡山市に小規模作業所「うつみねの会」開所  

■1986
白石、相模原市に「ケア付き住宅シャローム」建設  

■1989
白石、妻子どもと共に郡山市にJターン、車いすの販売業を手がけるが、まもなく廃業。

■1990
橋本、岡部和之とともに、「グループ・らせん」結成  

■1993
小規模作業所「WORK IL」、<オフィスIL・準備室>開設  

■1994
<オフィスIL>開所  

■1995
福島県自立生活センター支援事業制度の実現  

「全国障害者市民フォーラムin福島」開催  




◆「1974年1月20日結成準備会を経て、ついに2月17日「福島県青い芝の会」結成総会が開かれる。会長に大越哲哉(のちに辞職、後述)、副会長には橋本広芳が就任した。当日は「結成総会というのに会員の出席が7名とさびしかった」がそのほかに前出の福祉サークルのメンバーなどが13名、そして東京から若林、神奈川から横塚(本部会長)、大阪から鎌谷が出席、「とても心強かった。3氏が話すことばは一つ一つが迫力があり、会員一人一人の刺激になった」という(「福島県青い芝の会事務局通信」No.3 1974/02/日不明)。」(土屋)

◆198907 白石、福島に戻る
 「橋本 ええ、びっくりしました。俺、ずーっと白石さん、日本のど真ん中にいて欲しかった。」「橋本 えー、もう少し言うと、やっぱり将来は、白石さんも、国会議員になってもらいたかったんです。」(1803)


◆1995  阪神淡路大震災
 「橋本 一緒に私、見てきました。もう、すごいなと思って。あの、東北にああいう地震起きたら大変だなと思って帰ってきたんです。そん時、バスで行ったんです。バスで。長距離バスで。まだ、からだも少し動けたから。びっくりしました。びっくりしました。」(1803)

◆1996 安積宇宙(うみ)誕生

◆2000 土屋らインタビュー

◆2001 土屋らインタビュー

◆2010/08/11 橋本:還暦祝い

 http://kaneko-emi.com/report/diary.cgi?no=132

f ◆2011 東日本大震災


■cf.

◆青い芝の会の歴代の会長は以下。

横塚 晃一
横田 弘(会長代行)
白石 清春()
横田 弘、1983〜1998
中山 善人(インタビュー)

◆立岩 真也 2018/12/20 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社,512p. ISBN-10: 4791771206 ISBN-13: 978-4791771202 [honto][amazon][kinokuniya] ※

 「そして東京青い芝が主導権を有していた時期の全国青い芝の会長だった白石清春(うつみねの会)★30が、所得保障・年金について一つ(白石[1984a])、「脳性マヒ者が地域で生きる会」の活動について一つ(白石[1984b])書いている。虹の会の人たちが八七年に見学に行ったのが、この相模原市の組織――白石は福島青い芝の会を始めた人だったが全国の会長になって神奈川にやってきて、相模原でこの会を作り活動した――が運営する「シャローム」。この原稿の時点では「自立生活センター(仮称)」を建設したいと語り、その「近くに居住部分(個室)を設け[…]ます。そして、ここは独立した生活を目ざす訓練の場であるので、あくまでも通過施設とします」(白石[1984b:259])とされる。「通過施設」「移行の場」であることをこの時期にも強調する人たちがいた。ただ、条件次第ではその流動性は弱まる。実際に八王子自立ホームがそうなったことが後に指摘されることになる。そしてこの時にはまだできていなかったシャロームは八二年に運動が始まり、八六年に開設。その翌年に虹の会が見学に行ったということになる。」(347)

 「★30 「当時、全国青い芝の代表は横塚晃一さんだった。福島で最初に始めたのは白石清春さんと橋本広芳さん。そのころ、橋本さんも白石さんもすごく過激でね。施設へ行って、ベッドの周りに棚があって鉄格子みたいになってると、「おまえら、こんなところに入りたいと思うのか」ってすごい剣幕でどなっ△408たりしがみついたりして。二度とこないように立入り禁止になったりして。怒り狂って。悲しみのあまりにね。私たちの目の前で、ご飯に味噌汁とおかずと薬と水をかけて、ごちゃごちゃに混ぜたのを口につつこまれたりしているんだよ、私達の同窓生がさ。あまりにも悲しみが高まるよね。「おまえら、こんなのめしだと思うのか」ってつかみかかってどなるのよね。
 白石さんはその後、青い芝の活動のために秋田に移り住んで、青い芝の事務所のある神奈川と往復してた、福島にもしょっちゅう来てたけど。七九年には白石さんが全国の代表になったんだ。橋本さんは白石さんの女房役でね。」(安積[1990:30→2012:47-48])
 白石は二〇一一年の大震災の時には「被災地障がい者支援センターふくしま」の代表を務めた。そのことを『現代思想』に寄せた文章として白石[2013]。その「女房役」であり続けてきた橋本はこの本では福島の「うつみねの会」について書いている(橋本[1984])。そして白石・橋本について語った安積は所属をうつみねの会として安積[1984]を書いている。だからこの本の著者は、東京青い芝関係が五、福島青い芝の会――その初期の活動について土屋葉[2007]――関係が三。さらに実態調査には結局反対の立場をとった障害連関係者も、所属「東京都清瀬療護園」となっている(後に清瀬療護園を出る)太田修平、そして所属障害連で宮尾修、合わせて二、他に高野・福嶋・小山内、もう一人がハワイ自立生活センターの高嶺豊で、計十四人。」(408-409)



◆54年度養護学校義務化を考える
福島県統一学習会への参加を!
=今、教育のあり方が問われている=
能力主義、学歴**、受験地獄などと言われ、教育のあり方が、今日、厳しく問われています。その数多い問題を投げかけている一つ、障害者にとっての教育についての学習会を12月8日に開きます。
 障害者教育は、今までごく一部の専門家達に委ねられてきたことから、そのあり方への疑問、欲求は極めて狭い領域でしから語られてきませんでした。しかし、私達は、障害者教育の中にこそ、全ての教えをとらえ直す要があると考えます。
 寝たきりの障害者、又、動ける障害者に対しての今までの教育は、発達、発達(健全者への発達)と強制されるものが多く、健全児とは全く違った世界=養護学校で行われているのです。当然、弊害として、一歩社会に踏み出したときに、健全者とのつき合い方がわからない、働く所がない、と結局、在宅か施設に閉じこもるしかないという情況を生み出します。
 私達の多くの仲間は、養護学校を卒業したものの、受けて来たその教育の奇妙さ、差別を身を持って体験してきました。
 その体験をふまえて、私達は思うのです。真の教育とは、共に学び合い、育ち合い、お互いのそして、全ての人々の人格を認め合っていくことだと・・・・。
 普通教育における特殊学級の増加、能力別編成など、ますます人間を小刻みに分類してくる教育を、今こそ、考え直す時です。
 教育に関心をお持ちの方の全てのみなさんの参加を呼びかけます。
日時 1977年12月18日(日)1:00PM〜4:00PM
場所 郡山 身障者会館  主催 福島県青い芝の会
詳細については下記に御連絡下さい
福島市北五老内・・・
郡山市池ノ台・・・
いわき市上町・・・

◆19791105 「脳性マヒ者の運動に支援とカンパを!
日本脳性マヒ者協会 福島県青い芝の会
脳性マヒ者=CPと略す
CP者は、その生涯がほとんど在宅や施設など一種の隔離状態で生活を強いられ、又、全身に及ぶ独特の個性があり(後遺症)例えば、言語障害、全身硬直等、そのために受けている不利益や差別ははかり知れないものがあります。知らない人に話しかけられると、びっくりして言葉を失ったり、ひっくり返ったりして、おかしな奴と思われたり、歩く格好が酔っぱらいに間違われたり、言語障害のため話をよく聞いてもらえない等、CP者を知らないため起こるさまざまな誤解、偏見、差別、又、とにかく生産をあげることをよしとする労働の価値観が全力をあげてもわずかしか生み出せないCP者を完全に排除し、職がない、あっても驚くべき低賃金等、社会のあらゆる場からその存在をしめ出されている訳です。
私達は、そのような中で、単にCP者を受け入れてもらおう、わかってもらおうとするのではなく、地域の中で、実際に生活し、生きていくことによって、全ての人間が一緒に生きていくことがあたりまえであると考え、運動しています。
支援カンパをよろしくお願いします。(このカンパ金は、事務所維持や在宅訪問活動などに使わせていただきます。)
連絡先 郡山地区青い芝の会 西ノ内・・・
会津・・・
福島・・・
(19791105)」(ビラ全文)

◆映画「しどろもどろ」−反世界からのこだま−制作にあたって
日本脳性マヒ者協会 福島青い芝の会 角野正人
5年あまりの歳月を要し、一時は、完成までもう一歩にこぎつけながら、財政難などに見まわれ、暗礁にのりあがってしまったこともありました。それが、こうして、実際に、映画が出来あがり、上映の運びに至ることができたことは、まことにうれしい限りであります。この映画は、あくまでも、我々の存在を、社会の皆さん方に知らせるための、ひとつの手段であります。この機会を通し、多くの人々とのコミュニケーションが深まっていくことを切望するものであります。我々は長い年月にわたり、閉鎖された時空間の谷間の中ですごして来ました。ある者は、施設の中で、ある者は家庭の奥で、ひっそりと息づいてきたのです。この経験は、現社会に生きる皆さん方には、そうぞうもつかないことであり、あまりにも異なり、かけ離れた人生であったのです。我々は、こうした他人から与えられた人生を歩むのではなく、自らの肉体を通し、確かな歩みを始めるため街の中に飛び出して行ったのです。親が障害者のわが子を思う気持ち、友人の心づかい、施設職員の「あんたは、どうせ何をやってもムリなんだから」と言う、態度等は、一見、我々のことを考えているようであって、実は我々にとって、最も大きな障壁となって立ちはだかることになったのです。我々が、街の中で生活していった過程は、映画の題にもある通り、あらゆるものが混然一体となってどろどろととけ合い、感情と感情が交差し、ぶつかり合う、日々の連続でありました。今年は、国際障害者年ということで、「完全なる社会参加と平等」といったことが、様々な所で、とりざたされ話題にのぼっていますが、現社会の状況を見る限りにおいて、わずかに住みやすくなってきたとはいえますが、本当に脳性マヒ者が、社会の中の構成員となり、諸権利がとりもどされているかといえば、決してそうではありません。だからこそ、我々の訴ったえは、さらに続けて行かなければならないし、自らの手による活動も前に前にと、進んで行かなければなりません。この映画も、そんな自分達のささやかな一歩であると考えており、訴えたいこと、すべてが表現されている訳ではありません。あえて、脳性マヒ者の生にこだわり続ける我々の現実のひとかけらが、あなたに見えてくることを望みます。

◆19810514 「自主制作映画「しどろもどろ」−反世界からのこだま−の編集にあたって
福島地区編集実行委員会 佐藤春夫
とにかくと言うか、やっとの思いで完成したのが、この自主製作映画「しどろもどろ」−反世界からのこだま−です。昨年の末頃から、編集実行委員会を組んで、月2〜3回位の割合で、編集作業を進めてきましたが、何分ふなれなことばかりで、思うように作業がはかどらず、それこそしどろもどろになりながら、あっという間に6ヶ月が過ぎてしまいました。この映画は、福島青い芝の会が、CP(脳性マヒ)者の生活記録や障害者解放運動を軸に5年間にわたりとり続けてきた8ミリフィルムを基に、編集したドキュメント映画で、障害者(特にCP)の生き様、生とは何か、自主とは何かといった問題を投げかけています。編集実行委員の一人として、私の感じたことは、5年間という時の重さであり、何者にも屈しない、彼らのバイタリティにあふれた行動力であり、又、魂の内側から響いてくるような真の叫びとでも云うような諸々のことがらでした。
 障害者(CP者)にとって、今の社会は、健全者本意の世界(反世界)であり、地域の中で、健全者と共に生きて行こうとする我々にとって最大の問題は、差別偏見から始まる周囲の人々の無理解さで、気持ちが悪いとか、声が大きくてうるさいとか、はては、気違い扱いされる者まで出てくる始末です。
 こういうた状況で生活している我々CP者の実状を少しでも多くの人々に画面を通して十分の一でも理解していただくことができれば、この映画編集実行委員の一人として、責任の一旦をはたすことができたのではないかと思っています。
1981年5月14日未明。」

 ◇誤植


◇20190722朝 提出
◇20190814〜15 校正



案:
『もっと息の長い闘いなのだ――福島障害者運動の50年を辿る』
『もっと息の長い闘い――福島障害者運動の50年を辿る』
しどろもどろな歴史をつむぐ

福島の障害者運動 その50年をたどる



福島の障害者運動

「しどろもどろ」な歴史をつむいだひとたち



「しどろもどろ」な歴史をつむぐ

障害者運動於&発福島の50年


20190916:15000
20190931 在庫31 20190929 54,165位

UP: 20190302 REV:20190402, 0603, 18, 19 ... 0814, 15, 16, 17, 18, 19, 20 ... 0901, 14, 16, 1116 . 20200129, 0312
生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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