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『母よ!殺すな』

横塚 晃一 20070910 生活書院

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横塚 晃一 20070910 『母よ!殺すな』,生活書院,432p. ISBN9784903690148 10桁ISBN4903690148 2500+ [amazon][kinokuniya] ※ d dh
 ※初版1975年すずさわ書店、増補版1981年すずさわ書店

横塚 晃一 20100110 『母よ!殺すな 第4版』,生活書院,466p. ISBN9784903690148 10桁ISBN4903690148 2500+ [amazon][kinokuniya] ※ dh
 ※新たに9つの未収録文章を補遺。帯:雨宮処凛 ISBNは同じ。

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『母よ!殺すな』

紹介・書評(このファイルの下)

◇新着

岡原 正幸 2010/10 「『母よ!殺すな』横塚晃一著 生活書院――教授が薦める塾生に読んでほしい「この1冊」,『慶應塾生新聞』2010-10
 http://www.jukushin.com/archives/6179
 http://www.jukushin.com/archives/date/2010/10

■生活書院のHPより
 http://www.seikatsushoin.com/bk/9784903690148.html

著者  横塚 晃一【著】 ヨミ  ヨコヅカ コウイチ
1935年12月7日埼玉県生まれ。52年6月整肢療護園へ入園、小学6年に編入され、53年3月小学校卒業。同年4月中学校入学、54年12月児童福祉法適用切れにより退園、以後不就学。55年4月国立身体障害センター入所、56年3月同センター終了。64年4月マハラバ村に参加、 66年10月関口りゑと結婚、 69年2月マハラバ村を出て川崎市生田に移る。70年5月「青い芝」神奈川県連合会副会長及び会長代行。71年3月川崎市有馬に移転、同年9月長男信彦誕生。72年11月「青い芝」神奈川県連合会会長。73年10月〜日本脳性マヒ者協会全国青い芝の会総連合会会長。76年8月〜全国障害者解放運動連絡会議代表幹事。77年8月都立駒込病院に入院。1978年7月20日、同病院にて胃ガンのため 死去、享年42歳。

定価  本体2500円(税別)
ISBN   ISBN4-903690-14-8 C0036
体裁  46判・400 ページ  
縦組み(右開き)

 日本における障害者解放運動、自立生活運動の内実と方向性を大きく転換した「青い芝の会」、その実践と理論の支柱だった脳性マヒ者、横塚晃一が残した不朽の名著。 1981年すずさわ書店版を底本とし、未収録だった横塚の書き物や発言、映画『さようならCP』シナリオ、追悼文、年表などを大幅に補遺、解説に立岩真也氏を迎え、決定版として、ここに待望の復刊!
 「泣きながらでも、親の偏愛をけっ飛ばす」と言い切って自立生活へと向かい、「あってはならない存在」とされることの不合理を身をもって糾し続けて、人々に大きな影響を与えたその思想は、自立の意味が改竄され、市場経済優先主義の中に掠め取られようとする危機にある今こそ、オルタナティブな価値意識組み替えを目指すテキストとして、読まれなければならない!

【目次】
序 母親に殺される側の論理 本多勝一
T 脳性マヒとして生きる
脳性マヒ者の親子関係について
或る友への手紙
T婦人との往復書簡
母親の殺意にこそ──重症児殺害事件の判決を終わって
施設のあり方について──施設問題への提言
障害者と労働
カメラを持って
脳性マヒとして生きる

U 差別以前の何かがある
ゴロゴロさま
N女への返信
差別以前の何かがある
不合理な存在として
脳性マヒ者としての自覚
脳性マヒ者の社会参加について

V ある障害者運動の目指すもの
ある障害者運動の目指すもの
 一 殺される立場から 二 あってはならない存在? 三 崩壊からの出発
募金活動をふりかえって
我々の手で小さな施設を
優生保護法と私
優生保護法改正は阻止された
ボランティアに期待するもの
鶏にみる「弱者考」

W 「さようならCP」上映討論集
須佐上映会レポート
防府養護学校上映会
長崎大学上映会
九州リハビリテーション大学校上映会
福岡県社会保育短期大学上映会
八女上映会
柳川上映会
北九州大学上映会
あとがき
付録/亡き夫の介護ノートより 横塚りゑ
駒込病院入院のこと
手術及びその後のこと
介護者への手紙
妻沼行き
健全者集団に対する見解
心の共同体
(以上『母よ!殺すな』復刊部分)

補遺
1 横塚晃一 未収録の書き物と発言
雇用促進懇談会に出席して
話し合いを終わって
「青い芝」神奈川県連合会第十二回総会(一九七四年五月十九日)での発言
「青い芝」神奈川県連合会第十四回総会(一九七六年六月六日)での発言
「青い芝」神奈川県連合会第十五回総会(一九七七年四月三日)での発言
障害者解放運動の現在的視点
全日本運輸労働組合協議会への抗議文
障害者の自立についての青い芝の見解
河野氏への手紙――大阪から帰った後に、横塚氏が河野氏にあてた手紙
2 横塚晃一への追悼文
3 シナリオ さようならCP
4 青い芝の会・歴史

解説 立岩真也

 
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■引用・言及

 *未整理。これからだんだんと。



 「私の両親は働き者で「働かざる者食うべからずだ。人間は働らかなければならない。働く人間が偉く働かないやつはだめだ」というのが父の晩酌のたびに子供達を並べて言う言葉でした。そして妹や弟達は親の理想に近い線に成長したようです。
 私はこの父の勢力圏からぬけ出すことが急務だと思い続けました。」【74】

 七〇年の登場以前についてほとんど書かれたものはない。ただ、七八年の五月四日、亡くなる二月前、妻りゑと生家のある妻沼(埼玉県大里郡妻沼町出来島、現在は熊谷市妻沼)に出かけたときのことを記しているりゑの文章の中に、彼の訪問を喜んだその時八八歳の横塚の祖母についての記述がある。

 「祖母は夫が幼い頃、職をもつ姑に代わって面倒をみたのです。庭に杭を打ち棒を渡して、お手製の平行棒をつくり、歩行訓練をさせ、また十六歳まで就学し△260 なかった夫に忙しい畑仕事の合間をみて字を教えたのだそうです。  「俺が歩けるのも、本が読めるのもお祖母さんのおかげだ」と夫はいつも言っていました。」(妻沼行き、【260−261】

◆197006 「脳性マヒ者の親子関係について」

 「[…]そこでは、「うちのお父ちゃんはだめ(脳性マヒ)だから、あんた、しっかりするんだよ」ということ、つまり父親はその子が生れた時からダメな見本として子供の目の前におかれ、親から無視された脳性マヒ者の人格はこんどは我が子から否定されようとするのである。<0026<[…]我々脳性マヒ者の場合、健全者と言われる子供にオンブして一般世間なみになろうとするならば、また長年持ち続けた世間へのあこがれを子供によって見たそうとするならば、すなわち自分の夫を否定し更には自分自身の存在をも否定することに他ならないであろう。「脳性マヒ者にとって一番不幸なことは脳性マヒ者の親から健全者といわれる子供が生まれることである」と言ったらカンカンに怒られるであろうか。黒人の親から黒人の子供しか生れず、部落民の親から生れた子は部落民として扱われる。我々の運動が同じアウトサイダー運動といっても、黒人の人種差別反対運動や部落解放運動と異なるところはここなのではあるまいか。」(「脳性マヒ者の親子関係について」『青い芝』78(昭和45年6月)→『母よ!殺すな!』[16-19→2007:26-27])

 「脳性マヒのありのままの存在を主張することが我々「青い芝」の運動である以上、必然的に親からの解放を求めなければならない。泣きながらでも親不孝を詫びながらでも、親の偏愛をけっ飛ばさねばならないのが我々の宿命である。」([2007:27])

土屋 葉 199907 「全身性障害者の語る「家族」――主観的家族論」の視点から」,『家族社会学研究』11:59-69

 「横塚晃一は「愛によって造られた施設」や殺すことが愛であるとする親への批判を行い、「泣きながらでも親不孝を詫びながらでも、親の偏愛をけっ飛ばさねばならないのが我々の宿命である」という有名な一文を提示した(横塚, 1975→1981)。」

 「会報に「CP者の親子関係」など、思いきった文章を発表して注目されていたが、役員会での彼の存在は、今思いかえしてみるとわりとじみで、自分の考えを全面に強く押し出すというよりは、新旧役員のけんけんがくがくの意見の対立をまるく収める調整役にまわる場合が多かったような気がする。僕などはどちらかというとすぐ議論に走る方だったが、吉田道子さんが回想しておられるように、彼はいつも笑顔とユーモアを絶やさなかった。」(寺田純一、【348】)

◆197008 「差別以前の何かがある」

 「ある福祉関係者は、「数年前ドイツでおきたサリドマイド児殺しにつき某女子大生にアンケートを求めたところ、殆んどが殺しても仕方がない。罪ではないといように答えた」と語っていた。また「犬や猫を殺しても罪にならない、だから今度の場合も果して罪と言えるのかどうか」と言った人もある。」【80】

 「差別意識というようななまやさしいもので片付けられない何かを感じたのである。今回の事件が不起訴処分または無罪になるか、起訴されて有罪となるかは、司法関係者を始め一般社会人が、重症児を自分とは別の生物とみるか、自分の仲間である人間とみるか(その中に自分をみつけるか)の分かれ目である。」([2007:80])

◆197010 「或る友への手紙」

 「われわれが種々の問題提起をした場合、いまだ討議もされないうちに「じゃあどうすればいいのか」という言葉が返ってきます。この場合私は、そんなに簡単に『じゃあどうすればいいのか』などと言うな、と撥ねつけます。なぜなら相手の「じゃあどうすればいいのか」という言葉は真にどうすべきかということではなく、われわれの問題提起をはぐらかし圧殺することが目的だからです。」(2007:31)
 「「施設は必要と考えるか否か」という問いが出されました。その時私は「そういう設問の仕方はまちがっている。[…]設問のように必要かどうかということで必要という答が出た場合には、施設そのものが正義とされ、正義の名において人権蹂躙が行なわれる危険性が生まれてくる」と答えました。」(2007:32)

 「青い芝の綱領の三番目に「われらは問題解決の路を選ばない」ってあるんですね。これは、解説のところを見ると、問題解決の手段を選ばない、どういう手段をとってもいいんだっていう意味の文言ではなくて、問題解決という道を行かないんだという意味なんですよ。機関誌の編集人だった横田弘が書いて独断で掲載して、大顰蹙をかいつつ、やがて綱領になるこの「われらかく行動する」が出てるのと同じ号の機関誌(七〇年一〇月)で横塚晃一がこう言ってます(「或る友への手紙」)。「われわれが種々の問題提起をした場合、いまだ討議もされないうちに『じゃあどうすればいいのか』という言葉が返ってきます。この場合私は、そんなに簡単に『じゃあどうすればいいのか』などと言うな、とはねつけます。なぜなら相手の『じゃあどうすればいいのか』という言葉は真にどうすべきかということではなく、われわれの問題提起をはぐらかし圧殺することが目的だからです。」
 まさにこれが青い芝が批判される部分ではあったわけですよ。なんか文句ばっかり言ってると。だけど、少なくとも僕は彼らが言ったことは半分以上当たっていたと言いたい。つまり「問題解決」の仕方というか、それに対するかまえというか、あんまり粗雑なんですよ。たとえば出生前診断と安楽死のことはかなり違うことだと僕は思いますよ。それを一緒くたにして、自己決定権の問題に解消してしまって、じゃあどうすればいいのかということに答えてしまうっていうことに、彼らはそんなんじゃ駄目なんだって言ったわけで、それは当たってると言わざるを得ない。
 ただし、さっきも言ったんだけど、僕らは「問題提起」を二〇年も三〇年もやってるわけにはいかないと思うんですよ。つまりそうやって提起された問題っていうのを、どう受け止めるのか。事実の確認、追及も含めてね。たとえば、世界中でどういうことが言われてきたのか、どういうことを言った人がいたのかっていうことも知らなかったんだからね。そして日本は特殊だみたいな話にのってしまいかけてたんだからね。そして日本の戦後のことも知らないんだからね。そして、それから、それについて、じゃあどう考えるんだ、っていうことね。どこまで考えてこれたかっていうと、ちょっと考えてこなさすぎたんじゃないか、という感じがするんです。」

◆197108 「T婦人との往復書簡」

 「人間とはエゴイスティックなもの、罪深いものだと思います。この自分自身のエゴを罪と認めることによって、次に「では自分自身として何をなすべきか」ということが出てくる筈です。」(横塚[2007:37])

◆197203 「障害者と労働」

 「我々障害者は、一束かつげなくても落穂を拾うだけ、あるいは田の水加減をみているだけでもよしとすべきであり、更にいうならば寝たっきりの重症者がオムツを替えて貰う時、腰をうかせようと一生懸命やることがその人にとっての即ち重労働としてみられる<0056<べきなのです。」(横塚[1972→2007:56-57])

◆197203 「カメラを持って」

 「よく障害者も同じ人間なのだという言葉を聞く[…]しかし果たしてそうなのだろうか。この安直に使われる言葉に反発を感じ、いや、絶対違うのだと思った」([2007:58])
 「人々の考え方は、社会制度、宗教、階級などそれぞれの属してきた生活環境により異なるのだが、最大の生活環境は人それぞれの肉体であり、この環境はどこへ行こうと一生ついてまわるのだから、人はこの環境に最も多く規制される筈である。
 健全者といわれる人達と我々脳性マヒとは明らかに肉体的に違いがある。つまり私のもっている人間観、社会観、世界観ひいては私の見る風景までも、他の人達特に健全者といわれる人達とは全然別なのではあるまいか。」([2007:58])

 立岩真也「一九七〇年」
 「そして五月一日にはメーデーに参加する。横田弘はその時の文章を「働く者たちの行進は去った。」という文から始める。そして、彼は詩を書く人だったのだが☆11、その時のことを書いた「足/私の目の前を通りすぎる」と始まる詩「祭壇」を、新宿の歩行者天国で「朗読」することになるだろう。「よく障害者も同じ人間なのだという言葉を聞く……しかし果たしてそうなのだろうか。この安直に使われる言葉に反発を感じ、いや、絶対違うのだと思ったことから」☆12作られた映画『さよならCP』(一九七二年、監督・原一男)の主役として。
 「☆11 青い芝の「綱領」をはじめとする文書が時に少々芝居がかっているのは横田の文才によるのではないかと思う。横塚は徹底した散文家だった。立岩[1990]のタイトルは横塚の遺言「あわてず はやく ゆっくりやっていくように」からとられている。」
 「☆12 横塚「カメラを持って」『あゆみ』十周年記念増刊号、一九七二年六月→横塚[1981:45]」。

◆197204 「脳性マヒとして生きる」

 「私達障害者の間でどうしたら理解して貰えるかとか、そんなこといったら理解して貰えなくなるとかいう言葉をよく聞くのですが、これ程主体性のない生き方があるでしょうか。大体この世において四六時中理解して貰おうと思いながら生きている人がいるでしょうか。小説家にしろ彫刻家あるいは絵かきにしろそれぞれの分野で自分の世界を<0065<つくっております。それは理解して貰うというよりもその作品をもって己れを世に問う、あるいは強烈な自己主張をたたきつけるということではないでしょうか。
 私達脳性マヒ者には、他の人にない独特のものがあることに気づかなければなりません。そして、その独特な考え方なり物の見方なりを集積してそこに私達の世界をつくり世に問うことができたならば、これこそ本当の自己主張ではないでしょうか。」([2007:65-66])

◆197403 「不合理な存在として」

 「障害者はその症状形態から画一的合理化をする事が無理であり、むしろさまたげになります。故にますます現在の社会から疎外されているのです。しかしある意味では画一化されたトロッコに乗せられなかった事が、自由な素晴らしい事だといえないでしょうか。とにかく障害者は不合理な存在の典型であり、だからこそ人間とは何かという事を振り返るには格好の材料であり、生きた具現者である筈です。ですから少しでもものを考えようとする若い人達の中には、自分の生き方を模索する過程で障害者問題にかかわり、我々の問題提起を如何に受けとめるか、いや我々が受けとめられるか、障害者との連帯は如何にして持てるかなどと討論し苦悶する人達さえ現われるているのです。[…]我々はあくまで不合理な存在としての自覚に基づいて、我々の運動を続けなければなりません。<0084<
 そうする事が我々重度障害者の使命であり、最も有意義な社会参加だと思います。」([2007:84-85])

◆197004 「脳性マヒ者の社会参加について」

 「脳性マヒは増えているのである。社会性もなく何をやらせても採算ベースにのらず、これまでの社会常識ではあてはめようのない存在として増えているのである。一般常識にあてはまらないからといって人間の存在を否定することは本末転倒といわなければなるまい。」(91)

◆197410 「ある障害者運動の目指すもの」

 「…マスコミ・キャンペーン、それに追随する障害者をもつ親兄弟の動き、そしてまた、これらに雷同する形で現われる無責任な<0096<同情論はこの種の事件が起きるたびに繰り返されるものであるが、これらは全て殺した親の側に立つものであり、「悲劇」という場合も殺した親、すなわち「健全者」にとっての悲劇なのであって、この場合一番大切なはずの本人(障害者)の存在はすっぽり抜け落ちているのである。このような事件が繰り返されるたびに、我々障害者は言い知れぬ憤りと危機感を抱かざるを得ない。」(横塚[74:209-210→81:80]→[2007:96-97])*
 立岩「はやく・ゆっくり――自立生活運動の生成と展開」(1990)註22に引用

 「全ての障害者施設とは、高度経済成長を支え、現社会体制を維持していくために、また一般庶民にマイホームの幻想を募らせるためにこそ「必要」なのであり」([2007:105])

◆1975「あとがき」

 「自分達こそ正義の味方なのであり悪いのは全て政府、権力なのだというような発言をする。しかも障害者に向かっては「自分達は障害者差別などしたこともなく、そんな意識もない。我々と手を結ばなければ何も解決しないし、良くはならない。我々がやってあげるのだ」というようなことを言葉の内外に現しているのである。この鼻持ちならない傾向はある特定政党の下部組織などに特に強く表れている」【245】
 ……

◆197103 「我々の手で小さな施設を」

 「園での生活訓練により社会性を身につけて、好伴侶と共に、又は独身のままでも、民間アパート・公営住宅などの独立した生活に入っていく人が大勢おります。」([2007:125])

 立岩 真也 19990331 「自己決定する自立――なにより、でないが、とても、大切なもの」,石川准・長瀬修編『障害学への招待』,明石書店,pp.79-107
< 「ここでは言葉そのものを追っていく。まず、一九七〇年から七二年にかけて「独立」そして「自立」という言葉が使われ始める。
 […]
 「園(東京久留米園)での生活訓練により社会性を身につけて、好伴侶と共に、又は独身のままでも、民間アパート・公営住宅などの独立した生活に入っていく人が大勢おります。」(横塚晃一「我々の手で小さな施設を」,『あゆみ』十二号,一九七一年三月,→横塚[1975:104],「青い芝の会」神奈川県連合会[1989:110])」

◆197209 「優生保護法と私」

 「優生保護法「改正案によると「障害児」とわかったとたん、しかも母親の胎内にまでさかのぼった状態で天下晴れて”合法”の名のもとに抹殺できるわけです。この法律でいうところの不良な子孫とは一体誰にとっての不良なのでしょうか。生産第一主義の社会においては、生産力に乏しい障害者は社会の厄介者・あってはならない存在として扱われてきたのですが、この法律は文字どおり優性(生産力のある)者は保護し劣性(不良)な者は抹殺するということなのです。つまり生産性のないものは「悪」ときめつけるのです。[…]<0129<
 […]どんじりを抹殺したところで次から次へとどんじりは出来て来て、それはこの世に人間がたった一人になるまで続くでしょう。
 私は、私自身を「不良な者」として抹殺したあとに、たとえどんなに「すばらしい社会」ができたとしても、それは消された私にとって知ったことではありません。<0132<」(横塚晃一「優生保護法と私」『青い芝』16(1972.9)→横塚[1975(1984):108,110]→[2007:129,132])
 *立岩真也『私的所有論』第9章に引用。

◆197406 「ボランティアに期待するもの」

 「障害者――特に重度障害者は、世間一般が当然のこととして享受している教育、労働など全ての場からはじき出されております。つまり障害者は現代社会において、被差別者で被抑圧者なのです。[…]我々を、不幸な、恵<0141<まれない、かわいそうな立場にしているのは権力であり、今の社会であります。その社会をつくっているのは他ならぬ『健全者』つまりあなた方ひとりひとりなのです。あなた方は、我々をはじき出した学校で教育をうけ、我々の姿のみられない場所で働き、我々の歩けない街を闊歩し、我々の利用できない乗物、エスカレーターなど種々の器物を使いこなしているのです。このように考えれば、ひとりひとりが、いや他の人はとにかくとしてあなた自身が差別者、抑圧者といえましょう。」(横塚1975:122−123→[2007:141-142]  *山下[2003]に引用

◆197407 「優生保護法改正は阻止された」

 「物事にはやっていいことと悪いことがある。人の命に係わることはそれがたとえ多数の意見であっても行うべきではない。」([2007:134])

 「組織活動としては我々の活動を正しく受け止めてくれる限り、いかなる団体個人とも接触を持つということが原則である。○○に利用されたということは自らの主張する<0136<問題を持たずに相手側に名をつらねた場合にいえることであろう。」([2007:136-137])

◆197006 「募金活動をふりかえって」

 「経済的に恵まれない我々に向って集めた金で旅行することが悪いというならば生活保護や年金で結婚し子供をつくるなどということは大変いけないことであり、成人して三十や四十になってもなお親に食わせてもらうのもいけないことになる。生活保護費は税金として強制的に国民から取り上げたものの一部であり、親の働きは本人の働きではないのである。そういうならば我々働けない者は生きていること自体贅沢だということになる。「なにもそこまで言ってやしない」と言うだろう。が、そのそこまでという言葉の中に残忍なまでの差別意識がひそんでいるのに気がつかないのだろうか。もう少し説明するならば「お前達は情けを以て生かすだけは生かしてやるが、基本的人権がどうの、勉強がしたいの趣味を広めたいの、旅行に生きたいのなどと言ってはいかんぞ」ということ、……「松葉つえや車椅子を買うのだからといって金を集めるならわかるが、旅行に行くからというのでは…というのもその現われである。私は我々が旅行に行きたいと要求することは経済的に旅行の費用がだせない、又旅行にもあまり行ったことのないCP者の存在を主張し、常識化した差別意識に対してあえて挑戦しているのだと思いながら募金箱を持って街頭に立っていたのである。」(「募金活動をふりかえって」『あゆみ』九号、197006→横塚[1981:101]→[2007:121])

 *立岩真也「一九七〇年」(→『弱くある自由へ』所収)
 役員改選のある総会を成立させるために旅行を考えつき、四月、彼らは日本平に総会を兼ねた一泊旅行に行く(参加者四〇名)。そのために三月に川崎駅前でPR活動(「脳性マヒとは」という文章も配られたはずだ)を兼ねた募金活動を行う。これに会員の家族から、また会員自身から「あまえている」と指摘があって、横塚晃一(六九年に茨城から転居、この総会で副会長に選出、東京「本部」でも副会長)が反論する。
 「経済的に[…]街頭に立っていたのである。」(横塚「募金活動をふりかえって」『あゆみ』九号、一九七〇年六月→横塚[1981:101])

 「障害者運動とは障害者問題を通して「人間とは何か」に迫ること、つまり人類の歴史に参加することに他ならないと思う。」([2007:123])

◆197410 「鶏にみる「弱者考」」

 「障害者問題の難しさは障害者差別を自他共に差別と認識しない(できない)ことにある。そして人間の差別意識というものは動物的・本能的なものであり、究極的には人間の存在もまた生と死という本質的なものに関わるものであろう。決して○○主義や革命的(?)××セクトの革命路線に従えば、すべて解決されるというものではありえない。」([2007:147])

◆197501 あとがき
 「自分達こそ正義の味方なのであり悪いのは全て政府、権力なのだというような発言をする。しかも障害者に向かっては「自分達は障害者差別などしたこともなく、そんな意識もない。我々と手を結ばなければ何も解決しないし、良くはならない。我々がやってあげるのだ」というようなことを言葉の内外に現しているのである。この鼻持ちならない傾向はある特定政党の下部組織などに特に強く表れている」【245】

◆1977
 「六八〜六九年ごろ、東大闘争を頂点として全国的に高揚した学生運動が権力の手によって抑え込まれるなどして沈滞していくと同時に基盤を失った学生運動の流れが障害者運動にどっと流れ込んできた。もちろん、日本中を経めぐったエネルギーからすれば、それはほんの一部だっただろうが、それまでほとんどかえりみられることがなかった障害者の世界からすればそれは大変なことであった。青い芝の会のように、それまで障害者だけで組織し、まがりなりにも運動を続けてきたものにとっては強大なエネルギーとして迫り、この強大なエネルギーによって自分達の創ってきた組織の力の内部バランスが崩されたり、そのうえ運動の方向までも左右される事態が起った。もちろん当時の障害者組織は非常に未熟であった。障害者自身の組織活動の未熟さに加え、学生運動の流れをそのままのペースで障害者問題にもちこんできた健全者にも「障害者との関わり」といった面からして非常に未熟な点があった。このような状況の下で、当時の青い芝の会などのように自らのペースを守る為に健全者の介入を阻止するものものもあったが、それと同時に全国的に一人あるいは数人の障害者を多数の健全者がとり囲んでさまざまな要△323 求をかかげた運動体が、まるで雨後の竹の子のように出てきたのもこの時代であった。」(「障害者解放運動の現在的視点」、『全障連結成大会報告集』、一九七七年四月、【323−324】)
◆1978 横塚りゑ
 「夫は一期一会という言葉が好きであった。一生にただ一度会えた因縁の不思議さを思い、若い介護者との出会いを大切にしようとしたのである。  『歎異抄』に「よきひとのおほせをかふりて信ずるほかに別の子細なきなり」としるされたのに続けて、この人と定めた人についていって、たとえだまされて地獄におちても、一向に後悔しない。他の事をして仏になれるならともかく、地獄におちると定まっている身であるから、自分がこの人と定めた人には、どこまでもついてこうという意味の言葉があるが、夫が心の共同体を口にした思いの中には、若き日より子心のよりどころとした『歎異抄』の一節がこめられているように、私には思われるのである。」(一九七八年十一月、【268】)

 
 
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■紹介・書評・言及

 *集めてきれてません&順序がおかしくなっています。また後で。

◆2014/04/25 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/591824159723814912
 「↓は鈴木雅子「書評:横塚晃一著『母よ!殺すな』」『ノーマライゼーション 障害者の福祉』2010年1月号。生活書院刊のこの本の新刊は今は新たに9編の未収録の文章を収録した第2版(新版2007・新版第2版2010)→http://www.arsvi.com/b2000/0709yk.htm …」

◆2014/02/06 https://twitter.com/pori313/status/563943238709428224
 「ひきこもり、自閉症児のパパになる?@pori313 1970年代に障害者問題に声をあげ社会を動かした脳性マヒの当事者の話。胸に迫る。|文学にみる障害者像-横塚晃一著『母よ!殺すな』 http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n342/n342020.html …」

……

◆2012/11/08 https://twitter.com/marco11/status/531206905650089986

 「マルコ?@marco11 横田さんの詩も紹介してほしい。両輪ないと走らない。 RT @consaba: 「チキのテクスト・母よ殺すな」2/26放送: http://youtu.be/rLc4pSOHeY8 #ss954 #synodos」

◆2012/11/08 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/531196807640907776

 「立岩真也?@ShinyaTateiwa 横塚晃一『母よ!殺すな 新版』(生活書院)解説「この本は、前の世紀に出た最も重要な本の一冊であり、再刊が長く待たれていた。/そしてこの本は、重めでそして暗くもある本である。しかし同時に明るい。どうなっているのだろう。」→http://www.arsvi.com/ts/2007070.htm 」

◆2012/11/08 https://twitter.com/neko_tubuyaki/status/531017874282778624

 「ネコ?@neko_tubuyaki 飢えて焦るかのようにしてかじりつき先へと読み進める『母よ!殺すな』(横塚晃一著/立岩真也解説/生活書院)、ふと思い立って本棚のあちらこちらを掘り起こし『障害と文学』(荒井裕樹著/現代書館)を手にとる。ここでも「青い芝の会」や横田弘氏についての記述があるのだ。」

◆立岩 真也 2014/10/00 「名著一選:横塚晃一」,ブックファースト新宿店 編『名著百選 2014』,ブックファースト新宿店,72p.:36

◆2012/12/15 http://www.surume.org/2012/11/post-580.html

◆2012/09/11 https://twitter.com/kudohal/status/245742071443501056
 「kdh?@kudohal 自分に影響を与えた一冊で横塚晃一の「母よ!殺すな」がある。これを読んだとき頭を殴られたような衝撃を受けた。それから殺される側の立場を常に考えるようになった。いつの間にか殺す側にいた自分に気づかされた。全人類読んだほうがいいと思う。」

◆2012/03/13 http://isourou2.exblog.jp/17303984/

◆2012/01/13 http://yumekoubou-f.jugem.jp/?eid=85

◆2011/11/17 http://d.hatena.ne.jp/itattz/20121117

◆2011/09/22 https://twitter.com/koucha156/status/117026238668865536
 「紅茶キノコ?@koucha156 重度身体の当事者の思いは、「青い芝の会」の歴史とか、「母よ殺すな」の解説ページhttp://bit.ly/rsfBV4  とか読まれてみたらいいのかなと思います。RT @7marvelous: 最大の敵とは活動を阻害するという事ですか? RT 「最大の敵は親」とする重度身体当事者。」

岡原 正幸 2010/10 「『母よ!殺すな』横塚晃一著 生活書院――教授が薦める塾生に読んでほしい「この1冊」,『慶應塾生新聞』2010-10
 http://www.jukushin.com/archives/6179
 http://www.jukushin.com/archives/date/2010/10

◆2010/05/22 http://wallaby-clinic.asablo.jp/blog/2010/05/22/5105432

◆雨宮 処凛 2009/10/01 「「殺される側」からの叫び」
 『ビッグイシュー日本版』128号(2009/10/1)「世界の当事者になる」VOL.71より転載
 「最近、ずーっと読みたかった本をやっと手に入れ、読んだ。それは1975年に出版された『母よ!殺すな』。07年に生活書院から復刊された同書は、脳性マヒの横塚晃一氏によって書かれたものだ。横塚氏は78年に42歳でガンのため亡くなっている。
 母よ、殺すな。ドキッとするタイトルだ。一体、母が誰を殺すというのだろう。この言葉の背景には、ある事件があった。70年、2人の重度の脳性マヒの子どもを抱えた母親が、2歳の下の子を殺してしまったのだ。母親は脳性マヒの子どもに対し、「この子はなおらない。こんな姿で生きているよりも死んだ方が幸せなのだ」と思ったという。
 この事件に対して世間は同情を寄せ、子どもを殺してしまった母親への「減刑嘆願運動」が起きる。それに対して、脳性マヒの人々の団体「青い芝の会」が「殺されてもやむを得ないのなら、殺された側の人権はどうなる」と、「殺される側」から声を上げたのだ。まさに障害をもつ人々の「生存権」を賭けた問いであった。
 横塚氏は同書で、以下のように書いている。
 「なおるかなおらないか、働けるか否かによって決めようとする、この人間に対する価値観が問題なのである。この働かざる者人に非ずという価値観によって、障害者は本来あってはならない存在とされ、日夜抑圧され続けている」
 ここにあるのは、あるがままの「命」を肯定しようとする叫びである。しかし、脳性マヒの人々が声を上げると、「世間」との軋轢が生まれてしまう。「哀れな障害者」には同情的な世間は、彼らが「主張」を始めるとたちまち手のひらを返すからだ。そうして働けるか働けないか、役に立つか役に立たないかで選別し、生存を否定、あるいは条件つきにしようとするあらゆる力に対し、彼らは全力で抗う。「青い芝の会」の行動綱領には「われらは強烈な自己主張を行う」「われらは愛と正義を否定する」「われらは問題解決の路を選ばない」という、一見「過激」ともとれる言葉が並ぶ。このような当事者運動が70年代に始まっていたことに驚愕し、彼らの言葉がまったく古くないどころか、目を覚まさせてくれるような躍動感に満ちていることにただただ驚いた。
 「母よ、殺すな」。このような言葉を言わなければいけない現実はあまりにもつらい。だけどこの本を読んで、改めて「生きる」ことについて、考えている。」(全文)

◆2009/01/02 http://d.hatena.ne.jp/Araki/20090101/p2

臼井 正樹 200805 「図書紹介『母よ!殺すな』」,『リハビリテーション』503号:32-33(社会福祉法人鉄道身障者福祉協会)
  「昨年の一月七日、私は小田急線のある駅で待ち合わせをしていた。相手は高橋淳氏、生活書院という小さな出版社の編集者兼経営者である。
  それより三か月近く前、打ち合わせをしているところに一本の電話がかかってきた。立命館大学の立岩真也氏から紹介されてということだった。用件は、故横塚晃一氏の本を復刊したい。ついては横塚氏のご遺族と連絡を取りたいのだが間に入ってくれないかというものだった。その電話の相手が高橋氏であり、何度かメールでやり取りをし、引き受けることにした。
  青い芝の会神奈川県連合会は、間違いなく一九七〇年代からの障害者運動の中心にあった。横塚晃一氏は、青い芝の会の主要メンバーの一人であり、三十年前に胃がんで亡くなっている。この青い芝の会は、小山正義氏がその行動力で組織化を図り、横塚晃一氏と横田弘氏が運動の理論化を担った。他にも何人かが主要な役割を演じているが、この三人がいなければ、あの青い芝の会は存在しなかった。そして、日本の各地に出かけていって青い芝の会の支部を組織化していったのは、横塚氏の政治力だったといえよう。
  青い芝の会のことは、立岩真也氏をはじめ少なからぬ方が論じている。しかし、現時点で青い芝の会と恒常的に接触がある大学教員(私のことを教員と呼ぶのがふさわしいかどうか疑問が残るが)は、間違いなく私であろう。
  私が地方公務員の立場から大学教員に転じるきっかけとなったのは何人かとの出会いであるが、そのうちの一人は青い芝の会神奈川県連合会代表としての横田弘氏である。
  青い芝の会神奈川県連合会の横田氏に連絡を取り、直接お会いして趣旨を説明し、ご遺族の方の連絡先を伺った。ご遺族に連絡し、お訪ねする日程を調整した結果、正月明けの七日にご自宅を訪問することになった。
  新婚間もない横塚氏のご子息のお住まいを住所を頼りに探し、真新しいアパートの一室で高橋淳氏、横塚氏のご子息と三人でやり取りをした。高橋氏の『母よ!殺すな』復刊にかける熱意を理解しこれを受け止め、ご子息は復刊の企画を承諾してくださった。あわせて、障害者運動の伝説の闘士である横塚氏が、大変に家族想いであったことを教えていただいた。
  『母よ!殺すな』は、すずさわ書店から一九七五年に出版され、一九八一年に同じくすずさわ書店から増補版が出ている。一九八一年版が絶版となって以来、手に入らないものとなって久しい。日本の障害者運動を学ぶ者にとってこの『母よ!殺すな』と横田弘氏の『障害者殺しの思想』は必読書といってよいものだが、どちらも手に入らない本となっていた。近年、多くの公立大学に社会福祉を学ぶ学部、学科が新設されてきたが、当然のこととして、この二冊の本はほとんどの公立大学の図書館に入ることがなかったはずである。私が勤務する神奈川県立保健福祉大学も、青い芝の会の活動の中心である神奈川県にありながら、やはり蔵書とすることはできなかった。
  二〇〇三年に、横田弘氏は『否定されるいのちからの問い』を著わし、この本がある意味で『障害者殺しの思想』の代わりを果たしている。今回、『母よ!殺すな』が復刊されたことで、貴重な二冊の本を三十年の時を経てまた読み継ぐことができるようになった。
  今回の復刊で『さようならCP』のシナリオをはじめとする貴重な資料が付け加えられるとともに、立岩真也氏の思いのこもった解説がついた。このことにより、復刊された『母よ!殺すな』と、『否定されるいのちからの問い』を併せ読むことで一九七〇年から九〇年代にかけての日本における障害者運動の基本部分が把握できるようになった。
  アメリカの自立生活運動やイギリスの障害者運動が日本に紹介されるようになって久しい。しかし、アメリカやイギリスの障害者運動とは別に、日本には独自の障害者運動が存在した。それはある意味で生きることへの根源的な問いかけであった。そのことをこの本から改めて読み取っていただきたい。
  二つの本の出版に陰ながら関わることができたのは、私にとって大きな誇りである。昨年の暮れの青い芝の会神奈川県連合会の勉強会の席で、今度は私が青い芝の会について書こうと思うと述べた。横田氏からは、「俺ももう長くない。生きているうちに読ませろ」と励まされたのを記憶している。
  『さようならCP』のシナリオを掲載するにあたって、横田氏から注文がつき、オリジナルのシナリオを二か所ほど修正した。ここでは詳しいいきさつは控えるが横田氏の家族への思いが伝わる出来事が復刊に際しての秘話として残った。
  私が青い芝の会についてまとまった文章を書く際には、このこともきちんと書き残したいと思っている。
  (うすい・まさき 神奈川県立保健福祉大学教授)」(全文)

◆岡原 正幸 2008 『図書新聞』

◆2008/04/08 http://jiyuu-gennsou.at.webry.info/200804/article_9.html

◆2008/03/17 http://sun.ap.teacup.com/waninatu/57.html

◆立岩 真也 2008/02/01 「二〇〇七年読書アンケート」,『みすず』50-1(2008-1・2):

http://d.hatena.ne.jp/K416/20080120/1200841530(2008/01/20)

◆立岩 真也 2008/01/01 「私が選んだ3冊・2007年の収穫本」,『論座』2008-1

◆立岩 真也 2007/12/25 「人間/動物」(医療と社会ブックガイド・78),『看護教育』48-(2007-12):-(医学書院)

◆立岩 真也 2007/12/00 「『母よ!殺すな』+コラムを一つ――知ってることは力になる・48」,『こちら”ちくま”』55(2007-4):

http://marusato.blogspot.com/2007/12/blog-post_1022.html(2007/10/22)

http://d.hatena.ne.jp/takutchi/20071201(2007/12/01)

◆立岩 真也 2007/11/25 「『母よ!殺すな』・2」(医療と社会ブックガイド・77),『看護教育』48-11(2007-11):-(医学書院)

http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/2007/11/(2007/11/18)

http://blog.so-net.ne.jp/higetama/2007-11-12(2007/11/12)

◆小林 敏昭 2007/11/10 書評,『そよ風のように街に出よう』75:68
 「著者が「差別以前の何かがある!」とショックを受けた内容に、若い私はショックを受けた。すずさわ書店発行の『母よ! 殺すな』(一九七七年)を読んだ時の鮮明な記憶である。
 一九七〇年、横浜で脳性まひの娘を殺した母の減刑を嘆願する署名運動が起こった。青い芝の会の脳性まひ者たちは、殺される側の立場から、その運動に異議を申し立てた。著者たちは自分たちでまとめた意見書を手に、横浜地方検察庁、神奈川県民生部、各政党の議員、警察署などを回った。反応は「施設が足りないのが問題だ」「国が悪い」「可哀想なのは母親だ」というものだった。
 そこで著者は慨嘆する。
 「普通、子供が殺された場合その子供に同情が集まるのが常である。それはその殺された子供の中に自分を見るから、つまり自分が殺されたら大変だからなのである。しかし今回私が会った多くの人の中で、殺された重症児をかわいそうだと言った人は一人もいなかった。(略)これを説明するのに私は適当な言葉を知らないが、差別意識というようななまやさしいもので片付けられない何かを感じたのである。」
 「自分が殺されたら大変だからなのである」というのは少し違うんじゃないかと思ったが、「差別意識というようななまやさしいもの」ではないという著者の感覚の鋭さに、私は深い感銘を受けた。この重症児殺しへの世間の反応は、生き物としての生存本能が関わっているのではないか。それは差別という、歴史的に新しい社会的概念だけでは説明できないのではないか…。そのような問いは今も、まったく新鮮な問いなのである。
 今回復刊された本書には、前回収録されなかった著者の文章や追悼文、立岩真也さんの解説が加えられ、その全体像に近づこうという出版社の姿勢がひしひしと伝わってくる。ぜひご一読願いたい。」(全文)

http://d.hatena.ne.jp/dojin/20071106(2007/11/06)

◆立岩 真也 2007/10/25 「『母よ!殺すな』」(医療と社会ブックガイド・76),『看護教育』48-10(2007-10):-(医学書院)[了:20070830]

米本 昌平 20071021 書評 『読売新聞』
 「1970年、横浜市で、重症の脳性マヒの子を2人抱える母親が、2歳の下の子をエプロンの紐で絞殺する事件が起こった。これに対して、母親の厳罰に処すのは忍びないと減刑嘆願運動が起こった。ところが、ならば障害者は殺されても仕方がないのか、という敢然とこれに異議を唱える障害者が現れた。本書の著書である。その主張は、障害者はそのままで普通の人と対等の存在であり、社会との関係も障害者の側が主体となって決められなくてはならない、というものである。今では当たり前の考え方だが、これが障害者自身によって、開き直りともとれる過激な表現をとった背景には、当時日本社会を貫いていた、高度成長期以来の効率一本やりの価値観があった。著書らが率いた「青い芝の会・神奈川県連合会」のラジカルなスタイルは、その後、障害者運動に対するイメージに少なくない影響を与えた。旧版に増補・解説を加えたもの。」(全文)

http://dobunko.seesaa.net/article/61279941.html(2007/10/18)

http://www.seikatsushoin.com/weblog/2007/09/post_24.html

http://d.hatena.ne.jp/zarudora/20070923/1190515352(2007/09/23)

http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070918/1190078432(2007/09/18)

http://yomimonokuroneko.blog27.fc2.com/blog-date-200709.html(2007/09/19)

◆立岩 真也 2007/09/10 「解説」,横塚晃一『母よ!殺すな』,生活書院,pp.391-428

http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070904/1188907398(2007/09/04)

◆2007/07/12 http://www.kyushu-id.ac.jp/~tomotari/asakadeta3.html2007/07/12

http://blog.livedoor.jp/subekaraku/archives/50858617.html

http://www.kyushu-id.ac.jp/~tomotari/asakadeta3.html



■言及

◆三井 絹子 20060520 『抵抗の証・私は人形じゃない』,「三井絹子60年のあゆみ」編集委員会ライフステーションワンステップかたつむり,発売:千書房,299p. ISBN-10: 4787300466 ISBN-13: 978-4787300461 2100 [amazon] ※ b d

田中 耕一郎 20051120 『障害者運動と価値形成――日英の比較から』,現代書館,331p. ISBN: 4768434509 3360 [kinokuniya][amazon] ※,

◆岡村 青 19880331 『脳性マヒ者と生きる――大仏空の生涯』,三一書房,210p. ISBN-10: 4380882179 ISBN-13: 978-4380882173 1400 『現代思想』36-2(2008-2): 資料,

◆立岩 真也 2008/09/05 『良い死』,筑摩書房 文献表

◆稲場 雅紀・山田 真・立岩 真也 2008/11/30 『流儀』,生活書院

◆立岩 真也 2009/03/25 『唯の生』,筑摩書房 文献表

◆立岩 真也 2009/04/25 「もらったものについて・3」『そよ風のように街に出よう』77:

◆最首 悟・立岩 真也 20090612 「対論」,高草木編[2009:225-231]*
*高草木 光一 編 20090612 『連続講義「いのち」から現代世界を考える』,岩波書店,307p. ISBN-10: 400022171X ISBN-13: 978-4000221719 2400+ [amazon][kinokuniya] ※

◆立岩 真也 2010/02/20 「もらったものについて・4」『そよ風のように街に出よう』78:38-44,

 「例えば「障害者差別」はどこから来るのか。「資本主義」とか「近代社会」とか言いたくなるところはある。そしてそれは、すくなくともかなりの程度、当たっているはずだ。職場で雇用しないのは企業であり、その企業が活動している市場である。しかし、そのもとを辿っていけば、結局は個々の人間がいるのではないか。たとえば横塚晃一の『母よ!殺すな』(すずさわ書店、一九七五年、増補版、一九八一年、すずさわ書店、新版、二〇〇七年、生活書院)を読んでみよう。すると差別は、この近代・現代社会、資本主義社会のゆえであると言われるとともに、ずっと差別はあって続いてきたのだと、それは人間の「性(さが)」のようなものだとも書いてある。となると、横塚はここできちんとものを言えていないのか。そうは思わない。ではどのように言うか。そんなことを考えることになる。(この本の終わりに「解説」を書かせてもらっているのだが、そこでこのことにすこしふれている。)
  そしてそれは、ここで念頭においている時期の社会運動にもう一つあった、「敵」でなく「自分(たち)」を責める、反省するという契機を考えることにもつながっていく。そのことについて、書けるなら、書くことにする。」

◆立岩 真也 2010/06/01 「『ベーシックインカム』の続き――連載 55」,『現代思想』38-8(2010-6):- 資料

 「一九七五年より前にあって文字として残っているものとして、横塚晃一――一九三五年生、神奈川と全国の青い芝の会の会長他を務めた、一九七八年に胃がんで四二歳で逝去――の「障害者と労働」(横塚[1972])がある。一九七二年の東京大学自主講座「医学原論」の報告原稿だったもので、一九七五年刊行の『母よ!殺すな』に収録されるのだが、すぐに関西の人たちに読まれたかどうかはわからない。ただこの本の前、一九七二年に青い芝の会で出版された『CPとして生きる』にもこの文章は収録されていたはずであり、これはその関係の人たちには読まれたはずだから、可能性はあるだろうと思う。
 ここで横塚は、今の社会では障害者は役に立っていないが、別のそれより前の時代・社会において別様の仕事をしていたのだと、役に立っていたのだと、それがそうでなくなったのだと述べる。

 「我々障害者は、一束かつげなくても落穂を拾うだけ、あるいは田の水加減をみているだけでもよしとすべきであり、更にいうならば寝たっきりの重症者がオムツを替えて貰う時、腰をうかせようと一生懸命やることがその人にとっての即ち重労働としてみられるべきなのです。」(横塚[1972→2007:56-57,2010:56-57])

 後者の例にしても、自分で「腰をうかせようと一生懸命やる」ことによって誰か他人がその分の労働をうかせていると言えるのなら、その分を貢献していると言うことはできる。とすれば、ここで、誰でもが貢献している、貢献に対する対価として誰でもが受けとってよい、受けとるべきであるという主張をしていると読むことも可能であるのかもしれない。むしろ、すなおに読めばそう読むのがよいのかもしれない。
 ただ、まず当の横塚の文章においても、今の障害者が役に立てられないような社会より前には役に立つこともあったのだという話から始まりながら、そこからはだいぶ距離のあるところに話は進められている。この人は一生懸命やってそれで腰をうかせられて、そして貢献したかどうかはわからないのだ。実際、横塚のまわりにも誰のまわりにも、腰をうかさない(うかせない)人がいる。
 たしかに労働の概念を拡張していくことは不可能ではない。しかしこれを、受け取りの、さらに一律の受け取りの正当化にもってくるのはできるだろうか、またよいだろうか。同じだけがBIが各自にあってよいのだとして、そして労働の意味する範囲を拡張していくのはよしとして、それでもなお同じだけ働いているとは言いにくい。また同じだけ貢献しているとも言えないだろう。寝ているだけという人もいる。苦労しているとも言えるがそうでもないという人もあり、たぶん苦労はしていないだろうなという人もいる。となったとき、労働を、さらに限定されたものとして貢献を拡張していく方向には無理があるということだったのだろうと思う。
 そして、横塚本人がどうであったかを別にしても、その後の(限られた数であったにせよ)障害者たちの暮らし・運動における言論は、その人がなにかをしていること、できることから何ごとかを言おうとする方向から離れていく。このことは資料からも確認することができる。そしてそれは――内容は紹介できないが――横塚の文章にも示されている大きな図式が既に支持しているものでもある。つまり、自分たちが得たいものが得られないその境遇を、「体制」に由来するものだと、さらに、そう簡単に体制だとか資本主義だとか国家だとかのせいだと言いつくせないのであれば、自分たちも含めた人間たちの都合や「業」に由来するものだとする(両者の説明の関係については、その著書の解説である立岩[2007]ですこしふれている)。その時、既に、問題はそちらの「社会」の側に置かれ、そしてその変更としてあるべきあり方が示されているのである。すると、自分たちのもちもの(労働・貢献…)によって、何かを得ることを正当化しようとする必要はないのだということになる。
 さきにあげた文章の二年前には次のような――立岩[1998→2000:96-97]でまったく同じところを引用した――文章がある。自分たちの旅行の資金作りのために募金活動をしたことが書かれている。

 「経済的に恵まれない我々に向って集めた金で旅行することが悪いというならば生活保護や年金で結婚し子供をつくるなどということは大変いけないことであり、成人して三十や四十になってもなお親に食わせてもらうのもいけないことになる。生活保護費は税金として強制的に国民から取り上げたものの一部であり、親の働きは本人の働きではないのである。そういうならば我々働けない者は生きていること自体贅沢だということになる。「なにもそこまで言ってやしない」と言うだろう。が、そのそこまでという言葉の中に残忍なまでの差別意識がひそんでいるのに気がつかないのだろうか。もう少し説明するならば「お前達は情けを以て生かすだけは生かしてやるが、基本的人権がどうの、勉強がしたいの趣味を広めたいの、旅行に生きたいのなどと言ってはいかんぞ」ということ、……「松葉つえや車椅子を買うのだからといって金を集めるならわかるが、旅行に行くからというのでは…というのもその現われである。私は我々が旅行に行きたいと要求することは経済的に旅行の費用がだせない、又旅行にもあまり行ったことのないCP者の存在を主張し、常識化した差別意識に対してあえて挑戦しているのだと思いながら募金箱を持って街頭に立っていたのである。」(横塚[1970→2007:56-57, 2010:56-57])

 ここには、まず、すくなくとも人がやっている程度のことはやってよいのだと、そのことが書いてある。そして「生活保護費は税金として強制的に国民から取り上げたものの一部であり、親の働きは本人の働きではないのである」と書いてある。つまり、そのために「強制的に国民から取り上げ」ることは当然のことであると、そして「本人の働き」ではなく「親の働き」から取ってくることも当然のことであると、当然のことであるとしなければならないと書いてある。それは働ける側に対して働くことを請求しているということだ。それでよいと、それでよいと思おうと言っている。
 では、ここで自分たちもまた労働しているという把握は意味と力を失っているのか、あるいは失っていくのか。そうではないと思う。
 一つは、自分たちは自分たちで力を使っているのだということが言われている。のうのうとしている、安楽にしている人がいるとしても、そのことを否定する必要はない。その人は楽をしており、のうのうとしていられる。それはわるいことではない。そんな言葉はこの生真面目な人から発せられることはなかったとしても、あったし、その後はすこし容易に発せられるようになるかもしれない。ただそのことと同時に、こちらもそれなりに苦労はしているのだと言う。勤め人はがんばっているのだと、辛いのだとすぐに勤め人は言うが、そういばるなよ、というところはあったのではないかと思う。特権化する必要はないとしても、現に力の発現がある。とくにそれは脳性まひの人たちの不随意な力の発現について言えるのかもしれないのだが、労働者たちが苦労しているとか汗を流していると言うのであれば、ここでも力が費消されているのだというのである。
 ただその苦労によって、支給を正当化するのか、またできるかといえばそうではなかった。それを測り、その苦労やさらには苦痛によって支給を増やしていこうということにはならないだろうし、また本人たちもそれを望まないだろう。
 だからここにあったのは、労働の否定でもないし、労働の拡張でもない。自分自身の労働でなくとも、労働は自分が生きるために否定できない。さらに労働の義務も否定できない。他方で、労働を労苦・苦労によって規定するなら、自分たちもまた、労働をしているとは言える、だから苦労しているからといばるなとは言う。しかしそのことについて、金銭を支給せよとかそんな話にはしない。そして同時に、できないものはできないし、よけいな苦労をしたくはないし、しなくてよいはずだと言う。そして、生きるための手段であることができないこと、しないことをもって、自分たちを否定するなと言う。

□障害者と/の労働・補足2
 先のような言論の流れの延長に「制度」としての解があるのか。あるだろうと私は思っている。そう思ってものを書いている。ただ、その時その時のその場その場では、とくに余裕のない人や組織は、できることしかできないのだし、できることしかしないのは当然である。所得保障の制度自体をどうかしようといった話は、通常、冗談のようなことでしかない。結局、生活保護を使う人は使う、窓口で嫌なことをされれば怒る、抗議する、そんなことをしていくことになった。
 そしてこの小さな組織に限れば、この人たちは、とくに有能な組織の指導者でもあった――と私は思う――横塚の没後、なにかを作り出していくという方向をしばらく、あるいはずっと、前に出すことはしなくなる。所得保障の制度改革(一九八五年の年金制度全般の改変に伴う障害基礎年金の創設)には、この組織に関係しつつも、そこから離れていった人たちが関わることになる(立岩[1990]に少し記した)。けれども、現在まで様々あってきた、多くは今述べてきた主張や運動とは現実的・具体的にはなんの関わりのない動きは、基本的にはその範囲内で展開されていったと考える。というか、その範囲内において、そこに設定された基本的な構えのもとで、提起された主張や示される実践が有効になり、容易になると思う。
 例えば、この連載でも幾度か取り上げてきたし、また今度の本でも言及した(立岩[2010b:14-15])「働かない権利を」というスローガンである。」(立岩[2010])

◆2010 http://bit.ly/b9dErn

◆2010 http://bit.ly/bvRdS1

◆立岩 真也 20140825 『自閉症連続体の時代』,みすず書房,352p. ISBN-10: 4622078457 ISBN-13: 978-4622078456 3700+ [amazon][kinokuniya] ※


UP:20070729 REV:0804,06,31 0928 1021 1113 1206 20080107,23 0210 0619, 20090303, 1105, 19, 20100316, 0515, 17, 29, 1028, 2012226, 1228, 20140825, 20141118, 20150425 
横塚 晃一青い芝の会  ◇障害者(の運動)史・人  ◇障害者(の運動)史  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK 
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