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無駄に引かず無益に悩まないことができる

新書のための連載・11

立岩 真也 202006 『eS』19
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 この文章は今年夏にはちくま新書の一冊として出したいと思っているの一部の部分として準備中のものです。
 ここにおいた註と文献表は、新書では大幅に減らされます。紙の新書をご購入いただいた方に有料で提供する電子書籍版には収録しようと思います。

◆立岩 真也 2020 『介助為す介助得る』,ちくま新書,筑摩書房
介助・介護 > ◆重度訪問介護派遣(重訪)

◆立岩 真也 2020/05/11 「新型コロナウィルスの時に『介助する仕事』(仮題)を出す――新書のための連載・1」,『eS』009
◆立岩 真也 2020/05/18 「新書のための連載・2」,『eS』010
◆立岩 真也 2020/05/25 「新書のための連載・3」,『eS』011
◆立岩 真也 2020/06/01 「新書のための連載・4」,『eS』012
◆立岩 真也 2020/06/08 「新書のための連載・5」,『eS』013
◆立岩 真也 2020/06/15 「新書のための連載・6」,『eS』014
◆立岩 真也 2020/06/21 「新書のための連載・7」,『eS』015
◆立岩 真也 2020/06/28 「新書のための連載・8」,『eS』016
◆立岩 真也 2020/07/06 「新書のための連載・9」,『eS』017
◆立岩 真也 2020/07/13 「新書のための連載・10」,『eS』018
◇立岩 真也 2020/07/20 「新書のための連載・11」,『eS』019
◆立岩 真也 2020/07/27 「新書のための連載・12」,『eS』020


■こくりょうを&から動かす
 これまでお話ししたことに関係して、今私がすこし関わっている企画のことを紹介します。
 それは、こちらのサイトでは「こくりょうを&から動かす」っていうところから情報が得られるプロジェクトです。僕はほとんど何もしてないですけど。紹介したホームページの下の真ん中ぐらいに「こくりょう(旧国立療養所)を&から」っていうページが出てきます。
 国立療養所(国療)っていうのが昔あったんですよ。昔あったというか、名前が変わって今でもあります。これは、戦前からの施設を引き継いだりして、日本が戦争に負けた1945年って年に、国立療養所ってものにしたんです。一部はハンセン病の療養所ですね。これは「らい予防法」っていうよろしくない法律の下で残ってきて、今でもあります。ただ、その入所者がだんだん年取られて、そのうち消えてなくなるかなっていうのが一方であります。ちなみにそのうちの一つである、瀬戸内海に浮かんでるっていうか、浮かんでないですけども、長島で、長島愛生園ていうハンセン病の施設について、そこがどういうふうに移り変わってきたのかっていう、そしてその記憶・記録を残していこうという展示を立命館の衣笠キャンパスのほうで、私らの研究所が関わってやりますので、関心のある人はどうぞ。今はコロナで、残念ながらまだ続くと思いますが、うまくいって下火になっていくと忘れる。皆が覚えているべきだとは私はまったく思います。いやなことは忘れた方がいい。しかし、誰もが忘れてしまうっていうのではやはり困ります。コロナのこと、もすこし広げていくつかの感染症と人のこと社会のことを調べて記録して公開しようということをやっています★01
 さて、それと別に、国療の大部分は結核の療養所だったんです。それが戦争が終わって、結核の人たちが減ってく、症状が軽くなってく中で、空いてくる。空きがでてったら、その病院、施設ですね、それをなくしちゃったかっていうとそうじゃなくて、次のお客さんを受け入れたっていう歴史があるんです。
 そこに入った人たちっていうのは誰かっていうと筋ジストロフィーの人なんです。私は、その過程・歴史を記した本を書いています。面白い本だと思うんですけど、「またこんな厚い本書いたの?」とか言われて、「はい」とかって、お詫びして回ってはいませんが、『病者障害者の戦後』(立岩[2018]◇)っていう本です。それは、どういうふうにして筋ジストロフィーの人がその施設に収容され、そのあとどうなったっていったかを書いた本です★02
 それと必然的な関係はないんですが、CILの一つである京都の「JCIL(日本自立生活センター)」の人たち(□頁)、そして兵庫県の西宮にある、同様に日本で最大規模と言ってもいいかもしれない、何億の金を動かしている「メインストリーム協会」っていうCILの人たちが関わっています。
 最初の最初の関わりは古込さん(□頁)ていう、2017年の秋に30何年ぶりに、金沢市にある医王病院っていう国立療養所を退院し、金沢で暮らし始めることになる人の支援でした。金沢にはCILもないし、重度訪問の制度もなかったんです、当時。そんな状況で、いろんないわく因縁があり、その京都と兵庫のCILの人たちが関わりました。そういうことの関わりがあって、その病院から古込さんが退院しました。筋ジストロフィーのある種の型、デュシェンヌ型っていう型の人ですけど、進行していって、昔は二十歳の前に亡くなる人が多かったんです。それから比べれば今は40代50代って普通になって、寿命は延びてるんですけど。それでも2019年の春に亡くなられて、それは残念なことだったんですが。ちなみに彼が生前書いたものもこのホームページの中に載っけているので、よろしかったら見てください。
 で、その、最初は京都、それから兵庫で始まったものを、全国的に展開しようっていう動きが始まっています。僕も少しそれに関わってるっていうのが今起こってる出来事です。そんなことも、『毎日新聞』にちょっと載ったり、『京都新聞』にちょっと載ったりしてるんですけど、そんなにみなが知ってるはずはない。だけれどもそうやって、例えば京都だと宇多野病院っていう病院が旧国立療養所なんですね。そこから出てくる人、筋ジストロフィーで出てきた人が今年もいるし、去年もいます。
 古込さんは37年とかずっといて。その病院で、死なずに病院を出た人は彼が初めてだって言ってました。退院した人がまるきりいなかったということではないんでしょうけど、彼と同じような境遇の人ではいなかった。つまり死亡退院っていうのですね。死ぬまでいるしかない。死ぬ前に出たのは始まって以来だった、ってなことが、「ええ? 今でもそんなことあるの?」って感じで起こる。だけども、あるんですね。そういう状態を少し良くしようっていうことで、今少し動いてるってことはご紹介しときます。
 だけど、出るじゃないですか。出た時に、そういう重い障害があって暮らすためには介助が要るわけです。介助のためには介助者が要るわけです。その介助者がいるから、いることによって暮らしていけるわけですね。ていうようなこともあって、こういう研修もあったりする。
 「そこまで思い込まなくてもいい」っていう部分が1個ね。軽い気持ちでとりあえずやってみて、他より面白いかもしれないアルバイトとしてやってみる、っていうのもあり、一方であるって話が今日の前半の話でした。で、後半の話っていうのは、一方でそうでありつつ、でもまあどういう、長い、言うたら重い、この話ってのがもとにあって、それによって制度ができ、制度を使う事業所ができ、事業所を回しながら人を暮らしていけるようにしているってそういう流れ、そういう全体の一部でもあるっていうようなお話をしたんだと思います。
 介助の話をすこしでも広げるととても一冊では終わらないんですが、この企画を進めていくうえで押さえておいた方がよいこということで、2019の秋、この企画関係の集会で話したことを再録し、「専門家」向けに少し内容を加えたものを本書の最後に置くことにします★03

止められないという基本
 2017年の6月に、直接的には相模原事件★04のことでDPI日本会議の集会で講演をした記憶があります。確かその時に言ったと思うんですけれども、DPIがいろいろ差別事例っていうのを集めてきましょうっていうことをしている、それもけっこうなことではあるけれども、かくも明白なというか、巨大な規模の施設収容っていうものがもう何十年と続いていて、それがさして知られぬままに、そして運動の側もなんとなく触ってこないで長い時間が経ってしまったっていうことを、まじめに、真摯に、受け止めなきゃいけないと、そこから運動っていうものを立ち上げていかないといけないんだってことをその時に申し上げました。
 それから2年少し経って、いくらか運動が前に進み、具体的になってきたっていうことは、望ましい、好ましい、喜ぶべきことだと思いますけれども、まずは、基本的なところで、なんか忘れてきたっていうか、手つけてこられなかったっていうことは、何度でも深く受け止めなきゃいけないと私は思ってます。これはDPIに限らず日本の障害者運動が、なんとなく病院にいる人たちは病人で、みたいな、そういうのもあったのかもしれませんけれども、それだけでもない。それだけでもない中で、もとは結核療養者を収容する施設としてあった療養所が筋ジストロフィーや重症心身障害児の人たちの収容を始め、そしておおむね知られることもなく続いてきました。それがどういうことだったのかっていうのは『病者障害者の戦後』に書きました。
 その歴史的事情はなかなか複雑なものがあります。ただそのうえで、基本的な立ち位置は単純であって、そこから始めようということなのです。どういうことかっていうと、やっぱり今の状況、1つ目はですね、今置かれてる状態が普通におかしいんじゃないか、じゃないかじゃなくおかしいという認識です。障害者権利条約だとか差別なんとか法だとかっていうことの前に、患者の権利法がどうだとか言わなくても、人がどういう所に住むのか、どういう所に暮らすのか、行きたい所に行けるっていうことは、妨げられてはならない権利であるという自明のことです。
 つまり、なにかよいことをしようという、そういう水準の問題ではないということです。居住のことを言いましたが、例えば作業所だとか人が集まる場所のことでも同じです。反対運動が起こったりして、実現しない、悲しいことだ困ったことだと言われる。実際にそういうことはたくさんあります。しかし、そういう中で社会の、地域住民の理解を得ようということの手前で、それはそもそも反対できるようなことなのかと考えるべきであり、反対など、基本的には、できないことなのだという認識から始めるべきだということです。
 「本来は」、ですよ。実際にはそうではない。だから、権利条約でもなんでも、使えるものはなんでも使おう、ということにはなります。しかし、その前に、反対できたり禁止したりできることなのか、そうではなかろうということです。そういう自明なことを言うのは、例えば、金沢の医王病院から37年の入院生活を経てそこを退院して暮らされた古込和宏さん(□頁)の退院について、その親の承諾がなければ退院させられないと病院の側は言い、さらに実際そのように信じてていたようであることです。また病院・医師がその許諾の権限をもっていると思ってしまっていて、実際そのように振る舞ってしまうということがあったということです。現実はそういう水準にあってしまっている。だから、わざわざこの自明のことを、残念ながら、確認せねばならないということになります★05
 そういうこと言うと、能天気な自己決定主義者みたいに聞こえるかもしれませんけど、私はそんなに竹を割ったような性格ではなくて、実際に生命の危機というものが存在するような事態においては、ある種の強制というかパターナリズムの実行というものはやむをえないという立場です(□頁)。ですから安楽死の法制化に反対してきたのです★06。そういう、100%本人が言ってるんだったらなんでもきけばよいとは思わない私でさえも、やはり今起こっていることはおかしい。人を人がいたくない所に留め置くこと出さないっていうことは、その正当性を挙証する責任ってものは、とどめる側、止める側、出さない側にあるわけです。それがちゃんと言えない、証明できなければ、そんなことしちゃいけないに決まってるわけです。で、そこのところを何度でも自ら確認し、組織として確認し、政府に対して主張し訴えていくってことをまずはすべきだと。それがまず基本的な確認のポイントです。これが1個目です。

2 それを実現することはできる
 2つ目は、出るはいいけれども暮らしていけるのかです。答としては、暮らせるようにするしかない、困難だけれども、という答しかありません。これはどっちかっていうと、サービス提供をやっているCIL(自立生活センター)系の組織が関係することですけれども、これまでそういう、俗に言う「医療的ケア」が必要な障害の重い人たちにちゃんとサービスを提供するようなことをできてきたかっていうと、しょうじきそうでもないところがたくさんあるのは事実です。けれども、やれてこれるようになった地域・組織もまたたくさん沢山出てきたってこともまた事実です。
 ですからそっちの、できてきているほうに近づけていくしかない。それは可能です。基本的には同じ制度のもとでやれているところがあるからです。それは、京都にもあるし、兵庫にもあります(□頁)。だからできるわけです。それが2つ目のことですね。できるから、できるからやろうという。もちろんそのためにはお金がいる、お金がいるのは政府から引っ張ってくるしかない。そういうことも込み込みですけれども、そういうことをしていくってことが2つ目のことだと。そのことによって、そもそも権利としてっていうことプラス、それが実際に可能な仕組みを作っていく。
 そのために、僕はまず日本の障害者運動っていうのが、一番重い人から、最重度の人を出発点にするんだっていってこれまでやってきたことっていうのは極めて重要なというか、偉大な立ち位置だったと思いますし、素晴らしいことだと思います。そして例えばCILが派遣事業するっていうことは、むしろ世界的には珍しいことかもしれない。それは、やむをえず始めたところもある。このことも認めましょう。けれどもそのことによって、その組織はある種の力を持ってきてはいるわけですよ。自分たちががんばって介助者集めてトレーニングして、提供すればいろんな人たちが街で暮らせるようになるのだから、それをやってく。ただそういう意味では確認すべきポイントは一つで、実際に行うべきことも一つで、極めて単純なことなんです。
 しばしば、理念を掲げ社会を「ラディカル」に批判する運動と、「ものとり」の運動とが対置され、ときに対立させて語られることがあります。「乗り」の違いというものはあるわけで、わからないではありません。しかしこれは基本的にはおかしなことです。介助が得られずに地域で暮らせないというのですから、それが可能になるために人を集めるのは立派な社会運動です。そして、いまその仕事をする人を集められないことが問題であり、それは介助の仕事で働いてもよいというだけのお金を結局は政府が出していないことが問題なのですから、要求し実現していく。それはきわめて大切なことです。そしてそれは、「優生思想」に対峙し、そんな気分が世の中を暗く覆ってしまわないようにするための現実的な手立てでもある。だから、それは反優生思想の強力で具体的な運動でもあります。
 「内なる優生思想」という考え方にはもちろんもっともなところがあります。ただ、心優しい人たちが自分のことを思って、私にも優生思想的な部分があるとか思って、それを根絶するのは難しいよねとか、反省してしまって立ち止まってしまうのは、損なことだと思うのです。根絶なんかできないって居直ったってよい、しかしその濃さを薄めることはできるということです。そのためには、自分だけで世話を背負いこんでその負担で暗くなり殺しそうになったりするその度合いを減らすことです★07
 そういう仕組みを私の知る皆さんの運動は作ってきた。それが意外にも知られていないから知ってもらおうと思って本やらいろいと書いてもきました。ただまだ知られてない。皆が知るべきだとは言いません。けれども一番知ってなきゃいけない専門職の人たちがあきれるほど知らない。介護保険のことは知っているけれども「重訪(重度訪問介護)」のことをほとんどまったく知らない。それではたいへん困るわけです。知ってるはずだと人々が思う人が知らないとなると、人々は存在しないと思ってしまう。ほんとにないなら仕方がないかもしれない。あるいは作るしかない。けれども実はあるわけです。あるものを知らないことによって人は人を殺してしまう、あるいは自分を殺してしまう。それはとてもよくないですよ。もっと知ってもらうように私たちもできることはします。それでこの本を書いています。知ってるはずの知らない人たち、専門家たちももっと積極的に情報を得ようとしてもらいたいと思います。それでこの本の拡大版電子書籍も作ろうとしています。

3 「相談支援」をまともにする
 環境が大きく変わります。変わるから出たいのでもあるけれども。慣れてないところに出ていくわけだから、なかなかたいへんなんです。差を大きくしてわざわざたいへんにしているとも言えるわけで、ほんとにはそれが問題なんですが、しかたがない。そのための仕事が発生します。この本は介助の話なんで長くはしませんけど、「相談支援」って呼ばれています。
 それは、誰にどれだけかかるかわからない。もともとそういう仕事です。ときにとても手間のかかる人手のいる仕事です。
 ただ、それに関わっている京都と西宮の組織は、それが使命だと思っているから、そして、介助派遣のほうで大きな事業をしていて、その「あがり」で金にならない仕事をしていくことができているから、することができています。さきに話した古込さんの時も、「日本自立生活センター(JCIL)」が京都にあり、「メインストリーム協会」が西宮にあって、この組織の人たちが金沢まで出向き支援を始めたのがこの度の企画につながったところがあります。そしてこの2つはいずれも大きな事業をしています。しかしそうした身体障害の利用者が多い自立生活センターなどと異なり、別に収入源はないから「精神」の方面の相談支援の仕事・仕事をする人・組織はさらに厳しい。こちらで博士論文を書いてそれが本になった萩原浩史さんの『詳論 相談支援』(萩原[2019]◇)、そしてそこに書かせてもらった「解題」(立岩[2019]◇)にいくらかを書いてみました、ややこしい経緯があって、そのあげくすかすかの役に立たないものだけが残ってしまいました。その本で描かれる、いやになるほどの、笑ってしまうほどの複雑な制度ができ、よくわからない変遷をたどってきました。そうした中で、仕事を投げられた地方行政は、ますますこの制度がなんであるかわからなくなり、地方政治の変遷にも左右され翻弄され、結果、事態はさらに厳しくなっています。
 その現状の一部が、それを仕事をする人たちによって引き起こされたのであれば、同情はできないと突き放したくもなります。しかし、「地域移行」が進まない要因の一つはここにあります。一方に金がかけられず使えない仕組みがあり、他方の「精神病院体制」は強いままです。その格差に規定されているところがあります。だからやはり現状は変えねばなりません。
 そのことは『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』(立岩[20151113]◇)という本に書きました。そんなことが書いてあるとは思わないでしょうけど、もちろんとても関係しています。
 書類一枚につきいくらというのはすっきりしてよいではないかと思ってしまうところはあります。しかし、医療は、一部を定額制にといった――いくらかはもっとなところがある――変化はあるものの、おおまかには、仕事の量が多くなれば多くが得られるようになっています。少なくとも、書類を一つ作ってそれにいくらか払われて終わり、ではなく、管理職だけをしている人の人件費も含めてやっていけるような支払いの仕組みになっています。そして病院の方については、自治体の持ち出しが少なくてもすむといったことも作用しています。まず、一方にそういう世界があることに、二つの世界の差に気づいてさえいないということがあります。
 そして、この不均衡を何がもたらしているのか。やはり『精神病院体制の終わり』に書いたことですが、一つには、病院・医療の側が、「福祉」の側と異なり、影響力を有し行使してきたという事情があります。それでどうしようか。基本的には難しいことではありません。やはり同じ本で述べましたが、「(相談)支援」についてまともな仕事をさせることです。計画(書)一つに対してではなく、仕事に対して払う。一つの尺度としては働いた時間を使い、その時間に応じて払う。一定の人口におおざっばには同じ程度の必要があると言えるから、何人かを雇って、そのための仕事をしてもらう。それではアバウトだと思うかもしれませんが、繰り返しますが、世の中には税金や保険料を使って行われているもっとアバウトなどんぶり勘定な仕事がたくさんあります。おおまかにそうしたうえで、ときに現れる問題に対処した方がよい。無駄な、さらに有害な介入はときにありますが、それはそれにかかる金を減らすことよって減らすべきでなく、別のやり方をとるべきです。
 そして次に、基本的には、支援(全般)、例えば介助と相談支援は分かれないと捉えた方がよいと考えます。「専門職」の人は受け入れ難いかもしれませんが、また仕事のきびしさによって加算があってもよいとは思いますが、そう考えた方がよいと私は思います。一つに、基本的に、両者は人の生活に必要だという点では同じです。一つに、とくに「精神」の人の場合、話を聞いたり引っ越しの手伝いをしたりすることについて、相談支援――そもそも「相談」という言葉を使うのがよろしくないというのも萩原さんの本で言われているまっとうなことの一つです――とそれ以外の支援とを分けてどちらなのかと問う必要もありません。経験値といったものの差異はあり、分業はときに必要で有効だとしても、基本は連続的なものと見た方がよいということです。萩原さんから、幾度か(幾度も)いつ終わるともわからない延々とした、また突発的で不定形な仕事のことを聞いてきました。そしてそれに萩原さんはっきり「意気」を感じています。それは、吉村夕里さんがその博士論文、をもとにした著書(吉村[2009]◇)を書いた動機でもあります。「面接」の場で何が起こっているかをたんたんと記していくその本は、自分たちがしてきた、そして今できなくなっている、そしてこれからするべき「ソーシャルワーク」の仕事はそんなものではないはずたという思いから書かれています。
 カウンセリングの技法とか理論とかそんなことをいろいろと論じることはもちろん大切でしょう。しかし、「ソーシャル」ワークとはそういうこと(だけ)ではない。そう言うと、それは一部の「熱い」人達のことだと返されるかもしれませんい。しかし、支援がどういうものであるべきか、あるしかないは、そう思っている人が全部ではないということと別にきちんと言えます。そして、そこから引かないことで、そして加えて他の例えば医師の仕事への支払いは出来高払いではないかといったことを加え加えていくことによって、とれるものをとっていくことができるはずです。そして人を病院に留めておくことに種々の事情があることはあるのだが、それでも、「移行」やそもそも病院・施設に行くこと少なくしようとすることがよいことであることは認められているのだから、そのために効果的・効率的な仕組みを考えるなら、いま述べた仕組みが採用されるのがよいと確実に言えるはずです。

4 研究を仕事とする私たちは
 さて私は研究者をしています。ここでの主題については「こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす」っていうホームページを、私たちのホームページの一部として作っています。これはわりとまじめに作っているので見てください。そこから、この動きの一つのきっかけともなった古込さんが生前に書かれた文章、私や私の勤め先の大学院生が彼に行なったインタビューの記録、記事などを掲載している古込さんのページにリンクもされています。また、今日の朝起きて作ったんだけれども、古込さんに続き医王病院から出ようとされているなか、古込さんが亡くなった同じ年の同じ月に亡くなられた斉藤実さんのページもあります。斉藤さんが生前残されたわずかな言葉、わずかな手紙、そうしたものを掲載しています。今日の集会の記録も文字起こしして、そして掲載しようと思います。現在は国の研究費を得て「病者障害者運動史研究」というのやっていますが、それに続くものとして「生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築」という書類を書いて応募しています。その計画書の全文もお読みになれます。それを研究費がとれようととれまいとずっと、続けていく。それが一つ、私たちがせめてできる一つの仕事だと思っています。
 もう一つは、基本は単純だって幾度か言いましたけれども、だけれども一個一個の政策の動向であるとかその把握・評価っていうものは、やっぱりそれはそれなりに分析的に分析しないと、やはり道を間違えるわけです。これはただ記録を採ってホームページに並べるってだけじゃなくて、いささかの分析的な知性というか、分析力というものが必要になってくる。社会科学的というものはそういうことをするものだと、ものであるべきだと思います。しかし残念ながら日本の社会科学ってものは、そうした力をほぼ持っておりません。それは大変嘆かわしいことです。呼びかけて、助力できることは助力してですね、分析を進めていく。分析てる、そしてそのためにも言葉を記録を集めて整理して皆さんが読めるように見れるようにする。せめてそうしたことを、学者、研究者としてやっていきたいと考えています。


※この註はさらに整理・拡張されて以下の本の「電子書籍版」に収録されます。オンラインの状態では、HPの数多くの頁にリンクされます。予約歓迎します。
◇立岩 真也 2020 『(本・1)』,岩波新書

★01 科学技術振興機構・社会技術研究開発センター戦略的創造研究推進事業(社会技術研究開発)の「科学技術の倫理的・法制度的・社会的課題(ELSI)への包括的実践研究開発プログラム」に応募した書類の草稿として「COVID-19から世界を構想する」(立岩[20200623]◇)。
★02 『病者障害者の戦後――生政治史点描』(立岩[20181220]◇)。本書の前にもう1冊、『不如意の身体――病障害とある社会』(立岩[20181130]◇)を出版した。この2冊についていくつかの書評をいただいている。また、天田城介との対談「病・障害から社会を描く――『不如意の身体』『病者障害者の戦後』青土社)刊行を機に」(立岩・天田[20190412]◇)が『週刊読書人』とそのサイトに掲載された。熊谷晋一郎との対談 20190701 「「痛いのは困る」から問う障害と社会」(立岩・熊谷[2019]◇)が『現代思想』に掲載された。
★03 2019年11月24日に第8回DPI障害者政策討論集会があり、その分科会の一つが「筋ジス病棟の未来を考えるプロジェクト始動」だった。そこで、あとで「どこに立ち何を言い何をなすか」(立岩[20191124]◇)と題した報告を行なった。同年、『社会福祉研究』から原稿を依頼された。11月の報告にいくらかを加えて掲載してもらうことにした。それが「無駄に引かず無益に悩まないことができる」(立岩[20200401]◇)。以下はその冒頭。
 「「障害者福祉における『当事者』性と『自立』観」という仮題をいただいた。そういうことについておびただしい数の文章を書いてきたから、言うべきことについて、それらに加えることはない。「要点」をということであれば、今年中には書いて刊行してもらう岩波新書に書く。「生存学」で検索して出てくる2つのサイト(両方とも立命館大学生存学研究所が運営)の1つ(http://www.arsvi.com/)の表紙にある「内を検索」で「自立」で探してみてください。辞典の項目として400字程度で書いたものから、長いものまで、各種ある。『自己決定/パターナリズム』(立岩編[20161031-]◇)という電子書籍?もある。また本年1月に第2版(増補新版)が刊行された『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術 増補新版』(立岩[20200110]◇)に基本的な考察と、初版へのかなりの分量の加筆がある。
 2017年頃から少し関わっている、(旧)国立療養所に長く暮らしてきた筋ジストロフィーの人たちがそこを出て暮らせるようにという、またその施設でもっとよい生活ができるようにしようという企画に関わっていくらかを書く。「社会福祉専門職に求められること」を書いてほしいというリクエストにも応えるものになるとも思うからだ。2019年11月にDPI(障害者インターナショナル)日本会議の政策討論集会で、その活動について報告し、全国の人たち・組織にその拡大を呼びかける分科会があり、短い話をした。以下、その記録に大幅に手を入れ――とくに「専門職」向けの部分を――加筆したもの。あえて「ですます調」を残した。」(立岩[20200401]) 
★04 この事件があって書いた本に立岩・杉田[2017]◇。本年三月に判決があったこともあり、いくつか取材を受けた。その記事なども掲載している。先述した「生存学」の表紙から関連の種々を集めた頁にリンクしている。 
★05 このことを巡る古込さん(2019年の春に死去された)との2017年のメールでのやりとりを『病者障害者の戦後――生政治史点描』に引用している(立岩[20181220:308-309]◇)。 
★06 この主題について4冊の単著・共著がある。理論的に検討したものとして『良い死』(立岩[20080905]◇)。
★07 第4回註16で述べた。

文献(◆の文献は転記済→『(本・1)』
※この文献表はさらに整理・拡張されて以下の本の「電子書籍版」に収録されます。オンラインの状態では、HPの数多くの頁にリンクされます。予約歓迎します。
◇立岩 真也 2020 『(本・1)』,岩波新書

◆立岩 真也 20080905 『良い死』,筑摩書房
◆―――― 20151113 『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』,青土社
◆―――― 20181130 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社,481p.
◆―――― 20181220 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社,512p.
◆―――― 20191124 「どこに立ち何を言い何をなすか」筋ジス病棟の未来を考えるプロジェクト始動,第8回DPI障害者政策討論集会分科会 於:戸山サンライズ
◆―――― 20191210 「くわしく書くことがどんなにか大切であること」萩原[2019:297-307]
◆―――― 20200110 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術 増補新版』,青土社
◆―――― 20200401 「無駄に引かず無益に悩まないことができる」,『社会福祉研究』137:31-37
◆―――― 20200623 「COVID-19から世界を構想する」,科学技術振興機構・社会技術研究開発センター戦略的創造研究推進事業(社会技術研究開発),科学技術の倫理的・法制度的・社会的課題(ELSI)への包括的実践研究開発プログラム
◆立岩 真也・天田 城介 20190412 「病・障害から社会を描く――『不如意の身体』『病者障害者の戦後』青土社)刊行を機に」,『週刊読書人』3285:1-2
◆立岩 真也・熊谷 晋一郎 20190701 「「痛いのは困る」から問う障害と社会」,『現代思想』47-9(2019-7):221-229
◆立岩 真也 編 20161031- 『自己決定/パターナリズム』,Kyoto Books
◆萩原 浩史 2019 『詳論 相談支援――その基本構造と形成過程・精神障害を中心』,生活書院
吉村夕里 2009 『臨床場面のポリティクス――精神障害をめぐるマクロとマクロのツール』,生活書院


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介助・介護  ◇重度訪問介護派遣事業(重訪)  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築 
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