新型コロナウィルスの時に『介助為す介助得る』を出す
新書のための連載・1
立岩 真也 20200511
『eS』09
>
2
◆介助・介護 > ◆重度訪問介護派遣(重訪)
※以下の草稿に大幅な加筆・変更を加え、ちくま新書の一冊として刊行されます。
◆立岩 真也 2020 『介助の仕事――街で暮らす/を支える』,ちくま新書,筑摩書房
新書、お買い求めください。
また、新書の分量の3倍ほどの量(文字→HTMLファイルのバイト数換算)のある電子書籍版を、紙本(新書)を購入された方に対して、他の種々の資料集等同様、Gumroad経由で提供いたします。500円とします。(+その増補版について、購入していただいた方で希望される方に提供いたします。)9月刊行の予定です。本文は同じですが、文中の事項・人物等にリンクをはります。そこからそれに対応する情報にアクセスすることができます。また新書には註も文献表もありませんが、連載時の作成した註を整理・拡充して、電子書籍に収録します。そこにも多くのリンクがあり、さらに多くの情報にアクセスすることができます。
→HP上での無償公開としました↓
◆立岩 真也 2021/03/11 『介助の仕事――街で暮らす/を支える 補注・文献』,Kyoto Books
※関連する文章
◇白崎 朝子 20200513 「新型コロナウィルスと介護現場」
◇白崎 朝子 20200521 「東京都江東区の高齢者施設・北砂ホームのクラスター発生とユニオンの江東区交渉の報告」
■
この年に、つまり新型コロナウィルスのこと★01で人と人が懸命に距離を取ろうとしているこの年に、介助(介護)という、人の近くで人に対する仕事をすること、その仕事を得ることについての本を出すことについて、最初に述べておきます。
身体がなくならない限り、その仕事はなくなることはありません。私は、その仕事のうち人間がする割合は、減らせるものなら減らしてよいと思っています。その仕事をするのが人間である必要は必ずしもなく、機械ができるのであれば機械でよいということです。
ただ、人間から機械への移行は、ふだんはあまり慌てないほうがよいです。というのは一つ、まだ多くの場合に機械は仕事が下手だからです。それで、不都合が生じたり不快なこと、ときに危険なことがあります。そして、その機械・技術の導入は、多く、本人の手間を省こうというよりは、周囲の人たちが手間を省きたいという思惑のもとにあることが多いです★02。省きたいという思い自体は当然のものですが、周囲の人たちの意向が通りやすい場合には、本人の不快不都合を無視したり軽視したりして、周囲にとって(だけ)便利なものを使ってしまうことになりがちです。そして、人手を減らすことは、「高齢(化)社会」の現在・未来にとってなにか明るいことだと思われるので、そういうものには、研究費であるとか、お金が出ます。そしてそのお金を得たい側は、開発するものの効能を宣伝するので、その宣伝は大風呂敷なものになりがちです。そして、結局できたものが期待を下回る、しかしできてしまったので使ってしまうということもあります。だから、機械による代替は慎重にした方がよいという考えはもっともです。このたびのような緊急の場合はともかく、機械が下手なうちは、技術が未熟なうちは、まずは従来の人によるやり方を基本にするということになります。
もう一つは、人手が少なくてすむようになるという期待と裏腹の、仕事が奪われることに対する懸念です。つまり機械の導入によって人の仕事がなくなり、人が余ってしまい、余った人が暮らしていけないというわけです。実は、仕事は機械にさせても、その分仕事が減った人は、仕事を得ていた時に得ていた収入を得られるようにすればよく、それは誰も損することなく可能なので、そうすれば問題は生じません。ですが私たちの社会は今のところそのように合理的にはできていません。だから以前から、自分たちの仕事を奪う機械を壊してしまおうという「ラッダイト運動」のようなことも起こってきました。そしてそれは、もう終わってしまったことではありません。ですから、やはり、合理的な社会になるまでの間は、人間から機械への移行はゆっくりにした方がよいというになります。
そしてもう一つ、介助を得る側の人が、介助という人間関係、介助によって得られる人間関係を失うのをよくないと思うことがあります。それに対して、人同士の親しい関係といったものは介助といったものとは別に得ればよいというのが、一つの筋の通った主張ではあります。ただ、そう簡単に得られるものかと反問されそうにも思えます。このことについては第◆章で考えようと思います。
こうして、慎重に、ゆっくり考えたり試したりしながら、機械、人間以外のものを使っていくことになります。ただこのような状況下では、その条件を少し緩め、導入の速度を早めることは認められるだろうと思います。このたびの医療の現場では、人工呼吸器が必要とされています。ずっと以前『ALS』を書いたときに読んだ本に、1952年のコペンハーゲンでのポリオの流行の時、その町の医学生総動員でバッグを手で押して死亡率を80%から25%に下げた話が出てきて、引用しました(立岩[2004:187])★03。それをきっかけに人工呼吸器が普及したのだそうです。これは、人間より機械の方がよい場合でしょう。ただ別のところから見れば、人間の人の手でさえずいぶんなことができたのだな、とも思えるできごとです。
■
こうして、今回、必要とされているのは、その持ち分のバランスは変わるとしても人と機械、やがて出てくる薬、感染を防ぎながら人がいられる場所、といったところですが、災厄の時、何が足りなくなって何が必要になるかは、その時々に異なりもします。1995年に阪神淡路大震災が起こりました。その時に一つ知ったのは、本書で書く介助に関わる制度や組織を作ってきた人たちの動きがそこにあり、そしてそれとも関わりながら、なんのためというわけでもない人々のつながり、人々がたむろっていた場所が、安否確認から始まり生活の再建のための動きにつながっていったことでした。そしてそれをきっかけに、「ゆめ風基金」といった、国外での地震の時なども含め、災害時に対応し、お金を送りそして時には人を送る仕組みを立ち上げたりもしました★04。
そして2011年の東日本大震災の時、地震があったその翌日、1970年代にいっしょに運動してきた人たちが東北に向かいました。例えば、介助者を伴った脳性まひの人たちが何人か何度か福島に行き、関西的なのりで対応の遅い役所に食ってかかったりしました。そんな人たちと長く福島で活動してきた人たちがしばらく一緒に働きました。それで結局いったいどれほどのことができたかということはあります。ありますが、それでも、なかったよりよいことがなされた、と思います★05。
そして、どのぐらいの人が知っているか、さらに覚えているか、じつはその時にも人工呼吸器のことが問題になりました。東北だけでなく関東でも揺れはあり停電がありました。その時には、いつも使っている人工呼吸器の電源が止まったらどうしようということになりました。家庭用の発電機を室内で使うと空気がわるくなるから屋外に置いた方がよいとか、細かいといえば細かいことが大切でした。そんな状況を報告しあい、小技を共有するために、集会を行ったり、冊子を作ったりしました★06。
今回起こっているのは、感染のおそれと感染とであって、事情はだいぶ違ってはいます。遠くから近くにやってきて自分ができることをする、というのと逆の、距離を取らねばならないという斥力のようなものが働いていて、とくに心の熱い人には辛いことであるでしょう。
それでも、その時々に何が足りないのか、足りなくなる可能性があるのか、数え上げ対処していけばよいし、そうするしかありません。「医療崩壊」といったばくっとした言葉はときにそういう冷静さを奪ってしまうように思います。
今回は「もの」としては、呼吸器や医療設備が足りないという話になっています。しかし、鉄やアルミニウムといった原料がないわけではなく、そして製品はこの世に存在するのですから、それを作る技術もあるということです。とすると何が起こっているのか。早くできる対応が遅くなっているのは事実ですが、それをいくらかでも急いでましな状態にするためにどうするかということです。簡単にですが、このことは別のところでも述べています★07。
■
さて、いずれにせよ人の仕事は残ります。人と遠ざかる、距離を保つことが基本的に正しいとして、どうしたって人に接する仕事は残り、その仕事をする人は必要です。マスクをするぐらいではすまないその人たちの装備は、そんなによくできたものではなく、ごわごわしたりしていて双方が気持ちわるそうですが、しばらくは仕方がない。そして仮にその必要がずっと続くのであれば、きっともっと質のよい気持ちよく使える道具が開発されるでしょう。しばらくはできるだけの身支度をして、対応するしかない。感染をできるだけ防ぎながら、その仕事はしてもらう、続けてもらうことになリます。
この仕事は人と人の距離の近い仕事ですが、しかし本書でこれから見ていく介助の仕事については、一人が一人の人の家に行く、行動に付き添うのが基本ですから、施設で多くの人がいて、そこに出勤してくる多くの人が関わるというのとは違います。どんなところでも、注意しても、感染がまったく生じないということはないでしょうが、他に比べてその可能性は実はそう高くないのです。そして、感染した人とこの人は接触していないということが確実にわかることはあります。在宅の仕事の場合には、お客のいるところとの往復がおもで、働き手たちは、よしあしは別として――交流がなさすぎることが、その働き手たちの主張を弱めてしまったり、知恵の共有といったことが難しくなることが指摘されたりします――相互の接触はほぼなかったり、管理部門との接触ももともと多くなく、さらに最低限にすることができます。ですから、一つ感染が起こっても、職場全体を閉じてしまうことはないのです。さらには、必要としている利用者がいる時に、休業を命ずる、勧めるといったことがあってはならないのです。
そして、その人たちとその家族他を差別・排除しないことです。当たり前だと思われるかもしれませんが、そうでもありません。差別には、まったく「ゆえない」というしかない場合もたくさんあります。しかし、そんな場合ばかりではありません。このたびの状況でいえば、ある人たちについて感染の可能性がいくらか高いことが、いくらかはあります。それはたんに排外・敵意を取り繕う屁理屈であるとしか思えない場合もありますが、そうでもない場合もあります。「ほんとのところ」はよくわかりません。ただ、悪気があるわけではないと言い、実際そう思っている人たちはいます。そして、感染があった病院の職員をタクシーに乗せなかったり、職員の子どもが学童保育に来るのを拒否したりするのです。
考えていくと面倒なことはいろいろありますが、基本は、生きていくために必要なことをしている人が、この場合には感染を防ぐためのできるだけのことをしている場合には、その人たちやその関係者を差別し排除してはならないということです。
そんな当たり前のことを今さら、とみなが思っているのなら、言う必要はないです。しかし、この世には、問題を起こす可能性が高い、ということでアパートへの入居を断わられる高齢者がたくさんいます。障害者の作業所を作ることに反対運動が起こって、しかもその主張がまかり通ったりします。そんな対応・主張はしてならないのだと言うと、危険の可能性が十分に高かったらどうなのだと返される。となると、「だめ」と言い切れるかとなります。
しかし、ここで引き下がってはおしまいなのです。必要であり仕方ないこと、そしてこの場合にはリスク軽減のためのことはしている場合には、確率が相対的に高いからといって、その人たちを排除するのは「基本だめ」ということです。本人たちがすべきことをしており、確率が高いことについて自分(たち)に非はない場合、確率による差別はだめということです。例えば、ある「人種」の人たちの犯罪率が高いとしましょう。だとして、それを理由に例えば居住を禁ずるといったことはすべきでない。罰を与えるなど人に害を与えることは、起こったことに対してなされるべきだという基本を守るべし、ということです。しかも今回の場合は、人を救う仕事、人の生命・生活を維持するための仕事をその人たちはしています。その「だめ」は、たんに道徳的によくないということではなく、社会の決まりとして「だめ」とする。そうすることによって、その人たちが働けるようにするということです★08。
■
もう一つ。これまでも全般的に「ケア」の仕事は人手不足でした。とくにこのごろは医療というより福祉、介助(介護)のほうで人が足りません。そしてそれは少子高齢化と結びつけられたりするのですが、そんなにたいそうな話ではなく、人手不足は対価が低いからであって、報酬をいくらか高くすればよいだけのことです(◆頁)。
ただ今回に限れば、まず心配されているのは医療の方面で、実際問題が起こっています。それで、医療の対象にする人としない人の順番を決めようという「トリアージ」の話に滑っていってしまう。このことは別に書くので略しますが★09、一つには、仮に順番を決めるしかないとしてその基準・根拠をどう考えたらよいかです。そして一つには、順番を決めざるをえないほど、足りないものがあるのか、また、今はあるとして足りるようにできないかです。
医療には場所と機械と薬、その他消毒用アルコールとか細々ともろもろがいりますが、それ自体が希少ということはありません。というのは、私たちは生物体であり、その機能に関わるものは多くこの地球上に普通にある物質、増殖する物質だからです。やがてできてくるだろうワクチンともそういうものです。さて次に人です。ものも人も足りなくはないというのが、もう一つの別の本に書くことです。全体としては、両方とも足りている、そして人については余っている。そのことを書きます(→★07)。
もちろん今必要なのは、きっと高度な技術なのでしょう。しかし、まずは見よう見まねでもできるようになればよい。特殊な人しかできない指図が必要なら、その指図はその特殊な人にゆだねてもよいでしょう。すると、その人たちは狭義の医療者である必要はないということです。技術、安全性、その他の条件は満たすべきですが、それは今ある資格がないとできないと決まってはいない。仕事ができるようになったら、仕事をしてもらってよい。すくなくとも人が足りなくて人が死ぬよりはよいだろうというのです。
在宅で人工呼吸器を使って暮らす人などの喀痰(かくたん)の吸引などの仕事は「医療的ケア」などとも業界で呼ばれます。非医療職者がその仕事をすることを認めさせようという動きと、それを止めようという動きとの対立がかつてありました。完全に落着したわけではないですが、ヘルパーの人ができるようになり、私の周囲にもそんな仕事をしている人たちがたくさんいます。第◆章で紹介する研修にも、そのいわゆる「医療的ケア」ができるようになるコースがあります。
その時の反対は医療、というより看護業界からのもので、例によって安全性が根拠にされました。長い時間の系統的な教育があってうまくできる判断や処置があること、それが求められる人・時にはそれができる人があたるべきことをまったく否定しませんが、そうでもない部分もたくさんあり、現に既にヘルパーたちがしてきました。そのことを認めようとしなかった人たちがいたということです。人が足りなくさせられる時には、ときに、こんな自分たちの職域を護り拡張しようという力学が働きます。そのことは第◆章で紹介します。既に仕事としている人たちは、その自分たちの仕事を新たに仕事にしようとする人たちの参入を警戒するのです。このすったもんだがあった時もその以前も、今も、家族が行なう場合は認められていたのです。
もちろん、このたびの緊急対応と毎日たんたんと痰をとったりなどする仕事とはおおいに違うでしょう。そしてこの仕事を、仕事だから、使命感によって、仕方なく続けている人たちには、代わってもらえるならどうぞと思う人たちもいるでしょう。まったくもっともなことです。ただたんにここで言いたいのは、今いる人と別の人もできるようになるだろうということです。それも理由はある。人間とその病状は多いに個体差がありつつ共通性もあること、そしてその人に関わる人間の多くにも共通性があって誰かができることはたいがい他の誰かもできるということです。
ただ、できるようになるまでの時間の問題はあります。安全に確実にできるようになるためにはもちろん必要で十分な時間がかけられるべきです。しかし、ときにはいくらかは緊急対応でにわか仕立てでも仕方のないこともある、ただただ人が亡くなっていくよりはよい、ということです★10。
■(書きかけ)
本書の第◆章と第◆章は、「重度訪問介護従業者養成研修」の講師として何度か話したその録音記録を文字化してもらい、それを使うことにしました。話を聞くだけでだいたいのことがわかるように話しているので、わかりやすくわかってもらえるだろうと思ったからです。しかし結果的にはかなりの手を入れることになりました。本書で私は新たに考えるということをしていません。ただ、この話とこの話がこういう具合につながっていることを示そうとしています。それはなかなか手間のかかる仕事でした。
本書は、まったく実践的・実用的な本ですが、それは、社会をどう見立てるかにも関わっているものでもあります。同時に、本書は、まったくここ二・三年の話をしているのでもあります。今のことを書こうと思いました。それが必要であると思いました。なにか古くなったらまた新しくすればよい。そう思って書きました。そしてなにより、普通の新書のサイズに収まるように書きました。具体的なこと、そして日々変わっていくことについては、私たちのサイトの増補で対応します。「全国障害者介護保障協議会」の協力を得てたいへん充実したものになっていますので、ご覧ください★11。
2020年6月 著者
>TOP
■註
★01 あとでふれる東日本大震災の時と同じく、「生存学研究所(2011年の時は生存学研究センター)」の活動として、情報の収集・整理・発信等を行なっている。現在のところ「感染症」の頁(http://www.arsvi.com/d/id.htm)に情報を集約している。
★02 『不如意の身体』(立岩[2018])の第1章「五つある」第1節「不如意な身体に五つある」第3節「各々について、誰にとっての正負」。
★03 「一九五二年におけるコペンハーゲンにおけるポリオの[…]呼吸麻痺に対する治療としては気管切開をした後、気管カニューレを介して手でバッグをおして人工呼吸を行ったのであるが、バッグをおす人があまりにも多く必要だったので、デンマークの医科大学の殆んどの学生を必要とする程であった。/このためポリオによる死亡率は八〇%から二五%までに低下したが、これが契機となってヨーロッパ各地では人に代る人工呼吸器の開発に迫られたのである。/かくして[…](山村[1991:7]、立岩[2004:187]に引用)
★04 その活動に長く関わった人に大賀重太郎(1951〜2012)がいた。『障害者救援本部通信』に寄せた文章に「震災から1年たっても なんでこんなに涙もろく なんでこんなに腹立たしい」(大賀[1996])。私が書いた文章には以下のように出てくる。
「大賀はだいたい二〇年ぐらい前に知った人だ。一九五一年生。[…]たしか神戸大学を中退し、稼ぎの方は妻に任せ、ずっと障害者の生活や社会運動の支援をしてきた人だ。
そんな人たちがこの運動のまわりには、もちろんそう多くはないが、すこしはいて、たいてい脇の方にいて目立たないのだが、大切な働きをしてきた。それには時代背景というものもあるにはあるだろう。「反体制」的な気分があり、そんな気分の人たちがいて、その一部が、様々な経路でここに入って、抜けられなくなって、何十年を過ごしてきたのだ。自分らの主義主張のために障害者を利用しようという人たちは障害者本人たちからも嫌われ、長くは続かなかった。残った人たちは、介助(介護)の仕事などしながら、側面から支える役をしてきた人が多い。
そういう時代の雰囲気があったということではあるだろう。ただ、今でも企業に就職せず、という人はたくさんいる。その時代にもそういう人たちがいたのだということでもある。「普通の社会」であればどうか、といった人たちがそんなところへやってきた。(むろん、要所要所でするべきことをこなそうとしたら、それなりの才覚は求められ、ただの変な人では務まらないわけではあるのだが。)
大賀さんは兵庫の人だが[…]全障連等で仕事。[…]地震が起こった時には東京にいたのだが、いてもたってもいられなくて、兵庫に戻ったのだという。大賀さんたちは「被災地障害者センター」(現在は「拓人(たくと)こうべ」)を設立し、その活動を長く続けてきた。彼は事務局長をし、今はその組織はNPO法人で、肩書きとしては常務理事ということになっている。
震災後の一時期の騒ぎは収まっていき、引く人は引くが、困難は続く。それでその人たちの活動は長いものになる。一つ確実に言えるのは、そこに既につながりや方法があったということだ。てきぱきとやることをやるという場所ではない場所があって、そこが地縁とはすこし異なる、人々のつながりの拠点になる。生活を立ち上げて続けていくことを支える活動が既にあり、それがあって、よい仕事ができてきたのだと思う。」(立岩[2006])
ここは、「ゆめ・風基金」、そしてその東日本大震災との関わりことなどを書いた「もらったものについて・7」(立岩[20110725])でも引いた。その連載が掲載されていた雑誌『そよ風のように街に出よう』を始め、ゆめ・風基金にも深くかかわった河野秀忠さん(1942生)は2017年に亡くなった。
★05 福島の障害者運動の歴史について『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』(青木他[2019])。そこに青木千帆子の「東日本大震災以後の福島の障害者運動」(青木[2019])。私は、2012年に書いた「後ろに付いて拾っていくこと+すこし――震災と障害者病者関連・中間報告」(立岩[2012])を再録しすこし付記して「遠くから」という章(立岩[2019])にした。
★06 シンポジウムを開催し、その記録に図解入りマニュアルを加え、『医療機器と一緒に街で暮らすために――シンポジウム報告書 震災と停電をどう生き延びたか――福島の在宅難病患者・人工呼吸器ユーザーらを招いて』(権藤・野崎編[2012])を刊行するなどした。この時の大学院生他の報告等は青木他[2019]の文献表に記した。
★07 講談社のサイト『現代ビジネス』で連載「だいじょうぶ・あまっている」(立岩[20200414-])を始めた。まとまったら講談社現代新書の一冊としてもらう。
★08 『不如意の身体』の第6章「加害のこと少し」の第6節「範疇・確率」((立岩[2018:154-157])。
★09 2004年に刊行した『自由の平等』(立岩[2004])の第2版を準備する。そこで検討する。
★10 「医療的ケア」についての頁もある(→http://www.arsvi.com/d/a02m.htm)。
★11 「重度訪問介護(重訪)」→http://www.arsvi.com/d/a02j.htm。「新型コロナ特別対応で、無資格ヘルパーも従事可能に」といった情報も掲載している。
>TOP
■文献(転記済)
◇青木 千帆子 「東日本大震災以後の福島の障害者運動――JDF被災地障がい者支援センターふくしまの活動を中心に」,青木他[2019:323-358]
◇青木千帆子・瀬山紀子・立岩真也・田中恵美子・土屋葉 20190910 『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』,生活書院
◇大賀 重太郎 19960226 「震災から1年たっても なんでこんなに涙もろく なんでこんなに腹立たしい」,『障害者救援本部通信』第16号(1996.2.26) http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/serial/7-z27/eqb90_016.html#01
「新型コロナに関する介護/医療/保育現場へのメッセージ」
◇権藤 眞由美・野崎 泰伸 編 2012 『医療機器と一緒に街で暮らすために――シンポジウム報告書 震災と停電をどう生き延びたか――福島の在宅難病患者・人工呼吸器ユーザーらを招いて』,生存学研究センター報告18
◇立岩 真也 20040114 『自由の平等――簡単で別な姿の世界』,岩波書店,390p.
◇―――― 20041115 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院
◇―――― 20061125 「社会人(院生)」の本・2――医療と社会ブックガイド・65」,『看護教育』47-10(2006-)
◇―――― 20110725 「もらったものについて・7」,『そよ風のように街に出よう』81:38-44
◇―――― 20120530 「後ろに付いて拾っていくこと+すこし――震災と障害者病者関連・中間報告」,『福祉社会学研究』9:81-97(福祉社会学会)→立岩[20190910]
◇―――― 20181130 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社,481p.
◇―――― 20190910 「分かれた道を引き返し進む」,青木他編[2019:255-322]
◇―――― 20190910 「遠くから」,青木他[2019:363-390]
◇―――― 20200414- 「だいじょうぶ、あまっている・1」,『現代ビジネス』https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71768〜