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組織を使う作る

新書のための連載・8

立岩 真也 2020/06/28 『eS』016
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 この文章は今年夏にはちくま新書の一冊として出したいと思っているの一部の部分として準備中のものです。
 ここにおいた註と文献表は、新書では大幅に減らされます。紙の新書をご購入いただいた方に有料で提供する電子書籍版には収録しようと思います。

◆立岩 真也 2020 『(本・1)』,ちくま新書,筑摩書房
介助・介護 > ◆重度訪問介護派遣(重訪)

◆立岩 真也 2020/05/11 「新型コロナウィルスの時に『介助する仕事』(仮題)を出す――新書のための連載・1」,『eS』009
◆立岩 真也 2020/05/18 「新書のための連載・2」,『eS』010
◆立岩 真也 2020/05/25 「新書のための連載・3」,『eS』011
◆立岩 真也 2020/06/01 「新書のための連載・4」,『eS』012
◆立岩 真也 2020/06/08 「新書のための連載・5」,『eS』013
◆立岩 真也 2020/06/15 「新書のための連載・6」,『eS』014
◆立岩 真也 2020/06/22 「新書のための連載・7」,『eS』015
◇立岩 真也 2020/06/29 「新書のための連載・8」,『eS』016
◆立岩 真也 2020/07/06 「新書のための連載・9」,『eS』017
◆立岩 真也 2020/07/13 「新書のための連載・10」,『eS』018
◆立岩 真也 2020/07/20 「新書のための連載・11」,『eS』019
◆立岩 真也 2020/07/27 「新書のための連載・12」,『eS』020


 ※以下書きかけ


 いまは、介護保険にしてもそうでないほうにしても、大きいのから小さいのまで様々て民間の事業所からヘルパーが派遣され、それを使う、またそこで働く、というかたちになっています。税金、そして自己負担というお金が、だいたい政府を経由して事業所に行く、そこからヘルパーに払うという仕組みです。
 ただこういうのばかりではなく、日本でもいっときはヘルパーを公務員に、しかも常勤の公務員にしようするようにという動きもあり、その「公務員ヘルパー」がいくらか実現されたこともあります。それは一つに、ちゃんと雇用が保障され給料が払われればですが、労働条件がよいということがあります。一つには、自治体なりが派遣する責任をもつということになれば、むらなくくまなく派遣される、ということになる、「可能性」があります。
 ただまず、すくなくとも民間がやってもよいということにはした方がよいでしょう。「参入」を断る理由はないということです。組織が複数あれば、利用者はよい方を選ぶこともできます★01。働き手にとってもそのことは言えます。だから、民間の算入はあり、となる。とすれば、それを認めたうえで労働条件をよくしましょうということになります。実際には、「民間委託」が他の業種でも進んだのは、お金を払う側、雇う側からいえば、その方が安いからということがありますから、民間を認めながら、同時に、民間委託を促したのと逆の待遇改善の方向に向けるということです。難しそうです。しかしそれをすべきだし、じつはそんなに難しくなくできるし、すればよいと第◇章で言いました。
 そして、70年代80年代に役所が派遣してくるヘルパーを介助を使って暮らす人たちが経験してきたのは、なんか偉そうで使いづらいってことでした。やってあげる、っていうか。本人のことを知らない、でもやって来る、やって来る以上は断れないし。みたいな中で、役所から直接に派遣されてくるタイプの人じゃうまくいかないなっていう体感、実感みたいなのがありました。かと言ってその人たちは公務員を否定したわけじゃない、自分たちにとってよい人を公務員にということも言ったんですけどね。ただ、選べる可能性があるというのは基本的によいことです。そして、複数の組織が役所の中にあるというのもちょっと変ではあります。だから、民間はあり、そのうえで、必要が満たされていない場合にはそれを満たす責任が政治にある、そんなところが目指すべきところということになります。
 今の現状は、労働の条件はよくはないが、民間が担っています。介護・介助の仕事をする、いくつか大きい会社がありますよね。ニチイとか。前はコムスンっていう大きい会社があったんですけど、そこはちょっとやばいことやっちゃって、仕事ができなくなって、っていうようなこともありました★02が、今でも、全国に支店っていうか、津々浦々に作ってという大きなところから、あとで言いますけど「自分のため、一人で」っていうところまで様々あります。
 組織の形態としても、NPO法人(特定非営利活動法人)、社会福祉法人、医療法人、いろいろあります。法人格持たなくても任意団体でもやってやれなくはないです。ただ、だいたい今は法人取るかな。非営利だから非営利でいいやっていうんで、NPO法人ていうのもありますし、ただちゃちゃっと作ってしまうっていう意味でいえば、べつに儲けたいわけじゃないけど、会社組織のほうが楽だってこともあるみたいで、会社でやってるっていう人たちもいます。


 しかし、社会福祉協議会であるとか、既存の医療法人であるとか福祉法人であるとか、そうしたものに任せておけばそれでいいかっていうと、それも必ずしもよくない。よくない場合が多い。行政からの派遣に限らず、民間からであっても、自分たちの生き方とか気持ちとかふまえてやってくれないという不満はある。自分たちの地域にない、あるいはあるにはあるが、うまく動いていくる事業所がない。
 どうしようかって考えた時に、「自分たちがやりゃあいいじゃないか」って思いついたんですね。障害者が、障害を持ってる人たち自身が組織を作り組織を経営し、利用する人と働く人を登録して、そしてその間を取り持って、お金のやり取りやら何なりすると。そして、国から出るお金からヘルパーに渡るお金を引いた額、その額を使って組織を回していこう、そういうふうになってきた。
 そういう組織のことを自立生活センター=CILって言います。障害者自身が作る組織で、経営する組織です。「Center for Independent Living」っていう英語の略ですけれども、それを作ろうっていう動きが出てくるのが80年代の半ばからのことです。
 この組織は掟として、代表は障害者でなきゃいけない、事務局長も障害者じゃなきゃいけない、理事会の過半数も障害者じゃなきゃいけない、そういう掟で動いてる。あと、基本同性介助です。「男は男、女は女」です。そういうふうに回してる。どういうコンセプトでどういうふうにやってるのかっていうのは、『生の技法』の第9章「自立生活センターの挑戦」(立岩[19950515b]◆)に書いてあります★03。読んでください。
 これはまあ普通じゃないです。だって今は、ヘルパーって圧倒的に女性の仕事ですよね。男性には男性っていうのは、ぜんぜん普通じゃないです。しかそういうルールを作ることにももっともなことではあります。あえて普通じゃないことをやっているそういう組織があってよい、あった方がよいということです。そして、すべてをそうしようということでもないわけです。ただ自分のところは、こういうポリシー、掟をもってやっているということです。例えば普通の性別の分類にうまく適合しない人もいるでしょう。それはそれで、例外的に対応するという以外に、別の事業所を使ってもらってもよいということになります。
 ちなみに、今全国で120ほどCILってあるんですが、そのCILの全国組織って「全国自立生活センター協議会」=「JIL」(ジル、Japan council on Independent Living Centers)っていう組織です。1991年にできました★04。こないだそこの集まり行ってちょっとびっくりしたしたのは、沖縄には五つあるんですね。1つもない県もあれば、そんなに人口いないけど五つある県もあれば、けっこうまばらっていうか、ばらばらなんです。
 京都には、このJILっていう組織に加盟しているCILは3つ。「日本自立生活センター(JCIL)」。それから私も関わっている研修の主催団体の一つ「スリーピース」。もう一つは、筋ジストロフィーとか筋疾患系っていうかが多いという印象なんですが「アークスペクトラム」。以上、京都市内に3つ、府内には他にないので、京都府でも3つですね。そういう感じで。京都市の上の方にも下の方にもあっていいんですが、実際には京都市内に固まってるっています。
 このなかでJCILは1985年にできてるんです。これは早いほうでした。名前から言ったら最初と言ってもいい★05。ただJCIL自体は長いこと、別の方向の活動をやっていたようなんです。それがここ15年ぐらいかな、京都に来てから見てますけど、かなり大きい仕事やってます。スタッフが多様になり、多くなっていく中で、年間の予算だと、3億だか4億だか、そんなようなこと言ってたように思います。それだけのお金が動いてるっていう大きい組織があり、他方ではもっとずっと小さいところもあります。重度訪問って制度を使っているのは、そういうほとんど個人が個人の「自分のために」っていうところから、年間3億、4億、5億っていうようなお金を動かしてやってる大きい事業所まである。規模の大きい小さい自体は重要じゃないんですが、実際、そう動けていないところもあるようです★06
 そしてそれら互いにおおいに違いがありつつも、掟において共通する組織以外にもいろいろとあります。私が話をしている研修はいま三つの団体が共同で主催するみたいなかたちで、一つは「ある」って、私が理事長ということになっているNPO法人ですけど、ほぼ何もしていない。そして「ゆに」っていうのは、佐藤謙さん★07って筋ジストロフィーの人で立命館の卒業生でもある人が始めたNPOで、そこのボスですけどCILという形態はとっていない。障害のある大学生の大学での勉強・活動を支援するのを主な活動になってます。こういうことには以前には「重訪」使えなかったんですが、使えるようになってます。
 今日やってる所で言えば、まじめに介護派遣やってるのは数的にはスリーピースになるのかな。代表の白杉さんは、彼は私のところ大学院生でもある脳性まひの人なんですが、会うたびに「人手不足だ」ってこぼしています。だから、いつでもOK、明日からOKです。「やってもみてもいい」っていうんだったらどうぞ。あるいはJCILとかだったら、ここも私のところの大学院出た人たちとかもそこで2、3人働いたりしているので、付き合いもあるし、そういう紹介っていうのももちろんできたりもします。ただ私なんかを介さなくても、「ゆに」や「スリーピース」、「JCIL」でもどこでも働くことができるだろうと思います。
 そしてさらに、在宅介護の派遣をやってる事業所はいっぱいあります。そしてたくさん時間の必要な人の多くは複数の事業所を利用しています。ただ介護保険だけというところも多いし、そうでなくてもヘルパーが足りなくて派遣できませんというところもある。それで、一つには、最初に戻って、もっと条件よくしましょうという話。もう一つ、同時にですが、仕方ない、自分で作ろうという人もいる。そういった具合になっています。

直接個人がという手もある
 さらに、組織がどうしてもいるのかという話もあります。「自分が、政府からやってくるそのお金を直接に使って、人を雇って、それで暮らしゃいいじゃないか」と。そういうすっきりした考え方もあります。ダイレクトペイメント(Direct Payment)って言ったりします★08。つまり本人に直接お金が渡り、それを本人が働いてる人に直接払うっていう、そういうスタイル。実際実現している国・地域もあるようです。
 どこがいいかということなんですが、自分が払うことで、自分が介助者をコントロールできるところがよいという話があります。ただ、お金のもとは自分というわけでないではないのですから、「自分が(自分の金で)払う(から)」というのは見かけということでもあります。それでも権限は強くなるでしょうし、また、事務手数料にあたる部分を自分のその仕事の分として受け取るということもできそうです。ただ、働き手にとっては、その人が亡くなったりしていなくなったら、仕事がなくなるということでもあります。利用者にとっては、手間もかかる、面倒だということもあります。それから、政府からの支払いがきちんと管理されているのかということもあります。現金というのは便利なものですが、やっかいなものでもあって、別のところに使ってしまうことができます。不正があったり、不正を疑われたりすることがあるということにです。
 そうすると、実質自分が自分のためだけにというかたちも含めて、自分だけのための個人事業というかたちで、組織・事業所というかたちをとり、仕事・会計の実際は報告するとか公開義務があるとか、そんなところが落としどころになると思います。さきに紹介したALSの本人である増田さん(◇頁)のところは、そういう「一人事業所」っていうかな、「自分のため」の「個人経営」っていう。「自分のために」っていうそんな感じだと思います。

自薦ヘルパー
 そういう組織の経営・運営がきらいでなくて、むしろそれに甲斐を感じるというという人はそれでもよいでしょう。ただそれも面倒だ、会社や法人作るのも、その経営とかも面倒だという人はいます。ただ人は自分で集められる、あるいは既にいる、という人がいます。そして自分に必要な介助を提供してくれる事業所が近所にない。とするとどうするか。
 今の制度では、ヘルパーはどこかの事業所に所属していなければならないことになっています。以前は自治体に自分の推薦する人を登録するかたちがあって、それを「登録ヘルパー」と言っていたのですが、今は事業所に委託するので、事業所に所属・登録するかたちになります。自分で見つけて、関係を作れるならそんなものはいらないというのが、さきのダイレクトペイメントという発想ですが、事業所がやるというかたちに長所がないではないことも言いました。さてその事業所がない、とくに重訪の長時間派遣をやっている事業所が近所にないということがあります。そんな場合に、募集や採用の実際のところは自分でやるのだけれども、そうして得たヘルパーを登録する組織があるとよいということになります。
 そういうヘルパーを「自薦ヘルパー」と呼び、そのヘルパーの登録先を提供・斡旋する組織が「全国ホームヘルパー広域自薦登録協会」です。「広域協会」と略して呼んだりしています★09。「広域協会」は「介護保障協議会」とつながっているし、人的にも重なっています。ここに各地の組織・事業所が加盟していて、そのいずれかの事業所、あるいはこの全国規模の協会自体に、全国どこの都道府県に住んでいる人でも自分のヘルパーを登録することができるようになっています。給料はその事業所から払うことになります。この協会もサイトをもっていてます。こちらからもリンクしています。自分でヘルパーを調達するといっても、もうあてがあるという人はいいですが、これからという人もいます。その辺の方法についても教えてくれます。
 こうして、「自分のために」っていうものから、より多くの人に提供しより多くの人に働いてもらうっていう、そういう広いレンジの中に、組織を使う、ときには組織を作っていくっていうかたちがあります。また、お金の管理の部分を自分でやる/やってもらう、人を集めてやり方を教えるのを自分でやる/やってもらう、とか、自分で担う部分と他にやってもらう部分を様々に選ぶことができます。そういう広いレンジがある。これはよい仕組みだと思います。その仕組みが、いろいろと試行錯誤をしたり、政策がころころ変わったりする中で、作られてきました。次の章では、そういうものが作られてきたそのいきさつ・歴史について簡単にお話しすることにします。


★01 『生存学の企て』(立命館大学生存学研究センター編[2016])に関係者の研究を紹介する「補章」(立岩[20160331])を書いた。以下、その中の「福祉労働についても」の全文。
 「あってよい研究がないと言ってきたが、高齢者福祉、その関係の労働についてならいくらでもあるように思える。しかしここでも、現在を歴史的・政治的に見ることが必要で、それが意外なほどなされていない。
 本書では渋谷光美の著書(渋谷[2014])の一部が引かれた(第1章3)。ホームヘルパーの常勤化闘争があった。その苦難の歴史が描かれた。そうした業績があるからこそ、それに加えて、全体を、それもそれほど大仰なことではなく、例えば、まずは1970年代・1980年代あたりからでもかまわない、何が起こってきたのか。いくつかの業績がようやく出ているが、まだすべきことはある。
 教科書の類には自治体の家庭奉仕員派遣事業は長野県で始まったと書いてあるのだが、佐草智久はそれより早い京都他での始まり、その時の様子を明らかにした(佐草[2015a][2015b])。それ自体価値のある研究だが、そこで言われているのは、介護される対象が貧窮者に限られていたこととともに、この事業そのものが戦争未亡人といった貧窮者対策の性格をもっていたということである。そしてこれは公的な施策だが、それと別に家政婦がおり、やがて廃止される病院の付添婦がおり、そうした人たちを供給する会社もあった。そして80年代になると、「有償ボランティア」と呼ばれた人たちやそのその人たちの組織がいっときずいぶんもてはやされた。その人たちの多くは専業主婦で、金と時間がある程度あり、仕事をし、いくらかを受け取った。
 こうした複数の流れがどのように連続し、そして途絶え、現在に至ったのか。まず常勤化を目指したがそれが果たせなかった人たちが、非常勤の仕事としてする人になったという部分もあるが、それは数的には多くない。有償ボランティアができた層が担っているのでもない――とすると、しばらく有償ボンティアが期待されたがあきらめられたということか、それともそうではないのかという問いも立つ。他方、民間の派遣所で働いていた人が移ってきた部分はかなりあるようだ。そして、シングルマザーをしながらシングルマザー研究をしている谷村ひとみは、資格が比較的簡単にとれる仕事として(ちなみにさきに記した介護保険外の制度の場合は、資格なしでもできなくはない)、そして長く続けられる仕事として多くの人がこの業種に就くこと、その職にたどり着くにあたっての経緯を記している(谷村[2013])。シングルでない人もたくさんいる。そうわりがよくはないが、多く働けばそれで食べていけないことはない仕事、空いている時間を使いいくらかを稼ぐ仕事としている人がいる。一筋縄で行かないことは明らかだが、そこにどんな筋を見出すことができるか。それが佐草(たち)の仕事になるかもしれない。
 私は、この高齢者介護〜介護保険という「本流」の方についての知識はない。「障害者関係」――といっても高齢者も障害者だから介助が必要なのだが――同性による介助を原則とするから男性も多く、学生も含め比較的に若い人たちが多い介助者の世界、その利用者の世界のことをすこし知っている。それと比較対照したときに何かが見えるのか、それもまだわからない。ただ事実として、まず一つ、端的に言えば公務員として派遣されるヘルパーを嫌った人たちを知っている。そして、専門性を言って自らを正当化する、そのものの言い方はそう主張する人自身にとってもよくないと考えてきた。むろんそれは、その仕事に熟練を要する部分があることを否定するものではない。さらに、公務員であること、常勤公務員であることを否定することにもならない――実際、一九七〇年代から八〇年代、公務員ヘルパーを批判した人たちにも公務員化を支持した人たちはいる、そのぐらいには事態は複雑だ。介助(介護)者の労働条件をよくすることについて異議がない。それは言うだけならいくらでも言えることだが、だから言うことにして、言ってきた。介助者・ヘルパーの労働運動の再建あるいは開始の動きもあって、それも必要だと思う。その上で、どのようにその職とその条件を肯定するかである。
 それをこの業界・学界にまかせると多く「専門性」の話に収斂させられる。それに対して別のことを言うことができるし、別のことを言うべきだと思う。そのように口をはさむことができる。」
★02 『ウィキペディア』に情報がある→https://ja.wikipedia.org/wiki/コムスン。問題は2006年から指摘され始め、2007年6月、 厚生労働省から介護サービス事業所の新規及び更新指定不許可処分を受ける。2007年12月訪問介護事業の譲渡完了、2009年12月会社解散。
★03 1994年の日本社会学会報告として「「自立生活センター」は非営利民間組織(NPO)の一つのあり方を提示する」(立岩[19941105])。
★04  その活動が始まってまだそう経ってない頃、『季刊福祉労働』の連載で紹介したのが「全国自立生活センター協議会(JIL)――自立生活運動の現在・4」(立岩[19930325])。
★05 『病者障害者の戦後』には次のように記した。
 「八一年に結成され、困難に面し、亡くなる直前まで建て直しが図られていた宮崎障害者生活センターは、高野が亡くなり、活動を停止する。それは後の自立生活センターとはだいぶ異なる性格のものではあり、名称にもその語は使われていない。彼らは「近くの農家で野菜を仕入れ、野菜を売って、家賃の足しにした。リヤカーに野菜を乗せ、電動車椅子で引っ張り、後ろからヴォランティアが押しながら、何キロも売り歩いた」(白江[2002:226]◇)という。ただ高野(たち)は米国流の自立生活センターの活動に注目し学び、高野[198404]◇の題は「進行性筋ジストロフィー(PMD)者らによる自立生活センターの運営」となってもいる。後に日本で最初の自立生活センターを自称する東京都八王子のヒューマンケア協会が設立されるのは(千葉市の)宮崎のセンターが設立されたその五年後、一九八六年のこと△316 になる☆14。」
 「☆14 一九八六年発足のヒューマンケア協会の立ち上げに関わりその活動の中心にいてきた人の著書に中西正司[2014]。その前年の八五年、日本自立生活センター(JCIL)が設立される。その運営に関わってきた人が(それ以前を)振り返る本に矢吹文敏[2014]◇、矢吹、小泉浩子、渡邉琢が参加している本に尾上浩二他[2016]◇。」(立岩[20181220:402])
★06 JILが『年鑑』を作っていたことがあったが、長くそのようなものは作られていない。組織によって活動の内容や規模がずいぶん異なり、なかにはあまり活発でないところもあるので、集計したりそれを公表したりすることに積極的でなくなったのかもしれないと思う。他にもその具体的な部分を調べている人はいないから、具体的なところはわからない。誰かが研究するなり、まとめてくれるとよいと思う。
 こうしてとくに数的な部分はよくわからないのだが、JILが編者になり公刊された書籍として『自立生活運動と障害文化――当事者からの福祉論』(全国自立生活センター協議会編[20010501])がある。この本は、この組織の系列よりずっと広い範囲の障害者運動の組織や人について、その当人たちが書いたあるいは関係者・研究者が取材して書いた貴重なものではある。この企画の立案に私が関わったと、最近聞いた。忘れていた。最初間違いではないかと思ったのだが、この本の製作に協力した(当時)若手研究者がいる会議のところようなところで、こうした企画の意義があるというようなことは言ったようにも思えてきた。
 そしてもうすこし具体的な提案もしたかもしれない。高橋修のところは私が書くと言ってそれが「高橋修――引けないな。引いたら、自分は何のために、一九八一年から」(立岩[20010501])になったということかもしれない。その高橋についてはそのさらに20年後、書き足し『弱くある自由へ』の第2版(増補新版)に「高橋修 一九四八〜一九九九」(立岩[20200110])を収録した。
★07 佐藤謙に大学の頃のことをインタビューして書かれた論文に、坂野(ばんの)[2018]がある。
★08 『弱くある自由へ』所収の「遠離・遭遇――介助について」より。
 「その〔「利用者主体」のあり方の〕もっとも単純なものは、政府から支給されたお金を使って自分でサービスを買うという方法である。介助サービスではデンマーク、英国、カナダ、米国等の一部で採用され始めている「直接支払い(direct payment)」等と呼ばれるシステムがこれに当たる。日本でも実質的にはそのようにして使われている制度がある(生活保護の「他人介護加算」等)。ただあらかじめ使途が限定されている場合には、方法は必ずしも現金支給に限られず、要するに自分が選んだ人、サービスに費用=対価が支給されればよい。日本では、自身が推薦する人をホームヘルパーとして自治体あるいは自治体が事業を依託している民間団体に登録する「自薦登録ヘルパー制度」と呼ばれるものが導入されつつある。直接に現金を支給するのとそうでないのと、双方に長所と短所があり、それを見比べながら具体的にどういう機構に乗せていくのか、さらに考えに入れるべきいくつかについて検討してから、後で述べるとしよう。
 ただ個人が単独で何もかも決定し采配するのは難しいことがある。あるいは面倒なことがある。これもあたり前のことで、介助の場面に限らない。商品を並べてくれている商店に行ったり、旅行の手配をしてくれたり計画を立てるのを手伝ってくれる旅行会社を利用したり、私たちは様々なサービス業のサービスを利用している。介助の場合にも、介助、介助する人と利用者とを媒介する活動、組織があった方がよいことがある。営利組織・非営利組織ともこの仕事を担いうる。一九八〇年代、「住民参加型在宅福祉団体」などと呼ばれた組織の活動が広がったのだが、これは費用の社会的供給がない中で、利用者自身あるいは家族が利用料を負担するものであり、その料金・対価は低いところに置かれ、それでその活動に従事することができるのは時間的・経済的余裕のある主婦層がおもだった。それに「有償ボランティア」といった言葉も使われた。一九八〇年代の後半以降に現われる「自立生活センター」と呼ばれる組織は、費用を公的な財源に求めることを主張しながら、こうした組織の運営方法も摂取して、サービスの供給、媒介活動を行なう組織であり、同時に、組織の運営の主導権を利用者=障害者が掌握する組織である。介助に関わる費用獲得の運動と連動することによって、仕事への対価を先の「在宅福祉団体」に比べれば高いところに置くことが可能になり、それによってより広範な層から介助者を得ることができ、それまでなかった一日二四時間、年三六五日の介助派遣を行なうところが現われた。この運動は、必要なものを要求するだけでなく、余計なことを拒絶し、必要なものが供給される経路を変更させようとする。もちろん以前から自己決定が大切だといったことは言われてきたが、それは単なる理念、お題目であるか、予め仕切られた枠内のものでしかなかった。それが、実際に実現されるべきものとして、そして介入を避け、使い勝手をよくするための現実的な方法として追求されるのである。」(立岩[2000→2020:263-265])
★09 そのサイトでの説明は以下。
 「全身性障害者介護人派遣事業利用者で他人介助者の登録先がなく困っている方等を対象にスタートしました。居宅介護及び重度訪問介護の指定事業所として、また、全国の居宅介護及び重度訪問介護の指定事業所を運営する障害者団体と提携し、自分で確保した介助者を自分専用にヘルパー(自薦の登録ヘルパー)として登録できます。」
 「自薦ヘルパーは2002年度までは全国の約200自治体(全体の約1割)で公的な制度として実施されていましたが、2003年度以降は市町村がヘルパー事業の実施から離れ、支給決定だけを行う仕組みに変わりました。民間のNPO等が都道府県の指定を得てヘルパー事業所を運営できるようになったため、障害者の推薦したヘルパーをヘルパー事業所に登録することが全国どこの市町村でも可能になりました。」
 「共助・対・障害者――前世紀末からの約十五年」(立岩[20121225b])では以下。事実関係を確認しておこうと思う。
 「地域間の大きな格差を縮小し、全国的なものにすることは以前からの課題だったのだが、介護保険の導入はそれを現実的なものにする機会とも捉えられ、また2003年からの制度変更を見込んだ活動を展開しようともしたのである。そこで、全国障害者介護保障協議会、全国自立生活センター協議会、DPI日本会議等が関わり、「2003年までに要介助当事者によるヘルパー指定事業者を全国300箇所に」という標語のもと、事業者の立ち上げと運営を支援する全国組織「自薦ヘルパー(支援費支給方式)推進協会」が2000年に設立された。この組織は、介護保険の介護をただ供給するだけでなく、自立生活運動の理念を共有し、障害をもつ本人が組織の運営を担うという自立生活センターの組織形態を有した事業者の設立を手助けする組織である。東京などの当事者団体のヘルパー委託事業や介護保険事業での収益などを集めて初年度予算3000万円で発足、その事業者になることを希望する人たちに運営方法についての通学と通信の両方を併用する研修のシステムを作り研修を実施し、各地での立ち上げ資金の助成も開始した。
 次に、これと並行して、利用者個人に対し、自分が選んだ人を介護者として簡単に登録できる仕組みを作り出した。すべての地域で介護保険の利用者だけを見込んだ事業所を立ち上げるのは難しい。しかし利用者は点々と存在する。そこでやはり2000年、「介護保険ヘルパー広域自薦登録保障協会」を立ち上げ、登録ヘルパーと呼ばれる仕組みを介護保険のもとでも実現しようとする活動を始めた。すなわち、全国の介護保険指定事業者を運営する障害者団体、上記した活動により設立される組織と提携し、介護保険を利用できる個々人に自分で確保した介護者を介護保険のヘルパーとして組織に登録してもらうという機構を作ったのである。介助者、介助時間帯や給与を自分で決め、介助者・利用者の登録をすれば、その日から介護保険の自薦介助サービスが利用可能になる。介助者は1〜3級ヘルパー、介護福祉士、看護婦のいずれかである必要があるとされたため、ヘルパー研修未受講者は3級研修などを受講する必要がでてくるが、受講料を広域協会が助成、また協会自らも研修を行いこの費用も助成した。2000年4月に東京事務所が開設され関東圏での利用が可能になった。同年7月には大阪事務所の活動が始まり近畿圏での利用が利用可能に、2001年には、九州・四国・中国・中部の一部の県で事業開始、2002年度には全国ほとんどの県で利用が可能になった。またこのシステムへの参加を自立生活センター(CIL)等介助サービス実施組織にも呼びかけた。対象地域のCIL等で介護保険対象者に介護サービスを行おうとする場合、研修を受けた介護者を介護保険の事業者に登録するとともに、コーディネイトの実質はその(事業者でない)CIL等の組織が行い、その組織はその費用を事業者から受け取るかたちをとった。」(立岩[2012:570-572])


文献(20 転記済)
◆安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 19901025 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』,藤原書店,320p.
◆―――― 19950515 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 増補・改訂版』,藤原書店,366p.
◆―――― 20121225 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』,生活書院・文庫版,666p.
佐草 智久 2015a 「老人福祉法制定前後の在宅高齢者福祉政策に関する再検討――1950 〜 1960 年代前半の京都市を事例に」,『Core Ethics』11:95-105
◆―――― 2015b 「日本の訪問介護の歴史――京都市を中心に」,立命館大学大学院先端総合学術研究科2014年度博士予備論文
◆渋谷 光美 2014 『家庭奉仕員・ホームヘルパーの現代史――社会福祉サービスとしての在宅介護労働の変遷』,生活書院
◆全国自立生活センター協議会 編 2001 『自立生活運動と障害文化――当事者からの福祉論』,発行:全国自立生活センター協議会,:発売:現代書館,480p.
◆立岩 真也 19930325 「全国自立生活センター協議会(JIL)――自立生活運動の現在・4」,『季刊福祉労働』58
◆―――― 19941105 「「自立生活センター」は非営利民間組織(NPO)の一つのあり方を提示する」,第67回日本社会学会大会 於:同志社大学
◆―――― 19950515 「自立生活センターの挑戦」,安積他[1995:267-321→2012:-]
◆―――― 20000301 「遠離・遭遇――介助について」,『現代思想』28-4(2000-3):155-179,28-5(2000-4):28-38,28-6(2000-5):231-243,28-7(2000-6):252-277→立岩[20001023:221-354→20200110:225-380]
◆―――― 20001023 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』,青土社
◆―――― 20010501 「高橋修――引けないな。引いたら、自分は何のために、一九八一年から」,全国自立生活センター協議会編[2001:249-262]
◆―――― 20121225b 「共助・対・障害者――前世紀末からの約十五年」,安積他[2012:549-603]
◆―――― 20160331 「補章」立命館大学生存学研究センター編[2016]
◇―――― 20181220 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社,512p.
◆―――― 20200110 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術 第2版』,青土社,536p.
◆―――― 20200110 「高橋修 一九四八〜一九九九」,立岩[20200110:381-471]
谷村ひとみ 2013 「『僅か資源しか持たない』離別シングルマザーの家族戦略と老後設計――成人子との決別で獲得したひとりの老後」,『Core Ethics』9:151-161 <213>
◆坂野 久美 2018 「 筋ジストロフィー患者が大学に行くということ――立命館大学の事例をめぐって』,『Core Ethics』14 [PDF]
◆立命館大学生存学研究センター 編 2016 『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』,生活書院,272p.


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介助・介護  ◇重度訪問介護派遣事業(重訪)  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築
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