>HOME >Tateiwa

『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』

立岩 真也有馬 斉 2012/10/31 生活書院,241p.,2000+


『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』表紙   □御注文→[amazon][kinokuniya]&↓
  □ □目次
  □文献表 □書評・紹介
  □3冊+αの文献表(リンク付)
  □[English](別頁)  □[Korea](別頁)
  電子書籍(kindle)1000円:→★ gumroad経由 SALE
  電子書籍(EPUB3)1500円:→★ gumroad経由 SALE




Tweet  

■立岩 真也・有馬 斉 2012/10/31 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院,241p. ISBN-10: 4865000003 ISBN-13: 978-4865000009 2000+ [amazon][kinokuniya] ※ et. et-2012.

 *電子書籍版(EPUB3形式):1500円で販売。関連事項・人の頁へのリンク等、便利・有益だと思います。(例:↓序文・目次)→★ gumroad経由 cf.gumroad
 *紙版:2000+税100=2100円のところのところ、2割引1860円+送料実費。氏名・送付先をお忘れなく。お送りする本の中に郵便振替用紙を同封いたしますので、それを使ってあるいは銀行口座に御送金ください。他の書籍と一緒の購入も歓迎。

 
 
>TOP

■■■ 序

 「安楽死」「尊厳死」について、立岩『良い死』『唯の生』(筑摩書房、二〇〇八年・二〇〇九年)の二冊の本に書いた。それから基本的に言うべきことに変わりはなく、とくに足すべきこともない。ただ、それらで、もう一冊、関連する本・言論を紹介する本を出すことを予告していた。もとになる原稿はその時にほぼ一冊分あったのだが、他の仕事・事情が様々あったりもして、まとめる時間がなかった。ただそろそろ出せねばとは(いつも)思っていた。そこで、なんとかその仕事をして、刊行してもらおうと考えた。ただ結果、当初考えていたのと違う本になった。そこで、その事情と本書の概要を。
 それらの本が出る前、二〇〇四年から二〇〇五年頃にかけて「尊厳死法」を作ろうという動きがあった(その時のことは『唯の生』第2章の「近い過去と現在」、第4章「現在」に記した)。今年(二〇一二年)になってまた法律を作ろうという動きが出てきた(九月に閉会した国会には法案は出されなかった)。取材依頼などいただくと、本を読んでくださいとすませるわけにもいかず、同じことを手短かに話したり書いたりといったことをすることになる。第T章ではそうしたもの他を幾つか再録した。
 これまで法律化の動きは今度のものを含め三回あった。その(二回目までについての)経緯については『唯の生』第2章――そこで日本尊厳死協会日本安楽死協会が一九七六年に改称して発足)等についても紹介している――と第4章に記したのだが、本書第U章では各々の時の法案とそれに関わる意見を幾つか収録した。(二番目からだんだんと、そして)今回の三番目についてはそれまでより「障害者関係」の団体が動いている(法律化を推進する人々は障害者とは関係ないと言うが、そんなことはないことは本書を含む三冊で示した)。また『現代思想』二〇一二年六月号の特集が「尊厳死は誰のものか――終末期医療のリアル」で(その時点での)現況を伝えている。
 第V章では、有馬斉バイオエシックス(生命倫理学)における肯定論を紹介してくれる。有馬に書いてもらうことは一昨年か昨年かから決めていた。読者は、同じ主題であるのに、なんだかまったく異なった世界があるように感じるだろう。そう、そのように世界はできている。ただ関係はしている。どこがどうなって、話が違ってくるのか考えてみていただきたいと思う。
 ここでは「功利主義」が取り上げられるが、それは素人の私たちがその言葉で思う「最大多数の最大幸福」といった原理に限られるものではない。まず「本人」によって「よい」ことがよいことであることについては多くの人が同意するだろう。すると、そのことはどのように論じられているのか。また、「本人」をもってくれば、結局、有馬が紹介するように、「自律」「自己決定」が関わってくる。この主題については立岩は『良い死』第1章「私の死」で論じている。また(人・ヒトの)特別扱い、「生命尊重主義」批判については『私的所有論』(立岩[1997]、第二版立岩[2012]が文庫版で出る――本文は変更なし、注などは足した)の第5章「線引き問題という問題」、続いて『唯の生』第1章「人名の特別を言わず/言う」で、有馬があげる人・文献と同じ人・文献をあげて論じている。生と死を比較することについては『唯の生』第6章「より苦痛な生/苦痛な生/安楽な死」で論じている。サバイバル・ロッタリー(生存籤)については『私的所有論』第2章第4節。読み比べていただければと思う。
 そして、この章の後半で有馬が紹介していることで大切なのは、積極的安楽死と消極的安楽死、尊厳死、治療停止、不開始…等いろいろと区別されているものが区別しがたいという主張である。立岩はこの主張にほぼ同意する。(「自然」に委ねるのと「人工的」に行うことに違いがあるという言い方はあるだろうが、やはり本章で紹介される人たちの同様、この区別の有効性は疑わしい。このことについては『唯の生』の第2章「自然な死、の代わりの自然の受領としての生」。)すると、このことは、今この国で盛んに言われていること、つまり、自分たちは「安楽死」を認めるわけではない、あくまで「尊厳死」――最近はこの言葉もあまり使われない傾向がある――を主張するのだという主張に危ういところがあることを示しているということである。だから、区別した上で一部を認めるべきだと主張する人たちは、この章に紹介される論に反論し論破せねばならないということである。
 そしてやはり、功利主義そのものも気になってしまう。「最大多数の最大幸福」とかそんなに素朴なものではないと述べたばかりだが、ではそれはどんなものか。それはどこまで論じられているのだろう。「すべての人」にとって(より)よいならよい、などということは現実にはそうありそうにないことだが、それならよいだろうか。しかしそんな誰からも文句が出そうにない場合(パレート改善〜最適)でさえ、それでよし、と言えると限らないことことは、『自由の平等』(立岩[2004a])第1章第2節「ゲームから答はでない」でも述べた。誰にとってのよし/あしか。それをどうやって「集計」するのか。こうして話は広がってもいく。ただ、まずはさきにあげた「本人」やその「選好」のことだけでもよい。考えてみていただければと思う。  言うまでもないことを加えると、人々の議論を紹介することと自らの論を示すこととは別のことであり、ここで紹介される論と有馬自身の論(有馬[2009][2010])とは同じでない。それらの論文では、自由主義は、特定の価値なく、人の自由をもって安楽死他を認めると主張するが、実際にも、規範的にもすべての自死を認めるとはしない。とすればそこには特定の価値観があるとしか言いようがないことが証明されている。読んでいただきたい。ただそれが掲載されている雑誌の残部がなくなりつつある。後で紹介する電子書籍での提供などを検討したいと考えている。
 立岩は、『看護教育』(医学書院)で、二〇〇一年から二〇〇九年まで毎年十一回、計一〇一回、本の紹介をした。最初は、それを使い補って本を作ろうと思った。というかその連載はもともと、本の紹介の本を依頼され、そのためには原稿がいるから、そのために始めたものでもあった。その企画自体は、出版社の栄枯盛衰に関わる事情で宙に浮いたのだが、やはり本があってもよいだろうと思ってもきた。そのから「生死」「死生」に関わる本を紹介した回を使い、註を新たに付して本を作る。それが最初の計画だった。ただ今回は、手にとりやすいよう全体の分量を抑えるため、九回分にとどめた。残りは次にということになる。今回とりあげたもの、とくに日本の著者のものは、肯定的でない方に偏っていることを断っておく。例えば清水昭美は、さきに三度と述べた法制化のうち最初と第二回――その間に約二五年が経っている――の法案の「阻止」の際、その活動の実務を(第一回めの時は八木晃介とともに)ほぼ一手に引き受けた人である。ただ、その次に紹介する松田道雄は初回の一九七八年に「阻止する会」の発起人だったが、後年賛成の立場に転じた人――実際はさらにもう少し複雑だった――人である。
 そして、断片的にではあるが、「海外」における反対の運動――その大きな部分は(日本でのこのたびの、つまり三度目の動きへの動きと同様、障害者たちによって担われている――を紹介している。しかし、今回は急いでの出版になるために、断片的にでしかない。もう少し詳しい知りたい人は、ホームページに情報がある。また今後増補の機会があればと思う。
 先に記した二〇〇四年頃、出来事を追い字を扱うのが(人文社会系の)学者の仕事で、その分他の仕事ができない(ことになっている)のだから、できることはした方がよいのだろうと思い、まずホームページを増補した。「生存学」「安楽死・尊厳死」(表紙では「良い死?」という項目になっている)からつながるファイルたちである。それからもぼつぼつと続けた。それらが収蔵・掲載されているHPは二〇〇七年から二〇一二年までグローバルCOE「「生存学」創生拠点」(今は「生存学研究センター」)のHPになって、関心のある大学院生他がリサーチ・アシスタント等として増補してもくれた。それで現在、直接に関わる(「et」で始まる)ファイルが一一〇ほど、計六メガバイトほど。これに本の目次のファイルやら、太田典礼松田道雄といった人物のファイル等を加えるとさらに多くなる。文字の部分を取り出しても何冊か分にはなっている(〇・五メガバイトほどテキスト・ファルルがあると本ができる――安くして手にとりやすくしようともくろんだ本書の文字量はさらに少ない)。
 ただそうした資料は――とくに私(たち)のように工夫が足りない場合――やはり羅列的で断片的であり、よほどその主題に入れあげないと読み込むのは難しい。難しくなくともその気になれない。一つには、私にはこう見える、思えることを書いて読んでもらう。それは一つの物語ではあるが、物語だから、それに反対することもできる筋をもったものとして読んでもらい、考えてもらうことができる。さきの二冊の本はそうした本だ。本書もどこからでも読んでもらえるものでありつつ、「こんな感じ」と(すくなくとも筆者は捉えていることが)わかるようになっている。ただ他方で、本に書ける量は限られている。これで同じ(ような)主題で三冊、というだけですでに顰蹙ものである。どうしたものか。
 このたびに限らず、そのことをときどき考えることがあった。とくに日本語の本はすぐ厚くなってしまい、書くべきことを十分に書けないことが多い。しばしば、事実を伝えるのにも中途半端で、考えを展開するのも中途半端になってしまう。そうした半端な書き物が多すぎると私は思ってきた(それは、たんに書籍にする際の制約というだけのことではないと私は思っているのだが、それにに関わる愚痴はここではよす)。そこで、個別の詳しいことについてはHPでということにした。また情報は新しく加わるが、毎年本を書いて出してもらうのは難しい。そこで基本的な筋については本として残してもらい、新しく起こったことやわかったことはHPに載せるというやり方がよいだろうと思った。本書に出てくる書名や人名を検索してもらえばよい。多く貧弱で失望してしまうとしても、何かは出てくるはずだ。
 ある筋をもつ文章はそれとしてあった方がよい。またある分量以上の文章は本になった方がよい。同時に、関係する資料はそれとしてHPで読めたらよい。そして両者の行き来がたやすい方がよい。そんなことを思っていた。すると、近頃は電子書籍がようやく日本でも普及し始めた、らしい。その中の言葉から直接にHP上のファイルに飛んでいけるようにできるらしい。そこで、本書を電子書籍としても提供する。(まずは試験的に。HPで本書の書名で検索してほしい。)
 私は多くのことを知らないが、それよりもなお知らない人がいる。むろん、なんでも覚えていたらたいへんで、人はたくさんのことを忘れるし、忘れたらよい。しかし、そうとばかりも言ってられない。例えば二〇〇三年に要項が作成され二〇〇五年に出されると報道された法案は、一九七八年に日本安楽死協会が作った「末期医療の特別措置法案」のほぼ蒸し返し、おおむね同じものである。
 推進する側(の一部)には連続性がある。あの時実現しなかったことが、時代が変わり、今度こそと思っている人もいるだろう。だが、賛成の人も、よくわからない人も、また批判的な人も、多くはそのことは知らない。それはよくないと思う。その時は提出されなかったものが、今度提出されそして通るとしたら、それはかつても正しかったことがようやく実現されるということなのか、そうでないのか。何かが変わったのか、そうでないのか。そんなことも考えられないまま、ものごとが決まっていくのはよくないと思う。「現代史」を辿ることがいやでも必要になる。本書の最後に「カレン・クインラン事件」を丁寧に追った香川千晶の本の紹介を置いたのもそんな思いがあってのことでもある。
 ただ本の多くはすぐに品切れ・絶版になってしまう。今は出ていないものに紹介すべきものがある。紹介する本が買えない本ばかりでは困る。ただ図書館にあれば借りられる。そして、これは次の本で明らかにされることの一つだが、あきれるほど同じようなことが繰り返し語られてきた。「死について語ることを避けてきた」という話が、繰り返し、もう三十年以上、語り続けられている。だいたいこんなものだ、ということをわかってもらえたらよい。そして、中に読まねばと思うものがあったら――あるはずである――読んでもらったらよい。
 最後に、まったくもって無理な急な願いを受け入れてくださった生活書院の高橋淳さんに、とても、感謝しています。ありがとうございます。
                         立岩 真也 二〇一二年九月

 
 
>TOP

■■■目次

■序

■■第T章 短文・他 立岩 真也
■私には「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」はわからない 2012/08
■「自己決定」について三〇〇字で論じなさい、に 2012/08
■人工的な延命/自然な死?  2011/11/20
■死の代わりに失われるもの――日本での動向の紹介に加えて 2009/11/02

■■第U章 引用集――法案・意見
■末期医療の特別措置法案 日本安楽死協会 1978/11
■「安楽死法制化を阻止する会」の声明 1978/11
■「安楽死法制化を阻止する会」の声明に対する反駁声明 日本安楽死協会 1978/12/20
■尊厳死に関する法律案要綱  日本尊厳死協会 2003/12/01
安楽死・尊厳死法制化を阻止する会声明 2005/06/25
■終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案・第1案  2012/07/31
■終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案・第2案  2012/07/31
■尊厳死立法に反対します 今こそ尊厳ある生を 全国「精神病」者集団 2012/01/27
■尊厳死法制化を考える議員連盟の件で ALS/MNDサポートセンターさくら会 2012/01/31
■全国青い芝の会は「尊厳死法案提出」に反対し強く抗議をします。 日本脳性マヒ者協会「全国青い芝の会」 2012/02/29 
■私たちは、生命維持に必要な治療を拒否するための法案上程に対し、反対いたします。 人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会) 2012/03/13
日本ALS協会 「終末期の医療における患者の意志の尊重に関する法律案」上程に対する意見表明 2012/03/19
■終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案の制定に反対する 社団法人全国委脊髄損傷者連合会・ NPO日本せきずい基金 2012/03/22
日本弁護士連合会 「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案仮称)」に対する会長声明 2012/04/04
日本自立生活センター「尊厳死ってなんやねん!?」学習会参加者有志一同 尊厳死法制化撤回を求めます 2012/04/13
■法律案に反対する団体の意見に対する(社)日本尊厳死協会の見解 2012/04/24
■平成二四年四月二四日の日本尊厳死協会理事長、井形昭弘氏の見解は事実誤認  ALS/MNDサポートセンターさくら会 2012/05/25
■私たちは、「終末期の医療に患者の意思の尊重に関する法律案」(いわゆる「尊厳死法」)による法制化に強く反対し、慎重な議論を求めます。 全国遷延性意識障害者・家族の会 2012/06/03
■改めて尊厳死の法制化に強く反対します 人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会) 2012/07/12
■終末期における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)修正案について――疑問と要望  DPI(障害者インターナショナル)日本会議 2012/07/12
■尊厳死法制化反対の意見書 TILベンチレーターネットワーク 呼ネット 2012/07/12
■「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」に関する声明 医療的ケアネット 2012/08/03
■尊厳死法制化に反対する呼びかけ 尊厳死の法制化を認めない市民の会 2012/08/27

■■第V章 功利主義による安楽死正当化論 有馬 斉 89-172
■第1節 生命の神聖さ
 ■1生命は神聖であるという主張の曖昧さについて(グラバー
 ■2生命の神聖さ批判(1)(グラバー)
 ■3生命の神聖さ批判(2)(レイチェルズ
 ■4生命の神聖さ批判(3)(シンガークーゼ
 ■5生命は神聖であるという主張の曖昧さについて(2)
■第2節 与益
 ■1功利の原則と安楽死(レイチェルズ)
 ■2自殺から安楽死まで(ブラント)
 ■3任意的安楽死の倫理(グラバー、レイチェルズ、マクマーン)
 ■4非任意的安楽死の倫理(シンガー)
 ■5死と生の比較(フェルドマン)
 ■6手段と意図(レイチェルズ、トゥーリー、ベネット)
 ■7反任意的安楽死の倫理(1)(シンガー、ハリス、グラバー、レイチェルズ)
 ■8反任意的安楽死の倫理(2)
■まとめ

■■第W章 「ブックガイド・医療と社会」より 立岩 真也
米国 2000/12 [連載04]
オランダ 2001/01 [連載05]
清水昭美 2001/06 [連載06]
松田道雄  2001/07[連載07]
斎藤 義彦DPI(障害者インターナショナル)世界大会で 2003/08 [連載30(抄)]
向井承子 2003/10[連載31]
香川知晶『死ぬ権利』 2008/10〜12 [連載・87〜89]

 
 
>TOP

■言及・紹介・書評 (25)

◆立岩 真也 2015/07/03 「ナチスの所業は日本にどう知られたか?+『障害者殺しの思想』・6――「身体の現代」計画補足・42」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1618055855128062

◆2015/01/31 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/561490077365186560
 「立岩真也 ?@ShinyaTateiwa 2013年か14年には書籍にしとくつもりだった『生死の語り行い・1』に載せられなかった部分+α、原稿の所在さえわからなくなっていたものを探し出したので、HP/FBで載せていくことに→「「身体の現代」計画補足・17」→https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1553411651592483 … 16の紹介は別便」

◆立岩 真也 2015/01/31 「死/生の本・1増補――「身体の現代」計画補足・17」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1553411651592483

◆2015/01/31 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/561310525347217408
 「立岩真也 ?@ShinyaTateiwa 「有馬〔斉〕が紹介していることで大切なのは、積極的安楽死と消極的安楽死、尊厳死、治療停止、不開始…等いろいろと区別されているものが区別しがたいという主張である。立岩〔真也〕はこの主張にほぼ同意する。」『生死の語り行い・1』http://www.arsvi.com/ts/2012b2.htm  電子書籍版有」

◆徳永 哲也 2013/01/25 「書評:立岩真也・有馬斉『生死の語り行い1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』(生活書院)」,『週刊読書人』
 http://www.dokushojin.co.jp/

◆立岩 真也 2013/**/** 「もらったものについて・10」『そよ風のように街に出よう』84

◆2013/03/28 https://twitter.com/i_brahms/status/317265745417498624
 「板井広明 ?@i_brahms 有馬斉・立岩真也『生死の語り行い1』を恵投いただく。安楽死をめぐる資料集的な本で、功利主義の主要な議論が整理されていて参考になる。」

◆2013/01/10 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/289535296155041793
 「立岩真也?@ShinyaTateiwa もらったものについて・10」http://www.arsvi.com/ts/20130010.htm 『生死の語り行い・1』『生の技法 第3版』の広告です。『そよ風のように街に出よう』次号まだですが、定期講読するとよいと思います。 」

◆立岩 真也 2013/01/07 「生命倫理学会の大会で――予告&補遺・8」
 生活書院のHP http://www.seikatsushoin.com/web/tateiwa08.html

◆立岩 真也 2012/12/27 「『生死の語り行い・1』出てます・続――予告&補遺・7」
 生活書院のHP http://www.seikatsushoin.com/web/tateiwa07.html

◆立岩 真也 2012/12/24 「『生死の語り行い・1』出てます――予告&補遺・6」
 生活書院のHP http://www.seikatsushoin.com/web/tateiwa06.html
◆2012/12/20 http://honnohon.blog137.fc2.com/blog-entry-650.html

◆2012/12/14 http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/archive/2012/12/14

◆立岩 真也 2012/11/20 「紹介:『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』」
 『「生存学」創成拠点メールマガジン』 http://www.arsvi.com/a/em.htm

◆立岩 真也 2012/11/01 「制度と人間のこと・6――連載 83」
 『現代思想』40-(2012-11):- cf.

 「☆02 今度、立岩・有馬[2012]を刊行してもらった。そこで有馬は功利主義による安楽死の正当化論を紹介してくれているのだが、その「利」をどのように捉えるのか。もちろん本人に聞くというのが一つあるだろう。ただ事情あってもうそれができなくなっている場合にどう判断するのか。そして本人が言っていることをそのまま受け取るのか。こうして基本的な問題の構造には共通点がある。そしてそこで有馬の取り上げる論者たちはこの点についてずいぶん単純な考えでいることをあらためて思った。一つにその人たちがもってくるのは本人の言である。その言葉が置かれている状況についてまったく考慮していないというわけではないようだ。(純粋に耐えがたい苦痛があるとかそんなことを言うのもそのことに関係しているかもしれない。)ただ、想定される範囲は限定されており、そしてそのことについてとくに自覚的であるようではない。」

◆2012/10/31 http://booklog.jp/users/nyancomaru/archives/1/4865000003

◆2012/10/28 http://mobile.twitter.com/ShinyaTateiwa/status/262414894555594752?p=v

◆2012/10/28 https://twitter.com/akiradicalism/status/262371933637713920

◆2012/10/28 http://d.hatena.ne.jp/x0123456789/20121027

◆2012/10/27 http://mobile.twitter.com/yumepas/status/262190637493919744?p=v

◆立岩 真也 2012/09/20 「あらためて「序」――『生死本』(仮)の準備・5」
 生活書院のHP http://www.seikatsushoin.com/web/tateiwa05.html

◆立岩 真也 2012/09/03 「オランダの安楽死――『生死本』(仮)の準備・4」
 生活書院のHP http://www.seikatsushoin.com/web/tateiwa04.html

◆立岩 真也 2012/08/27 「カレン事件補遺――『生死本』(仮)の準備・3」
 生活書院のHP http://www.seikatsushoin.com/web/tateiwa03.html

◆立岩 真也 2012/08/21 「家で死ぬ本――『生死本』(仮)の準備・2」
 生活書院のHP http://www.seikatsushoin.com/web/tateiwa02.html

◆立岩 真也 2012/08/07 「『生死本』(仮)の準備・1」
 生活書院のHP http://www.seikatsushoin.com/web/tateiwa01.html

……

 *電子書籍でも販売予定。
  (→リンク数:159(0921)→272(0921)→311(0929)/+文献表201)
 *10月24日から一部で発売。27日には学会で発売。発行可能になりしだい発送。
  https://sites.google.com/site/seimeirinri24/

UP:2012 REV:20120919, 21, 29, 30, 1017, 24, 28, 1110, 1222, 20120107, 20130125, 0427, 20150131 
安楽死・尊厳死 2012  ◇安楽死・尊厳死  ◇病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇有馬 斉