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接続の技法

―介助する人をどこに置くか―

立岩 真也

所収:『生の技法 ―家と施設を出て暮らす障害者の社会学― 』
安積純子・尾中文哉・岡原正幸・立岩真也,藤原書店,1990年10月,320p.,2500円


 ※この文章は『増補・改訂版(第2版)』(1995年5月)には収められていません。
 代わりに「私が決め,社会が支える,のを当事者が支える――介助システム論」
 安積他『生の技法 増補改訂版』第8章,pp.227-265(19950515)80枚
 が収められています。

[p227]第8章 接続の技法――介助する人をどこに置くか

 [p228]日常生活に介助の必要な人が、家庭そして施設での介助に頼らず暮らそうとすれば、どのようにそれを得るか考えなくてはならない。この章では、どのような介助のかたちがとられているのか、それらがなぜ選ばれ、またどのような問題をかかえているのかを検討することにする。
 彼らは、第一に生活の自律性を獲得しようとする。とともに、社会の中での自らの位置を変えること、あるいは自らの位置が変わるために社会の編成が変わることを目指す。従来介助の問題は必要、必要量という観点から主に論じられてきた。もちろん思うように生活を送るためにはまず量が確保されねばならない。けれども、それだけではない。でなければ彼らはこのような生活を始めなかった。また今までの場所を出てなお、彼らが問題としたものが消え去るわけでないこともこれまで確認した通りだ。以下では、基本的に彼らのいるこの地点から考察しよう。
 それを第一に考えなければ、結局脱け出すことを目指したその場所とさして変わらないところに落ち着いてしまいかねない。そして何より、彼ら自身が、置かれた状況の中で、問題とその方向を確認しつつ、この自立生活の試み、介助のかたちの模索を行ってきたのだから、私達は、その試行に即しながら、検討を進めるべきである。

1 この社会の編成

 人々は他者に対する行為を行う、同時に他者の行為あるいはその結果として産出されたものを受け取る。また、自らのための行為を自ら行う。両者の境界はそもそも定まったものではなく選択可能な場合があるが(外食にするか自炊にするか、自分で洗濯するかクリーニングに出すか、等々)、障害があると自らのために自ら行える行為の領域が狭まるのは確かだ。それが介助という他者の行為としてなされる。
 自ら行うことと他者が行うことの境界はこの場合明らかなようにも思えるが、実はそうでもない。例えば脳性マ[p229]ヒ者の場合、数倍、数十倍の時間をかけるなら、ある程度のことが自力でできることもある。けれども、それで一日が終わってしまうことにもなる。当人がそこに価値を見いだすのならそれでよいとしても、他にしたいことがあるなら、ある部分を他者が代行することになろう。また最低限生きていくのに必要な介助の量はさほど多くないかもしれない。けれどもそれだけなら施設でも保障されていた。だが、それ以上の時間がある。外出、代筆、様々な集団の中での活動、そして自らの介助者を得るための活動。多くはさしあたり生きていくための活動なのだが、そこで他者との関係が作られる。他方で、例えば買物。他者に全てまかせてしまえば、その時間を省くことはできる。けれども、そうして全てを省いていったら何もすることがなくなってしまうかもしれない。自らのことをする。それもまた彼らの生の内実である。「省力化」がはかられようとする時、一方では自分で行うことが、一方では全てを他人にまかせることが、要求される。だがそのいずれの場合も、彼らは自分の時間を失ってしまう。特に言語障害がある場合、意思の疎通のためだけでも、ひどく時間のかかることを介助を行う人は知る。それを省いてしまわないのだとしたら、介助は、日常生活のリストをみて思うだけよりは随分時間のかかるものであることは確かだ。
 これから実際の介助の諸形態をみていくが、その前に、この社会の成立ち具合いについていくつか確認しよう。論じ尽くすには紙数が足りず中途半端なものだが、3での議論、そしてどういう仕組みを構想できるかというところにつながり、筆者としては必要だと考えている。それでも少し長くなるし、込み入った話になる。介助の現実をまず知りたいというのであれば、飛ばして2に進んでいただいてもよい。
 近代の社会では、相手との関係で行われる行為は、市場−経済の領域、政治の領域、家族の領域、及びこれらに吸収されない自発性の領域のいずれかに配分されると考えられる(例えば他に暴力による強制があるとしても、それを考えに入れる必要はないだろう)。ここで注意しておきたいのは、行為の内容によってそれが属する領域が予め決まっているのではなく、領域の規定、ある行為をある領域に属する行為とする規定が最初にあるということである。[p230]例えば介助という同じ行為もあらかじめどの領域に属していると決まってはいない。
 この諸領域の規定は必ずしも一義的ではなく、広狭様々になされている。ここでは厳密な定義はとりあえず必要ない。経済領域にある行為とは貨幣を媒介とする行為であり、政治領域にある行為とは国家・自治体での決定、その実行の過程内に属している行為であり、家族とはひとまず法的に規定される家族である、とだけ言っておく。
 以上の各領域での行為主体はどのような存在とされるか。市場では、貨幣を支払う側受け取る側、両方が経済行為の主体とされる。政治領域ではまず有権者、政治的決定に関わる者である。個々の意志が集計され、政治的な決定がなされそれが個々人の行為を制約する。制約される側が政治主体と呼ばれることはあまりないが、定義によってはこれを含めることもできよう。家族では家族成員を対象とした行為を行う家族成員である。第四の領域では、以上以外の、他者を対象とする(もろちん見方によっては全ての行為に他者が関係するのだが)行為の主体である。
 ここで行為の動機がどういう意味を持っているのかをみよう。それはある行為がどの領域にあるかを判断する基準とはならない。例えば政治的行為がありうるにはまず、政治領域が成立していることが必要だ。しかし、それは動機が重要な意味をもたされていないということではない。第一に個々の意志は以上の諸領域を成立させ維持する基盤であるとみなされており、必要条件であるとみなされている。だが、実際の多くの行為はその意思の有無をいちいち問われたりしない。それが問われるのは、問題が生じた時、生じそうになった時である。例えば、投票や婚姻が有効である条件として、他者の強制によらないことがあげられ、このことが確認されたりする場合である。
 次に、ある行為をしようとする意志という以上の内容をもった意志、内的状態が措定されることがある。交換する、結婚するという以上の意志、例えば利潤動機であり、愛情である。それはどの水準に組み込まれているのか。利潤動機は現在の経済的な事象を説明するのに有効かもしれないし、実際多くの経済的行為はそうした動機でなされているだろう。それが変われば現在の市場は変化する。けれども利潤動機がそこにないからといって(その行為[p231]は経済行為でないと定義されることはあるかもしれないが)、契約を断わられたり、罰せられたりはしない。また愛情に欠けた家族はいくらでも存在するだろう。けれども、近代家族というものが愛情によって成立するものだとみなされているということは言える。そしてそれは正当化の理由として持ち出されたり、非難の根拠として用いられたりする。また、政治の領域においては、その決定の結果を受け取ろうとする動機ということになろう。これは内容的に予め定まっていない。自発性の領域と呼んだ場ではどうか。実際には行為は様々な動機によるだろう。そしてそのある部分はある規範に制約された行為であって自発的とは言えないものと言えるかもしれない。だが、近代社会においては、その理由がどうあれ、行為をするか否かは最終的には主体の決定に属するとされている。以上で言えるのは、個々の行為の具体的な動機が何かということとある行為がある領域に属す行為と見なされることとは別のことであり、分けて考えるべきだということである。ある行為に複数の動機が絡んでいることもある。だが、ある行為にある動機があるはずだ、あるべきだとみなされるということの重要性は見落とすべきではない。ここまで介助という行為と直接関係のないように思われることを述べたのは、近代社会が与えた諸領域の分割を踏まえずに考えること、行為の動機というものを素朴に持ち出すことには問題があるだろうと思うからだ。
 私達はある行為がどれか一つだけの領域にあるかのように述べてきた。確かにある単位をとればそう言えるが、ある行為を行うという決定(という行為)から実行という流れを考えれば、多くの場合、それは複数の人、複数の領域にまたがるものとなる。したがって、次に、以上の諸領域の組み合わせを検討する必要がある。可能性としては無限の連鎖がありうるから、その組合せも無限に想定できるが、その中で現実にあるいくつかを考えればよい。
 決定とはまず行為内容の規定だが、それだけでは行為の連鎖は始まらない。行為の理由とされるものがどこかから与えられ、それによって行為がなされ、また行為の内容が制御される。それが複数でありうることは先に述べた。また、決定という行為を動機づける人が決定者であるということもあるから、決定とは相対的なものだとも言える。
 [p232]さらにここで注意すべきは、当然のことながら決定が行われる領域と供給されるものとは対応するとは限らないということである。決定の実行が別の領域でなされる場合、供給される財は次の段階の領域のものでなくてはならない(例えば家族内での決定や政治的決定による雇用)。その場合には当然ある変換――例えば愛情から貨幣へといった――が行われている。これは考えてみると不思議だし興味深いことだが、その検討はここでは置く。
 先の区分に対応して、行為者の動機との相関が想定されて、行為を発動させるものとして行為者に与えられるものが、政治的決定、愛情(に関わる規範)、といった具合いにあると考えられる。この中で貨幣が重要な位置を占める。ある行為を得る手段として流通性が高く、次から次へと渡っていくことができるからである。政治領域においては租税の徴収によって得られた貨幣、家族においては成員の誰かの収入・資産、自発的な領域においては自己が持つ貨幣を再び市場に回すことになる。
 ボランティアによる介助、家族による介助、有償介助、公的介助保障という分類は四つの領域の分割に一次的に対応しているが、各領域の重層性を捨象している。もちろんこの分類を現実にあてはめる時に具体的な問題につきあたるからそのままではいかなくなり、再分類が試みられるのだが、最初に以上を確認しておけば、現在可能な範囲と各々の位置づけが明らかになり、またその上で何を考えうるのかが導かれる。とはいえ、いくつか条件をおいても考えられる可能性を全てあげていくと非常な数になるから、ここでは以上を踏まえた上で現実に行われている、あるいは行われうる諸形態、現実になされている分類をみてみよう。各々の領域の関係を含めた考察はVで行う。
 まず市場で介助という行為は貨幣が与えられることを媒介にしてなされる。介助を受ける当人の資産・収入によってそれが供給されるのでなければ、残る三つの領域から供給される。
 介助の公的保障と呼ばれるものは、政治的決定による租税等を財源とする労働の購入としてなされる。ここで民間委託とは、政治的決定による市場内の機関への財の供給、そこでの労働の購入ということである。また、政治的[p233]決定による財の分配を対象者に直接行い、それによってその対象者が労働を購入するといった場合がありうる。法による強制といった、政治的決定による行為の直接的供給は、可能性としてありうるが、現実には行われない。政治の領域でなされる直接的な行為の制約は、労働の購入を前提した上での行為内容の監督、制御として現れる。
 家族の領域を出発点とすると、家族の成員が直接介助を担う場合と、家族成員が他者の介助を得るための資源を提供する場合が考えられる。ここでもその貨幣がいったん当人に渡る場合とそうでない場合を区別できよう。
 自発的な行為の領域についても右と同様のことが言える。ボランティア活動と呼ばれるものは直接行為を行うこと、寄付と呼ばれるものは直接の行為ではなく資源の提供を指す。ただし現状では後者の形態はほとんどない。
 さてここに介助を受ける当人はどう入ってくるか。以上では直接に貨幣を供給する場合だけがあがっている。先に決定者とは相対的なものであると述べた。他者に対して行為を行う場合、その動機として他に、いわゆる道徳・規範に原因が求められるか、あるいは個々人間の感情が持ち出されるかである。前者は個人に帰属するものではないが、個人がそれに訴えることはできる。また後者については相手である介助を受ける人がその感情を与えると表現することはできる。以上のような意味で介助を受ける人は政治・家庭・自発的領域における決定の前の段階の決定にあずかるともいえる。このことと、具体的な行為内容の決定権を当の利用者が持つ持たないということは、先にも述べたように行為を制御する源泉、動機、規範が複数ありうるし、また決定権を委託することも出来るから、現実には多いに関係があるとしても、一応は別のことである。このあたりのことは、第5章でも述べられた。
 以上の中からこの章で考えないかたちを除こう。まず介助を受ける人が自己の資産・収入によって介助者を雇用する場合。これは現実にはほとんど不可能である。第二に、家族による介助、介助に関する資源の提供。この国では以前からそして今でも、介助は家庭でなされてきた。このことを否定した場合に、介助ということが改めて問題になるのである。では施設はどのように考えられるのか。公営、民営、措置費の支給、家族による支出など全て右[p234]のどこか、あるいはその組合せの中に位置づく。この形態を除くのは、第4章で述べたように、ここで生活の自律性と社会性が確保されないからである。むろん、その他の各々については、これからそれが検討される。
 以上は事態を単純化している。決定といっても全てが一箇所でなされるわけではない。決定の内容としてもまず誰を行為者とするかという決定と行為内容の決定を分けることができる。またその各々が常に一箇所でなされるわけでもない。決定の委託ということもある。また同一の人・機関が、利用者からの負担、政治領域からの援助、無償の労働といった複数の領域から資源を得るといった場合がある。とくにここでの主題にとっては、介助者と介助を要する人とを媒介する機関が存在するのかしないのか、その機関自体がどういう性格をもつのか。そしてこれらの各々において、私達の観点からは、当事者の意向がどの程度入れられるのかが重要だ。ここには、制度的な規定、市場における需給関係、それ以外の様々な要因が入り込む。以上を必要な場面では考える必要がある。★01

2 自発的な行為

 とにかくまわりにいる人に介助を頼む。それは、施設・家族から離れた障害者達によって、第一には、他にないやむを得ぬ手段としてとられ、まず、彼らの支援に当たった層によって担われた。いまもボランティアに生活の多くを頼るという状況は変わっておらず、それを全く利用していない人は一人もいないといってよい。★02
彼らの多くは一〇人から三〇人ほどのボランティアの介助を得ている。一人が介助を行う頻度は、月一回程度から週に数回まで、一回あたりの時間も一〜二時間から八〜一二時間程度(日中・夜間)まで様々である。ただし、私達が直接に知る限りでは、彼らの介助だけで生活している人は多くなく、ほとんどの人が、どの程度にか、公的な制度、有料の介助と組み合わせて生活を成り立たせている。介助する内容は、生活に関わる全て。今までこの類の経験をしたことのない人達が、当人に教えてもらいながら行う。それで何か不都合があるということはまずない。
地域差、個人差が大きいが、彼らのかなりの部分は学生、特に大学生によって占められている。だから、大学生が近くに住んでいる、あるいは少なくとも彼らに接近する機会が多いことはしばしば重要な条件となる。★03
 [p236]また特に女性の場合には、かなりの割合で主婦層が入いる。ただ、後にみる高齢者を主たる対象とする機関でのように子育てが終わった五〇〜六〇代の主婦が主体ということはないようだ。このことには、介助を受ける人の年齢も関わっているだろう。また、多くの場合、障害者の側からの働きかけがあり、それに応えて介助が行われるということにもよるだろう。高齢者の場合と同様の機関を介する場合には、やはり中高年齢の主婦の割合が高くなる。
 そして、多くはないが「社会人」、労働者がやってくる場合がある。特に、大学が近くにない地域に住む人の場合には、彼らの支援が大部分を占めることになる★04。福祉に関係する職業に就いている人も多いが、その職種は多様である。ただし、当然のことながら、時間的に可能な層に限られる。あとは休日にということになる。
 彼らは、具体的にどういう経路で介助者を得ているのか。
街頭での呼び掛け、ビラまき等の活動が行われることがある。あるいは、公民館など公共機関にビラを置く★05。学年の初めなど、近くの大学に車椅子で出向いて構内で介助者を得るための活動をしている人もいる。しかし、それで得られる人は少ない。そういった直接的な働きかけよりも、むしろ障害者・介助者双方の――多くの場合は個人的な――人間関係が利用されることが多い★06。また、様々な運動に関わっている人の場合、その協力者がそのまま介助者となる場合も多い。ただし、その割合は次第に減ってきている。どうして始めたかと聞かれて、明確に答える人は少ない。何となく、とか、ついつい――始めて、抜けられなくなった――とか、たいていの人は答える。
このようなかたちで介助を得る場合の問題点は何か。それは、ボランティアであること、すなわち、個々人の自発性に負うことによってもたらされる。
 まず、必要な時間を埋めることの難しさである。多くの人は慢性的な人不足、その安定性のないことに悩んでいる。彼らはその月、次の月の日程表を、ノートに作る、あるいは壁に張っている。それと同時に、介助者の名簿、電話番号簿を持っている。一度に長期間の予定が立てられれば、次々に予定が埋まっていけばよいが、多くの場合[p237]そうはいかない。介助する方か、介助を要する方か、どちらかの予定が変わることもある。数日先、あるいは明日の介助者を求めて、毎日電話をかける人も多い。
 ある人は、手、あるいは頭につけた棒状のもので五〇音のキーを押し、一定の長さをまとめて音声に変換する機器を用いて会話し、電話で介助の予定を立てている。会話は当然普通よりは時間がかかるから、一通話について一五分ほど必要である。このようにして一日五本ほど電話をかける。★07また、手が使えないから呼気ホン(電話番号〇〜九に順にランプがつき、それがある番号にきた時にストローに息を吹き入れるとその番号が指定される、それを繰り返す)で電話する人もいる。その方法で、多い時には夕食が終わってから一二時ころまで三〇件の電話をかける。あるいは、自分でかけることもあるが、言語障害のため取次の必要のある電話はかけられず――いたずら電話と間違えられる、等で取り次いでもらえない――介助者に頼んでかける人もいる。
 さらに苦労して得た人達が定着しない。例外的には十数年に渡って続けている人もいるが、特に学生であれば、就職後も続ける少数の人を別として、卒業してしまうとそれきりになる、あるいはならざるをえない。
これに介助する人の層に関わる問題が加わる。主婦、学生、労働者、それぞれに空けるのが難しい時間帯、期間[p238]がある。主婦の場合、家事のために必要な時間そして夜間にやってくることはほとんどできない。労働者は労働時間には来れない。学生は、授業、アルバイトの時間に制約される他、試験期間中、長期休暇中の確保が難しくなる。特に学生が卒業して就職してしまう時期は厳しい。
排泄、入浴、等、同性の人が必要な場合、問題はさらに大きくなる。異性による入浴介助等への批判は、施設に対する批判の一つの論点でもあった★08。介助者の総数として男女の割合の差はそれほど大きくない。女性だけによって占められているといってよいヘルパー、そして女性の割合が高いいわゆる有償ボランティアの層と比較すれば男性の比率はずっと高い。女性に対しては女性の比率が高いが、男性に関しては個人差があるものの男性も多い。だが、少なくともある時間帯にはどちらか一方が必要だとすれば、当然、それだけ確保は難しくなることになる。
また、その地域に介助を行える人達がどれだけいるかという地域差の問題がある。自立生活運動は、少なくともいまのところ、主要には都市部の運動であり、その一つの要因が、学生等の介助できる層の数なのである。★09
以上は、とにかく数が足りないということだ。次に、この行為が自発性に依拠することに直接関係することがある。まず責任の問題である。約束の時間を忘れる、用事があって来ない、連絡もない、といったことが時に生じる。そして関係が感情の水準にあるならばそれに起因する問題がある。介助される側に、人を引きつけられるものが必要だということ、人を集められる障害者でないとやっていけないということ、気をつかわなくてはならないことに疲れてしまうということが語られる。また、個々の関係ではなく、ある種の理念・道徳に導かれているのなら、そういう問題が回避されることもあろう。けれども、それはしばしば保護−被保護という関係を疑わないものだったりもする。とすると、これはなにもこうした介助の関係においてだけとは限らないが、そうした認識から逸脱する行為が許容されないということになってしまう★10。以上のことが第5章でより詳しく述べられた。

[p239]3 有償ということ

 公的な介助の保障、有償の介助は、こうした供給の不安定性を解消し、対価に見合っただけの責任ある仕事を行わせ、感情的な水準での問題、人間関係の問題を解決するものとされる★11。
だが他方で、無償の介助を積極的に支持する考え方がある。この行為は金銭を媒介にした交換としてなされるべきものではなく、個々の人間関係の中で、あるいは地域での関係の中で介助者が調達されるべきだというのである。むろんこのことが主張される場合でも、現実に現れる問題点は自覚されている。その上でもこのことは言われる。
 少し基本的なところから考えてみよう。現実から出発する論議からみれば、現実離れしていると思われるかもしれないが、少なくともその現実の中にいる当事者が考えているのだ。私達も考えてみよう。その結果は総意を得られるというものではないかもしれないが、思考の道筋はできるだけ示そう。そうすれば批判も可能になるだろう。
 人が他者の様々な物・行為を受け取って生活すること、それを作り与える人がいること、このことをまず認めよ[p240]う。問題は両者の関係である。働きに対して見返りの給付があるという交換の形態を認めるかどうか。行為に何らかの動機が伴っているとすれば、すべての行為がここに入る。ここでは、他者に対する行為を行うこと自体にともなう充足ではなく、それ以外の目的に使えるものの給付、この社会では貨幣が媒介とされる交換の形態を考えよう。
 彼らは必ずしも肯定的ではない。なぜなら、ここで働き、能力と呼ばれるものが配分を決定する限り、彼らの少なくともある部分は劣位に置かれることになるからである。
 これは、近頃あまり正面きって論じられることがなくなった、流行らなくなった主題だが、やはりこの社会にとって基本的なことである。出発点として言われていることは確かな事実であり、当然の主張である。配分において劣位に置かれ、人としての評価の上でも劣位におかれる。そして考えてみれば、現在支配的な配分の原理、規範を正当化する根拠はどこにもないではないか。だがそれでも、考えつめていけばこれは簡単な問題ではない。能力主義の問題というとき、それは配分の問題なのか、あるいは価値意識に関わる問題として捉えられるのか。恐らく両方だろう。各々について、そして両者の関係についていろいろと考えねばならないことが出て来るのである。配分においては、例えば市場という場所をどう考えるかということであり、また個々人の意志を制限する制度をどのように考えるかという(しかも、前者が能力主義的な配分をもたらし後者がそうでないということではもちろんない)、「体制」の問題が入ってくる。(もちろん「資本制」についても。ただ、この場合には「資本」を考える前に「市場」を考えておく必要がある。)そして例えば配分の平等の要求と、ある価値に縛られることからの解放とは、ある場合には矛盾するようにも思われるが、どこでどのような関係になっているのか、求めるべき方向としていったいどのあたりの線を狙うのか。さらに、教育、労働の場などへの参加のことをどう考えるべきか。いろいろなことを一度は考えてみる必要がある。考えてみないと、例えば「能力主義」という言葉が、実体のよくわからない、得体の知れぬ怪物のようなものとして現れてしまい、その場に立ちつくしてしまうことになってしまい、ぶつぶつと小[p241]言を言うだけで終わってしまうかもしれない。例えば「〇〇は体制の延命に与するだけだ」といった、それほど聞かれなくなったがその発想が失せたわけではない言葉、そうした言葉が常に誤っているというのではないが、その「体制」が明らかにならないまま安易に用いられる時、怠惰な言葉になってしまうことがあるのではないかということである。こうして述べたことを詳細にし、議論を詰めるには、多くのことを考え、多くの言葉を費やさねばならないのだが、ここでそれを果たすことはできない。その作業は別の機会に譲らねばならない。
 さて、以上のような点もさることながら、むしろここで問題になっているのは、介助という特定の行為を交換というかたちで認めるか否かということである。あるいは以上に述べたことの延長上で言えば、現在の行為や財の配分の形式を部分的にせよ肯定する、仕方のないことと認めるとして、その場合に、ある行為、ここでは介助という行為をどういう形式で認めるのか、そのことがどういう意味を持つかというということでもある。
 1に述べたようにこの社会では他者の行為はいくつかの領域から調達され、家族、自発性の領域と呼んだものの中では貨幣を媒介としない行為が行われうる。そして、家族による行為をここで否定し、行為の強制を否定すれば、自発性の領域が残る。なぜある人はこれを主張するか。まず二つの点があると思う。
 第一に、代償がある限り、行為者が行為と行為の対象者に対して代償を得るための手段という以外の意味を付与しないという可能性がある。あくまで直接的な援助として介助という行為があるべきだというのである。そういう行為は現実にある、例えば家族は無償で行為を引き受ける、あるいは友人であればやはり行為に代償を求めたりはしないだろうというのである。
 第二に関係あるいは負担の限定である。特に重度障害者の生活の場は介助を受けて成立する場所にあり、時に外出したり催物に参加したりするところにはない。その生活の場所で、例えば専門職員による介助がなされるなら、結局のところ施設の中での関係を個々が住む場に移すことにしかならないのではないか、その間、その外の社会は、[p242]やはり施設があった時と同じようにあるのではないか。能力主義的に編成される社会にあって、そこからいったん排除され、そこで再分配としての福祉を受けつつ、その存在を不可視化される限り、結局のところ、その社会は障害者を積極的に受け入れる社会ではなく、また、そういった社会を形成する契機を失うのではないか。★12
 だが、難しさはまず次のような事情にある。家族が面倒をみるべきだというのと同じほど強力な規範は存在せず、それを作為によって簡単に作りあげることはできない。宗教的な、あるいは宗教的な起源をもつ他者への援助の思想、地域的な集住の中での援助の観念などがあげられるかもしれなが、それは今どれほどあるのか。また、その内容はどういったものか。恩恵として、慈善として捉えられているなら、それは彼らにとって受け入れられるものとならない。しかしこのような難しさは誰もが認識しておりその上で議論が行われているのだから、このことを指摘して論議を終わらせるのは今はおこう。
 むしろ私達が指摘したいのは次のことである。今、この社会に存在する無償の行為と有償の行為の大きな分割は家族成員間での分業、性分業としてある。少なくとも言えることは、労働、分業の編成を変えないで介助を無償の部分に委ねることは、現実にはこの分業の再生産を結果するだろうということである。これは結局のところ、家族という領域内で行われていたことをほぼ同じ成員による地域での扶助という形態に移行させることを意味する。
 だがこれは現実に存在する一つの形に過ぎない。性分業を含めた人と人の間の分業と、同一の人の内における生活時間の分割の様々な形を考えることが出来る。前者について考えてみよう。有償・無償の分割が性分業としてなぜ成立するかといえば家族内で貨幣が再分配されるからである。学生という存在が無償の介助者でありうるのも大抵はこういうことだ。このような無償と有償の分業を家庭外に拡大することは不可能ではない。だが、それは結局介助を行う人に貨幣を分配することになり、有償の形態に統一するのと結果的に変わらない。そして、その方が容易だから、これはこの行為を無償の行為として認めるべきだという主張を弱める方向に働く。だとすれば、後者、[p243]同一の人のうちにおける分割の保障を考える。たとえば労働時間の短縮である。これが実現されたからといって、それが介助という行為に結びつき、介助を受ける人々の生活が成り立つという保障はない。けれども確かに可能性としてはありうる。
 けれどもこのように考えを進めていく前に、戻って考えてみよう。生活の資を得る行為とそうでない行為の分割の中でどちらをとる、というふうに考える必要があるか。前章でも述べたように、彼らの主張の主眼点はこの社会にある分割を自明のものとしないということだった。そして、生活を得るということは確かに必要だ。と同時に行為自体に対する意味付与ということも求められるだろう。ある行為にある動機が存在することは他の動機が同時に存在することを排除するものではない。とすれば、両者を同時に求めていくという方向が排されるべき理由はない。したがって、第一の点については、有償の行為という方向を私達は認めてよいと考える。
 第二の点について。まずここで有償という場合、基本的に租税等の再分配としてその資源が提供されるということをここでは想定している。つまり、政治の場での集合的な意志として、それを為すべきことを決定したということであり、負担が成員各々の義務・責務として認められたということである。したがってこのこと自体には負担の一方的な押し付けはない。けれども、個々の具体的な行為の場面においてそれが分業として現れる、その意味で行[p244]為の担い手が限定される可能性は残る。彼らはこのことを指摘したのだった。
 しかし、これは別の形をとっても必ず可能性としては残ることであり、それを抑える決定的な手段はなく、仮に強制によって可能だとしても、それは彼らの望むところではない。そして第一の点についての私達の見解が認められたとしよう。そして分業の編成についての先の検討と、可能性として多数の多様な層がここに加わることが望ましいという観点を維持するなら、求めるべき方向として一つあるのは、有償という形を認めながら、その行為が可能性として多くの人に開かれていることである。そして人が生活の時間の様々な活動の場を行き来することの出来る形態を模索することではないか。具体的には、人の生の流れの中で、あるいは同じ一日の時間の中で、いわゆる「労働」として、複数のことができるような方向である。これはこの社会の現実とはかけ離れている。けれども、彼らの主張を私達なりに考えた結論はこれである。そして、少なくともこの方向を抑止するかしないかという選択はいくつかの場面で可能であるはずだ。以下ではこのことも考えに入れて検討していこう。
 なおこれは無償性を否定するものではない。様々な場面で無償の援助が積極的に行われるべきだということを全く否定しない。そもそも否定することなど不可能だ。では現実的な競合は考えられるか。可能性としてはありうる。無償あるいは無償に近い行為が入りこむことによって市場(需要・価格)が変わってくるということである。しかし、この理由によってそれを排除することは出来ないだろう。
 以上のように言えるはずだと私達は考える。不十分なものではあるが、当事者の間で問題になっていると思われるところを私達として整理し、考えていくための一つの端緒を示すことを試みてみた。ただ既に断わった通り、以上の議論は、有償という場合、政治領域から支出がなされていることを前提としており、無償という場合、いわゆるボランティアを念頭においている。家族による費用の支出、家族による無償の介助を想定していない。それを当然と考えるところからこの主題の議論は始まっているのであり、私達もそれを認めるからである。このことが子供[p245]の養育等、他の行為にもそのまま当てはまると考えているわけではない。こうした行為も対象とし、行為を社会のどの領域に配分するのかという問題に関して一般的に検討する場合には、先の第一の点についても第二の点についても、また他の点についても、さらに考えるべきことが多々あるし、そこからここでの主題についても再度検討すべきことが出て来ようが、ここでそれを行うには準備が足りない。★13
 さてこの上で、先に出された有償の介助を支持する理由についてもう一度考えてみよう。
 日常的な動作に関する介助等の生活の最低限は、個々人の感情とは独立した関係の中で確保したいとする考えが当然ありうる。機器等の使用によって、できる限り生活を送るというのもそれと同じ方向にある。だが、他者の援助の必要は残り、それが他者である以上、どのような場合でも個々の関係に規定される部分は残る。例えば雇用関係の場合、解雇という選択肢はありうるが、それは個々の場合に限られた、排除という解決であるにとどまる。また、特に重度者の場合、介助を受けている時間が生活の大部分を占め、その時間だけを意味付与されない時間として割り切るというわけにはいかない。そもそも彼らの運動は人々との関係を作っていこうとするものとしてあった。[p246]それを消してしまおうとする必要はないし、また無償であれ有償であれこの問題は消えることがないのである。
 介助という関係の中では、多くの行き違い、問題が生じる。その中で離脱していく人も多い。けれども、そういった過程が介助する側にある積極的な作用を及ぼすこともまた確かだと思う。第5章でも述べられたように衝突を解消しようとするのではなく――そもそもそれは、解消されない――それをむしろ顕在化させその上で解決の途を探っていく以外にない。そしてそれが可能であるような基盤を作っていくこと、ある介助者の離脱によってその生活自体が成り立たなくなってしまうような状況を変えていくことである。
 今現在の問題としては、生活を確保すること、関係を形成していくことの両方は時に両立しない。けれども彼らが両者を同時に成立させる戦略を模索しようとしていること、双方の極の間で、具体的な方向の差異はあるが、その場合でも、当事者たちは現れうる問題を認識しているのだということを確認して検討を続けることにしよう。

4 国家・自治体による保障

 無償の援助に全面的によることはしないという時、取られるのは、介助に要する資源を政治的な財の再分配の中で供給することだということ、このことはもう述べた。この選択肢を取るとして、その制度のあり方は一つではない。1でも触れたが、その費用が国・自治体からまず誰に支給されるのか(公務員、それ以外の介助者、本人)、実[p247]際にあるいは最終的な責任主体として誰が介助する人を用意するのか、行為者・行為内容の決定がどこでなされるのかといった具合いに、いくつかの局面にいくつかの形がある。それらを掛け合わせ、論理的に不可能なものを除いた数だけ可能性があるということになるが、決定権の所在という一点にしても、同時に複数の主体が決定に関わるということもあるわけだから、それらを加えていけば数はさらに増える。それを網羅することはここではせず、実際に行われているものだけを見ていこう。いずれの場合もその援助はひどく不足している。だから、その拡大を目指す運動が当然続けられている。だがそれだけでなく、複数の形態の中のいくつかが併用さているとともに、どのようなかたちが望ましいのか、彼ら自身が模索しているさなかにある。ここでは@国・自治体が、公務員の雇用によって、介助という行為を直接的に供給する形、A国・自治体の責任において供給を機関に委託するという形、B介助に要する費用を本人に直接給付するという形、C本人が選んだ人に対して費用を給付するという形、――以上が現実に行われている全てだと思う――を、二つずつまとめて紹介し、何が問題になっているのかをみていく。
 断わりを述べておこう。以下紙数の関係上、調べがついた分についても、種々の制度の推移、現状、支給額の詳細や、様々な機関の活動等について具体的に紹介することができない。また継続的に調査できなかったためもあり、最新のデータを提供できなかった部分も多々ある。また以下は伝聞に基づいている部分がかなり多い。誤りがあれば指摘していただきたい。行政機関が発行する報告は、それだけを見てもその実状を知ることはまず不可能で、その上法律よりも政令、通達がものをいうこの世界に、事情通でない私達は容易に接近できない。関係雑誌、機関紙に掲載される紹介にはイメージを与えてくれる良質なものも多く、私達もそれを利用したが、情報の量ということになると十分とはいえない。本来それを補うべきものなのかもしれぬ、研究者による文章をみてもその不満は解消されない。その大多数を占める、中くらいの範囲を扱う中くらいに抽象的で中くらいに具体的である論文の意義を否定しないが、同時に求められているのは、単なる、しかし徹底的な制度・活動の事実、推移の報告であり、それが時間の流れの中で連続性をもってなされること、そうしたものとして必要な人に提供されることではないだろうか。これから扱う諸制度・諸活動の一つ一つに、本来ならこの章の分量以上の紹介と検討がなされるべきなのであり、以下の紹介・検討も必要な人にとって必要な量に達していない。今後機会が与えられれば、不足を補いながら、次々に更新されていく現実について報告したい。

[p248]4−1 介助を供給する

 国家、自治体が介助者を派遣する制度――むしろ実態はここから離れつつありせいぜいが派遣の責任を持つ制度といったものだが――としては、「身体障害者(児)家庭奉仕員派遣事業」がある。
 この制度は六七年度の「身体障害者家庭奉仕員派遣事業」の創設★14、七三年度の「身体障害者介護人派遣事業」★15の創設に始まるが、その後八二年十月、介護人派遣事業は家庭奉仕員派遣事業に統合された。同時に、低所得世帯対象だったものを全世帯対象にするとともに、世帯の生計中心者の所得に応じた費用負担の制度が導入された。だがこれは、東京都など、すでに所得の多少に関わらずヘルパーを派遣してきた自治体では、有料化だけをもたらし、また、家族とともに、しかも家族からの援助にできる限り頼らず生活しようとする者にとっては、それを困難にするものだった。本人でなく世帯主の収入に応じた費用負担が最大の問題だが、それだけでなく、申請権についてそれまで特に定めがなく、実質的に本人に申し出の権利が与えられていたのが、この改変にともない、世帯の生計中心者に申請権があると規定されてしまったのである。抗議行動が行われたが、結局この変更は実現する。この後、八九年八月三一日付都道府県知事宛の通達で改訂が行われた。これについてはそれがどのように実現されていくかまだ見極めにくいところもあって、本格的に検討できないが、この時の変更点も含め、現状を概観しよう。
八九年度の予算段階で、家庭奉仕員の数は全国で三万一四〇五人(常勤換算、老人家庭奉仕員を含む★16)となっている。これは前年度に比べ約四四〇〇人増ということになる。そのほとんど全てが女性である。実施主体は市町村、一部を当該市町村社会福祉協議会、施設、民間事業体(八九年の改訂以前は社会福祉協議会等)等に依託できる。ほとんどの市町村で実施されている(約半分で委託)が、その実施内容については、自治体によって著しい格差が[p249]ある。負担は国が二分の一、都道府県、市町村各四分の一(同改訂以前は三者各三分の一)。八二年の変更で週六日、計一八時間が上限とされているが、実際には八二年の制度改訂以前の週二回、一回二時間のままというところが多い。やはり八九年度の改訂で、身体介護の場合には手当が家事援助の一・五倍、年間約二四〇万円(常勤換算)つくことになった(利用者負担は据え置き)。八九年の改訂は、特に高齢者の介助の問題を重視せざるをえなくなったことを背景とし、自治体側の負担の面で、予算人員より実際の配置人員が毎年少なくなってしまっていた(約二千人)ことを解消し、委託先を増やし、手当を増額して、身体介助にあたる人員を確保しようとするものだといえよう。★17
 地域に生活する人々の利用の現状はどうか。私達が知るのは八七・八八年の実態だが、現在でもそうは変わって[p250]いないはずである。彼らの多くは、この制度を、その制限に応じて、すなわち週四時間から一八時間まで、利用しているのだが、量的な問題がまず指摘される。上限まで派遣がなされているところでも、それだけで生活はできない。また日曜及び祝祭日や時間外の派遣は原則として認められていない。時間・内容等について、利用者の要求が必ずしも反映されない。どれほど当事者の状況に理解が得られるか。これは個々のヘルパーの資質というよりは、制度的な問題でもある。自治体の実施要綱に記されていない業務には携わらない、というより携われないとして、介助の内容は、ほとんどの場合、食事の支度、洗濯など家事援助に限られ、入浴、身辺介助は多くの場合敬遠される。個々のヘルパーが自主的に利用者の要求をかなえようとしても、ヘルパーによって業務内容に差があってはいけないという理由で、押さえられる。
 これには、奉仕員に自治体の正規の職員が占める割合が年々減ってきており、家政婦協会等に登録している人が多く採用されていることも関係している。自治体の正規職員、臨時職員、自治体の職員の資格を持たない者、その相互の身分、報酬の格差の問題を別としても、民間委託の場合、ヘルパーの多くは比較的高齢の女性であり、障害者を担当した経験が少ないことが多いため、また体力的にも、障害者の介助、特に身辺介助に消極的なこと、あるいはしようとしても出来ないということが多い。新規採用の少ない自治体の職員についても高齢化の問題は同様である。ともかくヘルパーの層が偏っていることの問題が大きい。女性しかいないというのはその最たるものだ。
 また、生活の自律性、プライバシーが守られないということもよく指摘される。生活指導と称して、生活様式に介入してくることがある。話す必要もないし話されるべきでもない生活の内容がヘルパーの間などで話される。反面で利用者とヘルパーの間の意思の疎通が十分になされていない。関係が個人対個人になった時、それゆえの問題が生じうる。利用者とヘルパーとの間がどのような関係であるべきなのか、確かにこれは難しい問題ではある。それにしても、公平を保つため、個々の関係を生じさせないため、頻繁にヘルパーを交代させることの問題は大きい。
 [p251]行政当局との直接交渉を行い、業務内容の変更を撤回させた例はある。だが、制度的に保障された交渉、協議の場はなく、ヘルパーの選択権はもちろん、利用者の評価を反映させる道が制度的に保障されていない。★18
 このような問題をいくらかでも解消し、利用者が利用しやすいものとするため、一部では、それまでボランティアとして介助をしてきた人をヘルパーとして登録し、市がその人に賃金を払うという形態が取られている。例えばある人はこうして週四回、一回三時間(日中)の介助を得ている。その介助者に対して月四七〇〇〇円が払われている。このような場合には、この制度は次に検討する介助料を支給するという制度に近づくことになる。
 こうしてみた時、奉仕員の臨時職員化、次に事業の委託、そして八九年の改訂による委託先の拡大は何を意味するのだろうか。この方向が政策的に取られるようになったのが主要には財政上の理由からであること、これは全く明らかである。総費用を一定とすれば、派遣の総時間数は増える。勤務時間等の制約が緩くなることによって、利用しやすくなるという可能性も生ずる。人員の配置に柔軟性が生まれる。いずれも現在の国・自治体のあり様を所与とおいた場合である。所与としない場合、現状のどちらかを取ることを迫るというのでない多様な検討課題が出て来るわけだが、それはここでは置こう。現実の担い手の層に起因する問題については一部述べた。介助という行為に関わる決定の問題だけをみよう。行政機関の権限を縮小するという方向において、この動きと彼ら当事者の志向とは共通しているかに見える。けれどもそれは、一方が当事者の発言権・決定権を確保しようとしてのことなのに対し、他方のは逆に、行政の場を通り越して不満と要求を持って行く先が曖昧になり、持って行きようがなくなる危険性がある。現状は、サービスの質によって良い方を選択できるというような状態では全くない。また行政府の監督と一般的に言うだけでも済まない。これまでの章でも再三述べてきたように、施設の設置基準がどうとかいう[p252]のとは水準を異にする、関係の微妙なところが問題の核心になるからだ。社会福祉協議会といった営利を目的とするのではない機関に対しても、彼らは全幅の信頼を寄せてはいない。5に紹介する当事者自らが媒介機関を作りあげようという試みは、実は、それを見越して、先回りしようという意図、危機感からも来ているのである。

4−2 介助者に対し介助料が支払われる

次に、行政機関が介助費用を利用者に支給しそれを利用者が介助者に支払う、あるいは利用者が選んだ介助者に介助料を支給することによって介助を確保するという方法がある。
現在、国の制度として直接利用者に支払われる介助料という性格をもつのは、生活保護の「他人介護加算」だけである。障害基礎年金制度の導入と同時に設定された「特別障害者手当」は、先に述べたようにその性格があいまいで、介護料と解釈すべきだとの説もある★19が、少なくとも現実にはその機能を果たしてない。他人介護加算は福祉事務所が資格を認めた場合とれる。次に述べる特別基準との対比で「一般基準」ともこの制度を利用する人達の間で呼ばれる。支給額の上限は月三万九四〇〇円(八九年度)。週二日、一日四時間として算定された額だという。八六年度の受給者数は六六一人★20。申請にあたっては介助の必要性が認められなくてはならないが、特に申請者の側で有償の介助関係を証明する必要はない。だがその使途に関しては監督を受けることになる。
七五年度から「他人介護加算特別基準」が支給されるようになった経緯については前章(↓注44)で述べた。施設を出て生活を始め、公的介助保障を要求した人達が、次に紹介する東京都の制度とともに、獲得した、行政の側から見れば例外的な措置ということになる。この基準による支給は、全国で三〇人程にしかなされていない。介護契約書等の書類を厚生省に提出して申請し、審査を受ける。八九年度最高月十万五四〇〇円が支給されている★21。
 [p253]生活保護の枠内の制度は、当然その受給者に限られるという限界があり、また受給資格要件が厳しく手続きも難しい。実際に利用している人はきわめてわずかの人に限られる。そしてやはり多くの場合、生活をそれで成り立たせていくには十分でない。しかし全国的な制度としてあるのはともかくこれだけである。そして年金が生活するに足りず生活保護を受ける大多数の人々にとって、これがまず最も現実的な手だてとしてある。将来的にどういう制度があるべきかということはまた別の課題として、あるいはそこにつなげるためも、この制度の支給者の枠の拡大、充実が、古い人ではもう十五年、この運動に携わってきた人達によって続けられている。
 次に自治体の制度がある。地域間の格差が大きく、例えば東京都では、当事者による継続的な運動の結果、ようやくいくつかの制度が獲得されたが、何もないところも多い。東京都の制度の概要を記そう。これらは基本的に行政の窓口から介助者の方に手当が支払われることになっているが、介助者の選定権は利用者にあり、また介助の内容についても、利用者と介助者の間で決められるから、右にあげた形態と実質的にはあまり変わらない。
「重度脳性麻痺者等介護人派遣事業」は七四年度から実施されている。東京都の運営要綱に基づいて行われるが、[p254]実施主体は区市町村。派遣対象は二〇歳以上、一級の脳性マヒ者で独立して屋外活動をすることが困難な者とされていたが、障害者側の要求によって次第に脳性マヒ以外の障害者にも支給されるようになり、八七年度から、対象を全身性障害者全体に拡大し、@特別障害者手当の受給資格を持つ「真に他人介護を必要とする者」、及びA資格を持たない一級の脳性マヒ者(かつ@Aとも独立して屋外活動をすることが困難な者)を対象とする制度となった。利用者の推薦によって介助者(複数でもよい)が登録される。他人介護を必要とするとは、共に暮らす家族がいないか、高齢、就労、就学、出産、等により介助が困難な場合。従来の制度を引き継ぐAについては、家族を登録することもでき、他に介護人を推薦することができず、「真にやむえないと認められるとき」は配偶者も登録できるという例外規定が設けられており、事実、登録されている例がある。この@とAの分離によって、両者の格差を設け、Aの回数が据え置かれることになった。これは、家族も登録可能とした制度をこれ以上拡大できないという政治状況で、要求する彼ら自身の中でも、家族も他の介助者と同等に扱うべきだという意見――これは彼らの立場から自然に帰結する主張である――と、家族と離れて暮らしている人達の実態に照らして家族外の介助者についての制度の拡充をしていく他ないという判断とが戦わされた末、結局受け入れることになった形である。
 この制度を利用しようとする障害者は、介護人派遣資格認定登録の申請書・介護人推薦書・介護人の介護同意書を区市町村に提出し、資格審査を受ける。以上は毎年必要である。区市町村長が一ケ月分の介護券を毎月発行し、利用者に交付する。利用者は介助者に介助の都度、介護券の半券にサインして渡す。介助者はそれを月単位にまとめ、区市町村長に提出し、その月の分の手当を振替口座から受け取る。当初は月三回、一回半日(四時間)だったが、少しずつ拡大され、八九年度はAの場合月一二回、@の場合月一七回、いずれも一回あたりの支給額四千三百円となっている。単価については都の臨時アルバイトの額を基準とし、一日八時間労働としての計算だという。以上の基準まで全額都が負担する。都の年間予算は五億五千万円(八八年度) 、この年度の場合、年間延十三万回ほ[p255]どで、全利用者が制限いっぱいまで使うとして約八百名を対象とする制度ということになる。★22
次に「心身障害者(児)緊急保護事業」がある。国の法律外の制度としての「在宅重度身体障害者短期保護事業」は、「重度身体障害者を介護している保護者が疾病等によって家庭における介護が困難な場合施設に一時保護する」★23というものだが、東京都の場合は、「保護者又は家族の疾病等により、緊急に保護を必要とする在宅の障害者を一時的に保護する」となっていて、病院保護・施設保護については国の政令をその根拠法令としているが、在宅保護については独自の制度となっている。これは、介助を必要とする一人暮らしの障害者に対しても、その家庭での生活を援助する介助者に対する現金支給のかたちで保護を認めるように要求が出され、七六年十月から実施されたものである。月五日以内、一回四九六〇円 (八八年度) ★24が支払われる(都が二分の一を負担)が、これも市区町村に実施・運営がまかされているため、地域によってかなり差異がある。
実施市区町村によって大きな差があることを述べたが、練馬区、北区、立川市など継続的な運動がなされてきたいくつかの自治体では都の基準への上乗せ、あるいは独自の制度がある。例えば練馬区では、介護人派遣事業につ[p256]いて都の設定した単価に千円ほどを上乗せした上で回数増がはかられてきたが、八七年度から都の分を合わせて月の日数分が支給されるようになり、また独自になされていた夜間の分についての支給も八九年度から日数分なされるようになった。また立川市では独自に週二七時間分(八九年度)、家庭奉仕員に支給される時間あたりの額をかけた額を受け取ることができるようになった(その一部を現金の支給ではなく家庭奉仕員の派遣とすることもできる)。こうした一部の自治体でもっとも多く支給された場合、国・都・市区からの支給をあわせ介助に関する費用が一人月三〇万円余になる★25。だが、これだけを得ているのは都内で数人にすぎない★26。
これらの制度のもと、彼らはどのように介助を得ているのか。最大限二四時間の保障が必要であるとしながらも、支給額はその時間を埋めるには足りず、したがって、ボランティアと併用して有料の介助を利用することになる。初期からこの制度の設立・拡大の運動を行ってきた人々の間で、重要な役割を占めるのが、「専従」「専従介助者」と呼ばれる人達である。彼らは主に安定的な確保が難しい日中の時間を担当する。これは、学生、主婦らの介助者を得にくい時間があり、それを埋めるためには、他の仕事をしながらというのではない人が必要だというところから生まれた。とすれば、その人の生活は介助に対して払われるものによって成り立たせなくてはならないことになる。介助者の具体的な併用の仕方、支給されたものの配分については、有給及び無給の介助者達を含めた話合いの中で承認がえられる。また問題点もその中で話し合われる★27。
 例えば、ある人は、週二日計一六時間の介助を得て、月六万円を払っている。それ以外の人には交通費など、かかった経費が支払われる。専従者には男性が多いが女性もいる。年齢は二〇〜三〇代である。大学を卒業後専従介助者になった人、失業して引きうけた人等、ほとんどがそれ以前にボランティアとして介助を行っていた人達である。当然、現在他に定職はない。例えばある男性は、三人(二人に対して週一日、一人に二日)の介助を行い、週六二時間で月一三万円(一時間あたり約五百円)を得ている(八七年)。他に収入はなく、また怪我、病気の時の保[p257]障があるわけでもない。当然、職業として割のあう仕事ではない。あえてそれを引き受けようとしてこの仕事を行っているのだが、むろんその収入に満足しているわけではなく、事故・病気の時の保障を含めて、安定した生活を営むだけのものを得たいという希望を持っている。★28
 このような介助保障の形態の長所は、選択権が利用者に帰属するため、自律性を確保しやすいことである。そして、利用者自身が他者との関係を作り、その関係の変容を求める、その可能性がある。
反面、介助者の全過程が専ら個人に委ねられる場合の問題点としては(ボランティアを得る場合でも同じだが)、誰もが自ら一人の力で介助者を調達できるとは限らないことがあげられる。重度でコミュニケーションが困難であるといった場合、特にその問題は大きい。また介助する側にとっても、生活の不安定さの問題があることは右になげられた通りである。
 [p258]そして、この形をとる場合――この場合に限られないし、また必ずそうなるのでもないが――、比較的長時間また長期間同じ人が付くことがある。この場合、数時間ずつめまぐるしくいれかわる体制をコントロールする煩わしさからは逃れられる。だが、一人に対して一人、あるいはそれに近い体制がとられることになった時には、肉親との関係にも少し似た、一人対一人の問題が生じることになりはしないか。ここで行われている介助は有償ではあるが、それによってだけこの関係が作り上げられているわけではない。それは関係の形成と問題の発生とどちらにも向かいうる。また、介助する側からこれを見れば、主導性が利用者にあることは、仕事の内容、特に時間帯に関して時に無理がかかることになる可能性がある。多くの場合「労働条件」が細かく取り決められているわけではない。うまくいっている間はよいが、うまくいく関係ならよいが――もう十年以上にもなる組み合わせが実際にある――、いつもそうはいかないとすれば、向かい合う関係の中で出される問題の解決はなかなか難しいところを含んでいる。集団の中で関係を考えいく、機関を介するといった次節にみる試み、あるいはそれに対する期待は、このようなところからも来ているようだ。
 次に具体的にどのような制度として保障を実現していくのか。自治体の制度の場合、述べたように自治体間の格差が非常に大きい。八七年に東京都は、「月三一日介護保障について、その実現に向けて努力する」という文書での確認を行った★29。これが実施されるなら、時間あたりの単価の問題は残るものの、一定の保障が受けられることになる。だが、他の多くの自治体にはこのような制度はない。このことは当事者たちにももちろん自覚されており、各自治体で要求運動がなされるとともに、全国的な制度として生活保護の他人介護料の拡大が目指されている。けれども、あくまでこれが生活保護という制度の中のものであること、特に特別基準については厚生省がその拡大に全く積極的でないことが、それを困難なものにしている。現在の自治体間の格差をどう調整して、全国的な制度を作り上げていくのかという、現実に運動を進めていく場合にどうしても生じてくる問題が残されている。
 [p259]だが事態に進展がないわけではない。第7章の最後に述べたように、年金による所得保障の運動が、ともかく実現はしたものの年金制度の大きな枠組みの中で次の一歩を容易に見い出しえない状況にある一方で、この動きにはむしろ消極的で介助保障を一貫して要求し、ここまで述べてきた制度の獲得運動の中心にいた人達は、次は介助保障だ、という認識のもと、年来その構想があった全国的な組織、「全国公的介護保障要求者組合」を八八年九月にともかくも旗揚げし、活動を始めた。求める人全てが地域に住めることを基本に、家庭奉仕員の週十八時間の制限いっぱいまでの派遣、他人介護加算の増額と枠の拡大、等、当然過ぎるくらい当然なところ、ともかく可能なところから要求するとともに、将来的には新しい全国的な介助制度の確立を目標として、厚生省との交渉等と開始し、継続している。厚生省にしても、施設一辺倒の政策からの転換を計り、介助の問題に対する対応を迫られているから、双方総合的で具体的な案を今のところ持っているのではないが、交渉の場はともかく成立している。「組合」の現在の構成員としてはやはり東京都に住む人達が多いのだが、地域間の格差をみながらの運動が始まってはいるのである。★30

[p260]5 媒介機関

 集団的に、あるいは機関を介して介助者を得ようという試みがいくつかなされている。これは、一人一人が介助者を探す場合の調達の難しさを軽減しようとする。と同時に、その機関に対して十分に障害者自身の参加が保障されるなら、生活の自律性を確保できる。この方法が接続されるのは2と4−2である(ただ、支給される介助料だけを使うのでなければこれに限らない9。4−2の場合、媒介の業務を行政が自ら行えば4−1に近いものになる。
 七〇年代に始まった先駆的な試みとして、地域の障害者の集団の中で、幾人か分の介助料によって生活する介助者を決め、利用者と介助者を含む討議の中でその方向を討議しつつ、介助の具体的な調整も行うという形がある。このような方法で介助供給を行い、それを発展させようとしてきたのが、練馬区及び北区の在宅障害者の保障を考える会、三多摩自立生活センター、等である★31。彼らは、介助料を行政に対して一貫して要求し、実現させてきたのだが、それを利用して、数人の障害者に対して数人の専従介助者を決定し、彼らに対して介助料を払っている。
 そしてそれを発展させ介護人派遣センターを設立することが――運動が早くから始まったところでは、ほぼここ十年来の――目標となっている★32。だがそこへの移行は必ずしも順調にいっていない。それはまず、彼らの運動の中心が、行政に対する介助料の要求運動としてあった、あらざるをえなかった分、組織化が遅れたことによる。そして、W−2に記したような問題を含む、個々人に対する介助体制として始まった形態を集団的なものに移行させる際に生じる難しさによる。また、前章でも見たように、このような運動とともにある関係においては、運営の理念の不一致は、それが小さなものであっても、大きな影響を及ぼすことにもなる。だがより大きな要因は、彼らの一致点において、次にみるような「安上がり」な介助労働の調達に容易に組することができないということにある。[p261]ボランティアによる介助を受けながら、それでは不十分だというところから始まったのだから、有料とはいってもそれとほぼ同じ層による介助体制では足りない。また地域福祉という名のもと、その地域の人に実質的な労働を保障しないあり方に批判的だからでもある。こうした認識から介助機関を組み上げていくことの難しさがある。ゆえにここへのこだわりがない、あるいはそれをいったん棚上げした機関の方が現実には一歩前に進む――といっても介助の総時間数については今でも専従者を共有する一つの集まりの方が次にみる一つの機関の提供する時間数より多いはずだ――という事態が生じている。そうした中で、広範な人が利用できる制度とするために、次にみるような媒介機関をまず作り上げてしまうことも、戦略的に必要ではないかという考えも出てきつつあるようだ。
 その、発想としてはこれらの後、これらと別個に現れてきた第二の型の機関は、さらに独立した第三者的な性格を持つ。これらは一般に、利用者と介助者を登録し、時間あたりの報酬を設定し、この機関を媒介して、利用者から利用料を徴収し、介助者に渡すという形をとっている。
 日本に今あるものの多くは高齢者を中心的な対象としている。その先駆けとなったのは、東京都武蔵野市が主導して八〇年に設立された「武蔵野福祉公社」である。利用者は月一万円の基本サービス料で、ソーシャルワーカーによる月一回以上の訪問、看護婦による月一回以上の訪問、緊急時の対応といったサービスを受ける。それに加わる個別サービスとして、家事援助・介護サービス(一時間七百円以上、内容に応じて加算) 、食事サービス(調理したものを自宅へ配食、昼食・夕食一食あたり九四〇円) 、他がある。支払いは現金あるいは不動産担保による。[p262]後者が注目されたが、実際には八割方が現金による支払いである。これは公社を通じて協力員に渡される★33。
 また、行政主導でないかたちで始められた先駆的な組織としては八三年三月に設立された「神戸ライフ・ケアー協会」がある。依頼者は時間六百円と交通費を払う。一二〇円は事務費、一二〇円は事務所預かりの貯金(時間貯蓄)として将来自分が依頼者となったときに支出される。残り三六〇円が介助者に支払われる★34。
 障害者のためのこういった機関として知られるのは、合衆国の自立生活センター(CIL)である(↓第2章)。合衆国での障害者の介助の大きな部分は雇用関係としてあり、利用者個人による直接的な雇用もある★35が、一般的にとりうる方法ではない。障害者の自立を促進するために各地に設立され、公的援助を受けつつ、障害者自身によって運営されているCILが行っている主要な活動の一つに障害者と介助者の媒介がある。賃金としては、ほぼ最低賃金に準ずる額を利用者が支払い、センターは介助者と利用者を登録し、両者を媒介する。介助費用は利用者自身の収入あるいは自治体・国家から支給される。また、ボストンCILでは、センターが必要な時間を算定し、時間表を受け取り、行政の窓口に提出し、医療扶助を代行して受け取り、利用者に支給するという活動を行っている。
 このような合衆国と日本特に神戸での試みを参考にしながら、障害者によって創設され、運営される、障害者の介助供給を主目的の一つとする団体として、八六年に発足し、同年九月から介助サービスを始めた東京都八王子市の八王子ヒューマンケア協会がある。★36
 八八年度の終わりに、正会員が二二五名(うち利用者九二名・ケアスタッフ八六名)、賛助会員(資金面での協力)一三九名。八八年度の活動をみると、総活動時間が八一四五・五時間、依頼回数は二八一一回、依頼人数は月平均三四人ほど、ケアスタッフで実際に活動しているのが月平均五三名ほどである。利用者によって支払われるのは一時間あたり六百円と交通費で、そのうち百円は事務費になり、また特に必要でない人については百円を介護預託 (それを後の自分の介助に利用できる) にまわしてもらいこの場合四百円がケアスタッフに渡る。会員費は正会員入会[p263]金千円、年会費三千円、賛助会員は一口五千円。八八年度は、東京都が始めた東京都地域福祉振興基金からの助成が五六〇万円余り、他の助成金を含めると助成金が一二七〇万円ほどの収入全体の半分以上を占める。介助料から支払われる事務費は八〇万円ほど、入会費、賛助会費を含めた会費は七四万円ほどである。スタッフとしては常勤(週四日以上)職員四名と、非常勤の職員が二名いるが、常勤職員のうち三人に給与(多い人で月手取り約九万円)が払われている他は、交通費が払われているだけである。全員が自ら障害者である。また規約上、運営委員の過半も障害者であることとなっている(八九年は八名のうち六名)。ケアスタッフの五五%は主婦、他に学生、無職の人等、この仕事だけで生活している人はいない。対象は障害者と高齢者、長期療養中の人、などだが、全身性障害者の場合、ここの利用によって介助の必要量を全てまかなっているという人は多くない。六五歳以上の高齢者の利用[p263]の割合が八七年度の二〇%前後から、八八年度の三三%に増えている。
 武蔵野市と神戸の試み以降設立された機関は、民間の設立・運営によるもの、その中でも自治体からの援助を受けているもの、いないもの、社会福祉協議会によって設立・運営されているもの、自治体によって設立・運営されているもの、形態は様々だが、近年その数は急激に増加しつつあり、八七年六月の時点でも一二〇以上を数えるという★37。その多くが専ら高齢者を対象とするものである。★38
 こうした機関に共通する特徴は何だろうか。例えば、ヒューマンケア協会は、合衆国のCILの活動に影響を受けている。だが、そこには重要な差異がある。合衆国の場合、介助は基本的に賃労働と捉えられている。そして、その賃金が低く――とはいえ、生活費が日本に比べ安いから生活していけない程ではない――雇用が安定していないにもかかわらず、介助の供給が可能なのは、かなりの程度、失業率の高さ、人種問題を背景としている。このことによって、その介助者の層は、性別を問わないし、またその賃金によっては希望の人種、経歴の介助者を雇うことができる。同時に、このような事情によって、介助者の質の問題 (盗難、等) が時に生じることにもなる。
 他方、日本の場合、実質的にそれを担うのは、子育ての終わった専業主婦層に限られる。月の時間数、時間あたりの報酬によって、そうでしかありえないのである。また、多くの介助者は報酬だけをあてにして介助を行っているわけではなく、この活動に入いる動機はボランティアの場合とそう変わらない。報酬を求めてやってくる人もいるが大抵そう長くは続かないという。その報酬はいわゆるパート労働で得られる程度、多くはそれ以下であり、しかも仕事は時にはかなりきついものになる。ここで有償であることはどういう意味を持つのか。まず、利用者の側においてやってもらっているという引け目がなくなること、それなりの責任を負わすことができることである。しかし報酬が実際には十分に報酬として機能しないのなら、これもかなり微妙なところだ。払われる報酬はとにかく払っているからという多分に象徴的な意味合いを帯びる。こうしたあり方は時に「有償ボランティア」といった言[p265]葉で表現される。これに対する批判の一つは、あくまでボランティアは無償であるべきだということである。けれども、これまで述べたきたように、ある活動が有償であることと、ある活動に対価を得るための手段というのと別の意味を求めることとは決して背反しない。むしろ、有償であるか無償であるかということがこの社会の中でどのような効果を生じさせるのかという点が重要なのであり、またどのように有償であるのかが問題なのである。
 再度確認すれば、ここであげた二つの形の間の重要な差異の一つは――実際には支払われる時間あたりの額はそう変わらないのだが、その目指す方向の違いとして――介助によって生活できる人をおくのか、生活の中の空いた時間を介助に当てる者を主要な供給源とするのかということである。前者は、国・自治体による介助費用の支給を[p266]求める要求運動と一体となって進んできた。むしろ、それに今までの活動の大半が費やされた、その分実際の組織化は遅れがちだった。後者は、その供給については組織として特に運動を行っているわけではなく、ともかく、人がいないという状況――ある場合には金はあるが人はいないという状況――を打開するために始められた。このことをどう考えるか。これについてはこの章の最後で検討しよう。

6 ケア付住宅

 直接には介助の形態の一つと呼べないが、それと関わるものとしていわゆるケア付住宅がある。典型的には、比較的小規模の障害者の集合住宅を作り、そこに介助者が常駐して介助にあたる。
 日本でケア付住宅建設運動の先駆けとなったのは、前章にみたように、東京青い芝の会だった。そしてその際、参考にされたのが、スウェーデンで六〇年代以降建設が進められたフォーカス住宅と呼ばれる居住の形態であり、他の国の小規模施設である。フォーカス住宅は、六三年に設立されたフォーカス協会によって実験的に建設さされた改造された集合住宅で、常駐の職員がおかれるともに、ヘルパーが訪れ、重度障害者の生活の場となる。この試みは成功し、七五年には運営が地方自治体に移管された。★39
 ただ、いま日本にあるいくつかのケア付住宅での介助体制は様々である。そもそも、介助供給の形態は、ケア付住宅と言う限りでは限定されず、したがって、様々な形態のどれをもあてはめることができる。まず、いくつかのケア付住宅についてその建設の経緯と介助の体制について概要を記すことにしよう。★40
 七三年にこの住宅を東京都に要求した東京青い芝の会では、七五年、会員の秋山がイギリスを中心としてヨーロッパを旅行し★41、ここで得られたものも参考にして、構想を具体化する。七六年に調査費が計上され、以後十八回に[p267]亙る検討を経て、七八年三月に「ケア付き住宅設置構想について」という報告が出される。これを受けて東京都に建設運営委員会が設置され、八一年七月に「八王子自立ホーム」が開所する★42。彼らは、当初、この居住空間を都営住宅の中に建設することを要望したが、それは結局果たされず、独立の建物として運営を開始した。ここでは職員一名が一日約一二時間の間介助を行う。必要な介助は入居者によって多様である。
 これにも刺激されて次にケア付住宅建設の運動を始めたのは「札幌いちご会」である★43。この会の活動は、脳性マヒ者の巨大コロニー「北海道福祉村」建設の計画に自らの主張を反映させることを目指して七七年に始まった。彼らは福祉村の中に個室を作ることを要求するとともに、七八年にそれが可能なことを一か月の合宿による実験で明らかにする試みを行う。また、七九年にはメンバーの小山内がスウェーデンでのケア付住宅の状況などを実際に確か[p268]め、帰国後は一般の住宅に住み、ケア付住宅の現実的な可能性について実験を続けていくとともに、その建設を北海道に要求する運動を行った。★44行政の対応は当初積極的ではなかったが、継続的な働きかけの結果、八五年に北海道は「障害者の生活自立の促進について」という報告書を出し、それをうけて八六年に道営の重度身体障害者ケア付住宅が開設された★45。一〇名が入居し、そのうち身辺介助が必要な者が四名、調理・買物に介助が必要な者が各二名いる。市と北海道から合わせて年に一八〇〇万円の補助を受け、時間あたり七五〇円が介助者に支払われている。(八八年)
 この他にいくつかの自治体で検討されているが、障害者の側から積極的な運動がなされ実現したものとしては、横浜市及び神奈川県のものがあり、その運動の始まりについては一部前章に述べた。
 横浜市では、「ふれあい生活の家」の建設運動が独自に進められ八四年に開所していたが、市の側では八三年九月横浜市在宅障害者援護協会が「グループホーム研究委員会」を設置し、八四年一一月に報告書を提出。八五年八月に「横浜市障害者グループホーム試行事業補助要項」が出され、「ふれあい生活の家」が試行事業として制度化された。脳性マヒ者六人(男性二名、女性四名)が、一人一人の必要に応じて改造された個室に入居している。食堂は共用。二階に職員二人が家族と住み、介助、運営の協力にあたる他、他の職員三名のうち一人が交替で泊まる。入浴時、通勤する職員のいない土曜の夜から日曜日にはボランティアがはいる。登録者は六〇名、交通費が一日あたり千円支給される。学生、労働者、かなり遠くから来る人もいる。(八七・八八年)★46
 神奈川県では、八四年七月に「ケア付住宅基本問題検討委員会」が発足し、その中間報告を受けて、八五年十月には県のケア付き住宅試行事業が開始され、八六年、平塚市、藤沢市、相模原市に神奈川県の試行事業としての「ケア付き住宅」が開設される。その一つ相模原市の「シャローム」★47は、民間アパートの一階の四室が障害者に便利なように作られている。四人の脳性マヒ者が入居。ダイニング・キッチン、トイレ、風呂は共用。介助人グルー[p269]プ「グループ・シャローム」がある。現在登録者は約百名。時給六百円が支払われる。近所の大学生、主婦が大部分を占める。だが、主婦層について、他にみられるように、子育ての終わった年齢層が中心ということはないようだ。入居者一人あたりの介助の時間は一日二時間程度である。コーディネイターと呼ばれる人が二階に住んで、市から一定の報酬が出されているが、実際に介助にあたるわけではない。(八八年)
 このような方向は、審議会でも取り上げられ★48、国のレベルでの取り入れも徐々になされつつある。改正された身体障害者福祉法に規定された、「福祉ホーム」がケア付住宅とされる★49。この制度の適用を受けて建設された住宅は[p270]八八年現在、全国に三つ、定員は六五名である★50。
 だがこの制度では運営費は出ないし、入居者は「常時介助、医療を必要とする状態にある者を除く」とされる。入居者の選考は運営主体にまかされるからこの規定は実際に適用されるとは限られないが、少なくともこの制度自体には介助の保障はない。基本的に個々人に支給されるものを使用して、あるいは彼ら、彼らの集団が自力で、どこからか介助者をみつけてこなければならない。この制度を利用して八七年四月に開設された仙台市の「ありのまま舎」★51の場合、職員は一人、自分自身でボランティアを確保できる重度障害者に限って入居を許可している。入居者は一切介助を必要としない人から一部介助を必要とする人、すべてに介助を必要とする人と多様である。
 このような試みに対する評価は様々だが、あくまで一般社会での生活を、という側の捉え方は懐疑的、あるいは否定的である。だが、その際、いくつかの試みを必ずしも一括して論じることができない。というのも、介助の形態だけでなく、その目標、それに応じたその形態が多様だからである。まずそれを明らかにしていく必要がある。
 この形態は、彼らが批判の対象にしてきた収容施設に比べ、個室で生活でき、生活形態の拘束も緩いという点で確かに前進と捉えられる。けれどもそれは、一般の住居では普通に認められることである。何故ケア付住宅なのか。
 第一に、居住空間の改造、機器の導入などによる自分でなしうる行為の範囲の拡大である。とすれば、介助にあたる人との関係の問題も極小化される。
 第二は、介助に関係する。ここで介助を行う人は、職員、ボランティア、ある程度の報酬を得るいわゆる有償ボランティア、家庭奉仕員と多様であり、またその財源としても、自治体からの援助の他に、年金、特別障害者手当、生活保護の他人介護料、私達が今までみてきた、あらゆる形態がここにみられる。それに集住という形態が加わるのは、常時そばに人がいるのではなく、定時に、あるいは緊急の時に、介助者が訪れる、その際に、利用者が集まって住んでいること、介助者が近くに――多くの場合は同じ建物に――住むのは好都合だという点においてである。[p270]次に、幾人かが集まって住んでいるため、介助者を得るための活動を集団的に行うことができる。そして同じ理由で、一度に必要な介助者をある程度減らすことが可能だ。このことは、特に夜間など待機体制をとる場合にいえる。
 そして第三に、ケア付住宅は、生活をともにしながら、ある目的を共有する集団として、集合的な力を獲得しようとする試みでもあった。一人一人が生活する限りでは社会的な力にならないのではないか。少なくとも、ケア付住宅に多くの人が入れるわけではない以上、入居出来た人達は、それに自足すべきではなく、その運営を積極的に担い、また、それにとどまらず多くの障害者の生活の改善に向かう活動を行うことが望まれたのである。
 以上が、東京青い芝の会の主張として、ケア付住宅と結びつけられた。できる限り他者の介助を減らすことにより自律性を確保する。他者が常に自らの生活に関与することは煩わしく、必要な時に来るという形の方がより好ましい。というだけでなく、彼らの主張には、そもそもできる限り自らの力によって生活することこそが自立生活であるという考え方が含まれている。これが第一、第二の点と結びつく。そして改革への志向が第三の点に結ばれる。
 八王子市での試みを参考にしながら、その後に出来たケア付住宅は、以上とは少し異なった性格を持っている。横浜市での試みは、一つにはともかく、住む場所がない人の生活の場を確保するためのものだったが、また、彼らの運動によって、ようやく少しずつ現れてきた一人で生活する人達が、その生活を十分に統御できないという問題にも促されたものだった。以前なら、様々な道を通って、何とか生活術を獲得し、介助者を操縦するすべを習得してきたのだが、それを全ての人に、とくに養護学校の中で他の社会との接触をあまり経験せずに過ごしてきた人達[p272]に要求することはできず、事実、生活時間、食の問題などで、健康を害する人が出てくる。横浜市のケア付住宅は、そういった人達が生活の術を習得する場所としての意味を持つ。相模原市での試みもこういう側面をもっている。このような目的をもつ場所は、一人一人が自らの場所で自らの場を維持していく生活の場所とは、性格が少し違う。
 以上を確認した上で、ケア付住宅はどのように評価されるのか。
 第一に、設備の充実。たしかに民間の借家、アパートでは難しい。だが、それは原理的な問題ではない。公営の住宅を改造可能なように作ることはできる。そして、その経費は、ケア付住宅を建設するよりも余計にかかるということはない。そして、特に重度者の場合、他者の介助、直接他者が傍にいる時間を少なくすることには限度がある。とすればやはり、そこでの問題は消えるわけではない。
 第二に、集まって住むということ。なぜ、形態であれ集住という形態がとられるのか。それは結局のところ、介助の問題に帰着する。だが、常時利用者のそばにつくのでなく緊急時にだけ対応することも個々の場所に住む中でできなくはないし、実際に行われている★52。この集住の形態が、コストの論理によって肯定されるとすればそれは、結局のところ、大規模施設――後にはかえってその方がコストがかかることが認識されるのだが――の建設を肯定する論理と同じということにならないのか。また集まって住まなくとも、集団的・組織的に介助者を調達していくこともできる。それは今まで見て来た通りだ。
 第三に、意識、あるいは生活の仕方に関わる場面。まず、集団性の獲得という志向。だが、この運動が障害者一般の居住の条件の改善を目指し、それが公的な政策としてなされるのなら、最初からそして長期的に、目的志向的集団を形成・維持することは難しい。個々の生活の中で自足してしまうことを、こういった形態の集住によって抑えることはできないし、またそもそも抑えるべきかどうかも問題である。そして、公的な政策としてなされる場合、あるいは資金が提供される場合、入居者の選考基準を個々人の信条、志向に求めることには無理がある。そしてま[p273]たこの時、自らの独立した空間の要求とこれとは、矛盾しないまでも必ずしも整合しない可能性が出てくる。★53つまり、様々に交流し情報を交換する場所が必要であるとして、そしてそれが現在あまりに少ない現状をみれば新たに作ることにも意義があるとしても、それを生活の場とすべき理由はみあたらないのである。
 次に、より限定された生活技術の習得の場として。この場合、基本的に、ここでの居住は自分自身で住むための前段階、次への移行過程の中に捉えられる。実際には次の場所への移行がなかなか難しいから長期的な居住の場になることが多いとしても、それは本来の居住空間とは別のものである。このような場所が障害者の居住空間の全てを占めることはそもそもありえない。また、このような習得・訓練の機会・場所が居住の場所として与えられる必要が常にあるのかどうか。事実そうした試みは居住の場とは異なる様々な場所でいまなされつつある★54。
 こうしてこの居住の形態は、訓練的な意味あいでとらえる場合にはその機能は限定され、居住空間としての意味[p274]は薄れることになる。また志向を共有する共同性としてとらえる場合にもまた、それが居住空間としてあるべきかという点、等が問題になる。また独立性を重視する場合には、集住という形態は少なくとも積極的には支持されがたい。そして何より、数十万人の人が介助を要するとすれば、第一に要請されるのは、今住む場所、そして独立して住む一般の居住空間に対する援助であり、――障害者に限られないが――居住空間の一般的な保障ではないか。例えば障害(並びに国籍等の属性)を理由とする差別である入居拒否を禁止する立法措置であり、また不条理という他ない公営住宅への入居制限(↓第2章注8)の撤廃と、障害者が利用可能な公営住宅の増設、等々である。
 事実、こうした中で、ケア付住宅の建設運動に関わってきた人々の間にもその意義を限定的に捉える方向が出てきている。4・5にみた試みの新たな事例としても、また4・5・6にみた論点の交錯について再度考えるためにも、札幌いちご会の活動をみよう。いちご会は注53に述べたような事情、ケア付住宅でのケアが必ずしも満足のいくものでなかったこと、なによりいくらケア付住宅を設置していっても到底介助を必要とする障害者全体のものにならないという認識から、ケア付住宅開設の後、@八六年末、ケア・サービス、住宅紹介、カウンセリング、移送サービスを行う合衆国のCILに比較的近い機関設立のための自立生活基金を得る募金活動を始めるとともに、Aまず幾人の障害者の集団(民間アパートに何人かが集まるという形を想定)に対して介助保障を行うという「グループ・ケア」制度を構想し、八七年以降札幌市に働きかける。だが、特定の団体に助成は出来ないとされ結局果たされず、また、この形にしても障害者全体のごく一部のものにしかならないという判断からこれを取り下げ、B八九年四月から、会の専従職員三人(給与月十万円)を中心とした(他に主婦・無職・学生各一名)介助者による介助サービス(一時間四百円+交通費百円、宿泊一泊千円)、及び移送サービス(一時間四百円+実費)を始める(開始後七五日で、十六人の利用者に対し介助七六二時間、宿泊七五日、移送九七回・二千キロ余)とともに、同年、C東京都の介護人派遣事業を参考にした「全身性障害者介助人派遣事業」の設置を札幌市に対して要求する。[p275]東京都の制度と異なっているのは時給制にするとしていることで、市長宛ての要望書ではパートタイマーの主婦の雇用対策になることも指摘している。時給制は介助を必要最低限のものにしようとする意図からも来ている。会員の小山内はできるだけむだなケアをなくすため、曖昧なボランティアや専従職員をやめ、生活保護の他人介護制度、特別基準もケア制度として曖昧であるがゆえすべてなくし――実際にはこれら全てを活用せざるを得ないでいるのだが――、必要なケア時間によって介助料を設定するきめ細かな制度にしていくべきことを述べている★55。以上には第一に、ケア付住宅の限界に関する基本的な論点の一つが出ている。第二に、4・5にみたあらかたの要素が取り込まれている。第三に、介助の極小化という志向がある。これは、前章にもみた、介助保障要求を過剰で非現実的と批判した東京青い芝の会の主張であり、この会がケア付住宅建設運動においてもとった発想であり、またここと人的にも交流のあったいちご会が、自らのケア付住宅建設においてもその基幹に据えた発想であって、公的介助保障を要求する運動とかつて年金改革に力を集中した運動との「対立」あるいは後者の前者に対する「不信」――と思えるのだが――の構図を引き継いでいる。またこれに関連するものでもあるが、第四に、時給制、主婦のパートタイム労働としての介助という線を明確に打ち出している。第三、第四の点について、私達はまだ自らの見解を――第三の点に関して他者の介助はなくならないという当たり前のこと以外――述べていない。これは最後の節に残そう。
 [p276]ケア付住宅に戻ろう。ケア付住宅への志向は、状況に促され、今後もなくなりはしないだろう。また、今述べてきたいくつかの機能が充たされるべきだとすれば、その場所が必要だろう。だが、その際には、機能と形態とを明確にした上でなければならない。でなければ、従来の施設より良い施設ができるだけだという可能性がある。それは必要なことだとしても、改善が次の一歩を促すものでなければならない。障害者だけが集まって一つの場所に住み、それだけで特別のところになってしまうならば、それは結局施設とさして変わらないということにならないのか。まず普通の場所に住むことを優先させるべきではないか。それを前提した上で、どのように生活を組み立てていくか、考えるべきではないか。こうして、施設ではない一般社会内での生活をできる限り求めていくなら、この形態はその固有の色彩を薄めていくことにならざるをえない★56。そして、他者の介助の問題は残る。自立生活の運動の視点からはこのように言えるはずだ。そして現実の大筋はそのように進んでいると私達には思える★57。

7 小括

 こうして、いくつかの介助の形態が試みられている。その中のいくつかは実際には併用されている★58。また、その各々の全てが互いに対立するものとはいえず、ある場合には相互補完的なものでもある。だが、今まで示唆したように対立・相違点もある。それをもう一度整理し、考えてみよう。また、ここまで論じて来なかった点についてもいくつか考えてみよう。それらは社会福祉・社会保障政策論として論議されている諸点に重なり、本来ならそれをふまえて十分な論議を尽くす必要があるが、ここでは論じきれない。考える必要があると思われる点を列挙するにとどめる。だから以下には、はっきり言いたいことと、ここでは結論を出せないこととが混じっている。
 1)日常的な生活には、極力他者の介在を少なくするという方向がある。それは一定の現実性と無視しえない利点[p277]を持つが、依然としてどれほどかの人的な介助の必要が残るのは明らかであり、だとすればそこに生ずる問題もまたなくなるわけではない。また、集住によって、直接に他者のいる時間を少なくすることも可能ではあるが、できる限り社会の中での生活を目指すなら、集住という形態はその度合を薄めていくべきものだということになるし、また、うまくネットワークが作られるなら、そもそもその必要はない。だから、主要な問題はやはり、自らが選択した場所で、どのように介助を得るかということである。
 2)無償か有償か(繰り返せば、無償の介助とは家族ではなくボランティアによる介助を、有償の介助とはその資源が政治の領域から供給されることをここでは意味する)。現実的な要請として、後者を認めることがどうしても必要である。というだけではない。地域というものが、生産から分離され、それに依存するかたちで成立していること――正確には両者が相互に依存しあっているわけだが――を考えていった場合に、そしてこの社会の全域から交換を消し去ろうと考えないとすれば、有償の行為としてなされることが選ばれるはずだと考える。その上で、自律的な生活をどれだけ確保できるか、また、どれほど他者との関係の可能性が閉ざされないか、が課題になる。
 [p278]3)以上のように考えるとして、財源・負担の問題、制度上の位置づけをどうするか。ここで主題としている介助のような必要は、個々別々の人、人の状態に応じた必要である。このことから、この必要は、それ以外の基本的な生活上の必要とは一応別に考えることができる。これに一番近いのは医療の必要だろう。医療に関する制度の基本――それが保険制度であることの評価はおこう――が肯定されるとすれば、それと同様の理由で、所得保障一般の問題、あるべき所得の再分配率の問題とは別に、ここではまず必要に応じた再分配が個々になされておかしくはないと考える。生活保護の枠内にあるといった状態は基本的には好ましくない。
 国か地方かという点。財源的にみて地方自治体だけがこれを担うのは全く非現実的である。また要求する当事者の力の格差も大きい。地域の独自性の尊重が唱われ、それはそれで結構なことだが、私達がみてきた現実は、極端な地域間格差である。現状でこれが容易に解消されるとは思えない。全国的な制度、少なくとも国家財源を用いた地方自治体に対する「ことができる」という規定ではなく義務規定をもった制度が、介助制度の中核としてまず確立されることが先決だと考える。
 財源・負担の面はどうか。直接税・一般会計といった基本的な所得の再分配機構の一部としてそれを位置づける方向、あるいは保険制度や福祉目的税といったより独立性の高いものとする方向。もちろん他の税率等を所与とおいた場合、どれを採用するかに影響されて全体の所得の再分配率が変わる可能性があるが、他の条件を変えれば、どれを採用しても全体としての再分配率を同じにすることはできる。この再分配率を決定できれば、あとは制度の実効性、効率性の問題ということになる。なおこの点に関して、誰もが負担しているという意識が重要だと時に言われるが、例えば支給された年金から保険料や税を負担するということが負担している意識ということになるのか。むしろ払う人と払われる人がいて当然、ということの確認の方が重要だと私達は思う。
 次に個々のサービスに対するいわゆる利用者負担をどう考えるか。これを肯定する論点は一般的には以下のよう[p279]になろう。@持てる者は出すべきだという発想。A利用する者と利用しない者の格差の問題。家族が負担している場合もあるのに、ただで公的援助を受ける人もいるのは不公平だといった見方である。B過度の利用の抑制。この点にも関わり、C負担している意識が必要だという主張。D利用者負担がどうこうというより、政治の関与を否定する、あるいは最低限に抑えるべきだという発想。以上全てに一般的に答えられないが、Dについては、全般的に論じ尽くしてはいないけれども前章・本章でそうした見解をとらない、原則として公的負担としてあるべきことを述べた。その上で、@については、基本的には一般的な再分配政策の中で解決するべきことと考える。Aについては前章注61にも述べたが、現実がどうというより、基本的にどの方針でいくのかということが明らかにされねばならない。そして少なくともここで主題としている人達の介助に関しては、家族による負担はなされるべきでなく、本人の負担は不可能だし、なされるべき理由もない。可能性としては、一般的な所得保障として支給された中から支出するということになるが、1)の最後に述べたようにこれらは本来分離して考えるべきものだし、また2)でも述べたようにCについても意味があると思えない、すなわち自分が負担しているという不要な虚構を維持する必要はないと考える。また、利用負担ということ利用者の自己決定権とは別のことである。すなわち負担しているから決定権がある、負担してないから決定権がないと考える必要はない。そして言うまでもなく、介助者に相応の対価を支払うべきだということと利用者負担ということも別のことである(↓注11)。(以上は4)のいったん給付された現金を利用者が直接介助者に渡すという場合についても妥当する。)Bについては、公的負担の原則をふまえ、この問題は別様に解決されるべきだと考える。7)で述べる。
 4)国家・自治体が直接に介助を供給するのか、それとも現金給付とするのか。前者の場合、少なくとも現状では、介助の内容、さらにその決定権に関して、利用者側の意向が実現されにくい。だけでなく、行政機関の意向を反映し、生活の援助という以上のことがなされてしまうことにもなりかねない。後者については、個人では介助者を得にく[p280]い。前者の場合、例えば、利用者側の発言権、決定に対する参与を認めるという方向が考えられる。後者の場合には、利用者と介助者を結ぶ、利用者側の要求が反映された機関を設置することによって解決がはかられうる。こうした場合、両者の距離は、利用者自身の主導性を確保する方向に、小さくなる。この介助の供給・媒介機関の性質の問題は5)で考えよう。またこれは現実の問題としては、介助者の位置づけ、具体的には報酬の問題(現在は前者の給与の方が高い)でもある。これについては6)で考えよう。ここでは、介助という行為が@特定の行為であると同時にA価格と担い手そのものは固定的ではないという点と、B貨幣が本来使用の自由度をその特質とする点、しかもこの場合、C給付されたものが介助という行為に対して適正に支出されねばならないという規範、以上のかねあいを考えよう。BによってCに関して不正受給といった問題にもつながりうるし、@からも現金給付である必要はないとも言えそうだが、AとBに関して見るべき点が残っている。まず想定される価格と実際の価格との差が問題になる。それは不正受給にもつながりうるが、実際には時間あたりの単価を低くして時間数を多くするというやむをえぬ手段としてもとられる。こうした苦肉の策を取る必要がなければ、現金給付である必要はないとも言える。しかし、例えば、支給されるものに自らが上乗せしてサービスの質を求めようとするといった場合も想定しうるわけで、これはCの規範に抵触しない。また仮に価格の差を介してでなくとも、介助の担い手を――現実はともかく、可能性としては――選択できるという点が残る。これは国・自治体による派遣の場合の選択の可能性との比較というところに戻ることになる。このように考慮すべき点が多く、ここではどちらを取るという結論を出さないが、7)にみる必要量の設定がうまくいけば、現金給与も唯一ではないにせよ有望な一つの方法だと言えよう。
 5)媒介機関の性質について。当事者の発言が常に、実質的に確保されること、それが個々の場面で可能であり、実際に確保されるとともに、当事者を無視しない第三者のいる場面で解決が計られることが求められている。家庭奉仕員制度等民間企業へ業務を委託する場合にも、これは必要条件の一つであり、実態はそうなっていないこと[p281]も指摘した。今現在の状況では、当事者による機関の設立、その運営に対する公的資金援助という形が、必要な条件を満たすだろうと考えられる。ただ、先にも述べたように当事者の活動の厚みには地域による格差があり、この問題を考える必要がある。
 6)先に残した、どういう介助者が必要か、介助者が社会の中でどのような位置を占めた者であるべきかという点。まず具体的には、生活時間の空いた時にやってくるという介助者で必要が満たされるのかということである。その場合、今の状況で、その主体は既婚で職業をもたない女性になるが、まず、男性による介助の必要な場面があり、次に、特に夜間の介助が必要な場合、主婦層がそれを担うのは難しい。とすれば、生活を介助による報酬によって支える介助者の必要は明らかだ。なにより先の第二の点についての検討から、いわゆる専業主婦の生活時間の一部を専らあてる――しかも有償といういうのは多分に名目的でしかない――という形は支持しがたい。では基本的に後者に統一すればよいのか。だが、必要量・コストの面を別に考えても、広範な参加を得られる可能性があるがゆえに、また、職場であれ、家庭であれ、人が一つの場に固定されることを必ずしも受け入れる必要はないがゆえに、生活の一部を介助に当てるというかたちを除く必要はないのではないか。
 とすれば結局、併用ということになるのか。ここには両者の調整をどうとるか、という問題がある。だがその前に、併用というよりは、両者を出来る限り接近させること、連続性をもったものとすることを考えるべきではないだろうか。そう難しいことを言っているのではない。例えば、一定時間働いた場合に生活できる水準に支給を設定するといったことである。そうしてある場合には一人の働いて得たいくつかを集め、あるいは家族という単位内で合算することによって生活が可能になるような、そういう方向である。これは前章で述べたように、領域の境界を緩やかにし、可能性として全ての人が関われるような状況を目指す場合に、とられる方向である。支給のない形態を排除する必要はないが、それをはじめから計算にいれるべきではない。私達の社会は、長らく、一つのところに[p282]一生いないと損をする社会だった。しかしそれに変化の兆しがないわけではない。必要な量の介助労働の調達は困難になってきており、そのことは厚生省にとっても明らかで、給与を上げざるを得なくなっている。現存する機関で設定されている報酬は、それを賃労働と捉えれば最低賃金法に抵触し、アルバイト、パートタイム労働の価格を下回っている。これは介助にまわすお金がない中で全く仕方のないことではある。しかし、産業社会と「地域社会」の差を保存し、そのことによる「地域」への過剰な負担と、結果としての介助の質と量の低下を是認すべきではないと考える。その報酬を市場価格より低いところに固定するのではなく、むしろ目標としては、国・自治体からの支出を市場での非常勤の賃金より高いところ、常勤の労働者の賃金に相当するように設定すること、今述べた意味での「労働」とすること、政治領域からの支出を介して「地域」と地域でない労働の場との格差を縮小していくことが取られるべき方向ではないか。もちろん、常に現実から出発せざるを得ないのだから、それまで待っているというわけにはいかない。始められる地点から始めることには意味がある。しかし、介助を供給・媒介する団体、機関そのものが主体になる必要は必ずしもないにせよ、同時に支給の増額の要求がなされてよいと思う。★59
 7)個々の障害の度合によって必要量が異なる介助の場合、必要に応じてその供給、供給に要するものの量が変わってくるはずだが、それをどのように制度の中にとりいれていくか、必要量をどう算定するか。最大限二四時間の介助保障を要求する側に対して、介助を極小化しようとする考え、意外に介助の量は少なくてすむはずだといった個々人の現実に即した感覚、政策として現実化する場合の戦術に対する判断、が絡み、当事者からも、過度の要求がなされているのではないかといった疑問が呈され、どれほどの介助という点で運動は一致したものとなっていない。だが、前者の主張の基本は、介助の必要時間による地域か施設かの選別に対する批判であり、これに対して異論はない。問題の核心は、必要なだけ介助が保障されるべきだという理念を確認した上で、まず個々に応じてどれほどの介助が必要かということをどう決定するかである。必要最小限を強調する側もこの点に関して具体的な案[p283]を示してきたわけではない。またここには当然、行政に対する不信、いわれがないとはとてもいえない不信が絡んでくる。支出を切り詰めようとする側が支出を決定できるのだとすれば、それを受け入れがたいと考えるのは当然である。けれどもどうしてもこの問題は解決されねばならず、討議されねばならない。例えば、ボストンCILが、必要時間の測定、それに基づいた介助料の支給を代行していることは一つの参考になるかもしれない。★60
 公的保障を一貫した制度のもとで確立しつつ、それに関与する集団を自らの手で形成していく。この基本的な方向は認められている。だが例えば、長期的な目標として介助保障を生活保護の枠中にとどめることは誰も認めていないが、どういう制度としてそれを実現するのか。あらゆる点がまだ明確になっていない。研究者においても議論は十分に詰められておらず、このような事情は行政の側でも同じである。これまで、運動の側はいかなる場合でも地域に住めることを主張し、その中で最大限すなわち二四時間の保障をする用意があるのかどうかを迫り、行政は[p284]その場合に、施設か在宅かという選別を持ち出す、そうでなければ予算的な問題、他の制度との均衡という制約から可能な範囲を示してきたに過ぎない。しかし、地域での介助に関する政策の重要性を認めざるをえなくなっている今、行政としても政策立案の必要は認めている。
 5の終わりに紹介した「要求者組合」は、厚生省と交渉を続けている。新しい介助の制度については、双方必要性を確認するにとどまり、双方具体案がないゆえ、対立にも至っていない段階なのではあるが。「組合」側は九〇年中に案を提出したいと考えている。その際、運動側にあったこれまでの確執を乗り越えようとすれば、ようやくのことで獲得してきた生活保護の他人介護加算、特別基準を、暫定的には維持しながら、それに取って変わるものによって将来的には消滅すべきものと提案する必要があるかもしれない。また個別の必要量をどう算定するかに対する見解を提示する必要もあろう。そして、もちろんこれは一つの集団の一つの提起なのであって、年金改革の次を模索していく人々、地域での活動に専ら専念してきた人達にとっての課題でもあり、提案が様々になされるべきなのである★61。限られた場での個別的な交渉としてあった、そうでしかありえなかった議論、議論というところに至っていない議論が、制度を広範な対象のものとするためにも、広くなされるとよいと思う。
 だから、なされるべきことはまだたくさんある。だが、原則は明らかだ。まず、いかなる障害の度合でも、本人の希望する場所で生活できることである。それが可能であることは実証されている。そして彼らが提起したものを確認していくこと。私達はここにそこから導き出される方向をおおまかに示してみた。

*01 以上の検討から述べうること、補足すべきことを簡単にまとめておこう。
 社会福祉とそうでないものの境界が時にはっきりしないものに思われるのは、行為の内容について社会福祉が規定されるのか、行為あるいはそれに要する財の供給源から規定されるのかが曖昧にされることがあるからである。
 かつて政治領域においてなされる社会福祉と呼ばれるものは、経済的な困窮者を主要な対象とし(選別主義)、ここには他に援助する主体がないという現実、生存権といった基本的人権に照らしての要求、所得の再分配といった要因があった。それが今日、対象の経済的状態を問わないものとされるべきものとなってきた(普遍主義)とも言われる。しばしばこの移行が論じられる際に、「貨幣的ニーズ」から「非貨幣的ニーズ」への移行という言葉が用いられる(三浦[85]、等を参照)が、もちろんそれを字義通りにとって誤解すべきではない。必要な財・サービス自体はいずれの場合も商品として購入することが可能だからである。考えねばならないことは、原理的にこの四つの領域のどれからでも供給可能な財・サービスが、どこで供給されるか、特に政治領域においてなされることをどう考えるかである。しばしばサービスの性能(効率性・先駆性、等々)が公私分担についての議論の際にもち出されるが、それが行為主体・行為内容に関わる議論だとすれば、必要なのはそれだけでなく、最終的に行為、行為の供給に必要な財をどの領域が供給すべきかという問題である。なお以下では取り上げられないが、『そよ風のように街に出よう』41(90年)から連載の「障害者と介護保障シリーズ」が重要であることを付記しておく。
 本論では簡単に家庭、本人の支出の場合を除外したが、それは、この場合、後者については成人に対する親の扶養であること、後者については事実上不可能だからである。ただ介助一般についても、例えば医療に関わる制度と同様には考えられるはずである。他の場合にはまた別途の考察が必要である。第7章注61・本章14で少し関連したことを述べた。
*02 ボランティアという言葉につきまとう慈善、施しのイメージから、介助者もまた介助される側もボランティアという言葉を使うことは少ない。なお、ボランティアについての文献を集めたものとして、高森・小田・岡本編[74] (七三年までの文献の一部再録と解説付きの総目録) 、小笠原・早瀬編[86] (七四年から八四年まで)。
*03 国立市なら、近くの一橋大学、東京学芸大学などの学生が大きな部分を占める。このような傾向は全国的なようだ。ただ少ないが、中学生・高校生が介助を行っている例もある(小山内[81A]、等)。
*04 例外的だが、介助者の八割ほどを労働者が占めている場合がある(当然平日・日中の介助が難しくなり、有給の介助者が日中の介助を担当している)。他の場合は、労働者の占める割合はせいぜい一〜二割である。
*05 不特定多数に住所と生活を明かして支援を呼び掛けることは、特に女性の場合、時に危険で、そのため、こうした活動をやめた人もいる。
*06 学生のサークルもあるが、数は多くないし、それに対して利用者は必ずしも肯定的というわけではない。主導権がしばしば介助者の側に移ってしまう可能性があるからである。
*07 私達が知る限り、この男性が最も重度の障害を持ちながら、一人で生活している。施設では、トイレの時以外は車椅子を動かしてもらえず、放置され、喋れず、手がきかないためタイプの購入をもとめたが、それが認められるまでに十年、また電動車椅子の購入が認められるまでにやはり十年かかったという。
*08 くにたち・かたつむりの会[78]。ただ現状はやや複雑で、高齢者等に関して、性分業を反映し、男性の場合、ある部分までは男性の介助より女性の介助に対しての方が抵抗がないということが多く、それが女性への極端な方よりを大きな問題として顕在化させていないということのようだ(八王子ヒューマンケア協会での聞き取りによる)
*09 第2章で都市部に集中している要因について少し述べた。そこであげた第四の条件に関し、後に紹介する神戸ライフ・ケアー協会では、介助者は意図してあまり近くに住んでいる人にしないように配慮しているという(聞き取りによる)。
*10 「感謝の気持ちを忘れない」は、「自分でできる限りする」とともに、彼らが第一に教えられることだ。立派な障害者に関する報道は、ほとんどいつも「明るい性格」を強調する。そして何よりの問題は意思の疎通が困難な人の場合である。
*11 無償で介助されることに対する引け目があげられることもある。これを有償化の主要な要因としているのは、高齢者を主な対象とする神戸ライフ・ケアー協会(後述)である。この書で取り上げる人々の場合、そもそも社会的な保障自体に引け目を感じていては彼らの生活が成り立たないが、特定の人が無償、あるいは少ない謝礼で介助を行うのに引け目を感じることはありうる。
*13 「「重度障害者の二四時間介助を、労働として保障すべきだ」という運動も、今は盛んになりつつある。それは確かに大切なことだと思う。…「ハンディ」は、その障害者個人や家族だけで補うのではなく、社会的に補われなければならないのだから。だが、私はあえて時期尚早ではないか、といいたい。障害者と健全者の個人的な「介助を媒介とした生活の重なり合い」を、まずあちこちで作り出すべきだ。そうすることで、車イスを押したり、盲人の案内をしたり、言語障害の人の言葉をじっくり聞いたり、ということが、誰にでもできるようになるのだろう。そうなった時、社会は、かなり障害者を含んで回転していると思う。そうなる前に、「介助」を「労働」として位置づけてしまうことは、「介助」をごく一部の専門家の仕事としてしまう。そして大多数の人々は、相変わらず「車イスなんて見たこともない、押し方なんてわからない」ということになってしまうだろう。」(堤[80:19])
*14 例えば家族と市場の関係については、家事としてなされていたことの購入という事象、家事労働と賃金労働との関係をどう考えるのか、といった問題として現れてくる。もちろんこうしたことに関しては様々に指摘がなされてきたのだが、例えば、男性だけが専ら職業労働に携わるという状態とそうでない状態、家事労働が商品として購入される様々な場合、これらが経済的、社会的な見地からどのように評価されるのか、さらに相続といった現象が存在したり、家族と市場とはいささか奇妙な関係にあるように思え、それはここで問題にしているようなことの負担の主体を巡る議論とも関係するはずだが、その関係を、現状を前提するというのでなく、原理的なところからどう捉えるのか。なされていないはずはないのだが、こうした基本的な点についての論議をみることができなかった。社会諸領域への行為の配分の問題を全般的に検討するためには、こうしたところをはっきりさせながら検討する必要がある。第7章注61も参照のこと。一つだけ指摘すれば、行為が市場に乗る場合には、その価格の問題、それに関わって行為を購入する側と行為を担う側各々の層、その間の格差が当然問題になる。私達のここでの主題に限定して、不十分ではあるが、後に触れる。
*14 「市町村は、社会福祉法人その他の団体に対して、…日常生活を営むのに著しく支障のある身体障害者の家庭に…奉仕員を派遣して日常生活上の世話を行わせることを委託することができる」(身体障害者福祉法第二一条の三)。法律としてあるのはこの条文だけのようだ。厚生省がホームヘルパー制度に国庫補助を行うようになったのは六二年からで、それまでは長野県、大阪市、東京、名古屋市などが、自治体の単独の事業として実施していた。六三年には老人福祉法が制定され、老人家庭奉仕員事業をはじめた。実施主体は市町村だが、派遣世帯の決定・サービスの内容については厚生省に権限があった。派遣対象は心身に障害のある高齢者をかかえる家庭のうちでも低所得層となっていた(七六年からは一人暮らしで日常生活が困難な高齢者も対象となる)。
*15 病気などで一時的に介助が必要になった家庭に介助者を派遣する制度で、介護人を選定して登録しておき、障害者から申し出があった時派遣するというものだった。
*16 障害者に対する奉仕員は全体の四分の一といったところらしい(西田[88:287])。
*17 八二年の変更、そこに至る経緯等についての障害者運動の側の文献として渡辺鋭氣[82]、鈴木[82]、八柳[86]、等。八九年の変更は他に、対象として「その家族が介護を行えない状況」となっていたものが「本人またはその家族が介護を必要とする場合」とした点、等。東京都(全区市町村で実施)の各自治体の実施内容については各年度の『区市町村における障害者福祉施策の概要』(以下『区市町村』と略)参照。だがその実態はこれからは推察しがたい。この制度、制度の利用の実態については、新宿身障明るい街づくりの会[82:32-34][88:114-137]が詳しく、参考になった。
*18 今まで行ってきた入浴介助を、機械風呂 (風呂を備えた自動車に介助者が乗り込んで各家庭をまわる) の導入に伴い中止するという通告がなされたことに対して、市の担当者と交渉し、撤回させた例がある。
*19 堀勝洋[84]。
*20 各年度の支給額については『社会福祉の動向』。支給者数は八九年三月に厚生省社会局保護課に問い合わせた際の回答による。
*21 この制度が、あくまで例外的なものとして、公的な文書・資料に全く現れていないことについては先にも述べた。問い合わせに対しても、厚生省社会局保護課は、支給者数等、答えられないということだった。いくつかの機関紙などを総合して月額の推移をまとめると以下のようである。七五年度四万八千円。以後五年間六千円ずつ増額され、八〇年度に七万八千円。以後四年間四千円ずつの増額で八四年度九万四千円。八五・八六・八七・八八年は九万七千円・一〇万円・一〇万二千円、十万三二〇〇円。これが始まった時は支給者は二人で、以後僅かずつ増え、八一年に七人、八〇年代中期に二〇人台に乗っている。以下、この節の内容に関して、聞き取りの他、運動側のメディアとして『在障会だより』、『創る会ニュース』、『在障会通信』、『要求者組合通信』『CILSニュース』、『楽苦我行』(↓本書末尾文献表)を参照。これらには制度の推移・現状の紹介、交渉経過、支給を獲得するまでの体験記、介助者からの発言等、が随時掲載されている(例えば『楽苦我行』18号からの連載「介護料運動」)。他に『全障連』、『全障連大会報告集』、新田[82]、加辺[87]、等。
*22 八四〜八六年度は月一〇回×三五八〇円、一一回×三八一〇円、一二回×四千円。八七年度他人介護一四回・家族介護一二回×四一〇〇円、八八年度は一四回・一二回×四二〇〇円。九〇年度は二〇回・一二回×四四〇〇円の予定。実施内容が「派遣事業要綱」の他、東京都の『心身障害者福祉施策の概要』(以下『概要』)『区市町村』にごく簡単に記載されている。
 なお大阪市に一時間千円、対象者五〇人、年間予算二二〇〇万円程度(八九年度)の制度があるというが、実態を把握していない。また八九年四月発足の埼玉県の制度(月十六回以内、一回半日(四時間程度)、八九年度一時間六七〇円・九〇年度六九円)について『要求者組合通信』12(90年):2-4。札幌市については注55。
*23 「緊急保護事業」から「短期保護事業」に名称が変わったのは八七年度。事業内容に特に変化はない。八七年度に予算が減ったように見える(『体の不自由な人びとの福祉』)のは、それまで障害児も含んだ事業だったのを別にしたことによるものであり、八八年度はほぼ予算を倍にして拡充を図っているとのことである(八九年三月、厚生省社会局更生課への問い合わせによる)。
*24 支給額等は各年の『概要』『区市町村』に記載されている。だが他の制度についてと同様、これだけでは実態はつかめない。
*25 比較すること自体にはあまり意味はないが、これでも療護施設等に比べれば、障害の程度を考慮に入れても、一人あたりに支給される額は低い。(↓注60)。
*26 この他の東京都の制度には、「重度心身障害者手当」(八八年十月四万円)、「心身障害者福祉手当」(同一一五〇〇円)があるが、この二つは介助費用として支給されているものではないが次のような経緯がある。重度手当は、介護人派遣事業と同様の過程で実施された (七三年一万円、そのうち五千円を収入認定) 。七四年に二万円に増額された際、厚生省は一万五千円を収入認定する(従って生活保護の受給者には増額は無意味になる)とし、都が再検討を要請した結果保留され認定額は同額の五千円に押さえられるが、七六年保留が取り消され、同年の二六五〇〇円のうち一六五〇〇円を収入認定するとし、都はこれに対して本人への支給から代行受領方式とする。これによって厚生省側はこれを介護料と受けとめることになる。都は、代行受領方式はあくまで形式的なもので本人が何に使用してもよく、代行受領によって介護加算に悪影響などのトラブルが起こった場合には責任をもって対処する旨表明。七七年以降、収入認定に反対し厚生省と交渉を続けているが進展はなく、現在も代行受領方式が続けられる。
*27 勤勉なグループは定期的に介護者会議を行い、その議事録がきちんと残されていたりもする。内容は時に深刻になり、双方が疲労する。その疲労を伴う会議に出てくる層と敬遠しがちな層と分かれてしまうことに主催者はまた悩んだりもする。
*28 『在障会ニュース』等に彼ら自身が書いた文章が多く載っている。
*29 介護人派遣事業に関して交渉を継続してきた七つの団体と福祉局障害福祉部との交渉の中で確認されたものである。八八年にはそれを五ケ年計画とする確認書をとりかわし、八九年度はその一年目として三回増が実現された(九〇年度も同様の予定)。
*30 北区・三多摩・練馬区・東久留米在障会などが中心となって結成され、九〇年初めに組合員は一五〇人ほど。機関紙として『要求者組合通信』(八九年発刊)がある。また結成に至る経緯と活動の開始について公的介護保障要求者組合[88]。他に、生活保護受給者にも自動車の保有を認めるべきだとする要求を掲げている。もう一つ重要なのは、前章注43にみた通達七五年社保三五号の撤回要求である。これに対して厚生省は、具体的な例についての通達であり、また強制入所にあたる文書でないので撤回はしないという見解を維持し、また要求のあった文書での確認はしなかったものの、生活保護法上明らかなように本人の意に反して施設入所を強制することはできないこと、また二四時間の介護が必要であっても施設入所か在宅かは本人が決めることという八一年に示した見解を維持していることは確認している。「組合」側は生活保護支給等の現場はこの方針を日常的に逸脱しているという状態を指摘し、撤回と方針の文書での確認を求めた交渉は現在も継続中である。
*31 注21に記した機関紙の他、『全障連大会報告集』『同レポート集』にその活動が報告されている。なお前章にも記したように大阪でも集団的な介助体制が一部で取られているようだが実状を知ることができなかった。
*32 北区の新田、練馬区の荒木、東久留米市の村田(↓第七章注34)らにより「介護人派遣センターを創る会」が八四年に発足ししている(機関紙として『創る会ニュース』)。構想自体はずっと以前、七六年には既にあったことを前章(↓注46)に記した。
*33 当初から非常に注目され文献が多い。深谷[82]、山本茂夫[82]、樋口[83]、全国社会福祉協議会編[85]他。また武蔵野市福祉公社[86]。私達は八七年二月に聞き取りを行った。この時点で、登録利用者は二五〇人、一八五世帯ほどで身のまわりの世話を受けている人が八〇人ほど。協力員は登録数一七〇人、実際に活動しているのは七〇名ほどで、活動時間は月一人あたり三六時間くらい。ほとんどが主婦で年齢層は四・五〇代が中心。公社の運営は、基本サービス料年間約二千万円と市からの補助金約二千三百万円によってなされている。また職員一〇名中二名は市役所の職員である。対象者は高齢者が主で、高齢者でない身体障害者は二名。生活保護の受給者でサービスを受けている人はいない。なお八九年四月、この種の団体としては初めて厚生省から公益法人として認可されている(『朝日新聞』八九年四月一二日)。
*34 土肥[87A][87B]、木谷他[87]、神戸ライフ・ケアー協会[87]。また武蔵野市福祉公社も含めて加藤他[86]。私達は八七年八月に聞き取りを行った。依頼者は八七年三月時点で一六〇世帯、一八三人。平均年齢七七歳。介助者は登録総数五七一名、活動参加数三七七名、八六年三月には一三七名 (うち男性四名)が実際に活動に参加。平均年齢は五三歳。平均活動時間は一人月二五時間。スタッフの活動は無償。
*35 新聞等に求人広告を載せ、面接して介助者を決めるといった方法をとる(『リハビリテーションギャゼット』7:54-60)。
*36 発足する前、神戸に行って実状を調べている。なお以下は、聞き取り(八六年七月、八七年一一月、八八年二月)、中西[88][89]、パンフレット、機関紙『ヒューマンケア・ニュース』(八八年度の報告は11号)、等による。八九年度の事業報告は同14号(90年)に掲載されている。事業内容は前年度とそう変わっていない。
*37 全国社会福祉協議会[87]による。ここには多数の事例の紹介がある(この後の社会福祉協議会関係の試みについては『月刊福祉』88年9月号:64-65に紹介がある)。個別の試みについて全国社会福祉協議会編[86]、兼間[87]、他、また『月刊福祉』等に多くの試みが報告されている。
*38 ボランティアの供給・媒介機関の現状についてもふれておこう。ボランティアのグループは非常に小規模のものから、各社会福祉協議会のもとにあるボランティア・センター等、数多いが、障害者自身がその運営に関与することは少ないし、また、自立生活者がそれを利用することは多くない。一人で生活を初めて五年目のある人は、その間、四回、区のボランティア・センターを通じて介助を得たが、すべて外出介助だった。結局、人がいないのだという。障害者の側が運営の主体となって、ボランティアの介助者を媒介する組織としては、「おおさか行動する障害者応援センター」がある(文献として牧口[86]、機関紙『すたこらさん』。八七年八月に聞き取りを行った)。障害者二二七名、応援者三五三名、声援者 (資金面での援助) 二八名(八七年二月)。主に外出送迎介助が月に四六件、生活介助が二〇件(八七年六月)。応援者は、社会人が六割、主婦(三〇〜四〇代が主)が三割、学生(高校生)が一割くらい。これは休日の外出の介助が多いことと関係がある。これとほぼ同様のものとして、「きょうと障害者行動センター」がある(八七年八月に聞き取りを行った)。八五年発足。総会等での議決権をもつ正会員はA会員(障害者)、B会員(非障害者)からなり (年会費二千円で登録) 、その他に資金面で応援する準会員(賛助会員) がいる。年平均八〇件の外出及び日常生活の介助を行っている。施設の入所者の介助がかなりの割合を占めているという。ただし、生活の大部分を家族以外の者の介助によって成り立たせている在宅の障害者の場合、こういった機関を利用することは多くなく、各々独自に介助者を得ているということである。
*39 介助は主に非常勤のヘルパーによる。ただその総数は日本に比べて格段に多い(高橋[81B]他)。運営が移管された時点で全国一四地域に二八〇戸。その後フォーカス住宅を一つのモデルとして、地方自治体でサービスハウスと称される障害者住宅・高齢者住宅、等が数多く建設される。文献として、高橋義平[81B]、NHK取材班[82:23-33]、児島[84:76-84]、河野[84]、他。
*40 以下、ケア付き住宅に関する文献として、浅野・高橋貞三・広岡・辻・今岡の文章による『障害者の福祉』7-6(87年7月):6-20 、『われら人間』43(87年):6-19(特集: 重度障害者の住まいと介助)。この他、私達はいくつかの聞き取りと、八七年一一月に神奈川で開催された「「ケア付住宅」研究集会」での討議、配布された資料と翌年出された報告書(「ケア付き住宅」研究集会実行委員会編[88]・・現在のところこれが最も重要な資料である・・)によって情報を得た。なおこの報告書に記載されているケア付き住宅は一二、入居者(不明の四か所については定員)は一六〇人程度である。
*41 その記録として秋山[81]、『とうきょう青い芝』。
*42 『リハビリテーション研究』36 (81年):29-32 に検討委員会最終報告の一部が掲載されている。『とうきょう青い芝』の他、今岡[84][85][87]、磯部[80][82↓83][84]、寺田嘉子[84]、磯部・今岡・寺田[88]、等。またこの試みにふれつつ、居住の問題を全般的に論じたものとして高橋[81A][86]、等。
*43 この会の活動については以下の文献の他、機関誌『いちご通信』(七七年発刊)を参照。私達は八七年一一月と八九年二月に小山内さんの話を伺った。
*44 福祉村について北海道社会福祉会編[85]、今岡[85B ]。合宿の実験について、札幌いちご会編[78]。スウェーデンでの体験について小山内[81C ]。
*45 これは第2種公営住宅(特定目的住宅)として建設された始めてのケア付き住宅である。文献として浅野[87]、鹿野[87]、『われら人間』43(87年):6-9、小山内[88A][88B]。
*46 運動は七九年に始まる。運営費は、公費補助額と主に入居者負担金による自主財源がほぼ同額 (八六年度の予算は八九五万円)。文献として、障害者グループホーム試行事業委員会[86]、『われら人間』43(87年):6-9、『communities 』3(88年):1-17、室津[88]。私達は八七年五月に聞き取りを行っている。
*47 八二年からの運動をへて、八四年検討委員会発足、八五年報告所提出、予算決定、八六年に開所。文献として脳性マヒ者が地域で生きる会の機関誌『生きる』の他、辻[87]、『われら人間』43(87年):10-11、国吉他[88]、白石[88]。私達は八六年八月と八八年五月に聞き取りを行った。
*48 身体障害者福祉審議会の八二年三月の答申はフォーカス・アパート他諸外国の試みを列挙し、これらを参考にしながら「わが国の社会に適応した具体的方法の実践につとめることが必要であろう」とし、脳性マヒ者等全身性障害者問題研究会の報告(八二年四月)は長期的に改善すべき方向の一つとしてケア付き住宅をあげている、等。
*49 身体障害者福祉法を一部を改正する法律(八四年法律第六三号) で、身体障害者の自立生活を促進するため、新たに身体障害者更生援護施設として身体障害者福祉ホームが加えられる。その設置運営要綱(八五年一月、厚生省社会局長通知、社更第五号)は、その定員を二〇名以上としていたが、八八年に一〇名以上と変更された。
*50 仙台の「ありのまま舎」(定員二〇名)、愛知県の「ゆたかホーム」(二五名)、熊本県の「りんどう荘」(二〇名)。
*51 筋ジストロフィー症患者の集団「ありのまま舎」は出版活動など様々な活動を行ってきた。彼らが居住の場を確保する上で、この制度を利用したのである。ただし現在の入居者は脳性マヒ者が最も多い(ありのまま舎について機関紙『ありのまま』の他廣岡[87]、『われら人間』43(87年):12-13、山田富也[87][88]、ゆたかホームについて高橋貞二[87])
*52 武蔵野福祉公社では緊急警報装置のシステムを採用している。ペンダント形式の装置のボタンを押すと電話回線につながり、近くの老人ホームに受信され、老人ホームから担当員に電話が行き、五分以内に駆けつける。
*53 八王子の場合、開始当初から、この問題が生じる。最初に入居したのはこの住宅建設の運動を進めてきた人達だったが、新たに入居する人の選考に関して、都によって建設されたという性格とのかねあいからも、都行政と入居者の間にそごが生じたのである(『とうきょう青い芝』)。また札幌いちご会が建設を進めてきたケア付住宅に入居できた会員は一名だけだった。
*54 障害者・障害者集団によって作られた生活体験を行う場として、木村浩子の「土の宿」(現在は沖縄で民宿のような形態をとって運営を続けている、木村[83]、他)、国立市の「かたつむりの家」(↓第7章注57)、岡山の「障害者自立生活研修所」(藤本[88:154-159])、等がある。他に新宿身障明るい街づくりの会が運営に関わる東京都新宿区立障害者福祉センターの「自立生活体験室」(八五年四月開設)(小林圭子[86])。日野療護園においても施設の一部を用いての試みが始められた。また、東京都身体障害者福祉センターでの「自立生活プログラム」について三ツ木・赤塚[81][83]、三ツ木[84]、真崎[84]、赤塚[88]。八王子ヒューマンケア協会での自立生活プログラムについては第6章を参照。これらの性格は相互にかなり異なったものである。在宅生活を円滑にするための訓練というところをあまり出ていないものもあれば、プログラムというよりは自分で場所をみつけるまでの中間的な場所を提供することに目的がある所もある。
*55 いくつか補記する。ケア付住宅に入居できなかった小山内はその格差を「天国と地獄」と表現し、入居した鹿野は「天国なんてない」と記した。@八六年黒柳徹子コンサートを皮切りに、八七年には糸井重里作成のテレホン・カードを販売、八七年から三年間で書き損じ葉書を三十万枚余集める。小山内[88]の印税も全額これにあてる。B登録年会費五千円(保険料含む)、事務費として月千円の基本料金(月二〇時間以上利用の場合時間あたり五〇円を上乗せ)。以上、小山内[87]、『いちご通信』69−80号(87−89年)、八九年二月の小山内さんへの聞き取りによる。なお相模原の脳性マヒ者が地域で生きる会もケア付き住宅の運営と併行してケアシステムを構想中。C九〇年六月、札幌市は前記(↓注22)自治体に続き、介護手当の助成制度の開始を決定。対象は二〇歳以上の一級の者。介護者は三親等以内の親族を除く。一時間七百円。初年度は利用者一五人延べ三七八〇時間を見込み三三〇万円の予算を計上。会の反応も含め『いちご通信』84(90年):8-9
*56 「性格にもよるけど障害者があんまり固まるのはよくないね。小さな施設っていう感じがあるから。地域に点在していた方がいいと思う。」高橋[81B:143 ][86:214]、野村[87]も同様の危険性を指摘している。(周辺住民の参加できる行事を行う、施設を住民にも利用してもらうといった施設の「社会化」に限界があるは明らかだ)。スウェーデンでも近年は集住といった形態はとられなくなっている。
*57 精神薄弱者に対して特に、グループホームという形態が注目されているようだ(親を主体とする会の機関紙等はしばしばこうした試みを特集している)。また精神障害者についてもこのような試みがある(池末他[86]、『うえるふぁ』各号を参照)。身体障害だけの場合とは別に考えるべき点があろうがここでは検討することができない。
*58 @専従介助週八時間、ホームヘルパー、他に一時間二百円を払っている人が一五人 (ほぼ二四時間の介助が必要)。A専従と定期的に入るアルバイトで週六日の日中、夜六〜七時は学生、泊りは社会人 (ほぼ二四時間) 。Bボランティアだった人をヘルパーと認めさせ、週四回、一回三時間それ以外は学生を主体とする三五人ほどのボランティア(ほぼ二四時間) 。
*59 介助料を利用者が支払うシステムを採用するとして、公的な給付が十分でなければその媒介機関は、限定された対象だけのものとなるし、さらに、そこに公的な資金が投入されるなら、限定された対象者に公的な財を給付することになる。その意味で、武蔵野福祉公社等、公的援助を受けている団体に対する批判は、原則的に正しい。武蔵野福祉公社では八六年十月から、生活保護の基準額の「おおむね一・二倍」までの人に市が給付事業の全額を支給するという、トータルケア事業を始めた。しかし、給付期間の限度は原則として六ケ月とされている。
*60 合衆国では在宅での援助費用の方が施設に置く場合より安く上がるという調査報告がなされ、それが自立生活運動を勢いづけたとされる(Donald[81=83])。この国でも現状では、少なくともいくつかの療護施設での一人あたりの月経費――一般的な療護施設の場合国からの支出は事務費(人件費・管理費)二三三八〇〇円、事業費(一般生活費)四八七四〇円(『体の不自由な人びとの福祉'88』:29))で、東京都などの場合この数倍の額が自治体から支出され合計すれば月百万円を超える――はもっとも額の多い自治体での在宅者に対する保障限度額をはるかに超えている。私達はコストの論理によって在宅か施設かという選択がなされるべきではないと考えるが、費用の面での論議が出てくることは当然だろう(私達の知る限りでは札幌いちご会がそうした志向を持ち個別の試算を行ったことがある)。それにしてもまず介助の必要の総量がいったいどれほどのものなのか、これについて今まで試算もなされたことがないはずである。
*61 国際障害者年日本推進協議会の長期行動計画[81B:39]では、介護費用は年金の基本額の二分の一を目安として (その前の中間提言[81A:18]では「上限として」) 支給し、他人介護と家族介護の区別を撤廃することを目標としているが、二分の一という根拠は明らかでない。その後、本格的な論議はなされていないようだ。また、年金改革前の障害者の所得保障に関する研究者の論議として、ここでは検討出来なかったが、高藤[81A][81B][82]、堀勝洋[81][82][84]、等がある。


REV: 20161031
『生の技法 第2版』  ◇立岩 真也  ◇病者障害者運動史研究 
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