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原因/帰属


◆「反精神医学」

「☆08 例えば、様々のことがそれなりの分量をもって書かれており、先にふれたロボトミーや電気ショックの歴史も扱われていてそれなりに勉強になる精神医学の歴史の本でショーターが反精神医学に割いているのは約5頁なのだが(Shorter[1997=2000:325-330])、そこではフーコー、サス、ゴフマン、シェフ、レインと、ベン・キージーの『カッコーの巣の上で』がまとめていっしょにされ、過去のものとされる。必ずしも病因論として括っているわけではないのだが、それにしてもずいぶんな情報の圧縮である。では日本ではどうだったか。私はこの時期以降の精神医療の言説の歴史についてほとんど何も知らず、またそれを追った研究があるかないかも知らないのだが、例えば「反精神医学」の語が表題に使われる小澤[1974]*を読んでみても、そこにほとんど病因論は出てこない。別のことが書かれている。」(立岩[2002]**)
小澤 勲 1974 『反精神医学への道標』、めるくまーる社
**立岩 真也 2002/04/01 「生存の争い――医療の現代史のために・2」,『現代思想』30-05(2002-04):41-56 ※資料

◆家族要因説

「☆04 ボウルビィのいわゆる「母性剥奪(maternal deprivation)」仮説、それがいくらかあるいは極端に誇張された主張、それを巡る議論の歴史等々については、それが女性、フェミニズムに関連する領域であるために比較的に言及は多いが、きちんと調べてまとめたものがあるのか――「家族要因説」について検討した加藤[1997]等もあるにはあるのだが――私は知らない。調べたらよいのにと思う。
 ただ、こうした領域の資料を集めている人はわかると思うのだが、こんな本は買いたくないというだけでなく、見たくないし、知らせたくない、存在を無視したいというようなものがいくらもある。けれど、すでに十分に普及してしまっているものもいくらもあるから――久徳重盛の『母原病』(教育研究社、一九七九年)は「八一刷に達し、その後、新装版になってからも四版を重ねています。教育研究社はその後サンマーク出版と名を改め、一九九〇年にさらに『新・母原病』を出版しています。」(上野[1994])のだそうで、さらにまだまだある――ただ無視してしまえばよいというのでもなさそうだ。」(立岩[200206]
加藤 まどか 1997 「家族要因説の広がりを問う――拒食症・過食症を手がかりとして」,太田省一編『分析・現代社会――制度/身体/物語』,八千代出版:119-154
立岩 真也 2002/06/01 「生存の争い――医療の現代史のために・3」,『現代思想』30-7(2002-6):41-56 ※資料
上野 千鶴子 1986 『マザコン少年の末路――女と男の未来 増補改訂』,河合文化教育研究所,発売:進学研究所

◆立岩 真也 1986/07/** 「制度の部品としての「内部」――西欧〜近代における」,『ソシオロゴス』10,pp.38-51(→『私的所有論』第6章・第7章)

◆立岩 真也 1987/07/** 「個体への政治――西欧の2つの時代における」,『ソシオロゴス』11,pp.148-163.(→『私的所有論』第6章・第7章)

 「まず、以下を再確認しよう。第一に、内部という領域が、遡行において、また測定において現れる場合に、それ自体としては不可視であること、しかもその存在を否定すること自体は困難なこと、ある内容について肯定・否定が困難な場面があること。
 そこで、この場所が問題になるや、そこに諸個体はひきこまれてしまう。別々の言説が独立に相互に干渉することなく存在するという言説の布置ではなく、共通の主題へと導かれていくのである。
 そしてそこは、まず内部の私への現前を促す存在として、また、自己の特権性が奪われている測定において、そして遡行における自己にとっての不可視性の現れにおいて、他者が介入する場所でもある。
そして第二に[…]」
 「 だから現在、何が私なのかということが、正確には何を私とするのかということが、社会的な闘争の主題になっていることが理解される★28。そしてそこに、固定された解答、ある一方につくという解答があるというわけではない。
だが、こういったことを主題的に検討しようという場合に、人間・社会に関する(科)学という領域は19世紀に設定された布置の中にある。」

◆上田 紀行 19891201 『覚醒のネットワーク』,カタツムリ社,177p. ISBN-10: 4906539122 ISBN-13: 978-4906539123 1200 [amazon]※→1997 講談社,講談社文庫,274p. ISBN-10: 4062562030 ISBN-13: 978-4062562034  [amazon] b c11 e01

◆佐藤 純一 1995 「医学」、黒田編[1995:2-32]*
黒田 浩一郎 編 19950425 『現代医療の社会学――日本の現状と課題』,世界思想社,278+7p. ISBN:4-7907-0546-3 1988 [amazon][boople][bk1] ※ b sm

 「…近代医学が様々な疾患において、現在どのような因子を危険因子と設定しているかを概観すると、いくつかの特徴が浮かび上がってくる。/第一に、「疾病の発症率と、所得・階層との相関性」については、多くの病気に関して疫学データが存在するにもかかわらず、所得・階層が危険因子と設定されることは少ない。/第二に、社会システムより個人の日常生活の行為が危険因子と設定される。…/第三に、第二の「システムよりは個人」に加えて、「社会的因子よりは生物学的因子」を危険因子に設定する傾向があり、このことにより、個人の遺伝子レベルまで危険因子の設定範囲が広げられようとしている。」(佐藤[1995:31])

◆Gerland, Gunilla 1997 A Real Person=2000 ニキ・リンコ訳、『ずっと「普通」になりたかった』,花風社

 「私は突然、正しい本の正しいページをめくったらしい。そこには私がいたのである。  単なる偶然と片づけるには、あまりにもあてはまることが多すぎた。ところが、…先生は…あくまでも家庭環境のせいだという立場を崩さなかった。…こういう人たちにかかると、脳に損傷があると言われてしまうんですよ、そして、うまく行かないことは何でもかんでも、脳の損傷のせいだといって片付けられてしまうんですよというのが先生の話だった。」(Gerland[1997=2000:257])

◆立岩 真也 2002/04/01 「生存の争い――医療の現代史のために・2」,『現代思想』30-05(2002-04):41-56 ※資料

◆立岩 真也 2002/06/01 「生存の争い――医療の現代史のために・3」,『現代思想』30-7(2002-6):41-56 ※資料

◆立岩 真也 2004/12/31 「社会的――言葉の誤用について」,『社会学評論』55-3(219):331-347→2006 『希望について』に収録
 要約「社会学は「社会的であること」を様々な場に見出すことを行なってきた。しかしそれには幾つかの誤解と幾つかの限界がある。とくに規範的な含意がそこに見込まれるのだが、それは実際には存在しない。だがその弱点を補おうとして政治哲学等の規範理論を輸入しようとしても、それらにも同様の限界があって、そのまま借りてきても役に立たない。そこで、別様の問いの立て方、別様に考えていく道筋を示す。」

◆石川 憲彦・高岡 健 20060625 『心の病いはこうしてつくられる――児童青年精神医学の深渕から』,批評社,メンタルヘルス・ライブラリー,172p. ISBN-10: 4826504454 ISBN-13: 978-4826504454 1890 [amazon][kinokuniya] ※ b m

 「石川[…]例えば、ある年齢ぐらいまでの子どもは大人だったら戻らない発語機能が戻るのは左側が壊れると右側が利用可能だからということはよく知られてきた。かつて医学はこのような器質的以上論からスタートしたわけです。ところがいつの間にかこれが機能的異常という言葉を生み出すようになると――これは脳死臓器移植まで行ってしまいますが――逆に機能の問題を脳の中の活用方法の異常という仮説を持ち出して、ついには病気を量産しようとしている。ここに今の精神医学の中で一番のトピックス[ママ]になっていると思うのです。
 だから「心の理論」は、因果関係が問題にならない。そこから出てきている理論の怖さは、最適理論です。脳は活用方法を一定の方向に決めたのですから、そこは個性で変えられない。しかし、個性的なありように負担を与え過ぎず、しかも個性を生かすためにどうやって最適の刺激を調節して与えるかが問題だという理論です。それはある意味では当たり前のこ<0040<とで、使い過ぎは疲れるし、使わなくては機能は低くなる、というようなことにすぎないのに、あたかも「自閉症」の子どもには最適があるように言い繕う。脳の動きにまで最適基準として特殊化されて導入されることになったら、これはもう薬づけの世界に突入するしかない。」(石川・高岡[2006:40-41])

 「高岡 自閉症脳障害児に関しては、例えば自閉症協会でもそういうふうに言っていますし、これまでの親の育て方が悪かったという誤解に対するアンチテーゼとしてはそういう言い方で私は十分いいと思うのです。しかし、この説で何が証明されるかというと、私は永遠に証明されないだろうと思っています。自閉症というのは、胃がんや骨折とは、全く違う領域の話ではないかと思うからです。
 では何なのかと言われると困るのですけれども、私は人間存在の原点みたいなものだと考えています。この原点が、発達という形でどんどん不自由にされていく過程がある。[…]」(石川・高岡[2006:41])

 「石川 私も、医者の立場から親の育て方に対するアンチテーゼとして自閉症脳障害説を認めたというところでは、そこは半分そうだと思う。でも、それを医者が言ってはおしまいだとも思う。高岡さんがよく言われるうつ病の話と同じだと思います。「うつ」は日本では根性のせいとか、甘え、だからというふうに批判的にみられてきた。それに関するアンチテーゼとして「うつ」は病気です、というのはいいように見えるけれども、気がついてみたら祖結果アメリカでは女性の4分の1は「うつ」で10%位の人が薬を飲んでいるという話にまでなってしまった。
 そこまでいったときに、専門家が病気だと宣伝していく裏に進行する社会的無意識の動向みたいなも機を相当注意していないとヤバイと感じる。「自閉症」もどんどんインフレのようにふえていく。スペクトラムという言葉自体がどういう広がりと可能性を誰にでも導いていきかねない。しかし誰にでも可能性があるなら特別視を止めてチャラにすればいいじゃない、という社会の方向はなかなか生まれない。」(石川・高岡[2006:42])

◆芥子川 ミカ 20060710 『妖怪セラピー――ナラティブ・セラピー入門』,明石書店,208p. 1890 ISBN: 4-7503-2374-8 [amazon][boople]  ※, b c11 e01 r05

山口 真紀 2008 「「傷」と共にあること――事後の「傷」をめぐる実践と議論の考察」,立命館大学大学院先端総合学術研究科博士予備論文(審査中)

◆立岩 真也 2008/02/29「あとがきに代えて」,立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点 20080229 『PTSDと「記憶の歴史」――アラン・ヤング教授を迎えて』,立命館大学生存学研究センター,生存学研究センター報告1,157p. ISSN 1882-6539 pp.191-195


UP:20080105 REV:2008020

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