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原因/帰属



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◆立岩 真也 2012/**/** 『分かること逃れることなど――身体の現代・1』(予定・仮題),みすず書房→文献表

■家族要因説・他

 *大きなファイル(ページ)になってしまったので、分けるつもりですがとりあえず。

◆ベッテルハイム

 「自分(たち)が敵にされてしまったら、それは心穏やかでいられない。例えばブルーノ・ベッテルハイム(一九〇三〜一九九〇年)の『自閉症――うつろな砦』という、今は絶版になっている本がある☆02。例えば次のような一節がある。

 「この本を通じて小児自閉症の重要なる要因は子供が存在するべきでないという親の願望によるものだ、という私の信念を再三述べてきた。同じような願望を持っていながら、或る時は自閉症となり、或る時は正常に育つかもしれない。そして将来器質的要因が自閉症の前提条件であると解明されるかもしれないが、事実はすべてこの病気に関連のある(今までのところ)器質的条件は、自閉症でない子供にも現われているのである。
 このために私は、脳に関係があり、たとえそのような要因が特徴的なものであるとわかったとしても、器質的要因がある子供のみが自閉症になり、他の子供は自閉症にならない原因をさがすために、やはり親の態度は調べるに充分な理由があると思う。われわれは或る程度の確実さをもって親の態度に接することができた。しかもそのすべての場合において、これらの意識的無意識的態度が子供が存在しないように、という願いとして子供に感じられたがゆえに、なおさら、一層親の態度に問題があると思うのである。」(Bettelheim[1967=1973,1975(I):195-196])
 「無関心で否定的で両価的な母親の感情で小児自閉症を説明するようになされているが、両親の極端に拒絶的な感情が自閉的過程を歩み出しはじめさせるのだというのが私の持論なのである。」(Bettelheim[1967=1973,1975(I):197-198])

 こんなことを言われたら、多くの親は悲しくもあるだろうし、怒りを覚えるだろう。この著者の場合は、後に自分の履歴から始まり様々を偽った人であることが知られるようにもなり、その著作での主張はほぼ完全に否定されることになった。だが、このベッテルハイムという人は、この種のことを言った人たちの中で最も一般に知られた人ではあったが、この人だけが「冷蔵庫マザー(refrigerator mother)」などという言葉を使ってものを言ったわけではない。 また主流の学説としては否定された後も、どこから聞いてきたのか、同じようなことを言う人たちがいる。それは親たちを傷つけることなる。そんなことを言う人を批判したいと思う人たちが出てきて当然である。」(立岩[→2012](草稿))

 「☆02 大山[1994]にはこの本の絶版要求の経緯が記されている。また死後、暴露的な伝記(Pollak[1997])が出版されている。その紹介としてiRyota[2005]。またウェブを検索すると関連した文章がいくつか出てくる。安直な調べ方ではあるが、また得られるのは基本的にこの媒体を意図して使った人に限られるのだが、ここ十年ほどの間に人々が書いたこと、様々についての人々の受け止め方を知ることができる。以下幾つかを引用・紹介する。「生存学」創成拠点のHPに本連載の文献表を掲載しており、そこから文献表にあるURLにリンクされている。本を紹介するこちらのHP内の頁にもリンクされている。」

 「今年はショプラー先生が亡くなった年で、忘れられない年になった。ベッテルハイムの自閉症関連の文章を読み直すと、まあ、なんというか「深読み」「身勝手解釈」、「親批判」の連続、やっぱり読んでいて嫌な気持ちになる。[…]頭が良くて、教養もあって文章力もある人なんだと思うけど、現実をきちんとみれなかった。精神分析というスキーマに毒された見方しかできなかったので、自閉症の子どもと家族に不利益を与えた。彼が活躍した一九六〇年代の科学的知識とか精神医学や心理学の状況を考えれば、彼が自閉症を誤解したのも、多少はやむをえない点もあったのだろう。ただ、彼は多くの研究・臨床成果があがった九〇年代になっても自説を曲げなかった。ショプラー先生がこだわったのは、さまざまな根拠があるのに、自分の間違いを正そうとしないベッテルハイムのようなあり方が許せなかった、あるいはベッテルハイムのような人を認めると(批判をきちんとしないと)、自閉症の子どもと家族に不利益を与えるということを、我々のような次ぎの世代にきちんと伝えたかったのではないかという気がしてきた。日本でもベッテルハイムと同じようなことを言っていた人が自己批判もしないで、そのまま活動をしていることがある。「だめなものは駄目」ときちんと表出することが大切だ。
 […]ベッテルハイムの影響は、水面下で今の日本でも根強くあるのですね。僕も最近色々な意味で危機感を感じることがあり、ぼんやりしていないで、きちんと言うべきことは言わなければいけないと思うようになりました。ショプラー先生はいつも温厚で優しい笑みを浮かべておられたが、批判すべきことはきちんと批判しなさいと仰りたかったのではないかと、最近しきりにそんな気がするのです。」(夕霧[2006])

 同じ年、自閉症に関わる多数の著作のある医師・医学者による文章。

 「ベッテルハイムは自らが治療を引き受けた子どもは、障害の元凶である母親から引き離し、寄宿制の学校に引き取って、非指示的・絶対受容的という独自の精神分析理論による治療的教育を試みました。冷たく拒否的で冷蔵庫のような心をもった母親 refrigerator mother に対して心を閉ざしてしまった子どもの「情緒障害」を、母親の「拒否」から治療者の「受容」というやりかたで、いわば子どもの治療者に対する「信頼」の回復によって開放的に治療しようとしたのです。
 わが国だけではないかもしれませんが、教育界に今でも残る「情緒」の呼び名を冠した学級や教室は、その時代の名残ですし、日本自閉症協会の機関紙が、その前身の自閉症親の会全国協議会といった時代からごく最近まで、「心を開く」というものであったことなどは、まさにその時代を象徴するものです。
 エリックは自閉症の原因が母親にないことを、明瞭に見て取っていました。それどころか[…]」(佐々木[2006])」(立岩[→2012])

◆小澤 勲 19750325 『呪縛と陥穽――精神科医の現認報告』,田畑書店,201p. 1100 ASIN: B000J9VTT8 [amazon] ※ m.

 (クーパーの家族病理説に対して)「今の社会のなかで、ありもしない「正常家族」を基準として、「分裂病者」の家族を病理集団として裁断してみせたところで致し方ないではないか。生物学主義者にとって「遺伝」の占めていた位置に「家族」を置いてみたところで、われわれの問いは決して前進しないのだ。」(小澤[1975:166])

久徳 重盛 19790701 『母原病――母親が原因でふえる子どもの異常』,教育研究社,205p. ASIN: B000J8F3LO [amazon] ※

久徳 重盛 19800725 『続・母原病:その克服のカルテ』,教育研究社,221p, 980 ※→新装版 199006 サンマーク出版,221p. ISBN-10:4763179063,ISBN-13:978-4763179067 [amazon]

久徳 重盛 19810820 『続々母原病――こんなタイプの母親が危険』サンマーク出版,235p ISBN:4763179098 980 [amazon]


◆Grandin & Scariano[1986=1994:69-70]

 「両親は私を精神科医に週一回連れて行くようになった。スタイン博士はドイツ人でフロイド派の訓練を受けていた。博士は私の内奥にある意識下の秘密を探り出し、何が私を変にさせるのかを発見することになっていたらしい(一九五六年の心理学的理論は自閉症は精神的傷痕によって引き起こされたと論理づけた。近代神経科学の知識によれば、これは俗論であることを示唆している。自閉症は中枢神経組織のダメージによって起きるのであり、生体上の問題なのである)。
 […]私の謎めいた精神的傷痕のもとを探り出すのは不可能だったが、博士は母 私の扱い方を指導して助けてくれた。母は私に読書力をつけさせ、<私が学校で問題を起こすとみかたになってくれて、母の本能的な介助のほうが、何時間もの高価なセラピーよりも、ずうっと効果的であった。」(Grandin & Scariano[1986=1994:69-70])

◆上野[1986]

「☆03 例えば、上野千鶴子の河合塾大阪校での講演の記録(上野[1986])における自閉症についての記述に対して抗議がなされた。話し合いが幾度かあって、上野の反省文を加えた版(上野[1994])が出されている。また同年、この経緯について『河合おんぱろす・増刊号――上野千鶴子著『マザコン少年の末路』の記述をめぐって』(河合文化教育研究所[1994])が出された。増補改訂版の方には以下のような箇所がある。
 「久徳重盛の問題の多い著作、『母原病』が刊行されたのは一九七九年のことです。……この本は、版をかさねて八一刷に達し、その後、新装版になってからも四版を重ねています。教育研究者はその後サンマーク出版と名を改め、一九九〇年にさらに『新・母原病』を出版しています。一九八〇年には川名紀美の『密室の母と子』(潮出版社)がでています。その少し前の一九七八年には岩佐京子の『TVに子守をさせないで――ことばをなくした子どもたち』(水曜社)が物議をかもし、一九八〇年には木村栄の『母性をひらく』(汐文社)が出ました。マスメディアが喧伝した「母子密着」というキーワードに、私もまたふかくからめとられていました。その点では私もまた、マスメディアの無批判な受け手のひとりであったことを、認めないわけにはいきません。」(上野[1994:100])
 この一件については灘本[1994]でも紹介、検討されている。布施[1994][1996]では、上野の(反省文を含む)文章を含む幾人かの著作における自閉症者の扱われ方が取り上げられ、批判されている。黒木[1999]でもこの事件が論じられている(ただ、今は読めない)。そして以上を紹介したり論評したりしながら差別表現と表現の自由について考えている玲奈[1999]。差別と表現という主題について灘本昌久のホーム・ページ(灘本[1998-])が参考になる。」(立岩[→2012])

久徳 重盛 19900701 『新母源病――親子関係に悩むすべての人のために』,サンマーク出版,236p.,ISBN:4763189786 1000 [amazon] ※

◆Williams[1992=1993→2000:314-316]

 「病・障害の名を知り、その「原因」を知り、それを自ら認めること、そしてそれを本に書くことが、自閉症やADHD(注意欠陥多動性障害)――はADD(注意欠陥障害)の一類型とされるが、ここではそれぞれがどんなもので、どう違うかは大切でないので、解説はしない――について、一九九〇年代に始まる。[…]
 そうした本の最初のものとしてよく知られているのはドナ・ウィリアムズの本だ。その著者は大学生の時に父に尋ねる。父は答える。

 「「小さい頃、おまえはほんの少し変わってたんだ。でもそれはお母さんのせいで、おまえ自身は何も悪くはない」
 「じゃあわたしはどんなふうだったの?」わたしはなおも聞いた。「お願い、誰も責めたりしないから。どうしても知りたい。わたしはどんなふうだったの?」
 「おまえは自閉症だと思われていたんだ」父はぽつりと答えた。/どうして? とわたしはたずねた。
 うん、誰も寄せつけようとはしなかったし、しゃべり方もちょっと変わっていた。[…]
 「自閉症」というそのことばが、実際は何を意味するのか、わたしは知らなかった。/わたしは[…]自分を悩ませているものの本当の正体をなんとか見つけ出そうと、心理学の本の山に埋もれて暮らすようになった。しかし、どの本にも「自閉症」のことは出ていてなかった。結局わたしは、以前と同じように、闇の中に一人残されて、立ち尽くしていた。」(Williams[1992=1993→2000:314-316])

上野 千鶴子 19940201 『マザコン少年の末路――女と男の未来〈増補版〉』,河合出版、河合ブックレット,111p.. ISBN-10: 4879999008 \700 [amazon][kinokuniya] ※

◆日本自閉症協会愛知県支部[1996-]

 「親の会の機関誌等で自閉症についての正確な理解が繰り返し呼びかけられているのを読むことができる。そのバックナンバーを掲載しているHPのトップ頁には次のように記される

 「自閉症は、情報の理解の障害です。
 中枢神経の働きに異常があって、見る、聴く、触る、嗅ぐなどの知覚が正しく機能しません。
 そのために、自分の周囲のできごとの意味をうまく理解できず、混乱の中で強い不安や恐怖心を抱いて生活しています。
 彼らの問題行動は、その苦しみの現れである場合が多いのです。
 決定的な治療法のない今、彼らが幸福な人生を送るためには、家族や周囲の人々の深い理解と対応が必要です。」(日本自閉症協会愛知県支部[1996-])」(立岩[2012]草稿)

◆森口[1996]

 「以前、ある新聞で『自閉症だったわたしへ』[…]に関する書評を読んだことがあるが、そこでも彼女の自閉症は、あたかも母親の虐待の結果であるかのように書かれていた。[…]
 本来ならば、ハンディのある子供を持ってしまった母親を思いやり、手を差し延べるというのが、愛のある社会のはずなのに、現実には世間では、「社会」でも「学校」でもなければ、「母親」に責任を負わせる、つまりは「母原病」として片付けられてしまう。これが、自閉症を取り囲む、最初にして最大の関門なのである。
 特に一九七〇年代は、自閉症は一般にはほとんど知られていなかっただけに、特に活動過多の子供の場合、周囲との軋轢は相当なものだったように思う。以前、ダウン症などの他の障害児を持つ母親の自殺率に比べて、自閉症の子を持つ母親の自殺率が非常に高い、というある統計を見たことがあるが、さもあらん、と肯定できる。
 そんな世間に向かって私は声を大にして言いたい。「悪い」のは母親ではなく、自分の「頭」なのだ、と。」(森口[1996:191-192])

加藤 まどか 1997 「家族要因説の広がりを問う――拒食症・過食症を手がかりとして」,太田省一編『分析・現代社会――制度/身体/物語』,八千代出版:119-154

◆Gerland[1997=2000]

 「私はずっと、自分のどこがおかしいのか、解き明かしてくれる記述を求めていた。何らかの説明がきっとどこかにあるはずだという希望は、私の無意識から消えることがなかった。それは完全に無意識のものではあったが、私が医学書のページを繰るようになったのも、この希望からだった。」(Gerland[1997=2000:136])
 「私がどんな問題を持ち出そうと、先生は必ず、心理学的な説明をいくつも提示してくれた。[…]確かに理屈の通った説明だった。だから私は信じることに決めたが、内心ではしっくりこなかった。」(Gerland[1997=2000:221])
 「私は突然、正しい本の正しいページをめくったらしい。そこには私がいたのである。単なる偶然と片づけるには、あまりにもあてはまることが多すぎた。ところが[…]先生は[…]あくまでも家庭環境のせいだという立場を崩さなかった。…こういう人たちにかかると、脳に損傷があると言われてしまうんですよ、そして、うまく行かないことは何でもかんでも、脳の損傷のせいだといって片付けられてしまうんですよというのが先生の話だった。」(Gerland[1997=2000:257])

◆1998年版『厚生白書』

「[…]当の女性たちと別の人たちにとっても、家族要因説は家族・妻・母に育児の仕事を押しつけることによって益を得られると限ったものではない。自分の子にべったりと張り付くというのでない働かせ方の方が、「高齢化社会」を考えより効率的な労働力の使いを考えた時にはよいと人が思うようになるのであれば、この説はありがたいものではなくなる。例えば一九九八年版『厚生白書』は「三歳児神話」を明確に否定するのだが、そこにはそんな背景があるという(大日向[2000:84])。」(立岩[→2012])

◆立岩 真也 2002 「生存の争い――医療の現代史のために・3」,『現代思想』30-7(2002-6):41-56 ※  資料

「☆04 ボウルビィのいわゆる「母性剥奪(maternal deprivation)」仮説、それがいくらかあるいは極端に誇張された主張、それを巡る議論の歴史等々については、それが女性、フェミニズムに関連する領域であるために比較的に言及は多いが、きちんと調べてまとめたものがあるのか――「家族要因説」について検討した加藤[1997]等もあるにはあるのだが――私は知らない。調べたらよいのにと思う。
 ただ、こうした領域の資料を集めている人はわかると思うのだが、こんな本は買いたくないというだけでなく、見たくないし、知らせたくない、存在を無視したいというようなものがいくらもある。けれど、すでに十分に普及してしまっているものもいくらもあるから――久徳重盛の『母原病』(教育研究社、一九七九年)は「八一刷に達し、その後、新装版になってからも四版を重ねています。教育研究社はその後サンマーク出版と名を改め、一九九〇年にさらに『新・母原病』を出版しています。」(上野[1994])のだそうで、さらにまだまだある――ただ無視してしまえばよいというのでもなさそうだ。」(立岩[200206])

加藤 まどか 1997 「家族要因説の広がりを問う――拒食症・過食症を手がかりとして」,太田省一編『分析・現代社会――制度/身体/物語』,八千代出版:119-154
◇立岩 真也 2002/06/01 「生存の争い――医療の現代史のために・3」,『現代思想』30-7(2002-6):41-56 ※資料
上野 千鶴子 1986 『マザコン少年の末路――女と男の未来 増補改訂』,河合文化教育研究所,発売:進学研究所

◆辻井[2002]

 「自閉症とは、一般的に世間で思われているような「内閉的」「引きこもり」「暗い」といった性格的なものを指すものではありません。自閉症は、発達障害で、生まれながらの脳の働きの障害によって引き起こされます。そして、自閉症の基本障害は以下の三つからなります。[…]
 ・社会性の障害[…]・コミュニケーションの障害[…]・想像力の障害(こだわり行動)」(辻井[2002:i-iii])

◆立岩 真也 2002/10/31 「ないにこしたことはない、か・1」,石川准・倉本智明編『障害学の主張』,明石書店,294p. 2730 ISBN:4-7503-1635-0 [amazon][kinokuniya] pp.47-87

「☆22 では障害であると規定されること、「原因」がわかることはどのような意味をもつのか。まず一つに、なにが起こっているのか、なぜそうなっているのかわからなかったものが、説明され、それでなにやら納得してしまうことはある。それは多分大切なことだ。
 一つには、心がけによってとか努力してとか、そんなことではどうにもなるものではないことがわかり、自分の側に向けられてきた圧力から逃れることができる。そしてこの場面でその原因は「社会的な要因」である必要はない。むしろ例えば脳生理学的な理由であることがわかった方がすっきりするということもある。社会要因説については、とくに精神分裂病や自閉症などについて家族にその要因が帰せられ、家族がその責任を負い、努力しなくてはならないということにさせられてきたことがあった。そしてこのことは「社会モデル」の主張と対立するものではない。立岩[2002b(2)(3)]で原因帰属についてすこし考えてみた。

◆雨宮 俊彦 2003 「トピック:人間の誤りやすさについて」http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~ame/gairon/Gairon2003.files/Gairon2003-body3.htm,『相互作用的人間・社会科学の冒険』http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~ame/ 〔9〕

「[…]自閉症は親の養育態度が原因だと主張したベッテルハイムも過ちを指摘されている学者である。[…](自閉症の養育原因説は、ライヒマンによる分裂病原性の母親やハーマンによる複雑性PTSDなどと同じく、標準社会科学モデルの人間観に合致するためか、今でも、社会学者などにはアピールするらしい。」(雨宮[2003])

◆こうもり 2007 「Bベッテルハイムの悲劇」http://uramonken.at.webry.info/200711/article_1.html、『アブノーマライゼーションへの道』http://uramonken.at.webry.info/ 〔9〕

◆渋谷[2008]

「例えば現在、埼玉県で議員をしている人が、自閉症の子とその家族を描くコミック『光とともに』◆のことに触れて、そしてかつての家族要因説が否定されたことを歓迎しながら、回想する。

 「三〇年以上前、自閉症の家族のグループ化のお手伝いが、私の最初の市民活動になる。[…]
 当時、自閉症は母子関係の問題といわれていた。私は、ベッテルハイムの自閉症の本に感動していた。「テレビに子守をさせないで」という本がでていたり、行動療法もあったり、「栄ちゃんは一人ではない」という普通学級出の混合教育、今のノーマライーゼーションの始まりの話だったり、いろいろだった。
 障害児の関係の本はまだほとんど出版されていなかった。
 今、自閉症は脳の器質障害として捉えられている。捉え方が以前と比較し、家族にとって優しい。」(渋谷[2008])」(立岩[→2012])

山口真紀 200803 「「傷」と共にあること――事後の「傷」をめぐる実践と議論の考察」,立命館大学大学院先端総合学術研究科博士予備論文

 「☆01◇こうして今のところまだ数は少ないのだが、それでも何もなくはない。山口[2008]について以下。
◇「なおらないこと、もう起こってしまったよくないこと、それをどうしたらよいのか。十分な答などというものがあらかじめないことがわかった上で、このことに関わる私たちの営為について知ることがなされてよい。(そう簡単に)もとには戻らない、消し去ることのできないことがあった時、人はどんなことをするのか。それにしたって一様ではない。もちろん自分のこの状態は、あるいは過去に起こったことは、わるくはないのだと思えた方がよいこと、そして思えることもあるにはある。しかしむろんそんなことばかりではない。その時に人は何をするか。自分のせいにしたり、人のせいにしたり、妖怪のせいにしたりする[…]]、等々。それはどのようによく、どのようにうまくいかないところを残すのか。山口真紀[2008]が考え始めている。」(立岩[2009:206-207]

◆佐藤 幹夫 20080717 『「自閉症」の子どもたちと考えてきたこと』,洋泉社,240p. ISBN-10: 4862482856 ISBN-13: 978-4862482853 1890 [amazon] ※ a07. 〔14〕

「[…]ある状態の「原因」(となる存在)とその状態への対処(を行なう存在)とを単純につなげてしまうと、家族が原因でないとされることによって、家族は今度は何もしなくてもよいと思ってしまうのではないか。そのことを懸念する人、実際にそんなことがあることを指摘する人がいる。佐藤幹夫◆は長く教員などをして自閉症の子と関わってきた著作家で、けっして家族に多くを負わせようなどと言いたい人ではないのだが、次のように述べる。「脳の機能障害説」についての佐藤の捉え方が示されている箇所でもあるので、すこし長く引用しておく。

 「「自閉症」や発達障害となると、脳の機能障害という仮説が定説のように強調される。不思議なことだといつも感じます。
 ここには、おそらく理由があります。
 一つは、脳科学がいまやたいへんなブームになっており、脳が解明されればすべてが分かる、といったある種の盲信といいますか、過度の信じ込みが広がっているという社会背景が一つです。/二つ目は、「自閉症」の子どもたちの行動や言葉が与える不思議さです。[…]
 そして三つ目が、かつて「自閉症」を形成する原因が養育にある、母親の育て方にある、とされたことに対するリアクションです。現場の教師の何人かから「脳のどこかに何らかの原因があるんですよ、という説明が、お母さんたちを一番安心させる」という話を聞きました。分からなくはないのですが、私自身は複雑な気持ちになりました。
 というのは、「自閉症」や発達障害における脳科学の解明がどこまで進んでいるにしろ、治癒あるいは治療といったものに対し、はっきりと答えを出すことができずにいるのが現状です。発達障害や「自閉症」は、残念ながらまだ医学では治らないもの、というのが一般的定説とされているのですね。ということは、「自閉症」の子どもたちにとって重要な存在は、養育や療育、教育にたずさわっている人たちだということになります。
 先日目にした論文に、こんなエピソードが書かれていました。ある学校の先生が、自分のうけもちの子が発達障害と診断された。するとその先生は、ではもう自分の仕事ではない、お医者さんに任せればいい、と言ったというのです。[…]
 私は、医療は必要ないと言っているのではありませんよ。/[…]「自閉症」の子どもたちには間違いなく”育ち”が見られます。最前線でそれを担っているのは、まずは教育や療育にたずさわる現場の人間です。仮に脳が解明され、障害の部位が特定されたとしても、治癒に有効な薬物療法や治療方法が発見されるまでは、福祉や教育の現場にいる人たちの役割の重要さは決してなくならないはずです。むしろますます重要になるかもしれない。」(佐藤[2008:52-53])

 そんな現実もあるのだろう。また佐藤の述べることの多くを受け入れようとも思う。ただ、近年出版されているものを見る限り、そこでは、家族関係が原因であることは否定され、そのことは明言され、さらに医療者が行なえることの限界も言われ、そしてその上で、家族や教育者たちに支援の重要性が強調されその様々な方法が伝えられる。そうした本がたくさん出され、そして多くの人に読まれる☆02。この意味で依然として、あるいはさらに、家族は期待される存在である。
 そしてここで何をしたらよいのかは、その疾患や障害についての知識が増えることによって、整理され簡素なものになることもあり、苦労に比して効果的なものになることもあり、結果として家族は楽になることもある。だが、微に入り細に渡ったものになることもある。それができないことであれば、また著しく困難なことであれば、それはしょうがない、できなくても当然ということにもなる。しかし、まずすくなくともその一つひとつはできなくはないことである場合がある。そしてその一つひとつを行なうことに効果があるとされ、そしてそれは、この時期にしか効果がないことであるなどとも言われる。そこでそれを行なう。しかしたいていの場合、そうきちんとしたことはできない。また行なってはいるが、よくできているとは自分が思えない場合がある。また、努力はしていると思っているのだが(思っていたのだが)、その結果・効果が思わしくない場合に、それはなすべきこと、なすとよいとされたことをきちんとしなかったためではないかと思われることがある☆03。」(立岩[→2012])

山口真紀 2009/06/07 「診断名を与えること/得ることについての問題の再検討――ニキの主張を起点にして」
 福祉社会学会第7回大会 テーマセッション報告 於:日本福祉大学

◆トチタロ[2009]

 「本書ですでに、マイケル・ラター博士らが論じているように、それまでの自閉症心因論には疑義が唱えられています。まさにそれまで信じられていた自閉症の「概念と治療に関する再検討」です。[…]
 そしてそれ以後さらに研究が進み、自閉症というものが親の育て方によって引き起こされるのではなく、脳機能障害による発達障害であるというのは多くの研究者により実証されてきました。」(トチタロ[2009])

山口真紀 2009/09/26-27 「病名診断をめぐる問題とは何か――診断名を求め、語る声から考える 」 障害学会第6回大会・報告要旨 於:立命館大学

◆立岩 真也 2009/11/25 「『税を直す』」(医療と社会ブックガイド・100),『看護教育』50-11(2009-11):-(医学書院),

  「自閉症について、家族要因論の否定が本人たちや親に歓迎された。私は自閉症のことはすこしも知らず、とくに関心があったわけでもない。ただ、私の書きものを読んでくださった方から、地域の親の会の機関紙を送っていただいていたことがあった。また、上野千鶴子の河合塾での講演が、自閉症について間違った認識に基づく部分かあると批判され、謝罪するといったことがあったことを知りはした。それでいくらかふれた。
  今回の『みすず』連載では、それを引き継いで考えてみようとしている。そしてそのために、新たに本をいくらか買い込んだ。
  それは主に本人たちが書いた本だ。そして、そういう本がたくさん出ているのがここしばらくの特徴なのだ。かつてニキ・リンコの本を紹介したことがあった(2004年4月号・6月号)が、彼女はその後も次々に本を翻訳したり書いたりしていて、それもずいぶんな数になる。それ以前には、ドナ・ウィリアムズの『自閉症だったわたしへ』(原著1992、訳書1993、新潮社、2000新潮文庫)といった本がある。連鎖するように多くの本が出版されている。
  まずそれらを集めた。『ALS』で使ったのと同じ手口である。その時も、ALSの本人や家族が書いた本を手当たり次第に集め、引用を連ねて本を作った。そうした作業は難しいことではない。本・資料の入手も困難ではない。というか、容易に入手できるものを使って、調べて書いていける。だが意外にそうした書きものは少ない。なぜみなそういうことをあまりしないのだろうと不思議だ。
  自閉症とADHD(注意欠陥・多動性障害)・ADD(注意欠陥障害)――これらと自閉症が同じだといったことを言いたいのではない――に関わる本80冊ほどがすぐに集まった。そのリストを作り、その引用集を作った。それを見ていただくこともできる。私たちのHPに入ってから「自閉症」で検索するとある。
  それらに自閉症と診断されてどのように思ったのか、何が変わったのか、書かれている。それを集めて、書かれていることについて考えてみようというのだ。
  ではその話はどこに行くのか。それはその連載と、やがてその構成をだいぶ変えてまとめた本に書くつもりだから、読んでください。ただすこし予告すれば、私は、病気だとか病気でないとか言うこと、またこれが原因であるとかあれが原因であるとか言うことが――なくなりはしないし、なくなるべきだとも思わないが、減らせるし減らした方がよい場面では――減り、そのことにこだわらなくてすむようになったらよいと思っている。そんなことも、話を進めていくと、言えるだろうと思う。」

◆立岩 真也 2012/**/** 『分かること逃れることなど――身体の現代・1』(仮題),みすず書房 草稿

 「さらに、自分自身だけでなく、例えば家族が責められることがなくなることもある。これまである疾患について家族に原因があるとされてきたのだが、そうではないとされることになった。それで家族は自責の念に囚われることがなくなり、これまでの育児の仕方などを改めさせられる必要がなくなった。これはよいことである。
 むろん、社会を問題にする人たちは、個人が問題だと言いたかったのではなく、また家族に問題があると言いたかったのではなく、まさに社会が問題だと言ってきたのではあり、本人や家族が責任を問われることを批判してきたのではある。だから、今これは病気であり障害であると言う人たちの思いに反することを言ってきたのではない、むしろ、同じ思いできたのだと言うかもしれない。しかし、しばしば、社会的な要因によると言われた上で、結局なにかをさせられるのは本人であったりもする。社会に問題があったのだと言われ、たしかに必要な金は社会的に支出されたりするとしても、結局その金で訓練を受けさせられたりするのは自分ではないかというのである。(これは◇第2回に記した社会改良主義にある問題と同形のものだ。)それより、これは例えば脳生理の問題であって、自分の身体の水準で自分の努力によってなにごとかをすることでどうかなることではないとされた方がよい。そう言われる。
 このことをどのように考えるのかという問題がある。」

 「社会科学者は、職業柄、はじめから社会要因説の肩をもってしまいがちなところがあるのだが、それがどこまでの有効性をもつのかは測っておいてよい。そのある部分、家族、とくに母親(の関わりの不在)に様々の原因があるといった説とそれに対する批判の経緯についてはある程度の研究もあり知られているから文献をあげたりする必要もない一方で、まだあまり記述されていない領域も多い。その歴史もまた辿られるとよい、ここでもただそれだけのことを言おうと思うのだが、それでも少しのことを記していくにあたり、ことわるまでもないことわりと、考えるべき課題を、まず、合わせて四つあげる。」

 「私が罹っているのは〇〇病であると言ったり、そうなった「わけ」は××であると私たちは言ったりする。それはどんな行ないなのだろうか。そんなことを考えている。
 個人にもっぱら注目することを批判し「社会」の側を問題にする人たちがいたこと、その中には医療者の側からの動きがあったことを述べた。それは良心的な行ないなのではあるが、その意味、妥当性はよく検討されるべきであること、その理由を述べた。これまで社会を持ち出す側としては、医学が示す病因論に対してはそれが確実でないことを指摘し、また社会的因子を強調するというのが常道だった。その意義を了承しつつ、しかしそれだけではすまないはずだと考えているのである。
 「すまない」と思うのは、一つに、家族、当人の側から、いやそれはただの病気なのだと言われたから、言われるからでもある。このことについて、その意味について考えることになる。
 そして、ことはなかなか複雑ではある。

 「高岡 自閉症脳障害説に関しては、例えば自閉症協会でもそういうふうに言っていますし、これまでの親の育て方が悪かったという誤解に対するアンチテーゼとしてはそういう言い方で私は十分いいと思うのです。しかし、この説で何が証明されるかというと、私は永遠に証明されないだろうと思っています。」(石川・高岡[2006:41])
 「石川 私も、医者の立場から親の育て方に対するアンチテーゼとして自閉症脳障害説を認めたというところでは、そこは半分そうだと思う。でも、それを医者が言ってはおしまいだとも思う。」(石川・高岡[2006:42])

 つまり、かつて親に原因があるという説があって、その後それが否定された、親たちもそれを否定した、それはもっともだった、しかし「医者が言ってはおしまいだ」と小児科医の石川憲彦が言っているということだ。これはいったいどうなっているのかということである。
 要するにどうなっているのかを言うにはまだだいぶかかりそうだ。まず、家族・親、もっと限定すれば母親に問題がある原因があるという説を巡って言われてきたことをすこし見て、考えられることを述べる。」

石川 憲彦高岡 健 20060625 『心の病いはこうしてつくられる――児童青年精神医学の深渕から』,批評社(メンタルヘルス・ライブラリー),172p. ISBN-10: 4826504454 ISBN-13: 978-4826504454 \1890 [amazon][kinokuniya] ※ m



◆「反精神医学」

「☆08 例えば、様々のことがそれなりの分量をもって書かれており、先にふれたロボトミーや電気ショックの歴史も扱われていてそれなりに勉強になる精神医学の歴史の本でショーターが反精神医学に割いているのは約5頁なのだが(Shorter[1997=2000:325-330])、そこではフーコー、サス、ゴフマン、シェフ、レインと、ベン・キージーの『カッコーの巣の上で』がまとめていっしょにされ、過去のものとされる。必ずしも病因論として括っているわけではないのだが、それにしてもずいぶんな情報の圧縮である。では日本ではどうだったか。私はこの時期以降の精神医療の言説の歴史についてほとんど何も知らず、またそれを追った研究があるかないかも知らないのだが、例えば「反精神医学」の語が表題に使われる小澤[1974]*を読んでみても、そこにほとんど病因論は出てこない。別のことが書かれている。」(立岩[2002]**)
小澤 勲 1974 『反精神医学への道標』、めるくまーる社
**立岩 真也 2002/04/01 「生存の争い――医療の現代史のために・2」,『現代思想』30-05(2002-04):41-56 ※資料

◆19831201 『「精神障害者」の解放と連帯』,新泉社,246p. 1500 ISBN-10: 4787783157 ISBN-13: 978-4787783158 [amazon][kinokuniya][boople] ※ m

 「例えば「反精神医学」というものがあって、それは精神病は社会が貼った単なるラベルであるとして病の存在自体を認めなかった立場である、あるいはその病の原因として生理的な水準を否定しその原因として社会だけを名指した立場である、そして医療をすべて拒否した立場である、ということになっている。だがそんなことはない。例えば先にもその文章を引用した吉田おさみが、彼は論理明晰な精神障害者だったのだが、「従来の正統精神医学の構成的要素」として、1)狂気の患者帰属、2)ネガティブな狂気観、3)狂気の原因論としての身体因説(あるいは性格因説)、「いわゆる反精神医学の構成的要素」として、1)狂気の成立機制としてのラベリング論、2)狂気のポジティブな評価、3)原因論としての社会要因説(あるいは環境要因説)をあげて(吉田[1983:104])次のように言う。
 「正統精神医学の構成的要素のうち、まず3)に、その後に1)2)に異義申し立てがなされたのですが、注意しなければならないのは[…]原因論の前提には(身体因説、社会因説を問わず)「精神病」を患者に帰属する「病」と捉えるネガティブな狂気観があることです。したがって、いわゆる反精神医学は正統精神医学の反措定として成立したが故に、そこにはさまざまな契機がごちゃまぜに混入されていますが、そもそもラベリング論・狂気の肯定と社会因説は論理的に両立し得ないのです。何故なら、原因論それ自体が、いかにして「精神病」をなくするかという目的的実践的要請から出発しているのであり、社会因説を含めた原因論は正統精神医学の1)2)の構成的契機(狂気の患者帰属と狂気の否定)を前提しているのであって、反精神医学の1)2)の構成的契機を是認すれば、原因論を論じることじたいがおかしいことになるからです。」(吉田[1983:106])
 私なら少し違うように言いたいところはある。例えば狂気を肯定しなくてはならないわけではないだろう、病気は病気だと言えばよいのかもしれないと思う。この時期にこのように言われたことと、このごろのもう少し力の抜けた構えと違うところはあるように、しかし同時に、そう大きく違うことだろうかと、違うと言ってしまうのも乱暴だろうか、そんなことを考える☆06。だがともかくはっきりしていることは、吉田が「原因」が一番の問題ではないのだと明言していることだ。だから、反精神医学が、というより当時の精神医療に対する批判が、社会因説をとり、それはその後の「医学の進歩」によって間違っていたことがわかったから命脈を断たれたのだという話は間違っている。この文章の第二回・第三回で[…]」

◆立岩 真也 1986/07/** 「制度の部品としての「内部」――西欧〜近代における」,『ソシオロゴス』10,pp.38-51(→『私的所有論』第6章・第7章)

◆立岩 真也 1987/07/** 「個体への政治――西欧の2つの時代における」,『ソシオロゴス』11,pp.148-163.(→『私的所有論』第6章・第7章)

 「まず、以下を再確認しよう。第一に、内部という領域が、遡行において、また測定において現れる場合に、それ自体としては不可視であること、しかもその存在を否定すること自体は困難なこと、ある内容について肯定・否定が困難な場面があること。
 そこで、この場所が問題になるや、そこに諸個体はひきこまれてしまう。別々の言説が独立に相互に干渉することなく存在するという言説の布置ではなく、共通の主題へと導かれていくのである。
 そしてそこは、まず内部の私への現前を促す存在として、また、自己の特権性が奪われている測定において、そして遡行における自己にとっての不可視性の現れにおいて、他者が介入する場所でもある。
そして第二に[…]」
 「 だから現在、何が私なのかということが、正確には何を私とするのかということが、社会的な闘争の主題になっていることが理解される★28。そしてそこに、固定された解答、ある一方につくという解答があるというわけではない。
だが、こういったことを主題的に検討しようという場合に、人間・社会に関する(科)学という領域は19世紀に設定された布置の中にある。」

◆上田 紀行 19891201 『覚醒のネットワーク』,カタツムリ社,177p. ISBN-10: 4906539122 ISBN-13: 978-4906539123 1200 [amazon]※→1997 講談社,講談社文庫,274p. ISBN-10: 4062562030 ISBN-13: 978-4062562034  [amazon] b c11 e01

◆中井 久夫 1994 「精神分裂病の病因研究に関する私見」,『精神医学』36-6→中井[19961028:104-126]*
*中井 久夫 19961028 『精神科医がものを書くとき・U』,広英社,423p. ISBN-10: 4906493033 ISBN-13: 978-4906493036 [amazon][kinokuniya] ※ m.

 「はじめに

 […]病気の原因というものは、我々が素朴にこれと指摘じてきるものとは限らない。むしろ、そちらのほうが例外で悪。病気というものは通常、長い事件の連載あるいはパターンあるいは布置である。その中で不可欠の因子があれば、我々は、これを病気の原因という。感染症でも一発必中というのは狂犬病かラッサ熱ぐらいしか思い当たらない。」(中井[1994→19961028:104])

 「慢性病態についての思弁

 時々、分裂病は器質性疾患と思わないのかという質問を受ける。「器質性疾患」という用語を、光学顕微鏡(電子顕微鏡でもよい)水準の異常を整合的に発見しうる疾患と定義しないと、神経症に<0119<も我々の日常思考にも、脳内、体内にあるその物質的基底の変化があるはずなので、この問いは意味をなさない。私は、器質性疾患といわれているものは、「粗大な原因によって粗大な結果を生むもの」と考え、分裂病は「些細な失調が回り回って大きな結果を生む」として区別するのが実際的であろうと思う。「プロツェス」という概念はさらにわからず、慢性分裂病の方向に状態を遷移させる力という理解しかできないが、それでよいのであろうか。これを「起病力S」といいかえれば、「抗病力R」もあるはずである。後者がゼロに近くなった場合が「激症(奔馬性)破瓜病」であろう。さらに付随的な条件が疾病の帰趨を決する場合もあるであろう。この二つの力に関してはむろん病気以前の最初の状態はS<Rのはずである。この符号がこの観点から特に速やかに逆転すれば分裂病性エピソードであろう。
 この観点から特に間題なのは慢性病態であって、これは、SとRとの不宏定な釣り合い状態であるとみなすことができる。いずれも入力をもって維持せざるをえないから、次第に生体は疲弊してくる。しかも、すべてシステムというものがそうであるように、その状態を変えようとする作用に対しては、その状態を維持しようとする反作用が生じる(15)。慢性病態の変えにくさはこのような原理的なところにもあるだろう。
 釣り合いの平衡点が多少ずれるところに様々な界面現象が発生する。山口直彦らの「知覚変容発作」「恐怖発作」もその一つとして理解することができる(16)。この状態はそのつど薬物で解消することができるが、それで事足れりとするのは早計である。初期あるいは軽症(外来)において維持<0120<した例では,そのつどの解消成功にもかかわらず、苦い結末に至った。治療関係が良好なーーほとんどすがるように離脱を求めていたーーままであった。精神科医としてそのような場合に遭遇したのは実に二回だけであったが、思いみれば、毎日、S優位の状態とR優位の状態とを往復するということは、北極と赤道とを往復するよりも過酷なことであろう。友人も多く、大学通学もしていた。R優位の時は、活き活きとした青年であった。S優位の状態は日に一時間ほどであり、夕刻、しかも移行期(ホーム、車中、喫茶店など)に限られていたが、それでも、「発作」のない時には「あれがいつ襲ってくるか」という不安があり、「発作」の最中は不思議にこの不安がないのであった。今となっては「臨界期」の諸現象がどうして発動しなかったのかが怪しまれる。一見些細な、一過性の事象であるから、発動の閾値に達しなかったのであろうか。あるいは、Rの氷山の一角であると思われる臨界期の生物学的基底の欠陥あるいは疲弊があったのであろうか。あるいは、未済の葛藤ーーそれはあったーーに重要な何かが振り向けられていたか、消費され尽くしていたのであろうか。
 あるいは、「迷路」を逆に通り抜けることが難しいように、臨界期の生物学的基底の複雑さが、「非S」(R優位)の状態への復帰を妨げていることが慢性化成立の一因かもしれない。こうなると悲観論的になるが、抗糖神病薬は少なくとも初期にはこれを押し下げる効果があった.もっとも、これに先行してドパミン系が安定化することが必要かもしれず、さらに、臨界期の生物学的基底の安定化と再建ということも重要であるかもしれない。この基底が固定的構造物というよりはダイナ<0121<ミックな機能集団であるとすれば、そういうこともあるだろう。
 ここで参考になるのは、おおむね、緊張型においては、臨界期は数日、数週であるが、妄想型においては、数ヵ月、数年にわたり、また破瓜型においては、トビトビに起こって「実らない」傾向があることである。また一般に軽症においては単純な構造を持ち、順当な治癒の場合には、一つが終わりつつある時に次が起こり始めるという継起性があることである。緊張病状態は分裂病状態の入口だけでなく出口でもあるというサリヴァンの考え方も一理がありそうである。

  精神病理学からの一言

 生物学的精神医学が精神病理学から何らか得るものがあるとしたら、それはまず、注目されていなかった現象の発見、意味づけであろうか。精神病理学といわず、臨床精神医学は、まだ肉眼で月を見ているようなものである。望遠鏡で見ればまったく別の月面が見える。我々の場合は、時間尺度を変えることによって、まったく別の様相を呈するはずである。それは、氷河が年の単位では流体とされるのと似ている。しかし、分単位、時間単位の非破壊的観察には独特の困難がある。また、私の得た多少の成果も、精密にすればするほど個人を特定できてしまうために、発表する際には抽象的、曖昧あるいは省略した表現にしないわけにはゆかない。 私は、妄想や幻覚は、ある状態の指標としては重要であろうが、分裂病の本性に迫るものとは思<0122<っていない。それらの与える苦痛を軽減することは有益であるが、それらに焦点を当てた治療はある程度以上の意味がないと私は思う。また、急性期の幻覚妄想と慢性幻覚妄想とはいちおう別個の現象と考える。妄想と幻覚を消し去る薬物が開発されたら万事よしではない。マイクロサイコーシスの一面を持つ「発作」を薬物で解消した跡に残るのはしばしば癒しがたい索漠感である。
 複数の患者からの言によれば、妄想と幻覚の持つ苦痛は、それに先行する恐怖体験に比べれば何ほどのこともなく、したがって、それほど悩まないようにみえるのである。実際、発病時の恐怖体験の与える大きな苦痛が、すべての患者に起こるかどうかは断言できないが、幻覚妄想は対象化、感覚化であり、言語化可能であって、これは「全存在を包み、個別感覚を超え、言語化できない恐怖体験」からの「健康化」とみることもできる。これは一つの罠であるが、安定した幻覚妄想を持たない患者が恐怖発作の再来に悩むこと、および幻覚妄想の中に恐怖の要素があって、患者はこの恐怖に対して反応しているのであって、幻覚妄想の狭義の内容ではないことを言っておきたい。 特に、分裂病の精神病理学においては、破綻論と基礎構造論のいずれであるかを考えて読む必要があると思う。
 最近の中安信夫が初期分裂病と呼ぶものは、新しい治療的課題である。ドパミン系に対する薬物が無効であることは理論的にも大きな問題である。これが必ず分裂病の前駆段階であるかどうかは断定できず、いちおう別個として「中安症候群」とでもしておくべきであろう。この治療は、私の経験では、ごく少数の薬物の援護下に困難なシュヴィング的接近を行わねばならず、しかも、シュ<0123<ヴィングらが対象とした慢性緊張病患者よりもはるかに治療者の心身の負担を必要とするように思われ、かつ、自殺のリスクが予想外に高いのではないかと懸念される。」(中井[1994→19961028:385-286])

◆佐藤 純一 1995 「医学」、黒田編[1995:2-32]*
黒田 浩一郎 編 19950425 『現代医療の社会学――日本の現状と課題』,世界思想社,278+7p. ISBN:4-7907-0546-3 1988 [amazon][boople][bk1] ※ b sm

 「…近代医学が様々な疾患において、現在どのような因子を危険因子と設定しているかを概観すると、いくつかの特徴が浮かび上がってくる。/第一に、「疾病の発症率と、所得・階層との相関性」については、多くの病気に関して疫学データが存在するにもかかわらず、所得・階層が危険因子と設定されることは少ない。/第二に、社会システムより個人の日常生活の行為が危険因子と設定される。…/第三に、第二の「システムよりは個人」に加えて、「社会的因子よりは生物学的因子」を危険因子に設定する傾向があり、このことにより、個人の遺伝子レベルまで危険因子の設定範囲が広げられようとしている。」(佐藤[1995:31])

◆Gerland, Gunilla 1997 A Real Person=2000 ニキ・リンコ訳、『ずっと「普通」になりたかった』,花風社

 「私は突然、正しい本の正しいページをめくったらしい。そこには私がいたのである。  単なる偶然と片づけるには、あまりにもあてはまることが多すぎた。ところが、…先生は…あくまでも家庭環境のせいだという立場を崩さなかった。…こういう人たちにかかると、脳に損傷があると言われてしまうんですよ、そして、うまく行かないことは何でもかんでも、脳の損傷のせいだといって片付けられてしまうんですよというのが先生の話だった。」(Gerland[1997=2000:257])

◆立岩 真也 2002/04/01 「生存の争い――医療の現代史のために・2」,『現代思想』30-05(2002-04):41-56 ※資料

◆立岩 真也 2002/06/01  「生存の争い――医療の現代史のために・3」 ,『現代思想』30-7(2002-6):41-56 ※資料

◆2004/02/25「『PTSDの医療人類学』」(医療と社会ブックガイド・35),『看護教育』45-02(2004-02)(医学書院)

◆立岩 真也 2004/12/31 「社会的――言葉の誤用について」,『社会学評論』55-3(219):331-347→2006 『希望について』に収録
 要約「社会学は「社会的であること」を様々な場に見出すことを行なってきた。しかしそれには幾つかの誤解と幾つかの限界がある。とくに規範的な含意がそこに見込まれるのだが、それは実際には存在しない。だがその弱点を補おうとして政治哲学等の規範理論を輸入しようとしても、それらにも同様の限界があって、そのまま借りてきても役に立たない。そこで、別様の問いの立て方、別様に考えていく道筋を示す。」

◆石川 憲彦・高岡 健 20060625 『心の病いはこうしてつくられる――児童青年精神医学の深渕から』,批評社,メンタルヘルス・ライブラリー,172p. ISBN-10: 4826504454 ISBN-13: 978-4826504454 1890 [amazon][kinokuniya] ※ b m

 「石川[…]例えば、ある年齢ぐらいまでの子どもは大人だったら戻らない発語機能が戻るのは左側が壊れると右側が利用可能だからということはよく知られてきた。かつて医学はこのような器質的異常論からスタートしたわけです。ところがいつの間にかこれが機能的異常という言葉を生み出すようになると――これは脳死臓器移植まで行ってしまいますが――逆に機能の問題を脳の中の活用方法の異常という仮説を持ち出して、ついには病気を量産しようとしている。ここに今の精神医学の中で一番のトピックス[ママ]になっていると思うのです。
 だから「心の理論」は、因果関係が問題にならない。そこから出てきている理論の怖さは、最適理論です。脳は活用方法を一定の方向に決めたのですから、そこは個性で変えられない。しかし、個性的なありように負担を与え過ぎず、しかも個性を生かすためにどうやって最適の刺激を調節して与えるかが問題だという理論です。それはある意味では当たり前のこ<0040<とで、使い過ぎは疲れるし、使わなくては機能は低くなる、というようなことにすぎないのに、あたかも「自閉症」の子どもには最適があるように言い繕う。脳の動きにまで最適基準として特殊化されて導入されることになったら、これはもう薬づけの世界に突入するしかない。」(石川・高岡[2006:40-41])

 「高岡 自閉症脳障害児に関しては、例えば自閉症協会でもそういうふうに言っていますし、これまでの親の育て方が悪かったという誤解に対するアンチテーゼとしてはそういう言い方で私は十分いいと思うのです。しかし、この説で何が証明されるかというと、私は永遠に証明されないだろうと思っています。自閉症というのは、胃がんや骨折とは、全く違う領域の話ではないかと思うからです。
 では何なのかと言われると困るのですけれども、私は人間存在の原点みたいなものだと考えています。この原点が、発達という形でどんどん不自由にされていく過程がある。[…]」(石川・高岡[2006:41])

 「石川 私も、医者の立場から親の育て方に対するアンチテーゼとして自閉症脳障害説を認めたというところでは、そこは半分そうだと思う。でも、それを医者が言ってはおしまいだとも思う。高岡さんがよく言われるうつ病の話と同じだと思います。「うつ」は日本では根性のせいとか、甘え、だからというふうに批判的にみられてきた。それに関するアンチテーゼとして「うつ」は病気です、というのはいいように見えるけれども、気がついてみたら祖結果アメリカでは女性の4分の1は「うつ」で10%位の人が薬を飲んでいるという話にまでなってしまった。
 そこまでいったときに、専門家が病気だと宣伝していく裏に進行する社会的無意識の動向みたいなも機を相当注意していないとヤバイと感じる。「自閉症」もどんどんインフレのようにふえていく。スペクトラムという言葉自体がどういう広がりと可能性を誰にでも導いていきかねない。しかし誰にでも可能性があるなら特別視を止めてチャラにすればいいじゃない、という社会の方向はなかなか生まれない。」(石川・高岡[2006:42])

◆芥子川 ミカ 20060710 『妖怪セラピー――ナラティブ・セラピー入門』,明石書店,208p. 1890 ISBN: 4-7503-2374-8 [amazon][boople]  ※, b c11 e01 r05

山口 真紀 2008 「「傷」と共にあること――事後の「傷」をめぐる実践と議論の考察」,立命館大学大学院先端総合学術研究科博士予備論文

◆立岩 真也 2008/02/29 「あとがきに代えて」,立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点 20080229 『PTSDと「記憶の歴史」――アラン・ヤング教授を迎えて』,立命館大学生存学研究センター,生存学研究センター報告1,157p. ISSN 1882-6539 pp.191-195

◆立岩 真也 2008/12/01 「この時代について言えるだろうこと――身体の現代・6」,『みすず』50-12(2008-11 no.567):- 資料,

「□わかること
 ある身体の状態を名づけることについて、語ることについて、その状態がしかじかであるわけを言うことについて、右往左往があって、どのように考えたよいのかよくわからなくなっている。
 「医療化」といった言葉を用いながら、社会科学(のある部分)は、医学・医療がいまままで病気と捉えられなかったものを病気としてしまっていることを指摘し、そのことによって、医療あるいは医療を一部に組み込む社会が人を支配してしまうことを言ってきた。そして同時に、ことは人の身体の問題でなく、社会の問題であるのに、そのことを隠してしまい、そのことよって社会の責任を免じてしまうことを批判してきた。私は、このように言われたことは今でも大切であると考えている。しかし――こんどは医療の側からではなくとくに当人たちの側から――別のことが言われることがある。むしろ病気であるとわかった方がよいというのだ。例えば自分に起こっていることは、社会の問題、家族の問題等々であるというより、脳神経におけるしかじかの出来事だと説明されてよかったというのである。ここは整理した方がよい。考えて直してみる必要がある。次回以降、数回かかることになるだろうが、ここから私たちは再考を始めることにする。
 まず、名づけること・類型化すること・知ることは、役に立つ場合があることを認めよう。人によっては名づけられない、説明されない事態が起こっていると感じることは不安を呼び起こすことであるのかもしれない。どんな説明であれ、名がつけられ、説明がなされると――それが当人にとって受け入れられるものであればだが――なんだかわからない事態ではなくなり、それはよいことであるかもしれない。
 また、対処の仕方が知られているものと同じものであることがわかると、対処の仕方が――実際にその方法がある場合にだが――わかることがある。しかじかのように対応すれば今よりはうまくいく、そのような種類の出来事が自分に起こっていることがわかれば、そのように対応すればよい。それは基本的によいことである。これは治療法がわかることと同じではない。そんな方法はまだないとしても、楽な呼吸の仕方であるとか、気の紛らわし方であるとか、身の処し方について便利な方法を知っていることは便利なことがある。(同時に、説明はされ、これからどうなるのか予測がついたりはするのだが、しかし対処のしようがないといった場合にはかえって困ることがある。そして病についてはそんなことが多くあって、周知のように告知の問題が引き起こされることにもなり、「知らない権利」が言われたりもすることになる。)
 そして、今起こっていることが自分自身ではどうにも仕方のないことであることを示す意味においてよいことであることがある。自分がなまけたくて仕事ができないわけではなく、病気だからできない。それで、できないこと、辛いことをせずにすむことがある。風邪だから休むことができる。うつ病だから仕事をしないことについて了解を得ることができるというのである。
 さらに、自分自身だけでなく、例えば家族が責められることがなくなることもある。これまである疾患について家族に原因があるとされてきたのだが、そうではないとされることになった。それで家族は自責の念に囚われることがなくなり、これまでの育児の仕方などを改めさせられる必要がなくなった。これはよいことである。
 むろん、社会を問題にする人たちは、個人が問題だと言いたかったのではなく、また家族に問題があると言いたかったのではなく、まさに社会が問題だと言ってきたのではあり、本人や家族が責任を問われることを批判してきたのではある。だから、今これは病気であり障害であると言う人たちの思いに反することを言ってきたのではない、むしろ、同じ思いできたのだと言うかもしれない。しかし、しばしば、社会的な要因によると言われた上で、結局なにかをさせられるのは本人であったりもする。社会に問題があったのだと言われ、たしかに必要な金は社会的に支出されたりするとしても、結局その金で訓練を受けさせられたりするのは自分ではないかというのである。(これは第2回に記した社会改良主義にある問題と同形のものだ。)それより、これは例えば脳生理の問題であって、自分の身体の水準で自分の努力によってなにごとかをすることでどうかなることではないとされた方がよい。そう言われる。
 このことをどのように考えるのかという問題がある。
 まず以上はよいこと、当然のことではある。ただそれはやはり事態を捉える捉え方としては一面的であることもあるのではないかと思う人がいるだろう。周囲の人々が、このごろは自分でできることをしない、病気のせいにしてしまう人が多いといった非難をすることもあるのだが、当人においても、例えば、家族の問題にしてもらいたくないと言う人が、同時に、問題ではないと言われたらそれは違うと思うことがある。つまり一つに、原因、要因について、人、家族や社会を指し示すことの妥当性は依然として消えてしまったわけではない。
 これに関わって、一つに、個人に帰責すること、自らが引き受けることを巡る問題もまた消えてはいない。とくに加害に関わる場面において、本人が選択できたのか、それともそうでないのか、この線を引くことから決定的には逃れられない、あるいは逃れるべきでないのではないか。このように食い下がられる。
 以上は、病気である障害であるという説明を受け入れ主張しようとしても、それがいつも通るとは限らないということなのだか、このことに関わりさらに、受け入れさせるために支払わねばならないものがある場合がある。病気であることが認められることによって免責され、さらに支援の対象になるということがあるのたが、これは認定の問題を引き起こすことにもなる。自分が病気であることを証明しなければならないことになってしまう。そしてそれは利害に関わることだから、自己申告だけではいけないとされる。そしてそれを判断できる人は専門家だけだということになることもある。また、自らがその病気であることを示すために、その病の標準的な像に合わせることをしなければならないことがある。また償いを求めるために、悲惨さを強調せねばならないことがあり、また過度に強調しているといった非難に耐えなければならないことがある。そして結果として、幾分かの人たちが切り捨てられることにもなる。これが公害病で起こったことでもあるのだが、しかしそれはもっと身近なところで起こっていることでもある。だからほんとうは、病気であるとか障害があるとか認めさせる必要がなければよい。すくなくともそのような場合がある。
 次に、型通りの対応のこと。さきに、自分が置かれている状態にはしかじかの対応が有効であるといったことがわかると便利だと述べたのだが、同時に、一人ひとりには異なりもある。しかし、ある範疇の病・障害と判定されることによって、それに効果があるとされる決まったことがなされ、それでよしとされ、それでうまくいかないと、それはこちらの対応のせいではない、などとされる。もちろん、経験の集積に基づき有効とされるパターン化された(ものであるしかしない)対応が有効でありなされた方がよいことがあることと、その限界の認識、個別性の理解、個別の対応の必要性の理解とは本来両立するはずのものなのだが、現実には、なかなかそうはならない。
 そしてこれらにも関わって、意味を求めること、名づけることについて。きっとそれはよいことであることを認めながら、しかし同時に、説明してしまうこと、説明されてしまうことの不快がある。それもまた、どのようにも名づけられない私でありたいという欲望に連なっているのもしれない。だがそのような欲望もあってわるいわけではないだろうし、またそんなことを思ってはいないとしても、しかじかのだれだれであると言うのはめんどうなことだと思うこともあるかもしれない。
 だから、名づけられ説明されることに様々に便利なことがあることを認め、それはそれとして利用しつつも、それが必須でないことを確認すること、必須でない状況に近づけようとすることをしてよい。
 そして、これらのことは不可能ではない。次節に述べることを先取りした上でということになるが――つまり、理由・事情と関わりなく暮らせるという条件があるなら――名づけることや線引きをせねばならないその要請の度合をいくらかは緩くすることができる。
 その上で責任の回避という論難についても再考することができるはずである。つまり、自己責任的であることが強く求められているからこそ、人はそこから逃れようとするのでもあるのかもしれない。たしかに病気は避難所になるのだが、それを求めさせてしまうことの方が問題ではないか。とすれば、むしろこのもとの部分を問題にするのがよい。責任や義務がないとするのではなく、なぜ、そしてどの程度の責任や義務が求めらるのかを示すことの方がよい。このような方向で、私たちは、名指すこと意味づけることを巡って錯綜している現況を解きほぐすことができると考える。
□どうするのかについて
 いま見たように、身体の状態をどのように理解するのかは、それを巡って何をするのか、しないのかに、既に関わっている。関わってしまっている☆02。[…]」

山口真紀(立命館大学先端総合学術研究科) 2009/06/07 「診断名を与えること/得ることについての問題の再検討――ニキの主張を起点にして」,福祉社会学会第7回大会テーマセッション「心や精神や神経の病や障害、と社会」


■文献表(これから) cf.刊行予定の本の文献表のもと

◆雨宮 俊彦 2003 「トピック:人間の誤りやすさについて」http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~ame/gairon/Gairon2003.files/Gairon2003-body3.htm,『相互作用的人間・社会科学の冒険』http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~ame/ 〔9〕
◆Bettelheim, Bruno 1967 The Empty Fortress: Infantile Autism and the Birth of the Self, The Free press=19730703, 19750721 黒丸正四郎・岡田幸夫・花田雅憲・島田照三訳,『自閉症 うつろな砦 T・U』,みすず書房,T:371p. ASIN: B000J9WG22 [amazon] 1400,U:431p. [amazon] 2000 ※ a07 〔9〕
◆藤原 信行 2007 「近親者の自殺,意味秩序の再構築,動機の語彙」、『Core Ethics』3:301-13 〔14〕
◆――――― 2008 「『動機の語彙』論再考――動機付与をめぐるミクロポリティクスの記述・分析を可能にするために」、『Core Ethics』4: 333-44 〔14〕
◆――――― 2009a 「自死遺族による死者への自殺動機付与過程の『政治』――意味ある他者の死にたいする自殺動機付与にたいする逡巡のなかで」、『生存学』1:55-69 〔14〕
◆――――― 2009b 「自殺(予防)をめぐる「物語」としての精神医学的知識の普及と自死遺族」、浅野・岡崎編[2009:119-128] 〔14〕
◆布施 佳宏  1994 「自閉症という問題」、『京都外国語大学研究論叢』42 http://member.nifty.ne.jp/starbird/book2.html 〔9〕
◆―――――  1996 「自閉症の神話」、『京都外国語大学研究論叢』47 http://member.nifty.ne.jp/starbird/book.html 〔9〕
石川 憲彦高岡 健 20060625 『心の病いはこうしてつくられる――児童青年精神医学の深渕から』,批評社(メンタルヘルス・ライブラリー),172p. ISBN-10: 4826504454 ISBN-13: 978-4826504454 \1890 [amazon][kinokuniya] ※ m
加藤 まどか 1997 「家族要因説の広がりを問う――拒食症・過食症を手がかりとして」,太田省一編『分析・現代社会――制度/身体/物語』,八千代出版:119-154
◆河合文化教育研究所 1994 『河合おんぱろす・増刊号――上野千鶴子著『マザコン少年の末路』の記述をめぐって』、河合文化教育研究所 〔9〕
◆黒木 玄 199909 「『マザコン少年の末路』の末路」の末路」http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/Kuroki.html(アクセスが禁じられており現在は読むことができない) 〔9〕
◆灘本 昌久  1994 「河合文化教育研究所編『上野千鶴子著「マザコン少年の末路」の記述をめぐって」(新しい差別論のための読書案内・2)、『こぺる』(こぺる刊行会)20 http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~nadamoto/work/199411.htm 〔9〕
◆―――― 1998- 『灘本昌久のホームページ』 http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~nadamoto/
◆大日向 雅美 20000410 『母性愛神話の罠』,日本評論社,231p. 1700円+税 〔9〕
◆大山 正夫  1994 『ことばと差別――本の絶版を主張する理由』,明石書店 〔9〕
小澤 勲 19740501 『反精神医学への道標』,めるくまーる社,312p. ASIN: B000J9VTS4 1300 ※ [amazon] ※ m 〔8〕
◆―――― 19750325 『呪縛と陥穽――精神科医の現認報告』,田畑書店,201p. 1100 ASIN: B000J9VTT8 [amazon] ※ m.
◆玲奈 19991017 「「差別的表現」のケーススタディ――上野千鶴子「『マザコン少年の末路』の末路」から、「差別的表現を含む出版物」をめぐる問題、そして著者・編集者・出版社の対応を考える」http://www.genpaku.org/sambo/autism.html、『ちびくろさんぼのちいさいおうち』http://www.genpaku.org/sambo/index.html 〔9〕
◆Rutter,Michael & Schopler, Eric eds. 1978 Autism: A Reappraisal of Concepts and Teatment, Plenum Press, New York=19820410 丸井 文男 監訳,『自閉症――その概念と治療に関する再検討』,黎明書房,662p. ISBN-10: 4654020373 ISBN-13: 978-4654020379 [amazon][kinokuniya] ※ a07. 〔9〕
◆佐々木 正美 2006 「追悼、エリック・ショプラー先生 前・中・後」http://www.budouno-ki.net/column/detail.html?id=4/http://www.budouno-ki.net/column/detail.html?id=5http://www.budouno-ki.net/column/detail.html?id=6、『ぶどうの木』http://www.budouno-ki.net/ 〔9〕
◆佐藤 幹夫 20080717 『「自閉症」の子どもたちと考えてきたこと』,洋泉社,240p. ISBN-10: 4862482856 ISBN-13: 978-4862482853 1890 [amazon] ※ a07. 〔14〕
◆渋谷 とみこ 20080503 「コミック「光とともに」」http://blog.livedoor.jp/shibuya_tomiko/archives/2008-05.html?p=2 〔9〕
◆立岩 真也 2002/06/01 「生存の争い――医療の現代史のために・3」,『現代思想』30-7(2002-6):41-56 ※資料
◆立岩 真也 2002/10/31 「ないにこしたことはない、か・1」,石川准・倉本智明編『障害学の主張』,明石書店,294p. 2730 ISBN:4-7503-1635-0 [amazon][kinokuniya] pp.47-87
◆トチ タロ 2009 「『自閉症――その概念と治療に関する再検討」http://ameblo.jp/tochitaro/entry-10207690736.html,『私のお薦め本コーナー 自閉症関連書籍』http://ameblo.jp/tochitaro/ 〔9〕
上野 千鶴子 1986 『マザコン少年の末路――女と男の未来』,河合文化教育研究所,発売:進学研究所
上野 千鶴子 19940201 『マザコン少年の末路――女と男の未来〈増補版〉』,河合出版、河合ブックレット,111p.. ISBN-10: 4879999008 \700 [amazon][kinokuniya] ※
山口真紀(立命館大学先端総合学術研究科) 2009/06/07 「診断名を与えること/得ることについての問題の再検討――ニキの主張を起点にして」,福祉社会学会第7回大会テーマセッション「心や精神や神経の病や障害、と社会」
◆夕霧 2006 「ベッテルハイムを批判しなければならないわけ」「ベッテルハイムとショプラー先生」http://blog.m3.com/ASDInfo/20061214/1/http://blog.m3.com/ASDInfo/20061217/1、『児童精神医学と福祉と教育』http://blog.m3.com/ASDInfo 〔9〕


UP:20080105 REV:2008020, 20090430, 0602, 0829, 30, 20101112, 20110704, 05,20120516, 20, 21, 25, 27
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