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『妖怪セラピー――ナラティブ・セラピー入門』

芥子川 ミカ 20060710 明石書店,208p. ISBN: 4-7503-2374-8 1890

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■芥子川 ミカ 20060710 『妖怪セラピー――ナラティブ・セラピー入門』,明石書店,208p. 1890 ISBN: 4-7503-2374-8 [amazon][kinokuniya][kinokuniya] ※ e01.r05.,

 芥子川ミカ mkeshikawa◎yahoo.co.jp(◎にアットマークをお入れください。)
 社会学/某大学講師

■キャプション

ナラティブ・セラピーの考え方を分かりやすく解説し、さらに読者が自分でナラテ
ィブ・セラピーを実践するための方法を示した入門書。ナラティブ・セラピーにお
ける「外在化」に日本に昔から伝わる妖怪を登場させ、より実践的で親しみやすい
内容となっている。

■内容構成

本書の利用の仕方
1章 妖怪セラピーの基本
 タネ明かし
 社会構築主義
 人々が作りあげる物語
 支配的な物語/もう1つの物語
 変化する支配的な物語
 支配的な物語からの距離をとること
 お粥の話
 外在化(あいつが悪い)
 心地のいい物語を求めて
2章 ナラティブ・セラピーの思想背景
 知と力
 知に抹消された物語としての妖怪話
 パノプティコン
3章 妖怪セラピーの方法
 フローチャート
 妖怪「ぶるぶる」の例
 妖怪シート1 妖怪出没シート
 妖怪シート2 妖怪とわたりあうシート
 セレモニーの時間
 妖怪シート3 妖怪分析シート
 記入例
解説
 妖怪が闊歩する社会を目指して
 自分ですること、大きな目で見ることの意味
使用上の注意
● 妖怪シート
 妖怪シート1 妖怪出没シート
 妖怪シート2 妖怪とわたりあうシート
 妖怪シート3 妖怪分析シート
● 妖怪ファイル
ぬらりひょん/やまびこ/見越し入道/わうわう/ネコまた/あすこここ/にがわ
らい/貧乏神/アズキあらい/ぶるぶる/いそがし/じゅうじゅう坊/のぞき坊/
白うかり/金づち坊/虎にゃあにゃあ/こわい(狐者異)/かみきり(髪切り)/
くびれオニ(縊鬼)/口さけ女/カッパ(河童)/夜なきばば/やまんば/酒呑童
子(しゅてんどうじ)
● 妖怪インデックス
あとがき
引用文献
参考文献
妖怪関連の参考文献

「本書の利用の仕方」より

 妖怪セラピーは、自分で自分の心をいたわる手段である。語呂がいいのでセラピ
ーとしたが、「治療」や「療法」というよりも、解決のための考え方を提供するも
のと考えていただきたい。
 何かに悩んでいる人、あることについて考えると夜も眠れない人、イライラする
人、考えたくないのについ考え込んでしまう人、思い出したくないことを思い出し
てしまう人。こうした人々に、その解決法を提案している。特に悩むほどでなくと
も、よりよく生きるためには片づけておきたい事柄でもいい。
 悩みのもとをたどると、大きく分けて2つのパターンがあるだろう。1つは、自分
の内部に原因がある場合。もう1つは、自分以外の人や集団に原因がある場合。そし
て人は、問題を解決するためにその原因を探り出し、取り除こうとする。それでも
なかなか解決できないことだって多い。自分以外に原因がある場合、どうしようも
ないこともある。そんなとき、悩んでも仕方がないことは分かっていても、ついつ
い、考えてしまったりする。そう、分かっていても、つい考えてしまう。だからと
いって、宗教に走ろうとも思わない。
 そんなとき、この妖怪セラピーをお勧めしたい。悩みがストレスとなって、気分
が落ち込んだり、食事がまずくなったり、睡眠時間を奪われたり、肌トラブルが起
きたり、ハゲが進んだり、白髪が増えたらソンだ。
 あるいは、こういう場合もアリだろう。もしかすると(もしかしなくても)自分
が悪いのかもしれないけれど、自分自身を急には変えられないこともある。それで
落ち込んで、明日からの生活に支障をきしたりしても、困るのは自分だ。そこに悪
循環が生じかねない。それなら、ひとまず妖怪の「力」を借りるというのも合理的
な選択と考えよう。
 これに加えて本書は、最近各方面で注目されているナラティブ・セラピーについ
て分かりやすく説明することも目的としている。ちょっとナラティブ・セラピーを
かじってみたが、ワケが分からなかったという人にも読んでいただきたい内容とな
っている。

 筆者が『妖怪セラピー』を執筆しはじめたのは、現在の人々の思考パターンに危
機感を覚えたことにある。何か人間関係上の問題があったとしよう。この問題を解
決するためには、まず問題を把握することが大切とされるだろう。このとき、人の
内側にこもるようなストーリーしか用意されていないとしたら、それは大問題だ。
 悩みあるいは気がかりなことがある人は、その原因が何か、考えをめぐらせてき
たことだろう。その答えを導き出すために、人はたいてい、何かを手がかりにして
きた。この手がかりにはいろいろなものがある。最近この手がかりとして人気を集
めているのは、両親の不和など機能不全家族のなかで育った人をさすアダルト・チ
ルドレンや、トラウマといった概念だ。
 たとえば、トラウマという言葉。トラウマ(精神的外傷)とは、後遺症として残
るような心理的なショックや体験のことをさす。この言葉はもともと、心理学の用
語であったが、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を含め、今では広く知られるよう
になり、日常語となってしまった。
 斎藤環は、虐待の記憶を含めたトラウマの告白本と「トラウマ・フィクション
(トラウマが題材となった小説など)」が流行する状況について、「トラウマ語
り」が若い世代を中心とした人々の「実存への欲求」を代弁することになったこと
と関係づけている。トラウマとは誰もがもつことのできる極小の「物語」であり、
「政治にも思想にも、みずからの『実存』を仮託するようなリアリティが感じられ
ないとき、ひとはより断片化、細分化された物語にしがみつくほかない」(斎藤環
〔2003:202〕)。
 悩みを抱える人がこの発想に魅力を覚えると、自らを主人公にして、このトラウ
マの物語を語りだす。現在直面している人間関係や恋愛の問題は、過去のトラウマ
が関係していると。またトラウマには、癒しがセットとなっていることが多いが、
その一定のルールのなかで、人は解決方法を模索しなければならない。
 悩める人自身が、トラウマのストーリーを求めてきた。また取りたてて悩みはな
いという人にとっても、このストーリーは魅力的であるようだ。最近の映画やドラ
マ、小説などで過去の傷つき体験のエピソードが氾濫し、トラウマという文字が躍
っているのは、その証拠といえるだろう。
 こうした概念が注目され、関心をもたれること自体、筆者は個人的にいいことだ
と思っている。なぜなら、そこに救われる人がいるからだ。何らかの社会的な使命
はあるのだろう。ただ、ここで問題だと思うのは、現在人気を集めているさまざま
な問題解決のための糸口の多くが、個人の内部にあることである。
 昔、諸悪の根源は資本主義社会とされ、さまざまな問題の原因は(資本主義)社
会の側にあったとされた。マルクス主義がカッコ良かった時代のことである。いろ
いろな問題を解決するために、資本主義社会の打倒や調整が不可欠だという分かり
やすい見解をもつことができた。このとき、問題解決の方法は明らかであるため、
問題を解決するためには、シナリオに即した行動を実践すればよかった。また一部
の人々は、「資本主義社会=諸悪の根源」を語るだけでカタルシスを得られていた
に違いない。両者は対照的であるとはいえ、現在の状況は、これと同様の極端さが
あると筆者は考えている。
 妖怪セラピーは、こうした内にこもりがちな現状に風穴を開けるものであると考
えている。個人の感じる苦しみは、その個人の内部に原因があるという考えを強要
されてきた私たちに、ちょっとした救いの手を差し伸べるものとして。


 
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■引用・メモ

 著者は妖怪セラピーの手法をもって「自分に原因を求める」のとは別の思考パターンを提示し、それはときに合理的選択であると言う。
 「悩みのもとをたどると、大きく分けて2つのパターンがあるだろう。1つは、自分の内部に原因がある場合。もう1つは、自分以外の人や集団に原因がある場合。そして人は、問題を解決するためにその原因を探り出し、取り除こうとする。それでもなかなか解決できないコトだって多い。自分以外に問題がある場合、どうしようもないこともある。そんなとき、悩んでも仕方がないことは分かっていても、ついつい、考えてしまったりする。そう、分かっていても、つい考えてしまう。だからといって、宗教に走ろうとも思わない。」(p.6)
 「あるいは、こういう場合もアリだろう。もしかすると(もしかしなくても)自分が悪いのかもしれないけれど、自分自身を急には変えられないこともある。それで落ち込んで、明日からの生活に支障をきしたりしても、困るのは自分だ。そこに悪循環が生じかねない。それなら、ひとまず妖怪の「力」を借りるというのも合理的な選択といえよう」(p.6)
 「妖怪セラピーは、こうした内にこもりがちな現状に風穴を開けるものであると考えている。個人の考える苦しみは、その個人の内部に原因があるという考えを強要されてきた私たちに、ちょっとした救いの手を差し伸べるものとして」(p.9)
 →あからさまな原因が他になく、本当は「自分のせい」かもしれなくても、それを考えていても仕方がない(と思える)とき、著者はナラティブ・アプローチ(=外在化の手法)は「傷」の解決に対する合理的選択だと言う。

 ナラティブ・セラピー
 著者は、ここで提案している「妖怪セラピー」を、1980年代後半から医療・看護・福祉の領域において注目されてきたナラティブ・セラピーの考え方に発想を得たものとしている。
 「(どんな)物語(でもOKだと考える)のセラピー」
 「(物語を豊かにするために)物語るセラピー」p.15

 社会構築主義
 自明の知識に対する批判的なスタンス
 歴史・文化相対主義
 知識は相互作用によって作り上げられる
 構築には社会的行為が付随する

 支配的な物語/もうひとつの物語
 「私たちは知らず知らずの間に、支配的な物語に取り込まれていることが多くある。私たちは、自ら進んで、心地がいいから、また楽しいから、その物語に吸収されていくこともある。」「しかし支配的な物語が、居心地が悪い場合もある。支配的な物語に拘束されて、苦しまなくてはならない場合があるのだ」(p.28)
 「どうせなら、本人にとって都合のいいストーリーを選べばいい。支配的な物語ではなく、もう1つの、別の物語であってもかまわない」(p.29)

 外在化
 外在化とは「人々にとって耐えがたい問題を客観化または人格化するように人々を励ます、治療におけるひとつのアプローチである」ホワイト・エプストン1992 『物語としての家族』

 芥子川ミカは、外在化を「何か問題があったとき、それまでとは違う因果関係のストーリーを用意するために、問題を客観化/人格化すること」と提示し、妖怪セラピーにおける外在化を「あの妖怪が悪い、と別の物語を考えること」という。
 …べてるの家の「名付けによる外在化」の例、ニキリンコの、あえて「支配的な医学言説」に接続することで楽になったという例を挙げる。『障害学の主張』
 →構築主義に依った外在化という手法は、人を開くイメージを持って楽になってよいと言っている。

 「ホワイトは「人々と人々の身体を客体化している文化的実践」に対して「問題の外在化」の実践によって切り抜けようと提案した。」p.52
 「問題を外在化することによってこうした生きにくさから解放されようとするのが、ナラティブ・セラピーである。さてこうしたフーコーの思想に基づいた実践としてのナラティブ・セラピーを位置づけたとして、はたしてこれが人々の身体を客体化している文化的実践に対する対抗手段となっているのかどうか、私にはよく分からない」p.53

 妖怪セラピーの流れ・・・外在化のマニュアル
(A)問題または悩みのタネとなる人をあげる→(B)ちょうどいい妖怪を選ぶ→(C)妖怪出没シートに記入→(D)妖怪とわたりあうシートに記入→(E)セレモニーの時間→(F)妖怪分析シートに記入

 →ABは外在化の方法。Cは語りだし。
 Dとは、「「問題に対する新しい関係に入り込み、発展させ」る作業である。この過程は「問題解決のための手がかりを求めて、この新しく書き直された物語のなかで自分や家族などの人生や人間関係をもう一度見直す」p.63ため。
 →そのために挙げられている質問とは、例えば「妖怪にやられたものの、以前と変わらない部分、自慢できる部分はどこか」「妖怪から学んだ対処法とはどんなものか」「妖怪のいいところはどこか」などであり、問題に対する解決の糸口を自らが発見する、重要な作業となっている。外在化の作業は、問題が個人から離されることによって解決されることを指すのではなく、むしろ外在化の手段は、個人が積極的に解決のための具体的な思考を獲得することが目的となっている…?文章がうまく作れないのでまた今度。
 →要するに外在化は、積極的な問題解決のためのアプローチ。(消極的・自動的イメージがあったのだが違う。この作業を経た上で獲得される思考パターンの提示は、「傷」について「考えないこと」ではない。「仕方がなかったこと」「むしろあってよかったこと」のようなこと。)

 Eのセレモニー(戦いますの宣誓書記入とか瞑想など)という過程を経て、Fで妖怪が跋扈する社会的背景について意識をめぐらせる作業をする。それは、妖怪が現れる社会的文脈や差別などの社会構造の存在を理解すること。
 「妖怪が出現する背景を考えていくには、「より大きな社会・経済的ストーリーやイデオロギー」が自分を窮地に陥れたものとして、問題を把握するように努めたい」p.72
 「社会の側にその原因を求めることができない場合もあるといったが、社会にはかなりの柔軟性がある。いきおいでその許容量を広げることが望ましいこともある。」p.73
 例えば障害者のための環境が整っていないときなど、「妖怪だから仕方がないなあと一時的に気分が落ち着いて、その場をしのぐことはできるかもしれない。でも、こうしてやりすごすのは、もったいないし、解決にはならない。」「自分に余裕があるならば、その改善を求めるというのも、妖怪と出会わないための方策につながる」p.74
 「確かに、外在化の一面は、スケープゴートの構造が再現されているといえる。」「妖怪セラピーをするうえで強調したいのは、必ず妖怪を設定するということだ。実在する人物に似た妖怪、実在する人物名やあだ名をつけたような、現世の生々しい妖怪を設定しないで欲しい」p.96
 メモ:→社会構造へと意識をめぐらせることが、個人を“楽にさせ”、また現状を打開する力を持つという発想。だが、セレモニーの大仰さは考えなくとも、外在化しただけでは問題が解決せず、そこからもうひとつ先へ思考を進めなければならないということは手間の要ることかもしれない。それが“楽な作業”かどうか、あるいはそれで本当に納得できるのかどうかはわからない。…上田紀之はこの過程で「社会構造批判」に届かないために、あるいは届いても、個人の強度は保障されず、「被害者化」してしまうと述べていた。

 妖怪セラピーのノリ、“気分”みたいなもの
 ナラティブ・セラピーなんかして、「治療費を払うのは、もったいないような気がする。でも自分が追い詰められていたら、だまされてもいいかな、という気になるかもしれない。えらい人が専門的な見地から言ってるんだろうから、何かご利益があるかもしれないと。ナラティブ・セラピーの専門書はたくさん出ているし」「考えてみれば、合理的、科学的、医学的だと思われていた世界にも、だまし・だまされる関係はある。プラシーボ効果という言葉があるのも、医療をめぐってだまし・だまされる関係があることの証拠である」(p.83)

 「ただ、どう考えてもわたりあえない問題もある。たとえば、金をだまし取るサギ、道義を無視した迷惑行為や暴力行為など、悪意にみちた行為がそうだ。妖怪セラピーは万能ではなく、こうした問題はこれにそぐわない」(p.85)
 「妖怪セラピーは、我慢することによって何も得られないシチュエーションでするべきなのだろうと思う。妖怪セラピーをしない方がいい場合、しない選択もある、ということだ。だがそんなときでも社会的な背景を考えることは、意味のあることだろうと思う」(p.93)
 →あえて「妖怪」を媒介にすることで、例えば医者やカウンセラーとの場のような、妙な深刻さから逃れて、「妖怪セラピー」それ自体が別の思考の在り様の1つでしかないと提示してくれているような気もする。他のケアとしてのナラティブ実践が、深刻さを生じさせてしまうことからくる介入の罠みたいなものを生み出しているとしたら、「妖怪セラピー」のノリはむしろ好ましいように見える。けれども、それは決定的に暴力などの「深刻さ」には対処できないということでもある。そしてこうした実践は、「のっかる」だけの、ある種の戦略的な意図が当人にも芽生えていなければ届かない。

■言及

◆立岩 真也 2008 『唯の生』,筑摩書房 文献表


*作成:山口真紀
UP:20060718 REV:20071229, 20081102
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