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>HOME >BOOK 立岩 真也・堀田 義太郎 2012 青土社 ■立岩 真也・堀田 義太郎 2012/06/10 『差異と平等――障害とケア/有償と無償』,青土社,342+17p. 2400+ ◆文献表 ■目次■はじめにただ読むと、簡単なことで当たり前のことに思われ、そのまま通り過ごされてしまいそうなのだが、たぶん他には書かれていないことを、第1部第1章に記した。つまり、どれだけ(例えば)「介助」を得られるのか・提供するのかという問いに答えてみた。私が知っている人たちが思い要求してきたことを言葉にしてみるとだいたいこうなるのではないかと思って書いた。単純な話なのだが、意外に文字にはされてこなかったように思う。「政治哲学系」ではもっと面倒な話がなされているらしいのだが、こんなものではいけないだろうかと思った。(「介助」でなく「介護」が普通の言葉になって久しい――しかし実はさほどの歴史はない――が、どうも慣れもあってこちらを使うことが多い。また、ときに「ケア」は広すぎる言葉に思えた。ただこの言葉も使っている。あえて統一する必要もないと考えた。)第1部第2章では、そういう仕事にお金を払う/払わない、仕事でお金を得る/得ないという、じつはこの国の一部にはずっとある、しかし「今さらなんでそんな?」、という主題について論じた。このことについては、堀田義太郎が――あえて、と言うべきか――「有償派」批判の論稿を書いたので、私も、というところがあった。 そんな経緯で、当初、この二つの主題について堀田の原稿と私のをサンドイッチのようにして一冊を作ることを考えた。「どれだけ」という主題について、さらに何を「平等」とするか、またそのことに関係して「障害」をどのように捉えるかについて、私は『自由の平等』(立岩[2004a]――以下立岩単著の文献については、立岩の担当した部分について、著者名略→[2004a]のように表記)を書いたときに少し勉強しかけたにすぎないのに対して、堀田――「生命倫理学」が専門なのかもしれない(堀田[2004][2005a][2006a][2006b][2006c][2006d][2007a][2007b])――は「政治哲学系」の文献をたくさん読んでいるのを聞いていたし、また「有償/無償」については既に書いたものが何本もあったから(堀田[2006d][2007c][2007d][2008][2009][2011])、そう時間はかからないだろうと思ったのだ。だが、堀田の原稿はどんどんと長くなっていって、話は大きくなっていくようで、結果、いつまでも終わらないのだった。分量的にも、二人分合わせたら本一冊には収まらないことも見えてきた。そこで、この三月の九日、その企画は次にしようと思いつき、第2部第2章に対応する堀田の文章として、「ケアと市場」(堀田[2008])の再録を一つと新たに書いてもらってきたものを一つ収録して第1部第3章・第4章とする今回のような体裁の本をまず出していただくことにした。 つまり、第1部第1章に対応する堀田の文章はその次の本に収録されることになる。また、有償/無償に関わる堀田の考察は、私が最初に読んだもの――そしてそこから第1部第1章も書かれた――から進んでいるが、その堀田の提起にどう応えられるのか、また私はどう応えるのか、第1部第2章を読んだだけではわからないところがあるかもしれない。堀田の論に対する応答も本書に書くことはできず(まにあわず)、次の課題となった。 その代わり、ではないのだが、第二部として、二〇〇九年の『税を直す』(立岩・村上・橋口[2009])と二〇一〇年の『ベーシックインカム』(立岩・齊藤[2010])の二冊の本、とくに前者に関わって書いた文章を置いた。とくに前者の本は、だから何がどうなるということでもないとは思いつつ、「政権交代」の前月にわざとまにあわせたものだった。その「交代」については収録した文章の通りのことが起こって、続いていると言ったらよいのか、とにかく――そこには「報じられ方」「論じられ方」の問題もだいぶあるように私は思うのだが――うんざりするように想定内のことになっている。 ただ、税制については、実際いくらか変化に向かう部分も一時期あったので、その時期、そのことを書いた。それも――調べればその経緯もわかるのだろうが――いつのまにかこのようになり、今日に至っているようだ。私は間接税に反対の立場には立たない。それにしても、金持ちよりは金持ちでない人の方が多いのだから、「多数派」の支持を得ながら、確かに減らしたらよかろう借金をいくらかずつ減らしていくやりようはあるだろうにと思い、その頃に書いたいくつかの文章を収録することにした。 なお本書は、二〇一一年末に刊行された『家族性分業論前哨』(立岩・村上[2011])と様々に関連している。そちらもご覧いただければと思う。またこれらは「立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点――障老病異と共に暮らす世界の創造」――二〇〇七年度開始のこのプログラムは「事業仕分け」により二〇一一年度でこの制度自体が消滅し、その後は同時に発足した大学の「生存学研究センター」が残り、活動を続けていく――の成果でもあり、拠点・センターのウェブサイト(http://www.arsvi.com)に関連情報がある。この本の書名で検索すると関連する項目が出てくる。例えばこの本の文献リストに対応するファイルがあり、そこから本を注文することもできる。 また視覚障害などで活字版が不便な人にこの本のテキスト・ファイルを提供する(cf.青木編[2009][2010]、立岩・天田[2011b])。立岩(TAE01303@nifty.ne.jp)まで連絡をください。 ■書評・紹介・言及◆立岩 真也 2012/05/01 「制度と人間のこと・1――連載 78」,『現代思想』40-6(2012-5):42-53新刊案内――『差異と平等――障害とケア/有償と無償』/制度主義としての(再)分配主義/個人を問わない主義としての制度主義とその批判/人間の変化を期待した思想 「□新刊案内――『差異と平等――障害とケア/有償と無償』 堀田義太郎と共著で『差異と平等――障害/ケア・有償/無償』(立岩・堀田[2012])を出版してもらった(もうすぐ書店に出るだろうと思う)。この連載がもとになって青土社から刊行された本としては『税を直す』(立岩・村上・橋口[2009])、『ベーシックインカム――分配する最小国家の可能性』(立岩・齊藤[2010])に続き、三冊目になる。 一つには「ケア労働」について有償/無償を巡る議論があって、堀田が――もう「社会化」「有償化」(両者は同じことを意味していない)が当然というこの時世にあって――有償の仕事とすることにある問題点を論じた文章がいくつかあったこともあり、私が二〇〇七年に書いた文章をまとめいくらか加筆した文章と、堀田の文章を収録した。堀田のは一つは堀田[2008]を再録したものだが、もう一つは、さらに考察を進めて新たに書かれたもので、それは「制度主義」の問題としてこの主題を捉えているものである。この主題は、有償/無償、ケア労働といった主題を含みつつそれを超えて重要な主題であり、私自身、このことに関わってものを考え始めたところがある、と自分では思っている。だから、堀田の文章は私が立っている場を問うものでもあった。それで、それを確認して示す意義も――多くは繰り返しということにはなるのだが――あると思った。ただ今回は、紙幅の制約もあって、堀田の論への応答、私自身の考察をその本の中では行なうことができなかった。そこで、本連載では以下、今回とたぶん次回さらに次々回この主題について考えてきたこと、考えていることを記すことにした。そしてそれを堀田が問題にする「格差」「排除」という論点につなげていこうと思う。 その前に、他に収録した文章について。一つは、本連載で前回まで四回書いてきた「どれだけをについてのまとめ」にさらにいくらかを加え整理した部分で、第1部第1章「差異とのつきあい方」とした。とくに人によって必要なものの量その他が異なる時、それをどう測るか、それに基づきどういう仕組みで供給量をどのように決定するかといったことが論じられる。そんなことも必要な時には必要ではある。ただその前に、どんな時に必要なのかを考えてもよいし、そしてこれまでの測り方には問題があると思うし、必要とする本人たちが実際にはずっと言ってきたことの含意は、この国では論文等で記されたことが――ケアや介助について書かれる本や論文がとてもたくさん出されるようになっているにもかかわらず――ほとんどないと思う。他方で、妙に――と私には思えるのだが――面倒な具合にこの主題は政治哲学や公共経済学で論じられてきたようにも思う。これまでの「当事者」の主張・運動をふまえ、いくつか詰めきってないところを残しつつも、基本的には、もっとすっきりしたことを言えるのではないかと思った。それでその章を置いた。 そして第1部第2章が「無償/有償」でこれは私の文章。第3章が「ケアと市場」、第4章が「ケア・再分配・格差」、この2つが堀田の文章。連載では(本でも)あまり詳しく書かなかったが、そしてこれまで書いてきたように、そして今度の本にも記しているように、私は「有償派」の立場を採るが、それと真正面からぶつかるわけではないにしても、それと「かまえ」の異なった――しかしその異なり方は分明ではない――態度・実践があった。つまり、介助という行ないが無償の行ないとして、「自然」なこととして、なされるべきだという主張、そして実際の行ないは、あった。それは、「本人の思い」として語られることもあるし、その本人の介助・介護をする側から言われることもあり、実際、大学生などしながらそんなことを(無償で)していた人たちがいた。そしてそれは「(学生)運動」ともいくらか絡んでいた、いるように思う――これにはいくらかこの国に固有な事情も入っているように思っていて、そのことを立岩[2007-](連載だが、本連載と同様、順序がすっかりおかしくなってしまっている)にすこし記している。 私自身はそんなことをしている期間は短く、またまったく個人的ないきさつだけがあってのことだった。また同時に、「運動」の側にも一九七〇年代中頃からは「制度」「金」を求める動きはあり、とくに一九九〇年代になって実際に制度がそれなりにできていくと、大勢としては「有償介助」の方向に向かうのだが、それでも、「自立生活」などど呼ばれるものを、大学生等の無償の介助によって支えることが続けられてきたところはあった。さらに少数だったと思うが、そういう仕事を別の(金の稼げる)仕事がてら続けているといった人たちもいくらかはいてきた。堀田(一九七四年生)は、珍しいことに、その伝統を継いでいるのでもある。今度の本では、堀田がいくつか関連する文章・発言を引用している以外、この(いささか特異であるかもしれない)出来事・論議について主題的には取り上げていない。今回からの「制度主義」についての検討の後、いくらか取り上げてみようと思う。 その思い・実践は、さしあたり、「学問」とかいったものと関係のないところに存在していたのだが、それでもいま「障害学」といったものに関わっている人たちにはそういうものに関係した人がいくらかいる。また知る限りでは市野川容孝がそんな人で(cf.市野川・杉田・堀田[2009])、加藤秀一も学生の時にはいくらか関わりがあった――彼が介助しに行っていた(おおむね「介助(介護)に入る」という言葉が使われたのだが――人の写真が安積他[1990:57→1995:57]にある。そしてそうした出来事は、じつはこの国の例えば「生命倫理学」のあり方にもいくらか関係がなくはないように思っている(cf.立岩[2007])。(読者にとっては迷惑なことであろうが、こうしたことも含め、本人がよければ堀田とともにまた、本書の「続篇」をと考えている。) 第2部は、この本を作るにあたって再録の意義について議論のあったところなのだが、あえて本連載で二〇〇九年から二〇一〇にかけて書いた文章、とくに税制について、『税を直す』に書いたこと、その後に起こったことについて書いた文章、そしてその間に起こった「政権交代」について書いた文章をほぼそのまま再録した。現在、なにもどうにもなっていないのはそのとおりなのだが、ただそれを嘆いても仕方がない。この混沌ともいえないような状態は、政治をしている側のことでもあるが、それを受け止めている側(メディア、そして「市民」…)のことでもある。例えば起こってはみたがほぼ立ち消えになったことを事実として知っておき、また基本的な論点について確認しておく必要がある。例えば、消費税を上げる/上げないが基本的な論点なのではない。いくらか上げることに絶対に反対という立場を私は採らない。ただその前に押さえておくべきことがあると思う。それでそれらの文章を集めた短い第2部を置いた。 趣味として集められ個人の書架に置かれる本と、手軽で簡単な本が買われるのは当然である。他方で、なにかを専門とする人にとって、例えば「各国の政策動向」について様々が論じられている本も有益であり、これらは値が張るのだが、仕事の道具であるのだからこれらにも一定の需要はあるのだろう。本書はいずれでもないのだが、読んでいただけたらと思う。」 ◆立岩 真也 2012/04/01 「どれだけをについてのまとめ・4――連載・77」,『現代思想』40-(2012-4): ◆立岩 真也 2012/01/01 「どれだけをについてのまとめ・1――連載 74」,『現代思想』40-1(2012-1):- [2011/12/14送付] □これから約三回について(冒頭部分) 「社会派の行き先」という題の回が先月までもう十四回になってしまい、次第に話は私が何も知らない精神医療の話に入ってしまったのだが[…]そのはじまりの一つは「過剰/過小」という事実そして/あるいは了解をどのように考えるのかというところにあった。 一方で「不足」や「崩壊」といった「危機」が言われるのだが、他方では「(生−)」権力」が語られ「過剰」が語られる。私は、長く介助(介護)について、そしてまったくそれに連続したことであると考えるのだが「終末期医療」(そのかなりの部分はとくに「医療」と呼ぶ必要もない)について、前者の立場で書いてきたのだが、その上で、同時に――この数回に見てきたように過剰な、というよりは加害的なことも多くなされてきたのであって――過少と過剰の両者は常に存在すると言えると、それが一番簡略な答だとも述べてきた。するといくつかの問いが現れる。 一つはすくなくとも一見して辻褄の合わないように見えるこの「答」がどんな答であるかである。そしてそれは連続してどんな事情がそれに関係しているかに答えることにもつながることになる。そしてもう一つ、問題がもちろん「量」の問題だけではないことをわかりつつ、まずは「量」の問題として捉えた場合、どれだけが「ちょうどよい」のかを、どのような根拠で言うのかという問題がここにはあるはずだ。どれだけが供給され、利用されてよいのか。それをどう――決める必要があるのなら――決めるのか。上野千鶴子を特集した本誌の臨時増刊号に書いた文章(立岩[2011a])にも述べたことだが、この問題は、多く既存の制度を前提したまったく技術論的な話か、ごく大雑把な話としてしかなされていない☆01。 本連載の第55回(二〇一〇年六月号)「『ベーシックインカム』の続き」でいくらかのことを書いた。『ベーシックインカム――分配する最小国家の可能性』(立岩・齊藤[2010])に収録された立岩[2010c]の第6章「差異とのつきあい方」で、後で(また)論じる一人ひとりの違いへの応じ方について、Van Parijs[1995=2009]の「非優越的多様性(Undominated Diversity)」という対処の仕方がおかしなものであることを書いたのだが(英語版もある→Tateiwa[2010a]☆02)、では代わりにどう考えるか、基本的なところを記したのである。以下それをいくらか繰り返しつつ、加えるべきを加え、まとめていく。 そしてそれは、この「連載」で二〇〇七年から翌年にかけて何回かに渡って書いてきた「有償/無償」を巡る文章、そしてそれを批判する堀田義太郎の論(既刊のものとして堀田[2008][2009][2011])と(可能なら私からの再度の応答)を合わせて二〇一二年の遅くない時期に書籍(立岩・堀田[2012])として出していただくことになるだろう。」 ◆2011/12/10 http://hiwihhi.com/gogodai5/status/145458890899849216 ■関連項目 ◆分配 ◆選別主義・普遍主義 ◆生活・生存 ◆介助・介護 UP:20110101 REV: 20111211, 20120116, 0503, 08 ◇立岩 真也 ◇堀田 義太郎 ◇Shin'ya Tateiwa ◇BOOK |