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アダルト・チルドレン


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last update: 20160301


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◆大越 崇(精神科医)
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◆家族機能研究所 [外部リンク]団体公式HP
 ◇斎藤学とのQ & A [外部リンク]個人ブログ
◆Adult Children Anonymous(ACA) [外部リンク]団体公式HP
◆Adult Children of Dysfunctional Families Anonymous(ACODA) [外部リンク]団体公式HP
 ◇ACODAローゼズ梅田 [外部リンク]団体公式HP
◆SOMETHING GOOD(当事者のHP) [外部リンク]個人HP


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■文献(年代順)

・このHP経由で本・雑誌を購入すると寄付されます仕組みと寄付先

□本

◆Black, Claudia [1981]1987 It will Never Happen to Me?, New York: Ballantine Books, 203+xviip. ISBN-10: 0345345940 ISBN-13: 978-0345345943 [amazon][kinokuniya] ac alc m v04
=19891120 斎藤 学 監訳・野村 尚子・鈴木 真理子・信田 さよ子・竹村 道夫 訳 『私は親のようにならない――アルコホリックの子供たち』,誠信書房,290p. ISBN-10: 4414429064 ISBN-13: 978-4414429060 1950+ [amazon][kinokuniya] ※ ac alc m v04
◆Kritsberg, Wayne [1985]1988 Adult Children of Alcoholics Syndrome: A Step-By-Step Guide To Discovery And Recovery, New York: Bantam Books, 158+xiip. ISBN-10: 0553272799 ISBN-13: 978-0553272796 [amazon][kinokuniya] ac
=19980430 斎藤 学 監訳・白根 伊登恵 訳,『アダルトチルドレン・シンドローム――自己発見と回復のためのステップ』,金剛出版,206p. ISBN-10: 4772405771 ISBN-13: 978-4772405775 \2100 [amazon][kinokuniya] ※ ac m v04
◆Whitfield, Charles L 1987 Healing the Child Within: Discovery and Recovery for Adult Children of Dysfunctional Families, Deerfield Beach: Health Communications, 150+vip. ISBN-10: 0932194400 ISBN-13: 978-0932194404 [amazon][kinokuniya] ac
=19970925 斎藤 学 監訳・鈴木 美保子 訳 『内なる子どもを癒す――アダルトチルドレンの発見と回復』,誠信書房,223+iiip. ISBN-10: 4414429129 ISBN-13: 978-4414429121 \2100 [amazon][kinokuniya] ※ ac
◆Somers, Suzanne 1988 Keeping Secrets, New York: Warner Books, 366p. ISBN-10: 0446351806 ISBN-13: 978-0446351805 [amazon][kinokuniya] ac alc
=19970310 中野 理恵・原田 隆史 訳 『アダルト・チルドレンからの出発――アルコール依存症の家族と生きて』,現代書館,270p. ISBN-10: 4768467083 ISBN-13: 978-4768467084 \2415 [amazon][kinokuniya] ※ ac alc
◆西山 明 19951222 『アダルト・チルドレン――自信はないけど、生きていく』,三五館,254p. ISBN-10: 4883200663 ISBN-13: 978-4883200665 1529 [amazon][kinokuniya] ※ ac m v04
◆大越 崇 19960125 『アダルトチャイルド物語――機能不全家庭で育った成人した子供たちへ リカバリー日本版』,星和書店,291p. ISBN-10: 4791103106 ISBN-13: 978-4791103102 \2100 [amazon][kinokuniya] ※ ac
斎藤 学 19960415 『アダルト・チルドレンと家族――心のなかの子どもを癒す』,学陽書房,237p. ISBN-10: 4313860010 ISBN-13: 978-4313860018 \1553 [amazon][kinokuniya] ※ ac
(再刊:19980420 学陽書房(学陽文庫),273p. ISBN-10: 4313720480 ISBN-13: 978-4313720480 \693 [amazon][kinokuniya] ※ ac m v04)
信田 さよ子 19960808 『「アダルト・チルドレン」完全理解』,三五館,205p. ISBN-10: 4883200876 ISBN-13: 978-4883200870 \1426 [amazon] ac m v04
(再刊改題:20010410 『アドルト・チルドレンという物語』,文藝春秋(文春文庫),224p. ISBN-10: 4167157187 ISBN-13: 978-4167157180 \580 [amazon] ※ ac m v04)
◆緒方 明 19961005 『アダルトチルドレンと共依存』,誠信書房,191p. ISBN-10: 4414429110 ISBN-13: 978-4414429114 1733 [amazon][kinokuniya] ※ ac m v04
◆橘 由子 19961115 『アダルトチルドレン・マザー――「よい母」があぶない』,学陽書房,229p. ISBN-10: 4313860029 ISBN-13: 978-4313860025 1470 [amazon][kinokuniya] ※ ac m v04
(再刊:19980620 学陽書房(学陽文庫),253p. ISBN-10: 431372057X ISBN-13: 978-4313720572 \693 [amazon][kinokuniya] ※ ac m v04)
◆鳥山 敏子 19970224 『居場所のない子どもたち――アダルト・チルドレンの魂にふれる』,岩波書店,212p. ISBN-10: 4000260618 ISBN-13: 978-4000260619 \1470 [amazon] ※ ac alc c20 m
◆西山 明 19970308 『AC(アダルト・チルドレン)からの手紙――私は青空が見たい』,三五館,254p. ISBN-10: 4883201031 ISBN-13: 978-4883201037 \1575 [amazon][kinokuniya] ※ ac
信田 さよ子 19970330 『コントロール・ドラマ――それはアダルト・チルドレンを解くカギ』,三五館,221p. ISBN-10: 4883201007 1400 [amazon] ※ ac m v04
◆西尾 和美 19970515 『アダルト・チルドレンと癒し――本当の自分を取りもどす』,学陽書房,205p. ISBN-10: 4313860037 ISBN-13: 978-4313860032 1500+ [amazon][kinokuniya] ※ ac m v04
(再刊:19981020 学陽書房(学陽文庫),237p. ISBN-10: 4313720650 ISBN-13: 978-4313720657 [amazon][kinokuniya] ※ ac m v04
◆高橋 龍太郎 19970710 『あなたの心が壊れるとき』,扶桑社,230p. ISBN-10: 4594023053 ISBN-13: 978-4594023058 \1300 [amazon][kinokuniya] ※ ab ac m t06
(再刊:20020228 扶桑社(扶桑社文庫),245p. ISBN-10: 4594034128 ISBN-13: 978-4594034122 \540 [amazon][kinokuniya] ※ ab ac m t06)
◆金盛 浦子 19970805 『もうひとりの私をゆるしてあげよう――幸せなアダルトチルドレンになるために』,ベストセラーズ,215p. ISBN-10: 458418299X ISBN-13: 978-4584182994 \1155 [amazon] ※ ac
◆AC研究班 編 19970825 『いい子ほどアダルト・チルドレンになりやすい』,三心堂出版社,207p. ISBN-10: 4883421368 ISBN-13: 978-4883421367 1429+ [amazon] ※ ac m v04
◆アスク・ヒューマン・ケア研修相談室 編 19970915 『アダルト・チャイルドが人生を変えていく本』,アスク・ヒューマン・ケア,142p. ISBN-10: 4901030019 ISBN-13: 978-4901030014 \1575 [amazon][kinokuniya] ※ ac
◆AC研究班 編 19971101 『愛し方がわからないアダルト・チルドレン』,三心堂出版社,207p. ISBN-10: 488342149X ISBN-13: 978-4883421497 \1500 [amazon] ※ ac
◆Create Media 編 19971105 『日本一醜い親への手紙』,メディアワークス,221p. ISBN-10: 4073072471 ISBN-13: 978-4073072478 1100+ [amazon][kinokuniya] ※ ac m v04
(再刊改題:19991225 『子どもを愛せない親への手紙』,角川書店(角川文庫),244p. ISBN-10: 4043527012 ISBN-13: 978-4043527014 \539 [amazon][kinokuniya] ※ ac m v04)
◆中村 延江 19971107 『アダルトチルドレン 恋愛・結婚症候群――「自分探し」の処方箋』,ベストセラーズ,231p. ISBN-10: 458415872X ISBN-13: 978-4584158722 \1260 [amazon][kinokuniya] ※ ac m v04
◆荒木 創造 19971128 『アダルトチルドレンの心理学――なぜあなたは大人になりきれないのか?』,日本文芸社,271p. ISBN-10: 4537025956 ISBN-13: 978-4537025958 \1365[amazon][kinokuniya] ※ ac m v04
◆高橋 いずみ 19971210 『パニック発作,自分が壊れていく――私はアダルト・チルドレン』,講談社,235p. ISBN-10: 4062089807 ISBN-13: 978-4062089807 \1575 [amazon][kinokuniya] ※ ac m v04
◆雀部 俊毅 19980110 『図解 精神病診断マニュアル――摂食障害,心身症からアダルトチルドレン,ギャンブル依存症まで』,同文書院,217p. ISBN-10: 4810374572 ISBN-13: 978-4810374575 \1365 [amazon][kinokuniya] ※ ab ac addict m
斎藤 学・鈴木 健二・西尾 和美・下坂 幸三・平野 建二・中山 道規 19980210 『アダルト・チャイルドの理解と回復』,ヘルスワーク協会(ヘルスクエスト選書),143p. ISBN-10: 4938844141 ISBN-13: 978-4938844141 [amazon][kinokuniya] ※ ac m v04
◆Create Media 編 19980410 『もう家には帰らない――さよなら 日本一醜い親への手紙』,メディアワークス,250p. ISBN-10: 407308643X ISBN-13: 978-4073086437 \1155 [amazon][kinokuniya] ※ ac m v04
(再刊改題:2000425 『もう家には帰らない――「普通の親」が、子どもを壊す.』,角川書店(角川文庫),285p. ISBN-10: 4043527020 ISBN-13: 978-4043527021 [amazon][kinokuniya] ※ ac m v04)
◆Create Media 編 19980510 『少女たちから「ウザい」オヤジへの手紙 』,ぶんか社,198p. ISBN-10: 4821106086 ISBN-13: 978-4821106080 \997 [amazon][kinokuniya] ※ ac m v04→20010425 角川書店(角川文庫),203p. ISBN-10: 4043527047 ISBN-13: 978-4043527045 \479 [kinokuniya] ※ ac m v04
◆西尾 和美 19980525 『アダルト・チルドレン 癒しのワークブック――本当の自分を取りもどす16の方法』,学陽書房,206p. ISBN-10: 4313860045 ISBN-13: 978-4313860049 \1890 [amazon][kinokuniya] ※ m ac v04
◆Create Media 編 19980815 『子どもを愛せない親からの手紙』,メディアワークス,発売:主婦の友社,220p. ISBN-10: 4073098845 ISBN-13: 978-4073098843 \1155 [amazon][kinokuniya] ※ ac m v04
(再刊:20000825 角川書店(角川文庫),260p. ISBN-10: 4043527039 ISBN-13: 978-4043527038 \539 [amazon][kinokuniya] ※ ac m v04)
信田 さよ子 19980907 『愛情という名の支配――家族を縛る共依存』,海竜社,222p. ISBN-10: 4759305629 1500 [amazon] ※ ac m
◆高橋 龍太郎 19980930 『わたしの心は壊れてますか?』,扶桑社,261p. ISBN-10: 4594025668 ISBN-13: 978-4594025663 \1300 [amazon] ※ m
(再刊:20050530 扶桑社文庫,266p. ISBN-10: 4594049575 ISBN-13: 978-4594049577 \600 [amazon][kinokuniya] m)
斎藤 学 編 19990210 『依存と虐待』,日本評論社,182+ivp. ISBN-10: 4535560927 ISBN-13: 978-4535560925 \1260 [amazon][kinokuniya] ac addict alc m v04
信田 さよ子  20010608 『子どもの生きづらさと親子関係――アダルト・チルドレンの視点から』,大月書店(子育てと健康シリーズ 15),122p. ISBN-10: 427240315X ISBN-13: 978-4272403158 [amazon][kinokuniya] ※ ac m
◆Black, Claudia 2002 It will Never Happen to Me ?, 2nd ed, Center City: Hazelden Publishing, 216p. ISBN-10: 1568387989 ISBN-13: 978-1568387987 [amazon][kinokuniya] ac alc m
=20040710 斎藤 学 監訳・加藤 尚子・鈴木 真理子・信田 さよ子・竹村 道夫・吉永 梓・榎本 享子・鈴木 アリヤ 訳,『私は親のようにならない 改訂版――嗜癖問題とその子どもたちへの影響』,誠信書房,301p. ISBN-10: 441442917X ISBN-13: 978-4414429176 \2315 [amazon][kinokuniya] ※ ac alc m
◆アダルトチルドレン一問一答編集委員会 編・斎藤 学 監修 20021015 『知っていますか?アダルト・チルドレン一問一答』,解放出版社,115p. ISBN-10: 4759282408 ISBN-13: 978-4759282405 1260 [amazon][kinokuniya] ※ ac m v04
信田 さよ子 20030627 『愛しすぎる家族が壊れるとき』,岩波書店,201p. ISBN-10: 4000220179 \1680 [amazon][kinokuniya] ※ ac m
信田 さよ子 20080325 『加害者は変われるか?――DVと虐待をみつめながら』,筑摩書房,206p. ISBN-10: 4480842837 ISBN-13: 978-4480842831 [amazon][kinokuniya] ※ ac m v04
信田 さよ子 20080410 『母が重くてたまらない――墓守娘の嘆き』,春秋社,192p. ISBN-10: 4393366255 ISBN-13: 978-4393366257 \1785 [amazon][kinokuniya] ※ ac m
信田 さよ子 20090530 『苦しいけれど、離れられない――共依存・からめとる愛』,朝日新聞社,187p. ISBN-10: 4022505850 ISBN-13: 978-4022505859 \1680 [amazon][kinokuniya] ※ ac m

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□論文・記事

信田 さよ子 19970915 「アダルト・チルドレン――私の物語をつくり直す」,『日本家政学会誌』48(9): 823-828. ISSN: 09135227
 [外部リンク]CiNiiで全文閲覧可.PDFファイル
◆笹野 友寿・塚原 貴子 1998**** 「大学生の精神保健に関する研究 : 機能不全家族とアダルト・チルドレン」,『川崎医療福祉学会誌』8(1): 47-53. ISSN: 09174605
 [外部リンク]CiNiiで全文閲覧可.PDFファイル
◆加藤 篤志 199809** 「アダルト・チルドレンの語られ方――雑誌記事の分析より」,『茨城大学人文学部紀要――コミュニケーション学科論集』4: 165-180. ISSN: 1343117X
 [外部リンク]個人HPで全文閲覧可.HTMLファイル
◆柴田 啓文 19980901 「アダルト・チルドレンをめぐる諸概念の検討」,『四日市大学論集』11(1): 137-149. ISSN: 13405543
 [外部リンク]CiNiiで全文閲覧可.PDFファイル
◆磯野 理香 20020730 「大島弓子少女マンガ論――『ダイエット』に描かれたアダルト・チルドレン」,『梅花児童文学』10: 135-149. ISSN: 13403192
 [外部リンク]CiNiiで全文閲覧可.PDFファイル
◆塚原 貴子・新山 悦子・笹野 友寿2005**** 「アダルト・チルドレン特性と対人関係でのストレスの自覚の程度との関係――看護学生と他学科学生との比較」,『川崎医療福祉学会誌』15(1): 95-101. ISSN: 09174605
   [外部リンク]機関リポジトリで全文閲覧可.PDFファイル
◆新山 悦子・塚原 貴子・笹野 友寿 2005**** 「看護学生のアダルトチルドレン特性とバーンアウト症候群との関連」,『川崎医療福祉学会誌』15(1): 117-122. ISSN: 09174605
 [外部リンク]機関リポジトリで全文閲覧可.PDFファイル
◆諸井 克英 200712** 「家族機能認知とアダルト・チルドレン傾向」,『同志社女子大學學術研究年報』58: 85-92. ISSN: 04180038
 [外部リンク]機関リポジトリで全文閲覧可.PDFファイル
◆鈴木 明由実 201103** 「アダルト・チルドレンが語る『回復』へのナラティヴ・アプローチ」,『東洋大学大学院紀要』47: 229-245. ISSN: 02890445
 [外部リンク]機関リポジトリで全文閲覧可.PDFファイル


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■引用・他

 「日本では一九八九年にクラウディア・ブラックの本の翻訳『私は親のようにならない――アルコリックの子供たち』が出されている(Black[1981=1989]◎、副題が「嗜癖問題とその子どもたちへの影響」と変更された第二版(Black[2001=2004]◎は二〇〇四年刊)。ただその当初はこの言葉はそう知られていなかった。一九九五年十一月、当時のクリントン大統領が自らがアダルト・チルドレンであることを雑誌に語り、そのことが報道された。この年、末尾にこの報道の紹介を含む、西山明のルポルタージュ『アダルト・チルドレン』が出版されている(西山[1995◎])。そして、一九九六年、ブラックの本の監訳者でもある斎藤学の『アダルト・チルドレンと家族――心のなかの子どもを癒す』(斎藤[1996]◎)、同じ本の訳者の一人でもあり、また西山の本には著者との対談が収録されている信田さよ子の『「アダルト・チルドレン」完全理解』(信田[1996→2001]◎、文庫版の題は『アドルト・チルドレンという物語』)が出される。とくにこの年から翌年、そして翌々年、とても多くの本が出される。(いつものようにHPに掲載している→「生存学」http://www.arsvi.com→「アダルト・チルドレン」。)☆03
 中でも多くの本を書いてきたのが信田さよ子である。その信田の定義では、ACとは「現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人」(信田[2008:82]◎)だ。ここで「認めた」とは「自分が認めた」ことを言う。」(立岩[→2012](草稿))

信田 さよ子 19960808 『「アダルト・チルドレン」完全理解』,三五館,205p. ISBN-10:4883200876 1400 [amazon] m.→★

 「ACに対しては、さまざまな評価や批判が与えられてきた。私も『アダルト・チルドレン完全理解――一人ひとり楽にいこう』[…]を出版したときに多くの批判を受けたが、批判者の論点のほとんどが『他人[ひと]のせいにするな」「親のせいにするな」という点に絞られていた。上記の本のオビには大きな字で、「あなたが悪いわけではない」というキャッチコピーが躍っているが、ACが流行語になるずっと前から 、ACの人たちにとってその一言がどれだけ必要とされているかを、私は肌で感じてきた。」(信田[2008])

 「原因を除けばすべてが解決するのでしょうか。私は“親が原因”と言いたいのではありません。親を抹殺すれば解決するのではないのです。親との関係で苦しんできたのですから、親との関係を変えればいいのです。そして、今の自分をむりやりインナーチャイルドとして対象化せず、今、ここに棲みついている親との関係を整理してゆくことのほうが現実的でしょう。」(信田[1996:143→2001:147])

 「基本的には、自分で気づいて自分がそう思えば、誰からも文句を言われることのない、立派なACです。このように、自己申告という面があります。
 医療の世界に関連した言葉の中で、こんな言葉はほかにありません。たいていは言われると嫌な気持ちになる言葉しかありません。たとえば、「ボーダーライン」とか、「人格障害」とか、「神経症」とか…。「神経症と言われて、救われた」とか、「人格障害ですよといわれて、もう天にも昇る心地だ」ということはまずないでしょう。たいていの診断名は、診断する側とされる側があって、される側は傷つき、それを勲章どころか、夜陰に隠れて裏街道という感じになってしまいます。
 ところが、アダルト・チルドレンという言葉のもつ独特の響きには、そうしたニュアンスがないという面を強調しておきたいと思います。」(信田[1996:184-185:→2001:188-189])

 「だれだって「私はAC」といっていいのです。「ACかな?」と思ってカウンセリングの場にきたのなら、その人はACです。/アルコール依存症の親がいるからといって、「ACです」と断定することはありません。[…]本人の知らないところで勝手にラベルを貼り付けるものではありません」(信田[1996:186-187→2001:190-191])

 「基本的には、自分で気づいて自分がそう思えば、誰からも文句を言われることのない、立派なACです。このように、自己申告という面があります。  医療の世界に関連した言葉の中で、こんな言葉はほかにありません。たいていは言われると嫌な気持ちになる言葉しかありません。たとえば、「ボーダーライン」とか、「人格障害」とか、「神経症」とか…。「神経症と言われて、救われた」とか、「人格障害ですよといわれて、もう天にも昇る心地だ」ということはまずないでしょう。たいていの診断名は、診断する側とされる側があって、される側は傷つき、それを勲章どころか、夜陰に隠れて裏街道という感じになってしまいます。  ところが、アダルト・チルドレンという言葉のもつ独特の響きには、そうしたニュアンスがないという面を強調しておきたいと思います。」(信田[1996:184-185:→2001:188-189](立岩[→2012](草稿)))

 「ACコンセプトがなければ「私は甘えているんじゃないか。私は親のせいにして、あんな年老いた親を責めて、冷たい子どもじゃないか」「でも苦しいし、親を許せない」と、堂々巡りを続けます。この堂々巡りを突き破る言葉がなかったわけです。」(信田[1996:189-190→2001:194])

◆信田 さよ子 19970330 『コントロール・ドラマ――それはアダルト・チルドレンを解くカギ』,三五館,221p. ISBN-10: 4883201007 1400 [amazon] ※ m. ac.

 「息苦しい、生きづらいという感覚を持っている人がだんだんと増えています。それを「病理」として個人の問題として説明することはできるでしょう。でも、そのこと自体が、もっと「生きにくさ」を増し、もっと自分を責めることになるのではないでしょうか。/ACという言葉の提示するメッセージは、「親との関係を見直すこと」「親の支配を読み解くこと」であり、「あなたに責任はない」と免責することなのです。」(信田[1997:4])

 「ACは何か特徴があるとか、チェックポイントが二〇項目あって、そのうち幾つ以上当てはまればACだとする見方がありますが、それは大変失礼なことです。人に決めてもらうことではなくて、ACか否かは自分で決めることです。  何でもかんでも客観性を持つことが正しいと考えている人もいますが、ACについては違います。[…]自分がACかどうかは客観的にはわかりません。自分で決めることです。  […]ACは自分が楽になる自己認知です。ACと思って、ものすごく落ち込むような人は、ACと自己認知しない方がいいのです。ACと思って、これで私は先が見えるんじゃないかとか、自分という存在が見えるんじゃないかとか、自分の過去がこれでたどれるんじゃないかと思った人は、自分をACだと思って、ACを自分のアイディアにしていただければいいのです。/これが、AC本人に一番やさしい考え方だと私は自負しています。」(信田[1997:56-57])

◆信田 さよ子 19980907 『愛情という名の支配――家族を縛る共依存』,海竜社,222p. ISBN-10: 4759305629 1500 [amazon] ※ m.

 トラウマとACという二つの言葉は共に「あなたが悪いわけではない」という「免責性」を与えてくれます。いつもすべての原因を自分に求め責め続けている人にとって、この免責性は救いと感じられ、楽になるきっかけを与えてくれるのです」(信田[1998:96])

 「人のせいにする人は悪い人、自分のせいにする人はいい人と思われていますが、自分が悪いと思うことが本当にいいことなのでしょうか。」(信田[1998:209])

 「一般常識では、自分を責めれば、自分は変わるのではないかと思われています。私はむしろ、自分をほめた方が自分は変わると思います。一見いいことのように思いますが、「私が悪いのだ」と理由づけするだけで、何の解決にもならないのです。」(信田[1998:212])

 「信田の基本的な主張は現在まで一貫している。ただ、自らの理解・主張を今でも基本的に維持しながらも、「私のせいではない」という「イノセンスの要求」に肯定できない部分があるとも感じている。また、おびただしい数の本を世に出している精神科医の香山リカも、信田と同様、一方で、そして基本的に、「自己責任」を(過度に)問われる社会に対して批判的でありながら、病気であることを認めてもらい、そして責任を回避しようとする人たちにいくらかうんざりしているようである。そのいくつかを紹介する。
 まず、以前みた高機能自閉やADHDの人たちの文章にもあったように、自分の人生に責任をもつことを否定しているのではないのだと、引き受けるのがよいのだと言う。

 「「自分で引き受けなくていい」という安楽[…]「自分の足で立たなくてもいい」という安逸[…]は自分で立ち、考えることを奪われることなのです。[…]どうせ一回しかない人生なのですから、少々こわくても自分の意見を言い「ヨッシャ!」と引き受けてみましょう。その結果について文句は言わないことです。[…]よく言われる「イキイキ」という言葉は、このような勇気の結果生まれるものなのです。人のせいにしてはイキイキできません。」(信田[1998:213-214])」(立岩[→2012](草稿))

◆西山 明・信田 さよ子 20001120 『家族再生』 ,小学館,223p. ISBN-10:4093873194 1500 [amazon][kinokuniya] ※ m,

 「人のせいにせず自分で自分の人生の責任をとることは基本的にはよいことであるとされる。そうかもしれないと思うところもありながら、どうしてなのだろうと思うところもある。[…]
 信田は、二〇〇〇年の対談で次のように述べる。

 「問題はその先ですね。今はとりあえず親のせいとしていられるとしても、その先の大いなる責任に対する渇望が非常に高まっていると思います。だから、非常に危険な状況ではないかと考えています。「全部自分の責任だ」というところから「自分に責任がないんだ」と免責されたとき、行き先のないエネルギーが行き場を求めるでしょう。一部は宗教やなんとかイズムへ流れているんでしょうが。」(西山・信田[2000:125-126])(立岩[→2012](草稿))

◆信田 さよ子 2001a(20010209 『「アダルト・チルドレン」実践篇』,三語館,221p. ISBN-10:4883203186 1400 [amazon][kinokuniya] ※ m.

 「「ACというのは、私のことかもしれない。ああ、私はACだったんだ」と思ったら、その人はACだと思ってかまわないということです。」(信田[2001a:56])


 「その上で信田は親は「原因」ではないのだと言う。どういうことか。ここでも複数のことが言われている。

 「「私が自立できないのは母親から受けたトラウマのせいだ」と主張することと、ACの人たちに「全部親のせいにしていいんだ」とアドバイスをすること――この二つは似ているようで違います。前者のように言われたとき、母親はもっと支配するようになるでしょう。[…]しかしACの人が親のせいだと言ったとき、それは「自分が悪い」と責めることをやめるための切り口なのです。自分が楽になるためのプロセスとしていったん親のせいにしてもいいということを、自分に許す必要があります」(信田[2001a:115])
 「加害、被害という言葉は、苦しみを受けた人に対して「あなたは悪くない」と免責性を強調するために、加害者としての親を浮き立たせることはあります。しかし当の親に対して、「トラウマを与えた人」という加害性をあまりに強調すると、親が子どもから手を引くどころか、さらに子どもの面倒を見るようになってしまいます。「支配」を強化することになるのです」(信田[2001a:116])」(立岩[→2012](草稿))

◆信田 さよ子 2001b 『子どもの生きづらさと親子関係――アダルト・チルドレンの視点から』、大月書店

 「ACとは「自己認知」を基本とし、「自己申告」するものなのです。専門家に決めてもらうのではなく[…]自分が決めるのです。もちろんACは病気の名前ではありません。したがって、これまでの医者が診断するいわゆる医療モデルとは正面からぶつかってしまいます。」(信田[2001b:70-71])

 「加害、被害という言葉は、苦しみを受けた人に対して「あなたは悪くない」と免責性を強調するために、加害者としての親を浮き立たせることはあります。しかし当の親に対して、「トラウマを与えた人」という加害性をあまりに強調すると、親が子どもから手を引くどころか、さらに子どもの面倒を見るようになってしまいます。「支配」を強化することになるのです」(信田[2001a:116]、立岩[→2012](草稿))で信田[2001a:116]の次に引用)

◆アダルトチルドレン一問一答編集委員会 編・斎藤 学 監修 20021015 『知っていますか?アダルト・チルドレン一問一答』,解放出版社,115p. ISBN-10: 4759282408 ISBN-13: 978-4759282405 1260 [amazon][kinokuniya] ※ m.ac.v04.
◆barbara 「問8 アダルト・チルドレンという言葉がどうして人を楽にするのですか? その考え方のメリットはどういうところにあるのですか?」,アダルトチルドレン一問一答編集委員会 編[2002:44-48]

 「さきにあげた『一問一答』の「アダルト・チルドレンという言葉がどうして人を楽にするのですか? その考え方のメリットはどういうところにあるのですか?」という問いへの答では次のように言われる。

 「ACという言葉、考え方が強く「実感」に訴えるのは、「家族」という最も身近な人間関係の問題に焦点を当てるからでしょう。身近でありながら、社会的に否認されタブー視されてきた問題なのでインパクトが大きいのでしょう。
 それに対して、「何でも家族や親が原因だと思い込んで、複雑な社会的要因を考えなくなるのは問題だ」という批判があります。ACという考え方がそのレベルで終わってしまうとしたら、たしかにそれは問題です。
 しかし、ACという考え方がある人の「実感」に訴えた、気持ちにぴったりとしたというとき、その「実感」そのものは、その人にとって、とても大事なものだと思います。そうした「実感」を受け止め、よい意味で楽になることで、視野が広がる「ゆとり」が生まれていく。そんな可能性を大事にできたらよいのではないでしょうか。
 それと同時に、家族、親、あるいは自分自身を問うことは、そこに刻みこまれた「社会」を問うことにつながるはずです。それは、身近な生活の場、人間が育っていく人間関係の場に根ざした、地に足のついた社会批判となるでしょう。」(barbara[2002b:47-48])
 複数のことが言われている。まず一つ、家族を批判することは社会的に許容されていないから、家族を批判することは社会を批判することでもあるということ。次に、家族のあり様と社会・国家とは密接につながっていて、家族批判はすなわち社会批判・国家批判ともなるということ。そして、いまの引用で批判者として想定されている「社会派」がよく言うのは、家族に一次的な問題があるとして、その家族(の成員)のあり様を規定しているのは社会なのだから、問題にし批判するべき相手は社会であるということなのだが、その指摘に対しても、それはその通りと言える部分もあることが認められている。これらはまずは十分な答だと言える。」(立岩[→2012](草稿))

 「斎藤学が監修者になった『知っていますか?アダルト・チルドレン一問一答』(アダルトチルドレン一問一答編集委員会編[2002])という本で、ACの本人たち他が分担して問いを立てて答えている。「アダルト・チルドレンの人は何でも親のせいにして甘えているのではないですか?」という問いに対して。

 「ACは甘えているだけだ」とか、「ACは何でも親のせいにしているだけだ」という批判を、よく耳にします。たしかにACは「甘えている」ところもあるでしょうし、親との関係や親からの影響に焦点を当てて自分の「生きづらさ」を語ったりします。  しかしそもそも、「甘える」ということと、「だれかのせいにする」あるいは「怒りを感じる、怒りを表現する」ということ自体が、まったくネガティブなだけのものでしょうか? いや、「甘え」も「怒り」も、普通のコミュニケーションのなかで現れる感情であり、互いの関係を築くうえでプラスになることだってあるでしょう。
 むしろACは、「甘え」や「怒り」の感情を素直に感じられなかったり、バランスよく表現できずに育った人だといえるでしょう。ですから、逆に、「甘え」や「怒り」を表現するとなると、互いが苦しくなるような「依存」になったり、互いを壊すような「攻撃」になったりしがちなのです。必要なのは「甘え」や「怒り」の感情を排除することではなく、だんだん洗練させていくことなのです。その折り合いのつけ方、解消の仕方を身につけながら。」(barbara[2002a:49-50])

 以上では、まずなんでも「自分で引き受ける」ことがよいことではないこと、「人のせい」にすることがいつもわるいことではないことが言われる。自己責任は一つに正しいこととされるが、すくなくともいつもそうとは限らない。そしてとくに「親」のことを悪く言わないことがよいこととされていて、親のせいにすることができにくいのだが、そうしていけないことはないのだと言われる。以上はその通りだと思う。」(立岩[→2012](草稿))

 「また以下の文章の手前の箇所を前章(●頁)に引用した、「アダルト・チルドレンの人は何でも親のせいにして甘えているのではないですか?」という問いに対する、ACの当人の答の続き。

 「「ACは甘えている」ということ、特に、「何でも親のせいにしている」ということについて考えてみます。先に述べましたが、ACは、自分の感情、特に「甘え」や「怒り」を素直に感じ、適切に表現することが難しいのです。
 いつも抱えている感情は「すべて自分が悪い」という罪悪感、「自分は生きていていいのだろうか」というような自己否定感です。[…]/[…]ACにとって必要なのは、自責感を緩め、自分の感情を取り戻していくことなのです。「親への怒りを自覚する」ということ、それは、「親のせいにする」ことを自己目的化して、自分の人生への責任を放棄しようということではありません。」(barbara[2002:50-51])(立岩[→2012](草稿))

◆信田 さよ子 20030627 『愛しすぎる家族が壊れるとき』,岩波書店,201p. ISBN-10:4000220179 1600 [amazon][kinokuniya] ※ m.ac.

 「親を批判することが社会の矛盾や教育の矛盾から目をそらすものであるという批判もあるが、同心円構造という視点から見れば、別の見方もできる。つまり親への批判が社会への、国家への批判であるがゆえにタブー視されたのなら、親への批判、反逆は社会への強力な批判に他ならないのだ。」(信田[2003:105])

 「二〇〇三年の著書では次のように記している。

 「社会的背景を探ってみれば、ACが流行語となったことと、グローバリズムによって自己責任が強調されるようになった流れとは、奇妙にシンクロしているようだ。[…]カウンセリングに来るひとたちの求めるものが実は自分を変えることではなく、単にイノセンスの要求であることは珍しくない。[…]このような膨大なイノセンスの承認欲求は、うまく説明はできないのだがどこかで逆転してイノセントな存在を絶対化する方向につながっているのではないか、というのが私の直感だ。絶対化はそのまま権力化につながっていく。「被害者に責任はない」、これは今や誰も否定できない命題になった。つまり被害者はイノセントなのだ。こうして被害者性はひとつの権力と化しているのでは、と思う。」(信田[2003:184])
 「ACということばが、なんでも親のせいにするという誤解を招いたのはひとえに、「私のせいではない」というイノセンスの承認欲求だけをとらえてのことだろう。つまり親からの被害者性を臆面もなく主張することへの反発だったのであり、それは被害者としての権力をふりかざすことへの反感でもあったのかと今になって気づかされる」(信田[2003:187-188])
 「被害者は被害者であることのイノセンスを武器にしなければ生き延びられないこともある。それがいったんは承認されなければならないだろう。しかしそれがときとして政治や社会の潮流の渦によって祭り上げられ、途方もない権力を持ち始めることもあるのだ。「残された家族」という被害者性は、それが家族の博愛を前提にしているぶんだけ、情緒的共感を誘い、抗いがたい力へと変貌していく。このような傾向はますます強まるばかりに思われる。繰り返すが、被害者はその状況を日々生きていく。その営みを、生き延びること、サバイバルと再定義することで、それは生存のための戦略として見えてくるだろう。生き延びることは被害者であることを超えることである。そして自覚された生存戦略は肯定されなければならない。被害者は日々生きていくことで被害者を脱していくのである。サバイバーとはそのような人のことを指すのだろう。」(信田[2003:189-190])

 ここでは「被害者家族」のことが取り上げられているから、本人が責任から逃れることについての議論とはまた少し異なったところはある★03。ただ、被害者(側)が強くその「イノセンス」を主張し、「イノセントな存在を絶対化する方向」があるとする。そして、それらへの反動の出現への懸念が語られその事実が認識される。そして「責任逃れ」と「自己責任」が連動していることが、さほど明確というのではないが、感じられてもいる。なにか双方が双方を昂進させているように捉えられるのである。」(立岩[→2012](草稿))

◆香山 リカ 2007b(20070320 『「悩み」の正体』,岩波新書,190p. ISBN-10:4004310687 ISBN-13:9784004310686 ISBN4004310686 735[amazon] m. 〔15〕

 「九〇年代以降、アダルトチルドレンなど「あなたは悪くない、悪いのは親なのです」という考えに基づく心理学的な概念に注目が集まった。[…]しかし、その動きはやや行き過ぎるようになり、自分の親に対して憎悪をぶつける『日本一醜い親への手紙』(Create Media編、メディアワークス、一九九七年)といった本がベストセラーになったり、ごく最近では、自分が心を病んでも「上司が無理解だからだ」と他罰的に周りの誰かを責める人も増えている[…]そういった一連の流れと、「感謝の心を持ちなさい」「生まれたことにありがとう」というメッセージが多くなったことのあいだをつなげれば、こういうことになるのではないか。つまり、「自分のせいじゃない」と免責を主張する動きがあまりにも強くなり、逆にその反動として、自己責任論とともに「ひどい親に見えても、その親を選んで現世に生まれてきたのはあなた自身、感謝しなさい」といった“ありがとうのススメ”が出てきたのである。[…]いくら苦しい状況でもとりあえず感謝せよ、と言われることで、本来、家族や社会あるいは時の権力に対して持つべきだった疑問、行うはずだった抗議も口に出せず、「これも運命なんだ」と受け入れてしまう人も増えてしまうのではないだろうか。そうした「ありがとう」の押しつけは、結局のところ、苦しみを背負うのは自分ばかりという自己責任の考え方に向かうことになる」(香山[2007b:148-149])☆05」

「☆05 『日本一醜い親への手紙』、『もう家には帰らない――さよなら 日本一醜い親への手紙』、『子どもを愛せない親からの手紙』が刊行される(Create Media編[1997→1999]◎[1998a→2000]◎[1998c→2000]◎)。これが「三部作」とされるのだが、似た作りの本として、別の出版社からは『少女たちから「ウザい」オヤジへの手紙』(Create Media編[1998b→2001]◎)といった本も出ている。いずれも文庫本化され、その際、題名がいくらか「穏当」なものになったりしている。」(立岩[→2012](草稿))

◆信田 さよ子 20080410 『母が重くてたまらない――墓守娘の嘆き』,春秋社,192p. ISBN-10: 4393366255 ISBN-13: 978-4393366257 1785 [amazon][kinokuniya] ※

 「もうずいぶん前のことだが、一九九六年に、アダルト・チルドレン(AC)ということばが、朝日新聞で流行語の一つに選ばれた。[…]もともとは、アメリカのアルコール依存症治療にかかわる人たちから生まれたことばで、Adult Children of Alcoholics がその語源であり、アルコール依存症の親のもとで育った人たちのことを指していた。[…]日本語で流行語になった背景には、AlcoholicのかわりにDisfunctional Family(機能不全家族)をあてたことも大きかった。これによってACの範囲が一気に拡大したのだ。外見はふつうの家族だが、目に見えない家族内の抑圧・軋轢を感じていた人たちは多かっただろう。そこにぴったりはまったのが機能不全という言葉だった。「そうか、自分の家族は機能不全だったのだ」と彼らは納得し、ACだと自覚したのだ。」(信田[2008:82-83])

 「自分に責任はないという免責性は[…]そのまま親に責任があるという「親の加害者性」につながる。「親のせい」でこんなに生きづらいのだから、自分は親の被害者である、ACはこう主張している。おそらく AC批判のもうひとつのポイントは「親の加害者性」を含意している点にあったのだろう。被虐待児としてでなく、成人後に親を責めることに対して、日本の社会はそれをまったく容認してこなかった。親を許すことが成熟の証しとすら考えられてきたのだ。ACの主張は、日本の家族のタブーに対する挑戦だった。  被害者の視点で、加害者としての親を語ることは、しかしそれほど簡単なことではない。中年になるまでは「親だって理由があったのだろう」「私のために親はあんなことをしたんだ」と親をかばいつつ、親の立場から自分を責めてきたのだ。その人たちが、一転して子どもの立場から、被害者としての経験を語ってしまうと、あとには強烈な自己嫌悪や罪悪感にさいなまれることは珍しくない。根深くすみついていた長年の認知が変わるときは副作用が生まれるのだ。
 憎しみや怒り、恨みといった親に対する感情は、すべて肯定されなければならない。」(信田[2008:87-89])

 「「中年になっても忘れられない親の言動に対して、親の謝罪を求めたい気持ちは当然だ。問題はその表出の方法である。親が存命だからといって、親に向かってそれを投げつけることは単なる復讐だろう。多くのクライエントから「親にあやまってほしい」「あやまらせたい」という言葉を聞いたが、私は賛成しなかった。その期待はほぼ裏切られるからだ。親は奇妙なほどACのひとたちの記憶している行為を忘却している。「加害者は加害記憶を喪失する」、これは私がACのひとたちから得た教訓の一つである。
 それどころか、「今頃何を言ってるのか」「いつまで甘えたことを言ってるんだ」と逆ギレされて傷つけられたりする。親は愛情からやった行為だと思っており、加害者としての自覚などないからだ。常識も、美しい家族像も、すべて親に与している。だから、親が変わる期待など捨てるほうがいい。私は、そう思っている。 」(信田[2008:88-89])

 以上もそのとおりであるかもしれない。ただ、原因であったとしても、その原因を取り除くことはできないことはある。そして、誰かを原因と認めることが、その誰かが主導権をもつことになるとも限らない。原因の側を責め、その要因を除去しようと力を尽くすことが無駄なこと、別のことをした方がよい場合がある。例えば親を責めるより、親から離れる方がよいことがある。こうして以上は、原因という言葉を普通に使う場合に、親が原因であることを否定するものではない。
 ただ、ここで「原因でない」という言い方がされることに関わって大切なのは、推奨される方法が犯罪・刑罰のように犯人を特定しそれを罰するというものでないことだ。それはその方法ではうまくいかないからだともされる。ただ、犯罪と刑罰という枠組みでは、なされたとされる行ないが事実であるか否かが争われ、その証拠が求められる。そこにもっていかず、むしろ、被害を感じた側が、加害者を責めるのでなく、自らの加害者に対する関係を変えることでうまく行くのであれば、事実について争う必要もない、帰責の妥当性が問題になることもない。自己申告でよく、相手が加害者であることを証す必要はなく、相手を――無駄でもあるから――追いつめず、自分の側は免責を得つつ、自分(と相手との関係)を変えていくことによって、事態を立て直すことができる。そんな構造になっている。
 これは賢明な方向であると思う。ただ、その上でやはり、これで批判はかわせたことになるのかという疑問は残る。また信田本人も気になっていることがある。次節でそれを見る。」(立岩[→2012](草稿))



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■その他小ネタ

◇1996 アダルト・チルドレン(AC)が朝日新聞で流行語の一つに選ばれる.
 「もうずいぶん前のことだが,一九九六年に、アダルト・チルドレン(AC)ということばが,朝日新聞で流行語の一つに選ばれた」(信田[200803:82])



UP: 20091107 REV: 20110614, 0703, 0820(藤原 信行), 22, 24, 20120602, 03, 20160301
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