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『マザコン少年の末路――女と男の未来〈増補版〉』

上野 千鶴子 19940201 河合出版、河合ブックレット,111p.


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上野 千鶴子 19940201 『マザコン少年の末路――女と男の未来〈増補版〉』,河合出版、河合ブックレット,111p.. ISBN-10: 4879999008 \700 [amazon][kinokuniya] ※

■内容
・(「MARC」データベースより)
女性学の理論構築にむけての先鋒の一人、上野千鶴子が、日本の文化土壌としてのマザコン社会を、我々がかかえる現実問題として絵ときする講演をまとめた1冊。

・(河合ブックレットの紹介より)
「マザコン少年」という日本的現象の背後に横たわる母子密着の病理を通して、女の抑圧の構造を鮮やかに切り開く。本文の「自閉症」の記述についての抗議に対する新たな付論つき。

■目次
まえがき フェミニズムの現在 (青木和子)
I マザコン少年の末路(上野千鶴子)
 なぜ予備校には女が少ないか
 女に生まれるとトク(?)
 結婚まで処女でいたい――ブリっ子症候群のココロ
 男のコケンと「上昇婚」
 母と子の二人三脚――有名大学に入るには
 マザコン少年はかく語りき!
 母子密着の病理
 フェティシズムとしての息子
 母子相姦はなぜ起きるか
 嫁き遅れの男にならないために
II 家族はどこへ行くか(上野千鶴子 vs 「マザコン少年」)
 母子相姦と父子相姦の文化的差
 離婚の自由と希望
 女も外へ、男も内へ
 家族の現在
〈付録〉『マザコン少年の末路』の末路(上野千鶴子)

■引用
「子どもが非行に走るとか何とかっていうのは、よく母親が子どもの面倒をみなかったからだ、子どもに愛情を注がなかったからだとか言われますけれども、それどころか、現在起きている子どもの問題は、むしろ子どもの過干渉、過保護によって引き起こされる、母子密着の病理の方がはるかに深刻なんですね。」p.56

「こういうケース(前文にて例示、自閉症・登校拒否・家庭内暴力・モラトリアム青年…引用者)を見てみると、母子密着の原理です。こういうのを大人になれない病気、発達障害といいますが、こういうトラブルを引き起こす子どもたちにははっきりとした共通点があります。第一は男児が多い。第二は第一子、第三は一人っ子。三拍子そろったらドツボにはまる。」p.59

「男の子に母親がいれあげるということが原因でこういう問題が起きています。これは男の子自身の責任よりは、母親が息子にいれあげているというその母親の行動により大きな責任がありますよね。子どもはとりあえず受身の存在として生まれてくるわけですから。母子密着の背後にあるのは、母子共棲というか母子同盟というか、父親を排除した母子一体の世界ですね。そんな状態がなぜできるかということを考えてみますと、実はこの母と息子の関係の中に現代社会のひずみのすべてが浮かび上がってくるのです」p.60
 ↓
(1)女が抑圧されている構造…「まず第一に、息子に対して過剰な期待をかけている母親というのは、自分自身が抑圧された欲求を持っているわけですね。自分が何かをなし遂げたかったのに自分の力でやることができないから、それを息子に託す。だから欲求の代償満足をやっているわけですね。息子の生きがいが自分の生きがいになっていくわけです。なぜそうなるのか。やはりいまの社会に構造的な問題があります。つまり女が自分の欲求を自分自身で達成していくことができないようなしくみというものがある。」p.60-61
(2)夫から息子へ…「二番目には、夫の問題です。女性の欲求は最初はもちろん夫に向けられていたわけですね。結婚相手にどんな人がいいかと女の子たちに聞いたら、女の子は、自分の夢を追っている人がいいとかけなげなことをいうわけですね。(…)ところが男の夢は男の夢であって、わたしの夢じゃないわけですよね。(…)女の方は、男の夢を自分の夢にして、そういう男に尽くすのが愛だというふうに長い間、勘違いしてきたのです。何で尽くすのが愛かっていうと、自分の力で自分の欲求を達成することができない世の中に、女の子たちが生きてきたからですよね。だから男の出世が自分の生きがいになったりする。(…)ところが、恋愛の最中は、恋愛というのは妄想の一種ですから、妄想の中で一瞬は、この人の夢を私の夢にして一生追っていきたいなんて思っていた女の子が、(笑)、だいたい数年たてば目がさめるんですね。(…)それで比較的早く夫に対する期待がさめる。さめると、その期待が今度は息子に向かう。赤ン坊は白紙ですからね。」p.61-63
(3)母という権力…「三つ目には、日本の社会の中で女の評価が何で決まるかというと、その人がやったことによってじゃなくて、その人が育てた息子によって母としてしか評価されないという事があります。(…)田中角栄の母とか江崎玲於奈の母なんてのが出てきます。妻はめったに出てこない。父も出てこない。かわいそうですね。父は居場所がないんですから。そういう構造がある。それはどうしてかというと、はっきりしているのは家父長制の家族制度が原因ですね。家父長制の家族というのは父系でタテにつながっています。その中に嫁いでくる女というのは要するにヨソモノですわね。父系の家族では、みんな血がつながっているのに、妻だけはヨソモノであるという構造があります。このヨソモノの女が、嫁いできた家の中で一定の地位を確保するための唯一の手段は跡取りの母になるという方法ですね。これしか女にとって家の中で居場所を確保する方法がなかった。しかも跡取りの息子はたいがい妻に対しては頭が上がらないマザコンの孝行息子であるというケースが多いですね。」p.63-64
「日本の社会というのは確かに男性優位の社会ですね。しかしこの男権社会の裏には母性支配がある。つまり男を操っているのは母親なわけですよ。だから母親というものは権力なのです。女は母になることを通じで自分の力の感覚、権力というものを手に入れることができる。こんなにいい気分ないですからね。」p.64

「母が原因なんだから母を変えるしか仕方がないですよ。息子の方には責任がない。母を変えるにはどうすればいいかというと、女が母としてしか生きられないような社会を変えるしか、方法がないと思います。女が母として、息子にエネルギーを注いでいく、息子に自分の期待をつないでいくことによってしか女が生きられないような世の中を変えていくしか仕方がないですね」p.69
「ともかくいまの社会では女性が子ども以外のところに自分の生きがいを持っていけるような、つまり女が自分自身の人生を生きることができるような世の中をつくっていくしか、女も生きられないし、子どもも生きられない、そういう事態が起きていると思います。その現実をもう少しみんなに認識してもらわないと、どうにもならない」p.69-70

**<付録>『マザコン少年の末路』の末路
――「高槻自閉症児親の会」からの手紙抜粋
「先生は、『母子密着の原理』の一例として『自閉症』をとり上げられています。『自閉症』の原因は、まだ解明されていませんが、現在、少なくとも(放任、あるいは保護といった)育て方によって生じたものという考えは否定され、先天的な脳の器質的障害であろうと言われています。(…)『自閉症児は親の育て方の問題だ』とする偏見が、ずい分、子どもや親を苦しめてきたことを知りました。(…)私は、先生のこの考え方は、母親の『育て方』を問題視するあまり、かえって、世の『母性神話』に肩入れしてしまう結果に陥ってしまうのではないかと危惧いたします。先生の書物が、『自閉症』に対する偏見・差別を助長するものとならないよう、適切な処置をお願いいたします。」p.93-94

――本文箇所の抜粋
「現在起きている子どもの問題は、むしろ子どもの過干渉、過保護によって引き起こされる、母子密着の病理の方がはるかに深刻なんですね。いろんなケースがありますが、子どもの自閉症っていうのがあります。これはほったらかしにしたからできたのかというと、そんなことはないんです。子どもの言葉が出ない。小さいときにはわからないんです。普通なら一歳ぐらいから何かしゃべり始め、二、三歳までに言語の形成があるんですが、その時期になって初めて、おかしいな、近所の子はみんなしゃべってるのにうちの子だけ言葉が出ない、どうしてかしら、と思う。そのころに初めて、息子が自閉症だってことがわかるんですね。じゃあ何で言葉が出てこないかってことを考えてみると、母親が子どもに、はしためのごとく待ってるケースが多いですね。」p.56

――上野千鶴子自身による自己批判的付論
(1)「自閉症」という多様な症候を示す疾患を「言葉の遅れ」という現象に単純化した。
「「自閉症」という用語は、一時期、原因のはっきりしないさまざまな症状を、あれもこれも投げ入れるブラックボックスのように使われたことがありました」p.98
(2)「母子密着の原理」の証明のため、根拠が不確かなまま「自閉症」を取りあげた。
「「母子関係障害」といわれるもののなかには、「過保護」から「過放任」にいたるまでのさまざまな多様性があります。それを「母子密着」に一面化したこと、そしてそれを「自閉症」と結びつけたことは、あきらかな短絡でした。いずれにしても母親の責任を過度に強調している点で、「過保護」を強調する見方も、「過放任」を強調する見方も同じ考え方の両極といえます」p.98
(3)「母子密着の病理」という言説の無批判的な受け入れ。
1979年久徳重盛『母原病』にはじまる一連の議論、マスメディアが喧伝した「母子密着」に乗る形で論を提示したこと。
「私の怒りは子どもをつくったもう一人の当事者である父親はどこにいるのか、地域や社会や国は育児になんの手出しもしないのか、女性を孤立育児の状態に追い込んだのは誰なのか、に向かっていました。ですから、「母子密着の病理」を語る時、母子を密着に追い込むその周囲の環境に、私の批判の矛先は届いていました。(…)しかし私の批判は母子をとりまく社会環境には届いていましたが、そこまでどまりでした。」
 同様の認識の「誤り」↓
・「登校拒否児」に関して「母子密着の病理」からくる心身症の一種と捉えているが、「「登校拒否」は必ずしも心身症をともなわないこと、当事者や母子関係よりは学校のほうにより問題があると考えられること、したがって「登校拒否」は治療を要する病気などではなく、むしろ「不登校」と呼んだほうがいいこと…」p.102-103
・「家庭内暴力」についても、「「家庭内暴力」をただちに「子どもの親に対する暴力」と見なすことは一面的であること、そしてその見方はマスメディアを無批判に受け入れた結果であるといえます。それだけではありません。「子どもの親に対する暴力」はたしかに存在しますが、それを一部の心理学者のように「発達障害」とみなし、「親子関係のゆがみ」や「日本型親子関係」のせいにするのは、すべてを親子関係というミニマムの変数で説明する還元主義的な見方といわれなければなりません。それは子どもを加害者にしたてあげ、もっぱら親の責任を問うことで、もっとさまざまなかたちで働いたであろう他の要因を無視し、学校や社会の責任を免罪するものです」p.104-105

「考えてみれば、「母性社会」や「母子密着の病理」という見方に、私はふかくからめとられ、疑ってみることすらしなかったように思います。そのため、母親が育児を排他的にになっていることを自明視し、母親の加害性を指摘することで、結果的に女性をさらに追い詰めることに手を貸してしまったのでしょう。子育てのプロセスには、ふくざつな要因がかかわっています。そのなかには、母親が関与できるものと関与できないものがあります。」p.108
「現実を批判することは、ただちに「母子密着の病理」を指摘することとはつながりません。私は女を母性へと追いつめる社会的な状況を批判することに急なあまり、それを「母子密着の病理」に短絡するという誤りを冒しています。そのなかには、マスメディアや専門家(多くは男)の責任転嫁の論理が影を落としていることは否定できません。そして「母子密着の病理」の実例として、「自閉症」や「登校拒否」や「家庭内暴力」をとりあげた背後には、マスメディアのセンセーショナリズムがあり、私もまたその影響を受けたことをみとめないわけにはいきません。」p.108-109

■メモ
「母子密着の病理」という枠組みを打ち立てることで、上野は母親という役割が構造的に担わされている負担を明らかにしようとした。しかし自閉症の親の会から、自閉症が母子関係の病という一面的な理解に回収されてしまい、器質性も原因としてあることが指摘される。そして上野の言説が、母親役割の強化として作用してしまうと言われる。
上野は構造が認識され、壊されることを解決とするのだから、「母子密着の病理」という対抗言説は戦略としては有効である。けれども、複雑に構成されている現実の要因のうちの何かひとつを言い立てることは他の要因を不可視化させてしまうと指摘される。こうした言説の強弱は、バランスが保たれればよいという問題なのだろうか。
手紙のなかで自閉症の器質性が重要な発見であると指摘されたのは、自閉症が「関係性の病」という理解の文脈に置かれているためである。親子の関係性は所与のもので、たとえ「適切な距離」が保たれたとしても、「逃れられない」ものとして認識されているから、本質的なもの、器質性という説明が、その事態を取り巻く人々にとって意味を持っている/持ちえている、のだろうか。

■書評・紹介

■言及
立岩 真也 20020601 「生存の争い――医療の現代史のために・3」,『現代思想』30-7(2002-6):41-56 ※資料

立岩 真也 2008- 「身体の現代」,『月刊みすず』


*作成:山口 真紀 
UP:20090626 REV:
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