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『「精神障害者」の解放と連帯』

吉田 おさみ 19831201 新泉社,246p.


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吉田 おさみ 19831201 『「精神障害者」の解放と連帯』,新泉社,246p. 1500 ISBN-10: 4787783157 ISBN-13: 978-4787783158 [amazon][boople]

■目次

I 「精神障害者」解放運動小史
II 「精神障害者」解放にむけて
 「精神病」者は人間ではないのか
 人はいかにして「精神病者」となるか
 病因論を追放せよ
 新聞は敵か味方か
 「病者」にとって天皇制とは
III 労働運動との連帯を求めて
 ”労働”とは何か
 「精神病」者に”責任”があるのか
 患者は看護労働者に何を望むか
IV 保安処分・精神医療批判
 「ファシズム」と保安処分
 法的差別と保安処分
 反−保安処分から反−社会防衛体制へ
 クライシス・コールと医療の充実

■引用


T 「精神障害者」解放運動小史
 「はしがき
 現在の(比較的)ラジカルな「精神障害者」解放運動がはじまったのは一九六〇年代末頃とみたいのです。もちろん、それ以前にも(戦前にも)精神病院設立 運動や改善運動が、部分的に行われていましたが、それは融和主義的色彩の強いものでした。それらの運動と現在の運動が全く不連続というわけではありません が、本稿では主として六〇年代末以降の運動を、一応、便宜的に、精神医療変革運動、地域運動、政治運動(対権力闘争)に分けて、それぞれの概略を述べたい と思います。[略]」(p.6)

II 「精神障害者」解放にむけて

 「精神病」者は人間ではないのか

 「主体的人間観は近代市民社会において極限的にあらわれ人間の主体性こそが人間の尊厳のあかしだと、これまでいわれきました。しかし、ひるがえって考え れば、主体的人間はあくなき自己実現を追求するために,自然や他者を徹底的に支配し、そこから収奪しようとするものであり,それ自体として攻撃的、破壊的 (p.95)性格をもつものであり,それこそが人間の疎外態です。むしろ人間は単に能動的・主体的な存在でなく受動的・受苦的存在であり,ティピカルな 「精神病」者は受動的・受苦的存在としての人間なのです。」(吉田おさみ『「精神障害者」の解放と連帯』,新泉社,1983年,pp.95-96)
 *堀正嗣[1994:105]に引用
 *立岩真也「1970年」(『弱くある自由へ』所収)に引用

 人はいかにして「精神病者」となるか

 「いささか図式的ですが、従来の正統精神医学の構成的要素として次の三つが考えられます。
 1)狂気の患者帰属。
 2)ネガティブな狂気観。
 3)狂気の原因論としての身体因説(あるいは性格因説)。
 これに対するものとしていわゆる反精神医学の構成的要素としては次の三つがあげられます。
 1)狂気の成立機制としてのラベリング論。
 2)狂気のポジティブな評価。
 3)原因論としての社会要因説(あるいは環境要因説)。(p.104)
 [略]
 以上のように正統精神医学の構成的要素のうち、まず3)に、その後に1)2)に異義申し立てがなされたのですが、注意しなければならないのは、先に述べ た通り、原因論の前提には(身体因説、社会因説を問わず)「精神病」を患者に帰属する「病」と捉えるネガティブな狂気観があることです。したがって、いわ ゆる反精神医学は正統精神医学の反措定として成立したが故に、そこにはさまざまな契機がごちゃまぜに混入されていますが、そもそもラベリング論・狂気の肯 定と社会因説は論理的に両立し得ないのです。何故なら、原因論それ自体が、いかにして「精神病」をなくするかという目的的実践的要請から出発しているので あり、社会因説を含めた原因論は正統精神医学の1)2)の構成的契機(狂気の患者帰属と狂気の否定)を前提しているのであって、反精神医学の1)2)の構 成的契機を是認すれば、原因論を論じることじたいがおかしいことになるからです。(p.106)」

◆「薬の使用」に該当する箇所の抜き書き

p10
また通院して向精神病薬を服用している場合、頭の動きや動作がにぶくなることも多いのです。

p18
治療については、やはり薬物療法が主で、時には電気ショックもやるそうです。

p240
また野田レポートは「事例8」の考察において「Aにとっては精神病院とは睡眠薬をもらう所でしかなかった」と非難めいた口調で述べていますが、いったい患 者にとって精神病院は何だというのでしょうか。精神病院とは患者にとって利用すべき処以外の何ものでもないはずです。

◆「精神障害者がグループを形成する時の困難な点」に該当する箇所の引用

p24
ただし、一時期、院外闘争を否定する人たちが第二自治会(青空会)をつくろうとし、自治会つぶしをもくろみましたが、現在はそのような動きはありません。

p41
しかし七六年には「病」者集団大阪事務局で鈴木国男君による傷害事件が起り、ともしび会は院内患者会として再スタートするに至ります。

p47
 強いて問題をいえば、活動する(できる)人が少い(ママ)こと、患者大衆とのギャップをどうして埋めていくかということ、それと資金難です。
 以上、患者会の活動状況についてみてきましたが、全体的にみれば、地域患者会運動は停滞気味のところが多く、これに対して、どうもりあげていくか、とい うことが今後の課題です。

p72
 これまで述べました通り、「精神障害者」解放運動といっても多種多様であり、その拠って立つ立場もさまざまです。たとえば日常運動を重視するグループも あれば、政治運動に重きをおくグループもありますし、また政治運動の中で何を重点課題とするかもさまざまです。また思想レベルからみれば、政治革命(権力 奪取)を射程にいれる立場もありますし、反逆(告発)を重視する立場もあり、また改良(権利保障)にとどまる立場もあります。

しかし現実の解放運動は、反保安処分運動、赤堀闘争などに端的にみられるように、「精神障害者」の権利・自由をまもる防衛闘争が大きな位置を占めていま す。たとえば、反保安処分運動についていうならば、それは国家権力が「精神障害者」の権利・自由を今まで以上に侵害しようとする差別攻撃に対する防衛闘争 の性格をもっています。

■言及

立岩 真也 2003/01/01 「生存の争い――医療の現代史のために・9」,『現代思想』31-01(2002-01): ※資料
 「例えば「反精神医学」というものがあって、それは精神病は社会が貼った単なるラベルであるとして病の存在自体を認めなかった立場である、あるいはその病の原因として生理的な水準を否定しその原因として社会だけを名指した立場である、そして医療をすべて拒否した立場である、ということになっている。だがそんなことはない。例えば先にもその文章を引用した吉田おさみが、彼は論理明晰な精神障害者だったのだが、「従来の正統精神医学の構成的要素」として、1)狂気の患者帰属、2)ネガティブな狂気観、3)狂気の原因論としての身体因説(あるいは性格因説)、「いわゆる反精神医学の構成的要素」として、1)狂気の成立機制としてのラベリング論、2)狂気のポジティブな評価、3)原因論としての社会要因説(あるいは環境要因説)をあげて(吉田[1983:104])次のように言う。
 「正統精神医学の構成的要素のうち、まず3)に、その後に1)2)に異義申し立てがなされたのですが、注意しなければならないのは[…]原因論の前提には(身体因説、社会因説を問わず)「精神病」を患者に帰属する「病」と捉えるネガティブな狂気観があることです。したがって、いわゆる反精神医学は正統精神医学の反措定として成立したが故に、そこにはさまざまな契機がごちゃまぜに混入されていますが、そもそもラベリング論・狂気の肯定と社会因説は論理的に両立し得ないのです。何故なら、原因論それ自体が、いかにして「精神病」をなくするかという目的的実践的要請から出発しているのであり、社会因説を含めた原因論は正統精神医学の1)2)の構成的契機(狂気の患者帰属と狂気の否定)を前提しているのであって、反精神医学の1)2)の構成的契機を是認すれば、原因論を論じることじたいがおかしいことになるからです。」(吉田[1983:106])
 私なら少し違うように言いたいところはある。例えば狂気を肯定しなくてはならないわけではないだろう、病気は病気だと言えばよいのかもしれないと思う。この時期にこのように言われたことと、このごろのもう少し力の抜けた構えと違うところはあるように、しかし同時に、そう大きく違うことだろうかと、違うと言ってしまうのも乱暴だろうか、そんなことを考える★06。だがともかくはっきりしていることは、吉田が「原因」が一番の問題ではないのだと明言していることだ。だから、反精神医学が、というより当時の精神医療に対する批判が、社会因説をとり、それはその後の「医学の進歩」によって間違っていたことがわかったから命脈を断たれたのだという話は間違っている。この文章の第二回・第三回で[…]」


作成: UP:20070731 REV:20080320
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