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『「精神障害者」の解放と連帯』

吉田 おさみ 19831201 新泉社,246p.


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吉田 おさみ  19831201 『「精神障害者」の解放と連帯』,新泉社,246p. 1500 ISBN-10: 4787783157 ISBN-13: 978-4787783158 [amazon][kinokuniya] ※ m.

■目次

I 「精神障害者」解放運動小史
II 「精神障害者」解放にむけて
 「精神病」者は人間ではないのか
 人はいかにして「精神病者」となるか
 病因論を追放せよ
 新聞は敵か味方か
 「病者」にとって天皇制とは
III 労働運動との連帯を求めて
 ”労働”とは何か
 「精神病」者に”責任”があるのか
 患者は看護労働者に何を望むか
IV 保安処分・精神医療批判
 「ファシズム」と保安処分
 法的差別と保安処分
 反−保安処分から反−社会防衛体制へ
 クライシス・コールと医療の充実

■引用

T 「精神障害者」解放運動小史
 はしがき
 「はしがき
 現在の(比較的)ラジカルな「精神障害者」解放運動がはじまったのは一九六〇年代末頃とみたいのです。もちろん、それ以前にも(戦前にも)精神病院設立 運動や改善運動が、部分的に行われていましたが、それは融和主義的色彩の強いものでした。それらの運動と現在の運動が全く不連続というわけではありませんが、本稿では主として六〇年代末以降の運動を、一応、便宜的に、精神医療変革運動、地域運動、政治運動(対権力闘争)に分けて、それぞれの概略を述べたいと思います。[略]」(p.6)

 1「精神障害者」差別の現状

 2精神医療変革運動

 3地域運動

  1患者会運動
※全国「精神病」者集団について
「その経過をたどってみますと、1974年5月、第1回全国「精神障害者」集会を東京で開催しました。当時は、法制審議会が刑法改「正」案の答申をしようとする時期で、大会では保安処分新設阻止にむけて闘い抜くことが確認されました。第2回大会は1975年京都で、第3回大会は1977年同じく京都でかちとられ、第3回大会では保安処分に対する抗議、弾劾や、赤堀・鈴木闘争についても闘い抜くことが決議されました。第4回大会は1979年、名古屋において権力の植樹祭を契機とした弾圧をはねのけて開催されました。この大会は、多くの患者の体験が発表され、また赤堀など政治闘争の拡大、発展が確認され、精神医療告発の声も相次ぎました。・・・」(吉田[2003:47])

  2家族会運動
「なお、ここで精神障害者福祉法の問題について概略しておきたいと思います。全家連による精神障害者福祉法制定への動きは、既に1970年よりありましたが、80年5月の第13回全国大会において、精神障害者福祉法案が発表され、同法制定に全力を集中することが確認されました。法制定の理由として全家連は、入院経験者の社会性の喪失社会復帰の困難、リハビリテーション施策の不足、長期在院者の退院の困難をあげ、現行精神衛生法の範囲では社会福祉活動の運用に限界があるとしています。法案の中身としては、社会復帰ないし福祉のための各種施設を整備し、国または機関は障害の判定を行い『判定に適応した措置』をとらなければならないとし、また『精神障害者』の家族への援助がもりこまれています。しかし、これらについては基本的には、福祉の名を借りた『病者』管理の強化であること、一般市民、特に家族の生活を脅かさないよう邪魔者を排除する意図をもつこと、特に『精神障害者』の自己決定権を認めないこと、精神衛生法を容認し、その自由制限を強化、補完するものだという批判もなされています。/・・・」48−49

  3社会復帰活動 ※「やどかりの里」、「ごかい」に触れている。
  4共同作業所
  5差別表現糾弾運動その他

 4政治運動

  1反保安処分運動
※日本におけるながれの概要→後ほど詳しく・・・
「1970年代以降の『精神障害者』解放運動の中心課題は、刑法改『正』―保安処分新設阻止でした。・・・」
「現在、日本で問題になっている保安処分は、『精神障害者』、中毒者に対する刑事処分です。すなわち、1974年に法制審議会が答申した『刑法改正案』は、禁固以上の刑に当る行為をし、将来再び禁固以上の刑に当る行為のおそれのある『精神障害者』、中毒者は保安施設に収容するとしています。/刑法改『正』―保安処分新設の動きは既に戦前からありましたが、戦後は1956年、法務省に刑法改正準備会が設けられ、1961年に刑法改正準備草案が公表されました。この準備草案にもりこまれた保安処分については、当初は精神医学界でも法学界でも賛成意見が強く、中には保安処分として去勢まで含めるべきだとの説さえありました。しかし60年代後半より、若手精神科医による反対運動が行われ、71年の精神神経学会総会では、『保安処分新設に反対する決議』が圧倒的多数で可決されました。また73年には『刑法改正―保安処分に反対する百人委員会』が発足しました。/1974年には法制審議会は刑法改『正』の必要性を最終答申し、改正刑法案が発表されました。・・・(中略)・・・。/しかし1980年8月、奥野法相は、たまたま起こった精神病院入院経験者の事件(新宿バス放火事件)を最大限に利用して、保安処分が必要と閣議で発言し、ここに改『正』作業は再開されました。これに対して反対運動も、百人委員会のほか関係学会、医療者、家族、患者、労働者の諸団体によって全国的にくりひろげられました。・・・81年8月、日弁連刑法『改正』阻止実行委員会は、保安処分の代案(対案)として『精神医療の抜本的改善について』(要綱案)を発表し、精神医療の治安的再編を提示しました。/・・・法務省は81年12月『保安処分制度の骨子』を発表し、保安処分の名称を治療処分に変え、対象者を重罪を犯した者に限定し、・・・。/・・・。/すなわち、法務省と日弁連の意見交換会は1981年7月の第1回を皮切りに、1983年8月までに既に16回行われ、これに対して法務省との対決の立場から、意見交換会粉砕闘争が行われています。また、日弁連は81年、東京、大阪、名古屋と3回にわたって、刑法改『正』について賛成、反対のそれぞれの立場から討論するパネル・ディスカッション行ないましたが、1981年12月の名古屋でのパネル・ディスカッションにおいては、司会者が開会をつげた途端、反対グループが決起して壇上を占拠し、結局パネル・ディスカッションを中止に追いこみました。これに対して、後に一部の弁護士は、演壇を占拠した精神科医を告訴しました。/また、日弁連刑法『改正』阻止実行委は、保安処分の代案として、81年8月のいわゆる『要綱案』に続くものとして、82年2月、いわゆる『意見書』を発表しました。これは一応、『医療優先』をかかげているものの、市民生活の安全‐社会防衛に力点がおかれています。その内容としては、措置入院制度や同意入院制度の適正運用、アフターケア、リハビリテーション、第三者機関の設立などがかかげられていますが、これらは『精神障害者』差別の問題を欠落させており、強制入院、強制治療の追認と患者管理の強化をもたらすものだ、という批判がなされています。・・・(野田レポートについて→後ほど)」57−59

  2赤堀差別裁判糾弾運動
「1954年3月10日、静岡県島田市で幼稚園児佐野久子ちゃんが誘拐され、13日付近の山林で死体となって発見されました。捜査本部は、島田付近の部落民、犯罪経歴者、在日挑戦人、ヒロポン中毒者、『浮浪者』、『精神障害者』二百数十をかたっぱしから調べ、拷問による取調べによって自白者が数人もでたといわれています。けれども、いずれの被疑者も犯人とは断定できず、捜査は完全に行きづまりました。マスコミや市民の非難が警察にむけられ、警察の威信失墜という危機の中で、あせる警察は5月24日『浮浪』中の赤堀政夫さんを逮捕し、拷問、誘導の末、ウソの自白をさせ、犯人にデッチあげました。/・・・」60

※支援活動→「1974年には島田事件対策協議会青年婦人部が発足し、全国各地に支援組織の結成を訴えて歩きました。青年婦人部の要請により1974年から75年にかけて、関東、静岡、京都、広島、仙台、八王子、愛知、岡山において『赤堀さんと共に闘う会』が結成されていきました。/そして1975年5月、全国『精神病』者集団は第二回大会において、『精神病院に入院歴があり、「精神薄弱者」として社会から排除され、デッチアゲられた赤堀さんの悲劇は、多くの「精神障害者」の日常性そのものである』と糾弾しました。更に76年8月の全障連(全国障害者解放運動連合会)の結成大会においても赤堀闘争が課題とされました。/・・・」64−65

  3鈴木君虐殺糾弾運動
「1976年、大阪の全国『精神病』者集団事務局において、医者と連携するか、敵対するかをめぐって対立が激化し、医者との連携を拒否する鈴木国男君は2月1日N氏に傷をおわせ逮捕されました。逮捕された鈴木君は2月3日大阪拘置所に移監され、即日、保護房に収容されました。拘置所は友人の面会も主治医による医療接見も許さず、また家族には何の連絡もせず、鈴木君の『精神症状』は悪化するばかりでした。鈴木君は食事もとらず、ほとんど睡眠をとらず、厳寒の中、全裸のまま保護房に放置され、2月16日、死亡をさせられるに至りました。/・・・/以上のような経過の後、83年5月20日、大阪地裁は『鈴木の死は拘置所長、看守、それに拘置所の嘱託医らの過失にもとづく』とし、死因は凍死であるとして国の責任を認め、2060万円の賠償を命ずる判決を下しました。・・・」65−68

  4拘禁二法成立阻止運動
「刑法改『正』‐保安処分新設阻止と連動するものとして、拘禁二法(刑事施設法、留置施設法)の成立阻止運動が行われてきました。・・・/76年から監獄法改『正』について検討していた法制審議会は80年11月『監獄法改正の骨子となる要綱』をまとめ、また、82年1月には警察留置施設法案が明らかとなりました。そして82年4月、前者は刑事施設法案として、後者は留置施設法案として国会に上程されました。・・・」68
  5実態調査阻止運動
「戦後、精神衛生法実態調査は、1954年、1963年、1973年と3回にわたって行われ、1983年12月には第四回調査が行われようとしています。/・・・」70

 5「精神障害者」解放運動の課題
  1多様な運動の連合
  2防衛闘争から攻撃闘争へ
  3患者大衆の運動への結集
「・・・すなわち『精神障害者』が『健常』になること、あるいは『健常者』なみになることが『精神障害者』解放では決してありません。いうならば、『精神障害』をなくすことによって差別をなくしていくという視点ではなく、『精神障害』をそのまま認めさせることこそが反差別だ、というわけです。・・・」74−75

  4「精神障害者」中心の運動へ
「解放運動の重要部分を占める医療者に対しては、患者の立場から、その医療者の立場性の偏狭さに対して、不断のつきつけを行っていくことが必要です。つまり医療者ないし『健常者』の立場からの解放運動ではなく、『精神障害者』中心の解放運動が構築されなければなりません。/いうならば、医療者の運動にしても、狂気を『病い』として否定的にのみ捉えるべきか否か、あるいは従来、医療といわれてきたものは『病者』に対する介入ないし管理ではなかったか、また医療者は日常的に保安処分を行っているのではないか、などという問題を抜きにして運動はあり得ない、ということです。・・・」75

  5反差別共同闘争の推進

U 「精神障害者」解放に向けて
 「精神病」者は人間ではないのか:主体的人間観の克服
  1はじめに
※主題→「本稿では思想的次元で、特に、近代・現代社会において『精神病』者が人間でないとされるに至った理由と経過を明らかにし、『精神病』者は決して人間の疎外態ではなく、むしろ近代的・現代的な主体的人間観にこそ問題があることを述べたいと思います。」78

  2狂気と主体性
「・・・そして付言するならば、ティピカルな狂気とは、社会の構造圧力に対する反作用ですから、ティピカルな狂気の状態にあること自体が、既に広義の運動なのです。」79

※能動的主体性(主体的能動性)は決して善とは言い切れない・・・
→「けれども後に述べますように能動的主体性必ずしも善ではなく、それは他者や自然に対して攻撃的性格をもっており、悪という側面をも有しているのです。そして主体的人間が必ずしも人間の理想像ではないとすれば、ティピカルな『病』者は主体性が希薄になっていることを認めても、決して差別ではありません。」
「もう一ついうならば、人間を主体的人間として捉えるならば、ティピカルな狂人はもはや人間ではないという結論に到達せざるを得ません。・・・そして後にも述べますが、主体的人間は実は人間の疎外態であり、決して人間の理想像ではありません。」80−81

  3近代的・主体的人間観の系譜
   @ルネサンス期の思想
   Aデカルト
   Bカント
   Cマルクス
   D実存主義

  4主体的人間の罪業
※『精神病』者が現代社会において人間の疎外態である理由として・・・
→「以上のように人間を主体的人間とみるとすれば、先にも述べたようにティピカルな狂気は明らかに非主体的ですから、『精神病』者は人間の疎外態、つまり非人間だという結論に達します。逆にいうならば、『精神病』者を人間の疎外態(非人間)とみる考え方の根底には西欧近代において極限に達した主体的人間観があったのであり、・・・換言すれば、近代・現代においては人間は主体的である(主体的でなければならぬ)という『盲目的』な信仰がありますが、このような主体性に対する信仰は、必然的に『精神病』者差別を強化させることになったのです。しかし、このような主体性、あるいは主体的人間への『盲目的』信仰は果たして正しいでしょうか?」89

「しかし私たちの観点からすれば、人間が主体性を失ったことが疎外なのではなく、先にも述べた通り、彼らが回帰すべきものとした主体的人間こそが人間の疎外態です。・・・」92

※結論→「・・・ティピカルな狂人は、主体的・能動的でなく、受動的、受苦的であり、その意味で人間なのです。もちろん、そのことは、『精神病者』に対して差別を甘んじて受けよ、と説教することとは全く違います。むしろ『精神病者』はある時は能動的、主体的つまり「健常者」的であり、他の時は受動的、受苦的(狂的)であるわけですが、それは人間のあり方として自然なのだ、ということです。」95

 「主体的人間観は近代市民社会において極限的にあらわれ人間の主体性こそが人間の尊厳のあかしだと、これまでいわれきました。しかし、ひるがえって考えれば、主体的人間はあくなき自己実現を追求するために,自然や他者を徹底的に支配し、そこから収奪しようとするものであり,それ自体として攻撃的、破壊的(p.95)性格をもつものであり,それこそが人間の疎外態です。むしろ人間は単に能動的・主体的な存在でなく受動的・受苦的存在であり,ティピカルな「精神病」者は受動的・受苦的存在としての人間なのです。」(吉田おさみ『「精神障害者」の解放と連帯』,新泉社,1983年,pp.95-96)
 *堀正嗣 [1994:105]に引用
 *立岩真也「1970年」(『弱くある自由へ』所収)に引用

  5まとめ

 人はいかにして「精神病者」となるか

  1逸脱の成立機制
「たとえばアメリカでいえば、『禁酒法』が制定されると、その途端にそれまで何もなかった行為が逸脱となりました。また日本でも、『精神病』者が増加したから精神病院の病床数や医者が増加したのではなく、逆に病床数や医者が増加したが故に、それまでは社会では生きていた人が病院へ入れられることになり、『精神病者』の烙印を押されることになったのです。」99

「…しかもその人にとっては、逸脱者としての地位が他のいかなる地位(中略)をも圧倒し、その人は他のアイデンティフィケーションに先立ち、まず第一番目に逸脱者として判定されます。たとえば精神科医によって『精神病』と診断された者は、彼が男であり、会社員であり、あるグループに所属する人であるよりも、何にもまして彼は『精神病者』なのです。」100

  2逸脱者経歴の深化
「要するに『精神病者』にかぎらず一度逸脱者のラベルを貼られた者は、自分は他者が想定するような人間でないと口で異議申し立てをしてみても、逸脱者としてのアイデンティティを払拭できないことがほとんどです。…要するに修正をめざすからには『超道徳的』存在にならなければなりません。/しかしこのような修正の試みを行ってもそれが成功することは稀です。・・・」102

 「いささか図式的ですが、従来の正統精神医学の構成的要素として次の三つが考えられます。
 1)狂気の患者帰属。
 2)ネガティブな狂気観。
 3)狂気の原因論としての身体因説(あるいは性格因説)。
 これに対するものとしていわゆる反精神医学の構成的要素としては次の三つがあげられます。
 1)狂気の成立機制としてのラベリング論。
 2)狂気のポジティブな評価。
 3)原因論としての社会要因説(あるいは環境要因説)。(p.104)
 [略]
 以上のように正統精神医学の構成的要素のうち、まず3)に、その後に1)2)に異義申し立てがなされたのですが、注意しなければならないのは、先に述べた通り、原因論の前提には(身体因説、社会因説を問わず)「精神病」を患者に帰属する「病」と捉えるネガティブな狂気観があることです。したがって、いわゆる反精神医学は正統精神医学の反措定として成立したが故に、そこにはさまざまな契機がごちゃまぜに混入されていますが、そもそもラベリング論・狂気の肯定と社会因説は論理的に両立し得ないのです。何故なら、原因論それ自体が、いかにして「精神病」をなくするかという目的的実践的要請から出発しているのであり、社会因説を含めた原因論は正統精神医学の1)2)の構成的契機(狂気の患者帰属と狂気の否定)を前提しているのであって、反精神医学の1)2)の構成的契機を是認すれば、原因論を論じることじたいがおかしいことになるからです。(p.106)」

  3精神医学とラベリング論
※(吉田の言う)正統精神医学
@狂気の患者帰属
Aネガティブな狂気観
B狂気の原因論としての身体因説(あるいは性格因説)
※反精神医学の構成的契機
@狂気の成立機制としてのラベリング論
A狂気のポジティブな評価
B原因論としての社会因説(あるいは環境因説)104

「まずラベリング論とは、逸脱はある人がコミットした行動の性質ではなくて、むしろ行為者と他者との相互作用に含まれる性質である、とするものです。」105
※レイン出てくる。

※正統精神医学の「矛盾」
「・・・そもそもラベリング論・狂気の肯定と社会因説は論理的に両立し得ないのです。」
→「因」の前提はネガティブな狂気観があるから。

 病因論を追放せよ:狂気と社会矛盾
  1「精神障害」の原因論
「…これまでの原因論の争点を極度に単純化すれば、素質か環境かということにつきます。…」109

「…これらの原因論が精神医学の領域で論じられるかぎり、いかにして『精神障害』を防ぐか、または治療するか、という目的的、実践的要請から出発していることはいうまでもありません。すなわち、原因論は、狂気を『患者に帰属する病』と捉える考え方を当然の前提としています。」111

  2社会共謀因仮説について
※笠原の「分裂病の成因に多少とも関連のある仮説」11個 111
→特に「社会共謀因仮説」について

「…ただし後にも述べるように、狂気は社会矛盾に規定される、したがって社会矛盾をなくさなければならないというふうに論理が展開されるとすれば、すなわち『精神病』は今の資本主義生産様式の矛盾から生みだされたものだから革命によって資本制的生産様式が変ることによってしか『精神病』は治らないというふうな単純な公式的な論理が展開されるとすれば、そこにはおおいに問題があります。何故なら、狂気を社会の構造圧力に対する攪乱反作用とみる立場は狂気をポジティブに捉えているのに対し、この立場は狂気をあってはならないものとしてネガティブに捉えているからです。」113

  3原因論の前提
「…たしかに原因論は論理的次元で誰が悪いかを問題にしているのではありません。しかし、くりかえしになりますが、『精神障害』を含めた逸脱の原因論の前提にはそれらの逸脱をあってはならないものという考え方があります。もしそうでなければ、何故に原因論を論じるのでしょうか?要するに、原因論は『やる側』からの論議であって、『される側』からは、いかなる原因論も峻拒しなければなりません。」117

※ラベリング論と原因論が全くべつのものであることについて
「…要するに、ラベリング論(成立機制論)と原因論は全く別のものであって、両者は共存し得ません。…」117−118

  4「精神障害者」解放とは

 新聞は敵か味方か
  1はじめに
  2第四権力としての新聞
  3野放しキャンペーン
「新聞が敵としてあらわれた局面についてここでは1964年のライシャワー大使刺傷事件の報道、1980年の新宿バス放火事件の報道、1982年の羽田沖日航機墜落事故の報道に限ってとりあげたいと思います。」123

  (1)ライシャワー大使刺殺事件
「ライシャワー大使刺傷事件とは、1964年3月24日、一『精神障害児』がライシャワー・アメリカ駐日大使の右モモを刺し、各新聞一斉の野放しキャンペーンの中で、早川国家公安委員長の辞任、そして精神衛生法一部改『正』に至った事件です。」124
  (2)新宿バス放火事件
「新宿バス放火事件とは、80年8月19日夜、新宿バスターミナルで、ある人がバスに放火し、乗客3人が焼死し、20人が怪我をした事件で、その犯人が精神病院入院歴があったことから、奥野法相はこれを最大限に利用し、閣議で『保安処分が必要』と発言し、一時中断されていた刑法改『正』作業が再開されることになりました。その意味で、この事件報道も、ライシャワー大使刺傷事件の報道と同じく画期的な事件報道でした。」127
  (3)羽田沖日航機墜落事故
「羽田沖日航機墜落事故とは、1982年2月9日、日航機が羽田空港へ着陸進入中、滑走路手前の海上に墜落し、死者24人、負傷者147人をだした事故で、その原因は機長の異常操作であり、機長は精神鑑定の結果、『精神分裂病』と診断され、日航の管理体制が問題になっています。」129

  4"理解"ある報道
※ルポ精神病棟について…
「これまでの精神医療問題に関する記事の中で際立っているのは、朝日夕刊70年3月5日から12日までに連載された『ルポ精神病棟』でしょう。…」134
→「…大熊記者の主観的意図はともかく、客観的には新聞にとって『病者』に見方するかどうかはどうでもよいことであり、むしろどれだけ読者の関心を集め得るかということが中心的課題であって、その意味では、ライシャワー大使刺傷事件などと同質のセンセーショナリズムが幅をきかしています。」136

※山田靖子の投書→友の会発足の発端…
「また、1973年4月6日の東京版『声』欄に、主婦山田靖子の名で『私は患者として病院内で病友から悲痛・鎮痛の声をよくきいた。だが患者と社会のための新しい精神医療の確立には患者の声がまず発せられねばならない。…』…」135

※新宿バス放火事件を契機とする保安処分推進に対抗的言説…
「更に、先にとりあげた新宿バス放火事件を利用した奥野法相の刑法改『正』作業再開発言、そして江東区通り魔事件に端を発する同法相の保安処分新設推進発言に対する革新的精神科医の側からの発言が掲載されていることも注目に値します。すなわち80年9月12日朝刊、論壇欄に青木薫久氏が『保安処分は時代おくれ、世界は停廃止に向かっている』との見出し記事で保安処分反対論を展開しています。また81年7月24日朝刊の論壇欄にも森山公夫氏が『的はずれの保安処分新設論、不幸な事件、政治利用の意図』という見出しで奥野発言を批判しています。…(ただし『公正』を期するために、8月22日論壇では、森下忠氏の『保安処分新設はやはり必要、「ファシズム」の批判は当らぬ』という記事も載せています)。」135

  5むすび

 「病者」にとって天皇制とは
  1天皇「行幸」と予防弾圧
  2戦後天皇制の機能と「障害者」
  3天皇に対置されるもの
「いうならば、天皇は戦後の天皇制市民国家においてその頂点に位置しているのであり、その意味で差別の原点です。そして生きることすべてにおいて差別されてきた『精神障害者』を含めた社会の底辺に位置する被差別者こそが、それじたいとして天皇―天皇制に対置し得るのです。」144

「1980年の園遊会において、天皇自身が精神科医・斉藤茂太に対して『治安のためにしっかりやって下さい』と励ましていますが、天皇自身の意識においても『精神障害者』は治安の対象にすぎず、天皇に対置されるものとして存在しています。」146

  4何故予防弾圧が行われるか
「…何故、天皇『行幸』に際して『精神障害者』に対する予防弾圧が行われるのか?それは天皇個人の身辺をまもるためというよりも、むしろ『精神障害者』を天皇制市民国家の敵に仕立てあげ、今まで以上に排除、追放するためです。…」147

V 労働運動との連帯を求めて

 "労働"とは何か:労働の廃棄と狂気の復権
  1「精神障害者」の就労
「結論を先取りしていうならば、生産力中心主義―『健常者』中心社会では一つでも多くを生産するという目的的見地が一義的に支配するのですが、共に生きる社会では生産をあげることが至上命令ではなく、『精神病者』も就職しながら、しんどい時には休める関係が保障されなければなりません。」152

  2労働は絶対的な価値か?
「このような生産力中心主義に対する批判に直面して、労働を生産から切りはなして、あくまで労働の聖化を維持しようとする説もあります。すなわち労働には生産的活動としての労働と非生産的労働(労働一般)があるとし、後者を称揚する考えです。しかし生産から切りはなされた労働一般はきわめて観念的なものであり、もはや固有の意味の労働とはいえません。労働と生産と等値することはできないにしても、そしてそれがたとえ疎外されない労働であるにしろ、労働は一定の生産物を生みだす目的に制約されていると考えるべきでしょう。すなわち、労働は生産のための手段であるという側面を否応なく持たされます。そして労働は決して神聖なものでも絶対的価値でもなく、ましてや自由の実現ではありません。」156

  3カオスの承認
「労働―生産は、たしかに人間が生きるために必要であることは否定できません。しかし労働―生産の発展を至上命令とし、すべてをその目的に収斂させるような社会は否定されるべきです。そして世界を労働―生産という基軸のもとで一義的に捉え、生産力、あるいは労働量の増大さをもってよしとする思想は『病者』解放にはつながりませんし、それによって『健常者』もまた解放されることはないでしょう。」160

 「精神病」者に"責任"があるのか:「健常者」社会の倫理と「病」者の論理
  1はしがき
  2「病」者の責任無能力は差別か
「けれども責任無能力規定の成立の事情からみれば、もともと国家の刑罰権は、市民が社会契約によって必要最小限度で供託しあった自由の総和にその根拠をもつとされていましたから(啓蒙期刑法思想)、『精神病』者はそもそもの最初から社会契約をなし得ないものとして契約社会から排除され、その必然的結果として責任無能力とされました。このような視点からすれば『病』者の責任無能力規定はやはり差別だということになります。」166

※「新派刑法理論」(社会的責任論)における「刑罰」=「保安処分」について…
「…そして社会的責任論は、『病』者もその危険性故にやはり社会防衛処分(保安処分)をうけなければならないとし、刑罰と保安処分の同質性、連続性を認めています。この社会的責任論は、人間の自由意志を認めず、決定論の立場をとり、『健常者』と『病』者を連続的に捉える傾向が強いという意味では反差別的といえますが、ただし、その反差別性は社会防衛目的から派生したものです。」167

  3「病」者に適法行為を期待できるか
  4共に生きる社会とは

 患者は看護労働者に何を望むか
  1私の看護婦診断
  2生活の場としての精神病院
  3看護労働者に何を望むか
  4"看護の近代化"批判
5おわりに


W 保安処分・精神医療批判
 「ファシズム」と保安処分
1はじめに
2「ファシズム」とは
3「ネオファシズム」の出現
4日本の「ファシズム」の進行と刑法改「正」作業
5刑法の「ファシズム」化と保安処分
@国家処分権の拡大

A「精神障害者」の排除、淘汰

B刑法の主観主義化

6おわりに

 法的差別と保安処分:保安処分体制解体にむけて
  1保安処分と法的差別
  2市民社会にとって合理的な差別
  3特に民法の規定について
  4市民社会にとて不合理な差別
  5おわりに

 反‐保安処分から反‐社会防衛体制へ
  1保安処分の位置
  2罰する行為と治す行為の準同一性
3罪刑法定主義と非犯罪化
4刑事責任の問題

 クライシス・コールと医療の充実
1野田レポートの内容
2問題意識の差別性
3事例研究じたいの差別性
4精神医療充実の差別性
5若干の補足

 あとがき


 「関東の東大精医連に対応するものとして、関西では1969年、精神科医師の活動家が結集して、関西精神科医師会議が結集され、後に精神科医全国共闘会議へと発展的解消をとげました。
 精神科医全国共闘会議は発足後、現在に至るまで保安処分問題、中間施設問題、岩倉病院問題などに精力的にとりくんでいます。岩倉病院問題とは、精医研(精神医療研究会)にかかわっていた患者K氏を、K氏の妻の要請で岩倉病院に入院させたのに対し、後に、関西精医研が岩倉病院に押しかけて、暴力的に退院させた事件です。この問題について精神科医全国共闘会議と精医研の間で対立が激化し、多くの団体がこれにまきこまれ、1976年には岩倉病院問題の評価をめぐっての紛糾から、日本精神神経学会も病院精神医学会も開催不能になるなど多大の影響をおよぼしました。
 精神科医全国共闘会議と精医研は、現在も主として野田レポートをめぐって対立しており、後者は前者を政治主義と規定するのに対し、前者は後者を技術主義ないし近代派と規定しています。ただし精神科医全国共闘会議は、闘う「病者」との連帯を追及しているのに対し、精医研は、「病者」が主体的に運動することに積極的ではありません。」(吉田[1983])

◆「薬の使用」に該当する箇所の抜き書き

p10
また通院して向精神病薬を服用している場合、頭の動きや動作がにぶくなることも多いのです。

p18
治療については、やはり薬物療法が主で、時には電気ショックもやるそうです。

p240
また野田レポートは「事例8」の考察において「Aにとっては精神病院とは睡眠薬をもらう所でしかなかった」と非難めいた口調で述べていますが、いったい患 者にとって精神病院は何だというのでしょうか。精神病院とは患者にとって利用すべき処以外の何ものでもないはずです。

◆「精神障害者がグループを形成する時の困難な点」に該当する箇所の引用

p24
ただし、一時期、院外闘争を否定する人たちが第二自治会(青空会)をつくろうとし、自治会つぶしをもくろみましたが、現在はそのような動きはありません。

p41
しかし七六年には「病」者集団大阪事務局で鈴木国男君による傷害事件が起り、ともしび会は院内患者会として再スタートするに至ります。

p47
 強いて問題をいえば、活動する(できる)人が少い(ママ)こと、患者大衆とのギャップをどうして埋めていくかということ、それと資金難です。
 以上、患者会の活動状況についてみてきましたが、全体的にみれば、地域患者会運動は停滞気味のところが多く、これに対して、どうもりあげていくか、とい うことが今後の課題です。

p72
 これまで述べました通り、「精神障害者」解放運動といっても多種多様であり、その拠って立つ立場もさまざまです。たとえば日常運動を重視するグループも あれば、政治運動に重きをおくグループもありますし、また政治運動の中で何を重点課題とするかもさまざまです。また思想レベルからみれば、政治革命(権力 奪取)を射程にいれる立場もありますし、反逆(告発)を重視する立場もあり、また改良(権利保障)にとどまる立場もあります。

しかし現実の解放運動は、反保安処分運動、赤堀闘争などに端的にみられるように、「精神障害者」の権利・自由をまもる防衛闘争が大きな位置を占めていま す。たとえば、反保安処分運動についていうならば、それは国家権力が「精神障害者」の権利・自由を今まで以上に侵害しようとする差別攻撃に対する防衛闘争 の性格をもっています。

■言及

◆立岩 真也 20140825 『自閉症連続体の時代』,みすず書房,352p. ISBN-10: 4622078457 ISBN-13: 978-4622078456 3700+ [amazon][kinokuniya] ※

立岩 真也 2003/01/01 「生存の争い――医療の現代史のために・9」,『現代思想』31-01(2002-01): ※資料

 「例えば「反精神医学」というものがあって、それは精神病は社会が貼った単なるラベルであるとして病の存在自体を認めなかった立場である、あるいはその病の原因として生理的な水準を否定しその原因として社会だけを名指した立場である、そして医療をすべて拒否した立場である、ということになっている。だがそんなことはない。例えば先にもその文章を引用した吉田おさみが、彼は論理明晰な精神障害者だったのだが、「従来の正統精神医学の構成的要素」として、1)狂気の患者帰属、2)ネガティブな狂気観、3)狂気の原因論としての身体因説(あるいは性格因説)、「いわゆる反精神医学の構成的要素」として、1)狂気の成立機制としてのラベリング論、2)狂気のポジティブな評価、3)原因論としての社会要因説(あるいは環境要因説)をあげて(吉田[1983:104])次のように言う。
 「正統精神医学の構成的要素のうち、まず3)に、その後に1)2)に異義申し立てがなされたのですが、注意しなければならないのは[…]原因論の前提には(身体因説、社会因説を問わず)「精神病」を患者に帰属する「病」と捉えるネガティブな狂気観があることです。したがって、いわゆる反精神医学は正統精神医学の反措定として成立したが故に、そこにはさまざまな契機がごちゃまぜに混入されていますが、そもそもラベリング論・狂気の肯定と社会因説は論理的に両立し得ないのです。何故なら、原因論それ自体が、いかにして「精神病」をなくするかという目的的実践的要請から出発しているのであり、社会因説を含めた原因論は正統精神医学の1)2)の構成的契機(狂気の患者帰属と狂気の否定)を前提しているのであって、反精神医学の1)2)の構成的契機を是認すれば、原因論を論じることじたいがおかしいことになるからです。」(吉田[1983:106])
 私なら少し違うように言いたいところはある。例えば狂気を肯定しなくてはならないわけではないだろう、病気は病気だと言えばよいのかもしれないと思う。この時期にこのように言われたことと、このごろのもう少し力の抜けた構えと違うところはあるように、しかし同時に、そう大きく違うことだろうかと、違うと言ってしまうのも乱暴だろうか、そんなことを考える★06。だがともかくはっきりしていることは、吉田が「原因」が一番の問題ではないのだと明言していることだ。だから、反精神医学が、というより当時の精神医療に対する批判が、社会因説をとり、それはその後の「医学の進歩」によって間違っていたことがわかったから命脈を断たれたのだという話は間違っている。この文章の第二回・第三回で[…]」


作成:樋澤 吉彦
UP:20070731 REV:20080320, 20111003
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