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個体への政治

―西欧の2つの時代における―

立岩 真也
198707 『ソシオロゴス』11,pp.148-163. 55枚
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~kamimura/sociologos.htm



 ※この論文の一部は、のちに立岩『私的所有論』第6章の一部に使われました。読んでいただければありがたいです。

 本稿は、西欧における、16世紀から18世紀まで、そして19世紀以降という2つの時代の個体を巡る制度の形態について考察することを主題とする。そこで確認されるのは、第一に、従来近代社会論において、前提的に、あるいは自然発生的なものとして置かれてきた主体という形象が社会内で戦略的に取られた地点として、あるいはそこへの形成が目指されたものとしてあることであり、第二に、そこで考慮の外にあった別の個体の形象、それに関わる関与の形態の存在であり、第三に、それらの開始の、変容の場所である。
 最後に、こうした試みのもと、どのような近代社会についての把握が可能なのか、再び思考することが提起される。

T 主題

 私は、前稿(立岩[1986a])で西欧社会における個体の「内部」を巡る制度について検討を試み、そこでは個体内部による外的な様態に対する規定という図式が前提にされた上で、いくつかの個体を目指す戦略が存在し、組み合わさっていることを述べた。だが、前提的な検討をする必要があったため、また諸要素を並列する形をとったため、実際の社会の形態, 社会の変容についての記述は十分なものたりえなかった。また、19世紀への変わり目を境としてその前と後の間に重要な差異が存在することを示唆してはおいたが、その主題は十分に展開されなかった。そこで本稿では, 内部に与えられる性質, そして個体への関与の形態について、この19世紀を境とする変容に注目して検討する。
 どのように近代・現代社会の作動を捉えるのか。もちろん、この主題は多くの人々によって繰り返し探究されてきたものである。しかし、少なくとも私には、それが既に答えの与えられた問いであるとは思われない。
 例えば、一つの、だがしばしばみられる解答は、まず近代を人間の解放として捉え、そしてまた、そこからの 偏□として、ある社会形象を、あるいは現在一般を語るものだ。前に置かれるものが他の言葉でもよい。本質と残余的なものという、あるいは本質と転態という認識。そういった認識は正確なものであろうか。
 他方で、近年、従来周縁的な領域とされていた分野に実証的な研究が現われ、正統的な把握に異義が唱えられている。しかし私達はそれをどう捉えたらよいのか、未だはっきりとした手応えを得てはいないのではないか。
 以下は、こういった問題に対する十全な解答とはなりえないにしても、その解明の手掛りを得るための試みである。★01★02

○前史

 本稿の主題は, 西欧の近代にあるが、その検討に入いる前に, その前史について, 前稿に述べたことを簡単に振り返っておこう。
 西洋において、個人の内部への遡及の契機は、端緒としてはキリスト教の教説にみられる。意志的行為と非意志的行為といった区別はどこの社会にも存在しようが、ここで、端点として罪が個体の内部に設定され、その都度その都度の行為に対する意図の存在・不在というだけでない、行為一般に対する統一的な原点としての個体、その内面が存在することになるのである3)。そして、この個人の内部に存在するとされる罪性を自覚することによって, 個人と、その個人を裁き、赦す神とが繋がれるという効果がもたらされる。一人一人個別的に、しかも内在する罪の普遍性によって等しく全ての人が対象とされるという意味において普遍的に、個体は主人と相対せられるのである。それはだが、ヨーロッパにおいて、長い間、現実の制度に裏付けられたものではなく, 広範な広がりを持つものとはならなかった。
 内部への遡及が制度として形成され始めるのは、12・13世紀, 宗教の領域における告解の制度化, 刑罰の領域では糾問手続きの採用においてであると考えられる。意図・欲望・罪が自らのものとして告白させられ、自らに意識させられる。刑罰は、ここに取り出されたその意図、法を犯そうとする、あるいは権力者の権力を侵害しようとする意図を裁く。また告解においては、自らの罪が自覚させられ、そしてそれを赦す存在としての神とその代理者たる教会が用意されることによって、人は神に従属することになる。しかも、徐々に発展する告解の制度は、個体の生のすべてを言説化させようとし、そしてそれは聴聞の技術の中で一つに纏めあげられる。可能性としては、行為の全体がその根源たる内部に繋がれるのである。★04★05
 だがここではまだ――神学者達の様々に分かれる見解を紹介することはできないが――、個体の内部への照準は、意志が自然的な秩序性、善へ向かう傾向を内包しているという中世的な了解と併存している。そして少なくとも中央権力が法に対する違背の僅かの部分しか対象としえない状況にあっては、その個人の掌握の外側において、また掌握しきれない部分において、別種の規範の形態が存在するのである。

U 16〜18世紀

 1) 問題
 おおよそ16世紀以降、行為は予定調和的な性質をもつものとは捉えられなくなり、むしろそれ自体では無秩序を生むものと考えられるようになる。6)それは前の時代においても、意志の秩序への内包の観念の一方で存在する人間の罪性、無力性として想定されていたことではあった。だがそこでは、その回収の方法が神との関係において前もって与えられていた。また、裁判における制裁においては、それは行為の部分を占めているに過ぎず、また――理論として表明されることがあったとはいえ――制裁は個体の改造を目指すものではなかった。これに対し、この時代、この無秩序性の領域は広く、時には社会の全域を覆うものと考えられ、さらにその問題が人為によって解決されるべきものとして、解決策があらためて模索されることになるのである。
 この無秩序性は、ある特定の体制を正当化する前提として想定される場合(例えば社会契約論)もあるが――それと問題意識において切り離しがたいものであるとはいえ――ここで考察の対象となるのは、現実に見出された、現実に解決されるべき無秩序である。社会に関する学は、前者の意味において秩序の問題を扱ってきた。その解をみつけようとして。そしてそれをこの時期この社会に現われ始めた現象、その社会形態を示すある鍵として。私達は後者の方法論を認めつつ、単に政体の変更についての理論的な解決の模索というだけではなく、具体的にその社会に現れ、具体的にその解決策が社会の中に投じられた問題として、秩序の問題を捉えてみる必要がある。
 まず宗教的な領域での神・教会・個人の連続性の意識の喪失とその帰結。それも一様ではない。Luther 的な自己否定を通しての神との繋がりの意識。あるいは、現世での行為によって不確実さを回収しようとするカルヴィニズムの方向。
 だが、無秩序性の意識とその回収への志向は宗教的な場面にのみ存在するのではない。確かに、カルヴィニズムにおいては、現世での自己規律が結果としてもたらされた。けれどもまた、世俗における無秩序はそれ自体として問題化され、そこで解決されるべき問題として解決が図られたのである(ここではむしろ、宗派として存在する宗教は対立を生むものとして否定的に捉えられることになる)。「近代化論」の一つの重要な流れの中で、近代化はまた、神学との相関において捉えられてきた。しかし私達は、第一にそれが実際にある効果を持ったことを評価し、第二にそれが、人間の自生的な秩序からの□離の意識の現われをもって特徴づけられる、この時代の開始を告げるものとして、他の諸現象と同一の基盤を持っていることを承認しつつ、この基盤から、むしろ非・神学的な社会の統制形態が現われてくることを認め、その意味を検討する必要があろう。
 具体的に指定される問題は様々である。宗教的な対立、またそれと連続するものでもある国家間の対立・戦争、それによる混乱を回収すること。また、同時に国家を強力なものとすること。そして、様々の自然的な要因の他、こういった戦乱や所有形態の変更に伴う、人々の農村からの流出、そこに現れる無秩序性の観取。その解決が個々人の統制に求められるのである。

 2) 解決策
 解決策は各社会階層に応じて異なった現われ方をする。それは内部の性質に対応したものとされるのであるが、しかしその性質は予め各階層に対して想定されているのであり、そしてその各々に応じて無秩序の回収の形態は多様なものとなる7)が、ここで検討するのは被統治者に対する関与の形態である。
 あらゆる活動を包括する様々の細かな規則によって、行動を規制すること、またそれによって、諸個人の幸福を増大させるとともに、社会の秩序を保ち、それによって国家の力を増大させることが試みられる。「行政=警察 police,Polizei 」という言葉は、当時まさにこのような意味で用いられる。頻繁にこの主題が論じられるし、また実際に数多くの規則(「行政命令Polizeiordnung」)が出される。それは、自律的な集団によって構成される秩序が存在しているなかで、その間隙を縫って、あるいは「良き古き法」という王の権力を制限し、それに抵抗する理念に抗して、諸個人に対して影響を及ぼそうとするのである。
 そしてこうした個体への関与は、国家・対・個人に限られない。軍隊において、また教育機関において、数多くの規則によって個体の行為を制御することが図られる。
 もう1つのこの時期に見られる関与の形態は、監禁施設への貧民の収容であった。かつて神と人間との仲立ちをする存在とも考えられ、死後の救済を得るために私的な慈善が与えられた貧民8)は、そういった意味を剥脱され、その貧困は内に巣くう怠惰によるものとされる。この内部→外部の図式は、一方で放置・排除を、それが個人的なものであるという理由で正当化するとともに、また監禁施設においてその矯正が図られる前提としてある。9)ここで怠惰は一方では個人に内在し、ゆえに個人に帰責されるものでありつつ、また他者によって改善可能なものとされる。怠惰とは具体的には労働しないということであって、労働を与えるということそのものによってそれは解決されるというのであろうか。おそらく、怠惰な人間に対置される善しとされる人間の行為を具体的に強制することによって、その人間の形に近付けようとするのである。そしてこのことは上述した行政命令についても妥当する。実際それは、単に行為をその場に働く規範によって統制しようとするだけでなく、またある精神の形を作りあげようとするのであるが、それはやはり、善き人間が行うとされる規範を遵守することによってなされると考えられるのである。
 以上で注目されるのは、この図式そのものを積極的に利用すべきものとして利用するという方向は現われていないということである。この時期、内部はあくまでもその反・秩序的な特性を消去すべきものとして捉えられている。
 そしてそこでは、具体的に行動を制御するか、あるいは既存の矯正の方法を借りて、精神の陶冶が図られるのである。人々は手持ちの材料をもって(修道院における規律の取り入れ、あるいはストア主義の再興・)事に当たる。
 だが無秩序をみこみ、それを人為によって、世俗的な問題として解決しようとする、この問題構制自体は、後の時代に引き継がれていくことになる。この時代をそれ以降と明確に区別される絶対主義の時代として、あるいはそれに対抗する理念としての社会契約説といった教説が現われてきた時代として、また近代資本主義を準備する神学が形成されていった時代として捉えることには相応の妥当な根拠があろう。だが、個人生活の形態全般を問題にし、その問題解決の技術が模索されていった時代としてこの時代が捉えられるとするなら、また次の時代にもこの問題が持ち越されるのであれば、その問題化の、それに対する技術の継承と変容について検討してみるという考察の方向をとることが可能ではないか。

V 19世紀〜

 1) 自由な空間
 19世紀が始まる頃、それ以前と異なった内部の規定が現われてくる。それは経済・私法の領域、近代的市民社会といわれる領域におけるものであり、また主権者としての国民の登場として徐々に政治の領域にも見出されるものである。 ここでは、内部が積極的な契機とされる。自由な意志が交錯する、個人に帰属される行為の集積としての空間、個人の意志に起因するがゆえに個人に帰責される行為――のある部分――に対して、他者は関与しない、そういった広大な空間が、諸集団の重なり合いとして構成されていた、個体性に回収されない様々の規範の存在していた既存の空間を破壊して、張られるのである。 
 ある部分、というのは、むろんこの空間が法によって縁取られているからである。法という規範、またこの空間の内部での規範の性質、それはこの場所での内部の規定に関係するが、これについては2)に述べるとして、まず以下のことを確認しておこう。
 ここで初めて、内部から内容的な含意を完全に脱色すること、個体性に対して不純な要素を完全になくすことが主題化される。家 Haus ・ギルドといった集団、集団による規定性の最終的な消去がここでの主題である以上、意志に自然的な秩序性を想定することは、既存の社会的な秩序、階層的な秩序に従うことの正当性を帰結することになるからである。内部はその背後に何ももたない始点として設定される。そして普遍的・抽象的な内部の性格、すなわち意志といった個体に内属する能力において普遍的・一般的な権利・義務が認められるのである。10)
 そして内容の特定されない内部を中心に設定しておくことは、個体を基点としつつ、行為を様々な領域において別様に調達できるという可能性を開く。すなわち、合意があれば、個体はその属性に関わらず、ある場所での規定に関わらず、別の場所に入っていける。同時に、行為の具体的な形態は各々の領域で調達されるのであり、その行為のまとまりは各々別の領域を作り、相互に干渉し合わないという可能性が生じるのである。むろん意志という最終的な審級が確保されている限り、現実には、個人によって空間への参入は限定されるにしてもである。こうしてこの全域的な社会空間の中に、いくつもの部分的な、そして可変的な空間が存在することになる。

 2) 均質な関与・権力の透明な行き渡り
 ここで、規範はどのようなものとして個体を捉えるのか。まずそれは個々の行為にかかる。規範は同一の行為に対しては同一に働き、他の様々な要因の他、個々人に存在するであろう内部における差異も無視される。この点に、キリスト教的な伝統との差異が存在する。こういった規範の形態は、個人の権利の主張・擁護といった規範的な言説によって捉えられてきたのだが、それでことが済むわけではない。検討してみよう。
 まず帰責の構図における内部の措定とそこへの無関与。この構図は、個体の内部が原因であるがゆえに、個体がそれに対する結果を引き受けることができる、あるいは引き受けねばならないという構図である。ただしそこでは、意志の有無・判断能力の有無が問題になるだけであって、その内容は問題にならない。また1)にみたように、この内部が完全な端点とされる場合、ここに関与が加えられるならば、それはすなわち端点でないことになるがゆえに、関与が認められないという理論的な帰結が生ずる。
 そしてある行為、あるいは行為の結果の交換だけが問題である限り、さしあたり内部の内容は問題とならない。1)に述べた空間は、まずはそういった空間として構成されている。差異を消去する時に、抽象的に規定された内部が持ち出されのであり、そこではまた、内部の差異も消去される。さらにそこには、宗教的な対立の最終的な解決といった要因も存在しよう。
 しかし、単に上述のような要因によって、各人に平等に与えられる規範が与えられたわけではない。この時期にみられる言説、そこに用いられる言葉の用法をみるなら、それがまた、権力の有効な行き渡りを目指すものであることが理解される。それは、規範の個々人に対する効力の均質性、すなわち同一の制裁を各人が同一のものとして受け取るだろうという評価・反応の同質性をさしあたって前提しつつ、また規範に対する予期の安定性を得ることを目標とするのである。
 同時代の人々にとって、前の時代の権力の恣意性ゆえの弱さが克服される対象とされる。また、かえって反抗心を抱かせるような過酷さは忌避される。代置されるのは、個人を一様に扱うこと、普遍性をもった法典・規則を万人に知らせ、ある行為に対するそれに相応の適度な賞罰が誰にとっても明らかであるようにすること、それによって行為を統制することである。またそれを可能にするような機構の整備が図られる。それは法律の領域に限られず、監獄・工場といった場所において、ほぼ19世紀の始まる頃、共通に現れて来る主題なのである。例えばこの時代、人間性 humanity という言葉が、「政治的人間性」「科学的人間性」というように工場や監獄に関する言説において用いられるが、それは非・個人(人格)的 impersonal であることを意味し、有効に個人を捉える技術論の中で用いられる。また制裁の穏やかさもその効果によってその主張がなされているのである。11
 こういった権力の経済策という視点をとるなら、以上とは別の個人を捉える技術の現われの可能性もまたみえてくる。例えば同一の制裁は、実際には個人によって相異なる効果を与えるかもしれない。それに対応する実践の台座がやがて見出されることになろう。それについては5)で検討しよう。

 3) 自己を制御する自己の想定
 個人の行為の統制は、上述したような普遍的な規範を与えることによって目指されるだけではない。まず1)に述べた空間そのものの内に、諸個体の自己に対する制御能力(のある形)が想定されることによって、行為の秩序ある形式性が獲得されることが見込まれるのである。
 前の時代においては、形式を与えるのは、最終的には人間に帰属される特性であったにしても、現実になされるのは(この図式に基づくところの)個々の人間に対する形式の付与であった。そこでは当の個体にとってはそれに形式を与えるものはあくまで外部・他者の介入であったのである。ところがこの時以降、形式を与えるのは自己である。この自己は1)・2)に関わる言説に捉えられる主体と共通性をもつ。けれどもここでは、そこにより特定化された性質が見込まれるのである。
 まず、個人における利害を直接的に利用すること、というよりその存在を見込み、その効力をあてにすることが主題化される。
 人間にとって最も重要なものは自分の利害であるからそれを利用するべきである。直接的な労働の強制は有効ではなく、各々が自分の利得と損失とを計算できるような体制を組まなくてはならない。こうして前の時代の一様な収容は、かえって利害関心の発現を阻害し、怠惰を生むものであると理解される。労働と報酬の関係が明瞭に理解される小規模の民間の施設を用意するか、そうでなければ、直接に市場のなかに人々を解放・放出するべきである12。また公的な機関による貧民の救済がなされるとしても、それは働く者の得る最低賃金を越えてはならないとされる13。
 すなわち、ここでなされるのは、内部→外部という図式を前提した上で、具体的な規則・行為の強制を与えるということよりも、直接的な統制が効かない解放された空間において、個体の性能自体をあてにすることである。それは前の時代に否定されていたものと内容的には同じものであるかもしれない。しかし、それは刹那的な享楽といった否定的な契機に対してはその上にたち、それを統制するものであるという意味でその位置を異にする――そうした場合にはまた別の名が、例えば「理性」という語が与えられる――、とともに肯定的・積極的なものとして捉え返されるのである。

 4) 制御への教唆
 こうした予めの想定。しかしながら、実際には人々はそこに個人の利害によってしかるべく行為する者を十分な数だけ見出すことができない。例えば、出来高賃金制によっても望むだけの労働が調達できない。つまり、彼らは見込まれた性質を持っていないようなのだ(その教義によって、想定される特性を持つ、あるいは、少なくとも持つべきことを知るカルヴィニストのような存在はむしろ例外的というべきであろう。)そこで、1つには、直接的な行為の統制をより精密なものにすることが目指される。例えば工場における監視のメカニズムを正確に作動するものにすること、あるいは監視機構としての工場を作り出すことである。14
 だがそれだけではない。先の自己を統御する内部という図式を使いつつ、その自己統御機構自体をその者の中に埋め込むことが主題化されるのである。
 それは、一般化して捉えれば、自己→外部という関係、それを真理として教えること、そのあるものを肯定的な価値として、あるものを否定的な価値として教えることである。すなわち、内部→外部という図式、そして各々の項がある人々によって観念されているというだけでなく、それを持たないと思われる人々に対して、それを教えること、発見させることが課題とされるのであり、この図式が、自覚的に社会の中に投げ入れられるのである。
 確かにこれらのことは前の時代にも目指されたのではあるが、それはあらゆる人に向けられるというものではなかった。それがこの時代には、社会空間の変容に伴って、全国民がその対象となるのである。15
 それとともに、ここに指定される行為の内容は抽象的な水準において設定されうることに注意しなければならない。達成とは何か、そういったことは必ずしも具体的に設定される必要はない。これは前の時代の個体関与の規範が、具体的な行為の領域に対する個別的な規範の集積として与えられていたことと対照的である。具体的な規範は後に与えられる。方向だけが指定される。こういった水準に個体を引き入れること、それは、1)に設定される空間において個体の行為を□導する上で効果的である。しかもここでは、私における「発見」である限り、根源としての個体という性格は奪われないのだから個人に行為とその結果を帰属・帰責させつつ、その個人において行為の方向を制御する、この双方が同時に達成されるのである。
 これらは、公教育の場において、というより公教育が誕生するということそのもののうちに典型的にみてとれる。全国民を対象とする公教育が現実化するのは先進的な国々においても19世紀後半からのことであるが、そこでは自己の能力によって自らの地位を築くことの可能性を教えること、それを肯定的な価値として受け入れることを教えることが目指されたのである。ここで公教育の場は、能力→達成という図式そのものが――どれほどの現実性を実際にもっているかはともかく――実現される場として設定されると同時に、その図式を教える場として存在するのである。★16★17
 またこの関与の形態は、行刑の改革においても現れる。厳しい行動の規制・規格化の方向も失われるわけではないが、また、個人に市民としての自覚を促す、自己を抑制できる人間になることを促す行刑の形態が現われる。すなわち、市場・家庭・民主制の模型が監獄という閉鎖空間の内に作られ、そこで受刑者は、報酬・愛情・合意、による自己拘束を受け入れるように促されるのである。17
 自己において、行為を自己の内部に繋げること、及びその効果。その後の歴史的な変遷を追うことはここではできないが、ここで注意しておきたいのは、実は、内部に与えられる性質にしても予め固定されたものというわけではないということである。この時代にみられる問題意識は、具体的には例えば労働に対する持続的な接近の調達であり、そこに価値として与えられるのは、そういった行為を生み出すとされ、またその行為に示されるような一貫した抑制的な自己である。けれども、それだけが設定されうるのではないのである。

 5) 実証科学・内部への介入
 上に述べた場面に来て、個体の改変の契機が――自己制御機構の埋め込みという形で――現れた。だがそれは個体への介入を構成する全体の一部分である。16世紀以降主題化された、個人の精神の変容をもたらそうとする動きは、新しい知、新しい技術に支えられて、また別の新しい展開をみせる。
 この時代に初めて、人間の行い、それを規定する諸要因についての実証的な科学が生まれる。それは、諸個体を巡る制度の変容と密接な繋がりをもつものである。
 この知は、16世紀以来の問題構制を継いで、社会の状態、秩序と無秩序に関わりを持つ。そしてそこに追加されるのは、――3)4)についても同様だが――生産の源泉としての個体という把握であり、社会全体の生産についての関心である。(前の時代における労働の強制はむしろ、道徳的な意味に強調点が与えられることが多かった。)
 ここに知はどのように現われるのか。既述したように、この時期以前において、例えば怠惰に関わる言説は、結局のところ、外部的な現われに対して内部を既に想定するというものであった。ある行為を行う者、あるいは行わない者は、ある性質に基づいているとされた。そしてそれはしばしば既存の社会の階層的な布置に対応するものであった。しかし、ほぼ18世紀末以降、なされるのは実際に行為を調べることであり、その者の来歴を知ることであり、また社会的な環境を調査することであり、身体の形状を、また身体の内部を測定することなのである。
 つまりそれは、単にある行為を問題にするというわけではなく、より全体的に個体を捉えようとする。行為を派生させる中心へと向かうのである。上述した1)〜2)においても、個体に関わる知は、行為における責任能力の有無の判断といった局面に場所を占めている。だがそこでは、主要にはある行為においての判断能力の有無が問題になっているのに対して、ここでは単なる行為ではなく、行為として現われる個々体の特性が問題になっているのであり、それはやがてこの法・医学的な知にも影響を与えることにもなる。私達はそこに、告白・告解の制度が、人を、その中心にある欲望・意志・に繋ぐことによって、その者を全体として捉えようとしたこととの相同性、むしろそういった把握の継承を見出すことができる。だが、当人の言説だけにこの知は準拠して構成されるわけではない。様々の測定装置・解釈装置が用意されるのであり、当人の言説はその中に組み入れられるのである。19そして、この点に関連して確認しておいてよいと思われるのは、知識の多くが採集された場所――それ自体が測定・解釈装置でもある――が、学校、そして雑多な人々が収容された施設が解体された後、個別的な機能を果たすために再編され、改革の行われた種々の施設――監獄・精神病院、等――であるということである。それは個人関与をそもそも目的とする施設であり、その多くは生活の全体を捉える施設である。ゆえにそこに取り出されるのは個体に集約される諸要因であり、またこのことがこれらの施設での関与を正当化するといった具合になっているのである。こういった場所で、あるいはその外側で――しかしそれも多くは個体関与との関連で――形成されていった知のいくつかの形態を以下でみていこう。
 まず3)に述べた場面においては、公的な扶助が私的な利害関心を抑止しないように、あるいはそれを促すように、個々人に対して、その状態を調べ、やむをえない原因による貧困なのか、そうでなく、公的扶助はかえって有害なのか、調べることが主張され、実行される。
 それだけではない。知はより積極的な働きをすることになる。4)の場面では、まずこの主体の形を真理として教唆すること自体に知の契機が現われているが、それに加え、個体に関する知が常に当の個体に送り返される。それによって、彼はこの場面に組み込まれていく。
 さらに、上の後者の貧困、すなわち個体の性質に起因するとされる貧困、また単に意志・判断能力の有無が問題になるのではなく性向にその原因の求められる犯罪については、様々の悪習がそれを助長しているとされ、さらにそれを助長している環境が指示される。そういった関係が調査され、立証され、それに応じた政策的な介入が試みられる。ここに社会調査が誕生することになる★20。
 さらに、19世紀の後半になると、遺伝に関する学説に影響され、個体の性質・能力の測定が、そして家系を辿る調査が始まる。★21
 犯罪に関わる知は、正確にこの途を辿った。犯罪を促す要因が、社会の状態に、そして身体の内部に求められる22。
 そしてこの場面とも密接に関わりを持つ心理学の、とりわけ19世紀と20世紀との境に位置する知能テストの誕生。23
 これらは放置・排除あるいは矯正を正当化する言説・実践の中に組み込まれる。まず、その有害な性質が遺伝的に規定されたものとされる場合には、放置・排除が帰結される。人口に関する学説、自然淘汰を社会に投影する言説24のもとでは、放置、公的扶助の排除が積極的な機能を果たすとされるであろうし、それだけで足りないのであれば、積極的な排除策が講じられよう。例えば20世紀前半の合衆国における移民の制限・断種法の制定は、知能テストの結果、知能が遺伝的に規定されているとされたことによって正当化される。矯正不能とされた生来の犯罪者は隔離される。そして、個体に内在する要因が除去可能なものとされる場合には矯正が志向されるのである。
 この両者は、理論的にまた実践上の方針を巡って対立し、その優勢・劣勢の位置関係は変遷していく。例えば、20世紀の半ばになれば、行動主義の隆盛とともに、そして恐らくそれと相関するものであろういくつかの事情のもとで、矯正の戦略が優勢になるというように。だがまた両者は、排反的な対立というよりも並存の形態をとる。そして、その間、個体準拠の関与がなされる限りにおいては、両者は共通の場所に存在するのである。(第一次的には個体を目指さない、環境に直接照準する政策が他方で存在することも確かである。だがそれはまた別の、個体の決定を巡る問題を惹起する。こういったことについては後述する。)
 これらの背後を問題にする、経験的な要因を探る知の形態は、1)における、最終的な起点としての主体という設定と排反する。だがこのことは、実証も反証も不可能な場において理論的に問題になるとしても、現実には、2種類の知が参照された2つの制度は――双方の「効用」が認められることによって――ここでも並存していく。
 またそれは、そしてここでの矯正の戦略は、2)における、諸個体を等質のものとして捉え、均一の規範を与えるという原則と排反する場合がある。その知は個々人を、あるいは集団をその差異において取り出すのであり、また知られたその性質に応じて差異化された処遇が試みられるのである。だが両者を、同じく諸個体を有効に捉えるための技術論と考えるならば、これらは同じ場にある。そしてこの知・関与の技術は、同じ規範が一人一人に同じ効果を持つわけではないという以前より存在している問題、その問題の解決の模索に解答を与え、契約としての法からの逸出、とりわけ恒常的とみなされる逸出を説明し、それへの処方を与えることによって、次第に確固とした位置を占めていくのである。25
 とは、実証も反証も不可能な場において理論的に問題になるとしても、現実には、2種類の知が参照された2つの制度は――双方の「効用」が認められることによって――ここでも並存していく。

 またそれは、そしてここでの矯正の戦略は、2)における、まずは諸個体を等質のものとして捉え、均一の規範を与えるという原則と排反する場合がある。その知は個々人を、あるいは集団をその差異において取り出すのであり、また知られたその性質に応じて差異化された処遇が試みられるのである。だが両者を、同じく諸個体を有効に捉えるための技術論と考えるならば、これらは同じ場にある。そしてこの知・関与の技術は、同じ規範が一人一人に同じ効果を持つわけではないという以前より存在している問題、その問題の解決の模索に解答を与え、契約としての法からの逸出、とりわけ恒常的とみなされる逸出を説明し、それへの処方を与えることによって、次第に確固とした位置を占めていくのである。25

W 社会の現在へ

 身分から契約へ、属性主義から業績主義へ、個別主義から普遍主義へ、といった近代化を捉える言明は、捨て去ることのできないものである。しかし、それ以外の契機、契約の下で規律に下属する身体、普遍主義とともに現れてくるある意味での個別主義、業績主義に内在する属性主義、といったものを無視することができるだろうか。純粋な資本制の形態と異なるものを、資本制内でのそれの修正、あるいは資本制の矛盾を糊塗するもの、といった消極的な規定においてのみ、捉えることができるだろうか。法の支配と別の次元に組み立てられる――やがてはそれは法の水準に行き着くとしても――戦略はどういったものなのか?
 私達は、時間の流れに沿ったかたちでこういった点について検討してきた。
 まず、16世紀以降、諸個体に問題を見つけ出し、諸個体の統制・矯正にその解決策を見出すことが課題となったことが確認された。
 そして私達は、19世紀以降、別の契機の現われについて、他方での個体への介入の戦略の継承及び前の時代との差異について、また同時代の戦略の複合について検討した。その項目だけをもう一度あげよう。1):意志といった内部の特性を純粋に取り出し、それを積極的なものとして承認することによって、所謂近代市民社会が正当化され、また、行為の形式を確保するためには、2):抽象的・普遍的な規範が用意される。だが、この特定の形式の行為の獲得はこういった方法によってだけ目指されたというわけではなく、3):1)の空間にある人々にある形の自己の形態を見込むことによって期待され、そして4):それが認められない場合には、さらにその形態の埋め込み、あるいは発見への促しが図られた。さらに、5):内部の特性に照準するという点で以上と前提を共有しつつ、個体の内部を、またその背後を実証的に問題とし、その上で個々に応じた矯正の形態がとられることになった。
 だがそれでも、以上で捉え返そうとしたこと、付け加えようとしたことと、近代社会との関係を積極的に述べることにはならないとされるかもしれない。それが社会の他の部分にもたらす効果が問題だからである。また、存在理由、存続理由が問題だからである。様々の関与は存在する。それは、諸個体にとって、時に例えば法的主体として扱われることより以上の問題として存在する。だが、それは何故か、どういう効果を及ぼしているのか、というのだ。何より整然とした、一貫した像を結ばないこの記述はどういうことなのか。
 まず、それは――みてきたように――ある人々によって様々に問題が観取されたこと、その問題が様々に解決されようとしたことによる。そして、1つの種類として括られない形態の行為の供給、それは例えば資本制にとって、少なくともその円滑な作動にとって、必要条件であろう(ここでは契約を媒介することによって、その内部に別の空間が設定され、そこに個体は下属する、といった使い分けがなされるのである)。しかし、諸戦略の絡み合いは、絡み合いであることによって、それ以上の働きをしているのではないか。おそらくそれは単一のものではなく、ある程度は個別的なものとして随所に現れてくるものである。それが検討された時に、私達は、社会の把握の変更をよく語ることができる、といってよいのかもしれない。これは前稿からの、しかしここでも果たされない検討課題である。だが、前稿に挙げたうちのいくつかの点について、以上の考察をもとに、いくらかでも前進を図ろう。
 まず、以下を再確認しよう。第一に、内部という領域が、遡行において、また測定において現れる場合に、それ自体としては不可視であること、しかもその存在を否定すること自体は困難なこと、ある内容について肯定・否定が困難な場面があること。
 そこで、この場所が問題になるや、そこに諸個体はひきこまれてしまう。別々の言説が独立に相互に干渉することなく存在するという言説の布置ではなく、共通の主題へと導かれていくのである。
 そしてそこは、まず内部の私への現前を促す存在として、また、自己の特権性が奪われている測定において、そして遡行における自己にとっての不可視性の現れにおいて、他者が介入する場所でもある。26
 そして第二に、例えば矯正の成功・不成功それ自体とは別に、個体に関与する実践・言説は現実的な効果を与える可能性を持つ。ある了解が信じられないとしても、ある行為の形式が自らのものとならないとしても、それらが流通している事実として知らされる限り、それは行為者に、他者に、その相互行為に影響を与えうるのである。
 ここで、個体に関わる諸実践・諸言説はどのような効果を与えているのか。
 まず、今まで述べてきたもののいずれも、ある事象を個体において捉えるものであることを確認しよう(5)においては、その背後が探られるが、個体の矯正あるいは排除に向かう限りで、ある要因の個体への内化が前提されている)。とりわけ4)・5)の場面で、人間一般に関して、また当の個人に関して、当人に、また他者に、個人の水準に回収されたものとしての知が与えられる。それを社会内に存在する事実として知らされることが重要なことなのである。この了解を介して、行為が行われることがあろうし、行為に対する関与が行われるだろう。そしてそれがまたその了解を補強する・、という円環をなす可能性がある。こうして、問題が吸収されていく、あるいは消去されていく領域をこの社会は持つことになる。
 次に、何が私なのか。原因としての内部がそれ自体としては不可視であること。しかも、それが知られるべきものとしてあること。19世紀以降、人間に関する科学がその部分を担当するが、しかしそれは□□な部分を残し、決定的な解決にもたらされるというわけではない。種々の実践のなかで、そのあるものが利用されることになる。
 また内部のある状態は目標としてもある。しかもここでは、不可視の内部が外部に現れることによって指示され、確証されるということが目的である。すなわち、内部→外部の関係を前提にした外部による内部の指示、こういったカルヴィニズム的な構制が存在するのであり、それは具体的な行為規範を遵守することによって、あるいは遵守することがそのまま、目標の達成となるといった場合とは異なっている。どこまで、あるいはどのように行為するか、ということは原則的には定まっていない。例えば能力として設定される限りで、それは上限を指示しないし、源泉としての内部に対する抽象的な規定はそれに対応する外的な行為を具体的に指定するわけではないからである。このことによって、社会の成長・変容が可能とされるとともに、その方向は、内部という不可視の領域に照準することによって、水路づけられる。
 さらにこれら諸実践・諸言説は、単に私への回収、そこにおける内部の規定というだけでなく、同時にそれは、何が私のものであり、何が私のものでないのか、ということに関わるものである。例えば教育という領域は、私に帰責されない部分を平準化しようとする27。だが、それは、その場所において、私のもの、私のものでないものを設定しているのであり、そこで、帰責されるものとそうでないものが和解をとげさせられる場でもある。そして一方ではある部分を個体のものとし、また一方ではそうでない部分、帰責されない部分を平準化することが志向される。例えば劣悪な環境の改善がなされる。だが、それは自己(の決定)の範囲に属さないのか。境界の設定と、一方での放置と一方での関与、それ自体が問われうる。それは福祉といわれる、私に帰責されない部分に対してなされる関与についても言えることだ。
  このように、あるものを個体へと吸収させつつ、しかも一方でその改変へと□導するという、しかもその各々、またその境界が予め与えられていないために可変的であるという、社会が存在している。
  だから現在、何が私なのかということが、正確には何を私とするのかということが、社会的な闘争の主題になっていることが理解される★28。そしてそこに、固定された解答、ある一方につくという解答があるというわけではない。
 だが、こういったことを主題的に検討しようという場合に、人間・社会に関する(科)学という領域は19世紀に設定された布置の中にある。人間について、根源性・規定するものとしての把握と有限性・何かに規定されたものとしての把握の間にそれは存在している。この2者は、能力・性格と理性・意志といったように、一時的には二重化・二層化された内部の各々の領域に振り分けられる。しかしこの領域分割は安定的なものではない。さしあたって実証的な規定性から遠ざけられた理性も、また実証的な把握から無縁であることはできない。こうして相互を含み合おうとする運動が続くことになる。社会に関する学が、このような位置にあるとすれば、それはこういった分化を効果させている社会を捉えられないだろうし、実践的な選択は抽象的な二者択一となろう。
 主体、内部という形象を単に前提としたり、単にその内容が知られるべきものとして立てるのではなく、この場所を巡る運動について知ろうとすることである29。でなければまた、述べてきた布置に現在変容が生じつつあるとして、変容の可能性があるとして、それもよく見ることが出来ないのではないか30。



1) この論文が書かれるにあたり、佐藤[1987]が参考になった。その第3章では、近代ヨーロッパについて16世紀型の人間工学と19世紀型の人間工学が対置されて検討されており、それはここで記述する対象と重なるものである。また幾つかの場所での彼の報告と彼との討論は有益なものだった。感謝する。
 そして、これまでの私の論文と同様、この論文も――直接に参照を求めていない部分を含めて――Foucault の諸著作に多くを得ており、またそれらについて、著述の位置について、考える中で書かれている。(なお別稿(立岩[1987b ]はFoucault [1975=1977]に即しつつ、その著作が近代社会についての分析として、また近代社会論に対して、どういう場所にあるのか検討したものである。)
2) 上述したような事情で本稿は前稿(立岩[1986a ])と内容的には重なる部分が多く、そこで挙げた文献については、ここでは記してないものもある。また前稿と同様、紙数の都合から多くの論点が、その根拠を提出せずに論じられている。より詳しくは――筆者の主張自体は整理されたものでないが――立岩[1985]を参照されたい。
3) こういった特異性と思われるものを明らかにするためにも比較社会学的な考察の必要がある。例えば、儒教及び仏教を、行為規則の遵守によって内部の陶冶、あるいは「悟り」を目指す宗教と捉え ,この因果関係の方向(外部→内部)、そしてこの場合内部が不可知の目標としてあることが、キリスト教の影響下にある社会との大きな差異であり、その差異はまた、別の領域の差異に影響する、とみることが可能ではないか。別稿で検討したい。
4) 前稿にあげなかったこの時代に「個人の発見」をみる概観的な著作としてMorris[1972=1983]。
5) 告白の制度は西欧社会にのみ存在するのではないが、罪についての規定、告白の行われる状況の設定において、この社会特有の効果を生む。(西欧における多様な時期・場面での告白の制度について検討し、さらに他の社会におけるこの制度についても取り上げ、相互の比較も行っている著作としてHepworth & Turner [1982])
6) 以下、絶対主義の時代を「全般的紀律化過程 der allgemeine Disziplinierungsprozess 」として記述・分析を行った0estreich[1969]、等による。
 この時代については、さらに検討が必要であり、ここでなされるのは、重要な部分を落としているに違いない全くの素描である。例えば、以下ではFoucault [1976=1978]に――問題提起的に述べられる――この時期における告白の実践の増殖といった点については検討されていない。
7) 統治者の階級については、主に自己抑制が主張される。彼らには上位者がいないからでもあるが、また彼らは自己を制御する能力を持つ者とされるのである。
8) 東丸[1983]。なおここでの記述は過度に単純化されたものである。田中[1980]等を参照されたい。
9) 外に開いた空間である都市においては、乞食の禁止、内部の特定の貧民に関しては公的扶助、外部からの貧民に対しては追放の施策がとられることが多い。都市の施策の一部に収容も含まれるが、とりわけ国家は、ことに植民地への移送ができないとなれば、収容政策をより広い範囲において行うことを意図する。またそれを媒介として国家は都市への介入を強めようとする。だがこの時期、国家は未だ独立した行政機構を十分に備えていないがため、都市への財政援助、依託としてしかそれは可能でなく、都市と国家との対立が生じる。(16世紀ドイツの諸都市の救貧事業について中村[1983]、17・18世紀のフランスの上述したような状況の分析として千葉[1975])
10) むろん例えば私的所有の正当化において、能力・意志と行為、行為の結果との関係が持ち出されるのはむろんより以前からであり――先述した貧困に対する了解は既にそういったものである――、また刑罰における自由意志・帰責の構図はさらに古くより存在する。だが、この領域での、全くの端点としての内部の設定ということに関しては、この、Kant ――彼にあってもまだ不徹底な部分が残されてはいるが――の位置する時期をあげなくてはならない(立岩[1986a:43-44 ]、及びそこにあげた文献を参照されたい)。
(11)例えば、個人への帰属が明確化されると同時に、個人に帰属されない行為が確定されることになる、そのことによってその境界を明らかなものとし、その内部での行為の形式性によって独自な空間を構成する組織、すなわち近代的組織の誕生。
(12)Benthamは、人間による鞭打ちは私情による不公平を招く恐れがあるという理由から、鞭打ちの機械を考案する。彼にとって――また同時期の多くの人々にとって――合理的なものは非個人的なものであり、非個人的なものは人間的なものなのである。 (Ignatieff[1978:72-79]、また次の論点を含めて、Foucault [1975=1977:77ff ]を参照)。
(13)フランスの革命期におけるこういった改革への志向について坂上[1984]など。
(14)例えば、イギリスにおける1834年の救貧法の改正。また同時に、収容施設であるワーク・ハウスにおいては、独立労働者最下層の生活に比して物的処遇がまさることにより施設に貧民が吸い寄せられることを抑止するため、厳しい規律が課せられた(大沢[1986]、ただしこの著作の論点は別のところにあり、別途検討を要する)。
(15)フランスについて坂上[1984]等。また、ギリスにおける18世紀半ば以降の工場の出現は、分業による利潤の追求というよりも、労働者の監視・管理の必要によるものと考えられるという主張を行っている分析としてMarglin[1971=1973]。
(16)実際には、とりわけ以下に述べる教育の領域において、既存の諸階層の存在を前提として、民衆に教育を与える必要はないという主張が根強く存在するのではあるが(これに論及する文献は数多いが、他の点についても参考となるものにAries[1972=1982])。
(17)フランス第三共和制における公教育の進展について論じた桜井[1975]を参照。またこの論文で、Durkheim がアノミーとして、規範の弛緩として捉えた現象が、むしろ規範が与えられるなかに発するものとして捉え返されていることも注目される。
(18)それは単に介入の手段ではなく、闘争の賭金として存在する。というのも、まずは能力が争点となっており、労働者はそれに対して、その場に乗ってしまうか、あるいはその場から離脱するか、あるいは能力を保持していることを示すと同時に、その闘争の場所に規定されて、その能力が提示されるものと別のものであることを示す必要があったのである(cf. 田崎[1987]、また上村[1985])。
(19)Erikson[1976=1980:100-182]。
(20)Foucault [1975=1977:226]、また[1976=1977]。
(21)富永[1985]等を参照。
(22)例えばGalton [1869=1935]。
(23)実証科学としての犯罪学については一般に19世紀後半の生物学主義的な「イタリア犯罪学派」にその誕生が求められるが、藤岡[1984 :9-20]は、19世紀前半に犯罪統計の収集・分析に力を注いだ犯罪学者達の存在意義を強調している。
(24)知能テストを開発したBinet & Simon の論文を集めたものとして[1982]。また、Binetの伝記的研究としてはWolf [1973=1979]がある。
(25)社会ダーウィニズムに関する古典的文献としてHofstadter[1944=1973]。また、この教説の用いられ方も――教育の場がそうであるのと同様――多様であり、この点についても検討したものとしてClark [1984]、等。
(26)刑罰の領域におけるこの過程の記述としてFoucault [1975=1977:229ff]。
(27)むろんこれでこの時代の個体への政治の形態が網羅されたとなどというのではない。例えば工場にみられるような、行為の現在に働く、行為の統制技術についてはその存在を指摘するだけにとどまった。この論文でとりあげられたのは内部の性質が問題になる領域・実践に限られている。それを主題としたからである。
(28)立岩[1986a:40-41 ]。
(29)例えば、何故、教育という領域が資本制の内部に吸収しつくされていないのかについて考えてみること。
(30)本稿では全く扱われなかった領域として、19世紀以降、意志の結合という観念のもとに捉えられた家族という領域、そしてそれと他の領域、例えば資本制との、あるいは政治の領域との関係。あるいは、性(別)に関わる様々な問題領域。
(30)こういった立場は、普遍的な規範の根拠、正当性の根拠を立てる立場から批判される――主体に根源的な能力を想定する立場は、それを実践の正当性として保持しようとする立場でもあるからだ。だが、そういった定立が可能か、というだけでなく、そこで抽象的に立てられたものは解を持たないことを、しかもそれは、現実には特殊な文脈において機能していたことを、していることを想起しよう。
(31)例えば、消費の領域における欲望の主体の断片化といわれる事態。それは、あらゆる行為に対してそれを支配する統一的な単一の実体としての内部という了解に対しては、破壊的なものであるとしても、内部への参照を維持するという点においては変わっていないという可能性がある(cf. V・4))。そして、この変容の方向は、主体の連続性・累積性が労働の供給に有効であったように、消費の増大に対しては正機能的であると言えようが、それは別の領域にどういった効果をもたらしうるだろうか。
 そして、生体への工学的な介入による上述の布置の変化の可能性。ただそれが現実化されようとする場合には、既存の個体を巡る諸観念・諸制度における抵抗と、またその中での意味づけが避けられない。19世紀からの遺伝に関する言説、そして今世紀になって現実化される、頭脳と生殖に関わる医学的介入についての言説と実践について検討することから始めなくてはならないだろう。

○文献

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Binet, Alfred & Simon, Theodor 1982 中野善造・大沢正子訳, 『知能の発達と評価――知能検査の誕生』, 福村出版.
千葉 治男 1975 「フランス近世都市と貧民」, 吉岡昭彦(編)『政治権力の史的分析』, 御茶の水書房 :135-160.
Clark, Linda L. 1984 Social Dawinism in France, The Univ. of Alabama Press.
Erikson, Torsten 1976 The Reformers:A Historical Survey of Pioneer Experimentsin the Treatment of Criminals, Elsevier.=1980 犯罪行動研究会訳, 『犯罪者処遇の改革者達』, 大成出版社.
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――――・ 1976 La volonte de savoir(Hietoire de la sexualite I), Gallimard. =1986 渡辺守章訳『性の歴史T――知への意志』, 新潮社.
藤岡 哲也 1984 『犯罪学緒論』, 成文堂.
Galton, Francis 1869 Hereditary Genius. =1835 甘粕石介訳, 『天才と遺伝』, 岩波書店. →1975(部分)「能力は遺伝的に配分される」, 『現代のエスプリ』95:32-37.
東丸 恭子 1983 「西欧中世における救済施設――施療院の系譜」, 橋口倫介(編)『西洋中世キリスト教と社会』(橋口倫介教授還暦記念論文集1),刀水書房 :161-177.
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Hofstadter, Richard 1944 Social Dawinism in American Thought, Beacon Press.→1955 Rev.Ed.=1973 後藤昭次訳, 『アメリカの社会進化思想』, 研究社.
Ignatieff, Michael 1978 A Just Measure of Pain: The Penitentiary in the Industrial Revolution, Pantheon Books.
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Morris, Colin 1972 The Discovery of the Individual: 1050-1200, S.P.C.K. =1983 古田暁訳, 『個人の発見――1050年〜1200年』, 日本基督教団出版局.
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Oestreich, Gerhard 1969 Geist und Gestalt des fruhmodern Staates, Duncker & Humbolt.(このうち2本の論文が成瀬治(編訳)1982 『伝統社会と近代国家』, 岩波書店 :203-231, 233-258に訳出されている)
大沢 真理 1986 『イギリス社会政策史――救貧法と福祉国家』, 東京大学出版会
坂上 孝  1984 「監視と規律――近代化と家族――」, 『思想』716(1984-2):81-102
――――・(編) 1985 『1848――国家装置と民衆』, ミネルヴァ書房.
桜井 哲夫 1975 「民主主義と公教育――フランス第三共和制における『業績』と『平等』」, 『思想』618(1975-12):72-92.
佐藤 俊樹 1987 「規範と「人間類型」――Weber社会学の批判的展開を目指して」,東京大学大学院社会学研究科修士論文.
田中 峰雄 1980 「中世都市の貧民観」, 中村賢二郎(編)『前近代における都市と社会階層』, 京都大学人文科学研究所 :1-49.
立岩 真也 1985 「主体の系譜」, 東京大学大学院社会学研究科修士論文.
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――――・ 1986b 「逸脱行為・そして・逸脱者」, 『社会心理学評論』5:26-37(東京大学大学院社会学研究科社会心理学評論編集委員会編集・発行)
――――・ 1987 「FOUCAULTの場所へ――『監視と処罰:監獄の誕生』を読む」,『社会心理学評論』6.
田崎 英明 1987 「労働者の言葉と運動――19世紀前半フランスにおける連帯の模索」,東京大学大学院社会学研究科修士論文.
富永 茂樹 1985 「統計と衛生――社会調査史試論――」, 坂上編[1985:119-148]
上村 祥二 1985 「二月革命と初等教育」, 坂上編[1985:185-217]
Wolf, Theta 1973 Alfred Binet, Univ. of Chicago Press. =1979 宇津木保訳, 『ビネの生涯――知能検査のはじまり』, 誠信書房.

Politics to Individuals: In Two Periods of Western Society

                            Tateiwa, Shinya

 In this paper, I try to describe some forms of intervention to individuals in western society of two periods: 16th-18th century and 19th- century. We may see there, first, the concept of subject not as presupposed or spoteneously generalized, but as a strategically selected point in society and an object to be obtained, second, existence of other forms of individual and strategies to it which have ever been neglected, third, the points of their start and change.
 In conclusion it will be proposed that we should reconsider the concepts of modern society.


REV: 20161031
立岩 真也
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