『覚醒のネットワーク』
上田 紀行 19891201 カタツムリ社,177p.
■上田 紀行 19891201 『覚醒のネットワーク』,カタツムリ社,177p. ISBN-10: 4906539122 ISBN-13: 978-4906539123 1200 [amazon] ※→1997 講談社,講談社文庫,274p. ISBN-10: 4062562030 ISBN-13: 978-4062562034 [amazon] e01
■文庫版の紹介
内容(「BOOK」データベースより)
いつもどこか満たされない。知らないうちに孤独感や無力感にとりつかれる。つい自分の殻に閉じこもってしまう。落ちこんだり、傷ついたり…。そんな心理状態に置かれることが多くなっているいま、どうすれば自分自身を見失うことなく、日々もっと生き生きすることができるのか。「癒し」を追究しつづけてきた著者、自らの体験を通して正面から答える。心身をまるごとリフレッシュ「覚醒」し、新たな生命力がわきでてくる一冊。
著者紹介
1958年、東京都に生まれる。東京大学大学院博士課程を修了。文化人類学者。東京工業大学大学院社会理工学研究科助教授。人間の「癒(いや)し」を多方面から追究しつづけている。著書には『癒しの時代をひらく』(法蔵館)、『宗教クライシス』(岩波書店)、『スリランカの悪魔祓い』(徳間書店)などがある。
■目次
第1章 何かがおかしい
第2章 殻をかぶった私
第3章 「気づき」がやってくるとき
第4章 開かれた私
第5章 殻をかぶった集団
第6章 私と地球の病気を癒す
第7章 いまネットワークが動きだす
■引用・メモ
「「ひとのせいにしない」という教えは、「ひとのせいにする自我」=「殻をかぶった自我」の働きを止め、そこから先に進んでいくための入り口。」(p.43)
◇「じぶんのせい」は、自我の解放であると言う。
「ポストが赤いのもじぶんのせい」と言う女の子の話
「「何もかも私が悪うございました、なんて言って、何が起きてもありがたいありがたいなんていうのは、現実からの逃避だよ」などと言いたくなってしまいます。けれど、実際にこの女の子は、それまで現実から逃避していたのが、そう考えることで逆に現実に立ち向かい、自分の足で積極的に歩いていけるようになったというのです」。そう考えることで、「それまで自分を支配していた自我から解放され、新しい自分が見えてくる」p.26
◇「ひとのせい」でもたらされるもの
@ひとのせいにしていると自我が強くなる。
…「私たちが、「あいつが悪いんだ」と言うときには、「あいつと違って私は悪くない」という形での自己認識、自己正当化があるということです。「あいつのせいだ」という発言は、「あいつ」についてだけでなく、それ以上に「自分」についても語っているのです。」「「他からの違い」として確立される自分、自分が正しいというために「あいつが悪い」と言ってしまうような自分」p.27。
「ひとのせいにする」ことからもたらされる「私」はひととの違いとしての自分です。そしてそこでは自分の外側から見た情報が自分自身と同一化し、自分はあたかも情報のかたまりであるかのように認識されます。そして、そう認識されればされるほど、自分の内側は空白のまま残されていくのです。」p.28
↓「違い」に立脚することの弊害
1.モノへの執着が強くなる
2.「同一性」「一体性」に気づかない
3.不幸な人がいなければ幸せになれない
→「ひとのせい」にして得られる自分とは、「人との違い」にのみ立脚した自我で、それは虚しいと言っている。
A自分に対する無力感
自己を「被害者」にしてしまうことは、「それは、自分には「あいつ」をくい止める力がなく、「あいつ」のなすがままになっているというということです。つまり、それは「あいつ」に権威を与え、自分はそれに屈従する存在であることを暗に認めていることになるのです。」(p.30)
「「あいつのせいだ」と言うこと、それは自分が過去においても未来においても無力であり、状況を自分の手で変えていくことができないことを暗黙に認めてしまうことです。いまある望ましくない状況が起こってくる過程で自分がそれを変えるために何かができたことの可能性を否定し、またこれから何かできることの可能性も否定してしまうのです。」
◇「他からの違い」によるアイデンティティーは、終わりがない、楽にはならない
「それは悪循環です。自分を守るために敵を作り出し、ますます自我が強化され、その自我を満たすためには新たな敵、もっと強力な敵が必要になり、そのおかげでますます世界が否定的なものに見えてきて…、といった悪循環です。こうなってくるともう手がつけられなくなってきて、本人もとても幸福とはいえないのですが、その原因はすべて外の敵にあると信じているので、自分自身が原因になっているとは気づきません。そして自分が作り出した敵との戦いを限りなく続けるのです。」(p.41)
↓
「しかしこうした自我の働き、「他からの違い」としてのアイデンティティーが極限までいってもうどうしようもなくなったときに「大きな気づき」が訪れることがあります。それはその自分を悩ます敵は他ならならぬ自分自身が生み出していたことを悟るとき、そして「他からの違い」としてでない自分自身、アイデンティティーを発見するときです」(p.41)
→「他からの違い」アイデンティティーの話は置いておくとしても、著者は、自身の生きづらさの何がしかを外在化し続けることは不毛で悪循環を呼ぶのだから、それ(=「ひとのせい」にしていた自分)に打ち勝ち、“覚醒”をするのが良い、と言っている。
*作成:山口真紀