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生存の争い

医療の現代史のために 2

立岩 真也 20020401 『現代思想』30-05(2002-04):41-56 http://www.seidosha.co.jp/


 ■20031101 特集:争点としての生命
  『現代思想』31-13(2003-11) 1238+税=1300 ISBN:4-7917-1112-2 [amazon]
 ■20041101 特集:生存の争い
  『現代思想』2004年11月号 32-14 1300円(本体1238円) ISBN:4791711297 [amazon] ※

※ 雑誌は品切れになっています。この文章のテキストファイルを立岩からお送りします。150円です。

 「私は突然、正しい本の正しいページをめくったらしい。そこには私がいたのである。  単なる偶然と片づけるには、あまりにもあてはまることが多すぎた。ところが、…先生は…あくまでも家庭環境のせいだという立場を崩さなかった。…こういう人たちにかかると、脳に損傷があると言われてしまうんですよ、そして、うまく行かないことは何でもかんでも、脳の損傷のせいだといって片付けられてしまうんですよというのが先生の話だった。」(Gerland[1997=2000:257])

3 原因の帰属先のこと

 1 前言
 前回(2月号)、医療と社会のことを考える時にまずふまえておいてよい基本的な要素を示し(第1節)、その上で事態の捉え方についていくつかのことを記した上で、ここ三、四十年の間に何が問題にされてきたのかを検討するとよいと思うと述べた(第2節)。そこで、病気に対する対処法を間違っているから別のものを代わりに示そうという動きについて(第3節1)、得るものと失うものをもっと広くとらえ、医療にともなう本人の支払いを点検し、もっと大切なものがあるかもしれないから得失を計算しなおそうという動きについて(第3節2)記した。今回から、「社会」に問題を、というより原因を見出すあり方の意味とその限界について考える★01。

 2 社会という帰属先
 (1) 批判としての社会要因論
 (2)社会の維持のための社会要因論

 3 医療者の位置


★01 ホームページに前回・今回の原稿の注、文献表を掲載し、ホームページへのリンクを置いた。また「知能テスト」等の項目については関連するファイルにリンクされ、そこにも文献リストがある。そして医療と社会に関連する書籍の発行年順リストは五五〇冊に増えた。なお今回の部分は立岩[1997:271-280](第7章1節「別の因果」1「社会性の主張」2「真性の能力主義にどう対するのか」3「間違っていない生得説に対する無効」)の記述に対応している。
★02 「…近代医学が様々な疾患において、現在どのような因子を危険因子と設定しているかを概観すると、いくつかの特徴が浮かび上がってくる。/第一に、「疾病の発症率と、所得・階層との相関性」については、多くの病気に関して疫学データが存在するにもかかわらず、所得・階層が危険因子と設定されることは少ない。/第二に、社会システムより個人の日常生活の行為が危険因子と設定される。…/第三に、第二の「システムよりは個人」に加えて、「社会的因子よりは生物学的因子」を危険因子に設定する傾向があり、このことにより、個人の遺伝子レベルまで危険因子の設定範囲が広げられようとしている。」(佐藤[1995:31])佐藤[1999]、本稿1の注13(二月号・一六九頁)も参照のこと。
★03 IQ論争については立岩[1997:310-312]に文献をあげた。関連して社会生物学論争についての文献は立岩[1997:309-310]。その後出た本としてGould[1996=1998]があり、立岩[2001-(12)]でも紹介した。この本はGould[1981=1989]の増補改訂版であり、付け加えられた部分には論議を呼んだHerrnstein & Murray[1994](著者の一人は立岩[1997:63,310]で一部を紹介したHerrnstein[1973=1975]の著者でもある)に対する批判がある。グールドによるこの書に対する批判の紹介から知能テストの創始者ビネの論の検討に進む重田[2001]、グールドの本の統計学的手法についての検討と訳書の日本語訳のわからなさについて石田[2001]がある。
★04 このことと、病気なのだからできない、仕方がないという了解との関係について次回に考える。他方の、やめようと思えばやめらられるのにやめられない(とされる)「意志の病」としてのアルコホリズムについて野口[1996:21-28]。
★05 「戦後四十年。脳性麻痺の治療学は、古典的医学の治療という発想の下では、まったく進歩がなかったといってよい。なぜなら「一度破壊された脳細胞は再生しない」という、医学の命題はまだ解決されていないからである。/にもかかわらず、…相次いで日本に上陸した早期療法の宣伝によって、一九七〇年代は「脳性麻痺は直る」「紀元二千年に脳性マヒ故に歩けない人は存在しなくなるであろう」といった宣伝が公然と登場してきた。これは、…”戦後の人権意識”に強く支えられた”療育”の立場から語られ始めた。…/しかし、この数年、次第にその熱気は冷めつつある。」(石川[1988:140-141])
 事態はなかなかに複雑である。このようなできごとの歴史について調べておこうと本稿1(二月号)の注11で述べた。
★06 このことへの専門職の対応のあり方は職種によっても異なるだろう。例えば医学はおおむね無視する。自らにとっても都合がよいか、社会の方が変わってその需要に対応せざるをえないか、そんなときにはじめて取り入れられるところを取り入れる。ただ、社会福祉の仕事の場合は、そもそも自己を完全に肯定することはないような仕組みになっているところがある。批判は、無視したい異物であるのだが、しかし無視できないことがある。単行書として刊行されるとも聞く三島[1999]が注目される。この論文の意義については立岩[2000a→2000b:345]でも述べた。
★07 立岩[2001-2002(2):125-126](注5)に記したことはこのこととも関わる。
★08 例えば、様々のことがそれなりの分量をもって書かれており、先にふれたロボトミーや電気ショックの歴史も扱われていてそれなりに勉強になる精神医学の歴史の本でショーターが反精神医学に割いているのは約5頁なのだが(Shorter[1997=2000:325-330])、そこではフーコー、サス、ゴフマン、シェフ、レインと、ベン・キージーの『カッコーの巣の上で』がまとめていっしょにされ、過去のものとされる。必ずしも病因論として括っているわけではないのだが、それにしてもずいぶんな情報の圧縮である。では日本ではどうだったか。私はこの時期以降の精神医療の言説の歴史についてほとんど何も知らず、またそれを追った研究があるかないかも知らないのだが、例えば「反精神医学」の語が表題に使われる小澤[1974]を読んでみても、そこにほとんど病因論は出てこない。別のことが書かれている。
★09 以上を書いていて念頭にあった動きの一つに日本臨床心理学会、日本社会臨床学会(日本臨床心理学会編[1979][1987]、日本社会臨床学会編[2000]等)の活動がある。ここで言われたこと、なされたことについてよく考えてみる必要があることは立岩[1997:436]でも述べた。

文献部(*はホームページに/から、掲載/リンクされている)
Gerland, Gunilla 1997 A Real Person=2000 ニキ・リンコ訳、『ずっと「普通」になりたかった』、花風社
Gould, Stephen Jay 1981 The Mismeasure of Man, W. W. Norton=1989 鈴木善次・森脇靖子訳、『人間の測りまちがい――差別の科学史』、河出書房新社
―――――  1996 The Mismeasure of Man, revised edition, W. W. Norton=1998 鈴木善次・森脇靖子訳、『人間の測りまちがい――差別の科学史 増補改訂版』、河出書房新社
Herrnstein, Richard J. 1973 I.Q. in the meritocracy, Little, Brown=1975 岩井勇二訳、『IQと競争社会』、黎明書房
Herrnstein, Richard J. & Murray, Charles 1994 The Bell Curve: the Reshaping of American Life by Difference in Intelligence, Free Press
石田 翼 2001 「『増補改訂版 人間の測りまちがい 差別の科学史』」(私の読書メモ)*、http://www.mars.sphere.ne.jp/tbs-i/bokrev/mismeasure.html
石川 憲彦 1988 『治療という幻想――障害の治療からみえること』、現代書館
黒田 浩一郎 編 1995 『現代医療の社会学――日本の現状と課題』、世界思想社
三島 亜紀子 1999 「社会福祉の学問と専門職」*、大阪市立大学大学院修士論文
日本臨床心理学会 編 1979 『心理テスト・その虚構と現実』、現代書館
―――――  1987 『「早期発見・治療」はなぜ問題か』、現代書館
日本社会臨床学会 編 2000 『カウンセリング・幻想と現実』、現代書館(上巻:理論と社会、下巻:生活と臨床)
野口 裕二 1996 『アルコホリズムの社会学――アディクションと近代』、日本評論社
重田 園江 2001 「正しく測るとはどういうことか?」*、http://www.kisc.meiji.ac.jp/~shisou/sensei/tadashikuindex.htm
小澤 勲  1974 『反精神医学への道標』、めるくまーる社
佐藤 純一 1995 「医学」、黒田編[1995:2-32]
Shorter, Edward 1997 A History of Psychiatry:From the Era of the Asylum to the Age of Prozac, John Wiley & Sons,Inc.
=19991110 木村定訳,『精神医学の歴史――隔離の時代から薬物治療の時代まで』,青土社,391 p. ISBN-10: 4791757645 ISBN-13: 978-4791757640 [amazon][kinokuniya] ※
立岩 真也 1997 『私的所有論』、勁草書房
――――― 2000a 「遠離・遭遇――介助について」(1〜4)『現代思想』28-4(2000-3):155-179,28-5(2000-4):28-38,28-6(2000-5):231-243,28-7(2000-6):252-277→立岩[2000b:219-353]
――――― 2000b 『弱くある自由へ』、青土社
――――― 2001-2002 「自由の平等」(1〜5)、『思想』922(2001-3):54-82,924(2001-5):108-134,927(2001-8):98-125,930(2001-11),93*(2002-0*)
――――― 2001- 「医療と社会ブックガイド」*、『看護教育』(医学書院、42-1(2001-1)から毎月連載)


UP:20080105 REV:20110130
原因  ◇立岩 真也
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