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上田 敏
うえだ・さとし
1932〜
※次の電子書籍(HTM)に情報を掲載。今後はこの電子書籍で随時増補をしていきます。
◆立岩 真也 編 2017/07/26
『リハビリテーション/批判――多田富雄/上田敏/…』
,
Kyoto Books
[表紙写真クリックで紹介頁へ]
◆デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
http://kotobank.jp/word/%E4%B8%8A%E7%94%B0%E6%95%8F
上田敏 うえだ-さとし 1932−昭和後期-平成時代の医学者。昭和7年1月3日生まれ。38年東大病院にリハビリテーション部を設立。ニューヨーク大に留学し,59年東大教授となる。平成4年帝京大教授。日本リハビリテーション医学会会長をつとめた。福島県出身。東大卒。著作に「リハビリテーション」など。
◆
田島明子
20070427- 「上田敏」
http://www5.ocn.ne.jp/~tjmkk/us1.htm
◆
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%94%B0%E6%95%8F_(%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E8%80%85)
上田敏 (医学者) 上田 敏(うえだ さとし、1932年(昭和7年) - )は、日本の医学者(リハビリテーション医学)。 福島県生まれ。1956年、東京大学医学部卒。同附属病院冲中内科で内科・神経内科を研修。1960年浴風会病院でリハビリテーションを開始。1963年東大医学博士。題は「神経体液学説に関する研究 : 自律神経中枢におけるCatecholamineおよびMonoamine Oxidaseに関する組織化学的研究 」[1]。1964年ニューヨーク大学リハビリテーション医学研究所に学ぶ。1984年東京大学教授・リハビリテーション部部長。1986年 - 1987年日本リハビリテーション医学会会長。1992年定年退官、帝京大学教授、1997年帝京平成大学教授。1997年−1999年国際リハビリテーション医学会会長。
著書[編集]
『目でみるリハビリテーション医学』東京大学出版会、1971
『目でみる脳卒中リハビリテーション』東京大学出版会、1981
『リハビリテーションを考える 障害者の全人間的復権』青木書店、1983 障害者問題双書
『リハビリテーションの思想 人間復権の医療を求めて』医学書院、1987
『脳卒中のリハビリテーション』有斐閣選書、1990
『リハビリテーション医学の世界 科学技術としてのその本質、その展開、そしてエトス』三輪書店、1992
『リハビリテーション 新しい生き方を創る医学』講談社ブルーバックス、1996
『科学としてのリハビリテーション医学』医学書院、2001
『ICF(国際生活機能分類)の理解と活用 人が「生きること」「生きることの困難(障害)」をどうとらえるか』きょうされん KSブックレット、2004
『リハビリテーションの歩み その源流とこれから』医学書院、2013
共編著・編著[編集]
『リハビリテーション医学全書 20 各種神経筋疾患』編集、医歯薬出版、1975
『世界のリハビリテーション リハビリテーションと障害者福祉の国際比較』二木立共著、医歯薬出版、1980
『リハビリテーション基礎医学』千野直一、大川嗣雄共編、医学書院、1983
『ある病気の運命 結核との闘いから何を学ぶか』砂原茂一共著、東京大学出版会、1984
『リハビリテーションと看護』横田碧と編集企画 金原出版、1985、看護mook
『リハビリテーションと看護』編著、文光堂、1985、看護学双書
『標準リハビリテーション医学』明石謙、緒方甫、安藤徳彦共編、医学書院、1986
『脳卒中の早期リハビリテーション これからの考え方と進め方』二木立共著、医学書院、1987
『精神を病むということ』秋元波留夫共著、医学書院、1990
『セミナー介護福祉 10 一般医学』編、ミネルヴァ書房、1992
『セミナー介護福祉 4 リハビリテーションの理論と実際』編、ミネルヴァ書房、1992
『長寿社会総合講座 4 老年医学とリハビリテーション』大塚俊男共編著、第一法規出版、1993
『リハビリテーション』編、メディカ出版、1994
『リハビリテーション医学大辞典』大川弥生共編、医歯薬出版、1996
『回生を生きる 本当のリハビリテーションに出会って』鶴見和子、大川弥生共著、三輪書店、1998
『一般医学』編、ミネルヴァ書房、2002、新・セミナー介護福祉
『リハビリテーションの理論と実際』編、ミネルヴァ書房、2002 新・セミナー介護福祉
『患者学のすすめ "内発的"リハビリテーション』鶴見和子共著、藤原書店、2003、鶴見和子・対話まんだら
秋元波留夫『99歳精神科医の挑戦 好奇心と正義感』構成、岩波書店、2005
翻訳[編集]
N.Hutchins, H.A.Lightbourne『リハビリテーション看護必携』遠藤千恵子共訳、医学書院、1967
ベンジャミン・スポック、マリオン・レリゴ『スポック博士の心身障害児の療育 親のためのアドバイス』上田礼子、石坂直行共訳、岩崎学術出版社、1972
Antje Price『進行性筋ジストロフィー 機能障害と心理的諸問題』寺山久美子共訳・監訳、医学書院、1974
James W.McDaniel『身体障害者の心理と行動』上田礼子共訳、医学書院、1983
Gary A.Okamoto 編著『リハビリテーションの臨床実践 全人的マネージメントのためのマニュアル』監訳、医学書院サウンダース、1987
キャロル・ガービッチ『保健医療職のための質的研究入門』上田礼子、今西康子共訳 医学書院、2003
◆1932年福島県生まれ
東京大学医学部卒業 医学博士
1964年ニューヨーク大学リハビリテーション医学研究所留学
帰国後、創設間もない東大病院リハビリテーション部に専属医として勤務
東大教授、同リハビリテーション部部長、帝京大学教授、帝京平成大学教授を経て、日本社会事業大学客員教授
◆
http://wwwd.pikara.ne.jp/ichou-kai/towa/sakai/Sakaispage2.htm
上田 敏:1932年生、東京大学医学部卒、内科・神経科専攻、ニューヨーク大学リハビリテーション医学研究所、東京大学医学部教授、リハビリテーション部部長、帝京平成大学教授、日本リハビリテーション医学会理事、国際リハビリテーション医学会会長、著書「リハビリテーションを考える、青木書店」、「リハビリテーションの思想、医学書院」、「リハビリテーション、新しい生き方を創る医学、講談社」
このHP経由で購入すると寄付されます
◆上田 敏 196909 「悠生園での老人の『復権』をみて」,田中[1969:]*(上田[200404:30-33]に一部引用)
*田中 多聞 196909
『新老人福祉論』
,社会保険出版社,326p. ASIN:B000J9OYJU
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※ a06 r02 t04
『目でみるリハビリテーション医学』,東京大学出版会,80p. ASIN: B000JA0KCE
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※ r02.
◆上田 敏 19731125 「リハビリテーション――その理念と現実」,『ジュリスト』548:179-184(臨増・特集:医療と人権)
◆上田 敏 1980 「障害の受容――その本質と諸段階について」,『総合リハビリテーション』8-7
この文献の紹介 by
田島明子
*
http://www5.ocn.ne.jp/~tjmkk/hon004.htm
◆上田 敏 19810930 「「障害」及び「障害者」概念の変遷――リハビリテーション医学の視点から」,『ジュリスト増刊総合特集24 障害者の人権と生活保障』:40-44 ※
◆上田 敏 19830615
『リハビリテーションを考える――障害者の全人間的復権』
,青木書店,障害者問題双書,327p. ISBN-10: 4250830187 ISBN-13: 978-4250830181 2000
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[kinokuniya]
※ r02.
◆上田 敏 198404 「ADLからQOLへ――リハビリテーションにおける目標の転換」,『総合リハビリテーション』12-4:216-266(特集・クオリティオブライフ(QOL))
この文献の紹介 by
田島明子
http://www5.ocn.ne.jp/~tjmkk/hon17ueda.htm
◆上田 敏 19841001 「「人生の質」(Quality of life, QOL)を求めて――リハビリテーションにおけるADLからQOLへの目標の転換」,『社会福祉研究』35:14-20 ※COPY
◆上田 敏・大川 嗣雄・明石 謙 編/津山 直一 監修 19861101
『標準リハビリテーション医学』
,医学書院,339p. ISBN-10: 4260243136 ISBN-13: 978-4260243131 5900+
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※ r02.
◆上田 敏 19870615
『リハビリテーションの思想――人間復権の医療を求めて』
,医学書院,147p. ISBN-10: 4260243187 ISBN-13: 978-4260243186 1400
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※ r02.
◆上田 敏・小島 蓉子・板山 賢治(鼎談) 198806 「目前に迫ったリハビリテ−ション世界会議」,『月刊福祉』71-07:015-037(特集:目前に迫ったリハビリテ−ション世界会議)
◆秋元 波留夫・上田 敏 19900815
『精神を病むということ』
,医学書院,326p. ISBN-10: 4260117505 ISBN-13: 978-4260117500 \4725
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※
◆上田 敏 19920510
『リハビリテーション医学の世界――科学技術としての本質、その展開、そしてエトス』
,三輪書店,361p. ISBN-10: 4895900126 ISBN-13: 978-4895900126 3364
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※
◆上田 敏・大塚 俊男 編 19931215
『老年医学とリハビリテーション』(長寿社会総合講座4)
,第一法規出版,242p. 4000 千葉社4738-04
◆上田 敏 19931215 「高齢者におけるリハビリテーションの基本的な考え方」,上田敏・大塚俊男編[1993:075-089]
◆上田 敏 19931215 「高齢者の保健医学の諸問題」,上田敏・大塚俊男編[1993:001-003]
◆上田 敏 19940830
『目でみるリハビリテーション医学 第2版』
,東京大学出版会,111p. ISBN-10: 4130624024 ISBN-13: 978-4130624022 3990
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※ r02.
◆上田 敏 19960420
『リハビリテーション』
,講談社,ブルーバックス,244p. ISBN-10: 406257117X ISBN-13: 978-4062571173 900
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※ r02.
◆鶴見 和子・大川 弥生・上田 敏 199805
『回生を生きる――本当のリハビリテーションに出会って』
,三輪書店,237p. ISBN-10: 4895900800 ISBN-13: 978-4895900805
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※ r02.
◆上田 敏 20010615
『リハビリテーションの思想――人間復権の医療を求めて 第2版』
,医学書院,185p. ISBN-10: 4260243985 ISBN-13: 978-4260243988
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※ r02.
◆上田 敏 20010615
『科学としてのリハビリテーション医学』
,医学書院,223p. ISBN-10: 4260243993 ISBN-13: 978-4260243995 2400+
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※ r02.
◆上田 敏 2002 「総合リハビリテーションの展望――全従事者と当事者の交流・協力・参加 特集にあたって」,『リハビリテーション研究』113:2-6
◆鶴見 和子・上田 敏 200307
『患者学のすすめ――“内発的”リハビリテーション 鶴見和子・対話まんだら 上田敏の巻』
,藤原書店,238p. ISBN-10: 4894343428 ISBN-13: 978-4894343429 2310
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※ r02.
◆上田 敏(日本障害者リハビリテーション協会) 2004/03 「高齢者リハビリテーションのあるべき方向――高齢者リハビリテーション研究会中間報告」,『作業療法ジャーナル』38巻3号 Page238-239
◆上田 敏 20040401
『リハビリテーションの思想――人間復権の医療を求めて 第2版増補版』
,医学書院,190p. 2100+ ISBN-10: 4260244264 ISBN-13: 978-4260244268
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※ r02.
◆鶴見 和子・大川 弥生・上田 敏 20070801
『回生を生きる――本当のリハビリテーションに出会って 増補版』
,三輪書店,319p. ISBN-10: 489590279X ISBN-13: 978-4895902793 2100
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※ r02.
■
◆上田 敏 19830615
『リハビリテーションを考える――障害者の全人間的復権』
,青木書店,障害者問題双書,327p. ISBN-10: 4250830187 ISBN-13: 978-4250830181 2000
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※ r02.
「障害者の選択権と“自己決定権”が最大限に尊重されていなければならないのであり、そうであるかぎり、たとえ全面的な介助を受けていても人格的には自立しているのだ、という考え方である。」(上田 1983: 27)
「一九八一年にスタートした障害者の国際組織である障害者インターナショナル(Disabled Person International)が障害者の立場からの独自のリハビリテーションの定義をおこなって<0030<おり、それが国連の「障害者の十年」の世界行動計画にもとり入れられていることを紹介しておきたい。それは「損傷を負った人に対して、身体的、精神的、かつまた社会的に最も適した機能水準の達成を可能とすることにより、各個人が自らの人生を変革していくための手段を提供していくことを目指し、かつ時間を限定したプロセス」というものである。
これは、リハビリテーション・インターナショナル(Rehabilitaion International; RI, 以前の国際障害者リハビリテーション協会で、代表的な障害者のための国際組織【「のための」に傍点】)の、「八〇年代憲章」のリハビリテーションの定義が次のようにのべていたのと比べると力点のおき方がかなり異なっている。すなわちRIの定義は「医学、社会、教育および職業的方法を組み合わせ、調整して用い、障害のある人の機能を最大限に高めること、および社会のなかでの統合を援助する過程である」というものである。
八代栄太氏も指摘しているが(10)、RIの定義がたんに「機能を最大限に高める」としているのにたいして、DPIの定義では「最も適した機能水準の達成」と、「各個人が自らの人生を変革していくための手段を提供する」との二点が含められている。すなわち主体が個々の障害者自身であること、および機能の向上は必ずしも常に最大限が望ましいのではなく、「最適な」ものであってよいという二つの点に違いがあるわけである。このような考え方の根底には機能の向上それ自体は人生における手段であって目的ではないという理念があると思われる。さらに「社会の中での統合の援助」という重要な項目がぬけていることについては、これはリハビリテーションのプロセスと密接不可分ではあるものの、社会の環境を改善し、構造を変革することによって実現しうるものとして、DPIとしては「機会の均等化」という概念を別個に新たに導入して、これをリハビリテーションと並び立つ概念として位置づけたものである。そしてこれとの<0031<関連においてリハビリテーションには「時間を限定したプロセス」【「時間を限定した」に傍点】)という規定が加えられたわけである。」(上田[1983:30-32]、「Disabled Person International」は「Disabled Peoples' International」)
「ここで、やや旧聞に属するが、一〇数年前の学園紛争の時代にしばしば学園を風靡した「労働力修理工場論」について一言触れておきたい。これは学園紛争が医学部からはじまったこともあって、医学・医療への根源的な批判として、当時の「新左翼」の論客たちが展開した議論であって、リハビリテーション界の一部にもかなりの影響を与えたものである。それは医療はすべて、そしてなかでもリハビリテーションはとくに、もっぱら資本家の利益のために、傷ついた労働力を修理し使えるようにし、ふたたび資本家によって搾取されるために社会に送りかえすものだ。したがって、それは権力への加担であり、犯罪的であるとの主張である。今聞くとまるで嘘のように幼稚な議論であるが、当時は若い医学生、リハビリテーション関係職種の学生の心を少なからずゆるがせたものである。当時私はこれについて、小文を発表したことがあるが(14)、その一部をここに再録しておきたい。
「「労働力修理工場論」を非常識な幼稚な議論として一笑に付すことは易しいが、私はむしろこれを軽視せず、真正面からこれと対決することによって、リハビリテーション、あるいは医療全般の、真に正しい社会科学的な分析と位置づけを発展させていく必要があるように思う。<0038<
この種の議論にたいする批判の第一は、それがまさに資本家側の医療にたいする見方に立って、それを絶対視した議論ではないかという点である。
資本家の利害だけから見れば、たしかに、医療の水準は国民を「生かさぬよう、殺さぬよう」に保つのがよいといえるのかもしれない。あるいは低廉な労働力の適当な供給が保障される範囲内に保てば十分だと考えられるかもしれない。
たしかにわが政府をして「低医療費政策」(とくにリハビリテーションにおいてほど、この政策が顕著なところは他にない)を固執せしめているモチベーションのひとつには、これがあるであろう。
しかし、問題は、医療を決定する力はこれしかないのかということである。
そこで第二の批判点になるが、彼らの議論は、医療の水準を支え、それをたえず高め、かつ広めようとしている根本的な力の存在を見落としているということである。
それは何よりも、よりよい生活を求め、より健康な生活を求め、健康の破壊を許さないとする国民全体の要求であり、次に、それにこたえるべく、医療の理論と技術をたえずたかめ、普及しようと努力しているわれわれ医療技術者の活動である。
第三の批判点は、彼らの議論には、医療の現実をこの二つの力、すなわち、医療を発展させようとする下からの、そして科学的な力と、それにあまり多額の費用はかけないで、労働力の供給維持程度におさえようとする上からの力とのダイナミックなぶつかり合いとして見ていこうとする立場がないということである。上からの力の一方的な貫徹として、つまり、元気のよい言葉はともかくとして、基本的にはきわめてペシミスティックな見方で、スタティックにとらえることしかできていない点にある。<0039<
以上は、医療全般に共通の議論であるが、リハビリテーションに限っていえば、これはまさに新しい医療の可能性の拡大であり、医療の任務を全人間的な復権、より意義のある人生の実現にまで拡大したという点で、医療の水準についての考え方を質的に一段高い段階に高めるものである。
国民の基本的要求に奉仕するための医療の科学・技術のひとつの先端にあるものとして肯定的にとらえるべきものなのである。
以上いささか「喧嘩すぎての棒ちぎり」といったおもむきがないでもない、若かしころの議論であるが、現在の障害者運動やリハビリテーション論のなかにも、表面にはあらわれないまでも、ひとつの底流としてこれに類するペシミスティックな、あるいはニヒリスティックな思想が流れているとはいえないので、またこのような議論がいつ復活してこないものでもないので、あえて御紹介したしだいである。
実はこの「労働力修理工場論」批判は、医療(リハビリテーションを含む)の位置づけというだけでなく、本節のテーマである労働の意義についての考察とも深い結びつきをもつものである。すなわち、十数年前の論文では触れなかったが、このような「新左翼」的な議論の根底には「労働は苦役である」という思想があり、実はそれが最大の問題なのである。労働が苦役であればこそ、障害者を労働に送りかえそうとするリハビリテーションが犯罪的なのである。そしてこう言い換えてみれば、現在の障害者運動の一部にもあきらかにこの「労働苦役論」は底流として存在しており、「苦役から労働を解放5しようとするのではなく、「労働からの解放」こそが障害者運動の目的であるかのような議論も聞かれるのである。」(上田[1983:38-40])
「(14)上田敏「リハビリテーション医学の諸問題」『新しい医師』一九七一年三月一日号。」(上田[1983:51])
*この部分への言及
◇杉野 昭博 20070620
『障害学――理論形成と射程』
,東京大学出版会,294p. ISBN-10: 4130511270 ISBN-13: 978-4130511278 3990
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※ ds
「7) オリバーの医療批判に,1970年代の日本の新左翼運動による「労働力修理工場としての医療」批判(上田敏 1983:38)と同じ響きを感じる人もいるかもしれないが,あらためて言うまでもなく,それは誤解である.1970年代の医療批判は「資本家の手先」として医師が労働者を「治療=修理」することに向けられていたが,オリバーが問題視しているのは「治療」ではなく,「診断」による「選別」である.」(杉野[2007:155])*
◇立岩 真也 2010/08/01 「「社会モデル」・序――連載 57」,『現代思想』38-10(2010-8):22-33
資料
「☆06 一九七〇年代からすくなくとも一九八〇年代までについてのこの国のことについては、「左翼」の内部?での対立の契機を抜きにして考えることはできない。上田の著書には例えば以下のような箇所がある。
「ここで、やや旧聞に属するが[…]その一部をここに再録しておきたい。」(上田[1983:38])
その「小文」は上田[1971](その紹介はHP→「上田敏」)。ついでに以下を引用しておく。
「医者は患者を待ちかまえているだけでよいのか。患者は公害とか労災とかでむしばまれるかも知れない。その患者を治療して、再び労働力を搾取しようとする元の社会に帰さざるを得ないのであれば、医者という存在は、全く資本主義の矛盾を隠蔽し、ゆがみの部分を担って本質をかくす役割をになっているだけではないか。
では医者になることを拒否するのかといえば、そういう形で問題は立てられない。いわば否定の否定として二転三転して医者になろうとする。しかし同時に受身的な医者になることを拒否して闘争を続けたときに、結果として医者になれないかもしれない。 自分は医者になってもならなくてもよい。けれど、闘争はまさに続くんだ。その闘争は医療の分野でだ。そこから自分が抜けたら、だれがやるのか。自分たちこそ医者になるんだ。このようなねばりつく運動形態が、どんなにラジカルであろうと、それは革命的敗北主義からも玉砕主義からも抜け出た運動であることは自明なのだ。」(最首[1969:101-102])
「理系闘争委員会は、現代社会において科学は、それが平和のためであれ、戦争のためであれ、すべて資本家の財産、私有物として存在していると考える。そして科学は一面、労働者人民を抑圧するとともに、他方において労働者人民が自己を含めた社会の矛盾を解明する武器となる両刃の剣であるといういわゆる「科学の二面性論」は、科学者が発明した論理にすぎないと、はげしく攻撃する。」(最首[1969:102]*)
何がどうなっているのか。[…]」
*
最首 悟
1969 「玉砕する狂人といわれようと――自己を見つめるノンセクト・ラジカルの立場」、『朝日ジャーナル』1969-1-19:99-103(非常事態宣言下の東大・その2)
◇立岩 真也 2010/09/01 「「社会モデル」・1――連載 58」,『現代思想』38-11(2010-9):
資料
「☆01 […]前回の後半の長い註ですこしふれたのは、医療・リハビリテーションの側に身を置きつつ、社会改革も大切であると説く革新的な論者と、片方にそうしたものを全面的に否定する(かのようにその論者たちから言われる)立場との争いについてだった。上田敏の文章と最首悟の文章を引いた。上田の文章が言うのは、片方を全面否定する輩がおり、その人たちは愚かであるということだった。他方、一九六九年の『朝日ジャーナル』に載った最首の文章を読めば、それが全面否定といった単純なことを言っていないことはわかる。ただまず、このような争いがあったこと自体が忘れられているか、知られていない。それはよくないことだと思う。私は双方が言っていることの両方に詰められていないところがあると思っていて、そしてそれは、結局はこのたびの「制限」を巡る出来事にも関係があると考えている。つま、何をよしとし、何をよけいなこととするのかという問題があるのだが、それがはっきりしないまま、両方が(しかしどのように、どれだけの割合で?)必要だと言っても仕方がない。また、否定しようとするにしても、ほんとうに全部いらないと言うのかといった反問に答える必要があると思う。ここがはっきりしないなら、財源の制約といった事情によって様々に浮動する現実を解析し評価し、ではどうしたらよいのかを言うこともできないだろう。そしてそれは、本連載の前々回「過剰/過少・1」に記したことでもあった。ある人々は「過剰」を言ってきた。もちろんよけいなものはいらないとして、何がなにゆえに余計なのかである。」
◆上田 敏 1980 「障害の受容――その本質と諸段階について」,『総合リハビリテーション』8-7
◆上田 敏 19940830
『目でみるリハビリテーション医学 第2版』
,東京大学出版会,111p. ISBN-10: 4130624024 ISBN-13: 978-4130624022 3990
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[kinokuniya]
※ r02.
「障害の受容(Acceptance of Disability)
□障害の受容の本質
障害のある人々の多くは「自分は家族の足手まといで、社会の厄介者で、生きる資格のない人間だ」と自分を責め、あるいは「そうなるのではないか」と不安と恐怖をいだく。しかし実はこれが「障害者」に対する本人自身の偏見の産物にほかならないとことは先に述べた通りである。しかし人間は強いもので、このどん底からも立ち直り、立ち上がってくる人が決して少なくない。これを援助することがリハビリテーションの重要な第4のアプローチ(前ページ参照)である。これを
障害の受容
と呼ぶ。これはよく「あきらめ」とまちがわれるが、実は正反対で、現実から目をそらさず、直視することができるようになることであり、障害の心理的克服に他ならない。その本質は障害についての
価値観の転換
である。他人との比較でしか意味のない(相対)的価値観から脱却して人間の様々なありかた(存在)そのものに価値を見出す存在(絶対)的価値観に到達することである。
障害の受容を促進するのに必要なのは直接的な心理的働きかけだけではない。むしろ客観的QOLの向上と周囲の人々(家族・専門家・社会)が障害のある人を受容する(尊重し尊敬する)ことが重要である。逆に本人による受容(立ち直り)は周囲の人々の障害に対する偏見からの脱却を大きく促進する。
□障害の受容の諸段階
[…]」(上田[1994:5])
■言及
◆浜田 晋 20010101
『私の精神分裂病論』
,医学書院,244p. ISBN-10: 4260118528 ISBN-13: 978-4260118521 3150
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[kinokuniya]
※ m.
「医師という存在とは何か
昭和43年11月から45年4月まで、上田敏先生の要請を受けて私は東大リハビリテーションセンターで精神科的相談に応じてきた。それは週1回<0038<半日わずかふたりの患者を主に診察室場面で診るという限られた経験であった。しかし東大闘争のさなかでもあり、ヘリコプターの騒音を耳にしながら、私は戸惑いとある種の気負いを胸に、今まで経験したことのない新しい状況下で診察を行った。そこは上田敏先生を中心に、PT(理学療法士)、OT(作業療法士)、ケースワーカーたちが新しい医療を目ざして熱心に活動をしていた(それは東京大学の各科の診察依頼にこたえ病室を訪れた時のうさんくさい視線とは対照的であった)。それにリハビリテーション医学の理念に私は共感するものがあった。コメディカル・スタッフとの交流も初めてであり、新鮮であり刺激的であった。
精神科医は従来ともすれば精神病の殻に閉じこもってはいたが、もっと身体医学の中に足を踏み込み、さらには極度に専門化した身体医学のかかえる諸矛盾に対しても積極的に発言せねばならないことを学んだ。各科から集まってくる患者たちから「東大病院の病理」を知ることもできた。それをここで述べるつもりはない。ただひとり私の忘れられない患者の話だけにしておこう。私の診察態度そのものに関わるからである。」(浜田[2001:38-39])
◆「回生」 鶴見和子 多田・鶴見[2003:34-47]
「一九九七年元旦に、日本のリハビリテーションのくさわけの上田敏先生から、速達をいただきました。「一度、診察してあげたい」と申し出てくださったのです。これは天の恵みでした。わたしはすぐにお電話をして、「ご指定の病院にうかがいます」と申し上げました。上田先生は、茨城県守谷町の会田記念病院をご指定くださいました。
一月十五日に入院しました。」(鶴見[2003:35]*)
*多田 富雄・鶴見 和子 20030615
『邂逅』
,藤原書店,231p. ASIN: 4894343401 2310
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※ r02.
◆
杉野 昭博
20070620
『障害学――理論形成と射程』
,東京大学出版会,294p. ISBN-10: 4130511270 ISBN-13: 978-4130511278 3990
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※ ds
「既存の障害研究による障害学に対する矛盾した反応をよく示しているのが、リハビリテーション界のオピニオン・リーダーの反応だろう。たとえば、戦後日本の障害者リハビリテーションを主導してきた上田敏は、およそ20年前には以下のように障害者運動によるリハビリテーション批判の「行き過ぎ」に警鐘を鳴らしていた。
障害者運動の一部にみられるような、社会環境改善のみがすべてであって、<0048<機能・形態障害、能力障害などの改善は必要でないという考え方(「健常者が障害者に近づくべきなのであって、障害者を健常者に近づけようとするのは間違いだ」という論)もこれまでのべたように、機能・形態障害の治療や能力障害の克服の技術的可能性が現実に存在する以上あきらかに誤りである(上田敏 1983:96)。
ところが上田は、2002年に「総合リハビリテーション」を提案する際には、障害者運動や障害学の主張に対して、20年前とはずいぶん異なるスタンスを見せ、「障害当事者自助運動との協力」を「総合リハビリテーション」の「第3ステップ」と位置づけるなかで、70年代の障害者運動について以下のように「評価」している。
1970年代における自立生活運動の立場からのリハビリテーション医療への批判は痛烈であり、リハビリテーションが本来の「全人的復権」の理念から逸脱し、「パターナリズム」、「施設中心主義」、「障害当事者の利益の上に専門家の利益をおく傾向」などに陥っていることが指摘され批判された。その批判の多くは残念ながら現在でも当たっている(上田敏 2002:5)。」(杉野[2007:48-49])
・上田 敏 1983 『リハビリテーションを考える』,青木書店
・上田 敏 2002 「総合リハビリテーションの展望――全従事者と当事者の交流・協力・参加 特集にあたって」,『リハビリテーション研究』113:2-6
「医療やリハビリテーションの専門職の人たちのなかには、それこそいつも自分が心がけていることだし、専門職教育はそのようにあるべきだと言う人も多いだろう。しかし、そうした「良心的専門家」と利用者との違いは、前者がこれを「実現すべき目標」としてとらえているのに対して、後者はそれが達成される「制度的保障」を求めている点である。良心的専門家は、専門家1人1人がいかに最善を尽くすべきかは雄弁に語るが、一定水準のサービスを制度的に保障するシステムについてはとたんに口が重くなり、さらに専門家と利用者との間に存在する権力の不均衡についてはまったく鈍感になる13)。」
「13) この点を象徴的に示しているのが鶴見和子・上田敏・大川弥生(1998)である。この本は、理想のリハビリテーション実践を示すものだが、はからずも、今日の日本における理学療法の実態がいかに理想とかけ離れているかを示している。もしも鶴見が有名人ではなくふつうの患者であったならば、上田や大川といった良心的医師に出会わなかったならば、鶴見の運命は悲惨なものだった。上田は鶴見が最初に経験したリハビリテーションは「古い」ものだとしているが、内反を放置したまま歩行訓練を継続させるという技術水準は、古いか新しいかといったことですまされる問題ではなく、鶴見が最初に受けたリハビリテーション・サービスが適切な水準にないことを示しているのではないだろうか。潜在的な利用者としての国民一般も含めて、利用者が期待しているのは、この本が示すような「素晴らしい専門家との幸運な出会い」ではなく、「安心して利用できる制度」の確立であり、水準の低い専門家や実践を完全に排除できるシステムではないだろうか。しかし、それについては良心的専門家たちは口をつぐむ。」(杉野[2007:111])
◆多田 富雄 20071210
『わたしのリハビリ闘争――最弱者の生存権は守られたか』
,青土社,172p. ISBN-10: 4791763629 ISBN-13: 978-4791763627 1260
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※ r02
「急性期、回復期に手厚いリハビリを認めたのに対して、維持期の患者に上限日数<0017<を決めたのは、リハビリを続けても目立った効果が期待できないからと繰り返した。そもそもこの措置が決められたのは、「高齢者リハビリ研究会」の専門家によって、「効果の明らかでないリハビリが長期間にわたって行われている」という指摘があったからだと言われている。これも真っ赤な嘘であったことが後日わかった。
これは、二〇〇六年一一月二八日の衆議院厚生労働委員会で、社民党の
福島みずほ
党首の質問で明らかにされたが、厚労省幹部永田邦雄保険局長の、ぬらりくらりとした答弁でうやむやにされた。議事録には書いてない合意があったというが、そんな合意がいつどこでなされたかなど、一切証拠はなかった。またそんな形で都合よく利用されていても、専門家と称する「高齢者リハビリ研究会」のメンバーのリハビリ医は、一言も反対しなかった。腰抜けというほかない。
この「高齢者リハビリ研究会」は、日本のリハビリ医学の先駆者である
上田敏
氏が座長を務めている。
鶴見和子
さんに発病一年後からリハビリを実施し、何とか歩行機能を回復させた功績があるのに、一般患者には、半年で打ち切るという案に合意したとは考えられない。またそんな証拠はどこにもなかった。それなのにこの偽の合意が、このよ<0018<うに患者を苦しめていることに対し、一言も反対の声を上げないのは、学者として、また医師としての良心に恥じないのだろうか。」(多田[2007:17-18])
◆立岩 真也 20100701 「留保し引き継ぐ――多田富雄の二〇〇六年から」,『現代思想』38-9(2010-7):
資料
◆立岩 真也 2010/08/01 「「社会モデル」・序――連載 57」,『現代思想』38-10(2010-8):
資料
◆2010/09/
http://twitter.com/sentanken/status/24448379666
◆立岩 真也 2010/11/01 「社会派の行き先・1――連載 60」,『現代思想』38-(2010-11):
資料
◆立岩 真也 2010/12/01 「社会派の行き先・2――連載 61」,『現代思想』38-(2010-12):
資料
◆立岩 真也 2017/07/**
「……」
,『多田富雄コレクション』第3巻「人間の復権――リハビリと医療」解説,藤原書店
UP:20061120 REV:1122 20070427, 20100607, 17, 0708, 12, 1013, 1106, 13, 14, 20110807, 20170701
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